カテゴリー「比較文化・フォークロア」の276件の記事

2020/07/08

正座と胡座(あぐら)

「知識連鎖」に「正座の由来は格下の座り方 歴史的にはあぐらが古く千利休もあぐらだった」(7月 7日付)という記事がある。下の画像を見ればわかるように、千利休は確かにあぐらで座っている。

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Wikipadia の「正座」の項にはm次のようにある (参照)。

正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。
平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。

江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。

なるほど。正座というのは、将軍に相対する時の姿勢が広まったもので、さらに畳の普及と切り離せないようだ。上の図のように、エラい人が半畳分ぐらいの座に胡座をかいているのに、いくら下座の者と言っても、堅い木の床の上に正座しろというのは気の毒過ぎるだろう。

ただ、椅子に腰かける姿勢に慣れてしまった今となっては、畳の上の正座も足がしびれてキツいが、胡座も案外しんどい。長く座っていると腰が痛くなってしまうのである。

胡座というのは、どうしても背中が丸まってしまう。背筋を伸ばして胡座をかこうとすると、正座よりも辛くなってしまう。そんなことも、江戸時代以後は正座の方が文字通り「正しい座り方」となってしまった由縁だろう。

さらに今となっては、長時間の仕事をしようとしたら椅子でないともたない。座卓で仕事をするなんて御免こうむりたいが、明治の頃はあの夏目漱石も胡座で座卓に向かい、『我が輩は猫である』を執筆していたもののようだ(参照)。

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それにしても、明治の文豪の机の上(のみならず床の上も)って、とんでもない乱雑さである。あるいはこれ、一種の演出なのかなあ。

【7月 9日 追記】

小説家の書斎の乱雑さは明治の文豪に限らないようだ。その中でもトップは昭和の坂口安吾かもしれない。これは終戦直後の 1946年の写真だが、こちら を読めば演出でもなんでもないことがわかる。ちなみに、しっかりと胡座である。

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2020/07/06

「明日は七夕」というのだが

明日は 7月 7日で「七夕」ということになっていて、THE GATE というサイトの「日本の七夕文化について詳しく学ぼう」という記事に、「日本三大七夕まつり」というのが紹介されている。

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この記事のおかげで、最も有名な「仙台七夕まつり」以外の 2つは「湘南ひらつか七夕まつり」と、「安城七夕まつり」(愛知県)なのだと初めて知った。おもしろいのは、この「日本三大七夕まつり」の紹介が、次のような始まり方をしていることである。

七夕の時期になると、日本各地で開催される七夕まつり。地域によっては旧暦の7月7日、現在の8月に開催する場所もあります。

「七夕」という日本でもメジャーな行事の開催時期が、地域によって一定していない。今となっては新暦の 7月 7日が一般的になったが、「月遅れ」の 8月 7日というのも多く、旧暦の 7月 7日(新暦 8月上旬〜下旬が多い)というのも案外根強い。

紹介されている「日本三大七夕まつり」では、仙台のものが代表的な「月遅れ七夕」で 、安城が 8月の第一金・土・日の 3日間、そして平塚では「毎年 7月上旬」と含みを持たせてある。見方によってはかなりいい加減なものだ。

仙台の場合はさすがに最も有名というだけあって 6日から 8日と明確に定められているが、残る 2つは、要するに「観光の都合優先」というのがみえみえだ。元々のいわれとか伝統とかいうのは、いくら夏休み期間中とはいえ、地元経済の前には霞んでしまうようなのである。

これについては前にも書いている(参照)が、王道は「旧暦の 7月 7日」で、今年の場合は 8月 25日がそれに当たる。「そんなに遅いの?」と言われるかも知れないが、俳句でも「七夕」は「秋の季語」なのだから、実は立秋以後になるのが本来であり、意外でも何でもない。

フツーに考えれば、「そろそろ夜が長くなってきたね」と実感される頃こそが七夕に相応しい時期で、梅雨も明けないうちの新暦 7月 7日では「彦星、織姫が可哀想すぎ」というほかない。個人的には、この設定は無茶苦茶だと思う。

