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2019/12/09

カタカナ英語を巡る冒険 その 4: 発音記号というもの

「カタカナ英語を巡る冒険」というタイトルで書き始めたらなぜかハマってしまって、せいぜい 2回で終わるつもりだったのに 4回目になってしまった。今回は一応の締めくくりとして、「発音記号」というものについて触れておこうと思う。

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「発音記号」という言葉でググってみると、"英語の発音をよくしたいなら「発音記号」を覚えよう” といった類いのページがどっさり検索され、私もそれについては基本的に賛成だ。とくに中学校時代は新しく学ぶ単語の発音はほとんど発音記号で覚えたので、「とても便利でありがたいもの」というイメージがある。

こんなにも便利な発音記号なのだが、中学校の英語教育では驚くほど軽視されているようで、昔から今に至るまで、誰に聞いても「授業でまともに教わった覚えがない」と言う。実際、私の知り合いでもほとんどが発音記号なんてチンプンカンプンのようなのだ。実にもったいない話である。

確かに私も、昨日の記事で触れた「上野先生の英語塾」以外ではまともに教わった記憶がない。中学校の英語教師は「カタカナ発音」よりひどい「ひらがな発音」だったから、発音記号は「タブー扱い」でほとんど触れなかった。下手に触れたりしたら、自分の発音がいかにデタラメかをさらけ出すことになる。

というわけで同級生の多くが、英語の教科書にカタカナで振り仮名を振っていた。私は「カタカナで単語を覚えたりしたら、英語じゃなくなっちゃう」と認識していたので、決してそんなことはしなかったが、多くの場面で「カタカナ」は英語を覚える際の簡便な道具となっていたようなのだ。

で、当然にも、こうした悪循環に陥る。

まともな発音ができる英語教師が少ない

教師は教育現場で発音記号に触れたがらない

生徒が発音記号を覚えない

仕方がないのでカタカナに頼る

発音がカタカナ式で固定される

英語をカタカナで覚えた生徒でも教師になれてしまう

(最初に戻る)

こんな感じで、日本の「カタカナ英語」は「抜きがたいもの」として固定化されてしまったのだろう。古代においてモロコシの漢文をそのまま理解しようとせず、読み下すのに「返り点」なんかを駆使して言葉の順序をひっくり返したりした結果、中国語とは別物になってしまったような現象が、近代において英語でも発生してしまったのだ。

というわけで、日本人の多くが "read" も "lead" もカタカナで「リード」としか認識しないカラダになったので、「日本人は "R" と ”L” が区別できない」というのが国際常識となり、"Apple" が 「アップル」、"McDonald's" が 「マクドナルド」という、似ても似つかない発音に固定された。 

当時の英語の試験で、「次の単語のうち、下線部の発音が他と異なるものはどれか」なんて問題がよく出た。「次の単語のうち」というのは、例えば

"1. urban, 2, arm, 3, earth, 4. early"   なんていうようなものだ。

私は「自分では 4つともまったく同じように『アー』としか発音できない教師が、どうしてこんなのをいけしゃあしゃあと出題できるんだろう? 」と、不思議でしょうがなかった。教師は「自分でできないこと」を、平気で生徒に要求するのである。

あまりにも腑に落ちなかったので、ある時「先生はどうやって区別しているの?」と聞くと、「発音記号を見ればわかる」なんて言うのだった。ということは、発音記号に【ǝ:】【ɑ:】という違いがあると認識しても、その違いが自分自身の発音にまったく反映されていないことに、いささかの気持ち悪さも感じないで済んでいるらしい。

「本音と建前」を使い分ける、ある意味「便利な」日本流文化というのは、英語試験にまでしっかりと浸透している。

ちなみに私はつい最近まで、「発音記号」というのは日本独特のものなのかもしれないと思っていた。というのは、英英辞書や米国の辞書を見ると、見慣れた発音記号とは別のシステムで発音が示されているのである。例えば、こんな感じだ。(写真は "Oxford English Dictionary")

