カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2020年11月22日

近頃、交通事故現場に遭遇することが多い。

近頃、交通事故がやたらと多いような印象だ。身近なところでも目撃するし、ニュースを聞いても高速道での事故が多い。

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昨日は 50km 先までクルマで行く用があったのだが、出かける際に我が家のある住宅地から県道に出る交差点が、事故処理の真っ最中で通行止めになっており、目的地に着くのがギリギリになってしまった。ワゴン車の単独事故で、舗道の敷石を乗り越えて斜めになったまま動けなくなっていた。

さらにその日の帰り道でも、日の暮れかかった県道で乗用車同士の追突事故が起きていて、またまた交通規制のために帰宅が遅くなってしまった。クルマのリア部分がグシャリと潰れていた。ここ 1週間で、かれこれ 4度ほど交通事故現場に遭遇している、

今日はちょっと買い物に出てカーラジオを聞いていると、東名高速と常磐道でも交通事故があり、一時通行止めになっていたという。ただでさえ三連休で道路が混雑しているのに、高速道まで通行止めでは大変だっただろう。

私が茨城県に移転してきた 40年前は、「茨城は運転が荒くて事故が多い」という評判だった。何しろ「茨城県の道路では制限速度の 2倍まで出していい」なんて無茶苦茶なことが言われていたほどである。

ところが最近ではさすがに高齢化が進んだせいか、県内の道路の流れもずいぶんのんびりしたものになって、制限速度が 50km/h の道を 40km/h 以下でトロトロ走る老人が珍しくなくなっている。こんなのは昔だったら考えられないことだ。

で、スピードを出さなければ事故が起きにくいかというと、決してそんなことはない。ドラバーの判断力が鈍くなっているので、かえって危ないというケースもある。実際に前を走るクルマが突然考えられないような動きをすることがあるので、かなり注意しなければならない。

もうすぐ年末だが、師走というのは昔から 1年で最も事故の多い月と言われている。「危険予知」能力を発揮して、安全運転を心がけようと思っている。

 

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2020年11月21日

「長寿国ニッポン」を実感

ついに今年も 11月下旬となり、「年賀欠礼葉書」(というのかな?)がポツポツ届き始めた。そしてその内容がまた、親がかなりの高齢でなくなったというものが多い。下の写真はそのベスト 2(と言っていいのかな?)で、母親が 101歳と 94歳で亡くなったという知らせである。

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この他にも享年 92歳とか 89歳とか、とにかく長生きが多い。昔は 70代後半で亡くなったという知らせが圧倒的に多かったが、近頃は様変わりである。まさに「長寿国ニッポン!」だ。

というわけで最近妻と話してわかったのだが、我々夫婦は長生き願望というのがまるでない。二人とも「あんまり長く生きなきゃならないんじゃ、たまらない」と思っているのである。

私はいつも「80歳まで生きる了見は毛頭ない。あと 10年も生きれば十分」と言っている。今 68歳だから、つまり「78歳ぐらいであの世に行くのが理想的」ということだ。そしてこれもまた共通の願望だが、「配偶者より自分の方が早く死にたい」と思っている。

妻としては「あなたが先に死んじゃったら、力仕事をお願いする人がいなくなっちゃう」なんていう、はなはだ身勝手なことを言う。とんでもない。70歳を過ぎてまで力仕事で頼られたら、こちらの身が持たない。

ただ、私の家系はどうも妻の方が早死にするという「業」のようなものがあるようなのである。これはまったく困ったことである。

私の両親は父の方が 8か月早く生まれただけの「ほぼ同い年」なのだが、母が 4年早く死んだ。母は晩年病気で動けなくなったので、父はかなり献身的に看病した。そして祖父母は直接の血のつながりはない(母は養女で、父は婿養子なので)が、祖母が 9年も早く死んだ。

