カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2022年10月 1日

アントニオ猪木の死と、プロレスというもの

アントニオ猪木が今朝亡くなった。スポーツ各紙が報じているが、ここはやはり何と言っても東スポ WEB にリンクしておくので、詳細を知りたい向きはリンク先にどうぞ。

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1960年代後半から 1980年代にかけての私はかなりディープなプロレス・ファンで、「プロレスの技で知らないものはない」とまで豪語していた。口だけじゃなく実践も欠かさず、ブレーンバスターの受け身ぐらいはしっかり取れた。プロレスの見栄えは「受け身」で決まるので、これは誇っていいことだ。

そんなわけだから、私にとって彼の死は安倍元首相の死よりも重い。向こうがいくら「首相在任期間最長」なんて言っても、2期合わせてもたかだか 9年足らずだが、私は猪木のプロレスを 25年以上にわたってウォッチしていたのだ。

とはいえ、私は 1990年代以後はプロレスから離れ、シリアスな格闘技に視点を移している。ぶっちゃけて言えば、プロレスは「ショー」なのであり、それだからこそ「名優」がいないと魅力がなくなってしまうのだ。猪木以後のプロレスには、その「名優」が存在しないのである。

「猪木プロレス」から「シリアスな格闘技」への流れを、私は過去に以下の 3本の記事で書いている。

プロレスの時代的使命は終わった (2005年 7月 18日)
「感覚のプロレス」から「論理のプロレス」へ (2006年 9月 16日)
プロレスは本当に 「やらせ」 か?  (2006年 10月 28日)

というわけで、既にプロレスの時代的な使命は終わっているのだから、アントニオ猪木にはあの世でゆっくりと休んでもらいたいと思っている。

 

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2022年9月28日

100代後の子孫まで祟るとは、マメ過ぎる

日本共産党の『しんぶん赤旗電子版』が、"徹底追及 統一協会 縄文先祖まで「解怨」献金 本紙入手の解説本 高額奪う手法" という記事を報じている。「解怨」という儀式を通して縄文時代まで遡る先祖の霊の苦しみを解き天国に送るというのだから、なにしろスゴすぎる。

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記事によれば、教団の『先祖解怨(かいおん)・祝福 受付ガイドブック 第5版』(2007年 4月発刊)という書籍には、次のように書かれているらしい。

ガイドブックによると供養が必要な先祖は当初 120代前まででしたが、文鮮明、韓鶴子の指示で 210代前まで必要になったとしています(現在は 430代前まで)。1世代を 20年と計算しても縄文時代の先祖までさかのぼることになります。

儀式のためには「解怨献金が必要である」とも。献金額は 1〜7代前までをひとくくりとして 70万円。それ以後は、7代ごとに 3万円となっています。

統一教会は、父親の母方、母親の母方まで計 4家系の先祖解怨を求めているので、210代前までの「解怨」には 628万円かかり、夫婦 2人分だと、その倍の 1,256万円が必要になるという。献金を完納しないと先祖が子孫を恨むようになり「悪さをされる」と脅されてしまうようなのだ。

なるほど、教団に金が集まるわけだ。「地獄の沙汰も金次第」という諺が脳裏に浮かぶ。

私とて、先祖の供養は大切なことと思っていて、ここ 3年はコロナ禍で帰郷していないが、田舎の墓参りは続けて来た。それは自分の中で「先祖との精神的なつながり」ということを意識しているからであって、「墓参りしないと恨みを買って悪さをされる」なんて思ったことは一度もない。

それに先祖の側からしても、「解怨」されないと 100代も 200代も時代を下って子孫に悪さをするなんて、ちょっと考えただけで途方もなさ過ぎる。孫が 3人以上いるなんて人は珍しくないから、100代も下れば子孫の数は大変なことになり、「悪さ」をするだけで大変だ。いくら何でもマメ過ぎる。

生きてる間だけでもよしなしごとで結構忙しいのに、死んでからまでそんな骨折り仕事をするのは御免蒙りたいものである。いや、骨は娑婆に置いてきてるか。

 

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2022年9月21日

高速道路の「追い越し車線」に関する考察

東洋経済 ONLINE に ”高速道路「追い越し車線 2キロ超捕まる説」の真偽” という記事がある。巷では「追い越し車線を通行していいのは 2km以内で、それ以上走ると捕まる」なんていう都市伝説があるというのだが、私はそんなことは初めて聞いた。

