カテゴリー「ファッション・アクセサリ」の87件の記事

2020年8月12日

電車隣席の「昭和的半袖シャツ」袖口ツンツン問題

13年も前に書いた「オジサンの半袖シャツ、袖口が広すぎ 」という記事が、今になってもかなりのアクセスを集めている(とくに夏)。電車で隣に座ったオジサンの半袖シャツの広過ぎる袖口の角がこちらの二の腕をやたらツンツンくすぐって、迷惑でしょうがないという話だ。

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上の写真を見ればわかるが、オジサンの半袖シャツは、袖口が外側に不必要に突き出すという昭和的なシルエットになっていることが多い。その上、妙にアイロンが効いていたりするため、こちらも半袖で隣に座っていると、剥き出しの二の腕を不愉快に突いたりくすぐったりされて、迷惑千万なのだ。

この記事には同感を表明するコメントが結構ついていて、「今、電車の中でその状態」という気の毒なものも 3件ある。つい一昨日のコメントは、「今まさにその痒い状態で、自分が着ていた半袖カーディガンを脱いで、当たるほうの腕に全部かかるように肩がけして防いでいます」という涙ぐましいものだった。

「俺もおっさんだが、隣のおっさんの袖が気になるおっさんである」というのは、今年 6月のコメントである。1本のブログ記事に 13年近くにもわたってコンスタントにコメントが付くというのは、実際にかなりの広がりをもつ大問題なのだということを如実に示している。

「昭和的半袖シャツ」の袖口が不自然に外側に突きだしているのは、製造過程のパターン(型紙)の問題で、単純な円筒形に近い袖を身頃に平面的に縫い付けているからこんなことになる。ちゃんとした立体的パターンにすれば、下の画像のようにすっきりと収まりが付く。

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一目見れば、身頃への縫い付け部分と袖口が直角に近い角度になっていることに気付かれるだろう。「昭和的半袖シャツ」の場合はこの角度が決定的に足りない。さらに腕を降ろした時に窮屈にならないよう、やたらと袖口を広くするので、ますますツンツン問題が大きくなる。

というわけで、そろそろ「昭和的半袖シャツ撲滅」の声を上げて、袖口のツンツン問題をこの世からなくしてしまわなければならない。ただ、これをシャツ・メーカーに要望しても、安物シャツの場合は相変わらずの作り方しかしないのであまり効果は期待できない。

そこで消費者の方が「昭和的半袖シャツ」は電車で隣に大迷惑ということを知って、買わないようにするのが一番だ。あるいは「ダサくてカッコ悪い」とか「オッサンぽい」とかいう評価を定着させて、売れなくなるようにするのも一つの手だ。

まともなパターンの半袖シャツが高くて買えないなら、伸縮性のあるニット地のポロシャツに鞍替えしてもらいたい。これならユニクロで 3,000円以下で買える。ポロシャツで通勤するのに抵抗があるというなら、一年中長袖で通して、夏は腕まくりしていろというほかない。

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2020年4月30日

メンズ・ブランド「ダーバン」が 50周年なんだそうだ

ふと気付いたら、メンズ・ブランド「ダーバン」が今年 50周年を迎えて、昨年から新たなプロモーションを開始しているんだそうだ(参照)。ちっとも気付いていなかった。

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50年前といえば 1970年で、当時私は若干 17歳、高校 3年生だった。日本最大のアパレル・メーカーだったレナウンは、新ブランド「ダーバン」に大スター、アラン・ドロンを起用して華々しい CM 戦略をスタートさせていた。下の画像クリックで、当時のプロモーション動画が見られる。

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当時は 70年安保闘争、カウンター・カルチャーが盛り上がりを見せていた時代でもあったので、レナウンのイメージ戦略は「ちょっと違うな」という感じがあった。何となく「外れ気味の滑稽さ」すら感じさせていた。

アラン・ドロンが苦み走って呟く "D'URBAN c'est L'elegance de L'homme Moderne" ってキャッチフレーズも、我々は「ダーバン、セガレでやんす。どれどれ」なんてパロっていたのを思い出す。やっぱり「ちょっと時代じゃない」モノを感じていたのだね。

レナウンの年商は、私が繊維業界で仕事をしていた 1980年代の 2,000億円超を最高として以後は急落を続け、昨年は 500億円台にまで墜ちて、最終赤字 67億円を計上している。まさに「奢れる者は久しからず」である。

