カテゴリー「心と体」の419件の記事

2022年9月16日

「低心拍だからって、それがどうした?」という感覚

デスクワークをしている時など、左手首の Apple Watch が細かくプルプルッと振動するので画面を見ると、「・・・ から始まった 10分間に心拍数が 40BPM を下回りました」などと表示されている。私は単に「はいはい、了解」と心の中でつぶやき、何のことなく再び仕事に集中する。

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Apple Watch というのは、こちらが知らないうちに心拍数を測っていて、低くなったりすると警告してくれるのだ。なかなかよくできてるというか、ちょっとお節介なものなのである。というのは、この警告はしょっちゅうなので、私にとっては日常茶飯事なのだ。

で、こちらがまったく意に介さずに仕事を続けていると、しばらくしてまた同じような警告をしてくる。「うるさいなあ。ずっとデスクワークしてるんだから、心拍数が無駄に上がるわけないだろうが!」と少々ムカつくと、そのおかげで少し心拍数が上がるらしく、警告はそれで収まったりする。

昔から職場の健康診断などで、「心拍数が低いですね」と言われ続けてきた。

「それで不都合でもあるんですか?」と聞くと、逆に「何か不調を感じたりしませんか?」と聞かれる。「全然」と答えると、「そうですか。それならいいんですが」となってそれきりになるが、診断結果にはしっかりと「低心拍」なんて書かれていたりする。

こちらとしては、「低心拍だからって、それがどうした?」という感覚でしかない。何しろ至って健康で、半世紀以上、花粉アレルギー以外の病気らしい病気はしたことがない。「無理に病人扱いしないでくれよ」と思うばかりだ。

ふと思いついて e-ヘルスネットというサイトの「スポーツ心臓」という項目を見ると、次のように書いてあり、「俺って、これかも」という気がしてしまう。

大きな特徴としてあげられるのは心拍数の低下です。これは筋肉が発達した結果、1回の拍動で血液をより多く送り出すことができるようになり、少ない拍動でも全身に十分な酸素を運ぶことが可能なために起こる現象です。

若い頃はとにかく持久力を要する運動ばかりしていて、とくに合気道と山登りはかなり長い間続けていた。70歳になってしまった今でも自転車で 50〜60km 走るぐらいは、全然どうってことないし、結構なヒルクライムもする。まあ、100km も乗ればさすがにちょっと疲れるけど。

というわけで、Apple Watch には「スポーツ心臓調整」みたいな機能を加えてもらいたいなんて思っている。余計なお節介が減るように。

 

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2022年8月24日

見た目が若いと、老け始めたら早いらしい

ほぼ毎日訪問して読んでいるブログに『駅前糸脈』というのがある。開業医の先生のものだが、昨日付で「外見年齢」という記事がある。30年も同じところで開業しておいでなので、それぞれの患者さんの「見た目」の変化がよくわかるのだそうだ。

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この記事の中に、「見た目の若い人は同じ年齢でも脳力身体力内蔵機能も若いことが多い」という記述がある。かく言う私も「見た目」に関しては実年齢よりかなり若いようで、「脳力身体力内蔵機能」に関しても確かにほとんど問題なく暮らしている。

ここ 30年ぐらい病気らしい病気をしたことがなく、このブログを 18年以上毎日更新し続けているということでも、それは証明されていると思う。ただ、「外見年齢」の記事にはこの後に「見た目の若い人は一端老け始めると早い傾向がある」という、気になる記述がある。

いやはや、それじゃあ私なんかも、老け始めたらどんどん老けるということなんだろうか。それならそれで、あと 10年ぐらい経って 80歳を過ぎたらどんどん老け始め、さっさと死期に近付くということならありがたい。プロのお医者さんにそのお墨付きを得たような気がしている。

いずれにしても、元気なうちは思い切り元気に生きて、衰えた後はさっさとあの世に行きたいと思っているので、家族には「何かあっても、下手な延命治療なんかしないように」と言ってある。

ただ、老け始めるのが遅かったりしたら、やたら長く生きなければならないのかなあ。

 

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2022年8月12日

酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト

週刊はてなブログに "それって「ソバーキュリアス」?  あえてシラフでいることを選ぶ、お酒を飲まない生き方について" という記事がある。洒落のつもりか、冒頭に盛り蕎麦の写真が使われているが(キュウリも使えばよかったのに)、酒なしで蕎麦を食うというような話では決してないので、よろしく。

