カテゴリー「比較文化・フォークロア」の341件の記事

2024年3月14日

「ホワイトデー」と郵便局の、かなりアヤシい関係

今日は「ホワイトデー」で、何でもバレンタインデーでもらったプレゼントのお返しをする日なんだそうだ。とにかくよくわからないので、試しにちょっとググってみたところ「ホワイトデーのお返しの意味を解説! マシュマロやクッキーのお返しの意味とは?」というページが見つかった。

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これ、「郵便局のネットショップ」というサイトにあり、最下段の「サイト運営会社について」をクリックすると、日本郵便株式会社の運営とあるから、確かに他ならぬあの郵便局のページに違いない。2007年に「日本郵政公社」から民営化されて以来、郵便局もずいぶんクダけた存在になったものだ。

で、問題は郵便局のこのページで解説されている「ホワイトデーのお返しの意味」なのだが、よくわからないけどアヤシくもおもしろいのである。それぞれの品物の意味は、かいつまんでまとめればこんなようなことになるという。

マシュマロ 「あなたのことが嫌いです」「その気持ちはお断りします」
キャンディー 「あなたのことが好きです」
チョコレート 「あなたと同じ気持ちです」「これまでと同じ関係を保ちましょう」
クッキー 「友達でいましょう」
キャラメル 「安心する存在」「あなたと一緒にいると安心します」
マカロン 「あなたは特別な人」
マドレーヌ 「あなたと仲よくなりたい」
カップケーキ 「あなたは特別な人」
グミ 「あなたのことが嫌いです」
バームクーヘン 「この幸せが長く続きますように」
ハンカチ 「これまで続いてきた関係を終わりにする」
香水 「あなたと親密な関係になりたい」

注目すべきは「マシュマロ」に「あなたのことが嫌いです」「その気持ちはお断りします」なんていう意味があると、ことさらトップで紹介されている点だ。この「マシュマロ」の項目では妙にご丁寧なことに、ホワイトデーの誕生についてまで次のように語られている。

ホワイトデー誕生には諸説ありますが、マシュマロがホワイトデーの定番のお菓子となった歴史は、老舗の和菓子・洋菓子店である石村萬盛堂がきっかけといわれています。

郵便局が自ら「マシュマロがホワイトデーの定番のお菓子」と認めて、石村萬盛堂自身も ”ホワイトデーの起源は、昭和 52年に石村萬盛堂の考えついた「マシュマロデー」より由来しております” と自社サイトで訴求している(参照)。

それだけに郵便局の「マシュマロには『あなたのことが嫌いです』という意味がある」という決めつけには、かなりの違和感が残ってしまう。もしかしたら、郵便局はマシュマロか石村萬盛堂に恨みでもあるのかしらん。

男性側からマシュマロのお返しをされた女性がこの郵便局のページを読んだせいで関係が気まずくなったとしたら、郵便局は責任を取ってくれるのだろうか? まあ、そんなのどうでもいいけど。

ちなみに Wikipedia によれば中国では「ホワイトデー」を「白色情人節」というらしい(参照)が、いくら日本の「ホワイトデー」という名称からきたとはいえ、日本的感覚からするとちょっとスゴいなあ。下手すると白人のお妾さんをもつ日なんて誤解されそうだが、これもまたどうでもいいや。

 

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2024年3月 3日

本来の桃の節句(旧暦)は、来月 11日なのだよね

今日は 3月 3日で世間では「桃の節句」ということになっており、ひな祭りが行われる。しかし私の生まれた山形県の庄内の ひな祭りは「月遅れ」の 4月 3日ということになっている。下の写真は 17年前の 3月末に帰郷した際、近所の蕎麦屋に飾ってあった庄内の雛人形を詠んだ『和歌ログ』のものだ(参照)。

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ちなみに日本の多くの地方では、三人官女の真ん中が座り、両端が立っているというパターンが多いが、庄内では真ん中が立っている場合が多い。「月遅れの三人官女真中には立ち雛のゐて懐かしきなり」という歌になっているのは、そうした文化的背景がある。

