カテゴリー「経済・政治・国際」の624件の記事

2020/03/12

いけしゃあしゃあとダブルスタンダードで行けちゃう体質

昨日から関西方面に一泊二日の出張をしていて、まともにニュースに接する時間もなく、今夜帰宅してから Google ニュースで、"森法相の「震災で検察官が最初に逃げた」という発言が大問題” というのを見て、「一体、何のこっちゃ?」と思ってしまった。

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そして TBS のニュースのビデオを見て、ようやく「へえ、そういう話か!」と大筋がわかった。いくら昨日があの 3.11 だったとしても、ちょっと突拍子もない話だよね。この森法相という人、「9年来の持論」で野党を牽制したつもりが、逆に墓穴を掘ったってことのようなのである。

2014年 9月に "「結婚したらどうだ」発言を巡る冒険" というエントリーでも書いたように、一部の(あるいは多くの?)政治家というのは「言わなくてもいいこと」とか「言うべきじゃないこと」を、得々として言うのがお好きらしい。そして大抵はそのせいで自分の立場を危うくする。

面白いのはこの森法相という人、野党時代の 9年前から同じことを主張していて、また思い出したようにほとんど関係のない筋道の話で蒸し返していたようなのだ。結構この話にこだわっていたのだね。

そして今回は「それは事実か?」と問い詰められて「事実です」と答えたものの、その直後にちょっとビビったのか「個人的見解」なんて言い出している。弁護士の資格をもつほどの人が、国会の場で法相として「個人的見解」を述べちゃったということのようなのである。

しかし総理に怒られちゃったので、「検察を所管する法相として、検察の活動について個人的見解を述べたのは不適切だった」と謝った。つまり「個人的見解としての事実」という本音には固執するが、「国会での法相発言としては不適切だった」として、建前的には撤回したってことだ。

というわけで、一人の人間としてそこまでいけしゃあしゃあとダブルスタンダードで行けちゃう体質というのは、スゴいことだと思うわけである。

 

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2020/02/11

「フツーの休日」としての建国記念の日

今日は「建国記念の日」。記念日の正式名称が「建国記念日」ではなく「建国記念の日」であるというのは、ゴチャゴチャした政治的事情による妥協の産物であって、その辺の事情は、President Online の "日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由" という記事に詳しく出ている。

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その政治的事情に関しては、「もういいわ」というほどわかっているのだが、それより何より驚いたのは、今日の午後 6時を過ぎて Google ニュース にアクセスしても、トップ画面に「建国記念の日」関連のニュースが 1本もないことだ。ちょっと前だったら、考えられないことである。

少なくとも 5〜6年前までだったら、賑々しく「建国記念の祝賀行事」を執り行う右側勢力と、それに反対して抗議活動を行う左側勢力の記事が、ほぼ平等に(これもまた政治的事情の産物)ニュースのトップ画面を飾っていたものである。ところが今日のトップは、例の「新型コロナウィルス」関連一色だ。

これは「左右対立」という政治コンセプトが、「日本の今」を有効に語る切り口として機能しなくなったことを意味すると思う。それで「建国記念の日」の意味合いが変わってしまっているのだ。

今となっては「建国記念の日」というのは、「年末年始の疲れを癒やすためのちょうどいい休日」ということになってしまっている。それ以上の意味を加えるのは、「消耗で無意味なゴタゴタ」の種にしかならないので、左右両陣営とも消極的だ。

というわけで、日本は客観的な「建国記念日」を特定できないほど歴史が古い国だから、「神話オリジン」にするしかない「東洋の神秘の国」ということで片づいている。そして記念日そのものは、もはや「フツーの休日」ということに落ち着いてしまったわけだ。

いかにも「東洋の神秘の国」らしいスタンスだと思ってしまうのだよね。

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2020/01/30

新型コロナウィルス問題で、少しは書いてみる。

夕刊フジが 【習政権「新型肺炎」感染者10万人超 “隠蔽” か!?】と伝えている。「18ヶ月以内に世界で 6500万人死亡も」いうおまけ見出し付きだ。「何でもありの毎日更新ブログ」としては、この問題について少しは書かないわけにいかないだろう。

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「世界で 6500万人死亡も」というのは、夕刊紙特有のセンセーショナル見出しで、東京スポーツのプロレス記事の「地響き立てて轟沈!」みたいなものかもしれない。とはいえ、中国政府の発表はそれとは対照的に「慎ましすぎるんじゃないの?」と言いたくなるのも道理である。