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「ソバーキュリアス」というのは "sober" (しらふの、実直な)と "curious" (興味がある)を合わせた言葉で、この記事では「しらふでいることへの興味」と訳されている。なるほど、それで「酔っ払っているとブログも書けない!」というサブタイトルにつながるわけだ。

調べてみたところ、これは英国出身でニューヨーク在住の文筆家、Ruby Warrington が 2020年に "Sober Curious" という著書を世に出してから注目され始めた言葉のようだ。つまり、比較的新しいライフ・コンセプトで、著書の正式タイトルは以下の通りである。

Sober Curious  The Blisfull sleep, Greater focus, Limitless Presence and Deep Connection  Awaiting us All on the Other Side of Alcohol
(『ソーバーキュリアス 至福の睡眠、より大きな集中力、無限の現在、深い関わりが、
アルコールの反対側で私たちを待つ』)

ちなみに私もここ 10年以上、ほとんど酒を飲まなくなってしまった。自分のブログを遡って検索してみると、2017年 7月 8日付で「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事を書いている。こんな具合だ。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。

というわけで、確かに 2003年頃には、毎晩酒を飲みながらこのブログを書いていた。これは「酔っ払っているとブログも書けない!」ってことの反証にもなるが、 2014年 3月 24日付で「酒は大好きだが、酔うのがいやになったこと」なんて記事を書いているのだから、人間、変われば変わるものである。

私が感じた「酔うのがいやになった」という思いは、実質的には「ソバーキュリアス」に近いもののようだ。週刊はてなブログの記事には、次のようにある。

「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合、禁酒や断酒はある意味でそれを脅かす行動になることもありそう。そんなときに新たな概念を知ることは、新しいアイデンティティーを獲得して、自身の行動を変えるきっかけになるのかもしれません。

なるほど、うまいことを言う。"「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合" には、確かに「酒を飲んでこそ本来の自分」みたいな気がしてしまうものなのである。自分自身が毎日飲んでいたのだから、それはよくわかる。

そして、ここで言う「新しいアイデンティティー」というのは、まさにこの「ソバーキュリアス」ということで、それまでの「酒飲み」としてのアイデンティティを、このコンセプトで置き換えるわけだ。そして一度酒から離れてしまえば、「自分」と「酒」とは「カンケーないね」という感覚になる。

ただ私の場合は、取り立てて「新しいアイデンティティー」を獲得したというわけではなかった。どういうわけか単に酒に飽きてしまったような気がして、自然に酒から遠離り、結果的に「ソバーキュリアス」になってしまっていただけということである。

この辺りのところをきっちりと自己分析していたら、Ruby Warrington より先に画期的なことを提唱し始めることもできたのにね。あまりにも自然な成り行きだったので、我ながら呑気なことだった。

【付記】

”Sober Curious” は日本語に翻訳され、『飲まない生き方 ソバーキュリアス』という邦題で出版されているようだ。

この本の帯にある「ソバキュリァン」というのは、「ソバー + エピキュリアン」というココロなのだろうが、"sobercurean" でググっても一件もヒットしなかった。日本だけで通用する洒落のようなので、ご注意。

 

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2022年7月 1日

夏バテ防止に「筋肉」の維持が大切だったとは

NHK が【"災害並み” の暑さ キーワードは「筋肉」】という、一瞬「はあ、どういうこと?」と言いたくなるニュースを流しているが、ウェブサイトでよく読んでみると、「なるほど、納得」だ。それにしても "災害並み” とはよくぞ言ってくれたものである。

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夏バテ防止に筋肉の維持が重要だと訴えているのは、兵庫医科大学の服部益治特別招聘教授である。筋肉は「体内の水分を蓄える貯蔵庫」のような役割を果たしているというのだ。

ところがこの 2年以上にわたり、コロナ禍で家に籠もる自粛生活が続いたため、多くの人たちの筋肉量が落ちている。ということは体内の水分量が落ちているのだが、そこにもってきてこの無茶苦茶な暑さなので、体が脱水症状を起こしやすい状態なんだそうだ。

コロナ禍の自粛生活が「筋肉量低下」につながることには、実は少し前から気付いていた。実は今年初めにちょっとした怪我をしてしまい、1ヶ月近くまともな運動ができない時期があったのだが、体重計に乗ってみても数字がほとんど増えていなかったのである。

当初は「俺って、太りにくい体質に変わったのかなあ」なんて都合よすぎることを思っていたのだが、すぐにそうではないと気付いた。体重が変わらないということは、脂肪が増えて筋肉が落ちているということなのだ。

さらに突っ込めば、脂肪は筋肉より比重が軽いのだから「脂肪と筋肉でプラマイゼロ」どころではなく、筋肉的にはかなりの赤字なのである。これはヤバい!

