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2021年7月31日

「理想的な気候」と「ダイナミックなカタカナ英語」

暑い。こんな中でオリンピックをやってるんだから、ご苦労なことである。まあ、私は開会前から「どうぞご勝手に」と言ってるので、無関係を決め込んでいられるが、屋外競技に出ている選手はまったくもって気の毒だ。

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この件について、日本は 2013年の IOC でのオリンピック招致のプレゼンテーション文書で大嘘をついていたとの批判が、国際的に高まっているという。(参照

そりゃそうだ。「温暖で晴れた天候が多いこの時期は、アスリートにとってベストのパフォーマンスができる理想的な気候」(With many days of mild and sunny weather, this period provides an ideal climate for athletes to perform their best.)なんて、当たり前の感性ではとても言えない。

ちなみに IOC 総会での関係者のプレゼンは絵に描いたようなカタカナ英語のオンパレード(参照)で、滝川クリステルのフランス語はさすがに上手だが(参照)、「お・も・て・な・し」なんていうのは「裏ばかり」ってことかと、思い出すさえ気色悪い(参照:「おもてなし」には、やっぱり裏があった)。

福島の原発の状況を "under control" (制御下にある)とほざいた安倍晋三(当時の首相)は、もっとヒドい(参照)。

表情だけは根拠不明の得意満面さだが、そのスピーチとなると「小学生を相手にしてるみたい」と言いたくなるほどのことさらな単語区切りの上に、その「カタカナ英語」がかなり舌っ足らずのため(この人、母国語も舌足らずで滑舌が悪いし)、「二重の幼稚さ」が印象付けられる。

とにかく最初の一言、"Mr. President" のつもりで「ミスター・プレゼント」なんて言ってるので、8年前のニュースでものっけからコケたのを思い出してしまったよ。

さらに東京について、”one of the safest cities in the world" (世界で最も安全な都市の一つ)と言いたかったんだろうが、どういうわけか、やたらと、区切り、ながら、”one of the, safest, sixties, in the world" (世界で、最も安全な、60年代の、一つ)なんて言ってる。

まあ、多くの出席者はイヤフォンで自国語による同時通訳を聞いてるから、満場がコケずには済んだようだが。

この関連で、当時の都知事で「ダイナミックなカタカナ」(末尾の「注釈」参照)による招致プレゼンをしていた猪瀬直樹という男が後にテレ朝系「大下容子ワイド!スクランブル」 に出演した時の模様を、スポーツ報知が 2019年 10月 30日付で伝えている(参照)。これ、しっかりとむし返しておこう。

杉村氏が「マイルド・サニーじゃないんじゃないかって気もする。それは後ろめたい気持ちはない?」などと聞くと「マイルド・サニーって書いてあるの? ハハハッ…それはそのくらいプレゼンテーションはそんなもんでしょ」と返していた。

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いやはや、テキトーなものである。そばにいたら、どつくよ。

さらに言わせてもらえば、真夏の東京が殺人的な暑さであることは、何も今年に始まったことじゃない。かなり前から世界の常識なのだから、ほとんどの IOC 委員たちにしても知らないはずがないではないか。

プレゼン資料の大嘘が何事もなくスルーされちゃってるのだから、まさに徹頭徹尾「おもてなしで裏ばかり」(つまり損得勘定)というわけだ。日本が「大嘘つき」というだけでなく、それをすらりと受けた IOC 全体が欺瞞的だったのだと言わなければならないだろう。

始まってしまってから「苛酷な暑さ」なんて言い出すのは、率直に言えば「今さら感」ありありだ。

【注釈】

猪瀬直樹のプレゼンを、つい「ダイナミックなカタカナ」と表現してしまったのは、プレゼンテーション・スピーチがまさにそんな感じだったからである。

まず東京という都市について語ろうとして、”Tokyo is the city that is Dynamic..." と言い出したのっけ(開始 7〜8秒あたり)から、「ダイナミック!」(「ミッ」にアクセント)なんて言いつつわざとらしく拳まで振り上げたりしておいでだ。

これ、本来のアクセントは、「ダイミック」(「ナ」にアクセント)ね。でもまあ、安倍前首相の「ミスター・プレゼント」も含めて、「プレゼンテーションなんだから、そんなもん」か。

 

