カテゴリー「グルメ・クッキング」の177件の記事

2022年8月20日

白米は「研ぐ」が、玄米は「洗う」で十分

All About News に ”お米はなぜ「洗う」ではなく「研ぐ」と言うの? 研がずに炊いたらどうなる?【グルメライターが徹底解説】” という記事がある。グルメライターの田窪綾さんという方によるものだ。

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まず「研ぐ」というのは、単に「洗う」のではなく、「お米同士を “こすり合わせる” ように洗うことをいいます」と書かれている。このくらいのことは、まあ、誰でもわかってるよね。なんで「こすり合わせる」ことが必要なのかというと、白米の表面の「糠層」を取り除くためだという。

昔の精米技術では、糠をきれいに取り除くことが難しく、表面にたっぷり残っていたため、これを取り除くために「研ぐ」必要があった。しかし最近の米は精米技術の発達のおけげで糠がほとんど残っていないので、そんなに念入りに「研ぐ」必要はなくなり、以下のようなことになっている。

お米の表面にうっすら残る粘着質な「肌糠(はだぬか)」を取り除くために「優しく研ぐ」。そして、軽いホコリなどを取りのぞく程度に「軽く洗う」を組み合わせるのがおすすめです。

なるほど、そんなわけで最近の若い人の中には「米を洗う」なんて言う人も多くなっているわけだ。「研ぐ」という感覚からは遠くなっているからね。

ちなみに「無洗米」をまったく洗いも研ぎもせず、最初に浸した水だけで炊くと、表面に僅かに残った糠の臭いが消えないまま炊き上がると書かれている。ただそれは、好きな人にとっては「風味」なのだと思うけどね。

我が家では 50年近く前から玄米食なので、米を「研ぐ」という行為から遠離って久しい。まあ、玄米は研いだぐらいで白米になったりはしないが、いずれにしても「軽く洗う」程度で十分だ。

玄米を炊くには 30年前ぐらいまでは「圧力鍋」を使っていたが、その後に「鉄釜」に移行し、現在は高性能の電気釜を使っている。「玄米モード」というのがあって、これで炊くと玄米にありがちな「ポロポロ感」がまったくなく、驚くほどふっくらとおいしく炊き上がる。さすが文明の利器だ。

というわけで私はだいぶ前から、白米のメシを食うと「物足りなさ」みたいなものを感じるカラダになってしまっている。何だか「甲斐のないもの」を口に入れている気がしてしまうのだよ。

玄米食は米の本来持つ栄養を無駄なく摂取できるし、それに何よりちゃんとおいしいから、オススメしておきたい。もっとも、ピカピカの「銀シャリ」でなきゃ気が済まないという人までムリにとは言わないが。

 

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2022年8月13日

スーパーの店頭からイカが消えてしまった

私は魚介系の中ではマグロなんかよりイワシとイカが好きという、金のかからない男である。一時、イワシが不漁でやけに値段が高くなった時期があったが、ようやく少しこなれてきた。しかしそれに代わってイカが不漁になったようで、最近はスーパーの店頭から姿を消してしまっている。

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北海道新聞は 8月 13日付で、深刻なイカ不漁のため道南の加工業者が危機に見舞われていると伝えている(参照)。函館市水産物地方卸売市場の昨年度のスルメイカ取扱量は1,203トンで、なんと 1999年度の 37分の 1まで落ち込んでおり、今年も改善の傾向はないのだそうだ。

朝日新聞も 7月 24日付で「アカイカ初水揚げ 不漁で価格は昨年の倍 八戸港」というニュースを伝えている。イカは日本近海からいなくなったわけではないものの、その資源は極端に減少しているようなのだ。

このイカ不漁の要因は、気候変動という要素もあるが、直接的に大きいのは中国漁船の違法操業であるらしい。Yahoo! Japan ニュースは 2020年 7月 30日付で "AI と衛星が暴いた!日本の食脅かす中国の「暗黒船団」―対北制裁にも違反" というニュースを伝えている。

このニュースは「北朝鮮領海内で中国漁船による大規模なスルメイカ漁が対北制裁に違反して行われていることを突きとめた」としている。イカは回遊する性質があり、産卵期を迎える前に北朝鮮領海で成長するので、ここでの乱獲は漁獲資源の減少にストレートにつながっている。