というわけで、私は常々「この『業』は自分の代で断ち切るつもりだからね」と言っているのだが、こればかりは実際、どうなるかわからない。このまま健康で若作りのまま 20年も 30年も人生のケリが付かないようだと、このブログも延々と続くことになる。

 

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2020年11月16日

図らずも発揮された「モンタージュ」効果

下の画像は「50つの最も面白おかしいスポーツ NG 集」(「50つの」という言い回しに引っかかるけど)というページにあったものである。(クリックで別画面に拡大表示されるが、その前に心の準備をしておく方がいい)

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「NG 集」とはいえ、このシンクロナイズド・スイミングの選手に非はない。問題はたまたますぐ上に表示されてしまった広告だ。よりによってこんなところに、「お仏壇を探すなら光雲堂」なんてのをもってこなくてもよかったじゃないか。

広告代を払ってこんな「怨霊退散!」みたいなことになってしまうのでは、ちょっと光雲堂さんが気の毒になってしまう。ここはもう一言、「光雲堂さんにも非はない」と言っておかねばなるまい。

この仏具屋さん、別のケースでも間の悪いところに登場させられている。「魔法のような驚くべき幸運、50選」というページでは、こんな具合だ。(やはりクリックで拡大表示される)

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せっかく「驚くべき幸運」で死なずに済んだのだから、敢えて仏壇・仏具を持ち出さなくてもと思うのが、人情というものだろう。「御先祖様があの世から護ってくれた」というなら話は別だが。

気の毒といえば「66つの常識を超えた珍しい写真」(これまた「66つ」が気になるが)というページにあるこれは、中森明菜がかなり気の毒である。「変な形の骸骨」というタイトルの下に「中森明菜 今の姿を確認する前に、ティッシュをご準備ください」では、悪意すら感じさせる。

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これら画像などの組み合わせによる効果を、その筋では「モンタージュ」という。犯人に似た顔写真を合成するのと同じ言葉だが、これはちゃんとした芸術の世界でも使われる。

アカデミックな映像論では「フォトジェニック」と「モンタージュ」が、定番理論となっているほどだ。ちなみに「フォトジェニック」は、いわゆる「インスタ映え」よりちょっとだけ高次元の話なのでよろしく。

モンタージュ理論を確立したのは、あの『戦艦ポチョムキン』のセルゲイ・エイゼンシュテイン。彼は漢字において「偏(へん)と旁(つくり)」の組み合わせで新しい意味が生まれることをヒントにしたとも伝えられる。

ただこのモンタージュ効果というのはご覧の通り、意識的に狙ったわけじゃないが、図らずも変な形で発揮されちゃうみたいなこともあるから、よくよく気をつけなければならない。

フツーの会話でも、当人は話題を変えたつもりなのに、聞く方が一つながりの話と受け取ってムッとするなんてことがあるしね。

 

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2020年11月 2日

左から読んでも右から読んでも "201102"

このブログは最近ずっと、最初のパラグラフの下に画像を配置しているのだが、画像のネーミングは「西暦下 2桁+月+日.jpg」という原則に従っている。というわけで昨日付の画像は "201101.jpg" 、今日付は "201102.jpg" だ。

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察しのいい方は既に気付かれたと思うが、本日の画像のファイルネームは、数字部分を左から読んでも右から読んでも "201102"。次にこうなるのは来年の 11月 12日で、その次は再来年の 11月 22日だ。

3年連続で面白いことになるので「どうして去年まではこれに気付かなかったんだろう」と思ったが、昨年は 2019年だったから、下 2桁をひっくり返した「91日」なんて日付はあり得ないことだった。なるほどね。

直近では 2012年 11月 21日なら可能だったが、その頃は毎日写真を使うなんて考えも及ばず、「iPhone 5 の使い心地レポート その 3 」なんていう記事だった。隔世の感がある。

ちなみに再来年の 11月 22日を逃すと 32日まである月なんてないから、あとは 2030年 11月 3日まで待たなければならない。10年と 1日先となると、運良く死ななかったとしても 78歳になってしまっている。しかしそれ以後はまた、2031年 11月 13日、2032年 11月 23日と 3年連続だ。

