カテゴリー「旅行・地域」の281件の記事

2021年7月 9日

北陸、信州への旅から帰った

7日の朝に出発したクルマでの北陸、信州への旅から、本日 3時過ぎに戻った。当初の目論見では信濃路をゆっくり楽しんで夜遅くに帰り着けばいいと思っていたのだが、土砂降りじゃないとはいえ雨が降ったり止んだりの不安定な天気だったので、一般道をゆっくり辿って帰ってきた。

210709

晴れ男の私にしては珍しいほど天気がぐずついたが、仕事の内容上、屋外の写真が必要なタイミングではしっかりと上がってくれたので、ギリギリ面目が保たれた。そういえば前に信州で仕事をした時も天気が大変だった記憶があるので、自分のブログを辿ってみたところ、13年前に行っているのだった。

2008年 6月 22〜24日という梅雨時で、自分の書いた記事を読むと、やはり天気にはあまり恵まれていない。ただ、この時は 1日で済む仕事のために贅沢して二泊三日の旅程を組んでいたようで、ずいぶん楽しんだ記憶が蘇ってきた。

初日に善光寺参りをした時には、しっかりと雨が上がっている(参照)が、翌日は長野県内に大雨洪水警報が発令されるほどの大雨になっていた。ただそれでもしっかりと戸隠神社と諏訪神社を廻っていて、アメリカ人ヒッチハイカーのアイザック君を拾って信州蕎麦を食わせたりしている(参照)。

そして仕事の本番の 3日目はしっかりと晴れて、必要な写真はバッチリと撮れたし、木曽街道の宿場巡りもしている(参照)。まあ、晴れ男の面目は果たされたと言っていいだろう。

今回の旅も、アルプスの景色がほとんど見えなかったことと、初日のホテルの印象(参照)を除けば、コロナ禍の中では、楽しい旅ができたと言っていい。必要なタイミングではしっかりと雨が止むというのも、いつものことだしね。

ただ、前回は 二泊三日のうちの 1日(というか、半日)だけが仕事という余裕たっぷりの旅だったが、今回は仕事が 2つ入っていたし、北陸と信州との移動もあったから、時間がタイトだったのが残念だ。信州は何度行ってもいいところだから、次はまた、余裕のあるスケジュールで訪れてみたい。

説明しそびれていたが、今日の写真は千曲川を渡る橋から撮った風景。天気さえ良ければ絶景のはずなのに。

 

| | コメント (0)

2021年7月 8日

「なんだかなあ感」漂った APA ホテルの一夜

2泊 3日の富山、長野出張の第一夜は、APA ホテル。私は 4年前 1月の記事に書いたようなわけで、このホテルは前々からできるだけ避けているのだが、クルマで来ているので、直前に駐車場の広そうなホテルを検索したらここしかなさそうだったため、つい予約してしまったのである。

210708

フロントの女の子が新米らしく、チェックインで余計な手間を取ってようやく部屋に入ると、デスク上のラックに写真のような本が並んでいる。"Apple Town" というのはこのホテルの雑誌らしいが、Mac、iPhone、Apple Watch のユーザーである私としては、ちょっと複雑な気分である。

手前にある『理論 近現代史学 本当の日本の歴史』というのは、「社会時評エッセイ 2020-2021  誇れる日本 日本復活への提言」なんてサブタイトルが付いていて、なんだかスゴい「理論」のようだし、右側のはアパグループ代表 元谷外志雄という人の写真が表紙で、ちょっとアブナそうな印象すらある。

つい怖いもの見たさで ”Apple Town” という雑誌を開いてみると、冒頭記事は「アパグループ創業 50周年記念」と、上の写真左下の本の出版記念パーティの特集記事だ。下のように、ここで祝辞を述べた人の写真も載っていて、まあ、いかにもそれらしい顔ぶれである。

2107082

左下、ウェディングドレス・デザイナーの桂由美さんは話してみればいい人なので、こんなパーティなんかに出なくてもいいのにと思ってしまうが、まあ、だいぶお歳でもあるし、いいか。例の桜田義孝衆議院議員も祝辞を述べたようだが、セリフ間違えずに言えただろうかと心配になる。

