カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2024年7月13日

クルマのスマートキー、電池交換したのだが

ウチのクルマはおんぼろの軽自動車とはいえ、さすがに今どきなのでいわゆる「スマートキー」で操作している。ポケットに入れたままでも指先でボタンを押せば、ドアのロック/アンロックができるタイプである。

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なかなか便利なのだが、最近ちょっと不具合が生じていた。離れたところからだと、操作が効かなくなったのである。

例えばこれまではどこかの駐車場にクルマを駐めて降りたら、あとは歩きながらポケットの中のキーのボタンを押せば後ろで「ピッ」と音がしてドアがロックされ、サイドミラーも畳まれていた。ところが最近は離れすぎると反応しないので、一度戻ってやり直すことも度々だった。

そうしているうちにその距離がどんどん短くなってしまい、直近ではクルマのよほど近く(ほぼ 1〜2メートル以内)でなければ反応しなくなっていた。それどころか、先日はショッピング・センターで炎天下の駐車場に停めていたクルマに戻った時、ドアのロックが解除できなくなってしまったのだ。

何しろ頭がクラクラするほどの暑さである。「これはヤバい!」と思いつつ汗だくで何度か試すうちにようやく開いたのだが、あれにはかなり焦ってしまった。

そんなわけで自動車屋に行って訳を話すと、「キーの電池が消耗したんでしょう」と言われ、手数料込み 935円で交換してもらったところ、かなり離れたところからでも心地良いまで「ピッ」と反応するようになった。こんなことなら、もっと早く気付いて交換しとけばよかったよ。

ところが、今日の重要なテーマはさらにここからだ。自動車屋のおにいちゃんが、スマートキーでドアロックが解除できなくなった時の対処法を、ごくあっさりと教えてくれたのである。

このスマートキーで 2つのボタンのある裏側の小さなフックを引きながら、端の穴に指をかけて引き抜くと、何と、ひょろりと物理的なキーが現れるじゃないか。いやはや、こんな仕掛けがあったとは、これまでちっとも知らなかったよ。

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自分のクルマのドアに鍵穴があることすら気付いていなかったのだが、よく見ればちゃんとあるじゃないか。これを知っていれば、炎天下でも焦らずに鍵穴にキーを差し込んでドアを開けることができたのである。げに恐ろしきは無知というものだ。

田舎住まいとてクルマはほとんど毎日乗り回しているので、運転は決して下手じゃないと自認しているのだが、ハードウェアに関しては、クルマ好きなら当たり前に知っているようなことでも実はよくわかってなかったりするのだよね。

以上、語るも聞くも(いや、書くも読むもか?)お粗末な話はこれでおしまい。

 

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2024年7月11日

私の時代には、学校にプールなんてなかったのだよ

³&₈ さんという方のこんなような tweet を見つけた(参照)。多分学校のプールについての話だろう。

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プールは「令和=暑くて中止、平成=寒くて中止」で、"昭和はたとえ後期でも「うるせぇ寒かろうが雨だろうが今日はプールの日なんだよ黙って浸かれ」であった" とある。ただ、これにはちょっとだけ引っかかりを覚えてしまう。

それは昭和に関して「たとえ後期でも・・・」とある点で、これだとつい「じゃあ、前期はどうだったと言いたいの?」となってしまうのだ。昭和って 64年まであったから、フツーに考えれば後期は昭和 33年(1958年)以後、前期は 32年(1957年)以前ということになるよね。

私の小学校入学は昭和 34年(1959年)だから辛うじて「昭和後期」なのだが、その頃は東北の地方都市の学校にプールなんてほとんどなかったのだよ。何しろ校舎本体ですら木造のオンボロだった(参照)し、泳ぎたかったらこの同じ年に完成した「市営プール」に行くか、海水浴に行くしかなかった。

高校 2年だった昭和 44年に、初めて自分の学校にプールができたが、実際に入った記憶は 1〜2度しかない。高校はサボってばかりだったし(参照)、すぐに卒業しちゃったので、かなり印象が薄いのだよね。

