カテゴリー「比較文化・フォークロア」の291件の記事

2021年5月17日

「ディープなアジア」の茨城バージョン

一昨日はたまっていた仕事を片付けてようやく一段落したので、「自分へのささやかなご褒美」としてつくば市にある日帰り温泉に行ってみた。ボーリング場や映画館などもある「つくば YOU ワールド」という複合施設で、日帰り温泉だけは「湯〜ワールド」と、駄洒落みたいなネーミングになっている。

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料金はフツーのスーパー銭湯よりちょっと高めだが、その訳は、温泉施設内の大宴会場で上演される大衆演劇の観劇料込みということのようだった。5月公演は「劇団炎舞」とやらの舞台で、私が入った時は歌謡ショーの真っ最中だったが、なにぶんコロナ禍で客入りが少なく、気の毒なほど淋しい印象だった。

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いずれにしても大衆演劇込みの日帰り温泉なんて、なかなかあるものではない。ここの茨城度は、かなりディープである。

とはいえ、別に芝居を観に来たわけでもないのでさっそく温泉に浸かり、一通り体と神経の疲れをほぐしてから館内着を着てロビーに出る。ソファで涼みながら汗の引くのを待っていると、後ろのテーブルがやたらと賑やかなのに気付いた。

振り返って見ると、還暦過ぎぐらいのおばちゃん 4人のグループが世間話に花を咲かせてダハダハ盛り上がっている。これがまたディープな茨城弁で、一人ずつしゃべってくれれば聞き取れるのだが、常に同時に 2人以上が(時として 4人いっぺんに)しゃべるので、何が何だかわからない。

茨城弁特有のうねるようなイントネーション(単語自体に固有のアクセントはなく、様式のあるようなないような、気紛れな抑揚のセンテンスの中に埋没する)が重なり合って、途切れることのない「ウォ〜〜ン」という響きになり、時に 4人同時の大爆笑が強烈な効果として加わる。これはもう、大変なものだ。

この喧噪に包まれながら、私は時々出張することがあった香港の大衆食堂を思い出していた。香港の洋食レストランはやたら高いばかりで旨くもなんともない(何しろ英国領だったんだから)ので、食事はフツーの香港人の行く大衆食堂に入る。ちなみに香港の人たちはほぼ 100%外食らしい。

こうした大衆食堂は嬉しくなるほど安くてうまいのだが、とにかくうるさい。ドアを開けた瞬間に、店内から噴出する凄まじい騒音の圧力で押し戻されそうな気がするほどだ。だから日本人同士で連れだって食事しても、まともな会話はできない。フツーの声で話したのでは全然聞こえないのだ。

こうした状況では、一応の国際スタンダードとなっている西欧的常識からすると、互いに迷惑にならないように小声で話すのがエチケットとされる。ところがそれとは逆に、皆が周囲に負けないようにさらなる大声でしゃべるというのが、中国的常識のようなのである。

これって、バスや地下鉄に乗るのに決して列を作らず、我先にドアに殺到するのと同じメンタリティだと思われる。そして放っておけば何事も混沌のままなので、強烈な中央集権的権力で抑え込もうとする。

私は日帰り温泉ロビーの喧噪の中で、「これが『ディープなアジア』の茨城バージョンなのだよね」と穏やかに納得しながら、汗の引くのを待っていたのだった。中国の圧政の色が強まっている香港に比べれば、ここはずっと呑気でいられる。

負けるなよ、香港!(最後にこれが言いたかった)

 

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2021年5月 6日

「天ぷらにソース」の謎が、また少しほどけた

もう 8年以上も前になるが「ソースで天ぷらを食う文化」という記事を書いた。岡山に出張した際に天ぷらをソースで食わされ、西日本ではそれがごくフツーと知って、かなり驚いてしまったという話だ。

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天ぷらにかけるのが醤油かソースかというのは、フォッサマグナを境にして、東日本と西日本にかなりきれいに分けられるようなのである。そしてその 2日後に、「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」なんていう関連記事まで書いている。

で、この件に関してはほぼそれっきりになっていたのだが、今日、さらに新しいことを知った。ラジオでたまたま、「西日本の人たちは天ぷらにソースをかけるので、やっぱりウスターソースでないとね」という話を聞いたのである。

この話の続きはこんなことだった。東日本の人たちはソースはとんかつやフライにしかかけないので、「中濃ソース」のほぼ一択だが、西日本ではさらりとした「ウスターソース」がメインで、お好み焼きなどには「特濃ソース」という使い分けをしているというのである。

そんなことは、この歳になって初めて知った。要するに「ソースで天ぷら」と一括りに言ってしまっても、そのソースそのものが、東日本と西日本では違うのだ。

西日本で「ソース」といえば、粘度が低いウスターソースなので違和感がないわけなのだね。東日本の人間は「天ぷらにソース」と聞くと、どうしてもどろっとした中濃ソースを思い浮かべるので、「うっ!」となってしまうわけだが。

