カテゴリー「唯一郎句集 レビュー」の125件の記事

2011年10月21日

『唯一郎句集』 レビュー 番外編1

父の葬儀で久しぶりに多くの親戚に会い、唯一郎直系の親戚にも会った。唯一郎は私の母方の実の祖父で、自由律の俳人だった。私は昨年春まで 一年以上かけて『唯一郎句集』のレビューをやっている (参照)。

彼女にレビューの話をしたら、自宅に唯一郎自筆の句があるというので、急遽持ってきてもらった。60年以上も前の半紙で、シミだらけになっていて、句帳をもたなかった人らしく、落款もないシンプルなものだが、確かに「唯一郎」という署名がある。

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決して達筆というわけではないが、みずみずしい感性を感じさせる繊細な筆致だ。したためられているのは 2句。

落葉を喰う鶏におどろけよ吾児よ

どよもすも秋潮の箒草立枯畑

どちらも 『唯一郎句集』 に収録されている。初めの句は 『唯一郎句集』 レビュー #70 で次のようにレビューしている。

地飼いの鶏が、乾いて細かくちぎれた落葉をついばんでいる。それを見ている唯一郎と息子。唯一郎は鶏が落葉をついばんで食うことに驚いている。

そして、それを何気なく眺めている息子 (私の伯父にあたる) にも少し驚いている。「一緒に驚いてみようじゃないか」 と思っているが、息子はただ無邪気に眺めているだけである。

二句めは句集では表記が 「どよもすも秋潮のほうき草立つ枯畑」 になっている。半紙にあるとおりの表記だと、「箒草、立枯れ畑」 という風に読んでもいいではないかという気になる。 『唯一郎句集』 レビュー #72 では、次のように書いている。

「どよもす」 は 「どよめく」 と共通して、「響き渡る」 という意味。秋の海の波が高くなって、浜に打ち寄せる音も大きくなっている。冬になればさらに海は荒れて、海鳴りがとどろき渡るようになる。

海岸の畑に立つほうき草。ほうき草は、その名の通り、枯れた茎を束ねてほうきにする植物。実は 「とんぶり」 と呼ばれる珍味である。

刈り取る前の枯れたほうき草の彼方に、荒れる海が見えるという、映画のような荒涼とした光景。

親類の家に行けば、もっといろいろな直筆があるかもしれない。

 

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2010年4月25日

『唯一郎句集』 レビュー まとめ

『唯一郎句集』のレビューを本格的に始めたのは昨年の 1月 31日だったから、ほぼ 週 2回のペースで、15ヶ月近くかかって、歌集に載った全ての句の鑑賞をした。長いような短いような、不思議な期間だった。

唯一郎が亡くなったのは終戦直後の 昭和 20年、私の生まれる 7年も前のことである。だから私は唯一郎という俳人についてはほとんど何も知らない。ただ、小学校 3年のときに、1冊の自家発行の句集が我が家に届き、後に、その唯一郎という人は、私の実の祖父だと聞かされただけのことである。

小学校 3年の時にぱらぱらとページをめくった時には、ほとんど何も理解できなかったが、それでも何か惹かれるものをずっと感じていた。その思いが、今頃になってようやくまとまった形になったわけだ。

この句集は多分、13回忌か何かの折りに、追悼句集を出そうという話が遺族の間でまとまり、3年ぐらいの期間をかけて、あちこちに散逸した作品をかき集めたのだろう。なにしろ唯一郎は句帳をもたない人で、全ての作品は「作り捨て」という主義の人だったから、集めるにも苦労したと思う。

だから、句集の中身も一応、年代に沿ってはいるようにみえるが、よく見ると飛び飛びになったり順番が前後したりしているとしか思えないところが多々ある。それにしても、もう少し解説的な部分があってもいいような気もするが、「唯一郎研究」なんてしている人は一人もいなかったから、誰もそんなものは書けなかっただろう。

唯一郎の俳句は作り捨てだったが、この句集も、発行されたはされたが、だからといってそれをよく吟味して読んだ人なんて、ほとんどいなかったのではないかと思う。だが、句集まで作り捨てになるのでは、いかにも惜しい。

