カテゴリー「言葉」の682件の記事

2022年9月23日

「チップスリフター」を巡る冒険

偶然見つけた ”筒の奥にあるチップスがせり上がる「チップスリフター」を作りました” という tweet。なかなかおもしろいアイデアだし、プレゼン動画の秀逸な田舎芝居にも拍手を送りたくなったが、最後の画面で「うぅむ・・・」と呟いてしまった。

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上がその最後の画面で、この装置の名称が「チップスリフター(Chips lifter)」とされている。しかしこれ、カタカナの方はまあいいとしても、英語の方は "Chip lifter" としてもらいたかった。英語のこうしたケースでは、"Chip" と単数形にするのが原則なのだよね。

堅苦しくは名詞の形容詞的用法なんていって、名詞を他の名詞の前に付けて「〜の」みたいな意味で用いる場合は、単数形にするという原則があるのだ。これ、11年半ぐらい前の " 「ツィンズタワー」 って?" (正しくは「ツインタワーズ」だよね)という記事でも触れている。

例えば、「靴」はフツー "shoes" と複数形で使うことが多いが、「靴工場」となると "shoe factory" と単数形になる。その意味で大昔の歌、『東京シューシャインボーイ』は正しい。ただ、"sports club" なんていう言い方もあるから、何事にも例外はあると思っておく方がいいが。

というわけで、この「チップスリフター」はカタカナと折り合いを付けるために、いっそ ”Chip Slifter" なんて名称にしてしまえばいいんじゃないかなんて、無責任なことを思ったりしてしまった。”Slift" なんて単語は、辞書を探しても見つからないのだが、それらしい造語ということで。

【9月 24日 追記】

Sam.Y さんのコメントのおかげで、"slifter" という単語が存在すると判明した。意味は「地球表面のひび」のことだそうだ。いやはや、ものはきちんと調べてみるものである。感謝。

ちなみにこれを作った カズヤシバタ さん人は 「”ギリギリ役に立つ” 物を作る発明家」という方であるらしく、テレビやラジオにも何度も取り上げられているらしい。個人的には「南国扇風機」というのが欲しくなってしまった。

 

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2022年9月20日

漢字にしない方がいい日本語と「単文節変換」

毎日新聞の「毎日ことば」の 9月 18日付に、"「してほしい」だけじゃない 漢字で書けるのに仮名にする言葉" という記事がある。これは先月 29日付の ”「~が欲しい」と「~してほしい」" という記事の続編だ。

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私も新聞記事やプレス・リリースを書いて稼いでいた時期が長いので、注意しなければならないポイントとして身にしみている内容だ。8月 29日の記事には次のようにある。

「欲しい」は、「~が欲しい」という場合は漢字ですが、「~してほしい」など動詞に付いて「そうしてもらいたい」といった意味になる場合は平仮名にします。

この記事によれば、「欲しい」は形容詞だが、「〜してもらいたい」というような場合の「ほしい」は、とくに「補助形容詞」というんだそうだ。それって、私としたことがこの年になって初めて知った文法用語だよ。

さらにそれ以前の話として、「欲しい」は形容詞だなんて改めて言われると、「そ、そうか・・・」とうろたえる私までいる。英語の ”want" が動詞なので、頭の中で無意識に「欲する」と言い換えて動詞にしてしまってるみたいなのだ。「欲しいもの」とかいう場合は、問題なく形容詞なのだが。

これって、英語の翻訳なんてことも仕事にしていたことがある者の職業病みたいなものかもしれない。言葉というのは、なかなか一筋縄ではいかない。

ただ、文法的には区別していなかった私だが、「行って欲しい」というような表記は感覚的に「クド過ぎるよね」と思い、ずっと使わずにきた。さらに「おもしろく無い」となると、クドいだけでなく気持ち悪い域にまで達する。

