カテゴリー「経済・政治・国際」の534件の記事

2019/12/12

ステーキを毎日食いたいという環境大臣が、COP 25 で演説

小泉進次郎環境省の COP 25 での演説は、かなり歯切れの悪いものになったようだ(参照)。「毎日でもステーキを食べたい」と発言していた彼のことだからそんなものかと思い、具体的な発言を確認しようとググってみたら、こんな動画が見つかった。TBS ニュースの直撃取材の模様である。

191212

記者が「毎日ステーキ」発言について尋ねると、彼はまず、

「この質問って今までなかったと思いません?」
「それだけでも日本の中で、環境問題っていうのを考えるよいきっかけになるなと思います」

と、ずいぶん切れ味の悪いトボけ方で他人事のようなことを言う。こんなような、ちょっとシビアなツッコミには慣れていないようなのだね。まあ、お坊ちゃまだから。

彼自身は初めて受けた質問だったかも知れないが、肉食が地球温暖化の大きな要因であることは、環境に関わる者にとっては既に「イロハのイ」ほどの常識だ(参照)。「環境問題を考えるよいきっかけ」なんて段階を、世の中はとっくに通り過ぎている。

ましてや彼はコロンビア大学で政治学のマスターを取得して、今や環境大臣になっている身なのだから、この程度のことは当然熟知していなければならないのだが、彼の目の泳ぎ方をみると理解が不足しているとしか思われない。だからこそ、環境大臣のくせに「毎日ステーキを食べたい」なんて平気で言い出せたのだろうけど。

で、具体論としてその「毎日ステーキ」発言について問われると、

「毎日でも食べたいということは、毎日でも食べているというわけではないです」

なんて、今どき子供でも恥ずかしくて言わないようなことを言い出す。これ、純粋論理としては、毎日ステーキを食べつつ(さらに今後も)「毎日でもステーキを食べたい」と言っても何ら矛盾は生じないのだから、自らの「論理音痴」をさらけ出してしまっている。そしてその上、

「好きなもの食べたいときありません?」

と、「よくわからない問題では、余計なことは言わん方がいい」とアドバイスしてあげたくなるほどのアホ発言になる。これにはさすがに記者も呆れたのか、結構長い絶句の後に、

「そういうことを聞いているのではなく、大臣としてどう整理しているかを聞いている」

とツッコまれると、言うに事欠いて

「みんなにばれないようにステーキを食べている方が嘘くさくないですか?」

と来た。これが「大臣として整理した上での発言」ということのようなのだ。質問の趣旨を理解できないほど、ただひたすら「ステーキを食いたくてたまらない」ようなのである。全然セクシーじゃない。

ここに至って、この人のオツムの程度が理解できた。「フランクな会話を盛り上げる "カンとセンス" は悪くないみたいだけど、ちゃんとした話になると、要するに『おバカ』なのかもね」ということである。

その彼が、国際会議で環境に関する演説をしたという。もちろん英語で。

3日前まで「カタカナ英語」について 4回連続で論じたばかりだから、敢えて言わせてもらうと、彼の発音は "Thak you" が "Sank you" になりがちだけど、"L" と "R" の区別はちゃんとできているから、それほど恥ずかしいレベルじゃないみたいだよね。

敢えてもう一度言うが、彼は「フランクな会話を盛り上げる ”カンとセンス” は悪くない」ようだから、高度な知識と論理性が要求される話さえ注意深く避けさえすれば、日本国首相になら、なれないこともないだろう。トランプみたいなのが米国大統領になれてしまう世の中なんだし。

とくに彼の前に首相を勤めるにふさわしい人物がほかにいるかとなるとかなり疑問だから、下手するとその時期は案外早いかもしれない。そう思うと、なんだか冷や汗ものだなあ。

| | コメント (5)

2019/12/11

説明責任を果たさずに、政権に居座り続けられる世の中

この期に及んで、政府は「反社会的勢力の定義は困難」と言い出しているらしい。今回の「桜を見る会」問題で追求されているのは、「反社会的勢力の定義って何ですか?」ということではないのだから、こんな答弁で逃げ切ろうというのでは、オツムの中身を疑う必要があると言わなければならない。