そしてこの年より 12年以上遡らなければならない「昭和前期」なんて時代には、そもそも学校のプールなんて一般的じゃなかったし、あったとしても防災用溜め池に毛の生えたようなものだったらしい。

つまりこの問題に関する限りは「昭和はたとえ後期でも・・・」なんて言うより、「昭和後期になってようやく・・・」という方が実感なのだよね。むしろ「寒かろうが雨だろうが学校でプールに入れるだけマシ」と言っていい時代だったような気がするので。

さらに平成になって「寒くて中止」と言えるようになったというが、私としては「多少寒くても、泳ぎたいよね」ってな感覚だったし、令和の「暑くて中止」なんて風潮には、「暑いからこそ、水に入りたいってもんだろうよ!」とモロに反感を覚えてしまうほどだ。

こんなことを書いていると、自分では若いつもりでも数字だけ見ればやっぱり 70歳を過ぎてるんだなあと感じてしまった。なにしろあと半月ほどするとまたしても誕生日で、72歳なんてことになってしまうのだから。

いやはや、そんな年になるなんて自分でも信じられないが、プールの思い出をとってみれば、たしかに「そんな年」というほかないのだね。

 

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2024年6月25日

セルフレジであたふたする人は「文字を読まない」のか?

最近のスーパーでは「セルフレジ」というのが増えてきている。しかし年配者の多くは従来の有人レジに長い列をなしていて、たまたまセルフレジにトライしちゃったバアさんなどは、機械ではなく人間の方がフリーズしてしまって先に進めなくなっている。

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結局のところは店員を呼んで丁寧に教えてもらっているものの、やたら時間がかかるばかりで次からちゃんと自力でできるようには決して見えない。順番待ちで並んでいる者にとっては結構なストレスだ。

この問題で おたろう さんという方が、"あの手の人々の特徴として「文字を読まない」というのがあると思う" と tweet しておられる(参照)。"ディスプレイの中にも外にも文字で色々と使い方が記されてるけど、基本それらを読まずに直感でボタン押してるだけの様子" というのである。

確かに言えてると思う。ただ、より基本的な問題はおたろうさん自身が自己レスとしていろいろ書かれている中にあるように、"行動様式が「情報依存」から「経験依存」にどんどんシフトしていく" ということなのだろう。文字による「説明」なんか読んでも、経験知にないことは理解できない。

支払いの流れを理解している者にはフツーにわかる話が、そうした「準備」のできていない人たちにしてみれば、文字面だけは読めてもお経の文句か魔法の呪文みたいなもので、その意味にまで到達できない。

私が行く地元スーパーのセルフレジは、適切な音声案内もあってかなりわかりやすいインターフェイスだと思う(少なくとも西友のセルフレジよりずっとわかりやすい)のだが、行き詰まってしまう人はやっぱり行き詰まる。

だから結局、あの人たちは「読まない」だけでなく「聞きもしない」と言っていいのだろうね。

いくらインターフェイスを改良してもわからない人はわからないのだから、当分の間は従来の「有人レジ」をしっかりと残すほかないのだろう。

 

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2024年6月18日

高校時代の 3年間をテキトーにつつがなく過ごすには

地方ニュース界隈で、高校運動部顧問の不適切な指導が集中的に取り上げられている。中でも話題なのが中京テレビの「部員16人に“丸刈り強要” 高校顧問が不適切指導で処分 岐阜」というものだが、岐阜県ではこれを含む 5校が問題になっている。

この高校というのは岐阜県立池田高校で、サイトの冒頭には「生徒一人一人を大切にし、ESD(持続可能な開発のための教育)を推進するユネスコスクール」(参照)なんて文言が掲げられているが、空々しさが半端ない。

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今回ニュースになった 50代顧問は「全員丸刈りになるか、自分が辞めるかだ」なんて口走ったらしいが、それを言うならさっさと自分が辞めればよかったのだ。仮にも「ESD を推進するユネスコスクール」だというんだからね。

