カテゴリー「比較文化・フォークロア」の335件の記事

2023年11月15日

本の外側の箱は、その道では「函」というらしいが

「何とか全集」とか辞書などの類いの本には、外側の箱が付いていることが多い。しかし外国ではどんな豪華本でもこんな箱の付いているのは見たことがないので、どういうことなんだろうと急に気になってググってしまった。

231115

ブックカバー(表紙に付けるカバー)が日本独特のものとは知っていた(参照)が、もしかしたらこの箱もそうなのかもしれない。ちなみにこれを正式に何と称するかについては、Yahoo! 知恵袋にも以下のように諸説あって(参照)、決定版とも言うべき正式名称ってないみたいなのだ。

  • 「函(はこ)」または「ケース」といいます。
  • 業界用語で「貼函」、一般用語では「外箱」「ブックケース」というそうです。「貼函」という語は、箱の中(本体)を段ボール紙で作り、上から装丁用の紙を貼るので、そのように呼ばれるとのことです。
  • ”外装箱”といいます。略して”外箱”ってよんでます。

どうやら一般的には「外箱」で漢字表記も「箱」でいいようだが、その道に深入りすると「函」という表記になるようなのだ。そして上の 2番目に登場する「貼函」というのは、片側の狭い口から入れるいわゆるフツーの「外箱」じゃなくて、こんなような豪華本用の蓋付きの箱を指すようだ。

2311155

さらに問題は「ケース」とか「ブックケース」とかいうカタカナ名前だが、これらはまともな英語とは到底思われず、"bookcase" で画像検索すると、以下のようにいわゆる「本棚」ばかりが出てくる。つまり英語で "bookcase" と言ったら、フツーはまず「本棚」が頭に浮かぶってことだね。

2311152

じゃあ、この「外箱」のことをホントの英語ではなんというのか、辞書サイトの英辞郎で調べてみるとこんな結果になった(参照)。

2311154

一番上の "forel" というのは「(本の)」というもっともらしい但し書きのせいで逆に不安になり、"forel" で画像検索をかけたら、魚の画像ばっかり出てきた(参照)。そして Wictionary では ”forel" が次のように説明されている(参照)が、いわゆる「外箱」とは別物としか思われない。

A kind of parchment for book covers; a forrill. (一種のブックカバー用羊皮紙; forrill とも言う)

一番下の "slipcase" も、文字通り滑らせるように入れるケースってことで、別に本のケースに限らないだろう。要するに「眉唾」だ。

いろいろ調べてみたところ、「日本における書籍函の盛衰について」というかなり信頼の置けそうな研究レポートが出てきて、その冒頭近くに次のようにある。

明治初期(19世紀半ば)わが国に導入された洋式製本の技術は,それまで日本に定着していた文化と技術の伝統を活かし様々な冒本型の製本様式を作り上げるが,以下に述べる書籍用函もその一つの例である。

なるほど、やはりこれもまたブックカバー同様に、日本独特の様式なのだね。道理で、英語でどういうのかなんて調べてもまともな訳語が示されないわけだ。

ちなみに私の手持ちの紙の辞書は、「外箱」をすべて処分してしまってる。あんな邪魔くさい「ハコ」があるから、気軽に辞書を引く習慣がつかなくなるんじゃなかろうか。

 

| | コメント (0)

2023年10月23日

ハロウィーンの「異教性」を巡る冒険

渋谷での大騒ぎが問題になっている「ハロウィーン」だが、チェコでは子供たちが作ったカボチャのランタンをキリスト教の神父が破壊し、謝罪に至ったという。どうやらこの行事の「異教性」が問題であるらしい。

231023

クルデヨフ村の公園に並べてあったカボチャのランタンを踏みつぶしたのは、カトリック教会「洗礼者ヨハネ教会」で司祭を務めるヤロミル・スメイカル神父という人だという。彼は村のフェイスブックページに謝罪文を公開したが、記事によれば次のように自身の主張も交えているらしい。

