カテゴリー「スポーツ」の130件の記事

2024年11月14日

例の小学生空手大会での一件で、遅ればせながら一言

小学生の空手大会において、後ろを向いた相手の後頭部に蹴りを食らわせる「反則」行為で、蹴られた方は頸椎捻挫で四肢がしばらく麻痺してしまったという「事件」が問題になっている(参照)。これに関して遅ればせながら、私も一言。

まずとりあえず細かいことだが、この動画の音声(自動読み上げ機能によるもののようだが)、51秒あたりで「主審が止めと言った後」の「止め」を「とめ」と読み上げているが、これ、フツーは「やめ」だ。その直後の「が開いた後も・・・」の部分も、「あいだ」じゃなく「」ということでよろしく。

まず驚いたのは、これって、フルコンタクト空手(寸止めなし)の大会だったということである。「第6回全九州フルコンタクト空手道選手権大会」というものだったようなのだ。私としては小学生でフルコンタクトなんて、かなり思い切ったことするなあと思ってしまうのである。

体がまだ十分にできあがっていない小学生のうちにフルコンタクトなんてやったら、大きなダメージが残る怖れがある。私だったら自分の子どもに空手をさせるなら寸止め空手を薦める。どうしてもフルコンタクトをやりたいというなら、高校生ぐらいになってからだ。

それから、ビデオを見ると反則攻撃された小学生は、相手から目を逸らして後ろを向いてしまっている。このビデオでは「小学生なんだから・・・」と大目に見ているが、私としては、視線が相手から一瞬逸れてしまったとしても安易に後ろ向きになってしまったのはヤバいと言うほかない。

危険という以前に、何しろ武道なのだから簡単にケツを向けたら相手に対して失礼だ。指導者は「後ろを向くな」という指導を徹底すべきだと思う。

この指導が徹底されていれば逆の立場になって、「止め」がかかって相手が後ろを向いている時などは「これはヤバい、待たなきゃ!」と、攻撃を自制できるようになる。「そんな卑怯なことはできない」というわけだ。これも武道精神である。

と、私も一応武道の黒帯として、このくらいは言わせてもらっていいだろう。

というわけで、この状況で「行け!」と言ってしまった指導者は非常識だ。この指導者には所属の空手会で「無期限謹慎」という罰則が与えられたようだが当然だろう。

それから、蹴られた子どもがうずくまったまま動けない状態になっているというのに、周囲の大人の反応が遅すぎる気がする。フルコンタクト空手では珍しくないことなのかもしれないが、子どものことでもあり、即座に状態を確認してしかるべき処置をするなり、救急車を呼ぶなりすべきだろう。

あとはこの試合の当事者同士がきちんと和解して、共に切磋琢磨できる関係になることを期待する。これもまた武道精神である。

 

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2024年8月 7日

パリ五輪、SNS で「誹謗中傷」することの恥ずかしさ

72歳にもなると、記憶の中には冬季も含めて 30回以上のオリンピックを通り過ぎたため、はっきり言ってもう飽きてしまっている。今回のパリ・オリンピックについても一昨日「パリの人たちって、ウンコ強いよね」なんていう妙な視点で取り上げたのみで、日本選手の成績にさえほとんど興味がない。

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そんなわけで、SNS 上で飛び交う選手や審判への誹謗中傷がヒドすぎるとして問題になっていることすら、昨日になって初めて知ったほどだ。

このあたりのことを割と率直に報道するスポーツ新聞には、【"水谷隼氏「誰でも心病むよ…」ネット上で受けた誹謗中傷を公開 「どんどん心が閉ざされてく」】【パリ五輪、止まらぬ誹謗中傷 柔道に始まり男子バレーにも…もはや無差別状態、"引退して" と侮辱も】(いずれもスポニチ)などの記事がある。

当初は単純に、世の中にはどうしようもないヒマ人が多いぐらいに思っていた。しかし木村隆志さん(コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者) という方が東洋経済に寄稿した【パリ五輪「誹謗中傷やめない人」の驚く"思考回路"】という記事を読んで、少し考えが深まった。

