カテゴリー「音楽」の106件の記事

2025年2月15日

ビヨンセの「最優秀カントリー・アルバム賞」受賞

今さらのようだが、今月初めのビヨンセのグラミー賞受賞のことについて触れる。第67回グラミー賞において、彼女の "COWBOY CARTER" に「年間最優秀アルバム賞」が授与された。ただ注目したいのは、このアルバムが「最優秀カントリー・アルバム賞」も同時受賞していることである(参照)。

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カントリー・ミュージックと言えば「白人の音楽」というイメージが強いが、よく調べるとブラック・ミュージックの影響もないではないし、黒人のカントリー・ミュージシャンだっている。

ところがこれまで、グラミー賞の「最優秀カントリー・アルバム賞」は、白人以外に与えられたことがなく、今回のビヨンセが黒人初の受賞となる。それだけに、かなり画期的なことと言える。

さらに言えば、これって米国の音楽界のトランプに対する反発と見ることもできる。トランプが聞きそうなカントリー・ミュージックと言ったら、モーガン・ウォーレンみたいな、日本で言えば「ド艶歌」みたいなものになってしまいそうだが、ビヨンセのはかなりソウルフルだし。

今回受賞したアルバムに収録されたヒット曲、" TEXAS HOLD 'EM" を聞くだけでそれは如実にわかる。こんな感じだ。

それに何より、ビヨンセは今回の米国大統領選で民主党のハリス支持を明確に打ち出していたしね。

トランプはムチャクチャな政策を矢継ぎ早に打ち出しているが、米国民の中にビヨンセの歌を楽しむ流れがあれば、4年後はきっと大丈夫と信じることにしよう。

 

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2025年1月 4日

耳にこびりついた曲、「イヤーワーム」を消し去る音楽

特定の音楽が脳内で勝手に繰り返し流れて止まらなくなる現象を英語で「イヤーワーム(earworm)」というのだそうだ。「耳の虫」とは、なるほど実感である。そしてこの「イヤーワーム」を 40秒で消し去る「イヤーワーム・イリーサー」というのが開発されたというからおもしろい(参照)。

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「イリーサー(eraser)」という英単語は、フツーは「消しゴム」や「黒板ふき」を意味する。いつまでも耳に残ってイライラするメロディをあたかも「消しゴム」のように消し去ってくれるから、この名が付いたのだろう。

開発に関わった英国ダラム大学の音楽心理学准教授ケリー・ヤクボウスキー氏(Kelly Jakubowski)によれば、「耳から離れない曲」というのは「ダンスに適したテンポの曲 」と「全体的なメロディーの形が予測できる曲」 なのだそうだ。なるほどわかる。

複雑で覚えにくい曲というのは、耳に付いてしまったりしない。いい感じで自然な曲調だからこそいつまでも耳の奥に残ってしまうのだろう。ただ、いくら「いい感じ」でもあまりしつこいとやっぱりイライラしてしまうというわけだ。

だったらそれへのカウンター・アタックとして、複雑で覚えにくい曲を浴びせかければいいということになる。条件としては、キャッチーなメロディではなく、テンポも一定じゃない曲というのがいい。

というわけで、拍子やメロディ、さらに音楽スタイルもエレクトロニカからクラシックまで変化する不可思議な曲が仕上がったのだという。こんな曲である。

なるほど、メロディがちっとも印象的じゃなく、テンポもコロコロ変わり、曲調も一定しない。こんな覚えにくい曲、耳につきようがないし、はっきり言って「不愉快」というほどのレベルだ。それまでこびりついていた曲も影が薄くなるだろう。

ただ、この曲も万能というわけではなく、「効果がなかった」というコメントもあるらしい。とはいえ多くの人にはとても効果的らしいので、頭の中で常に同じ曲が繰り返されてうんざりしている人は、試してみるといい。

 

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2024年12月21日

「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれる

今月 16日の "高級ブランドの「ホーボーバッグ」を巡る冒険" という記事で思いっきり「ホーボー」を論じたばかりだが、明後日 24日から 30日まで、池袋の「シアターグリーン」で「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれるんだそうだ。

