カテゴリー「心と体」の309件の記事

2019/11/04

Apple Watch で億劫にならない運動

今年の 5月 19日に「フィジカル・コンシャスになっちゃってる今日この頃」という記事を書いている。Apple Watch の「アクティビティ」という機能を使っているせいで、なんとなく意識的に軽い運動を厭わないようになり、その結果として健康にもいいみたいなのだ。

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上の写真は、今年 10月から 今日 11月 4日までの「アクティビティ」の結果を、iPhone で表示させたものである。3つのリング、外側から「赤: ムーブ = 消費カロリー」、「緑:エクササイズ = 運動した時間」「青: スタンド = 1時間に1回・1分以上立ったり歩いたりした回数」を示している。

私は 1日の目標を「アクティビティ 600cal、ムーブ 30分、スタンド 12時間」と設定しており、この iPhone のデータをみれば、10月 1日以降(実際にはもっと前からなのだが)、ずっと 3つのリングを完成させていることがわかる。つまり、毎日それほど激しい運動を継続しているというわけではないが、軽い運動以上のエクササイズをずっと続けているということだ。

『知識連鎖』というページに「痩せたい!と言うくせにに太ってる人が運動をしない科学的な理由」という記事がある。簡単に言うと、「肥満になると運動をするのが億劫になるということ。それがますます肥満を助長するという負のスパイラルが発生するということ」なのだそうだ。それを解決するには、億劫にならない程度の軽い目標を設定することから始めなければならないらしい。

「今より10分多く運動」よりもさらに低くして、まずは1日1回いつもより多く歩いてみる…で良いんじゃないでしょうか。最初は低いところから初めて、クセをつけていけば良いのです。

なるほど、こうした分析からすると、Apple Watch の「アクティビティ」機能を利用すると、それほど重い運動ではないが、結果が表示されて気持ちよく続けられるという利点がある。ただ、問題はしっかり歩いたり自転車をこいだりすると、脚部に筋肉がついて、筋肉は脂肪より比重が重いから、体重は減らないということだ。

まあ、とっくに還暦を過ぎた身からすれば、数字としての体重は減らないが腹の出っ張りは解消されるから、見た目と実質の両方の効果はあるということだ。

 

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2019/10/15

眠いといったらとにかく眠い

「春眠暁を覚えず」なんていうが、春でもないのに最近やたらと眠い。10年前の 11月には「季節の変わり目は眠い」なんて記事を書いているほどで、今の季節は眠いといったらとにかく眠い。

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一節によると、季節の変わり目は「睡眠の質」が落ちてしまうのだそうだ。夏と秋の境目で季節が行ったり来たりして、タオルケット 1枚で十分なこともあれば、毛布だけでは足りない夜もある。宵の口は暑苦しいほどでも、夜明け前頃は冷え込んだりすることも多い。「質のいい睡眠」を十分に取るのが難しい季節である。

というわけで、夕方ソファに横になって、スマホでメールのチェックなんかしていると、いつの間にか眠りに落ちてしまうこともある。こんなのを私は「気絶の如き眠り」と称している。時々妻に「あなた、また気絶してるわよ!」と起こされて、啞然とすることも珍しくない。

先日、ラジオで恐ろしい話を聞いた。聴取者からの投稿で、夜中に高速道路を運転していて眠くて堪らなくなったのだそうだ。無理せずに仮眠を取ろうと思ううちに、ほどなくパーキングに辿り着いた。左のウィンカーを出して入ってしっかりと駐車し、リクライニングシートを倒すとすぐに眠りに落ちた。

しばらく寝ていると、後ろからけたたましいクラクションが聞こえる。「何だよ、人がせっかく寝ているのに」と思って目を覚ますと、何と、自分のクルマは高速道路上を蛇行運転しているではないか。

左ウィンカーを出してパーキングに入ったというのは、一瞬の間に見た夢で、実はそのまま居眠り運転してしまっていたのだという。なんとも恐ろしい話である。

一炊の夢」というのは人生の栄華のはかなさを喩えた故事だが、飯が炊き上がる前に一生に渡る夢を見たというのだから、夢の中の時間というのは現実と連動しない。よくよく眠くなってしまうと、あっという間に気絶してしまうのだから油断がならない。

