カテゴリー「文化・芸術」の129件の記事

2021年1月 3日

写真の「水平をとる」ということ

私は自分のもう一つのブログ「和歌ログ」で毎日歌に写真を添えているので、素人としてはずいぶん自前の写真を世の中にさらけ出している方だと思う。ほとんどは iPhone のカメラで撮っているだけだが、16年以上も続けていると年季のお陰か、ほんの少しぐらいは上達しているような気がしている。

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ありがたいことに私は仕事柄、プロのカメラマンとの付き合いが多い。彼らは「アマチュア写真では『水平をとること』さえ気をつければ、多少は『見られる写真』になりますよ」とアドバイスしてくれる。どのカメラマンもそう言うのだから、これはきっと「鉄則」みたいなことなんだろう。

「フツーの人のブログや SNS に載ってる写真は、たいてい水平のとり方が甘くて残念なものが多いんです」と彼らは言う。それはアマチュアの私からみても確かにその通りだと思う。

それだけに自分の撮る写真はかなり気をつけているつもりだが、これが結構むずかしいのだよね。上の写真は昨年「和歌ログ」に使ったものの中から選んだ 4枚だが、辛うじて何とかなってると思う。右上なんて、雲の角度が右上がりなので錯覚しがちで大変だったが。

見たところ、「水平のとれていない素人写真」には 2通りあると思う。1つは「水平なんて全然意識してない」もの。2つめは「この方がおしゃれかも」なんて下手に意識して、わざと斜めの構図にしたものだ。どちらもほとんど「無残なできばえ」に終わる。

「水平」を意識しなかったために不器用かつビミョー(あるいはビミョー以上)に斜めっちゃってるのは、誰がみても一目で「お下手な素人写真」とわかる。とくに海の写真はほとんど水平線が斜めになっていて、興醒めにも程がある。こればかりは「基本のキ」からやり直さなければ、お話にならない。

この手の写真には「縦位置」のものがやたら多い。これはスマホをそのまま片手で構えて撮るからそうなるだが、本来なら「横位置」の方が望ましい広がりのある構図でも、無残に縦に切り取られてしまっている。つまり「何も考えないで撮ってる」のがバレバレだ。

3〜4人で行った旅行先での集合写真が「縦位置」の斜め写真でまともな背景さえなかったりすると、それはもう「ガッカリ写真」以外の何ものでもない。カメラを「横位置」に構えて慎重に水平をとりさえすれば、多少は喜んでもらえるのだから、気をつけるに越したことがない。

さらに「意識的な斜め構図」というのは、実はかなり難しいもので、よほど特殊な必然性でもない限り避ける方がいいといわれる。つまりアマチュアはひたすら素直に「水平に忠実な構図」を心がけるに越したことがないようなのである。

 

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2020年12月17日

唱歌『たきび』と、マンガ

やたら忙しくてまともなネタの仕込みができなかったので、今日はある意味「小ネタ」であることをお断りしておく。先日、ラジオで久しぶりに聞いた『たきび』という歌についてである。

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この歌は、巽聖歌 作詞、渡辺茂 作曲の唱歌で、日本人にはかなり古くから親しまれており、Wikipedia で調べてみると、こんな具合になっている。

1941年(昭和16年)に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」の番組案内のテキストである『ラジオ小国民』で詞が発表され、同年の12月に「幼児の時間」の放送内で楽曲が発表された。(中略)2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。

戦前から歌われているというだけではなく、「日本の歌百選」にも選出されているというのだから、半端な曲ではない。大したものである。

ただ、私はこの歌を聞いていると赤塚不二夫大先生のマンガ『もーれつア太郎』を思い出して、心ここにあらず状態になってしまうのだ。もちろん「あたろうか、あたろうよ」という歌詞のせいなのだが、由緒ある歌に対して、はなはだ申し訳ないことである。

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このマンガは『おそ松くん』『天才バカボン』と並ぶ赤塚 3大ヒット作の一つで、登場人物は主人公のア太郎のほか、デコッ八、やたらピストルをぶちかましたがる目玉のおまわりさん、ニャロメ、ココロのボスなど。『おそ松くん』のイヤミ、デカパンなどと並び称されるレベルの個性豊かな面々だ。

連載されたのは『週刊少年サンデー』(小学館)の 1967年 48号から 1970年 27号まで。その前まで連載されていた『おそ松くん』を引き継ぐ形で、私の中学 3年から 高校 2年までの 3年間を彩ってくれたことになる。

