カテゴリー「音楽」の86件の記事

2021年7月27日

「君が代斉唱」という表現を巡る冒険

東京オリンピックが始まっているが、私は「どうぞご勝手に」と言っていることもあって、ほとんど関知していない。ただ、無人島で暮らしてるわけじゃないので、何らかの形で情報は入ってきて、付き合うともなく付き合わされている。

開会式の「君が代斉唱」が MISIA だったというのは、翌日になって初めて知った。それは毎日新聞の「毎日ことば」というサイトで "国歌を「斉唱」か「独唱」か" という記事を読んだからである。なるほど、しっかり言葉にこだわれば、あれは「独唱」であって「斉唱」じゃないよね。

210727

というわけで毎日新聞的には、「歌手のM I S I Aさんが国歌を斉唱した」の「斉唱した」の部分を、「歌った」と校正している。おそらく「独唱」と表現するのはことさら過ぎると判断したのだろう。

念のため改めて説明すると、こんな感じになる。

合唱 複数のパートに分かれて歌うこと。ハーモニーなどの効果が発生する(コーラス)
重唱 各パートが 1人ずつの場合は、重唱と言う
パートが 2つの場合は二重唱(デュエット)
3つの場合は三重唱(トリオ)
4つの場合は四重唱(クァルテット)
斉唱 2人以上で同一のメロディを歌うこと(ユニゾン)
独唱 1人で歌うこと(ソロ)

で、『君が代』は原則的に全員が同じメロディを歌うので、「合唱」にはなりようがない。2人以上の複数で歌ったら「斉唱」、1人だと「独唱」という、2パターンしかない。

10年ぐらい前だと「君が代合唱」なんていう表記がよく見かけられ、当ブログでも 2010年 8月 7日付の "「君が代合唱」って?" という記事で批判的に触れた。ただ、さすがに最近はこの誤表記はかなり減っている。

ところが今回の MISIA のパフォーマンス(ソロ)は、至る所で「君が代斉唱」と表記されてしまっていて、例えば こちらのページでも、見出しに「MISIA の国歌斉唱は賛否両論」とある。

2107272

これ、いろいろな行事で、参加者全員で歌う『君が代斉唱』という言い方が定番になっているので、独唱の場合でもつい舌や筆が滑ってしまうのだろう。そのあたり私としては理解できなくもないし、大した実害もないので、ことさらに目くじら立てようとは思わない。

というのは、今回の場合でも、MISIA のソロに合わせて参加者が自然に小さく口ずさんだりしたら、それは結果的に「斉唱」みたいなことになるからでもある。別に「黙って聞け」と言われてるわけでもないだろうしね。もっとも、NHK の動画を見ても、そのあたりビミョーでよく聞こえないが。

ちなみに 2年前のサッカー試合での平原綾香のパフォーマンスは、 ”平原綾香 国歌独唱” というタイトルで YouTube に登録されているが、再生してみると、彼女がリードを取る形になって開会式参加者が自然に歌い始めている。で、図らずも結果的に「斉唱」になったわけだ。

ただ、この時の平原綾香の歌は通常より 4度も下で歌われているので、一緒に「斉唱」するにも「低すぎ感ありあり」で、さぞかし歌いにくかっただろうと思う。今回の MISIA のパフォーマンスも、ちょっとビミョーではあるが、通常より半音低い(最初の音が C#)。

最近の女性はアルトの人が多いようで、通常のキー(D で始まる)だと高すぎてしまうのかなあ。絶対音感がある人には、ちょっとむずがゆいかもしれない。

 

| | コメント (4)

2021年7月22日

『我は海の子』という歌

ラジオ体操の第一と第二の間で、軽く首を回したりする際に、バックグラウンドでピアノが既成の曲のメロディを奏でるが、昨日はそれが『我は海の子』だった。NHK、文句の出にくいクラシックな季節感を、さりげなく採り入れたがる。

今の子供たちはこんな歌は知らないんじゃないかと思っていたが、Wikipedia によれば 2007年に「日本の歌百選」に選出されており(参照)、今でも小学校 6年生の音楽の教科書に載っているようだ(参照)。

ただ、私の頃(昭和 30年代)でも歌詞の意味をまともにわかって歌っている子なんてほとんどいなかった。クラスの 2割ぐらいは、1番の最後の部分、「我がなつかしき 住家なれ」を、「わ〜がなつか〜しき すみな〜かれ〜」なんて歌っていたし、あろうことか、教師もそれには無頓着だった。

