カテゴリー「グルメ・クッキング」の112件の記事

2019/10/24

「コールスロー」という食い物について

私はカタカナ名前の食い物にからきし疎くて、「ラーメンとカレーとハンバーグぐらいしかわからないよ」と言っているぐらいである。まあ、実際には英語の食い物ならまだなんとかわかるが、フランス語とかイタリア語とかが由来の食い物となると、本当にチンプンカンプンである。

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最近、ようやくイタリア語由来らしい「ペスカトーレ」(魚介系スパゲティということらしい)というものの正体がわかった。これは、自分が魚介類は食べるが肉は食べない「ペスカテリアン」であることから、自然に理解できた(参照)もので、ほかの「何とかーレ」系はさっぱりわからない。

ただ、英語由来の食い物でも「何それ?」というのが少なからずあって、その代表格が「コールスロー」というものだ。これ、細かく切ったキャベツがベースで、時に人参も入るというものだが、どうしてまた「ゆっくり呼べ(call slow)」なんて名前なんだろうと、ずっと不思議に思っていた。

で、今日ようやくその気になって Wikipadia で調べてみたところ、「コールスロー」は "call slow" ではなく、"coleslaw" なんだそうだ(参照)。元々はオランダ語の ”koolsla" から来ているらしい。ほぅらね、やっぱり英語そのものっぽい名前でないとさっぱりわからないのだよ。フランス語、イタリア語でもわからないのだから、オランダ語となったらお手上げだ。

Wikipadia には次のように説明されている。

英語の「コールスロー (coleslaw)」という名前は 18世紀ごろにオランダ語の "koolsalade"(キャベツサラダ)を短縮した「コールスラ (koolsla)」から生まれたものだが、1860年ごろまでのアメリカ合衆国とイギリスでは誤って "cold slaw"(冷たいスロー)と呼ばれており、ホットスローという温サラダが作られることもあった。

米国や英国でも変てこに誤解されていたというのだから、日本人の私がわからなくて当然だ。ちなみに、オランダ語でキャベツを意味する "kool" はラテン語由来らしく、同じ言葉が英語では "cole" になっているとあるのだが、それでも "cold slaw" なんて誤解されるのだから、そもそもあまり一般的な言葉じゃないんだろう。

いずれにしても、私はこの「コールスロー」という食い物が好きだから、言葉の由来がわかってすっきりした。

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2019/09/04

「ペスカテリアン」という言葉を広めたい

先月 17日に 「肉食を避けるライフスタイル」という記事の中で、「ペスカテリアン」という耳慣れない言葉を使った。広義の「ベジタリアン」に含まれる概念だが、卵や牛乳などに至るまで動物性の食品を完全に避ける「ヴィーガン」との違いは、「魚介系は食べる」ということである。

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ところがこの言葉は、日本に入ってきてから間もないため、未だにカタカナ表記すら定まっていない。ググってみると、「ペスカタリアン」「ペスクタリアン」「ペスクトリアン」など、いろいろな表記がみられる。

ただ私としては「ペスカテリアン」と表記するのがしっくりくるので、そうしている。発音しやすいし、実際の英語の発音にも一番近い。ネット上の英語辞書で引いても上図で示したように、カタカナでは「ペスカテリアン」「ペスカテアリアン」に置き換えるのが自然な発音が示されている。

「ペスカタリアン」は、英語のスペルをそのままローマ字読みしたものだろうが、実際の発音からして違和感があるし、「ペスカテアリアン」はちょっとクドいかもしれないので「ペスカテリアン」が妥当だろう。

英語辞書では、「魚は食べるが肉は食べない人」というような意味と紹介されている。まあ、魚介系だけではなく卵や乳製品も食べるのだが、そこまで正確に説明しようとすると言葉として長ったらしくなりすぎるので、こんなところだろう。

問題は、外来語として馴染みがないことだ。「ヴィーガン(vegan)」「ベジタリアン(vegitarian)」なら最近は一般的な言葉として通じるが、「ペスカテリアン」はほとんど通じない。「魚菜食主義」なんていう言葉も散見するが、「ぎょさいしょく」で変換すると「魚彩色」になり、「ぎょさい」でも「魚際」になってしまうことからも、適当な訳語が確立していないことが明らかだ。

人間は言葉で考えるから、言葉が確立していないとその示すところの概念も確立されない。だから日本では「菜食主義」というと厳格な「ヴィーガン」がイメージされがちで、外食でも「ペスカテリアン」向けのメニューが極端に少なくて苦労する。

