「三角関数」と「金融経済」は比較対象たり得ないよね
藤巻健太という日本維新の会所属の衆院議員の「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」という tweet がずいぶん話題になっている。この人、それで結局一体何を言いたいんだかわからないので、私としては今日まで放っておいたのだが、一応ここらでちょっとだけクサしておくことにする。
まず最も基本的なことを言えば、「三角関数」という「数学の中の一命題」と、「金融経済」という「一定の範囲をもつ学問分野」とは、直接的な比較対象たり得ないってことだ。つまり、どっちがより重要かという議論の対象にはならないのである。
彼の発言に対する批判の声の中に「三角関数は金融経済においても使われることがある」という指摘が見受けられるのは、つまりそういうことだよね。
そもそも単純比較してはいけない事項を一緒くたにして、「金融経済の方が重要」みたいに論じていること自体がこの人の頭の悪さを物語っているし、さらに下記のような下手な言い訳みたいな tweet まで付け足して、火に油を注いじゃってる。
三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。
1人が木の高さを測ればいい。
残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。
99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。
100人のうちの 1人が木の高さを測って、その結果が残りの 99人に明確に伝わるなんてことは、まずない。半分ぐらいに伝わるのがせいぜいで、残りは蚊帳の外だ。だったら、忘れた頃に別件で木の高さを知る必要が生じた時のためにも、残り半数の中に三角関数をわかってるやつが少なくとも数人いる方がいい。
さらに彼は、「残りの 99人」にとっては「安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくか」の方が重要だとしている。しかし実際には、そんなことをまともに考えられるのは、99人中 10人にも満たないだろう。
「金融経済」とやらを学校教育で学んだとしても、この 10人が 30人に増えるとは思われないし、「どうやって木を紙に変えるのか」に至っては、金融経済の範疇じゃない。
「三角関数なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」と言うのと同様に、あるいはそれ以上に、「金融経済なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」となるのが関の山だ。
結論。三角関数と金融経済の、どっちの方により学ぶ価値があるかなんてことは、命題として成立しない。要するに、学びたいヤツがしっかり学べばいいのだ。
私はワセダで「芸術学」なんてものを専攻したのだが、「すべからく芸術なんて役に立たないモノよりも金融経済を学ぶべし」なんてことを言うヤツが目の前に現れたら、心の底から軽蔑させていただくので
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