カテゴリー「心と体」の467件の記事

2024年9月10日

甘いコーヒー飲料を飲むと、体内時計が狂うおそれ

「カフェインと甘味料を加えた水をマウスに与えると体内時計が乱れたとする研究成果を広島大などのチームがまとめた」と、読売新聞が伝えている(参照)。体内時計が 1日 26〜30時間のリズムになってしまい、昼夜逆転してしまうケースもあったらしいのだ。

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チームは、マウスを3グループに分け、それぞれに「一般的なエスプレッソの半分の濃度のカフェイン水」「甘味料も加えたカフェイン水」「通常の水」3種類を自由に飲ませて1週間以上観察したという。その結果は次のように報告されている。

甘いカフェイン水のグループは、1日のリズムが 26~30時間周期と乱れ、昼夜逆転に陥るケースもあった。摂取をやめると元のリズムに戻ったという。残り2グループに生活リズムの大きな変化は見られなかった。

というわけで、「甘いカフェイン水」には体内時計を狂わせる働きがあるようなのだ。「カフェインと甘味料には、覚醒に関わる脳内物質ドーパミンの分泌を活性化させる働きがあり、何らかの相乗効果が生じている可能性がある」というのである。つまり「眠気覚まし」が効きすぎたってことのようだ。

私自身について言えばコーヒーは毎日ブラックで飲み、たまにミルクを少し加えることはあるが、自ら砂糖を加えることは 100%ない。缶コーヒーなんてものも飲まないから、「甘いコーヒー」を飲む機会は、稀に砂糖入りを押しつけられてしまった場合(1年に 3〜4回)ぐらいのものだ。

ただ、「だから安心」と言っていいのかどうかはわからない。というのは、時々コーヒーと一緒にケーキみたいなものを食ってしまうこともあるからだ。コーヒーはブラックでも、一緒に胃袋に入ってしまうケーキは砂糖たっぷりだろうから、悪影響がないとも限らない。

しかしまあ、コーヒーとケーキを一緒に楽しむなんていうのも週に 1度ぐらいのものだから、それほど気にする必要はないか。

 

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2024年9月 6日

酒は飲まないに越したことはないようなのだ

Threads に sao.ri0616 さんという方が次のような投稿をしている(参照)。大谷翔平選手が酒の誘いを断っていたということに関するものだ。

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大谷選手は先輩からの誘いも「お酒ですか? お酒なら行きません」とキッパリ断るというのである。「嫌われたらどうするの?」という声には、「世界一の選手になったら、みんなが僕のこと好きになる」と答えるという。「酒に付き合わないぐらいで嫌うなら、どうぞご勝手に」ってなもんだ。

さすがに世界の大谷翔平である。一方で毎日新聞の連載まんが、いしかわじゅん さんの『桜田です』の本日付最終コマは、こんな感じだ。

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桜田家のお父さんと上司が、会社の帰りに「あっという間に暗く鳴っちゃったなあ」「仕方ない ちょっと寄ってくか」なんてことで、日の短くなったのを飲み屋に寄る理由にしている。ほとんど言い訳みたいに「一杯だけですよ」なんて言ってるが、それで済みそうには思えない。世の中、いろいろだ。

私について言えば、7年前に「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事で書いたように、最近はほとんど飲んでいない。先月 27日には「今年になって酒を飲んだのは、昔の仲間と集まった時の 2度しかない」と書いているほどで、そうした機会さえなければ一度も飲まずに済んでいただろう。

決して「禁酒」とか「断酒」したとかいうわけではないが、最近は飲むのが面倒になってしまったのである。10年ぐらい前まではほとんど毎日飲んでいたのに、今は目の前に酒瓶があっても栓を開けて飲もうという気にならないのだから、我ながら驚きだ。

ちなみに 7年前の記事では「NHK の番組では、一日に一合ぐらいなら『酒は百薬の長』として機能すると言っていた」と書いてしまったが、最近の医学的研究では、飲酒はほんの少しでも体に害になるということがわかってきたらしい。

アルコール分解物質が DNA を傷つけ、がんを誘発するのだそうだ(参照)。もっともらしく聞こえることでも時代によって変わってくるのだから、信じすぎてはいけない。

やっぱり酒は飲まないに越したことはないようなのである。前世紀末はタバコの害が明らかになって禁煙の動きが強まったが、今後は酒の害が話題になって禁酒がトレンドになるかもしれない。

