カテゴリー「文化・芸術」の152件の記事

2024年6月 4日

ダリって、かなりしっくりきてしまったよ

妻と一緒の裏磐梯旅行から、さっき帰宅した。さんざん運転して疲れてしまったので、昨日に続いて短かめで失礼。

240604

今日は五色沼の近くにある諸橋近代美術館で、サルバトール・ダリのコレクションをたっぷりと見た。

妻はちょっと前に東京で開催されたダリ展を、ダリ・ファンの長女と共に見たことがあるというのだが、私としてはダリ作品をナマで見るのは今回が初めてで、しかもあれだけのボリュームなので、すっかりノックアウトされてしまった。

彼の絵はは時計がダラリとぶら下がったりして「わかりにくいシュールレアリズム」の代表格みたいに思われているが、よく見るとかなり言葉で表現しやすかったりするのだね。実はフロイト的なメッセージが色濃く感じられたりして、それがアメリカ人好みなんだろうと思われる。

で、私自身アメリカ趣味だったりするものだから、かなりしっくりときてしまった。このことが実感できたのは、今回の大きな収穫だった。

 

| | コメント (0)

2024年5月16日

『猫じゃ猫じゃ』を巡る冒険

漱石の『吾輩は猫である』を完読したのは、小学校 6年生の時だった。昼休みに毎日図書室に通い、長編だけにかれこれ 1ヶ月ぐらいかかって読み終えた。最後の場面は猫が水瓶に落ちて死ぬのだが、その描写が猫なりにかなり哲学的なもので(参照)、私の死生観にかなりの影響を与えてくれたと思う。

ただ、今日は何も「死の哲学」を語ろうというわけじゃない。テーマは『猫じゃ猫じゃ』である。漱石の「猫」が最後に水瓶に落ちて死ぬのは猫のくせにビールを飲んで酔っ払ったからなのだが、その酔っ払った感覚の描写は以下のようなものだ。

次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌が歌いたくなる。猫じゃ猫じゃが踊り度くなる。主人も迷亭も独仙も糞を食らえと云う気になる。

私はこの『猫じゃ猫じゃ』というのが妙に気になってしまったのである。この時から 6年足らずしてワセダの第一文学部演劇学科なんてところに入り、歌舞伎をテーマにした卒論と修士論文を書くことになるだけに、12歳の子どもらしくもないものに興味津々になっちゃったのだね。

大人に聞いても「子どもがそんなもの知らなくていい」と言われるのが関の山だから、自分でいろいろ調べたところ、江戸時代末期からの俗曲とわかった。寄席の「出囃子」にも使われるというのだが、ラジオの寄席番組を聴いても、どれがそうなのかさっぱりわからない。

今なら下の動画などで、いつでも簡単に確認できるのに。(落語ファンなら聞き覚えあるでしょ)

それだけでなく、漱石の「猫」が酔っ払って踊りたくなったという踊りだって手軽に見ることができる。今の子たちは本当に幸せなものである。

これは市丸のオーケストラ付きバージョンで踊られているのだが、上の土谷利行のバージョンと比べると、良くも悪しくもずいぶん洗練されてしまっている。歌詞まで変わって、「杖付いて」という部分がカットされているし。

洗練といえば、石川さゆりのバージョンまで来るとちょっとスゴい。ここまでくれば、もはや俗曲とも言えなくなってしまう。

最後に、『猫じゃ猫じゃ』というタイトルの元になった 1番の歌詞に触れておく。

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が、猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ

これ、旦那の囲っている妾に他の男ができてしまい、ちょうど旦那が来たときにその間男を隠した場面というココロである。

妾は「今の物音は、猫が逃げてったのよ」と言い訳するが、目の前に男の下駄と浴衣が残っているのでバレバレだ。最後の「オッチョコチョイノチョイ」が何度か繰り返されるので、これ、別名「オッチョコチョイ節」とも呼ばれる。


| | コメント (2)

2024年3月21日

日本における「ピースサイン」の零落

NHK News web に ”写真を撮るとき「ピースサイン」するの、なんでなん?” という記事がある。同じ疑問は私も感じているのだが、この記事の疑問の出発点とはちょっと違うようなのだ。

