カテゴリー「言葉」の731件の記事

2023年12月 2日

「新語・流行語大賞」を巡る冒険と寄り道

今年の「新語・流行語大賞」が決定したそうで、年間大賞は阪神、岡田監督の「アレ(A.R.E)」なんだそうだ(参照)。野球というものに興味を失っている身としては、「それが、何か・・・?」という感覚でしかないが、まあ、阪神優勝というのはそれほどまでにビッグな話題だったのだろうね。

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流行語大賞といえば、私は今年 8月 5日に ”今年の流行語大賞はもう、「危険な暑さ」で決まり!” という記事を書いているが、これは見事にフライングだったようで、トップ 10 にも入っていない。その代わりに「地球沸騰化」というのが入っているので、まんざら的外れでもなかったわけだが。

ただちょっとだけ不満を言わせていただけば、言葉の使われた頻度で言えば「地球沸騰化」なんて極々マイナーで、「危険な暑さ」の方が圧倒的だと思うがなあ。でも、まあ、いいか。主催者的には、よりセンセーショナルな言い回しの方が「それらしい」という気がしてるんだろう。

ちなみに TOP 10 には上の画像で示した新語がランクインしている。私はこのうち「新しい学校のリーダーズ/首振りダンス」「蛙化現象」の 2つが初耳だったが、この際だから覚えとこう。とくに「蛙化現象」は一過性の流行語で済ませるのはもったいない普遍性があるだろうから。

そして選考委員特別賞を獲得した とにかく明るい安村の "I'm wearing pants!" だが、これについての「コールアンドレスポンス」みたいという指摘(参照)は、比較文化論的にかなりおもしろいよね。

"Call and response" というのは、無理矢理に訳したら「掛け合い」と言っていいのかな。確かに日本語のパフォーマンスでは、こんな風な観客との掛け合いは発生しない。

ついでと言っちゃ、大御所に申し訳ないが、締めくくりは Ray Charles の "What'd I Say" である。2分過ぎぐらいから、ゾクゾクするようなゴスペル流 ”call and response” に触れることができる。

 

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2023年11月26日

日本人の英語力低下は、英語の歌をやらないからさ

1週間以上前のニュースで恐縮だが、日本経済新聞の「英語力、日本は過去最低の87位 若い世代で低下目立つ」という記事が気にかかってしまった。

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ところがアクセスしてみるとどうでもいいほど素っ気なくて、要するにこんな話だ。

世界的な語学学校運営企業の EF エデュケーション・ファースト(スイス)はこのほど、英語を母国語としない国・地域について 2023年の「英語能力指数」ランキングを発表した。日本は過去最低の 87位。若い世代の英語力低下が目立った。

「これって結構ヤバいじゃん!」と詳細なレポートを探してみたところ、この調査の実施団体である EF EPI(EF English Proficiency Index)の「第2023版 世界最大の英語能力指数 ランキング」というページが見つかった。ここから、全体的なレポート日本の結果のファクトシートなどにアクセスできる。

全体的なレポートでは、サマリーとしていくつかの項目が挙げられているが、今回気になるのは次の 2点だ。

  • 複数の地域で若年層の英語能力の低下
  • 東アジアの英語離れが継続か

「若年層の英語能力低下」という問題は、多くの地域でコロナ禍による一時的な現象とみられているが、日本の場合はそんな生やさしいものじゃない。下の画像のように 18-20歳、21-25歳 の年齢層で 10年以上にわたり低下傾向が顕著で、とくに大学受験生が含まれる 20歳以下が悲惨だ。

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(クリックで拡大表示される)

日本の英語力は順位面で落っこち続けているだけではなく、得点面でも低下しているようなのである。

また「東アジアの英語離れ」に関しては、「より広範な政治的および人口統計学的変化による影響や、教育における西洋文化の覇権を疑問視する人々が増えていることも一因」とされている。何に気兼ねしてかずいぶん奥歯に物の挟まった言い方だが、中国での低下ぶりはどうやら日本ほどじゃない(参照)。