「ちょっと眠いな」と思った時点で、無理せず仮眠を取らないと、命を失うことにもなりかねない。一人でひっそりと命を落とすのはいいが、他人に面倒をかけるような死に方は避けたいものだ。

 

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2019/10/05

「長生きする」というストレス

ちょっと古いが、東京新聞の 2012年 9月 2日付「健康寿命と平均寿命(No.418) 人生最後の10年 日常生活に支障も?」というちょっと気にかかるニュースを見つけてしまった。ここには「健康寿命と呼ばれる、自立して健康に生活できる期間は、平均で男性約七十年、女性で約七十四年です(二〇一〇年)」と書かれている。

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私は今 67歳だから、男の平均的健康寿命を全うするまであと 3年しか残されていないらしい。平成 29年の時点での男の平均寿命は 81.09歳というデータがある(参照)ので、「平均的」には、残り 10年以上「不健康」に、下手したら介護してもらいつつ生きなければならないようなのだ。

私の場合は毎日結構な運動量をこなしていて、今日も自転車で 30km 以上走ってピンピンしているので、70歳を越えたとたんに急にヤバいことになるという可能性は低いだろう。それでもさすがに若い頃よりは疲れやすくなっているし、自転車で 25km/h のスピードを維持して延々と走り続けるのもしんどくなってきた。

いつかは死ななければならないのだし、ここまでこんなにも元気でやりたい放題のことをしてきたのだから、はっきりいって未練はない。突然医者に 「あと半年の命です」なんて宣言されたとしても、「ああ、そうですか。どうも」で済みそうだ。

世の中の人の多くは「長生きしたい」と願望しつつ、いろいろな健康法を試したりしているように見受けられるが、私の場合はフツーに健康すぎるほど健康なので、どちらかと言えば「一体いつまで生きたらいいんだろう」と考える方がストレスになる。無理矢理に早死にしたいというわけでもないのだが。

今の仕事は 70歳ぐらいまでは勝手に止めるわけにいかないだろうし、その先もさらに 2〜3年ぐらいは続けることになる可能性の方が高い。ということは、少なくともあと 5年ぐらいは突然死んだり動けなくなったりするわけにいかない。

はっきり言って、あと 5年程度ならまったくお安いご用である。しかしそこから先もなかなか死にそうな気がしないので、「あんまり長生きするのも面倒くさいし」なんて思ってしまうのだ。

このまま元気でピンピンし続けるようだと、一体どうしたらいいのだろう。

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2019/09/20

「全身の皮膚を顔にすれば寒くない」という乱暴な発想

季節が巡って、ようやく秋らしくなってきた。下の画像は気象協会のページにあった昨日の気温を示すもの(クリックで拡大表示される)だが、東日本は概ね最高気温が 28℃ 以下で、最低気温は 20℃ を下回っている。西日本はさすがにまだ最高気温が 30℃ 前後だが、沖縄を除けば熱帯夜にはなっていない。

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台風 17号が南の暖かい空気を引っ張り込んでしまったら、また暑苦しくなるかもしれないと思っていたが、つくば周辺では明日は最高気温が 20℃ で、最低気温は 16℃ と予測されている。こうなると、夜などはちゃんと毛布を掛けないと寒いぐらいだ。

「寒い」という言葉で妙なことを思い出してしまった。私の母が子どもの頃、つまり戦前の話だが、近所に変わったオジさんがいて、夏は上半身裸、冬でもシャツ 1枚で過ごしていたという。そしていつも「全身の皮膚を顔にしよう」とかなんとか書かれた旗を掲げて歩き回っていたのだそうだ。

なるほど、冬になっても顔は外気に触れたままで大丈夫なのだから、もし全身の皮膚を顔にしてしまうことができたら、冬でもシャツ 1枚で十分すぎるほどだろう。もっともその乱暴な発想に積極的に挑戦してみようとは決して思わないが。

というわけで、「どうして顔の皮膚は寒さを感じないのか」ということを調べようと思い、試しにググってみたのだが、これがまた、結構面倒なことになった。

例えば「Yahoo! 知恵袋」で "寒い冬でもなぜ「顔」だけは寒くないのですか?" という質問へのベストアンサーに選ばれたのが、「マスクをすると体感温度が1℃上がるそうです。寒い日にはマスクをしてみて」というものだ。質問とは全然無関係の話である。こんなものがどうして「ベストアンサー」なんだ。

