カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2022年5月20日

世の中に流れるいろいろな時間

今月 16日に高知から帰って来た日は肌寒さに驚いたが、翌々日から急に夏っぽくなって、今日は Tシャツ 1枚でも汗をかいていた。もうそろそろ、「春先のような寒さ」のぶり返すこともないだろう。

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暖かくなって、というか、暑くなって、いろいろと忙しくなった。これまではコロナ禍であちこちに出張することができなかったが、急にまた旅が増えてきている。

今月は高知に行ったが、来月もまた四国に飛ぶことになり、道後温泉に入れそうなので楽しみだ。さらにまた、東北にも行かなければならない雲行きである。そんなこんなで、今日はいろいろな話で忙しくなり、このブログの更新も遅くなってしまった。

出先から帰ってくる途中、近くの岡堰という所を通ると、1匹の猫が呑気に日向ぼっこしていた。絵になる光景なのでクルマを停め、近付いて写真に撮ろうとしたところ、猫は「やれやれ、厄介なヤツが近付いてきたなあ」というような雰囲気で億劫そうに起き上がり、場所を移動するのだった。

邪魔してごめんね。

世の中、いろいろな時間が流れていて一様じゃないと感じられた一瞬だった。何しろ「つい 4日前」も、「ついさっき」と「つい 154年前」が同期されてしまったほどだからね。

 

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2022年5月16日

高知を軸に「ついさっき」と「つい 154年前」が同期

今日は夕方発の JAL で、高知から帰ってきた。写真は高知駅前にある幕末の三志士の銅像で、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎である。

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ところで、昔は 50年前とか 100年前とか言われると、遙か昔のように感じていたが、昨日「沖縄復帰 50年に思うこと」なんて記事を書いたせいもあって、「50年なんて、あっという間じゃん!」という気がしてしまっている。とくに還暦を過ぎてからというもの、時の経つのが本当に早い。

そういえば「明治 100年」なんて祝賀式典があったのは、私が高校 1年の 1968年だった。1964年の 1回目の東京オリンピック開会式の記憶がはっきりとあるほどだから、明治 100年も当時の佐藤栄作首相が妙に盛り上がって、薄気味悪かったのをしっかりと覚えている。

で、ここで「ちょっと待てよ」となってしまった。「明治 100年」が 1968年だったということは、「明治 150年」もとっくに過ぎちゃってるわけじゃないか。いやはや、これについてはほとんど意識していなかった。

ちょっとググってみたら、「明治維新 150年で薩長土肥 4県知事が高知へ集結」なんていう YouTube 動画が見つかった。うひゃあ、まいったなあ。その高知に、私は「ついさっき」までいたんじゃないか。まったくもう、近頃いろいろなことがシンクロし過ぎてしまう。

で、ことのついでに坂本龍馬が暗殺された年を調べてみたら、 慶応 3年(1867年)11月 15日で、こうなると「つい 154年前」と言いたくなってしまう。私は今日の昼前に「高知城歴史博物館」で土佐の歴史に思いを馳せたばかりなので、この「つい」というのはまさに実感だ。

この世で生きている時間が物理的に長くなっちゃったもので、時間の流れを捉える際の「基準時間」(と言えばいいのかなあ)も、自然に長くなっているのだろう。その結果、印象の方は反比例して、「時の経つのが早い」みたいな感覚になるのも自然だ。

「ついさっき」と「つい 154年前」が頭の中で不思議に同期が取れちゃってるお陰で、気分はいつまでも若いつもりでいられるのだけどね。

【同日 追記】

今日は、和歌ログの歌までシンクロしてしまった。

今の世と江戸の昔を見たる日に初夏と春先も往きつ戻りつ

 

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2022年5月 7日

「9」のつく年齢は危ないらしいが

東洋経済に  "心理学者が「9がつく年齢は危ない」という理由" という記事を見つけた。私は今まさに 69歳な上に、「危ない」を「アブナい」なんて読み替えるクセがあるので、つい嬉しくなってしまい、「どれどれ、どんな風にアブないんだ?」とクリックしてしまった。