240321

記事には「街の人たちに声をかけて、写真を撮らせて頂くと…声をかけた 59人のうち、47人がピースサインをしました。実に8割です」とあり、これには私も単純に「へえ!」と驚く。ただ、ピースサインしてる当人たちは、その意味を知らないみたいなのだ。

「なんでピースしたんですか?」と聞くと、「え~!パッと思いつくのがピース」、「王道」、「定番」、「写真と言えば、ピースかな」などと、頼りない返事しかない。8割がやっちゃうのにその意味を知らないというのだから、スゴさの次元が別になってしまう。

そこで NHK 大阪のスタッフは、ピースサインの元々の意味を必死になって調べ始めた。大阪市立中央図書館に行って、「写真年鑑」や「自治体の写真史」など、写真がたくさん掲載されている本を片っ端から見てもわからなかったらしい。

と、ここまで読んで、私としては「おいおい、NHK スタッフまでピースサインの意味を知らなかったのかよ!」と、「ビックリの質」がさらに低次元になってしまっったよ。

手をこまねいた彼らが司書の方に聞いたところ、もともとは第二次世界大戦中にナチスドイツへの勝利を表す「Vサイン」としてヨーロッパで広がったということがわかったという。この写真は、当時の英国首相だったウィンストン・チャーチルだね。

2403212

それが 1960年代後半から、ベトナム戦争に対する反戦運動の中で「ピースサイン」として使われるようになった。このあたりからはモロに私の出番で、「そういう話なら、俺に聞いてくれ!」ってなてなことになる。

1969年に開かれたロック・フェスティバル「ウッドストック」で、ジミ・ヘンドリックスの掲げたピースサインは、まさに「鳥肌もの」だった。下の動画の 12分 28秒あたりから、今も語り継がれる "Stars and Stripes Forever"(米国国歌)の演奏になる。


これ、米国で黒人差別が明確に残っていた時代のパフォーマンスとして、今思い出してもゾクゾクする。この時に彼の掲げたピースサインは、この演奏と不可分の意味をもち、JIMI HENDRIX AT WOODSTOCK というページには、次のようにある。

Furthermore, Hendrix holding up the peace sign to the crowd is both an emotional and powerful signal.
(さらに、ヘンドリックスが群衆に向かってピース・サインを掲げているのは、エモーショナルかつパワフルなシグナルなのだ)

そして最大のハイライトは、スライ・アンド・ファミリーストーンの ”I Wanna Take You Higher" (お前をもっとハイにしてやりたい)で、これはもう、筆舌に尽くしがたい。下の動画の 5分 15秒あたりからが、涙ちょちょ切れものだ。

ウッドストックに集まった 40万人の観衆が、スライ・ストーンのビートに乗りまくった  ”I Wanna Take You Higher!" に、一斉にピースサインで ”Higher!” と応える。これが延々と続く。


ピースサインって、実はかなりヘビーなものだったのである。それが日本特有の現象として、いつの間にか写真を撮られるときのチャラチャラしたポーズに零落してしまっていたのだね。

これって 1972年頃から井上順が TVCM で流行らせたことに始まり、今に続いているということのようだ。要するに、ポーズは広まったけれどそのスピリットは元の意味をとどめないほどに薄められてしまったわけだ。「平和ボケ」という言葉はあるが、これは「ピースボケ」と言っていいかもしれない。

ちなみに映画「ウッドストック」に関しては 2004年 9月 21日付でも書いている(参照)ので、そちらもヨロシク。

【3月 23日 追記】

この記事に関連して、23日付で ”「ピースサイン」と「ウッドストック」の共通構造” という記事を書いたので、合わせてお読みいただければ幸いだ。

 

| | コメント (2)

2024年3月 6日

遠き幻の芸能、「散楽」を巡る冒険

ATOK で「さんがく」と入力して変換しても「山岳」だの「産学」だの「産額」だの「算学」だのとしか変換されないのでかなりムカついてしまい、「散楽」をしっかり単語登録した。「数学」ならぬ「算学」なんて言葉の方がずっとマイナーだと思うけどなあ。