というわけで、私としては「ペスカテリアン」という言葉を広めて一般的なものとし、それによって魚や卵は含んでも肉は含まない料理の幅を広げてもらいたいと思っているのである。魚介系のスパゲティを「ペスカトーレ」と言うのだから、それほど戸惑うことなく理解されると思うんだがなあ。

 

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2019/06/29

「コーヒー好き」の裾野の広大さ

私は一応「コーヒー好き」のつもりでいるのだが、一応自分で豆から挽いてドリップしたコーヒーを 1日に何杯も飲むというだけで、世の中の「こだわりのコーヒー党」みたいに豆の選び方からネルドリップの仕方まで細心のこだわり方をしているわけではない。だから、「コーヒー好き」としてはお恥ずかしいほど大雑把な方だと思っている。

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ところで先日、仲間内でコーヒーの話題になったのだが、そこに居合わせた全員が「自分はコーヒー好き」と任じているのだった。しかしその中身はピンからキリまでで、私のような「豆から挽いて飲む」というのは、その場では「最高レベルのコーヒー好き」ということにされてしまった。

なんと世間では「インスタント・コーヒーを 1日に 2〜3杯飲む」という程度でも、平気で「コーヒーが好き」と言い放って構わないようなのである。それどころか「自分はコーヒー好きだから、缶コーヒーが欠かせない」と言うオジさんまでいる。

申し訳ないが私の個人的な認識としては、「インスタント・コーヒーを飲む程度で『コーヒーが好き』とは、ちょっとお恥ずかしくて言えない」と思っている。さらに缶コーヒーとなると「ただ甘いだけで、コーヒーとはいえない」という認識だから、本当に心の底から驚いてしまった。まあ、好き好きだから批判するつもりは毛頭ないのだが。

そこに居合わせた「自称コーヒー好き」の、コーヒーの飲み方のバリエーションは、ざっと次のようなものだった。

  • 一応豆から挽いて淹れて砂糖なしで飲むが、それ以上こだわるつもりは毛頭ない(これ、私)。
  • 普段はインスタント・コーヒーだが、たまには贈答品としてもらったレギュラー・コーヒーを淹れて飲む。カロリーが気になるので、砂糖は控えめ。
  • 家ではインスタント・コーヒーしか飲まない。砂糖は 2〜3杯。(これ、圧倒的多数派)
  • 家ではインスタント・コーヒーで、外に出たら缶コーヒー。店では「アメリカン」。砂糖はたっぷり。
  • インスタント・コーヒーと缶コーヒーがほとんど。
  • とにかく甘ければいい。

「とにかく甘ければいい」ということでも「コーヒーは好き」と言えるのだから、「コーヒー好きの裾野」の広大さは驚くべきものがある。

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2019/06/09

仙台には取り立ててうまいものってないんじゃなかろうか

二泊三日の東北出張から帰ってきた。初日は青森県の八戸で、二日目は山形県山形市。どちらも食べ物のおいしいところである。八戸では魚介類、山形では蕎麦を堪能した。とくに山形県は自分が 18歳まで育った土地でもあるし、食べ物が体に馴染んでいるから、何を食べてもうまい。

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そして今日、仙台に少し寄って帰ってきたのだが、申し訳ないけど仙台というところは取り立ててうまいもののないところと思っている。いや、単なる偏見で言っているのではない。私の妻が仙台出身だから、結構何度も訪れて長く滞在したこともある。その上で言うのだが、本当にこれと言って「食べたい」と言いたくなるものがないのである。

世の人は「仙台には牛たんがあるではないか」と言うかもしれない。しかしご存じのように私は近頃肉を食わないことにしているから、当然にも牛たんだって食わない。そもそも仙台人だってそれほど牛たんなんてものを好んで食ってるようには思えない。

妻に「牛たんって、いつから仙台名物みたいなことになったの?」と聞いても、「知らない。一度も食べたことないし、食べたいとも思わない」なんて言う。観光や仕事で訪れた人間が話のタネに食うと言うだけのことのようなのだ。

仙台駅ビルの飲食街に行ってみると、「ずんだ小径」「牛たん通り」「すし通り」なんていうのがある。「ずんだ」というのは「ずんだもち」のことで、すりつぶした枝豆をあんこ代わりにした郷土菓子である。つまり、「ずんだもち」と「牛たん」と「すし」以外には別に食うもんがないよと、仙台人が自ら言っているようなものだ。最後の砦のような「すし」にしたって、周辺の漁港のある町で食う方が安くてうまいし。

