カテゴリー「文化・芸術」の143件の記事

2023年5月 8日

「わかりにくいピクトグラム」のおもしろさ

広島現代美術館のトイレにあるピクトグラムについての tweet が一部で話題だ(参照)。下の写真で言えば右側の上が女性用下が男性用なんだそうだが、日常的な感覚でフツーに受け取る限りでは、「見るだけで直感的に理解できる」という意味でのピクトグラムの常識からほど遠い。

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商業施設などでよく見かける例では、まずカラリングとしては男性用が黒(あるいは紺)、女性用が赤という例が圧倒的に多い。さらに形状として、男性用がズボン、女性用がスカートを着用しているように見えるというのが一般的だ。

ところがこのピクトグラムは、そうした「常識」を無視している。一見すれば、ピクトグラムのもつ効果を果たさないように作られていると言って過言ではない。上に紹介した tweet も、ピクトグラムの制作意図について「何言ってるのかわからない」として、単純素朴なまでに批判的だ。

ただ、この問題を取り上げるにあたっては、これを tweet した「公(広島市を護る会)」という方の意図をきちんと見据えなければならないだろう。アカウントを見ると、この方はヘイトスピーチ条例制定に反対という立場らしく、当然のように「性自認」に関してもかなり保守的なスタンスのようだ。

というわけで、このトイレのピクトグラムに関する tweet が単純に批判的に見えるのは、そうした立場からすれば当然のようなのである。ということは、この tweet は単に「わかりにくさの批判」という以上に、実は「政治的なメッセージ」なのだと気付かなければならない。

私としては、「政治的」をさらに超えた視点で見てしまえば、こうしたピクトグラムも「一つの趣き」なのではないかと思う。さらに「現代美術館」という場所柄を思うと、「コンセプチャル・アートみたいなもの」と捉えてもいいんじゃなかろうか。

よく見れば「男」「女」という表示もあるし、このピクトグラムのせいで入るべきトイレを間違えてしまったなんてことにはなりにくいだろう。ということは、決定的な不都合はない。さらに 添えられた「断り書き」のようなのものの末尾にある「オチ」もおもしろい。

なお、ピクトの区別はついているけれど、どちらに行くべきか迷っている。そのような場合は、エントランス受付横、「誰でも多目的トイレ」をご利用ください。

ということなのだが、ただ、いくら私でもこうした「わかりにくいピクトグラム」をのべつまくなしに設置しろと言ってるわけじゃないので、その辺りのことは

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2023年2月14日

足立美術館の日本庭園と北大路魯山人

昨日の記事に書いた通り、今日は安来市の足立美術館に行った。行ってみるまでは、山陰の田舎の美術館だし平日だし、ガラガラなんじゃないかと思っていたが、安来駅から 30分間隔で出る無料送迎バスに乗ると、何とほぼ満席である。それに加えて自家用車で来ている人もいるし、かなりの来館者数で驚いた。

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で、この美術館には 10時半前に到着し、午後 1時発の送迎バスに乗るまで、ほぼ 2時間半いた。一つの美術館にこんなに長く滞在したなんて、多分生まれて初めての経験だ。ニューヨークのメトロポリタンでも近代美術館でも、2時間いなかったと思うからね。まあ、あの時は忙しかったということもあるが。

この美術館の最大の「ウリ」は、日本庭園横山大観コレクションということで、これはもう、私ごときがどうこう言うまでもなく圧倒的なものだった。とりあえずリンク先を見て、ちょっとだけ雰囲気に触れてもらいたい。

で、自分でも驚いたことに、私がさらに惚れてしまったのは北大路魯山人コレクションだった。魯山人については昔から「ちょっと気になる」程度には思っていたが、この旅で初めて彼の生の作品に触れ、「粋」の中の「粋」と思ってしまったよ。

彼は、あの漫画『美味しんぼ』の海原雄山というキャラのモデルと言われ、性格的にはかなり傲慢なおっさんだったと伝えられる。というわけであの陶器や書画の魅力については、作者の人格とは切り離して考えておこう。