こうした馬鹿馬鹿しい状況って、私が高校生だった半世紀以上前とほとんど変わっていない。ちなみにこの「運動部」が具体的に何部かというのは伏せられているものの、ニュース画面からは「テニス部」というのが、「そこはかとなく」以上に感じられるよね。

今回の不祥事の関連で中日新聞が報じている "試合に負けた部員 16人を丸刈りに 岐阜県立高の 5校で不適切指導「クソガキ」など暴言も" という記事には、下のような表も載っている。頭の悪い教師ほど生徒を「ばか」呼ばわりする傾向は、今も健在だ。

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今回は岐阜県の高校ばかりが問題になったが、日本中の高校が程度の差こそあれ似たようなものなのだろう。

私個人について言えば、一応地元の進学校とされる高校に通っていた当時から、授業はサボり放題で好き勝手ばかりしていた。それでも一応現役でワセダには進学しちゃった(田舎のこととて、同学年では私を含め 3人だけ)のだから、下手にマジメな高校生を演じてスポイルされるよりずっとよかったよ。

何しろ病気でもないのにサボってばかりで授業の出席率は断トツで悪く、学校の外では結構活発な活動をしつつ、飲酒と女の子との付き合いでは「非行」と言われてもしょうがないほどだったのだが、別に何の叱責も処分も受けなかった。

学校というところはテキトーに距離を置いて「即かず離れず」でいると、何をしても教師たちは常に「見て見ぬふり」で、ありがたいほど放任してくれる。「決して従わず、自由気ままに振る舞うが、他に迷惑はかけない」というスタンスでいるのがいい。

とにかく日本の高校というのは、マジメに順応してもストレートに反抗してもやたらしがらみが多くなるばかりだから、できるだけ関わりを薄くして 3年間やり過ごすのが一番だ。少なくとも付き合いきれない教師と必要以上に付き合うよりはずっといい。

できれば日本の学校にも「飛び級制度」みたいなのがあって、うまくやれば 1年ぐらいでさっさと卒業できるならありがたかったんだがなあ。

 

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2024年6月13日

喫茶店などでオバサンたちに付けてもらいたいマスク

PC Watch に「70cm離れれば声を聞かれない消音マスク」という記事がある。Web 会議用に自分の声を消音して周りから聞き取りにくくするためのものだそうだ。なるほど、これなら個室でなくても Web 会議に参加できるだろう。

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ただ、この記事を読んで私は「web 会議以外にもふさわしい用途がある!」と思ってしまった。それはコーヒーショップなどに集まってやたらかしましい嬌声で世間話に花を咲かせるオバサンたちにこそ付けてもらいたいということである。

仕事などで外出してちょっと隙間時間ができてしまった時など、コーヒーショップに入り ノート PC を広げて仕事をすることがよくある。ところがそんな時に限って、賑やかなオバサン・グループがドヤドヤっと入って来て、隣のテーブルでピャーピャー頭に響く嬌声をあげ始め、仕事の邪魔をするのだ。

あのオバサンたち、目の前 70cm の距離にいるお友達に声が届きさえすれば十分なはずなのに、店全体に響き渡る大声で話し、それが 1秒として途切れることなく延々と続くのである。周囲への配慮なんて、生まれてこの方一度も考えたことがないのだろうね。

はっきり言ってうるさくてたまらないし、そのように感じているのは決して私だけじゃない。試しに「喫茶店 おばさん うるさい」の 3語でググると、こんなにたくさんの悲痛なまでの訴えが検索される。

さらにあのオバサンたち、大声で話すのは何も喫茶店やレストランでだけというわけじゃない。これは前にも書いたことがあるのだが、講演会や授業参観の真っ最中でもお構いなしに世間話に花を咲かせるのだ(参照)。単純な話、話をしたかったら外に出ればいいのだが、そんな気配はまったく見せない。

そればかりでなく美術館でもオバサン・グループの嬌声はかなり迷惑だし(参照)、さらにコロナの予防接種の場で、オバアサンたち(オバサンじゃない)がやたらうるさかったという話もあったんだった(参照)。

