カテゴリー「比較文化・フォークロア」の287件の記事

2021年2月13日

バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺

先日 NHK ラジオの朝の番組を聴いていたところ、日本の花が世界に輸出されて好評という話題になっていて、そこに登場した花市場の専門家が「とくに 2月前半は赤いスイートピーがバレンタイン・ギフトとしてアメリカで大人気です」と伝えていた。

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すると女子アナが「アメリカでは、女性がチョコと一緒にお花を贈るんですか?」と、いかにも台本通りと察せられるボケを発し、専門家の「それは逆でして、アメリカではバレンタインデーに男性が女性に花を贈るんです」という模範解答につなげていた。実に平和なる NHK 文化である。

ちなみに聖子ちゃんが大ヒット曲『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在せず、「そんなもん、ねえよ!」と話題になったが、その 18年後に三重県の花農家が鮮やかな赤い色のスイートピーの品種改良に成功したのだそうだ(参照)。

まさに「嘘から出た実(まこと)」である。

「スイートピー」はマメ科の植物で、英語で言うと "sweet pea" (甘い豆)。小さなさやの中にできる種子(豆)には毒があって食べられず、甘いのは味ではなく、花の香りなのだそうだ。

次に「スイーピー」のお話し。言わずと知れたポパイに出てくる赤ん坊で、私はずっとポパイとオリーブの間のベビーと思い込んでいたのだが、実はポパイの養子である(参照)。

それを知ったのは、還暦に近付いた頃で、2010年の 1月にその名も "「赤いスイートピー」を巡る冒険" というタイトルで書いたことがある。つまり、今日の記事は半分は二番煎じで、長くブログをやってると、どうしてもこんなことが多くなってしまう。

念のため英語版の Wikipedia で "Swee’ Pea" の項目にもあたってみたところ、次のように確認された(参照)。

In the comics, Swee'Pea is a baby found on Popeye's doorstep (actually delivered to him in a box) in a July 24, 1933 strip.

《漫画では、スイーピーは 1933年 7月 24日付で、ポパイの玄関先(実際に箱に入れて置かれていた)で見つかった赤ん坊である》

"Swee' Pea" と表記され、上述の Wikipedia にも " His name refers to the flower known as the sweet pea." (彼の名前はスイートピーとして知られる花と関係がある)とあるように、意味的には「スイートピー」って名前なのだね。赤い花のなかった頃の。

そして、あのいつもハンバーガーを食べながらグダグダしているウィンピーは "Wind Pea" で、直訳すれば「風豆」になってしまうが、実は「そら豆」のことである。

・・・おっとしまった、このネタ、エイプリルフールまでとっとくんだったなあ。本当は彼の名前は "J. Wellington Wimpy" で、豆とは関係ない。"Wimp" (無気力人間)が元なんだろうね。

【2月17日 追記】

あとからいろいろ調べた結果、「1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在しなかった」というのは、誤りと認めざるを得ないことになった。詳しくは「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 を参照いただきたい。

 

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2021年1月20日

キムチを巡る中韓対立

韓国人ユーチューバー「キムチは韓国文化」で中国から批判殺到、解雇に” という記事に、図らずも注目してしまった。食い物の話にナショナリズムが絡むと、面倒なことになるようなのである。

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日本では「キムチは韓国の漬物」とフツーに思われていて、当の韓国人も当然そう信じているようだ。しかし中国人の常識では、四川料理の「泡菜(パオツァイ)」という辛い漬物が韓国に伝わってキムチになったということのようなのである。

そしてこれが結構な文化摩擦を生じさせている。「キムチは韓国文化」と言われると、ムッときてしまう中国人が多いようなのだ。ちなみに 「泡菜」で画像検索すると、こんな感じである。

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一見した印象だけで言わせてもらうのは恐縮だが、どうやらキムチよりバリエーションはありそうだ。そのせいか「キムチそのもの」という感じじゃなく、素直に見れば「ちょっと別物かも」という感じがしてしまう。

