カテゴリー「旅行・地域」の275件の記事

2021年4月25日

人の少ないところに出かけたい

今日から東京、大阪などの 4都府県に緊急事態宣言が出されたが、昨日の NHK ニュースでは「遊園地には多くの人」と報じられていた(参照)。浅草花屋敷では今日からの休園を前に、駆け込みで訪れた人が多かったようだ(参照)。

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昨日の当ブログの記事で、屋外でのマスク着用は人混みの中でなければ必要ないようだと書いた(参照)が、遊園地は基本的に屋外とはいえ人も多いし、乗り物などの手すりにつかまったりもするから別だろう。敢えてこの時期に子ども連れで行くなんて、ずいぶん命知らずなことだ。

「不要不急の外出は控える」ことが求められているが、かといって、あまり家の中に閉じこもりきりだとフラストレーションがたまる。どこかに出かけたくなる気持ちはわからないじゃないが、その出かける先が百貨店や遊園地の人混みというのは考え物だ。

フリーランスの私にとっては大型連休なんてあまり関係ないので、来月の第 2週以後に人出が一段落したら、どこか人の少ない自然豊かなところに出かけたいと思っている。

人混みは元々好きじゃないのだが、今回のコロナ騒ぎ以降、ますます敬遠したい気持ちが強くなった。今月 11日は本当に久しぶりに福岡に出張したが、敢えてあちこち寄り道をせずに、さっと行ってさっと帰ってきた。出張先がもっと田舎だったらゆっくりしてきたところだが。

そんなわけで、来月は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のサイクリングとか、いろいろ計画している。このサイクリングロードは、筑波山のヒルクライム・コースなどもあって、かなりしんどいほどに楽しめそうだ。

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2021年3月17日

中津川の落とし前、ほぼ半世紀ぶりに付ける

飛騨高山での 2日目は、午前 9時頃から「高山陣屋」を見学。その後すぐに高山を後にして中津川市に向かった。目指すは 1971年まで「中津川フォークジャンボリー」の開かれていた、あの中津川市坂下の椛の湖畔である。

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実は、今回の旅は、一度も訪れたことのなかった飛騨の国の地を踏むということのほかに、もう一つ大きな目的があった。それは中津川の地を訪れて、1971年夏に酷い形で突然幕を閉じてしまった中津川フォークジャンボリーの、「個人的落とし前」を付けるということだったのである。

中津川フォークジャンボリーについては、長くなるので詳しい説明は避ける。知りたければ、Wikipedia のこのページを参照されたい。

このイベントは多分、1970年に開催された第 2回目が最高だったんだろうと思う(Youtube でみることができる)。当時私は山形県の庄内で高校 3年生だった。そして翌年、大学生になった最初の夏休み、意気揚々とギターを担いで中津川に向かったのである。

会場に着いて、サブステージ 3日目への出演手続きを済ませ(当時私はアマチュア・シンガー・ソングライターの端くれだったのだ)、プロのメインステージに熱狂していたのだが、2日目の夜、フォークゲリラによってステージが乗っ取られ、ステージ上では愚にも付かない政治的議論が始まってしまった。

私は自分の出番が消えてしまったので、完全に拍子抜けしてしまい、3日目の朝にさっさと中津川を去った。そしてそのままギターを担いでしばらく京都と大阪を放浪して、ヨレヨレになって故郷に帰ったのだった。

あれからというもの、中津川を訪れる機会なんてまったくなく、私としては 1971年の落とし前の付いていない中途半端な気分をずっと心の底に沈ませていたのである。そして今日、ほぼ半世紀ぶりに花の湖畔を訪れてみると、そこはオートキャンプ場になっていたが、キャンパーの姿はまったくなかった。

ガランとした中でクルマを停め、歩いて行くと、当時のステージが半世紀経った今でも残っているのに驚いた。昨日のようなぐずついた天気だと心が沈んでしまうところだったが、幸か不幸か晴れていたので、思いっきり歩き回った。

そして帰り際に iPhone で岡林信康の『友よ』を流し、一緒に小さな声で歌っているうちに、確実に「うむ、これで気が晴れた。心が軽くなった」という気がした。敢えてわざわざ来た甲斐があったというものである。

というわけで、半世紀ぶりの落とし前が付き、新しい気持ちで生まれ変わることができたというわけだ。明日はつくばの地に帰る。

 