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改めてググってみると、Wikipedia の「発音記号」の項に次のようにある。

既存のアルファベット(通常はラテン・アルファベット)を基本にして、不足する字は文字の変形やダイアクリティカルマークの付加によって補うもの。この方法は現在もっともよく行われており、なかでも国際音声記号 (IPA) が広く用いられている。

(中略)

日本で出版される英語辞典は国際音声記号またはそれを多少変更・簡易化した記号を用いるのが普通だが、アメリカの英語辞典はそれとは大きく異なる発音記号を用いることが多い。

へえ、そうだったのか。英語の発音記号にもいろいろなバージョンがあるのだね。それでもまるっと覚えちゃえば、カタカナ英語にはならずに済むのだが。

 

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2019/12/08

カタカナ英語を巡る冒険 その 3: 中学校の英語教育

「カタカナ英語を巡る冒険」シリーズ 3回目として、自分自身がカタカナ英語にならずに済んだという幸運に感謝しつつ、その経緯をまとめたいと思う。

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今から 15年も前の 2004年 10月 25日に、"「地震」「英会話」「プラモデル」の三題噺" という記事を書いている。一昨日の記事でも書いたように、私は 1964年、小学校 6年生の時に「新潟地震」に遭っている。その地震の救援物資としてもらったのが、なぜかその年の東京オリンピックを当て込んだ英会話教材の「ソノシート」ってやつだった。

どうして「地震の救援物資」が英語教材なんだかさっぱりわからないが、ともあれたまたま巡り会ったソノシート教材のおかげで、私は小学校 6年生で録音されたネイティブの発音を真似て、英語の初歩は身に付けてしまったのだった。そして中学校時代は上野先生という素晴らしい先生の英語塾に通い、さらに磨きをかけることになる。

その頃には、ビートルズやボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーなどの英語の歌を、それぞれの歌真似(訛りまで再現して)で歌えるようになっていた。帰国子女ってわけじゃないが、耳が良かったのか英語の歌はスルリと真似できたのである。

中学校 3年の修学旅行の際には東京タワーで出会ったアメリカのオバチャンと、割とスラスラ会話ができてしまった。この辺りのことは、11年前に "英語の授業と東京タワー"という記事に書いている。

そのオバチャンが後日、米国からプラモデルを送ってくれたので、15年前の記事のタイトルになったわけだ。そして何と、最近ふと思いついてググってみたら、あの時のソノシートと同じもの(上の写真)が オークションにかけられ、500円で落札されているのを発見してしまった(参照)。

この懐かしいデザインのソノシートが、英語を学ぶそもそものきっかけとなったのだから、個人的には 500円では「安過ぎ」と思うほかない。ただ「オリンピック・レコード集」というタイトルでは、「オリンピック記録集」ってことになっちゃうのが痛恨だよね。

こうして小学校 6年でネイティブの発音を身に付けてしまった私は、中学校に入学すると英語教師のムチャクチャな「カタカナ発音」に仰天してしまった。いや、あれは「ひらがな発音」と言う方がいいかもしれない。実際の英語を知らないからこそ、あれで恥ずかしげもなく英語教師でございますと言っていられたのだろう。

中学校時代に英語で苦労したのは、試験で 100点を取ることではなく(100点以外取ったことがない)、授業のリーディングの際に「(心ならずも)なるべくカタカナ発音で読む」ということだった。ともすれば自然に英語らしい発音になってしまうのだが、それだと教師の不興を買って妙な言いがかりを付けられるのだからたまらない。

その教師がある日の授業で動名詞と不定詞の用法に関し、あろうことか「"I stopped reading." と "I stopped to read." は同じ意味」と言い出した(記事末尾参照)。これにはさすがに堪忍袋の緒が切れてしまい、「英語の教師のくせにデタラメを言うもんじゃない!」と、猛然と抗議した。

