カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の1000件の記事

2021年10月26日

「団塊の世代の尻尾」を巡る冒険

昨日は「現在の数少ない高校生以下の世代は、上に巨大な重石を二段重ねで乗っけられているようなものだ」と書いた(参照)。二段重ねの重石とは、もちろん「団塊の世代」と「団塊の世代ジュニア」で、団塊の世代のやや下の世代である私が 23歳の生意気盛りだった頃の人口ピラミッドはこんな具合だった。

211026

これは 1975年のものだが、25歳〜29歳の層の人口が際立って多く、その下にちょっとしたへこみがあるが、一番下に既に「団塊の世代ジュニア」が現れかけていて、まあ「人口ピラミッド」というにあまり違和感のない形をしていた。

「団塊の世代」というのは、Wikipedia によれば「第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のこと」とある(参照)。いわゆる「ベビー・ブーマーズ」である。

上に示した人口ピラミッドでいえば、25〜29歳と 30〜34歳の 2つの領域に跨がっている。まあ、いずれにしても結構な人口になるわけで、まさに「団塊」というに相応しい。

私は 1952年生まれで、上の図でいえば「20〜24歳」に属していた。一見してわかるように、同世代人口がガクンと減り始めたという世代である。それで私なんかは昔から、「団塊の世代の尻尾」と自称していて、すぐ上の世代の圧倒的な「数の力」をかなり鬱陶しく感じていた。

私が「団塊の世代の尻尾」という言葉を初めて使ったのは、2016年 8月 2日付の ”「団塊の世代の尻尾」の都知事が生まれることについて" という記事においてだと思う。小池百合子さんが都知事に当選した時の記事だ。彼女は 1952年 7月 15日生まれというから、私より 11日だけ早く生まれた同世代である。

「団塊の世代の尻尾」という世代論に関しては、上記の記事で思い切り書いてしまったので、リンク先に飛んで読んでもらえればいいと思う。ここで敢えてギリギリ要約してしまうと、我々は「団塊の世代」が「行け行けドンドン」的に動いて荒らしまくった結果の「後始末」ばっかりしてきたということだ。

彼らが数の力で次々にいろいろな「ブーム」を形成してしまうので、それらに関して「ちょっと違うんじゃないの?」と思ってしまう私なんかは、いつも「マイナーな存在」として動かざるを得なかった。つまり常に「時代の主流」にはちょっと距離を置いてしまう運命にあるわけだ。

このブログにしても、そんな色合いが強いと自覚している。それでアクセス数も 1日当たり 700〜1,000 ぐらいのレベルで、それ以上にはなかなか増えない宿命にあるが、まあ、急にキャラを変えるわけにもいかないので、このまま続けて行くほかない。

ちなみに、5年前に書いた ”「団塊の世代の尻尾」の都知事” の小池さんだが、長く政治の世界にいるうちに、尻尾の特質を薄めてしまいつつあるように見受けられる。今回の東京オリンピック推進の姿勢を見て、「この人、やっぱりこうなっちゃうんだなあ」と思ってしまったよ。

 

| | コメント (0)

2021年10月25日

老後の資金なんて、元々ないのが当たり前になる

『老後の資金がありません』という映画が、公開前からやたら話題になっているが、原作は垣谷美雨という人による小説で、中公文庫で読めるらしい(参照)。

211025

小説の主人公はこれから老後を迎える 53歳の後藤篤子という女性で、これを映画では天海祐希が演じているようだ。53歳といっても、原作が世に出たのは 2015年で、この年の人口ピラミッドをみると、こんな具合だ(参照)。

2110252

この頃の 50代といえば、団塊の世代と団塊の世代ジュニアのほぼ中間ですぼまっている部分で、同世代人口の比較的少ない年齢層とわかる。上下の圧倒的な数の世代に挟まれて、しわ寄せを食いやすい存在だ。