何しろ初出は 1910年(明治43年)発行の文部省『尋常小学読本唱歌』というから、110年以上前の歌である。歌詞が基本的に古色蒼然とした文語というのも頷ける。

そもそも出だしの「我は海の子 白波の / さわぐいそべの松原に」というのでさえ、子ども時代にはきちんとわかっていなかった。私はちょっとおませだったから、「白波の」なんて聞くと歌舞伎の『白浪五人男』を連想して、「問われて名乗るもおこがましいが〜」なんて言いたくなっていたものである。

210722
白浪五人男 稲瀬川勢揃いの場

小学生の頃は「自分は海、なかんずく白波の申し子で、礒辺の松原で賑やかに騒ぎまくりながら育った」みたいな意味かと思っていた。ところが中学生ぐらいになってようやく気付いたのは、この部分、どうやら意味の区切りと曲の区切りが不自然なほど一致していないようだということである。

つまり意味としては、「我は海の子 / 白波のさわぐいそべの松原に・・・」と区切るべきで、その後の部分とつなげて、「自分は海の子であり、白波のさわぐ礒辺の松原に煙をたなびかせる粗末な家が、懐かしい住処なのだ」というようなことだとわかったのは、かなり成長してからである。

さらに、楽譜に添えられる歌詞は基本的に平仮名なので、2番目の「千里寄せくる海の氣を / 吸ひてわらべとなりにけり」は、20歳を過ぎるまで「海の木を / 梳いて〜」だと思っていた。海岸に打ち上げられる流木を燃料にするために、髪を梳くように選定していたのかなんて、無理矢理に想像していたよ。

この記事を書くに当たって、上述の Wikipedia の歌詞の項目で確認してみたところ、『我は海の子』は正式にはなんと 7番まであるとわかった。つらつら読んでみると、5番目あたりから「鐵より堅きかひなあり」「はだは赤銅さながらに」など、唐突にマッチョなイメージが強調され始める。

とくに 6番の「浪にたゞよふ氷山も/來らば來れ恐れんや / 海まき上ぐるたつまきも / 起らば起れ驚かじ」なんて、大袈裟な悪趣味というほかない。昨今に至っては温暖化で南極の氷山も減少したし、竜巻云々は逆にリアル過ぎて、メタファーとして歌うのさえ気恥ずかしいほどのナンセンスと化してしまった。

そして 7番の「いで軍艦に乘組みて / 我は護らん海の國」に至って、「ほぅら、結局これを言いたかったわけね」となる。海辺で生まれた無邪気で素朴な子も、やがて立派な軍人に育つのだという事大主義的モチーフで、これがあったからこそ明治の教科書に載ったのだろう。

この 7番は、戦後に GHQ の検閲でカットされ、最近はもっぱら 3番までしか歌われないというのも、無難な路線なのだろう。私としても、この歌は先に進むほど大仰なステロタイプの羅列でしかなくなり、芸術的価値は下がる一方だと思う。

ギリギリの 3番目にしても「不断の花のかをりあり」の「不断の花」ってどんなものだか想像もできず、私はずっと「普段の花」と思っていたぐらいだから、せいぜいこのあたりで終わらないと違和感が強まるばかりだ。正直なところ、どうしてこれが「日本の歌百選」に入っているのか理解に苦しむ。

とにかく難解でもったいぶった歌詞だから、ノー天気な替え歌もいくつかあった。最も知られているのは「我はノミの子シラミの子 / 騒ぐ背中や脇腹に」というやつだろう。元歌と韻が共通していて、秀逸のパロディである。

ああ、そういえば今日は「海の日」って祝日だったのか。

【当日 追記】

Wikipedia によれば、この歌は作詞者・作曲者ともに不詳だが、作詞者として 宮原晃一郎(1882年 - 1945年)と、芳賀矢一(1867年 - 1927年)の 2人の名が挙がっており、「最近では宮原の原作を芳賀が改作したとする説が最も信頼されている」とある。

そう考えると、冒頭に児童文学者である宮原の原作の素朴な趣が残っているが、先に進むほど、国文学者で国定教科書の編纂にも関わったという芳賀の権威主義的キャラがどんどん押し出されて、「いい加減にしろや」と言いたくなるのも、もっともなことと納得される。

 

| | コメント (2)