彼は授業の最後まで自分の間違いを認めず、「お前は生徒のくせに生意気だ」なんてことまで言い出した。これで完全にブチ切れた私は生意気ついでに、「職員室に戻って『指導要領』の『不定詞の副詞的用法』という項目を読んで出直さないと、このまま一生恥かくことになるぞ!」と言ってやったのだった。

2〜3日後に彼は「よく調べたら、お前の方が正しかった」と、こっそり内緒話のように言ってきた。当日中には理解できず、そのくらい時間がかかったようなのだ。「それは授業中にみんなの前で言ってくれ」と申し入れたのだが、それについてはトボけ通されてしまった。彼は人生で出会った中で、最も尊敬に値しない教師の一人である。

というわけで、私にとって「カタカナ英語」というのは田舎の中学校の英語の授業を蘇らせる「悪夢」でしかなく、耳にするだけでストレスなのである。


【言うまでもないことながら、念のため】

I stopped reading the book.  (私は本を読むのを止めた)

I stopped to read the book.  (私は本を読むために立ち止まった)

"Stop" という動詞では、動名詞と不定詞が同じ意味にならない。

 

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2019/12/07

カタカナ英語を巡る冒険 その 2: 「英語アナウンス」と言っても

下の写真は昨日京都から帰ってきた際の、新幹線特急券である。今どきは特急券も自動販売機で購入できて座席だって自由に選べるから、いつも「4号車 13番 A席」にしている。

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4号車はいつも比較的空いていて、13番はとくにガラガラ。隣の B席(3列シートの真ん中)なんてさらに埋まりにくいから、余裕たっぷりに乗車できるのだ。数字で縁起を担ぐ人って少なくないので、JR の窓口でも「4号車 13番」は積極的には売りにくいのだろう。

おっと、昨日の「英語を巡る冒険」の続編を書くつもりだったのに、いきなり横道に逸れかけた。今日は新幹線のナマ英語アナウンスの中身が、いかに「どーでもいい」ものかを考察する。

英語アナウンスは、例えば次は京都に停車するケースだったら、お約束の日本語アナウンスに続いてすぐに、次のように流れる。

We are stopping at Kyoto station.  The door on the left side will open.(次は京都駅に停まります。左側のドアが開きます)

要するにこれだけ。たった二言なのだよ。しかも外国人には英語と気付いてすらもらえないレベルのカタカナ英語なのだから、昨日の記事の画像として使用させてもらった朝日新聞のビデオニュースの「新幹線で肉声英語のアナウンス」なんて見出しさえおこがましい程度のお話だ。

次の停車駅なんて、昔からドアの上の電光掲示板に日英 2カ国語で何度も表示されるし、どちらのドアが開くかなんて、少なくとも私は気にしたことがない。停車したら開いた方のドアから降りればいいだけの話なのだから。

上述のビデオニュースのタイトルは "新幹線で肉声英語のアナウンス” に続いて ”流暢でなくても好評" となっているが、こういうのを世間では「提灯記事」というのだ。ある意味、流暢じゃないからこそ、必要以上に大きな変化に見えているだけなのだろう。フツーにしゃべればフツーの話でしかないのに。

一方、昨日の記事の最後で紹介した文春オンラインの記事は "東海道新幹線の英語アナウンスは逆効果? 問われる「英語の質」" と疑問を投げかけている。ただ、サブタイトルで "グローバル化に向けて歓迎すべき流れだが……" と、半分は矛を収めているのだが。

実際のところは昨日の記事で次のように書いた通りと思うほかないのである。

この "英語アナウンス" は、国内向けに「JR、一応国際化努力してます」とアピールする効果しか果たしていないと言っても、あながち極論じゃない。

「英語アナウンス」が実際に外国人に通じてるかどうかなんてのはどうでもいいことで、要するに「グローバル化と見せかけるための稚拙なアリバイ作り」なのだ。

文春が言うような「英語の質」が問われているわけですらない。だって仮にものすごく流暢な英語でアナウンスしたとしても、内容なんて上述の通り「言わずもがな」のことでしかないのだから。

 