老後の資金に限らず、いろいろな面で気苦労が多くなってしまう。映画では草笛光子の演じる義母の振る舞いに困惑し通しになるらしいが、まあ、そんなような宿命にある世代なのかもしれない。

いずれにしても、「人口ピラミッド」なんて言われているが、実際の形は下に行くほどつぼまっていて、今の 10代の幅なんて団塊の世代の半分強しかない。近所を歩いても「じいさんばあさん」ばかり目立つわけである。というわけで、2020年の人口ピラミッドは、2015年の時点でこんな具合に予測されていた。

2110253

現在の数少ない高校生以下の世代は、上に巨大な重石を二段重ねで乗っけられているようなものだ。今は「団塊の世代ジュニア」が現役バリバリで世の中を支えているからまだいいが、あと 20〜30年したら、人口ピラミッドが「人口逆ピラミッド」なんて言われてしまいそうだ。

これじゃあ、若い世代が老人の生活を支えろと言ってもムリなわけで、それぞれが「老後の資金」を蓄えておくしかない。ところが日本人の多くは現在の生活に精一杯で、貯金なんてしている余裕がないという。「老後の資金がありません」なんて、当たり前のことになる。

私としても来年は 70歳だというのに、何だかんだと言いながら細々と仕事を続けている。まあ、個人事業主で気に入った仕事しかしないというわがままを通してるからいいが。

しばらくは元気で働いて、時が来たら後の世代に迷惑をかけないようにポックリと逝ってしまうのが一番いいのかも知れないね。取りあえず、それまではあっけらかんと生きていくことにしよう。

 

| | コメント (6)

2021年10月24日

街に人もクルマも増えている

下の写真は、一昨日の金曜日、『和歌ログ』で使った写真だ。急に冷え込んで「雨止まぬ帰宅ラッシュの国道で車内暖房のスイッチを押す」なんていう歌を詠んでいる。

211022w

写真で見るように、国道の下り方向がかなり混んでいて、赤信号の手前に信号待ちの長い列ができ、そこに至るまでもかなり前からノロノロ運転になっていた。こんなに混雑するようになったのは久しぶりのような気がする。

コロナ禍が少し収まりつつあるため緊急事態宣言が解除され、実際に出社しての仕事をするようになった企業が多いのだろう。テレワークもすっかり定着するまでには至らなかったようだ。

昨日の土曜日は、ショッピングセンターで買い物をしたが、あんなに家族連れの多い光景を久しぶりに見る気がした。個人的には、子どもを人混みの中に連れ出すのはまだリスクが大きい気がするのだが、子どもの方でも家に閉じ籠もりきりの状態に耐えられなくなっているで、難しいところだろう。

さらに今日は所用で常磐高速道を使ったのだが、渋滞とまではならないまでもかなり交通量が増えていた。日曜日で天気も良かったので、幸楽に出かけた人も多かったのだろう。これまでとは大きな違いだ。

コロナ・ワクチンの接種率はようやくかなり高くなってきているが、若年層ではまだまだ低い。もし第 6波なんて言われるほどのリバウンドで感染者が増えるとしたら、30代以下の若い層だろう。用心するに越したことはない。

私は来月半ばに大阪に出張することが決まったが、大阪府のコロナ感染者数は近頃ずっと東京を上回っている。大阪人は喋るのが好きな上に声も大きいから感染が広がりやすいなんて言う人もいるが、それは冗談としても、用心はしなければならないだろう。

ワクチンの 2回接種を済ませたとはいえ、絶対に安全というわけではないというのが鬱陶しい。

| | コメント (0)

2021年10月15日

大人が都合良く考えた子ども像 (その 2)

昨日付の「大人が都合良く考えた子ども像」という記事の続きである。今日書くのは中学生の頃の、作文コンクールについての記憶だ。

211015

私は小学校低学年の頃から学級新聞作りに積極的に関わり、記事もほとんど自分で書いていたほどだから、文章を書くのは得意としていた。ところが不思議なことに、年に何度かある「作文コンクール」みたいなものでは、一度も入選したことがなかったのである。