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この情報、ちっとも知らなかったなあ。もっと早く知っていれば、この期間中に予定なんか入れなかったのに。何しろフツーの会社員と違って、この時期ってちょっと変わった仕事の入ることがあるのだ。

とくに行きたいのは 12月 27日の林亭と中川五郎、シバくんの出る回なのだが、この日は生憎外せない用が入ってしまってる。ほかの日もポツポツ予定があって無理なのだよ。

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ああ、本当に本当にもっと早く知りたかった。16日にあれだけの「ホーボー讃歌」ともいうべき記事を書いてしまった身としては、同じ書くならこのコンサートと関連付けて書きたいところだった。

それにしても 80年代の馬鹿馬鹿しい「バブル期」を境に忘れ去られていたホーボー・シンパシーが、50年振りに今の世の中で復活しつつあるような気がする。こうした動きが継続されたら、日本の音楽界にも一本の芯が通るというものだ。踊ってる場合じゃないよ。

この情報の詳しい話は、現代ビジネスの 12月 20日付 "「1974年の池袋」で開催されていた伝説のフォークコンサートがついに復活…50年ぶりに「込めた思い」" という記事をどうぞ。(私もこの記事で初めて知ったのだよね)

 

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2024年12月16日

高級ブランドの「ホーボーバッグ」を巡る冒険

「ホーボー」という言葉を御存知だろうか。今世紀初頭の米国の大不況時代、身一つで方々を渡り歩いた浮浪者である(参照)。かのボブ・ディランの崇めるウディ・ガスリーもその一人だった。ということは、ボブ・ディランを崇める私にとっても、ホーボーは思い入れの強い存在である。

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1970年代を貧乏学生として過ごした私は、夏になればホーボー気取りでバッグ一つ担いで日本中を旅していた。まともな宿泊施設には泊まらず、夜になればドヤか駅の構内でゴロ寝の旅だったので、ある時期から終電以後に駅のシャッターが閉じられて入れなくなったのは、かなりダメージだったなあ。

で、先日「ホーボー」について何か書こうとしていい画像はないかとググってみたところ、出てくるのは何だか知らないがブランド品のバッグばかり(参照)で驚いてしまった。ああいうの「ホーボーバッグ」というと知って、さらにひっくり返るほど驚いた。

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なるほど、今の時代の「ホーボーバッグ」というのは、上の写真のホーボーが棒っきれにかけて担いでいるバッグと形状的には似ていなくもない。しかしだからといって、妙に着飾った女性が腕にぶら下げるバッグを「ホーボーバッグ」と称するのは、大変な違和感である。不愉快と言ってもいい。

ご覧のように、クロエには 49万円以上もするものがある。こんなものを買って「どう、私のホーボーバッグ?」なんて言うのは、私の感覚からすると「恥知らず」というものである。

調べてみると、Vogue は 2019年 7月に "Why We Need To Rethink The Term Hobo Bag" (どうしてホーボーバッグという言葉を考え直さなければならないのか)という記事を発表している。(Vogue Japan の翻訳版は "ホーボーバッグ」は差別用語? 問われるファッションの倫理観" )

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この記事は「ファッション・グッズに『ホーボー』という差別的な言葉を使うこと」に関して問題提起している。ただ記事中では実際のホームレス俳優のコメントも紹介してそのアイデンティティを尊重しているようにも見えるものの、基本的には「ホーボーは蔑称」という「上から目線」が見え隠れする。

しかし私の発想はそれとは逆だ。ホーボーにシンパシーのない連中が軽々しくその名を使うのは、むしろ「ホーボーに対して失礼」と感じるのである。要するに「クロエのバッグなんて買う連中に、ホーボーの美学がわかってたまるか!」ってことだ。私は昔からアンチ・エスタブリッシュメントなものでね。

というわけで、締めくくりの口直しとしてウディの息子、アーロ・ガスリーの "Hobo's Lullaby(ホーボーの子守歌)" をどうぞ。

とりあえず 1番の歌詞だけ訳しておくのでよろしく。

お眠り 疲れ果てたホーボー
街々がゆっくりと行き過ぎるにまかせて
線路のハミングが聞こえるだろう
それがホ—ボーズ・ララバイさ

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【同日 追記】

「ホーボー」と言ったら、やはりボブ・ディランの "Only A Hobo" を取り上げないわけに行かないと気付いた。高石友也とロッド・スチュワートのカバーも添えておく。