高校 3年生の頃には既に終了していたはずなのだが、その印象があまりにも強烈で単行本も発行されていたためか、大学に入ってからまでほぼ現在進行形のような形で話題になっていた。

というわけで「たきび」の歌で『モーレツア太郎』が思い浮かぶようになったのは中学 3年以後のことのはずなのだが、私の印象としてはもっとずっと前の子供の頃からのような気がしている。

日本人が「大学生になってもまんがを読む」と揶揄されるようになったのは、私の年代がいつまで経っても『おそ松くん」や「モーレツア太郎』から離れられなかったせいなのかもしれない。それほど赤塚不二夫大先生の影響力は大きかった。

 

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2020年11月15日

順番とはいえ、藤十郎まで死んでしまって

坂田藤十郎が死んだというニュースは、ちょっとしたショックだった。藤十郎が中村扇雀だった時代からずっと注目していたので。

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私が歌舞伎ファンだなんて意外に思う人がいるかもしれないが、実はその昔、卒論に九代目団十郎論を書いたぐらいで、決して付け焼き刃じゃない。ワセダの第一文学部ってところは、何しろ坪内逍遙以来の伝統のおかげで「演劇学」なんていう妙な専攻があったのだ。

さらにそれで収まらずに大学院まで行き、七代目団十郎を論じて役にも立たない修士号まで取得している。そんなわけでとくに学生時代は歌舞伎座に毎月、昼の部、夜の部の 2回通っていた(3階席だったけどね)。

学生時代なんていうと、半世紀近くも前のことになるが、その頃は死んだ藤十郎の父親、二代目鴈治郎も達者で活躍していて、今の若い歌舞伎ファンが聞いたらよだれを流して羨ましがるような舞台も数多く観た。ただ、親子でお初徳兵衛を演じる『曽根崎心中』だけは観る機会がなかったのが残念だ。

私は卒論と修士論文で江戸の荒事の本家、団十郎を論じた割には、実際に観るのは上方系の和事が好きで、松島屋系の芝居も好きだったなあ。荒事は観てすっきりするが、和事はしっとりとするのである。

ちなみに坂田藤十郎というのは、初代が元禄の頃に上方で和事を創始した名優で、同じ頃に江戸で荒事を創始した初代団十郎と並び称される。安永年間に三代目が死んで以来、名跡が途絶えていたが、三代目鴈治郎となっていた藤十郎が、2005年に復活させた。

で、私としては長年「成駒屋」の屋号で親しんでいた扇雀、鴈治郎が、藤十郎を襲名した途端に「山城屋」になったというので、「はあ?」なんて軽くうろたえてしまった覚えがある。上方の人間って、その辺りのことには案外こだわらないみたいなのだね。

というわけで、死ぬのは順番とはいえ藤十郎まであの世に逝ってしまったことで、またしても大きな節目になったような気がしている。最近は世の中の移り変わり方がさりげなく激しい。

 

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2020年9月10日

デザイナーとしての葛飾北斎

Japaaan Magazine に "これぞデザイナー北斎! 葛飾北斎が作ったオリジナル文様が紹介された古文書「新形小紋帳」を全ページ紹介" という特集がある。北斎のデザイナーとしての素晴らしい力量がわかるものだ。

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葛飾北斎といえば文化文政時代の浮世絵師で、『富嶽三十六景』が代表作だが、そのほかに『北斎漫画』などの絵手本集やスケッチ集なども知られている。かなり器用な絵師だったようだ。

今回紹介されているのは『新形小紋帳』というもので、着物柄の文様集のようなものである。「単なるデザイン集ではなく、描かれた文様をどのように描くのか解説していたりもして、北斎先生の技術がつまった手習い書とも言えるでしょう」と解説されている。

この小紋帳に収められているデザインは技術的に秀でているというばかりでなく、独創性という点でも面白い。例えば「輪違い」というのは複数の輪を組み合わせるジャンルだが、北斎の場合は単なる「輪の組み合わせ」というに留まらず、輪から発想した豊富なデザインが収められている。

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上図の左下「ワち可゛ひ うさ記゛」(わちがい うさぎ)なんていうのは、「輪違い」の発想を洒落た方向に膨らませたものである。幾何学デザインからはみ出していないというのがキモだ。

そして細かいことだが、模様の多くがほんの僅か左に傾いていて、私なんか画像ソフトで右に 1〜2度回転させて修正したくなっちゃうようなのが面白い。フィジカルな「癖」みたいなものを感じさせて、北斎がまだどこかで生きているような気がしてしまうのは、「アナログの味」である。