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読んでみると、その理由というのは 2段階で説明されている。まず語られるのが「ウィークエンド効果」というものだ。

週末になるといろいろな束縛から解放されて、物事を自分で決められる「自律性」というのが高まる。その結果として、気分がハイになる人が多いのだそうだ。

それを前提として、次に、心理学では 19歳、29歳、39歳、49歳、59歳、69歳など、「9」のつく年齢は危ないと言われるということが語られている。そんなのは私としては初耳だが、どうも、こういうことらしい。

「9がつく年齢が危ない」と指摘しているのはニューヨーク大学のアダム・アルター。

アルターによると、私たちは、これから次の 10年に突入するのだ、という年齢になると、何か新しいことを始めようとするらしいのです。新しい自分に生まれ変わるチャンスだ、と思うのでしょうか。

(「アダム・アルター」については、下の【同日 追記】参照)

要するに「9」のつく年齢になると「新しいことにチャレンジしよう」なんて思うため、つい無茶なことに走りがちだというのである。「自律性」が極端に高まるような「幻想」を抱いてしまいがちということなのだろうか。ただ、「もっともらしいけど、よくわからん話」である。

というのは、今年の 7月末で 70歳になる私としては、現在引き受けている種々の役職の「定年」になるので、「ああ、あれをしなくて済むようになる、あの消耗な会議にも出席しなくてよくなる」と、「開放感」はあるものの、「新しい自分に生まれ変わる」なんてことは、ちっとも思わないのだよね。

そもそも、19歳とか 29歳とかと、私のような 69歳とを一緒にして語るのは「乱暴」というものなのではなかろうか。

69歳では半端かもしれないので、例えば 79歳とか 89歳とかの人に向かって「あなたの年齢だと新しいチャレンジをしたくなるんでしょうが、それはちょっと気をつけた方がいいですよ」なんてアドバイスするのを想像するといい。「はあ? 今さら何言いたいの?」と呆れられるだろう。

私は決して「70歳過ぎたら、新しいチャレンジなんてことは考えない方がいい」と言っているわけではない。私自身、この年になっても健康そのものなので、その気になればまだいろいろなことはできそうだ。

ただそうは言いながらも、そろそろ「どんなような形で一生を終えればいいか」なんて殊勝なことを考え始めてもいいような気もしている。「何を始めるか」よりも「何をつつがなく断捨離して、何を大切に保持するか」の方がずっと重要に思えるのだ。まあ、このブログはもちろん死ぬまで続けるけどね。

というわけで、今回の東洋経済の記事は「老婆心」どころか、言ってみれば「超々老婆心」みたいに聞こえてしまったわけだ。ニューヨーク大学のアダム・アルターって人はFacebook の写真 では結構若そうに見えるが、実は 110歳ぐらいなんだろうか。

(いや、いくらなんでもそうじゃなくて、超ジジイなのは、むしろ東洋経済の記事を書いた内藤誼人という人の方かも)

【同日 追記】

Adam Alter という名前は、私ならカタカナにする際に「アダム・オルター」とするところだがなあと思って調べたところ、むしろその表記で先に定着しているようで(参照)、"Irresistable" という著書も既に『僕らはそれに抵抗できない』(アダム・オルター 著)の邦題で出版されているとわかった。

内藤さん、無駄な混乱を招きかねない表記は、いかがなものか。

 

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2022年4月16日

「高級セダン」を巡る冒険

東洋経済 ONLINE に 「さらばシーマ! 日産高級セダン生産終了の真意」という記事がある。あっさりとこんなことを言っては申し訳ないような気もするのだが、個人的には何の感慨も湧かないお話だ。

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シーマというのは個人的には一番乗りたくないクルマで、「値段の 95%、無条件で補助してあげるからどうぞ」と言われても「イヤだね」と言うだろう。とにかく高級セダン(別に「高級」というわけじゃなく「フツーのセダン」でも同様だが)には乗る気がしない。