「自分の信仰と、神父として、そして私に託された子供たちの保護者としての義務に従い、これらのシンボルを取り除いた」と述べた。

また、現代のハロウィーンの伝統については、カトリックの万霊節に対抗するものであり、「異教の現代世界」で考案されたものだと、自身の見解を示した。

ハロウィーンは公式なキリスト教の公式な祝日である「万聖節(All Hallows' Day)」の前夜祭と位置付けられるという説もあるが、そもそもの起こりとしてはもっとフォークロアリスティックなイベントから来ているらしい。Wikipediaは、ケルト人の祝祭が発生だったとしている(参照)。

それだけにキリスト教でも解釈がいろいろあって、「異教的なもの」として退けられることもある。今回のニュースの主役、チェコのスメイカル神父はそうした中でもとくに強硬な存在みたいなのだ。2日間にわたってカボチャを踏みつぶしてたというのだから、「強硬 + マメ」でもある。

そんなような複雑な事情もあって日本での定着の仕方もクリスマスほど単純にはいかず、いろいろと試行錯誤している。私はそれに関して、次のような記事を書いている。

ハロウィーンのバカ騒ぎと 1970年頃までのクリスマス(2018/10/29)
ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日(2022/9/14)

いずれにしても「ハロウィーンのこなし方」はチェコ辺りでも混乱するぐらいなのだから、東洋の島国日本でなかなかすっきりすることがなくゴタゴタするのは、当たり前と言っていいのだろう。

 

| | コメント (2)

2023年9月23日

マクドナルドの CM に見る日米の大きな違い

KAIKORE に "日本マクドナルドの CM がなぜか米国でバズる、「ポリコレ要素がない」ことに驚くアメリカ人続出(海外の反応)" という記事がある。(下の画像クリックで、日米の Mac の CM 動画にリンクする)

2309231 2309232

上の左側は、記事で紹介されている米国版 Mac の CM。2020年のものだが、黒人のトランスジェンダー女性がシンプルながら強烈なメッセージとして、”Stop killing us.” (私たちを殺すのを止めて)と呼びかけている。そして右側は日本の「特別じゃない、しあわせな時間」という CM だ。

一見するだけでまったく別世界という印象である。米国版は切実な「ポリコレ」(political correctness)そのものだし、日本版は絵に描いたような(まさに絵に描いてあるわけだが)平凡な幸せだ。マクドナルドに付随するイメージって、日米でこんなにも違うということなのだろう。

2つの CM から読み取れることは、米国では「正しさ」が追求されるが、日本では「フツーで充分」ということだ。ただ私個人としてはこの日本版 CM には日本人ながらちょっとした「気持ち悪さ」を感じてしまうのだが、おかしいかなあ。

日本人は「フツー」でないことからは敢えて目を逸らす。「ジャニーズ問題」などはその典型で、多くの人に薄々、あるいはかなりはっきりと知られていたことなのに、これまで誰も問題にしようとしなかった。

今頃になってジャニーズ事務所所属のタレントを CM に起用しないという動きが広まっているが、それでも昨日時点では、帝国データバンクの調査に「起用しない」と回答しているのは 49% に過ぎない(参照)。米国だったら、そんな事務所のタレントの CM 起用は不買運動を引き起こすだろう。

というわけで、日本という国はいつの場合も「穏やかに、穏やかに」ということのようなのだね。

 

| | コメント (2)

2023年9月14日

ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日

昨日、妻に付き合ってショッピングモールに行ったところ、多くの店で「ハロウィーン」向けのセールをしており、とくに 100均の力の入れ方がハンパなかった。1ヶ月以上も先のイベントでこんなことになるというのは、ハロウィーンが日本の定番イベントになったということなんだろう。

そんなわけで「今年も渋谷で馬鹿騒ぎが繰り返されるのか」なんて思っていたところ、当の渋谷区長が「ハロウィーンで渋谷に来ないで」と呼びかけていると知った。上の YouTube 動画は、TBS ニュースで取り上げられたものである。

そういえば私はもう 5年前になる 2018年 10月 29日付で、「ハロウィーンのバカ騒ぎと 1970年頃までのクリスマス」という記事を書いている。昨今のハロウィーンの騒ぎが、半世紀前のクリスマスの浮かれ具合と共通しているとしたものだ。

戦後まもなく、西洋の風習である「クリスマス」というのが日本にも本格的に入ってきたわけだが、当初はそのちゃんとした意義がほとんど理解されていなかった。日本の大人たちにとってのクリスマスとは、子どもへのプレゼントさえ準備してしまえば、あとは享楽的に楽しむべきイベントだったのである。