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ただそれにしても、こうしたところを訪れる 4〜5人のおばさんグループって、どうしてあんなに声高のお喋りが止まらないんだろうね。ほんとに間断も遠慮もなくビャーピャー喋り続けるので、うるさくてしょうがない。

彼女らはじっくり作品を観るなんてことはまずなくて、しばらく我慢してやりすごせば案外さっさといなくなってくれるからいいけど、また後から新たなおばさんグループがやってきちゃうので、気が休まらない。やれやれ。

 

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2022年6月16日

福岡パルコの「攻めのジョーク」と「坊っちゃん団子」

朝日新聞の「性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ」という記事に笑ってしまったのは、この記事に添えられた写真の「まんま」みたいなケバい光景を、四国の松山市内で見かけていたからである。

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日の暮れかかった頃に道後温泉の辺りを散歩したのだが、例の改築中で 1階しか開いていなかった「道後温泉本館」(参照)の裏の通りが、まさにこんな感じの看板で溢れていた。それで、漱石の『坊ちゃん』を思い出したのだった。

『坊ちゃん』には、「おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた」というくだりがある。そのせいで坊ちゃんは翌日、学校の教室で「団子二皿七銭」とか「遊廓の団子旨い旨い」とかいう、生徒たちの落書き攻勢に遭ってしまう。

私が 11年前に松山を訪れた時(参照)は、道後温泉本館の 2階で団子を食ったような気がするのだが、明治の昔の団子は、近くの色町の入り口で食うものだったのだね。ただ、明治時代にはいくら何でもこんな感じのケバい案内所はなかっただろうけど。

ちなみにこの記事には、朝日新聞・今井邦彦記者の「3年前に大阪から福岡に来て驚いたのが、風俗の無料案内所の多さです。大阪にもありましたが、福岡の中洲ではバス通りに面した場所にもいくつもあって、最初は戸惑いました」というコメントが付いている。

私が道後温泉の一画で見たような派手な看板、博多ではそこらじゅうにあるみたいで、ある意味「博多名物」と言ってもいいほどなのだろう。ちなみに東日本はどうなのかとググってみたところ、こちら をみる限りでは、西日本ほどには濃くないみたいである。

というわけで、福岡パルコとしてはこの「ケバい博多名物」を果敢に取り込んだ店内プロモーションで話題作りを目論んだのだろう。しかし今どきのファッション・アイテムを買いに来た若い層には、こうした「攻めのジョーク」が通じなかったというわけだ。

お気の毒に。

 

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2022年5月23日

高知城歴史博物館でもらった「土佐国絵図」の絵葉書

下の写真は、先日高知に出張した折に立ち寄った高知城歴史博物館でもらった絵葉書。「土佐国絵図」というタイトルで、江戸時代に作成された、いわば「絵地図」のようなものだ。博物館のサイトの中にもある(参照)が、私の訪れた日はこれの展示室が改装中だったようで、本物は見られなかった。

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何となくファンタスティックなもののように見えるが、画像のクリックで拡大してみると、かなり精密なものであることがわかる。ど真ん中に黄色に黒で縁取りされた「土佐国」という表示があり、その周囲の山々の間に、地名を表示した楕円形表示がたくさん散りばめられている。

この地名表示、絵葉書の画像が小さ過ぎて文字を読みにくいが、「土佐国」の右下の四角表示「高知」は、お城のある中心地だけにしっかりと読める。その他の地名も、土佐の人なら想像力を駆使すればかなり読めるだろうと思う。

さらによく見ると、東側の室戸岬と西側の足摺岬が、全体からの比率的にはかなり大きめに書かれていると気付く。室戸岬なんかは岬の先端に注ぐ川の河口が、入り江のようにさえ見える。この辺りは、こうして誇張されて描かれるほどの要所だったのだろう。

もっと面白いのは、この地図の上の方の文字は、上下が逆になって書かれていることだ。左右の端にある「西」「東」という文字も、それぞれ左側と右側から読むように、横向きで書かれている。