そう言われてみれば、彼の最も有名な作品『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』も、構図が斬新というだけでない。細部に至るまで、幾何学的な緻密さプラスほんのちょっとした歪み(富士山頂なんて左端が高いし)で構成されているのがわかる。

とくに波頭が砕けているところなんて、実際にはこんなふうに細かく枝分かれしているはずがない。これって、得意の「輪違い」技法から来てるのかもしれない。ふぅむ、北斎って、そういうベースの画家だったんだ。

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江戸のデザインというのは、なかなか捨てたもんじゃないのである。

【9月 11日 追記】

昨夜にアップしてから新たにどんどん書き足したくなり、今朝 8時の時点で、ついに倍以上の分量になってしまった。悪しからず。

 

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2020年8月 5日

東京立川の「猫返し神社」というもの

朝のラジオを聞いていたら、脱走してしまった猫が帰ってくるという御利益がある「猫返し神社」の話が出てきた。「そりゃ、一体なんじゃ?」とググってみたら、ジャズ・ミュージシャン、山下洋輔の著書まで一緒に検索されて、「へえ〜!」となってしまった。

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2016年 5月 28日付の AERA の記事によると、この神社は阿豆佐味天神社・立川水天宮という由緒あるものなのだそうだ。この中に、正式名称を「蚕影神社」(こかげじんじゃ)というお社があり、これが「猫返し神社」と呼ばれているという。その由来を宮司の宮崎洋さんがこう語っている。

実は 30年ほど前に、ジャズピアニストの山下洋輔さんが立川に引っ越して来られたんですが、その時に飼い猫のミオちゃんがいなくなってしまったんです。それで方々探すうちに、うちの神社にたどり着いて。引っ越しのご報告と、猫が帰ってきますようにということをお願いしたんだそうです。そうしたら間もなく、その猫のミオちゃんがよれよれになりながら戻ってきてくれたそうです

このエピソードは 1度だけに留まらず、代替わりした 2匹目、3匹目の猫の行方不明時にも、この神社にお参りして戻ってきたとのことで、山下氏がこの話を雑誌に書いたり単行本にしたりしたおかげで、今やすっかり「猫返し神社」として知られるようになったのだそうだ。

この神社を訪ねると、ピアノ・ソロの『越天楽』が流れているのだが、これは山下氏の演奏だという。一度お参りして聞いてみたいものである。

【同日 追記】

ちなみに雅楽の『越天楽』は、後にアレンジされて白拍子の『今様』になり、さらにアレンジされて『黒田節』に変わったと言われる。聞き比べると、確かに共通したメロディだよね。

 

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2020年4月28日

『義経千本桜』がロハで見られるなんて

国立劇場で 3月、コロナウイルスの影響で無観客上演された歌舞伎『義経千本桜』が、YouTube で無料で見ることができるなんて知らなかったよ(参照)。何と通し上演が見られるのだが、今月 30日までの期間限定特別公開だというから、お好きな人、興味のある人は早速アクセスして見た方がいい。

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実は私は、早稻田大学大学院文学研究科の演劇専攻というところの出身で、専攻は歌舞伎論だったこともあり、『義経千本桜』はこれまで何度も見ている。先代の団十郎や菊五郎(残念ながら、十一代目とか六代目とかじゃないが)の舞台もしっかり見てるから、今回もしっかり見よう。

今回は菊之助が、いがみの権太、源九郎狐、新中納言知盛の三役を務めるという。私は当代の菊之助がこんな大役を務めるのを見たことがないから、明日はゆっくりと見させてもらう。

それにしても、先月上演されたばかりの『千本桜』の通しを、タダで見られるなんて、世の中どうなってるんだろう。ただ無観客だというから、要所要所で「音羽屋!」と自分で声を掛けなきゃ気分が出ないかもね。

 

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2020年3月 2日

「隔世の感」ということ

3日前の記事で触れた「バカヤロー解散」があったのは私が生まれて 7ヶ月目のことで、当然のことながらナマの記憶は全くない。

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父の生前の話では、当時の吉田茂首相のこの発言は決して怒鳴ったりしたわけではなく、ただ小さく呟いただけだったのを、たまたまマイクが拾ってしまい、野党が耳ざとく聞きつけて大問題になったのだという。冒頭のリンク先の Wikipedia の記述でもそんなようなことになっているから、これは確かなことなのだろう。