ところで庄内ではひな祭りをどうして月遅れで祝うのかというと、もちろん雪国で春の来るのが遅いからということもあるが、それはむしろ二次的な理由で、本来的には「桃の節句」自体が旧暦のものだからである。ずっと昔から祝われてきた行事なのだから、当然の話だ。

そもそも「桃の節句」と言っても、3月初めには桃の花なんて咲いていない。桃の開花時期は、3月下旬から 4月上旬と言われているのだから、新暦 3月 3日では早すぎるのだ。

今年の旧暦 弥生 3月 3日は、新暦でいうと 4月 11日にあたる(参照)ので、桃の花の満開の時期である。本来ならこれでちょうどいいのだが、旧暦は計算が面倒なので便宜的に「月遅れ」が慣習になっている。

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桃の節句だけでなく、日本古来の「五節句」というのは新暦ではいくらなんでも早過ぎる。

  • 1月 7日 ・・・ 人日の節句(七草の節句)
  • 3月 3日 ・・・ 上巳の節句(桃の節句)
  • 5月 5日 ・・・ 端午の節句(菖蒲の節句)
  • 7月 7日 ・・・ 七夕の節句(星まつり)
  • 9月 9日 ・・・ 重陽の節句(菊の節句)

考えてもみるがいい。大寒の 10日以上前の真冬に「春の七草」なんて、白々しいにもほどがある。さらに梅雨も明けないうちの新暦の七夕は、織姫と彦星に気の毒すぎるではないか。東北ではかの有名な仙台の七夕祭りにしても月遅れでやるから、かなりしっくりくる。

同様のことは正月でも言えて、私は個人的に、現代の年賀状の挨拶に「新春のお慶びを申し上げます」なんて書くのはいかがなものかと思っている。「大寒」(今年でいえば 1月 20日)より半月以上前なのに「新春」なんて言うのはよく考えれば、いやそれほど考えなくても白々しくも寒々しい。

年賀状に「新春」なんて言葉を使うのは、「旧正月」(旧暦 1月 1日)でやっていた頃の名残りだろう。今年の場合で言えば旧正月は 2月 10日にあたり、これなら立春を過ぎてるから立派に「新春」なのだ。

新暦の 1月 1日に届く現代の年賀の挨拶では「新春」という言葉は避けたいところだ。どうしても「新春のお喜び」と言いたいなら、旧暦の元日に届くように出せばいい。日本以外のアジア圏では正月と言えば旧正月の方が盛んでもあることだし。

というわけで、年賀状はもう仕方がないにしても、五節句は少なくとも月遅れで祝うことにしたいと私は常に思っているのだよね。東北の素朴で趣き深いひな祭りを見たいなら、今日ではなく今月末以後に訪れればいいのである。

 

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2024年2月22日

スコットランドのキルトって、すごいじゃないか!

らばQ に「スコットランド民族衣装のキルトは…こんなに着るのが難しかった」という記事がある。この記事からリンクされる動画は、ちょっと感動ものだ。

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何しろ、プリーツ・スカートみたいに見える「キルト」というのは、実は大きな 1枚のウール生地なのである。まずそれを広げてプリーツを着け、寝転がって体全体に巻き付ける。起き上がるとウエストから下が二重のスカートみたいになり、その外側を上半身にたくし上げるのだ。

百聞は一見にしかずというから、下の画像をクリックして Reddit に投稿された動画を見ていただきたい。「なるほど!」と理解できると思う。

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こんなに大きな布を手間をかけて身に付けるというのは一見ナンセンスに思えるが、下に紹介したコメントをみれば納得される。

衣服としてしか使わないのであれば、非効率的だ。キルトは寝袋、毛布、レインコート、テント、タープとしても使える。17世紀の人々にとっては、非常に汎用性の高いものだ。