この問題は心理学的に掘り下げる意味のあるもののようで、記事で触れられている誹謗中傷を盛んにしている人の傾向は、次の 3点にまとめられる。

  1. 「知らない」ことで強気になれる
    相手のこともその種目のこともよく知らないので、軽い気持ちで誹謗中傷できる。

  2. 人間には「勝負事に負けた人、落ち込んでいる人、泣いている人などを軽く見てしまう」という心理傾向がある
    日ごろ自分が「あまり努力していない」「勝利を目指して必死に戦っていない」ことをわかっているからこそ、それをしてきた彼らの失敗や疑惑に過剰反応してしまうということにも触れられている。

  3. 「タイパ」「コスパ」重視の人は要注意
    効率重視の人は、常に感情が後回しになり、本質を探ろうともしないため、他人の感情に鈍感で、自分の感情を瞬間的に結論づけて発信するため、「思わぬところで人を傷つけていた」というケースが少なくない。このタイプの人は、思わぬ粘着ぶりを発揮することすらあるという。

さらに木村氏は、他人を誹謗中傷してしまう人に共通する傾向は「自分の人生に向き合おうとしていない」ことだと指摘する。自分の人生に向き合っていないからこそ、よく知らない人の人生には口を出したくなってしまうものらしい。

ということは、今回のオリンピックに限らずいろいろなケースで誹謗中傷コメントを出しまくってる人は、「私は自分の人生にまともに向き合っていません」と世間に向かって公表しているようなものだ。これって、実はお恥ずかしいことなのだと言わなければならない。

今日のところは、こうした認識を広めることで馬鹿な誹謗中傷コメントが減少する可能性があると言っておこう。

 

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2023年5月17日

野球とサッカーのイメージを比べてみると

PRESIDENT Online に "利益額はプロ野球 50億円、Jリーグ 320億円と大差・・・WBC 優勝でも「野球離れ」が止まらない根本原因" という記事がある。「最近は野球よりサッカーがエキサイティングだなあ」と思ってはいたが、NPB(日本野球機構)と Jリーグの利益額にそれほどの差があるとは知らなかった。

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ただ、選手の年俸をみると、プロ野球では 5億円とか 6億円とかが珍しくなく、上位 100人は 1億円以上である(参照)。さらにメジャーリーグに行った選手なんかになると桁違いで、大谷翔平は 550万ドル(43億円)なんだそうだ。そんなにもらっても、到底使い切れないだろうに。

Jリーガーの場合は、イニエスタの 20億円は超別格として、あとは 41位までが 1億円以上というところで、しかも外国人選手がやたら多いから、日本人選手で 1億円プレーヤーというのはかなり限られる(参照)。年俸だけを比べたら、Jリーグはプロ野球の足許にも及ばない。

というわけで、お金の面だけで見れば、プロ野球は既に来るところまで来ちゃったスポーツで、サッカーはこれからまだまだ伸びる可能性があると見ていいのだろう。ただ、スポーツをする選手としては単にお金だけが目的じゃないし、見る方もあまりそんなことには囚われないだろうから、話は別だ。

私の偏見に満ちたイメージで言うと、野球はオッサンがビールを飲みながら見るもので、サッカーは若い連中が仲間と盛り上がりながら見るものという気がしている。ただ、人口的にはオッサンの方が若者よりずっと多いから、まだまだ野球は力をもっている。

ただ、今のオッサンはどんどん老人となってやがてあの世に行き、今の若い連中がこれからどんどんオッサンになっていく。ということは、この差は縮まっていくと見ていい。

それに、これからのスポーツ界を支える若い子たちが始めるスポーツとしては、今やサッカーの方が入りやすいんじゃあるまいか。野球は道具に妙に金がかかるしね。

それに何と言っても、昔は夜のテレビ番組と言ったら野球の「ナイター中継」(しかも、どの局も巨人戦ばっかり)だったが、今はそんなのは消えてなくなった。つきつめて考えると、この頃にジャイアンツが利益独占しすぎていたことが、今になって全体的なマイナス要因となってしまったのだろう。

それから先日の WBC の時には、日本のプロ野球と米国のメジャーリーグではボールの大きさや作りが違うなんてことが話題になっていた。どうも野球ってのは、世界各地でそれぞれビミョーに「ローカルスポーツ化」しているような印象がある。それに比べれば、Jリーグのやり方はなかなかスマートだ。