ちなみに我が家は市販のソースを全然使わないので、中濃もウスターもないが、そういえば庄内の実家ではカツやフライなどには「とんかつソース」というのを使い、それ以外はすべて醤油を使っていた。しかもその醤油は、関東の「濃口醤油」よりやや色の薄い「薄口醤油」だったような気がする。

そういえば大学に入って上京した時、東京の醤油の色の濃さに驚いた覚えがある。さらにうどんの汁にも「うわぁ、真っ黒に近いじゃん!」とたじろいだものだ。私の田舎は江戸時代から西回り航路の終着港だったので、かなり上方文化が入っており、東北とはいえどっぷりと東日本的ではなかったのだ。

さらに明らかになったのはソースのブランドで言うと、上の図のように東日本では「ブルドック」(英文表記は "Bulldog" だが、カタカナでは「ブルドック」)が圧倒的だが、西日本では「オタフク」というのが有力ということだ。

このオタフクというのは広島のメーカーで、ウスターソースに強いらしい。さらに広島だけに、お好み焼き用の「お好みソース」というのまである。

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ちなみに「ブルドック」と「オタフク」の二大ブランドの他には、「カゴメ」もケチャップだけでなく奮闘しているし、そのほかにも地域的には限られるが、「イカリ」「コーミ」「オリバー」などがあるという。思いのほかに多様性のある市場のようなのだ。

 

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2021年4月 6日

日本人は「赤・青・白・黒」以外の色のコンセプトが薄い

昨日の "「太陽が赤い」というのは日本人だけということについて" という記事で、大切なことを書き落としていた。それは、太陽は国際的には黄色という認識が一般的だが、古代日本人には「黄」という色の概念がなかったので、赤く描くほかなかったという事情である。

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「雑学カンパニー」というサイトに、「不便…? 古代日本には赤・青・白・黒の 4色しかなかった」というページがある。ただ「4色しかなかった」というのはある意味ビミョー過ぎる表現で、より具体的に言えば「どんな色でも 4色でしか認識しなかった」ということだ。

日本語で色を表す言葉は、今では数多くあるが、元々あったのは「赤・青・白・黒」の 4語のみである。それ以外の色名は、後世になって加わったものだ。

基本となる「赤・青・白・黒」は初めから名詞としてあったわけではなく、以下のように形容詞から名詞化したものと考えられている。

古語 読み/意味   色名
明し あかし/明るい
淡し あはし/淡い
顕し しるし/明白だ
暗し くらし/暗い

このため、現代語でも色名に「い」を付けて形容詞になる(あるいは戻る)のは、「赤い、青い、白い、黒い」の 4語だけだ。「黄」と「茶」は基本的色名のようでも「黄色い、茶色い」と、「色」という言葉の助けが必要だし、「緑」「紫」などは、「緑色い、紫色い」とすることもできない。

というわけで古代日本人にとっては、太陽は「明るい」のだから、その色は「赤」に他ならなかったのである。その認識が 21世紀の現代に至るまで続いているというのは、ある意味すごいことだ。

ちなみに新鮮な木の葉や草の色を一般的には「緑葉」と言わずに「青葉」と言うのも同じ事情によるが、絵に描かれるとさすがにブルーではなく、ごく自然にグリーンになる。これには、葉っぱまで青くしたら背景の青空と区別が付かなくなるからということもあるだろう。

一方で太陽の「赤」は青空を背景に燦然と表現できるので、古来から変わることなく象徴的な意味合いも強めつつ続いてきた。つまり日本人の「赤い太陽」という認識は、かなり根強いものと言うほかない。

昨日の記事は、この「根強い認識」に関する説明としての方が意味が明らかになるかもしれない。どうやら書く順番を間違えたようで、本来は今日の記事を先にすべきだったのだろうが、もう変えるわけにいかないので、

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2021年4月 5日

「太陽が赤い」というのは日本人だけということについて

よく「太陽が赤いと思っているのは、日本人だけ」と言われる。日本の子どもが太陽の絵を描くと、ほとんどが赤く塗られるが、外国の子どもの絵では黄色系の色になることが多い。

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上の写真は、私が「和歌ログ」で撮りためた太陽の写真の中から選んだもので、左上は昼に近い時刻の太陽。右上と左下は夜明けの太陽で、とくに左下は昇ってきたばかりのものだ。そして右下は夕焼けの太陽である。

こうしてみると、高く昇ってしまった太陽はほとんど「白」といっていい。一方、夜明けと日没時の低いところにある太陽は赤っぽいが、これは太陽光線が自分のいるところに届くまで長く大気中を通過するために、波長が長くて散乱しにくい赤の光線が届くためといわれる(参照)。