 

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2024年9月 2日

36年前のキットカット CM に見る「美少女の行進」

えのげ に "【納得】昔のキットカット CM を見て「宮沢りえ可愛い!」の前に出てくる感想がコチラwww" というページがあるのだが、言いたいことは「昔のキットカット、でかい!」ということのようだ。

画像で比べると、こんなことになる。昔のキットカットは長さが 9cm あったが、今のは 5cm しかないという。ずいぶん世知辛くなったものである。もっとも味そのものはもちろんチョコレートだから、甘いはずだが。

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ただ、私が昔の CM を見て驚いてしまったのは、チョコのサイズなんてことではなく、登場する二大美少女、宮沢りえと後藤久美子の歩き方である。CM 冒頭に見られる通り、腕をやたら大きく振り、膝を曲げて股を高くあげるという、モロに旧帝国陸軍式、今の甲子園野球入場行進式のスタイルなのだ。

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一緒に歩いている英国兵の、脚が自然に伸びた「国際スタンダード」とはエラい違いである。この CM の流れていた 1988年頃というのは、こんな前時代的な歩き方がしっかりと残っていて何の違和感も生じさせず、あまつさえ「カワイイ!」なんて思われていたようなのだ。

私は一昨年 6月 29日付「見るだけでうんざりしてしまう行進スタイル」という記事で、2つの極端な歩き方について書いている。一つは共産国家式の膝を異常なまでに真っ直ぐに伸ばした軍事パレードで、動画で見るだけで「ゲゲッ」となってしまう。

中国ロシアの軍事パレードも似たような感じでうんざりしてしまうが、北朝鮮は最も異様だ。

これとは対照的なのが、甲子園野球の入場行進である。膝を曲げて股だけを高く上げるのが特徴だ。こう言っちゃナンだが、足だけ「ドスドス」してるみたいで、もっさりドンくさく見えてしまう。まあ、共産国家式よりはマシかもしれないが。

故・武智鉄二氏はこのような「膝を曲げて股を高く上げる」歩き方を「農耕民族式」と言っていた。泥の中で田植えする際には膝を伸ばしての移動ができないので、日本民族の歩き方はどうしても膝を曲げて股を上げ、「スタスタ」というよりは「ひょこひょこ」という感じになってしまった。

そして我が国の軍隊行進はこの「膝を曲げて股だけ高く上げる」というコンセプトを何の疑問もなく採用しつつ、背筋だけはピンと伸ばしてドスドス歩くという特殊なスタイルになったというのである。

現代では陸上自衛隊だってフツーの歩き方でパレードする(参照)ようになったので、「旧帝国陸軍式」は、もう高校野球の入場行進ぐらいでしか見られないスタイルとなってしまった。この世界では令和の世の中になっても、行進の際に「股を高く上げて〜!」と強要する指導者が絶滅していないらしいのだ。

それがいにしえのキットカット CM に極端過ぎるほどの形で登場しているのを見せられて、「オヨヨ・・・」となってしまったのだよ。私はこの CM をリアルタイムで見たことがなかったので、今となっては逆の意味で「新鮮」すぎる。

【9月 6日 追記】

いやはや驚いた。甲子園野球だけじゃなく、高校サッカーでも半分以上は「旧帝国陸軍指揮」なのだね。半分弱は自然な歩き方なので、野球よりはまだマシだが(参照)。

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2024年8月27日

若者って本当に酒離れしているようなのだが・・・

今朝、ラジオのニュース番組で「ソバーキュリアス」という言葉が話題になっていた。酒を飲まない志向のことだが、最近では実際に若者の間で「酒離れ」が進んでいるというのである。

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「へぇ、そうなんだ!」という驚きと、「それも道理だよね」という納得感の交差するような気持ちで「若者 酒離れ」のキーワードで検索してみると、DIAMOND online のサイトで【「若者のアルコール離れ」は本当だった!"飲酒嫌い" の若年層に人気の飲み物とは?】という記事が見つかった。

