カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2021年7月26日

年を取ると年を忘れる?

7月 14日付の「女性が男性より長生きするのは」という記事でも触れたが、65歳を過ぎてからというもの、自分の年齢を明確に意識しないで生きてきてしまっている。実は今日が誕生日で、指折り数えれば 69歳になってしまったのだが、「それって、どこのどなたのお話?」みたいな感覚でしかないのだ。

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これ、ひとつには「数字が極端に苦手」というためでもあると思う。このことに関しては、"「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ" (2011年 7月 13日付)、"苦手なのは「数学」じゃなく、「数字」なのだった" (2018年 5月 17日付)という 2本の記事に書いている。

とにかく、3つ以上の数は「たくさん」と言うほかないという原始人ほどじゃないが、どうやら 60代半ば辺りから、一桁めの数はとりとめがなさすぎて、どうでもよくなってしまったようなのだ。何ともはや、テキトーなお話である。

これ、来年に「70歳」という区切りを迎えればリセットされて、もう一度明確化されるだろうとは思っている。ただし、もしかしたら自分が 70歳以上という事実が途方もなさ過ぎて(要するに内心で認めたくなくて)、逆にますます混迷の度が深まるかもしれず、油断がならない。

お陰様で見かけだけは結構若作りで、髪の毛も黒いままなので、14日の記事で書いたように「50歳代の連中に平気でタメ口をきかれる」とか「本当の年がバレた途端にやたら恐縮されたりする」なんてことになっている。もっとも本人が年を忘れてるのだから、周囲が相応に見てくれないのも当たり前か。

ただ近頃、時々疲れてストレスが溜まった時など、こめかみのあたりに白髪が 2〜3本現れることがあり、「おお、これで年相応に見てもらえて、面倒が減る!」と思ったりする。ところがしばらく経つとまた黒くなって振り出しに戻るので、なかなか先に進めない。

白髪のメカニズムって、本当にどうなってるんだろう。

とまあ、こんなようなどうでもいいことを考えながら、今年もなんとか夏の暑さを乗り切ろうと思っているので、今後ともどうぞ

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2021年7月23日

ユニクロ「エアリズムマスク」で夏を乗り切るか

暑い! もういい加減に、マスクをするのは勘弁して欲しい。勝手な言い草に聞こえるかも知れないが、私は一昨日でコロナ・ワクチンを 2回接種しちゃったことだし。

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とはいえ、今どきマスクなしで人前に出たらまともに人間扱いしてもらえないから、頭がボウッとしそうになりながら、仕方なく律儀に着用している。

買い物なんかだと、まだいい。大抵のショップは店内をかなり涼しく空調していて、そんなに苦しくない。問題は企業や団体を訪問する時だ。エコ意識の高い事業所ほどエアコン設定温度は高めにしているから、会議室などではソーシャル・ディスタンスを確保しながらも、やはりしんどい。

30分以上いると頭がボウッとしてしまいそうだが、こちらとしても普段から「エコ、エコ」と言っているし、付き合いのある事業所の多くも「環境対策」を打ち出しているので、「もうちょっとエアコンを強めにしましょ!」なんて言い出すわけにいかない。これがなかなか辛いところだ。

勤め人たちはオフィスでいつもマスクしているので、案外平気な顔をしているが、フリーの立場の私は家にいる時にマスクなんてしないので、「マスク慣れ」の度合いに差がある。こんな状態が 9月後半になるまで、あと 2ヶ月も続くのだと考えると、何とか対策しなければと思う。

というわけで、ユニクロの「エアリズムマスク」というのを買ってみた。3枚セットで 990円だから、高からず安からずという絶妙な価格設定である。

購入前にユニクロのサイトに行って購入者のコメントを見ると賛否両論ではあったのだが、ものは試しと着用してみたところ、個人的には「うむ、これなら、ほかのマスクよりまだマシ」と思えた。決して「接触冷感」というほどではないが、少なくとも「ムカムカ感」は軽減される。

エアリズムでしのぎながら、あとは日本全体のワクチン接種率が高くなって、マスク着用をうるさく言われなくなるのを待つだけだ。それまでにどのくらいかかるだろう。

来年の年明け早々なんて期待していたら、その時になって失望してしまいそうだから、せいぜい次の夏前にはマスクから解放されたいものである。なにしろ昨年以後に知り合った人たちに関してはマスク着用でしか会ったことがなく、素顔をほとんど知らないのだから、早く正体を知りたいではないか。