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2021年3月16日

人生初の飛騨の国の旅

今朝、甲府を早発ちして、中央高速で松本に向かい、そこから上高地をかすめて、昼前に飛騨高山に降りて来た。途中、南アルプス、八ヶ岳、諏訪湖などの景色を存分に楽しむ。

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天気予報では昼から雨になるとのことなので、今日はクルマで廻れるところを優先すると決め、すぐに白川郷に向かう。1時前に着くと、さすがに山の中で、傘の必要な降りだ。とはいえ目的は合掌造りの家を訪れることだから、徒歩移動中の雨さえしのげば問題ない。昼飯のそばを食って合掌造り民家園に向かう。

実は私は小学生の頃に図鑑か何かで見た合掌造りの家というのに妙に憧れをもってしまっていて、生きているうちに一度は訪れたいと思っていた。その願いが今日叶ったわけで、結論、大満足だった。私はかなりのフォークロア好きだから、この手のものにはハマってしまう。

合掌造りの家は、入り口に馬小屋があり、その隣に「ベンチャ」という一画がある。これって「便所」で、昔は板を渡した大きな穴の上で用を足し、そのまま家の外から汲み取って肥料にしていたようだ。こういうの見ると、妙に嬉しくなっちゃうのだよね。

二階は蚕を育てるスペースで、その上は屋根裏部屋。どの家も一階奥の仏壇がものすごく立派なことに驚かされる。往時の暮らしが思い浮かべられる。人が少なくてじっくり見学し放題だったのも嬉しくて、いつまでもいたくなるほどだった。

白川郷を後にして、高山市内のホテルに向かう途中、オークビレッジに立ち寄る。この頃には、雨はほとんど止んでいた。今日はスタッフが何かの打ち合わせ会議をしていたようで忙しそうだったので、あまりゆっくりはできなかったが、いろいろな木の製品に見とれる。

高山市内でホテルにチェックインすると雨は完全に止んでいて、傘なしで街に出た。古い家並みを残した一画はとても見応えがあり、フォークロア好きの心を躍らせる。ただ、夕飯を食おうとおいしい手打ちそば屋を探したのだが、軒並み閉店してしまっている。夕方を過ぎて時間が遅すぎたのだろうか。

開いているのは飛騨牛を食わせる店と高山ラーメン(飛騨ラーメン?)の店ばかり。肉を食わない私はどちらにも用がない。

「こりゃ、コンビニでおにぎり買って戻るしかないかな?」と諦めかけたところで、手打ちそばの店の開いているのを 1軒だけ見つけ、寒くなっていたので暖かいきのこそばを食ったら、これがかなり旨かった。「飛騨そば 小舟」という店である。

この店、ちょっとお高いが、昼に白川郷で食ったそばが大したことなかったので、いい口直しになった。次に高山に来ることがあったら、またここで食おう。

ちなみに、上の写真の 3枚は白川郷の合掌造りの家、右下の 1枚は高山市内の古い家並みである。(クリックすると、拡大表示される)

人生初の飛騨の国での夜が更けていく。明日は晴れるというので、またいろいろ寄り道したい。

 

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2021年3月15日

飛騨に向かっている

今年 1月 19日付の "そうだ 飛騨、行こう!" と 21日付の "飛騨行きと「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」" で書いた人生初めての「飛騨行き」を実行に移している。今日クルマでつくばの里を出発し、7年前に礼賛記事(参照)を書いた甲府の「ホテル昭和」に入ったところである。

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首都圏の浮世ではコロナ禍による戒厳令、じゃなかった、緊急事態宣言が解除されていないので、今回の旅はクルマでの移動に徹し、道中も相当に「浮世離れ」したものにするつもりだ。何しろ、つくばから甲府までは高速道路を使わずに、呑気に一般道で 7時間かけてやってきた。

途中、相模湖で休憩したときは、うららかな春の風が心地よかった(和歌ログ参照)。心地よすぎて桜の開花の早すぎるのが心配である。

明日は飛騨の高山に入る。明日の高山の天気は下り坂で午後は雨になるという予報だが、自分の晴れ男振りを信じつつ、なるべく早く到着してあちこち廻ることにしよう。

というわけで明日は早発ちになりそうなので、今日のところはこれにて。

 

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2021年1月19日

そうだ 飛騨、行こう!