私としてはあと 10年の 78歳ぐらいまで生きたら、あとはいつ死んでもいいと思ってきたが、そう考えると、80歳になる 2032年までなら頑張って、毎日更新を続けてもいいかなという気もしてくる。その頃になったらすることもなくなってヒマだろうから、ボケ防止のためにブログを書くという手もあるしね。

 

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2020年10月 7日

「正しい自分を押し通したい人」が「炎上」に参加する

東洋経済に "ネット炎上参加者「実は高年収」という仰天実態、「暇な若者」でも「低学歴ひきこもり」でもない" という記事に注目してしまった。罵詈雑言で「炎上」を作り上げてしまうネット利用者像というのは、結構意外なイメージであるらしい。

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記事によれば、「炎上参加者」はかなり多岐な層にわたって存在する。しかし一般社会の平均と比較すると意外なことに、「年収が高い」「主任・係長クラス以上」といった属性の「男性」の比率が明らかに高いのだそうだ。

世間ではややもすると、「炎上」に加わるのは「暇な若者」とか「低学歴ひきこもり」とかいった層だと思われがちである。しかし実際には、そういうわけでは決してないというのだ。

こうした人たちの炎上に加わる動機を調べると、「正義感から」というのが多いのだという。しかもその「正義感」は、「社会的正義ではなく、あくまで個人個人が持っている軸・価値観での正義感」と指摘されているのがおもしろい。

ここまで読んで私は、自分の先月の記事 "「正しい自分」を押し通したい人" というのを思い出した。ある中年男性が釧路発関空行きピーチ航空機内でのマスク着用要請を「非科学的」として拒否し、あまつさえ乗務員を大声で威嚇したあげく、途中の新潟空港への臨時着陸で降ろされてしまったという件である。

この事件の当事者となったオッサンは、「機内のマスク着用なんて、厳密に言えば無意味」という自分の考えに固執し、「要請するなら書面を出せ」とまで大声で言い張ったのだという。「個人的正義感」を押し通すという意味では、まさに絵に描いたような好サンプルとなったわけだ。

私はさらに 6年前の「当たり前すぎることと細かいことしか言わない人」という自分の記事にも言及している。こうしたタイプの鬱陶しい人は周囲に敬遠されがちで、「はいはい、あなたのおっしゃる通り」なんてテキトーにあしらわれるものだから、自分がよほど正しい人と勘違いしてしまうようなのである。

このようにして、「比較的高年収の中間管理職的なオッサン」の中には、「自分はいつも正しい」と信じる「付き合いたくないタイプ」が、一定規模で「繁殖」してしまう。そして「正しい自分」を振りかざして「炎上」に加わることも辞さないというわけだ。

これで、こうしたタイプのオッサンとは「付き合いたくない」という思いが、ますます強くなってしまったよ。

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2020年9月18日

「残念な自転車レーン」というハッシュタグ

Twitter に 「#残念な自転車レーン」というのがある。"北澤肯@alternabikes" さんという方が最近立ち上げられたもののようだが、既にずいぶん多くの賛同 tweet がある。不詳私も一応自転車乗りなので他人事(「たにんごと」じゃなく「ひとごと」と読んでね)ではなく、及ばずながらここに紹介しておく。

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このハッシュタグの趣旨を北澤肯さんの tweet から引用すると、次のようなことだ。

コロナの流行もあり世界的に自転車の利用が増え自転車レーンのニーズが高まっていますが、まだまだ日本では整備が遅れています。お近くに使いにくい自転車レーンがあったら #残念な自転車レーン を付けて写真をツイートして下さい!日本の自転車レーンを応援、改善に繋げる活動に使います。