上の方の文字はどれも草書体で小さくしか見えないので判読しにくいのが残念だが、いずれにしても、この地図は元々はかなり大きなものなので、実際に広げて上の方の文字を読み取る時には、反対側に回り込んでいたのかもしれない。ものすごくフレクシブルなのだね。

高知城歴史博物館のサイトには「自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~」というページもあり、動画などのコンテンツもあって、いながらにしてかなり楽しめる。

 

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2022年5月 2日

『吾輩は猫である』で迷亭君が自慢した「多目的鋏」

昨日、TBS ラジオ『安住紳一郎の日曜天国』に、古文房具収集家のたいみちさんが登場され、いろいろとおもしろい話を披露してくれた(本日 16時までは こちら にて無料で聴取可能)。今回とくに聞き入ってしまったのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』で迷亭君が自慢した「多目的鋏」の話である。

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たいみちさんはこのほど、この鋏の実物(なんと取扱説明書付き!)をネット・オークションで入手されたのだそうだ。すごい! 小説の該当部分は朝日新聞デジタルで読める(参照)ものの、実物を拝みたくて必至にググってみたのだが、残念ながらそのものズバリの画像は見つからなかった。

ただ、「多分、こんなような感じなんだろう」と思われるものが Amazon で見つかったので、上に画像をコピペしておく。「アイガーツール(EIGER TOOL)アクティ8 万能鋏 AT-100」というもので、使い方はこんな感じだ。

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ただ、おもしろいのはこの「アイガーツール」は 12通りの使い方ができるわけだが、たいみちさんの入手された問題の骨董品は小説にある通り「赤いケース入り」で、説明書によれば下記のように 18通りもの使い方ができるというのである。

  1. ボタンホール鋏(こんなようなものらしい)
  2. ガスパイプ・トング(こんなようなものらしい)
  3. 葉巻カッター(こんなようなものらしい)
  4. ペンチ
  5. 定規
  6. 物差し
  7. 爪ヤスリ
  8. ドライバー
  9. 缶切り
  10. カートリッジ・エクストラクター(どんなものか、謎)
  11. 金槌
  12. 鉛筆削り
  13. ガラス・カッター(こんなようなものらしい)
  14. ガラス・ブレーカー(こんなようなものらしい)
  15. マーキング・ホイール (こんなようなものらしい)
  16. ナイフ
  17. スタンホープ・レンズ

最後の「スタンホープ・レンズ」というのは小さなレンズで、この商品では覗くと水着女性の写真が見えるという。当時(1905年頃)は案外、この「ご愛敬機能」のおかげでヒット商品になったのかもしれない。ちなみに上の写真のアイガー商品には、さすがにこれは付いていない。

さらにおもしろいのは、漱石の『吾輩は猫である』では、迷亭君がその鋏について「十四通りに使えます」と説明していることである。ところが実際の小説の文章には、以下の 11通りしか書かれていない。

  1. 「葉巻を入れてぷつりと口を切る」: 上の 4番の「葉巻カッター」
  2. 「針金をぽつぽつやる」: 上の 5番の「ペンチ」と思われる
  3. 定規: 上の 6番
  4. 物差し: 上の 7番
  5. ヤスリ(爪磨り): 上の 8番
  6. 金槌: 上の12番
  7. 「うんと突き込んでこじ開ける」(蓋とり):上の 9番の「ドライバー」か?
  8. 錐(きり): 上のリストでは何に当たるのか、不明
  9. 「書き損ないの字を削る」: 強いて言えば、上の 13番か?
  10. ナイフ: 上の 17番
  11. レンズ(面白い写真): 上の 18番

そして、元々「鋏」なのだから、上のリストの 1番は言わずもがなとして、これを入れても 12通りにしかならず、迷亭君自ら主張する「十四通り」には 2つ足りない。さらに、公式に説明されている 18通りからは 6つ足りない。

たいみちさんは、この多目的鋏を漱石自らが丸善で購入し、どうしても自慢したくて、小説にまで登場させたのだろうと推定されている。ただいずれにしても、彼は全ての機能を使いこなしていたわけではないようだね。