で、50周年記念ということで、改めてプロモーションを強化しているんだろうが、何だかあまり期待できないよね。

 

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2020年4月 9日

「コロナウイルスバスターズ」という Tシャツ

昨日の "「コロナファイター」に批判集中というんだが" という記事の続編のようなものである。実はたまたま、T-SHIRTS TRINITY というサイトで「コロナウイルスバスターズ」という企画の Tシャツが販売されているのを見つけた。(下の画像クリックで、販売ページに飛ぶ)

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モノは上の写真のような感じで、1着 2,480円で販売している。デザインは取り立ててチャーミングというわけでもないのだが、少なくともアイデア的には悪くないと思った。

ただ惜しむらくは、こんなにいいアイデアを単なる「物品販売」に終始させてしまっていることだ。私だったらこれをムーブメント化して、2,480円の売り上げの半額、1,240円をコロナウイルス感染症拡大防止のための活動(ワクチン開発など)に寄付できるようなドネーション・システムを構築するのに。

さらに Tシャツだけでなく、文具や日用品、さらにステッカーなどに至るまで商品範囲を広げて、その商品を購入することでコロナウイルス対策に貢献できるようなものにすればいいと思うのである。

ちなみに、ここで紹介したのはそんな公共的な企画ではないようなので、私としては全然買う気になれない。こうなったら電通でも博報堂でもどこでもいいから、こういうのやってくれないかなあ。(アイデア料なんか求めないから)

 

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2020年3月 7日

別の美学(alternative sense of esthetics)

例の新型コロナウィルスの影響で、どこもかしこも人出が少ない。先日、用があって有楽町に行って来た妻の話によると、都心もガランとしていて、いつもとは全然様相が違っていたらしい。

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「有楽町の駅前ビルの前に靴磨きのおじさんたちがいて、いつもは行列ができてるのに、今日はたった 1人だけが磨いてもらっていて、残りのおじさんたちは手持ち無沙汰にしてたのよ」と言う。

「へえ、いつもは靴磨きで行列ができてるの?」
「とくにお昼休みの時間帯なんて、結構並んで順番待ちよ」
「靴ぐらい、自分で磨きゃいいのに」
「やっぱり、プロにやってもらうと違うのよ」

という会話があって、私はこの年になって自分の知らない世界がフツーにあることを知ったのである。列に並んで金を払ってまで靴をピカピカにしてもらいたい人がいるとは、実感的にはほとんど理解できない。

私としては自分の靴をまともに磨くなんて、半年に一度あるかないかだろう。磨くにしてもなんだかこっぱずかしいから、敢えてことさらピカピカにはしない。上の写真は仕事に出かけるにも履いている靴だが、見るからに「ドタ靴」で、つま先なんて色が剥げ落ちてるしあちこちに小さなシミがある。

思うにピカピカの革靴が似合うのは、りゅうとしたスーツにネクタイを締めて、髪はきっちりとドライヤーでセットされた、どっかの IT 企業の社長みたいな人である。スーツとネクタイが嫌いで、ヘアスタイルなんて朝起きた時からの成り行き任せという私のような男には、絶対に似合わない。

というわけで私としては、靴磨きのおじさんの前に座るなんて、なんとなくコワいというか気が引けるのである。多分死ぬまでドタ靴で過ごすことになるだろう。これはむしろ、靴に関する「別の美学」(alternative sense of esthetics)なんだろうと思う。

 

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2019年8月23日

「ビジネスマン」なんかじゃないんだから

日経ビジネス電子版で、"「結局、ワイシャツの下は何を着ればいいのか」の舞台裏" という記事が送られてきた。これは「あの企画の舞台裏」というシリーズで、過去に話題になった記事について執筆者本人にその舞台裏を聞くというもらしい。

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で、今回の記事は 2013年に話題となった「結局、ワイシャツの下は何を着ればいいのか」という記事を執筆した鈴木信行副編集長に聞いてまとめたものであるらしい。2013年といえば 6年も前の記事だが、そういえば当時、「ワイシャツの下には何も着ないのが本当」としてちょっと話題になっていたような記憶がある。

この記事に登場するのが松屋紳士服バイヤーの宮崎俊一という人で、その世界では「カリスマ・バイヤー」として名を馳せる人物だ。『成功する男のファッションの秘訣』(講談社の実用BOOK))という本の中で、「9割の人が間違ったスーツを着ている」と主張している。

