カテゴリー「旅行・地域」の321件の記事

2023年9月22日

4県で「四国」なのに、7県で「九州」とは?

子どもの頃、「4県で『四国』なのに 7県で『九州』というのは、どうしてなんだろう?」と不思議に思っていた。

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長ずるに及んで、明治以前の九州は「筑前国」「筑後国」「豊前国」「豊後国」「肥前国」「肥後国」「日向国」「薩摩国」「大隅国」という九つの国があったので、「九州」というのだと理解できた。

一方の四国は「阿波国」「讃岐国」「伊予国」「土佐国」がほぼそのまま、徳島県、香川県、愛媛県、高知県になったのでわかりやすい。九州の場合は「筑前国」と「筑後国」で福岡県、「薩摩国」と「大隅国」で鹿児島県になったのに、「肥前国」は佐賀県と長崎県に分かれていて、ちょっとややこしい。

もっとも奈良時代以前は、次の 4つの国しかなかったので、ずっとそのままだったら、「四国」と「四州」になるところだった。

  • 「筑紫国」(後に「筑前」と「筑後」に分かれた)
  • 「豊国」 (同様に「豊前」と「豊後」に)
  • 「火国」 (同様に「肥前」と「肥後」に)
  • 「日向国」(同様に「日向」「大隅」「薩摩」に)

国が分割される時は、都に近い方に「前」、遠い方に「後」という字が付けられた。上の地図を見れば、その原則がしっかり適用されているのがわかる。ちなみに「吉備国」(今の岡山から広島東部)なんかは「備前」「備中」「備後」の 3つに別れている。

さらに細かいことを言うと、昔は対馬が「対馬国」、壱岐島が「壱岐国」という国で、それぞれ今は長崎県と鹿児島県に属しているのだから、それを入れれば「十一州」と言ってもよかったような気がする。ただ、昔から「九州」というのはこの二つの国を含まずに、「メインランド九州」だけだったのだね。

日本の西の方はこうして結構細かく分けられていたわけなのだが、東北ともなると人もまばらな「最果て」だったから、昔は 2つの国しかなかった。日本海側の「出羽国」と、太平洋側の「陸奥国」だけである。それ以上分けても意味がなかったのだろう。

それが分けられたのはなんと明治元年で、「出羽国」が「羽前」と「羽後」に、「陸奥国」が「岩代」「磐城」「陸前」「陸中」「陸奥」になった。太平洋側は 5つに分けられたのだが、日本海側なんてここに至っても 2つに分けさえすればいいということだったようだ。

その後は明治 4年の「廃藩置県」で東北六県になったわけだが、「羽後国」出身の私の性格がかなり大雑把なのは、この辺りに由来しているのかもしれない。

 

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2023年9月16日

二泊三日の強行軍ミッション、終了

山梨県と福島県の 2か所を、自力でクルマを運転して二泊三日で訪問する強行軍の出張ミッションが終了し、無事に帰宅した。走行距離は約 800km。1960年代半ば、『500マイル』(Five Hundred Miles)というアメリカン・フォークソングが流行ったことがあったが、800km は大体 500マイルである。

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若い頃なら何のことなく走っただろうが、70歳を過ぎた身には結構な走破距離だから、さすがに疲れた。ただ、行き先が大阪とか神戸とかだったりしたら阪神タイガースのリーグ優勝騒ぎで大変なことになっていただろうから、まだ東日本の範囲内でよかった。

最初の 2日間は平日だったのでかなり余裕で移動できたが、帰路の今日は三連休初日ということで道路の混雑がハンパじゃなく、休憩を取るにも駐車スペースを確保するのが大変なほどだった。これからは、連休の旅はできるだけ避けることにしたい。せっかくの自由業なんだから。

上の写真は、初日に山梨県を移動する時に撮影した清里付近の谷間の風景。清里まで行けばかなり涼しいと思っていたが、この日の気温は 30℃ 近くになったようだ。9月中旬の高原とは思えない暑さである。

