アメザリを踏みつぶすことと、「いじめ」の心理
Togetter に "外来種は殺していい?観察会で「駆逐してやる」とアメザリを踏みつぶす子どもがいた…→ 「外来生物の防除作業に子どもを関わらせたくない」" という記事がある。「外来種は殺していい?アメザリ踏みつぶす子ども 観察ガイドの思い」という記事を紹介したものだ。
発端は、多摩川を中心に生き物観察ガイドをしている川井希美さん(39)の、今年 4月の SNS への投稿であるらしい。こんな内容だったようだ。
本心としては外来生物の防除作業に子どもを関わらせたくない。
外来生物の防除をするよりも、子どもにはたくさんの生きものと触れ合う自然体験をしてほしい。
この投稿のきっかけは、講師を務めるサイエンス塾の授業で、子どもたちにアメリカザリガニ(アメザリ)を見せた時に、「こいつらは殺してもよい」という声が聞こえたことだという。観察会では「駆逐してやる」とアメザリを踏みつぶす子どももいたという。
アメザリは本来の生態系を乱す侵略的外来種として、各地で駆除も行われている。そのためあこうした外来種の命を軽視するような言動は、小学校低学年くらいの子に見られたというのである。
この記事が Togetter に紹介されると、いろいろなコメントが付けられた。ただ見たところ、「たとえ外来種でも、命の大切さを教えていかなければ」とか、「人それぞれの立場や視点を踏まえると、判断が難しい」というような、「外来種駆除」に関する直接的な反応がほとんどである。
ところが私としてはこの記事を読み、直感的に「いじめ問題」にまで思いを馳せてしまった。
「いじめ」に走るような子というのは、外来種を見て何の疑いもなく「殺してしまえ」と言って踏みつぶすような子と共通しているという印象だからである。彼らの意識としては、決して残酷なことをしているわけじゃないと思っているようなフシがあるのだ。
「いじめ」をする子というのは、「ゴーマンな正義感」を抱いているように感じられることすらある。彼らにとって、いじめられる子は「異質な存在」であり、自分はマジョリティを代表して「異質な存在の排除」を行っていると錯覚しているようにも受け取れるのだ。これって、かなり危険なメンタリティである。
そんなわけで私は、自然観察会のような機会を通じて「たくさんの生きものと触れ合う自然体験をしてほしい」という川井さんに共感してしまう。「外来種」も「異質な存在」も同様に大切でかけがえのないものだということを知れば、「いじめ」も自然に減るだろう。
私自身、「日本社会のマイノリティ」という自意識をずっと抱いてきた。個人的には「いじめ」のようなことに対しては常にきっちり反撃・撃退してきたのだが、世の中にはそうできない子も多いから難しい。
【同日 追記】
ここでは本来の生態系を乱す侵略的外来種を駆除するなと言っているわけではなく、川井さんにしても同様だと思うので、念のため
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