これに気付いてからというもの、怪我が完全に治る前から意識して自転車に乗るなど、体を動かすことを心がけてきた。おかげでなんとなく自分の体の中の感覚が変わって、「体が重くない」と思えるようになった。

近頃ではクソ暑くて運動もままならないが、早朝のうちに庭の雑草を取りまくって筋肉を使うようにしている。それにしても、この暑さのせいで雑草の生育がハンパじゃないので、抜いても抜いても追いつかない。しかしそれが体のためになっているなら、「雑草さんよ、ありがとう」というものだ。

体を動かすことが、「肥満防止」だけでなく「夏バテ防止」にまで役立っているとは知らなかった。いずれにしても、暑いからと言ってダラダラしているばかりでは体によくないようなのである。

 

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2022年6月28日

猫も熱中症になるほどの暑さだそうで・・・

暑い!  部屋の中は辛うじてエアコンを効かせているが、廊下に出て階段を昇り降りする時に、手すりを握るとずいぶん熱く感じる。驚いて壁を触ると同じように熱い。これって、体温以上の気温で熱せられているのだね。

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関東甲信は昨日付で観測史上最も速い梅雨明けが発表されたが、実際にはその 3日前あたりから真夏の暑さそのものだった。ということは、後になって修正され、さらに早い梅雨明けという記録になる可能性もある。

昨日ラジオで「こんなに暑いと、猫も熱中症になることがある」と、飼い主に注意を呼びかけていた。猫は日当たりのいいところで寝転びたがる習性があるので、猛暑日でも「ついクセで」それをやってしまい、ふと気付いた時には「うっ、体がおかしい!」とアセったりすることがあるらしい。

ネットで調べてみると、獣医師監修で「猫の熱中症とは? 気になる対策とその症状を重症度別に解説」と題したページまである。いやはや、我が家でもあの東日本大震災の前頃までは猫を 2匹飼っていた(参照)が、熱中症なんて意識したことはなかったなあ。

猫と言えば寒がりの動物の代表格で暑さには強いはずなのだが、最近の暑さは、ちょっと前までとはレベルが違うということなのだろう。ここまで来てしまうと、「猫もビックリ!」というわけだ。

我々人間も「ついクセで」なんてことで油断することなく、まめに水分補給するなどして、この暑さには十分に気をつけなければならない。なにしろまだ 6月なのだから、夏の暑さはあと 2ヶ月、あるいはそれ以上続くのだよ。

 

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2022年6月11日

「梅雨だる」なんて言葉を初めて知った

昨日付の『和歌ログ』で、「寝落ちして気付けば日暮れ過ぎてゐて梅雨だるといふ言葉を知れり」という歌を詠んだ。5月 23日付の福井テレビ NEWS で、県済生会病院の前野孝治内科主任部長が、「梅雨だる」で「体がだるい、疲れやすい、目まい、頭痛」などという症状が出やすいと説明している(参照)。

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私の場合は昨日の夕方 PC に向かって仕事しているうちに、不覚にも寝落ちしてしまっていたというだけの話で、だるいとか目まいとか頭痛なんて症状は全然ないが、いくら寝ても寝足りないような感じは確かにある。これって、「梅雨だる」ということだったのか。

試しにこの言葉でググってみると、「梅雨だる」という体調不良を覚えるのは女性が多いとするページが目立つ。典型的なのは "女性の 6割が体調不良。「梅雨だる」の原因と対策" というページだ。

ただ、今年のような寒暖の差がやたら激しい梅雨だと、私のようなオッサンでも「何だか疲れるなあ」と感じてしまうこともあるようなのだ。最近いろいろな用が重なった上に、庭木の剪定や雑草刈りなどでバタバタしていたとはいえ、昔はこんなことはなかった。年は取りたくないものである。

ちなみに自分の『和歌ログ』を辿ってみると、今年は 4月後半頃に夏を思わせるような日が続いたのに、連休に入った途端に急に肌寒くなったとわかる。連休後半から暖かさが戻ったが、中旬の高知への出張から帰ってみるとまたしても肌寒くなっていた。