ところが、問題はここからだ。文章を手書きするしかなかった時代には、「いってほしい」は当然のごとく「行ってほしい」と書かれていた。まあ、「行って欲しい」と書く人もいなかったわけじゃないが、それだと当人の意思とは無関係に、周囲には「付き合いづらさ」を印象付けていたと思う。

ところがワープロを使う時代になってからは、そうとも言い切れなくなってしまったようなのだ。「かな漢字変換システム」というプログラムは、そこまで気の利いたものじゃないので、このあたりの世間的な感覚が鈍くなってしまったような気がする。

試しに愛用の Mac(日本語入力システムは ATOK)で「いってほしい」と入力して変換すると、ごく当然の如く「行って欲しい」と変換される。Twitter なんかでこれ式の表記をよく見るが、スマホの画面を人差し指でタップしていると、これで確定してしまいがちなのだね。

というわけで、私としては 35年前に富士通の ”OASYS” というワープロを使い始めた昔から、文章を打つときは「単文節変換」にこだわっている。というか、当時は「こだわる」以前の話として、文節ごとにしか変換できなかったのだ。例えば、こんな感じである。

ぶんしょうを  (ポン)
うつときは (ポン) 
「  (ポン)
たんぶんせつへんかん (ポン) 
」  (ポン)
に (ポン)
こだわっている。 (ポン)

OASYS もほどなく「複文節変換(連文節変換)」ができるように改良されたが、私としては単文節変換のキビキビしたリズム感が身についてしまっていたので、今日に至るまでずっとこのままで来ている。自分の書く文章の漢字の使い方を機械任せにする気には、到底なれないのだ。

それに、「欲しい」と変換された部分を後からおもむろに「ほしい」に修正する手間をを考えると、この方が早かったりするのだよね。

話は戻るが、「毎日新聞用語集」には漢字にしないことばとして「補助形容詞」だけでなく、こんなことも書かれているらしい。

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う〜む、ここまで来ると、私もブログの中でうっかり漢字にしてしまったことがないとは言えないだろうなあ。気をつけよう。

 

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2022年9月13日

「ウェストミンスター寺院」という日本式名称

最近、当ブログの右側サイドバーに表示される「人気記事ランキング」を見ると、私が 12年近くも前に書いた ”キリスト教なのに 「ウェストミンスター寺院」 とはこれ如何に? ” という記事へのアクセスが妙に増えている。昨日の時点では、ついに 1位になっているじゃないか。

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これ、先日亡くなった英国のエリザベス 2世の国葬が「ウェストミンスター寺院で執り行われる」と発表されたことによるのだろう。「ん? キリスト教なのに、寺院?」と疑問に思った人が「ウェストミンスター寺院 キリスト教」でググると、今朝の時点ではこんな具合で結果表示される。

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道理でね。私の記事が2番目に表示されているのだから、そりゃ、アクセスも増えるわけだ。トップの「ウェストミンスター寺院」のページでは、この名称の説明はとくにされていないし。

せっかくなので、ここでざっと復習してみよう。

キリスト教施設の日本語への訳され方としては、"church" が「教会」で、 ”cathedral" が「大聖堂」となるのが一般的だ。ただ、明治期には外国の非仏教宗教施設でも「寺院」と訳されることが一般的だったようで、大規模なキリスト教施設も「寺院」と訳されることがあった。

ロンドンの「セントポール大聖堂」(St. Paul Cathedral)を今でも「セントポール寺院」と呼ぶことがあるのは、その名残のようである。

ここで問題の「ウェストミンスター寺院」だが、本来の名称は "Westminster Abbey" である。ビートルズの名アルバム ”Abbey Road” でお馴染みの "Abbey" (発音は「アビー」)という英語だが、困ったことに日本語では定着した訳語がない。

さらにこのケースでは、便宜的に「大聖堂」と訳すわけにもいかない。それは同じロンドン市内に、別個に「ウェストミンスター大聖堂 (Westminster Cathedral)」というカソリックの宗教施設が 1910年にできてしまっているからだ。