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2021年7月28日

ウィルスとマスク着用の、かなり面倒なお話

Gigazine の昨日付に 「新型コロナワクチンを接種したらマスクをしなくても OK なのか?」という記事がある。元記事は "Should fully immunized people wear masks indoors? An infectious disease physician weighs in" という記事だ。

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元記事の見出しは訳すと「きちんと予防接種した人は屋内でマスクを着用すべきか? 感染症専門医が意見を述べる」というもので、この疑問にカリフォルニア大学サンフランシスコ校の薬学教授、Peter Chin-Hong 氏が答えている。

私は 7月 23日付の ”ユニクロ「エアリズムマスク」で夏を乗り切るか“ という記事で、「日本全体のワクチン接種率が高くなって、マスク着用をうるさく言われなくなるのを待つだけだ」「次の夏前にはマスクから解放されたい」 なんて書いているが、実はこれ、よく調べるとかなり面倒な話のようなのだ。

昨年初め頃、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は、「病気の場合はマスクを着用し、病気でない場合は病気の人を看病していない限りマスクを着用する必要はない」としていたし、世界保健機関(WHO)に至っては「ガーゼやコットンなどの布製マスクの使用は推奨されない」なんて言っていた(参照)。

WHO は昨年 3月に出した文書でも「マスクの効果は大したことがない」みたいなことを書いていて(参照)、私としても「WHO って、かなり乱暴なこと言うなあ」と思った記憶がある。しかしその後は米国でも何度も指針が更新され、だんだん着用の方向に向いてきた。

その後はワクチン接種が進むにつれて文言上はちょっと緩み、今年 3月 9日、CDCは「新型コロナウイルスワクチンの接種を受けた人同士ならば、マスクを着用せずに屋内で過ごすことが可能」とするガイドラインを公開。これ、我が家の現状でもある。

しかし新規感染者数が再び増加し始めると、7月 15日にはロサンゼルス郡が、ワクチンの接種状況に関わらずマスクを着用することを求める決定を下すなど、マスク着用を促す動きが再び活発化。まさに「行ったり来たり」で訳がわからない。

今回の Gigazine の記事で Peter Chin-Hong 氏は、「アメリカ国内での COVID-19 による入院者数と死亡者数が管理可能であり、医療崩壊に陥っていない限りは、新型コロナウイルスワクチンの接種者に対してマスクの着用を義務づける必要はないでしょう」と締めくくっている。

ところが一方で、ワクチン接種が済んだ人でもマスク着用は続けるべきだとの主張もある。ワクチンを接種しても自身が感染・発症しにくくなるだけで、ウィルスを媒介する可能性は残っているというのがその理由で、日本の厚労省はこの立場のようだ(参照)。

実証的な見地からの話はなかなかよくわからないが、見えてきたことはメンタリティとして、「日本人はマスクに抵抗がないが、西欧人は着用したがらない」ということだ。日本は一貫して「マスクしましょう」で進んできているが、米国は何かプラス要因さえあれば「しなくていい」と言いたがる。

これだけは傾向として確実に言えそうなので、マスクに関する情報は、このバイアスを意識して聞く必要があると思う。

 

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2021年7月21日

茨城県で発揮された、恥ずかしいまでの事大主義

最近、東京オリンピックをさんざんクサす記事を連発しているが、クサしついでに、我が地元、茨城県でのお粗末過ぎるニュースについても書いてしまおう。東京 2020大会組織委員会と鹿嶋市の教育関係者が、語るも恥ずかしいほどの事大主義ぶりを発揮していたというお話だ。

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HUFFPOST の ”「コカ・コーラ社の飲料持参を」学校が五輪観戦でよびかけ。組織委は「回答を差し控える」” という記事によれば、手短にはこんなようなことだ。

鹿嶋市教委によると、市内のある学校で保護者向けに配布された文書には、大会会場に持参する飲料について、ペットボトルを持ち込む際にはできるだけコカ・コーラ社の製品を持参すること、それ以外の企業の製品は全てラベルを剥がして持ち込むことなどを呼びかける内容が記載されていた。

