カテゴリー「文化・芸術」の132件の記事

2021年4月10日

「国民文化祭 2008」てのが茨城で開催されたらしい

茨城県南の守谷市に、つくばエクスプレスと常総線の乗り入れる「守谷駅」というのがあって、その正面入り口に続く石段の下に、カラー・タイルを石膏で固めたような不細工なモニュメントが飾ってある。私はこれまで、市内の小学生が無邪気に共同制作したものだろうぐらいに思っていた。

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何だか作りがかなりテキトーなようで、右上の拡大写真でわかるように、雨風で溶けた石膏がドロドロ流れ落ちてしまっている。そのためタイルには隙間が生じて、そのうち剥がれ落ちるんじゃないかと思えるほどだ。

ところがこの像の台座は、流れ落ちた石膏で鳩の糞まみれと見間違うようなみっともない状態になっているとはいえ、上に載ったモニュメントとは不釣り合いなほど立派な大理石みたいなのである。不思議に思ってその台座に刻まれた文字(右下写真)を読むと、こんなことだったのである。

2008 国民文化祭記念

  設  置  者 守谷市長  会田真一
  デザイン監修 守谷市文化協会会長
    塚原   三千勝
  制    作 (一文字不明)翔 市民有志

守谷市長の氏名は一つながりで彫ってあるのに、デザイン監修者の方は 1文字分(以上)の空白を取ってあるのが不統一で気になるものの、少なくとも小学生の共同制作ではないようなのだ。正直言って驚いてしまったよ。

それにしても「国民文化祭」なんてちっとも知らなかったので調べてみると、Wikipedia には "文化庁主催の行事で、国文祭と略され、「文化の国体」といわれている" なんてことになっている(参照)。そして確かに、2008年には 11月 1日から 9日までの 9日間、茨城県で開催されたようなのだ。

茨城県のウェブページでは「観客数は目標を上回る118万人を数え、大きな盛り上がりを見せました」なんて自画自賛されている(参照)が、これ、いわゆる「主催者発表数字」の典型なんじゃなかろうか。関係者に押しつけられた入場券を受け付けに置いてすぐに帰った人も相当多いだろうし。

なにしろ前世紀末から当の茨城県民をしている私としては、文化に関心がないわけでは決してないのに、そんな行事が開かれていたなんて全然記憶にないのだよ。念のため 2003年 12月から毎日更新している当ブログの 2008年 11月の記事を見ても、「国民文化祭」なんて文字はまったく見当たらない。

今年は和歌山県で 10月 30日から 11月 11日まで、3週間以上にわたって開催されるらしいのだが、まともな関心を集めているようには到底思われない。どうやらこの行事、関係者が身内だけで盛り上がる「ちょっともったいぶった発表会」の集合体みたいなもののようなのだ。

文化庁としてはこれによって「文化振興」を図っていると言いたいのだろうけど、効果のほどは何とも言いようがない。

そして 13年前の国民文化祭のなれの果てが、この鳩の糞まみれと見紛うような、守谷駅前のモニュメントである。どうにも複雑な気分になってしまうよね。

ちなみに「デザイン監修」として名前の挙がっている 塚原三千勝さん は、守谷市在住の陶芸家で、私の大学の先輩のようなのである(参照)。デザインの「監修」をしただけで、実際の制作にはあまり関わらなかったのかなあ。

 

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2021年3月23日

『夜明けの歌』と、クロス・ジェンダー・パフォーマンス

今朝のNHK ラジオ第一放送「あの日のソングブック」というコーナーで、『上を向いて歩こう』を始めとする坂本九の歌が連続して流れた。そして 3番目ぐらいで『夜明けの歌』が流れた時、かなり前に書いた「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」というのを不意に思い出した。

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まず、その坂本九バージョン (Youtube 動画が見つからなかったので、上の画像をクリックしてリンク先を参照していただきたい)。「夜明けの歌よ の心の・・・」という歌い出しだ。

次に岸洋子バージョン。歌い出しが「夜明けの歌よ の心の・・・」になっている。歌い手のジェンダーによって歌詞の人称の部分の変わることに注目だ。

私がこの問題にこだわり始めたのは、2008年 12月 13日の記事以来である。五木ひろしが『テネシーワルツ』を "I introduced her to my loved one" と歌っているのを聞いて、ゾクッとしてしまったのがきっかけだ。詳しくは、元記事を読んでいただきたい。