さらに香港は、私の出張体験からしても英語がよく通じる地域との印象があり、ここ 10年ほどの傾向としてもさらに英語力がアップしている(参照)。近い将来の「香港脱出」を覚悟して、語学能力を鍛えている層が多いんじゃなかろうか。

とにかく日本の英語力低下は断トツ気味に目立っており、マスコミの言う「日本の国際化」なんて幻想で、実際は思いっきり「ガラパゴス化」しているとわかる。身近なことで言えばハリウッド映画でさえ、BS で日本語吹き替え版を観る連中が多いらしい。これって、私には信じられないことだ。

さらに最近の若い連中はいわゆる「洋楽」にあまり親しんでいないようだし、ましてや Bob Dylan をそらで歌えるとか、聞いて意味を解するやつなんて見たことがない。

例えばこれとか

これとかね。

本日の記事のタイトルは「日本人の英語力低下は、英語の歌をやらないからさ」と、その気になればツッコミどころたっぷりのタイトルにさせてもらったが、個人的には実感たっぷりなのである。本当に最近の若い子たちって、本場米国のロックや R&B を知らない。

私の若い頃は「まともな音楽」をやろうとしたら アメリカン・ミュージックをコピーするのが近道だったから、バンドをやるにしても、まずは「英語の歌」から入ったものだ。しかし最近の連中は「アヤシげなカタカナ言葉」満載の ”J-Pop" とやらしかやらないみたいなのだね。

これじゃあ、英語の必要性も薄くなるというものだ。ただ実際のところは「英語力」に限らず、「言語力の低下」が問題にされなければならないレベルなのかも知れないね。

 

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2023年10月24日

”「他にやることがない時間」を嫌がらない” って ?

Gigazine の記事なんだが、”クリエイティブな人々は「他にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある” という見出しは、一読しただけでは意味が伝わらない。とにかく曖昧すぎる二重否定で、日本語としても下手くそすぎる。

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他にやることがない」という言い回しは、「ある特定のこと以外にやることがない」と受け取るのが自然だろう。ということは、タイトル全体としては ”クリエイティブな人々は「ある特定の仕事で忙しすぎて、それ以外にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある” というように受け取られがちだ。

となると、「へえ! クリエイティブな人が特定の仕事で時間的に縛られるのを嫌がらないなんて、意外な話だ!」と思ってしまうよね。ところが記事の本文は、いきなりこんなふうに始まる。

忙しいときや仕上げたいタスクがあるとき、「何もやらない時間」をもったいなく感じてしまうことがあります。しかし、クリエイティブな人ほど何もすることがない時間を嫌がらず、退屈を楽しんでいる傾向にあると研究で示されています。

「おいおい、話が逆じゃないか!」と言いたくなってしまう。このムチャクチャな誤解を生じさせるのは、記事タイトル「他にやることがない時間」の「他に」という余計な言葉に他ならない。ということは、まともなタイトルにするにはこれを省きさえすればいい。

クリエイティブな人々は「やることがない時間」を嫌がらない傾向がある

ふむ、これでスッキリわかりやすくなる。あるいは「他に」の代わりの言葉を使ってもいい。こんな具合だ。

クリエイティブな人々は「別にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある
クリエイティブな人々は「とりたててやることがない時間」を嫌がらない傾向がある

他に」を「別に」と言い換えるだけで意味が通じるようになるというのは、ちょっと衝撃的だよね。

ちなみにこの記事の元記事は Taylor & Francis Online というサイトの記事で、タイトルは "Creative Minds at Rest: Creative Individuals are More Associative and Engaged with Their Idle Thoughts" だ。

日本語にしてしまうと、「静止するクリエイティブ・マインド: 創造的な人は怠惰思考とより強く繋がり関わっている」という直接的なタイトルで、「他にやることがない」なんて言い回しは混乱を呼ぶばかりだ。