さらに問題は北朝鮮領海のみではなく、日本の領海でも中国船は違法操業を繰り広げているらしい。2020年 12月 23日付読売新聞オンラインは "スルメイカ不漁続く「中国船いなければ、もっと釣れていたはず」" と伝えている。つまり中国のせいで、私は好きなイカを食えなくなってしまっているというわけだ。

イカの漁業資源が回復するまでに、どのくらいの時間がかかるのだろうか。一時イワシが少なくなって、まともに食えるようになるまで 10年以上我慢した印象があるが、イカも同じぐらいかかるのだとしたら、私は生きている間にイカを好きなだけ食うことができないかもしれないじゃないか。

まったくもう、食い物の恨みは大きいのだよ。習近平のあの尊大そうな顔に、イカ墨ぶっかけてやりたくなってしまう。

 

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2022年8月12日

酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト

週刊はてなブログに "それって「ソバーキュリアス」?  あえてシラフでいることを選ぶ、お酒を飲まない生き方について" という記事がある。洒落のつもりか、冒頭に盛り蕎麦の写真が使われているが(キュウリも使えばよかったのに)、酒なしで蕎麦を食うというような話では決してないので、よろしく。

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「ソバーキュリアス」というのは "sober" (しらふの、実直な)と "curious" (興味がある)を合わせた言葉で、この記事では「しらふでいることへの興味」と訳されている。なるほど、それで「酔っ払っているとブログも書けない!」というサブタイトルにつながるわけだ。

調べてみたところ、これは英国出身でニューヨーク在住の文筆家、Ruby Warrington が 2020年に "Sober Curious" という著書を世に出してから注目され始めた言葉のようだ。つまり、比較的新しいライフ・コンセプトで、著書の正式タイトルは以下の通りである。

Sober Curious  The Blisfull sleep, Greater focus, Limitless Presence and Deep Connection  Awaiting us All on the Other Side of Alcohol
(『ソーバーキュリアス 至福の睡眠、より大きな集中力、無限の現在、深い関わりが、
アルコールの反対側で私たちを待つ』)

ちなみに私もここ 10年以上、ほとんど酒を飲まなくなってしまった。自分のブログを遡って検索してみると、2017年 7月 8日付で「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事を書いている。こんな具合だ。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。

というわけで、確かに 2003年頃には、毎晩酒を飲みながらこのブログを書いていた。これは「酔っ払っているとブログも書けない!」ってことの反証にもなるが、 2014年 3月 24日付で「酒は大好きだが、酔うのがいやになったこと」なんて記事を書いているのだから、人間、変われば変わるものである。

私が感じた「酔うのがいやになった」という思いは、実質的には「ソバーキュリアス」に近いもののようだ。週刊はてなブログの記事には、次のようにある。

「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合、禁酒や断酒はある意味でそれを脅かす行動になることもありそう。そんなときに新たな概念を知ることは、新しいアイデンティティーを獲得して、自身の行動を変えるきっかけになるのかもしれません。

なるほど、うまいことを言う。"「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合" には、確かに「酒を飲んでこそ本来の自分」みたいな気がしてしまうものなのである。自分自身が毎日飲んでいたのだから、それはよくわかる。

そして、ここで言う「新しいアイデンティティー」というのは、まさにこの「ソバーキュリアス」ということで、それまでの「酒飲み」としてのアイデンティティを、このコンセプトで置き換えるわけだ。そして一度酒から離れてしまえば、「自分」と「酒」とは「カンケーないね」という感覚になる。

ただ私の場合は、取り立てて「新しいアイデンティティー」を獲得したというわけではなかった。どういうわけか単に酒に飽きてしまったような気がして、自然に酒から遠離り、結果的に「ソバーキュリアス」になってしまっていただけということである。

この辺りのところをきっちりと自己分析していたら、Ruby Warrington より先に画期的なことを提唱し始めることもできたのにね。あまりにも自然な成り行きだったので、我ながら呑気なことだった。