2021年3月 1日

絶対音感があっても音痴の人がいる

先日、ラジオを聞きながら高速道路上を運転している時に、「絶対音感があるのに、あまつさえピアノは超絶うまいのに、歌うとモロに音痴」という人物の弾き語り実演を聞いて思わず運転席からずり落ちそうになり、マジにいのちの危険を感じてスピードを落としてしまった。

聞いていたのは TBS ラジオの「赤江珠緒のたまむすび」という番組で、そのコーナーのテーマは「絶対音感を持ってる人は、もれなく音楽の才能があるのか !? 」というもの。登場したゲストは元アイドルであるらしい山口めろんという女性だった。

彼女は日大芸術学部音楽科ピアノコース出身で、ヤマハ・ヤングピアノコンテスト金賞受賞という輝かしい経歴があるという。

このくらいになると「絶対音感がある」なんて当たり前で、取り立てて言うほど特別なことじゃない。彼女自身も「ピアノをずっとやっていると、『ド』の音が『ど〜』に、『レ』の音が『れ〜」に聞こえるなんて、あまりにも当たり前すぎて、子どもの頃はみんなそうなんだと思ってました」と言うほどだ。

ただ、彼女はスタジオに持ち込んだ簡易キーボードで「ド」の音を出しながら、それに合わせて(いるつもりで)「ど〜」と言うのだが、何だか「そこはかとない以上」の違和感がある。キーボードで出す「ド」が本日只今の「ド」なら、彼女の「ど〜」は、アサッテの世界あたりから聞こえてくるのだ。

そしていよいよ実際に弾き語りをさせてみると、スタジオ内の雰囲気が一瞬にして崩壊する。その様子は上述の番組ページの写真で確認できるし、実際の彼女の弾き語りの案配も、上の YouTube 動画で聞ける(視聴注意)。

あまりにも音痴過ぎて、初めはふざけてわざとやっているのかと思ったほどだが、実際は歌がまともに歌える人が音痴の真似をするのは結構難しい。どうやら彼女はピアノは超絶技巧だが、歌わせるとナチュラルで「ド音痴」のようなのだ。

ピアノも歌も両方まともにイケるという人が案外少ないことは、私としても経験的に知っている。ピアノの先生をしているような人でも、歌わせると「う〜ん、ちょっとね・・・」という人は、はっきり言ってかなり多いし。

ただ、ここまで落差の大きい人間がいるというのは、この歳になって初めて知った。彼女の場合、耳で聞いて苦もなく当たり前にわかる音程と、自分が出す音程の認知は、ほとんどリンクしないみたいなのである。器楽と声楽では使う筋肉がよっぽど違うのだね。

ちなみに私の場合、「やたら中途半端な絶対音感」を持っている。「レ」と「ソ」の音(音名で言えば D と G の音)なら、聞けば一発でわかるし、その他の音もそこから辿って認識できる。

例えば「ファ」の音を聞いたら、自分が体の中に持っている「レ」の音から「レ、ミ・・・」と辿って合わせて行き、0.5秒で「ファ」とわかる。さらにそこから自分の持っている「ソ」にするっと上がれれば、「うん、間違いない!」と確信できるというわけだ。

この程度で「絶対音感」と言うのはちゃんちゃらおかしいだろうが、まともに絶対音感をもっている人がどんな感じなのかは、なんとなくわかる。「体の中にあるんで、わかっちゃうんだよね」というほかないのだろう。

「レ」と「ソ」の音だけ一発でわかるのはどういうことなんだろうと、今さらのように考えてみて、中学生の頃から始めたギターのおかげなんじゃないかと思い当たった。

私の場合、ギターのチューニングは最初にピアノなどの絶対的な音程に合わせて第4弦の「レ」と第3弦 の「ソ」を決める。そして、それを基にして、両隣の 2弦ずつは相対音感で合わせて行く。この作業を長年繰り返しているうちに、「レ」と「ソ」だけはしっかりと体に入ってしまったようなのだ。

幼い頃からずっとまともにピアノをやってきた人なら、12音階すべてが自然に体に入っているのだろうね。ただ、それを自分の声で出せるかどうかというのは、また別のお話のようなのだが。

 

| | コメント (8)