ちなみにコカ・コーラ社は東京 2020大会のスポンサーで、「ワールドワイドオリンピックパートナー」に位置付けられているという。

なんでまたこんな馬鹿馬鹿しい話になったのか、順を追って話を整理すると、こんなようなことになる。

  1. 7月 9日に開かれた現地説明会(大会組織委員会、市教委、会場で観戦する学校関係者が出席)で、組織委の担当者から「ペットボトルを持参する場合、コカ・コーラ社以外の企業の製品はラベルを剥がして持ち込むよう」と、口頭で説明された。

  2. それを持ち帰った市教委は、飲料メーカーの平等性、実施の際のわかりやすさという点に鑑み、「全てのペットボトルのラベルを一律で剥がすよう促す」と決定して、その旨をマニュアルに記載し、さらに 12日に開かれた参加校の管理職が集まった会議でも、そのように説明した。

  3. ところが、観戦予定の 18校のうち 1校がこの決定プロセスに同期できず、9日時点での呼びかけのまま、コカ・コーラ社の製品を優先的に持ち込むことを求めているように読み取れる文書を配布してしまった。

要するに、組織委は常識を逸脱してまでコカ・コーラ社に配慮しすぎ、それを受けた市教委は単なる見かけ上の「平等性」と「わかりやすさ」を重視しすぎて、さらに常識から外れまくったわけだ。

そしてさらに、1校だけが素っ頓狂だったために、「何じゃこりゃ!?」と、世間に広まった。これがなかったら、粛々と実施されて妙な光景が広がっていただろうが、いずれにしても最初から最後まで、どうでもいいほどお粗末なプロセスである。

市教委は「学校からはコカ・コーラの製品を推奨する意図は全くなかったと聞いているが、誤解を招く表現だった」とコメントしているらしい。推奨する意図は全くなかったものの、「組織委がうっとうしいことを言ってるけど、ここは律儀に従っておかないと、後がコワい」なんて考えたのだろう。

そして肝心の組織委は「個別のやり取りについては回答を差し控えさせていただきます」として、取材には一切答えなかったという。どういう経緯で「コカ・コーラ社以外の飲料はラベルを剥がせ」なんてくだらないことを言ってしまったのか、おそらく、組織内でも明確に把握できていないのだろう。

元々は「一応、軽く触れときましたよ」程度の話だったのが、伝わるうちにどんどん膨らんで、最後には馬鹿馬鹿しいことになるというのが、事大主義の特徴の一つである。鹿嶋市教委にしても、「はいはい、一応承りましたよ」程度で聞き流しておけばよかったのに。

このニュースでわかったのは、東京 2020 の組織委は「すべき配慮」の優先順位をつけられないほど無能ということだ。末端がペットボトルのラベルみたいな些細なことに妙なこだわりを見せる一方で、上層部は開会式音楽担当者の身体検査という当然のことをする器量を、まったく持ち合わせなかったのだから。

余談だが、このまま行けば生徒たちは一律にラベルの剥がされたペットボトルを持ち込むことになるのだろうが、スポンサーであるコカ・コーラ社はそれを見て、いろいろな意味で「はぁ?」と思うしかないよね。

【7月 26日 追記】

この件については、7月 21日付の「鹿嶋市教育委員会教育長 川村 等」名の通達で、「今般組織委員会の方針が転換され、メーカーを問わずラベルを剥がさず持ち込むことが可能となりました」と変更になったようだ(参照)。まさに馬鹿馬鹿しい騒動だったわけである。

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2021年7月20日

今回のオリンピックを象徴するようなドタバタ

Huffpost が「小山田圭吾さん、開会式楽曲担当の辞任を申し出「様々な方への配慮に欠けていたと痛感」とのニュースを伝えている。開幕直前になっての辞任の申し出なんて「配慮に欠けた」ストーリーの極致みたいなものだが、この男にしてみれば他に選択肢がなかったのだろうね。

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昨日の TBS ラジオ「アフター 6 ジャンクション」で、パーソナリティの 宇多丸 が、「この件についてはインターネット上で過去に何度も炎上していて、既に知られた話と思っていた」と語っていた。それを当人も周囲もずっとスルーし続けてきたことが問題で、自分も反省するとの発言だった。

宇多丸氏としては小山田某とは直接的に顔を合わせたことはないそうで、それならばこの問題をことさらには取り上げにくかったという事情も理解できる。ただ、当人や近い関係者が完全に何も発言してこなかったことは、やはり問題だろう。