さらに言えば部屋のトイレの水の勢いも弱すぎて難儀するしで、設備的にも雰囲気的にも、「なんだかなあ感」の漂う一夜だった。夜が明けて朝食会場で提供されていたコーヒーも、はっきり言ってめっちゃマズかったし。

というわけで悪いけど、このホテルはできるだけ避けようと改めて思った次第である。

 

| | コメント (4)

2021年7月 4日

『おてもやん』の歌詞は、実は凄みがある

いろいろな都合で郷里の熊本に帰っていた妻の親友が、このほどまた関東で暮らすことになり、このコロナ禍が収まったら久しぶりに会う約束をして楽しみにしている。熊本と言えば私も出張で何度も行っているが、「おてもやん」という民謡を思い出してしまうのだ。

熊本市内には「おてもやん像」というのがあって、私も 14年前の出張の時に写真に撮り、下のように和歌ログの記事にしている(参照)。

210742

これ、改めて検索してみると一つだけではなく、市内のあちこちにあるらしい(参照)。おてもやんは、それだけ市民に親しまれているのだろう。

『おてもやん』という歌は印象的なので、最初の方は私も歌うことができるが、かなり濃い肥後弁なので意味となるとよくわかっていなかった。それでこの際だからと調べてみたところ、意外なことまでわかったのである。

ググった結果行き当たったのは、"『おてもやん』は熊本民謡として愛されている! 歌詞の意味が深い?" というページ。一面的な紹介に留まらず、諸説ある部分などはきちんと広く説明してあるので、信頼できると思う。

まずこの歌についてだが、元々は『熊本甚句』という花柳界のお座敷歌だったという。『おてもやん』というタイトルは、そもそも固有名詞(女性の名前)と一般名詞(「下働きの女性」を意味する「テマ」が訛った)の 2つの節が有力らしいが、一般名詞としても肥後の女性全般を指すとの説もあるらしい。

固有名詞としてみると、富永登茂(とみながとも 1855~1935)という女性がモデルであるらしく、この場合は訛って「チモ」と言われることが多いという。それがまた「おてもやん」になったというわけである。

詳しいことはリンク先を読んでいただければわかるが、最も驚いたのは「嫁入りしたこつぁしたばってん/ご亭どんが ぐじゃっぺだるけん/まあだ 杯ゃせんだった」という部分だ。

私は「嫁入りしたことはしたが、亭主がグジャグジャ面倒なことを言うから、三々九度の杯はまだ交わしてない」ぐらいの意味かと思っていたのだが、「ぐじゃっぺ」というのは「痘痕(あばた)で酷い」ということらしい。

亭主の顔に天然痘の痕があって不細工だから、正式には杯をかわしていないというのだから、下手すると差別問題になりかねない歌詞である。というわけでこの部分は、テキトーに流して歌う方が無難なのだろう。

いやはや、思っていたよりずっと凄みのある歌詞である。

 

| | コメント (2)

2021年6月 6日

うどんとそばの文化圏で "もうひとつの境界線"

にゃんこそば さんという方が「うどん屋・そば屋の分布を描いてみたら東日本・西日本の"もうひとつの境界線"が現れた」と tweet しておられる。麺好きの私にとっては、なかなか興味深い話で、かなりの労作でもある。

210606

私としても常々感じてはいたが、麺の世界では「東日本/西日本」という単純な分け方はできないようなのである。日本全国を表示する拡大図は、下のようになる(クリックで拡大される)。

2106062

なるほど、いわゆる「西日本」でも、山陰地方や九州の大分県、鹿児島県にはそばの優勢な地域が多い。一方、東日本でも埼玉県や秋田県にはうどんの優勢な地域が目立つ。秋田の「稲庭うどん」は絶品だしね。

なお、この図は NTT 「タウンページ」をデータ元としているので、そばとうどんの両方を提供する店でも「〇〇うどん店」というような名称だったら、うどんの店としてカウントされている。つまり「店主の裁量次第」というところがあるわけだが、それでも大雑把な傾向はつかめると思う。