昨年 6月 2日に「旅に出ないとカラダがもたない」なんていう記事を書いている。最近のコロナ禍による「出張機会激減」に参ってしまっているのだ。

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昨年の出張を改めて振り返ってみると、こんな具合だった。

1月: 大阪(1泊 2日)、伊豆、横須賀(2泊 3日)
2月: 赤穂(1泊 2日)、大阪(1泊 2日)
3月: 鈴鹿(1泊 2日)、網走(2泊 3日)
(4〜6月 なし)
7月: 浜松(1泊 2日)、加古川(1泊 2日)
(8〜10月なし)
11月: 富山(1泊 2日)
(12月 なし)

初めの 3か月はまだいつものように 月に 2回以上の泊まりがけ出張をフツーにこなしていたのだが、それ以後は激減して、1年間でたったの 9回。例年のほぼ 3分の 1である。

7月に浜松と加古川、11月に富山に行ったものの、時節柄いずれも用が済んだら大した寄り道もせずそそくさと帰って来ただけ。さらに 3月の網走を除けばすべて本州内で、四国と九州の地を踏んでいないばかりか、兵庫県より西には 1度も行っていない。要するにほとんど「近場」だ。

こんなのはこの 30年以上なかったことで、昨年秋頃から口を開けば「遠くへ行きたい」と呟くという、永六輔シンドロームというか、旅の禁断症状に陥っている。

そこで本当に久しぶりに、「出張以外の私的旅行」をしようと決心した。ただ、コロナ禍の中で自分のわがままを通させてもらうわけだから、そこはそれなりに「自主規制」して、"Go to Travel" じゃない旅にしようと思う。

つまり移動には公共の乗り物ではなく自分のクルマを使い、行った先でも(私らしくもなく)なるべく人と親しく接触せず、「孤独なセンチメンタル・ジャーニー」に徹することとする。どうせ夜の 8時過ぎには外食が困難だろうから、コンビニおにぎりなどを積極活用する。

「遠くへ行きたい」という願望からすれば、少なくとも本州を出て四国か九州に行きたいところだが、それだとクルマでの移動に時間がかかりすぎる。そこで「そうだ 飛騨、行こう!」と思い立った。似たようなタイトルのキャンペーンがあるが、京都は何十回も行ったので、もういい。

私は 48都道府県をすべて制覇(「一泊以上」が自主条件)しているのだが、旧律令国で言えばまだ行っていないところがいくつあり、飛騨国(岐阜県北部)はその 1つだ。これについては、2018年の 3月 23日に「何としても飛騨に行ってみたくなった」という記事に書いている。

あれから 3年近く経ってしまったが、今こそこの思いを成就すべき時ではないかと思い至ったのである。これまでの結構長い人生の中で 1度も行く機会がなかったのだから、今行かなかったら一生行けないかも知れないじゃないか。

スケジュール的には、3月下旬にしたいと思う。気持ちとしてはすぐにでも行きたいところだが、クルマでの移動だけに 3月上旬までは雪のリスクがある。しかし下旬まで辛抱すれば現地はぎりぎり早春で、雪は降っても小降り程度で済むだろう。

というわけで、今から楽しみにいろいろ計画している。人と触れ合わない分、飛騨の自然と文化財にはみっちり触れ合おうと思う。

【1月 20日 追記】

最初、昨年の出張は合計 8回と書いてしまったが、11月の富山行きを失念してしまってカウントしていなかった。そこで本日「9回」に修正させていただいた。

いずれにしても、昨年の旅は少なすぎた。

 

 

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2020年11月 7日

ああ、3泊 4日ぐらいの出張に出たい

富山への 1泊 2日の出張から戻ってきた。今週前半ぐらいまでは、6日の富山は晴れのち雨という予報になっていたが、晴れ男の常として晴れのち曇りで済んだ。写真は富山の大通りの奥に見える立山連峰(北アルプスの北端)の姿。昨日付の和歌ログでは、もっとグッとくる山の景色が見られる。

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やはり雪を戴く山の眺めはいい。私は高校 3年まで山形県の庄内平野で鳥海山の勇姿を見ながら育ったから、青い山と白い雪の取り合わせには、心の奥底でひれ伏してしまうところがある。

ところで今年に入ってから 3月まではかなりあちこちに出張していて、振り返ってみるとこんな感じだった。

1月  9〜12日  大阪 (参照 1参照 2

2月 13〜14日   赤穂(参照
      18〜19日   大阪(参照

3月 11〜12日   鈴鹿 (参照
  29〜30日   網走 (参照 1参照 2

なんとまあ、コンスタントに 月に 1〜2回の 1泊出張が入っていたのである。

ちなみに上記の網走出張関連でリンクされる 3月 30日の記事は「日本中ガラガラ」というタイトルで、観光地でもCOVID-19 の影響が色濃かったと伝えている。そしてそれ以後は、下記に至るまで、3ヶ月半にわたって出張が途絶えたのだった。

7月 15〜16日  山梨、浜松(参照
  20〜21日  加古川 (参照

さらに言えば 7月 15〜16日はクルマで出かけたのだが、帰りの東名高速が事故で通行止めになり、どえらい遠回りを強いられるというおまけ付きだった(参照)。そして 21日にちょっと寄り道した京都は、暑くて暑くてまともに動く気にもなれなかった(参照)。どちらも気分的にはあまりよくなかったわけだ。