道端で一人のホーボーが倒れて死んでいたのを見て、"Only a hobo, but one more is gone" (たかが一人のホーボーだが、さらにもうひとつ失われた)と歌ったのは、さすがボブ・ディラン。それを「労務者とは云え」と訳したのも名訳だ。

【12月 21日 追記】

ことのついでに、本日付の "「ホ—ボーズ・コンサート」というのが開かれる" という記事もご覧いただければ幸いだ。

 

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2024年9月15日

米国の「日本ブーム」を音楽視点から見ると

長い間「米国の音楽市場では英語の歌以外は受け入れられない」と言われていた。遙か昔、Billboard 誌で週間 1位を獲得した "SUKIYAKI(上を向いて歩こう)" なんて、数少ない例外の一つである。

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しかしそうした「鎖国状態」は、ここに来て崩れ始めているようだ。NHK が「気付いたら日本ブームがすごいことになっていた」というニュースを伝えている。

米国でSHOGUN 将軍」がエミー賞の14部門で受賞し、ラジオでは日本人が日本語で歌うポッポスが流れることも増えてきたという。 ちょっと前までは韓国の "K-POP" がかなりフィーチャーされていたようだが、ついに日本の曲も注目され初めているというのである。

日本のユニット「新しい学校のリーダーズ」は、今年 4月にカリフォルニアで開かれた野外フェス「コーチェラ」に参加して以来、結構な話題になっているらしい。これはわかる。かなりよくわかる。

私も「新しい学校のリーダーズ」にはちょっと注目していたからね。どちらかと言えば、日本よりも米国で受けそうな気配を漂わせている。

私は個人的には日本のポップスよりも、ブルースとカントリー・ミュージックをベースとしたアメリカン・ロック・ミュージックの方が好きなのだが、最近はどうやらこのアメリカン・ロックがちょっと停滞してしまっている気がする。これって明らかなことじゃあるまいか。

何でなのかと言えば、米国の音楽がブルースとカントリーに縛られ過ぎているためなのだろう。日本の歌謡曲がどれを聞いても同じに聞こえてしまうのと似たような現象が、今のアメリカン・ロックの世界で起きているのだ。

そこへ行くと、韓国や日本のポップスは自由である。「ブルースがないじゃないか」と言ってしまえばそれまでで、確かに軽薄なイメージではあるのだが、その代わりメロディ・ラインがどうにでもなる。定型的なアメリカン・ロックに浸りすぎた米国人には、かなり新鮮に聞こえるだろう。

逆に言えば、日本の最近の曲はメロディが自由すぎて、私の同年代の連中は「平成以後の歌は覚えられないよ〜!」なんて悲鳴を上げている。同窓会の二次会のカラオケなんかは昭和の歌ばかりになってしまい、平成以後の歌を歌いたがる私なんか完全に浮いてしまう。

これだけの音楽大国にいるんだから、ちょっともったいないよね。

 

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2024年8月19日

高石ともやさん、ありがとう

今朝、はてなブックマークをチェックしていたら、"【速報】高石ともやさん死去、82歳 フォーク歌手「受験生ブルース」" という記事が見つかり、本当に驚いてしまった。亡くなったのは 17日午後 3時半だそうだ。

私は中学 1年のの頃からギターの弾き語りを始めていたのだが、本格的にやり始めたのは高校 1年で高石ともやさんの歌を知ってからだった。 

最初に触れたのは、深夜放送でヒットしていた『受験生ブルース』。夜更けになると山形県庄内の地でも辛うじて電波を拾える深夜放送で、雑音混じりの歌を必死になって聴いていた。あの頃は「アングラ・フォーク」なんて言われていて、私がずっとアンダーグラウンド志向となった出発点である。

その後、高校 2年の時だったと記憶するが、労音主催のコンサートで、高石ともや、岡林信康五つの赤い風船のジョイント・コンサートを聞き、すっかりフォークソングというものに入れあげるようになった。一時は私もシンガーとして、ライブハウスなどで歌っていたほどである(参照)。

高石ともやさんはその後ナターシャ・セブンを結成して、カントリー・アンド・ウェスタン的なテイストを強調するようになった。私はブルースを追っていたので「ちょっと違ってきちゃったかな?」という気もしていたが、聞いてみればさすがにスゴい。

ナターシャ・セブンのメンバーの圧倒的演奏テクニックと、ともやさんのスゴい歌唱力の合わせ技で、「こりゃ、かなわんわ!」と思わせるほどだった。とにかく、ともやさん、歌がうまい。うますぎる!