それでオッサンたちはクリスマス・イブには会社帰りにキャバレーなんかにどっと繰り出し、一晩中ホステスとチークダンスしたり変な紙帽子をかぶって飲んだくれたりしていたのだった。当時の日本人にとっての西洋文化って、「派手な享楽」を意味していたようなところがある。

230913_20230913134101

上の写真は withnews というサイトに紹介された、1955年 12月 24日に撮影されたものである(参照)。今の目からみるとかなりダサダサの光景だが、元記事には「昨今のハロウィンの渋谷が、脳裏をよぎりました…」とある。なるほど、今はオッサンが若者に変わっただけかも。

この写真の年、私は 3歳だったが、その後も物心つくまでずっと、オッサンの世界のクリスマスってこんな感じだったようだ。当時家にはテレビがなかったが、冬休みに映画館で見るニュース映像(当時の映画館はニュース・メディアでもあった)に、こんなような浮かれ騒ぎが映し出されていたものだ。

クリスマス・イブって「聖なる夜であって、享楽的なものじゃない」とようやく少しずつ認識され始めたのは、最初の東京オリンピックが開かれた 1964年頃だったと思う。この頃、日本経済は戦後復興からの反動で不況に入りかけ、それが正気を取り戻すきっかけになったようだ。

それから 1970年頃までかかってようやく、日本の社会ではクリスマスの「馬鹿騒ぎ」が下火になった。クリスマス本来の趣旨が日本中に行き渡るまで 15年以上もかかったわけだ。同様に考えれば、ハロウィーンの馬鹿騒ぎが沈静化するにも 15年以上かかるかもしれない。

ハロウィーンが日本で盛んになったのは 2010年ぐらいからだったという印象がある(参照)。ということは、沈静化するのは 2025〜26年よりも後と思っていいんじゃなかろうか。あと 3〜4年で馬鹿騒ぎが廃れ、子供たちが近所でお菓子をもらう日ということに落ちついてくれればありがたい。

あるいは、今は情報化社会だから昔よりずっと早く理解されるはずだと言う向きもあるだろう。しかし「ハロウィーン」というのはある意味とりとめがなくて、「イエス・キリストの誕生日」という明確な意義のあるクリスマスよりずっと理解しにくいイベントだから、このくらいかかっても不思議じゃない。

で、今回の渋谷区長の発言が「ハロウィーンの馬鹿騒ぎ、カッコ悪過ぎ!」という風潮に突入する契機になってくれればいいと私は期待するのだが、はたしてそううまく運ぶかどうか。3〜4年後の秋になってもこの記事を書いたことを忘れていなかったら、ちゃんと検証してみたいと思う。

 

| | コメント (4)

2023年9月11日

ヨガの瞑想を「集団殺人」と思い込んでしまい・・・

AFP BB News の "「集団殺害」の通報…実はヨガ教室 英" というニュースに笑わせてもらった。何人もの人が床に脱力状態で横たわりじっと動かないという場面を見たら、西洋人は直感的に「死んでる」と思ってしまいがちなのだろうね。

230911

元ネタは AFP(フランス通信社)の記事のようだが、私はフランス語は全然ダメだし、そもそも英国の話なので英語の記事を検索したところ、あちらでは結構な話題のようで多くの記事が見つかった。ここではとりあえず The Gardian の記事に沿うことにする。

要するに、集団で横たわって瞑想しているヨガのクラスをガラス越しに見た公共メンバーの一人がてっきり「集団殺人」事件と勘違いして通報したため、警察が駆けつけたという話である。警察は、この通報を ”good intentions" (善意)によるものだとしていて、まあ、善意じゃ仕方ないよね。

動的なエクササイズは見慣れていても、静的な瞑想なんてことに馴染んでいない西洋人には、複数の人間が横たわったままじっと動かないという光景が、非日常的どころかとてつもなく異常な印象を与えてしまったのだろう。文明の違いというのは、結構な勘違いにつながる。

ちなみに冒頭で紹介した AFP BB News の記事は、このヨガ・クラスの会場を「シーサイドカフェ(The Seaside Cafe)」と伝えているが、これは誤りで、正しくは「シースケイプカフェ(Seascape Cafe)」。