そりゃあ、個別の飲食店やレストランなどを調べれば、うまいものを提供してくれる店には事欠かないのだと思う。しかし、「仙台に行ったら、何はなくともこれを食う!」と言いたくなるような絶対的な食い物って、まったく思い浮かばないのだよね。悪いけど。

 

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2019/05/06

遅ればせながら、フェアトレード・コーヒーに鞍替えした

私は結構なコーヒー好きだと思う。と言っても、よくいる「徹底したこだわりのコーヒー好き」というわけではなく、とにかく何杯も飲んでしまうというだけで、そこそこおいしければあとは文句は言わない。

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ただ、それなりにおいしいコーヒーを飲みたいという欲求はあるわけで、何でもいいというわけじゃない。どうせ飲むならインスタント・コーヒーは論外だし、昨年の今頃「コーヒーは豆で買うに限る」という記事を書いた程度の贅沢はしてもいいと思っている。

そして最近、遅ればせながらフェアトレード・コーヒーというものに乗り換えたので、「遅すぎだよ!」と言われるのを覚悟で報告申し上げる次第である。本当に我ながら完全に乗り遅れと思うのだが、フェアトレード・コーヒーを豆の状態で売る店が近所に見つからず、長らく購入する機会を失っていた。そしてついにしびれを切らして Amazon で探して買ったというわけだ。

今回の豆は、斎藤コーヒーという店の「メキシコ マヤビニック」というもの。200グラムで 1,289円だから、結構お高い。ただ他のコーヒーが途上国の小規模コーヒー生産農家にかなりの犠牲を強いて生産・流通していることを思えば、コーヒー好きとしてはこのくらいの負担はしても罰は当たらないと思う。(参照

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この豆はフェアトレードというだけでなく、有機栽培されたものという。缶にあけてみると、見慣れたコーヒー豆よりずいぶん艶々していて薫りもよく、それだけでかなりそそられる。

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ミルで挽いて淹れてみると、何だか赤ワインに近いような色合いだ。一口飲んでみるとかなりさっぱりしていて、苦みは少ない。とはいえ、後効きするようなコクがしっかりしている。心持ち的にも風味的にも、引っかかる感じがない。こんな類いのコーヒーは初めて飲んだ。

私としては、「こりゃ、おいしいじゃないか!」と思ったのである。こんなにおいしくて、フェアトレードであることによる潔い心持ちがするなら、今後ずっと飲み続ける価値がある。鞍替え決定だ。

 

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2019/04/03

「舞妓はん ひぃ〜ひぃ〜」という名の唐辛子

昨年末に「最近の七味唐辛子は軟弱すぎる」という記事で、近頃の七味唐辛子の辛さがなまくらになってしまったことを嘆き、その後にネットで 「激辛」という仕様のものを見つけて購入した。これはまあ、辛いと言えば辛いには違いないのだが、ドバドバふりかけてようやくほどよい辛さになるという程度のもので、「十分満足」とは言いがたい。

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ところが先日、関西方面に出張した際に、京都駅ビル内の土産物店で 「舞妓はん ひぃひぃ〜」という衝撃的(?)な商品名の七味唐辛子を見つけた。「狂辛 世界一辛い一味、七味」というキャッチフレーズにつられ、ものは試しと七味の方を 1缶買ってみたのである。「おちゃのこさいさい」という店の商品のようだ。

帰宅して缶を開けると、ビニールの小袋に入った唐辛子が入っており、その色が普通の赤基調ではなく、妙に緑っぽい。商品説明をみると、国産ハバネロを使用しているという。道理で色が違うわけだ。試しにうどんにふりかけて食べてみると、これがなんと「ちゃんと辛い」のである。私の言う「ちゃんと辛い」というのは、普通の人には口から火を吐くほど辛いという意味である。ハバネロの威力は大したものだ。

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この商品は上の写真のように、缶の穴がちゃんとした大きさというのも高ポイントの要素である。近頃の一般的な商品の瓶や缶は穴が小さいので延々と振り続けなければならないが、これはちょっと傾けて振ればドバドバ出てくるからストレスがない。

辛モノ好きにはオススメである。ネットでも購入できるが、私は関西への出張機会が多いので、今後は京都に寄る度に買って帰ろうと思っている。

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2019/02/23

「玄米食」 をめぐる冒険

ニュース欄に 「玄米婚」 という見慣れない文字があるので何事かと思ったら、元 AKB の篠田麻里子というタレントが玄米が縁で結婚することになったというお話だった。これに便乗してシャープが Twitter 上で 「玄米モードのある炊飯器」 をアピールしているというから、何が商売につながるかわからない。(参照