2017年 12月 2日、「35年のクルマ遍歴でわかったこと」という記事を書いている。これを書いた時点では 9台のクルマを乗り継いだことになっていて、9台目の「ミラ e:s」(ダイハツの軽自動車)にすっかり満足しているのがわかる。

とにかく、セダンを買ったことは一度もないのである。記事のムスビの一文が「とにもかくにも、スーツにネクタイ姿で 4ドア・セダンのハンドルを握るという自分の姿を、まったく想像できないのである」というのだから、私がクルマで見栄を張るタイプじゃないというのがおわかりだろう。

これまで乗ったクルマで一番高かったのはトヨタの RV、「エスティマ・ルシーダ」である。これは 3人の子どもを乗せて帰郷したりキャンプに行ったりするために「必要だから買った」というだけで、とくに思い入れがあったわけじゃない。子供たちが独立してからはリッターカー、軽自動車と乗り継いでる。

冒頭で紹介した東洋経済の記事は 「上級4ドアセダン復活の日を待ちたいものだ」という一文で結ばれているが、やっぱり「モータージャーナリスト」という商売のお人というのは、何だかんだ言ってもセダンがお好きのようなのだね。「セダン=最もクルマらしいクルマ」って位置付けなのだろう。

私のような「田舎での長距離移動の手段として、仕方なく乗ってる」というタイプの者としては、「ま、お好きなように」としか言いようのないことである。

ちなみに、件の記事は「ミニバンや SUV に奪われたセダン復権の可能性」というサブタイトル付きだが、実際の市場を見れば「軽自動車に奪われた・・・」という方がずっと事実に近いとわかるはずだ。

ただ彼らにとっては、軽自動車なんて問題外なのかなあ。

 

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2022年4月11日

田舎の道のアブナい溝(というか、大穴)

近所の知人の家を訪ねたところ、ちょっと驚くような光景に出くわした。道路脇が写真のようにざっくりとえぐられているのである。どう見ても子どものイタズラなんかじゃない。工事現場で使うようなショベルで掘ったものだろう。数ヶ月以上にわたってずっとこのままの状態だそうだ。

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元は下水のドブ溝が通っていたらいが、今は写真にあるマンホールの蓋を見ればわかるように、道路下に下水道が通っているので、必要ではなくなっているはずだ。

ドブの名残りは写真の奥の方の道路脇にも残っているが、いくら何でもこれほどまでの深い穴にはなっていない。写真ではわかりにくいかもしれないが、これ、深さは 2メートルぐらいあるのだ。

これだけ深いと、間違って子どもが落ちたら擦り傷どころじゃない怪我につながりそうだ。いや、子どもだけじゃなく、最近はどこもかしこも年寄りだらけなので、足許の覚束なくなったじいさんばあさんには、もっと危なかろう。

もし誤って誰かが転落なんかしてしまったら、その責任はどこに持っていけばいいのかわからないらしい。いやはや田舎というのは、アブナい状況のままでほったらかしになっているところが、かなり多いのである。とくに夜道なんかだと気をつけなければならないね。

 

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2022年4月 9日

西暦と元号がゴチャゴチャになってしまって

私はこう見えても、結構な伝統派である。大学卒業時の論文のテーマは歌舞伎の「九代目市川團十郎」だし、修士論文は「七代目団十郎」だった。さらにこのブログと並行して『和歌ログ』なんてのも毎日更新していることでもおわかりいただけると思う。

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というわけで、メインサイトの「知のヴァーリトゥード」を作った頃は、当然のように記事の日付を元号で表していた。たださすがに、例えば「平成 18年 4月 14日」は「H18.04.14」などと略式表示だったが(参照)。

ところがこの年になってしまうと、昭和と平成の御代が長かった上に、さらに令和の世の中に入ったもので、甚だわかりにくくなってしまった。元々数字に強くない(参照)身としては、もう元号で言われても頭の中がゴチャゴチャになってしまうのである。