これは今年 2月 7日付の記事なのだが、この記事の元になったニッセイ基礎研究所のサイトのページ(参照)には次のようなグラフがあり、週 3日以上飲酒する率を示している。1999年から 2019年までの 20年間で、男性の飲酒習慣率が「若者」ばかりでなく全年代で低下しているのが明らかだ。

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こうした飲酒習慣率低の理由を、DIAMOND online の記事は「健康志向の高まり」のほか、飲酒を娯楽としてみると「コスパもタイパ(タイムパフォーマンス)も悪い」ことだとしている。

仕事の後に会社仲間が連れ立って飲み屋に繰り出すなんて、要するに一日中会社に縛られていることにほかならず、まともな神経だったらやってられない。することは他にいくらでもある 20歳代の若者にとって、それはごく当たり前の実感なのだろう。

紹介した記事のタイトルには「"飲酒嫌い" の若年層に人気の飲み物とは?」とあるが、それは「ノンアルコール・微アルコール飲料」なんだそうだ。若者と言えどもリアルでの「コミュニケーション」をすべて拒否しているわけではないが、そのために酔っ払う必要なんかないということのようなのだ。

ちなみに私自身も 4年前の「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事に書いたように、昔はほとんど毎日酒を飲んでいたのだが、最近はほとんど飲まなくなった。今年になって酒を飲んだのは、昔の仲間と集まった時の 2度しかない。「週に 3日」どころか、4ヶ月に 1度という飲酒ペースである。

「酒離れ」しているのは何も若者ばかりでなく、70歳を過ぎた私のようなものまで、「もう、のべつうだうだと酒なんか飲んでる時代じゃないね」と感じてしまっているわけである。

 

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2024年8月11日

ラーメン屋店主の「腕組み」を巡る冒険 その2

昨日付 "ラーメン屋店主の「腕組み」を巡る冒険" の続編である。昨日の記事で私は、店主の「腕組み」ポーズは「ゴリゴリのラーメンカテゴリー」のアイコン化しているようだとした上で、さらに「敷居の高さ」を感じてしまうと書いている。早く言えば、あまり馴染めないってことだ。

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それは若かりし頃に合気道を習っていた頃、師範に「道場内で腕組みはしないように」と指導されていたからということもある。「腕組み」というのは「尊大さ」や「傲慢さ」を感じさせるポーズだから、避けたいということだ。

ちなみに、ラーメン屋店主の「腕組み」ポーズにつながるものとして巷間有力なのは、「フレンチシェフが始めたポーズ」という説だ。これに関して「ラーメン屋の店主はなぜ腕を組んで写真に映る?『支那そばや』佐野実の先駆けは〇〇だった」というページに次のような記述がある。

腕組みの写真は、もともとはフレンチのシェフがはじめたポージングといわれている。
シェフの写真を撮る際、白いコック着はバストアップの構図では全体的に白くのっぺりした絵になってしまうからだ。
それを回避するアイデアが広まって、そこで腕組みをすることでメリハリが出てバッチリ決まった。
カメラマンとしてもバシッと決め顔を作りやすいポーズはありがたい。
いつしか腕組みをするポージングはフレンチのみならず飲食人の間で定着していく。

ということなのだが、これ、多分日本特有の事情なのだろうと思われる。というのは、「腕組み」のポーズは合気道の道場内だけでなく、国際的にもあまりいい意味とは受け取られていないからだ。

試しに ”french cuisine chef" (フランス料理 シェフ)というキーワードで画像検索してみても、腕組みをしているフレンチ・シェフのほとんどは日本人で、他はまれに腕組みのように見えるものがあっても、体の下のほうで腕を組み、掌は脇の下で開いているので「傲慢そうなポーズ」ではない(参照)。

メンタルサポートろうむの「腕組みするクセで相手を遠ざけていませんか?」というページには、"腕組みが発しているメッセージは「拒絶」「防御」「威圧」です" とあり、スチュワーデス塾というサイトの「仕草研究講座」というページには「腕組み」の意味合いとして次のように書かれている。

「心臓を守る」 ⇒ 「自分を守る」 ⇒ 「自分の安全範囲を広げる」 ⇒ 「自分にあまり近づいて欲しくない」
となります。同時に、「自分を大きく見せる」という意味もあります。