これも TBS ラジオだが、「週間日本の空気」の 小田嶋隆氏が「(インターネットの)検索窓に(小山田なにがしの)名前を入れてポンとリターンキーを押しさえすればヤバい話が山ほど出てくるのは誰でも知ってる」と言っていた。この男の「悪さ」は、業界では結構知られたことのようなのである。

確かに、そんなような話は実際にボロボロ検索される。しかも障碍者や重病人などの弱者をいじめ、嘲笑うような話がほとんどで、「こいつ、ほんっとにサイテーだな!」と思ってしまうのだよ。

というわけで小田嶋氏は、こんなような話になる前にきちんと身体検査されなかったのは、JOC の関係者が「よっぽどメディアに暗いのか、とんでもないおじいさんなのか、それとも面倒くさいのか、見たくないのか」と呆れていた。

まさにその通りである。彼の名前を知らなかった私がこのニュースを知って最初にしたのは、「小山田」でググってみることだったからね。ちなみに、それで小沢健二とユニットを組んでいたことも初めて知った。

「こんなことなら、オリンピックの音楽も小沢健二に頼めばよかったのにね」と妻に言うと、「小沢健二はそんなの引き受けないでしょ」と返された。なるほど、そうかもしれないね。

 

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2021年7月19日

開幕前から失敗と断定されているオリンピック

昨日付の「さんざんなオリンピック」の続編みたいな話になるが、共同通信が "米紙、東京五輪「完全な失敗」 熱気から敵意に" と伝えている。こうした見出しはフツーには実施後の総括記事につくものだが、開幕前からこんな伝えられ方をすること自体が、文字通り「完全な失敗」を物語っている。

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共同通信の伝え方は、以下のようなもの

米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見える」と指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと伝えた。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への熱気は敵意にすら変わっていると報じた。

ワシントンポストの元記事はこんな感じだ(参照)。

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見出しは「問題だらけの続編: 1964年のクラシックなオリンピックを再現しようという東京の企ては、失望に終わった」というものだ。前回の東京オリンピックの、対照的なまでに誇りに満ちた聖火台点灯の瞬間の写真が添えられており、記事は以下のように始まる。

東京発: 1964年の東京オリンピックの開催は、第二次世界大戦敗北の灰の中からの復興を示し、戦後の国際秩序への再参加を象徴するものとなった。

同紙はこの催しがその後の目覚ましい経済発展の端緒を切り開いたと解説。そして今回のオリンピックが、2011年の地震、津波、原発事故からの復活を象徴するものになるという期待があったとしている。

さらに、日本の保守派にとっては 2008年の北京オリンピックに対抗しつつ、日本の東アジアにおける失われたステイタスを取り戻し、経済的不振からの脱却にもつながるという期待があったと述べている。へえ、そんな期待まであったなんて、当の日本人の多くもほとんど意識していなかった。

今回のオリンピックへの期待が、過剰なまでの形で裏切り尽くされているというのは、保守派の思い込みが如何に勝手で過剰なものであったかを示しているだろう。

要するに、今回のオリンピックは東京で開くべきじゃなかったということだ。コロナ禍を別としても。

 

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2021年7月18日

さんざんなオリンピック

NHK が IOC バッハ会長らの歓迎パーティが始まったと報じている(参照)。ネット上でもリアルでも大反発をくらいながらの開催で、それにとどまらず、いろいろな問題がダメ押し的なまでに持ち上がって、今回のオリンピックはさんざんだ。

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私は既に 5月 3日に "東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」" と書き、その翌日にご丁寧にも確認記事として "改めて「東京オリンピックは他人事」と確認しておく" なんて書いている。さらに 6月 23日には " 東京オリンピックにはもう、匙を投げた" と再確認までしている。

ところがその後になって、「無観客化」だの、開会式の音楽を担当する小山田某の「いじめ問題」など、「これでもか」といわんばかりのゴタゴタが続いて、さすがの私も「オリンピックのイメージって、こんなにまで落ちてしまうのか」と呆れてしまっている。

IOC のバッハ会長は何やら「ぼったくり男爵」なんて言われているらしいが、これ、米国ワシントンポストの Sally Jenkins というコラムニストが、今年 5月 5日付の記事で "Von Ripper-off, a.k.a. IOC President Thomas Bach" と書いたのが発端らしい(参照)。