とにかく、私の人生、とくにモノの考え方に大きな影響を与えてくれた人だった。心から冥福を祈る。ありがとう!

 

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2024年6月12日

『ドレミの歌』の「シ」と "tea" の謎が解けた

実は長い間の疑問があった。それはほぼ 60年にわたって抱き続けてきた疑問なのだが、『ドレミの歌』のオリジナル版(英語版)の歌詞についてである。

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『ドレミの歌』の出だし、「ドはドーナツのド」はペギー葉山の訳詞によるもので、オリジナル版では "Doe, a deer, female deer" (ドゥは鹿よ、牝の鹿)と歌われる。「鹿」は英語で "deer" だが、「牝鹿」は "doe" になるのだ。以下、こんな具合である。

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一見して気付くように、日本語版では「は幸せよ」と歌われる部分が、英語のオリジナル版では「ティはジャム付きパンに付いてる飲み物よ」である。

英語では「」が「ティ」のようで、実際にそう歌われてるんだからそう信じるしかない。ただ、どうしてそうなるのかまで納得したわけではなく、ずっと心の底に引っかかっていた。

"Do, Re, Mi..." は、実はイタリア語である。英語ではフツーは音階を "C, D, E..." で表す(ドイツ語もほぼ同様だが、「注記」を参照のこと)のだが、米国人でも "Do, Re, Mi..." にはある程度馴染みがあり、『ドレミの歌』はちょっとオシャレにイタリア式なのだが、なぜか「」が「ティ」なのだ。

ずっと不思議でしょうがなかったのだが、このまま死ぬまで不思議がっていてもしょうがないと思い立ち、おもむろにインターネットで調べたところ、長年の謎があっという間に解けてしまったのである。Yahoo 知恵袋にある nan**** さんの解答が分かりやすいので以下に引用させていただく。

音感を鍛えるのには、メロディーを「ドレミ・・・」で歌うのが有効ですが、♭や ♯ のあるメロディーは困ります。

英語圏では、♯ は母音を i、♭ は母音を e に変えて発音するようにして、メロディーを音階で歌えるように工夫したそうです。ド♯ は di レ♯ は ri という要領です。

そうすると ソ♯ が si になってしまうので、英語圏では シ を ti に変えました。

なるほど、「シ」をまんま "Si" と言ってしまうと、"ソ♯" と同じ発音になって区別がつかないので、敢えて "ti" にしてしまったというわけか。積年の疑問の解け方が呆気なさ過ぎて不満なほどだ。

とはいえ、昔はこんなに容易には調べがつかなかった。インターネットのある世の中って本当にありがたい。

【注記】

英語では「シ」の音は "B" だが、ドイツ語だと "H"(ハー)で、♭ が付いた場合に限り "B"(べー)になる。つまりドイツ語式で「べー」と言ったら、それはとりもなおさず英語式での "B♭" (ビー・フラット)のこと。詳しくは こちら を参照。

 

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2024年5月25日

永遠の『おどるポンポコリン』

先日の明け方、まだ眠りから覚めないうちにどういうわけか頭の中で『おどるポンポコリン』の無限のリピート再生が始まってしまい、当人としても夢の中で大ノリしていた。そして起きてからもそれはしばらく鳴り続け、朝飯を食い終わる頃になってようやく一段落したのだった。

鳴りひびいていたのは『ちびまる子ちゃん』のテレビ放送が始まった 1990年当時のものだから、当然ながら "バージョン 1" で、演奏はあの B.B.クィーンズ。いくら夢の中とて、ノってしまわないはずがない。