ということは、吉田首相も当時のマイクの性能向上に感覚が追いついていなかったのだね、きっと。今どきのマイクと比べたらオモチャみたいなものだったろうが、この当時の国会議員のオッサンたちには「無駄に性能よすぎ」というほどだったかもしれない。

ところがマイクの性能はそれまでより格段によくなっていたのだろうが、画像となるとそうはいかない。上に貼った「バカヤロー解散」時の「万歳三唱」の画像を見ても、なにしろフツーにモノクロだし、どうしても「昭和ってのは、既に大昔なんだなあ」と思ってしまう。

いや、昭和に限った話ではない。テレビの BS で再放送されるつい 10年ぐらい前のビデオ映像を見ても、やはりかなりドンくさい。こればかりは画素数が段違いなのだから、どうしようもない。

ビデオ映像といえば、昭和のテレビ録画なんてまともにはほとんど残っていない。例えば伝説の人形劇、NHK の「ひょっこりひょうたん島」なんて、なんと NHK の資料室にさえ残っていないのだそうだ。当時の録画媒体(ビデオテープなど)は貴重だったので、のべつ録画して取っておくわけにもいかなかったようだ。

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YouTube でなんとか見られるのは、上の写真からリンクされる 1本ぐらいのものだ。今のテレビ番組なんて、どんなくだらないものでも何度も再放送できるほど録画されているというのに。

それだけではない。一世を風靡したあの「シャボン玉ホリデイ」だって、今年 1月 18日の記事で紹介した、下の 1本ぐらいしか見ることができないのだ(クリックで YouTube に飛ぶ)。何しろほとんどが生番組だったのだから、まさに 1度きりで後には残らない夢のようなものだったのである。

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ちなみに「バカヤロー解散」の時の恒例「万歳三唱」の録画はニュース映像で見たことがあるが、問題の「バカヤロー」発言そのものは、録音でも動画でも、聞いたことも見たこともない。こうした「ハプニング」を記録するために記録媒体を回し続けるなんて、当時はあり得ないことだったのだろう。

翻って今どきは、安倍首相がお気楽なニヤニヤ笑いで「意味のない質問だよ」と放言する、ノー天気な場面ですらちゃんとエビデンス動画として残っていて、誰でも YouTube でしっかり確認できる。しかも画質の良さは、大昔感漂う上の 3つとは異次元的な違いだ。

2003025これほどまでに技術の発達した世の中に生きていると、伝説の「バカヤロー」を見ることも聞くこともできないという事実に現実感が伴わない。「隔世の感」とはよくぞ言ったもので、感覚的には既に 100年以上経っているような気がするほどだ。

正直言って、技術的進歩はもういいわ。

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2019年11月27日

スヌーピーの「明るいさみしさ」

今日、「ゆうパック」で荷物を送ろうと郵便局に行ったら、郵便関係の窓口が一人のジイさんに占領されていて、なかなか順番が廻ってこない。この『ちびまる子ちゃん』の友蔵じいさんのような出で立ちのジイさん、年賀葉書を買おうとしてデザインの選択に迷っているらしく、ずいぶん長い間カウンターに張り付いたままだ。

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内心「さっさと選んでくれよ! 後ろがつかえてるんだから」と思いつつ、ちょっとイライラし始めたところで、そのジイさん、「よっしゃ決めた」と言う。「やれやれ、ようやく決まったか」と思ったら、おもむろにハートマーク付きみたいな感じで「”スヌーピー” を 50枚」ときた。

それを聞いてそれまでのイライラはどこかにぶっ飛んでしまい、思わず後ろからハグしちゃいそうになっちゃったよ。スヌーピー、まことにも世代を超えて愛されてる。

というわけで、今日は ”PEANUTS” の話題である。今日の今日まで知らなかったが、この 10月から『完全版 ピーナッツ全集 スヌーピー1950~2000』(全25巻)の刊行が始まっているのだそうだ。発売元は河出書房新社で、「スヌーピー生誕 70周年記念出版」ということである。日本語訳はもちろん、あの谷川俊太郎氏。

これに関連して、HUFF POST に ”スヌーピーと育ったすべての大人たちへ。詩人・谷川俊太郎が語る、PEANUTSの「明るいさみしさ」とは” という記事があって、この中で谷川俊太郎さんは「もう、自分もキャラクターの 1人になってしまったみたいだ」なんて語っている。50年も翻訳し続けると、そんな感じになるのかなあ。

