カテゴリー「学問・資格」の50件の記事

2023年7月20日

「8人に 4リットルのジュースを分けると 1人分は 2リットル」という誤答を巡る冒険

「働くモノニュース」というサイトに "「4リットルのジュースを8人で均等に分けると1人何リットル?」←小6の約半数が誤答" というニュースがある。36% が 「2リットル」と答えたんだそうだ。お粗末な結果だが、ちょっとイヤな気分になる話でもある。

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これ、元ネタは Rese Mom という教育関連サイトに半年近く前に掲載された「8人に 4リットルのジュースを分けると 1人何リットル?小学 6年生の約半数が間違えた理由」という記事で、【「全国学力・学習状況調査」令和3年度(2021年度) /問題4(2)】についてのものだという。

この問題に、小学校 6年生の 3分の 1以上が「2リットル」と解答したのだというのは、単純かつ素っ頓狂に「8÷4=2」と考えてしまったのだろう。

ちなみにもともとの問題文は、この記事によれば「8人に、4リットルのジュースを等しく分けます。1人分は何リットルですか。求める式と答えを書きましょう」というものだったらしいが、これでは確かに流れが不自然で、内容をイメージしにくい。敢えて「悪文」と言わせてもらう。

文系人間としては、ごく当然にも「4リットルのジュースを 8人で等しく分けます。1人分は何リットルですか 」と書くところだ。解答として「何リットルか?」を求めているのだから、命題としてもまず、「もともとあるのは 4リットル」という前提を明らかにするのが礼儀というものだろう。

敢えて唐突なまでに(わざわざ読点で区切ってまで)「8人に」という人数の方を最初にもってきてあるというのは、いわゆる「意地悪問題」「ひっかけ問題」の類いなんだと受け止めざるを得ない。こんな小手先操作で、試験結果が当事者側にとって都合のいい平均点に収まるようにコントロールしてるんだろう。

まったくもって、イヤな業界だなあ。むしろ教育に悪いよ。

 

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2023年2月16日

学校というところの、特殊なまでの馬鹿馬鹿しさ

昨日までの山陰への出張中、YMCAT さんの「息子が高校入学当時、妻が散髪して登校させたら『頭髪不合格』と」という tweet(参照)が話題になっていた。最近の当ブログでの学校関連の話題(参照 1参照 2)とも関連するので、ちょっと遅くなってしまったが、取り上げてみたい。

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一応、tweet の続きを下にテキストとして引用しておく。

納得いかないので説明を受けに行くと『散髪は理容師か美容師のみ、素人の親はダメ』と騒ぐ校長と担任。
仕方ないので「静まれ!」と妻の『管理美容師免許』を差し出したときの水戸黄門感。

思わず拍手を送りたくなったが、コトの発端に思いを致すと拍手どころじゃないと気付いた。学校というところの特殊なまでの馬鹿馬鹿しさが浮き彫りになった話というほかない。

まず第一に、「散髪は理容師か美容師のみ、素人の親はダメ」という理窟が、さっぱりわからない。ちょっとした散髪ぐらいは、素人でも十分いけるんだから、どうして学校ごときに「余計な金を払え」と強制されなければならないのだ。

何しろ私なんか、中学・高校時代は床屋なんて行ったことがない。私は当時としては学校で「長髪」と目されていたが、伸びすぎたら自分でレーザーカッターを使って毛先をちゃちゃっと切っていた。

教師としては苦々しく思っていたようだが、正面切ってどうこう言われたことは一度もない。私に対して下手に理不尽なことを言ったら、即座に 10倍ぐらい反論されて返答に窮することになるとわかっていたようだからね。

ところがあれから半世紀以上経った今の世で、ちゃんとした免許を持った親が散髪したのに「頭髪不合格」と言われるなんて、信じられない思いがしてしまったよ。担任の教師は後から「どうりで素晴らしいカットです」と言ったというのだが、だったら、その「素晴らしいカット」がどうして「不合格」なんだ?