で、今回の『夜明けの歌』の話に戻るが、日本語の歌でも坂本九と岸洋子の場合は歌詞を微修正して、きちんと「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」(参照)を避けていることが確認されたというわけだ。めでたしめでたし。

ただ、そこはそれ、さすが日本である。美川憲一の場合は、しっかりと「私の心の・・・」と歌っている。

これは考えるまでもなくもっともなことで、美川憲一が「僕の心の・・・」なんて歌ったら、むしろその方がゾクッとする。そしてさらに細かいことを言えば、この人は「わたしの心の・・・」でさえなく「アタシの心の・・・」と歌っている。これはもう、立派なものというほかない。

まさに「めでたしめでたし」ということで、

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2021年2月16日

ロンドンの霧と、赤いスイートピー

13日の「バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺」という記事で、聖子ちゃんが『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時は、赤いスイートピーは存在しなかったという話に触れた。品種改良によって赤い色の品種が登場したのは、この曲の発表から 18年後だった。

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オスカー・ワイルドは「ターナー以前、ロンドンに霧はなかった」と言った。ターナー(Turner)は、あの霧深い風景画で有名な画家だ。

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ターナー 『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』

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オスカー・ワイルドのこの言葉は、芸術至上主義の名言とされている。ロンドンの霧はそれまでにもずっと「あった」とはいえ、芸術によってそのすばらしさが表現されるまでは、人々の意識の中には「存在しなかった」というのだ。

そしていよいよ、赤いスイートピーもそのようなものだと書こうとしていたところ、どんでん返しが起きた。念のために Wikipedia の「赤いスイートピー」の項 を調べてみると、さりげなく次のようにあるじゃないか!(太赤文字は tak による)

本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際には、1800年ころには既に存在していた)。

「実際には、1800年ころには存在していた」だと !? 「そんなこと、聞いていないぞ!」と怒鳴りたくなってしまったじゃないか。

ただいずれにしても、赤いスイートピーがたとえ本当に「1800年ころには既に存在していた」としても、20世紀以後は市場から消えて久しくなっていたと考えるのが自然だろう。だからこそ、聖子ちゃんのレコードジャケットにも赤いスイートピーの現物は登場していない。登場させようがなかったのだ。

それが三重県の花農家の努力によって開発され、一挙にこれほどまでポピュラーになったのだから、「聖子ちゃん以前、世界に赤いスイートピーはなかった」と言ってもあながち責められることはないだろう。

つまり、松本隆の詩が現実に先行したのだ。敢えて用心深く控えめに言っても、20世紀以後の現実に先行したのである。

ロンドンの霧の場合は「明らかにあったけど、人々の認識の中には存在しなかった」というわけだが、赤いスイートピーときたら、「なかったわけじゃないという説はあるものの、それは誰も見たことすらなかった」というレベルのものだった。

すごいじゃないか! ただいずれにしても、誰も見たことがなかったとはいえ、心の中でそのイメージがありありと思い浮かべられたからこそ、こうした形で実現したのだろう。

これは「想念の勝利」というものである。オスカー・ワイルドもびっくりのストーリーだ。

【補足】

Wikipedia では「実際には、1800年ころには存在していた」との記述の参照項目として "The unwin book of sweet peas" というのが挙げられているので、それでググってみると、"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" という本が見つかった。

日本語にすれば、「スイートピー、その歴史、成育、文化」というようなタイトルで、著者の名前が Chas W. J. Unwin だ。それで "The unwin book of sweet peas" ということになったのだろう。

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この本に赤いスイートピーに関しての記述があるというのだが、いくらもの好きな私でも、それを確かめるためだけに、敢えて 3,000円以上出して購入する気になれない。

ちなみにこれは 2006年 6月発行の復刻版で、オリジナル版が世に出たのは今から 95年前の 1926年だそうだ。1世紀近く前のことで、日本でいえば元号が大正から昭和に変わった年である。

それよりさらに 120年以上も前の 1800年といえば、江戸時代半ばをちょっと過ぎた頃だ。その頃の話として赤いスイートピーが存在していたとの記述があるとしても、「おお、そうだったか!」と大喜びで、まともに真正面から信じるのはちょっとアブナい気がするがなあ。