そんなわけで、「ウェストミンスター寺院」は「ウェストミンスター大聖堂」との区別のために、明治期に訳されて以来の名称として、そのまま残っているようなのである。

このことでの学び。

その 1 :日本語の「寺院」は、仏教施設だけとは限らない。イスラム教やヒンズー教などの施設も「寺院」と訳されている。

その 2:「ウェストミンスター寺院」の名称は、「ウェストミンスター大聖堂」と区別するための意味合いもある。

ついでに その 3: 「ウェストミンスター寺院」と「ウェストミンスター大聖堂」とがあるという複雑さは、英国におけるキリスト教の、政治絡みの複雑さを反映している。学校の「世界史」の復習として、Wkipedia の「イングランド国教会」の項目を参照。

 

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2022年8月31日

「人工降雨」は英語で "cloud seeding"(雲の種まき)と言うのだね

Gigazine の 8月 29日付に ”干ばつにあえぐ中国がついに「巨大雨降らしドローン」を投入、雨が降りすぎて今度は洪水のリスクが急浮上” というニュースがある。最近の中国は「何でもやり過ぎ」感があるが、人工降雨でもそんなようなことになっているらしい。

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ただ、それよりも興味を引かれてしまったのが、このニュース中で紹介されている ThePrint(インドのデジタル・メディア)の見出しだ。"After cloud-seeding activities in China’s Chongqing, experts warn of possible floods" というのである。

へえ、「人工降雨」って、英語では "cloud-seeding" (雲の種まき)なんて言うのだね。初めて知った言葉だが、個人的にはかなりしっくりきてしまう。ちなみに Wikipedia の「人工降雨」の項目には、次のようにある(参照)。

人工降雨(じんこうこうう、英語:cloud seeding、rainmaking)とは、人工的に雨を降らせる気象制御の一つ。降った雨は人工雨(artificial rain)ともいう。雪を降らせる場合は人工降雪という。cloud seedingは「気象種まき」とも訳される。

なるほど、公式には「雲の種まき」ではなく、「気象種まき」と訳すわけだ。ただ、これでは雰囲気的な「もっともらしさ」はあるものの、具体性には欠けてしまう気がするから、私の中ではやっぱり「雲の種まき」としておきたい。

さらに「雪を降らせる場合は人工降雪」というのは "cloud seeding" では区別できないから、もう一つの言い方の "rainmaiking" を "snowmaking" と言い換えるのだろうね。ただ雨になるか雪になるかは気温次第だから、保証できないだろう。

さらに言えば、私の知っている「人工降雪」というのは、スキー場などで巨大な扇風機みたいなものを使うやつで(参照)、「雲の種まき」とは別の世界の話という気がするのだが、一体どうなっているんだか、よくわからない。Wikipedia も時々テキトーなことを言うことがあるからなあ。

 

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2022年8月22日

米国人の「妙な裏表」(本音と建前)

山口慶明さんという方の「アメリカ人の報告を直訳すると酷い目に合います… 正確な訳を教えましょう」という tweet が話題だ。ざっと下の画像のようなもので、なるほど、よく言えてる。

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米国人が "Perfect!" と言ってきても「完璧です!」という意味じゃなくて、実はせいぜい「大きな問題はない」程度のことであり、同様に "No problem!" も「問題ない」じゃなく「多分イケそう」ぐらいに受け取っておけばいいというのは、彼らとのビジネスをしている人間にとってはちょっとした実感だろう。

私は幸運なことに、”Should be OK!”(実は "OK" じゃなく、「まずいです」というニュアンス)というような言葉を額面通り受け取って痛い目にあったことはないが、それに類した経験は何度かある。

その昔、会社勤めをしていた頃、米国の関係先から ”We have a little issue." みたいなことを言ってきたことがある。初めは「ちょっと手間がかかるのね」ぐらいに思っていたら、しばらくして実は「ちょっとヤバいっす」ってなことだわかり、「おいおい!」となった。