5月 23日あたりから「ようやく安定した初夏の陽気になった」と思っていたが、6月 5〜6日頃から今度は極端なほどの「梅雨寒」となり、あわてて箪笥の奥からフリース・ジャケットを取り出して羽織ったりしていた。今日は寒さは感じないものの、やたらムシムシしている。

梅雨時の天気は不安定と相場が決まっていて、例年でも時々妙に寒くなったりすることがあるが、今年はとくに振れ幅が大きいような気がしている。こんなことでは、体に負担がかかって疲れるのも仕方がない。

「地球温暖化」なんて言われるが、その実態は「極端化」といった方がよさそうで、この不安定な天候は今後も続いていくだろうから、体には気をつけた方がいい。とくに梅雨時の疲労蓄積は避ける方がいいようだ。

 

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2022年6月 8日

「代替肉市場」が拡大しているらしいが

お昼前のラジオ番組で「代替肉」を紹介していた。この「代替肉市場」は今や拡大傾向にあり、市販の弁当などでも代替肉を使った物が出てきているという。キャストがその代替肉弁当を試食し、「うん、おいしい!」「これは、肉です!」などと、褒めちぎっていた。

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試しに「代替肉」のキーワードでググってみると、かなり多くのページがヒットする。今や一般的な食品として認知されているようなのだ。大手食品メーカーも、"ZEROMEAT"(大塚食品)、「まるでお肉!」(伊藤ハム)、「大豆のお肉」(マルコメ)など、それぞれの商品名で展開している。

ふぅん、いつの間にか時代は大きく変わりつつあるのだね。ただ、伊藤ハムの「まるでお肉!」というネーミングはセンスを感じないなあ。

ちなみに、だいぶ前から肉を食わなくなった私としては、「食いたいけど我慢してる」というわけでは決してないので、そうした「肉の代わりみたいなモノ」を買ってまで食いたいとは全然思わない。

自分がいつ頃から肉を食わなくなったのだろうと過去ログを調べてみたところ、順を追ってこんなようになっている。

最高級牛肉って、本当においしい?(2007年 9月 14日付)
しゃぶしゃぶをメイン料理にした宴会に出て、仕方なくお付き合いで最高級霜降肉を 2枚ばかり食べたが決しておいしいと思わなかったので、それ以上は食べなかったというようなことを書いている。ということは、それ以前から肉はできるだけ避けていたようだ。

「脱肉食」を巡る冒険(2017年 4月 6日付)
この頃にはほとんど肉を食わなくなっている。しかしながら「それしか食うものがなければ仕方なく食いもするが、最近はどんな高級肉でもおいしいとは感じられない体になった」と書いている。

私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた(2019年 10月 1日付)
冒頭に「私は牛や豚などの肉を食うのを極力控えるようになって 5年以上、完全に止めてからでも 2年ほどになる」と書き、世界のトウモロコシ年間生産量約 6億トンのうち、約 4億トンまでが穀物飼料で、その 1割でも人の食用に回せば、世界から餓えはなくなる計算になるとの説を紹介している。

ということは、今世紀に入ってからは肉食からできるだけ遠離っていて、2013年頃からはほとんど食わなくなっていたようだ。それでも 2017年春頃まではほんのたまに(1年に 1〜2度)だが、付き合いなどでそれしか食うものがなければ、仕方なく食っていたことがわかる。

つまり「ほとんどノーミート」でほぼ 20年、「完全ノーミート」で 5年ほど経っているわけだ。それは上で紹介した 2019年 10月 1日付の記事に書いたように、「好き嫌い」とか「自分の健康のため」とかではなく、「倫理的な理由」からである。

これだけ長く肉食から遠離っているからかどうか知らないが、至って健康で風邪も引かない。そして変な話だが、昨年 11月 23日付の記事で書いているように、うんこもおならも臭くないのである。

 

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2022年6月 5日

「自己否定」を成熟させて「アンラーン」に辿り着く

一昨日の朝、ラジオのスイッチを入れると、NHK 第1放送の「マイあさ!」という番組で、アナウンサーが耳慣れない言葉を繰り返している。途中からだった上に受信状態が万全ではなく聞き取りにくかったものの、とても興味深い内容だった。