この記事は要するに「怠惰から創造が生まれる」といった、逆説的だが直感的に理解しやすい真理を語っているわけなんだけどね。

 

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2023年9月30日

草書体というものの厄介さ

筆文字工房さんという方が ”これが「わ」でこれが「り」なの納得できない” と、嘆きの tweet をしておいでだ(参照)。添付された画像を見れば、確かに現代日本人の多くが「なんでこれが『わ』と『り』なんだよ!」と憤慨してしまうのも分かろうというものだ。

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種明かしをすれば、左は「和」、右は「利」の字の草書体。といってもほとんど区別が付かないぐらいのものだが、実際場面では文章の続き具合によって「け」(「介」の字の崩しが多い)の次にこんなようなのが来たら「〜けり」と読んじゃってほぼ大丈夫だったりするので、ある種テキトーなものだ。

実は私、学生時代は江戸期の歌舞伎なんてものを研究テーマにしていたので、こうした古文書の訳のわからない草書体には散々悩まされた。下のようなのをいきなり「読め」と言われても、進退窮まってしまうよね。

たとえ振り仮名がついていたとしても、その振り仮名自体が読めそうで読めないんだから、シェークスピアの英文テキストを読む方がまだずっと楽だ。

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平仮名が誕生したのは漢字を崩した「草書体」というものからというのは、誰もが義務教育で教わることだが、そもそも「草書体」そのものに我々はからきし馴染みがない。そんなわけで、昔の「崩し字」を持ってこられてもお手上げになってしまう。

例えば、下の文字を解読できるだろうか? 昔の手紙などの書文にはよく用いられた言い回しである。

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こんなもので勿体ぶってもしょうがないので種明かしをすると、次のようになる。

  • 右:「有之間敷候」(これあるまじくそうろう)
  • 中:「参上可仕候」(さんじょうつかまつるべくそうろう)
  • 左:「金子預り証文」(きんすあずかりしょうもん)

いやはや、こんなのフツーは無理だよね。とくに右なんて、「有之」で「これある」と漢文の返り点みたいな読み方をさせられた後に続くのが、「〜間敷候」で「〜まじくそうろう」と読ませるなんて、今の常識からしたらとんでもない当て字なんだから、「おいおい、勘弁してくれよ」となってしまう。

今年 8月16日の "江戸の昔と現代では「読み書き」の質が別次元" という記事でも書いたように、「現代の我々なんて、ナマの古文書に関しては落語に出てくる八っつぁん、熊さん程度と言っていい」ということになってしまう。これ、大げさでも何でもない。

せめて、蕎麦屋の看板でうろたえないぐらいの準備はしておこう。解説はこちら

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2023年9月24日

糖尿病の呼称を「ダイアベティス」に変える?

日本糖尿病協会が糖尿病の新しい呼称を「ダイアベティス」としたい旨を公表したというのだが、医師などの専門家たちは「分かりにくく、普及は難しいのでは・・・」と疑問を呈しているらしい(参照)。ちなみに「ダイアベティス」(diabetes)は「糖尿病」の英訳だ。

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記事によれば正式な「病名」と「呼称」とは異なるものらしく、「病名」の変更はいろいろと面倒な手続きが必要なので、とりあえずは「呼称」の変更を進めたいということらしい。

もっとも、医師が患者に診断結果を告げるのに「あなたはダイアベティスですね」と言っても「それ何ですか?」となるに決まってるから、「要するに糖尿病です」と言い直すことになるだろう。ということは、こうした場面ではこの呼称変更はあまり意味がない。

呼称を変えたがっているのは実は既存の患者たちのようで、同協会の調査では患者の 8割が変更を希望しているという。「尿」の字を含む病名が「不潔なイメージを与える」とか「恥ずかしい」とかいうことのようで、要するに「分かりにくくしたい」ってことなのだね。