それでも中国人は「四川で泡菜が作られた頃、韓国という国はなかった。キムチは泡菜のバリエーションに過ぎない」と言い、一方の韓国人は「韓国内でこれほどまで広範に定着し、愛されている食べ物を韓国文化と言うのは当然」としている。

つまり「オリジナルはウチ」と言う中国と、「国際的なまでの圧倒的広まりを見せているのは、我が国のキムチ」と言う韓国との対立である。宗主国意識ありありの中国に対して、韓国が「ことキムチに関しては譲れない」と頑張っている構図が読み取れる。

この対立の煽りで、「キムチは韓国文化」と言った韓国人ユーチューバーの Hamzy は、所属する中国の事務所から契約を打ち切られた。それに対して彼女は「中国で活動するために、キムチは中国の食べ物だと言わなければいけないのであれば、中国での活動はしない」と応じ、なかなかの意地を見せている。

彼女は続けて「中国の方も、韓国で活動するために中国の食べ物を韓食と言わなくてもいい。これについては、中国の方も理解してくれると思う」と強調した。これはある程度理解できる言い分であり、単に意固地になっているというわけではないとわかる。

隣国に住む者としては「高みの見物」を決め込んでもいいのだが、この問題に限って言えば、「泡菜は豊富な中国料理のバリエーションの一つ」という中国と比較すると、「一点集中」ともいえるパワーで突進可能な韓国の方にやや分があるような気がする。

ちなみに辛いもの好きの私は、もちろん「キムチ大好き」である。「泡菜」はまだ食べたことがないが、辛くておいしければ当然歓迎だ。拒む理由は何もない。

 

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2020年12月 4日

神道式の結婚式の歴史は案外新しい

Japaaan に "日本の伝統的な結婚式…の割に実は歴史が浅かった「神前結婚式」" という記事がある。今どきの結婚式では、神道式はキリスト教式よりも少数派になってしまっているらしいが、実は 42年前の私たち夫婦の結婚式は「祓い給え浄め給え」の神道式だった。

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で、その時の印象だが、「これって、割と近代的なのね」というものだったのである。「近世的」ですらなく、「近代的」というイメージだったのだ。

それもそのはず、この形式の原型は、明治 33年に作られたもののようなのだ。Japppan の記事から引用する。

1900(明治33)年 5月 10日、当時の皇太子・嘉人親王(後の大正天皇)と九条節子さん(後の貞明皇后)の「結婚の儀」が、宮中の賢所(かしこどころ=皇祖神・天照大神の御霊代 (みたましろ) である八咫鏡を祀る)で行われました。

これに注目した日比谷大神宮、現在「縁結び神社」として人気の「東京大神宮」が式次第を簡略化させた「神前結婚式」を企画し普及に尽力したことから、国民に広まっていきました。

なるほどね。それで「近代的」なイメージになったわけだ。ほんの短い「祝詞(のりと)」と「三三九度」さえしっかりやれば、あとは「くどさ」がなく、あっさりと終わる。

もっと前々からのものだっりしたら、形式がこんなにまでお行儀よく普遍的な形で整えられてはいなかったはずだ。地域によって種々様々、多様な形で執り行われることになっていただろう。

これは結婚式のみならず他の「地鎮祭」とか「七五三」などの「今どきの神道式行事」にも言えることで、どうみても案外最近になって整えられたものという印象だ。時として「おどろおどろしさ」さえ感じさせることのある他の民俗行事とは、イメージが全然異なっているのだよね。

 

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2020年11月14日

"Under the Spreading Chestnut Tree" の手振り

3日連続の『大きな栗の木の下で』ネタである。初日に呈した謎が、2日目にしてだんだん解けてきたというのが面白く、しつこいと言われるかもしれないが、簡単にはやめられなくなってしまった。

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今日はキャンプファイアー・ソングとして広まったらしいという点に注目し、身振り、手振りに焦点を当ててみる。

 "Boy Scout Song, Girl Guide Song, with Lyrics" というページに動画があるらしいので、喜び勇んでアクセスしてみたが、「この動画を再生できません」というメッセージが空しく表示されるばかり。他の似たようなページもことごとく動画は再生できなかった。残念!