191211

ちょっと前までは、閣僚たちはスキャンダルが報じられるとすぐに辞任したものだ。それに対して、大新聞などは「辞めるより説明責任を果たすことの方が大事だ」なんて、お約束のように批判していた。

実際には説明責任なんかまともには果たせないから、深く追求される前に辞める方がマシと判断していたのである。つまり、「説明できなければ辞めるしかない」というのが政治の世界の一応の常識だったのだ。

もう 10年以上も前の話でだいぶ風化しかけているのだが、小沢一郎の「陸山会事件」というのがあった。これに関して小沢は結果的には 2012年に「無罪」となったのだが、私はこの判決が出るだいぶ前の 2010年 10月に、"「推定無罪」と「本当に潔白」とのビミョーな差" という記事を書いている。

記事の中身は、"「有罪」が証明されなければ何人も「推定無罪」となる権利があり、小沢も「無罪」となるだろう。しかしこの場合、判決としての「無罪」は必ずしも「本当に潔白」ということを意味しない" というものだ。実際、小沢は形式的には「無罪」となりながら根本的な疑惑を払拭できず、実質的な政治生命を絶たれている。

このことを思い出すにつけ今の安倍政治は、あの疑惑にまみれた小沢時代よりずっとひどくなっていると考えざるを得ない。まともな説明なんか全然できないくせに、なぜか政権に居座り続けることができるているのだから。

つまり 10年前の常識が通用せず、権力者はその座に「居座り放題」の政治風土になりかけているのだ。この「なりかけ状態」が、完了形の「なってしまった状態」に固定化される前に、安倍首相を退陣に追い込まなければ、この先どんなひどい状態になるか知れたものではない。

こうしてみると、政府が「反社会的勢力の定義は困難」と言いたくなるのも道理である。まともに定義したら、自分たち自身がその中に含まれてしまうからね。

 

| | コメント (2)

2019/11/25

死ぬなよ、香港!

私は今月に入ってからというもの、香港の自由は既にほとんど「死に体」という気がしていて、自由を求める人たちは今のうちに香港を脱出した方がいいんじゃないかとまで思っていた。しかし香港区議選で民主派が圧勝したことで、「香港はまだ死んでない」と思い直した。まだ一縷の望みはある。

191125

香港の自由を求める人々の運動に関して、私は過去に「香港の自由を守る運動に心の底から共感」「香港の自由を求める闘いにエールを送る」と、2本の記事を書いている。ところが、先月来のデモ隊に対する当局の強権的な態度を見て、「こりゃ、もうダメなんじゃあるまいか」と思い始めていたのである。

しかしそれは弱気な態度だった。香港市民は選挙でしっかりと自分たちの意思を示すことに成功した。この成果を香港当局は無視できないだろうし、習近平の強気なやり方にだって何らかの影響を与えずに済まないだろう。

「一国二制度」という極めて変則的な政治のあり方が、もう少し維持できるだろうとの望みが出てきた。この動きに、改めて精一杯のエールを送りたい。

死ぬなよ、香港!

| | コメント (2)

2019/11/15

そんなにまで安倍晋三と一緒に写真に写りたいのかね

近頃は例の「桜を見る会」の話題でもちきりである。なんでも当日は新宿御苑は貸し切り(つまり一般客は入園禁止)で、18,000人もの人がワイワイガヤガヤと浮かれまくっていたのだそうだ。

1911152

いわば「チョー大規模な懇親パーティ」だよね。この IKKO (って表記でいいんだよね?)というタレントみたいに、白無垢の着物で首相の腕にぶら下がり、ことさらなポーズで目立ちまくることで何らかの存在意義を発揮し、安倍晋三にとっても変なパブリシティ効果があったりする(あるいは「あったりしていた」)わけだ。