 

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2020/06/07

「タンクトップ」のことを米国では "wife beater" (妻を殴る奴)と言うらしい

ことの発端は、例の米国の事件だった。その関連での注目ニュースに "黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる" というのがある。

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米国ヒューストンのキャメロン・ウェルチさんが、若い黒人が自らの身を守るために従うべき 16のルールを母親から教えられたと、TikTok に投稿した動画が話題になっている。上の写真をクリックするとその動画に飛んで見ることができる。

その「16のルール」とは、以下の通りである。

  • 手をポケットに入れてはいけない
  • パーカーのフードをかぶってはいけない
  • シャツを着ないまま、外に出てはいけない
  • 一緒にいる相手がどんな人か確認する。たとえ路上で会った人でも
  • 遅い時間まで外で出歩かない
  • 買わないものを触らない
  • たとえガム一つだったとしても、何かを買ったらレシートかレジ袋なしで店を出てはいけない
  • 誰かと言い争いをしているように見せてはいけない
  • 身分証明書なしに外に出てはいけない
  • タンクトップを着て運転してはいけない
  • ドゥーラグ(頭に巻く、スカーフのような布)をつけたまま運転してはいけない
  • タンクトップを着て、もしくはドゥーラグを巻いて出かけてはいけない
  • 大きな音楽をかけて車に乗ってはいけない
  • 白人の女性をじっと見てはいけない
  • 警察に職務質問されたら、反論してはいけない。協力的でありなさい
  • 警察に車を停止させられたら、ダッシュボードに両手を乗せて、運転免許証と登録証を出してもいいか尋ねなさい

ひどいものだ。これだけでも、米国の黒人の日常がどんなにリスキーなものかを知ることができる。

で、このことについてはこれ以上くどくは書かない。私如きが書かなくても、このニュースを読めばちゃんと伝わってくる。

私がこのニュースでちょっとした興味をもってしまったのは、末尾に付けられた次のような但し書きだ。

「wifebeater」を当初「妻や女性に暴力を振るう人」と訳しておりましたが「タンクトップ」の間違いでした。

日本語訳のニュースがアップロードされたのが、6月 6日の 17時 17分で、この但し書きは同日 23時 30分付だから、結構迅速な対応である。

それにしても、米国では「タンクトップ」のことをスラングで "wifebeater" ("wife beater" とか "wife-beater" とも表記される)と言うなんて、初めて知った。念のために "Wifebeater" で画像検索すると、ズラリとマッチョな(あるいはおデブな)タンクトップ姿が表示されるから、こりゃウソじゃない。

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それにしても、なんでまた「妻を殴る奴」なんて名称になっちゃってるんだ? これに関しては "Dictionary.com" というサイトの 'Why Do We Call It A “Wife Beater” Shirt?' (どうして「ワイフビーター」シャツなんて言うの?)というページにしっかりと書いてあるのを見つけた。

詳しいことはリンク先に解説されているので、「これでおしまい」でもいいのだが、なにしろ英文なので、要点だけかいつまんで紹介させていただく。

20世紀半ばまでタンクトップ・シャツと「妻を殴る奴」は無関係だったが、1947年にデトロイトでジェームス・ハートフォード・ジュニアという男が妻を殴り殺すという事件を起こした。このニュースで "the wife-beater" のキャプションで報じられた犯人の写真が、煮豆色に汚れた下着シャツ姿だった。

その頃のヒット映画『欲望という名の電車』で、マーロン・ブランド演じるスタンリー・コワルスキーが白い下着姿でジェシカ・タンディ演じるブランチ・デュポアを突き倒すという場面が話題になった(参照)。これで "wife beater" と白い下着のリンクが、米国民にステロタイプに焼き付けられた。

この頃はまだ "wife beater" は貧しい移民の象徴みたいなものだったが、ドルチェ&ガバーナが 1992年のコレクションでマッチョなタンクトップ・スタイルを発表してからというもの、俄然ファッション・アイテムになってしまった。