彼は「スーツはジャストフィットのものを選べ」(そうすると日本人の目には小さすぎるように見えてしまうが)とか「Tシャツは 40才以上の男の着るものではない」とか「欧州のビジネスシーンでは、半袖ワイシャツはあり得ない」とか、いろいろなことを主張している。さすが「カリスマ・バイヤー」だけに、これがもっともらしく聞こえてしまうのだ。

この 2013年の企画で彼は 「ワイシャツの下には何も着ないのが正解」と言っている。ワイシャツ自体が下着なのだから、その下にシャツを着ては「下着の重ね着」になってしまうというのだ。暑いときは上着を脱いでワイシャツの袖をロールアップして(まくって)過ごすのが正解なのだそうだ。

ちなみに、暑いときには「ワイシャツという下着」だけになってもいいということの根拠は、何も示されない。こだわるところには徹底的にこだわっても、それ以外の部分はテキトーでいいというのが、ファッションという世界である。

私自身のことについて言えば、一応「まともな勤め人」をしていた頃、ワイシャツの下には夏場は下着を着けなかった。だって、そんなことをしたら暑すぎるから。そして半袖ワイシャツというものも 1着ももたなかった。この点については、宮崎バイヤーの主張と図らずも一致する。

ただ、30才を過ぎる頃から「営業職でもないのに、スーツなんか着てられるか!」とばかり、夏場はポロシャツ 1枚になり、冬場はウールのジャケットで過ごすようになった。そんなわけで、今ではスーツと称するアイテムは春夏用と秋冬用 1着ずつに、冠婚葬祭用の 1着、合わせて 3着しか持っていない。

そしてこの 3着も滅多に着ることがないから、当然ながらワイシャツというものもほとんど着ない。だから「ワイシャツの下は何を着ればいいか」という疑問すら存在しない。基本的に、暑かったら下着なんて着ないし、寒かったらユニクロの「ヒートテック」を着るというだけだ。

もっと言ってしまえば、秋冬用スーツというのも邪魔くさいから、寒い季節はヒートテック下着に春夏用スーツでもいいとすら思っている。つまり、冠婚葬祭用(これは前から春夏用のみだし)と合わせて 2着で乗り切れるってわけだ。

「結局のところ」という話で言えば、「ビジネスマン」なんかやってないんだから、テキトーにカジュアルな格好をしていればいいというだけのことである。ヨーロッパ流のドレスコードなんてものに忠実に生きていたら、日本の夏場は乗り切れない。

 

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2019年8月15日

香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ

8月 12日付の FNN PRIME に "Tシャツの「香港」が... ベルサーチ謝罪 アンバサダー女優も批判" という記事がある。

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どういうことかというと、ベルサーチの Tシャツの背中に世界の大都市と国名を記したプリントがあり、その中で "Hong Kong - HONG KONG" "Macau - MACAO" (「香港 - 香港」「マカオ - マカオ」)と記されていたというのである。なるほど、写真を拡大して見ると明らかだ。

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このため、香港とマカオの領有権を主張する中国では批判が相次いでおり、ベルサーチの「アンバサダー」(海外セールス・プロモーションのキャラクター?)を務める中国女優まで「中国の主権と領土保全を侵害した疑いがあり、非常に憤りを感じる」と、契約を解除する声明を出すまでになっているという。

この記事を読んで私は思わず、「その Tシャツ、欲しい!」と画像入りで tweet しちゃったよ(参照)。できればこれを来て街を歩き、香港の自由を守る運動を展開している香港人(私の知り合いも参加しているはずだ)を及ばずながら応援する姿勢を示したい気持からである。

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ところがその真意が伝わらなかったようで、この tweet には「いいね」が 1個も付かなかった。こうした話はくどくど書いたら粋じゃないと思ったのだが、どうやらいくら何でも説明不足だったようだね。というわけで、今さらのようにこうして野暮な記事を書いている。

実際にはベルサーチの Tシャツなんてやたら高いし、ベルサーチも大市場の中国を失うことを恐れて市場から回収しているだろうから、もう入手できないと思う。こうなったら誰かコピーを作って安く売ってくれないかなあ。"Versace" の文字さえ入れなかったらデザイン侵害じゃないと言い張れるだろうし。

香港の民主化運動については、4年近く前にも「香港の自由を守る運動に心の底から共感」というタイトルで書いている。その時から、というか 30年以上前から私の気持ちは変わらない。