で、今年 4月までは、この「桜を見る会」に招待されることは結構なステイタスになったりしていたんだろうが、今となってはこんな「証拠写真」まで公にされちゃって、「うわ、はしゃぎ過ぎ、カッコわる〜」に変わってしまったわけである。まさに『時代は変わる』わけで、あまり浮かれちゃいけないってことだ。

私なんか、「そんなにまで安倍晋三と一緒に写真に写りたいのかね」と、呆れるばかりである。下手したら「末代までの恥」になりかねないのに。それにしても、みんな楽しそうに写っていて、「こういうの、好きなんだろうなあ」と思わせられるばかりだ。とくに白無垢の着物の人。

山口県の藤井律子・周南市長は、自身のブログで 2014年と18年の「桜を見る会」出席記事を削除していたという。18年の記事では、片山さつき議員に「山口県からたくさんの人が来てくださっているわね~。10メートル歩いたら、山口県の人に出会うわよ!」と声をかけられたと、余計なことまで書いていたらしい。(参照

まあ、どこの業界でも総会なんかの後には一流ホテルで懇親パーティを開いたりするものである。私の関係していた繊維業界やアパレル業界でも、バブルの頃にはホテル・オークラやニューオータニで派手なパーティをしていた。

当時の私はプレス関係とか当事者の端くれみたいな立場で、仕事だからしかたなく参加していたが、ちっとも楽しくはなかったね。終わったら二次会なんかに行かず、さっさと帰っていたものだ。

この「桜を見る会」に参加するような人たちってのは、終わって暗くなっても、「人脈作り」とか「票や仕事を固めるお付き合い」とかで、いろいろ大変なんだろうなあと思うばかりである。来年は中止だそうだから、また何か別な集まり(目立ちすぎず地味すぎない、ちょうどいい頃合いのヤツね)を考えて暗躍する人たちが出てきそうだ。

 

| | コメント (4)

2019/09/01

香港の自由を求める闘いにエールを送る

私は過去に香港と中国の政治的関係については 2度書いている。先月 15日の「香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ」と、5年近く前の「香港の自由を守る運動に心の底から共感」という記事だ。

190901

はっきり言って、私は香港が好きである。前世紀(80年代〜90年代)は何度も仕事で行って、気持ちのいい交流をもった。その香港が今、中国政府によって蹂躙されようとしている。これは見過ごすことができない。

Newsweek は、"「生きるか死ぬか」香港デモ参加者、背水の陣" と伝えている。香港市民の気持ちはよくわかる。「自由がなければ生きている意味がない」とまで思い詰めているのだろう。

「死んだら終わりだ。中国本土でも何億という人たちが生きているのだから、それほどの危険を冒してまで戦う意味があるのか?」と言う人もいるだろう。しかし、一度自由というものを知ってしまったら、それを失うのは命を失うのと変わりないと思うのも自然だ。自由とはそれほどまでに重要なものだ。

自由を抑圧した体制は、いつか滅びる。人間は自由を求める生き物だからである。中国の現体制は、「欲」と「自由」を天秤にかけて、「欲の優先」を選択しているとしか思われない。私のような「貧乏しても自由を求める」タイプには、到底耐えきれない価値観だ。

さらに言えば、実際には自由を保障する方が世の中は栄えるのである。ただ、一部の層への権力集中がなくなってしまうだけだ。これは長い歴史が証明している。私は「一部の層」という存在には嫌悪感しか持たないから、香港の自由を求める闘いには心からエールを送る。

こうしたことを論じた私の記事には、どういうわけかあまり賛同のコメントが付かない傾向がある。香港の事情は日本からは遠いものと感じられるのかもしれないが、私はこの姿勢は変えるつもりがないので、よろしく。

| | コメント (4)

2019/08/15

香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ

8月 12日付の FNN PRIME に "Tシャツの「香港」が... ベルサーチ謝罪 アンバサダー女優も批判" という記事がある。

190815

どういうことかというと、ベルサーチの Tシャツの背中に世界の大都市と国名を記したプリントがあり、その中で "Hong Kong - HONG KONG" "Macau - MACAO" (「香港 - 香港」「マカオ - マカオ」)と記されていたというのである。なるほど、写真を拡大して見ると明らかだ。