その後、米国の別のエージェントからのビジネス・レターで、"I found some problems." (直訳だと「ちょっと問題あり」)的な表現をされたこともある。それを上司に伝えると、彼は「それなら、解決するよう十分に努力してくれ」という返事を書けと指示してきたのだった。

私は前のことで痛い目に合ったおかげで、先方のココロは「この件については諦めてくれ」ということなのだろうと読めるぐらいに成長していたので、「そんなこと言っても、いずれダメと思いますよ」と釘を刺しておいた。で、この案件は読み通り、ウヤムヤのうちに流れてしまった。

日本人は褒められると「いえいえ、それほどでも・・・」と控えめに謙遜するが、米国人は臆面もなく楽観的な方向に謙遜(これ、妙な言い方だが)する傾向があるので、本当に油断がならない。

それと同じように、米国人に自分の仕事結果を、"Perfect!" (直訳なら「完璧だよ!」)の一言で褒められても、決して舞い上がらず、「まあ、悪くないね」程度のことと受け取っておく方がいい。彼らが本当に「完璧」と思うなら、もっと具体的な点を挙げてまで「感に堪えない」というほど褒めてくれる。

よく言われるのは、日本人には「裏と表」があるから信じられないということだが、米国人にも「裏と表」は十分にある。ただ、彼ら自身がそう認識していないだけだ。

米国人の「裏と表」って、"compliment" (社交辞令)とか "negotiation" (交渉術)とかいう感覚の延長なのかもしれない。そう言えばこれについて、16年ほど前(もう大昔だね)に「本音と建前の使い方」というタイトルで書いたことがあるのを思い出した。

 

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2022年8月16日

Siri の「カタカナ英語」聞き取り能力、格段に向上!

2019年 5月 7日に「Siri で遊ぶ」という記事を書いている。Siri というのは、iPhone などに言葉で話しかけていろいろな操作ができる機能なのだが、この日は、日本語モードに設定された Siri に、つい英語で話しかけたところ、トンチンカンな応答をされたのがきっかけで、いろいろ遊んでみたのだった。

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この記事では、朝に目覚めた時に Apple Watch が見当たらなかったので、寝ぼけ気味で iPhone の Siri に頼んで探してもらったのだが、そのいきさつをこんな風に書いている。

そもそも ”Hey Siri” と話しかけたのがきっかけなものだから、ついその勢いで "Could you tell me where my Apple Watch is?" (私のアップルウォッチがどこにあるか教えてくれない?) と英語で聞いてしまった。

ところが、日本語モードの Siri は英語が聞き取れないようで、こんな風なトンチンカンな応答だった。

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どうやら "Could you..." が 「90」に、"where my apple watch is" が「山家(やまいえ)ポワチエ」に聞こえたようで、先月 17日の「 英語に親しむための、今どきの情報」の、"girl" が「ぐおー、"bottle" が「ばーろー」、"train" が「ちゅえいん」に聞こえるというようなことなのだろう。

驚いて Siri の設定を英語モードに切り替えて同様に聞いてみると、今度は何の問題もなく ”It's nearby." (そばにあるわよ)と、ベッドの下に落ちていた Apple Watch から音を出してくれたのだった。

この時はさらに遊びついでに、英語モードのままの Siri に、試しに思いっきりカタカナ英語で話しかけてみたのである。すると、こんな風なことになった。

モロにカタカナ英語で「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と聞いてみると、彼女には "Do you turn on me who am i" と聞こえちゃったらしく、「私は誰?」みたいなタイトルの映画を 5本提示して、”Which one?" (どれのこと?)と聞いてきた。

というわけで、3年前の英語モードの Siri は、日本人のカタカナ英語をまともに聞き取ることができなかったのである。ところが、「最近の Siri はカタカナ英語をかなり理解する」という噂を聞いたので、昨日の午後に「どれどれ」と試してみた。

3年前とまったく同じく 「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と質問してみると、なんと、今度はしっかりと通じてしまったのである。名前は同じ "Siri" でも、実体はほとんど別人だ。