まったくもって学校というのは、「誰もが一時的に体験する理不尽な懲役刑」だ。私なんかその雰囲気がイヤで、しょっちゅう学校をサボって抜け出していたし(参照)、感覚的に鋭いところのある子が「登校拒否」になってしまうというのも、ある意味しょうがないことだと思ってしまう。

 

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2023年2月12日

校則で「男女交際」は禁止しても LGBT なら OK ?

2月 8日付の ”雪が降っても「ジャンパー着るな」の指導に呆れた” という記事に、らむね さんがおもしろいコメントを寄せてくれている。さすが教育関係に詳しいだけのことはある。

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彼は校則を教員にも適用するように一度検討すると、ヘンテコさがわかると言う。

全ての教員は「”職務に集中するため”、防寒着を着てはいけない・下着は白とする・スーツワイシャツネクタイ以外認めない・靴下は三つ折りにせよ・男女交際禁止」とかね。明らかにおかしいでしょ。

この鋭い指摘に、私は「そりゃ、名案ですね。 とくに『男女交際禁止』というのが際立ちます」とレスを書かせてもらった。実際、堀越学園の女子生徒が「男女交際」を理由に自主退学に追い込まれたことが、昨年ネットで話題になっていたしね(参照)。

ちなみに今回の広島の中学校の問題で「かなりキテるなあ」と思ったのは、記事本文の次の点である。

この学校の校則には、寒い時のセーターやマフラー、手袋などは記載されているが、ジャンパーやコートは記載されていないので、学校側は「認めていない」ということのようなのだ

つまり「校則で明文化されているモノ・コト」は問題なく認めるが、「明文化されていないモノ・コト」となると、「たとえ世の中にはフツーにあっても、学校においてはあってはならない」というのである。

これ、文字通りに受け取って、それを一度ひっくり返すしてみるとおもしろい。「禁止項目」として明文化されていないことは、「やっても OK」ということになる。

ということは、「男女交際」は禁止でも、LGBT は校則で禁止されていないから OK ということになる。つまり堀越学園でも「男女交際は校則違反だから自主退学勧告」ということになっても、「LGBT は校則違反というわけじゃないから、ノー・プロブレム」ってことだ。

全国の中学・高校の同性愛者は、堂々と交際しても、少なくとも「校則違反」として問題とされることはないわけだ。「男女交際禁止」を謳っても、「同性交際禁止」なんて校則のある学校はないだろうからね。

この論理が「おかしい」というなら、「男女交際禁止」を初めとする数々の妙な校則も、そもそもおかしいってことに気付かなければならない。

さらに「おかしい」ということで言えば、件の堀越学園の女子生徒が交際していたのは「同じ学年の男子生徒」とされている(参照)が、この男子生徒の方が「自主退学勧告」されたという報道はついぞ見つからなかった。

もし女子生徒だけが退学に追い込まれていたのだとしたら、とんでもない大問題のはずなのだが、ニュースはこの点にはまったく触れていない。実際はどうだったんだろう?

 

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2023年2月 8日

雪が降っても「ジャンパー着るな」の指導に呆れた

NHK のサイトで "寒い日でもジャンパー着て登校 「校則」で認めず 広島の中学校" というニュースを見て、呆れた。先月下旬、広島市の公立中学校でジャンパーを着て登校した生徒が、「校則」に基づいて教員から脱ぐように指導され、それに従ったところ、発熱して学校を休んだんだそうだ。

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このニュースには次のようにある。

保護者や学校によりますと、広島市内で雪が強まった先月 25日の朝、市立の中学校で 2年の男子生徒がジャンパーを着て登校したところ、校門で教員に呼び止められて校則にあたる「生徒指導規程」に基づき、着てこないよう指導を受けたということです。

