カテゴリー「住まい・インテリア」の24件の記事

2024年2月10日

一瞬心が動いてしまった「積ん読タワー」というもの

「フリーランスの家づくり日記」というブログの 今月 7日付記事「積読タワーを導入した」を読んで、一瞬心が動いてしまった。思いとどまったのは身も蓋もない話だが「値段」のおかげで、15%割引で 43,945円もするんだってさ(日本語サイト参照)。

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これ、販売元のハーマンミラー(HermanMiller)のオリジナル英語サイトによれば、ちゃんとした商品名は Story Bookcase, Tall(「階層ブックケース、トール版」とでも訳すか)というらしく、価格は 396ドルだ。円安の昨今だが、円建ての方がお買い得感があるみたいだ。

ちなみにこの商品の日本語サイトにはこんな風に説明されている。

ストックホルムを拠点に活躍している、Hung-Ming Chen と Chen-Yen Wei によるデザイン事務所、Afteroom によるデザイン。北米を中心にオーセンティックデザイン家具業界をリードしている Design Within Reach のオリジナルのブックシェルフ。

ちょっとわかりにくいので英語版を参照しながら読み解くと、デザイン事務所 Afternoon の共同代表 Hung-Ming Chen と Chen-Yen Wei は台湾出身の夫婦。で、この二人が Design Within Reach のためにデザインしたものが、オリジナル商品化されたということのようだ。

つまり Design Within Reach はメーカーで 、HermanMiller はネット上の販売元という関係のようなのである。この辺が、日本語サイトの説明だと今イチ伝わりにくく、「どうして Design Within Reach のオリジナル商品を HermanMiller が販売できるんだ?」なんて混乱してしまいやすいよね。

ちなみに、元のブログ記事にはこんなような記述もあるのが気になった。

もっと安い製品もあるけど、ハーマンミラーのやつはトールだと高さが 1920mmあり、収納効率良さそうなのでこれにした。

「もっと安い製品」って、どんなんだ? と、試しに Amazon に行って「ブックタワー」で検索してみたところ、結構いろいろある(参照)。例えば、こんなの(価格は 14,300円)だ。

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ただ、これは高さが 111.5cm しかなく、キャスター付きで移動可能とはいえ、棚は固定式(取り付ける際の向きは、前と左右で自由)で、回転させられない。

もう少し背の高いのを探すとこんなの(価格は 22,111円)もある。

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しかしそれでも高さは 135cm 止まりだ。棚は手軽に違う高さに付け替えられる仕様だが、回転はできない。

とにかく Amazon で探しても、高さが 150cm 以上のものはほとんど見つからない。日本製だとそんなものなのかなあ。こうなるとなるほど、192cm のハーマンミラーを選ぶ方が結局のところリーズナブルなのかもしれない。

さらにちょっと視点を変えると、こんなの(価格は 2,990円)もある。「積ん読タワー」というより「ちょっとお洒落で省スペースの卓上ブックスタンド」って感じだが、ベッドサイドなんかにおいて「寝る前の読みかけスタンド」みたいに使う分には手頃かもしれない。

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ただちょっと魅力的ではあるが、この程度のものなら自分で手作りする方が楽しそうな気がしてしまうよね。

というわけで、大きな「積ん読スタンド」はどうしても必要ってわけじゃないので取りあえず忘れることにしよう。よく考えてみれば、本というものは横にして積み重ねるより立てて並べる方が扱いやすいし。

そしてそのうち時間ができたら、ベッドサイド用の「読みかけスタンド」を手作りしてみよう。もっとも差し迫ってるわけじゃないので、いつになるかわからないが。

【備考】

紹介したブログのタイトルにある「積読」は、当ブログでは敢えて「積ん読」の表記を採用した。Wikipedia によればどちらもありのようだが、元々は明治後半の洒落的言い回しで、オリジナル表記はカタカナだったのだね。