その時の応答が、この記事の一番上にある画像である・"Looking for your Apple Watch..." (今、あなたの Apple Watch を探してるわ...)と応えた途端に、すぐに見つかったらしく "It' nearby. Pinging your Apple Watch now..." (そばにあるわ。今鳴らしてみるわね)と言ってくれたのだった。

Apple としては、日本市場が iPhone のマーケットとして非常に重要と認識しているので、日本人特有のカタカナ英語識別力まで向上させてくれたのだとしか考えられない。やっぱり「お得意様」には特別の便宜を図ってくれるようだ。

ただ、日本市場を大切にするなら、別に「カタカナ英語」を理解しなくても、日本語モードを充実させればいいだけの話とも思われるのだが、そのあたりの事情は、よくわからない。

ちなみに、2020年 5月 5日付の東洋経済 ONLINE に ”英語の発音矯正に役立つ「Siri」の意外な活用法” という記事があるが、この視点からすると、これは「進化」ではなく、余計なことによる「劣化」ということになるだろうね。カタカナ英語の発音矯正には、ちっとも役立たなくなったのだから。

 

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2022年8月 9日

電車内の英語アナウンス、再び

Q&A サイトの Quora に、「関東地方に住んでいますが、電車で車掌さんが The Doors in the right side will open. と駅ごとにアナウンスするのですが、正しい英語なのでしょうか?」という質問があるのを見つけた。

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とりあえずはっきりさせておかなければならないのは、前置詞が "in" か "on" かということだろう。Quora の質問では ”The doors in the right side will open" となっているが、この "in" は "on" の聞き違いなんだろうと思う。

私の 2019年 5月 20日の記事でも「ザ ドズオザ ライツァイ ウィル オプン」と聞こえるなんて書いていて、「ドズオザ」というぐらいだから ”The doors on the right side" のはずだ。この質問への回答も、すべて "on" が正しいということになっている。(”In" でも通じないことはないだろうが)

ただもう一つ、ちょっと気になるのが、”The doors on the right side will open." という言い方だと、主語が長くて頭でっかちの固い印象になってしまうことだ。

これに関しては、ネイティブ・スピーカーの Jason SH Wang さんが、バンクーバーの電車では "(The) doors will open on the right (side) ." と言っていると答えている。

括弧内は省略可能ということで、車掌さんによってバリエーションがあるのだろう。とにかく端的には "Doors will open on the right." で済むってことだ。

これなら自然な英語っぽいから鬱陶しくない。日本版アナウンスは、いかにも「右側のドアが開きます」という日本語の直訳っぽいが、バンクーバー版は「ドアは右側が開きます」って感じだ。”Right” を語尾にもってくることで強調されるので、紛れも少ないだろう。

というわけで、日本のアナウンスもこの形を採用すればいいのにと思ったのだが、今さら無理だろうなあ。

 

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2022年8月 2日

「命が狙われて初めて政治家って言える」の皮肉な意味

橋下徹氏が「安倍さんの死は納得いかない」と語っている記事を見つけた(参照)。半月前のインタビュー記事で、タイトルに ”安倍元総理に言われた「命が狙われて初めて政治家って言える」の意味とは” というのがあるが、橋下氏的にはこの点で「納得いかない」と言っているようなのだ。

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ちなみに今回の銃撃事件を「暗殺」と言う人がいる(参照)が、これには個人的に違和感を覚えていた。日本語の「暗殺」は、主に政治的な理由で要人を殺害することを指すとされている(参照: 広辞苑/大辞林/大辞泉)が、今回の銃撃事件は「政治的な理由」というよりは「恨み」によるものとみられるからだ。

一方、英米のニュースでは、今回の事件をストレートに ”assassination”(直訳で「暗殺」)と報じている場合が多い。New York Times の見出しも ”Shinzo Abe, Former Japanese Leader, Is Assassinated"(日本の前指導者、安倍晋三、暗殺さる)というものだ。