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それどころか実際には、ずっと平気で追い越し車線を走行し続けるクルマがやたら多い。NEXCO東日本広報に確認すると、「2kmという具体的な数字は示されていません。追い越しが終わったら速やかに走行車線に戻ることが道路交通法で定められています」 としているというのだが。

道路交通法の第 20条では、車線が 3つ以上ある場合は「その最も右側の車両通行帯以外の車両通行帯を通行することができる」と定められているという。やたらわかりにくい文章である。

わかりやすく言うと、通常は 3車線のうち通行することができるのは左側の 2車線で、右側の車線は「やむを得ない事情で追い越しをする場合にのみ」通行できるのだ。そんなわけで、右側車線はちょっと特別な扱いで、最近は見た目も左側 2車線とは差別化されるようになりつつある。こんな具合だ。

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ところが実際には、この規定は全然守られていない。私は 18年も前に、本宅サイトの「知の関節技」に ”高速道路と 「キープレフト」 あるいは「高速道路のパラドックス」” という記事を書いている。内容は、3車線の高速道路ではいつも右側 2車線が混んで、左側はガラガラということだ。こんな具合である。

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これ、まったく不思議な現象だ。ほとんどのドライバーが「自分は一番左側を走るほどトロくない」と思っているのかもしれないが、私は逆に、一番左側を走るのをもっぱらとしている。時折現れる極端に遅い車を抜くために真ん中車線に移ることもあるが、抜いたらすぐに左側に戻る。

こうした原則で運転すると、一見混雑しているように見えても、ほとんどの場合は一番左側はがら空きなので、一気に混雑をすり抜けることができる。厳密に言えば左側から追い抜くことは違反なのだが、それで捕まったことは一度もない。

そういえば、2018年 4月 27日付の「高速道路上の、ちょっとした、けれど大きな変化」という記事で、 右側 2車線だけが混むという現象に変化が現れているなんてことを書いたのだが、どうやら一時的なことだったようだ。最近は、また元通りの光景に戻ってしまっている。

こうなったら、このままずっと左側車線を私の専用車線として空けておいてもらいたい。

 

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2022年9月15日

コロナのパンデミック、3年経ったら「飛んでいけ〜」

世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスのパンデミックについて「まだ到達していないが、終焉が視野に入っている」という声明を発表したというのが、大きな話題になっている(参照)。コロナ禍にはほとほとうんざりしているので、ありがたいといえばありがたいニュースである。

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ただ一方では、日本が 8週連続で感染者数が世界最多になっている(参照)という事実もあるので油断は禁物だが、いずれにしても早くこの状況から脱出したい。マスクなしで過ごせる世の中に戻りたいものだ。

CORVID-19 は、2019年 12月に中国で感染が確認されたのを第1号としているというから、今年の末で 3年目だ。いくら強力なパンデミックでも 3年も経てば、終焉に向かっていいんじゃないかと思ってしまう。これを「希望的観測」で終わらせたくはないものだ。

世界はこれまでにも、いろいろなパンデミックを経験してきた。「感染症(インフルエンザ)特集2021/ 2022 パンデミックの歴史と新型コロナウイルス」というページを見ると、その歴史がわかる。

このペーにによれば、過去最も死亡者数の多かったパンデミックは 14世紀半ば(1347年〜1352年)にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)で、7,500万人が死亡したとされている。これは当時のヨーロッパの人口の 3分の 1に相当するというから、恐ろしい数字だ。

また、1918年から 1920年に大流行したスペイン風邪は、世界人口の 3分の 1が感染したといわれている。このページのグラフでは死亡者数は 5,000万人となっているが、Wikipedia の「スペインかぜ」の項目では「(死亡者数は)おそらくは 1億人を超えていた」とある。

このページのグラフで注目すべき点は、多くのパンデミックがほぼ 5年以内に終息しているということで、さらに言えば、そのほとんどが 3年以内である。例外は天然痘(1518年〜1568年、1775年〜1782年の 2回)だが、現在はワクチンの普及によって自然感染は撲滅されている。