この『ちびまる子ちゃん』、長女が幼い頃に読んでいた少女漫画雑誌『りぼん』に載った連載第一回目をたまたま目にして、家族でファンになってしまった。というわけで、我が家は最も古くからの年季の入った『ちびまる子ちゃん』ファンである。

この連載第一回目は 1986年の話だから、テレビ放送が始まったのは 4年後ということになる。このエンディング・テーマは、作詞がさくらももこさんご本人で、歌詞の積極的なまでの無意味さと脈絡のなさは、ここまでくると天才的とさえ思えてしまう。

しかし時代は変わるもので、作者のさくらももこさんが亡くなってから 5年以上の月日が経ち、さらにアニメでまるちゃんの声を担当していた TARAKO さんまで急逝された。

今月 22日付の記事で、時代というのは「要するに『登場人物が入れ替わる』ことで変わるのである」と書いた(参照)。ただし音楽や漫画、アニメなど、「作品」として残っているものは、それに再び触れることで「失った時間を取り戻す」ことができる。

まことにもってありがたいことである。

 

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2024年4月13日

シルヴィ・ヴァルタンは、ラクダに食われていたのだ

昨日の昼頃、妻とラジオを聞きながら昼食を摂っていたら、シルヴィ・ヴァルタンの『アイドルを探せ』が流れた。懐メロも懐メロ、1963年のフランス映画の主題歌としてシルヴィ・ヴァルタンが歌い、世界的に大ヒットした曲である。

曲が始まったところで私が「ラクダに食われる歌、久し振りに聞くね」と言うと、妻は「何それ?」と言う。「あれ、知らないの? じゃあ、とにかく 1番の最後まで聞けばわかるよ」と私は応えた。上の動画をクリックすれば、まさにその辺りから聞くことができる。

これ、私の周辺ではリアルタイムの 中学 1年生だった頃、誰が言い出したともなく「"ラクダに食われどせ" って聞こえるよね」と話題になり、『アイドルを探せ』といえば「ラクダに食われる歌」ということで定着してしまっていたのである。

実際の歌詞はフランス語の原題 "La plus belle pour aller danser"(ダンスに行くのに一番きれいに)だから、カタカナでは「ラプベルプアレドンセ」ぐらいはずなのだが、当時の雑音の多いラジオで聞いていた少年少女の耳には、どうしても「ラクダに食われどせ」だったのだよね。

というわけで私としては昨日という日まで半世紀以上にわたり、「あの曲、多くの日本人に『ラクダに食われる歌』として親しまれていたんだろう」と信じていたのである。ところが妻は「そんな風には聞いてなかった」という。ただ、「そう言われてみれば、確かにそう聞こえるね」と笑って納得していた。

とすると、「ラクダに食われる歌」って超ローカルな話題だったのだろうか? とても気になってしまい、「アイドルを探せ/”ラクダに食われどせ”」という 2つのキーワードでググってみた結果が、下の画像である。
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驚くべきことに「一致はありません」と表示されてしまった。ということは、『アイドルを探せ』が「ラクダに食われる歌」と思われていたのは、日本中探しても私の周辺だけだったということなのか。信じられない。

ここで私は殊勝にも気を取り直した。これって、そんな昔のくだらない記憶を敢えてウェブに書き込む人が今までいなかったというだけのことに違いない。ウェブ上にないということが実際にもなかったということとイコールじゃないはずだ。かく言う私だって、こんなこと今まで書いたことがなかったのだし。

というわけで今日はこんなような馬鹿馬鹿しい話を、多分日本で初めてインターネット上に書いているわけなのである。

この記事をきっかけに、少なからぬ人が「ああ、そうそう、そんな風に聞こえてたよね」と思い出されることを期待する。そして是非それをコメントとして書き込んでいただきたい。ナンセンスな記憶ではあるが、それを共有することで世代的共感にまで高めることができれば幸いだ。

【同日 追記】

試しに「アイドルを探せ/"ラクダに食われ"」でググってみたところ、たった 1件だけ表示されたのだが、クリックしてもリンク先が消滅しているようなのが残念。

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くにまるジャパン」で盛り上がったネタというので、やはり気付いている人は気付いているようなのだ。ただ、残念ながら「ラクダに食われなせぇ」とは聞こえないなあ。最後の単語は "danser" だからね。