何となく、山間部の地方だと「そば文化圏」になってしまうような印象である。「讃岐うどん」を擁するうどん王国の香川県のすぐ隣の愛媛県の西部は山がちなところで、「伊予そば」で知られる。そうかと思うと新潟平野もしっかりと薄緑色で、そば文化圏に色分けされているのはおもしろい。

この図では、わが出身県の山形県は圧倒的にそば文化圏とされていて、帰郷の際には途中でぶっとい田舎蕎麦を味わうのを楽しみにしている。「あらきそば」「原口そばや」「一松」などの絶品そばについては、私もブログで書いている。

ただ、我が故郷の庄内平野ではうどんもしっかりと健闘している。なにしろ「麦切り」なんて名前で、独特のうどんがあるぐらいだ。江戸時代の西廻り航路のおかげで、上方文化が結構入って来ていることも関係があるだろう。

そして日本の全都道府県に旅している私の印象としては、うどんもそばも各地域に独特のものがあって、それを食うのが楽しみだ。同じうどんでも、博多と讃岐ではかなり印象が違うし、5月 31日にとりあげたばかりのきしめん(参照)も、独特の食感で嬉しい。

さらに「ラーメン」という項目を加えると、様相はまたまた変化してくる。富山から日本海に沿って新潟、山形県庄内、秋田、津軽などは、実は「ラーメン文化圏」と言っていいようなのだ。北海道も「札幌ラーメン」「旭川ラーメン」などで知られるように、ラーメンが強い。(下図はクリックで拡大される)

2106063

私の生まれた酒田市もラーメン店だらけで、「三日月」「満月」「新月」など、「月」のついた屋号の老舗が多い。酒田のラーメンは「中華そば」という方がしっくり来るかな。

私としても基本的に麺好きだからラーメンも好きなのだが、近頃は肉を絶っているので、食う店がとても限られてしまっている(参照)のが残念だ。

 

| | コメント (0)

2021年5月31日

頑張れ、きしめん!

東洋経済が "名古屋「きしめん」が絶滅の危機に瀕しているワケ" という記事を紹介している。きしめん好きで味噌煮込みうどんにはちっとも感動しない者としては、「味噌煮込みうどんにご当地料理の座を奪われた」というサブタイトルまで気になってしまう。

210531

昔、ウールや毛織物関連の仕事をしていた頃は、ほとんど毎月のように名古屋に出張していたから、きしめんはよく食べていた。名古屋地元の連中に「それより味噌煮込みうどんを食べてみろ」としきりに勧められ、一度だけ夕食に試してみたがまったくピンと来なかったので、結局きしめんに戻っていた。

「なごやめし」をプロモーションしている方面の方々には申し訳ないが、私としては「名古屋ではきしめん以外に食うものがない」とまで思っている。まあ、何にでも鶏肉が入ってしまうということもあるが、これは肉食を止めるずっと前から思っていたことだ。

それだけに、今回の記事は気になった。「味噌煮込みうどんにご当地料理の座を奪われた」というのは、「そんなの、もってのほか!」とまで思ってしまう。この間の事情を、記事に登場する「市内の麺類食堂店主」は次のように語る。

「きしめんと味噌煮込みうどんを出したときのお客さんのリアクションが違うんです。きしめんは反応が薄いのですが、味噌煮込みうどんのグツツという音とビジュアルに盛り上がるんですよね」

うぅむ、確かに味噌煮込みうどんは目の前に出された時のインパクトが大きい。しかし、はっきり言ってそれだけのことだ。個人的な印象だが、実際に食ってみると「何これ? 決してまずくて食えないってわけじゃないけど、リピートはあり得んわ!」となる。値段だってきしめんより高いし。

インパクトだけのものより、奥の深いものの方がいい。息長く愛することのできるのは、圧倒的にきしめんだ。それだけに、「絶滅の危機に瀕している」というのは聞き捨てならない。

「きしめんは駅ホームの立ち食いが一番おいしい」なんて言われていて、名古屋駅構内のきしめん専門店で食うよりも新幹線ホームの立ち食い店がおいしかったというのは、3年前の 3月に書いた(参照)。ただ、「本当に本当に旨いきしめん」というのはまだ食べていないような気がする。

今はコロナ騒ぎでなかなか旅に出られないが、またあちこちに出張できるようになったら、名古屋では是非この記事で紹介されている "麺類専門店「星が丘製麺所」" まで足を伸ばし、「本当に本当においしい、本物のきしめん」を食べてみたい。

頑張れ、きしめん!

