カテゴリー「文化・芸術」の165件の記事

2026年7月 6日

「廿」 や「卅」の読めない人がフツーに出てきてる

Threads で makiko.k_bmemo さんという方が「分かる人がいたら教えてー!」と助けを求めておいでだ(参照)。Google AI の Gemini には、「昭和卅五年」が「昭和 5年」としか読めなかったようなのである。

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うぅむ、時代もついにここまで来たかと思ってしまったよ。私の世代の人間なら、ごくフツーに「昭和 35年」と読めるのだが、こうした分野では AI って頼りにならないのだね。

「廿」 や「卅」という表記に関しては、昔、手書きの書類が当たり前だった時代に、「二十」「三十」という表記だと容易に「五十」みたいに書き換えられる可能性があるので、こんなような書き方をしたのだと教えられた。元原稿がデジタルで残る今では、あまり必要のないことなのかもしれない。

ただ、私がそれより気になったのは、その左側の草書体文字だ(拡大表示は こちら)。「〇本山」の一番上の文字には手こずる人が多いだろう。これ、種明かしをすれば「総」いう文字で、続けて「総本山」と読む。

そしてその下はさらに厄介だ。下手すると「お忍院」(もっと下手すると「お魚院」)なんて読みたくなるかもしれないが、そんな名の総本山はどこにもない(多分)。これは「知恩院」という文字(キッパリ!)で、浄土宗の総本山である。

さらにその隣の「傳戒師」という言葉は初めて目にしたのだが、「浄土宗大辞典」というサイトの説明によれば、「授戒作法の儀式を司る師」なんだそうだ(参照)。申し訳ないけど、これ以上はよくわからない。

ちなみに「昭和五年」だと西暦 1930年で 95年前だから、紙の色だってもっと古びてしまうだろう。そして昭和元年生まれは、今年 100歳になる。いやはや、「昭和」ってもう「歴史」なんだなあ。

【念のため 追記】

「卅」は「州」じゃないからね。言ってしまえば「十」が 3つ並んでるカタチ。

 

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2026年6月21日

県や市町村の、「まんま」シンボルマーク

とさか さんという方が「青森県のこの場所にある村のロゴマークが "これ" なの、割とそのまんますぎて好き」と tweet しておいで(参照)で、なるほど、下北半島の北東の端っこそのまんまの形だ。とてもわかりやすくて、私なんかかなりの好感を抱いてしまう。

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この tweet には多くの関連コメントが付いていて、「その青森県もたいがいよ」というのも、かなりもっともな気がしてしまう。まんまと言えばまさに「まんまそのもの」である。

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かと思えば、県や市の名前をそのまま図案化してしまったものも紹介されている。下の図の左側は「新潟県」、右側は「三沢市」のシンボルだ。一見しただけではわかりにくいが、よく見るとなるほど、「新ガタ」だし、三つの「サ」でできた「輪」である。

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さらに、私の生まれた故郷にある遊佐(ゆざ)町のシンボルもかなり「まんま」で、「ユザ」というカタカナでしかない。

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ただ、新潟県、三沢市、遊佐町のシンボルは「まんま」とはいえかなり図案化されていて、説明してもらわなければわかりにくい。しかし私の故郷である酒田市のシンボルは、まさに「まんま」だった。現在のシンボルは下の左だが、私が住んでいた頃のシンボルはその右である。

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私はこの「さ」というひらがなそのもののシンボルが、とても好きだったなあ。てっぺんが鳥海山で、その下が平らな庄内平野、そしてその下が日本海の荒波ということなんだろう。さらにでんでん太鼓の図案にも似ているし。

 

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2026年6月10日

福島、磐梯の旅から帰った

福島、磐梯の旅から帰った。今回のハイライトは、郡山市立美術家の「北斎・広重大浮世絵展」。行く前の気分としては、「諸橋美術館が休館中なら仕方がない、浮世絵でも見るか。北斎・広重は美術本なんかでずいぶん見ちゃってるけどね」という程度だったが、実際にはかなりの感動モノだった。

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やはり実際の作品は迫力が違う。さらに肉筆作品も展示されていたので、今回は本当に来て見てよかった。