そしてこのことは付け加えなければならないが、最近の缶詰はほとんどプルトップ式に変わったので、「缶切り」機能はもはや無用の長物になってしまったよね。

蛇足になるが『吾輩は猫である』ではこの万能鋏の件に続いて、かの有名な「蕎麦の話」(参照)になるので、是非お読み戴きたい。迷亭君はあまり大量の蕎麦を一口に啜りすぎて喉につっかえそうになり、涙まで流している。これって、江戸っ子の陥りやすい罠である。

【5月 5日 追記】

18通りの使い途のある多機能鋏についてなぜかハマってしまい、5月 4日付5日付 の記事でしつこく詮索した結果、その謎をかなり解明することができた。「カートリッジ・エクストラクター」がどういうものか解明できたことが最大の成果と言える。

さらに迷亭君の言う「うんと突き込んでこじ開ける」(蓋とり)が、上の 9番「ドライバー」ではなく、10番の「缶切り」と記したもの(実は「葉巻箱開け」)で、 「書き損ないの字を削る」というのが、上の「13番」ではなく「17番」だとわかったのも収穫である。


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2022年4月21日

NY 図書館による「禁書」の復権

共同ニュースに "NY 図書館、禁書 4作品貸し出し  「ライ麦畑でつかまえて」も” という 4月 18日付の記事がある。ただ申し訳ないけど、私にはこの記事の意味がよくわからなかった。

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記事の冒頭は、こんな文章である。

【ニューヨーク共同】全米最大の地域図書館であるニューヨーク市のニューヨーク公共図書館が、米国内の学校や図書館で禁書とされた書籍 4作品を、ネットを通じて米国のどこからでも借りられるようにする活動を始めた。今月 13日から 5月末まで。

ここで太文字にした「ネットを通じて米国のどこからでも借りられるようにする活動を始めた」という部分だが、これ、さらりと読み進めることができる人っていないんじゃなかろうか。NY 公共図書館の本を「ネットを通じて米国のどこからでも借りられる」だって?

せっかくネットを通じるのに、紙の本を借りるのか? あまりにもナンセンスで、しかもはっきり言って、まともな運用が不可能な話じゃないか?

というわけで、米国での元記事を探そうと "New York public Library banned books" というキーワードで検索したところ、Open Culture というサイトの ”The New York Public Library Provides Free Online Access to Banned Books: Catcher in the Rye, Stamped & More” という記事が見つかった。

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共同ニュースの記事では、禁書になっていた 4作品のうち『ライ麦畑でつかまえて』しか紹介されていないが、こちらの記事では 4作品の表紙の画像まで紹介してある。しかるべし、しかるべし。

しかも基本的な問題として、共同ニュースでわからなかった疑問は、この記事の見出しを見るだけですぐに解決された。"Probides Free Access" というのだから、「米国のどこからでも借りられる」というのではなく、「ネットで無料でアクセスできるようにする」ってことじゃないか。

しかもこのニュースは、"SymplyE" というアプリを通じたアクセスができるとしており、それ以外の限定条件があるとは読み取れない。ということは、「米国のどこからでも」というより、世界中からアクセスできるんじゃあるまいか。もう少しきちんとした翻訳をしてもらいたいものである。

ところで、問題の 4作品というのは、以下の通り。

Speak | Laurie Halse Anderson (Square Fish / Macmillan Publishers) 

King and the Dragonflies | Kacen Callender (Scholastic)

Stamped: Racism, Antiracism, and You | Jason Reynolds and Ibram X. Kendi (Little, Brown Books for Young Readers / Hachette Book Group)

The Catcher in the Rye | J.D. Salinger (Little, Brown and Company / Hachette Book Group)

"The Catcher in the Rye" 以外の 3冊は全然知らないので、ちょっと調べてみたところ、"Speak" は金原瑞人訳で『スピーク』として出版済み(参照)だが、"King and the Dragonflies" "Stamped: Racism, Antiracism, and You" の 2作品は、日本語訳の情報は見つからなかった。

ちなみに "The Catcher in the Rye" はご存知の通り、野崎孝訳(『ライ麦畑でつかまえて』)と村上春樹訳(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)が出ている。