というわけで、この記事のことは Twitter に載せるので、賛同する方は思いっきり「いいね」を付けたりリツィートしたりして広めていただきたいものである。

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2019年7月19日

手ぬぐいの楽しさ

ちょっと前まではバンダナ派だったが、最近はもっぱら手ぬぐいを愛用している。バンダナは大体 50cm ぐらいの正方形が多いが、手ぬぐいは 34〜35cm × 90cm が標準。

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見た目的には手ぬぐいの方が長方形でずいぶん大きく感じてしまうが、拡げた時の面積は計算上、バンダナとそれほど大きな差はない。ポケットに入れた感覚も、それほどかさばるものではなく、いい感じで携帯できる。

バンダナも手ぬぐいも、サイズが普通のハンカチよりずっと大きいので、単なる手拭き以上の使い道があることがメリットだ。日射しの強いときのキャップ代わりに頭をすっぽりと覆うことができるし、はちまきにもなる。タオル代わりにも使えるが、生地が薄いのですぐに乾くのがありがたい。

バンダナとの違いはサイズ以上に柄の違いが大きい。バンダナはペイズリーが基調の柄が多いが、手ぬぐいの柄はめちゃくちゃ多様である。私は基本的に小柄が好みだが、大きめの水玉や唐草模様、さらには浮世絵などをプリントしたものまであってなかなか楽しい。

手ぬぐいはまた単なる実用品ではなく、落語や歌舞伎などで重要な小道具として使われたりする。これでいろいろな意味づけができたりもするので、デザインが多様なのも当然だ。もっと使われていいアイテムだと思っている。

 

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2019年4月27日

背広 3着でも多すぎて邪魔くさい

私はテイラード・スーツ(いわゆる「背広」)を 3着しか持っていない。下の写真で全てである。フツーのおっさんとしては、辛うじて最低必要源というレベルだろうが、個人的には多すぎて邪魔くさい。

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右端は冠婚葬祭用のいわゆる「ブラック・フォーマル」で、真ん中がフツーの春夏物、左端が秋冬物だ。一番着用機会の多いのは冠婚葬祭用で、年に 10回以上着る(最近は 100%近く葬儀や法事のため)が、春夏仕立てなので寒い季節にはヒートテック下着を重ねて凍えないようにしている。

残る 2着は、年に 2〜3度着るか着ないかというところ。冠婚葬祭用が春夏物だけで済んでいるのだから、普通の背広も秋冬物を処分して春夏物 1着で済ませたいが、いかんせん着る機会が少なくていつまでも新品同様なので捨てるに捨てられず、なかなか身軽になれない。

背広がこんな具合だから、白いドレスシャツ(いわゆる「ワイシャツ」)も 2着しかもっていない。実際は 1着あれば充分なので、どちらかが擦り切れても買い足さずに済むのだが、これまた滅多に着ないのでいつまでも新品同様だ。背広もワイシャツも、確実に死ぬまでもつ。

背広やワイシャツに限らず、他の種類の洋服の数も最低限である。私はクローゼットの中がスカスカでないと、イライラしてしまう類いの人間のようなのだ。

こう書くといかにもファッションに無縁の人間みたいだが、実はこう見えても、昔はアパレル・ファッション関連でメシを食っていた時期が長かった。パリ、ミラノ、ニューヨーク発のファッション情報を翻訳してプレスリリースとして主要メディアに流したり、東京コレクションが一番元気のあった 1980年代は、プレス席という特等席で飽きるほど取材した。

今でもファッションに関しては、その辺のギャルなんかにひれ伏されちゃうほどのプロフェッショナルな知識をもっているのだが、自分自身がファッション人間になろうとは露ほども思わないのだよね。こういうのを「紺屋の白袴」と言うのだろう。

ファッションに現場として関わっていた頃は、ファッション・ショーなどで使ったメンズウェアのサンプルを毎シーズン安く(1着 700円とかで)払い下げてもらった。私は身長が 180センチ近くあり、昔はもうちょっと痩せてもいたので、自慢じゃないがモデルサイズの服を着こなせたのだよ。

ただ、そうした服はおいそれとは着るチャンスがない。そして下手にトレンディなものだから、翌年にはダサダサになってしまう。2度や 3度の着用機会のために 700〜800円払うというのは、実はコストパフォーマンスとしては 100回着る服に 3万円払うのとそれほど変わらない。