とは言いながら、"wife beater" という野蛮な名称はそのまま残っているというのが米国社会の複雑なところである。上述の画像検索の結果をみても、カラーバリエーションがないわけではないが、ほとんどは白いタンクトップで、「元々は貧しい移民の下着」という出自はありありと残っている。

ファッション・アイテムにさえこうした名称とイメージが投影されているというのは、米国社会のある種の「歪み」を表していると、私は思ってしまう。

 

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2020/02/17

「葬頭河の婆」と「正塚婆」で盛り上がる

先日、友人たちとメシを食っている時に、昔のフォークソングの話題になり、「そうえいば『雨が空から降れば』なんて歌もあったなあ」なんて話につながった。

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そこから、あの歌を歌ってたのは「六文銭」ってグループだったけど、「六文銭」って、そもそもどういうお金なんだ? ということになる。そして、そういう話になるとモロに私の出番である。

「六文銭って、三途の川の渡し賃だよ。その持ち合わせがないと、奪衣婆に着物を剥ぎ取られてしまうんだ。諸説あるけど」
「奪衣婆って、一体何だよ?」
「三途の川の岸にいて、亡者の着物を剥ぎ取って、木の枝に掛けるんだよ。亡者の業の重さによって、木の枝のしなだれ具合が違ってくるんだ」
「いやはや、tak ってそういう話に妙に詳しいなあ!」

フォークロアの宝庫、庄内の地で、祖父母のいる家で育ったこともあり、私は自分で言うのもナンだが、そういう話にはかなり詳しい。一昨年の春に "「葬頭河の婆」というのは?" という記事(上の画像)を書いほどである。

「葬頭河」というのは「しょうずか」あるいは「しょうずが」と読んで、いわゆる「三途の川」のこと。で、「葬頭河の婆」は、「奪衣婆」のまたの名である。

「ウチの田舎の庄内では、『葬頭河の婆』のことを年寄りたちが『しょずがのンバ』なんて言ってた」

そう言うと、大分県出身の友人が「あ、それ、聞いたことあるわ!」と言い出した。「ウチの田舎では『しょうづかばあ』って言ってた」

それを聞いて私は嬉しくなってしまった。

「おお、『しょうづかばあ』という地域も、結構あるんだよね。『正しい塚』で『正塚婆』と書くんだ。こういうことって、漢字表記はモロにテキトーだからさ。それにしても、『正塚婆』って言い方をナマで知ってる人間に、初めて出会ったわ!」

というわけで、「葬頭河の婆」と「正塚婆」で大いに盛り上がってしまったのだった。

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2019/11/06

「屋敷墓」「家墓」というもの

茨城県に住んでいると、庭や玄関先など、家の敷地内、あるいは畑の片隅など、墓地ではない自分のもつ土地に墓を建てているのがよく見られる。私の生まれた東北ではこんなことはほとんどないので、初めのうちは「へえ〜! なんでまた自宅に墓なんかもってるんだろう」と驚いて見ていた。

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こうした自分の土地に建てる墓を「屋敷墓」「家墓」などというらしい。池渕石材工業株式会社という奈良の石材会社のサイトに「屋敷墓~関東地方のお墓の一類型」というタイトルのページがある。奈良の会社らしく、埼玉に旅行したさいに、自宅の敷地内に墓があるケースを多々見て、驚いたということが書いてある。

お墓に使われる石材を販売する会社のスタッフがいうことだけに、やはり自宅に墓を持つというのは、奈良などの関西では珍しいことなのだろう。

私の住んでいるのは新興の住宅地で、ほかから移り住んでいる人がほとんどなので、屋敷墓というのは全然見られない。しかし一歩外れて前々からこの土地に住んでいる人の家をみると、敷地内に墓が建っていることは全然珍しくない。関東では一般的な話のようなのである。