 

| | コメント (2)

2021年5月30日

茨城県の道路交通事情(時代は変わる)

私がつくばの地に引っ越して来たのは今を去ること 40年ちょっと前。先にこの土地に引っ越していた叔父に「隣同士で住もう」と誘われ、半ば強引に引っ張り込まれたのがきっかけだった。別にすすんで茨城に住みたかったというわけでも何でもない。

210530

当時、私はまだ 20代後半という若さで、この辺りの町内会では最年少の世帯主だった。挙げ句に私を引っ張り込んだ叔父が数年後に仕事の都合で田舎に帰ることになってしまい、つっかえ棒を外されたような格好になりながらも、行きがかり上、ほかに引っ越す当てもなくずっと住み続けているというわけだ。

あの頃に還暦過ぎで、町内の主みたいな顔をしていたお歴々はとっくの間に昇天し、代替わりした息子連中や、当時 30〜40代で働き盛りだった親父連中も、今はすっかり「ご隠居さん」である。そしてその子供たちの世代となると、多くは東京のマンションなんかに住んで帰ってこない。

一方で新規に移転してくる家族もあるにはあるが、総じて言えばこの辺りも高齢化の波に洗われている。近所を歩いていて出会うのは、ジイさんバアさんばかりだ。

ところで 40年前といえば、茨城県はクルマの運転が荒いので有名だった。千葉県では「利根川を渡ったら、気をつけろ」なんて言われていたものである。

法定制限速度を 10km/h 程度はオーバーして走らないと、流れをせき止めてプチ渋滞の元となり、不興を買うというのは日本全国共通の実情だ。しかしここ茨城では「制限速度の倍までは出していい」なんて、マジで語られていた。実際、当時は 60km/h ぐらいでフツーに走っていては、後ろから煽られた。

「エラいところに来てしまったなあ」と思い、いつまでも後ろにぴったり付かれるのは鬱陶しいから、左端に避けて先に行かせてやっていたものである。(「20分にわたって煽られた」なんて切々と被害を語る人がいるが、どうしてさっさと避けて追い抜かせてやらないのか、私は不思議である)

しかしそのうちにこの土地のスピードに馴染んでしまったというか、自分まで時々ついスピードを出しすぎて「ヤバ!」なんて思うようになってしまった。風土というのはコワいものである。

ところが最近では、様相がすっかり変わってしまった。クルマの流れがトロすぎて、さすがの私もイライラしてしまうことがしょっちゅうなのである。だって、法定速度 40km/h の道路を、額面以下の 37〜8km/h ぐらいで走るクルマがザラで、登り坂にさしかかると 30km/h そこそこにまで落ちるのだもの。

さすがに多くのクルマはしびれを切らし、対向車の途切れるのを待って次々に追い越していく。私も追い越しながら、渋滞パレードを率いて走る先頭車両の運転席をチラリと見ると、たいていは呑気な顔したジイさんで、たまに、いかにも危なっかしそうなオバサンということもある。

ここまで極端でなくても、総じて道路のクルマの流れは、40年前よりかなり遅くなってしまっている。昔はガンガン飛ばしていた茨城のドライバーも、さすがに寄る年並みには勝てないようなのだ。

この辺りは公共交通機関のインフラが貧弱なので、都会の優等生老人みたいに「運転免許自主返納」なんてわけにもなかなかいかず、よっぽど体の自由がきかなくなるまで、自分で運転せざるを得ない。思えばアブナい話である。

というようなわけで、「時代は変わる」ということをしみじみ感じる今日この頃である。

"Times They Are A Chaingin'" (邦題:『時代は変わる』)by Bob Dylan

 

| | コメント (0)

2021年4月25日

人の少ないところに出かけたい

今日から東京、大阪などの 4都府県に緊急事態宣言が出されたが、昨日の NHK ニュースでは「遊園地には多くの人」と報じられていた(参照)。浅草花屋敷では今日からの休園を前に、駆け込みで訪れた人が多かったようだ(参照)。