ただ、私はこの病気にとくに偏見はないので、悪いけど「それって患者側の意識過剰じゃないかなあ」と思ってしまうのだが。

この記事を読んで「ダイアベティス」という呼称から最初に連想してしまったのが「ダイアリア (diarrhea)= 下痢」という言葉なので、個人的にはむしろ「糖尿病」と言う方が、下手すると「うんこ」を思わせるよりずっとマシな気がする。申し訳ないけど。

ちなみに言い出しっぺの「日本糖尿病協会」自身は、団体名を「日本ダイアベティス協会」に変更する用意はあるのだろうか。もし変えたら略称は「日ダベ協」になって、ウェブサイトの URL も "https://www.nittokyo.or.jp" から  "https://www.nichidabekyo.or.jp" に変えなきゃ。

蛇足だが、現在の略称の「日糖協」って、どう見ても精糖業界の団体みたいだよね。さらに「日登協」というのもあり、てっきり登山家の協会かと思ったら「日本登録医薬品販売者協会」ということのようだ。へぇ!

病気とか薬とかの世界って、「分かりにくくしたい」という基本的な潜在欲求があるんじゃなかろうか。

 

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2023年9月12日

「グルメ」は「建て前」で、「グルマン」が「本音」

前々から気にかかっていることに、「グルメ」と「グルマン」の違いというのがある。一般的には「グルメは美食家で、グルマンは大食家」みたいに言われることが多いが、果たしてそれで言葉の起源からしても正しいんだろうか。

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「グルメ」のキーワードで画像検索をしてみると、いわゆる「オシャレなおフランスのお料理」みたいなイメージからはほど遠い結果になる(参照)。上の画像のように大盛りの「丼物」が圧倒的に目立ち、大阪の「たこ焼き」まで上位にある。日本では「グルメの大衆化」が顕著なようだ。

インターネット、雑誌の「グルメ特集」や「ご当地グルメ」などでは、「高級レストランのお料理」より「大衆的でおいしいもの」を取り上げる傾向が強い気がする。「グルメ」で画像検索した結果がこんな感じになるのも当然だ。

言葉そのものとして論ずるなら、「グルメ(gourmet)」も「グルマン(gourmand)」も元々はフランス語である。ところがネット上ではこの辺りから説き明かしてくれる日本語のページがなかなか見つからない。そして悲しいことに、私はフランス語のページを見てもチンプンカンプンなのである。

仕方がないので Merriam-Webster のサイトを覗いてみると、"'Gourmet' or 'Gourmand'?" というタイトルで、この 2つの「英語圏の外来語」の違いがきちんと論じられているじゃないか。さすがに米国で最も信頼される辞書サイトだけのことはある。

いろいろ事細かに書いてあるのだが、煎じ詰めれば "gourmand" という言葉の方が古く 15世紀から使われていて、「飲み食いが好きな人」という意味合いなのだそうだ。一方、"gourmet" は 17世紀頃からの比較的新しい言葉で、「食べ物に批評的な判断を下せる人」というニュアンスが強いとある。

なるほど、そういうことなら「グルメ」という言葉は「食通」みたいなニュアンスが強く、「美食家」と言うのもほぼ正解に近いと言ってよさそうだ。ただし一度商業的に取り上げられてしまうと上の画像のように、「グルマン」との差が限りなく小さくなってしまう。

「グルメ」をマスでこなそうとすると、元々の理念からはビミョーにあるいは大幅に離れて、むしろ「グルマン的」にならざるを得ないようなのだ。これって「建て前と本音」みたいで、おもしろい現象である。

制御するのが難しい欲望の「食欲」に発する分野だけに、人間の「業」を感じさせられるよね。

 

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2023年9月 6日

「英語ができないのは、日本語ができないから」に納得

下の写真は「イオンモールつくば」というショッピングモールの、レストラン街と映画館の入り口近くに設置されていた看板である。「映画を見るなら つくばにオトクにグルメ !!」というのだが、何かの洒落でもなさそうだし「意味不明の日本語」というほかない。