というわけで、今後は野球とサッカーの差はどんどん縮小していくのだろう。

おまけみたいに付け加えておくが、私が野球に「オッサン的イメージ」を抱いてしまうのは、多分に甲子園野球の入場行進の「ダサさ」からきてるのだよね。これについては、昨年 6月に「見るだけでうんざりしてしまう行進スタイル」として書いているので、参照いただきたい。

 

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2023年1月23日

大相撲番付の不思議な伝統

Japaaan のサイトに "一横綱一大関は 125年ぶりの異常事態! 大関不在になっちゃったら、誰が大関に?? さらにレアな番付「横綱大関」とは" という 1月 20日付の記事がある。正直言って、この見出しを見ただけでは意味がわからなかった。

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今場所の番付表をみると、ただ一人の横綱照ノ富士が休場で、貴景勝が実質的な最上位。そしてその貴景勝が優勝で幕を閉じたわけだ。ところが番付をみると、東の横綱照ノ富士の地位が「横綱大関」となっている。これって、一体何なんだ?

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Japaaan の記事には、下のように説明されている。日刊スポーツの昨年 12月 27日付にも、同様の説明がある(参照)。

大相撲では横綱は名誉地位みたいなもので、あくまで番付の最高位は「大関」です。大関は東西に最低一人は必ずいなければならないとされており、それが伝統となっています。

ところが今場所は大関が一人しかいないので、こんな具合になる。

まずは横綱が大関を兼任して名乗り「横綱大関」という名称で、番付に登場します。今回は照ノ富士が「横綱大関」となりました(そのため今回は、先場所東の大関だった貴景勝が、照ノ富士が東の大関扱いのために西の大関となっています)。

なるほどね。そういうことだったのか。ということは、貴景勝が横綱に昇進しちゃって新たな大関が誕生しなかった場合は、照ノ富士と貴景勝の 2人が「横綱大関」を名乗ることになるのだという。なかなか面倒くさいことだ。

相撲というのはいわゆる「プロ・スポーツ」とは性格が異なり、多分に「伝統芸能」的な性格ももっている。そんなわけで、すっきりとした理窟だけでは割り切れない決まり事があるわけなのだね。

 

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2022年12月 6日

ワールドカップ、既に心は 4年後に

うぅ〜、寝不足である。原因はもちろん、ワールドカップ決勝トーナメントの 1回戦だ。

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結果は今さら書くまでもなく、1-1 の引き分けで PK戦となり、そこで技術の差が出て敗退となった。考えてみれば、クロアチアって前回の 2018 ワールドカップでは準優勝してるんだから、格が違ってたんだよね。

とはいえ、今回はいい夢を見させてもらったよ。ありがとう森保ジャパン。日本で上向きのベクトルを明確に示している分野なんて、今どきはサッカーぐらいのものだからね。

前世紀後半からサッカーを見ている日本人としては、ワールドカップでドイツとスペインを破って決勝トーナメントに進出するなんて、自分の目の黒いうちはあり得ないと思っていた。それがしっかりと実現してしまうのだから、世の中捨てたものじゃない。

日本ではまだまだこれから個人技に優れた選手が出てくるだろうから、今から言ったら笑われそうだが、2026年が楽しみである。次は先制してそのまま勝つサッカーを見せてくれ。

 

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2022年12月 2日

ワールドカップと「しそうけいさつ」

半ば以上諦めていたので、ワールドカップの日本 ー スペイン戦は、朝起きてから録画でダイジェスト版を見ようと思っていたのだが、Mac を立ち上げてすぐに、何と「勝利」の文字が飛び込んできた。スゴいじゃないか、ジャパン! 

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勝てると思っていなかったドイツとスペインに勝ち、悪くても引き分けと思っていたコスタリカに負けるのだから、世の中わからないものである。とくに 2点目は画面で見ても「チョー微妙」な判定だったから、本当にわからないものだ。

ところで、12月 1日付の毎日新聞に ”「しそうけいさつ」漢字に変わりました 外壁のひらがな表示、惜しむ声” なんてニュースがある。「しそうけいさつ」なんて書いてあると「思想警察」という穏やかじゃない漢字が思い浮かぶが、これ、兵庫県宍粟(しそう)市にある警察署なんだそうだ。