こうしたことから言えば今回のコロナ禍も、もう 3年経つのだから、WHO の言う「終焉が視野に」というのは信じてもいいように思う。

ちなみにウチの娘たちが幼かった頃、転んで泣いていても、痛がっているところを撫でてやりながら「痛いの痛いの、飛んで行け〜」と言えば立ち所に泣き止んでいたものだ。「飛んで行け〜」というのは、まさに魔法の呪文である。

そこで今回も「コロナとやらのパンデミックよ、3年経ったら飛んで行け〜」と、出来の悪い都々逸みたいな文句を唱えつつ終息を待とうと思う。ああ、気軽にあちこち行ける日の戻るのが待ち遠しい。

 

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2022年9月11日

「LGBT を隠して生きろ」という理不尽さ

HUFFPOST の【 「ゲイはみんなエイズを持っている」という偏見も。消防士を辞めた僕は、“無意識の我慢“ に疲弊していたと気づいた】という記事を読み、栃木県下野市議会議員の「(LGBTを)静かに隠して生きていただきたい」という発言の理不尽さがますますわかった。

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問題の発言は 今月 4日の「そう思うのは自由だが、政治家なら隠して生きてね」という記事で触れたのだが、石川信夫という幸福実現党所属の市議が市議会の一般質問で LGBTQ の人たちに関し、「できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」なんて口走ったというものである。

この市議の発言が LGBT 差別に他ならないというのは、冒頭で紹介した HUFFPOST の記事を読めばわかる。この記事に登場するのは平田金重さんというゲイの元消防士である。

彼は子どもの頃から自分の性的志向を認めることができず、「普通」に憧れて生きてきたという。だから SNS で知り合った同性の KOTFEさんに告白された時にはどうしていいか悩み、混乱するばかりだった。

しかし彼を失うのが辛かいとわかって同棲を始め、「時間を共有するうちに 2人でいることがかけがえのないものになり、1、2年かけてKOTFEさんを好きになっていった」と書かれている。その間も勤務先の消防署では自分がゲイであることを隠し続けていたが、ついに昨年、新しい挑戦のために退職した。

退職して初めて、ゲイであることを隠すことで「無意識の我慢が自分を疲弊させていた」ことに気付いたという。人のためになる消防士の仕事に大きな生き甲斐を感じていた彼が退職したのは、この「疲弊」も大きな要因となっていた。

職場での会話の中には、「ゲイはみんなエイズ持っとるわ」「息子がゲイだったら嫌やわ」といった心ない発言が少なくなかった。「彼女おらんのか?」と聞かれ、合コンや性風俗にも誘われていたという。これらは彼にとって「言葉の暴力」だっただろう。

石川市議の発言は、LGBT は自分の性的志向を隠し、心ない言葉にも黙って耐えて、静かに生きろというものだ。それは「表現の自由の否定」であり、大きな「言葉の暴力」でもある。「LGBT には人権がない」と言っているのと同じことだ。

信仰者であり、政治家でもある人がこうした理不尽を言うのは、私には驚き以外の何ものでもない。

【追記】

紹介した HUFFPOST の記事の後篇【独身は半人前、「ゲイだとバレたら働けなくなる」元警察官が、“男社会“から抜け出した理由】が今朝発表されたので、オススメしておく。

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2022年9月 9日

「A4 サイズの紙」を巡る冒険 その 2

昨日の記事の続きである。A サイズ というのは縦横比が一定のため、コピーを取るときに拡大、縮小がとても便利な規格で、日本で展開されている家庭用プリンターやコピー機もほとんどが、このサイズを基本としている。

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ただ、昨日紹介した記事が英文なのにドイツ人によって書かれたというのはもっともな話で、実は米国では、このサイズがほとんど使われていない。A サイズ は実質的に国際標準なのだが、北米だけはこれから外れているのである。

米国の標準は「レターサイズ」という、ヤード・ポンド法に則ったサイズで、基本は 8½インチ×11インチ(215.9×279.4mm)。下の写真のような感じで、A4 サイズに馴染んだ目には、縦方向に寸足らずに見えてしまう。まあ、慣れている米国人には「これで、フツーじゃん」ってことなんだろうけど。

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インターネットのなかった昔、仕事で米国に行った時なんか、日本から持参した紙媒体の資料をコピーする際にはちょっと不便を感じていた。A4 サイズをギリギリに使った文書は、米国のレターサイズの紙にコピーすると、下の行が途切れてしまうことがあるのだ。