とくに文章が上手とも思われないクラスメートの作文が、市や県などの主催するコンクールで時々入賞するのだが、私はそうした賞には不思議なほど無縁だった。これはもう、「性が(賞が?)合わない」と言うほかない。

ある日、市の作文コンクールだったかで入選した同級生の作品を読んでみたのだが、率直に言って「何だよ、これは!」と思うしかなかった。とくに上手な文章でもなんでもないし、そもそも普段の彼の態度からしたら「偽善そのもの」の「いい子ぶりっ子過ぎ」と言うほかない代物だったのである。

「こんな歯の浮くようなことを恥ずかしげもなく書くと、作文コンクールで入賞しちゃうわけね!」と思うほかなかったのを憶えている。これについては 2006年 5月 16日の「作文も演技さ!」という記事でも書いているが、要するに「国語教育」というのは「道徳教育」なのだと薄々悟ってしまった。

そこで「ものは試し」とばかり、中学時代のちょっと大きな作文コンクールで、自分でも気恥ずかしくなるほどの「優等生的作文」を書いてみた。すると何と言うことか、あっさり「金賞」を獲得してしまったのである。

これはもう「嬉しい」というようなものじゃない。むしろ「作文コンクールなんて、この程度のものだったのかよ!」と、予想していたこととはいえ、がっかりしたのだった。

ところが翌週の全校朝礼で、私は皆の前で「金賞受賞の喜び」を発表することになってしまった。いやはや、勘弁してもらいたかったね。

そこで私は自分への正直さを取り戻すためにも、「ぶりっ子コメント」は一切排除することに決めた。当日は「今回は試しに『心にもないこと』を書いてみたら、こんな賞をもらってしまい、自分でも変な気分です」というようなことを言ったところ、教職員会のどえらい不興を買ってしまったらしい。

というわけで、「大人の期待する『良い子』の姿」を作文するなんて、とてもたやすいことだったのである。しかし私としては、そんな安易なことで点数を稼ぐのは「気分悪過ぎ」だったので、金輪際止めとこうと思ったのだった。

そんなことでチヤホヤされるよりは、それまで通りに「悪童」でいる方がずっと居心地がよかったのである。

 

| | コメント (8)

2021年10月14日

大人が都合良く考えた子ども像

『たこの歌』という文部省唱歌がある。そう、あの「たこたこあがれ/かぜよくうけて/くもまであがれ/てんまであがれ」という歌詞の歌だ。

子どもの頃、「天」というのは「雲」の上にあるものだということを、この歌で学んだ。ただ、「雲」は具体的だが「天」はかなり茫洋としている。それで「天」というのは「モノ」というより抽象概念なのだということもおぼろげに理解した。もちろん「抽象概念」なんて言葉そのものは知らなかったが。

その意味で、この歌は小学校低学年だった頃の私の論理思考を養うスタート地点みたいなものになったのだが、実はあまり好きな歌じゃなかった。というのは、実際にたこ揚げをしてみると歌詞が無責任すぎるとしか思えないのである。

「風よく受けて、雲まで揚がれ、天まで揚がれ」というのは、一見すると順序だった理窟の上に成り立っているように見えるが、実際やってみると雲までなんて到底揚がらないし、ましてや抽象概念に過ぎない「天まで」なんて、テキトーにもほどがある。

かなり風の条件のいい日に勢い込んでトライすると、タコがかなり小さく見えるまで上昇して、「おぉ、やったね!」と興奮するが、無限に揚がるわけじゃない。用意した糸の長さには限界というものがあるのだ。最大の問題は「たこ」だの「風」だのよりも、「糸」だったのである。

そして私はどういうわけか、たこが揚がっている間、糸が真っ直ぐに張るわけじゃなく、途中で結構たるむものだという「目に見える事実」に新鮮な驚きを感じていた。「こんな糸にも重さってものがあるんだ。いくら風が引っ張っても、ピンとは張らないんだ。これってスゴいじゃないか!」