女性の中には「マスクしてると、目元さえバッチリ化粧すればいいから楽よ」なんて言ってる人もいるので、彼女らがマスクを外しても美人なのかどうか、確かめてみたいなんていうちょっと下世話な興味もあるしね。「マスクを取ったら誰だかわからなかった」なんてことがないことを望みたい。

最後に蛇足かもしれないが、2度目のワクチン接種直後の体調を報告しておく。人によっては熱が出たり体がダルくなったりして寝込んでしまうことも珍しくないらしいが、私の場合は腕の痛みが少々残っただけで、それ以外の症状はなく、このブログも快調に更新できている。

ありがたいことである。

 

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2021年7月14日

女性が男性より長生きするのは

Gigazine に「女性が男性より長生きする理由とは?」という記事がある。元記事は科学系メディアの Live Science の "Why do women tend to outlive men?" なので、結構科学的なアプローチでまとめられている。

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第一に指摘されているのは、女性ホルモンのエストロゲンと、男性ホルモンの一種であるテストステロンの相違だ。エストロゲンは心臓病などから体を保護する働きがあり、テストステロンは乳がんや子宮頸がん、前立腺がんなど、複数の病気の発症リスクを高めるという。

男性は乳がんや子宮頸がんなどには縁がないが、前立腺がんの発症リスクが高まるのはは問題だ。このほかにテストステロンは「危険な行動を引き起こしたり、高い攻撃性と関連」しているという。なるほど、男性のライフスタイル(俗に言う「男らしさ」?)の方が生存に関わるリスクが大きいわけだ。

この記事にある男女の平均寿命の表を見ると、昭和 35年(1960年)で男性 65.32歳、女性 70.19歳、令和元年(2019年)で男性 81.41歳、女性 87.45歳となっている。

1960年代だったら、私なんか死んでいても不思議じゃない。なるほど、この時代を反映する漫画『サザエさん』で、父の波平さんが、当時のサラリーマンの定年前(つまり 50代)のくせに、あんなに頭の禿げたジイさんぽい容貌で描かれているのも道理だ。

ちなみに私と妻の父母の場合は、どちらも父の方が長生きで、とくに妻の父は 90歳近い今も存命だ(参照)。このパターンは私の代で打ち切りたいので、妻にはいつも「私の方が先に死ぬから、後はよろしくね」と言っているのだが、妻は「それだと、力仕事を頼めないから困る」なんて勝手なことを言っている。

ちなみに私は今月の 26日が誕生日で、計算してみると 69歳になるというので、自分で驚いてしまっている。還暦を過ぎてからというもの、自分の年齢を具体的に意識したことがないので、まだせいぜい 65〜66歳のような気がしていたが、月日の経つのは早いものである。

ただ私の場合、見かけだけは妙に若いので、50歳代の連中に平気でタメ口をきかれる。本当の年がバレた途端にやたら恐縮されたりするのだが、そんなのは別にいいんだけどね。

 

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2021年7月 3日

雨が降っても、滅多に傘をささない私

先日、妻がラジオを聞きながら笑っているので、何がおかしいのか聞いたところ、番組リスナーからの投稿でおもしろいのがあったのだという。

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どんなのかというと、「先日、外出した妻から電話があり、『雨が降り出したから、迎えに来て』というので、言われた通りに迎えに行ったところ、『何しに来たの!?』と怒られました。ふと気付くと、手ぶらでしっとりと濡れた俺がいました」というものだったのだそうだ。

「雨が降っても傘をさす発想がないのは、まるであなたみたい」と妻は言う。なるほど、そのリスナーは電話で頼まれた言葉通り、「単に(手ぶらで)迎えに行っただけ」ということだったみたいなのである。

さらに言えば、そのリスナーさん、傘をさす発想がないというだけでなく、言われた言葉を文字通りにしか受け取れない「アスペルガー気味」なところも、私とよく似ている。その奥さんもそのところをちゃんと理解して、念のため「傘を持って迎えに来て」と頼めばよかったのにね。

