カテゴリー「グルメ・クッキング」の219件の記事

2024年8月10日

ラーメン屋店主の「腕組み」を巡る冒険

Quora に「レストラン、特にラーメン屋の広告では、どうして皆さん腕を組んでいるのでしょうか?」という質問があるのを見つけた。言われてみれば確かにそうで、「ガテン系だぜぃ!」と言わんばかりの腕組みポーズがやたらに多い。

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これに対する回答で高橋昭裕さんという方が、このポーズの元祖と思われる 2人を挙げておいでだ。上の写真に使った「支那そばやの佐野実氏」か「池袋大勝軒の山岸一雄氏」のどちらかだろうというのである。山岸氏は微笑んでいるが、佐野氏の方はちょっとコワそうだ。

高橋さんの表現によればこの 2人、「今のラーメン専門店、中華料理店の延長ではないゴリゴリのラーメンカテゴリーを作り出した方」ということのようだ。「ゴリゴリのラーメンカテゴリー」とは言い得て妙で、私なんかは最近のラーメン店には尻込みしてしまうような「敷居の高さ」を感じてしまう。

というわけで、「濃色Tシャツ、頭にタオル、腕組み、エプロン」というのが、ゴリゴリのラーメン店としての「アイコン化」しているというのである。なるほど、道理で「俺、そっち方面の人じゃないから・・・」みたいな感じがして、何となく入りづらいわけだ。

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もっとも私はここ数年来「肉は食わない」ことにしているので、チャーシューが付きもののラーメンからは遠離っている。たまに都心に出たときにT's たんたん でノーミートのラーメンを食うぐらい(参照)だから、「ゴリゴリ系」はいくら入りづらくても個人的には全く問題なしだ。

ちなみに昨年 10月に父の 13回忌で帰郷した折に、酒田のラーメンが日本一になった(参照)ことのご祝儀代わりに、数年ぶりでチャーシュー入りラーメンを食ったところ、さすがにうまかった。さりげなくも圧倒的にレベルが違う。

酒田のラーメン屋は店主が腕組みしてこっちを睨みつけているような雰囲気じゃないので、とても穏やかな気持ちで入店できる。これはまことにありがたいことと言うほかない。

【8月 11日 追記】

ものすごくハイブローなイメージのそば屋というのも世の中に少なくないが、店主が腕組みしてる写真を訴求している例は、少なくとも私は見たことがない。これって、そば屋とラーメン屋の違いの本質に迫る話のような気がする。

 

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2024年8月 3日

「お好み焼き」がパリでも人気というのだが

テレビ朝日が「OKONOMIYAKI 旋風」というニュースを伝えている。なるほど、浅草の店でフランス人たちに「お好み焼き」が人気のようだし、パリのお好み焼き屋も流行っているようなのだ。

私にとって印象的なのは、フランス人たちが「お好み焼き」を旨そうに食べることより、彼らが「箸」を使い慣れているということだ。私が初めてヨーロッパに行った 1980年代初頭は、こんなに上手に使えるヨーロッパ人は少なかった。「お好み焼き」に限らず、日本食全般が浸透しているのだろう。

で、「お好み焼き」そのものについて言えば、彼らは私なんかよりずっと食べ慣れているという印象である。私は 2009年 10月 6日付の 「決して不味いってわけじゃないのだが……」という記事で、こんな風に書いている。

こればかりは、食文化の問題のようだ。私の生まれた山形県というのは、秋田県、岩手県、沖縄県などと並んで、全国でもお好み焼き屋の非常に少ない県なのである。作ってもらって目の前に出されれば食べるし、おいしいとも思うが、進んで食べようという発想自体がない。

私に限らず山形県生まれの人間の多くは、「お好み焼き」に馴染みがないのである。大阪生まれの人間が当たり前のようにホイホイ食べるのに、どうしても「気負って食べる」という感じになってしまうのだ。もしかしたらパリの「お好み焼き屋密度」は、山形県より高いんだろうか?