この "a.k.a" というのは "also known as" または ”as known as" (「〜としても知られる」とか「またの名を〜」とかいう意味)の略で、「IOC 会長、トマス・バッハとしても知られる Von Ripper-off" というのだから、なかなか言えてる。

"Von" というのは元々は「貴族の」という意味で、「男爵」は "baron" だが、日本では「ほら吹き男爵」からの連想もあって、「ぼったくり男爵」と言う方がしっくり来るのだろう。ちなみに、彼は別に貴族階級出身というわけではないらしい。

開会式での音楽担当を務める小山田某の「いじめ問題」というのは、私は初めのうちは「何かあるらしいな」程度にしか思っていなかったが、「小山田圭吾さんの “いじめ自慢” 記事は「間違った行為」。ロッキング・オン・ジャパン編集長が謝罪」 という記事を読んで呆れてしまった。

これ、「いじめ問題」というより、まさに「いじめ自慢問題」というべきで、自分の陰惨ないじめ体験を雑誌のインタビューで得意げに語っているという時点で、こいつ「最低野郎」である。組織委は「続投に理解を」なんて言っているらしいが、少なくとも私の理解の範囲は超えている。

というようなわけで、オリンピックというのは今回の開催を機に幻想部分が剥ぎ取られて、しっかりとイメージを落としてしまったと言っていいだろう。

 

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2021年7月 5日

土石流と「避難指示」の問題

一昨日は仕事に追われていたので、ニュースはラジオで聞き流していただけで、例の熱海の土石流のニュースもほとんどピンときていなかった。昨日になってテレビで初めて動画を見て、「これはヒドいことだ!」と驚いてしまったわけだ。

巻き込まれて亡くなった人も少なくないというので、当初は「どうして避難しなかったんだろう?」と思っていた。私の住んでいる区域は今は改善されたが、以前は洪水危険区域だったので、昭和 62年(1986年)の小貝川洪水の時は、一家で高台の避難所に移って無事だったということがある(参照)。

その時は発令された「避難勧告」に従ったのだが、実際に避難したのは地域住民の 3割にも達しなかったと思う。ほとんどは家に残ったままで床下/床上浸水に遭い、翌朝はどこにも出られなくなって、ボートで救助されていた。

そんなわけで、強制力のない「避難勧告」ではあまり意味をなさないということを行政も理解したようで、現在はこの項目はなくなって、「避難指示」に統一されている。それで私は今回、「避難指示」にも従わず、土石流に巻き込まれた人がいたのだと思っていたのである。

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ところが昨日、ネット上のニュースで確認すると、被害区域では「避難指示」は出されていなかったというではないか(参照)。そんなことだと、熱海市の責任問題に発展する可能性もあるだろう。

あるいは「避難指示」というのは大きな強制力があるので、出す方は必要以上に慎重になってしまうのかもしれない。避難を強制しながら、結果的にはそれほどの被害がなかったとなると、「過剰反応」とのそしりが出かねないと懼れるのだろう。

もし「避難勧告」というのが残っていたとしたら、今回のような場合でも早い段階で出されていた可能性がある。その方がよかったかもしれないが、ただ、それでは強制力がなくて従う人が少ないということで、議論は振り出しに戻ってしまう。

こんな話でゴタゴタしてしまうのは、人間は「避難勧告」程度ではなかなか実際の避難行動に移りにくいもののようだからである。地域の世話役をしたような人の体験を聞いても、「避難勧告が出たので、避難してください」と言っても、素直に従う人はごく少なかったという。

「わしゃ、この土地に 70年住んでいるけど、そんなに危険なまでの洪水なんかになったことがない!」なんて言って、なかなか腰を上げてくれないのだそうだ。日本人の多くは、ほんの数滴の雨が降っただけで傘をさすくせに(参照)、洪水の危険が迫っても逃げたがらないという不思議な人たちである。

日本の気象は変わってしまったと言わざるを得ない。過去 70年間にわたって洪水なんかにならなかったとしても、今では土石流にまでなってしまうことがあるのだ。

行政には、迷わず早めの段階で「避難指示」を発令してくれることを望むばかりである。それには避難場所の確保などの問題も生じるらしいが、普段からそうした対応の準備をしておいてもらいたいものだ。

 