もしあったのだとしても、今のような鮮やかな赤だったのかどうかはわからないし。

【さらに追記】

謎が謎を呼ぶ展開になった。"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" でさらにググったところ、ハードカバー版が見つかった。こんなのである。

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上に紹介したペーパーバック版は 2006年 6月発行で出版社は Hesperides Pr となっているが、このハードカバー版は 1986年 7月の発行で出版社は Hyperion Books とある。1926年発行のオリジナル版から、それぞれ別のバージョンとして復刻されているようだ。

そして何より困ったことに、この本の表紙写真はご覧のように、「赤いスイートピー」そのものなのである。日本で赤いスイートピーが開発されたのは聖子ちゃんの歌が出てから 18年後の 2000年とされているが、その14年前に発行された本の表紙に現物が載っちゃってるのだ。

これでは、本日の記事のコンセプト自体がナンセンスに帰してしまいそうだ。かなりヤバい。

で、この本の内容を読めるサイトはないかと探したところ、PICKAFOLE というサイトに PDF があるらしいとわかり、行ってみたところ、こんなことだった。

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ネット上で読めるには読めるらしいが、「メンバーズ・オンリー」の有料サイトだったのである。残念だが、まあ、当然だろうね。

これはもう、今日 1日の記事で終わりそうにない。

【2月17日 朝 追記】

もう年貢を納めることにした。本日の記事は「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 である。

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2021年1月 3日

写真の「水平をとる」ということ

私は自分のもう一つのブログ「和歌ログ」で毎日歌に写真を添えているので、素人としてはずいぶん自前の写真を世の中にさらけ出している方だと思う。ほとんどは iPhone のカメラで撮っているだけだが、16年以上も続けていると年季のお陰か、ほんの少しぐらいは上達しているような気がしている。

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ありがたいことに私は仕事柄、プロのカメラマンとの付き合いが多い。彼らは「アマチュア写真では『水平をとること』さえ気をつければ、多少は『見られる写真』になりますよ」とアドバイスしてくれる。どのカメラマンもそう言うのだから、これはきっと「鉄則」みたいなことなんだろう。

「フツーの人のブログや SNS に載ってる写真は、たいてい水平のとり方が甘くて残念なものが多いんです」と彼らは言う。それはアマチュアの私からみても確かにその通りだと思う。

それだけに自分の撮る写真はかなり気をつけているつもりだが、これが結構むずかしいのだよね。上の写真は昨年「和歌ログ」に使ったものの中から選んだ 4枚だが、辛うじて何とかなってると思う。右上なんて、雲の角度が右上がりなので錯覚しがちで大変だったが。

見たところ、「水平のとれていない素人写真」には 2通りあると思う。1つは「水平なんて全然意識してない」もの。2つめは「この方がおしゃれかも」なんて下手に意識して、わざと斜めの構図にしたものだ。どちらもほとんど「無残なできばえ」に終わる。

「水平」を意識しなかったために不器用かつビミョー(あるいはビミョー以上)に斜めっちゃってるのは、誰がみても一目で「お下手な素人写真」とわかる。とくに海の写真はほとんど水平線が斜めになっていて、興醒めにも程がある。こればかりは「基本のキ」からやり直さなければ、お話にならない。

この手の写真には「縦位置」のものがやたら多い。これはスマホをそのまま片手で構えて撮るからそうなるだが、本来なら「横位置」の方が望ましい広がりのある構図でも、無残に縦に切り取られてしまっている。つまり「何も考えないで撮ってる」のがバレバレだ。

3〜4人で行った旅行先での集合写真が「縦位置」の斜め写真でまともな背景さえなかったりすると、それはもう「ガッカリ写真」以外の何ものでもない。カメラを「横位置」に構えて慎重に水平をとりさえすれば、多少は喜んでもらえるのだから、気をつけるに越したことがない。

さらに「意識的な斜め構図」というのは、実はかなり難しいもので、よほど特殊な必然性でもない限り避ける方がいいといわれる。つまりアマチュアはひたすら素直に「水平に忠実な構図」を心がけるに越したことがないようなのである。

 

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2020年12月17日

唱歌『たきび』と、マンガ

やたら忙しくてまともなネタの仕込みができなかったので、今日はある意味「小ネタ」であることをお断りしておく。先日、ラジオで久しぶりに聞いた『たきび』という歌についてである。

