カテゴリー「文化・芸術」の160件の記事

2025年4月17日

箱根の岡田美術館で「愛と平和の江戸絵画」展

JAPAAAN が "江戸時代の絵画を「愛」と「平和」をテーマに紹介する特別展「愛と平和の江戸絵画」が岡田美術館で開催" というニュースを伝えている。岡田美術館は神奈川県箱根町にあるのでちょっと遠いが、機会が折り合えば行ってみたいものだ。

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記事には「江戸時代は、徳川家康が幕府を開いた1603年(慶長8)から終焉を迎える1867年(慶応3)まで、約260年もの長きにわたり平和の続いた、世界史的にも稀有な時代でした」とある。ただ、江戸時代の絵師たちが「愛」と「平和」をテーマに創作活動を行っていたわけでは決してない。

「愛」と「平和」というのはとても近代的なコンセプトなので、江戸時代の人間たちはそんなことを意識していなかっただろう。ただ、現代に生きる我々が江戸期の絵画に「平和」な雰囲気を感じるのは確かなことだ。

「愛」となると少々むずかしいが、記事には「遊女や贔屓の役者など美しい男女を描いた美人画に限らず、江戸時代には愛する人の存在を直接的、あるいは間接的に描いた作品が数多く制作されました」とある。なるほど、そうした見地から「愛」と「平和」をセットで訴求する取り組みのようだ。

「名所・遊楽から、日常を豊かにする琳派、旅を描いた浮世絵まで」と紹介されており、広範囲の分野の絵が展示されるようなので、かなりおもしろそうだ。個人的には遊楽の絵と浮世絵をたっぷり眺めたい。

この絵画展の会期は 6月 8日(日)~ 12月 7日(日) までとほとんど半年にわたるので、この期間内に箱根の近くまでいく用事ができたら、是非寄ってみたいところである。

 

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2025年4月11日

夏目漱石の直筆原稿発見の話から、いろいろ考えてみた

NHK が昨日付で "夏目漱石「坊ちゃん」などの自筆原稿を発見 奈良天理大学" というニュースを報じている。見つかったのは、『坊っちゃん』の 150枚にわたる自筆原稿のすべてと、『吾輩は猫である』の第十章の 62枚だそうだが、ちょっと嬉しくなる話である。

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同じ明治の文豪、島崎藤村の場合は自筆原稿の拡大コピーしてパネルにしたものが結構出回っていて、私のところにも親戚から押しつけられたのがある(参照)。それに比べると漱石の場合は自筆原稿の保存に無頓着だったらしくて、全集本などでも原稿の写真なんて見たことがない。

で、今回見つかった自筆原稿というのを見ると、島崎藤村の場合と同じ傾向があることに気付いた。それはかな文字が現代の標準と違うということである。

有名な書き出し、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」の太字部分が上の画像にあるが、「か」という文字が現代の「加」という字を崩した平仮名ではなく、「可」という字からきた文字になっている。昔からの「変体仮名」に由来し、今は「異体字」とも称するらしい。

「小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」も、「抜かした」の「た」が「多」を崩した字だし、「事がある」の「が」は「可」を崩した文字に濁点がついたりしている。

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先に触れた島崎藤村の『夜明け前』の生原稿でも、冒頭の「木曽路はすべて山の中である」の「は」の字が「者」という漢字を崩した文字になっている。それでちょっと前は「木曽路をすべて・・・」なんて読むヤツがいた(参照)。

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こうしてみると、明治の文豪は何だかんだ言っても江戸末期から明治初期の生まれだったのだと実感される。かな文字の 1音 1文字原則が一般化される前に読み書きを修得した世代なのだ。

それでもおもしろいのは、原稿用紙の 1マスに 1文字の原則に忠実ということである。スラスラっと流れるような続け文字で書くなんてことはしていない。本になるときは活字なので、編集者が文字数を把握しやすいようにという配慮もあったのだろう。

ところが、そんなことはどうでもいいと思ってる小説家もいた。しかもそれは昭和になってから現れた石原慎太郎という人で、原稿はこんな感じである。

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1マスに 1文字という原則すら無視していて、編集者は本当に困っていたらしい(参照)。「悪筆」と言われていたようだが、当人としては達筆を気取っていたような気がするあたりも「ナンだかなあ」と思ってしまう。