ただここで ANN のニュースに戻るのだが、アナウンサーがイントロダクションとして語っている「日本のお好み焼きが海外の美食家たちをうならせています」という一言には、山形県生まれでなくても「おいおい・・・」と言いたくなってしまうだろう。

どう見てもカジュアルで気軽な食べ物として受け入れられているとしか思われず、「美食家たちをうならせています」という表現にはかなりの違和感を覚えてしまう。

こんな感じで「OKONOMIYKI はグルメなメニュー」みたいに訴求してしまったら、マーケティング的には「トンチンカン」になってしまうんじゃなかろうか。

 

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2024年7月23日

「がっこ」が美味しそうでたまらない

東洋経済の【秋田の無人駅で「"がっこ" 爆売れ」感動の舞台裏  "漬物危機" に瀕したお母さんたち「3年間の奮戦記」】という記事を読んで、次に秋田方面に行くことがあったら、その無人駅で「がっこ」を買って帰ろうと思ってしまった。見ればずいぶん豊富な「がっこバリエーション」である。

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で、その無人駅というのがどこなのかといえば、マタギ発祥の地である秋田県大阿仁(おおあに)地区にある比立内(ひたちない)という秋田内陸線の駅なんだそうだ。聞いたこともない地名なので地図を調べてみると、秘境、田沢湖よりもさらに北に位置している。

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我が故郷、山形県酒田市から 100km 北上すると秋田県の県庁所在地である秋田市に到着するが、比立内駅まではそこからさらに 80km の山道を辿らなければならないようだ。秋田新幹線のルートからも完全に外れているので、なかなか厄介だ。

ちなみに末尾に「内(ない)」という字の付く地名は北海道に多い(稚内、幌加内など)が、東北(とくに青森県と秋田県)でも少なくない。こうした地名はアイヌ語の系譜を引いているとの説がある(参照)。

ともかく思った以上の秘境のようで、「秋田市に用があるので、ついでにちょっと寄り道を」なんて気軽に脚を伸ばせるようなところではなさそうだ。行くとしたら、よほど覚悟を決めて行かなければならない。

ただ、それにしても記事で語られる「がっこ」は美味しそうでそそられる。下の写真ぐらいの「がっこ」があったら、若い頃だったらどんぶり飯 3杯は軽くイケた。

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秋田県に行く用があったら、何とか立ち寄れるように都合を付けてみたいと思ってしまう。

ちなみに「がっこ」は漬物を意味する秋田弁で、私の生まれた庄内でも十分通じる。さらに「いぶりがっこ」は沢庵の燻製である。

 

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2024年7月21日

本場のエスプレッソというもの

コーヒー好きの私だが、ごくフツーの淹れ方でガブガブ飲むだけで、本場のエスプレッソがどんなものかなんて、ちっとも意識していなかった。それで 19日付の毎日新聞『桜田です!』を見てちょっと驚いてしまったのである。こだわりのエスプレッソって、かなり小さな器で飲むみたいなのだね。

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お馴染み大山珈琲店のにこりともしないこだわりオーナー、大山勝一氏が、本場のイタリアからエスプレッソ・マシンを輸入したという。かなりフンパツしたもののようだ。

ところが出されたコーヒーは 3コマ目にあるように、やたら小さなカップの底の方にほんの少しだったので、4コマ目は奥さんとともに「イタリア人はケチだよなー」なんて語り合うオチになっている。インスタント・コーヒーを淹れながらというのが、落とし過ぎみたいな気もするけどね。

そんなわけでちょっと気になってググってみたところ、本場のエスプレッソって、本当に小さなカップで飲むもののようで、

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こんなのとか、

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こんなのとかばかりなのである。

「なんじゃ、こりゃ?」と言うほど小さいカップに、馬鹿にされてるんじゃないかと思うほどほんの少ししか注がれていない。

私はコーヒーに関しては自分で豆から挽いて淹れる程度にはこだわっているのだが、大きめのマグカップやシエラカップでたっぷり飲むスタイルなので、エスプレッソなんて世界にはあまり縁がなかった。

ただ、飲んだことがないわけじゃないような気もするので自分のブログを調べてみると、2016年の秋頃に頂き物のマキネッタという器具を使って、何とまあ、エスプレッソを飲んでいたようなのだ(参照)。そんなこと、どこからもらったのかということとともにほとんど忘れていた。

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さらに言えば、これはどうやら自己流の「エスプレッソもどき」だったようだ。添えられた写真を見ればさすがに少量しかないが、いつものようにノー・シュガーで飲んでいた。

改めて調べてみると、エスプレッソ本来の飲み方というのは、砂糖をたっぷり入れるもののようなのである(参照)。スプーンで 2〜3杯入れるみたいなことになっているのだが、そんなに入れたって、こんなちょっぴりのコーヒーに砂糖が溶けるわけないじゃないか。