徒はジャンパーを脱ぎ、下校する際も着なかったということです。

この日の広島市は、最低気温が -4.2℃、最高気温が 3.1℃ だったという。そりゃ寒いわ。

ところがこの学校の校則には、寒い時のセーターやマフラー、手袋などは記載されているが、ジャンパーやコートは記載されていないので、学校側は「認めていない」ということのようなのだ。何と馬鹿馬鹿しい。

こんな馬鹿馬鹿しいことを生徒に強制するために、教師が雪の降った寒い朝にわざわざ校門で見張っていたなんて、「一体どこの国の、いつの時代の話だ?」と言いたくなってしまう。それが 21世紀の日本であった話というのだから、情けなくなってしまうじゃないか。

杓子定規な校則があったとしても、寒い日のジャンパーやコート着用ぐらいフツーに見逃しておけばいいだろうよ。なんでまた、そんな日に限って杓子定規なことを言い出す気になったのだ。

市立中学校というのは、私自身の体験からしても本当に馬鹿馬鹿しいところである。昨年の 5月 22日には、「北朝鮮と日本の中学・高校の共通点」という記事を書いているほどだ。

 

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2022年12月 4日

性教育は学校なんかに頼ってもしょうがない

毎日新聞に "性教育「10代の実態に合わず」 NPO が文部省に見直し求める署名" (昨日付)という記事がある。43,000筆の署名で、11月 30日に提出したのだそうだ。でもまあ、その程度のことで日本の性教育が変わるなんて、期待できないだろうなあ。

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性教育の国際水準は「包括的性教育」(comprehensive sexuality education)と呼ばれ、ユネスコなどが 2009年にまとめたガイダンスによれば、性交や避妊法は 9~12歳(つまり小学生)で学ぶべきこととされているという。

2009年といえばもう 13年も前のことだが、日本では今でも中学校の学習指導要領に「妊娠の経過は取り扱わない」という記述があり、「歯止め規定」なんて呼ばれてるんだそうだ。小学校で教えるべきことに、中学校でも「歯止め」をかけてるというのは、一体何を怖れてるんだろう。

私は 1959年に小学校に入り、1968年に中学校を卒業するまで、「性教育」なんて受けた覚えがない。小学校 5〜6年の頃、女子生徒は別室に集められて何やら密かに指導されてる気配があったが、その間、男子生徒は別室で「ひまわりの生長」みたいなカンケーのない教育映画を見せられていた。

そんなような扱いだから、男子生徒は「妙にねじ曲がった興味津々状態」になり、その過程で「性はイヤらしいもの」といった観念を持ってしまう。これって、完全に「教育に悪い」よね。

私自身は幸いにも性に関しては、「毎日小学生新聞」とか「毎日中学生新聞」に連載されていた専門家による記事のおかげで、まともな知識をもっていた。毎日新聞って当時としてはかなり真っ当なスタンスだったのだね。

さらに、母親の購読していた婦人雑誌の中綴じに直接的な情報があったりもしたので、結構深いところまで知っちゃってたのである。母親は、息子がそんなのを読んでいても「面倒な性教育の手間が省けるわ」と思ってか、スルーしてくれていた。ウチって、結構「ススんでた」のかもしれない。

というわけで私はかなり早熟なヤツとして育ってしまって、『性と文化の革命』なんか気取ったりしてた。性体験も同級生の誰より早かったけど、みっともないことにはならなかったしね。

ここまでの結論。日本の性教育に関しては、学校なんかに頼ってもしょうがないってことだ。

 

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2022年11月22日

大学も、なめられたものだ

今日は何だかんだと忙しく、夜の 8時半過ぎにこのブログの更新をしていなかったことに気付いて「何かネタはないかなあ」とはてなブログを覗いたところ、「帝京大学の教員云々」というのが多い。一体どういうことなのかとクリックしてみたら、こんなようなニュースがきっかけだったようだ。

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要するに、この大学の教員がゼミ学生を募集するにあたり、女子学生なら文句なしに採用し、男子学生は不利な選考をしていたという話である。たまたま女性に間違われやすい名前(「聖奈」というらしい)の男子学生が応募したところ、上の画像のようなメールが来たというのだ。