その石原慎太郎も、デビュー作の『太陽の季節』はきちんと読みやすい字で書いている。こんな感じだ(参照)。

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この人、大御所になると傲慢になってしまって、編集者への思いやりがなくなったんだろうね。

 

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2024年12月19日

「忠臣蔵」を知らないのは、今の学生だけじゃない

図書館でボドゲやる人という方が、今の学生は「忠臣蔵」も、お岩さんとお菊さんも知らないということに驚いて tweet されている(参照)。

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ただ、「忠臣蔵」を知らないのは決して今の学生だけではないと思う。大学で歌舞伎論なんて専攻した私はさすがに「忠臣蔵」にはやたら詳しいが、私の同年代(70歳前後)でも「忠臣蔵」関連の知識は驚くほど薄い。せいぜい江戸時代の敵討ちの話という程度にしか知らないんじゃなかろうか。

お岩さんとお菊さんとなると、「恨めしや伊右衛門殿〜」(四谷怪談)がお岩さんで、皿を「一枚〜、二枚〜」(皿屋敷)と数えるのがお菊さんと迷わず言える人は多分半数以下だ。そして「皿屋敷」には播州版と番町版といったバージョンがあると知っている人はもっと少ない。

さらに言ってしまうと、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』という外題は、お岩さんのお話が「忠臣蔵」と関係があるのだよということを暗示している(参照)。というわけで、忠臣蔵とお岩さんが関連付いたところで本題に入ろう。

5日前の 12月 14日が「忠臣蔵の討ち入りの日」だったいうのは、今や常識とも言えなくなった。しかし私より上の世代にとっては当たり前の知識のようで、「山鹿流陣太鼓」というキーワードとともに知っていなければ、三波春夫の「俵星玄蕃」などはチンプンカンプンだろう。

私はこのブログの 5日前の「マルチタスクよりシングルタスクの方が、仕事がはかどる」という記事に、読む人の半分以上が「はぁ?」になってしまうかもしれないとは重々承知しつつも、こんなことを書いている。

ところで今日 12月 14日は「忠臣蔵討ち入り」の日だが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を見ると、途中で勘平が切腹したり、お軽のいる祇園一力茶屋で大星由良助が酔い潰れてみたりと、討ち入りとは直接関係のない筋が盛りだくさんで結構な「マルチタスク」である。

「忠臣蔵」のサイドストーリーである「お軽勘平」のくだりなんてことになると、私の同年代の連中に聞いてもほとんど知らないと思う。知っているのは歌舞伎ファンぐらいのものだ。

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そもそも「大星由良助」にしても、「何それ? 大石内蔵助の間違いでしょ!」と言われてしまいそうだ。ただこれ、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では「大星由良助」ということになっていて、 詳しくは 14年前の "物語としての「忠臣蔵」と、史実としての「赤穂事件」" という記事で触れてある。

これは歌舞伎や文楽が大きな庶民娯楽であった江戸時代に、コンテンポラリーな事件をそのまま芝居にすることは御法度だったことによる。だから、元禄の御代にあった赤穂浪士の討ち入り事件を、「いえいえ、これは太平記の時代のお話です」という建て前で演じたのだ。

というわけで、「浅野内匠頭」と「吉良上野介」も、歌舞伎ではそれぞれ「塩冶判官」(えんやはんがん)と「高師直」(こうのもろなお)という『太平記』に登場する人物の名前で登場することになっている。

というわけで、歌舞伎を楽しむためには、このあたりの基礎知識(昔は「常識」だったのだが)が必要になってくる。今の学生ばかりでなく、オジサン、オバサンにしても歌舞伎座に行く前に「予習」が必要になってしまうのだ。

冒頭で紹介した tweet の続きには「年末の風物詩『忠臣蔵』は、この先、歴史や文学を学ぶ人しかしらない専門知識となっていくのだろうか」とあるが、それに「歌舞伎ファン」を加えれば残念ながら「その通り」だと思う。

 

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2024年12月17日

「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」を知らないの?