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2019/12/06

カタカナ英語を巡る冒険 その 1 : 新幹線の英語アナウンス

奈良の吉野の山奥への出張を終えて帰宅した。ところで最近、新幹線に乗る度にそこはかとなく気になっているのが「英語の車内アナウンス」である。191206

前々からお馴染みの こんな感じ(← クリックで YouTube 動画が再生される)のネイティブ・スピーカーによる(保母さんが園児たちに諭すような感じの)録音のアナウンスも継続されてはいるが、 今はそれに加えて日本人車掌によるナマの英語アナウンスも流される。ただ、そのほとんどが「見事なまでのカタカナ英語」なのだ。

ネット界隈では「上手な人からカタカナ英語の人まで幅がある」なんて記述を目にする。しかしよく新幹線に乗る私でも、カタカナ英語以外のアナウンスは 1度も聞いたことがなく、ほとんど こんな感じ である。(4番目のアナウンスは比較的マトモだが、"L" と "R" の区別が付いていない)

上の写真のクリックでリンクする動画は、かなりわざとらしさが目立つが、JR 東海の英語アナウンスの練習風景ということになっている。ところが左側の指導担当者自身が相当なカタカナ英語で、飛行機の CA の英語も平均的にはかなりひどかったりするが、それを凌駕するレベルである。

これは朝日新聞によるニュース動画で、一応きちんと現場取材でやらせ動画を撮影しているわけだから、JR としては「ニュースにしてもらうのだから歓迎」というスタンスだったのだろう。「とりあえずちゃんとした英語原稿なんだから、お恥ずかしいものにはならない」程度以上のことは考えていなかったとしか思われない。

動画の中で指導担当者は「アクセントを間違えても気にしないでください。外国人のお客様は理解しようとしてくれています」などと、もっともらしいことを言っている。しかし現場に遭遇すれば、その期待は甘すぎるとわかる。

現場では日本語アナウンスに続いてすぐに英語アナウンスになる。日本人客なら少なくとも 「急に日本語じゃなくなったから、ここから先は英語(のつもり)なんだろう」ぐらいには思ってくれるが、日本語を知らない外国人客には、単にミステリアスな東洋の言葉の連続にしか聞こえないはずだ。

つまり「JR の車掌が英語でアナウンスをしている」という事実に気付いているのは、案外日本人だけかもしれないってことだ。ということはこの "英語アナウンス" は、国内向けに「JR、一応国際化努力してます」とアピールする効果しか果たしていないと言っても、あながち極論じゃない。

このサービス、昨年 12月から始まったというのだから(参照)、既に 1年経過している。そしていつの間にかカタカナ英語のままで妙に早口になってしまい、ますますわからなくなってしまっている。

下手に慣れると逆に劣化してしまうという典型例だ。

ちなみに、このことについては過去にも 2度触れている。

新幹線の 「ムダに流ちょうすぎるカタカナ英語」 アナウンス
  (この記事に添えた録音は、かなりスゴい!)

新幹線の英語アナウンスが肉声になったようだ

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2019/12/04

”Snoopy" って、「うろうろ詮索しまくる」犬ってことなのだね

先月 27日の記事で "完全版 ピーナッツ全集 15 スヌーピー1979-1980" (¥3,080)を Amazon に発注したと書いたが、翌日ちょうど留守にしていた時に届いたようで、すったもんだの挙げ句、29日の日暮れ時にようやく届いた。3cm 以上の厚みのある本で、かなり読み応えがあり、しばらく楽しめそうである。

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ところで、12月 2日に "snoop" という英単語について次のような tweet をした。(参照

単純な英単語でも、知らずに生きてきたということが案外多い。恥ずかしながら最近、今さらのように知ったのは ”snoop” という単語の意味が「こそこそうろつく、嗅ぎ回る」だってこと。
そうか、「スヌーピー」って、そういうことだったのか。

”Snoopy" という固有名詞は知っていても、その元になった "snoop" という英単語の意味については、全然気にしたことがなかった。それだけ ”Snoopy というキャラが独立した魅力を発揮していて、敢えて名前の意味まで「詮索」してみる気になれなかったのである。