他にも "寒くても顔が寒くないのはなぜですか?" という質問に「感覚と発熱の問題です。水中では、体温の90%が頭部から奪われます。頭部の防寒は効きますよ」なんていうアサッテの方からの「ベストアンサー」もある。質問の趣旨を勘違いしているとしか思われない。

数少ないまともな解答を探しまわった結果、OKWAVE での「布団から肩が出ていると、とても寒く感じてなかなか寝れないのに肩から上(顔)が出ていても寒く感じないのはなぜですか??」という質問への KGS さんの解答が見つかった。要点をまとめるとこんな具合である。

  • 皮膚には外部からの刺激を感じる痛点、圧点、冷点、温点の4つがセンサーがあるが、各センサーの分布が体の部位によって違う。
  • 冷たさを感じる冷点はクラウゼ小体とも言われ、人間の場合、生命に直接影響のある内臓近くに多く分布している。
  • 顔は内臓から遠く、脳は頭がい骨に守られているため、寒さより熱を警戒しているために、冷点が少ない設定になっている。

なるほど。これは論理的に納得できる。

さらに「素朴な疑問集」というサイトの ごまさばさんからの解答が、「なるほど、それもあるかもね」と思わされる。まとめるとこんな感じだ。

  • 顔同様にいつも外気に晒されている「手」は冷たさを感じる。
  • この違いは、顔は手と比べて「血液の量」が違うからではないか。
  • 脳には大量の血液が循環するから、顔の体温が奪われにくいのではないか。

一応の結果としてまともなのは、この KGS さんと ごまさばさんからの 2つの解答しか見つからなかった。というわけで今のところ、この 2つの合わせ技で納得しようと思っている。

なお、ごまさばさんの解答の上に表示されている mars さんの書き込みは、一見もっともらしいが、基本的なところで「実は顔面は後頸・前腕と並び全身の中で最も『冷点』密度が高い部位の一つだといいます」という記述がまったく事実に反するので、無視! (「ヒトの冷感受性の部位差について」という学術論文参照)

インターネットはこれだから、アブナいところがあるというのだ。

あるいは人間の「暑さ/寒さ」という感覚をさらに深く突き詰めると、単純に気温や湿度と皮膚のセンサーとの関連だけでは済まない「複雑系」の領域になってしまうかもしれない。何しろ「全身の皮膚を顔にすれば寒くない」という乱暴な発想もあるくらいだからね。

 

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2019/08/07

手の甲の汗 2

このブログの右サイドバーのずっと下の方に「人気記事ランキング」という項目があって、このブログで多く読まれている記事のベスト 10 が表示されている。そしてここ最近、14年以上も前に書いた「手の甲の汗」という記事がずっと最上位にランクされている。

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これは、私が手の甲に異常に汗をかいてしまうということを書いただけの記事なのだが、こんなに長期間にわたってアクセスが集中するというのは、世の中には私同様に手の甲の汗に悩む人が少なくないということを表していると思う。試しに「手の甲の汗」でググってみると、私の記事は 4番目にランクされている。

しかし上位 3つのページを読んでみると、総じて「汗」一般についての記述になっていて、決して「手の甲の汗」について論じられたものではないとわかる。5番目以下のページにしても、「手汗」すなわち「掌の汗」についての記述が多く、「手掌多汗症」なんていう症例が紹介されていたりするだけだ。

つまり「手の甲の汗」に絞って記述されたインターネット・ページというのは世の中でかなりレアな存在のようなのだ。つまり、決して一般的な例とは言えないということである。ただ、一般的ではないにしても私の「手の甲の汗」という記事に連日少なくない一定のアクセスが記録されるというのは、「レア・ケースではあるが、無視できるほどのものでもない」ということなのだと思う。

つまり「手の甲に汗かき過ぎちゃうんだよね」という人は、人知れず結構存在しているってわけだ。

私のケースで言えば、真夏の炎天下を歩くと、すぐに上の写真のように汗をかく。手の甲の汗腺から大粒の汗が盛り上がるように噴き出すのだ。ハンカチで拭いても、1〜2分ですぐにこんな状態になる。冷房の効いた電車や部屋に入っても、体が冷えて落ち着くまでは汗が噴き出し続ける。