2104250

昨日の当ブログの記事で、屋外でのマスク着用は人混みの中でなければ必要ないようだと書いた(参照)が、遊園地は基本的に屋外とはいえ人も多いし、乗り物などの手すりにつかまったりもするから別だろう。敢えてこの時期に子ども連れで行くなんて、ずいぶん命知らずなことだ。

「不要不急の外出は控える」ことが求められているが、かといって、あまり家の中に閉じこもりきりだとフラストレーションがたまる。どこかに出かけたくなる気持ちはわからないじゃないが、その出かける先が百貨店や遊園地の人混みというのは考え物だ。

フリーランスの私にとっては大型連休なんてあまり関係ないので、来月の第 2週以後に人出が一段落したら、どこか人の少ない自然豊かなところに出かけたいと思っている。

人混みは元々好きじゃないのだが、今回のコロナ騒ぎ以降、ますます敬遠したい気持ちが強くなった。今月 11日は本当に久しぶりに福岡に出張したが、敢えてあちこち寄り道をせずに、さっと行ってさっと帰ってきた。出張先がもっと田舎だったらゆっくりしてきたところだが。

そんなわけで、来月は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のサイクリングとか、いろいろ計画している。このサイクリングロードは、筑波山のヒルクライム・コースなどもあって、かなりしんどいほどに楽しめそうだ。

2104252

 

| | コメント (2)

2021年3月17日

中津川の落とし前、ほぼ半世紀ぶりに付ける

飛騨高山での 2日目は、午前 9時頃から「高山陣屋」を見学。その後すぐに高山を後にして中津川市に向かった。目指すは 1971年まで「中津川フォークジャンボリー」の開かれていた、あの中津川市坂下の椛の湖畔である。

2103173

実は、今回の旅は、一度も訪れたことのなかった飛騨の国の地を踏むということのほかに、もう一つ大きな目的があった。それは中津川の地を訪れて、1971年夏に酷い形で突然幕を閉じてしまった中津川フォークジャンボリーの、「個人的落とし前」を付けるということだったのである。

中津川フォークジャンボリーについては、長くなるので詳しい説明は避ける。知りたければ、Wikipedia のこのページを参照されたい。

このイベントは多分、1970年に開催された第 2回目が最高だったんだろうと思う(Youtube でみることができる)。当時私は山形県の庄内で高校 3年生だった。そして翌年、大学生になった最初の夏休み、意気揚々とギターを担いで中津川に向かったのである。

会場に着いて、サブステージ 3日目への出演手続きを済ませ(当時私はアマチュア・シンガー・ソングライターの端くれだったのだ)、プロのメインステージに熱狂していたのだが、2日目の夜、フォークゲリラによってステージが乗っ取られ、ステージ上では愚にも付かない政治的議論が始まってしまった。

私は自分の出番が消えてしまったので、完全に拍子抜けしてしまい、3日目の朝にさっさと中津川を去った。そしてそのままギターを担いでしばらく京都と大阪を放浪して、ヨレヨレになって故郷に帰ったのだった。

あれからというもの、中津川を訪れる機会なんてまったくなく、私としては 1971年の落とし前の付いていない中途半端な気分をずっと心の底に沈ませていたのである。そして今日、ほぼ半世紀ぶりに花の湖畔を訪れてみると、そこはオートキャンプ場になっていたが、キャンパーの姿はまったくなかった。

ガランとした中でクルマを停め、歩いて行くと、当時のステージが半世紀経った今でも残っているのに驚いた。昨日のようなぐずついた天気だと心が沈んでしまうところだったが、幸か不幸か晴れていたので、思いっきり歩き回った。

そして帰り際に iPhone で岡林信康の『友よ』を流し、一緒に小さな声で歌っているうちに、確実に「うむ、これで気が晴れた。心が軽くなった」という気がした。敢えてわざわざ来た甲斐があったというものである。

というわけで、半世紀ぶりの落とし前が付き、新しい気持ちで生まれ変わることができたというわけだ。明日はつくばの地に帰る。

 

| | コメント (2)