この Seascape Cafe は事件の翌日、Facebook に「夕べけたたましいサイレンを聞いた方は、どうぞご安心ください」と写真付きで投稿し、ことの顛末をユーモア交じりに説明している(参照:初めに表示される日本語は下手すぎる自動翻訳なので、オリジナルのデキストを表示させるのがオススメ)。

ちなみに、文中の "We are not part of any mad cult or crazy clubs" (我々は狂ったカルトやクレイジーなクラブの構成員ではありません)というのが泣かせてくれる。英国でもカルトは問題なのだね。

2309113

このカフェは ”Seascape Cafe” の名の通り美しい北海に面する天文台の建物内にあるということで、とてもいいメディテーションができそうな環境だ。結果的にこの「事件」は、むしろ効果的な宣伝になったかもしれない。

最後にちょっとだけおちょくっておくが、AFP が「シーサイドカフェ(The Seaside Cafe)」と伝えてしまったのは、狂信的な集団自殺をも思わせる勘違いが発端だけに "Suicide cafe" (自殺カフェ)という連想に引きずられたのかもしれないね。気持ちはわかるし、私もやっちまいそうだ。

 

| | コメント (0)

2023年9月 5日

あの英国でも、紅茶よりコーヒーが優勢に

あの英国でも紅茶よりコーヒーが飲まれるようになったと伝える、The Guardian の記事を見つけた(参照)。ただ、ことさらのように上品なミルク・ティーの写真が添えられていることから察すると、筆者の Coco Kahn さんはこの現象に少なからずムカついているようなのである。

2309051

記事のタイトルは ”Coffee is nudging tea aside in the UK’s affections. What can this civilisational shift mean?” で、"nudge 〜 aside" というのはちょっとビミョーで訳しにくいが、「〜を軽く押して脇をすり抜ける」みたいな感じかなあ。英国に限らず、決して行儀のいいことじゃない。

というわけで、「英国は嗜好品として、コーヒーが紅茶をすり抜けて前に出ている。この文明的な変化は何を意味する?」というお話になっているわけだ。このお行儀のよくない変化は Kahnさんにとって飲み物の問題にとどまらず、文明論的一大事のようなのである。

Kahn さんはマークス・アンド・スペンサー・カフェで母親とお茶しながら、「最近、カップとお皿が使われなくなってるのに気付いてる?」と聞いたという。こんな話になったのは、このカフェで飲み物の提供に使われる容器が変わってしまったからのようだ。

以前は上品な模様の付いた陶器のカップと皿のセットだったのだが、”And now it was a mug. A mug!” (この時は、マグだったのよ、マグ!)と、憤慨したように書かれている。うぅむ、私としてはスターバックス的な大きめのマグはむしろ歓迎なんだがなあ。

2309052

飲み物の容器の変化は、当然の如く中身の変化も意味する。とくに若い層が、他の欧州人のように気軽にコーヒーを飲むようになったと、彼女は指摘している。これって、ライフスタイル全般の変化と関連していると言いたいようなのだ。

そういえば 1990年代初めに英国系の団体に勤務していた頃、給湯室にコーヒーマシンが置いてあって飲み放題だったので、コーヒー党の私は 1日に少なくとも 5〜6杯は飲んでいた。ところが英国から出張してくるジョンブルたちは「日本人と米国人はコーヒー飲みすぎ」と、嫌味っぽいことを言うのだった。

こんなことを言うほどに、あの頃の英国人はコーヒーより紅茶を好んでいたように思う。ところが 30年経った今、彼らの嗜好は逆転して、調査によればフツーに紅茶を飲むと答えたのが 59%だったのに対し、コーヒーを飲むという回答は 63%だったというのである。

ただ、30年前でも英国の若い連中の中には「本当は私もコーヒーが好きなんだけどね」とこっそり打ち明けるのがいた。「コーヒーの方が気軽だし飲みやすいし、それに第一おいしいし、当然だよね」とは、大きい声では言えなかったが、今なら言っても良さそうだね。

ここでそもそもの話をすれば、英国に紅茶が入って来たのは 17世紀後半で、既存の「コーヒーハウス」で提供されていたというのが定説だ。つまりコーヒーの方が先だったわけで、しかもその紅茶が庶民にまで広がったのは 18世紀後半の産業革命以後だったと言われている(参照)。