手の甲にはこんなに汗をかくのに、掌の方は案外さらさらなのが我ながら不思議だ。妻は「あなたの『汗腺最多地帯』が手の甲ってことなのよね」とあっさり言うが、当人にとってはかなり不愉快な現象で、そんなにあっさりとは済まされるようなものではない。

ただ、私の汗はまだマシな方のようで、14年前の記事には「酷いふやけ方をします。まるで水死体です」というレスが付いている。私の場合は「水死体」と見まごうほどのふやけ方はしない。ただ、このま死ぬまで真夏になると手の甲の汗を拭き拭き過ごすことになるのだろう。

 

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2019/07/15

「ほうれい線」巡る冒険 その2

昨日は「ほうれい線」の語源が中国の面相学でいうところの「法令紋 - 法令線」からきているらしいというところまで書いた。「法令紋」というのは、これをキーワードにしてググって見ると、中国語のページがいくらでもヒットする。

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上の画像はその中の 1つで、「面相大全」というものだ。これを見ても、語源は「法令紋」なのだろうと無理なく納得できる。

ただしかし、今度は「面相学」とやらではどういうわけで「法令紋」なんていうのかが気になって眠れなくなってしまうので、いろいろググってみた。もしかして中国語のページではきちんとした説明があるのかもしれないが、こちらとしてはそれをちゃんと読めないのが痛恨である。

で、日本語のページでなんとか「それらしいかもしれん」とまでは思えたのが、「人力検索はてな」のページで、次のようにある(参照)。

東洋医学の元をつくった医師たちは、まっすぐに歩きにくい状態の人をみて、
法令線も、左右対照でないから、
【人間としての道を 真っ直ぐに生きる人 → 法令の線を歩ける】
左右の太さと長さが違う人は、骨盤が曲がって、真っ直ぐに歩けなくて、
【人間としての道も真っ直ぐ歩けない人 → 法令を守れない 】
・・と
お顔のシワを見て、骨盤の異常を見分けられたので、・・・こんな、
たとえ方をしたので、【法令線】という名前になりました。

まあ、これで完全に納得したわけではないが、「法令紋が左右対称でない人は骨盤も曲がっていることが多いので、人としての道を真っ直ぐにあるけず、従って法令を守りにくい」という話からきているという「説もある」ということである。ここから先へは今のところ一歩も進めないので、この辺りで一段落つけるしかない。

とにかく、「ほうれい線」の語源は中国面相学の「法令紋」であり、それを長寿の象徴としてご都合主義的に「豊麗線」とか「豊齢線」とかいう当て字で書き習わしてきたことまではよくわかった。一応それで納得しておこう。

ただ、「長寿の象徴」であった「豊麗線」や「豊齢線」のイメージが、長生きが当たり前になった現代に至って一転し、「年寄りくささの象徴」として忌み嫌われるようになったのは、まったくもって皮肉なことである。そして「厭うべきもの」になったとたんに、発音はそのままで表記だけ平仮名にしてしまったというのは、なんだかずいぶんあざといことのように思えてしまうなあ。

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2019/07/14

「ほうれい線」を巡る冒険

近頃、新聞や Web で「ほうれい線対策」の広告をよく目にするようになったが、「ほうれい線って、漢字でどう書くんだろう?」と気になりながら、忙しさに紛れてずっと調べていなかった。今朝になって急に思い立ってしまって手持ちの「大辞林」アプリで調べてみると、なんと「豊麗線」という表記の項目が見つかった。

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語義としては "鼻の横から口角にかけて「八の字」型に広がるシワのこと" とあり、「鼻唇溝(びしんこう)」という即物的な医学用語もあるという。さらにおもしろいことに、「豊齢線」「法令線」という表記もあるという。

いやはや、驚いた。ただ、この類いの広告で「豊麗線」なんて書いてしまったらあまり対策するモチベーションを喚起しないだろうから、敢えて「ほうれい線」とひらがな表記でぼかしているのだろうね。