「宍粟」という地名をちゃんと「しそう」と読める人は、全国ベースでは圧倒的に少数派に違いない。それだけに宍粟警察署としても、外壁表示は敢えて「しそうけいさつ」と平仮名にしたんだろう。

ただ当事者的には「思想警察」なんて言葉を連想させるなんてことは、考えてもいなかったようなのだ。せめて最後に「しょ」を付けて「しそうけいさつしょ」としてくれれば少しは和いでいただろうに、壁の横幅が足りないなんて思ったのかな。

そもそも宍粟市民なら読めないはずがないし、ほかから訪れる人だって、ちゃんと目的があって来るなら「ししくり」じゃないぐらいのことは理解しているだろう。ということは、何もことさら平仮名にする必要なんてない。

あるいは「子どもにも親しまれるように」なんて思ったのだとしたら、「余計なことは考えなくていい」と言うほかない。

ところがいざ漢字に変えてみると、この平仮名表示の消滅を惜しむ声が大きいというのだから、世の中おもしろいものである。それならそれで、「話のタネ」として平仮名を残しておくのも一興だったかもしれないね。

ワールドカップにしても「しそうけいさつ」にしても、何がどう転ぶかわからない。世の中というのは、だからこそおもしろいのだろう。

ただ、私としてはスペインにはあまり思い入れがないから、ドイツと一緒に決勝トーナメントに進みたかったなあ(参照)。

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2022年11月24日

日本、ドイツに勝っちゃった

昨夜は夜の 10時過ぎにやっと原稿書きの仕事を終え、風呂に入っている途中で「おっと、ワールドカップ初戦のドイツ戦、今夜だった」と思い出した。とはいえ正直なところ勝てるとは思っていなかったので、ゆっくりとシャンプーし、試合が始まってからインターネットの無料ライブ配信を見始めた。

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するといきなり日本のゴールが決まって「おぉ!」と興奮してしまったが、あっさりとオフサイド判定。あとはズルズルとドイツにペースを握られ、防戦一方の展開のうちにペナルティ・キックで先制されてしまった。このあたりで早くも「ああ、やっぱりね」と、諦めの境地となってしまう。

昨日の昼のラジオもサッカーが話題になっていて、ドイツ系企業に勤める聴取者からのメールに「ドイツ人上司に『初戦はどうなりますかね?』と聞いたところ、『気の毒だけど、ドイツが勝つよ』と軽くあしらわれた」というのがあった。まあ、この上司でなくても、フツーはそう思うわな。

ただ、見ているとボールは圧倒的にドイツに支配されているものの、日本はなかなかしぶとく防戦して、点差が開かない。後半になって時間が進むほど、ドイツは攻め疲れしたのか脚が重そうになった。

「こりゃ、もしかしたら、もしかしちゃうかも」と思っているうちに、見事に同点、そして逆転。「後は守るだけ」となった途端、「ロスタイムは 7分」なんて告げられる。「おいおい、そりゃ、長過ぎだろうよ! 審判団って、ドイツ贔屓なのか?」なんて思っているうちに、やっとタイムアップになった。

この時はさすがに興奮してしまい、既に寝ていた妻を起こして「おいおい、日本、ドイツに勝っちゃったよ!」と言うと、妻は寝ぼけつつも「うわ、スゴいじゃん!」なんて言う。「熟睡してるのに起こさないでよ」なんて怒られずに済んだのは、さすがにワールドカップの威力である。

上の画像の DAZN NEWS では "日本のドイツ撃破に各国メディアも驚き「今大会 2度目の番狂わせ」" なんて見出しになってるが、それも当然だろう。しかしここまで来たら、次のコスタリカ戦にも勝って、さっさと 1次リーグ突破を決めてもらいたいものだ。

 

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2022年8月26日

今シーズンのセリーグ順位表に、ちょっとびっくり

私は野球というスポーツにあまり興味がないので、とくに最近はプロ野球中継なんて見も聞きもしないし、それに関するニュースにも興味を払っていない。それで、今シーズンの巨人が 4位に低迷している(8月 24日時点)という事実を、昨日初めて知った。

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「奢れる者は久しからず」というが、8月下旬の時期に 4位という成績で、しかも 5位の広島に 0.5 ゲーム差と迫られているのだからびっくりだ。あの巨人が阪神よりも下位にいるというのだから、これはちょっとしたニュースである。ただ、どちらも勝率 5割に達していないのだが。