 

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2024年4月 6日

チャック・ベリーの曲のイントロと手拍子を巡る冒険

TBS ラジオに金曜の 8:30 から 14:00 という 5時間半にもわたる長時間だが『金曜ボイスログ』という音楽+ウンチクの番組があり、かなりオススメである。臼井ミトンというミュージシャンがパーソナリティを務め、さらに私がご贔屓の音楽ジャーナリスト高橋芳朗氏が脇を固めている。

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この番組、昨日は「イントロ・クイズ」なんていう一見ベタに聞こえそうな特集をしていた。実際は古今東西の曲のイントロについて「さすが!」というほどのウンチクが語られていたのだが、高橋芳朗氏による「チャック・ベリーの曲のイントロ、どれも同じに聞こえる」という話には笑ってしまった。

確かに思い出す限り、全部「ソラシドドドド・・・・ソソララソソララ」(こう書いちゃうと興醒めだけど)で同じみたいな印象がある。決してすべてが同じというわけではないのだが、代表的な 3曲を挙げるだけでもこんな具合だ。(初めの数秒聞くだけで納得する)

Johnny B. Goode (1958年録画)

Back in the USA(1959年録画)

Roll Over Beethoven(1965年録画)

改めて「どれがどの曲のイントロ?」と言われても区別が付かない。まあ、この 3曲はイントロだけでなく曲そのものも 12小節のブルース形式がベースなので、ほとんど似たようなものなのだが。

ただ私は "Jonny B.Goode" のイントロだけはピンポンで正解できた。これだけはちょっとキーが低目で耳に残ってるのだよね。(動画だと B♭に近いキーで聞こえるが、ギターを弾く指の動きは A っぽい)

で、今回 YouTube で彼の動画を探してみてわかったことなのだが、彼の時代というのはちゃんとしたテレビ・ショー(下の 2本)に出る時は、スーツにネクタイ(真ん中はループタイだが)がお約束だったみたいなのだね。ロックンローラーと言えどもそのドレス・コードは破れなかったようだ。

それにヘアスタイルも七・三分けとかリーゼントだから、パーマかポマードで固めてたんだろう。まあ、当時の流行と言えばそれまでだが、いずれにしても 3本の動画のすべてで、ノリノリの "duckwalk" (ダックウォーク)が見られるのは嬉しい。

さらに強調すべきなのは、当時のテレビ・ショーに映し出される観客って、今となっては考えられないことだが「100% 白人」ってことだ。観客に限らず、チャック・ベリー本人以外は全員白人である。一番上のダンス・パーティ風のシチュエーションでもそうで、しかも男は全員ネクタイ着用だ。

笑っちゃうのは、1958年録画の "Back in the USA"(上から 2番目)では、客席にいらっしゃるお上品そうな紳士淑女たちのハンド・クラッピング(手拍子)が、しっかり「頭打ち」(1拍目と 3拍目)なのである。ロックンロールのビートがまったく身体化されてなかったんだね。

米国といえど 1950年代はこの程度だったわけだが、それから 7年後の 1965年録画 "Roll Over Beethoven" (一番下)になると、さすがビートルズ以後だけに、客席の手拍子がアフタービートに変わりつつある。とはいえ頭打ちもずいぶん残っていて、全体としては無残なほどバラバラだ。

ちなみに日本では、21世紀となった今でも年齢層に関わりなくこんな感じになることが多い。ド演歌の手拍子みたいに手をすり合わせることまではさすがにないものの、このジャンルでのリズム感は米国から半世紀以上遅れてる。

上の動画だと、ブルーノ・マーズが日本の観客(ほとんど若手ばっかりだと思うのだが)の「1、3拍」の手拍子にシラけて踊りづらくなってしまい、ステージ上から「2、4拍」を指導するなんてことになっちゃってる。2022年でこれだ。

これに比べれば、続いて映し出される半世紀以上前のエノケン時代の方がずっとマシだ。ただ途中でオッサンたちが混じってしまうと、一瞬でなし崩し的に盆踊り風になってしまうのが泣くほど哀しいが。

以上、今日はちょっとしたマニアック・ネタということで失礼。

 

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