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2021年6月25日

コロナ・ワクチンと、中国の「妙に覇権的な振る舞い」

昨日の昼過ぎ、妻と一緒に新型コロナウイルス感染症の 1回目ワクチン接種をしてきた。接種会場に予約時刻の少し前に着いたところ、「今、空いてますので、早めに接種できますよ」と言われ、サクサクと済まして帰って来れた。

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空いていたので、バアサン軍団のけたたましいおしゃべり(参照)に遭遇しなくて済んだし、針を刺す際の痛みもチクッとしただけで大したことはなかった。恐れていたことは 2つともスルーできたわけで、ほっとした。

夜が明けてみると上腕部にほんの少しこわばりがあり、ズボンの尻ポケットの出し入れの時などにはちょっと気になるが、とくに痛みもないので大した差し障りではない。妻は私より軽症で、ほとんど気にならないと言っている。個人差があるようだ。

NHK は昨日 14:43 のニュースで、高齢者のワクチン接種で 1回目を済ませた人がようやく 5割を超したと伝えている(参照)。私と妻が接種を済ませたのは 14時頃だったから、その 5割にはビミョーなところで含まれないのだろうが、まあ、ようやくそんなところまできたということだ。

ただ、1回接種が「5割を超えた」とはいえ、接種は 2回しなければならないのだから、実質は 3割ちょっとぐらいのところだろう。高齢者で 3割なんだから、若年層も含めたらまだまだだ。来月下旬にはオリンピックだというのに、もう本当にどうなっても知らん。

ところで、テレ朝が "NYT紙「中国製ワクチン接種の国で感染拡大」" というニュースを伝えている。主に中国製ワクチンが使用されているバーレーンやチリなど 4カ国では、人口の 50%から 68%が接種を完了したにもかかわらず、世界で最も感染状況が悪化している 10カ国に含まれる」という。

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元記事は New York Times の "They Relied on Chinese Vaccines. Now They’re Battling Outbreaks." (6月 22日付)。「90カ国以上が中国製のコロナ・ワクチンを使っているが、専門家はこれらの地域の感染は、この病気との世界規模の闘いの中でに警告的なものとなっている」との書き出しだ。

記事の中では「中国製ワクチンは、ファイザー社製やモデルナ社製よりも効果が小さい」とのデータがあると明確に伝えられている。日本は中国製ワクチンを使用していないのでどうやら大丈夫のようだが、近頃、中国という国は何かと問題だよね。

第二次世界大戦前の日本も、今の中国のように「妙に覇権的な振る舞いの国」と見られていたんだろうなあ。

 

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2021年6月16日

菅首相、G7 では ”借りてきたネコ" 状態だったようで

13日の夕方、カーラジオを聞いていて、G7 で「途上国へのワクチン供与を菅首相が主導して決定した」というニュースに、脊髄反射的に「ウソだろ!」と呟いてしまった。もし本当だとしたら、裏でよほど念入りなお膳立てをしてもらってたんだろう。

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コロナ関連のワクチン接種が G7 の中で一番遅れている日本が、途上国への供与を「主導」するなんてストーリーは、あまりにも不自然すぎる。仮に本当だったとしても、そのお膳立ては「厚顔無恥」に近いレベルと言える。

LITERA はこのニュースについて、NHK が菅首相をヨイショしたフェイク・ニュースだったと決めつけている(参照)。各国首脳の環の中に入れず、ポツンと取り残されるばかりだった菅首相を "借りてきたネコ” 状態とし、ワクチン供与は、実際には「米英が既に決めていたこと」と伝えているのだ。

行く前から十分に予想されてはいたが、G7 での菅首相は、各国首脳との間に十分な「ディスタンス」を取って行動していたようだ。(参照:G7首脳の中でぽつん 菅首相の「ディスタンス」に批判と同情 = 毎日新聞)。まあ、母国語も不自由(参照)なのだから、英語で会話に参加できるわけないよね。

そうした状況で LITERA は、13日の NHK ニュース 7 で、英国で同行取材していた長内一郎記者が、以下のようにコメントしたと伝えている。

「主要なテーマとなった新型コロナ対策では、セッションの冒頭、菅総理大臣が『ワクチン普及は多国間主義を基本とし、途上国に公平かつ迅速に届ける必要がある』と訴え、議論を主導したかたちとなりました」