ところが、改めて調べてみると、こういうことだった(参照)。

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なるほどね。この単語、私があえて詮索する気になるのを待ちわびていたのかもしれない。

 

 

 

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2019/12/02

生まれた土地の方言を忘れるという「忘恩」

最近、富山、青森(津軽)出身の同年代の知人と話をしていると、2人とも「田舎の言葉は忘れたから、もうしゃべれない」なんて信じられないことを言い出したので、「あいやでって...」と言いたくなった。この庄内弁の意味は、リンク先のこまつきょうこさんのページに行けばわかる。(下の画像クリックでも行ける)

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私なんかつくばの自宅にいてさえ意識的/無意識的にしょっちゅう庄内弁を使っている(参照)から、仙台生まれの妻も茨城生まれの娘たちも、「ヒアリングならバッチリ」になっている。しかしその 2人の知人は「実家に帰ってさえ方言は使わない」などと、私に言わせれば「忘恩の所業」みたいなことを言うのだ。

昨年 3月に仕事上の仲間と 2人で、我が故郷、山形県庄内平野の港町、酒田市に出張したのだが、帰りの特急車内で彼は、「酒田にいる間ずっと、周りの言葉が一言も理解できなかった」と白状した。「頼みの綱の tak さんまで酒田に着いた途端コロッと別人になっちゃって、いきなり『外国語』で話し始めるんだもの」

彼が庄内弁を「外国語」のように感じたのは無理もない。友人の日系ブラジル人に聞くと、「ブラジルはポルトガル語の国だけど、周りの国で話されているスペイン語はフツーに理解できるし、イタリア語もまったくわからないわけじゃない」という。ラテン語を母胎とする言語同士だけに結構共通点があるのだね。

ということは、「同じ日本語」とはいえ、庄内弁と「いわゆる標準語」の差は、ポルトガル語とスペイン語の差よりずっと大きいってことになるわけだ。ヨーロッパ語族の感覚で言えば「外国語」と言っていいのかもしれない。

だったら地方出身者はせっかく「外国語」を自然に身に付けているのだから、「日本語(いわゆる標準語)」とのバイリンガルで生きればいいのにと思う。人間の思考というのはかなりの部分で言葉を使うから、バイリンガルなら二重思考になって、より多面的で深みのある考え方ができるというものだ。

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上の画像は、山形県庄内から茨城県に嫁いだという伊藤海歩さんの「東北七県目のヨメ」というサイトにある「庄内弁・標準語・大阪弁(前編)」というページで見つけたものだが、「言語スイッチ自動切り替え」とはバイリンガルとして言い得て妙である。クリックしてリンク先に飛んでみてもらいたい。

私は普段から、標準的日本語のなまくらな論理思考を下手くそな英語思考で補強し、さらに庄内的な土着思考を加えた二重半思考(?)で考えを深めているところがある。その意味でも方言を忘れてしまうなんて、思考経路が(つまりオツムの中身が)単純すぎるとしか思えず、もったいないこと夥しい。

それにしても、10年以上前はインターネット上で嬉々として庄内弁を語るライターなんて世の中に私ぐらいしかいない印象だったが、最近はずいぶん「同志」が増えたなあ。嬉しい限りである。

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2019/11/18

「せん遍以」を「方言漢字」とはこれ如何に?

東京新聞の 11月 16日付に「草加にちらほら…なぜ「せん遍以(べい)」 八潮の昼間さん、方言漢字を探る」という記事がある。草加煎餅の老舗の看板に「草加せん遍以」という表記が目立つことから、これを「方言漢字」と称しているという内容である。

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正直言って驚いた。こんなの、ことさらに「方言漢字」なんて言うより、単なる「変体仮名」による表記とみれば OK だろう。「そば」を「そむ」みたいに見える字で書くのと同じだ。これについて私は、8年近く前に ”「そむ」 って何だ? ” という記事にしている。