「終活ネット」というサイトの "家にお墓を置く!?「自宅墓」について解説します!" というページによると、次のようにある。

みなさんは「自宅墓」について、ご存知でしょうか。
これは、遺骨を骨壺に納めて、骨壺より少し大きな石棺に入れて、自宅で供養する「お墓」のことです。
これなら自宅の仏間や床の間、家具の上などでも置くことができます。

(中略)

予算はあるので、自宅の敷地内でお墓を建てて遺骨を納めたいという人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これは「墓地埋葬法」に違反することになります。
遺骨は、墓地以外の場所に「埋葬」することを禁じられているのです。
たまに農家の敷地等にお墓を見かけることがありますが、これは法律ができる前に建てられたものです。
より、古いものが多いです。
管理している人が明確である内は、特別に許可されています。

つまり、遺骨を骨壺などに入れて自宅で供養することは禁止されていないが、自宅敷地内に遺骨を「埋葬」することは、今では禁止されているらしい。埋葬はお寺などの「墓地」に限られるようなのだ。ただ、この法律ができる前に自宅内にお墓が作られている場合は黙認されているということのようだ。

これを「家墓」「屋敷墓」と呼び、仏壇などに骨壺を置いて供養するなどの「自宅墓」と区別しているようなのである。

私はこの記事を書くに当たって調べてみて、骨壺に入れた遺骨を自宅に置けると知って「へえ!」と驚いた。それなら何百万円も出してお墓を購入する必要なんてないじゃないか。ただ、やっぱり自宅に骨壺を置くというのも抵抗があるだろうし、墓地を買うのもイヤだというなら、「散骨」しかないのかもしれない。

 

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2019/08/19

「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」という話

子どもの頃、「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」と言われた。この警句ともジョークともつかない話は私の生まれた山形県庄内地方特有のものと思っていたが、ネットで調べるとほぼ日本全国に広まっており、しかも今でも生きている話のようで、こんな風に真面目に論じたページまである。

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日本でスイカが一般的に広まったのは江戸時代後期からとされていて(参照)、こんな話が作り上げられたのはそれ以後のことだろう。ということは長く見積もっても 1950年代以前のほぼ 100年足らずの間に、テレビもインターネットもなしに山形県の田舎の片隅にまで伝播していたことになる。

ただ、考えようによってはいかにも容易に発想されそうなことでもあるので、あるいは同時多発的なものだったのかもしれない。いずれにしてもフォークロアの威力というのは大したもので、なかなか侮れない。

上で紹介したページには「スイカの種を食べるとヘソから芽が出る由来とは」という項目があって、「農家説」と「食べ過ぎ注意説」の 2つが紹介されている。

「農家説」というのは、農家で「子供達にスイカを振る舞い、 スイカの種を畑に蒔かせる作業を手伝わせたようです」とあり、「スイカの種ごと食べられてはダメなので、『スイカの種を食べるとヘソから芽が出る』と子供が怖がるようなストーリーになった」とされている。要は「種の確保」という、ある意味「合理的」な話である。

ただ、スイカの種蒔きの時期は食う時期に先立つので、スイカを振る舞って種蒔きを手伝わせたというストーリーには無理がある。それに「種確保の必要性」は何もスイカに限ったことではないので、この説は一見魅力的ではあるが、ちょっと「眉唾」かもしれない。

「食べ過ぎ注意説」は、「子供がスイカを食べ過ぎてお腹をこわすのを避けるため」とある。スイカは水分が多く(「食養」でいう「陰性食物」)、体を冷やす作用があるため、「種を取らせる行為を間に挟む事によって大量に食べるのを抑止していた」というのは、ある意味、理にかなっているが、かないすぎておもしろくもなんともない。

私としては、単なる「お笑いノリのお話」と解釈すればいいだけと思っている。全ての言い伝えにもっともらしい教訓を求めるのは、話がお堅すぎる。「単なるお笑い」にだって、十分な存在意義があるのだ。