はてな匿名ダイアリーに「三大、なんかイタリアっぽい言葉」というタイトルの書き込みがあり、"ハルミジャーノレッジャーノ/ソーセージマルメターノ/竹原慎二「じゃあの」" の 3つが挙げられ、「あとひとつは?」(4つ目ってこと?)と問われている。しかしぱっとした回答がないのだ(参照)。

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私は即座に「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」があるじゃないかと思ってしまったよ。それから「トルナラトッテミーヨ」ね。今の若いモンは、藤村有弘を知らないのだろうか。あの伝説の『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声を務め、わずか 48歳にして早逝したコメディアンだ。

下に紹介するビデオで、中国語、ロシア語、フランス語の次に披露されるのが、かの有名なイタリア語の「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ」である。

彼の「デタラメ外国語」は、トニー谷の「レディース・アンド・ジェントルメン、オトッツァン・オッカサン、グッドアフタヌーン・おこんにちは」の「トニングリッシュ」とはまったく別の系譜で、軽薄さではなく軽妙さを強調したものだ。その系譜はタモリの「四ヶ国対抗麻雀」にまで連なっている。

この二人の至芸をリアルタイムで楽しめた私の世代は、かなり幸運だった。最近のタモリって、このあたりのゾーンを卒業しちゃった感があるものね。

 

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2024年12月 5日

取手駅のキャラ、「とってくん」というんだそうな

先週末から鉄道を使っての出張が続いて、ようやく一段落付いた。12月 1日に取手駅から常磐線快速電車に乗るとき、ホームの待合室のドアに妙な絵が貼ってあるのに気付き、iPhone で写真に撮っておいた。調べてみると、取手駅のキャラクターで「とってくん」という名前なんだそうだ。

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絵的にはどう見ても素人っぽくて、取手駅の駅員による自作キャラなんだろうと想像される。調べてみると田村指圧治療院というところのブログにその誕生秘話から紹介してあり(参照)、それによれば駅員がホームで拾った「とって」が生きていたのだそうだよ。

ブログの日付はの 2020年 12月 8日付だから、誕生してから既に 4年ほど経つのだろう。この間に何度も取手駅を利用していたのに、全然気付かなかった。訴求の仕方がかなりおとなしいもののようなのである。

ただこれは「取手駅のキャラ」のようだから、取手市には取手市のキャラがいるのだろうと思い、調べてみると「とりかめくん」というのが出てきた(参照)。これは健康づくりを象徴しているのだそうだが、一見したところではそんなことまではわからない。

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取手市には東京芸大の取手キャンパスがある(参照)のだが、キャラ・デザインにはその点はほとんど反映されていないようなのだね。

【翌日 追記】

そういえば、取手市にはまた別のキャラがいたんだった。2020年 10月 13日付で紹介した取手競輪のマスコットキャラクターである。「砦の森の住人たち」というのだそうだ。

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キャラの立ち方と知名度で言えばこれが一番というのも、何だかもの悲しい。

 

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2024年10月22日

諸橋近代美術館 開館 25周年記念コレクション

今日は福島県磐梯高原にある諸橋近代美術館を訪問した。ここはサルバドール・ダリのコレクションで有名で、今回が 2度目の訪問だ。

上の動画は、美術館の前庭を流れる沢から池を経て建物に至るまでをパンしたものである。この眺めを見ているだけでも十分に満足できるが、美術館の展示を見るとさらに心が弾む。

今回は美術館の開館 25周年を記念した「コレクションストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー」という特別展示だった。メインコレクションであるダリの作品のほか、ルノワール、シスレー、シャガールのコレクションに加え、初めて見た P.J.クルックの作品がなかなかよかった。

このコレクションは 11月 10日までのようなので、興味のある方は急いで訪問するといい。きっと満足する。

今日は長時間運転で帰宅して疲れてしまったので、このあたりで失礼。

 

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2024年9月20日

『火垂るの墓』は二重の意味で「B面ヒット」

スタジオジブリの『火垂るの墓』が世界 190カ国以上で独占配信され、大きな話題になっているらしい(参照)。元々は 36年も前の 1988年に『となりのトトロ』と同時上映されたものというのだから、ちょっとした「狂い咲き」である。

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この関連かどうかはわからないが、SAWASAKI Fuyuhi さんが Bluesky で次のような書き込みをしておいでだ(参照)。