マグロやサメは泳ぎ続けていないと死ぬと言われるが、オバサンといいオバアサンといい、しゃべり続けていないと死んでしまうんだろうと本気で思ってしまう。

というわけで、世の中のオバサンたちにはぜひこの消音マスクを身に付けてもらいたいと思った次第なのである。ただ、あの人たちって、自分が周囲に迷惑がられてるなんてつゆほども気付いていないみたいだから、無理だろうなあ。

最後に念のため付け加えておくが、世の中のオバサンたちがすべてうるさいってわけでは決してない。当然ながら静かに会話してる人の方が多いのだが、まあ、とにかくうるさい人たちの 90%以上はオバサン・グループなのだよね。

 

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2024年5月27日

相撲部屋という異次元の世界

昨日付の『和歌ログ』でも触れた(参照)が、昨夜は高校同窓生からの縁で大相撲八角部屋の五月場所打ち上げの宴会に紛れ込ませていただいた。こんなのは初めての経験で、いしかわじゅんファンの私としては、リアル版『薔薇の木に薔薇の花咲く』の世界を垣間見たような気がしてしまったよ。

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八角部屋は両国国技館から徒歩 10分ぐらい。さすが大相撲協会の理事長を務める八角理事長(元横綱 北勝海)が親方というだけのことはある。

小結まで行ったことのある部屋頭の北勝富士は今場所西前頭 11枚目の地位で 7勝 8敗の負け越しとなったが、山形県酒田市出身の北の若は西十両 5枚目の地位で 8勝 7敗の勝ち越し。再入幕への道を一歩進んだということで、同郷の人たちがずいぶん盛り上がっていた。

オランダせんべい」で知られる酒田米菓の佐藤社長もその一人。ちなみに「オランダせんべい」の商品名が「私たち(おらだ)のせんべい」という庄内弁から来ているというのは、知る人ぞ知る話 。写真は北の若と並んで自社商品の袋を手に持つ佐藤社長である。

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来賓の中にはかの鈴木宗男参院議員もいて、派手な緑のネクタイで目立っていた、この人、参議院のページで確認すると昭和 23年生まれの団塊の世代(参照)で、私より 4つしか上じゃないのだね。ずっと 10歳ぐらい上のジイさんだろうと思っていたよ。後ろは北勝海で、緑の羽織で一緒に目立っている。

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私としてはドサクサ紛れでこの人と一緒の写真に写ったりしてしまわないように極力避けていたのだが、うまくいっただろうか。もし同じフレームに一緒に写ったりしてたら、他人には見せられないね。

印象的だったのは、 昨日付の『和歌ログ』にも書いたのだが、関取になっていない幕下以下の力士がまるで大きな居酒屋の店員の如くにひっきりなしに立ち回り、客に酒肴の提供をしていたことだ。やたら大きな体が一杯の客の隙間を縫って立ち働く姿は、ちょっとした異次元の感覚だった。

既にこうした場に慣れているらしい贔屓筋は、彼らに「おい!! ハイボール」なんて、当ブログの昨日付を彷彿とさせる遠慮もへったくれもない口調で注文し、いろいろ持ってこさせる。相撲取りは十両以上にならないと人間扱いされないという噂の真相を垣間見たような気がした。

ちなみに北の若の身長はかなり高いが、ほかの力士はほとんど私より低い。「日刊スポーツ」によれば、幕内力士の平均は 184.8センチ、十両力士の平均は 182.8センチということになっている(参照)が、ちょっと信じられない。ただ、平均体重は私の 2倍ほどなので横幅がスゴい。

前の方では引退力士 2人の断髪式が始まる。もう少し湿っぽい感じで行われるのかと思ったが、常連らしい客達が淡々と列に並んで、順番にほんのちょっとずつ鋏を入れていく。そしてそれとはほとんど無関係であるかのように、宴はどんどん盛り上がり、進行していく。

下は昨日付の和歌ログにも使った写真だが、テーブルの上にはご馳走が並び、大きな体の相撲取りが忙しく立ち働き、奥の方に秘やかに断髪されていく引退力士の姿がチラリと見える。まさに「非日常」の光景だ。