Huff Post によると、1月 29日に武漢市から政府のチャーター機で帰国した日本人 206人のうち、2人が肺炎と診断されたという(参照)。これが新型コロナウィルスによる肺炎であるとは断定されていないが、もしそうだとすると、206人の 0.97%、つまりほぼ 1%が感染していたということになる。

日本人の多くはおそらく、現地の中国人社会とはある程度の距離をおいた生活をしているだろうが、それでいてこの数字である。何しろ、武漢市からの観光客を乗せた日本のバス運転手とツアーガイドがしっかり感染していたというのだから、その感染力はかなり強い。

仮に「約 1%」という数字を人口 1,108万人という武漢市に当てはめると、10万人ぐらいの感染者がいてもおかしくないということになる。もしかしたら夕刊フジの記事の見出しは、こんなところから手っ取り早くもってこられたのかもしれない。

この数字があるいは「大袈裟すぎ」だとしても、1月 29日現在で中国政府の発表している「新型肺炎感染者数は 5,974人」というのは、印象論に毛の生えた程度の感覚ではあるが、やはりかなりの操作を加えた内輪すぎる数字とみられても仕方がないだろう。

2002〜2003年に問題になった SARS というのもコロナウィルスの一種が引き起こしたものだが、これには 8,096人が感染したと報告されている。今回の新型コロナウィルスによるものは、2年で 8,000人台の SARS より確実に大きな問題となるだろう。

不確実な情報に踊らされるのはご免だが、ここまでくると楽観視するわけにもいかない。この問題で中国社会が停滞したら、輸入される中国製品の量も減ってしまうだろうから、日本市場での需給バランスが崩れて経済問題にまで発展してしまう。

中国当局がこの問題で姑息な隠蔽に走るようだと、世界的な信用を失ってしまうよね。まあ、これまでにしてもあまり信用していたわけじゃないけど。

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2020/01/27

「因果は巡る」中国人の高級品爆買い

新型コロナウィルスによる肺炎の増加のあおりで、中国からの団体客が激減しており、ホテル業界や百貨店業界にとって大きな打撃になりそうだと、朝日新聞が伝えている。今や日本経済は中国人のインバウンド消費にかなり依存しているようなのだ。(参照

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すごいなあと思ってしまうのは、この記事に添えられたグラフの表す数字である。訪日客消費額 4兆8113億円のうち、36.8%にあたる 1兆7718億円を中国人が占めている。高級ブランドの売り上げとなるとさらに顕著で、次のように報道されている。

大丸心斎橋店では売り上げの3~4割を訪日外国人が占め、うち 9割以上は中国人による高級ブランドや化粧品などの購入だ。

まるでバブル期の日本人を思わせる猛烈な物欲である。

1980年代後半、日本人も「強い円」を背景に大挙して欧米に出かけ、高級ブランドを「爆買い」していた。実は当時、私も繊維業界の現役バリバリだったので、毎年のように欧米の各種展示会視察に出かけていたものだ。ブランド品の買い漁りだけは決してしなかったけどね。

出張は経費削減のため団体視察ツァーに混じることが多かったが、「ブランドもんは、どこに行ったら買えるねん?」という話ばかりに終始する業界内オッサンたちの世話を焼くのが、ものすごいストレスだったことを思い出す。オッサンたちは英語がからきしダメだから、一人ではメシも食えないのだ。

ちょっと買い物に付き合ってやれば、Nina Ricci のスカーフを鷲づかみにして「これって、ブランドもんか?」なんて聞いてくる。「あんた、それわからないで、よく繊維業界でメシ食ってられるな!」と言いたくなるのをグッと堪える。あの頃はまだ 30代半ばで、ツァーの中では「若手」だったしね。

バブル期のオッサン、オバサン(だけでなく、若い連中まで含めた日本人)は、外国に出るととにかく醜かった。一緒に道を歩くことさえイヤだったが、連中は、英語を話せる私を頼ってついて来たがる。「ガイド料払えよ!」と言いたくなるほどだった。

あの頃、日本の OL の 2人に 1人はヴィトンのバッグをぶら下げてたというから、あまり見たくない光景である。それが今、中国に移りつつあるわけだ。そして買い漁る市場は欧米よりも日本が主力である。

「因果は巡る」というのは、このことである。

 