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それから忙しさに追われて忘れかけていたが、さっきふと思い出して NHK の聴き逃し番組を聴ける「らじるらじる」に行ってみたところ、それは東大経済学部の柳川範之教授の解説による「アンラーンって何? 学ばない “学び方”」という放送だったとわかった。

らじるらじるは「放送後 1週間以内なら何度でも聴ける」ということなので、上の画像クリックでリンクされるページの「7時台」の項を選択すると、今週の木曜日までなら聴ける。

「アンラーン」は "Unlearn" で、”learn" に "un" が付いたものだから、「〔学んだことを意識的に〕忘れる、〔知識・先入観・習慣などを〕捨て去る」(参照:英辞郎)ということだ。

柳川教授は「当たり前だと思っていたことを、頭を切り替えて違う発想で考えられるようにする」ために、「思考のクセを取り除く」ことと考えればいいという。これを強制的にではなく、自発的に行うことが大切なのだそうだ。なるほど、それはよくわかる。

例えば既存の社内文化に染まりすぎると新しい仕事がしにくくなるので、発想を変えることがビジネスの役に立つ。そればかりでなく、既存の発想に固執するとと学びの発想まで縛られるので、「アンラーン」によって学びの場でも新しいインプットができるようになるというのである。

自分が「既存の発想」に染まりすぎているかどうかは、次の 6項目のチェックで判断できるというので、試してみるとおもしろい。

  1. 何か決まった口癖がある。
  2. 最近、ワクワクすることが減った。
  3. 周囲の人との会話が毎日同じような話題ばかりだ。
  4. 仕事とは別の分野の学びをしていない。
  5. どんなことにも「そんなこと当たり前」と思いがち。
  6. すごい成果を出した人は、自分とは別世界の人だと思う。

何項目が当てはまると問題かというような目安はないのだそうだが、まあ、少ないほど発想が自由ということなのだろう。ちなみに私は 1項目が当てはまった。(このブログに馴染んでおられる方は容易に想像がつくだろうが、それは 1番の項目である)

思えば 1970年代初頭には、「自己否定」なんて言葉が流行り、やたらと既成概念を否定する風潮だったが、それをやんわりと成熟させると「アンラーン」になるかもしれない。

そんなわけで、1970年代に 10代から 20代を過ごした私としては、「ムチャクチャな自己否定」からは距離を置きつつ、かなり歓迎したい魅力的な発想である。

 

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2022年5月26日

「小股」に関して、再び、三度(みたび)

Japaan に 【いい女の代名詞 「小股の切れ上がった女」の "小股" って何? 江戸時代の庶民文化から探る】という興味深いページがある。ただ悪いけどこの問題、ウチのサイトでは 19年近くも前に取り上げ済みなんだよね。

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それは私が「本宅サイト」としている「知のヴァーリトゥード」内「知の関節技」コーナーの 21番目の記事、"「小股ってどこか」よりも大切なこと 「よくわからない」まま置いておく美意識" という記事だ。日付は「H15.07.29」(西暦だと 2003年)だから、この日に生まれた子は、既に成人してることになる。

しばらくの間は、2006年 9月 8日の記事で触れているように、「小股」という漢字 2文字でググると、私のこの記事が圧倒的トップに表示され続けていた。最近は後になって書かれた便乗ページみたいなのが上位に入っているが、あくまでもこの話題の元祖は私なので、そのあたりよろしく。

ただ、上述の「元祖ページ」はちょっと長いので、こちらのブログでそのダイジェスト版みたいなものを、2005年 10月 30日付で書いている。”「小股」は「足指の股」だけじゃない” という記事だ。フツーはこっちの方が手っ取り早く読めると思う。

この記事を書いたきっかけは、この頃に放映された「世界一受けたい授業」という番組で、「小股とは、足の親指と人差し指の間」と言っていたらしいとわかったからである。しかし実際にはそうした意味もあるにはあるが、私はそれは「和装・足袋業界の専門用語に過ぎない」としている。

そりゃ当然で、「足の親指と人差し指云々」なんてことは、この言葉を「いい女」を表す文脈で使うケースとはまともにつながらない。それに第一、そんなところが妙に切れ上がったりなんかしたら、まともに歩けないよね。

冒頭に紹介した Japaaan の記事は「足の親指と人差し指の付け根」説を含め、いろいろな説を並記しているだけだが、私としては次のようなことだろうと結論づけている。