というわけで、多分、私のブログが唯一の 「唯一郎研究」 みたいなものだ。それにしても、死後 60年以上経ってからのことで、当時を知る人もいなくなってしまったから、「研究」というレベルまでは行かず、ただ作品のレビューになっただけのことである。それでも、少しは供養になったかもしれない。

唯一郎という俳人は、山頭火のように放浪するでもなく、専門的に文芸の道を進んだわけでもなく、晩年に到るまで平凡な家庭人としての人生を歩んだ。それは父が早死にしたので、家業の印刷屋を継がなければならなかったからでもある。

元々俳句を男子一生の仕事にするつもりはなかったといわれているが、父が早死にしなかったら、もしかしたら東京に出て、文芸人としての道を歩んだかもしれない。そのあたりの心境は誰にもわからない。

ただ、残された俳句をレビューすると、心の奥底に「今の自分の人生は、本来あるべきかたちとは違っているのではないか」という思いがあったと思わせるような句がある。もっとも平凡な家庭人としての道を選んだのは唯一郎自身ではあったのだが。

というわけで、唯一郎の俳句は普通の市井人の日常を読み込んだものがほとんどである。その日常の中に、ぞくりとするような非日常的な要素を僅かに滑り込ませるのが、彼の手法だ。ただ最後にはあくまでも日常に帰る。

青年時代の研ぎ澄まされたような瑞々しい感性が、年を経るに従って段々と文人趣味に近いものに変わっていく。それは市井人としての道を選択した自身にとっての必然だったかもしれないが、その中にも最後まで日常と非日常との間に分裂した思いというのが垣間見られるように思う。

『唯一郎句集』 のレビューとそのまとめは、ひとまずこれでおしまい。

 

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2010年4月24日

『唯一郎句集』 レビュー #123

おまけ第三弾で、ようやくすべての句のレビュー終了だ。というわけで、さっそくレビュー。

鶏肉屋の青い娘が鶏をくゝつて媚を投げる霙の中俺も淋しい男だ

このレビューの 59回目で「鶏肉屋の青い娘が鶏を縊ってはみぞれの中で俺も淋しい」という句をレビューしている。その推敲前の作がこれだろう。

ただ、これがどうして「肉親への情愛」の句なのか、わからないのが悲しい。

潜々泣けばひもじくなつて深夜の餅が俺の前でふくれてくれる

「潜々」は「ひそひそ」と読むのか、それではおかしいから、あるいは「さめざめ」とでも読ませるのか。

「深夜の餅」 とは、あるいは妻のことか。

遠足の児等の一人が泣出す春の山々の光りしづもり

このレビューの 16回目に「遠足の児等の一人が泣き出す春の山々の光しづもり」という句がある。今回紹介する句とほとんど同じだ。

もしかしたら、この 「児等の一人」 とは、自分の息子のことを言ったのだろうか。

大将の死が経つて長男の足袋が色々の光り放つ

「大将」とは父のことで、「長男」はとりもなおさず自分自身のことだろう。父の死後、しばらくしてふと足許をみると、足袋生地が光を反射しているという。生地がすり減るほど、動き回っていたことに気が付くまでに、ある程度の時間が必要だった。

父への情愛を、こんな遠回しに表現する唯一郎。

とりあえず、これで 『唯一郎句集』 に載ったすべての句のレビュー、完了。1年以上にわたる長いお付き合い、感謝。

 

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2010年4月18日

『唯一郎句集』 レビュー #122

おまけの第二弾である。伊藤後槻氏が「唯一郎が肉親に注いだ真実の情を表わす句」として紹介している 11句のうちの 3句なのだが、これがどうして「肉j親に注いだ真実の情」を表すのか、甚だわかりにくい。判じ物みたいである。

藤棚葵となつておろかしく或る夜の俺をつゝいたりして

これはなんとなく想像がつく。藤棚というのは妻を表していて、「葵となつて」 は、源氏物語の葵の上に喩えて、夫の情愛を求めたのだということだろう。

光源氏は葵の上にはなかなかつれない態度をとっていたのだが、唯一郎もそんな感じだったのだろうか。

神馬を叱つた若者の驕りが何やら淋しいものを見つけたのか

「神馬を叱った」というのが、何のメタファーだからわからない。飛騨の伝説に、左甚五郎の彫った神馬が、畑の作物を食い荒らすので、甚五郎がその馬の目をくりぬいたというのがあるが、それと関係があるのだろうか。