240306

JAPAAAN のサイトに "雑技団?演舞?大河『光る君へ』で頻繁に登場する「散楽(さんがく)」いったい何なのか知っていますか?" という記事がある。へえ、今どきは大河ドラマに「散楽」が登場するのだね。たださすがに NHK だけあって、散楽師が上半身裸で登場するわけにはいかないようだ。

ちょっとググってみたところ、芸能考証担当の友吉鶴心氏による解説コラムが見つかった(参照)。この解説記事、かなりわかりやすいのでオススメしておく。

2403063

ちなみに「散楽」は高校の日本史の教科書に載っていたように思って検索してみたところ、最近は音楽の教科書の方に移っているらしい。教育芸術社の「平成29年度 高等学校用教科書 音楽」の P76 に「伝統音楽の流れ」として「散楽」という言葉が登場している。

2403068
(クリックすると、別画面で拡大表示される)

この図は全体的な流れを表すものとしては、「浄瑠璃」とか「長唄」の系譜が無視されている点を除けばかなりよくできているが、「散楽」そのものに関しては言葉がちょこっと登場するだけだから、授業を受ける生徒たちはチンプンカンプンだろう。

私は「演劇学」なんていう変わった学問を専攻して「文学修士」なんて役にも立たない学位を得ているので、「散楽」というのは言葉だけは馴染んでいる。「言葉だけ」というのは、「実際の散楽」なんて見たこともないからだ。つまり、今となっては幻の芸能なのである。

内容的には物真似、軽業、曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、広範囲の芸を含んでいて、それらの総称として「散楽」と言われていたもののようだ。それだけにそれぞれの芸が特化発展した結果として、総称としての「散楽」というのは消滅したと考えていいのだろう。

ちなみに「散楽」から続く「猿楽」というのは「能楽」に発展する元になった芸能で、この「猿楽」の時代に観阿弥・世阿弥という天才が出現して、今の「能・狂言」のうちの「能楽」につながった。今の能では宙返りみたいな軽業的要素はすっかりなくなっているが、どのあたりで消えてしまったんだろう。

ただ、世の中というのはなかなか大したものである。「散楽」という芸能を現代風に復活させている人たちがいるというのだからおもしろい。ずいぶんスマートな感覚になってはいるが、「散楽」の精神はしっかりと受け継いでいるように思われて、なかなか素敵じゃないか。

 

| | コメント (0)

2024年2月 7日

MOA美術館のガラスって、見えないんだって

静岡新聞デジタルが「透明ガラス ”ゴツン” 注意 MOA美術館(熱海)の展示ケース SNS で話題」という記事を載せている。この美術館、展示を保護するガラスの透明度がやたら高く、さらに照明などが映り込むことがないので、ガラスがあると気付かず、つい頭をゴツンとぶつける人が後を絶たないらしい。

2402071

MOA美術館がこうした特殊なガラス(「低反射高透ガラス」というらしい)を使い始めたのは 2017年からだという(参照)。この美術館は写真撮影が自由ということなので、カメラで撮影する時に照明の反射が写り込まないというのはありがたい。

上の写真の右側は、頭ゴツンを避けるためにガラスの下の方に小さな黒い点を入れているのを示している。ただ、それでもぶつけちゃう人が絶えないというのだから、ぐっと近寄って細部まで鑑賞したがるのは人情というものだ。これって MOA美術館の誇る日本画のような場合は、とくに「あるある」だと思う。

ちなみに私は MOA美術館には行ったことがないが、その前身の「熱海美術館」時代には何度か立ち寄ったことがある。それは前世紀の 1970年代後半のことだから「低反射高透ガラス」なんてものとは無縁の時代だった。

早稻田大学って、熱海に坪内逍遙が晩年を過ごした「双柿舎」という施設をもっていて、大学院時代はここで忘年会などを一泊してやっていた。そしてその帰りには「熱海美術館」に立ち寄ったりしていたのである。当時から素晴らしいコレクションだったから、寄らずに帰るのはもったいなかったのだよね。

ところで、今日の記事の最後に触れておきたいのは「MOA美術館」という名称についてである。

私はずっと「日本語にしたら『美術館美術館』って、変な名前にしちゃったもんだよなあ」と思っていた。”MOA” は ”Museum of Art” の省略以外の何ものでもない(だって、フツーそうでしょ)と思い込んでいたためである。