「そむ」と見えてしまう表記の、一見「む」の字に見えるのは、あれは「者」という漢字の草書体で、「は」と読むのだ。つまり「そむ」と見えるのは「そは」と書いてあるのである。(もっとも最近はそれを知らずに、モロに「そむ」と書いていい気になっているケースが多いが)

さらに同じようなものに「う奈ぎ」(うなぎ)とか 「志る古」(しるこ)などがある。

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ちなみに「方言漢字」でググって見ると、「方言漢字から歴史学んで 埼玉・八潮でシンポジウム」という記事が見つかった。以下に内容の一部を紹介する。

講演した笹原宏之早稲田大教授(国語学)によると、「閖」は水が門の中に入ってきたことを示しており、かつて津波被害に遭った先人からのメッセージとの見方もできるという。

八潮市には「垳」という固有の地名があるほか、千葉県匝瑳市の「匝」、石川県羽咋市の「咋」など方言漢字は全国各地で使われている。

なるほど、「閖」「垳」などの地方独特の漢字表記を「方言漢字」というのはわからないでもないが、単なる変体仮名表記は地方独特というわけではなく全国的なものだから、「方言漢字」というには当たらないだろう。一緒にしてもらいたくはないなあ。

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2019/11/11

Twitter 内の「英語勉強方」は魑魅魍魎の跋扈する世界

昨日は Twitter で思いがけないカルチャーショックを受けてしまった。たまたま紛れ込んでいた宣伝 tweet に「最高の英語勉強方」とかいうのがあったのである。試しに Twitter 内を検索してみると、「英語勉強方」についての tweet だらけなのに驚いて、つい反応してしまった。(参照

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念のため断っておくが、「勉強方」というのはちょっと奇異な表記で、フツーは「べんきょうほう」と入力して変換すれば「勉強法」になるよね。それで、それも tweet しておいた。

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で、驚いたのはそれだけではない。「すごいなあ」を 2度繰り返したくなるような tweet も表示されてしまった。tweet 主は 「圧倒的美少女@Yui」というお嬢さん(?)である。まさに圧倒的なハンドルで、次のように tweet している。(注目部分を念のため赤く表示した)

この天才英語話者である私が

最高の英語勉強方を伝授してあげよう

英語で最初に勉強しべきは発音!

ふうむ、「勉強しべき」ねえ。

自分で言ってるほどだから実際に「天才英語話者」(得体の知れない表現だが)と思い込んでいるのだろうし、発音の重要さについては私も反対するわけじゃないが、彼女は日本語に関しては明らかに「凡才以下」みたいなのである。あまり驚いたのでこれについても tweet すると、なんとまあ、下図のように早速返信コメントがついた。

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なんとまあ、「ファンになっていただけたらフォローお願いします」との「ダメ押し」である。「すごいなあ」を 2度繰り返した皮肉が全然通じなかったようなのだ。

これって、ありきたりな四文字熟語で恐縮だが「厚顔無恥」の所業に他ならない。多分自動でレスされるようにセットしてあって、皮肉も通じないのだろうけどね。当然ながらファンには到底なれないので、「結構です」という極力穏やかな一言で断っておいた。

どうやら Twitter の中の「英語勉強方」というのは、何度でも「すごいなあ」を繰り返したくなるような、魑魅魍魎の跋扈する世界のようなのである。一応「要注意」と言っておこう。

 

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2019/11/03

「勝利」と「敗北」という対義語

「勝利」と「敗北」という言葉がある。なんとなく気にかかっていたことだが、「勝利」の反対語が「敗北」で、なぜか「北」という文字が突く。なのに「勝南」という言葉があるというわけじゃない。これは一体どういうことなのだろうか。

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まずどうして「敗北」という言葉があるのかというと、「北」という漢字には、元々「敗走する」という意味があるのだそうだ。「語源由来辞典」には次のようにある。(参照