1908152

このため、香港とマカオの領有権を主張する中国では批判が相次いでおり、ベルサーチの「アンバサダー」(海外セールス・プロモーションのキャラクター?)を務める中国女優まで「中国の主権と領土保全を侵害した疑いがあり、非常に憤りを感じる」と、契約を解除する声明を出すまでになっているという。

この記事を読んで私は思わず、「その Tシャツ、欲しい!」と画像入りで tweet しちゃったよ(参照)。できればこれを来て街を歩き、香港の自由を守る運動を展開している香港人(私の知り合いも参加しているはずだ)を及ばずながら応援する姿勢を示したい気持からである。

1908153

ところがその真意が伝わらなかったようで、この tweet には「いいね」が 1個も付かなかった。こうした話はくどくど書いたら粋じゃないと思ったのだが、どうやらいくら何でも説明不足だったようだね。というわけで、今さらのようにこうして野暮な記事を書いている。

実際にはベルサーチの Tシャツなんてやたら高いし、ベルサーチも大市場の中国を失うことを恐れて市場から回収しているだろうから、もう入手できないと思う。こうなったら誰かコピーを作って安く売ってくれないかなあ。"Versace" の文字さえ入れなかったらデザイン侵害じゃないと言い張れるだろうし。

香港の民主化運動については、4年近く前にも「香港の自由を守る運動に心の底から共感」というタイトルで書いている。その時から、というか 30年以上前から私の気持ちは変わらない。

というわけで、この記事のことは Twitter に載せるので、賛同する方は思いっきり「いいね」を付けたりリツィートしたりして広めていただきたいものである。

| | コメント (0)

2019/07/22

参院選結果に関して

参院選が終わって、結果が出た(下の図はクリックで拡大表示される)。一口に言えば「改憲勢力は 3分の2 をわずかに下回った」ということで、昨年初めに「当分の間 「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行きたい」と表明した私としては少しだけホッとしている。ただ、それはあくまでも「少しだけ」のことだ。

190722

「少しだけ」というのは、野党勢力の中にも下手すると改憲に傾きそうな議員がいるからで、もしかしたらこのあたりで切り崩しが行われるかもしれない。こうした連中はちょっと甘い餌を示したら平気で寝返るので、油断がならない。

私としては、実は投票率が 50%を下回ったことの方を危惧している。「改憲」という大きな争点のある選挙で無関心を決め込む有権者が多いtというのは、かなり「ヤバい」ことのように思われるのだ。

「政治のことは、専門の人たちでどうぞお好きなように」という姿勢が、とくに若い層で目立つような気がするのである。「どうぞお好きなように」と言っているうちに、とんでもないことになるリスクまでは考えていないようなのだ。

私としては、上述の昨年初めの記事で書いたように、安倍首相主導による改憲というのはアブなすぎると思っている。どうみても現代の民主国家の憲法観を逸脱している。彼の思いのままに改憲なんてされたら、やたらと息苦しい国になってしまうだろう。

右傾化は世界的な傾向という認識があるが、トランプにしろ安倍首相にしろ、頭の中が単純で幼すぎる。こうした単純な幼さに共感する有権者が多いというのは、世界の頭の中まで同様に幼くなっていることを意味する。

きちんとした大人であり続けることが、ちょっと難しい世の中になっているようだ。

| | コメント (2)

2019/07/18

お父さんの恋人は現在進行形、お母さんの恋人は過去形

安倍首相が参院選の応援演説で「お父さんも恋人を誘って...... お母さんも昔の恋人を探し出して、投票箱に足を運んでいただくよう......」と発言したというのは、当初のニュースでは「言い間違えた」みたいなニュアンスで伝えられていた。しかし動画(下の画像をクリックすると表示される)を見るとそんなものじゃない。どう聞いても「確信犯」としか思われないよね。