積読(Wikipedia)
積読、積ん読(つんどく)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉である。(中略)
1879年の小雑誌『東京新誌』に「ツンドク家」「ツンドク先生」の記述があることが確認されている。

 

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2023年3月13日

「タワマン」って、やっぱり幻想の産物なんだね

「現代ビジネス」のサイトに ”多くの日本人が知らない・・・! 海外だとタワマンが「低所得者向けの賃貸物件」だという「信じられない現実」” という記事がある。住宅ジャーナリストの榊淳司さんという方の記事だ。

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この記事のタイトルの意味は、多くの日本人は「タワマンに住むのがステイタス・シンボル」であると信じているが、実は「海外では逆」ということだろう。そもそも筆者自身にとってタワマンは当初から「違和感の塊」 だったとして、次のように語っている・

自分の感覚が日本人の多数派ではなさそうなことは、何となく知っていた。私は小さい頃から、自分の発想や感覚がマイノリティであることには慣れている。

この感覚に関して、私は「そうそう、そうなんだよね!」なんて心の中で大きく相づちを打ってしまった。そんなわけで、タワマンに「住みたくないなあ」と思ってしまう点も完全に共通だ。もっとも私にはそんなところに住むほどの資産はないから、別に心配なんかいらないのだが。

私が「タワマン」というものにちっとも魅力を感じないのは、要するに「都会には住みたくない」と思っているからである。とくにもう 70歳にもなって「職住隣接」なんてことも必要ないから、都会から距離をおいたところでゆったりと暮らしたい。そんなわけで、つくばの田舎に居を構えて不満はない。

さらに、タワマンなんてものに住んだら「エレベーター待ち」なんかしなければならないだろうから、マンションの入り口から自分の住居の玄関まで辿り着くのに結構なストレスがあるだろう。なぜか人気のあるらしい高層階なんかに住んだら、いくら高速エレベーターでもそのストレスはさらに拡大しそうだ。

うっかり者の私なんか、どこかに出かけるのに玄関から出て鍵をかけてしまってから、「おっと、忘れ物をしてる」なんて気付くことがしょっちゅうだ。タワマンなんかに住んで、マンションの入り口から出た辺りで「おっと、忘れ物」なんて気付き、エレベーターで戻るなんて、想像するだけで鳥肌ものだ。

さらにこの記事の続編 ”ご存じですか? 欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!” まで読み進むと、ごく普通に合理的に考えるだけでも、タワマンに住むという選択は愚かなこととわかる。日本人がタワマンに魅力を感じているのは、単なる「イメージ」だけのようなのだ。

この記事には、さらに次のようにも書かれている。

何よりも、タワマンは普通のマンションに比べて居住性がかなり劣る。その最大の欠点は「隣戸の生活音が聞こえてしまう」ことだ。

それはまさしく構造的なもののようで、耐久性にも問題があるらしい。それを知ってしまうと、高い金を出してまでそんなところに住みたくはならない。

つくばの田舎に住んでいられて幸いというものであると、改めて思ってしまった。

 

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2022年3月25日

KURE 5−56 は鍵穴に使っちゃいけないんだそうだ

「ネットサーフィン見聞記」というサイトに「【使用厳禁!!】もしも鍵穴に KURE 5-56 を使ったらどうなるか?」という記事がある。潤滑油としてとても使い勝手のいい KURE 5−56 だが、鍵の廻りにくくなった鍵穴には使っちゃいけないんだそうだ。下のビデオでそのわけが詳しく述べられている。

ところで、築後 40年ほど経ってしまった我が家は、近頃あちこちガタが来始めている。中でもアルミサッシの開け閉めが重くなってしまったのは、「仕方のないこと」と諦めていた。

11年前の東日本大震災直後に、リビングルームから庭への出入り口のサッシが開かなくなってしまった。大きな揺れでサッシの構造が歪んでしまったらしい。ところがおもしろいもので、何度も余震で揺さぶられているうちに歪みが直って、前のように開け閉めできるようになった。