そしてそのビミョーなたるみ具合に、何か心の中でざわざわっとするような「危うさ」とか「哀れさ」みたいなものを見たりしていたのだが、他の誰もそんなことには頓着せず、ただひたすら糸の先端で風に揺れるたこしか見ていない。私は、それが不思議でたまらなく思えてしまうような子だった。

この「たこの歌」って、どうしてこの「もののあわれ」の部分にちっとも触れずに、ただ「ありがち」な光景しか歌わないのだろう。

「大人の作ったこどもの歌」の多くはちっともリアルじゃなく、「大人が都合良く考えた子ども像」の押しつけに過ぎないと薄々わかったのもこの頃である。続きは明日。

 

| | コメント (0)

2021年10月 8日

昨夜の地震で思い出したことなど

昨日の「和歌ログ」を更新した直後に強い地震に見舞われ、収まってから「この和歌をアップロードした直後に、震度 5弱の地震が起きてちょっと焦った」なんて「追記」を書いている。「ちょっと焦った」程度で済んだのは妙に「地震慣れ」してしまっているためで、あまりいいこととも思えない。

ここ茨城県南西部は、一時は「地震の巣」と言われたほどよく揺れる地域で、その頃からの慣れのせいで震度 4 程度なら落ちついてやり過ごせるし、昨日の「震度 5弱」も十分に許容範囲だ。しかし 10年前の東日本大震災ぐらいの揺れ(この辺りは震度 6弱)だと、さすがにかなり恐ろしく感じた。

この時のことは 2011年 3月 11日付「和歌ログ」に写真入りで、下のように詳しく書いている。

2110083

それで今回は、既に半世紀以上も前のこととなった 1964年の新潟地震の時の話をしてみたいと思う。それに関しては 2007年 3月 15日付「私の木造校舎体験」という記事でこんな風に書いている。

私は小学校から高校まで、ずっと今にも崩れ落ちそうな木造校舎で学んだ。小学校は築 60年という、本当に、いつ天井が落ちて来ても不思議じゃない建物だった。実際、どの天井も微妙な弧を描いていて、柱から離れた真ん中ほど下に垂れ下がっていた。

(中略)

そんな校舎だから、小学校 6年の時の新潟地震で倒壊しなかったのが不思議なほどである。それでも揺れている最中は、天井板の隙間から 60年の歴史ある埃がもうもうと舞い落ちてきて、地獄絵図のような有様を現出した。

ただ、この記事では敢えて触れなかった事実が一つある。それは昼過ぎの地震発生時、悪童だった私(自分自身の名誉のために書き添えておくが、学業成績の方は常に断然トップだった)は、廊下に立たされていたということだ。

給食時に悪童どもがワイワイ賑やかなのはいつものことだったが、その日は担任の女性教師が給食時に席を外していたので、いつも以上に賑やかだったようだ。それを他の教師に指摘されたらしい彼女はとても腹を立て、5時間目の最初に「給食の時に騒いでいた子は、廊下に立っていなさい!」と言い放った。

十分に身に覚えのあった私は、迷うことなくすぐに「はぁい」と応じ、自らスタスタ歩いて廊下に出た。悪童ではあったが、同時に馬鹿正直と言っていいほど素直な子でもあったのである。

ところが、一緒に騒いでいたほかの 10人近くの同級生は皆シラを切り、誰一人として後に続いてこない。結局廊下で手持ち無沙汰に立つことになったのは、私一人だけだった。

「はぁ?」の後にクエスチョン・マークがさらに 3つぐらい付きそうな感覚で、「何だよ、お前ら、意気地がねえなあ!」と言いたくなったのを覚えている。

そして問題の新潟地震が発生したのは、私が廊下に立った 4〜5分後だった。教室の中で教師が「みんな、机の下に隠れなさい!」と叫ぶのが聞こえたが、廊下にいる私には隠れる机がない。揺れに振り回されて廊下の窓枠にしがみついた後、やっとの思いで教室に飛び込み、空いていた机の下に潜り込んだ。