2021年1月13日

ジャニスの "PEARL" が世に出て 50年

Facebook に "50 Years of Janis Joplin's PEARL #Pearl50" という記事がある。ジャニス・ジョプリンの名アルバム "PEARL" が世に出て、なんと 50年なんだそうだ。もう半世紀も経ってしまっているのか! Facebook の記事には当然ながら、「超いいね!」を付けさせてもらった。

210113

このアルバムが発売されたのは 1971年 1月 11日。私が高校 3年の時で、その 2か月後には大学進学が決まり、上京している。このアルバムを買ったのはそんな頃だが、ジャニス自身は既にこの世にいなかった。

彼女は前年の 10月 4日にヘロインのキメ過ぎであの世に行ってしまっていたのだ。だからこれはジャニスの「遺作」という特別な意味をもっている。

上の画像をクリックすると Facebook の記事に飛んで、"Me and Bobby MacGee" を聞くことができる。クリス・クリストファーソンの名曲だ。(下の「追記」参照)

今、改めて聞くとジャニスの声はとても可愛らしい。そう感じるのはこちらが年を取ってしまったからかもしれない。初めて聞いた 18歳の時は、そのソウルフルなキメキメのパフォーマンスにシビれるばかりだった。

ちなみにクリス・クリストファーソン自身の歌は こちら で聞くことができる。これと比べると、ジャニスのバージョンはものすごく濃い。

(英語では意味がわからないという方は、一度 中川五郎の日本語でのパフォーマンス を聞くといい。彼の訳は「ありがとう! よくぞここまで原詩に忠実に日本語にしてくれました!」と言いたくなるほどだ)

この歌でとくに泣かせるのは次の部分(訳は私)。

I'd trade all tomorrows for a single yesterday
Hodin' Bobby's body next to mine

全ての明日を、たった 1日の昨日と交換してもいい
そばにいるボビーを抱きしめていた、その 1日と

ジャニスの "PEARL" 50周年を記念する Facebook の書き込みをクリックしてこの曲が流れるのは、世界中のジャニス・ファンの思いを代弁するからだろう。ジャニスがギンギンにナマで歌っていた あのたった 1日の昨日 が戻るなら、全ての明日を諦めてもいい。

それにしても私は今でもこのアルバムをアナログの LP で持っているが、悲しいことに再生する機器が手元にない。それで iTunes (おっと、今は "Music" というのか)で聞くしかなくなっているわけだ。

ただ、何を通して聞いても、”PEARL” はウルウルきてしまうよ。

【追記】

”Me and Bobby Macgee” という曲は、恋人だった Bobby MacGee と、米国南部のサリナスの町で別れたことを歌ったものだが、昔、「ボビー・マギーって、男なの? 女なの?」と聞かれたことがあった。答えは「歌い手のジェンダーによって変わるんだよ」ってことだ。

"Bobby" という名前は男でも女でもいけるから、クリス・クリストファーソンの作った曲をジャニスもそのまま歌うことができたのである。

ただ「そのまま」とはいえ、クリスは "I let her slip away" (彼女を放してやった)と歌い、ジャニスは "I let him slip away" (彼を放してやった)と歌っている。これによって「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」(これについては こちら を参照)にならずに済んでいる。

 

| | コメント (4)

2020年12月 9日

打球音による『ジングルベル』が素晴らしい!

YouTube で「【打球音】バットで奏でるジングルベル」という動画がエラい話題だ。下の画像をクリックしてリンク先をご覧いただきたい。打球音という素材が、ちゃんと『ジングルベル』のメロディに聞こえるように並べられている。

201209

私は「こりゃすごい!」と、単純に感動してしまったよ。ちなみに奏でられた『ジングルベル』のキーは A (イ長調)で、音階は下の「ミ」から上の「ファ」まで、下の「ファ」と「ソ」を除く 7音。エビデンスとしてざっと採譜した楽譜を下に置いておく。

2012092

こんなにまでファンタスティックなことをを発想して、しかも本当にやってしまったというのが素晴らしい。のみならず楽譜を見ての通り、最初の出だしが弱起(4拍の前に 1拍ある)だったりして芸が細かいというのも、しっかりと評価しなければならないだろう。

既に述べたように使われている音は 7音だけだから、7種類の音を集めて組み合わせればいい。しかし数多く録音された打球音の中からきちんと(あるいはビミョーに)音階に合う音をチョイスするのは大変な作業だったろう。

それにしても、打球音のバリエーションというのは結構なものだ。使われるボールの基準は一定のはずだから、その日の湿度やバットの違いなどの要素で、このように 1オクターブと 1音という広い範囲の音が出るのだから、ある意味驚きである。