2日目は福島県だったが、さすがに秋雨前線の影響で大雨になることを覚悟していた。しかし屋内で目的の人と会って話している時に土砂降りになったらしいが、それが終わると雨は上がり、結局一度も降られることがなかった。我ながらしぶとい「晴れ男」である。

そして 3日目の今日はピーカンの上天気。ただ、それだけに混雑が酷くなってしまったというのは否めないわけだが。

というわけで、今日の所は早めに寝たいのでこれにて失礼。

 

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2023年7月21日

利尻島の昆布風呂に心が躍る

宣伝臭丸出しみたいな "じろまるいずみ「餃子のおんがえし」(晶文社)発売中🥟" というお名前のユーザーが、「ホテル雲丹御殿。食事がウニづくしなのは予想できたけど、風呂が利尻昆布入りなのは腰抜かしたわ」という tweet をしておられる。実は私、こういうのにかなりそそられるタイプなのだよね。

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写真にあるのは、浴槽の底に見事なまで長々と横たわる全長 4〜5m 以上はあろうかと思われる利尻昆布。いい湯加減で、体までおいしく茹で上がっちゃいそうだ。

私も行ってみたいのはやまやまだが、何しろこの風呂は tweet にもあるように、北海道最北端に近い利尻島の「ホテル雲丹御殿」のものらしい。しかもこのホテル、1年のうちでウニのおいしい 4ヶ月間だけの営業というのだから(そりゃ、冬は誰も行かないだろうけど)、かなりの贅沢というものだ。

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日本の全都道府県を 2度以上訪れて宿泊までしたことのある私だが、実は北海道の道北は「未踏の地」のまま残されている。先月も室蘭に行ったのだが(参照)、旭川、網走を結ぶ線より北と、釧路より東には未だ行ったことがないのである。

亡父が生前、脱サラして北海道産の珍味を商っていたおかげで、私は15歳からは利尻産の絶品昆布で出汁を取った汁と、ウニを食って育った。実に幸運なことだが、ここ 20年以上はあのえも言われぬおいしさから遠離ってしまっている。

生きているうちに、最北の稚内まで是非行ってみたく、そしてそこまで行ったらせっかくなので利尻島に渡って、本場のど真ん中でウニや昆布を味わいたい。しかし今となっては、それが叶う可能性は 5割以下だろうなあ。

何とか奇跡的に、「利尻島ルポ」で 3日間滞在なんておいしい仕事が入らないものか。でも、旅行ルポライターのノウハウなんてないからなあ。

 

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2023年6月12日

北海道の旅には夏でもダウンベストがオススメ

室蘭への旅から戻った。昨日も書いたように時ならぬ地震はあったが、それなりにいい旅だった。ただ、かなりに寒かったのだよね。下の画像は tenki.jp (参照)から拝借したものだが、室蘭はずっと曇りがち(実際の体感としては、雨は降らなかった)で、昨日は最高気温が 16.8℃ にしかならなかった。

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陽射しのある 16.8℃ なら爽やかだが、何しろずっと曇りでところどころ霧さえかかっていたほどで、湿度が高い。さらに風速 4〜5m の風も吹いていたので、関東ですっかり夏の暑さに慣れてしまっていた体は、ゾクゾク震えるほどだった。

さらに、宿泊したホテルの空調が各部屋の個別方式ではなく全館集中管理方式で、モードが冬期の暖房から切り替えられていたので、エアコンからはただひたすら冷たい風が吹き下ろしてくるのみ。仕方がないのでスイッチを切り、ホテル内の温泉で温まったらそのままベッドに入るしかなかった。

今朝になってテレビのニュースを見ると、同じ北海道でも札幌では昨日の最高気温が 24.2℃ まで上がり、旭川なんて 25.7℃の「夏日」になったらしい(参照)。室蘭の 16.8℃ というのは、最北の稚内と同じじゃないか。これだから北海道は、夏とはいえ本当に油断がならない。