私は自分のページで、「小股の切れ上がったいい女」という場合の「小股」に関しては、「小耳にはさむ」とかいう場合と同様に、「体言挟みの係り」説を原則的に支持している。要するに、「股がちょっと切れ上がった」という意味だと解釈しているのである。

「小腹が空いた」という場合、決して体のどこかに「小腹」という部位があるわけではなく、「ちょっと腹が空いた」という意味であるのと同様だ。

「体言挟みの係り」については、こちらを参照されたい。さらにその上で、私はブログ記事の最後を次のように締めくくっているので、よろしく。

しかし、それでも、「小股」 ってどこかというのを曖昧にして、ああでもないこうでもないと詮索するのも、なかなか広がりがあってオツなものだと、私は主張している。「足指の股」という業界用語のみにもっともらしく固執するのは、無粋の極みである。

それにしても、上の浮世絵の坊さん、一体何してるんだろう?

 

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2022年5月14日

「ハゲ」という言葉と「かつら」で、性差別の問題提起

はてなブックマーク を見ていたところ、NewSphere に ”男性に「ハゲ」と言うのはセクハラ、英審判所 「女性の胸への言及と同じ」” という記事があることに目が止まった。これは英国の話(元記事は こちら)ではあるが、我が国に置き換えてもちょっとした問題提起となり得るだろう。

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そういえば、その昔に大橋巨泉が言い出した「ボイン」という言葉は、最近ではほとんど使われない。まさしく「女性の胸への言及」であり、昨日の記事で触れた「性差別(sexism)」につながってしまうということなのだろう。

ところがはてなブックマークではそのすぐ横に、ランドリーボックスというサイトの "「女性にもはげる権利が欲しい」へアドネーションがいらない社会を目指して" という記事へのリンクがあった。たまたまそうなっただけなのだろうが、かなり示唆的な偶然である。

その記事は、「ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて」という記事の後半として書かれている。2本に分けて書かなければいけないほど、かなり面倒な問題ということのようだ。

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まず NewsPhere の記事では、英国の工場勤務者だった人が現場監督者に「ハゲのクソ野郎」と罵られ、不当解雇されたと報じられている。そしてその言葉は雇用審判パネルによって、次のように「セクハラ」と認定されたわけだ。

「(会社側の弁護士は)男性だけでなく女性も薄毛になる可能性があると主張しており、これは正しい主張だ。しかし、パネルメンバーの 3名は、薄毛は女性よりも男性のあいだでより広くまん延していると確信している」「性別と切り離せない関係にあることを認める」とコメント

というわけで、ここでは「ハゲ」は主として男性の問題とされているわけだが、一方でランドリーボックスの記事のような問題も看過できない。

かつらを作るためにヘアードネーション(髪の寄贈)する人たちは、髪の薄い女性のためになることをしているという自意識がある。しかし、そうした思い込み自体が「社会の押し付け」につながっているとは、なかなか気付かれない。

これはかなり微妙な問題である。まず、「ハゲ」という言葉が男性にとって差別用語として機能するというのは、既に確定済みと言っていいだろう。

その一方で、「女性はどうしてもはげたくないはずなので、ヘアドネーションは、そうした思いに応えるものだ」という、一見「好意」のように見える考えもまた危ない。その思いが固定観念となってしまうと、女性への性差別につながり得るわけだ。

ストレートに言えば、「男のハゲはまだいいけど、女の場合は悲惨じゃん!」とする暗黙の空気が、性差別でなくて何なのだということである。性差別には、一目瞭然の「浅い次元」のものと、なかなか気付きにくい「深い次元」のものがあるのだ。

そんなこんなで、4月 2日の記事に書いたアカデミー賞での殴打事件(クリス・ロックがウィル・スミスの妻の髪型を茶化したことに始まる)にまでつながったのだろうね。

【5月 15日 追記 (閲覧注意: ヤバい言葉あり)】

NewSphere の記事では、英国の工場勤務者だった人が現場監督者に「ハゲのクソ野郎」と言われたということになっているが、元記事によれば それは "bald cunt" という言葉だったようだ。”Bald” はモロに「ハゲ」だが、"cunt" は「クソ野郎("shit" とか)」よりヤバい言葉である。

ちなみに他の英語記事では、"bald c-t" なんて、伏せ字表記しているケースもある(参照)ほどだから、ここではストレートには訳さないけど。

 

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