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おもしろいのは、こうした「非日常」の中に腰砕けになってしまうほどの「日常性」がチラホラ混じり、それがほとんど違和感なしに渾然一体となっていることだ。とくに日常の極みなのが、廊下にあったこんな貼り紙である。力士も人の子だ。

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さらに宴は進み、力士がカラオケで歌を披露する。北の若の歌は「上手でも下手でもない」レベルだったが、若い力士 2人(ゴメン、名前覚えてない)は聞いてる方が悶えるほどの「音痴」だった。なんとなく抱いていた「お相撲さんは歌が結構上手」という既成概念は、木っ端微塵に打ち砕かれたのだった。

ただ、音程はデタラメだがリズムは外さないというところは、さすがに力士である。タイミングの勝負には強いのだね。

70歳を過ぎてからこうした「異次元の世界」を体験できたというのはなかなかよかった。とはいえ二度目に誘われることがあっても、「一度で十分」という気がしているので、その点はよろしく。

【同日 追記】

力士の公式身長は、髷を含めて計ってるので、実際より 2〜3センチ高くなってしまうことがあるのだそうだ(参照)。道理でね。さらに「サバ読み」疑惑もあるようだし。

薔薇の木に薔薇の花咲く』は「力士はなぜごんすと言うのか・・・」がサブタイトルみたいになっているが、リアル相撲部屋では「ごんす」を一度も聞くことができなかった。庄内弁では「がんす」がちゃんと生きている(参照)というのに、残念なことである。

 

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2024年5月26日

50年前の広告にみる「おい!! もう1本」という価値観

出雲で新本と古本を売っていらっしゃる句読点さんという方の tweet がちょっとバズっている(参照)。「昔の料理本を古本買取したら、中の広告がひどい」というもので、何がひどいのかと言えば、東芝電子レンジの広告だ。

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問題の広告を拡大して見ると、冒頭に夕食時の夫婦の会話がある。最初の言い草の「おい!! もう1本」というのは、写真で見ればお銚子つまんでるから、酒をもっと出せということなのだろう。

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"おい!! もう 1本・・・"  "ハイ できています"
"おい!! おつまみ・・・"  "ハイ おいしそうよ"
"おい!! みそ汁・・・・・"  "ハイ 熱いから気をつけて"

とにもかくにも、「おい!!」の 3連発に驚いてしまったよ。今の広告でこんなことしたら炎上確実だし、製品の販売ストップなんてことにもつながりかねない。

Tweet 主の句読点さんによれば、これは昭和 48年、1973年の広告なのだそうで(参照)、決して戦前の話じゃない。まあ、戦前に電子レンジはないしね。

1973年といえば、私は大学に入って 2年目だ。70年安保が終わって政治的にはようやく落ち着き始めていた頃で、「ウーマンリブ」と言われた女性解放運動が注目を浴びていた。

それでもこんな広告が堂々と展開されていたというのは、仕事から帰ってきた男がエラソーに食卓につき、「おい!!」呼ばわりで妻に酒肴のサービスをさせて当然という価値感がしっかり健在だったということだ。ウーマンリブって、気の毒なまでにキワモノ扱いされていたということもあるし。

この広告に登場している夫婦は 30歳前後に見える。ということは戦前から終戦直後ぐらいの生まれで、いわゆる「団塊の世代」よりほんの少し上ということになる。団塊の世代の男は、さすがに妻に「おい!!」なんて言わないよね(いや、言う男もいるかな?)。

この世代は今、少なくとも 80歳前後になっている。ビジネス社会からはほとんど卒業してしまっているが、どういうわけか政治の世界では一番大きな顔をしていて、代表的なのは麻生太郎(83歳)あたりか。

ということは、このあたりの因習的価値観のジイさん連中が、今の日本の政治を牛耳っているってことだ。岸田首相がやたら軽く見られるのは、まだ 66歳で党内の長老連中に頭が上がらない雰囲気だからというのもあるだろう。昔の小泉純一郎ぐらいに思いっきりやれば、何とかなるかもしれないのに。