確かに妻が言うように、私は雨が降っても滅多に傘を差すことがない。つくばの田舎暮らしなので、晴れれば自転車で行くことがあっても、雨が降れば大抵はクルマででかける。クルマを降りたら「訪問先の入り口まで走りさえすればいい」と思っているので、傘なんて使う気になれないのだ。

この 2日間、この辺りでもかなりの雨降りだが、昨日妻に頼まれてスーパーに買い物にでかけた時も、ついに傘は使わなかった。クルマから降りて傘を広げているうちにもどうせ濡れるのだから、店先まで走る方が面倒がないではないか。

そうかと思うと、ほんの一滴降ったかどうかというような場合でも、律儀に傘をささなければ気が済まないという人もいる。それどころか、自転車に乗っていても傘をさしてしまうという人もいる。さらにさらに、晴れていても日傘を差してママチャリに乗るオバサンまでいるのだから、世の中信じられない。

傘をさす、ささないは自由だけれど、命が惜しかったら、あるいは怪我をしたくなかったら、自転車に乗って傘をさすのだけはやめようね(参照)。

 

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2021年6月28日

まるちゃんが、知らぬ間に中学生になってた

近頃は仕事上での移動もクルマに乗るばかりで、滅多に電車に乗ることがなくなり、社内の吊り広告の類いにもほとんど馴染みがなくなっていた。

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そして昨日、2ヶ月ぶりぐらいで電車に乗ったところ、早稻田アカデミーの広告にセーラー服を着た「ちびまる子ちゃん」が登場していたので驚いてしまった。あの花輪君も一緒である(参照)。

マンガの『ちびまる子ちゃん』は、雑誌『りぼん』の 1986年 8月号から 1996年 6月号までレギュラー掲載され、単行本にもなった。我が家では 1981年生まれの長女を筆頭とする 3人の娘が 1990年あたりから夢中で単行本を読むようになり、それに続いてテレビ・アニメもスタートした。

このマンガの設定時期は、作者の さくらももこ さんが静岡県清水市で小学校の 3〜4年生時代を過ごした 1974〜1975年となっていたので、私と妻が一緒に暮らし始めた時期と重なり、懐かしさもあって子供たちと同様、楽しみにしていたものである。

あの頃の まるちゃん はドジばかりの憎めない女の子だったが、中学生に成長した姿を見ると、気のせいか身長が少し伸びたように思える。顔の表情まで少しクールになり、なるほど、後に成長して「エッセイまんが」を書き始める才能を秘めた子であることを窺わせるではないか。

早稻田アカデミーというところには全然縁がないが、この広告はちょっとしたヒットではないかと思ってしまう。アニメを毎週楽しみに見ていた世代が今、自分の子どもに受講を勧めたくなってしまうかもしれないね。

まさに「時代は巡る」である。

 

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2021年6月17日

ネコがベッドの足許に飛び乗って「ふみふみ」する時

Gigazine に "なぜネコは「足でふみふみしてくる」のか?" という記事がある。ウチでも昔は 犬 1匹、猫 2匹飼っていたから、ネコの「足でふみふみ」はお馴染みの行為だった。これ、猫を飼っている人なら大抵「ねえねえ、かまってかまって」のサインであることぐらい知っている。

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ウチでは昔、年長の白猫と、年少の黒猫を飼っていた。気位がやたら高くいつもツンと済ましている白猫に対して、甘えん坊ですぐにすり寄ってくる黒猫と、性格は対照的だったが、どちらも早朝に甘えたいときには、こちらの寝ているベッドの足許に飛び乗って、「足でふみふみ」してくるのは同じだった。

ただ、白猫はほんのたまにだが、黒猫の方はしょっちゅうという違いはあった。いずれにしても「足でふみふみ」された時には、「おいで」と一声かけて布団にちょっと隙間を作ると、喜んで潜り込んでくるのだった。

いや、黒猫の方は大喜びで飛び込んできたが、白猫の方は、「まあ、しょうがない、付き合って上げるわ」ってな風を装いつつ、もったいぶって潜り込んでくるという点でも違いは見せていたかな。

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Gigazine の記事を読んで、こんな昔の記憶をなつかしく蘇らせてしまった。自分の和歌ログを辿ると、白猫が最後に登場したのは 2010年 10月 31日付で、それから間もなく死んでしまった。そして黒猫の方もその翌年の 4月 26日に息を引き取り、家の中が一気に静かになった。

