どういうわけか、唐突に「トニー谷」を思い出してしまった。今の若い人は知らないだろうが、昭和 20年代から結構売れっ子だったボードビリアンである。その後に一時的な低迷期もあったようだが、1960年代の「アベック歌合戦」という番組の司会でテレビの世界に復活した。

上の写真を見ると『おそ松くん』の「イヤミ」を連想する人が多いかもしれないが、作者の赤塚不二夫大先生が自ら語っているように、そのモデルが他ならぬこのトニー谷である。ただ、漫画での名前が「イヤミ」になっていることからもうかがわれるように、当人のキャラもモロに嫌みだった。
この「嫌み芸」のイメージは昭和 30年代初頭に最高潮に達していたようで、たまに見るモノクロの娯楽映画に登場するトニー谷は、とにかく「低俗」を絵に描いたような役柄だった。もっとも当時、私はまだ 10歳にもなっていなかったのであまり明確な記憶としては残っていないのだが。
この「嫌み」な芸風は日本の津々浦々まで知られていたらしく、私が子どもの頃にちょっとシニカルな口の利き方をすると、祖父母に「トニー谷じゃあるまいし!」なんて叱られたものである。とにかく、「嫌われ者」でありながら、わけのわからない人気のあった芸人だったわけだ。
私が明確に憶えているのは 1962年にテレビの世界に登場した「アベック歌合戦」の司会者としてのトニー谷だが、我が家にテレビが導入されたのは 1964年の東京オリンピックがきっかけだったので、実際にはそれほど長い間注目していたわけではない。今思えば、絵に描いたような低俗番組だったし。
トニー谷がサンバもどきのリズムで拍子木を打ち鳴らしながら、ノー天気に「♫ あんたのお名前何てェの?」と問いかけると、素人の出場カップルが「♫ 〇⚫△◇と申します」と答え、いろいろ話になった後に、とても人前で歌うようなレベルじゃない下手な歌をデュエットで歌うというものだった。
その歌を審査員が採点するのだが、はっきり言って点数付けるに値するような代物じゃなく、あんな番組がどうしてウケたのかさっぱりわからない。強いて言えばトニー谷の、あの賑やかでノー天気なリズム感にテキトーに悪趣味を散りばめた芸のスタイルが、時代の「ツボ」だったのかもしれない。
当時の私としては何と言っても、ザ・ピーナッツとクレイジー・キャッツの「シャボン玉ホリデー」が最高と思っていて、その系譜を引くのがタモリと信じている。ただ、そのタモリの「ハナモゲラ語」は、よく考えればトニー谷のデタラメ英語「トニングリッシュ」の系譜でもあるのだろう。
そう言えば、インチキ外国語では、系譜はちょっと違うものの 藤村有弘 というのもいた。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの初代の声の人である。私はインチキ・イタリア語の「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ・・・トルナラトッテミーヨ」というのが好きだったなあ。
よく考えてみると、タモリはジャズのテイストとお笑いをミックスしたクレイジー・キャッツ(参照)と、シニカル芸のトニー谷の両方の系譜をうまくブレンドして、独自に昇華してしまったのかもしれない。その意味では、トニー谷は芸能史的に無視できない存在ではある。
いずれにしても、よくわからない存在なのだが。
そう言えば、小学校の頃に算数の授業でソロバンをさせられた時、私はトニー谷流で「ビギンのリズム」をかき鳴らす練習ばかりして怒られていたなあ。そのせいで、ソロバンを使った計算は今でもできない(参照)。
【2月 26日 追記】
Wikipedia 「トニー谷」で「舞台裏」の項に、そろばん芸について次のような記述のあるのに気付いた(参照)
そろばんを使った芸も本来は坊屋三郎のアイデアで、坊屋は芸を盗まれたことに激怒していたという。
しかし私としては、坊屋三郎ではウォッシュボード(アメリカの洗濯板)を使った芸は印象に残っているものの(参照)、そろばん芸を見た記憶はないんだがなあ。そろばん芸は同じようなリズム効果を発揮するものの、ウォッシュボード芸よりずっと下世話な印象ではある。
あるいは私が坊屋三郎のそろばん芸を知らないだけなんだろうか。
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