それがよくわかる動画もある。タイトルからして "The Great Kilt -ULTIMATE SURVIVAL BLANKET? - Outdoor Clothing & Shelter in ONE Multifunctional Cloth"(偉大なるキルト - 究極のサバイバル・ブランケット? - 1枚の多目的生地でのアウトドア服 & シェルター)というものだ。

とにかく動画の冒頭からして簡易テントや寝袋としての使い途の紹介なのだから、ちょっとわくわくする。

「うちにはキルトを着る床のスペースがない」というコメントへの解答は動画の 11分 23秒あたりから示される。草の上に広げてやる方法もあるし、なんなら立ったまま広げずにやる(12分 2秒あたりから)こともできるのだ。

「プリーツを付けるのが面倒」という向きには、ファーストベルトを通して簡単にプリーツを着けるためのループ付きキルト(12分 30秒あたりから)もある。さらに大きなポケットのように使うこともできる(14分 35秒)し、「おぬし、なかなかやるな!」ってなもんだ。

私も 1枚欲しくなってしまうほどだが、これだけ大きなウール生地だと、かなりお高いだろうなあ!

値段を調べようと Amazon にあたってみたのだが、キルティングの生地既製品のスカートみたいなものしか見つからなかった。要するに、大きなウール生地を手に入れればいいのだろうね。

【追記】

ざっと調べてみたところ、ウール 100% のハリスツィードだとこんなところのようだ。お値段は 50cm で 1,990円。

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用尺 4m は必要そうだから、税込みで 9,000円弱。単なる酔狂(さすがに来て外出したら目立ち過ぎ)にしてはちょっとしたお買い物になっちゃうよね。妻に怒られそうだから、我慢しとくか。

 

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2024年2月18日

指を使った数え方、日本式が便利でスムーズなんだが・・・

パンドラの憂鬱というサイトに ”海外「なんで日本だけ違うんだ?」指を使った数の数え方が日本人だけ世界的に特殊だと話題に” という記事がある。なるほど、日本以外は折った指を立てていくという「外向的」な数え方だが、日本は立てた指を折っていくという「内向的」なアクションだ。

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上の画像では、一番上が米国・中国式、2番目がドイツ、イタリア、フランス、スペインなどのヨーロッパ式、そして一番下が日本式である。

日本では昔から「指折り数える」なんて言うが、日本式以外だと「指立て数える」と言わなければならないだろう。そして日本式は常に掌を自分の方向に向けるのが特徴だ。向こう側に向けて数えるなんてことは、ほとんどない。

ということは、日本式は自分の目で確認しながら数えていくためのメソッドで、いわば「内向的」かつ「連続進行的」である。そして日本式以外は「数える」という連続性よりも、外に向かって「数を示す」という「外向的」かつ「固定的」な機能の方がやや大きいだろう。

「残りは 3つしかないよ!」と言う時には、指を 3本立てて他に示す方が圧倒的にわかりやすい。そして注目すべきことに、日本人だってそんな場合は米国・中国式に指を立てる。指を 3本折った状態で他に示すことなんてないのだから、意識的、無意識に関わらず使い分けているのだ。

それだけに「数を連続的に数えていく」という機能に限定すれば、日本式の「指折り数える」やり方にメリットがある。それは 5 まで達したら、あとは逆戻りして指を開きつつ「6,7,8・・・」と、10 まで数えられるということだ。他の方式だと 10まで数えるには両手を使わなければならない。

さらに余計なお世話かもしれないが、米国・中国式だと 3 を示すのに小指を折って親指で押さえるというのが結構難しいし、ヨーロッパ式だと 3 から 4 に移る時に一度開いた親指をたたんで小指を開くという、ちょっと変則的な動きになってしまう。その点でも日本式は圧倒的にスムーズだ。

元記事へのコメントを見ると、外国でも日本式の数え方をしているという人は少なくない。それだけ、慣れてみれば日本式が便利と言うことだろう。そしてパンドラの憂鬱の記事は、最後で筆者が次のようにまとめている。