「冨嶽三十六景」や「東海道五拾三次」のシリーズもの、さらに役者絵、芝居絵、怪談物など、あれだけのボリュームをまとめて見ると、この二人の浮世絵師の力量のものすごさがわかる。さらにフランスの印象派画家たちが広重の作品を見て大ショックを受けたというのも、改めて納得できる。

この浮世絵展は 6月 21日までなので、興味のある方は急いで予定を立てるといいだろう。ただし駐車場があっという間に満車になってしまうので、電車とバスがオススメだ。

上の写真は美術館の外観。柳澤孝彦が手がけた建物の外観と庭園の様子である。これを見るだけでも行ってみる価値があるあろう。

 

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2026年2月13日

我が高校の後輩たちによる「酒星劇場」という企画

私の高校(酒田東高校)の後輩たち(現役高校生)が、なかなか粋で素晴らしい取り組みをしている。「"世界一の映画館" を再び酒田の街に!」というものだ。

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「世界一の映画館」というのは、酒田の街にあった「グリーンハウス」という映画館のことである。あの伝説の映画評論家、淀川長治氏が、1963年に雑誌『週刊朝日』誌上で「おそらく世界一の映画館」と絶賛しているのだから、決して勝手に盛った話なんかじゃない。

この映画館について、私はほぼ 10年前の「懐かしのシネサロン」( 2016年 2月 7日付)という記事で、次のように書いている。

私は中学後半から高校時代に至るまで、グリーンハウスに入り浸った。とくに足繁く通ったのは、客席 14席というミニシアター、「シネサロン」 。正確な金額は忘れたが、当時 200円以下の低額で、田舎の一般の劇場では絶対にかからない、ハイブロウな洋画が見られたのである。

この映画館、大画面の劇場のほかにミニシアターの「シネサロン」というのがあり、料金も低額だったので、高校生には本当にありがたいものだったのだ。

私は 10年前の記事で、この「シネサロン」で観た中でも『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』という映画が忘れられないと書いている。かなり前衛的な作品だから、私ってばかなり生意気な映画少年だったのだね。

ただこのグリーンハウスは、ほぼ半世紀前の 1976年(昭和 51年)10月 29日、あの酒田大火の火元となって焼失してしまった。このことについては、10年前の記事で次のように書いている。

映画館 1軒だけではなく、吹き始めていた強烈な冬の季節風に煽られて火は横へ横へと広がり、風下の 1767棟が焼け落ちた。繁華街の中心だったこともあり、私の高校時代までの思い出の街並みが、たった一晩で消え去った。

これって、本当にショックな出来事だった。以来、酒田の街にはハイブロウな映画館がなくなってしまったのである。

あれからほぼ半世紀、後輩たちが立ち上がり、「酒星劇場」(読みについてはこちらを参照)というプロジェクトを展開してくれているというのだから、こんなに嬉しいことはない。次の企画は来月 3月 15日(日)の、『ティファニーで朝食を』『パリの恋人』の上映である。

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(クリックすると、別画面で拡大表示される)

ただ、この企画を運営しているのは地元の高校生だから、お金がない。それで "for Good" というクラウド・ファンディングを活用して予算を作っているのだが、今年はこれを聞きつけた同窓会(我々 46期)が及ばずながら協力し始め、このほど目標金額を超えたらしい。

ちなみに私自身は残念ながら、来月の 15日は前々から欠かせない予定が入っているので参加できない(上映作品はもちろん 2本とも既に観てるからいいけど)。しかし次の企画には、是非行きたいと思っている。

おっと、そういえばグリーンハウス関連ではもう 1本、21年以上も前の「ウッドストック」(2004年 9月 21日付)という記事でも触れているんだった。

 

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2025年10月22日

裏磐梯、諸橋近代美術館のダリ・コレクション

妻と裏磐梯に来ている。珍しく仕事抜きの観光だけを目的とした旅で、裏磐梯で決まって訪れるのは、ダリのコレクションで知られる諸橋近代美術館である。

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今回の展示は「よりみち展~美術のみかたが広がるよもやま話」と称するもので、ダリの作品をアルフレッド・シスレー、ポール・セザンヌなど、様々な作家のものと対比しながら「美術の歴史的な軌跡とその背後にある物語や技法、作家の人間性などを紹介」している。いつもの展示とはちょっと味わいが違う。