というわけで、日本の全都道府県に複数回出張した経験のある私としては、しっかり警戒して防寒対策を講じていたのだった。とはいえ何も大袈裟なものじゃなく、荷物に夏用ジャケットとダウンベストを加えただけなのだが。

今の季節、関東ならポロシャツ 1枚でどこにでもでかけるが、さすがに北海道では夏用の薄いジャケットを着る方がいい。そしてそれでも寒い場合があるから、そんな時はジャケットの内側にダウンベストを羽織るのだ。これでバッチリである。

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上の画像はユニクロの製品だが、2,990円と、昔のダウンウェアに比べたらずいぶん安くなっている(参照)。ユニクロのものに限らず、どれもコンパクトに収納できる(右側の写真クリックで、動画に飛ぶ)ので、荷物の中でもじゃまにならない。

スーツにネクタイが必要というような堅苦しい仕事ではないので、このあたりはありがたい限りである。

 

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2023年6月11日

旅先での地震と「素晴らしき世界」

室蘭市内での仕事を終えて、午後 6時半過ぎにホテルの部屋に戻ると、テレビの NHK BS でニューオリンズの「街角ピアノ」をやっていた。ルイ・アームストロングの曲、"What a Woderful World" に合わせてこちらも口ずさんだりしていると、突然 iPhone がけたたましく地震アラートを鳴らし始めた。

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そしてその一瞬後、テレビ画面に地震情報が現れた。アラートを止めたばかりの iPhone のカメラで咄嗟に写したのが、上の写真である。震源地は苫小牧沖とあるから、かなり近い。気がつくと既に初期微動が始まっていて、すぐに本震の揺れになった。

それにしても最近は、地震の揺れが伝わってくる前に iPhone がアラートを鳴らすばかりでなく、テレビにも地震情報が現れるのだね。自宅ではテレビなんてほとんど見ないので、こんなことは初めて知った。

地震規模はマグニチュード 6.2 というから、決して小さくはない。室蘭は「震度 4」だったが、千歳市などは「震度 5弱」だったらしい。ただ、このくらいの揺れなら「地震慣れ」している多くの日本人はパニクることもなく冷静でいられる。ホテル内でも混乱はまったくなかった。

旅先で地震にあったとはいえ、週末までの天気予報では道南は雨だったのに、来てみれば曇りに変わっており、時々は薄日が射すほどで、「晴れ男」の面目躍如である。ただ、室蘭は寒い。今日も最高気温が 17℃ 以下で、関東で夏の陽気に慣れてしまった体には、ちょっとキツい。

明日は梅雨の真っ只中の関東に戻るが、地震による列車ダイヤの遅れも十分に回復しているだろう。仕事も順調に済んだし、結局は "What a Wonderful World" (何て素晴らしき世界)である。

 

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2023年6月10日

陸路で北海道にやって来た

今日から 2泊 3日で北海道の室蘭に出張だが、今回は思い切って飛行機を避けることにした。午前 10時頃に出発して東北・北海道新幹線で函館まで行き、特急に乗り換えて 19時ちょっと過ぎにめでたく室蘭に到着。下の写真は室蘭の夕暮れ時である。さすが北海道、縦に伸びず、横の広がりが大きい。

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当初は途方もないほど時間がかかると思っていたが、調べてみればせいぜい 9時間足らず。飛行機で千歳空港まで行ったとしても、つくばの地から羽田空港まで行くのに手間がかかるし、待ち時間も含めれば 7時間近くかかるので、その差はせいぜい 2時間ぐらいと、決定的な時間差というわけじゃない。

最近、できるだけ飛行機を控えて鉄道で移動しようと考えている。今年 2月に山陰の鳥取県米子市に行ったときも新幹線と在来線を乗り継いだ(参照)し、ちょっと遡ると、昨年 1月も熊本まで新幹線で行っている(参照)。どちらも 8時間近くかかったが、飛行機を使った場合との時間差は、やはり 2時間程度のものだ。

