カテゴリー「ファッション・アクセサリ」の114件の記事

2025年11月 6日

老舗の鞄店と「ナイロンビニール」という言い草

GINZA TANIZAWA TOKYO 五代目店主という人の tweet が一部で話題になっている。「スーツに革靴まで履いて部下と同じナイロンビニールのリュック..... 本当にそれでいいんでしょうか」というのだ(参照)。

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私としてはスーツに革靴なんて格好するのは年に一度あるかないかだし、一匹狼で部下もいないので、年中リュックで何の問題もない。そんなわけで上に紹介した tweet は「余計なお世話」にすらならないのだが、やっぱり心のどこかで「はぁ !?」と思ってしまうよね。

これ、Togetter でも "老舗の鞄店主の問題提起に、「ライフスタイルが変わってるのよ」と反対意見が相次ぐ" と紹介されている。のぞいてみると、「今は PC を持ち歩く時代だから、昔の革かばんでは辛い」という意見が支配的のようだ。当然の話で、私は革鞄持って街を歩くなんて考えられない。

GINZA TANIZAWA TOKYO というのは結構なステイタスのバッグ店らしく、自ら "日本で「鞄」という漢字を生んだ老舗" と謳っている(参照)。ただそれにしては、いくら「言葉を選ばずに言います」という tweet でも「ナイロンビニールのリュック」という言い草には首をかしげてしまう。

そもそも「ナイロンビニール」なんて素材はないからね。「ナイロン」と「ビニール」が別物というのは、今どき子どもでも知っていることだが、老舗バッグ店当主の頭の中では一緒くたになっちゃってるのかなあ。

あくまでも念のために示しておくが、ナイロン・リュックとビニール・リュックって、こんな感じね。


ナイロン・リュック

ビニール・リュック

言うまでもなく街で見かけるのはナイロン製がほとんどで、スーツと革靴姿で透明ビニールのリュックを背負ってるサラリーマンなんていうのは、いくら何でも見たことがない。

というわけで、相手はこれらをごっちゃにしてしまう程度の人と思えば、それほど腹も立たないか。

【同日 追記】

GINZA TANIZAWA TOKYO 五代目店主 がこの件に関するお詫びの tweet をしているようだ(参照)。ただ、「ナイロンビニール」ということについては何も触れられていない。

ちなみに思い出したように改めて触れておくが、私はほぼ半世紀前に、ワセダで最初にリュック(当時は「デイパック」と称していた)で通学し始めた男である(参照)。教授に「君はいつも山登りみたいだね」なんて言われていたものだが、今は当たり前のことになった。時代は変わる。

 

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2025年10月26日

ダウンウェアもきちんと洗おうね

今月初めは最高気温 25℃ 以上の「夏日」がフツーにあったのに、先週後半からは朝晩に暖房を入れるほどになった。そんな中で、東北の仙台からちょっと脱力してしまうようなニュースが流れてきた。

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"地下鉄仙台駅の「刺激臭がする不審物」 正体は落とし物のダウンジャケット" という、一昨日午後の話だ。「通行人から消防に通報がありました」というほどの異臭だったのだから、何か危険な薬物ではないかと疑うのも道理だが、実際はこんなことだった。

消防が検知器を使って調べたところ有害な物質などは検出されず、臭いのもとはダウンジャケットに残っていた体臭とみられています。

スゴいなあ。一体何シーズンにわたって洗濯もせずに着続けたんだろう。

持ち主自身が異臭に耐えかねて置きっぱなしにしたのだとしたら、あまりと言えばあんまりの話だ。出動した消防官たちは、ことの次第がわかった後でさぞ脱力してしまっただろう。

ちなみに世の中にはダウンウェアは洗濯できないと思っている人もいるようなのだが、それは完全に誤解である。ネット検索すると「ダウン用の洗剤で手洗いする」なんてもっともらしく書いてあるページもが多いが、実際には洗濯機の「弱」設定でもほとんど問題なく洗って脱水できる。

最近はユニクロなどでかなり低価格のものが買えるので、ダウンウェアは使い捨てみたいに考える人までおり、世の中変われば変わるものと思うほかない。昔は結構「貴重品」みたいなものだったから、洗いながら大事に着たものなのだよ。