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【この画像からのリンクは 11月 9日(日)まで有効】

この美術館はこれまで何度も訪れているが、来る度にそれまで見たことのなかったコレクションに接することができて、ダリという作家の奥の深さを知ることができる。今回はいろいろな作家の作品と対比させながら新しい見方ができた。なかなか得られないチャンスである。

ちなみにこの美術館のティー・コーナーで供されるコーヒーは、めちゃくちゃ旨い。1杯 750円とちょっとお高いが、試してみる価値は十分にある(参照)。それから館内の Wifi の案内には、上の写真のようにダリの独特の髭の形が加えられていて、なかなか凝っている。

 

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2025年8月25日

マグロもイワシも高級魚だったり大衆魚だったり

かの高田渡の歌に『鮪に鰯』というのがある。詞は山之口漠という詩人の同名の詩(参照)で、「鮪の刺身を食いたくなったと/人間みたいなことを女房が言った」という、ちょっと衝撃的(?)な歌い出しだ。

この歌、高級魚のマグロを食いたとは思ったものの結局は大衆魚のイワシに落ち着いてしまったという「貧乏」をテーマにしたものと思っている人も多いのだが、実はもっと社会的なメッセージも秘められている。

それは「死んでもよければ勝手に食えと」「亭主も女房も互いに鮪なのであって/地球の上はみんな鮪なのだ」「鮪は原爆を憎み/水爆にはまた脅やかされて/腹立ちまぎれに現代を生きているのだ」という歌詞に表現されている。

1946年から1958年までの間、米国によるビキニ環礁での原爆・水爆実験の影響で、この付近で獲れたマグロなどが食べられなくなったことがある。1952年生まれの私はほとんど覚えていないが、この歌のメッセージとしてはこっちの方が大きいのではなかろうか。

とはいえ「高級魚/大衆魚」というテーマも確かに織り込まれていて、そこがこの歌の魅力でもある。結局はイワシに落ち着いてしまうという哀しさだ。

高田渡自身がビデオの冒頭で語っている「某反核集会」の主催者は、この歌を単にみっともない「貧乏ソング」と思ってしまったのかも知れないね。あるいは頭のお堅い日共系だったのか。

「マグロなんてその辺の回転寿司でも安く食えるし、スーパーでも気軽に買えるよ」と言う人もいる。マグロにもランクがあり、高級寿司店などで供されるのは「本マグロ(クロマグロ)」と言われるもので、メバチマグロやビンチョウマグロなどは比較的リーズナブルに買えるらしい(参照)。

ただ私は環境問題の視点から「ウナギとマグロは食わないことにする」と宣言している(参照)ので、高かろうが安かろうが別にどうでもいいことなのだがね。

ちなみにイワシの方も最近資源が減ってしまったらしく、結構お高い値段が付いてしまっているようだ。近所の回転寿司では、イワシが供されなくなっているぐらいだし。

 

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2025年6月 6日

メキシコのバンドがビザ差し止めで米公演キャンセル

多くの米国メディアが、メキシコの有名宗教音楽バンドがカリフォルニアでのミュージック・フェスティバルへの出演をキャンセルせざるを得なくなったと報じている。原因はトランプによるめったやたらなビザ差し止めだ。下の画像は HUFFPOST の記事(参照)。

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「宗教音楽」と言っても決して抹香臭いものじゃなく、下の動画にあるようにかなりノリノリでイケるものだ。それだけに米国でのファンも多く、今回の措置には失望が広がっているだろう。

ビザ見直しの理由はどうやら彼らの麻薬カルテルと関連疑惑のようだが、そんなことを言ったら米国人ミュージシャンでも、麻薬でグダグダになっているのは腐るほどいる。もう死んでしまったがフランク・シナトラなんて、今回の措置を考えれば国外追放になっても不思議じゃなかったよね。

どう見てもトランプの差別的な意識が大きく影響しているとしか思われない。彼の政策は世界経済を萎縮させることにつながるが、文化をもつまらなくしてしまうようなのだ。

 