やはり「腕組み」というポーズには「自分を大きく見せる」「拒絶」「尊大」といったイメージが付きまとうようなのだ。

というわけで、私としては仮に肉食を止めていなかったとしても、腕組みポーズを売り物にしているような店主のラーメン店には入りたくないなあと思ってしまうのだよね。まあ、ラーメン店のみならず、フレンチ店などでもだが。

 

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2024年8月 7日

パリ五輪、SNS で「誹謗中傷」することの恥ずかしさ

72歳にもなると、記憶の中には冬季も含めて 30回以上のオリンピックを通り過ぎたため、はっきり言ってもう飽きてしまっている。今回のパリ・オリンピックについても一昨日「パリの人たちって、ウンコ強いよね」なんていう妙な視点で取り上げたのみで、日本選手の成績にさえほとんど興味がない。

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そんなわけで、SNS 上で飛び交う選手や審判への誹謗中傷がヒドすぎるとして問題になっていることすら、昨日になって初めて知ったほどだ。

このあたりのことを割と率直に報道するスポーツ新聞には、【"水谷隼氏「誰でも心病むよ…」ネット上で受けた誹謗中傷を公開 「どんどん心が閉ざされてく」】【パリ五輪、止まらぬ誹謗中傷 柔道に始まり男子バレーにも…もはや無差別状態、"引退して" と侮辱も】(いずれもスポニチ)などの記事がある。

当初は単純に、世の中にはどうしようもないヒマ人が多いぐらいに思っていた。しかし木村隆志さん(コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者) という方が東洋経済に寄稿した【パリ五輪「誹謗中傷やめない人」の驚く"思考回路"】という記事を読んで、少し考えが深まった。

この問題は心理学的に掘り下げる意味のあるもののようで、記事で触れられている誹謗中傷を盛んにしている人の傾向は、次の 3点にまとめられる。

  1. 「知らない」ことで強気になれる
    相手のこともその種目のこともよく知らないので、軽い気持ちで誹謗中傷できる。

  2. 人間には「勝負事に負けた人、落ち込んでいる人、泣いている人などを軽く見てしまう」という心理傾向がある
    日ごろ自分が「あまり努力していない」「勝利を目指して必死に戦っていない」ことをわかっているからこそ、それをしてきた彼らの失敗や疑惑に過剰反応してしまうということにも触れられている。

  3. 「タイパ」「コスパ」重視の人は要注意
    効率重視の人は、常に感情が後回しになり、本質を探ろうともしないため、他人の感情に鈍感で、自分の感情を瞬間的に結論づけて発信するため、「思わぬところで人を傷つけていた」というケースが少なくない。このタイプの人は、思わぬ粘着ぶりを発揮することすらあるという。

さらに木村氏は、他人を誹謗中傷してしまう人に共通する傾向は「自分の人生に向き合おうとしていない」ことだと指摘する。自分の人生に向き合っていないからこそ、よく知らない人の人生には口を出したくなってしまうものらしい。

ということは、今回のオリンピックに限らずいろいろなケースで誹謗中傷コメントを出しまくってる人は、「私は自分の人生にまともに向き合っていません」と世間に向かって公表しているようなものだ。これって、実はお恥ずかしいことなのだと言わなければならない。

今日のところは、こうした認識を広めることで馬鹿な誹謗中傷コメントが減少する可能性があると言っておこう。

 

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2024年8月 2日

熱中症対策をマジに考えなければ

ウェザーニュースが 7月 31日付で「熱中症による救急搬送は今夏初の 1万人超え 引き続き酷暑に警戒」と伝えている。7月の第 4週(22〜28日)、全国の熱中症による救急搬送者数が 1万人を超えたのだそうだ。その超え方も半端じゃなく、いきなり 12,666人というのだからスゴい。

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この記事には「熱中症のサインとは?」という小見出しがあり、「熱中症 こんな症状があれば要注意」という表で注意が呼びかけられている。私は昨年の 6月に熱中症を経験してしまっているので、これには敏感に反応してしまった。

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昨年 6月 17日の記事は "「熱中症」ってやつになりかけたかも" というタイトルだったのだが、2ヶ月後に「追記」として書いたように、あれは「なりかけたかも」どころではなく、救急車で搬送されるほどではなかったにせよ、立派な「熱中症そのもの」だったようなのである。

