例の杉田水脈という議員の LGBT に関する『新潮 45』への寄稿記事の問題だが、批判するからには一応記事をしっかり読んでからと思っていたので、タイミング的にはちょっと乗り遅れてしまったかもしれない。

杉田議員本人も、「批判するならきちんと記事を読んでからにしろ」みたいなことを言ってるらしいので、「そこまで言うんなら、ちゃんと雑誌買って読んだるわ!」と、今日、あちこち用事で出かけたついでに書店に寄り、買って来たのである。上にその証拠写真を貼っておく。
ちなみに『新潮 45』は「特別定価 900円 本体 833円」と表示してあるが、書店のレジでは 1円未満切り捨てで 899円だったよ。おかげで財布の中でジャラジャラしていた小銭を使い切ることができた。
家に帰って一応ちゃんと読んだのだが、結果としては新潮社を無駄に儲けさせただけだった。要するに「買って読むほどのレベルのものじゃない」ってことだ。これから『新潮 45』を買ってみようかと思っている方は、ほかによっぽど読みたい記事があるのでもなければ、止めといた方がいい。
彼女の寄稿記事に関してまともな批判をするとすれば、既にあちこちでなされている通りのことを繰り返せばいいだけで、改めて私がどうこう言うのも馬鹿馬鹿しい。なので今回は、例によって言葉にこだわって絞り込んだ突っつき方をしてみようと思う。
杉田水脈という人は、件の寄稿記事で "LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼らは子どもを作らない、つまり「生産性」がないのです" と、はっきり書いている。「生産性」と、申し訳程度にカッコ付きにはしてあるが、この単語になんらの注釈も付けることなく使っているのだ。
ここでぶっちゃけた結論を言ってしまえば、杉田議員の寄稿記事は大問題になっているが、LGBT に「生産性がない」というのは彼女独自のロジックではなく、お仲間内の悪趣味な決まり文句を、外部に向かってものすごく安易、かつ直接的に発信してしまっただけにすぎないのである。まあ、悪ノリしやすいタイプなんだろうね。
「生産性」という言葉は、一般的には「労働生産性」を指す言葉として使われることが圧倒的に多い。試しに "Weblio" (大辞林) を引いてみると、次のようにある。(参照)
せいさんせい 【生産性】
生産のために投入される労働・資本などの生産要素が生産に貢献する程度。生産量を生産要素の投入量で割った値で表す。
ここでは「子どもを作る能力」なんて意味は無視されている。それだけに「同性愛カップルは『生産性』がない」という言い方には、大抵の日本人は強い違和感を覚えるのである。この言い方だと、子どもだけはやたらと何人も作るが、仕事もせずにぐうたらしてるヤツにさえあるらしい「生産性」というものが、LGBT カップルだと、どんなに有益な仕事をしても「ない」とされてしまうのである。
というわけで、杉田議員は朝日新聞が LGBT を支援することに関して「違和感を覚えざるをえません」と書いているが、LGBT には 「生産性」がないとする決めつけの方が、ずっと大きな違和感を醸し出す。
ここで念のため、「生産性」という言葉の元になったと思われる "productivity" という英語について調べてみよう。例によって Weblio で調べると「生産性、生産力、多産(性)」とある (参照)。やはり「子どもを作る能力」みたいなことは出てこない。強いて言えば 「多産(性)」 の中にそうした意味が含まれるのだろうが、ビミョーである。
もう少し念を入れて、"produce" という動詞を調べると、ようやく 「産する、生ずる、製造する、生産する、作り出す、描く、作る、生む、産む、生じさせる」という意味が表示される(参照)。ただ、英英辞書(CUERVO)を引いてみても、「子どもを産む」という意味は直接的には表示されない(参照)。
つまり「生産性」という言葉は、とても広義に捉えれば、かなり端っこの方に「子どもを作る能力」という意味を確かにもつようだ。それは認めよう。しかし「LGBT カップルは『生産性』がない」と、唐突に言ってしまう姿勢には、とても意図的な「ヘイト・スピーチ」的要素があると言うほかない。
で、さらに問題なのは、杉田議員自身が自民党の先輩議員たちに「間違ったことは言っていない。胸をはってればいい」と声をかけられたと tweet したらしいことである(既に削除されているが)。つまり、このようなヘイト的思想は、自民党保守派の間ではとても「当たり前」のこととなっているようなのだ。
頭の硬い保守派は子どもを産む能力に関して「生産性」という言葉を好んで使いたがる。私自身も彼らの口からこうした言葉が発せられるのを度々聞いていて、その度に不愉快になる。この言い方は、実は保守政治の世界の「ステロタイプで悪趣味な決まり文句」になっているのだ。
フツーに考えれば、彼女の発言は「トンデモ」に違いないのだが、彼女の仲間内は「一体何が間違ってるんだ。当たり前の話じゃないか」と擁護する雰囲気に満ち満ちている。それは間違いない。ということは、いくら批判しても彼女は絶対に反省なんかしないということである。
私としては、彼女だけでなく、彼女の属するサークルをまとめて「馬鹿扱い」するしかないと思っている。
さらにちょっと付け足しだが、保守派だけでなく革新派の中にも、こうした言い方を好んでする連中はいくらでも存在する(参照)。バリバリの日教組の中にさえいる。彼らは「革新派」の仮面を被った「因習派」である。
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