この ”PEANUTS” というまんが、私は多分、中学生の頃から意識し始めた。英語の教材とかにちょくちょく掲載されていて、なんとか読もうとしていたような気がする。吹き出しの中のセリフが英語で、その下に谷川俊太郎訳の日本語が出ていたのがありがたかった。下の画像は、上のニュースに使用されているページの右側一番上の拡大版(クリックでさらに拡大される)である。

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このマンガのセリフ、とくに主人公のチャーリー・ブラウンとスヌーピーの言い草がいつも何となくシニカルな哲学っぽい雰囲気で、中学生程度の英語力と感受性では、実は案外難しかった。英語のままでそこはかとなく「ふふふ」と笑えるようになったのは、高校以後のことだったと思う。

スヌーピーって、決して「かわいい一方」の犬じゃないのだよね(上のマンガによると、クッキーは好きでもココナッツが嫌いみたいだし)。谷川氏の語るように、まさに「明るいさみしさ」を漂わせているのである。

そして今気付いたんだけど、私の英語も日本語も、文体的に ”PEANUTS" の影響をずいぶん受けてしまっているよね。スヌーピーの縫いぐるみまでは持ってないけど。

ちなみにたった今、"完全版 ピーナッツ全集 15 スヌーピー1979-1980" (¥3,080)を Amazon で衝動買いしてしまったよ。1冊読んで、全巻欲しくなったりしないか心配である。

 

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2019年8月11日

社会の暗部を無意識の領域から掘り出す

あいちトリエンナーレに関して、昨日の記事の続きである。昨日の記事は柄にもなく細かい客観的事実の積み上げという形になったので、読んでいてつまらないと思われた方が多かったと思う。書いている当人もそれほど楽しくなくて、やや気が滅入っちゃったりもしたし。

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で、今日は「細かい事実」をちまちま積み上げるのではなく、私らしく直観的な話にする。話の入り口は、内田樹氏の 8月 4日付の tweet (参照)だ。彼は次のように述べている。

ふだん隠蔽されている社会の暗部を可視化するのはすぐれて批評的な行為です。今回の愛知の出来事で、日本の暗部が深くかつ広範囲に可視化されました。

「よくぞ言ってくださった!」と拍手を送りたいところである。実は私も「次はフロイトの精神分析的なロジックを借りて今回の企画展を語ろう」なんて思っていた矢先で、その結論は内田氏の tweet とほぼ同じようなところに持っていこうと思っていた。見事に先を越されてしまったけど、相手が内田樹さんだから、まあ、いいか。

フロイト精神分析は詳細に語り出したらキリがなくて、なかなか私如きの手には負えないが、要するに「無意識の領域にある抑圧的記憶を意識化させることで、神経症的症状を消すことができる」というメソッドであると、極々単純に理解している。アメリカ映画なんか見ていると、米国のインテリはみんな精神分析医にかかってるんじゃないかと思うほどで、「彼らも大変なのね」と同情するのだが、実は日本も大変なのだ。

要するに神経症的症候の多くは、意識化することに苦痛を憶えてしまうような記憶を、無意識の奥に抑圧して閉じ込めておくことから生じる。なにしろ閉じ込めた先は「無意識」というところで、当の本人すら気付いていない心の領域だから、合理的な「意識」でどうあがいても解決できない。

仕方がないから、治療の過程ではある程度の心理的苦痛を感じてまでも、それまで無意識の底に抑圧していた(要するに隠蔽していた)記憶を呼び覚まして、きちんと「意識化」することで解決する。

というわけで、私としては「美しい日本精神」を謳い上げているだけでは、意識的に生きようとすればするほど日本人は神経症的になってしまうほかないと思っている。本当に「美しい日本人」として生きようとするなら、認めたくない「歴史の暗部」の要素も、無視したり無理矢理に「国民的無意識の奥底」(と言えるかなあ)に閉じ込めて「なき物」とするよりも、きちんと意識化して「落とし前」を付けておかなければならない。

こんなことを言うと、「いつまでも韓国に屈辱的な『謝罪外交』を続けろというのか」と攻撃したがる人が、ネットの世界にも多く見られるが、そんな意味で言っているのではない。「あったことは事実として客観的に認めて、その上できちんと客観的議論をしなければならない」ということである。

いわゆる「謝罪外交」とは、「一応謝った形にしたんだから、もういいじゃないか」とばかりに再び無意識の中に封じ返し、表面的には「なかったことにしてしまおう」という行為である。そんなことをしているからご覧の通り、日本社会は「社会的神経症」の様相を呈している。

 