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この歌は、巽聖歌 作詞、渡辺茂 作曲の唱歌で、日本人にはかなり古くから親しまれており、Wikipedia で調べてみると、こんな具合になっている。

1941年(昭和16年)に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」の番組案内のテキストである『ラジオ小国民』で詞が発表され、同年の12月に「幼児の時間」の放送内で楽曲が発表された。(中略)2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。

戦前から歌われているというだけではなく、「日本の歌百選」にも選出されているというのだから、半端な曲ではない。大したものである。

ただ、私はこの歌を聞いていると赤塚不二夫大先生のマンガ『もーれつア太郎』を思い出して、心ここにあらず状態になってしまうのだ。もちろん「あたろうか、あたろうよ」という歌詞のせいなのだが、由緒ある歌に対して、はなはだ申し訳ないことである。

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このマンガは『おそ松くん』『天才バカボン』と並ぶ赤塚 3大ヒット作の一つで、登場人物は主人公のア太郎のほか、デコッ八、やたらピストルをぶちかましたがる目玉のおまわりさん、ニャロメ、ココロのボスなど。『おそ松くん』のイヤミ、デカパンなどと並び称されるレベルの個性豊かな面々だ。

連載されたのは『週刊少年サンデー』(小学館)の 1967年 48号から 1970年 27号まで。その前まで連載されていた『おそ松くん』を引き継ぐ形で、私の中学 3年から 高校 2年までの 3年間を彩ってくれたことになる。

高校 3年生の頃には既に終了していたはずなのだが、その印象があまりにも強烈で単行本も発行されていたためか、大学に入ってからまでほぼ現在進行形のような形で話題になっていた。

というわけで「たきび」の歌で『モーレツア太郎』が思い浮かぶようになったのは中学 3年以後のことのはずなのだが、私の印象としてはもっとずっと前の子供の頃からのような気がしている。

日本人が「大学生になってもまんがを読む」と揶揄されるようになったのは、私の年代がいつまで経っても『おそ松くん」や「モーレツア太郎』から離れられなかったせいなのかもしれない。それほど赤塚不二夫大先生の影響力は大きかった。

 

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2020年11月15日

順番とはいえ、藤十郎まで死んでしまって

坂田藤十郎が死んだというニュースは、ちょっとしたショックだった。藤十郎が中村扇雀だった時代からずっと注目していたので。

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私が歌舞伎ファンだなんて意外に思う人がいるかもしれないが、実はその昔、卒論に九代目団十郎論を書いたぐらいで、決して付け焼き刃じゃない。ワセダの第一文学部ってところは、何しろ坪内逍遙以来の伝統のおかげで「演劇学」なんていう妙な専攻があったのだ。

さらにそれで収まらずに大学院まで行き、七代目団十郎を論じて役にも立たない修士号まで取得している。そんなわけでとくに学生時代は歌舞伎座に毎月、昼の部、夜の部の 2回通っていた(3階席だったけどね)。

学生時代なんていうと、半世紀近くも前のことになるが、その頃は死んだ藤十郎の父親、二代目鴈治郎も達者で活躍していて、今の若い歌舞伎ファンが聞いたらよだれを流して羨ましがるような舞台も数多く観た。ただ、親子でお初徳兵衛を演じる『曽根崎心中』だけは観る機会がなかったのが残念だ。

私は卒論と修士論文で江戸の荒事の本家、団十郎を論じた割には、実際に観るのは上方系の和事が好きで、松島屋系の芝居も好きだったなあ。荒事は観てすっきりするが、和事はしっとりとするのである。

ちなみに坂田藤十郎というのは、初代が元禄の頃に上方で和事を創始した名優で、同じ頃に江戸で荒事を創始した初代団十郎と並び称される。安永年間に三代目が死んで以来、名跡が途絶えていたが、三代目鴈治郎となっていた藤十郎が、2005年に復活させた。

で、私としては長年「成駒屋」の屋号で親しんでいた扇雀、鴈治郎が、藤十郎を襲名した途端に「山城屋」になったというので、「はあ?」なんて軽くうろたえてしまった覚えがある。上方の人間って、その辺りのことには案外こだわらないみたいなのだね。

というわけで、死ぬのは順番とはいえ藤十郎まであの世に逝ってしまったことで、またしても大きな節目になったような気がしている。最近は世の中の移り変わり方がさりげなく激しい。

 