190718

彼としては軽いユーモアを交えたぐらいのつもりだったのかもしれないが、まともな常識さえあればこんなことは恐ろしくて言えない。欧米だったら非難囂々の大問題になるだろう。この程度の取り上げられ方で済んでいる日本という国は、妙な意味で大人すぎるところがある。ちなみにこの演説の「ヤバい点」を挙げると、次のようになる。

  1. 日頃強調する「家族の大切さ」は、「お妾さん」を当然とする価値観だった
    選択的夫婦別姓に関しては「家族の解体を意味する」として反対を表明していた安倍首相が「お父さんも恋人を誘って」と、不倫を前提とする文脈で語るのは、「妾がいて当然」という戦前的家族観への回帰願望を反映しているよね。

  2. お父さんは恋人がいても、お母さんは不倫しちゃいけない
    「お父さんも恋人を誘って」の対句のように続くのが「お母さんも昔の恋人を探し出して」という言葉である。お父さんの恋人は現在進行形でも、お母さんの場合は過去形でなければならず、しかも「探し出す」必要があるほど縁遠くなっていなければならないというわけだ。かなり歪んではいるが厳然とした女性差別的価値観が表明されている。

  3. 「投票所」じゃなく「投票箱」に足を運んでもらいたいのね
    世間一般では「投票所に足を運んでいただきたい」というのが「ごくフツーの表現」になっているが、安倍首相は敢えて「投票箱に足を運んでいただきたい」と、一種異様な言い方をしている。彼の関心の対象が投票所に行く有権者の意識よりも「投票箱の中身」でしかないことが、無意識的かつ、あからさまに表現されている。

元々安倍首相は「あんまりオツムのよろしくない人」と思ってはいたが、いよいよ「アブない人」の本性が無意識的な言い方の中に露骨にさらけ出される段階に達したようだ。このような「戦前的思想」の持ち主を、この国は総理大臣としてありがたがっているのである。

ちなみに彼が「選択的夫婦別姓」に反対なのは、「妻が別姓だと、妾と区別つかないじゃん!」と心のどこかで思っているからに違いないと、今さらのように思い当たった。彼の価値観としては、「本妻ならつべこべ言わずに、夫の姓を名乗れることを幸せに思え」ってことなのだろうね。

| | コメント (4)

2019/06/02

「七段ピラミッド」とか「子どもは最低三人産め」とか

桜田議員が「子どもは最低 3人産んで」と、またしても「言わなくてもいいことを、いい気持ちで言っちゃった」ケースで炎上してしまっている。よくよく懲りない人である。

190602

「悪気があって言ってるわけじゃないんだから」と擁護する向きもあるようだが (参照)、この人の場合、確かに「悪気」はなさそうだが、それ以上に「深い考え」というのもなさそうなのが問題なのだ。なにしろ国会議員なんだしね。私が時々言う「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」というテーゼを想起されたい。(参照

5月 30日付の "「放言・暴言・失言の製造機」桜田議員が「子ども最低 3人産んで」発言で炎上の何が問題なのか" という記事で、在英ジャーナリストの木村正人氏は、第二次大戦の敗戦国である日本やドイツ、イタリアがいずれも少子高齢化に苦しんでいることについて、戦勝国側の人口抑制アタックがあったからではないかと、次のように指摘している。

昭和 16(1941)年 1月 22日に閣議決定された人口政策確立要綱で「昭和 35年総人口 1億(内地人)」「今後 10年間で婚姻年齢を現在より約 3年早めるとともに夫婦の出生数を平均 5児に達すること」を目標として定めました。戦争遂行と版図拡大のためでした。

(中略)

婦人参政権が認められた戦後の総選挙で39人の女性代議士が誕生し、第1号の加藤シヅエさんらの議員立法で 48年、人工中絶の違法性を阻却する優生保護法(現・母体保護法)が施行されました。米国で連邦最高裁判決が「中絶は女性のプライバシー権」と認めたのはその 25年後です。

