パリ五輪、SNS で「誹謗中傷」することの恥ずかしさ
72歳にもなると、記憶の中には冬季も含めて 30回以上のオリンピックを通り過ぎたため、はっきり言ってもう飽きてしまっている。今回のパリ・オリンピックについても一昨日「パリの人たちって、ウンコ強いよね」なんていう妙な視点で取り上げたのみで、日本選手の成績にさえほとんど興味がない。
そんなわけで、SNS 上で飛び交う選手や審判への誹謗中傷がヒドすぎるとして問題になっていることすら、昨日になって初めて知ったほどだ。
このあたりのことを割と率直に報道するスポーツ新聞には、【"水谷隼氏「誰でも心病むよ…」ネット上で受けた誹謗中傷を公開 「どんどん心が閉ざされてく」】【パリ五輪、止まらぬ誹謗中傷 柔道に始まり男子バレーにも…もはや無差別状態、"引退して" と侮辱も】(いずれもスポニチ)などの記事がある。
当初は単純に、世の中にはどうしようもないヒマ人が多いぐらいに思っていた。しかし木村隆志さん(コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者) という方が東洋経済に寄稿した【パリ五輪「誹謗中傷やめない人」の驚く"思考回路"】という記事を読んで、少し考えが深まった。
この問題は心理学的に掘り下げる意味のあるもののようで、記事で触れられている誹謗中傷を盛んにしている人の傾向は、次の 3点にまとめられる。
- 「知らない」ことで強気になれる
相手のこともその種目のこともよく知らないので、軽い気持ちで誹謗中傷できる。 - 人間には「勝負事に負けた人、落ち込んでいる人、泣いている人などを軽く見てしまう」という心理傾向がある
日ごろ自分が「あまり努力していない」「勝利を目指して必死に戦っていない」ことをわかっているからこそ、それをしてきた彼らの失敗や疑惑に過剰反応してしまうということにも触れられている。 - 「タイパ」「コスパ」重視の人は要注意
効率重視の人は、常に感情が後回しになり、本質を探ろうともしないため、他人の感情に鈍感で、自分の感情を瞬間的に結論づけて発信するため、「思わぬところで人を傷つけていた」というケースが少なくない。このタイプの人は、思わぬ粘着ぶりを発揮することすらあるという。
さらに木村氏は、他人を誹謗中傷してしまう人に共通する傾向は「自分の人生に向き合おうとしていない」ことだと指摘する。自分の人生に向き合っていないからこそ、よく知らない人の人生には口を出したくなってしまうものらしい。
ということは、今回のオリンピックに限らずいろいろなケースで誹謗中傷コメントを出しまくってる人は、「私は自分の人生にまともに向き合っていません」と世間に向かって公表しているようなものだ。これって、実はお恥ずかしいことなのだと言わなければならない。
今日のところは、こうした認識を広めることで馬鹿な誹謗中傷コメントが減少する可能性があると言っておこう。
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