なるほど、これでは日本が変わるはずないよね。やっぱり、「登場人物が入れ替わる」(参照)必要がある。

 

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2024年5月23日

下手すると "人工コーヒー" を飲む日が来そうなのだ

COURIER の 5月 21日付に 【「コーヒーが飲めなくなる日」に備えて "人工コーヒー" の開発が進んでいる】というニュースがある。"人工コーヒー" を飲まなければならないなんて聞くと、何となくいい気分ではない。

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そもそも「コーヒーが飲めなくなる日」というのはいつ頃なのかと言うと、同じ COURIER が 5年前の 2019年 2月 23日付で「知られざる "2050年問題"  30年後、人類はコーヒーを飲めなくなるかもしれません」と伝えている。

2050年といえば私は計算上 98歳になっているわけだが、ここまで健康で丈夫だと 100歳まで生きてしまわないとも限らず、「他人事」として片付けられるわけでもない。

さらに COURIER の記事を読んでみると、次のような聞き捨てならない話がある。

旺盛なコーヒー需要を背景に大規模な森林伐採が進み、コーヒー豆の価格上昇とほぼ無縁の農家は低賃金にあえぎ、生産とサプライチェーン(供給網)の移動の両面で相当な量の二酸化炭素(CO2)が排出される。調査によると、コーヒー栽培に適した土地の約半分が、気候変動の影響で2050年までに栽培に適さなくなるという。ブラジルはその割合が88%に達する。

1日に少なくとも 2〜3杯のコーヒーを飲む(自宅では自分で豆から挽いて淹れる)身としては、罪の意識に囚われてしまいそうな話だ。私は肉を食わないので(参照)、それとのトレード・オフ(これ、言葉としてはビミョーに誤用っぽいが)で、なんとか勘弁してもらえないものだろうか。

"人工コーヒー" とはどんなものなのかも気になる。記事中にはストレートのエスプレッソ試飲の感想として「本物のエスプレッソにそっくりなため、(一杯ずつ丁寧に入れるスタイルの)サードウェーブ・コーヒーショップのバリスタでもない限り、判別できるのかは疑わしい」とある。

ふぅむ、そういうことならブログの毎日更新を続けながら 100歳まで生きて、"人工コーヒー" を啜ることになっても、それほど嘆かずに済むのかも知れない。

とはいえ、インスタント・コーヒーとか缶コーヒーとかしか飲まない「非こだわり派」(参照)の人たちはいっそ日本茶か紅茶に乗り換えて、私のような「純コーヒー派」(参照)を救済してくれないかなあ。

 

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2024年5月22日

郵便料金値上げは「郵送そのもの」を減らすきっかけ

結構前から確実とみられていた郵便料金値上げが、ついに本決まりになった。NHK が「手紙の郵便料金 ことし 10月に 84円から 110円に値上げへ」と伝えている。

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最近は電子メールが増えたので紙の手紙やハガキのやりとりはめっきり減った。しかしまったくなくなったというわけではなく、自治体からの通知、公共料金の請求などは相変わらず郵便で届く。

うんざりするのは広告などのダイレクト・メールだ。前はいろいろな「品物」を売りつけようとするものが多かったが、最近は「80歳以上まで加入できて葬儀費用がまかなえる生命保険」なんていうのばっかりで、さらにうんざりだ。いずれにしても速攻リサイクル・ゴミにしてしまうのだが。

こちらから手紙やハガキを出すことはほとんどなくなったが、外部から受注した仕事の請求書の多くは郵送せざるを得ない。必要経費の領収書の添付が求められるからだ。これが画像や PDF で済むようになれば、紙の請求書なんていらなくなるのだが。

以前は年賀状を 150枚ぐらい出していたが、これは 2023年分から「年賀状じまい」した(参照)のでほとんどなくなった。ただ年賀状はハガキとして出すのを止めただけで、インターネット上で発表しているので、読もうと思えば前世紀まで遡っていつでも閲覧できる(参照)。

はっきり言って、紙の年賀状よりずっと便利なのでオススメだ。何しろハガキ代がかからない。とはいえこの年は世話になった少数の年配者には紙で年賀状を出していた。彼らはインターネットを扱えなかったのでしょうがない。