このメールと、喫茶店での話の録音がインターネットに晒され、大問題になっている。機械的に分類すれば、「逆セクハラ」とか「アカハラ」とかいう部類の話になるのだろうが、大学という場でこんなことがまかり通っていたというのだから、基本的には「チョーがっかり話」である。

で、さらに「がっかり」してしまうのが、このニュースの「関連記事」としてトップに挙げられている 【“生娘シャブ漬け戦略”発言に「もう我慢しない」。吉野家と早大に対策求める署名2万9千筆を提出】という話だ。

これ、私自身も今年 4月に "「本音」を語って「露悪」に陥った、吉野家常務発言" という記事で触れているので、よく覚えている。

牛丼チェーン「吉野家」の役員(当時)が講師として登壇した早稲田大学主催の社会人向け講座で、「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、絶対に(牛丼を)食べない」なんて発言していたというものだ。

この発言 から2ヶ月余り経ち、「実際に講座を受講した女性らが吉野家と早稲田大学に対して▽意識改革▽セクハラなどの実態調査▽コンプライアンスのルール策定や教育の徹底ーーなどを求める 2万9200筆の署名を送付した」ということで、ようやく少しは救われる。

今回の帝京大学の件もしっかり対応しないと、大学ってなめられっぱなしになってしまうだろう。

 

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2022年10月23日

"さんすうテスト" レベルの問題で冷や汗かいた

「えのげ」というサイトに【「嘘でしょ…」ある通信制高校の数学テストが “さんすうテスト” だと話題に】というブックマークがある。見てみると、Twitter に m さんという方が「みなさん通信とはこういう所です」として、ある通信制高校の「数学 I」の試験問題の画像を紹介している。

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「“さんすうテスト” だと話題に」と、「算数」をわざわざひらがな表記しているほどだから、小学校 1〜2年生レベルの問題なのかと思いつつ安易に写真の問題を見て、「ヤ、ヤバい!」とアセった。この程度は一瞬で答えられなければいけないんだろうが、実際問題として、ちょっと考えてしまったよ。

まあ、(1)〜(3)はほぼ一瞬だったが、(4)の「(−9)÷(−3)」は、「ありゃ、3 かな、そうだよね、−3 じゃないよね」と、一瞬以上の間が開いた。さらに(5)と(6)の「(−3)²」と「−3²」の違いなんてことになると、やや冷や汗ものである。

上の写真からは外れていて、Twitter の元記事写真にある、(7)と(8)の分数計算は、さすがに通分というのを忘れていなかったのでひょいひょいっと解けたが、問題はこれで終わりじゃなさそうだ。元記事写真からも外れている (9)以後の問題は、さすがにもっとややこしいんじゃなかろうか。

私は 11年前の ”「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ” という記事でも書いたように、「数字」というものに極端に弱い。というわけで、きっとさらに冷や汗をかきそうである。

いずれにしても通信制高校を馬鹿にしちゃいけない。個人的な知り合いの中にも、子どもの頃に経験した「いじめ」などのせいで対人恐怖症になり、高校は通信制だったという人が複数いる。彼らは後に障害を克服して、世間で「難関」と言われる大学に入り、立派な仕事に就いた。

ちなみに元々の tweet だが、「みなさん通信とはこういう所です」とあるので、「みなさん通信」ってどういう通信なのかと思ってしまったよ。読点を入れて「みなさん、通信とは・・・」とすべきだろうね。ついでに言えば「所です」も、「実際にある特定の場所」じゃないので「ところです」の方が望ましい。

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いずれにしても問題は、安易に通信制を差別するような感覚が、ややもすると「いじめ」の元凶になってしまいがちなことである。

 

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2022年8月15日

「同じ 38℃」でも、気温と湯温で感じ方の違うのは?