【付記】

”Sober Curious” は日本語に翻訳され、『飲まない生き方 ソバーキュリアス』という邦題で出版されているようだ。

この本の帯にある「ソバキュリァン」というのは、「ソバー + エピキュリアン」というココロなのだろうが、"sobercurean" でググっても一件もヒットしなかった。日本だけで通用する洒落のようなので、ご注意。

 

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2022年7月21日

肉を生で食うことと、命がけの「通ぶり」「粋がり」

東洋経済 ONLINE に ”「肉の生食をやめられない日本人」に欠けた視点 「新鮮だから刺身で食べられる』なんてことはない” という記事がある。私はこの見出しを見ただけで、「うわあ、今でも肉を生で食うやつがいるんか !?」と驚いた。

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思い返してみれば、"「牛のレバ刺しがダメなら、豚があるさ」 の風潮に驚く" という記事を書いたのは 7年以上前のことだ。この頃、私は牛肉と豚肉を滅多に口にしなくなっていた(今は鶏肉も含めて全然食べない)ので、「そんなにしてまで生肉を食いたいかなあ」と本当に驚いていた。

なんでまた肉を生で食ったりするのかというと、上述の記事では「肉食歴の短い日本人は、刺身文化を肉食に持ち込んでしまい・・・」とある。それで、"焼肉店で「焼いて食べてくださいね」と言われたレバーを生食してしまったりする" というのだ。この点については次のようにある。

長い食文化のなかで「生食=最高」と刷り込まれているのだから仕方がない一面もあるかもしれないが、美食と安全を天秤にかけたとき、基本は「命あってのものだね」になるはずだ。

私の若い頃は、「豚肉はジストマがいるから、必ず火を通して食べる」というのが常識だったし、最近では牛肉でも大腸菌や O157 がいるから生食は避けるということになっている。それでもどういうわけか、生で食いたがる人が後を絶たないようなのだ。

私はこの現象に関して、「食」の分野でちょっと変わったことをして「通ぶったり、粋がったりする」のが、まだ「カッコいい」と思われているからだろうと思う。いや、そんなことで「カッコいい」と思われたがる人が、まだ存在するからと言う方がいいかもしれない。

そんなことで「カッコいい」なんて思うのは、もはや当人しかいないということに、彼らはまだ気付いていない。そうした人たちって、もはや「生きた化石」だよね。大方はむしろ気落ち悪く感じて、「こっちにまで『おいしいから試してご覧』なんて言わないでね」と思うばかりだ。

つまり本当の問題は、上述の記事の見出しにあるような「日本人に欠けた視点」なんてことじゃない。実際にはむしろ「余計な思い込み」の強すぎるのがいけないのだ。

というわけで、命がけの「通ぶり」「粋がり」からは、そろそろ卒業した方がいいと思うがなあ。まあ、「生肉食って死ぬなら本望」ぐらいに思っているなら、敢えて止めはしないが。

 

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2022年6月18日

「酒を飲まない方がクール」というライフスタイル

HUFFPOST に 「お酒は飲まない方がクール、若者の新たなライフスタイル、ソバーキュリアスとは?」という記事がある。「ソバーキュリアス」の元の英語は "sober curious" だという。

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「しらふの、真面目な」という意味の "sober" と、「奇妙な、興味がある」という意味の "curious" を合わせたもので、「酒を飲まない選択的ライフスタイル」を表す。なるほど、それってこれまでの価値感からすると、「真面目で奇妙」なことと言えるのかもしれない。

記事には "欧米のミレニアル世代を中心に数年前から広がりを見せている「ソバーキュリアス」ムーブメントが、ここ最近日本でも広がりを見せている" とある。私も最近、酒を飲まないライフスタイルになっているので、ありがたい傾向だ。

決して禁酒しているというわけではないのだが、酒は飲んでも月に 1〜2度、ほんの少量でしかない。今年 3月 16日に ” 「減酒」には「忘酒」するぐらいになるのが一番” という記事を書いているように、普段は酒をほとんど忘れてしまっている。

ところで、近頃コロナ禍が下火になってまたしても出張が増えているが、出張先で夕食を食うのにかなり難儀している。私は肉も食わないので、「酒なし、肉なしの夕食」を摂ろうとすると、店の選択肢が本当に限られてしまうのだ。