以前は山陰だの九州だの北海道だのに行くといったら、ほぼ自動的に航空券を予約していた。近頃考えを改めたのは、飛行機での移動は 1人当たりの CO2 排出量が圧倒的に多いということからである。

「お前 1人が陸路に鞍替えしたからといって、飛行機が運行を止めるわけじゃないんだから、意味がない」と言われるだろうが、そんなことは元より承知の上だ。さらにアンチ・エコ派のいう「合成の誤謬」なんてことが急に生じたりはしないから、逆に「心配ないよ」と言ってあげたくさえなる。

というわけで結局のところ、自分の信念に従う方が気持ちがいいので、2時間ぐらい余計に時間がかかるのは厭わないことにしている。さらに似たような考えの人が徐々に増えれば、それなりに飛行機の運航便数が減って、実質的に CO2 削減に役立つかもしれない。

そんなわけで、今日は初めて青函トンネルを潜って北海道に上陸し、ちょっと興奮した。北海道はかなり霧が濃いものの、雨というわけではないので、傘なしで歩ける。

次は四国に行くのに、瀬戸内海を橋で渡りたいと思っている。

ここで話は急に変わるが、私の乗った「はやぶさ 23号」は、盛岡駅で秋田行きの「こまち 23号」と切り離されるので、停車時間がちょっと長くなる。私の座席からちょうど窓越しのホームにガラスで囲まれた「喫煙所」というのが見えたのだが、この停車時間を利用して煙草を吸いに駆け込む人が多いのに驚いた。

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東北新幹線には喫煙車も喫煙室も設置されておらず、完全禁煙(参照)なので、盛岡まで来て我慢し切れなくなるのだろう。自分の隣の席の人がそんな具合で、発車間際に煙草の臭いをプンプンさせて戻ってきたりしたら、イヤだろうなあ(参照)。

どうしてもタバコを吸いたかったら、吸い終わってからすぐに座席に戻らず、ホームで十分に風に当たり、臭いを飛ばしてから戻ってもらいたいものである。

【6月 11日朝 追記】

昨日は羽田空港で 11時頃にタイ航空機とエバー航空機の接触事故があったそうで、それにより、一時的に A滑走路が使えなくなって発着に遅れが出たという。ということは、もしかしたら飛行機で来ていたら陸路より時間がかかったかもしれないね。

 

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2023年5月20日

奈良公園の鹿の「お辞儀」が戻ってきたらしい

そう言えば、今年 3月 15日に奈良公園に行った時、「最近の鹿は愛想がないなあ」と思ったのだった。数年前はこちらが鹿せんべいを買ったと見るや、あっという間に多くの鹿たちがお辞儀しながら群がってきておねだりをしたものだが、今年はそうしたことがあまりなかったのである。

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ところが、MBS NEWS に "奈良の鹿『お辞儀』で見える損得勘定「どのくらい餌がもらえるかでお辞儀回数変える" という記事があるのを見つけ、納得してしまった。うぅむ、そういうことだったのか! 

今年 3月の鹿は本当に愛想がなくて、鹿せんべいを差し出すと面倒くさそうに近付いてきて、テキトーにせんべいを口にするばかりだった。撫で回しても嬉しそうな顔一つしない。下の写真の鹿も、「仕方ないから、食ってやるわ」ってな感じで、「お辞儀」なんてしそうにないのがわかるだろう(参照)。

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MBS の記事によればあの「愛想のなさ」というのは、長らく鹿せんべいをあげる観光客が減っていために、おねだりの仕方を忘れてしまっていたもののようなのだ。しかし最近になって観光客が戻ってきたために、鹿たちも「お辞儀」しさえすれば鹿せんべいがたくさんもらえると思い出しつつあるらしい。

鹿というのも、あれでなかなか現金なもののようなのである。

 

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2023年5月16日

名古屋では、新幹線ホームのきしめんがサイコー!