さらに、ボーイスカウトの歌というのを手がかりにしつこく検索したところ、"Scouts 4th Sevenoak" というページが見つかり、そこには身振りの説明があるではないか。だが、それってこんな具合である。

Spreading – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Chest – strike chest
  (胸を叩く: これはまんまの当て振りだね)
Nut – tap head
  (頭をチョン)
Tree – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Held – arms as though embracing.
  (腕を抱きしめるように)
Knee – strike knee.
  (膝を叩く: これもまんま当て振り)
Happy – Scowl and emit a growl.
  (しかめっ面をしてどなる)

歌詞が端折ってあるし、そもそも最後はどうして「しかめっ面をしてどなる」ことになるんだか、わけがわからない。あまり奇妙なので他を探したら、”Retired Scouter" というページも見つかった。このページの説明はよほどまともで、こんな具合だ。

Under (make hands over head like an umbrella)
  (両手を頭上で傘のような形にする)
the spreading (move hands out like tree branches)
  (両手を木の枝のような形にする)
chest (point to chest) nut (point to head) tree (move hands out like tree branches again).
  (手を胸から頭、頭上に上げ、再び最初の形に)
There we sat (hug yourself)
  (自分自身を抱きしめる)
just you (point to somebody else)
  (他の誰かを指す)
and me (point to yourself).
  (自分自身を指す)
Oh how happy (smile and point to smile)
  (笑顔を指さす)
we would be(hug yourself).
  (自分自身を抱きしめる)
(以下、最初と同じ動作)

こっちのバージョンは、我々の馴染んでいる振りによく似ている。多分日本式の元になったんだろう。

今回の『大きな栗の木の下で』ネタで判明したのは、日本語のサイトにはこの歌を大人が振り付きで歌う動画がくさるほどあるが、欧米のサイトでそんなものを探しても見当たらないということだ。これって、ある意味「文化の違い」なのだろう。

日本の場合は大人が「子ども文化」で盛り上がることにほとんど抵抗がないが、欧米の場合は「いい年して、何やってんだ?」みたいな感覚があるようなのだ。そういえば米国人の友人は、初めて日本に来た時、大人が電車の中で平気で漫画雑誌を読んでいるのを見て、最初は信じられなかったと言っていた。

というわけで、3日連続の『大きな栗の木の下で』の考察は、この辺で一段落としておきたい。検索に次ぐ検索で、かなり疲れたし。

 

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2020年11月13日

『大きな栗の木の下で』の謎が、かなり解けてきた

昨日のエントリー "童謡『大きな栗の木の下で』の謎" の続きである。謎が少しだけ解けてきたので、そのレポートだ。

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昨日の時点で、私が長い間思い込んでいた「欧米には栗なんてないから、原詩は "Under the Spreding Walnut Tree" なのではないか」という疑問は氷解し、実は欧米にも「ヨーロッパグリ」というクリは存在するので、"Under the Spreding Chestnut Tree" で何の不思議もないことがわかった。

ちなみにフランス語の "marron" というのは、この「ヨーロッパグリ」、あるいは「マロニエの実」のことであるらしい。ただしマロニエの実の方は毒があって、食用にはならないらしいのだが(参照)。

で、Wikipedia の「大きな栗の木の下で」の項にある「作詞者・作曲者ともに不詳。ヤロミール・ヴァインベルゲルの編曲(1939年)が知られている」という記述に関しては「一体、何のこっちゃ?」と思っていたのだが、しつこく検索した結果、クラシック曲としてレコーディングまでされていることが判明した。

上の画像をクリックすると、Royal Swedish Opera Orchestra の演奏の最初の部分が聞ける。かなりクラシック調にアレンジされてはいるが、聞いてみれば紛れもなく『大きな栗の木の下で』のメロディである。

画像にあるジャケットによれば、Ingrid Tobiasson というメゾ・ソプラノ歌手の歌もフィーチャーされているようなのだが、そこまではアップロードされていないのが残念だ。

通しで聞けないものかと検索したところ、時代物の SP 版から録音したらしいバージョンが見つかった(参照)。プチプチ・ノイズにめげずに最後まで聞いてみたが、歌のないフーガ形式である。