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「アメリカひじき」という言葉が SAWASAKI さんにとって初見で、Wikipedia で調べてやっとわかったというのは意外だったが、上の画像に挿入しておいたように野坂昭如の小説であり、『アメリカひじき』と『火垂るの墓』のセットで昭和 42年下半期の直木賞を受賞している。

この文庫本、私も持っていたのだが誰かに貸したまま「借りパク」されてしまい、手元にない。誰に貸したか覚えていないので、もう取り戻しようもないが、Amazon で調べると中古で 3,000円以上の値がついているようだ。本と楽器は借りパクが多くて、昔誰かに貸したバンジョーも戻ってきていない。

話を元に戻すが、文庫本の表紙を見る限り、『アメリカひじき』の方が先に来ていて、『火垂るの墓』は昔のレコード感覚で言えば B面扱いだったようなのだ。当時の記憶を辿っても、『アメリカひじき』の方が話題になっていたような気がする。

終戦直後に米軍捕虜の補給物資をくすねた中にあったブラックティー(紅茶の葉)を「アメリカのひじき」と思い込んで煮て食ってしまったというエピソードがムチャクチャ印象的で、高校生の話のタネにもなっていた。

ちなみに、音楽の方でも B面の方がヒットしてしまうという例がたまにあって、有名なところでは松田聖子の "Sweet Memories" が挙げられるが、『スーダラ節』もそうだったというのは、あまり知られていない。

今回のアニメ版『火垂るの墓』のヒットは、二重の意味で B面ヒットと言える。原作が文庫本で『アメリカひじき』の B面扱いだっただけでなく、アニメ上映でも、『となりのトトロ』の B面扱いだったのだから。

もとより本当に優れた作品には、 A面も B面もないのかもしれないね。

【10月 15日 追記】

今日、つくば市内の書店に寄ったので、新潮文庫の『火垂るの墓』を買った。第 79刷で、初版は上にも書いたように『アメリカひじき』が A面扱いだったのだが、これは表紙には『火垂るの墓』のみが出ている。B面が A面に来てしまったもののようだ。

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時代は変わる。

 

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2024年9月15日

米国の「日本ブーム」を音楽視点から見ると

長い間「米国の音楽市場では英語の歌以外は受け入れられない」と言われていた。遙か昔、Billboard 誌で週間 1位を獲得した "SUKIYAKI(上を向いて歩こう)" なんて、数少ない例外の一つである。

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しかしそうした「鎖国状態」は、ここに来て崩れ始めているようだ。NHK が「気付いたら日本ブームがすごいことになっていた」というニュースを伝えている。

米国でSHOGUN 将軍」がエミー賞の14部門で受賞し、ラジオでは日本人が日本語で歌うポッポスが流れることも増えてきたという。 ちょっと前までは韓国の "K-POP" がかなりフィーチャーされていたようだが、ついに日本の曲も注目され初めているというのである。

日本のユニット「新しい学校のリーダーズ」は、今年 4月にカリフォルニアで開かれた野外フェス「コーチェラ」に参加して以来、結構な話題になっているらしい。これはわかる。かなりよくわかる。

私も「新しい学校のリーダーズ」にはちょっと注目していたからね。どちらかと言えば、日本よりも米国で受けそうな気配を漂わせている。

私は個人的には日本のポップスよりも、ブルースとカントリー・ミュージックをベースとしたアメリカン・ロック・ミュージックの方が好きなのだが、最近はどうやらこのアメリカン・ロックがちょっと停滞してしまっている気がする。これって明らかなことじゃあるまいか。

何でなのかと言えば、米国の音楽がブルースとカントリーに縛られ過ぎているためなのだろう。日本の歌謡曲がどれを聞いても同じに聞こえてしまうのと似たような現象が、今のアメリカン・ロックの世界で起きているのだ。

そこへ行くと、韓国や日本のポップスは自由である。「ブルースがないじゃないか」と言ってしまえばそれまでで、確かに軽薄なイメージではあるのだが、その代わりメロディ・ラインがどうにでもなる。定型的なアメリカン・ロックに浸りすぎた米国人には、かなり新鮮に聞こえるだろう。