基本的には人によるでしょうかね。
自分も最後から2番目の方と同じで、
自分のために数える時は「日本式」で、
相手に伝える時は「米国式」ですね。 

穿った見方をすれば、「内向き/外向き」で表現がガラリと変わるメソッドというのは、そもそもの日本的メンタリティを象徴しているとも言えそうである。

 

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2024年1月 3日

「おみくじ」って、やっぱり「雰囲気のもの」なのだね

HUFFPOST に「おみくじの運勢の順番は?神社で結ぶのが正解?初詣前に知りたい【おみくじ豆知識】」という記事がある。”「吉と小吉、どっちの方が良い?」「神社に結ぶ?それとも持って帰る?」初詣前におさらいしておきたい、おみくじの豆知識を紹介します」” というサブタイトル付きだ。

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神社のおみくじについては、詳しいことはほとんど何も知らないで生きてきた。個人的には神社でおみくじ引くことなんてあまりないし、これまで「小吉」と「末吉」以外に遭遇した記憶がないから別にどうでもいいんだけどね。

おみくじの運勢というのは案外ややこしくて、記事には「一般的なおみくじには、次の 2パターンの順番があるといいます」とある。

  • パターン ①
    大吉 > 吉 > 中吉 > 小吉 > 末吉 > 凶 > 大凶

  • パターン ②
    大吉 > 中吉 > 小吉 > 吉 > 末吉 > 凶 > 大凶

「へえ!」ってなものである。はっきり言って、どちらもしっくりこない。

「大吉、中吉、小吉」があってそれとは別に「大でも中でも小でもない『吉』」があるというのが不自然で、単純な順番付けをするには無理がありすぎだよね。そんなことだから、「吉」が「中吉」より上だったり「小吉」より下だったりという混乱が生じてしまう。

それから「末吉」というのもわからない。辞書的には「おみくじで、あとになって開ける運のこと」 とある(参照)が、時間軸の異なるものを同列に並べて順番付けするのは理窟に合わないじゃないか。 

さらに ”「半吉」「平」「吉凶末分」「吉凶相交」など、珍しい吉凶が存在する神社もあります” というのだから、ますますわけがわからない。

多くの人は「吉凶相交」(「いいことも悪いこともある」ってことだろう)の日常を過ごしてるんだろうから、こう言っときさえすればほぼ間違いなく当たる。ところが「吉凶末分」(「いいことも悪いことも後になって分けられる」と解釈できる)となると、「おみくじ」の意味がなくなるだろう。

こう考えるとそもそもの話として、おみくじに書かれた「運勢」というものに順番を付けるということ自体が見当外れということになる。結局のところ、あまりこだわらずに「雰囲気のもの」(参照)と受け取っていればいいのだろう。

 


お知らせ


このブログサイトに「tak-shonai 年賀状ギャラリー」というのを作らせていただいた。これまで web 上で発表した年賀状を一挙に閲覧できるようにしたものである。

その年ごとの干支などに関するウンチクページにもリンクされるので、宜しければ下のバナーをクリックしてギャラリーに飛んでいただきたい。

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2023年12月28日

知恩院の除夜の鐘の突き方がなかなかいい

朝日新聞 が ”一足早く除夜の鐘 「日本三大梵鐘」京都・知恩院で試し撞き” というニュースを伝えている。そういえば 10年以上前に知恩院を訪れた時、梵鐘を見て確かに「デケぇなあ!」と思った。

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記事には ”釣り鐘は「日本三大梵鐘」の一つで、高さ 3.3メートル、直径 2.8メートル、重さ 70トン。17人の僧侶が息を合わせて撞くため、毎年、事前に練習している” とある。やっぱりこのくらい大きいと、本番前に練習が必要みたいなのだ。

ところでこの記事に、気になる表現が見つかった。こんなのである。

1人が親綱を持って「えーい、ひとーつ」と掛け声をかけると、16人が「そーれ」と応じて子綱を引き、親綱役が仰向けになって、長さ 4.5メートルの撞木を勢いよく鐘に打ちつけた。

仰向けになって」だと? 鐘を撞くのに仰向けになるのか?