先月 28日にヨーロッパの軒並み 40度以上という熱波に関して、「45度なんて、風呂でもアツ過ぎて耐えられない」という記事を書いた。この時は密かに「うぅむ、このタイトルはツッコミどころあるかも」と思いつつ、つい「えいや!」 でこのまま行ってしまったわけである。

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それで今でも「風呂の湯温と気温では、感じ方がかなり違うよね」と、忸怩たる思いが残っているわけなのだ。ところが何と、この問題を愛知県刈谷市の中学生たちがまともに掘り下げてレポートしているのを見つけてしまった。

タイトルはまさに「38℃の日は暑いのに38℃の風呂に入ると熱くないのはなぜか」というもので、これでしっかりと、第 43回自然科学観察コンクール(シゼコン)の文部大臣奨励賞を受賞している。しかもこのコンクール、昨年が 第 62回目というのだから、20年も前の話じゃないか。

これは確かに、とても不思議な問題である。きちんと理窟立てて説明するのは、かなり難しそうだが、それを中学生たちがやってしまったのだから、なかなかのものではないか。

ネット上に掲載されている研究発表を読んでみると、どうやら「外部温」(周囲の温度)、「皮膚温」(体表面の温度)、「深部温」(体の内部の温度)というのがポイントのようなのである。中学生たちはこの「深部温」というのをオムロン耳式体温計“けんおんくん” で測定している。

まず、38℃ の風呂に入った場合、瞬間的には温かく感じる。そして皮膚温がすぐに湯温の 38℃まで上昇するが、深部温との差が小さいことに加え、幼い頃から慣れてきた 40℃ ほどの湯温との違いもあって、ぬるく感じるのだと結論づけられている。

一方、38℃ という気温の部屋に入ると、皮膚温は風呂の場合よりゆっくりと上昇して 8分くらいで 36℃ ほどになるが、やがて発汗効果により下がり始め、34℃~35℃ で安定する。その結果、直接接し合う外部温と皮膚温の間に、3〜4℃ほどの差が生じる。

つまり「同じ 38℃ という温度」でも、風呂の場合は、湯温、皮膚温、深部温の差が小さいが、38℃ という気温の中にいると、外部温と皮膚温の差が風呂の場合より明らかに大きい。そのために異なった感覚になるというのだ。なるほど、なるほど。納得である。

ただ気温の場合は、38℃ まで上がらなくても 30℃ ぐらいで十分暑く感じるのだが、そこにはやはり、22℃ ぐらいの気温を「快適」と感じる人体の「つくり」ということもあるのだろう。さらに「高湿度」という要素も加わると、汗の蒸発による冷却機能も落ちるので、ムチャクチャに不快と感じるわけだ。

猛暑日に長時間にわたって炎天下にいたりすると、体温そのものも上がってしまって、風邪を引いて高熱を発した時みたいなしんどい状態になってしまうのだろう。違いは、熱せられるのが内側からか外側からかということだけだ。

それにしても、今年の夏の暑さは異常というほかない。先月のヨーロッパみたいに気温が 45℃ 越えなんてことになったら、熱めの風呂以上だから、本当に耐えきれない。

 

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2022年5月21日

「三角関数」と「金融経済」は比較対象たり得ないよね

藤巻健太という日本維新の会所属の衆院議員の「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」という tweet がずいぶん話題になっている。この人、それで結局一体何を言いたいんだかわからないので、私としては今日まで放っておいたのだが、一応ここらでちょっとだけクサしておくことにする。

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まず最も基本的なことを言えば、「三角関数」という「数学の中の一命題」と、「金融経済」という「一定の範囲をもつ学問分野」とは、直接的な比較対象たり得ないってことだ。つまり、どっちがより重要かという議論の対象にはならないのである。

彼の発言に対する批判の声の中に「三角関数は金融経済においても使われることがある」という指摘が見受けられるのは、つまりそういうことだよね。

そもそも単純比較してはいけない事項を一緒くたにして、「金融経済の方が重要」みたいに論じていること自体がこの人の頭の悪さを物語っているし、さらに下記のような下手な言い訳みたいな tweet まで付け足して、火に油を注いじゃってる。