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2019年8月10日

あいちトリエンナーレの企画展中止に関して、原則的な一言

一昨日の "「表現の自由」と「自己責任」についてのエクストリームなご意見” という記事に basara10 さんが付けてくれたレスに、結構長文の返事を書いた。書くのに結構いろいろ調べたので、単なるレスにしておくのはもったいないということで、もうちょっと付け加えて本日の記事にさせていただく。

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basara10 さんは「やはり許可した知事や芸術監督を選んだ委員は批判されても仕方ないと思う」と述べておいでだが、「表現の自由」もあれば「批判の自由」もあるので、それは当然だと思う。ただ批判するのは OK だが、行政側が「中止してしまえ」と言うのはほとんど「検閲」に等しく、「表現の自由」の否定につながる。

というわけで、愛知県としては企画展中止に関する検証委員会を立ち上げる方針と発表された(参照)。これはいいことだと思う。このまま「あれって、中止になっちゃったんだよね」だけで済ませるわけにはいかない。

ただ、私が今イチ腑に落ちないのは、河村たかし市長の「展示中止」を求めた発言に対し、「憲法 21条違反の疑いがある」と主張した大村秀章愛知県知事自身が、実はこの展示会の実行委員長を務めていて、展示中止を決めた当事者であるということだ。それほど表現の自由を大切に思うなら、中止以外の選択もあっただろうにと思うのである。

で、今回の問題を整理すると、「表現の不自由展・その後」の企画実行に関しては、芸術監督の津田大介氏の力が大きい。そして誰が彼を芸術監督にしたのかということについては、愛知県のサイトの「あいちトリエンナーレ2019の芸術監督が決定しました」というページに、次のようにある。

学識経験者7名から構成される「あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会」を設置し、2回の議論を経て、芸術監督の選考を行い、同委員会の推薦を受けて、あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議において芸術監督を選任した。

その「芸術監督選考委員会」なるもののメンバーは、同じページに五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の各氏であると紹介されている。このメンバーによる会議は平成 29年の 5月 1日と 6月 4日の 2度開かれており、ここでの議論の結果に基づき、7月 18日開催の実行委員会運営会議の席上で津田大介氏を推薦。そしてこの会議においてそのまま正式決定され、8月 1日には彼の就任が発表された。

つまり、2年以上前から芸術監督の人選は議論されており、開催のちょうど 2年前に津田大介氏と発表された。津田氏はこの芸術監督の依頼には「思わず二度見しましたが」と Twitter に書いている(参照)ほどだから、先立っての「生臭い話」はあまりなかったのだろうと思われる。そして企画展にはほぼ 2年の準備期間があったわけだ。

で、コトの成り行き上「あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議」ってどんなのかと調べると、今から約 1年半前の「平成 30年 3月 22日(木)」の会議に関する情報が、やはり愛知県のサイトにある(参照)。「今年度 3回目」とされているが、3月のことなので、「平成 29年度の 3回目」ということだろう。年度末になって「3回目」というのだから、ずいぶんのんびりしたペースである。

この回の議題は「あいちトリエンナーレ 2019 の開催概要について」「平成 30年度事業計画及び収支予算について」ということなので、多分、これが実質的なスタートラインになったのだっただろう。ただし開催時間は「午後 1時 30分から午後 2時 10分まで」のたかだか 40分間なので、かなり形式的なものと思われる。主催者側のお約束通りのご挨拶と原案の読み上げをしたら、あとは「シャンシャンシャン」で承認するぐらいの時間しかない。

過去のリリースを見ても毎回この程度の時間なので、突っ込んだ議論など行われるはずもない。実行委員の名簿を見ても、大村秀章知事自身を委員長として、以下、お役人/地元財界/団体代表と学識経験者が選ばれていて、いかにも「無難なメンバー」という感じだ。

というわけで、「芸術監督選考委員会」の「かなり『攻め攻め』の案」を、「実行委員会」が、「まあ、いいんじゃないの、知らんけど」と簡単に承認してしまったものと想像される。その後の企画の進展にしても、あまり関知していなかったんだろうね。そして実際に蓋を開けてからびっくりしてしまったというわけだ。

ただ、「蓋を開けてみてびっくり」とはいえ、そこには公費を使って正式な会議を開いて芸術監督を選任した当事者としての責任というものがある。そこでこの記事を「かなり原則的な一言」で締めようと思う。

それは「実行委員会としては、形式的な会議とはいえ、仮にも正式に依頼した芸術監督の企画なんだから、きちんと全うさせてやるのが当事者責任というものじゃなかったのかなあ」ということだ。

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