ただ、私は申し訳ないけど、野崎訳の最初の 1ページの立ち読みで違和感を覚えたので、ペーパーバックの原文の方で読んでしまった。後になって村上訳も立ち読みしたが、悪いけど印象は似たようなものだった。

この小説、原文は確かに下品なスラング満載ではあるけど、日本語の翻訳よりはずっと馴染めた。この件に関しては2007年 3月 22日付け「翻訳の難しいアメリカ小説」という記事で触れている。

いずれにしてもこれら 4作品は、「下品なスラングが多い」というような理由で禁書扱いにされてしまっているらしいが、これはかなりヤバい話だとは思う。その意味でニューヨーク公共図書館の試みには拍手を送りたい。

 

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2022年2月18日

江戸の昔の蕎麦屋に、椅子とテーブルなんてなかった

Japaaan のサイトに、"時代劇は間違いだらけ?~其の二~「お銚子もう一本!」は間違い、湯屋では髪を洗わない…" という昨日付の記事がある。「面白い!」と思ったのだが、実はこれ、「其の二」とあるだけにシリーズ第二弾であるらしい。

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リンクを辿って、"時代劇は間違いだらけ?~其の一~…蕎麦屋にテーブルはないし、裁きのお白洲は外ではなかった!?" (昨年 11月 30日付)というのを見つけた。遅まきながら、まずはこちらの方を取り上げさせていただく。何事にも順序というのがあるので。

時代劇では、蕎麦屋で酒を酌み交わしながら蕎麦をすする場面が出てきたりするが、大抵は現代の蕎麦屋と同じスタイルの「椅子とテーブル」式である。ところがこの記事によると、次のようなことになる。

しかーし、テーブルとイスというものは、西洋から入ってきたものです。撮影ではいかにも日本的な色や素材を使っているので違和感なく見ることができてしまいますが、近代の日本まで無かったものです。

実際は上の浮世絵にあるように、大きな床几に座り、同じ床几の上に盆に載せて置かれた蕎麦をたぐっていたもののようなのである。蕎麦だけに「すぐそば」に置かれている。

こうしてみると、今でも蕎麦をたぐる時には蕎麦猪口を手に持つというスタイルになっている所以がわかる。そうしないと、昔だったら床几に這いつくばって食べなければならないからね。ただ、頭の上まで箸を持ち上げている上の絵は、かなり誇張されているものと思うが。

今の世の中では蕎麦猪口を手に持たず、テーブルに置いたまま覆いかぶさるような前屈みの姿勢で蕎麦をすするという、無粋なスタイル(これを称して「犬食い」という)が増えてきてしまった。こんな風になったのは、椅子とテーブル式が普及したせいだったのか。

いずれにしても、蕎麦猪口を手に持ってすするのが粋ということに変わりはないので、そのあたりどうぞよろしく。

もう一つの「意外な事実」は、「お白州は外ではなかった」というもの。確かに文中にあるように、外だったら雨の日にはやりにくくてしょうがないだろう。

下の写真は、昨年 3月に奥飛騨に行った時に訪れた国指定史跡「高山陣屋」(江戸時代の陣屋を保存した施設)で、実際に自分で写したお白州。写真をクリックすると拡大されて、案内看板に「御白州(吟味所)」と書かれているのがわかる。論より証拠で、本当に屋根の下だったのだ。

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本来は屋内だったお白州が、時代劇では屋外ということになってしまったのは、「撮影で屋内照明を準備するのが大変だから」という理由らしい。なるほど、下手に史実に即して上の写真のようなセットを造ってしまったら、照明が邪魔になって撮影アングルが極端に限られてしまうものね。

こうして見ると、時代劇ってかなり自由自在に作られているとわかる。

ちなみに余談だが、上の写真にある拷問道具は威圧のために置かれていたもので、実際にはほとんど使われなかったようだ(参照)。それを知って、なぜかホッとしてしまったよ。

 