ところが溶け残った砂糖は、飲み終えた後にカップの底からスプーンですくって食うなんてことが書いてある。いやはや、そんなの私には到底無理。直後にしっかりうがいしなければ、いつもの生活に戻れない。

そんなわけで 8年前は、器具に付属していたエスプレッソ用の粉だったか豆だったかを使い切ってしまうと改めて買い直すなんて気にもならず、元の「レギュラー・コーヒーをたっぷり淹れて飲む」というやり方に戻ったのだった。私にはこれが一番だ。

というわけで、今後の人生の中でもエスプレッソというものは飲まずに済ませようと思った次第である。たとえ頂き物があったとしても、妻に任せてしまうことにする。

 

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2024年7月17日

コーヒー・チェーン、一番人気はやっぱり「スタバ」

HUFFPOST がコーヒーチェーンに関するアンケート調査の結果を 3回に分けて記事にしている。「ゆっくり過ごせるコーヒーチェーン」(7月 9日付)「ホットコーヒーが美味しいと思うコーヒーチェーン」(10日付)「一番好きなコーヒーチェーン店」(14日付)の 3本だ。

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ご覧の通り、元記事の画像ではもったいぶって 1位が「??」なんて表示になっているが、行きがかり上、さっさとバラしてしまう。こんな結果だった。

  • ゆっくり過ごせる」部門 1位は コメダ珈琲店
  • ホットコーヒーが美味しいと思う」部門 1位は ドトールコーヒ
  • 一番好きな」部門の 1位は スターバックスコーヒー

「一番好きな」という総合力ではスタバがトップで、他の 2部門でも 2位に付けているというのは「さすがの強み」と言っていいのだろう。

私もコーヒー好きなので、あちこちのチェーンを利用するのだが、「ゆっくり過ごせる」部門 1位のコメダ珈琲に関しては、悪いけど店内のビミョーに派手な「名古屋感覚」のせいで、逆に落ち着かないんだよね。

これには 2013年 7月 29日付の記事で書いた事情も重なっている。もう 10年以上前になるわけだが、名古屋に出張した時に「名古屋人が盛んに勧めるかの有名なコメダ」のコーヒーを試そうと名古屋駅地下街の「コメダ」入り口まで行ったのだが、こんな具合だったのである。

ところが、その入り口をくぐることができなかった。中から猛烈な煙草の匂いが漂ってくるのである。すぐに踵を返して、近所のスタバを探した。

コメダでも分煙化している店舗は少なくないようなのだが、この時の印象が強すぎたため、何となく似た雰囲気の漂う星乃珈琲店や UCC上島珈琲店まで含めて足が向かなくなってしまった。こればかりは雰囲気のものなので仕方がない。

「ホットコーヒーが美味しいと思う」部門 1位のドトールコーヒーは、私の印象ではかなり都心型のショップだ。美味しいコーヒーでも飲みながらちょっとだけ時間を潰したい時に重宝するのだが、テーブルでノート PC を開いて急ぎの仕事をこなすような雰囲気ではない。

そんな時に選ぶのは、私の場合タリーズコーヒーである。スタバよりゆったりしていて体の大きい私にはありがたいし、コーヒーの味でもタリーズは好みだ。それからサンマルク・カフェも好きなのだが、この調査ではトップ 10には入っても残念ながらそれより上位にはランクされていない。

これって、サンマルクにはどういうわけかやたら賑やかな声で会話するオバサン・グループが多いからかなあ。先月 13日付の「飲食店で傍若無人の大声で話すオバサンという存在」という記事でも書いているが、あれって本当に迷惑だ。

それから、埼玉方面によく行かれる方なら、それほど大きなチェーンではないが、"珈琲屋 OB" という店を意識するといい。詳しいことは昨年 11月 20日付の記事に書いているので、よかったらどうぞ。

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2024年7月 4日

最強の「ご飯どろぼう」とは?