紅茶を飲むなんて 10年に 1度もない私にしてみれば、英国では 100年かけて広まった紅茶からコーヒーに回帰するのに 300年近くかかったということの方がずっと驚きなのだよね。Kahn さんには悪いけど。

 

| | コメント (0)

2023年8月15日

「袋とじ」の意味が時代とともに変わったらしい

えな鳥 さんという方の tweet(参照)がきっかけで、最近は「袋とじ」というものの意味が違ってきていると知り、愕然としてしまった。私としても「袋とじ」と言ったら、下の写真の「和綴じ」のようにしてしまうだろう。

230815

えごん さんの tweet(あれ、今は tweet じゃなくて何て言うんだっけ? まあ、とりあえずいいか)はこんな感じ。

「契約書を全部袋とじにしといて」って言われたので国文学科で数々の袋とじ和書を見てきたワイは全部画像みたいにとじて持って行ったんだけど、ビジネス用語の「袋とじ」はなんか全然意味が違うらしくて上司がキャーって悲鳴あげてて面白い

今のビジネス文書の世界で「袋とじ」と言ったら、バックオフィス進化論というサイトによればこんな風になるらしい(参照)。各ページは真ん中から二つ折りなんてことはせずにそのままホッチキスで綴じ、出来上がりの左端を別に作った背表紙で覆う。

2308152

左端の背表紙部分が見ようによっては「袋」に見えるので、こう呼ばれるらしい。昨日話題にした「前向き駐車」といい、「世間の常識」と言われることでも知らないことって結構多いものである。

件の tweet では、「国文学科で数々の袋とじ和書を見てきたワイは・・・」とあるが、和書を見てきたキャリアでは学生時代に「歌舞伎」なんてものを研究していた私も引けを取らない。ちなみに江戸時代の和書というのは下のようなウニャウニャとした草書と変体仮名なので、英語を読む方がずっと楽だった。

2308153

そして提出した修士論文も、当然ながら「和綴じ」である。棚の奥を引っかき回したら、古色蒼然としたカバー付き和綴じの論文が出てきた。ちなみにこのくらい分厚くなってしまうと、フツーのホッチキスで綴じることなんてできない。

2308154

中身は 400字詰め原稿用紙の手書きの 2つ折りである。今どきは手書きで卒論や修士論文なんて提出する学生はいないだろうが、当時はワープロというものが世に出たばかりの頃で、日本初のワープロ、東芝の JW-10 は 630万円もしていた(参照)のだから、別世界の話だった。

いやはや、本当に時代は変わったものである。

 

| | コメント (2)

2023年7月18日

日本だけでなく、欧米各地も暑いらしいのだが

連日の猛暑でぐったりしてしまっているが、この暑さは日本だけではないようだ。AFP BB News は 7月 16日付で「欧米各地、記録破りの暑さに 危険な熱波襲来」と伝えている。下の画像は、このニュースで紹介された欧米の様子だ。

2307181

この記事によれば、米国西部では 16日の最高気温が平年を 6~12度上回るとの予報が出されたという。アリゾナ州フェニックスでは最高気温が連日 43℃ を上回っており、16日は 46℃ と予想されていた。ヨーロッパでも、ローマの最高気温が 18日には 43℃ に達し、2007年に記録された 40.5℃ を上回るものとみられている。

こうしてみると、37〜39℃ で「危険な暑さ」と報道されている日本がまだマシに思われるほどだが、ただ、日本の場合は湿度がやたら高いからその「危険さ」はまた別物だ。とにかくマジで「命を守る」ことを考えて行動しなければならない。

ちなみにこのニュースのタイトルは、冒頭で紹介したとおり「欧米各地、記録破りの暑さに・・・」というものだが、実際には東京の暑さを伝える写真もいくつか紹介されている。こんな感じだ。

2307182

気温は数字的に 40℃ 以上の欧米には及ばないが、写真から感じられる暑苦しさとしては東京の方が遙かに上という気がしてしまう。とくに右側の写真の炎天下でジョギングをしている男性には、マジで「よくやるなあ!」と言いたくなってしまうほどだ。

というわけで我々も、暑いときにはもっとゴロゴロしててもいいんじゃないかなあ。

 

| | コメント (0)