「おいしいお」というサイトの ”名古屋に行ったら「味噌煮込みうどん」は絶対食っとけ” という記事が話題だ。「世界が変わるぞ」というのである。

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私は 5月 4日の記事でも触れたように羊毛関係の仕事に就いていたことがあるので、日本の毛織物工業の本場である尾州(その中心地はもちろん名古屋)には何度も出張した。そして名古屋の人たちの、出張してきた人間に「名古屋めし」を食わせたがる性癖にはちょっと辟易していた。

彼らはまず、上の写真に君臨する「味噌煮込みうどん」を食わせたがる。「それなら東京でも食べたことがありますから・・・」と言っても承知せずに、「東京の味噌煮込みうどんなんて、本物じゃない。本物の味噌煮込みうどんは、名古屋じゃなきゃ食えないんです」というのである。

というわけで、あまりしつこく勧めるのでしかたなく食う。まあ、決してまずいもんじゃないが、正直言って食いにくいし、わざわざ金を払って食うようなものという気はしない。上の記事に付いている「うどんてよりちくわぶ」というコメントに、「すごく言えてる!」と思ってしまうほどだ。

というわけで、「同じ食べるなら、他のモノを・・・」と正直な思いを伝えると、「はいはい、ほかにもいろいろありますよ」と、さらに名古屋めしのバリエーションを挙げてくる。いわく、「味噌カツ」「土手煮」「ひつまぶし」・・・ その他、覚えきれない何やらかにやら・・・・。

というわけで、出張する度にいろいろな名古屋めしを食わされるのだが、残念なことにどれを食っても「うぅん、せっかくだけど・・・」と思うばかりなのだ。まあ、私のことだからちゃんと完食はするけどね。

ちなみに私は、名古屋の食い物としては「きしめん」は好きである。で、「おいしいきしめんを食いたい」と所望するのだが、名古屋の人たちというのは、よそ者にきしめんを勧めるということにはかなり消極的なようなのである。

「まあ、あれも名古屋の食い物ではあるんですけどね・・・」というような、何だか奥歯に物の挟まったような言い方なのだ。この辺りの感覚は本当によくわからない。

で、結局、出張帰りに名古屋駅の新幹線ホームで、自分一人で「住よし」という立ち食い店の「きしめん」を食う。この店のきしめんのうまさについては、2018年 3月 16日の記事に書いてある通りである。

名古屋に行った人たちの多くが「いろいろなものを食わせられるけど、結局、新幹線ホームのきしめんがサイコー」と言う。かの玉袋筋太郎氏もラジオで同じことを言っていたが、まさに実感というほかない。

 

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2023年4月30日

かつての「点線国道」を、最近は「酷道」というらしい

乗りものニュースというサイトに ”階段にケモノ道…通行困難な "酷道"  実は「あって当たり前」!? 国道なのにショボい道には「理由」があった” という記事がある。世の中には草に覆われた獣道のような「国道」があるという話である。

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上の写真は「酷道」として有名な山口県の国道 491号線で、2台のクルマがすれ違うのが無理な部分が延々と続く。それはこちらの記事に詳しい。

「酷道」と呼ぶに相応しいような「国道」が生まれる理由は、この記事に詳しく書いてある。当初の「計画」がかなり大雑把なものだったために、まともな道にならなかったというのがほとんどのケースのようだ。

ただ、中には昔からあった山道(登山道)がそのまま「国道」として登録されてしまったというのも少なくないらしい。私は登山が好きだったので、そうした道を歩いたことが何度かある。

当時はこうした地図上にまともな道路として標示できないレベルの道を「点線国道」と言ったものである。私はこれを 2014年 10月 19日に"「点線国道」って知ってる?" という記事にしている。

中でも思い出深いのは奥秩父の「雁坂峠」で、当時の登山道と交差した道が「国道 140号線」ということになっていたらしい。ただ、私の記憶から言うと、草に覆われた獣道みたいな様相だった。今はその下に「雁坂トンネル」が開通してクルマでまともに行けるようになっているが。

昔からの登山道のままの状態の旧国道は、はしごで登る道や山小屋のトイレを通り抜ける部分もある。こちらの記事に「便所国道」として写真が載っており、これは今でも健在らしい。

現代人にとってはまさに「酷い国道」ということになるのだろうが、私としてはこうした道をリュック担いで辿るのも、なかなか趣深いことだと思っている。

 

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2023年4月15日

アパホテル、これで 15,000円は「ボリ過ぎ」だろ!