私は普段はつくばの田舎で自転車に乗っているので、東京や大阪といった都会の大通りほどの危険を感じることはあまりないものの、それでも時々は危険なクルマに遭遇してヒヤリとすることがある。そうした意味でも「自転車レーン」の整備は大いに望まれる。

自転車レーンというのは、上の写真の道路の左端にみられる「矢羽根」印や、青で塗装された細いレーンのこと。東京オリンピック開催が決定した頃から徐々に増えているような気がするのだが、自転車レーンというぐらいだから、自転車専用の走行レーンである。ところが実際にはこのレーン上の路上駐車が多いのだ。

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上の写真を見ると、自転車レーンを行く自転車の前方が数台のクルマの路上駐車によって塞がれている。そのため、しかたなく自動車レーンにはみ出して走行する自転車が見える。

これだと、右側を走行するクルマの直前にいきなりはみ出してくることになるから危険だ。それでなくても路駐は自転車にとって迷惑千万な存在なのだが、これが自転車レーンでの路駐となると、さらにムカついてしまう。

「自転車レーンがあると左端に駐車できないなら、どこに駐車したらいいんだ?」なんて言うドライバーもいるが、「そもそも、路駐は違反なんだよ!」と言うほかない。個人的には、ほんの数十秒の停車(「駐車」じゃない)なら大目に見てもいいが、エンジン止めてクルマを離れたりするのは言語道断だ。

それから「自転車レーン」とは名ばかりで、そもそも物理的にヒドすぎるのもある。こんなのだ。「無理っす」というコメントそのままである。

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このレーンを自転車で走るのは、ほとんど「曲芸」だ。それにロードバイクはタイヤ幅が狭いから、下水溝のスリットに挟まって転倒し、怪我をするという事故が少なくない。こんな自転車レーンは、ほとんど「事故誘発レーン」であり、自治体の管理責任の問われるところだろう。

もちろん、自転車事故には自転車に乗っている側がお粗末すぎて起きるものもある。その意味では「#残念な自転車ライダー」というハッシュタグも必要なんじゃないかというほどだが、とにかくドライバー、自転車ライダー、歩行者、自治体(政府も)のそれぞれが意識を向上させなければならないと思う。

 

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2020年9月 1日

もう 9月か!

先月末はラジオに登場した気象予報士も「9月の声を聞いたら明らかに天気の曲がり角で涼しくなる」なんて言っていて、今日のつくば周辺の最高気温は 27〜28℃ 程度のものだったようだ。連日の猛暑日が当たり前だった 8月下旬とは、確かに様相が異なる。

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ただ、上の画像(weathernews の情報)にもあるように、午後 3時を過ぎても 26.3℃ (十分に「夏日」の条件を満たす)あり、湿度も高いので「ムシッと暑い」という表現がぴったりである。そして明日はまた 32℃ になるというのだから、「天気の曲がり角」もかなり緩いカーブ程度ということのようだ。

そんなことよりも今さらながらびっくりしてしまうのが、「もう 9月か!」ということだ。2020年もあと 4ヶ月しか残っていないわけで、今年の 3分の 2 は、なんだかよくわからんうちにいつの間にか過ぎ去ってしまった印象である。「ドサクサ紛れ」とは、まさにこのことだ。

私は仕事柄、月に 2〜3度は出張するという暮らしを続けてきたので、例年なら 8月末の時点で 20回以上は全国各地に出かけているはずなのだ。ところが今年はコロナ禍の影響で出張が激減してしまい、こんな感じである。

1月: 大阪伊豆横須賀
2月: 赤穂大阪
3月: 鈴鹿網走
  (4〜6月は、どこにも出られず)
7月: 山梨浜松加古川

5〜6月は、四国 2か所と倉敷への出張が早くから決まっていたのだがすっ飛んでしまい、8月も例年なら関西方面に 5〜6日の出張があるはずなのに今年はなし。というわけで、いつもの年の半分ぐらいしか旅に出ていない。

しかも、ただでさえ少ない旅先でも、ついでにいろいろ見物するなんてことは憚られて、用が済めばそそくさと帰るばかりだ。3月の網走で「流氷見物」ができたことを除けば、行った先の印象がほとんど残っていない。とくに大阪なんて百回以上行ってて、珍しくもなんともないし。

今月は 2回の出張が決まっているが、いずれも近場でしかない。というわけで、旅好きとしては欲求不満が昂じてしまっている。ああ、四国か九州に行きたい!