とはいいながら、あれからさらに 10年も経つと、さすがにこれまでになく重くなってしまい、ストレスを感じていたのである。

で、ある日ふと、これはサッシの戸の下の滑車のせいではないかと気付き、戸の下の隙間に KURE 5−56 を思いっきりスプレーしてみた。すると何とまあ、あれだけ重くなっていた戸がスルスルと開け閉めできるようになったではないか。「KURE 5−56 万歳!」である。

ところが、それから 2〜3日すると、再び開け閉めが重くなった。どうしたことかと、戸を外して見ると、滑車にドロドロのごみがこびりついているじゃないか。そこで、このごみを丹念に取り除いて再び KURE 5−56 をスプレーすると、これまでになくスムーズに動くようになった。めでたし、めでたし。

これによる教訓は、次のようなことである。

KURE 5−56 はとても優秀な潤滑オイルだが、問題部分にごみがたまっていると、そのごみがオイル分を吸収してドロドロになってしまい、さらに動きを悪くしてしまう。つまり、使う前にたまったごみを取り除くという作業が必須になるわけだ。

上で紹介したビデオの、「鍵穴に使ってはいけない」というのは、まさにこれと同じ理由によるもののようだ。鍵穴は気軽に分解してドロドロのごみを取り除くわけにいかないので、本当に注意が必要なわけだね。

 

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2022年3月 9日

デスクの周囲は結構な「たこ足配線」だが

私が書斎にしている部屋には壁の 3か所にコンセントがあり、1か所に 2つのコンセントがあるから、合計 6つだ。ただ、1か所は反対側の壁に離れているので、2か所、4つのコンセントから、デスクワークに必要な電源をすべて取っている。

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上の写真は週刊アスキーのサイトの「タコ足配線の対策について。PC周りの火事が心配です」という Q&A のページだが、私の部屋はいくら何でもこんな極端なことにはなっていない。長いコードの先に口がたくさんついたテーブルタップを 4本使って、なんとかやりくりしている。

で、自分のデスク廻りの電気器具、電子機器はどのくらいあるのか、改めて数えてみると、こんな具合だった。

系統  機器  詳細
A PC 2 デスクトップ Mac と MacBook Air
モデム 1  
ルーター 1  
USB ハブ 2 スマホ、マウスなどの充電用
B 卓上照明 2  
エアコン 1  
C プリンター 2 モノクロ・レーザーとインクジェット
電話機 1 単機能型
コーヒーメーカー 1  
D ファンヒーター 1  
扇風機 1  

合わせて 15台にもなり、結構な数である。これらを 4系統のテーブルタップに分けて「たこ足配線」にしていて、最大の A系統には 6台の機器が群がっていることになる。

それぞれの系統にさほど大きな電力消費を課しているわけではないから、発熱などの心配はないはずだ。最大の電力を消費するエアコンは、卓上照明 2台(いずれも LED)と共存させているだけなので、まずは大丈夫だろう。

それにしても今どきのデスクワークというのは、ずいぶんたくさんのコンセントを必要としているものだね。

 

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2021年8月27日

モノを捨てて捨てて捨てまくった

人生がときめく片づけの魔法』という本がある。近藤麻理恵さんという方の著書で、この人、もはや「こんまり」(あるいは "KonMari")と言った方が通じがいいというほど、国際的にも知る人ぞ知る存在となっているようなのだ。

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なんと、私の妻もこの本を買ったようなのである。いつの間にか本棚の中にあって、私が買ったわけではないから、妻が買ったと思うしかない。ただ、買ったはいいが、じっくり読んだ形跡はない。

ここだけの話だが、妻はモノを片づけられない人である。昔から「気に入ったモノ」に囲まれて暮らすのが好きで、私からみると「なんでまた、こんなに同じようなモノをどっさりとため込んでいるのだろう」と不思議なほどだ。