HUFFPOST に「【ヤバい大葉】5分でできる最強のご飯泥棒!美味しすぎてご飯が止まらない危険なレシピ」という記事がある。そんなことを言われると、一体どんなものなのかと思ってしまうじゃないか。

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写真を見ればこんなようなものだ。確かに美味しそうではあるが、近頃の料理紹介記事や食レポなどの表現はおしなべて大げさ過ぎる印象で、逆に食傷気味になってしまう。

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もう一つ気になったのは、「ご飯泥棒」という表現である。少なくとも私にとっては初耳だ。

ググってみると、"밥도둑(パットドゥッ)=「ご飯泥棒(ご飯が進むおかず)」" というページがあり、次のような説明がある。

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韓国語では美味しいおかずのことを「ご飯泥棒」というらしく、「口をさらう泥棒?」なんて説明がある。ということは韓国語起源の言い方なのだろうか。

一方、特別養護老人ホーム成華園のサイトには「ご飯泥棒」ならぬ「めしどろぼう」という言葉が出てきて、次のように書かれている。

おかずがご飯のお供としておいしすぎるので、「(自分の)ご飯が泥棒されていくように食べ過ぎてしまう」という意味。ご飯を盗んでいる犯人は自分もしくはおかず。

ここでは「口をさらう」のではなく、「自分で自分のご飯を泥棒してしまう」とある。もろに「ご飯をドロボーする」ということのようで、さらに続けて次のようにも書かれている。

そのおかずで自分のご飯を食べつくしてしまい、「余所からご飯を盗んででも食べたい」という意味の飯泥棒もあるそうです。

いやはや、そんなことになったら文字通り「危険」と言っていいだろう。ちなみに飛騨地方には「うら田 飯どろぼ漬」という漬物があるらしく、パッケージにはおひつを抱えて走る古典的な泥棒の姿が描かれている。これはもろに「ご飯を盗んででも食べたい」ということのようだ。

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初めて聞いた「ご飯泥棒」というフレーズだが、いろいろなバリエーションがあるものだ。それにしても冒頭の記事の「5分でできる最強のご飯泥棒」というフレーズはスゴすぎで、体重を気にしている人には逆効果なんじゃなかろうか。

 

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2024年6月27日

ポテトチップスや袋菓子に、たばこ並みの依存性?

National Geographic 日本版の "「超加工食品」でたばこ並みの依存性が判明、渇望や禁断症状も" という記事を読んで、驚くというより「やっぱりね」と思ってしまった。ポテトチップスや袋菓子、ハンバーガーなどで「超加工食品依存症」という状態になりやすいというのである。

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ちなみにこの記事は、National Geographic 日本版の有料会員でないと最後まで読めないことになっている。オリジナル版なら無料で全文読める(参照)が、英文なのでざっと読み流していたところ、昨日付の日本経済新聞に日本語訳全文が掲載され(参照)ていると知り、おかげで楽にしっかり読めた。

ちなみに「超加工食品」は英語でもそのものズバリ "ultra-processed foods" と言うのだね。というか、元々「翻訳語」なのかな? 

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いずれにしても、日経の翻訳記事がいつまで無料で読めるかわからないので、興味のある方は早めにどうぞ。

内容についてかいつまんで言えば、超加工食品を食べるというのは「脳の報酬系を強く活性化」させるため、その報酬を際限なく求め続けることになるというのである。要するに「つい食べ過ぎる」ということで、次のようなメカニズムだ。

ラットを使った 1980年代の研究で、報酬の餌を得るためにレバーを押すときに、ラットの脳内のドーパミン報酬系が大幅に活性化することが示されたのだ。これは、ラットにコカインを与えたときと(そこまで強烈ではないにせよ)同様の反応だった。

人類の進化において「脂肪分や糖分を多く含む食物を探し求める行動は生存に欠かせなかった」ため、「そうした食物を摂取するとドーパミンが放出されて脳の報酬系が活性化されるように進化してきた」のだという。これは古代人類が厳しい環境の中で生存し続けるための、望ましい反応だったのだろう。

ところが今や、そうした食物はとくに探し求めなくても手軽に手に入る。超加工食品だらけになった現代の食環境で人間の脳は「勘違い」を起こしてしまい、どんなに多量に摂取しても「もっと食べたい」と思ってしまう。コカイン摂取の時と変わらない反応というわけだ。

で、超加工食品とはどんなものなのかというと「袋菓子、朝食用シリアル、ほとんどのファストフード、大量生産されたパンやデザート、ソーセージ、ホットドッグ、冷凍魚フライ、ソフトドリンク、アイスクリーム、キャンディーなど」で、つまりスーパーの棚にある袋詰め食品の大部分が該当する。