というわけで、近頃は年を表すのにもっぱら西暦を使うように宗旨替えしてしまった。その方が混乱せずに済むからね。

ところがいろいろな文章を読んでいると、元号を使っているのがずいぶん多い。例えば「平成 23年(2011年)」みたいに書いてくれれば、ああ、今から 11年前のことで、東日本大震災のあった年だよね」とピンとくるのだが、「平成 23年」だけだと、今から何年前なのかもわからなくなってしまう。

本当に数字に弱いというのは因果なことで、元号のみの記述に出会う度に iPhone の「西暦・和暦・年齢・干支早見表」というのを開いて、西暦でいえば何年に当たるのかを確認する始末だ。これ、今や私の必須アプリである。

ただ、自宅で Mac に向かって仕事をしている時には、デスクの横っちょに貼り付けた自作の「元号 西暦 早見表」というのをチラリと見れば済むようにしている。上の画像がそれだ。

この表では 5年毎に区切って、西暦と元号を表示している。いくら何でも全ての年を表示したら、縦長になりすぎるし、間の 4年については、数字に弱い頭でも何とか計算できるからね。

右端の欄には、その時代の感覚が一目でわかるように、「第一次オイルショック」とか「バブル崩壊」とかのトピックスを入れている。いろいろ書き込んだら大変なことになるから、本当に代表的なものに厳選してあるのだが。

この表はなかなか便利なので、皆様も自分好みにアレンジして作ることをオススメしたい。

【同日 追記】

ちなみに私の運転免許証(自慢じゃないがゴールド)には「平成34年08月26日まで有効」なんて書いてあるので、ずっと「それって、いつ?」なんて思っていたが、計算してみれば今年の夏じゃないか。アブナい、アブナい。

こんなこともあるから、もう西暦表示に一本化してくれる方がいろいろな面でミスが減って、コスト面でも節約できると思うがなあ。

 

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2022年4月 8日

新入生の制服が入学式に間に合わないという話

スラドに「新入生の制服が入学式に間に合わず」という記事があるので、「一体どういうこと?」と思いつつリンク先の東京商工リサーチの記事に飛んで読んでみたが、「どういうこと?」感はますます強まってしまった。

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よくよく記事を読んでみれば、ムサシノ商店という学生服の製造販売会社が、キャパを超えた受注を取ってしまった結果、学校の入学式までに制服を届けられない状態に陥ってしまっているらしい。また、届いた制服がサイズ違いで着られないというケースも多いという。それだけのことだ。

チョンボといえばチョンボだが、命に関わる大問題でもなんでもない。単に、このムサシノ商店という会社の信用がガタ落ちになったというだけのことだろう。

要するに制服がないなら仕方がない。届くまでは私服で登校すればいいだけの話だと思うのである。スラドの記事にも、「東京都教育委員会では、当面の間中学の制服や私服での登校を認める措置をとっている」とある。

教育委員会のお墨付きがあるんだから、堂々と私服で行けばいいじゃないかと思うのだが、それがなかなか割り切れないことになっているようだ。「入学式に新しい制服が着られないのはかわいそう」みたいな話が、ネット上で飛び交っているらしい。

この話を読んで、私は自分の半世紀以上も前の経験を思い出してしまった。小学校を卒業して、中学入学直前のオリエンテーションに参加したときの話である。

このオリエンテーションは進学する中学校で行われたのだが、通知には「服装自由」と書いてあったので、私は軽い気持ちで私服で参加した。制服なんて大嫌いだし、そもそも入学前でもあったのだから当然の話である。

ところが当日集まった同級生たちは、ほとんどがもっともらしく制服を着ているじゃないか。私は「はあ!?」と驚いてしまった。

さらに驚いたのは、オリエンテーションを先導した中学教師(私が一番嫌いだった、生活指導主任の A)の、開口一番のセリフだ。「いくら服装は自由と書いてあっても、中学校に来るのだから、制服を着るのが当然と思わなければならない」なんて言うのである。