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2025年4月17日

箱根の岡田美術館で「愛と平和の江戸絵画」展

JAPAAAN が "江戸時代の絵画を「愛」と「平和」をテーマに紹介する特別展「愛と平和の江戸絵画」が岡田美術館で開催" というニュースを伝えている。岡田美術館は神奈川県箱根町にあるのでちょっと遠いが、機会が折り合えば行ってみたいものだ。

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記事には「江戸時代は、徳川家康が幕府を開いた1603年(慶長8)から終焉を迎える1867年(慶応3)まで、約260年もの長きにわたり平和の続いた、世界史的にも稀有な時代でした」とある。ただ、江戸時代の絵師たちが「愛」と「平和」をテーマに創作活動を行っていたわけでは決してない。

「愛」と「平和」というのはとても近代的なコンセプトなので、江戸時代の人間たちはそんなことを意識していなかっただろう。ただ、現代に生きる我々が江戸期の絵画に「平和」な雰囲気を感じるのは確かなことだ。

「愛」となると少々むずかしいが、記事には「遊女や贔屓の役者など美しい男女を描いた美人画に限らず、江戸時代には愛する人の存在を直接的、あるいは間接的に描いた作品が数多く制作されました」とある。なるほど、そうした見地から「愛」と「平和」をセットで訴求する取り組みのようだ。

「名所・遊楽から、日常を豊かにする琳派、旅を描いた浮世絵まで」と紹介されており、広範囲の分野の絵が展示されるようなので、かなりおもしろそうだ。個人的には遊楽の絵と浮世絵をたっぷり眺めたい。

この絵画展の会期は 6月 8日(日)~ 12月 7日(日) までとほとんど半年にわたるので、この期間内に箱根の近くまでいく用事ができたら、是非寄ってみたいところである。

 

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2025年4月11日

夏目漱石の直筆原稿発見の話から、いろいろ考えてみた

NHK が昨日付で "夏目漱石「坊ちゃん」などの自筆原稿を発見 奈良天理大学" というニュースを報じている。見つかったのは、『坊っちゃん』の 150枚にわたる自筆原稿のすべてと、『吾輩は猫である』の第十章の 62枚だそうだが、ちょっと嬉しくなる話である。

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同じ明治の文豪、島崎藤村の場合は自筆原稿の拡大コピーしてパネルにしたものが結構出回っていて、私のところにも親戚から押しつけられたのがある(参照)。それに比べると漱石の場合は自筆原稿の保存に無頓着だったらしくて、全集本などでも原稿の写真なんて見たことがない。

で、今回見つかった自筆原稿というのを見ると、島崎藤村の場合と同じ傾向があることに気付いた。それはかな文字が現代の標準と違うということである。

有名な書き出し、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」の太字部分が上の画像にあるが、「か」という文字が現代の「加」という字を崩した平仮名ではなく、「可」という字からきた文字になっている。昔からの「変体仮名」に由来し、今は「異体字」とも称するらしい。

「小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」も、「抜かした」の「た」が「多」を崩した字だし、「事がある」の「が」は「可」を崩した文字に濁点がついたりしている。

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先に触れた島崎藤村の『夜明け前』の生原稿でも、冒頭の「木曽路はすべて山の中である」の「は」の字が「者」という漢字を崩した文字になっている。それでちょっと前は「木曽路をすべて・・・」なんて読むヤツがいた(参照)。

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こうしてみると、明治の文豪は何だかんだ言っても江戸末期から明治初期の生まれだったのだと実感される。かな文字の 1音 1文字原則が一般化される前に読み書きを修得した世代なのだ。

それでもおもしろいのは、原稿用紙の 1マスに 1文字の原則に忠実ということである。スラスラっと流れるような続け文字で書くなんてことはしていない。本になるときは活字なので、編集者が文字数を把握しやすいようにという配慮もあったのだろう。

ところが、そんなことはどうでもいいと思ってる小説家もいた。しかもそれは昭和になってから現れた石原慎太郎という人で、原稿はこんな感じである。

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1マスに 1文字という原則すら無視していて、編集者は本当に困っていたらしい(参照)。「悪筆」と言われていたようだが、当人としては達筆を気取っていたような気がするあたりも「ナンだかなあ」と思ってしまう。