逆に言えば、日本の最近の曲はメロディが自由すぎて、私の同年代の連中は「平成以後の歌は覚えられないよ〜!」なんて悲鳴を上げている。同窓会の二次会のカラオケなんかは昭和の歌ばかりになってしまい、平成以後の歌を歌いたがる私なんか完全に浮いてしまう。

これだけの音楽大国にいるんだから、ちょっともったいないよね。

 

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2024年6月 4日

ダリって、かなりしっくりきてしまったよ

妻と一緒の裏磐梯旅行から、さっき帰宅した。さんざん運転して疲れてしまったので、昨日に続いて短かめで失礼。

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今日は五色沼の近くにある諸橋近代美術館で、サルバトール・ダリのコレクションをたっぷりと見た。

妻はちょっと前に東京で開催されたダリ展を、ダリ・ファンの長女と共に見たことがあるというのだが、私としてはダリ作品をナマで見るのは今回が初めてで、しかもあれだけのボリュームなので、すっかりノックアウトされてしまった。

彼の絵はは時計がダラリとぶら下がったりして「わかりにくいシュールレアリズム」の代表格みたいに思われているが、よく見るとかなり言葉で表現しやすかったりするのだね。実はフロイト的なメッセージが色濃く感じられたりして、それがアメリカ人好みなんだろうと思われる。

で、私自身アメリカ趣味だったりするものだから、かなりしっくりときてしまった。このことが実感できたのは、今回の大きな収穫だった。

 

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2024年5月16日

『猫じゃ猫じゃ』を巡る冒険

漱石の『吾輩は猫である』を完読したのは、小学校 6年生の時だった。昼休みに毎日図書室に通い、長編だけにかれこれ 1ヶ月ぐらいかかって読み終えた。最後の場面は猫が水瓶に落ちて死ぬのだが、その描写が猫なりにかなり哲学的なもので(参照)、私の死生観にかなりの影響を与えてくれたと思う。

ただ、今日は何も「死の哲学」を語ろうというわけじゃない。テーマは『猫じゃ猫じゃ』である。漱石の「猫」が最後に水瓶に落ちて死ぬのは猫のくせにビールを飲んで酔っ払ったからなのだが、その酔っ払った感覚の描写は以下のようなものだ。

次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌が歌いたくなる。猫じゃ猫じゃが踊り度くなる。主人も迷亭も独仙も糞を食らえと云う気になる。

私はこの『猫じゃ猫じゃ』というのが妙に気になってしまったのである。この時から 6年足らずしてワセダの第一文学部演劇学科なんてところに入り、歌舞伎をテーマにした卒論と修士論文を書くことになるだけに、12歳の子どもらしくもないものに興味津々になっちゃったのだね。

大人に聞いても「子どもがそんなもの知らなくていい」と言われるのが関の山だから、自分でいろいろ調べたところ、江戸時代末期からの俗曲とわかった。寄席の「出囃子」にも使われるというのだが、ラジオの寄席番組を聴いても、どれがそうなのかさっぱりわからない。

今なら下の動画などで、いつでも簡単に確認できるのに。(落語ファンなら聞き覚えあるでしょ)

それだけでなく、漱石の「猫」が酔っ払って踊りたくなったという踊りだって手軽に見ることができる。今の子たちは本当に幸せなものである。

これは市丸のオーケストラ付きバージョンで踊られているのだが、上の土谷利行のバージョンと比べると、良くも悪しくもずいぶん洗練されてしまっている。歌詞まで変わって、「杖付いて」という部分がカットされているし。

洗練といえば、石川さゆりのバージョンまで来るとちょっとスゴい。ここまでくれば、もはや俗曲とも言えなくなってしまう。

最後に、『猫じゃ猫じゃ』というタイトルの元になった 1番の歌詞に触れておく。

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が、猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ

これ、旦那の囲っている妾に他の男ができてしまい、ちょうど旦那が来たときにその間男を隠した場面というココロである。

妾は「今の物音は、猫が逃げてったのよ」と言い訳するが、目の前に男の下駄と浴衣が残っているのでバレバレだ。最後の「オッチョコチョイノチョイ」が何度か繰り返されるので、これ、別名「オッチョコチョイ節」とも呼ばれる。


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