「若者の驕り」の「若者」が誰を指すのかもわからない。これは、降参だ。

一ツ一ツ虚偽が割れるので皿の雷魚に拍手する

昔、私も雷魚を食った覚えがある。案外おいしい。しかし、皿に載った雷魚に拍手するのと、虚偽が割れるということの関係がわからない。

これも降参。

こんな難解なのが、本文になくてよかった。

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2010年4月17日

『唯一郎句集』 レビュー #121

18日をもって、『唯一郎句集』 所載の全ての句をレビューし終わったのだが、実は、まだおまけがあった。「唯一郎を憶ふ」というタイトルの後書きを寄稿してくれている伊藤後槻氏が、唯一郎が肉親に注いだ真実の情を表わす句として、11句を紹介してくれているのである。

その 11句は、既にレビューし終えたものと同じ句もあるが、本文に所載されていないものもある。だから、それらをレビューし終えない限りは、完全にレビューしたとは言えないようなのだ。

何度も書いたが、なにしろ唯一郎は句帳をもたない人だったので、句は作り捨てである。だからこの『唯一郎句集』の編纂にあたっては、あちこちに散らばった句をかき集めるのに、かなり苦労した後が偲ばれる。ようやく編纂し終えたと思ったら、ひょんなところからこうして新しい句が現われる。

後槻氏の寄稿が届いた頃には、本文の編纂は終わっていただろうから、付け加えるわけにいかなかったようだ。ちょっとしたドタバタがうかがわれる。

というわけで、おまけの初回は、初期の 4句をレビューする。

父よけふも怒る声せり夜の蔦赤ければ何故頭を垂れ給ふや

唯一郎の父(つまり、私の曾祖父)は、なかなかに豪放な人だったらしい。その息子が文学青年というのもおもしろいが。

父の怒る声のする夜、蔦の葉が赤く染まっている。父のいる部屋をのぞくと、父はなぜか頭を垂れている。映画のような情景。

母を泣かせじとこの春の鯉幟かつぎあげたり

このレビューの #17 で、「母を泣かせじとこの春は身丈の鯉幟をかつぎあげ」 という句を紹介した。ほとんど同じだが、多分、句集に載った句の方が推敲の結果なのだと思う。

「この春の」 の方が趣がある。

弟重患の暁のランプよどの梅の実もしとど濡れたり

同じく #17 で紹介した句とほとんど同じ。句集に載ったのは、「梅の実も」 の 「も」 が省かれている。なるほど、「も」 はない方が切れ味がいい。

「句は作り捨て」と言いつつも、しっかりと推敲もしているところがおもしろい。

猿廻し妻と並んで見下ろしてる残照が尊く引締まつて行く

レビューの #34 に 「老骨の猿曳きがこの國の冬山へ唄ひかけてゆく」 というのがあるが、この時はまだ唯一郎は独身だったので、この句は後の作だろう。

それでも、やはり残照が山を照らす光景で、前の句と共通点がある。酒田では夕日は日本海に沈むから、山が西から照らされる。その光景と猿回しの対照がおもしろい。

妻に対する情感をこのようにそこはかとなくつづった句は、唯一郎にしては珍しい。

これまでのレビューでも、唯一郎の家族思いには何度か触れたが、あまりあからさまな情愛は示さないまでも、心の奥は家庭的な人だったようだ。

 