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LITERA というニュースサイトはいろいろ毀誉褒貶があるので鵜呑みにせず、一応確認するためにわざわざ「NHK+」に加入し、13日に放送されたニュース 7 を再生してみたところ、これは長内記者の言葉として一言一句間違いない。画面のテロップに「菅首相 議論を主導」とあるのも、上の画像の通りである。

LITERA はこの件について、次のように伝えている。

実際、低所得国への10億回分ワクチン提供は、10日の段階ですでに議長国であるイギリスのジョンソン首相が G7 で合意する見通しであることを打ち出しており、さらにワクチン外交によって途上国への影響力拡大を図る中国を意識するアメリカのバイデン大統領も G7 に先立って 5億回分の提供を表明していた。すでに議論はイギリスとアメリカが主導していたのだ。

これについても、何しろ LITERA の引用なので慎重を期すためにウラを取ってみた。結果、以下の通りである。

"イギリスのジョンソン首相が G7 で合意する見通しであることを打ち出しており・・・"

→ 参照:"G7、ワクチン10億回提供英首相 ボリス・ジョンソン氏寄稿"
 (6月 11日付 日本経済新聞)

"・・・バイデン大統領も G7 に先立って 5億回分の提供を表明していた"

→ 参照: "米、ワクチン5億回供与正式表明 バイデン氏「世界最大」"
(6月 11日付 東京新聞)

というわけでウラも取れたので、長内記者のコメントは NHK の「ヨイショ」だったと信じじるに十分と判断したわけである。「裏のお膳立て」どころか、英米の意向で既に「ほとんど決定項」だった案件に、知ってか知らずか、ひょいと乗っかっちゃっただけだったのだね。

 

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2021年6月12日

「社会の常識に合わない校則」というのがあるので

他人の下着の色を指定するなんて品性下劣なことを、私は決してしたいと思わないが、学校の教師というのは自らの品性を落としてまでも、生徒の下着の色を「白」と決めつけた上に、実際に確認するなんてことまでしたがるもののようだ(参照)。恥を知らない人たちである。

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まあ、教師のすべてがそうというわけではないが、「生徒指導」とか「生活指導」とかを担当する教師というのは、やたら横柄で品性の下劣さを発散しまくりといったタイプが多いという印象がある。昔の記憶を辿ってみても、最近の話を聞くに付けても、それは確実だ。

私は中学高校時代、その方面の教師とは口をきくことさえイヤだった。向こうも私なんかを相手にすると議論で言い負かされるとわかっているから、私に限っては「少々の校則違反」は見て見ぬふりをしてくれていた。

このことに関して、今年 2月 27日の "「異分子を認めない」という体制" という記事で、次のように書いている。

私が中学生の頃には生活指導の教師が全校生徒を集めた朝礼で、「なぜ長髪を禁止するかと言えば、クラスに長髪の生徒(どうやら私のことらしい)がいると、教育が成り立たないからだ!」と言い放った。

私はその場で「その程度のことで成り立たなくなるようなチャチな教育なら、してもらわなくて結構!」と反論したが、それに対してはついにノーコメントだった。当時、職員会議では「あいつとまともに議論で渡り合うと面倒なことになるから」と、無視することになっていたらしい。

それにしても、私の頃は「下着の色」までは指定されていなかった。あるいは、私がその指定を知らなかっただけなのかもしれないが、少なくとも教師が生徒の下着の色を確認するなんてことはなかった。

高校を卒業してから半世紀にもなる今の世の中で、文科省が「行き過ぎた "校則" の見直し」を指示するなんていうニュースに接すると、私としては啞然とするほかない。ニュースは次のように伝えている。

文部科学省は、全国の教育委員会などに対し、校則が子どもの実情や保護者の考え方、また社会の常識や時代にあった内容になっているか、絶えず積極的に見直すよう、通知しました。(太字 筆者)

ということは、「社会の常識に合わない校則」というのが日本中に存在しているということを言外に意味している。「信じられないが本当だ」という世界である。

私は学校というところは、よくよく教育に悪いところだと思っている。そんなわけで私はよく授業を抜け出してサボっていたが、いくらサボっても上述の事情で教師には何も言われなかった。

彼らは校則を運用するにも「人を見る」ようなのである。

 

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