7月 20日付「今回のオリンピックを象徴するようなドタバタ」で小山田圭吾という男関連のドタバタに触れたという経緯があるので、今回の「小山田圭吾、自身が語ったいじめ行為について経緯説明と謝罪文を公開」という件についても触れないわけにいかないだろう。
とりあえずは、昨日付で発表された「【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】」というのをざっと読んでみた。このページ、アクセスが多いらしくて、表示されるまでやたらと時間がかかってうんざりしたけどね。
この文章で徹頭徹尾強調されているのは、「自分がいじめに直接関わったわけじゃない」ということだ。以下のように描かれている。
『ROCKIN'ON JAPAN (1994年1月号)』の誌面にて見出しとして記載され、この度多く報道されていた「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。
「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。
「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。
本心としては「直接関わったんじゃない」というのを、免罪符みたいに振りかざしたかったのかもしれないが、そこまでは至っていない。全体を通してやたら言い訳がましいくどくどした記述の多いのが、やや「往生際の悪さ」を感じさせるものの、辛うじてギリギリのところで踏みとどまれてよかったね。
ただ、これを読んで「なぁんだ、そんなことだったのか」で済めばいいのだが、残念ながらそうはならない。実際のインタビュー(抜粋参照)ではこんな風には語っておらず、その場に居合わせてしっかり楽しんでいたと受け取るのが自然な語り口だったじゃないか。
結局のところ早く言ってしまえば、東スポの見出しにあるように、"小山田圭吾「いじめ自慢」は〝キャラ変〟失敗の産物" とするのが一番納得できる解釈だろう。「〝ポップ小山田〟から〝アングラ小山田〟へのキャラ変」を図るために、必要以上に悪ぶってみせる必要を感じていたわけだ。
今回の「お詫びと経緯説明」でも、自ら次のように書いている。
当時は、自分に対してなんとなく定着してしまったイメージを破り、露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うことで、世間との距離を取ることを意識していました。自分の作品に対する自信のなさも、そういった言動の原因になっていたと思います。
「世間との距離を取ることを意識」とか「自分の作品に対する自信のなさ」というのはこの文脈に直接関係なくて、かなり混乱が感じられるが、まあ、この際正直になるついでに、そんなところまで言ってしまいたくなったんだろう。
ただそうした(かなり自分勝手な)理由があったにせよ、そのために過去の「いじめ体験」(あるいは「いじめ現場居合わせ体験」?」を得意げに語ってしまったというのは、いかにも考えが浅すぎる。今回のオリンピック前のドタバタは、自ら招いたことに変わりはない。
さらに言えば、露悪的に「いじめ自慢」をすることで「ポップ小山田」から「アングラ小山田」にキャラ変にできるなんて考えたのが、そもそもの了見違いである。「アングラ」って、そういうものじゃないんだよね。
今回の騒動に辛うじてポジティブな意味を見出すとすれば、「軽い気持ちでいじめに加担すると、後々になって大変なことになって、人生を台無しにしてしまう可能性まであるんだよ」と世間に認識させたことだろう。これが「いじめ防止要因」効果を発揮するように願いたい。
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