これが業界関係者だから 700〜800円というタダみたいな値段で済むが、フツーに買えば 10万円以上はザラだ。かくの如くハイ・ファッションとは客観的にはかなりの無駄遣いであり、オシャレをして人に見せつけたい、あるいはナルシシズムに浸りたいと心の底から願うのでなければ、立ち入る価値のある世界ではない。

または社会的に結構な地位に就いてしまったりすると、それなりの高級品を身に付けなければならなかったりするので、かなり窮屈なことである。私なんか一介のフリーランスだから、ユニクロの服で充分という気楽さがありがたい。

 

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2018年3月17日

近頃ネクタイは 2本しか持っていない

一昨年の 5月下順に "ワードローブの 「戦線縮小」 が楽しい" という記事を書いている。とにかくスーツとネクタイの必要な仕事は受けないという方針を固めたので、着る物が本当に簡単になってしまった。

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ついでにネクタイも、ついに 2本にまで減らしてしまった。一昨年の段階では、慶事用と弔事用のほかに、水玉柄のものを 2本持っていると書いているが、今は上の写真の 2本だけである。右が葬式用で、左のグレーっぽいレジメンタルは、法事などをも含む汎用アイテムだ。本当に何にでも通用するから便利である。

一昨年まで持っていた白の慶事用と水玉 2本は、擦り切れたので処分した。幸か不幸か、最近は結婚式なんてものに出席する機会がまったくなくなってしまったので、慶事用は買わずに済んでいる。もし必要になったら、その時に買えばいい。

思えば葬式に出席する機会だけは、減らないどころか増えている。私自身も既に 65歳を過ぎているから、昔だったらいつ死んでもおかしくない年だが、どうにもこうにも死にそうにない。というわけで、この黒いネクタイは、擦り切れるまで (あるいは擦り切れても) 使うことになりそうだ。

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2018年2月11日

"SHOO・LA・RUE" という名のブティック

最近、どこのショッピング・モールに行っても "SHOO・LA・RUE" という名のブティックが目立つなあと思って、ちょっと調べたらワールドの直営店だった。そういえば、店の看板にもワールドのロゴが付いてるし。過去にアパレル関連の仕事をしていた身としては、今まで気付かなかったのはかなり迂闊なことだった。

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で、今日の記事はワールドの宣伝をしたいというわけでは全然ない。"SHOO・LA・RUE"という店名についてである。

若い人たちはこれ、「何のおまじない?」と思うかも知れないが、1960年代のフォークソングに親しんでいた人なら、一発でわかる。Peter, Paul and Mary のヒット曲、"Gone the Rainbow"(邦題 「虹と共に消えた恋」)の有名なリフレインである。こちら をクリックして YouTube に行ってみれば、のっけから「シューシュー、シューラールー」というリフレインを聞くことができる。

ワールドにも定年ギリギリだろうが、当時のフォークソング・ファンだったスタッフがいるんだなあと、ちょっと懐かしいような気分になってしまった。自慢じゃないが、私は今でも PPM の曲なら 10曲以上は弾き語りできる。歌とギターは Peter Yarrow のパートだ。Paul Stookey と Mary Travers のパートを担当してくれる人が現れたら、一瞬にしてコピー・バンドができる。

いやいや、こんな話をしたかったわけでもない。じゃあ、何が言いたかったかというと、この "SHOO・LA・RUE" という名前は、洋服を売る店の名前にしちゃったら、もったいないじゃないかということだ。せいぜい、昔のフォークソングを知っている 60歳以上のオバサンが喜ぶだけだろうが、売ってる服はもう少し若向けみたいだし。

残念なことに、何の芸もなく洋服屋の店名にしてしまったものだから、他の店の名前としては使えなくなっちゃった。私がワールドの社員だったら、絶対にちょっとだけスペルをアレンジして、"SHOE LA RUE" という名前の靴屋を展開するところだがなあ。ああ、残念。

この洒落はなかなか通じにくいかもしれないが、同じことを思っている人は、日本中に少なくとも、もう 20〜30人はいるはずだと、自信満々で言う。

【2月12日 追記】

妻にも聞いてみたが、やはり 「そりゃあ、『シュー・ラ・ルー』 っていう名前の店だったら、靴屋さんと思うわよねぇ」 と言っていた。やっぱり、それがフツーの感覚じゃないかなあ。まあ、トータル・コーディネートのために「靴も売ってないわけじゃない」ってことのようではあるが。

それに、そもそもの話だが、"SHOO・LA・RUE" というロゴの単語の間の 「ナカグロ」 は、ありゃ一体何なんだろう?

 

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