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2022年2月12日

"Anime" (アニメ)は英語にもなっているようだ

note というサイトに "「ジャパニメーション」とは何だったのか? その起源と終焉" という記事があって、米国では 1980年代に日本のアニメを ”Japanimation" と呼んでいたが、現在はほとんど ”anime" という言葉に置き換わっていると伝えている。"Anime" は米国でも通じるようなのだ。

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「本当かいな?」と思ってググってみたところ、"anime" というキーワードでは日本のサイトばかりが上位に検索されるものの、キーワードを "anime movies" に変えてみると、結構多くの米国発のページが見つかる。上の "Top 16 Upcoming Anime Movies in 2022" というのもその一つだ。

もっとも、米国における  "anime" は、アニメーション全般を指す言葉ではない。上述の記事の筆者、数土直志氏は次のように伝えている。

日本で使われる「アニメ」はアニメーション全体の略語で、ディズニーやヨーロッパの作品も含みます。しかし英語で「Animation」を略すると「Anime」でなく「Anima=アニマ」です。ここからも「アニメ(Anime)」が、米国人にとって造語であることはわかります。

この段階で「アニメ」には
日本=アニメーション全体を示す略語
米国=アニメーション全体から日本アニメを区別して使用する名称
との差異が生まれます。

私なんかは、アニメは英語で ”cartoon" というものと思っていたが、改めて調べてみると、この言葉には子どもっぽいイメージが付きまとうようだ。”Cartoon” をキーワードとして画像検索すると下の画像みたいなことになってしまうので、ちょっと違う。

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というわけで、サブカルチャーとしての「日本アニメ」には差別化された名称が必要だったようなのだね。それで「日本では『アニメ』と呼んでるみたいだ」という情報が伝わって、そのまま ”anime" と呼ぶのがクールに思われたんだろう。

それにしても 1980年代から(一説には 70年代からともされる)今日に至るまで、40年以上も継続して米国に注目されているというのだから、単なる一過性のブームというわけにはいかず、日本のサブカルチャーもなかなか捨てたもんじゃない。私としてもジブリものなんかは評価してるし。

ただ、”anime" という単語を「アニメ」と発音することは、米国人には難しいはずだ。Weblio で調べてみたところ、「アニメイ」という発音になっている(参照)ようだが、聞きようによっては「エヌメイ」とも聞こえ、実際にはそう言った方が通じやすいかもしれない(参照)。

そしていわゆる「アニメ・オタク」のことは "anime buff" というらしく、この名前の Facebook ページまである(参照)。

 

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2022年1月 2日

正月特別企画: tak-shonai 年賀状コレクション

正月にちょっと楽をさせてもらうために、今日はこれまでにこのブログなどで使った年賀状を紹介させていただくことにする。画像ファイルとして保存してあるのは、1999年の正月からの 23年分だ。ただし 2008年と 2012年はそれぞれの前年に親が逝去したので喪中欠礼である。

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年賀状は昔からずっとオリジナル・デザインで作っているが、 1992〜1998年頃のものは大昔のフロッピー・ディスクに保存してあるので、今や取り出すのが面倒で放ってある。それ以前は、昔懐かし「プリントゴッコ」なんてもので作ったので、データはない。

我ながら物好きなことだが、こんなような ↓ ステロタイプは使う気になれないのでしょうがない。

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それぞれの年の年賀状はこの記事の下の表の中からクリックすると新規タブで表示されるが、我ながら気に入っているのは、上の画像で示した 2枚。一廻り前の 2010年の寅年と、2013年の巳年のものだ。

左上、前の寅年のものは、素手で虎を手なづけてしまったという伝説をもつ沢庵和尚ゆかりの臨済宗大徳寺派の高僧、足立泰道和尚の描かれた掛軸がモチーフ。単に〇を一筆に書いただけというのは禅画によくあるが、この年は不遜にも、それに黄色でシマシマをつけて虎の尻尾にさせていただいた。

右下の巳年のデザインは、ベルトをヘビが這っているような形に曲げて「巳」の字に似せただけというもので、デザインというのはやはりシンプルに勝るものはない。そしてこの 2枚を上回る年賀状は、なかなかむずかしい。