おもしろいのは、日本語の記事では「足をふみふみ」と表現される行為が、Coversation というサイトの元記事では ”Why do cats knead with their paws?” (なぜネコは前足で "knead" するのか?)というタイトルになっていることだ。”Knead” というのは「こねる」という意味である。

これ、子猫のときに母親の腹部をこねて「ミルク飲みたい」と伝えていた頃からの名残が、成長してからもずっと続いているものらしい。やっぱり「甘え」のサインに間違いないのだね。

ただ ”knead” というのはちょっと学術用語っぽくて、フツーには ”making buiscut"(ビスケット作り)なんて言うらしい。なるほどね。これってほとんど前足でやるから、日本語でも「ふみふみ」と言うより「こねこね」の方がいいかもしれない

 

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2021年6月15日

授業をサボり、庄内砂丘に寝転がる

これについては既に書いているような気がしていたのだが、ちょっと断片的に触れたことはあっても、まともに書いたことはないとわかったので、今さらながら、半世紀前の思い出話を書かせていただく。きっかけは 3日前の記事で、「よく授業を抜け出してサボっていた」と触れたことだ。

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私は高校時代、よく授業をサボって学校を抜け出していた。授業の出席率は、教科ごとに最低 75%に達していないと単位を取得できないという規定があると知ったので、私はそれを逆手にとって「じゃあ、4回に 1回はサボってもいいんだ」と解釈していた。

実際には 5回に 1回ぐらい、単純計算で 1日に 1時間以上はサボっていたことになる。というか、出席の取り方の甘い教師の授業では、もっとサボっていたかもしれない。

その頃に全校生徒を集めた朝礼で生活指導の教師が、「最近職員会議では授業の出席率が著しく低下して、97〜98%ぐらいになっているのが問題になっている」と強調した。「97〜98%と言えば問題ないように聞こえるかもしれないが、以前はずっと 99%以上だったのだから、大問題だ」というのである。

出席率を下げた最大の要因は私のサボりだったようなのだが、それでも 3日前に書いたような事情で、教師に直接咎められることはなかった。卒業してから聞いたところによると、「あいつは自由に生きていくタイプで、ひどい悪さをするわけでもないから、放っておくしかない」と思われていたらしい。

私の高校は当時、自転車で登校できるのは自宅との距離が 1.5km 以上あることという規定があったが、私の家は 1km ちょっとだから、自転車登校の許可証が貼れない。そこで私はいつも学校の裏手のちょっとした木陰に自転車を停め、サボった時の足に使っていた。

天気のいい日に学校を抜け出し、自転車に乗って行く先は、庄内砂丘である。酒田の市街地は最上川の北側に集中しており、その海岸は酒田港だから、砂丘らしい雰囲気のところまで行くには、南岸に渡るのが手っ取り早い。そうでないと市街地を抜けて 10km ほど北に行かなければならない。

私が高校を卒業した翌年に、最上川河口近くに出羽大橋という大きな橋が完成したが、その前は乗船無料の渡し船(写真参照:多分、市営だったと思う)に乗るのが近道だった。この渡し船に自転車ごと乗り込み、対岸の宮野浦に渡る。

乗客は私一人ということもあり、学校は授業中の時間帯なのだが、船頭さんは毎回何も言わずに渡してくれた。思えば大らかな時代だった。

対岸で再び自転車を漕ぎ、砂丘に出る。庄内砂丘は全長 40km にわたる広大な砂丘だが、鳥取砂丘のように砂漠的な様相ではなく、江戸時代に植えられたクロマツの防風林が延々と続いていて、海岸に沿った部分だけが砂浜となる。

砂浜になってしまうと自転車では進めないので、防風林の中に自転車を停め、歩いて誰もいない浜に出る。急に開ける目の前は日本海だ。砂丘で仰向けに寝転ぶと、目を閉じても日の光が眩しい。浜に打ち寄せる波の音が足許の方から絶えず響き、空からはトンビのピーヒョロヒョロと鳴く声が聞こえる。

学校はつまらないが、世界は広く開けている。その開けた世界こそが自分の生きていく場所に違いないと思いながら、しばらく瞑想のように横たわる。

サボるのは授業の 1時間か 2時間の間だけなので、砂浜に寝転がっていられたのは長くても正味 30〜40分ぐらいのものなのだが、しょっちゅう行っていたので、全部合わせれば何十時間もいたことになり、その度ごとに永遠の至福のように感じられた。