当日は屋外作業をしていて暑さのあまり立っていられなくなり、ちょっと昼寝したのだが、起きてからも脚がふらついたし、梅干しを食べても酸っぱさが感じられないほど感覚もおかしかったのである。その後も 3日間ぐらいは眠くてしょうがない状態が続き、日中でもすぐに「寝落ち」していた。

上の表で言えば、私の症状は「重症度 I 度と II 度の境目」ぐらいだったんだと思う。あれ以上無理したら、かなりアブナいところだった。

ところで表の「重症度 I 度」の欄に「筋肉のこむら返りがある(痛い)」という項目があり、かなり気になる。実は最近、睡眠中にこむら返りの起きることが増えたのである。発汗のため体内の水分が不足することが関係しているらしい(参照)。

これって、ちょっと油断すると本格的な熱中症になってしまいかねないというサインなんだろう。水分を十分に摂取して慎重に生きていかなければならないようだ。

それにしてもウェザーニュースの記事のグラフや表の色使い、テーマがテーマだけに見るからに暑苦しいね。

 

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2024年7月26日

「老化」とは、自分の肉体に飽きてしまうことかも

2012年 9月 19日付で "「後期高齢者」という呼称を巡る冒険" という記事を書いている。この「後期高齢者」という呼称を嫌がる人が多いが、私は全然気にならないし、死ぬことに関してさえいつでも構わないと思っている。

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ただ、この記事を書いたのは還暦を迎えた直後だったから、まだまだバリバリに元気だった。実は今日は私の誕生日で、これで 72歳。還暦プラス一廻りだから、自分でも驚いてしまう。そしてふと気付けば上の写真のように、こめかみあたりにちらほら白髪が生えちゃってるじゃないか。

おいおい、これまで白髪なんてなかったから、ちょっとショックだなあ!

ただ「後期高齢者」と呼ばれるまでにはまだ 3年あるが、今日からそう呼ばれても別に構わないし、12年前の記事でも書いたように、何なら「末期高齢者」と呼ばれるのでもいいと思っている。というのは、何だか自分の肉体というものに飽きが来始めたような気がしているからなのだ。

とは言っても「老人性の鬱」になってしまったというわけじゃなく、その意味ではまだまだ意気盛んである。そもそも鬱なんかになったら、ブログの毎日更新なんかできるわけがないのだから、安心していただきたい。

ただ最近、さすがに昔と比べて体力が少し落ち気味になってきたことを感じてしまうのだよね。ダラダラしていると驚くほど足腰の筋力が落ちるので、意識してコンスタントに運動していなければならない。近頃やたら暑いのでなかなか大変だが。

ちょっと変化に乏しい時代になってしまってるので、「何かパッとしたことないかな」なんて思ってしまうのだが、自分の体でできることにそれを求めるのは難しくなってきた。これ、正直言ってちょっと口惜しい。

しかし本当に自分の肉体にほとほと飽きてしまったりなんかしたら、いくらなんでも困るだろう。正直なところ早く飽きてしまいたい気持ちもないではないのだが、物理的な見地からは 70歳過ぎとしてはかなり元気な方なので、その辺りの実感が湧くにはまだ早いようだ。

ということはまだそれほどの老化ということもなく、まだまだシコシコと生きていかなければならないみたいなのだね。やれやれ。

最後に話は急に変わるが、私の故郷である山形県酒田市とその周辺の大雨被害が心配だ。早く水が引いてくれればいいのだが。

 

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2024年7月18日

「猛暑日でもマスク」する人が約4割だと !?