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ちなみに英語の "assassination" の語義は、ネット上の辞書で調べたところでは「重要人物を殺害すること」といった語義説明で、とくに「政治的理由」とは書かれていない(Longman  Cambridge)。日本語の「暗殺」とはほんの僅かながら、ニュアンスが違うようだ。

もっとも実際問題としては、暗殺される対象は政治家が多いので、Cambridge の ”assassin”(暗殺者)の語義説明では「有名な重要人物を、通常は政治的理由または金銭的取引として殺害する人」となっている(参照)。金で暗殺を請け負う場合もあるのだね。「プロの暗殺者」ということだ。

ここで改めて、冒頭で触れた「命が狙われて初めて政治家って言える」という言葉に戻ろう。安倍元首相の今回の「命の狙われ方」って、「政治的理由」というより「恨み」によるものだったという点で、少なくとも「(国葬に相応しい)大物政治家的」ではなかったという印象をもってしまうのだよね。

ところが、ここでさらに「どんでん返し」が起きるから面倒なことになる。田中良紹氏の「安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか」(この記事、オススメしておく)などの内幕情報まで視野に入れてしまうと、今回の銃撃事件の意味合いが変わってしまうのである。

山上徹也容疑者の行為って、当人の直接的な意図や動機から離れて一人歩きしてしまい、実は結果的に「ちょっとした暗殺」になったとも言えそうだ。つまり「命が狙われて初めて政治家って言える」という安倍元首相本人の言葉は、かなり皮肉な意味をもってしまっているわけだ。

まったくもって彼の死の意味は、「政治的意味/個人的恨み/命の重さ」という各観点からしても皮肉過ぎるぐらいのものだろう。

最後に蛇足ではあるが、「命が狙われて・・・」というのは、フツーの日本語では「命を狙われて・・・」だよね。これは「云々」を「でんでん」と読んでしまう人(参照)と、弁護士を職業とする人の日本語力の問題だが。

 

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2022年7月29日

「窓の杜」の記事見出しに「う〜ん・・・」となった

「窓の杜」に “誰でも無料で Web カメラとアプリがあれば VTuber になれる「Animaze by Facerig」“ という記事があって、見出しがあまりにもこなれないので、「う〜ん・・・」となってしまった。見出しって編集者がつけることが多いのだが、この記事の場合はどうだったんだろう。

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"Vtuber" というのは「バーチャル YouTuber」の略語らしく、Wikipedia では次のように説明されている。

2017年末以降では主にインターネットやメディアで活動する2DCGや3DCGで描画されたキャラクター(アバター)、もしくはそれらを用いて動画投稿・生放送を行う配信者の総称を指す語として使用されている。

私ってどう見ても「テキスト派」みたいで、こうした CG 関係にはとんと疎く、自分でやるつもりはほとんどないので、「関係ないね」で済ますこともできる。とはいえ、紹介した記事の見出しには、まさに「テキスト派」として、つい一言文句を言いたくなってしまうのだ。

原文のままだと、ややもすると「web カメラとアプリを無料で揃えることができれば・・・」というように読み取れてしまう。てことは、「あれ、俺の web カメラとアプリは有料で誂えたんだけど、それじゃダメなの?」なんて無粋なことも、敢えて言いたくなってしまうじゃないか。

本来伝えようとしていることを誤解のないように表現するならば、語順と助詞などをちょこっと変えて、"Web カメラとアプリさえあれば、誰でも無料で VTuber になれる「Animaze by Facerig」" てな感じにすべきだろう。

あるいは web カメラとアプリの必要なのは言わずもがなだから、ここはもっとシンプルに、"誰でも手軽に VTuber になれる無料アプリ「Animaze by Facerig」" の方がずっと端的に伝わるだろう。

文句の言いついでに、”Animaze by Facerig" というアプリの名称についても一言添えなければならないだろう。"facerig" って、妙なネーミングに感じられて、「フェーサーリグ」と読むのかなあとか、"Facering" のミスタイプじゃないかなんて思ったが、ググってみて疑問が晴れた。