先日の松山出張の際も、ホテルのフロントで「この辺で夕食の店はありますか?」と聞くと、「はい、鯛飯屋さんが何軒かあって、お酒を召し上がりながらの食事にいいですよ」なんて言う。とにかく「旅先での夕食は酒を楽しみながら」という前提での回答しか用意されていない。

ハンバーガー・ショップや牛丼チェーン、ラーメン屋、とんかつ屋みたいな店なら、探せば見つかるが、肉を食わないのだからこれらは初めから選択肢に入らない。そしてそれ以外で日が暮れてからも開いているのは、「酒が付きもの」といった風情の店がほとんどだ。

ファミレスなら酒なしでノーミートのメニューを選べるが、そうした店はちょっと郊外の幹線道路沿いに多く、地方都市の駅に近いホテルの周りには滅多にない。そんなわけで、最悪だと駅構内の立ち食い蕎麦屋で食うしかなくなってしまったりするのだ。

日本でもこの「ソバーキュリアス」が広まってくれれば、日の暮れた街で、酒を飲まずに夕食を食べるための選択肢が少しは増えてくれるだろうし、そうなったら本当にありがたい。しかしとくに地方都市などでは、自分が現役で仕事をしているうちには実現されそうにない気がする。

ちなみに "sober curious" というのは、「ソバーキュリアス」より「ソーバ・キュリアス」とする方が実際の英語に近く、カタカナ言葉としての語感もいいと思うんだがなあ。

 

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2022年6月14日

「祖谷そば」を食ってみたい

昨日四国の松山に着いて、今日が 二日目。明日は朝のうちに発って茨城に戻る予定だが、昨日も今日も、夕食には「うどん定食」というのを食べた。うどんと定食のセットで腹一杯になるので、なかなかお得である。四国という所は、讃岐だけでなく「うどんの国」で、うどんが旨い。

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とにかくそば好きで、どこに行ってもそばを食っている私だが、考えてみれば四国には何度も来ているのに、そば屋を見たことがない。いくら何でもそば屋が一軒もないなんてことはないだろうし、「お前が気付かなかっただけだ」と言われればそれまでだが、それでも他の地域に比べたら本当に見つからない。

というわけで、私は長らく「四国にはそばを食う文化がないのだ」と思っていたが、だいぶ前に「祖谷そば」というものがあると聞いた。『祖谷のかずら橋』で有名な、あの平家落人伝説のある祖谷(いや)である。何しろ秘境だというので、これまで一度も行ったことがない。

ところが今回、web で「祖谷そば」というのを調べてみて、無性に食ってみたくなったのである。つなぎをまったく使わない(つまり、十割そば)のでちぎれやすく、そのようなぶっとくて短い麺に、暖かい出汁をかけて食うのだという。江戸前のそばとは対照的な素朴さ加減のようだ。

今回はもう帰りの飛行機便を予約してあるから無理だが、次に仕事で讃岐か阿波の国に来ることがあったら、祖谷そばを食うためだけに自費でもう一泊してでも、祖谷まで足を伸ばしてみようと思う。それだけの価値はあるはずだ。

ただ、私は高いところが苦手なので、祖谷のかずら橋を渡れるかどうかは、現地に行ってみなければわからないが。

 

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2022年6月 8日

「代替肉市場」が拡大しているらしいが

お昼前のラジオ番組で「代替肉」を紹介していた。この「代替肉市場」は今や拡大傾向にあり、市販の弁当などでも代替肉を使った物が出てきているという。キャストがその代替肉弁当を試食し、「うん、おいしい!」「これは、肉です!」などと、褒めちぎっていた。

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試しに「代替肉」のキーワードでググってみると、かなり多くのページがヒットする。今や一般的な食品として認知されているようなのだ。大手食品メーカーも、"ZEROMEAT"(大塚食品)、「まるでお肉!」(伊藤ハム)、「大豆のお肉」(マルコメ)など、それぞれの商品名で展開している。

ふぅん、いつの間にか時代は大きく変わりつつあるのだね。ただ、伊藤ハムの「まるでお肉!」というネーミングはセンスを感じないなあ。

ちなみに、だいぶ前から肉を食わなくなった私としては、「食いたいけど我慢してる」というわけでは決してないので、そうした「肉の代わりみたいなモノ」を買ってまで食いたいとは全然思わない。