あるいは勘ぐりすぎかもしれないが、これは A というキーで作り込むしか音の選択がなかったのかもしれない。「ド」がシャープの音しか見つからなくて、G のキーでは作り込めず、D(ニ長調)では低すぎたりしてね。もしそうした制約の中で完成させたのだとしたら、それはそれでまたスゴいことだ。

そして YouTube ページのコメントにもあるが、今シーズンはコロナ禍のせいで観客数を制限しての試合が多かったから、かくもきれいな反響で録音されたのだろう。ということは毎年できるものじゃないから、なかなか貴重な記録である。いずれにしても、日本ハムファイターズには心からの拍手を送りたい。

蛇足ながら、こうしたビデオで感動して採譜までしてしまうというのだから、私もよほどのもの好きというほかないね。

 

| | コメント (0)

2020年4月17日

CD の虫干し

コロナウイルス騒ぎで、いわゆる「不要不急の外出」のみならず、「本当は必要なんだけどなあ」というような仕事での外出も控えざるを得ない状況だ。ずっと家にいて、気分転換に裏の土手を散歩するばかりの生活は、あまりにも日常的すぎて逆にかなりの「非日常」に思われてしまう。

200417

そんなわけで、今月 11日の "ずっと家にいるので、部屋の整理が進んだ" なんていうようなことになっている。さらにここ 2〜3日は、「部屋の整理」なんていうレベルに留まらず、わざわざ戸棚の奥からいろいろなモノを引っ張り出して「虫干し」みたいなことまで始めてしまった。

なにしろ時間の余裕だけはここ 30年ぐらい味わったことがないほどたっぷりあるので、自分のモノのくせにまるで「ビックリ箱」を開けたような気がするほど、総ざらいの様相だ。おかげで忘れてしまっていた CD までどっさり出てきて、聴き放題である。

思えば、音楽の聴き方もずいぶん昔とは変わった。この家に引っ越して来た頃はまだ「レコード」の時代で、LP 盤を廻すでっかいプレーヤーが部屋の片隅にどっかりと居座っていた。それがいつの間にか 「CD ラジカセ」なんてものに置き換わり、さらに最近では PC で音楽を鳴らしている。

ここ 2〜3日は、iTunes に保存しそびれていた昔の CD を思い出したように聴きながら、「ああ、やっぱり昔の曲はいいなあ」なんて思っている。上の写真に写っているのは、"The Very Best Of Otis Redding"、Eric Clapton の "Unplugged"、"The Best of Leonard Cohen"、そして左下は『義太夫さわり集』。

今日なんかは、義太夫の『義経千本桜 鮨屋の段』や『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』なんかを聴きまくりながら仕事をしていたよ。まったく最近は「非日常」そのものである。

 

| | コメント (0)

2019年7月 9日

JASRAC を通さない「草の根音楽文化」を創りたいものだ

ふゆひー さんが で "JASRAC 音楽教室に「潜入」2年 主婦を名乗り" という朝日新聞の記事に関して "あくまでも感情的なコメントではあるが、少なくとも「音楽」を名乗ってほしくないな、この協会には" と tweet しておいでだ。私も同感である。

1907091

この記事は、JASRAC が職員を音楽教室に「生徒」として送り込んで、いわば「スパイ活動」をさせ、レッスンで練習曲として使われていた曲に関して著作権料を支払えと要求しているというものだ。あくまでも個人的な考えだが、音楽教室のレッスンに使った曲に著作権を主張するなんて、あこぎにもほどがあるだろうよ思う。

そんなことをしていたら、日本の音楽文化をスポイルしてしまうことにつながると思う。つまり JASRAC は自分で自分の首を緩やかに絞め続けているわけで、本当に付き合いきれない団体だ。

ちなみに上の図は、JASRAC 自身がウェブサイトで主張している著作権管理の方法である。左は作詞・作曲をした著作者自身が管理するケースで、右が JASRAC に管理を委託するケースだ。メジャーな音楽の場合は著作者自身では管理しきれないから、ほとんどは右側のケースとなり、JASRAC がしゃしゃり出てくることになる。