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映画を見るならオトクにグルメ !!」ならわかる。レストランと映画館のコラボ企画だからね。ところがそこに「つくばに」が入ると、途端に「!!」どころか「??」になってしまう。あるいはもしかしたら「つくばオトクに・・・」と言いたいのかなあ。いずれにしても、この看板の日本語感覚はメチャクチャだ。

このメチャクチャな日本語を見て思い出したのが、Q&A サイト Quora の「日本人の英語が上達しない最大の原因は何ですか?」という質問への、元日仏英通訳、Ikeda Koji さんの回答だ。冒頭で敢然とこうおっしゃっている(参照)。

最近気づいた日本人の英語が上達しない究極の原因が、私も含めてほぼ全ての日本人がまともに日本語を話せていないからです。

日本では主語も目的語もないようなやりとりが多いと、Ikeda さんは言う。例に挙げているのは「何を困っているのですか?」という質問の言葉だ。主語がないので、スマホの自動翻訳が機能しなかったというのである。

それを言うなら、「映画を見るなら つくばにオトクにグルメ !!」はもっと訳せないよね。主語も目的語もへったくれもない。

主語云々の問題で言えば、ちょっとしたセレモニーなどでの日本人のスピーチは、複文節になると必ずといっていいほど主語と述語が混乱する。例えばこんな具合だ。

あの時〇〇さん親切に教えていただいたことを忘れません。

断言してもいいが、こんな妙な日本語を口にしてしまって自分で気持ち悪くならないような人は、英語だって決して上達しない。このフレーズ、言うまでもなく次の 2通りのどちらかであるべきだ。

  • あの時〇〇さん親切に教えてくださったことを忘れません。
  • あの時〇〇さん親切に教えていただいたことを忘れません。

ただ、この類いの複文節がらみのフレーズをきちんと言える日本人というのは、実は信じられないほど少ない。私の印象では多分 3割にも満たないほどだ。

こんな具合で、多くの日本人は頭の中で言葉がまともに論理立っていないので、同じ内容を英語にしようとすると、"親切:kind"、"教える:teach"、"忘れる:forget" ぐらいの受験英語的単語を辛うじて知っていても、フレーズとしてまとめることができない。

要するに「英語が苦手」という以前に、日本語も含めての「言語センスが未熟」ってことなんだろうね。

【9月 7日 追記】

せっかくだから、「映画を見るなら つくばにオトクにグルメ !!」を無理矢理英訳してみた。

If you see movies, do gourmet creating benefits for Tsukuba.

もしあなたが映画を見るなら、つくばにオトクをもたらしつつグルメしなさい」と、言葉を補った上でのものなので

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2023年8月31日

「ラーメン」と「柳麺/拉麺」についてのウンチク

東洋経済 ONLINE に近代食文化研究会さん による "ラーメンよく食べる人が知らない「漢字の歴史」” という、とてもおもしろい記事がある。「柳麺?拉麺? 昔はどの漢字が使われていたか」というサブタイトルが、その内容を表している。

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記事によれば東京にラーメンが定着するきっかけとなったのは、「1910年(明治43)年浅草に開業した広東料理店・来々軒」なんだそうだ。これが大好評だったため、他業種のそば屋や洋食店も、大正に入ってからラーメンをメニューに加えるようになったのだという。

來々軒の三代目主人、尾崎一郎氏によれば、広東人コックたちは当初から広東語で「ラーメン」と言っていたという。そして彼の所有している昭和初期のメニューには「らうめん」とあるらしい。

ただ当然ながら問題になるのは、その「ラーメン」が漢字でどう表記されていたかだが、それは「柳麺」なんだそうだ。記事にはエッセイストで画家の玉村豊男氏の『食の地平線』にある、明治 33年に横浜にやってきたという中国人の古老へのインタビューの中から次の言葉を引用している。