ちなみに Wikipedia の "Under the Spreading Chestnut Tree" の項には。ざっと次のようなことが書いてある。

Anne Gilchrist は、それは「イングランドの古い曲で、多分元々はダンス曲として伝えられ、近年になってモダンにアレンジされたもの」と結論づけている。

というわけで、結論的にはそういうこととしておこう。ちなみに Anne Gilchrist というのは英国の女流作家で、ホィットマンとの交流で知られているらしい(参照)。

明日はさらに、「ダンス曲」という点にこだわって、ボーイスカウトのキャンプファイアー・ソングとして広まった身振り、手振りに焦点を当ててみる。我ながらしつこいことである。

 

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2020年11月12日

童謡『大きな栗の木の下で』の謎

このところ「米国大統領選挙」なんていう大ネタで何本か書いたので、今日は久しぶりのトリビア・ネタである。トリビアもトリビア、童謡『大きな栗の木の下で』に関してのお話だ。

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高校の頃に、「うたごえ運動」なんてものに関わっていた先輩に「なんちゃら愛唱歌集」みたいなタイトルのハンドブックを押しつけられたことがある。声を揃えて楽しく歌えるような、いかにも健康的な歌が楽譜付きでどっさり収録されていたが、結局は捨ててしまって、今は手元にない。

その中の『大きな栗の木の下で』という曲には、英語の元歌と思われる原詩も収録されていて、それは "Under the Spreading Walnut Tree" ということになっていた。"Walnut" というのは「クルミ」で、「」の英語は "chestnut" である。

「へえ、元々は『栗の木』じゃなくて『クルミの木』だったのか!」と思ったのを、今でもよく覚えている。「大きなクルミの木の下で」では字余りになるので、訳詞者が勝手に『大きな栗の木の下で』に変えてしまったんだろうと納得していた。

ところがある日、ふとした気紛れで "Under the Spreading Walnut Tree" で動画検索してみたところ、どういうわけか上位に検索されるのはすべて "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だった。日本人制作の「英語で歌おう」みたいなものばかりである(参照)。

ちなみに上の画像クリックでリンクされる動画は、西洋人らしき男性が英語で歌ってはいるものの、全体的には思いっきりジャパニーズそのものの演出と雰囲気に溢れていて、気持ち悪くなるほどのギャップだ。

のみならず、それまで元歌とばかり思っていた "Under the Spreading Walnut Tree" に関しては、童画どころかそれらしいテキスト情報すら見つからない。これって一体どうしたことなのだ?

思いあまって Wikipedea にあたってみると、ざっくり言えば次のようなことだった(参照)。

  •  『大きな栗の木の下で』という歌は、イギリス民謡をもとにしており、作詞者・作曲者ともに不詳。
  •  日本語詞の 1番の訳詞者は不詳で、2番・3番の訳詞者は阪田寛夫とされるが、一部では訳詞者が寺島尚彦とされていることもある。

いずれにしても、明確な根拠は示されておらず、情報としてはかなり心許ない。アメリカのボーイスカウト・ソングとして広まったという説もあるが、これもしかとは確認できない。

そもそもの話として、原曲のタイトルが "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だなんて、私は信じていない。「クリ」という植物は東アジア固有のもの(参照)だから、ヨーロッパやアメリカで童謡になるほど親しまれているとは、まったく考えられないのだ。

【追記】この点に関しては、下の【追記 その 2】を参照のこと。個人的には不明を恥じるばかり。

原曲が英国発祥だとしたら、やはり "walnaut tree" (クルミの木)なのだろうと思うほかないではないか。あるいはもしかしたら本当は日本語が先で、英語は後からこじつけられたんじゃないかという気さえするほどだ。

この歌に関する目の覚めるような情報をお持ちの方がいらしたら、どうかご教示いただきたい。

【追記】

ことのついでにさらなるトリビアだが、この英語の歌を紹介する動画では、栗の実がまるで柿の実のように、そのまま木の枝になっているのが 2本もあるのに(参照 1参照 2)、イガに包まれているのは、上で紹介した動画以外にはほとんど見つからない。