 

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2025年9月12日

入院 3日目 - 吉本隆明の直筆原稿プリント Tシャツ

入院 3日目の朝、ネットを覗いていたら、吉本隆明の直筆原稿をプリントした Tシャツが売り出されたという記事を見つけ、早速 pTa.shop というサイトに行ってみた(参照)。

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サイトの説明には "原稿は『試行』57号(1981年 10月 30日)に発表された、「情況への発言――アジア的ということ(4)」の入稿原稿1枚目になります" とある。この「〜になります」という文体を吉本自身が見たら、きっと眉をひそめるだろうなあ。

とはいえかなりそそられてしまったのだが、4,950円 という価格には「吉本隆明ってぐらいだから、そのくらいはするだろうなあ」とは思いつつも、やはりちょっとビビった。何しろユニクロのラインナップに馴染んでしまったので、Tシャツなんて 1,000円台で買えるものと思っているので。

どうしよう。ただでさえ今回の入院で何かと出費がかさんでいるので、その入院中にネットでこんな「チョー趣味的」なものを買ったのがバレたら、妻に怒られてしまいそうだ。ここまで来ると洗いざらしにするのもなんだから、実際に着るのも憚られるし。

ここは思案のしどころである。それにしても、吉本の時代は手書き原稿だったんだね。今じゃ考えられない。

ちなみに radiko で朝の NHK ラジオを聞いていたら、映画字幕翻訳者の戸田奈津子さんが出ていた(参照)。御年 89歳だが、今でも現役で仕事をされているそうである。

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私は一廻り以上若い 73歳なんだから、早く回復して社会復帰しよう。吉本も 88歳まで生きたことだしね。

 

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2025年8月12日

川久保玲のファッションを思い出してしまった

COURRIER が "82歳の川久保玲が「パリ・ファッション界の中心」であり続ける理由" という記事を配信している。これを読んで、その昔自分が東京コレクションを取材していたなんてことを思い出してしまった。私ってば「ファッション記者」だったこともあるのだよね。

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1990年代の東京ファッションって、ちょっとスゴかったのだよ。私もコムデ(オム)を着ていたし、シーズンになると東京コレクションの取材で飛び回っていた。とくにイッセイ・ミヤケ、コムデギャルソン、ヨージ・ヤマモトのコレクションはひと味もふた味も違っていた。

三宅一生は 3年前にあの世に逝き、川久保玲、山本耀司は日本のファッションビルみたいなところでは目立たなくなっているが、レベルの高いファッション界ではまだまだ大きな影響力をもっていることがわかる。ただ、川久保自身はそんな風には思っていないようだが。

私はファッション記事を書いていた頃、川久保玲のファッションに関してはある種の「哲学的なもの」と捉えていて、そのような書き方をしていた。「哲学そのもの」じゃないが、確かに「哲学的な何か」を発信していたのである。つまり目に見えるフォルムの底に「特殊な何か」を秘めていたということだ。

「形の中にある形でない何か」というのは、かなり人を引きつけるものをもつ。もっと言えば「究極的なのは形じゃない」ということだ。

というわけで、私は今、自分の着る物のほとんどをユニクロで調達しているが、それって「形じゃない」からなのだよね。

 

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2025年7月17日

「五季」を単語登録してしまおう

東洋経済 ONLINE が今月 7日付で "もはや四季ではなく「五季」の日本" という記事を伝えている。企業のマーチャンダイジングのベースは従来の「四季」では成立せず、「五季」に移行しつつあるというのだ。私も自分の Mac の単語辞書に「五季」を登録しているし。

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これは道理というものである。アパレル企業は通常、8月には「夏物」を値下げしてのセールを開始して、売り場は「秋物」に移行する。しかし実際問題としては 10月まで体感的に夏なので、「まだまだ夏」なのに「秋物」を売ろうとするマーチャンダイジングでは明らかにロスが大きい。

そこで三陽商会は実情に対応するため、下のようなシステムに移行したのだという。

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これ、画期的ではあるが、今年の感覚だと「猛暑」のスタートをさらに 1ヶ月前倒しにしてもいいぐらいだ。