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2020年9月10日

デザイナーとしての葛飾北斎

Japaaan Magazine に "これぞデザイナー北斎! 葛飾北斎が作ったオリジナル文様が紹介された古文書「新形小紋帳」を全ページ紹介" という特集がある。北斎のデザイナーとしての素晴らしい力量がわかるものだ。

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葛飾北斎といえば文化文政時代の浮世絵師で、『富嶽三十六景』が代表作だが、そのほかに『北斎漫画』などの絵手本集やスケッチ集なども知られている。かなり器用な絵師だったようだ。

今回紹介されているのは『新形小紋帳』というもので、着物柄の文様集のようなものである。「単なるデザイン集ではなく、描かれた文様をどのように描くのか解説していたりもして、北斎先生の技術がつまった手習い書とも言えるでしょう」と解説されている。

この小紋帳に収められているデザインは技術的に秀でているというばかりでなく、独創性という点でも面白い。例えば「輪違い」というのは複数の輪を組み合わせるジャンルだが、北斎の場合は単なる「輪の組み合わせ」というに留まらず、輪から発想した豊富なデザインが収められている。

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上図の左下「ワち可゛ひ うさ記゛」(わちがい うさぎ)なんていうのは、「輪違い」の発想を洒落た方向に膨らませたものである。幾何学デザインからはみ出していないというのがキモだ。

そして細かいことだが、模様の多くがほんの僅か左に傾いていて、私なんか画像ソフトで右に 1〜2度回転させて修正したくなっちゃうようなのが面白い。フィジカルな「癖」みたいなものを感じさせて、北斎がまだどこかで生きているような気がしてしまうのは、「アナログの味」である。

そう言われてみれば、彼の最も有名な作品『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』も、構図が斬新というだけでない。細部に至るまで、幾何学的な緻密さプラスほんのちょっとした歪み(富士山頂なんて左端が高いし)で構成されているのがわかる。

とくに波頭が砕けているところなんて、実際にはこんなふうに細かく枝分かれしているはずがない。これって、得意の「輪違い」技法から来てるのかもしれない。ふぅむ、北斎って、そういうベースの画家だったんだ。

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江戸のデザインというのは、なかなか捨てたもんじゃないのである。

【9月 11日 追記】

昨夜にアップしてから新たにどんどん書き足したくなり、今朝 8時の時点で、ついに倍以上の分量になってしまった。悪しからず。

 

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2020年8月 5日

東京立川の「猫返し神社」というもの

朝のラジオを聞いていたら、脱走してしまった猫が帰ってくるという御利益がある「猫返し神社」の話が出てきた。「そりゃ、一体なんじゃ?」とググってみたら、ジャズ・ミュージシャン、山下洋輔の著書まで一緒に検索されて、「へえ〜!」となってしまった。

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2016年 5月 28日付の AERA の記事によると、この神社は阿豆佐味天神社・立川水天宮という由緒あるものなのだそうだ。この中に、正式名称を「蚕影神社」(こかげじんじゃ)というお社があり、これが「猫返し神社」と呼ばれているという。その由来を宮司の宮崎洋さんがこう語っている。

実は 30年ほど前に、ジャズピアニストの山下洋輔さんが立川に引っ越して来られたんですが、その時に飼い猫のミオちゃんがいなくなってしまったんです。それで方々探すうちに、うちの神社にたどり着いて。引っ越しのご報告と、猫が帰ってきますようにということをお願いしたんだそうです。そうしたら間もなく、その猫のミオちゃんがよれよれになりながら戻ってきてくれたそうです

このエピソードは 1度だけに留まらず、代替わりした 2匹目、3匹目の猫の行方不明時にも、この神社にお参りして戻ってきたとのことで、山下氏がこの話を雑誌に書いたり単行本にしたりしたおかげで、今やすっかり「猫返し神社」として知られるようになったのだそうだ。

この神社を訪ねると、ピアノ・ソロの『越天楽』が流れているのだが、これは山下氏の演奏だという。一度お参りして聞いてみたいものである。

【同日 追記】

ちなみに雅楽の『越天楽』は、後にアレンジされて白拍子の『今様』になり、さらにアレンジされて『黒田節』に変わったと言われる。聞き比べると、確かに共通したメロディだよね。

 