今にも崩れ落ちそうなおんぼろ木造校舎のこととて、まさに生きた心地がせず、かなりの恐怖体験として記憶に焼き付いている。しかも廊下で立ったまま揺れに翻弄される経験なんてしたのは私だけだったのだから、その衝撃は同級生たちよりずっとシリアスだったと思う。

この時、私は子供心にかなり忸怩たる思いにとらわれていた。何しろ「お前だけを悪者にはしない」とか言って一緒に廊下に立つような義侠心のある正直者は、クラスに一人もいなかったのだから。

私が「他人を信じすぎちゃいけない。人は自分の行為の責任をとりたがらず、さらに平気で友を見捨てるものだ」と学んだのは、まさにこの日だったと思う。地震の恐怖と相まって、かなり強烈なまでの「学習体験」だった。

 

| | コメント (3)

2021年9月25日

「煽られ運転」という新語

今日も Togetter ネタで恐縮。"「近所の国道大体これ 」二車線区間で追越車線に入った途端に遅い車がウインカーも出さずに車線変更してくる現象ってなんなんだ" という書き込みにエラく共感してしまったので、取り上げさせていただく。

210925

上の 4コマ目、ちょっと気付きにくいが、それまで 2車線だった道路が 1車線になる直前の状況である。要するに、国道などでは右側車線を意味もなくノロノロ走るクルマが多くて大迷惑だという話だ。

このスレには「分かりすぎて辛い...」「あるある過ぎて笑った」「ほんとこういうの多すぎて渋滞が多いから何とかならんもんかね?」など、共感コメントがやたら多い。中には「これわかる。これぞ煽られ運転」「そんで煽られたって騒ぐまでがセットですね」なんていう反感丸出しコメントまである。

こういうの、ちょっと前までは「通せんぼ運転」とか「通せんぼ走行」とか言われていて、渋滞の元凶とされてきた。私も過去にこの言葉を使った記事を書いている。

「煽り運転」と「通せんぼ走行」の相克(2019年 9月 15日)
「煽り運転」は、元(通せんぼ走行)から絶たなきゃダメ (同年同月 21日)

昨今は「煽り運転」がやたら悪者扱いされているが、その原因は追い越し車線(一般道では「右側車線」というのかな?)をゆっくり走る「通せんぼ運転」にあることが多く、近頃に至って「煽られ運転」なんていう新語が出てきているようなのだ。言い得て妙すぎるほどである。

一般道ではどの車線を通行してもいいなんて思われているようだが、それは誤解というもので、「道路交通法 第20条 (車両通行帯)」で次のように定められている。

車両は、車両通行帯の設けられた道路においては、道路の左側端から数えて一番目の車両通行帯を通行しなければならない。

つまり法律的にも一番左側の車線を走らなければならないということになっているので、右側車線をノロノロ行くのは完全に「交通違反」なのだ。あまり大きな声では言えないが、煽られても仕方がないことで、まさに「煽られ運転」である。

経験から言わせてもらうと、右側をノロノロ走るのはいかにも運転に慣れないオバさんとかジイさんとかが多いようだ。ちなみに不本意ながら男女で年齢差のある表現をしたのは、私の掛け値なしの実感からのことなので、全国フェミニスト議員連盟 の方々にはご容赦いただきたい。

「煽られ運転」をする人たちの多くは、生まれてから一度もバックミラーなんて見たことないんじゃないかと思わせてしまうほどだから、いくら煽られても気付かないようなのである。稀に煽られていると気付いても、左側に避けようなんて発想がないみたいで、ただひたすら被害者意識に囚われる。