ちなみに私は子どもの頃、「へそから芽が出る」と言われて、「それならスイカを買わずに済むからいいじゃん!」なんて「人間スイカ畑」みたいなノー天気なことを考えていた。スイカが育って重くなったら、それをぶら下げながら暮らすことになるという不具合にまでは思いが至らなかったのだから、「ユニークではあるが、考えの足りない子」だったようである。

 

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2019/07/05

小原庄助さんの正体

福島県の民謡『会津磐梯山』に「小原庄助」という人物が登場する。「朝寝朝酒朝湯が大好き」で「それで身上潰した」と伝えられる人物だ。郷土玩具にも「小原庄助こけし」(下図)というのがあるというほどの有名人である。

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ところがこの小原庄助さんという人物、実在のほどはアヤシいらしい。いろいろ当たってみると、「コトバンク」に次のようにある。

【デジタル大辞泉】
民謡「会津磐梯山」の囃子詞(はやしことば)に登場する架空の人物。「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶした」と唄われる。

【朝日新聞「キーワード」の解説】
県文化振興課によると、会津の商人説、武士説、塗り師説がある。白河市大工町の皇徳寺には「会津塗師久五郎」を本名とする「伝 小原庄助」の墓があり、墓石はとっくりの上に伏せた杯を乗せた形だ。1858年に亡くなり、戒名は「米汁呑了居士」。辞世として「朝によし昼になほよし晩によし、飯前飯後その間もよし」とある。一日中米汁(酒)を飲んでいたらしい。

「やっぱり観光」というサイトに「小原庄助の墓」というページがあり、写真をみると本当に「とっくりの上に伏せた杯を乗せた形」の墓石である。(参照

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このページには次のような記述がある。

小原庄助こと会津塗師・久五郎の墓は、羅漢山人という人物の墓所の隅に間借り(?)している。羅漢山人は有名な谷文晁の弟子で、庄助さんはこの人のもとに絵付を習いにきて亡くなったらしい。

なるほど、会津塗師だけに、文人に絵付を習っていたと、もっともらしく語られているらしい。この墓にある解説の札も「あるのふわっとライフ」というサイトで見つかった。(参照)こんな風である(クリックで拡大表示される)。

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ちなみに今に伝えられる『会津磐梯山』という歌は、Wikipedia によるとこんなようなお騒がせがあったらしい。(参照

1934年(昭和9年)に小唄勝太郎が歌ったものが歌い出しをとって「会津磐梯山」と命名されて、ビクターレコードより発売され、全国的に広まった。三味線も付けられ、歌詞も長田幹彦によって整えられ、「エンヤー」という独特の掛け声も付けられた。

しかし、「勝太郎節」が俗謡風であったことに加え、元の歌詞と大きく異なる内容であったことから、地元では、「郷土芸術を冒涜するもの」として非難の声が上がり、山内磐水らによって、「気狂踊り」風の節回しが広まった。山内等が普及に努めたこの囃しは、本来の会津磐梯山に近い正当なものであることを示すために「正調」と冠して「正調会津磐梯山」と呼ばれている。

YouTube で聞き比べてみると、確かに勝太郎バージョンは艶っぽすぎる。ただ残念ながら、何が「正調」で、何が「本来」なのかまでは突き詰めることができなかった。

 

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2019/06/06

日本人の名前のローマ字表記は、姓が先か、名が先か

ちょっと旧聞気味で恐縮だが、日本政府が先月、日本人の氏名をローマ字表記する際に、従来の「名 - 姓」の順から「姓 - 名」の順にすることが望ましいと関係機関に呼びかけることになったことについて、一言書かせてもらおう。

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実は 20年ぐらい前にも国語審議会が「姓 - 名」順とするように呼びかけたことがあって、私も「なんだかなあ…」と思った記憶がある。結局のところ、定着するどころか誰もまともに意識しなかったというお粗末になったわけだが、今回改めて蒸し返されたということなんだろう。