ちなみに仕事で大阪方面に行ったりすると、阪神ファンの多いことに驚く。昔よく一緒に組んで仕事をしていた大阪人は、「僕の『トラキチ』は、父の代からのタチの悪い遺伝病ですわ」なんて言っていた。

「関西の風土病かと思ってた」と言うと、「いやいや、4年間東京の大学に通って転地療法になるかと思ったんですが、全然アカンかったから、やっぱり遺伝性疾患でしょう」と、やたら当意即妙の答えが返ってくる。さすが大阪人である。

ところが世の中の巨人ファンというのはそこまで悟りを開いていることが稀で、「巨人が負けた翌日は機嫌が悪い」なんていうゴーマンなタイプも少なくない。この際せっかくだから、阪神ファンが既に到達して久しい高い境地を学んでもらいたいものだ。

そういえばこの関連で、阪神が優勝した 2003年に "今年の阪神の 「かわい気のない強さ」" という記事を書いている。この年は阪神があまりにも勝ちすぎたので、トラキチたちとしてもどうやって酒を飲めばいいかわからなかったようなのだ。

ということは今年は巨人ファンの方が、逆の意味で酒の飲み方に戸惑ってしまっているだろう。まあ、コロナ禍で寄り集まっての飲み会が少なくなっているから、何とかもっているのかもしれない。

関東で阪神ファンの境地にやや近いのは、強いて言えばヤクルト・ファンだが、彼らには妙なねじれや鬱屈がない。今シーズンみたいに強い時には割と素直に、しかも穏やかに喜ぶ傾向があるので始末がいい。

ただ、これとは別にちょっと気持ちの悪いのは、ヤクルトが優勝した時に限って「自分は東京生まれだから、実は元々ヤクルト・ファンなんだ」なんて言い出す「便乗ファン」が登場することである。今年もきっと出てくるだろう。

彼ら、ヤクルトの弱いシーズンには完全に日和ってるくせにね。

【備考】

「日和る」(ヒヨる)は「日和見主義」の動詞形みたいなスラングで、あまりいい意味ではない。1970年代はよく使われたが、今の若い人は馴染みがないかもしれないので、念のため。

 

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2022年3月28日

"Baseball" と「野球」は、別のスポーツ

一昨日の記事で日本の野球用語について「和製英語の宝庫」なんて書いたのをきっかけに、ちょっと試しに「野球 和製英語」というキーワードでググってみたところ、出てくるわ出てくるわ、大変な数のページがヒットした。

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中でも面白かったのは、かの有名なアンちゃんのページ(参照)。タイトルからして「日本の野球は和製英語の宝庫です」と、私と同じ発想なのが嬉しくなってしまった。興味のある方は是非行ってみるといい。

ちなみに野球が日本で広まったのは案外古く、明治の昔に正岡子規が普及に貢献し、「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」という短歌まで残している。彼は普及の功績によって野球殿堂入りしているほどだ。

「野球」という名称も子規が訳したと巷間もっともらしく伝えられるが、実際には中馬庚(この人も野球殿堂入りしている)という人の考案である。子規が訳したのなら、上で紹介した短歌は「久方のアメリカ人のはじめにし野球は見れど飽かぬものかも」みたいに、字余りなしのドンピシャ定型になっていただろう。

中馬が「野球」という語を考案したのは、"ball in the field" (あまりプロパーな言い方じゃないよね)という言葉を元にしたとされている。さらに  "shortstop" を「遊撃手」と訳したのも彼であるという。

こうしてみると、中馬という人はずいぶん自由勝手な訳し方をしていて、ベースボール用語が野球用語に変わる時点でかなりテキトーになる発端を作ったような気さえする。

さらに戦時中の「敵性語排除」というチョー特殊事情が加わって無理矢理な訳語が増え、そして戦後にカタカナ用語が解禁になった途端に、それまでの反動みたいに、「ランニングホームラン」みたいなわけのわからない和製英語がどっと作られたんじゃないかと想像する。

というわけで野球というのは 150年も前に日本に伝えられて広く受け入れられ、間に太平洋戦争なんてものまで挟んでいるだけに、ずいぶん特殊なまでにドメスチックな発展の仕方をしてしまったようなのだ。