というわけで、私はそうしたクルマに遭遇したら決して煽らず、逆に車間距離を広めに取るぐらいにしている。どうでもいいところで急ブレーキなんてかけられたりすることもあるから、こちらの身を守るためにもね。

 

| | コメント (0)

2021年9月19日

希望ナンバーにしてるクルマって、結構多いんだね

世間は自民党総裁選の話題でもちきりだが、こちらは敢えて軽いトピックにしておく。今年 1月 24日でも触れた "クルマの「希望ナンバー制」というもの" についてのお話だ。何でも近頃では、クルマの登録の際に 4,000円払うと、好きなナンバーを付けることができるというのである。

2109191

今日、某ホームセンターに買い物に行ったところ駐車場が混んでいて、店の入り口から少々離れたスペースに停めざるを得なかった。さすが上天気の日曜日である。

そしてクルマを停めたスペースから店の入り口まで歩くと、ズラリと並んだクルマのナンバーの 8割以上が、いかにも「希望ナンバーでございます」というものだったのである。ちょっと多すぎる気もするが、たまたま私の停めた列に限ってそんなことになってしまっていたのかなあ。

私もヒマじゃないのですべて撮影したわけじゃないが、たまたま最初に撮った上の写真の、手前は「11-17」で、語呂は「いい、いいなあ」。あるいはこの近くの地名の「伊奈」をとって、「いい伊奈」かも知れない。

その隣は「・・・1」(ズバリ「1番」)。「1番」というナンバーのクルマはいかにもお金のかかった風情のものが多いが、このクルマもやはり結構な押し出しだ。

ほんの少し歩くと、今度は「11-55」(いい高校、あるいは、いい孝行、はたまた、いいゴーゴーかな?)というナンバーだった。そしてその隣の隣も、栄光の「1番」。1番の好きな人って多いんだなあ。

2109193x

さらにその隣のもみじマーク付きはド定番中のド定番、「11-22」(いい夫婦)である。隣が「11-55」だけに、いい高校を出た同士で結婚して、長年連れ添ったみたいな雰囲気だ。それにしても「11-**」というナンバーは人気があるのだね。

2109199

もうちょっと歩くと、今度ももみじマーク付きの「・8 88」。「8」という数字は縁起がいいということで人気らしいが、これは「ハハハ」と笑って明るく生きようと言ってるみたいである。きっと長生きできるよね。

2109194

さらに歩いて店の入り口付近に来ると、向かい側に「86-86」(ハローハロー)が停まっていた。ここまで来ると圧巻である。

2109195  

今日はなぜか、ド定番の、「11-88」(いい母、あるいは、いいパパ)、「25-25」(ニコニコ)には巡り会わなかったが、とにかく皆さん、かなり語呂合わせのナンバーがお好きなようなのである。私としてもつい、次は「40-71」(庄内)にしようかなんて、余計なことを思ってしまったよ。

でもよく考えると、ナンバーに 4,000円払うぐらいなら、おいしいものを食った方がマシだよね。

 

| | コメント (0)

2021年9月10日

「夜明け前が一番暗い」は嘘だが、一番寒いとは言える

「夜明け前が一番暗い」という言葉があるが、色々調べてみると、これ、どうやら英国の格言のようだ。元のフレーズは "The darkest hour is just before dawn" で、直訳すれば「最も暗い時間は夜明け直前」と、話の筋が逆になる。

これ、「辛いことの後には必ずいいことがやってくる」みたいな意味合いで結構よく使われるフレーズで、これをタイトルとする曲を、米国の Emmylou Harris が歌っている。ただ、こうしたメタファー的な意味で使うならいいが、文字通り「最も暗いのが夜明け前」かと言えば、決してそうじゃないよね。

夜中からずっと起きていたことのある人なら皆知ってることだが、世の中というのは日の出の前から白々と明るくなって、実際に日が昇ってくるのは、そのかなり後だ。真っ暗な中で突然のように朝日が顔を出し、それを境として劇的にパッと明るくなるなんてわけがないじゃないか。