いっそ今年の寅年も 12年前と同じデザインを使いたかったが、それでは芸がないので、何とか別のものにさせていただいた。そしてこの次の寅年は 2034年で、計算上は 82歳を迎える年である。

別にそこまで生きなくてもいいのだが、生きてしまう可能性も結構高いので、その時はその時で、どうにかこうにか新しいデザインを考えなければならない。

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表中のそれぞれの年をクリックすると、新規タブで表示されます。

(来年 卯年) 2022年
寅年
2021年
丑年
2020年
子年
2019年
亥年
2018年
戌年
2017年
酉年
2016年
申年
2015年
未年
2014年
午年
2013年
巳年
(喪中欠礼) 2011年
卯年
2010年
寅年
2009年
丑年
(喪中欠礼) 2007年
亥年
2006年
戌年
2005年
酉年
2004年
申年
2003年
未年
2002年
午年
2001年
巳年
2000年
辰年
1999年
卯年

 

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2021年11月 2日

「大根役者」を巡る冒険

文化の日の記事とするにはちょっと語弊がありそうなので、前日の今日のうちに「大根役者」について書かせていただく。言うまでもなく、下手くそな役者のことだ。

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今どきの歌舞伎座にはそんな客はいないが、江戸の昔は下手な役者に向かい、大向こうから大声で「でぇこ!」(「大根」の江戸訛り)と罵る客がいたらしい。いや、そういえば 40年ぐらい前に一度だけ、「ダイコン!」と叫ぶ声が歌舞伎座の幕見席の方から聞こえて、驚いたことがあるな。

若い頃には、「大根は消化がよくて食あたりしないから、『当たらない役者』を『大根役者』と言うんだよ」と教わったものだ。ところが Japaaan の "伝統芸能とのつながりが。なぜ演技が下手な人を「大根役者」と言うのか?" という記事によれば、この言葉の由来はそれだけじゃないらしい。

例えば「大根は食あたりしない(=どんな役をやっても当たらない、ヒットしない役者)」というものや、役者が配役を外されることを "おろす" と表現することから、これと大根おろしをかけたという説などがあります。

さらには、大根の白い色と演技にたしなみのない素人(しろうと)という言葉をかけあわせたという説まで実に様々。ひとつの言葉ですが、色々な説の由来があるのは面白いですよね。

ほかにも、「馬の脚」(下図:「蔦吉ファンサイト」より)しかできないような役者のことを「大根足」からの連想で言ったとの説もあるらしい。しかし実際問題として、この説はこじつけとしても無理筋過ぎる気がする。馬の脚に向かって「でぇこ!」と言ってもしょうがない。

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とまあ「これでもか!」というほど、いろいろな説が挙げられている。ただ私としては、これらは最も知られる「当たらない役者」説も含めて、後からこじつけた「洒落」だと思っているのだよね。「それを言っちゃあ、おしまいだよ」と言われてしまいそうだが。

元々はただ単純に、大根という野菜のイメージから言われ始めたと考える方が素直だろう。ぶっとくて、ごろんとして、繊細な感じから遠く、華やかさに欠ける。さらに沢庵を漬ける前にまとめて天日干しする光景が「十把一からげ」になってしまい、「その他大勢」感が強まる。

「大根」という野菜が、そうしたありがたくないイメージを一身に背負ってしまったんじゃなかろうか。また、江戸時代には「練馬大根」というのがかなり有名になっていたので、江戸の中心から離れたひなびたイメージというのも加わったのかもしれない。

練馬大根は本当はとてもおいしいものなので、大根と練馬の人たちには申し訳ないが、とにかく私としてはそのように考えている。

ただ最近になって、大根はいろいろな料理に使いやすいので「使い回しの効く器用な役者」とか、おでんの具として味が染みておいしいことから「味わいのある役者」みたいな、反語的な意味で使われることもあるのだという。言葉は変化するものとはいえ、年月というのはおそろしい。

ちなみに岸田首相は、「台詞もまともに言えない大根役者」の前任者に対して、「台詞覚えがいいだけの大根役者」という印象が否めないのだよね。果たして、これから「当たり」が取れるかなあ。

 

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