これらの食品の依存性は、たばこにほぼ匹敵するというのだから、「ほとんど麻薬」と言ってもいいだろう。こうした「ほとんど麻薬」の食品で脳内のドーパミン報酬系を活性化させつつ、「もっともっと・・・」と食い続ければ、少なからぬ米国人のようにでっぷり太ってしまう(参照)のも当然というわけだ。

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我が家では主として素材から調理したシュガーレスの料理を食っているのでまだ何とかなっているが、出張や旅行先ではそんなわけにも行かない。「中毒」なんかにならないよう注意することにしよう。

 

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2024年5月 3日

「将門煎餅」という堅い堅い堅い煎餅

近頃「将門煎餅」というものを食っている。日本三大怨霊の一人、平将門の本拠だった茨城県坂東市にある将門煎餅本舗という店の作っている煎餅で、県西から県南にかけての名物として土産物にもされているようだ。スーパーなどの店頭でもよく見かける。

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実はこれ、この土地に引っ越して来た 40年前頃にもどこかから戴いたことがあって、口にするのはそれ以来のことである。決して自分で買ってまで食おうとは思わなかったのだ。

というのは、最初に食った時にその堅さに音を上げてしまったのである。「せっかくの頂き物なのだから」と必死に食ったのだが、私としたことが 1日に 1枚食うのがやっとで、2袋(1袋 14枚入り)を完食するのに 1ヶ月ぐらいかかった。

決して不味いというわけじゃない。いや、むしろ旨い。とても旨い。しかし何しろ堅くて歯が立たない。1枚ごとの個包装なので袋に入れたまま小さく割ってから頬張るのだが、口の中で噛むのも一苦労で、1枚食えばアゴが疲れてしまう。

それ以来「アレって、旨いことは旨いんだけどねぇ・・・」と言いながら遠ざけていたのだが、このほど再び頂き物として我が家のテーブルに登場してしまったのである。「うひゃあ、大変なことになったなあ!」と思いながら袋を見ると、そこには「薄焼」と表示してある。

前に食ったのは「厚焼」だった気がするので、「おお、薄焼というのもあるのか、それだったら食えるかもしれん」と、袋から取り出してみたのだが、いわゆるフツーの「薄焼煎餅」の倍ぐらい厚い。要するに自分のところの「厚焼」と比べれば多少薄いというだけのことのようだ。

それだけに、口に入れればやっぱり堅い。ただ、40年前に食った厚焼よりは、口の中でガリッと噛み砕けるだけまだ何とかなる。

そして食えば旨いので、1日に 2枚食ってしまった。これなら 2週間で完食できる。40年前の厚焼だったら考えられないことである。ちなみに妻は半分試してみただけでギブアップしてしまった。

将門煎餅本舗のサイトに行ってみると、驚いたことに「薄焼」「厚焼」のほかに「極上厚焼」というものまである。厚焼でもあれだけ難儀したのに、極上厚焼なんていうのは一体どんなことになってしまうのだろう。

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検索してみたところ食べログに青田波さんという方の「厚くて、硬くて、旨い。極上厚焼」という口コミがあり、将門煎餅の本店まで行ってやっと買い求めた時の会話がこんな風に書かれている。

私、「極上厚焼と他の煎餅はどう違うんですか?」

お店の人、「厚くて、堅いです。」
「この煎餅でなくては、というお客様がいらっしゃいます。」

むむむ、「この煎餅でなくては」なんていうのは、相当マニアックな顧客だろう。地元で生まれて幼い頃からこれを食って育ったら、なまじの堅さの煎餅では満足できない体になってしまうのだろうか。

というわけで摩訶不思議な魅力の煎餅で、さすが将門の名を冠しただけのことはある。何しろ店の所在地が坂東市岩井というのだから、堅いのも当然か。

 

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2024年5月 2日

肉のようだけど肉じゃないものの存在意義って?