その後の 8〜10月の 3ヶ月間も、関東圏内のチマチマっとした日帰り出張ばかりで、欲求不満は募るばかり。そしてようやく今回の富山出張にこぎ着けたわけだ。

ところが富山というのは、我が家を出発して上野から北陸新幹線を利用すれば 4時間半の旅程。ビミョーに中途半端なのである。もっと遠ければ 2泊 3日の計画にするが、そこまで遠くはない。かと言って、翌日の夜に帰宅するには道草を食う余裕があるわけでもない。

つまり「行って仕事をして、あとはまっすぐ帰ってくるだけ」ということにならざるを得ず、なまじ遠くに出かけているだけに、かえってフラストレーションを感じてしまう。人生、何事も中途半端はよくないのだ。

というわけで富山から帰ってからは、「ああ、2か所まとめて、2泊 3日の旅がしたい」とか、「四国か九州に 3泊 4日ぐらいで行きたい」とか、ブツブツ呟き続けている。この願いが叶うのは、いつ頃になるだろう。

 

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2020年10月22日

茨城県のイメージが最下位を脱出したらしい

ちょっと旧聞気味で恐縮だが「都道府県魅力度ランキング」という調査で、私の住む茨城県が 8年ぶりに最下位を脱出したらしい。ビリから 2番目になったのかと思ったが、実は岐阜県と並んでビリから 5番目だった。下に福井、佐賀、徳島、そして最下位の栃木の 4県がある。

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こりゃもう、「へえ!」ってなもんだ。8年も最下位をキープしていたのだから、茨城県民には妙な誇りみたいなものまであって、Livedoor News では "「万年最下位に意味がある」「自虐できなくなった」など戸惑いも広がっている" (参照)なんて伝えられている。

実は今日、ちょっとした用があって通称 "TX" の「つくばエクスプレス」沿線、つくばみらい駅というところまで行って驚いた。なんとまあ、そこはちょっと前の東京郊外とか横浜郊外の街作りみたいな様相に変化していたのである。ちょっと前までは畑か山林だったのに、こんな感じだ。

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TX 沿線はもはや茨城県ではなく、バブルの頃の金曜夜 ⒏時台のテレビ・ドラマに登場した「小洒落た住宅街」みたいな感じに変貌してしまっていたのである。いやはや、こりゃもう、茨城県の光景じゃないね。

私の住む住宅地は、約 40年前に引っ越して来た頃は周り中が働き盛りのサラリーマンだったが、いまや年寄りばかりの街に変わってしまっている。道理で道路のクルマの流れがめちゃくちゃトロくなっているわけだ(参照)。

ところが TX 沿線だけは都心方面から流入してきた若夫婦が多く、子どもも増加しているんだそうだ。そんなこんなで、茨城県のイメージも少しずつ変わってきているのかもしれない。

とはいえ私自身も「自虐のネタがなくなった」と、ちょっと淋しい気がしているクチである。

 

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2020年9月 4日

栃木の難読地名

今日は栃木県に出張。本当に久しぶりで国道 294号から国道 4号に入って、宇都宮まで行った。

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昔(我が家の子供たちが小さかった頃だから、30年以上前)は、夏や冬に山形県庄内と妻の郷里である仙台に里帰りするのに、この道をよく通っていた。我が家を夜の 7時過ぎに出発すると、仙台に着くのは真夜中過ぎになってしまうから、かなりの体力勝負だった。

つくばの地から素直に常磐道に乗ってしまうと、当時の終点だったいわき中央インターで降りざるを得ず、そこから東北道の郡山インターまで、国道 49号線という田舎道を延々と西に辿る。この行程は真っ暗な夜道になってしまうだけに、かなりのストレスだった。

しばらくして、国道 294号線で宇都宮の先まで行き、矢板インターから東北道に乗る方がストレスがないとわかったので、常磐道が仙台に延長されるまでは、ずっとこの道を辿っていたのである。それ以来だから、本当に久しぶりだ。

ところで、国道 294号線を辿って栃木方面に向かうと、難読地名が結構ある。上の写真は赤信号で停まった際に撮ったのだが、「益子」は「益子焼」で有名で、「鹿沼」はほとんど問題なく読めるとしても、「上三川」と「真岡」をまともに読める人は少ないだろう。

種明かしをすれば、「上三川」は「かみのかわ」、「真岡」は「もうか」と読む。「もうか」の方は「まおか」の音便だからまだいいが、「上三川」は「はあ?」となる。「かみみかわ」というならならまだわかるが、「かみのかわ」では、どうして「上 - 三川」という表記になるのかさっぱり納得できない。