ただ、よく見れば朝夕でも実際に赤っぽいのは太陽そのものよりも周囲の空や雲の色であることが多く、太陽そのものは左下の 1枚を除けばむしろ白っぽい。大気中を長く通過して、赤い光が最後に散乱しているのだろう。左下の太陽が例外的に周囲より赤いのは、薄い雲を透かしているためだと思う。

日本人が「太陽は赤い」と思ってしまう最大の理由は、「日の丸」の印象が圧倒的に強いということだろう。日本人の心の中にあるのは、「実際の太陽」というよりむしろ「象徴としての太陽」のようだ。

もう一つの理由は、真昼の太陽は眩しすぎてまともには見ることができないので、朝と夕方の太陽が印象に残りやすいということだろう。しかし上述のように、多くの場合で赤いのは「太陽そのもの」よりも、光線の散乱によって染まった「周囲の色」であることに注目したい。

日本人は「無意識的な認識操作」を作動させることによって、「対称物そのものと、その周囲」を一緒くたに認識することが多いようなのだ。それで、実際に赤いのは「周囲の空の色」でも、意識の中ではそれが「太陽の色」として印象付けられるのだろう。

そもそもの話として、国旗「日の丸」が赤い真ん丸で表現されるのも、日本人のこうした意識傾向によるのだろうと思われる。

【同日 追記】

「ヤシろぶ」の "国際比較「子供が描く太陽の色」" という記事によると、国際的には黄色が主流だが、タイの子どもは日本人同様に太陽を赤く描くらしい。

【4月 6日 追記】

「みんなの知識 ちょっと便利帳」というサイトの ”「太陽」を配した国旗・地域旗” というページには 25の国・地域の旗が紹介されているが、多くは太陽が黄色で表現されており、それ以外の色は以下の通り。

白: 台湾、ネパール民主共和国、マーシャル諸島
赤: 日本、バングラデシュ人民共和国、マラウイ共和国
オレンジ色: ニジェール共和国
多色使い: フランス領ポリネシア

ちなみに、「赤い真ん丸」は日本とバングラデシュというアジアの 2カ国のみ。アフリカ南東部、マラウイの国旗にある太陽は、地平線上に半分が顔を出したようなデザインなので、朝日か夕陽なのだろう。

 

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2021年2月13日

バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺

先日 NHK ラジオの朝の番組を聴いていたところ、日本の花が世界に輸出されて好評という話題になっていて、そこに登場した花市場の専門家が「とくに 2月前半は赤いスイートピーがバレンタイン・ギフトとしてアメリカで大人気です」と伝えていた。

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すると女子アナが「アメリカでは、女性がチョコと一緒にお花を贈るんですか?」と、いかにも台本通りと察せられるボケを発し、専門家の「それは逆でして、アメリカではバレンタインデーに男性が女性に花を贈るんです」という模範解答につなげていた。実に平和なる NHK 文化である。

ちなみに聖子ちゃんが大ヒット曲『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在せず、「そんなもん、ねえよ!」と話題になったが、その 18年後に三重県の花農家が鮮やかな赤い色のスイートピーの品種改良に成功したのだそうだ(参照)。

まさに「嘘から出た実(まこと)」である。

「スイートピー」はマメ科の植物で、英語で言うと "sweet pea" (甘い豆)。小さなさやの中にできる種子(豆)には毒があって食べられず、甘いのは味ではなく、花の香りなのだそうだ。

次に「スイーピー」のお話し。言わずと知れたポパイに出てくる赤ん坊で、私はずっとポパイとオリーブの間のベビーと思い込んでいたのだが、実はポパイの養子である(参照)。

それを知ったのは、還暦に近付いた頃で、2010年の 1月にその名も "「赤いスイートピー」を巡る冒険" というタイトルで書いたことがある。つまり、今日の記事は半分は二番煎じで、長くブログをやってると、どうしてもこんなことが多くなってしまう。

念のため英語版の Wikipedia で "Swee’ Pea" の項目にもあたってみたところ、次のように確認された(参照)。

In the comics, Swee'Pea is a baby found on Popeye's doorstep (actually delivered to him in a box) in a July 24, 1933 strip.