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ただ、「玄米モード」 があるのは何もシャープの炊飯器に限らず、多くのメーカーが対応しているんじゃないかなあ。「先に言い出したものの勝ち」 というのも、この話題に限っては何だかあざとすぎるような気がしてしまう。

ちなみに、我が家でも 40年以上にわたって玄米を食べ続けている。今回ニュースになった篠田麻里子というタレントは 32歳だそうだから、彼女が生まれるよりオリンピック 2つほど前からのキャリアである。私が還暦をとっくに過ぎても病気知らずでいられるのは、この玄米食のお陰なのかもしれない。

最近ウチでハマってるのは 「発酵玄米」 (上の写真) というものである。小豆や黒米なども少し混ぜて炊き込み、炊きあがってからも 3日間ほど炊飯器の中で発酵させてしまうというやり方だ。私なんかは 3日間も待ちきれず、発酵途中で少しずつ食べてしまうのだが、確かに 3日目ぐらいになるともちもち感が増して、「玄米の別バージョン」 みたいな新しい食感になる。

「玄米」 というキーワードで自分のブログを検索してみたら、2018年 8月 27日付で 「米の消費が急減しているらしいが」 という記事が見つかった。この中で、食物としての米の優秀さについて、次のように書いている。

米というのは基本的には偉大なる食物で、栄養的にみるとかなりバランスがいいらしい。一日に必要な栄養は、一升飯を食えばほとんど摂取できるという。玄米にしてしまえば、さらにいい。ただしパンを一升食っても、それは無理だ。

その昔は 「一升飯と沢庵 2切れ食えば土方が続けられる」 なんて言われていたが、栄養的にもバッチリで、しかも土方仕事でカロリーを消費すれば太ることもないから、なるほど筋は通っている。米のメシを食ってガンガン動いていさえすれば健康でいられ、さらに玄米ならなおよしということのようなのである。

それから、冒頭で触れたニュースに、次のようなくだりがある。

また、元 AKB の小嶋陽菜 (30) も自身のツイッターで 「玄米。。。」 とつぶやくと、高橋みなみ (27) も 「オー米ガー」、秋元才加 (30)も 「玄、玄、玄米っ!!」 板野友美 (27) も 「麻里子ーーー おめでとう 幸せになってね 私も玄米好きだよ 白米のが好きだけど」 とツイートするなど、結婚を祝っているはずが、“玄米祭り” 状態に。

「私も玄米好きだよ 白米のが好きだけど」 とは、プチ炎上しても仕方がないぐらいの 「お馬鹿コメント」 だが、ググってみたところでは全然ツッコまれてない。ということは、この界隈の玄米理解は決定的に不足している様子なのである。

篠田麻里子という娘は、珍しく 「玄米の話がまともに通じる相手」 というのに出会って、よっぽどときめいてしまったのかもしれないね。

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2018/12/27

最近の七味唐辛子は軟弱すぎる

ほとんどの人にはどうでもいいことだと思うが、七味唐辛子ドバドバが大好きな人間の中には共感を覚えてくれる人もいるかもしれないから、この押し詰まった年末の時期だが、近頃ちょっとムカついてることを書いちゃおうと思う。

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何かというと、スーパーなどでフツーに買ってくる S&B の七味唐辛子 (商品名は 「七味唐からし」 みたいなのだ) が、最近軟弱になってるんじゃないかという話だ。ふりかけ口の穴もかなり前から小さくなっているような気がして、最近はガンガン振っても少しずつしか出てこない。

それに昔はモロに唐辛子の輪切りみたいな豪快な形のものがフツーに混じっていたのだが、最近のは妙に細かく加工してある。あんなに軟弱な仕様じゃ、いくらかけても辛くなりようがないじゃないか。もしかしたら、現代の消費者嗜好に合わせてなまくら仕立てにしてあるんだろうか。

思えばその昔、十代の頃から、芋煮会 (庄内の芋煮は、味噌味の煮込み) でも、専用の七味を持参してドバドバ振りかけていた。あの頃から、舌がしびれるほどの辛口が好みだったのである。仕事関係で付き合いがあったインド人の家で供される本場の激辛料理を喜んで食べて、日本人の仲間たちに呆れられたりしていたし。