しかし今年分からはそれも取りやめた。先方のほとんどがボケてしまったか亡くなってしまったかしたからで、時代というのはこんな風にして変わるのだね。要するに「登場人物が入れ替わる」ことで変わるのである。

ということは、自分自身が変わるためには生まれ変わるぐらいの覚悟をしなければならないってことだ。なかなか大変だが、それが必要になることは人生において何度かある。

今後は領収書添付の請求書以外では、紙の郵便は全廃するぐらいのつもりで行こうと思っている。時に「手書きの文字もなかなかいいものだ」なんて思うこともあるが、そんな場合は紙に書いたものを写メしてしまえばいい。

 

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2024年5月20日

そばの食い方って、いろいろ言われているが

今日はそばの食い方の話である。前にも何度か書いたが、そばというのは、やたらとウンチクを並べて窮屈な食い方をする人がいる一方で、見ている方が恥ずかしくなるほどみっともない食い方をする人も多い。要するに、せめて「フツーに」食ってもらいたいものなのである。

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「フツーに」そばを食うための第一条件というのは、上の写真のようにそば猪口を手に持って食うということだ(参照)。これは江戸の昔からの常識で(参照)、これさえ気を付ければそんなにみっともなくなることはない。

ともすると、ちゃんとしたそば屋のサイトの写真が下のようなことになっていることが多い。そばの食い方をあまり気にしていないカメラマンが、単に写真の構図だけを考えた結果だろう。

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これだと、そばを食うためには身をかがめて口を近づけるほかない。これってまともなそば屋でもよく見かけてしまうが、そばに限らず日本食全般で「みっともない食い方」の代表みたいなものだ。いわゆる「犬食い」である。

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あとは、そばを汁(つゆ)の中にドボっと落としてグルグルかき回しちゃったりしないことだ。箸で適量をつまみ上げたそばは箸から放さず、下の方を汁につけてそのまま啜るのが粋というもので、要はこれだけのことである。

「適量」というのは、一息で楽に啜り切れる程度の量ということだ。無闇にどっさりつまみすぎると、『吾輩は猫である』の迷亭君みたいに途中で苦しくなって涙が溢れたりするからね(参照)。さらにみっともないのは途中で力尽き、噛み切ってそば猪口の中にボトッと落としてしまったりすることだ。

よく「三分の一だけ汁につける」なんてことさらなことを言う人がいるが、そんなのは別に気にする必要なない。そばを箸から離しさえしなければ全体を浸すことの方が難しくて、三分の一だろうが半分だろうが、自然に自分の好きな加減で汁に浸すことができるのだから。

さらにいわゆる「通」を気取る人の中は、「最初はそばそのものの味を確認するために、1本だけつまんで汁を付けずに食う」とか「薬味は汁に入れずにそばに乗っけて食う」なんて人もいる。「これが自分のスタイル」と言うなら、さりげなくやってくれれば確かにそれなりにカッコいい。

ただ個人的にこだわる分にはいいが、エラソーに吹聴されたり人にまで押しつけたりされるとかなり鬱陶しい。鬱陶しいというのは、「野暮」の別の言い方である

私は個人的にはそばを啜る時はそばそのものの味を楽しみたいから、汁には薬味を入れず、食べ終えた後でそば湯を飲む段になってから入れる。ただ、人にまでこうしろとは言わない。

まとめると、そば猪口は手に持ち、適量すくい上げたそばは、箸からはなして猪口にドボッと落としたりしないというだけのことだ。要するにそば猪口を手に持ちさえすれば、半分以上は解決する問題である。

最後に付け加えると、そばを啜る音に関してはことさら大きな音を立てるのは、ラジオの落語の世界のお話に過ぎないと思うのだよね(参照)。

【同日 追記】

身をかがめて食器に口を近づける食い方は、日本では「犬食い」といってマナー違反になるが、北朝鮮では決してそういうわけでもないようで、「音を立てない」ことの方が重要みたいなのだね(参照)。

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