自分がいつ頃から肉を食わなくなったのだろうと過去ログを調べてみたところ、順を追ってこんなようになっている。

最高級牛肉って、本当においしい?(2007年 9月 14日付)
しゃぶしゃぶをメイン料理にした宴会に出て、仕方なくお付き合いで最高級霜降肉を 2枚ばかり食べたが決しておいしいと思わなかったので、それ以上は食べなかったというようなことを書いている。ということは、それ以前から肉はできるだけ避けていたようだ。

「脱肉食」を巡る冒険(2017年 4月 6日付)
この頃にはほとんど肉を食わなくなっている。しかしながら「それしか食うものがなければ仕方なく食いもするが、最近はどんな高級肉でもおいしいとは感じられない体になった」と書いている。

私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた(2019年 10月 1日付)
冒頭に「私は牛や豚などの肉を食うのを極力控えるようになって 5年以上、完全に止めてからでも 2年ほどになる」と書き、世界のトウモロコシ年間生産量約 6億トンのうち、約 4億トンまでが穀物飼料で、その 1割でも人の食用に回せば、世界から餓えはなくなる計算になるとの説を紹介している。

ということは、今世紀に入ってからは肉食からできるだけ遠離っていて、2013年頃からはほとんど食わなくなっていたようだ。それでも 2017年春頃まではほんのたまに(1年に 1〜2度)だが、付き合いなどでそれしか食うものがなければ、仕方なく食っていたことがわかる。

つまり「ほとんどノーミート」でほぼ 20年、「完全ノーミート」で 5年ほど経っているわけだ。それは上で紹介した 2019年 10月 1日付の記事に書いたように、「好き嫌い」とか「自分の健康のため」とかではなく、「倫理的な理由」からである。

これだけ長く肉食から遠離っているからかどうか知らないが、至って健康で風邪も引かない。そして変な話だが、昨年 11月 23日付の記事で書いているように、うんこもおならも臭くないのである。

 

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2022年4月23日

アメリカと英国の定番スナック菓子

我が家には 2種類の必需品的なスナック菓子がある。一つは私が過去記事で何度か触れたナビスコの「プレミアム・クラッカー」(代表的な記事は、こちら)、もう一つは妻の必需品、マクヴィティの「ダイジェスティブ・ビスケット」だ。

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この 2種類のスナック菓子、近所のスーパーではなかなか手に入らない。プレミアム・クラッカーは、ヤマザキが日本でのライセンシーとして製造販売していたが、2016年の契約終了以後は「モンデリーズ・ジャパン」という会社が日本での展開を行っている。

そしてここからが問題なのだが、今のプレミアム・クラッカーはイタリアで製造されたものをモンデリーズ・ジャパンが輸入販売しているので、ヤマザキが国内で製造販売していた頃よりも明らかにおいしい。要するにヤマザキって会社は、営業力はあっても商品力は落ちるのだよね。

というわけで、私は今、プレミアム・クラッカーはネット販売を通じて入手している。

そして妻の贔屓であるダイジェスティブ・ビスケットはスコットランド発祥で、英国の誇るスナック菓子である。”Let It Be” で、ジョージ・ハリスンがスタジオに持ち込んだのをオノ・ヨーコがつまみ食いして、ジョージが激怒したというのは知る人ぞ知る実話だ。

このビスケットも以前はどこのスーパーでも手に入ったが、最近はあまり見られなくなってしまっので、やはりネット販売を通じて入手している。

日本のスナック菓子市場というのは大手メーカーの営業力に支配されていて、彼らによる目新しさを追った新製品が売り場の大半を占めている。その結果、プレミアム・クラッカーやダイジェスティブ・ビスケットなどの、昔から定評ある定番品が劣勢に立たされているようなのである。

欧米で暮らす日本人の知り合いは、「日本のお菓子の市場はめまぐるしく変わりすぎて、わけがわからない」と言う。欧米ではお菓子の新商品なんて滅多に出てこなくて、ずっと同じ定番品しかないのだそうだ。つまり親から子、孫に至るまで同じお菓子を食って育つというわけだ。