これが創設者である岡田茂吉にちなむ ”Mokichi Okada Association”  の頭文字(参照)と知ったのは、恥ずかしながら極々最近の話だ。なるほど、そういうことだったのか! ものごとはよくよく調べてみるものである。

と、こんなことを書いていたら、実際に MOA 美術館に行ってみたくなった。仕事で熱海近辺に行く機会があったら、時間を作って是非寄ってみよう。

 

| | コメント (0)

2023年11月12日

ウィーンのユニークなデザインの噴水

AFP BB News に "2.9億円が「醜い」噴水に批判殺到 ウィーン" という記事がある。オーストリアの首都ウィーンでお披露目された、近代的水道設立から 150年を記念する噴水が、「醜い」上に制作費が高額だとして激しい批判を呼んでいるというのだ。

231112

記事には次のようにある。

水盤の周りに人のような形をした彫像 33体が輪になって座っているデザインを手掛けたのは、挑発的な作風で知られるウィーンを拠点に活動するアーティスト集団「ジェラティン(Gelitin)」。審査によって選ばれた。彫像は大切な資源である「水に対する地域社会の責任」を象徴している。

ちなみに左派社民党所属のミヒャエル・ルートビヒ(Michael Ludwig)氏が市長を務めるウィーン市の発注したこの噴水を、最も激しく批判しているのは右派自由党だという。その意味では、政治対立的なファクターもありそうだ。

「ジェラティン」というのは挑発的なパフォーマンスや作風によって知られている(参照)のだから、決して「まともな」ものにはなりようがないというのは発注時点からわかっていたはずだ。ましてや「審査によって選ばれた」というわけで、無闇にぶち壊すわけにもいかないだろう。

像の一部がミシュランマンのようだとけなす声もある」というので、添えられた写真を辿ってみたら、それらしいのが見つかった。多分この写真の 右から 2番目のことを言ってるのだろう。4番目もそれらしいし、見ようによってはなかなか愛嬌がある。

2311122

ちなみに私個人の感覚で言ったら、この噴水はそれほど口を極めて非難するようなものとも思われない。どうでもいいフツーのデザインに比べたらなかなかユニークな作品で、3億円近い金をかけた意味はあると思う。そのうち「ウィーン名物」としてしっかり認知されるだろう。

これがどうしても気に入らないという人たちは、目を背けて見ないようにして歩けばいいだけのことだ。

 

| | コメント (2)

2023年11月 1日

「スナック文化」って、実は私もよくわかっていない

AERA の記事に ”過熱する訪日外国人の「スナック人気」にママたちが困惑 「お通しが理解できない」「混んでも席をつめない」" というのがある。「スナック」という日本独特の飲み屋に訪日外国人が興味津々なのだが、そこにある種の「文化摩擦」みらいなものが発生しているらしいのである。

231101

記事中には東京・江東区の門前仲町駅の近くにある「辰巳新道」という横丁で店を構えるスナックのママのコメントが紹介されている。こんなのだ。

「近くにホテルがあるから、宿泊している外国人が多くやって来るけど、基本的には旅行で来た外国人はお断りしています。ウチはお通しが 1500円で 2品くらい出して、それが席料になるんだけど、そういうことを説明しようにも、理解してくれないので、対応できないのよ」

う〜ん、そんなことを言われると、実は日本人の私だってよく理解できない。「お通しが 1500円で 2品くらい」と言っても、何だか客側には選択の自由がないみたいだし、何が何でも受け入れるしかないのだろうか。

はっきり言って「スナック」という形態の店で酒を飲んだことなんて、大昔に 1度か 2度あった気がするぐらいのものだ。それにしたって友人に連れて行かれた先が「スナック」みたいだったというだけで、常連らしいおっさんが下手なカラオケ歌うのを聞かされてシラけまくっていた。

とくに最近は酒をほとんど飲まなくなったので、スナックに限らず飲み屋全般に馴染みがない。そして中でも「スナック」という形態に関してはよく理解できなくて、縁遠いもののような気がしているのである。