 

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2020年8月11日

緊急車両はちゃんと優先的に通してあげようよ

Twitter で 指揮統制SC さんの「なぜ止まらない?」という動画付き tweet が話題だ。本日昼の時点で 10万以上の「いいね」が付き、コメントは 1,700件以上、リツィートは 46,000回以上となっている。

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群馬県館林市の交差点で、救急車がサイレンを鳴らし、赤い警告灯を点滅させ、外部スピーカーで「右へ曲がります。ご注意ください」と繰り返し警告しているのに、交差する道路の直進車両はまったく止まる気配を見せない。「緊急車両優先」というルールが完全に無視されている。

これに対しては「仕方がない」と直進車両を弁護するコメントも少数ながら寄せられている。 「直交状態では意外なほどサイレンが聞こえにくい」、「救急車のサイレンの音はトーンが高すぎて車の中で反響します!どこから来ているのか分からないときが多いのです!」などといったものだ。

しかしこうした弁護コメントも、RESCUE GUNMA 119 さんという方の画像付きコメントで粉砕されてしまっている。現場交差点はとても見通しがよく、交差点にさしかかった救急車に気付かないはずがないことを示すものだ。リンク先に飛べば、3枚の写真が個別に本来のサイズで見られる。

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なるほど、こんなに見通しのいい交差点でいくら青信号とはいえ、右側から来ている救急車を無視してそのまま直進してしまうというのは、いくらなんでもひどい。道路交通法 第40条では、交差点付近では一時停止して緊急車両に道を譲らなければならないと規定されている。

道路交通法 第 40条 第 1項
交差点又はその附近において、緊急自動車が接近してきたときは、路面電車は交差点を避けて、車両(緊急自動車を除く。以下この条において同じ。)は交差点を避け、かつ、道路の左側(一方通行となつている道路においてその左側に寄ることが緊急自動車の通行を妨げることとなる場合にあつては、道路の右側。次項において同じ。)に寄つて一時停止しなければならない。

道路交通法 第 40条第 2項
前項以外の場所において、緊急自動車が接近してきたときは、車両は、道路の左側に寄つて、これに進路を譲らなければならない。

まあ道交法云々以前に、人助けという観点からも緊急車両はちゃんと通してあげるべきだろうね。オススメは、サイレンが聞こえてきたらすぐに減速して周囲を確認し、その上で必要な措置を取るということだ。

「どこから来ているのか分からないときが多い」なんて寝ぼけたことを言ってる場合じゃないのだよ。何しろサイレンが鳴ってるってことは、人の命がかかってるんだから。

 

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2020年8月 1日

相撲の世界の浮世離れ

近頃雑事に追われてほとんど意識していなかったのだが、「大相撲七月場所」というのが行われていて、明日が千秋楽なんだそうだ。例年なら七月は「名古屋場所」ということになるのだが、今年は両国国技館での開催ということになっているらしい。

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大相撲名古屋場所」というサイトに行ってみると、ページトップに「大相撲名古屋場所は、大人数による東京から名古屋への移動・長期滞在を避けるため、東京(両国国技館)での無観客開催を目指すことになりました。事態が収束し、来年には多くの皆様に名古屋場所をご覧いただけることを願っています」とある。

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「えっ? 無観客じゃないだろうよ」と思って調べてみると、実際には「大相撲 7月場所、観客入れ開催 上限 2500、升席は 1人」ということで行われているらしい。どうやら相撲の世界のウェブの扱いはまだこなれていないようだが、それでかえってしっくりきたりしてしまうのがおもしろい。