ただ、「豊齢線」はまだ理解できるが、「法令線」とは一体どういうわけでそう表記するのだろうか。「ほうれい線」の表記の奇々怪々さに関する興味が俄然湧き上がってしまった。

ただこれついては、Wikipedia であっけなく解決してしまった。「語源は中国の面相学における『法令紋』に由来する」とある。あまりあっけなくて拍子抜けしてしまったので、念のため Wiki の記事の「脚注・出典」にある 「Goo 辞書」に飛んでみると、次のようにある。

ほうれい‐せん〔ハフレイ‐〕【法令線】
人相学(観相学)で鼻唇溝 (びしんこう) のこと。
[補説] 語源未詳。中国の面相学では法令紋という。また、長寿のしるしとして豊齢線、豊麗線とも書く。

へえ、「大辞林」なんかより「Goo 辞書」の方がずっとしっかりとした解説がしてあるじゃないか。つまり元々は中国の面相学からきた 「法令紋 ‐ 法令線」が正しくて、「豊麗線」や「豊齢線」はご都合主義の当て字のようなのだ。念のため「法令紋」でググってみると、中国語のページがいくらでも出てくるので、信用していいだろう。

と、本日はここまで。全体としてはちょっと長くなりそうなので、ここから先は明日付けにまわすことにしたい。

 

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2019/06/28

「七五調感覚」さえ不確かな日本人

一昨日の「日本人のアクセント感覚の不確かさ」という記事で、かなり多くの日本人のアクセント感覚がはなはだアテにならないことについて触れ、「アクセント感覚を磨くには、結構訓練が必要」と結論づけた。

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それと同様に「七五調感覚」というか、日本語のリズム感みたいなものも、きちんと身に付けるには訓練が必要ということに最近気がついた。日本語を使いながら日本で暮らしている日本人は、物心つけばいやでも自然に七五調感覚が身につくものと思っていたが、あながちそうとばかりは言えないようなのだ。

上の画像の左 2つは駅名を左から読むと「五七五七七」の短歌調になり、右は上から読むと「五七五」の俳句調になる。これに自然に気付く人はよほど「七五調感覚」が身体化された人で、フツーの人はほとんど無意識のようなのだ。

ちょっと前に、まったくの初心者を対象とした「俳句教室」というのを覗いてみたことがある。私は「五七五七七」の短歌は毎日詠んでいる(参照)が、「五七五」の俳句にはちょっと苦手意識があるので、改めて基礎から学んでみようと思ったのだ。しかしこの講座、こう言っちゃナンだがレベルが低すぎてちっとも勉強にならなかった。

講師の話が一通り終わってから参加者が 1人 1句作って提出し、講師の評を仰ぐ。ところが提出された作品のかなり多くが、習ったばかりの「基本のキホン」から外れまくっている。「季重なり」が多いのは予想できたことだが、そもそもお約束の「五七五」でさえなく「五七七」になっちゃってるのが、どういうわけかメチャクチャ多い。

例えば「花見の日春風吹いてコーヒーを飲む」なんてのがやたら目立つのである。講師に「五七五になっていなくて、季重なりでもありますから、言葉の順序を変えて『花見の日コーヒーを飲む風の中』にすれば解決しますね」なんて添削され、指折り数えて初めて「あ、そうか!」なんて言い出す。小学生ぐらいなら、それもありだろうけどね。

「五七五」のリズム感覚ぐらい、まともな大人になれば自然にカラダに入っているものと思っていたのだが、どうもそうじゃない。聞いて瞬時に「五七五」と「五七七」を識別できる人というのは、案外少ないみたいなのである。ちなみにこの人、どこが季重なりなんだかまではわかっていない様子だった。

言葉に関する意味や感覚がきちんと身体化されている人って、実は驚くほど少ない。勘違いしていたり無意識だったりすることがかなり多いというのが、近頃よくよくわかってきた。

言葉を問題なく使っても、必ずしもその真意が伝わらないというのも、むべなるかなである。プレゼンなどで「あ、これってまともに通じない人や勘違いして逆に受け取る人がいるな」というのが経験則としてわかってきたので、そんな場合にはちょっとクドいほど言い方を変えて説明しなければならないのだよね。

 