私としては「米国も A4 サイズにしてくれたらありがたいのに」と、そこはかとなく思っていたものである。まあ、取り立てて致命的な問題というわけではないのだけどね。

そして時代は移り、インターネットによるデジタル・データのやりとりがフツーになった今、紙のサイズ違いははそれほど気にしなくてよくなった。しかしそのおかげで、米国はビミョーに不便なローカル・ルールに気兼ねなく固執できるわけだから、私の「そこはかとない思い」はまだまだ続く。

そしてこれに関連してもう一つ。世の中には A サイズと並んで B サイズというのがあり、両方とも世界的標準と思われがちだが、実は A サイズが ISO に準拠した国際サイズであるのに対し、B サイズは日本のローカル基準のようなのである。

その昔、日本のお役所に提出する書類は、ほとんど B サイズを基本としていた。私も B4 サイズの用紙の左右に 2ページ分の文書をプリントし、真ん中から 2つ折りして B5 サイズの袋とじ書類にする(しかも「正」と「副」の 2部!)という、くそ面倒な作業を何十回やらされたか知れない。

そして 1994年を境に行政で使用する書類もようやく A サイズに統一された。さすがに A3 用紙にプリントして 2つ折りの袋とじにしろとは言われなかったので、この時の「やっと楽になる!」という開放感は、30年近く経った今でもありありと覚えているほどだ。

21世紀に入って 20年以上経った今でも、お役所の世界ではこれに類した因習がいくらでも残っているようで、本当に何とかしてもらいたいものである。

 

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2022年9月 8日

「A4 サイズの紙」を巡る冒険 その 1

Gigazine に「A4 サイズの紙が広く使われているのには数学的に美しい理由がある」という記事がある。元記事は "Why A4? – The Mathematical Beauty of Paper Size" で、英語で書かれているが、筆者はドイツ人のようだ。

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この「ドイツ人が書いた英語の記事」という点にちょっと興味が湧いてググってみたところ、「A判は 19世紀末ドイツの物理学者オズワルドによって提案されたドイツの規格」というのが見つかった(参照)。同様の記述は、これのみならずあちこちに見当たるので、つい信じそうになっちゃったじゃないか。

ただ、かなり危ういところでまっとうな疑問が湧く。「オズワルド」って、英語圏の人名のカタカナ表記であり、ドイツ人の名前の表記としては不自然じゃないか? この辛うじて湧いた疑問がきっかけで、A4 サイズに関する「ガセネタ」を信じずに済むことになった。

深くググってみると、"yasuokaの日記: A判の起源"(2008年 9月 16日付)というスラドの記事が見つかり、 A サイズの起源について「フランスで 18世紀末から使われてきた紙のサイズ」とあり、話の具体性から言って、「オズワルド(あるいは「オストワルト」)起源説」よりずっと信憑性がある。

記事にはさらに、"「物理学者オズワルド」とは誰なのか"(2016年 8月 22日付)という続編まである。Friedrich Wilhelm Ostwald という知る人ぞ知るドイツ人は化学者であり、物理学者ではないというのだ。確かに、この人のことを Wikipedia で調べても、A4 サイズに関する記述は全くない(参照)。

要するに、この人と A サイズを関連付けて語るのは、そもそもからして訳のわからない話なのだ。念のため、英語版 Wikipedia の ”Paper size" という項目も調べてみたが、Oswald とか Ostwald なんて名前は見当たらない。

今回のネタの元記事がドイツ人によって書かれたのは、初めは「A4 サイズの発祥は、我が祖国だからね」という誇りに発するのかと思ったが、実はそうではなく「ほんのたまたま」のようなのだ。そして当然のことに、そこにはオズワルド云々という記述も全然ない。

というわけで、「A4 サイズはドイツ人物理学者のオズワルドが考案した」というのは、日本ではあちこちのサイトであまりにももっともらしく語られているが、「実はとんでもないガセネタ」であると結論づけていいだろう。ここまで来て、ようやく気分が吹っ切れて今回のネタの核心に入ることができる。

A4 サイズの寸法は、長辺が 297mm、短辺が 210mm。これは絶妙なサイズ設定で、半分に折りたたむと A5 サイズとなり、逆に倍にすると A3 サイズになる。「縦横比が同じ」ということは、一定のサイズ比で大きくも小さくもコピーできるということで、絶妙なサイズ規格なのである。

