通信簿で「5」を取るということ
て〜 さんという方が "東大生になった今だからこそ言える「中2の時僕にこの成績をつけた公立中の『低学歴教員』どもは間違っていた」ということ" という tweet をしておられる。それぞれの教化の細目で A がやたらと多いのに「5」にならず、オール 4にも届かないのに東大に入学できたというのだ。
上が添えられた画像だが、リンク先に飛べばいかに教師の主観のみでつけまくられた成績なのかわかる。国語の「3」なんて、ちょっとヒド過ぎるよね。つまり教師に好かれないと、成績表で「5」はもらえないということのようなのだ。
この tweet に付けられた 八田益之「大人のトライアスロン」日経ビジネス電子版 連載中 さんという長いユーザー名の方のコメントで、次のようなものがある(参照)。つまり今世紀になってから教師の主観がやたら強くなったというのである。
21世紀からの傾向のようです。
20世紀は相対評価でクラスに5が4人とか決まってて、テスト高得点が順に取った。21世紀の絶対評価でなぜか教師の主観が強くなった。
なるほど、私が小学生、中学生だった時代に「オール 5」がなかなか取りにくかった理由がこれでわかった。国語、数学(算数)、社会、理科、英語の 5科目はペーパーテストがあって、98〜100点しか取ったことのない私は文句なしで「5」だったのだが、ほかの科目はペーパーテストがなかったのだよね。
音楽や美術、体育などは、結構いい線行ってても、ペーパーテストのような「客観的」な点数に落とし込めなかったので、教師の主観が強く働いて「5」だったり「4」だったりしていたわけだ。こうした科目の教師は、ペーパーテストで 100点取るようなやつに「5」は付けたがらなかったようなのだ。
いずれにしても少なからぬ小中学校の教師というのは、この程度のものらしい。私は英語は学校に頼らず勉強していたので、「英語の授業と東京タワー」という記事で書いたように、中学校 2年の時には修学旅行で行った東京タワーで米国人と英語で会話が出来るほどのレベルに達していた。
この時、英語の教師は遠巻きに眺めるだけで、周囲の生徒の「先生はあんな風に会話できるか?」と聞かれて「できん!」と答えていたらしい。なにしろ こんな程度 の教師だったからね。
て〜さんは近く「内申オール 4取れない問題児が東大理系に余裕合格するまで」という記事を書くつもりなのだという。なかなかの執念である。中学教師に同様の不信感をもつ人はかなり多いだろうから、かなりの共感を呼ぶかもしれない。


















最近のコメント