2021年3月16日

人生初の飛騨の国の旅

今朝、甲府を早発ちして、中央高速で松本に向かい、そこから上高地をかすめて、昼前に飛騨高山に降りて来た。途中、南アルプス、八ヶ岳、諏訪湖などの景色を存分に楽しむ。

210316

天気予報では昼から雨になるとのことなので、今日はクルマで廻れるところを優先すると決め、すぐに白川郷に向かう。1時前に着くと、さすがに山の中で、傘の必要な降りだ。とはいえ目的は合掌造りの家を訪れることだから、徒歩移動中の雨さえしのげば問題ない。昼飯のそばを食って合掌造り民家園に向かう。

実は私は小学生の頃に図鑑か何かで見た合掌造りの家というのに妙に憧れをもってしまっていて、生きているうちに一度は訪れたいと思っていた。その願いが今日叶ったわけで、結論、大満足だった。私はかなりのフォークロア好きだから、この手のものにはハマってしまう。

合掌造りの家は、入り口に馬小屋があり、その隣に「ベンチャ」という一画がある。これって「便所」で、昔は板を渡した大きな穴の上で用を足し、そのまま家の外から汲み取って肥料にしていたようだ。こういうの見ると、妙に嬉しくなっちゃうのだよね。

二階は蚕を育てるスペースで、その上は屋根裏部屋。どの家も一階奥の仏壇がものすごく立派なことに驚かされる。往時の暮らしが思い浮かべられる。人が少なくてじっくり見学し放題だったのも嬉しくて、いつまでもいたくなるほどだった。

白川郷を後にして、高山市内のホテルに向かう途中、オークビレッジに立ち寄る。この頃には、雨はほとんど止んでいた。今日はスタッフが何かの打ち合わせ会議をしていたようで忙しそうだったので、あまりゆっくりはできなかったが、いろいろな木の製品に見とれる。

高山市内でホテルにチェックインすると雨は完全に止んでいて、傘なしで街に出た。古い家並みを残した一画はとても見応えがあり、フォークロア好きの心を躍らせる。ただ、夕飯を食おうとおいしい手打ちそば屋を探したのだが、軒並み閉店してしまっている。夕方を過ぎて時間が遅すぎたのだろうか。

開いているのは飛騨牛を食わせる店と高山ラーメン(飛騨ラーメン?)の店ばかり。肉を食わない私はどちらにも用がない。

「こりゃ、コンビニでおにぎり買って戻るしかないかな?」と諦めかけたところで、手打ちそばの店の開いているのを 1軒だけ見つけ、寒くなっていたので暖かいきのこそばを食ったら、これがかなり旨かった。「飛騨そば 小舟」という店である。

この店、ちょっとお高いが、昼に白川郷で食ったそばが大したことなかったので、いい口直しになった。次に高山に来ることがあったら、またここで食おう。

ちなみに、上の写真の 3枚は白川郷の合掌造りの家、右下の 1枚は高山市内の古い家並みである。(クリックすると、拡大表示される)

人生初の飛騨の国での夜が更けていく。明日は晴れるというので、またいろいろ寄り道したい。

 

| | コメント (0)

2021年3月15日

飛騨に向かっている

今年 1月 19日付の "そうだ 飛騨、行こう!" と 21日付の "飛騨行きと「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」" で書いた人生初めての「飛騨行き」を実行に移している。今日クルマでつくばの里を出発し、7年前に礼賛記事(参照)を書いた甲府の「ホテル昭和」に入ったところである。

210315

首都圏の浮世ではコロナ禍による戒厳令、じゃなかった、緊急事態宣言が解除されていないので、今回の旅はクルマでの移動に徹し、道中も相当に「浮世離れ」したものにするつもりだ。何しろ、つくばから甲府までは高速道路を使わずに、呑気に一般道で 7時間かけてやってきた。

途中、相模湖で休憩したときは、うららかな春の風が心地よかった(和歌ログ参照)。心地よすぎて桜の開花の早すぎるのが心配である。

明日は飛騨の高山に入る。明日の高山の天気は下り坂で午後は雨になるという予報だが、自分の晴れ男振りを信じつつ、なるべく早く到着してあちこち廻ることにしよう。

というわけで明日は早発ちになりそうなので、今日のところはこれにて。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