ただ、実際にはこのページの URL を見ると "chunichi.co.jp" とあり、相撲協会ではなく中日新聞の管轄するサイトのようで、どうやら新聞社でも相撲の世界にどっぷり浸ると、こんな感じらしい。それでますますしっくりきてしまう。

ところで、今朝の NHK ラジオを聞いていたところ、女性アナウンサーが大相撲の話題に触れて、「〇〇(この部分、何と言ってたか忘れた)は、『うわずえ』の問題もありますしね」なんて言っていた。一瞬、「うわずえって何だ?」と思ったが、すぐに「上背(うわぜい)」のつもりだろうと納得した。

「上背」なんて、今どきは相撲の世界でしか使われない符丁みたいなものなので言い慣れないのか、つい「うわずえ」に聞こえてしまう発音になってしまったようだ。これは今朝の女性アナウンサーに限らないらしく、「うわぜい うわずえ」でググると、結構な数のページがヒットする。

さらに聞いていると、「4人用の『末席』に 1人だけですしね」なんて言っていたが、これも「枡席」と言ったつもりなのだろう。まあ、これはビミョーな発音だから仕方がないか。

というわけで、相撲の世界というのはなかなか浮世離れしたままであるらしいと確認できた次第である。

最後に一言書かせていただくが、国技館の 4人用枡席というのは、図体の大きな私にはどうにもこうにも狭すぎて閉口してしまう。あれは身長 160センチぐらいの人のためのデザインとしか思われない。あそこに 1人で座ったら、さぞかし楽だろうと思う。

 

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2020年7月28日

人は誕生日の前日に年を取るわけなのだが

ほぼ 15年半も前に ”「早生まれの込み入った事情” という記事を書いて、その中で「早生まれ」というのは、3月 31日までではなく、4月 1日生まれまでであるということについて書いた。これはこれで十分に正解なのだが、関連でさらに込み入った事情が判明したのである。

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この記事の中で私は、民法によれば「人は誕生日の前日に歳をとってしまう」のだというようなことを書いた。それはそれで間違いではないのだが、さらにちょっと面倒な解釈が必要とわかったのだ。これは、この記事に最近になって付けられた らむね さんのコメントのおかげである。

この規定は民法第 143条にあるのだが、その文面は、人の年齢を含む「期間」の満了について「其起算日ニ応当スル日ノ前日ヲ以テ満了」となっている。つまり、4月 1日生まれの人は誕生日の前日である 3月 31日の時点でそれまでの年齢を満了し、1つ年を取るのである。

この条文には時刻については何も触れられていないので、私は「前日になった途端に年を取るのだろう」と解釈していたのだが、実は違っていたようなのだ。というのは、民法 第 141条に「期間は、その末日の終了をもって満了する」とあるのである。

「その末日の終了をもって」というのだから、その日の 24時(つまり真夜中の 12時)を以て終了するのだ。ここが厄介なところなのだが、翌日の 0時(午前 12時)ではなく、前日の 24時ということなのだ。

というわけで、4月 1日生まれの人は、その前日の 3月 31日 23時 59分 59秒 99999・・・ までは年を取らず、24時になったとたんに年を取るというのである。よく考えればナンセンスな話で、「前日の 24時って、当日の 0時とどう違うの?」と聞きたくなってしまうが、それは言わない約束のようなのだ。

このあたり、指摘してくれた らむね さん自身も「つじつまが合っているような、煙に巻かれたような、モヤっとする話」とコメントしておいでだが、まあ、しょうがない。ということで 15年半以上も経ってから、こうしてビミョーな訂正記事を書いている次第なので、よろしく。

それにしても、例えば午前 9時ちょうどに生まれた人なら、誕生日の前日の午前 9時に年を取ることにしてもいいのにね (などと、まだ往生際の悪いことを言うわけだが、生まれた時刻の記録なんて、戸籍にないしね)。

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