「北」は二人の人が背を向け合っているさまを示した漢字で、「相手に背を向ける」「背を向けて逃げる」の意味があり、「逃げる」の意味もある。
そこから、「戦いに負けて逃げる」ことを「敗北」というようになり、単に争いに負けることも意味するようになった。

なるほど、「北」というのは象形文字だったのだね。

一方、「南」というのは暖かい方角だから元々いい意味なのだろう。のほほんとしたイメージだから、戦いの結果を示すということにもならず、だから「勝南」なんて熟語にもならない。

ではなぜ「勝利」と「利」の字が付くようになったのか。「利」という漢字の成り立ちを調べると、「一期一名」というサイトに次のようにある。(参照

「禾」は穀物、ツクリの「刂(りっとう)」は刃物を表し、2つを組み合わせて「穀物を刈り取る様子」を表す。

というわけで、「利」の字は「鋭い」とか「役に立つ、順調な」といった意味をもつようになったという。

なるほどね。そういうわけで、「勝利」と「敗北」という対義語が成立したわけだ。

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2019/10/29

慣用句の意味を誤解する傾向

文化庁の 2018年度国語に関する世論調査の結果が発表された、それによると、「ぶぜん」「砂をかむよう」という慣用句を半分以上の人が本来と違う意味でとらえていたという(参照)。文化庁のこの調査に関しては、過去にも何度かいちゃもんを付けたが、今回もちょっと書かせていただく。

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記事によると、「ぶぜん(憮然)」という言葉は本来は「失望してぼんやりする様子」を表しているのだが、正解率は 28.1%に留まり、「腹を立てている様子」という解答が 56.7%と、半数以上になった。ただし 07年調査との比較では、「失望してぼんやり」という正解率が 11ポイント増加し、「原を立てている様子」という解答は 14ポイント減っている。

ということは、11年前は「ぶぜん」という言葉の誤解傾向はより強かったが、最近は少しはマシになってきたというわけだ。ただしこれは、以前は「腹を立てている」という意味で「ぶぜん」という言葉を使う人が多かったので誤解が広まっていたが、最近はこの言葉自体があまり使われなくなったたということのようにも思われる。

ただ、「ぶぜん」の意味として「失望してぼんやりする様子」というのは、ややニュアンス的に違和感があるような気がする。『大辞林』で調べると「ぶぜん」は次のように出てくる。

① 思い通りにならなくて不満なさま
② 落胆するさま
③ 事の意外さに驚くさま

第一義の 「不満なさま」というのが、ややもすると「腹を立てている様子」と誤解されてしまう元になっていたのではなかろうか。つまりちょっと「むっとしている」といったような感覚が、立腹状態とそれほど遠くないと思われていたのだと思う。

「砂をかむよう」というのは、60年代末に流行った『受験生ブルース』(中川五郎・作詞)に出てくる。

おいで皆さん 聞いとくれ
ボクは悲しい 受験生
砂を噛むよな 味気ない
ボクの話を 聞いとくれ

(ただし、オリジナル・バージョンはこちら

これを知っていれば、正しい意味が理解されるはずだが、砂を嚙んでジャリジャリ歯ぎしりするみたいな感覚が、「口惜しくてたまらない様子」という誤解につながっているのだろう。

そして「御の字」というのは、元は遊里言葉で「御」の字を付けたくなるなるほど結構な人や物ということなので、「大いにありがたい」になるのだろうが、これも単純にそう言ってしまうと、ニュアンス的にどうかという場合がある。今の時代では、この言葉の裏に元々潜んでいたやや皮肉っぽい感覚が見え隠れすることがある。

時代とともに少しずつ言葉のニュアンスが変わってくるというのは、あってもいいことだと思う。文化庁の解釈がちょっと公式的すぎて、この調査自体が「少々古くさい」ものと受け取られることになってしまうかもしれない。

ちなみに、以下は私が文科省のこの調査に関して、過去につけたいちゃもんの代表的な記事である。

文化庁こそ言葉の意味を取り違えてるぞ!
「申される」 をめぐる冒険
「疲 (つか) らす」 だなんてねぇ

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