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2019/12/26

「伊藤詩織/山口敬之」ケースと「桜を見る会」問題

「伊藤詩織/山口敬之」ケースについては、初めのうちは「所詮は痴情のもつれ」と思っていて、注目する気にはまったくなれなかった。しかし今回の裁判の被告となって敗訴してしまった山口敬之という男が、安倍晋三べったりのジャーナリスト(の名に値するか疑問だが)だったことを知るにつけ、安倍政権にとって「桜を見る会」以上のダメージになり得る話とわかって、改めて興味が湧いた。

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何しろ「桜を見る会」問題では、自身による「証拠隠滅」行為を「書類廃棄」と言い換え、あまつさえ電子データも壊れてしまったと言い張って恥じない安倍政権である。既に国民の支持は失っている。そして今回の「伊藤詩織/山口敬之」ケースはダメ押しとなるスキャンダルだ。

デイリー新潮の記事をそのまま全部鵜呑みにするわけではないが、この山口敬之という男、少なくとも個人的には好きこのんで付き合いたくなるようなタイプじゃないことだけは確かなようだ。やたらと人前で安倍首相に電話してみせたりする(参照)なんていうのは、悪趣味もいいところじゃないか。

よりによってこんな男に接近してしまった伊藤詩織さんこそ、身の不運というものだ。ただ、不運と思って諦めろというわけじゃなく、この山口敬之という男には、しっかりと落とし前をつけてもらわなければならない。

そしてこれが、安倍政権にとってのさらなるダメージとなることも明らかである。お友達だけで周囲を固めてしまうと、こんなやつも出てきてしまうということだ。

いずれにしても割と体制寄りの記事が多い印象の週刊新潮にこんな記事を書かれるようでは、安倍政権も先が長くない。

 

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2019/12/12

ステーキを毎日食いたいという環境大臣が、COP 25 で演説

小泉進次郎環境省の COP 25 での演説は、かなり歯切れの悪いものになったようだ(参照)。「毎日でもステーキを食べたい」と発言していた彼のことだからそんなものかと思い、具体的な発言を確認しようとググってみたら、こんな動画が見つかった。TBS ニュースの直撃取材の模様である。

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記者が「毎日ステーキ」発言について尋ねると、彼はまず、

「この質問って今までなかったと思いません?」
「それだけでも日本の中で、環境問題っていうのを考えるよいきっかけになるなと思います」

と、ずいぶん切れ味の悪いトボけ方で他人事のようなことを言う。こんなような、ちょっとシビアなツッコミには慣れていないようなのだね。まあ、お坊ちゃまだから。

彼自身は初めて受けた質問だったかも知れないが、肉食が地球温暖化の大きな要因であることは、環境に関わる者にとっては既に「イロハのイ」ほどの常識だ(参照)。「環境問題を考えるよいきっかけ」なんて段階を、世の中はとっくに通り過ぎている。

ましてや彼はコロンビア大学で政治学のマスターを取得して、今や環境大臣になっている身なのだから、この程度のことは当然熟知していなければならないのだが、彼の目の泳ぎ方をみると理解が不足しているとしか思われない。だからこそ、環境大臣のくせに「毎日ステーキを食べたい」なんて平気で言い出せたのだろうけど。

で、具体論としてその「毎日ステーキ」発言について問われると、

「毎日でも食べたいということは、毎日でも食べているというわけではないです」

なんて、今どき子供でも恥ずかしくて言わないようなことを言い出す。これ、純粋論理としては、毎日ステーキを食べつつ(さらに今後も)「毎日でもステーキを食べたい」と言っても何ら矛盾は生じないのだから、自らの「論理音痴」をさらけ出してしまっている。そしてその上、

「好きなもの食べたいときありません?」

と、「よくわからない問題では、余計なことは言わん方がいい」とアドバイスしてあげたくなるほどのアホ発言になる。これにはさすがに記者も呆れたのか、結構長い絶句の後に、

「そういうことを聞いているのではなく、大臣としてどう整理しているかを聞いている」

とツッコまれると、言うに事欠いて

「みんなにばれないようにステーキを食べている方が嘘くさくないですか?」

と来た。これが「大臣として整理した上での発言」ということのようなのだ。質問の趣旨を理解できないほど、ただひたすら「ステーキを食いたくてたまらない」ようなのである。全然セクシーじゃない。