今どきの動画スタッフは、自然の状態の栗の実の姿を知らないようなのだ。児童教育用童画なんだろうに、逆に教育に悪いよね。

【追記 その 2】

ありがたいことに automo さんという方が、さっそく「目の覚めるような情報」をコメントしてくださった。

なんと「クリ」は確かに東アジア固有のものだが、欧米にはよく似た種類で「ヨーロッパグリ」というのがあるというのである (参照 1参照 2

なるほど、そういうことなら原曲の詩が "Under the Spreading Chestnut Tree" でも不思議はない。

とはいえ、この歌の Children song に関する記述が、日本以外のインターネットの世界に見当たらないということに関する疑問は、まだ晴れない。

 

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2020年9月26日

「現金なやつ」と、キャッシュレス後進国

Japaaan Magazine のサイトに "よく「現金なヤツ」というけど…その語源を調べてみたら、文字通りの通貨だった" という記事がある。「現金なヤツ」の「現金」というのは、とりもなおさず、お金の「現金」ということだったというお話だ。

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江戸の昔は「掛け売り」が盛んで、月末にまとめて払うというのが一般的だった。ところがこれだと、払いを踏み倒されるリスクもあり、店側としては「いつもニコニコ現金払い」してもらうに越したことはない。

で、現金払いしてくれるなら客の言う多少の無理は聞かないこともないということだった。そんなわけで、この記事では次のように説明されている。

例えば客が無理な条件を提示した時、ツケ払いなら「あきまへん」など一刀両断にされるところ、「現金一括で支払うからさ」とカネを出したら「勉強させてもらいますわ」と手のひらクルリ。

そんな変わり身の早さを「現金なヤツ」と呆れるやら、商売上手を感心するやら……というのが語源だそうです。

で、この記事の 2ページ目に使われているのが、奥村正信の浮世絵『駿河町越後屋図』(上図: クリックで拡大表示される)で、よくみると左側の鴨居に「現金かけねなし」の貼り紙がある。

この駿河町越後屋という呉服屋は、実は現在の百貨店、三越の前身で、Wikipedia の「三越」のページに、次のように紹介されている。

江戸時代の1673年(延宝元年)に江戸本町一丁目14(後の駿河町、現・東京都中央区日本橋室町の一部)において、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。1928年には「株式会社三越」となった。

今は、下手すると時代から取り残されかねない百貨店だが、江戸時代は世界の最先端を行くビジネスモデルとしてスタートしていたわけだ。

そしてその最先端のビジネスモデルを描いた浮世絵に、さらにまたアバンギャルドな絵画手法が使われている。左側の間はオーソドックスな遠近法で描かれているのに、右側の間は一見すると、奥に行くほど広がっているように感じられることにお気付きだろうか。

このように、近代西洋画的な遠近法にとらわれないというのが浮世絵の特色だが、さればといって、遠近法の発想とテクニックがなかったわけでもない。それは左側の間がおおむねちゃんとした(天井の描写がちょっと辻褄合わないが)遠近法で描かれていることからもうかがわれる。

そして右側の間は壁で隠されている部分が多いので、遠近法なんて適用してもしょうがないと言わんばかりだ。「その辺のことはわかってるけど、あえて理窟にはとらわれないもんね」ということのようなのである。

要するに、当時の日本人の発想というのはかなり自由奔放、自在の境地に遊ぶというところがあり、そんなところからも「現金正札販売」を打ち出すビジネスモデルにつながったのではないかと思ってしまうわけだ。

ただ、この「現金正札販売」重視のポリシーが、時代の変わってしまった今では「日本はキャッシュレス後進国」ということになって現れているのかもしれない(参照:時代遅れの「現金主義国家」日本)。世の中の移り変わりというのは、なかなか難しいものである。

 

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2020年9月 6日

「納豆」を「ナロゥ」なんて言うから食えないんだよ

NewSphere の 9月 3日付に "「日本のスーパーフード」納豆に海外が注目 米番組の試食では……" という記事がある。副タイトルの 「米番組の試食では......」の最後に付いた 「......」が、かなり意味シンだ。