おいおい、そりゃないだろう。だったら初めから「制服着用」と明記すればいいじゃないか。これじゃだまし討ちよりも酷い。

これはもう、「踏み絵」みたいなものである。中学校って、そういう卑劣なところだったのか。私の学校不信はこの瞬間に決定的なものとなって、卒業までさらに増幅しながら続いた。

というわけで、この国では制服ってかなり大きなマターのようなのだね。恐縮だが、個人的には理解の範疇を越えているとしか言いようがない。

 

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2022年4月 6日

「あおんなよ」と言いながら自分で煽るクルマ

先日、クルマでつくばの田舎道(追い越し禁止区間)を走っていたところ、後ろのゴミ収集車が微妙に車間距離を詰めてくる。こちらだってノロノロ運転しているわけじゃないので煽られる覚えはないのだが、「しょうがねえなあ」と左ウィンカーを点滅させて停まったら、さっと追い抜いて行った。

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私は後ろから車間距離を詰められたら、鬱陶しいからすぐに停まって追い抜かせてやることにしている。「先日は 10km 近くずっと煽られっぱなしで、コワかった」なんて言う人がいるが、「なんで、停まって追い抜かせてやらなかったの?」と聞きたくなってしまう。

ところがこの日は、その先に正真正銘のノロノロ運転のクルマがいて、私を追い抜いて行ったゴミ収集車は明らかにイラり気味でそのクルマを煽っている。ただ、前のノロノロ運転手は免許を取ってこの方、バックミラーなんて一度も見たことのないタイプのようで、この煽りに全然気付いていない様子だ。

そして赤信号で停止している間にこちらも追いついてしまい、そのゴミ収集車をよく見たところ、自治体所有のクルマではなく、民間のクルマがゴミ収集事業を請け負ってやっているもののようだ。そりゃ、自治体のクルマだったら、こんな煽り運転はまずしないよね。

上の写真はその信号停止の間にちゃちゃっとスマホで撮ったものだが、このクルマ、後ろにステッカーがペタペタ貼ってある。左側には日の丸をバックにした「あおんなよ」(「なめんなよ」じゃない)、真ん中の下には「低速御免」の文字が見える。

いやはや、「低速御免」で「あおんなよ」との意思表示をしているクルマが、前のクルマをしっかり煽っているのだから、世の中というのはおもしろい。このように「言うことと、することが逆の人」ってのは、どこでも結構多いよね。

 

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2022年4月 5日

JR 東が運賃 10円値上げでホームドアを推進

Impress Watch のサイトに「JR 東、運賃 10円値上げ。都市部でホームドアを推進」というニュースがある。運賃に 10円を上乗せして、その収益でホームドアやバリアフリーの設備を整備していくということらしい。

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この適用開始は来年の 3月頃からとなるらしく、「2025年度までの整備予定は、エレベーターを 23駅に、スロープを 4駅に、バリアフリートイレを 10駅に整備する」としている。ふぅん、2年かけてこの程度というのは、案外トロいのだね。

その後の予定も、2035年までにエレベーター 20駅、スロープ 0駅、バリアフリートイレ 18駅というのだから、トロさが加速する(妙な表現だが)。10円余計に払う程度では、この程度のものなのか。

ただ、ホームドアの設置に関する目標はこの記事では明らかにされていない。もしかしたら、この件に関しては設置がどんどん進むのかもしれない。なにしろ最近は、ホームからの転落死(多くは自殺)が増えているらしいから、対策は急務だ。

思い起こせば私が茨城県に移転してきた 40年ほど前は、常磐線の運行なんてかなりワイルドなものだった。この件に関しては、2006年 9月 7日の「和歌ログ」に、次のように書いている(参照)。