ちなみにこの本を本棚から出して飛ばし読みしてみたところ、序盤には「収納が得意な人ほど、モノをためる人になる」とある。「場所別・部屋別」に片付ける」というのは、致命的な誤りで、「モノ別」に片づけなければいけないというのだ。

妻は根がアーティスト的な人ということもあってか(すべてのアーティストがそうというわけではないが)、実は収納がまったく得意ではない。そこで私が代わって「とても上手に」収納してあげていた。私がやらなければ収納しきれないのだから仕方がない。

ただ、これがいけなかった。つい「場所別・部屋別」に収納してしまったため、同じようなモノがいろいろな場所に分散してどっさり収納されるという結果につながってしまったのだ。

長女はずっと前から「お父さんがきれいに収納しすぎるから、お母さんがモノを捨てられないんだよ!」と言っていた。振り返って見ればまさにその通り。妻は自分では収納が得意ではないが、いつの間にかなんとかギリギリで収納されてしまっているので、モノを全然捨てずに済んでしまっているのである。

ところが、それももう限界だ。家の中の収納スペースが不要品で埋まってしまったので、いよいよ捨てなければならない。こんまりさんはモノを捨てる基準として、"触った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかで判断する" と書いている。つまり「ときめかないモノ」はドンドン捨てるということだ。

ところが、これが最大のネックとなった。妻は、自分の取っておいたほとんどすべてのモノに「ときめいてしまう」のである。ときめくからこそ、いつまでもとってあるのだ。要するに「自分ではモノを捨てられない」ということなのだから、ここは私が代わって、心を鬼にして捨ててしまうほかない。

こんまりさんは「片づけは祭りであって、毎日するものではない」と書いている。つまり「片づけ」というのは、短期間に集中してモノを捨てまくるところから始めなければならない。

というわけで、この 3日間、私はモノを捨てまくったのである。妻を説得しながら、捨てて捨てて捨てまくった。結果、「これだけは私が死んでから捨てて」というような、「特別の思い入れ」のあるモノを除いてきれいに捨てまくり、家の中が驚くほどすっきりした。

すっきりしてしまうと、妻としても居心地が悪いわけじゃないから、案外上機嫌で快適に暮らしている。やはり、家の中にモノは少ない方がいいということだ。

 

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2020年4月11日

ずっと家にいるので、部屋の整理が進んだ

近頃は「不要不急の外出は避ける」なんてものじゃなく、「とにかく家にいろ」というプレッシャーが高まっている。テレワークとかオンライン会議とかが急に進んで、「うじゃうじゃ集まっての直接コンタクト」が大好きだった日本のビジネス社会が一気に変わってきた。

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私はずっと、月に 2〜3度は出張で旅に出る生活だったのだが、最近はこれもまたオンラインでのコンタクトで済ませようということになっている。「この世に Facebook だの Zoom だののシステムが出現してくれていてよかった」と思う反面、旅好きの風来坊には、かなり気詰まりでもある。

とにかく家にいる間は時間を持て余すことが増えてきたので、部屋の片づけなどをすることになる。たまった書類をまとめて整理し、PC やインターネット関連機器の配置も見直して、ゴチャゴチャに絡み合っていた配線もすっきりとまとめる。

おかげで仕事部屋は、ここ 1週間ほどで見違えるほどきれいに片付いてしまった。こんなにすっきりした部屋で仕事をするのは、生まれて初めての経験かもしれない。

試しに「コロナ 在宅ワーク 部屋 片づけ」というキーワードで検索すると、上の写真のような、まるでインテリア雑誌みたいな画像ばかりヒットしまくる。「いくら何でも、実際にはこんなのないよな」と思うが、自分の部屋もまんざら捨てたものではないという実感だ。

仕事仲間に聞くと、「テレワークのおかげで、部屋の整理が進んできれいになった」というのは比較的年長の者の言い草で、若い連中は逆に「子どもたちが一日中家で遊びまくるので、散らかり放題」とこぼしている。なるほど、人生はいろいろだ。

 