これが国際サイズとして採用されているというのは、本当にありがたいことだ。米国標準の「レターサイズ」というのは、こうした点で妙に不便だからね。

これでは「核心」というには短すぎるので、続きは明日書くことにしたい。

【追記】

A判は 19世紀末ドイツの物理学者オズワルドによって提案されたドイツの規格」でググると、ほぼ同じフレーズが 9,000件近く検索される。ガセネタが何の疑いもなくコピペされ続けた結果だろう。インターネット時代の「俗説」はこうして作られる。かなりコワい話で、私も気をつけようと思った次第である。

 

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2022年9月 5日

「メンソレータム」と「メンターム」と「メンタム」

我が家はつくばの自然豊かなところにあるので、ちょっと庭に出て雑草を取ったりするだけで、腕だの脚だのがしっかりと蚊に刺されてしまう。それで「ムヒ」や「ウナコーワ」などの世話になるのだが、私が高校時代まで庄内の地で暮らしていた頃は、この分野では「メンソレータム」が圧倒的主力だった。

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「リトル・ナース」の絵も懐かしい「メンソレータム」という塗り薬、最近は見かけることが少なくなったので、もう市場から消えたのかと思っていたが、今日、ふと気になってググってみたら、ちゃんと健在じゃないか。しかも油断のならないことに、いつの間にか容器のフタがネジ式に進化している。

ただし公式サイトの表示を見ても、「効能・効果」には「ひび、あかぎれ、しもやけ、かゆみ」とあるのみで、「虫さされ」の文字はない。しっかりと「虫さされ」に効くと謳ってある「ムヒ」や「ウナコーワ」の路線ではなく、こちらは「穏やかな皮膚のお薬」としての道を歩んでいるようだ。

メンソレータムの歴史はなかなかおもしろい(参照)。この薬は米国のメンソレータム・カンパニーがライセンサーで、日本では近江セールズ株式会社(のちの株式会社近江兄弟社)が販売していた。

ところが近江兄弟社は 1974年に経営破綻のためライセンスを返上し、代わって 1975年からライセンシーとなったロート製薬が、1988年に本家のメンソレータム・カンパニーを買収。それで現在は「リトル・ナース」マークの「メンソレータム」が、ロート製薬のスキンケア製品全体のブランドとなっているという。

なるほど、そういえば確かにリップクリームでは「メンソレータム」ブランドのものがあるね(参照)。

一方の近江兄弟社はやがて経営破綻から立ち直り、現在はライセンシー時代に培った技術を背景に、「時代を超えて愛され続ける生活常備薬」としての「メンターム」というのを販売している。価格的には「メンソレータム」よりややお徳用の設定で、見つかりさえすればこっちを選びたい。

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そういえば昔は、「メンソレータム」の類似商品というのがくさるほどあった(北多摩薬剤師会の画像コレクションは一見の価値あり)。実家でも「メンタム」とか「メンスター」なんてのを使った記憶があるが、効果は本家と似たようなものだったと思う。

というわけで「メンタム」が「あり」だったんだから、「メンターム」も十分「あり」なんだろう。

ちなみに私の田舎ではほとんどの人が「メンソレータム」と言わずに(あるいは、言えずに)、音位転換を起こして「メンソレターム」(「ター」にアクセント)と言ってたなあ。私もつい、そう言いそうになるほどで、懐かしき昭和の記憶である。

【9月 6日 追記】

「メンソレターム」という音位転換はウチの田舎に限らず、かなり普遍的なものであるらしい。Twitter に「#メンソレターム」という項目があるほどで、なかなかおもしろい。

とくに、次の 2つの tweet はかなり心に迫る。

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北杜夫は、父で山形県出身の歌人である斎藤茂吉が「メンソレターム」というのを聞いて育ったのだろうね。

 

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2022年9月 4日

そう思うのは自由だが、政治家なら隠して生きてね

昨日に続いての地方政治ネタ。栃木県下野市の石川信夫市議(幸福実現党)が今年 6月、LGBTQの人たちに関し、「できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」なんてことを、どういうつもりなのか市議会の一般質問で発言していたんだそうだ(参照)。