そうえいば、私がつくばの里に越してきたのは、もう二十四年も前(注:今からだと 40年前)になるのだ。その頃の取手駅は、ひなびた田舎駅で、土浦方面からくる中距離電車は、通称 「赤電 (あかでん)」 と呼ばれていた。

この電車のドアは、車両の前後に一対ずつしかなく、開閉は手動だった。超満員の時などは、ドアが閉まりきらないうちに発車してしまい、デッキから振り落とされないように、必死につかまっていたものだ。

取手駅を出て間もないところにある利根川の鉄橋を渡るときなどは、半分はみ出した体の真下に、とうとうと流れる坂東太郎が見下ろせて、なかなかスリリングなものだった。

この頃と比べたら、取手駅はホームドアこそないが、ずいぶんお行儀良くなったものである。

 

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2022年4月 3日

『ネイザンロードのイルミネーション』という小説

”My Documents” フォルダの奥の奥の方から、昔書いた小説のようなもの(未発表)がいくつか出てきた。その中に『ネイザンロードのイルミネーション』というのがあり、どうやら 1987〜8年頃に書いたもののようで、ということは、30代半ばのことである。いやはや、若かったなあ。

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これは当時の仕事で、ファッション業界取材のために香港を訪れた時のことを題材にしたものだ。「ネイザンロード(Nathern Road、彌敦道)」というのは、香港の中心部を南北に走る大通りである。

ただ、この作品、Windows 3.1 が発表される 4〜5年も前の作だから、どうやら大昔のワープロ専用機 OASYS(参照)で書き、オプションの TXT 形式で保存したもののようなのだ。

ところがいかにお馴染みの "****.txt" という名称のファイルとはいえ、30年以上も前ものだけに規格が違いすぎて、手持ちの Mac では読み込めない。「TXT 形式で保存しとけば大丈夫」というのは甘かったようで、「自分で書いた作品が自分で読めなくなってしまったのか!」と失望していたのである。

ただ、同じ頃に書いたものでも「戦争では誰も勝たない」というショートショートは、たまたまインターネット上で発表していたために、読み込みの苦労はせずに済んでいる。いやはや、インターネットはいろいろな意味で心強い。

というわけで半ば諦めかけていたのだが、昨日ふと思いついて押し入れの奥から大昔の Windows PC(OS は ”Windows 7”)を引っ張り出したのである。これで辛うじて起動した「メモ」アプリで、ものは試しと開いてみたところ、なんと、見覚えのある文章が再現されたではないか。

大昔のファイルは大昔のマシンで開くに限るようなのである。こうして読み込んだテキストの Word ファイルへの変換に成功して、どっと脱力するほど安心した。

短編小説としてはちょっとだけ長めだが、中編というほどの分量ではない。もしよかったら、こちら をクリックすれば別画面で読むことが出来る。(なお、上の画像をクリックしてもリンクされる)

最近はロシアのウクライナ侵攻が非難の的だが、私としては中国による香港蹂躙に関してもかなりムカついている。昔の香港は観光以外の視点でも魅力たっぷりで、私はニューヨークの次に大好きな街だった。この小説の中でも、香港の若手ファッション・デザイナーが、こう語る姿を描いている。

「僕らの父親の世代は今でも何とかして香港から逃げ出したいと考えている。そして財産をカナダあたりに移して、移住のチャンスを待っている。だけど、僕はこの香港の街が好きだ。例えどんなことがあろうと僕はこの香港の街と一緒に生きたい」

ちなみに「1997年に、中国に返還されても?」 という私の質問に対しても、彼は次のように答える。

「もちろん。僕のような者がいる限り、香港は香港であり続けるさ」

しかし今となっては悲しいことではあるが、彼が香港の外に無事に脱出していることを願う。結果的に自身の言葉を裏切る状態になっているとしても、私は決して責めようとは思わない。もはや香港は香港でなくなったのだから。

昔の作品を今さらのように発表させていただくのは、魅力的だった 1987年の香港へのオマージュを残しておきたいという気持ちからである。

 

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