改めて写真を見ればなるほど、確かに仰向けになっている。ただしこの写真だけではよくわからないので動画を探してみると KYODO NEWS の動画が見つかり、これを見てようやく様子がわかった。

これは確かに口で説明するのが難しい。要するに重力に任せて自分の全体重を撞木に伝えるのだね。

京都には何度も行っているのだが、大晦日に行ったことなんてないので、こんなような鐘の撞き方は初めて知った。私はほとんどテレビを見ないので、視覚的に見ないとわかりにくいことには案外疎かったりする。

それにしてもちょっとアクロバチックで面白い撞き方だ。私もやってみたい気がしてしまったよ。

 

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2023年11月15日

本の外側の箱は、その道では「函」というらしいが

「何とか全集」とか辞書などの類いの本には、外側の箱が付いていることが多い。しかし外国ではどんな豪華本でもこんな箱の付いているのは見たことがないので、どういうことなんだろうと急に気になってググってしまった。

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ブックカバー(表紙に付けるカバー)が日本独特のものとは知っていた(参照)が、もしかしたらこの箱もそうなのかもしれない。ちなみにこれを正式に何と称するかについては、Yahoo! 知恵袋にも以下のように諸説あって(参照)、決定版とも言うべき正式名称ってないみたいなのだ。

  • 「函(はこ)」または「ケース」といいます。
  • 業界用語で「貼函」、一般用語では「外箱」「ブックケース」というそうです。「貼函」という語は、箱の中(本体)を段ボール紙で作り、上から装丁用の紙を貼るので、そのように呼ばれるとのことです。
  • ”外装箱”といいます。略して”外箱”ってよんでます。

どうやら一般的には「外箱」で漢字表記も「箱」でいいようだが、その道に深入りすると「函」という表記になるようなのだ。そして上の 2番目に登場する「貼函」というのは、片側の狭い口から入れるいわゆるフツーの「外箱」じゃなくて、こんなような豪華本用の蓋付きの箱を指すようだ。

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さらに問題は「ケース」とか「ブックケース」とかいうカタカナ名前だが、これらはまともな英語とは到底思われず、"bookcase" で画像検索すると、以下のようにいわゆる「本棚」ばかりが出てくる。つまり英語で "bookcase" と言ったら、フツーはまず「本棚」が頭に浮かぶってことだね。

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じゃあ、この「外箱」のことをホントの英語ではなんというのか、辞書サイトの英辞郎で調べてみるとこんな結果になった(参照)。

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一番上の "forel" というのは「(本の)」というもっともらしい但し書きのせいで逆に不安になり、"forel" で画像検索をかけたら、魚の画像ばっかり出てきた(参照)。そして Wictionary では ”forel" が次のように説明されている(参照)が、いわゆる「外箱」とは別物としか思われない。

A kind of parchment for book covers; a forrill. (一種のブックカバー用羊皮紙; forrill とも言う)

一番下の "slipcase" も、文字通り滑らせるように入れるケースってことで、別に本のケースに限らないだろう。要するに「眉唾」だ。

いろいろ調べてみたところ、「日本における書籍函の盛衰について」というかなり信頼の置けそうな研究レポートが出てきて、その冒頭近くに次のようにある。

明治初期(19世紀半ば)わが国に導入された洋式製本の技術は,それまで日本に定着していた文化と技術の伝統を活かし様々な冒本型の製本様式を作り上げるが,以下に述べる書籍用函もその一つの例である。

なるほど、やはりこれもまたブックカバー同様に、日本独特の様式なのだね。道理で、英語でどういうのかなんて調べてもまともな訳語が示されないわけだ。

ちなみに私の手持ちの紙の辞書は、「外箱」をすべて処分してしまってる。あんな邪魔くさい「ハコ」があるから、気軽に辞書を引く習慣がつかなくなるんじゃなかろうか。

 