三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。
1人が木の高さを測ればいい。
残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。
99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。

100人のうちの 1人が木の高さを測って、その結果が残りの 99人に明確に伝わるなんてことは、まずない。半分ぐらいに伝わるのがせいぜいで、残りは蚊帳の外だ。だったら、忘れた頃に別件で木の高さを知る必要が生じた時のためにも、残り半数の中に三角関数をわかってるやつが少なくとも数人いる方がいい。

さらに彼は、「残りの 99人」にとっては「安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくか」の方が重要だとしている。しかし実際には、そんなことをまともに考えられるのは、99人中 10人にも満たないだろう。

「金融経済」とやらを学校教育で学んだとしても、この 10人が 30人に増えるとは思われないし、「どうやって木を紙に変えるのか」に至っては、金融経済の範疇じゃない。

「三角関数なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」と言うのと同様に、あるいはそれ以上に、「金融経済なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」となるのが関の山だ。

結論。三角関数と金融経済の、どっちの方により学ぶ価値があるかなんてことは、命題として成立しない。要するに、学びたいヤツがしっかり学べばいいのだ。

私はワセダで「芸術学」なんてものを専攻したのだが、「すべからく芸術なんて役に立たないモノよりも金融経済を学ぶべし」なんてことを言うヤツが目の前に現れたら、心の底から軽蔑させていただくので

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2021年12月 6日

「シリカゲル」は「尻陰る」じゃないことを巡る冒険

ずっと気になっていることに、乾燥剤「シリカゲル」の発音がある。「ゲ」の音をちゃんとした濁音じゃなく、軽く鼻濁音で発音する人が多いので、「尻陰る」みたいに聞こえてしまうのだよ。まるでお猿の赤いお尻が青くなってしまったみたいな印象である。

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よく見かける乾燥剤入りの小袋には、横文字で "SILICA GEL" という表示のものもちゃんとある。これをカタカナで分かち書きすれば「シリカ・ゲル」になるのが一目瞭然で、鼻濁音にはなりようがない。

しかし実際には「シリカゲル」という一続きの表示が圧倒的に多いので、鼻濁音が蔓延しているわけだ。ちなみに私の妻と 3人の娘も、しっかりと「尻陰る」式発音である。

試しに「シリカゲル 尻陰る」の 2語で検索すると、ものすごい数のページがヒットする。中には「尻嗅げる」なんてバージョンを掲げる人もいる(参照)から、世の中、本当に油断がならない。

それどころか、逆に乾燥を防ぐには「シリテラス」というものが効くなんて話まで出てくる(参照)。この既出がなかったら、来年のエイプリルフールに使いたかったぐらいの秀逸ネタだ。

こんなことになったのは、"silica" と ”gel” が一繋がりのカタカナ表記のほかに、そもそも ”gel” をいい加減なドイツ語風に読んだからということもある。ただ、ドイツ語 ”gel" の本来の読みは「ゲール」に近いらしいが、ウェブ上で聞く限りは「ギエル」と聞こえるんだがなあ(参照)。

”Gel” は英語なら「ジェル」になるから、初めから英語読みで「シリカジェル」ということにしていたら、「尻陰る」にはならずに済んだだろう。しかし小袋入りの乾燥剤はどうみても、いわゆる「ジェル状」からほど遠い粒々だし、化学物質はドイツ語風の方がもっともらしいってこともあるのだろうね。

ところで、「シリカ」というのは、「シリコン(ケイ素:Si)」の酸化物で、別名「二酸化ケイ素(SiO2」と言うらしい(参照)。じゃあ、「シリコンバレー」って、「ケイ素盆地」ってことだったのだね。そんなこんなで、半導体の主原料となる「シリコン」と「シリカゲル」の関係が初めて理解できた。

私のような極端な文系って、放っといたらこのあたりの知識がサル並みである。

 

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