“その頃、中華ソバも、たしかにあった。”
“それはラオミンと呼ばれていた。”
“字で書けば、柳麺である。麺の姿が柳の枝に似ているから、そう呼ばれた。”

さらにそれだけでなく、玉村氏は次のような興味深いことも書かれている。

このラオミンは、広東のものである。中国麺食文化の中心である北京の麺が手で引っぱって延ばした “拉麺” であるのに対して、南方の “柳麺” は強い力で圧延してから包丁で細く切る

北方の北京発祥の「拉麺」は、広東の「柳麺」とは別物であり、今の我々の知る「ラーメン」のルーツは広東の「柳麺」の方だいうのだ。ところが記事には "戦後になると、柳麺にかわって、次第に「拉麺」「老麺」という表記が増えるようになります" とあり、その要因を次のように説明している。

拉麺=ラーメンの語源説をとなえ、世間に広めた1人が、1987年に『にっぽんラーメン物語』を著した小菅桂子です。

小菅は拉麺=ラーメン説の根拠となる戦前の資料や証言を提示しておらず、柳麺にはリユウミエンというルビを振っています。小菅は中国の標準語(マンダリン)の発音しか知らなかったようで、マンダリン発音でリユウミエンである柳麺は、ラーメンの語源ではないと考えたようです。

さらに現在の広東料理からはどういうわけか「柳麺」という料理が消えてしまっていることも、要因の一つであるとしている。現在では広東料理に詳しい人たちでさえ「柳麺」というものに心当たりがないため、「拉麺」表記の方が優勢になってしまったというわけだ。

近代食文化研究会さんは『お好み焼きの戦前史』という本のなかで、戦前の横浜中華街において柳麺を食べた人々の証言に基づき、日本のラーメンのルーツ、失われた広東料理・柳麺の在りし日の姿を再現しており、その冒頭部分(これだけでもかなりよくわかる)は、こちらで読むことができる。

 

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2023年8月27日

夏痩せ、夏負け、夏バテ、暑さ疲れ、熱中症 などなど

ふと気付いたのだが、最近「夏負け」という言葉をあまり聞かなくなった。代わって多用されるのが「夏バテ」という言葉で、こちらの方がよりインパクトがある。「バ」という破裂音の効果だろうか。

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夏負け」というのは昔からある言葉で、かの平賀源内が鰻屋のセールス・プロモーション用に「土用の丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」というキャッチフレーズを考案したという説がよく知られる。少なくともこの言葉、江戸時代には一般的だったということだ。

さらにずっと遡ると、『万葉集』に大伴家持の歌で「石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎとり召せ」というのがある。夏痩せには「むなぎ」(「うなぎ」の古語)がいいから、「とり召せ」(摂りなさい)と言っているわけだ、奈良盆地の夏は昔から痩せるほど暑かったのだね。

というわけで、巷間もっともらしく言われる「暑い夏にウナギを食べるのは、平賀源内以後の風習」というのは、「アヤシい以上」のこととわかる。何事も検証というのは不可欠(参照)だ。

ついでに言えば、昔の義務教育では(今はどうだか知らない)『万葉集』の再評価は明治以後のことで、それ以前は忘れ去られていたみたいに言われていたが、江戸時代でもインテリたちは万葉の主な歌ぐらいは知っていたようなのだ。寛永年間に「寛永本」という写本が流布されていたようだし(参照)。

時代はずっと下って「夏バテ」という言葉が登場したのは、養命酒製造の月刊「元気通信」の「夏バテの雑学」(2014年 9月号)によれば「昭和 30年代の高度成長期の頃」であるらしい。昔は「バテる」なんて言葉はなかったから、比較的新しい言い方というのは間違いない(参照)。

しかし昭和 30年代なら、「夏バテ」と言ってもまだまだ生やさしかったような気がする。それからさらに半世紀以上経った今夏は、より具体的な表現として「暑さ疲れ」というのをよく聞くようになった。先日もラジオ・パーソナリティが「もう、『暑さ疲れ』も限界」なんて言っていたし。