実はこれ、冷泉彰彦氏が Newsweek 日本版に「基本的には個々人の自由であり、強制力を持つ話ではないので、賛成も反対もない」と書かれている(参照)のに全面的に同意してしまいたくなるお話で、さらに「個人的にはあまり気が進まないのは事実」という点にも賛成だ。「今さら政府にどうのこうの言われても、ちょっとなあ」ということである。

私のハンドル・ネームである「庄内拓明」にしても、ローマ字では一応 "Takumyo Shonai" だが、実際には "tak-shonai" という表記の方を意識的にフィーチャーしている。当初は "Tack Shonai" にしようかとも思ったが、「変な東洋人ぽさ」の漂う "tak-shonai" に落ち着いた。これも要するに「個々人の自由」、即ち「好みの問題」である。

野球の大谷翔平は意識的に "Otani" の方を先にして定着させたい意向らしいが、今朝 BS テレビで見たメジャーリークの実況でも、ホームランを打った途端にアナウンサーが興奮気味に「ショウヘーイ・オゥターニィ!!と絶叫しまくっていたから、結局は「名 - 姓」の方が定着してるってことなんだろう。

こればかりは理窟じゃなく、「しっくりくるか、こないか」という点に落ち着いてしまうんじゃないかなあ。

 

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2019/05/05

盛大な音を立ててそばをすする「そば喰いナショナリズム」

Twitter で注目の話題をまとめて紹介してくれる Togetter に "問:観光に来たフランス人が蕎麦屋で「そばを啜る音が不快」と言った時、食文化は変容していくべきか?" というのがある。冒頭の写真のフランス人は「僕の隣でそばをすすって食べられると、音が気になってイライラする」とコメントしている。

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このテーマに関する日本人の反応は、音を立ててそばをすすることも含めて日本の文化」「人の国の文化にケチをつけるな」「そんなに気になるなら、イヤフォンでフランス国歌聞きながら食べよう」など、圧倒的に国粋主義的なものが多い。最近の日本人の右傾化と関係があるんじゃないかと思うほどで、私はこうした傾向を「そば喰いナショナリズム」と呼んでいる。

私は過去にもこのテーマで何度か書いている。代表的なのが、12年も前の「蕎麦は禅的食物かもしれないが」という記事だ。虎ノ門の近くのそば屋で、アメリカ人らしき男性グループのリーダー格の男が、そばがいかに深遠で禅ブッディズムのフィロソフィーを体現した食べ物であるかをとうとうと力説(もちろん英語で)していた。

ところが実際にテーブルにそばが供されると、そのリーダー格も含めて全員すすることができず、ただひたすら「モグモグ」と悪戦苦闘していたというお話である。幽玄なまでのそばの哲学を極めても、すするという実技まではモノにしていなかったようなのである。

個人的経験則からしても、外国人にはそもそもそばをすすることができない人が多い。「多少は音を立ててもいいんだよ」と助言しても、「本当か? からかってるんじゃないだろうな」と、信じられないほど疑い深い。

「それは西洋人だけの傾向じゃないか」という人もあるだろうが、私は昨年、その疑問への答えのような「平壌冷麺も、すすりこまずにもぐもぐ食うもののようなのだ」という記事を書いている。北朝鮮を訪問した韓国の文在寅大統領が金正恩と仲良く平壌冷麺を食べる姿は、日本人の目にはとてもぎこちなく映った。

絡み合う長い麺に絶望的に手をこまねく文在寅の静止画像(参照)は「閲覧注意」と注釈をつけたくなるほどだし、器に覆い被さるようにして妙にチマチマと麺をたぐる金正恩の動画(参照)も、ちょっと異様だ。私はこれらを見て、平壌冷麺は一生食うまいと心に決めた。

いろいろな要素を総合すると、私は「そばは盛大に音を立ててすするべし」なんて言いたいとは思わない。そばをことさらに音を立ててすするようになったのは、ラジオが普及した昭和中期以後からだという説がある。ラジオの中継では身振りが見えないので、噺家が蕎麦をすする音を大きめに演出したのが、そもそもの始まりらしい。