私と妻は「それでこそ」と思ってしまうのだが、フツーの日本人はそれでは満足しないらしい。実はそのせいで、「本当においしい定番品」から遠離ってしまう結果になっているのにね。

ちなみに、プレミアム・クラッカーはコーヒーとよく合い、ダイジェスティブ・ビスケットの方は紅茶に浸して食べるのが一番おいしいと言われている。我が家では私がアメリカ好みで妻はヨーロッパ趣味と、明らかな棲み分けが出来てしまっているのだよね。

 

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2022年4月14日

新聞社が「イナゴをチョコレートにした」というお話

「新聞社が昆虫食ビジネスに挑戦」というので、どんなことなのかと思ったら、信濃毎日新聞社が、社員の手作業で捕獲したイナゴをチョコレートのトッピングにした商品を、数量限定で販売するのだそうだ(参照)。

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商品パッケージは上の写真のようなもので、パッケージの上の方に開いた窓から、チョコレートがチラリと見えている。全体像がわからないので別の写真をあたってみると、こんなようなもののようだ。フェア・トレード・カカオのタブレット・チョコに、イナゴが 8匹モロに乗っかっている。

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個人的には、子どもの頃から「イナゴの佃煮」に馴染んでいるので全然平気で食べられると思うが、フツーにチョコ好きの女の子なんかは、かなり抵抗を感じてしまうんじゃなかろうか。大好評であっという間に完売みたいなことになるとは思われない。

記事には、「チョコレート一面にぎっしりとイナゴを敷き詰めることも考えたが、大量に捕まえられず断念した」とある。確かにぎっしりと敷き詰められている方が、むしろ抵抗なく食べられそうだ。この程度だと、一匹一匹の個体がモロに強調されるよね。

信濃毎日新聞社では、「佃煮だけでない、昆虫の新たな食べ方を国内外に提案していく」としている。ただ私としては興味はそそられものの、価格が税込み 2,000円というのでは、実際に買って食べてみようとまでは思わないなあ。

それから余計なことかも知れないが、記事の見出しの「社員が手づかみで捕獲した・・・」という言い回しには、ちょっと違和感を覚える。広い田んぼに出てイナゴを「手づかみ」で捕るなんて、決して不可能というわけではないが、どう考えても難しくて効率悪すぎだ。

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実際には、記事に添えられたこの「減農薬栽培の田んぼでイナゴを捕る太田シェフ」というキャプションのある写真を見ればわかるように、やっぱり捕虫網を使ったもののようである。

この見出し、虫捕り経験のない「今どきの編集者」が付けたんだろうね。

 

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2022年3月21日

解釈がチョー難しい、ラーメンのキャッチフレーズ

近所のラーメン屋の店頭に、とても気になるキャッチフレーズの書かれた幟みたいなものが、開店当初から飾られている。「一度じゃまだまだ二度目で納得 三度食べたらやめられない」というものだ。

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このフレーズ、解釈がチョー難しい。個人的には「一度じゃまだまだ」という部分に引っかかりを感じて、「食ってすぐには納得できないというなら、そんなもの食べなくていいや」と思ってしまうのだ。印象的なキャッチフレーズが逆効果になって、この店には一度も入ったことがない。

ただ、見方を変えることも可能だ。「この店のラーメンの本当のおいしさを理解するには、二度は食べてみなければならない」と解釈することもできるだろう。

とはいえ、もしかしてそれほどまでに奥深く玄妙な味だったとしても「三度食べたらやめられない」というのが、またわからない。「そんな面倒なことになってしまうんだったら、三度までは決して食べたくない」と思ってしまってもおかしくなかろう。

私としてはさらに、数年前に肉食を止めてしまったので、チャーシューが付きもののラーメンからはずっと遠離っている。ということは、この店に入ってラーメンを食う機会は一生ないということだ。ましてや「三度食べたらやめられない」という経験をする可能性もゼロである。

というわけで、この不思議なキャッチフレーズで表現されるラーメンがどんなものかは、全然わからないのである。いずれにしてもこのフレーズ、「わからな過ぎ」だ。

 

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