「今日は一般道を通って宇都宮まで行くんだよ」と言うと、妻が即座に「ああ、あの『もうか』とか『かみのかわ』とか、難しい地名の連続する辺りを越えて行くのね」と応じた。彼女としても、これらの難読地名はよほど印象的で、今でも覚えているもののようだ。

 

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2020年7月30日

「支庁」というものは、北海道に限らない

北海道には「支庁」というのがあるのだが、私はこれについてよく理解していなかった。企業などでは支庁とリンクして「〇〇株式会社網走事務所」とか「空知支局」とか「留萌出張所」とかいうのがあり、よそ者にはなかなかピンとこない。

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ところが北海道の人たちにとってはとてもお馴染みであるらしい。「道北、道央、道東、道南」という 大分類と 14支庁の分類というのは、生活の中でかなり定着しているようだ。

あちこちのサイトで「2009年以後に 14支庁が 9支庁に再編されることが決定された」とあるが、それは廃止の対象となった檜山、日高、留萌、根室の各支庁の反対により実現していないらしい。つまりそれほどまでに、北海道の人たちにとっては生活に密着したものであるらしいのだ。

さらに Wikipedia で調べてみると、意外なことまでわかった。支庁というのは、「都道府県知事の権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に条例により設けられる都道府県の総合出先機関を言う(地方自治法155条)」とされているのである(参照)。

「都道府県の総合出先機関」というのだから、支庁があるのは北海道に限らない。日本のあちこちに「支庁」というのが存在しているのだ。

我が故郷の山形県にも「村山総合支庁、最上総合支庁、置賜総合支庁、庄内総合支庁」という 4つの支庁があるじゃないか。そういえば山形県というのは、昔からこの 4つの地域がしっかりと独自性をもっていて、これを無視しては語れないほどなのだ。

それどころか、東京都にも「大島支庁、三宅支庁、八丈支庁、小笠原支庁」というのがある。さらに、「支庁」ではなく「〇〇地域振興局」とか「〇〇県民センター」なんていう名称になっている府県もあり、まったく一筋縄ではいかない。

よく調べてみると、その地域の歴史的な歩みがうかがわれ、なかなかおもしろいものであるようなのだ。

 

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2020年7月21日

京都は思い通りにならない街

加古川の帰路、少し時間に余裕があったので、京都に途中下車した。JR 加古川駅から京都まで行く「新快速」(JR 東日本でいう「特別快速」に相当するかな?)というのがあったので、それに乗ってみたのだ。

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ほぼ 1時間半かけて 9時前に京都に着くと、私の晴れ男ぶりが強すぎたのか青空が広がって気温がぐんぐん上がり、律儀にマスクなんかしていたら暑くて死にそうになる。そんなわけで、街を歩くときはマスクを外す。

思えば、京都の街には何度来たか知れない。初めて来たのは高校 3年だった 17歳の夏で(もう、半世紀以上経ったのか!)、それからほぼ毎年のように来ている。1年に複数回ということも多いから、多分 100回近く来ているだろう。上の写真は来る度に参拝する東本願寺だ。

京都の次に度々訪れた街は、名古屋である。一時ウール関連の仕事をしていた時に、ほぼ隔月で名古屋で開かれる会議に参加していた。名古屋から岐阜にかけては日本のウールの中心地だが、総合的な見所としては、そりゃ、京都には太刀打ちできない。

初めて京都を訪問した 17歳の夏のことは、5年前に「新幹線特集の番組を見て思ったこと」という記事でちらっと触れたが、ドヤ街に泊まり、チリとドイツから来たというおねえちゃん 2人と意気投合して、あちこち一緒に廻ったのだった。山形県のど田舎の高校生にしてはちょっと得がたい経験である。

外国人と 2日間にわたってべったり付き合ったなんて生まれて初めてのことで、あんなに英語でしゃべりまくったのも初めてだった。「俺の英語って、ちゃんと使い物になるじゃん!」と自信を持ったのはこの時である。ちなみに相手が 1人だったら、そのままどうなっていたかわからないよね。

それにしても京都は暑い。来る度に「もう、夏の京都なんて来るものか!」と呟きながら帰路につくが、どういうわけか今でも、夏に訪れることが圧倒的に多い。夏の次は底冷えのする冬が多くて、「季節のいい春か秋にゆっくり 2〜3日滞在してみたい」と毎回思っても、それはなかなか叶わない。

京都は平安の昔から、人の思い通りにならない街である。

 

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