つまり、太平洋戦争直前の日本は「超」の字を付けてもいいくらいの積極的人口増加促進策を遂行していたが、戦後は対照的なまでの人口増加抑制策に転換した。そこには戦勝国である米国の意図があったのではないかと、木村氏は指摘しているわけだ。

思えば私が中学時代の社会科の教師は、日教組そのものの左翼教師だったが、彼もまた「子どもは 3人以上産まないと、日本の人口が減ってしまう」なんてことを言っていた。昭和40年代初頭(1960年代半ば)のことである。彼のこの発言の裏には、暗に人口抑制を押しつける米国への本能的反発があったんじゃないかと思う。

そして時代はめぐり、平成から令和の時代となった今、今度は自民党の議員がやたらと「子どもは 3人以上」なんてことを言い出した。これはもう、「戦後への反発」としか言いようがない。昔は共産党を含めた左翼が「子どもはたくさん産んで楽しい家庭を」なんて言っていたが、今はモロに逆である。本当に時代は変わるものである。

昨今の保守派からの「子どもは 3人以上」というプレッシャーには、一昨日書いた "「七段ピラミッド」だの「四段タワー」だの" という記事で触れた、七段ピラミッドにこだわりたがる体育会系教師と共通した意識を感じてしまう。「個人は全体(国)のために」という妙な美意識だ。

そりゃあ私だって、公(おおやけ)ために尽くすのは尊い行為だと思う。しかしそれは自発的なものだからいいのであって、上から押しつけられるのは真っ平ご免だ。娘を 3人育てた私が言うのだから、「文句あるか!」ってなものである。

 

| | コメント (2)

2019/05/24

英国のメイ首相が「イタドリ」呼ばわりされているらしい

Yahoo ニュースの ”「日本から持ち込まれたイタドリ」と呼ばれたメイ英首相が 6月 7日辞任 しかし本当のイタドリは別にいる” という記事の見出しに、「一体どういうこっちゃ?」とつられて読んでしまった。

190524

イタドリというのは結構おいしい山菜で、別名「スカンポ」とも呼ばれる。春先になると山の中の日当たりのいいところに生えて、節のある茎が空洞になっているので、根元から折るようにして採ると「ポンッ」と小気味のいい音がする。メイ首相がどうしてイタドリ呼ばわりされるのか、記事を読んで初めてわかった。

イタドリはシーボルトが日本から欧州に持ち込んだらしいのだが、英国の地で帰化植物として大繁殖し、コンクリートや道路の舗装に亀裂を入れながら広まってしまったのだそうだ。家の床を突き破るほどの繁殖力で、英国全体で 1億 6600万ポンド(約230億円)の被害をもたらしているという。

そんなわけで、EU との間で結んだ離脱合意が下院で 3度否決されてもなかなか辞めず、国に大損害をもたらしたとみられるメイ首相は、「イタドリ」と言われてしまっているのだそうだ。ちなみにイタドリは英語で ”Japanese knotweed" というらしい。

この記事の筆者で在英ジャーナリストの木村正人氏は、本当のイタドリは別にいると主張する。それは EU を離脱しても英国経済はこれまで以上に繁栄するという幻想を撒き散らす主権主義者の強硬離脱派たちだというのである。たしかに常識的に考えれば「合意なき離脱」は大きなリスクだが、英国では「とにかく離脱しちまえ!」という声が大きいようなのだ。

大繁殖して忌み嫌われている帰化植物といえば、英国でのイタドリ同様に、米国の「葛(クズ)」が挙げられる。ケンタッキーあたりでは、下の写真のように葛に覆われ尽くした村から、住民が逃げ出すというほどにまでなっているらしい。

1905242

日本では「葛の葉伝説」というのまであるほど人々の心の琴線に触れる植物なのだが、所変わればこんなになってしまうのだね。こんなところからも排外主義のポピュリズムが台頭してしまうのかもしれない。

 

| | コメント (6)

より以前の記事一覧