それだったら私としては、JASRAC を通さないケースを増やしていけばいいと、単純に思ってしまうのだよね。

多くの一般人が草の根音楽家となり、自分で音楽を作ればいいのだ。そして仲間内の作品を著作権フリーでシェアし合って演奏して楽しむのである。どうせ我々オッサンは同窓会の二次会でカラオケに行っても、平成以降の歌なんか歌えないんだから。もうこれ以上新しめの曲なんかいらないんだし。

こう言っちゃナンだが、私だって自作の曲は何十曲も持ってる。昔、シンガー・ソングライターをしていた頃はあちこちのライブハウスで歌ったものだが、JASRAC に登録なんかしていない。だから仲間内の誰かがどこかのライブハウスで歌ったりもしているようだが、著作権料をもらおうなんて、これっぽっちも思っていない。

そもそも音楽創作というのは、一握りの専門的作詞家、作曲家に独占されるようなものじゃない。ちょっと慣れれば誰でも歌を作れるのだ。多くの民謡、フォークソングは、元々そうしたものである。名も知らぬ誰かが作って歌い継がれるのが、民衆の歌の本来の姿なのだよ。

そうした曲を今の世に増やして、JASRAC とは別の世界でスタンダードを作って行くことも、決して不可能じゃないだろう。「何を夢物語のようなことを」と言われるかも知れないが、今はインターネットがあるから、曲の共有は難しいことじゃないからね。

「草の根音楽文化」を作って行くって、なかなか楽しいことじゃないかと思うがなあ。

 

| | コメント (0)

2019年6月18日

”Tandle" =「スリムでイケてる」というチョー個人的英単語

長年間違いに気付かず「これで OK」と思ってきた「ちょっとしたこと」というのが、誰にでもあると思う。「ちょっとしたこと」だけに、間違っていると意識されるようなことさらな機会もなく、ただずっとそんなものと思い込んできただけに、ひょんなことからそれが間違いと知った時のショックは、個人的には結構大きい。

190618

今日という今日、私が気付いた「ちょっとしたこと」の間違いというのは他でもない、ボサノバの名曲『イパネマの娘(The Girl form Ipanema)』の歌詞である。それもしょっぱなの冒頭部分だ。

Tall and tan and young and lovely
The girl from Ipanema goes walkin'

この 1行目(「背が高くて小麦色に日焼けして、若くて可愛くて」)の部分、遠い昔の 10代の頃の私の耳には "Tall and tandle, young and lovely" というように聞こえていて、それからほとんど半世紀というもの、ずっとそういう歌詞だと思い込んでいたのである。

”Tandle” なんて単語はほかで聞いたことがないが、私としては「スリムでイケてる」みたいな意味のスラングなのだろうと思い込んでしまっていて、ずっと辞書を引いてみようとも思わなかった。だって、こんなにも "and" でずらずらと続ける歌詞があろうとは思わなったのだもの。

ところが改めて "tandle" でググってみても、そんな単語は英国マンチェスターの "Tandle Hill Country Park" という景勝地以外には全然ヒットしないじゃないか。画像検索してみると、ボサノバとはマッチしないイングランド北部の清涼感のみが売り物っぽい土地である (参照)。

慌てて歌詞をググってみて初めて、私の耳に "tandle" と聞こえてしまっていたのは "tan and" の部分だったと気付いた。そしてさらに、間違いと知った後も私の耳にはややもすると、"Tall and tandle, young and lovely" と聞こえてしまうのだよね。長年の思い込みとは恐ろしいものである。

これ、上の画像をクリックして改めて聞いてもらえばわかると思うが、ビミョーに "tandle" と空耳できないこともない。まったくの見当外れというわけでもないと思っていただければ幸いである。アスラッド・ジルベルトの「つぶやくような」歌声だから、そう聞こえちゃったのかなあ。

というわけで、ふと気付けば私の脳内には ”tandle" =「スリムでイケてる」というチョー個人的英単語がしっかりと刻み込まれてしまっているのである。要するに意図しないまま、たまたまできてしまった造語でしかないのだが、結果としてはなかなかどうしてイケてる語感という気はしてしまう。

せっかくだから何とかして世界に広めたいと思うのだが、まあ、無理だろうね。

 

| | コメント (8)

2019年3月21日

『東京節』 を巡る冒険

今日の記事は、やたらと動画が多くなることを、予めおことわりしておく。そして元号が改まらないうちに、大正と昭和の話をしておく。

『東京節』 という歌をご存じだろうか。『東京音頭』ではなく『東京節』である。こう言われてわからなくても、「♫ ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ〜」というリフレインの歌と言えば、「ああ、それなら知ってる!」という人もいるだろう。