よろず〜 というサイトに "「夏になってもマスク着用」約 5割が該当 「猛暑日でもマスク」も約 4割 いずれも 23年からは減少" というニュースがある。これには驚いてしまった。

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これは健康総合企業「タニタ」が全国の 15歳以上の男女 1000人を対象に実施した「熱中症に関する意識・実態調査2024」で明らかになった数字だ。どうやらでたらめな数字ではないようで、「信じられないが本当だ!」と言いたくなってしまう。

記事には、夏のマスク着用について、各項目に「非常にあてはまる」もしくは「ややあてはまる」と回答した割合が次のように報じられている。

  • 「夏になってもマスクの着用を続けている」 48.2%
  • 「猛暑日でもマスクを着用している」 41.0%
  • 「屋外で人と十分な距離が確保できる場合もマスクを着用している」 34.3%
  • 「夏に外で運動(ウオーキング・ジョギングなど)をする際もマスクを着用している」 22.1%

「屋外で人と十分な距離が確保できる場合」でも、3分の 1以上の人がマスクを着用しているというのは、「おかしいんじゃないの?」と言いたくなってしまう。昨年 3月 27日にはこうした状況について、"マスクは「顔パンツ」化しているのだそうだが" なんて記事を書いているほどだ。

確かに実感としても、こんなに暑くなっているというのに街やショッピングモールですれ違う人の半分近くがマスクをしていることに驚く。空いた道を歩いていてもかなりの人がマスクをしたままだ。

マスクの着用が「個人の判断」に任せられるようになったのは、昨年の 3月 13日からである。私はその日を期してマスクなんか外してしまったのだが、多くの人はずっと着用のままで、1年以上経った夏になってもまだこんな状態なのだから、「個人の判断」なんてされていないんじゃあるまいか。

マスクを着用することでコロナ感染が防げるということに関しては、私としてはかなり疑問に思っている。ただ、統計数字的には僅かとはいえ「効果がある」ということになっているので、マスメディアは「マスク着用なんてほとんど無意味」と書くわけにいかないのだろう。

しかしその数字的裏付けは、暑い夏でも我慢して着用し続けることを肯定するほど顕著なものとも思われない。私自身、マスクなんてしていなくても一度も感染していないし。

コロナよりも、この暑い中でマスクをし続けることによる熱中症の方が心配になってしまうよ。

 

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2024年6月28日

30年以上の孤独体験は陰謀論者の中年を作る?

Gigazine に "陰謀論者の中年は学生時代に「ぼっち」だったとの研究結果" という記事がある。元記事は nature communications というサイトにある "Loneliness trajectories over three decades are associated with conspiracist worldviews in midlife" という記事。

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今月 16日の記事でも書いたように Gigazine の翻訳って今に始まったことじゃないが読みにくいし、あまり当てにならない(参照)。時には意味がひっくり返ってしまう誤訳まであるので、一応元記事の方も紹介させてもらった次第である。

今回も元記事タイトルの "Loneliness trajectories over three decades" (直訳すれば「30年以上の孤独の軌跡」)が " 学生時代に「ぼっち」だった" となるのは、いくら何でも「はぁ?」と思ってしまう。30年以上も学生続ける人もいないわけじゃないが、極々少数だろう。

これはノルウェーでの研究結果からの推論で、翻訳記事によれば「思春期に強い孤独を味わった人や、生涯にわたり孤独だった人は中年期に陰謀論的な世界観にはまってしまいやすい」というレポートだ。

ちなみにこの部分にしても「生涯にわたり孤独だった人は中年期に・・・はまってしまいやすい」という翻訳がちょっと不自然で、唐突な「脳内スイッチバック」を強いられちゃうよね。せいぜい「それまで孤独な人生を送ってきた人は・・・」ぐらいに訳しとけばよかったのに。

ただいずれにしても「孤独な人が孤立感から自尊心を守るために陰謀論に走ったり、陰謀論者のコミュニティにつながりを求めたりする」ことから陰謀論者になってしまうという推論は、一つの可能性として心に留めておいてもいいだろう。

英文の元記事にはかなり学術的な見地からの解説や関連記事へのリンクもあるが、詳しく読み込むのは疲れそうで、例によって「流し読み」しかしていないので、そのあたりはよろしく。

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とにかく「人とのつながりを求めつつ、それがうまく行かずに孤独に陥ってしまった人生」というのは、ちょっとアブナそうだ。人付き合いが下手なら下手で、「俺は独立独歩で行くわ!」という方がずっとマシなのかもしれないね。

ちなみに私の場合は常に仲間には恵まれていたのだが、時々は鬱陶しくなって敢えて孤独を求めたりしていたなあ。海とか山とかに一人で行くのが好きだった(とくに登山はほとんど単独行だった)のは、そういうことだったんだと思う。

 

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