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2010年4月11日

『唯一郎句集』 レビュー #120

今回が最終ページとなった。つまり、これで『唯一郎句集』のレビューは完了ということである。

「草薙吟行」とあるが、「草薙」は、最上峡にある温泉町。最上川舟下りの発着所にもなっている観光地である。

   草薙吟行三句

うつし身に瀧のひびきつつ人の声鳥の啼く

「瀧のひびきつつ」とある「瀧」とは、白糸の滝のことだろう。街道から望むと最上川の対岸に、白糸のように落ちる滝が見える。

観光シーズンなのだろう。人の声と鳥の声が混じり合う。それでもやはり、滝の落ちるさらさらという音の方が響き勝っている。「うつし身」というのが実感となる。

おほどかはなびらをくみ合わしたるからつゆ牡丹

春牡丹は 4~5月頃に花の時期となるが、草薙のあたりは寒いので梅雨頃に咲くのだろう。しかし、この年は空梅雨だったようだ。

大どかな花びらが組み合わせたように咲いている牡丹を、「からつゆ牡丹」と言っているのが、ちょっとおちゃめだ。「唐獅子牡丹」の洒落だろうか。

雲霧に立つこの山嶺の樹々一列にて

最上峡の辺りは、からりと晴れ上がることが少ない。山並みの上の方を覆うのは、雲なのか霧なのか、微妙な光景だ。

その雲霧に向って、木々が列をなしてのびている。

最終ページのレビュー、これまで。

本来なら最後にふさわしい言葉を添えるべきなのだが、ちょっとした事情があって、それは次回以後にさせていただく。

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2010年4月10日

『唯一郎句集』 レビュー #119

さて、句集はあと 2ページである。さくさくとレビューしてみよう。今日のページは、「小砂川海濱にて三句」とある。小砂川(こさがわ)というのは、庄内浜をずっと北に行き、庄内砂丘のはずれ、つまり鳥海山の西の裾野が日本海に没するあたりで秋田県との県境を越えたところにある海辺の町である。

これといって何もないところだが、私は中学校時代、この小砂川の浜辺までテントを積んで自転車で出かけ、キャンプをしたことがある。

    小砂川海濱にて三句

山裾海に入りて岩となる秋の浪かおり

「山裾海に入りて岩となる」というのは、この辺りの光景を知る人なら 「うん、まさにその通り」 と言いたくなるような表現だ。とはいえ、唯一郎の言葉としてはあまりによくある絵葉書的な気もする。

しかし「秋の浪かおり」で、唯一郎らしさが取り戻されている。視覚から嗅覚への急転換。「なるほど、そうした仕掛けだったか」 と思わせる。

秋なずむ潮騒よ岩鼻の道曲り

真夏の日本海というのは、南からの夏風が日本列島で食い止められるので、浪も穏やかでとても静かな海である。日の当たる縁側に置かれた巨大な洗面器のようなもので、冬の姿とは大違いだ。

ところが季節が進んで、秋になれば少しは高い波も打ち寄せるようになる。「秋なずむ潮騒よ」というのはそんな感覚だ。

「岩鼻の道曲り」というのも、まさに言い得て妙の表現。海を見下ろす断崖の道が急カーブして、突き出た岩の影に隠れている。「あぁ、あの辺りの景色だな」 と、目に浮かんでくる。ピクチャレスクな句だ。

山萱をつかねてゐる家をもち借金をもち

「つかねる」は「束ねる」と書き、「たばねる」とほとんど同じ意味。茅葺きの屋根の家という意味だろう。そうした家をもち、借金をもっているというのは、一体誰のことなのだろう。

借金はあれども、呑気。呑気なれども、借金がある。しかし結局最後のところでは呑気な光景。

本日はこれまで。明日はいよいよ、句集の最後のページである。

 

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2010年4月 4日

『唯一郎句集』 レビュー #118

今日は一気に 2ページ分のレビューをする。2ページ分といっても、1ページに 2句ずつしか載っていないので、4句のレビューである。

まず、見開き右側の 2句。十和田湖、岩手県を旅したときの句のようだ。

  十和田湖行

奥入瀬の山毛樹のむらがりて冷たき唾はき

はて、「山毛樹」というのはどう読んだらいいのだろうと、ちょっと調べてみたら、十和田湖からそう遠くない八幡平に 「山毛森 (ぶなもり)」 という名の山があるとわかった。

そうすると、「山毛樹」 は 「ブナ」 と読むべきなのだろう。ブナの群生する奥入瀬渓谷で、冷たい唾をはいたというのである。凛とした自然の冷たさと、唾を吐く人間の対比。

  好摩駅

ゆふべ草原を目で漕ぎゆく北上は見えず

好摩駅は今は盛岡市内にある駅で、いわて銀河鉄道が走っている。駅から草原を眺めたが、北上川までは見えなかったというのを、「目で漕ぎゆく」 と言っているのがおもしろい。