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この記事は、「イギリスの医学誌に掲載された論文で、納豆を多く食べる人ほど長生きするという研究結果が発表され・・・」と紹介している。そして記事の 2ページ目の動画は、テキサス州サンアントニオのテレビ局 KENS5 の納豆レポート だ。

動画の前半では、マーシャルアート(格闘技)のインストラクターが納豆のおかげで高血圧症を克服したという体験のインタビューが流れる。そして最後が、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図だ。

これの元記事のタイトルは、"Studies suggest Japanese superfood Natto could extend your life, if you can stomach it" (研究によれば日本のスーパーフード、納豆は寿命を延ばすという。もしそれを胃袋まで飲み下せば)なんていうものだ。納豆も、ここまで特別扱いされるのだね。

動画のナレーターは、この ”sticky, slimy and smelly(ネバネバでベトベトで臭い)fermented soybeans(発酵大豆)" を、"It's called 'natto'" (それは「納豆」といいます)と紹介している。ただ米語発音の常として、日本人の耳には "natto" が「ナロゥ」と聞こえてしまうのだ。

これは日本人の耳がおかしいとか、英語に慣れてないからとかいうわけじゃなく、彼らが実際にそう発音してるんだから仕方がない。私は冒頭のナレーションを聞いた瞬間、「『ナロゥ』って何だ? 『納豆』の話じゃなかったのか?」なんて思ってしまったよ。

私自身、フツーに "better" を「ベラ」、"bottom" を「バルム」みたいに発音する人なのに、「納豆」に限っては「ナロゥ」と発音されて戸惑ってしまったのだ。それほど「ナットー」というのは、音としても日本人の脳の底まで深く染みこんでいるわけなのだね。

しかし、大したもんである。納豆で高血圧症を乗り越えた格闘技インストラクターの男性は、きちんと「ナットー」と聞こえる正しい発音で「納豆」の良さを説明し、おいしそうに食べてみせる。納豆の本場、茨城県に生息する私としては「それでこそ!」と思ってしまったね。

彼は多分、納豆を食することに関して耳情報から入ったのだろう。"Natto" をちゃんと 「ナットー」と発音する日本人に、口伝えにその効能を伝えられたに違いない。

続いて、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図となる。ちなみに彼らの発音は、揃って見事に「ナロゥ」である。文字としての "natto" から入ると、米国人はどうしてもこうなる。

そしてこれがもう、4人ともまともには食えない。目の前にある納豆をかき混ぜてみるだけで複雑極まりない表情となり、恐る恐る口に入れては妙に切羽詰まったような顔になる。

女性キャスターは "acquired taste" (後天的に後にならなきゃわからない嗜好品の味)なんて表現している。しかしこれはおかしい。私は記憶に残っていないほどの幼い頃から、フツーに納豆を食べていたはずだから、「後にならなきゃわからない」なんてことはない。

実際にはむしろ、納豆を見て気持ち悪いと感じる反応こそが、後天的なものだろうと思う。物心ついて以後に「糸を引くようになったら、そりゃ『腐ってる』ってことよ」と学んだことが、決定的に邪魔しているのだ。これが「後天的」な要素でなくて何なのだ。要するに、余計なことを考えずに食えばいいのだ。

ここまで来ると私としては、「お前ら、畏れ多くも『納豆』のことを『ナロゥ』なんて言うから良さがわからくて、食えないんだよ!」と言うほかないと確信してしまったよ。

ということで、今日はこんなところでお粗末様。

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2020年8月19日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 2

昨日は「左上右下」(左が上位で、右が下位)という伝統文化における「左右」という問題のややこしさにチラリと触れて、「この問題に関する宿命でもある」なんて書いた(参照)。それで今日は、このややこしい問題について書くことにする。

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例えば「左が上って言うけど、舞台の『上手』って、右側じゃん」なんていう誤解がある。これについては実は、一昨年の 10月 3日に、"「左上右下」と 舞台の「上手/下手」" として既に書いてしまったことでもあるが、視点を変えて再び触れよう。