ここに至って、この人のオツムの程度が理解できた。「フランクな会話を盛り上げる "カンとセンス" は悪くないみたいだけど、ちゃんとした話になると、要するに『おバカ』なのかもね」ということである。

その彼が、国際会議で環境に関する演説をしたという。もちろん英語で。

3日前まで「カタカナ英語」について 4回連続で論じたばかりだから、敢えて言わせてもらうと、彼の発音は "Thak you" が "Sank you" になりがちだけど、"L" と "R" の区別はちゃんとできているから、それほど恥ずかしいレベルじゃないみたいだよね。

敢えてもう一度言うが、彼は「フランクな会話を盛り上げる ”カンとセンス” は悪くない」ようだから、高度な知識と論理性が要求される話さえ注意深く避けさえすれば、日本国首相になら、なれないこともないだろう。トランプみたいなのが米国大統領になれてしまう世の中なんだし。

とくに彼の前に首相を勤めるにふさわしい人物がほかにいるかとなるとかなり疑問だから、下手するとその時期は案外早いかもしれない。そう思うと、なんだか冷や汗ものだなあ。

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2019/12/11

説明責任を果たさずに、政権に居座り続けられる世の中

この期に及んで、政府は「反社会的勢力の定義は困難」と言い出しているらしい。今回の「桜を見る会」問題で追求されているのは、「反社会的勢力の定義って何ですか?」ということではないのだから、こんな答弁で逃げ切ろうというのでは、オツムの中身を疑う必要があると言わなければならない。

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ちょっと前までは、閣僚たちはスキャンダルが報じられるとすぐに辞任したものだ。それに対して、大新聞などは「辞めるより説明責任を果たすことの方が大事だ」なんて、お約束のように批判していた。

実際には説明責任なんかまともには果たせないから、深く追求される前に辞める方がマシと判断していたのである。つまり、「説明できなければ辞めるしかない」というのが政治の世界の一応の常識だったのだ。

もう 10年以上も前の話でだいぶ風化しかけているのだが、小沢一郎の「陸山会事件」というのがあった。これに関して小沢は結果的には 2012年に「無罪」となったのだが、私はこの判決が出るだいぶ前の 2010年 10月に、"「推定無罪」と「本当に潔白」とのビミョーな差" という記事を書いている。

記事の中身は、"「有罪」が証明されなければ何人も「推定無罪」となる権利があり、小沢も「無罪」となるだろう。しかしこの場合、判決としての「無罪」は必ずしも「本当に潔白」ということを意味しない" というものだ。実際、小沢は形式的には「無罪」となりながら根本的な疑惑を払拭できず、実質的な政治生命を絶たれている。

このことを思い出すにつけ今の安倍政治は、あの疑惑にまみれた小沢時代よりずっとひどくなっていると考えざるを得ない。まともな説明なんか全然できないくせに、なぜか政権に居座り続けることができるているのだから。

つまり 10年前の常識が通用せず、権力者はその座に「居座り放題」の政治風土になりかけているのだ。この「なりかけ状態」が、完了形の「なってしまった状態」に固定化される前に、安倍首相を退陣に追い込まなければ、この先どんなひどい状態になるか知れたものではない。

こうしてみると、政府が「反社会的勢力の定義は困難」と言いたくなるのも道理である。まともに定義したら、自分たち自身がその中に含まれてしまうからね。

 

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2019/11/25

死ぬなよ、香港!

私は今月に入ってからというもの、香港の自由は既にほとんど「死に体」という気がしていて、自由を求める人たちは今のうちに香港を脱出した方がいいんじゃないかとまで思っていた。しかし香港区議選で民主派が圧勝したことで、「香港はまだ死んでない」と思い直した。まだ一縷の望みはある。

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香港の自由を求める人々の運動に関して、私は過去に「香港の自由を守る運動に心の底から共感」「香港の自由を求める闘いにエールを送る」と、2本の記事を書いている。ところが、先月来のデモ隊に対する当局の強権的な態度を見て、「こりゃ、もうダメなんじゃあるまいか」と思い始めていたのである。

しかしそれは弱気な態度だった。香港市民は選挙でしっかりと自分たちの意思を示すことに成功した。この成果を香港当局は無視できないだろうし、習近平の強気なやり方にだって何らかの影響を与えずに済まないだろう。

「一国二制度」という極めて変則的な政治のあり方が、もう少し維持できるだろうとの望みが出てきた。この動きに、改めて精一杯のエールを送りたい。

死ぬなよ、香港!