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2019/06/08

土下座の作法があるとすれば

昨日から東北方面に出張に出ていて、ホテルで見たテレビのニュース・ショーで、田口淳之介というタレントが保釈された途端に「土下座で謝罪した」という映像がしつこいほど流されていた。こう言っちゃナンだが、違和感と滑稽さともの悲しさの入り交じった妙な映像だった。

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悪いけど、私も一応武道をやっていたので、あれを「土下座」と言うのは抵抗ありすぎだ。あんなのは四つん這いのまま前につんのめっているだけなので、いずれにしても異様なまでに無様な光景としか映らない。やるならやるで、事前に「美しい土下座」を勉強しておけばよかったのにね。

まあ、「正しい土下座の定義」なんてものがあるわけじゃないので、しゃっちょこばったことを言ってもしょうがないが、強いて言えば「通常の座礼」をさらに徹底して、地べたにひれ伏すようにしたのが土下座と思えば、あながち的外れじゃないだろう。

じゃあ、「通常の座礼」ってどんなのかというと、あんなにお尻を高く上げないし、肘を直角に張ったりもしない。正座した状態から両手を膝の前に三角形に揃え、背筋を伸ばしてお辞儀する。すると当然、肘のあたりまでは地に接するようになり、背も丸まらないから頭が地べたに突っ伏すこともない。

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上の写真は天心流兵法のページ(参照)から拝借したものだが、とても立派な座礼である。そして「土下座」となるともっと極端にひれ伏すのだろうから、さらにぺったんこになるものと思えばいいだろう。ただし、いくらひれ伏すと言っても頭だけを下げすぎると背中が丸まってしまうからよくない。ひたすら上半身をまっすぐにしてひれ伏すのが「美学」というものである。

結構筋力も必要だし、ます第一に腹に脂肪が付きすぎていてはできない。美しい土下座をするにも、節制と訓練が必要なのである。

大麻で逮捕されて釈放時にあんな妙ちくりんなパフォーマンスをするってのは、基本的になにやら勘違いしてるんじゃないかと思うほかない。そもそも勘違いしてるからこんなことになるわけなのだが。

それから、「大麻解禁」に向かう国際的潮流の中で日本の警察はことさらナーバスになって頑張っちゃうつもりかも知れないから、隠れて(いるつもりで)ヤッてる芸能人は気をつけた方がいい。「こいつ、何かヤッてるな」というのは、大概わかっちゃうからね。

 

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2019/05/29

カモガヤのアレルギーがひどいので

昨日、ここ 1週間ほどの陽気と比べてちょっとだけ涼しかったので、意を決してエンジン式草刈機で裏の土手に生えるカモガヤを刈りまくった。カモガヤだけでなく、我が家から 200メートルぐらいまでの距離の土手草はすっかり刈ったので大分すっきりした。

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カモガヤをメイン・ターゲットとしたのは、カモガヤ・アレルギーがひどいからである。私は 2月頃から杉花粉アレルギーが出て、それが終わらないうちにヒノキ花粉アレルギーがひどくなり、それがようやく収まったかと思うと、今度はカモガヤに悩まされてしまう。2月から 7月初めまで、1年 12ヶ月のうち 6ヶ月は花粉アレルギー症状が出るという、因果なカラダなのである。

症状に関して言えば、杉やヒノキよりもカモガヤの方が確実にひどい。目は痒いし、鼻水も止まらない。それに大きなくしゃみが 20〜30連発ぐらいになってしまうので、体力も消耗する。

そんなわけで、昨日は必死に草刈りをしたのである。一人で 1時間半ぐらいかけ、土手をすっかりきれいにした。時々町内会の依頼でシルバー人材センターから派遣された人たちが 4〜5人ぐらい来て、3時間以上かけて草刈りをしているが、はっきり言って私が 1人で 1時間半の作業をする方が、ずっと広い面積の草刈りをする。

私だって立派な「前期高齢者」なのだが、どうしてまたこんなにも元気でいられるのか、さっぱりわからない。わからないが、カモガヤが劇的に減ったことはたしかなので、今日はかなり楽である。杉やヒノキなどの高木と違い、カモガヤは背が低いので、近くに生えているのを刈ってしまうと、飛んでくる花粉の量がかなり減るみたいなのだ。

やれやれ。それにしても因果なことである。

 

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