WIRED に「植物性代替肉のブームが終了。価格、排出量削減、そして味に立ちはだかる課題」という記事がある。。代替タンパク質を推進する非営利団体の Good Food Institute によれば、米国での植物性代替肉と海産物の売上が この 2年間で 13%減少したというのだ。

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米国でベジタリアンが減ってしまっているのかと思ったが、実はそういうわけではないようだ。記事によれば 2018年から 21年の間に、米国における植物性の代替食品の総売上は 48億ドルから 74億ドルへと 50%以上の増加を見せたが、これはコロナウィルス感染症のパンデミックの影響らしい。

当時、パンデミックによる食肉処理場の閉鎖が相次いだため肉の供給が激減し、消費者は肉を使っていないハンバーガーやソーセージ、海産物を試すようになった。こうした事態を背景に、2020年には代替タンパク質業界に 31億ドルの投資資金が集中したと伝えられる(参照)。

しかしコロナ禍が収まってしまうと肉が元通り安定して供給されるようになったので、人々の多くは「本物の肉」に回帰したということのようなのである。「肉のようだけど肉じゃないモノ」では、満足できなかったわけで、31億ドルもの投資をした人たちには「お気の毒様」と言うほかない。

当ブログでも 2022年 6月 8日付で "「代替肉市場」が拡大しているらしいが" という記事を書いているのだが、これってやっぱり一時的な現象だったというわけだ。

ちなみに今世紀に入ってから肉をほとんど食わずに「ペスカテリアン」(魚介系は食う)となっている私は、この記事で次のように書いている。

だいぶ前から肉を食わなくなった私としては、「食いたいけど我慢してる」というわけでは決してないので、そうした「肉の代わりみたいなモノ」を買ってまで食いたいとは全然思わない。

周囲には「肉食を止めた」と宣言したものの、それなりに工夫して調理した「肉の代わり」みたいなものを食っているヒトもいる。肉を使ってないハンバーグとか、餃子みたいなものだ。

私としては、肉を止めたのならいっそ潔く「肉みたいなモノ」も止めとけばいいのにと思ってしまうんだがなあ。そんなの作るのは面倒くさいし。

 

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2024年4月11日

私にはピザの耳を残すなんて、発想すらないんだが

HUFFPOST の 4月 9日付に ”もしかしてピザの "みみ" 残してる…? 「衝撃的な結果に猛反省」ドミノ・ピザの対策は…” という記事がある。ドミノ・ピザの実施したアンケ−トによると、「ピザを食べるとき、耳まで食べるか」という質問への「食べない」という回答が 9%だったのだそうだ。

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昨年のアンケート結果の 12%に比べれば状況は少しだけ改善しているというのだが、それでもピザの耳を「食べない」という人が 1割近くいるというのは驚きだ。私なんか食べ残すなんていう発想すらないからね。

ピザ耳を食べない人の理由としては「食べる習慣がない」「おなかがいっぱいになる」「味がない」などがあげられたという。しかし私に言わせれば、こんなの理由にならない。

「食べる習慣がない」というなら、今日から悔い改めて食べることを習慣にすればいいし、「おなかがいっぱいになる」なら、S サイズを注文すればいい(参照)。そして「味がない」なんていうのは舌がバカなので、ちゃんとした味覚を鍛えるためにもしっかり食うべきである。

そもそもピザ耳を食べないことによる「食品ロス」はかなりのもので、「12%の人がピザ耳を食べない場合、ドミノ・ピザが年間に販売する Mサイズピザの耳部分で試算すると、その総量は約300トン」ということだ。世界に恥ずべき数字である。

ドミノ・ピザは「衝撃的な結果に猛反省」とコメントしているが、私に言わせれば「猛反省」すべきなのはドミノ・ピザの側じゃなく耳を残す客の方である。「何でもいいから、とにかく全部食って帰れ!」ということなのだ。

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ちなみにドミノ・ピザは「ピザ耳食べる派 100%を目指して企業努力を続けます」としており、その一環として 5月26日まで、耳の部分をツイストし、チーズなどを包み込んだ3種類の「チーズツイスト」を販売しているという。上の写真を見れば、確かに耳の部分の切れ目でチーズが糸を引いている。

これなら耳を残す客は確かに減るだろう。しかしこのキャンペーンが終わってフツーのピザに戻った途端に失望して耳を残したくなるという逆効果につながりかねない。ナイーブな(この場合は本来の「子どもっぽい」という意味)客を甘やかすと、ろくなことにならない。

日本人というのはトーストでも耳を残すというみっともない食い方が目立つ。食い物を粗末にするにもほどがあるというものだ。

【4月 12日 追記】

そういえば、16年近く前に「食べ残しを捨てりゃいいってものでもない」という記事を書いたのを思い出した。現役でいろいろな仕事をしていた時期なので、ちょくちょく業界のパーティなどに出席していたのである。

 

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