ちなみに私も今月 2日、「6月は統計的にもとんでもない暑さだったようだ」という記事で、"これじゃ、四季ではなく「五季」だ" と書いている。こんな具合だ。

もはや 1年のうち 5月から10月までの半年は夏なのだ。1年の半分が夏で、12月から 3月までの 4ヶ月が冬、残りの 1ヶ月ずつが春と秋と諦めるほかない。さらに言えば、6ヶ月の夏のうちでも 7月から 9月までの 3ヶ月間が「真夏」ということなのだろう。

これが私の Mac の単語辞書に「五季」を登録したきっかけで、今後は使用頻度が高まりそうだ。

 

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2025年6月 3日

1979年の「省エネファッション」というもの

共同通信の「あのころ」という写真ページで、"「省エネ」ファッション展 46年前の 6月 2日" という記事がちょっとした話題になっている。新宿の百貨店(私の記憶では伊勢丹だったはず)で開かれた「省エネルック」というファッション展のものだ。さすが半世紀近く前の雰囲気に満ち満ちている。

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記事には「半袖の紳士用スーツ約 90種など、夏の冷房温度の引き上げに対応する商品がそろったが、特設コーナーでの売れ行きはいまひとつ」だったとある。音頭を取った江崎通産相(前列右端)が従来の暑苦しそうなスーツ姿だったというのも、当時は面白半分に批判されていたと記憶している。

「言い出した張本人が着ないでどうする」ということだったのだが、半袖ワイシャツの上に半袖ジャケット着てネクタイ締めるなんて、いくら変わったファッションが流行った 70年代とはいえ「滑稽」の二文字を身にまとっているようなものだった。

もっともその両隣のおっさんはちゃんとその「滑稽な」ベージュっぽい半袖スーツを着ている。フツーに街で着ている人なんて一度も見たことがないが、この時ばかりは「浮世の義理」というものだったのだろう。政治家とか役人の考えることなんてこの程度のものというのは、今も昔も変わらない。

ステージ上のモデルが着てるのも、いかにも新宿っぽいというか歌舞伎町っぽいというか、こんなの着て会社に行ったら浮きまくるみたいなやつだ。というわけで今世紀に入ってからは、こんなお役人発想の「省エネファッション」なんかよりポロシャツなどが「クールビズ」として市民権を得てる。

もう 10年前になる 2015年 6月の記事(参照)でも書いているのだが、真夏でもスーツとネクタイで汗だくになっているのは営業マンぐらいのもので、「そんな格好を見るとこっちまで暑苦しくてたまらなくなってしまうから、上着だけでも脱いでおくれ」と声を掛けたくなってしまう。

 

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2025年4月15日

アニエス・べー、「ファッションは大嫌い」なんだそうだ

Courrier がアニエス・べーのインタビュー記事を載せている(参照)。この人、ファッション・デザイナーなのに「ファッションが大嫌い」と言い放っているのが、さすがである。

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私はこれでも 1980年代の東京ファッション全盛の時代にはファッションについての記事をずいぶん書いていた。5年近く前に書いた「コロナ禍の導く「ランウェイの終焉」?」という記事の書き出しは、こんな具合だった。

今は昔の物語、私は 1980年代には繊維業界のジャーナリストとして、ファッション関連の記事を盛んに書いていた。今となっては誰も信じないだろうが、東京コレクションでも毎シーズン、最前列のプレス席に陣取っていたのだよ。

ただ当時としても、自分がいわゆる「ファッション・ジャーナリスト」であるという自覚は、あまりもっていなかったように思う。「ファッションについてもまんざら書けないわけじゃない繊維業界の専門記者」という方がよかったかもしれない。

その感覚は、この記事でアニエス・べーが「ファッションは大嫌いだ。ちっとも面白くない」と言い切っているのと少しだけ共通しているように思う。私はファッションが好きというのじゃなく、「ファッション・デザイナーが表現する独自の世界」が好きなのだ。

それだけに、いわゆる「ファッションファッションした世界」にはまったく馴染めない。自分のスタイルも、いわゆる「ファッション好き」の格好とは全然違う。

今の時代における「ファッション」の意義というのは、その辺りに見出さなければならないのだと思ってしまうのだよね。その意味で、アニエス・べーの主張には大きく共感してしまう。