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2020年4月28日

『義経千本桜』がロハで見られるなんて

国立劇場で 3月、コロナウイルスの影響で無観客上演された歌舞伎『義経千本桜』が、YouTube で無料で見ることができるなんて知らなかったよ(参照)。何と通し上演が見られるのだが、今月 30日までの期間限定特別公開だというから、お好きな人、興味のある人は早速アクセスして見た方がいい。

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実は私は、早稻田大学大学院文学研究科の演劇専攻というところの出身で、専攻は歌舞伎論だったこともあり、『義経千本桜』はこれまで何度も見ている。先代の団十郎や菊五郎(残念ながら、十一代目とか六代目とかじゃないが)の舞台もしっかり見てるから、今回もしっかり見よう。

今回は菊之助が、いがみの権太、源九郎狐、新中納言知盛の三役を務めるという。私は当代の菊之助がこんな大役を務めるのを見たことがないから、明日はゆっくりと見させてもらう。

それにしても、先月上演されたばかりの『千本桜』の通しを、タダで見られるなんて、世の中どうなってるんだろう。ただ無観客だというから、要所要所で「音羽屋!」と自分で声を掛けなきゃ気分が出ないかもね。

 

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2020年3月 2日

「隔世の感」ということ

3日前の記事で触れた「バカヤロー解散」があったのは私が生まれて 7ヶ月目のことで、当然のことながらナマの記憶は全くない。

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父の生前の話では、当時の吉田茂首相のこの発言は決して怒鳴ったりしたわけではなく、ただ小さく呟いただけだったのを、たまたまマイクが拾ってしまい、野党が耳ざとく聞きつけて大問題になったのだという。冒頭のリンク先の Wikipedia の記述でもそんなようなことになっているから、これは確かなことなのだろう。

ということは、吉田首相も当時のマイクの性能向上に感覚が追いついていなかったのだね、きっと。今どきのマイクと比べたらオモチャみたいなものだったろうが、この当時の国会議員のオッサンたちには「無駄に性能よすぎ」というほどだったかもしれない。

ところがマイクの性能はそれまでより格段によくなっていたのだろうが、画像となるとそうはいかない。上に貼った「バカヤロー解散」時の「万歳三唱」の画像を見ても、なにしろフツーにモノクロだし、どうしても「昭和ってのは、既に大昔なんだなあ」と思ってしまう。

いや、昭和に限った話ではない。テレビの BS で再放送されるつい 10年ぐらい前のビデオ映像を見ても、やはりかなりドンくさい。こればかりは画素数が段違いなのだから、どうしようもない。

ビデオ映像といえば、昭和のテレビ録画なんてまともにはほとんど残っていない。例えば伝説の人形劇、NHK の「ひょっこりひょうたん島」なんて、なんと NHK の資料室にさえ残っていないのだそうだ。当時の録画媒体(ビデオテープなど)は貴重だったので、のべつ録画して取っておくわけにもいかなかったようだ。

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YouTube でなんとか見られるのは、上の写真からリンクされる 1本ぐらいのものだ。今のテレビ番組なんて、どんなくだらないものでも何度も再放送できるほど録画されているというのに。

それだけではない。一世を風靡したあの「シャボン玉ホリデイ」だって、今年 1月 18日の記事で紹介した、下の 1本ぐらいしか見ることができないのだ(クリックで YouTube に飛ぶ)。何しろほとんどが生番組だったのだから、まさに 1度きりで後には残らない夢のようなものだったのである。

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ちなみに「バカヤロー解散」の時の恒例「万歳三唱」の録画はニュース映像で見たことがあるが、問題の「バカヤロー」発言そのものは、録音でも動画でも、聞いたことも見たこともない。こうした「ハプニング」を記録するために記録媒体を回し続けるなんて、当時はあり得ないことだったのだろう。

翻って今どきは、安倍首相がお気楽なニヤニヤ笑いで「意味のない質問だよ」と放言する、ノー天気な場面ですらちゃんとエビデンス動画として残っていて、誰でも YouTube でしっかり確認できる。しかも画質の良さは、大昔感漂う上の 3つとは異次元的な違いだ。

2003025これほどまでに技術の発達した世の中に生きていると、伝説の「バカヤロー」を見ることも聞くこともできないという事実に現実感が伴わない。「隔世の感」とはよくぞ言ったもので、感覚的には既に 100年以上経っているような気がするほどだ。

正直言って、技術的進歩はもういいわ。

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