どうやらこれ、”FaceRig“ というのが本来の表記のようなのである(参照)。うん、これなら「フェイスリグ」と自然に読めるよね。ちなみに "rig" という単語は「操作する」という意味が一般的だが、"rig an election" というと「不正選挙する」なんて意味になってしまうようだ。

なるほど、なるほど。これはうまいネーミングだ。

 

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2022年7月19日

奈良の『ら』は R で、奈良女子大の『ら』は L

Quora で、日本人が ”L” と ”R” の発音を正しく発音できないということに関する質問に、とても面白い回答がついている。欧米人に、「奈良と奈良女子大。奈良の『ら』は R で、奈良女子大の『ら』は L でしょ」と指摘されたというものだ(参照)。

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文末に「私にはあまり違いがわかりませんが、英語が得意な友人は納得してました」という但し書きがあるので、試しに実際に発音してみたところ、確かに「奈良」は ”Nara” で、「奈良女子大」は ”Nalajoshidai" になった。よほど意識しないと逆にはならないので、納得である。

さらに「奈良県」「奈良漬け」などを発音してみたが、どれも自然に "la" の発音になる。ちなみに「連」の場合は、「連続」は "lenzoku" だが、「国連」は "kokuren" になって、ちゃんと違いがある。ただ、「日弁連」の場合はすぐ前の "n" に引きずられて "nichibenlen" になる。

「割り算」は "warizan" だが「片割れ」は "katawale"、さらに言えば、「隠れる」は "kakurelu" となって、一語の中に ”R” と ”L” が混在する。こうしたことには今まで気付いていなかったので、「目かコ」の思いである。ちなみにこの言葉も "Me kala uroko" になるじゃないか。

この Quola の記事には、次のような「納得コメント」が付いている。

日本語の G が「gutaitek」という場合はグで、「daigaku」というときは鼻濁音のングになるように(以下略)

奈良のみだと硬口蓋に舌がつくか付かないかの付かない寄りですが、奈良女子となると確実に硬口蓋についた方が発音しやすいですね

”G” の「濁音/鼻濁音」というのは、「文学」「演劇」「感激」「地獄」など、熟語で後ろの方に付くと決まって鼻濁音になる。"R"、"L" とは発音のメカニズムが違うが、自然にそのようになるという点では確かに共通している。

ただ、 "G" の「劇場」と「寸劇」の発音の違いに関しては日本人はきちんと差異を感じ、わかっている。「濁音/鼻濁音」という言葉があるというのは、それがわかっていればこその話だろう。

しかし "L" と "R" に関しては、日本語ではどちらも一緒くたにして「らりるれろ」という認識しかされず、違いがほとんど意識されない。日本人はどうやら、そういうカラダになってしまっているようなのだ。ちなみに「カラダ」は "karada" で、"kalada" じゃない。

それで公式(?)のローマ字表記では、「連続」は "renzoku"、「日弁連」は ”Nichibenren” と表記し、"lenzoku"、"Nichibenlen" と表記するなんて、その発想すらない。

ところが一昨日の記事で触れた「初めて英語を聞いた小学生の耳」には、"really" が「うぃーりー」に聞こえるというのだから、ちゃんとしたものである。そういえば、私も小学校時代に初めてローマ字を習ったとき、「ら行って、どうして "L" じゃないの?” と疑問に思った覚えがある。

傑作なことに「ローマ字」は "Rome" から来ているはずなのに、日本語の発音は "lōmaji" であって "rōmaji" じゃない。私の小学校時代の疑問は、今思えばかなり的確なものだったのだね。

ところがこれも、いつの間にかうやむやのうちに納得してしまった。思えば日本人が "L" と "R" の区別が付かないカラダになってしまったのは、ある意味「独特の文化的所産」なのだろう。

2つの発音の違いを自然に意識するためには、Quora の記事のコメントにあるように、"Lux Super Rich" と繰り返し発音してみるしかないかもしれない。

 

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