この庄内砂丘で寝転がっていた体験は、今でも大切な心の財産になっている。ありがとう、庄内砂丘。

 

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2021年6月 4日

夢の中での「神のお告げ」やら何やら

一昨日の TBS ラジオ「伊集院光とらじおと」を聞いていて、伊集院の「夢」に関する話に笑ってしまった。彼は今月 13日に師匠である三遊亭円楽との「二人会」を開くことになっているせいか、最近寝ていても落語の夢ばかり見るという。

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その夢の中に登場する「落語の神様」(何故か、顔がラモス瑠偉なのだそうだ)が、演じ方に関して、それまで思いも付かなかったような素晴らしい示唆をしてくれる。それを聞いて「ああ、そうか!」と、はたと膝を打つほど感動・得心するのだが、朝になるとすっかり忘れてしまっているのだという。

ある夜、今度は何故か今は亡き元プロ野球選手・解説者の松木健次郎さん(写真・右)が「落語神」として現れて、最上級のアドバイスをくれた。そこですぐに目を覚まして、忘れないように急いで枕元のスマホにメモ書きし、またすぐに眠りに落ちた。

朝になり、どんなアドバイスだったろうと心躍る思いでおもむろにスマホを開くと、こんなメモが出てきた。

「おっぱい揉んどくんだった」

どうして夢の中ではこんなことに感動したのかさっぱりわからないが、しかし、さすが伊集院である。本番ではこれを何とか噺の中に盛り込むつもりらしい。

これを聞いて、「そうそう、夢の中での『神のお告げ』なんて、大抵そんなようなもんだよね」と思ったのは、私ばかりではなかろう。

かくいう私もブログのネタ関連で「素晴らしい神のお告げ」を夢に見ることがある。「うわぁ、こんな世界を一言で語り尽くすほどの『人生の機微』を書いちゃったら、ブログ界に革命が起きるじゃん!」と思うほどだが、ご多分に漏れず、そんな「お告げ」は、目が覚めた頃にはすっかり忘れてしまっている。

つい先月もまたまたそんなような夢を見て、この時ばかりは「これだ!」とばかりに、息も弾むほど興奮して目が覚めた。ところがその場で冷静になって夢の中身を思い出してみると、「子どもの三輪車にバッテリーを付けて筑波山をヒルクライムし、それをブログに書け!」みたいな、アホな話である。

これを本当にやったら、確かに変な意味での反響はあるかも知れないが、あまりの馬鹿馬鹿しさにがっくりと脱力。夢の中ってよくよく「異次元の世界」と思うほかない。

そんな話をしていると、妻まで「私もよく見る夢があるの」と言い出した。「夢の中で従姉妹の T ちゃんと散歩してると、T ちゃんが空中を飛び始めるのよ」

「T ちゃん、飛べるんだ、いいなあ! と思っていると、「あなたも飛べるわよ。飛んでみなさいよ」と言われて、試しにひょいと弾みをつけると、当たり前のように体がフワリと宙に浮く。

うわぁ、私って、飛べるんじゃん。どうして今まで気付かなかったんだろう。これからはいつも飛ぶことにしよう!」なんて思いながらいい気持ちで空中浮遊しているうちに、ふと目が覚めてしまう。

そうか、だから妻は夢が実現して、いつも「飛んでる」のか。

 

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2021年5月16日

「図を使って考える」というより・・・

東洋経済 ONLINE に 「頭のいい人が図を使って考える 3つの訳」という動画記事がある。YouTube の動画によるプレゼンみたいな形の記事だ。

「3つの訳」(動画のタイトルは「3つの理由」となっているが)というのは、図を使って考えると次のような効果があるというのである。

  1. 枝葉末節がそぎ落とされて本質がクリアになる
  2. ビッグピクチャーを得られる
  3. 思考の「見える化」ができる

かなりもっともらしく聞こえるが、私は「ちょっと待てよ」と言いたくなった。というのは、ここに挙げられた 1番と 2番は矛盾するのである。

1番では「情報が多すぎると、情報を整理するだけで手一杯になって思考の低下を引き起こす」と言い、2番では「正しく深く考えるためには、今考えていることに対して影響を及ぼすすべての要素を、視野を広げて大きく捉えることが必要」と言っている。