いや、もしかしたら、世間で言うところの「夜明け」とは「日の出」の時ではなく、この「白々と明るくなる頃」を指すのかもしれないという疑問ももちあがる。そう受け取らなければあまりにも実感からかけ離れすぎる。

しかしそうだとしても、この「白々と明るくなる頃」の前の「一番暗い時」というのは、はたしていつのことなのか。明るくなり始める直前の瞬間を、非連続的に「一番暗い」と表現できるとは思われない。つまり「夜明け前が一番暗い」というのは、観念上の産物でしかないと考えるほかないのである。

ただ、世の中が一番寒くなるのは、たいてい夜明け前だ。夏の間は薄いタオルケット 1枚で寝て、実際にはそれさえ蹴飛ばして何もかけない状態で一晩過ごしても全然寒くなかったが、最近はそれだけだと、夜明け前に寒さで目を覚ます。

そしてその頃には既に白々と明るくなっているので、そのまま起き出してしまったりする。太陽の明るさだけは早めに届いても、その熱によって世界が温まるまでには、ちょっとした時間差が必要なのだと実感する。

というわけで、「辛いことの後には必ずいいことがやってくる」ということをメタファーで語るにしても、「夜明け前が一番寒い」という方が、よほど実感があると思うんだがなあ。

 

| | コメント (0)

2021年9月 8日

このままでは「自転車嫌い」が増えて当然

Hatelabo に「自転車が嫌いすぎるんだが、俺がおかしいのか?」という投稿がある。私は自転車が大好きなので、一体どういうことなのかと思って読んだところ、何と、かなり共感してしまった。

210908

「とにかく日々、自転車への憎悪が溜まっている」で始まるこの投稿、読んでみると、「自分が自転車に乗ること」が嫌いなのではなく、「自転車に乗るやつの精神性が気にくわない」ということのようなのだ。問題にされているのは、自転車に乗ってるやつらの遵法精神のなさということである。

この投稿で取り上げられている自転車のイヤな点を具体的に挙げると、次のようになる。

  1. 狭い道を疾走してきてこっちが避けないといけないし、人混みのなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる。
  2. こっちはただ歩いているだけなのにベル鳴らしてどかそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前に合わせなきゃいけないわけェ!?
  3. 険しい顔してサドル(ママ -「ペダル」の誤りだろう)漕いでいるウーバーイーツの自転車も嫌
  4. アホ面で車道を逆走しているジジイも嫌。
  5. 混んでるのに歩行者を追い抜こうとするやつも嫌。
  6. 自転車ってマジで邪魔すぎないですか。なんであんなに歩道を占拠してくるんですか。

うむ、ここに挙げられているのはウーバーイーツの例を除けば、すべて規則違反である。こんなことばかりでは、私だって「自転車が嫌い」になってしまう。

憚りながら言わせてもらえば、私は自転車に乗っている時、ここに挙げられたようなひどい運転は決してしない。自転車だって軽車両なのだから、歩行者優先は大原則である。

自転車での歩道走行も、当然ながら違反である。私としては田舎の狭い県道などで、大型トラックなどが我が物顔で飛ばしまくってものすごく危険な時に、ガラガラの歩道を走行する自転車を「しょうがないか」と許してしまいたくなることもあるが、原則的には「ダメ!」と言わざるを得ない。

4番目に「アホ面で車道を逆走しているジジイ」というのが出ているが、こうしたジジイ(に限らず、オッサン、オバサン、若者、子どもにも多いが)は、信じられないことに車道さえも日常的に逆走する。そもそも「自転車は右側通行」なんて、とんでもない考え違いをしているんじゃなかろうか。

とにかく自転車に関しては、「ヘルメットを被ってスポーツ車に乗っているタイプ」の「ちゃんとしたライダー」と、「とんでもない乗り方をするフツーのライダー」との落差が大きすぎるように思う。これでは「自転車嫌い」が増えて当然だ。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