このテーブルに 100万円出す人もいるんだろうけど
Japaaan のサイトに、"日本伝統の建築技術を取り込んだテーブル「六枝掛(ろくしがけ)」" というのが紹介されている(参照)。見出しには「見よ! この存在感!」とあるのだが、私には「妙な存在感あり過ぎ」で、結局のところ「違和感全開」に見えてしまう。
紹介記事には次のようにある。
本商品は、日本伝統の寺社建築技術を活用したオフィス・家庭用の応接テーブルです(ソファーと併用するタイプ)。商品名称にもなっている「六枝掛」とは、日本の寺社の重い瓦屋根を支えるための技術です。
私としては「重い瓦屋根を支える」技術なら、天井裏に目立たず奥ゆかしく存在してこその価値だと思う。それをことさらに「ソファと併用するタイプの応接テーブル」なんかに適用し、さらにいやでも構造が目に入るように天板にガラスを適用したデザインには、製作側の意図の「空回り」を感じてしまうがなあ。
値段は 100万円もするといい、元々自分で買いたくなるような金額じゃないからそれはそれで構わない。しかし訪問先で通された応接間に置いてあったりしたら、一気に「ヒイて」しまいそうだ。
そもそもの話として、これ、一体どんなソファと合わせたらいいんだろう。ソファマットの代わりに家紋入りの分厚い紫の座布団なんかを配して、思い切りキッチュなコーディネーションにしてしまえばいいかもしれないが、100万円出した上にそこまでする酔狂を求めるのは、ハードルが高そうだ。
さらに言ってしまえば、「日本伝統の寺社建築技術で使られた応接テーブル」という記事見出しには腰砕けしそうになった。せっかくの紹介記事の見出しがこんなでは、完全にケチが付いたよね。
仮に「つかられた」なんて打ち間違えたのだとしても、フツーはこんな変換結果はあり得ないから、どんな余計なことを考えたものか、わざわざ 2度に分けて入力変換したとしか思われない。いずれにしても「日本伝統」を賛美したいなら、まともな日本語で勝負してもらいたかったところである。
【同日追記】
ふと思いついて、「使られた」でググってみたところ、"「アイスの棒」2万6000本で使られたインドのアート作品が話題に" という先月配信の記事が検索された。アート系の記事でもあり、同一筆者だったりしたら、「使う」と「作る」を組み合わせたオリジナルのラ行五段活用造語だったりして。
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