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2017年11月23日

モノの整理は、捨てなきゃ始まらない

昨年 5月に 「ワードローブの「戦線縮小」が楽しい」という記事を書いた。手持ちの服をどんどん少なくして、洋服ダンスをスカスカにすることに喜びを感じているのである。着ることのない洋服で収納スペースを埋めていてもしょうがない。

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昨年 5月の段階では、冠婚葬祭用の黒いスーツは 春夏物 1着だけにしているものの、普通のスーツはまだ春夏物と秋冬物をそれぞれ 1着ずつ持っていた。これについて「普通のスーツも秋冬物は処分してもよさそうな気がするが、さすがにそこまではまだ踏ん切りがついていない」と書いていたが、近頃ようやく踏ん切りがついた。

冬の冠婚葬祭でもヒートテックの下着を着れば春夏物で十分なのだから、普通のスーツだって同じだろう。どうせ着る機会はそれほどないのだから、2着持っている意味がない。ただ、処分するにも滅多に着ないだけに新品同様なので、さすがにもったいないから、リサイクルショップに持ち込もうと思っている。

近頃、妻もようやく大量の服の整理をしようと思い始めたようで、「物の整理」のための特集が組まれた雑誌 2冊を購入していた。「暮らしに無駄のない人は整え上手」という特集の『クロワッサン』と、「捨てる 持たない暮らし』という特集の『日経おとなの OFF』である。

この 2冊、私もちょこっと読ませてもらったが、『クロワッサン』の方は 「上手に整理して、お洒落に収納しましょう」というコンセプトで、相変わらず「雰囲気のもの」という印象だ。いくら上手に整理しても、モノがあふれかえっている状態に変わりはない。「モノを持つのが好き」というままだと、これは絶対に解決できない。「モノを持つのがうっとうしい」ということにならないといけない。

一方、『日経おとなの OFF』の方は最初から大上段に 「捨てる」と言い切っているだけに、読んで実際に役に立つ。「捨てずに長く上手に使いましょう」という、一見美しいコンセプトに留まる限りは、結果として絶対にモノが溢れる。実際問題として、モノの整理は捨てなきゃ始まらないのである。

問題は、「捨てることによる罪の意識」である。私もこれから逃れるために、スーツはリサイクルショップに持ち込もうとしているわけだが、どうせまともな値段が付くはずもなく、単に「無駄に捨ててはいませんよ」というアリバイ作りに過ぎないと自覚している。

人にあげようと言っても、今どきは皆、モノがありすぎて困っているのだから、持ち過ぎることのストレスを、他人に押しつけるだけの話だ。もらって嬉しいのはすぐにサイズが小さくなってしまう子供服ぐらいのものだが、我が家はもうその段階を卒業して久しい。

本当に、服と書類はよほど意識して捨てまくらないと、あっという間に増える。一見ゴミには見えないが、要するに 「不要品」 なのだから、ゴミの山の中で暮らしているのと変わりないことになってしまうのである。

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2017年8月19日

食器洗い乾燥機は、ウチのライフスタイルに合わなかった

Business Journal に 「超便利でいいことずくめの食器洗い乾燥機、なぜ売れない? 誤解だらけのデメリット」という記事がある。百年コンサルティング代表取締役の鈴木貴博さんという人の記事で、基本的に「食器洗い乾燥機ってこんなに便利なんだから、是非使いましょうよ」というトーンで書かれている。

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ただ、私は個人的にこの見解には「そうかなあ」と思ってしまう。我が家のライフスタイルに食器洗い乾燥機は合わないと、経験則から認識しているからだ。なにしろ我が家では、実際に 2台の食器洗い乾燥機を使ったことがあるのだが、どちらも便利さよりもストレスを感じる方が多かった。

最初に食器洗い乾燥機を買ったのは、我が家の娘 3人がまだ小さかった頃だから、20年以上前のことだったと思う。ウチの食器洗いは、きちんと決められているわけじゃないが、夫の私が担当することが多い。で、個人的な印象としては、「買ったはいいが、使うのはかなりのストレス」 というものだった。