というわけで、最近の軟弱な七味唐辛子はストレスの元なのだ。ドバドバ振りかけられるように穴を大きくしようとすると、妻が 「これでちょうどいいから、止めて」 と言うので、仕方がないからネットで 「超辛口」 を探して、自分専用に注文してみようかとまで思っている今日この頃なのである。

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2018/10/22

カボチャはおかずになるか

近頃は日本でもハロウィーンが盛んになっていて、街のあちこちでカボチャの飾り物を見かける。それで思い出したが、先日ラジオを聞いていたら、「カボチャはおかずになるか?」 という投書が紹介されて、その番組のキャスター、久米宏は、即座に 「カボチャはおかずになりません!」 と断言していた。

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彼は、「昭和 20年代生まれは、カボチャとジャガイモはダメなんです!」 と続ける。「戦後しばらく食料事情が悪くて、カボチャとジャガイモばかり食べさせられたから、それをおかずにメシを食えと言われてもダメ」 なのだそうだ。

そんな決めつけ方をされても、私は昭和 27年生まれで、立派な 「昭和 20年代生まれ」 だが、カボチャとジャガイモをおかずにして、ちゃんとメシが食える。一緒にしないでもらいたいと思って、久米宏の生年月日を Wikipedia で調べたら、「久米 宏 (くめ ひろし、1944年 7月 14日 - )」 とある (参照)。念のため複数のサイトに当たっても、そのように表示される。パリ祭の日に生まれたのだね。

ちなみに 1944年といったら、昭和 19年だ。なんだ、「昭和 20年代生まれ」 じゃないじゃないか。どうしてこんなところでサバ読まなければならないんだ。もしかして私が聞き違えたのかなあ。いや、そんなことはないと思うが。

まあ、私としても 「カボチャは大好きなおかずです」 とは言わない。「ないよりマシだから、出されたら喜んで食べる」 程度のことだ。私は 「嫌いな食べ物」 というのがないのである。「とくに好きってわけじゃない食べ物」 なら少しはあるが、大抵のものなら喜んで食べる。ただ、メロンだけはアレルギーがあるので遠慮しているが (参照)。

カボチャやイモ系をおかずにしたくない人というのは、概して 「早食い」 の傾向がある。とにかくどんどん口に入れては飲み下したがるから、「ほくほく」 した食感で水分の少ないものは敬遠しがちのようだ。終戦直後に生まれ育った人というのは、とにかく早く食ってしまいたいという、半ば強迫観念みたいなものがあるみたいで、ああした早食いしにくいものは苦手なのだろうと思う。

私としても、カボチャの煮物が食卓に出ると、食べるスピードがやや落ちる気がする。

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2018/10/11

魚の 「中骨」 って、背骨だったのか!

いやはや、知らないことってあるものだ。還暦を遙かに過ぎて初めて知ったことというのがいくらでもある。そのうちの 1つが、魚の 「中骨」 というヤツだ。

 

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マルハの缶詰に 「さけ中骨水煮」 というのがある。確かにコリコリした感触の骨が煮込んであるが、全然問題なく食べられる。私はこの 「中骨」 というのは、「中ぐらいの骨でも、食べられるように柔らかく煮込んだもの」 ということなのだと思っていた。なにしろ 「なかぼね」 と読むのか 「ちゅうこつ」 と読むのかさえアヤシかったのだから、困ったものである。

ところがふと思い立って調べてみると、「魚の身の中央を通る骨。魚の背骨」 であるというではないか (参照)。何ということか、「中ぐらいの骨」 なんかではなく、「中央を通る骨」 だから 「中骨 (なかぼね)」 で、要するに 「背骨」 であるというのである。

「おいおい、だったら初めから 『背骨』 と言えよ!」 ってなものである。しかし考えてみれば、「中ぐらいの骨って、一体どのあたりの骨なんだ?」 と聞かれたら返答に窮してしまうのだから、そもそもまともな考えじゃないよね。強いて言えば 「背骨と小骨の中間」 ってことなのかもしれないが、そこだけ選り分けるというのもなかなか厄介だ。

調べてみると、魚の背骨まで柔らかくして食うには、酢など、「酸性の食品」 を利用する方法と、「加熱」 とがあるという。「水煮」 缶詰の場合は、ただひたすら加熱して、骨の組織中のコラーゲンを分解しゼラチン化することにより、柔らかくしてまるごと食べられるようにしたものだというのである。

いやはや、驚いたものである。これからは心して 「中骨水煮」 をいただこう。本日は酒田から 6時間クルマを運転して帰って来て、疲れたのでこれにて失礼。

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