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2019/11/15

そんなにまで安倍晋三と一緒に写真に写りたいのかね

近頃は例の「桜を見る会」の話題でもちきりである。なんでも当日は新宿御苑は貸し切り(つまり一般客は入園禁止)で、18,000人もの人がワイワイガヤガヤと浮かれまくっていたのだそうだ。

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いわば「チョー大規模な懇親パーティ」だよね。この IKKO (って表記でいいんだよね?)というタレントみたいに、白無垢の着物で首相の腕にぶら下がり、ことさらなポーズで目立ちまくることで何らかの存在意義を発揮し、安倍晋三にとっても変なパブリシティ効果があったりする(あるいは「あったりしていた」)わけだ。

で、今年 4月までは、この「桜を見る会」に招待されることは結構なステイタスになったりしていたんだろうが、今となってはこんな「証拠写真」まで公にされちゃって、「うわ、はしゃぎ過ぎ、カッコわる〜」に変わってしまったわけである。まさに『時代は変わる』わけで、あまり浮かれちゃいけないってことだ。

私なんか、「そんなにまで安倍晋三と一緒に写真に写りたいのかね」と、呆れるばかりである。下手したら「末代までの恥」になりかねないのに。それにしても、みんな楽しそうに写っていて、「こういうの、好きなんだろうなあ」と思わせられるばかりだ。とくに白無垢の着物の人。

山口県の藤井律子・周南市長は、自身のブログで 2014年と18年の「桜を見る会」出席記事を削除していたという。18年の記事では、片山さつき議員に「山口県からたくさんの人が来てくださっているわね~。10メートル歩いたら、山口県の人に出会うわよ!」と声をかけられたと、余計なことまで書いていたらしい。(参照

まあ、どこの業界でも総会なんかの後には一流ホテルで懇親パーティを開いたりするものである。私の関係していた繊維業界やアパレル業界でも、バブルの頃にはホテル・オークラやニューオータニで派手なパーティをしていた。

当時の私はプレス関係とか当事者の端くれみたいな立場で、仕事だからしかたなく参加していたが、ちっとも楽しくはなかったね。終わったら二次会なんかに行かず、さっさと帰っていたものだ。

この「桜を見る会」に参加するような人たちってのは、終わって暗くなっても、「人脈作り」とか「票や仕事を固めるお付き合い」とかで、いろいろ大変なんだろうなあと思うばかりである。来年は中止だそうだから、また何か別な集まり(目立ちすぎず地味すぎない、ちょうどいい頃合いのヤツね)を考えて暗躍する人たちが出てきそうだ。

 

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2019/09/01

香港の自由を求める闘いにエールを送る

私は過去に香港と中国の政治的関係については 2度書いている。先月 15日の「香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ」と、5年近く前の「香港の自由を守る運動に心の底から共感」という記事だ。

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はっきり言って、私は香港が好きである。前世紀(80年代〜90年代)は何度も仕事で行って、気持ちのいい交流をもった。その香港が今、中国政府によって蹂躙されようとしている。これは見過ごすことができない。

Newsweek は、"「生きるか死ぬか」香港デモ参加者、背水の陣" と伝えている。香港市民の気持ちはよくわかる。「自由がなければ生きている意味がない」とまで思い詰めているのだろう。

「死んだら終わりだ。中国本土でも何億という人たちが生きているのだから、それほどの危険を冒してまで戦う意味があるのか?」と言う人もいるだろう。しかし、一度自由というものを知ってしまったら、それを失うのは命を失うのと変わりないと思うのも自然だ。自由とはそれほどまでに重要なものだ。

自由を抑圧した体制は、いつか滅びる。人間は自由を求める生き物だからである。中国の現体制は、「欲」と「自由」を天秤にかけて、「欲の優先」を選択しているとしか思われない。私のような「貧乏しても自由を求める」タイプには、到底耐えきれない価値観だ。

さらに言えば、実際には自由を保障する方が世の中は栄えるのである。ただ、一部の層への権力集中がなくなってしまうだけだ。これは長い歴史が証明している。私は「一部の層」という存在には嫌悪感しか持たないから、香港の自由を求める闘いには心からエールを送る。

こうしたことを論じた私の記事には、どういうわけかあまり賛同のコメントが付かない傾向がある。香港の事情は日本からは遠いものと感じられるのかもしれないが、私はこの姿勢は変えるつもりがないので、よろしく。

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