「痛いニュース」に、"【芸人】プラマイ岩橋、宿泊先のホテル価格に「これで15000円!?強気な値段設定やな」ファンも仰天「コレは高い」" という記事がある。プラスマイナス岩橋という芸人が名古屋駅前で泊まったホテル、シングルベッドがやっとという幅のワンルームで 15,000円もしたというのだ。

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コロナ禍以後はかなり減っているとはいうものの、以前はずっと月に 2回は出張して、日本全国のビジネスホテルに泊まりまくった経験から言わせてもらうと、写真のようなシングル・ルームは一泊 6,000円前後が相場(5,000円台が珍しくない)だ。15,000円というのは、いくら何でも「ボリ過ぎ」だろう。

このホテル、一体どこなんだろうと気にかかったのだが、プラマイ岩橋の tweet にも「痛いニュース」の記事にも、ホテル名を特定できるような文言はない。しかし写真をよく見ると、手前のデスクの引き出しにホテル案内のようなものが見えるじゃないか。

この部分を拡大してみると、"APA" の文字があり、その下の何やらマークみたいなものも、アパホテルのマークのようだ(参照)。というわけで、アパホテル嫌いの私としては完全にムッときてしまい、今日のネタにさせてもらおうと思った次第なのである。

実は私、アパホテルに泊まったことが過去に 2度ある。ほかのメジャーなホテルチェーン、例えばスーパーホテルとか東横イン、ルートインなんかには何十回も泊まったことがあることと比較して極端に少ないのは、それだけ「意識的に避けている」(要するにほとんど「ボイコット」)ということだ。

最初に泊まったのは、18年も前の 2005年 8月 11日。京都祇園のアパホテルだった。これは昔の「祇園ホテル」をアパが買い取ったものらしく(参照)、やたら古色蒼然として「カーペットやカーテンも相当くたびれていた」と、12年後の 2017年1月20日の記事に書いている(参照)。

12年も経ってから書いたのは、「南京大虐殺を否定する本」がこのホテルの客室に置いてあるというのが中国で大問題になった(参照)のがきっかけだった。いずれにしても、干支が一回りしても思い出せるほどのヒドさだったわけだ。カーペットなんて湿っぽくてボロボロだったし。

この件を別としてもアパって、やたらモダンな造りのところもあれば、古色蒼然としてオンボロなところもあったりと、「チェーンとしてのイメージの統一性」なんて全然考慮していないみたいなのである。とにかく、「泊まってみるまでわからない」というリスクが大きい。

そして 2度目は一昨年 7月 8日のことで、クルマで長野に出張した時のこと。この時は、駐車場確保に問題がない物件を探したらアパしか見つからなかったので、しかたなく予約したのである。

しかしフロントの女性がめっちゃ不慣れで、単にチェックインするだけでやたら手間取るし、部屋には相変わらずアヤシい本がどっさり置いてあるし、トイレの水の勢いが弱くて難儀するしで、しっかり後悔した(参照)。

それにしても、一泊 15,000円はヒドいなあ。いや、そう言えばそんなのはまだマシな方で、2021年 7月の記事への ハマッコー さんのコメントにもあったように、このホテル、繁忙期にはどうでもいい部屋を平気で一泊 3万円なんて値段につり上げるらしい(参照)。

さらに昨年はコロナ宿泊療養者の食事代の「中抜き」なんてしてた(参照)し、かなり「あこぎ」な企業だよね。というわけで、本当に本当に金輪際、アパには泊まるまいと思っている。

 

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