冒頭で紹介した記事中には、別の店のママのこんなコメントもある。

「外国人はベジタリアンだ、宗教上の理由でこの肉は食べられない、魚、豆腐を出せとか、いろいろと注文が多い。神経を使うし、そういうのは苦手なの」

ちなみに私も宗教上の理由ってわけじゃないが、最近は肉食を絶っているので、勝手に出される「お通し」って、食べられないものが多そうなのだよね。上で紹介したコメントによれば「それが席料になる」というのだから、そのあたりはどう解釈すればいいんだろう。

出された「お通し」が食えない場合はすぐに引き取ってもらい、純然たる「席料」として金だけ払うってことで許してもらえるんだろうか。そんなことしたら、もしかしたら「雰囲気ぶち壊し」ってことで追い出されるのだろうか。

というわけで、私なんかがスナックに入ったらママが神経を使う以上に、こちらの方で神経使いまくって気疲れしそうなのである。できるだけ遠離っている方がよさそうなのだよね。

 

| | コメント (2)

2023年10月30日

「あっち系」の和菓子、なかなかおもしろい

タウンネットというサイトに "信長・秀吉・家康のお尻にあんこがタップリと... 「トイレの最中」の和菓子店、今度は「さんえぇけつ羽二重餅」を生み出していた" という記事がある。見出しだけでは「何のこっちゃ?」となりそうだが、本文に添えられた写真を見ると「そういうことか!」と理解できる。

231030

拡大してみると、確かに「けつ」の形をした羽二重餅である。「さんえぇけつ」はもちろん「三英傑」で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の 3人を指す。そしてパッケージにはご丁寧なことに「鳴かぬなら ケツでも食べよ ほととぎす」という句が添えられているというのが泣かせる、いや、鳴かせる。

2310303

ちなみに、見出しの ”「トイレの最中」の和菓子店” というのがそもそもわからず、ググってみたところこんなようなものと判明した(参照)。INAX ライブミュージアムの中の記事というのが鳴かせる。いや、ここは「泣かせる」でいいか。

2310302

商品説明に「ご自身で、トイレ形状のもなか皮に餡子を詰めてお楽しみください。 ※入れるときは決してトグロを巻かないようにご注意ください」とあるのが、さらに泣かせてくれる。「最中」は「さいちゅう」ではなく、あくまでも「もなか」なのだね。(この件に関して、文末の【追記】を参照されたい)

これらの和菓子を開発したのは、愛知県常滑市の「大蔵餅」という和菓子店。ここは敢えて「なかなかいい趣味!」と言わせてもらいたい。近くに行くことがあったら、ぜひ「お土産」として買って持って帰りたいものだ。

最後に告白しておくが、冒頭で紹介した記事をネットで見つけて読んだ時は、見出しの「"信長・秀吉・家康のお尻にあんこがタップリと...」を、つい「うんこがタップリと...」と読み違えてしまったのだった。これって、多分私だけじゃないよね。

【11月 4日 追記】

「トイレの最中」の読み方に関して、現場に近い乙痴庵さんから貴重なコメントが寄せられた。”読みは「さいちゅう」も「もなか」も両方で構わないとのことですが、大蔵餅さん曰く「さいちゅう」推奨とのことでした” とあるので、その辺り、なにぶん

Yoroshiku4

| | コメント (2)

2023年10月 4日

笠置シヅ子の偉大さ その 2: 『ブギウギ』を通じて

このブログを PC で見た時の右側ブロックにある「人気記事ランキング」に、6年以上も前に書いた「笠置シヅ子の偉大さ」というのが表示され続けている。下の画像は、昨日午後の状況だが、なんと 2位にランクアップしていた。ちなみにスマホ版だと、ずっと下の方にスクロールすると見られる。

2310041

3位の「童謡『桃太郎』の歌詞が、最近変わったらしい」というのは、当人としてはそれほど思い入れがないのに、どういうわけかかなりの長期間にわたって「ヒット記事」になっている。しかし笠置シヅ子に関する記事は、これまでほとんど注目されることがなかったのでちょっと驚いてしまった。

2310042

一体どうしてにわかにアクセスが増えてしまったのか、まったくチンプンカンプンだったのだが、試しにググってみて初めて理由がわかった。今月から NHK の朝ドラで『ブギウギ』というのがスタートしていて、そのヒロイン「花田鈴子」のモデルが、何を隠そう、笠置シヅ子だというのである(参照)。