演歌師の添田知道作詞で、大正時代に流行した俗謡である。上に最もベーシックなバージョンで謡われた動画を貼り付けておいた。「パイノパイノパイ」と「フライフライフライ」で韻を踏んでいるのが、ある意味画期的だ。

この歌の原曲は "Marching Through Georgia" (ジョージア行進曲) という米国のマーチで、『東京節』 はそれを換骨奪胎したものだ。下に原曲の動画を埋め込んでおく。途中で 「スワニー河」 のメロディが入るのがおもしろい。

『東京節』 には、微妙に趣の違うバージョンもある。それも下に貼り付けておく。「最後の演歌師」 と言われた桜井敏雄となぎら健壱の、今では 「貴重な」 と言うほかない共演版である。

一番上に貼り付けておいた土取利行バージョンとの微妙なメロディの違いにお気づきだろうか。実は「ラメチャンタラギッチョンチョンデ」の 「ラメチャン」の部分、土取バージョンは平板メロディで、桜井敏雄となぎら健壱バージョンでは「ラ」の部分が高く歌われている。

実は私もつい最近までは、桜井敏雄となぎら健壱バージョンで、つまり「ラ」を高く歌っていた。しかし原曲を子細に聴いてみれば、明らかに土取利行バージョンの方が近いのである。ただいずれにしても「換骨奪胎」なのだから、「オリジナルに近いから正しい」とも言い切れない。

で、いろいろ調べてみたところ、Wikipedia の 「パイノパイノパイ」 の項に、次のような記述が見つかった。

唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感(ママ)があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。

「唖蝉坊」 というのは作詞者の添田知道の父で、あの演歌師の草分けとして名高い添田唖蝉坊である。『ラッパ節』『ああわからない』などの曲が今に残る。今は亡き高田渡は、『ああわからない』をアメリカン・フォークソングのメロディに乗せ、『新わからない節』として歌った。

その唖蝉坊が「デタラメ」の「ラメ」を「ラメチャン」として囃子詞に取り込んだというのである。ということは、「デタラメ」という言葉が平板アクセントである以上、これはやはり平板で歌うべきだろう。

そして、エノケンはわかっている。ちゃんと平板で歌っている。

というわけで、本日の結論。「エノケンは偉大だ!」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年12月10日

『里の秋』 という歌

里の秋』という歌があるのだが、私はその歌詞をあまりよく知らなかった。「しずかなしずかな 里の秋/おせどに木の実の 落ちる夜は」という歌詞の「おせど」というのもよくわかっていなかったので、今日初めてググって調べてみたのである。そうすると、この歌の深い意味がわかって愕然とした。

181210

「おせど」 というのは、「尾瀬戸」とか「小瀬戸」とかいう言葉とは無関係で、「お背戸」 、つまり 「裏口の戸」とわかった。それはまあ、単純なことなのだが、問題は、3番の歌詞である。

さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も かあさんと 祈ります

このように紹介すれば、わかる人にはすぐにわかると思うが、戦争が終わり、南方の島から命からがら復員してくる父の無事を祈る歌詞だ。『里の秋』がそうした歌だったとは、私は恥ずかしながら今日まで知らなかった。

さらに驚いたのが、この歌の歴史的変化である。Wikipedia(参照)によると、作詞者の斎藤信夫は国民学校の教師をしていた 1941年(昭和 16年)に、この歌 『星月夜』というタイトルで童謡雑誌に発表した。そして当初の歌詞は、1番、2番 は現行の『里の秋』と同じだが、それ以後が違っていた。

それは 3番、4番まであり、歌詞の内容は「父さんの活躍を祈ってます。将来ボクも国を護ります」というような、いわば戦争賛美につながるものだった。その後終戦(敗戦)を迎え、ラジオ番組の歌として『星月夜』は蘇ることになるが、その際に 3番、4番が現行の 3番の歌詞に書き換えられたという。

そしてその時、作詞者の斎藤信夫は、自分が学校教育において戦争で戦うように教えていたことに責任を感じ、教師を辞めていたというのである。これはちょっとヘビーなサイドストーリーである。

そして今、この歌を単純な「反戦歌」として位置付けることはちょっと気恥ずかしいが、そうした背景を知りつつ、じっくりと味わって歌いたいと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