次に、見開きの左側。

地をぬらし花苗をぬらし玩具の噴水旺ん

子どもたちに玩具の噴水を買ってやったのだろう。子どもたちは大喜びでさかんに水を吹き出す。地面も花の苗も水浸しになる。

その様子を静かに、しかし楽しげに眺める唯一郎。

春の山くろぐろと野火跡の道あり

春の山を麓から見上げると、野焼きの跡が道のように連なって見える。異様なほどに黒々とした跡である。

街育ちの唯一郎には、とても新鮮なもののように見える。

本日はこれまで。あと 2ページで、句集は終わる。

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2010年4月 3日

『唯一郎句集』 レビュー #117

このページに載せられた 4句は、季節的には春から夏にかけてのもので、作風も共通しているので、同じ年に作られたものだろう。とくに意表をつくところもなく、淡々としたイメージの句である。

さっそくレビューである。

この旅のおはりかかはたるる山櫻水の音

「かはたるる」は「彼は誰時(かはたれどき)」の「彼は誰」を動詞化した言い方だろう。芥川龍之介にも 「かはたるる靴の白さやほととぎす」という句がある。「黄昏れる」という動詞が認知されているのだから、「かはたるる」だって当然あっていい。ただ我々が聞き慣れていないだけだ。

「彼は誰時」は、近世では「黄昏(誰そ彼)」の反対で、明け方の薄暗い時を指すということになっているが、本来は明け方でも夕方でもどちらもそう言ったらしい。

そうすると、この句はどちらかといえば夕闇の迫る頃という方がイメージに合うような気がする。旅の終わりの山里で、夕闇に溶けていく山桜を眺めながら、谷川の音を聞いている唯一郎。

ことし蚊帳をつり青萱の匂ひして子らと眠り

その夏初めて萱を吊って寝た夜のことだろう。まだ真夏にはなっていない頃、子供らと横になると、汗もかかず、すがすがしい青畳の匂いがする。

唯一郎の家庭人としての側面が表現されている。

姉妹おのおのの職業をもちマーガレット咲き

ここに登場する 「姉妹」 がどこの姉妹かはわからないが、この当時、姉妹が揃ってそれぞれ職業を持つというのは、なかなかハイカラなことだったのだろう。

そのハイカラさは 「マーガレット」 というカナカナ名前の花が咲いているとしたことで、さらに強調されている。

つばくらよ我家軒深く声かける

ツバメが軒深くまで入り込んで巣を作っている。卵がかえれば雛が口を開けて餌を待ち、親鳥は忙しく行き来する。

ツバメは 「まれびと」 のようなもので、異邦から来たるものではあるが、歓迎される。思えば不思議な存在である。

本日はこれにて。

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2010年3月28日

『唯一郎句集』 レビュー #116

このレビューは連番が振ってあるが、たまたま振り間違いが発見されたので、遡って修正した。そのため、昨日までは 「#113」 だったのが、「#115」 に修正され、今日はいきなり 「#116」 となる。

今日は 「楚子夫人の帰省を迎へ三句」 とある句のレビューである。「楚子夫人」 が誰であるのか、今となってはわからない。なにしろ、「楚子」 (そし) という俳号をもつ人の夫人なのか、「楚子」 (たかこ) という名前の女性なのかもわからない。

まあ、さる女性が酒田に帰ってきたことを題材にした俳句であることに間違いはないのだが。

  楚子夫人の帰省を迎へ三句

薄い染付の鉢へことしも枇杷をのせてくるか

読んで字の如しとしか言いようがない。いつも薄い染め付けの鉢に枇杷を載せて訪ねてきていた楚子夫人が、今年もやって来るだろうということなのだろう。

唯一郎は、楚子夫人を好ましく思っているようである。

擴大鏡で熱心に毛虫を覗いてゐる靴屋の父つさん

これもまた、読んで字の如しである。靴屋の親父が、虫眼鏡で毛虫を覗いている。その様が、なかなか絵になるみたいなのだ。

女住居の裏戸からひと山かけて虎杖の風

「虎杖」はイタドリ、別名スカンポともいう。食用になる。この句では、「こじょう」と音読みするのも風情かもしれない。

楚子夫人の閑居する家の裏から、イタドリの生える山が続く。そこに爽やかな風が吹き付ける。さらさらと葉擦れの音が聞こえる。

本日はこれにて。

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