私はテレビはほとんど見ないので、そんなのちっとも知らなかった。さらにググったところ、日刊スポーツの記事で ”朝ドラ「ブギウギ」つかみは OK!「ワクワクする」圧巻オープニング 趣里らの主題歌も絶賛の声” というのが見つかった。「へえ!」である。

その初回の「つかみ」部分だが、探してみたら YouTube にあった。『東京ブギウギ』のライブである。さすが NHK らしく他のサイトでの再生が禁じられているということなので、下の画像をクリックし、オリジナルに飛んで見てもらいたい。

2310044

なかなか頑張っているじゃないか。そりゃまあ笠置シヅ子本人のオリジナルの方がずっといいのは当然で、こっちの方はちょっとあざとい感じがしてしまうのはしょうがないところと思えばいいだろう。

いずれにしてもオープニングの主題歌がいい。これも YouTube で見つかったのだが、例によって、画像をクリックしてオリジナル・バージョンでご覧いただきたい。

2310043

ちょっとグッとくるところのある曲と動画で、私なんか往年の『ひょっこりひょうたん島』のオープニングを想起してしまったよ。NHK って、時々思い出したように「なかなかやるな!」と思わせてくれる。

ただ、それもこれもみな笠置シヅ子本人の偉大さによるものと、今日改めて思った次第なので、どうぞ

Yoroshiku4

【同日午後 追記】

「笠置シズ子の偉大さ」という記事が、ついに「人気記事ランキング」のトップになってしまったよ。びっくりである。テレビの影響力って大きい。

2310045

| | コメント (0)

2023年5月 8日

「わかりにくいピクトグラム」のおもしろさ

広島現代美術館のトイレにあるピクトグラムについての tweet が一部で話題だ(参照)。下の写真で言えば右側の上が女性用下が男性用なんだそうだが、日常的な感覚でフツーに受け取る限りでは、「見るだけで直感的に理解できる」という意味でのピクトグラムの常識からほど遠い。

230508

商業施設などでよく見かける例では、まずカラリングとしては男性用が黒(あるいは紺)、女性用が赤という例が圧倒的に多い。さらに形状として、男性用がズボン、女性用がスカートを着用しているように見えるというのが一般的だ。

ところがこのピクトグラムは、そうした「常識」を無視している。一見すれば、ピクトグラムのもつ効果を果たさないように作られていると言って過言ではない。上に紹介した tweet も、ピクトグラムの制作意図について「何言ってるのかわからない」として、単純素朴なまでに批判的だ。

ただ、この問題を取り上げるにあたっては、これを tweet した「公(広島市を護る会)」という方の意図をきちんと見据えなければならないだろう。アカウントを見ると、この方はヘイトスピーチ条例制定に反対という立場らしく、当然のように「性自認」に関してもかなり保守的なスタンスのようだ。

というわけで、このトイレのピクトグラムに関する tweet が単純に批判的に見えるのは、そうした立場からすれば当然のようなのである。ということは、この tweet は単に「わかりにくさの批判」という以上に、実は「政治的なメッセージ」なのだと気付かなければならない。

私としては、「政治的」をさらに超えた視点で見てしまえば、こうしたピクトグラムも「一つの趣き」なのではないかと思う。さらに「現代美術館」という場所柄を思うと、「コンセプチャル・アートみたいなもの」と捉えてもいいんじゃなかろうか。

よく見れば「男」「女」という表示もあるし、このピクトグラムのせいで入るべきトイレを間違えてしまったなんてことにはなりにくいだろう。ということは、決定的な不都合はない。さらに 添えられた「断り書き」のようなのものの末尾にある「オチ」もおもしろい。

なお、ピクトの区別はついているけれど、どちらに行くべきか迷っている。そのような場合は、エントランス受付横、「誰でも多目的トイレ」をご利用ください。

ということなのだが、ただ、いくら私でもこうした「わかりにくいピクトグラム」をのべつまくなしに設置しろと言ってるわけじゃないので、その辺りのことは

Yoroshiku4

| | コメント (6)

より以前の記事一覧