 

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2024年12月16日

高級ブランドの「ホーボーバッグ」を巡る冒険

「ホーボー」という言葉を御存知だろうか。今世紀初頭の米国の大不況時代、身一つで方々を渡り歩いた浮浪者である(参照)。かのボブ・ディランの崇めるウディ・ガスリーもその一人だった。ということは、ボブ・ディランを崇める私にとっても、ホーボーは思い入れの強い存在である。

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1970年代を貧乏学生として過ごした私は、夏になればホーボー気取りでバッグ一つ担いで日本中を旅していた。まともな宿泊施設には泊まらず、夜になればドヤか駅の構内でゴロ寝の旅だったので、ある時期から終電以後に駅のシャッターが閉じられて入れなくなったのは、かなりダメージだったなあ。

で、先日「ホーボー」について何か書こうとしていい画像はないかとググってみたところ、出てくるのは何だか知らないがブランド品のバッグばかり(参照)で驚いてしまった。ああいうの「ホーボーバッグ」というと知って、さらにひっくり返るほど驚いた。

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なるほど、今の時代の「ホーボーバッグ」というのは、上の写真のホーボーが棒っきれにかけて担いでいるバッグと形状的には似ていなくもない。しかしだからといって、妙に着飾った女性が腕にぶら下げるバッグを「ホーボーバッグ」と称するのは、大変な違和感である。不愉快と言ってもいい。

ご覧のように、クロエには 49万円以上もするものがある。こんなものを買って「どう、私のホーボーバッグ?」なんて言うのは、私の感覚からすると「恥知らず」というものである。

調べてみると、Vogue は 2019年 7月に "Why We Need To Rethink The Term Hobo Bag" (どうしてホーボーバッグという言葉を考え直さなければならないのか)という記事を発表している。(Vogue Japan の翻訳版は "ホーボーバッグ」は差別用語? 問われるファッションの倫理観" )

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この記事は「ファッション・グッズに『ホーボー』という差別的な言葉を使うこと」に関して問題提起している。ただ記事中では実際のホームレス俳優のコメントも紹介してそのアイデンティティを尊重しているようにも見えるものの、基本的には「ホーボーは蔑称」という「上から目線」が見え隠れする。

しかし私の発想はそれとは逆だ。ホーボーにシンパシーのない連中が軽々しくその名を使うのは、むしろ「ホーボーに対して失礼」と感じるのである。要するに「クロエのバッグなんて買う連中に、ホーボーの美学がわかってたまるか!」ってことだ。私は昔からアンチ・エスタブリッシュメントなものでね。

というわけで、締めくくりの口直しとしてウディの息子、アーロ・ガスリーの "Hobo's Lullaby(ホーボーの子守歌)" をどうぞ。

とりあえず 1番の歌詞だけ訳しておくのでよろしく。

お眠り 疲れ果てたホーボー
街々がゆっくりと行き過ぎるにまかせて
線路のハミングが聞こえるだろう
それがホ—ボーズ・ララバイさ

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【同日 追記】

「ホーボー」と言ったら、やはりボブ・ディランの "Only A Hobo" を取り上げないわけに行かないと気付いた。高石友也とロッド・スチュワートのカバーも添えておく。

道端で一人のホーボーが倒れて死んでいたのを見て、"Only a hobo, but one more is gone" (たかが一人のホーボーだが、さらにもうひとつ失われた)と歌ったのは、さすがボブ・ディラン。それを「労務者とは云え」と訳したのも名訳だ。

【12月 21日 追記】

ことのついでに、本日付の "「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれる" という記事もご覧いただければ幸いだ。

 

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2024年12月 8日

ビジネスホテルのズボンプレッサーとヘアドライヤー

コロナ禍が終わって、また日本全国に出張する機会が増えてきた。泊まりがけの出張ではもっぱらビジネスホテルを利用するのだが、備品として部屋にあるものの中でこれまで一度も使ったことがないのが、ズボンプレッサーとヘアドライヤーである。