こうした誤解は結局、「上下は重力に規定されるからある意味普遍的だが、左右は相対的」ということから発する。「左右」は「視線の方向」によって裏返るから、話がややこしくなるのである。

舞台の「上手」は観客の視点からは「右側」だが、舞台上の役者からすれば「左側」で、実はこれが本来の発想なのだ。一昨年の記事でも「日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである」と、種明かしをしている。役者は「神の代理」として舞台に立っているのだ。

障子戸やふすまの場合も、人間の側からは右側の戸が手前に見える。ところが昨日触れた日経のサイトの「右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」という記事では、「ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則」なのだという。

つまり舞台と同じ発想で、人間より障子戸やふすまの方が優先なのだ。ある意味シュールな話で、障子戸やふすまにまで神が宿っているかのようである。

そして「着物は『左前』で着ない」という話に至ると、さらにややこしい。上述の記事の解説もこんな具合に、わかってる人にしかわからないような煩雑さだ。

自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。

つまり自分の視点からだと「左前」が正しいのだが、着物に限ってはどういうわけか向かい合う相手の視点を採用しているので、「右前」が正しいなんていう変則的でわかりにくい表現になる。こうしたややこしさは、基本的には「(相対的な)視点による問題」に尽きると言えるだろう。

ちなみに障子戸、ふすまの場合は、人間から見て左側を先にセットするのだから、便宜的に「左先」と言う方が解りやすいと思う。この記事の発端となったラジオ体操の順番とも整合するし。

この記事では結局これが言いたかったみたいなものだが、着物の着方に関しては「右先」になってしまうのが痛恨だ。これも突き詰めれば「視点の問題」ではあるのだけどね。

 

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2020年8月18日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 1

65歳を過ぎた頃からどういうわけか、NHK ラジオに合わせて「ラジオ体操」というのをするようになった。若い頃は「こんなもん、軽すぎてちっとも運動にならんわ」なんて思っていたが、近頃では朝一番の運動としてちょうど手頃と感じるのだから、年は争えないものである。

200818

ところでラジオ体操では、前後の動きでは当然ながら前が先だが、左右に関してはいつも左が先と決まっている。子どもの頃は「どうして左が先?」と不思議だったが、これ、日本では飛鳥時代からの伝統であるらしい。日経の「くらし&ハウス 暮らしの知惠」というサイトに詳しく解説してある。

右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」というページで、初出は「日経プラスワン」2013年 2月 2日付だそうだ。インターネットの世界広しと言えども、私の見るところ、この問題についてはこのページが最も適切にしかも解りやすく説明してある。

「左の方がエラい」というのは「左上右下(さじょううげ)」と言われる原則で、体の動きにしてもこれに沿って左が先と決まっている。この思想は大昔に唐の国から遣唐使が持ち帰ったもので、その根拠はこんなようなことであるらしい。

皇帝は不動の北極星を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、日は左の東から昇って右の西に沈む。日の昇る東は沈む西よりも尊く、ゆえに左が右よりも上位とされた。

いわゆる「天子南面」に発するもので、なるほど、理窟である。というわけで律令制のもとでは、「左大臣」の方が「右大臣」より偉かった。今でも「格上の人が左に座る」というのがビジネス・マナーとされているし、ラジオ体操の体の動きでも「左が先」となっているのだから、なかなか馬鹿にならない(参照)。

とはいえ、本家本元の中国では「王朝や時代の変遷によって『左上位』と『右上位』がしばしば入れ替わった」というのだから、「何だよ、それ!」と言いたくなってしまう。一度伝えられたことを律儀に守り通している日本は、かなり(あるいは無駄に?)生真面目な国なのかもしれない。

もっとも西洋では、英語でも「右」を「正しい」という意味ももつ "right" という言葉で表すほどで、「右が上位」と決まっており、それがそのまま国際儀礼になってしまっている。それで日本の皇室もそのプロトコルに沿い、今は天皇陛下が右に立たれるという。(ひな人形も「関東式」はそう飾る)

「左右」というのは突き詰めていくと結構ややこしい話になるが、それはこの問題に関する宿命でもある。これについては長くなるので、稿を改める。

 

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