こう言っちゃナンだが、「野球指導者」といわれるような人にはモロに「日本のオッサン」タイプが多い気がする(新庄  BIGBOSS なんかは別ね)。高校野球の坊主頭や旧日本陸軍的な入場行進(参照 1参照 2)なんかを見ても、「アメリカン・スポーツ」というイメージからはほど遠い。

アンちゃんは紹介した記事の末尾近くで、"面白いですね!「野球」は「ベースボール」ではない、日本人のためにある日本のスポーツです!" と書いている。この点に関しても、「我が意を得たり」だ。

【付記】

「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」の「久方の」は、「光」や「天(あま、あめ)」にかかる枕詞だが、この場合は「アメリカ人」の「アメ」にかけられた洒落みたいなもの。子規は米国に関して、仰ぎ見るような素晴らしい国と捉えていたのかもしれない。

 

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2022年3月26日

「コーチャーズボックス」という和製野球用語

もう 5日前(春分の日の 3月 21日)の話になるのだが、クルマを運転しながら聞いていた TBS ラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」という番組で、気になる部分があった。野球用語の「コーチャーズボックス」に関する小笠原亘アナウンサー(月曜パートナー)の説明が無茶苦茶だったことである。

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それは番組内の「相談は踊る」というコーナーに寄せられた、荒木正博(中日ドラゴンズのコーチ)ファンという横浜在住の方からの相談への関連で語られた。

そもそもの相談というのは、三塁コーチを務めていた荒木コーチが今シーズンから一塁コーチに変わるので、間近に見るためには、ホームチームである横浜ファンばかりの一塁側スタンドに行かなければならず、それが居心地悪いのでどうすればいいかという話である。

まあ、この問題についてはそばに置いとくことにして(来週の 28日までなら Radiko でも聞けるので、どうぞ)、野球音痴のジェーン・スーさんがこだわったのは、小笠原亘アナの「荒木コーチが、三塁側のコーチャーズボックスに・・・云々」という説明の件だ。

彼女は「コーチとコーチャーはどう違うの?」と聞いた。相手は TBS で野球の実況もしているぐらいの、いわば「専門職」なので、当然ながら簡単に答えてくれると思ったのだろう。

ところが小笠原アナは「やることは一緒。コーチがコーチャーもやる」なんてアサッテの方を向いたことを言う。スーさんは当然ながら「何言ってんだ? さっぱりわからない」と反応する。

それに対して小笠原アナはさらに、「コーチは攻撃の時はコーチャーになる」とか「コーチスボックスにいる時は、呼び名だけコーチャー」とか、アサッテどころか再来月みたいなことを言い出す。要するに、自分でもよくわかってないみたいなのだね。「専門職」なのに。

基本的なことを言えば、英語の "coach" は、名詞と動詞の両方の働きをし、名詞としては「指導者」、動詞としては「指導する」という意味を持つ。つまり名詞として使用する場合でも、ことさらに「コーチャー」なんて言う必要はない。

「コーチャーズボックス」は、まともな英語では "coach's box" なのだが、多分、カタカナにした時に「コーチスボックス」なんてのが言いにくいので、いつの間にか「コーチャーズボックス」なんて言うようになったんだろうね。

つまり「『コーチャー』はテキトーな和製英語です」(「プレゼンテーター」みたいなものだね)と言ってしまえば済む話で、上の写真のリンク先でもそのように説明されている。要するに、単なる「雰囲気のもの」である。

ついでに言えば、日本で使われる野球用語は「雰囲気のもの度」が異常なまでに高い。「ナイター」とか「ランニングホームラン」とか「デッドボール」とか、和製英語の宝庫なので、かなり気をつけなければならない。

【付記】

この番組内でのやりとりは、来週の 27日の午前 10時頃までなら Radiko でも聞けるので、興味を持たれた方は大急ぎでどうぞ。問題の箇所は、番組開始後 1時間 10分ぐらいのところからピンポイントで聞くことができる。

また「デッドボール」に関しては、プロ野球関係者の中でも「デッボール」なんて言うオッサンが少なくない(例えば清原某とか)ので、注意が必要だ。「死球」じゃなく「借金球」(debt ball)になっちゃう。

 

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