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上の写真は先日山口県に行った時に泊まったホテルの部屋に備え付けてあったものだが、「この四角い板状のものは、ズボンプレッサーと言うものらしい」という程度の認識でしかなく、使い方は知らない。ヘアドライヤーも、洗髪後は自然乾燥に任せるから使わない。

とにかく出張といっても、ビジネス・スーツを着るなんてことはほとんどない。私のワードローブの中で「スーツ」と名の付くものは、2着しかなくて、しかもそのうちの 1着は冠婚葬祭用の黒のスーツだから、実質 1着しかないみたいなものである。

その「実質 1着」のグレーのビジネススーツは、昔から着ていたもののウェストが合わなくなってしまったので 5〜6年前に必要に迫られて買ったように記憶しているが、買ったその時に着ただけで、後はしまいっぱなしだ。着用回数で割り算したら、もの凄く高い買い物である。

思えば 20年以上前まで企業や団体を訪問先とする出張をしていた時でも、スーツなんて着ないで気軽なジャケット&スラックス姿だった。相手先が堅苦しいオッサンだったりした時だけ、仕方なくネクタイを締めるという感じで、ズボンの折り目なんて気にしたこともない。

最近の仕事は企業を相手にすることなんて滅多にないので、専らいつも通りのジーンズ姿である。何と言ってもこれが一番楽で自分らしくいられる。

朝のビジネスホテルの玄関ロビーからきっちりとしたスーツ・スタイルで仕事先に向かう「ビジネス・パーソン」たちを眺めていると、「スーツという名の牢獄」に閉じ込められているように見えて「気の毒に」なんて思ってしまうのだよね。

 

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2024年7月 8日

袖口の広い「オジサン半袖シャツ」が、まだまだ健在

このブログには、毎年夏にアクセスが目立って増える名物記事がある。それは 17年も前に書いた「オジサンの半袖シャツ、袖口が広すぎ」というものなのだが、今年は猛暑のせいかアクセスの増加ペースが例年より速い気がする。

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電車などで隣の席に半袖シャツ姿のオジサンが座ると、やたらピンピンに広がった袖口でこちらの二の腕がビミョーかつ無神経にくすぐられ、イライラしてしまう。紹介した記事には「まさに今、電車内でその状態」といったようなコメントがいくつか付いていて、悲痛なまでの共感を呼ぶ。

私はこのブログでも度々書いているように、夏の外出時には袖口がフィットしたポロシャツ(下の写真左側のタイプ)しか着ないので、あのタイプの半袖シャツにはまったく縁がない。それでいつしかアレを「オジサン半袖シャツ」と呼ぶようになっている。自分の年齢はすっかり棚に上げて。

ちなみに半袖ワイシャツの袖口というのも、最近は下右側のようなフィットしたデザインが増えているようだし、隣の二の腕をくすぐるようなものなんてほとんど消え去ったものと思い込んでいた。

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ただ私は最近、満員電車になんか滅多に乗らないので、二の腕をくすぐられるような状況には巡り逢っていないので、一応世の中の現状を知ろうと画像検索してみたところ、いやはや驚いた。まだまだ健在なのだねえ。袖口ピンピンの「おじさん半袖シャツ」が。

例えば、こんなのとか。

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「オジサンっぽくならない !!  こだわりシルエット」なんて謳われてるけど、袖口のピンピン加減を見るだけで十分にオジサンぽいよ。

はたまたこんなのも、かなり二の腕をくすぐって来そうだ。

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「半袖シャツ」で画像検索するとまだまだどっさり出てくる。こんなのとか、こんなのとか、こんなのとか・・・・、いくらでもあるのだね。袖が立体的に付けられて口がちゃんと下向きになっているのでないと、大抵アブナい。

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もしかすると、オジサンばかりでなく若い連中もこんなの着てるのかなあ。これじゃあ、私の 17年前の記事へのアクセスが絶えないわけだと納得した。

21世紀も 4分の 1 の区切りに近付いているのだから、そろそろこの手のものは「ヘンタイ的オジサン半袖シャツ」として、廃絶に向かって進みたいものである。

どうしても着たかったら、電車なんかに乗らない田舎で軽自動車通勤するような境遇なら見逃してあげる。

 

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