1番で「航空写真は情報量が多すぎて役に立たない」と言いながら、2番では「視点を上げることによる『鳥の目』が必要」と言う。頭の中にきちんと「図」を描きながら聞いたら(この場合は並列的な図となるが)、その図の中の 1番と 2番はケンカしてしまう。

私の場合でいえば、思考する時には順序としてまず「ビッグピクチャー」を描き、そこからだんだん絞り込んでいく。つまり 1番と 2番は同時には不可能なので、必然的に「時間軸」の要素が必要となり、そうすると順序を逆にして言う方が自然なのだ。

さらに経験則から言うと、「枝葉末節をそぎ落とす」ことが文字通り有効となるのは、「自分で考える時」というより「考えたことを提案する時」だと思う。

私としてもプレゼンをする時にはよく図を使うが、それはある意味、相手に「余計なことを考えさせない」ためである。ストレートに納得してもらうために、敢えてとりあえず視野を狭めて集中してもらう。いわば pursuasion(説得)の手段だ。

その上で、プレゼンが終わってから視野を広げて考え直してもらう分には一向に構わない。それで「待てよ、それって変じゃない?」なんて思われるようでは、プレゼンター側の最初の「ビッグピクチャー」の描き方がお下手なのだ。

このビデオ序盤のストーリーは「頭のいい人たちを見ていて、その共通点は『よく図を使う』ことだと気付いた」ということになっているのだが、それは彼らがプレゼンや会議の際に、上手に図を使うのを見てのことだろう。そもそも実際に思考に没頭している姿なんて、あまり人前にさらさないものだし。

ということは、これは「図を使って考える」というより、「図を使って説明する/提案する/納得させる」あるいは、「会議の内容をその場で図にまとめて整理し、結論に導く」(これは実際に、かなり有効)と言った方がいい。

少なくとも私は、紙やホワイトボードに図を描きながらものを考えるなんてことは、ほとんどしない。いちいち図を描きながらでないと考えられないなんて、そもそも頭が悪んじゃないかと思うほどだ。

そのかわりもっぱらしているのは、プレゼン資料を作る際に、頭の中で構築したアイデアを PC 画面上に「図として清書」するというテクニカルな作業である。経験から言うと、プレゼンに説得力をもたせるのは、矢印多用の「もっともらしい図」よりごく単純な「わかりやすい図」だ。

それにそもそもこのビデオって、画面に登場するのは「図らしきものの漠然としたイメージ」ばかりで、話の内容はちっとも具体的な「図」に落とし込まれてないよね。まあ、図にしなきゃ伝わりにくいほどの内容でもないけど。

 

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2021年5月 4日

改めて「東京オリンピックは他人事」と確認しておく

安倍前首相の ”東京五輪「オールジャパンで対応すれば開催できる」” 発言に、ふゆひー 9 さんが "私はその「オールジャパン」には入っていないけど、問題ないよね" と Tweet しておられるので、さっそく「私も参加した覚えはまったくありません」とレスさせていただいた。

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なにしろ昨日 "東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」" と書いたばかりの私としては、この「オールジャパン発言」は迷惑な話でしかない。さらに言えば「オリンピックは他人事」と思っているのは、もはや世の中のマジョリティなんじゃあるまいか。

「ここに至って、どういうことだ?」である。これほどまでに具体性と裏付けを欠いた「雰囲気のみの発言」というのは大人げないほどで、この程度の人が、あんなに長く首相を務めて、この国の政治をこんなにしてしまったわけだ。(「こそあど」ばかりでごめん)

ここで「いや・・・」と、余計なことを思いついた。

もしかしたらこの安倍発言は、「オリンピックの失敗は、オールジャパンが実現しなかったため」という逃げ口上を言うための準備であり、秋になったら「失敗の責任は、『他人事』なんて言って協力しなかった非国民たちにある」なんて言い出しかねない。(そんな周到な下工作のできる人とも思われないが)

そういうわけで本日の記事は、元首相がこれ以上無茶苦茶なことを言っても「あまりにもアホらしくて付き合いきれないよ」というスタンスを貫くための宣言ということにさせていただく。

そしてここで改めて、「東京オリンピックは他人事」と確認しておく次第である。

 

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