というわけで落語ではやたら盛大な音を立てて演じられるが、実際にはかなり控えめに「ツルツル」程度の音ですする方が差し障りがない。隣の席で傍若無人に「ズルズルッ」とやられたら、日本人の私でも「おいおい、ちょっと控えておくれよ」と言いたくなってしまう。

「日本の貴重な文化なのだから」と、あたかも免罪符を得たカソリックの如くやたらと盛大にやるのは、過剰な「そば喰いナショナリズム」と思ってしまうのだよね。

 

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2019/03/23

日本人が電車で席を譲らないのは

日本人は電車内で立っている老人を見かけてもなかなか席を譲らないというのが、たびたび問題にされる。私は決して世界中を旅しているわけじゃないけど、立っている老人をこれほど露骨に無視し続けられる国というのは、世界でも珍しいんじゃないかと思っている。だからことさらに「優先席」 なんてのが必要になるわけなのだね。

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いろいろなところで「どうして席を譲らないのか」というのが話題になっているが、一番目に付く言い訳はいつも「周りの目が気になって、席を譲るのが恥ずかしい」というものだ。私なんか既に前期高齢者の年齢に達しているが、幸か不幸か見かけが若いものだから、近くにいかにも哀れっぽい老人が立っていたりすると座っている方がずっと恥ずかしくて、さっさと席を譲ってしまうがなあ。

そして立ち上がってから改めて座っている乗客を見ると、大抵私よりずっと若い連中ばかりなのだ。そこで「お前ら、よく恥ずかしくないなあ!」と言いたくなるのを、ぐっと堪えるのが常である。

私は日本人が席を譲りたがらないのには、「譲るのが恥ずかしい」なんて表面的なものよりずっと根の深い別の理由があると見ている。そのヒントとなるのが、こんなエスニックジョークだ。

大型客船が沈没しかけているのだが、婦人と子どもを優先するとどうしても救命ボートの数が足りない。そこで男の乗客に自発的に海に飛び込ませるために、船長はこんなふうに言う。

イギリス人に向かっては、「あなた達は紳士ですから、飛び込めますよね」
アメリカ人に向かっては、「あなた達こそ真のヒーローです」
ドイツ人に向かっては、「これはルールです」
そして最後に日本人に、「皆さん、そうしてらっしゃいますから …… 」

つまり多くの日本人は、「皆さん、そうしてらっしゃる」のを目の当たりにしないと、自分からはなかなか動かない。そして一度「皆さん、そうしてらっしゃる」のを確認してしまうと、是も非もなくぞろぞろ素直に従うのである。

ところが電車内で 1人の老人に席を譲るのは、1人が席を立ちさえすればいい。何人も続いてぞろぞろ立ち上がる必要はないので、「皆さん、そうしてらっしゃいますから」という行動原理が成立しない。これが「日本人が席を譲らない」ことの根本的な理由である。

席を譲るというのは要するに「早い者勝ち」の世界なのだが、この「早い者勝ち」というのが、日本人は決定的に苦手なのだ。下手すると「ええ格好しい」とか「抜け駆け」に思われてしまうので、とことんためらってしまう。

「隣百姓気質」という言い方がある。隣が種を蒔けば自分も種を蒔き、隣が草取りをすれば自分も草取りをし、隣が刈り入れをすれば自分も刈り入れをする。自分で能動的に考えてやってるわけじゃない。

日本人の行動原理はこの「隣百姓気質」にあると、私は思っている。だから何かの弾みで皆が一斉にやり始めると、世界が驚くほどの大きな動きになるが、1人がさっさとやりさえすれば簡単にコトは済むというようなケースでは誰も「その 1人」になりたがらず、なかなかコトが済まない。

1人でさっさとコトを済ませたがる私みたいなのは、日本社会ではどうしても「変人」扱いされてしまうのだよね。ちょくちょく米国出張していた若い頃、ニューヨークなんか今よりずっと治安が悪かったが、日本のオッサンたちと付き合っているよりずっとストレスがなかったのを覚えている。

 

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