2023年7月 7日

中国人と「暖かいご飯」の親密な関係

下の画像は、Twitter に投稿された中国の特急列車内の光景である(参照)。なんと、車内のコンセントにつないだ電気釜で炊いたご飯を、家族銘々の茶碗に堂々と盛りつけている肝っ玉おっかあの動画付きだ。

230707

中国人は冷たいご飯を食べたがらないというのはよく聞くところだが、ここまでやるというのはスゴい。とはいえ、それをスマホで動画に撮り、「中国智慧」(!)として tweet しちゃう人がいるぐらいなのだから、さすがに「よく見られる光景」というわけでもないのだろう。

この関連では、巫俊(ふしゅん)さんという方が「中国人が冷たいご飯を食べないのは、後漢時代の寒食禁止令に由来してます」と tweet しておいでだ(参照)。政府による衛生指導として、かの曹操が禁止したのだそうだ。

2307072

とはいえ、人間というのはいくら禁止されたところで、食いたいものなら隠れてでも食う。ということはそもそもの話として、中国人は冷えたものが好みじゃないのだろう。

列車内では日本人なら「駅弁」を食うところだが、駅弁のメシが暖かくて湯気が立ったりしていたら、逆に違和感だろう。ところが中国人としてみれば、「何が悲しくて、そんな冷たくなったメシを食わなきゃいけないんだ?」となる。

なにしろ、中国軍がドローンを使って前線に「温食」を運ぶ実験を繰り返しているというニュースも報じられているぐらいである(参照)。暖かいメシに関する彼らのこだわりは、半端じゃないみたいなのだ。

というわけで、隣の国とはいえ、何から何まで理解し合うというのはなかなか難しいものである。

 

| | コメント (4)

2023年5月15日

鹿児島弁の「へがふっど」が、わかってしまった

Twitter で 筋肉博士という人が「桜島の噴火予報アプリがあるって聴いたから入れたけど、何を書いてあるのかよくわからない」と tweet しておられる(参照)。「へがふっど」という名前のアプリのことのようだ。

230515

で、なぜか申し訳ないみたいな気がしてしまうのだが、私ってば、この「へがふっど」の意味、なんと一発でフツーにわかってしまったのだよね。「灰が降るよ」ってことだろう。

庄内弁で同じことを言うと、「へぇふっぞ」で、より極めると、「ふぇ〜ふっぞ」となる。古い日本語では「はひふへほ」は「ふぁふぃふふぇふぉ」と発音され(参照 1参照 2)、庄内弁にはその痕跡があるのだ。これだけみたら、我が庄内弁の方が鹿児島弁よりさらに難度が高そうな気がしてしまうじゃないか。

私は 20年近く前の 2004年 7月 16日に「鹿児島弁は本当にわからない」という記事を書いている。日本の大抵の方言ならなんとか理解できるが、鹿児島弁だけはさっぱりわからない(ただし、琉球の島言葉は別格)という内容だ。ところが、「へがふっど」はしっかりとわかってしまったのである。

柳田国男は『蝸牛考』という書の中で、「方言周圏論」という学説を唱えている。言葉というのは中央で新しい言葉が生まれ、古い言葉は周辺に残るので、同心円状に遠いところの言葉同士が共通する形になるという試論だ。

この論に基づけば、「灰」のことを「へ」あるいは「ふぇ〜」と言う地域が庄内と鹿児島という、都から遙か離れた所に存在するというのは、「なるほど、さもありなん」ということになるだろう。

さらに Nicheeee!というサイトには "鹿児島弁検定にも出る?「へ」3つの意味" という記事がある。3つの意味とは「屁」「灰」「蠅」なんだそうだが、これ、わが庄内でもまったく同じなのだ。ただ、庄内では「灰」は「あぐ」(「あく」の訛り)ということの方がやや多いかな。

もし再び鹿児島に行くことがあったら、その気でナマの鹿児島弁をじっくり聴いてみようと思う。案外わかったりするかもしれない。

ちなみに、庄内弁で「へぇふる」というと、「灰が降る」ということのほかに「おならをする」という意味にもなる。これ、鹿児島弁では「へをひる」というようだが、「ふる」と「ひる」も、似てるといえば似てるよね。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