その石原慎太郎も、デビュー作の『太陽の季節』はきちんと読みやすい字で書いている。こんな感じだ(参照)。

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この人、大御所になると傲慢になってしまって、編集者への思いやりがなくなったんだろうね。

 

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2024年12月19日

「忠臣蔵」を知らないのは、今の学生だけじゃない

図書館でボドゲやる人という方が、今の学生は「忠臣蔵」も、お岩さんとお菊さんも知らないということに驚いて tweet されている(参照)。

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ただ、「忠臣蔵」を知らないのは決して今の学生だけではないと思う。大学で歌舞伎論なんて専攻した私はさすがに「忠臣蔵」にはやたら詳しいが、私の同年代(70歳前後)でも「忠臣蔵」関連の知識は驚くほど薄い。せいぜい江戸時代の敵討ちの話という程度にしか知らないんじゃなかろうか。

お岩さんとお菊さんとなると、「恨めしや伊右衛門殿〜」(四谷怪談)がお岩さんで、皿を「一枚〜、二枚〜」(皿屋敷)と数えるのがお菊さんと迷わず言える人は多分半数以下だ。そして「皿屋敷」には播州版と番町版といったバージョンがあると知っている人はもっと少ない。

さらに言ってしまうと、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』という外題は、お岩さんのお話が「忠臣蔵」と関係があるのだよということを暗示している(参照)。というわけで、忠臣蔵とお岩さんが関連付いたところで本題に入ろう。

5日前の 12月 14日が「忠臣蔵の討ち入りの日」だったいうのは、今や常識とも言えなくなった。しかし私より上の世代にとっては当たり前の知識のようで、「山鹿流陣太鼓」というキーワードとともに知っていなければ、三波春夫の「俵星玄蕃」などはチンプンカンプンだろう。

私はこのブログの 5日前の「マルチタスクよりシングルタスクの方が、仕事がはかどる」という記事に、読む人の半分以上が「はぁ?」になってしまうかもしれないとは重々承知しつつも、こんなことを書いている。

ところで今日 12月 14日は「忠臣蔵討ち入り」の日だが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を見ると、途中で勘平が切腹したり、お軽のいる祇園一力茶屋で大星由良助が酔い潰れてみたりと、討ち入りとは直接関係のない筋が盛りだくさんで結構な「マルチタスク」である。

「忠臣蔵」のサイドストーリーである「お軽勘平」のくだりなんてことになると、私の同年代の連中に聞いてもほとんど知らないと思う。知っているのは歌舞伎ファンぐらいのものだ。

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そもそも「大星由良助」にしても、「何それ? 大石内蔵助の間違いでしょ!」と言われてしまいそうだ。ただこれ、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』では「大星由良助」ということになっていて、 詳しくは 14年前の "物語としての「忠臣蔵」と、史実としての「赤穂事件」" という記事で触れてある。

これは歌舞伎や文楽が大きな庶民娯楽であった江戸時代に、コンテンポラリーな事件をそのまま芝居にすることは御法度だったことによる。だから、元禄の御代にあった赤穂浪士の討ち入り事件を、「いえいえ、これは太平記の時代のお話です」という建て前で演じたのだ。

というわけで、「浅野内匠頭」と「吉良上野介」も、歌舞伎ではそれぞれ「塩冶判官」(えんやはんがん)と「高師直」(こうのもろなお)という『太平記』に登場する人物の名前で登場することになっている。

というわけで、歌舞伎を楽しむためには、このあたりの基礎知識(昔は「常識」だったのだが)が必要になってくる。今の学生ばかりでなく、オジサン、オバサンにしても歌舞伎座に行く前に「予習」が必要になってしまうのだ。

冒頭で紹介した tweet の続きには「年末の風物詩『忠臣蔵』は、この先、歴史や文学を学ぶ人しかしらない専門知識となっていくのだろうか」とあるが、それに「歌舞伎ファン」を加えれば残念ながら「その通り」だと思う。

 

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