何しろ当時は 5人家族だったから、食器の量が多い。食器洗い乾燥機の中に大きさも形もバラバラの食器をそれなりにうまくセットするだけで、結構な手間がかかる。単に並べればいいだけではなく、食器にくっついた残飯などは拭き取ってからセットする方がいいというので、「洗う前にこんな作業をするんだったら、さっさと手洗いする方が早いわ」 と思っていた。

で、実際やってみると、食器洗い機の中に食器をきちんとセットする時間と、手洗いで済ませる時間の差はごく僅かでしかないのだ。しかも食器洗い機だと、セットしてから延々と電力を使って回し続けなければならない。手洗いならとっくに終わっているのに、ゴーゴージャブジャブやられるのって、結構なストレスなのである。

これは我が家の食事が、あまり脂っこくないということも関係している。ほとんど水とアクリルたわしだけでチャチャッと洗えて、たまに石けん(食器洗い洗剤じゃない)を使えば済む。私は荒れ性じゃないので、冬でも冷たい水で洗う方が手がきれいになるし、水桶に溜めて洗えば、食器洗い機派が言うほどに水の使用量も多くならない。

たまに来客があって食器の数が増えると、食器洗い機では 1度で洗うことができず、入りきれない分は手洗いすることになる。だったらわざわざ 2ラインにわけるより、全部手洗いする方がずっと早く片付く。で、数年して自然に故障したのを機に処分してしまった。使わずに放ったらかしにすると案外故障も早いのかもしれないが、「厄介払い」という気がして、惜しいとは思わなかった。

2台目は、娘たちがそれぞれ独立して夫婦 2人だけの生活になってから、娘の 1人がプレゼントしてくれたものである。せっかくプレゼントしてもらって申し訳ないが、家族 5人でも食器洗い機がストレスになるというライフスタイルなので、夫婦 2人だけだと、ますます手洗いであっという間に終わる。手間をかけてセットして、延々とゴーゴージャブジャブする気にはならない。というわけで、2台目もそれほど使う機会もないまま、いつの間にか故障したのを機に処分してしまった。

食器洗い機で不便なのは、食器、とくにグラスやカップなどを、洗浄作業中に取り出して使いにくいことだ。つい棚から別の食器を出して使ってしまいがちになり、日常的に使う食器の数が増える。少ない数の食器をこまめに繰り返し使う方が、私の性分には合っているので、これもストレスになる。

「使いもしないで偏見で言ってる」というわけじゃなく、実際に 2台も使った上で言うのだが、少なくとも我が家のライフスタイルでは、食器は手洗いの方がずっとストレスがない。

 

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2017年6月14日

後楽園の流店がウチにも欲しい!

私は昨年、日本の全都道府県制覇を達成しているだけあって、結構あちこちの名所に足を踏み入れている。日本三名園ということでいえば、水戸の偕楽園はすぐ近所ってわけじゃないにしても、クルマで 1時間ちょっとで行けるところだから何度も行っているし、金沢の兼六園にも 2度行った。そして昨日の和歌ログに書いた通り、今回、岡山の後楽園にも 2度目の訪問を果たした(参照)。

地元といえば地元、水戸の偕楽園は何といっても梅の季節が最高だ。しかし早朝でなければならず、遅くとも朝の 9時頃までに行くことが肝心だ。それを過ぎて昼近くになってしまうと、人混みがひどくなり、さらにせっかくの梅の香りが、出店の焼きそばソースの臭いに消されてしまう。

加賀の兼六園は冬の季節がいいと思っている。たまたま自分の行ったのが冬の季節だったということもあるが、あの「雪吊り」というのがなかなかの風情だ。私は雪釣りの施された松の下に入ると、ピラミッド・パワーを感じてしまう。(参照