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2023年10月23日

ハロウィーンの「異教性」を巡る冒険

渋谷での大騒ぎが問題になっている「ハロウィーン」だが、チェコでは子供たちが作ったカボチャのランタンをキリスト教の神父が破壊し、謝罪に至ったという。どうやらこの行事の「異教性」が問題であるらしい。

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クルデヨフ村の公園に並べてあったカボチャのランタンを踏みつぶしたのは、カトリック教会「洗礼者ヨハネ教会」で司祭を務めるヤロミル・スメイカル神父という人だという。彼は村のフェイスブックページに謝罪文を公開したが、記事によれば次のように自身の主張も交えているらしい。

「自分の信仰と、神父として、そして私に託された子供たちの保護者としての義務に従い、これらのシンボルを取り除いた」と述べた。

また、現代のハロウィーンの伝統については、カトリックの万霊節に対抗するものであり、「異教の現代世界」で考案されたものだと、自身の見解を示した。

ハロウィーンは公式なキリスト教の公式な祝日である「万聖節(All Hallows' Day)」の前夜祭と位置付けられるという説もあるが、そもそもの起こりとしてはもっとフォークロアリスティックなイベントから来ているらしい。Wikipediaは、ケルト人の祝祭が発生だったとしている(参照)。

それだけにキリスト教でも解釈がいろいろあって、「異教的なもの」として退けられることもある。今回のニュースの主役、チェコのスメイカル神父はそうした中でもとくに強硬な存在みたいなのだ。2日間にわたってカボチャを踏みつぶしてたというのだから、「強硬 + マメ」でもある。

そんなような複雑な事情もあって日本での定着の仕方もクリスマスほど単純にはいかず、いろいろと試行錯誤している。私はそれに関して、次のような記事を書いている。

ハロウィーンのバカ騒ぎと 1970年頃までのクリスマス(2018/10/29)
ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日(2022/9/14)

いずれにしても「ハロウィーンのこなし方」はチェコ辺りでも混乱するぐらいなのだから、東洋の島国日本でなかなかすっきりすることがなくゴタゴタするのは、当たり前と言っていいのだろう。

 

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2023年9月23日

マクドナルドの CM に見る日米の大きな違い

KAIKORE に "日本マクドナルドの CM がなぜか米国でバズる、「ポリコレ要素がない」ことに驚くアメリカ人続出(海外の反応)" という記事がある。(下の画像クリックで、日米の Mac の CM 動画にリンクする)

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上の左側は、記事で紹介されている米国版 Mac の CM。2020年のものだが、黒人のトランスジェンダー女性がシンプルながら強烈なメッセージとして、”Stop killing us.” (私たちを殺すのを止めて)と呼びかけている。そして右側は日本の「特別じゃない、しあわせな時間」という CM だ。

一見するだけでまったく別世界という印象である。米国版は切実な「ポリコレ」(political correctness)そのものだし、日本版は絵に描いたような(まさに絵に描いてあるわけだが)平凡な幸せだ。マクドナルドに付随するイメージって、日米でこんなにも違うということなのだろう。

2つの CM から読み取れることは、米国では「正しさ」が追求されるが、日本では「フツーで充分」ということだ。ただ私個人としてはこの日本版 CM には日本人ながらちょっとした「気持ち悪さ」を感じてしまうのだが、おかしいかなあ。

日本人は「フツー」でないことからは敢えて目を逸らす。「ジャニーズ問題」などはその典型で、多くの人に薄々、あるいはかなりはっきりと知られていたことなのに、これまで誰も問題にしようとしなかった。

今頃になってジャニーズ事務所所属のタレントを CM に起用しないという動きが広まっているが、それでも昨日時点では、帝国データバンクの調査に「起用しない」と回答しているのは 49% に過ぎない(参照)。米国だったら、そんな事務所のタレントの CM 起用は不買運動を引き起こすだろう。