体に蓄積した「ぐったりするような疲労感」をシリアスに表現する言葉として、かなりの実感がこもっている。そしてこれがさらに即物的・具体的になると、「熱中症」ということになり、こうなると洒落にならない。そしてこの夏は私の周囲でも、熱中症になってしまったという人がかなり多い。

かく言う私自身も 6月 17日付で ”熱中症」ってやつになりかけたかも” という記事を書いたが、後で思い返すと、あれは「なりかけた」どころか、既に「熱中症そのもの」だったようだ。ひどいだるさと眠気から回復するのに 3日かかり、その後もしばらく本調子には戻れなかったのを覚えている。

いずれにしても今年の暑さは 9月末までは続きそうというのだから、あと 1ヶ月、くれぐれも体調に気を付けて乗り切らなければ。

 

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2023年8月21日

ウィンドウを閉じる際の「×」ボタンというもの

Gigazine に "ウィンドウを閉じる「×」ボタンはいつから使われるようになったのか?" という記事がある。Windows PC だけでなく Mac でもウィンドウを閉じる時には「×」ボタンをクリックするのだが、どうしてこうなったのかというのは、私もかねてから不思議に思っていた。

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これ、元記事は Medium.com の "X to Close The origins of the use of [x] in UI design" という記事である。見ればわかるように、タイトルは「×」の代わりにアルファベットの ”X” がを使っている。英語では「×」印は「記号」というより「画像」なので、テキスト化できないのだね。

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日本語では「〇×式」なんて言葉があるように、「〇」と「×」は「正・誤」的な概念を意味する記号として認知されているが、欧米ではむしろ見た目の感覚から、「〇: ポワンと広がった空っぽ」「×: そのものズバリの的中」みたいな感覚のようなのだ。

ATTEND のサイトの「英語サイトで気を付けておきたい記号【〇×-】」というページには次のようにある。

よく聞く話でゲームのコントローラに使われる「〇」「×」
日本では「〇」は決定、「×」はキャンセルのボタンとして使われますが、欧米では逆で「〇」がキャンセル、「×」が決定ボタンとして割り当てられています。

というわけで、Windows や Mac でウィンドウを閉じる際に「×」ボタンをクリックするというのは、かなり異例のことなのだ。

Windows で「×」ボタンが登場したのは、Windows 95 からだったという。つまり 1995年以前はそうじゃなかったわけで、そう言えば、私が初めて購入した PC の OS は Windows 3.1 だったが、下のようなインターフェイスで、「×」ボタンではなく「ー」ボタンでウィンドウを閉じていた。

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何だか懐かしい感じがしてしまうが、これって「ー(マイナス)」で開いてるウィンドウを減らすってイメージだったんだろう。さらに Mac で「×」ボタンが登場したのは、1999年の OS X 以降なのだという。意外なことに、この点では Mac の方が後追いだったのだ(「追記」参照)。

そして「×」ボタンでウィンドウを閉じることにしたシステムの元祖は、この記事によると 「1985年に Atari が発売した Atari ST シリーズ向けのOSである Atari TOS なのだという。

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これはについては「Atari が日本文化を借用した一例かもしれない」と言われているらしく、記事には次のようにある。

Atari という社名自体は囲碁の日本棋院初段者である創設者のノーラン・ブッシュネルが囲碁用語から取ったとされており、「×」=「閉じる」という概念もまた日本の価値観に由来している可能性がある

私は「×」ボタンで閉じるということに前々から「ここだけ何だか和風っぽいよなあ」と感じていたのだが、その感覚はどうやら「当たり」だったようなのだ。日本文化は PC の世界の意外なところに入り込んでいたのだね。

【追記】

Mac の場合は、通常は赤・黄・緑のボタンだけだが、カーソルを近づけた時だけ「×」印などが表示される。「後追い」の分だけ、ビミョーに凝って芸が細かいよね。

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