そして今回再訪の後楽園のお気に入りは、「流店」だ。何しろ今回は、ほとんどこの「流店」だけが目当てで、後楽園を再訪したのである。寄せ棟造り(周囲に壁はないのですっかり素通し)の中を水路が通っているという、なかなか珍しい建物だ。これなら夏でも涼しいだろう。今回もこの建物に上がり込んで、前回同様 30分以上まったりしてしまった。

この中に入ったら、ただ水の流れとその中の石の妙だけを眺め、あとは水と風の音を聞くだけで至福の時間となる。岡山の歴代藩主も同じような至福を味わったのだろう。今回は初めのうちは韓国人のカップルがやたら大きな声でしゃべくり続けていて、ちょっと気に障ったが、彼らが去ってしまってからはなかなかいい時間が過ごせた。

ああ、こんなのがウチにもあったら、どんなに幸せかと思う。しかし、誂えるとなったらとんでもない大金が必要だろうなあ。

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2017年4月12日

洗濯槽クリーナー 「洗濯槽快」 の使用レポート

近頃、ラジオショッピングで(テレビでもかな?)盛んに取り上げられている「洗濯爽快」というのを我が家でも使い始めて、多分 1年以上経過したと思う。そろそろ使用レポートを書いてもいい頃だ。私は案外「家事をする夫」で、洗濯もほとんど引き受けているので、書く資格はあるはずだ。

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我が家でも大方と同じように全自動洗濯機というのを使っているのだが、これはドラムの外側(ファイバースコープなんて持ってないから、直接には見えないのだが)にカビが発生するという欠点があるらしい。確かに定期的に専用の洗浄剤でカビ取りしないと、洗濯物に黒いカビが付いてしまう。

そこで妻がラジオで知った「洗濯槽快」というのをネットショッピングで買ったのが、1年ちょっと前だった。これはホタテ貝の貝殻成分で、洗濯槽内の水をアルカリ化し、カビの発生を防ぐだけでなく室内干しの際の悪臭も抑えるという。それに天然成分 100%だから、環境にも優しいというのだ。

写真のように小さなパックに入ったものを洗濯槽に放り込んで、洗濯物と一緒に回していればそれで OK というので、ことさら面倒な作業もいらない。面倒くさがりの私も、「それならいいや」と使い始めた。

そして 1年以上経ってからの結論だが、手っ取り早く言えば「我が家の場合、効き目がないこともないが、カビはやっぱり発生する」ということだ。

「効き目がないこともない」というのは、カビの発生は確かに抑えられるという意味である。以前に比べれば、白い洗濯物に黒いカビがこびりつくことはかなり減った。もう一つの室内干しの際の悪臭を抑えるということに関しては、ウチでは元々臭いがほとんど気にならないレベルだったから、効果があるんだかどうだか、はっきり言えない。

カビの発生が皆無にはならないので、やはり時々は専用の洗浄剤を入れた水を回し、時間をかけてカビ落としをすることになる。どうしてカビがすっかり抑えられないのかというと、これは私の推定で明確なデータがあるわけじゃないのだが、多分、毎回の洗濯に使う水量が少ないからだと思う。

我が家は子供たちが全員独立して、今は夫婦 2人の生活なので、毎日の洗濯物が少ない。だから全自動洗濯機の機能として、水量も自動で調節し、低水位で洗うことになる。ということは、この 「ホタテ貝由来の成分の効果も、下の方の半分ぐらいまでしか及ばず、上の方はほったらかしになる。

それで時々洗濯物の量が多めになり、水位も上の方まで達する時に、洗濯層の上の方で発生していたと思われるカビが、洗濯物に移っちゃうのだ。これ、考えてみれば当たり前のことだが、使い始める前はほとんど想定していなかったよね。というわけで、我が家の使い方では 「効き目はないこともない」 ぐらいの言い方しかできない。

家族が大勢いて毎回たっぷりの洗濯をするというなら、多分満足できるんじゃなかろうか。保証はしないけど。

 

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