というわけで、日本という国はいつの場合も「穏やかに、穏やかに」ということのようなのだね。

 

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2023年9月14日

ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日

昨日、妻に付き合ってショッピングモールに行ったところ、多くの店で「ハロウィーン」向けのセールをしており、とくに 100均の力の入れ方がハンパなかった。1ヶ月以上も先のイベントでこんなことになるというのは、ハロウィーンが日本の定番イベントになったということなんだろう。

そんなわけで「今年も渋谷で馬鹿騒ぎが繰り返されるのか」なんて思っていたところ、当の渋谷区長が「ハロウィーンで渋谷に来ないで」と呼びかけていると知った。上の YouTube 動画は、TBS ニュースで取り上げられたものである。

そういえば私はもう 5年前になる 2018年 10月 29日付で、「ハロウィーンのバカ騒ぎと 1970年頃までのクリスマス」という記事を書いている。昨今のハロウィーンの騒ぎが、半世紀前のクリスマスの浮かれ具合と共通しているとしたものだ。

戦後まもなく、西洋の風習である「クリスマス」というのが日本にも本格的に入ってきたわけだが、当初はそのちゃんとした意義がほとんど理解されていなかった。日本の大人たちにとってのクリスマスとは、子どもへのプレゼントさえ準備してしまえば、あとは享楽的に楽しむべきイベントだったのである。

それでオッサンたちはクリスマス・イブには会社帰りにキャバレーなんかにどっと繰り出し、一晩中ホステスとチークダンスしたり変な紙帽子をかぶって飲んだくれたりしていたのだった。当時の日本人にとっての西洋文化って、「派手な享楽」を意味していたようなところがある。

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上の写真は withnews というサイトに紹介された、1955年 12月 24日に撮影されたものである(参照)。今の目からみるとかなりダサダサの光景だが、元記事には「昨今のハロウィンの渋谷が、脳裏をよぎりました…」とある。なるほど、今はオッサンが若者に変わっただけかも。

この写真の年、私は 3歳だったが、その後も物心つくまでずっと、オッサンの世界のクリスマスってこんな感じだったようだ。当時家にはテレビがなかったが、冬休みに映画館で見るニュース映像(当時の映画館はニュース・メディアでもあった)に、こんなような浮かれ騒ぎが映し出されていたものだ。

クリスマス・イブって「聖なる夜であって、享楽的なものじゃない」とようやく少しずつ認識され始めたのは、最初の東京オリンピックが開かれた 1964年頃だったと思う。この頃、日本経済は戦後復興からの反動で不況に入りかけ、それが正気を取り戻すきっかけになったようだ。

それから 1970年頃までかかってようやく、日本の社会ではクリスマスの「馬鹿騒ぎ」が下火になった。クリスマス本来の趣旨が日本中に行き渡るまで 15年以上もかかったわけだ。同様に考えれば、ハロウィーンの馬鹿騒ぎが沈静化するにも 15年以上かかるかもしれない。

ハロウィーンが日本で盛んになったのは 2010年ぐらいからだったという印象がある(参照)。ということは、沈静化するのは 2025〜26年よりも後と思っていいんじゃなかろうか。あと 3〜4年で馬鹿騒ぎが廃れ、子供たちが近所でお菓子をもらう日ということに落ちついてくれればありがたい。

あるいは、今は情報化社会だから昔よりずっと早く理解されるはずだと言う向きもあるだろう。しかし「ハロウィーン」というのはある意味とりとめがなくて、「イエス・キリストの誕生日」という明確な意義のあるクリスマスよりずっと理解しにくいイベントだから、このくらいかかっても不思議じゃない。

で、今回の渋谷区長の発言が「ハロウィーンの馬鹿騒ぎ、カッコ悪過ぎ!」という風潮に突入する契機になってくれればいいと私は期待するのだが、はたしてそううまく運ぶかどうか。3〜4年後の秋になってもこの記事を書いたことを忘れていなかったら、ちゃんと検証してみたいと思う。

 

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