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この石川市議という人に対しては、「あなたがそう思うのは自由だけど、政治家なら、その思いを静かに隠して生きる方が美しいからね」と言うほかないだろう。ただ、写真を見る限りでは、到底静かに生きてくれそうにない面構えだが。

このニュースに添えられた YouTube ビデオを見ると、ビデオ開始早々にその問題発言がある。さらに旧約聖書の「ソドムとゴモラ」を持ち出してのお説教になった 3分 51秒あたりで、議長から「これは一般質問だから・・・」みたいな注意を受けるのだが、彼はそれを強引に振り切って続けている。

この人の所属する幸福実現党というのは、あの「幸福の科学」の大川隆法を総裁とする政党で、この人が「人権の上に神権っていうのがある、神様の権利があるんだっていうことを忘れちゃいけません」というのはそこから来ているのだろう。幸福の科学というのはそういう教えらしい。

私としては、「神」というのは「権利」なんて俗っぽいコンセプトを遙かに超越した存在だと思うんだがなあ。まあ、ここでは深くは突っ込まないが。

ちなみに幸福実現党の公式サイトを見ると、「2つの理念と 7つの柱」というのに「LGBT の安易な権利拡大に抑止を」という項目があり、次のように謳われている。

個性や多様性は尊重されるべきですが、同性婚の法制化や、肉体的には男性でも女子トイレを使う権利などを無制限に認めれば、社会は混乱します。男女の違いは厳然としてあるもので、性差を失わせる風潮にはブレーキをかけるべきです。

「LGBT の安易な権利拡大」とは妙な言いがかりで、まともに言うなら「LGBT の権利保障」をすべきなのだろう。「男女の違いは厳然としてあるもの」という言い方にも議論の余地があり、実際にはそれほど「厳然」としたものでもないようなのだ(参考までに)。

ただ幸福実現党のサイトには、「LGBT は静かに隠して生きるのが望ましい」とまでは書かれていない。さすがに政党の公式サイトだけあって、そのあたりの本音は「静かに隠して」表現されているようで、石川市議の発言は、熱心さのあまりの勇み足だったのだろうね。

 

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2022年8月30日

「夏休みの宿題」というもの

カーラジオを聞きながらクルマを運転していると、この時期は「リスナーの声」などに、子どもの夏休みの宿題を手伝わされる親のグチというのが多い。親にとって大変なのは、「お絵かき」と「自由研究」のようだ。

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子どもの「お絵かき」がまだできていないというので、学生時代に美術部だったという母親が代わって描いてやったところ、先生にめちゃくちゃ褒められ、あまつさえコンクールで入選して市立美術館に展示されたことがあるという話には笑ってしまった。なんとまあ、同じような体験が複数紹介されている。

高校時代に美術部だった妻によれば、「なまじ絵が得意だと、下手に描くってできないのよね」ということなのだそうだ。私は必死に描いて下の絵ぐらいのものなので、絵の上手な人が羨ましい。

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ちなみに一番上の画像で紹介した tweet は、「ろ過」というテーマで子どもの自由研究を手伝った ほうおん さんという方のもの。文科省の因習的価値感からすると、「あってはならないこと」になってしまっている。

HPを参考に頑張って作ったろ過装置よりも、比較実験として作った「ティッシュを何枚か重ねたもの」のほうが遥かに綺麗にろ過できてしまい、頭を抱えている

「ろ過装置」というものが現役で活躍していた時代には、今のようなティッシュペーパーが存在しなかったから、昔の技術は取り残されてしまったのだろうね。私だったらいっそのこと、「技術の進歩は凄い!」というテーマに切り替えて書いてしまうのに。

それにしても、今どきの小学校の「夏休みの宿題」というのはかなりの負担らしく、親の手を借りるケースが多いようだ(参照)。私は親に手伝ってもらった覚えはないし、自分の子どもにも手を貸さなかったから、信じられない思いである。

夏休みぐらい、遊び呆けて暮らせるようにすればいいのにと思う。思いっきり遊んだ方が、結局は奥の深い勉強になると思うがなあ。ただ、これに関して私は 8年前にちょっと皮肉なことを書いている(参照)。

今の学校は学年の変わり目となる春休みでも宿題が出るらしいから、何とも世知辛い世の中だ。

 

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