《漫画では、スイーピーは 1933年 7月 24日付で、ポパイの玄関先(実際に箱に入れて置かれていた)で見つかった赤ん坊である》

"Swee' Pea" と表記され、上述の Wikipedia にも " His name refers to the flower known as the sweet pea." (彼の名前はスイートピーとして知られる花と関係がある)とあるように、意味的には「スイートピー」って名前なのだね。赤い花のなかった頃の。

そして、あのいつもハンバーガーを食べながらグダグダしているウィンピーは "Wind Pea" で、直訳すれば「風豆」になってしまうが、実は「そら豆」のことである。

・・・おっとしまった、このネタ、エイプリルフールまでとっとくんだったなあ。本当は彼の名前は "J. Wellington Wimpy" で、豆とは関係ない。"Wimp" (無気力人間)が元なんだろうね。

【2月17日 追記】

あとからいろいろ調べた結果、「1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在しなかった」というのは、誤りと認めざるを得ないことになった。詳しくは「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 を参照いただきたい。

 

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2021年1月20日

キムチを巡る中韓対立

韓国人ユーチューバー「キムチは韓国文化」で中国から批判殺到、解雇に” という記事に、図らずも注目してしまった。食い物の話にナショナリズムが絡むと、面倒なことになるようなのである。

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日本では「キムチは韓国の漬物」とフツーに思われていて、当の韓国人も当然そう信じているようだ。しかし中国人の常識では、四川料理の「泡菜(パオツァイ)」という辛い漬物が韓国に伝わってキムチになったということのようなのである。

そしてこれが結構な文化摩擦を生じさせている。「キムチは韓国文化」と言われると、ムッときてしまう中国人が多いようなのだ。ちなみに 「泡菜」で画像検索すると、こんな感じである。

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一見した印象だけで言わせてもらうのは恐縮だが、どうやらキムチよりバリエーションはありそうだ。そのせいか「キムチそのもの」という感じじゃなく、素直に見れば「ちょっと別物かも」という感じがしてしまう。

それでも中国人は「四川で泡菜が作られた頃、韓国という国はなかった。キムチは泡菜のバリエーションに過ぎない」と言い、一方の韓国人は「韓国内でこれほどまで広範に定着し、愛されている食べ物を韓国文化と言うのは当然」としている。

つまり「オリジナルはウチ」と言う中国と、「国際的なまでの圧倒的広まりを見せているのは、我が国のキムチ」と言う韓国との対立である。宗主国意識ありありの中国に対して、韓国が「ことキムチに関しては譲れない」と頑張っている構図が読み取れる。

この対立の煽りで、「キムチは韓国文化」と言った韓国人ユーチューバーの Hamzy は、所属する中国の事務所から契約を打ち切られた。それに対して彼女は「中国で活動するために、キムチは中国の食べ物だと言わなければいけないのであれば、中国での活動はしない」と応じ、なかなかの意地を見せている。

彼女は続けて「中国の方も、韓国で活動するために中国の食べ物を韓食と言わなくてもいい。これについては、中国の方も理解してくれると思う」と強調した。これはある程度理解できる言い分であり、単に意固地になっているというわけではないとわかる。

隣国に住む者としては「高みの見物」を決め込んでもいいのだが、この問題に限って言えば、「泡菜は豊富な中国料理のバリエーションの一つ」という中国と比較すると、「一点集中」ともいえるパワーで突進可能な韓国の方にやや分があるような気がする。

ちなみに辛いもの好きの私は、もちろん「キムチ大好き」である。「泡菜」はまだ食べたことがないが、辛くておいしければ当然歓迎だ。拒む理由は何もない。

 

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2020年12月 4日

神道式の結婚式の歴史は案外新しい

Japaaan に "日本の伝統的な結婚式…の割に実は歴史が浅かった「神前結婚式」" という記事がある。今どきの結婚式では、神道式はキリスト教式よりも少数派になってしまっているらしいが、実は 42年前の私たち夫婦の結婚式は「祓い給え浄め給え」の神道式だった。

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で、その時の印象だが、「これって、割と近代的なのね」というものだったのである。「近世的」ですらなく、「近代的」というイメージだったのだ。

それもそのはず、この形式の原型は、明治 33年に作られたもののようなのだ。Japppan の記事から引用する。

1900(明治33)年 5月 10日、当時の皇太子・嘉人親王(後の大正天皇)と九条節子さん(後の貞明皇后)の「結婚の儀」が、宮中の賢所(かしこどころ=皇祖神・天照大神の御霊代 (みたましろ) である八咫鏡を祀る)で行われました。

これに注目した日比谷大神宮、現在「縁結び神社」として人気の「東京大神宮」が式次第を簡略化させた「神前結婚式」を企画し普及に尽力したことから、国民に広まっていきました。

なるほどね。それで「近代的」なイメージになったわけだ。ほんの短い「祝詞(のりと)」と「三三九度」さえしっかりやれば、あとは「くどさ」がなく、あっさりと終わる。

もっと前々からのものだっりしたら、形式がこんなにまでお行儀よく普遍的な形で整えられてはいなかったはずだ。地域によって種々様々、多様な形で執り行われることになっていただろう。

これは結婚式のみならず他の「地鎮祭」とか「七五三」などの「今どきの神道式行事」にも言えることで、どうみても案外最近になって整えられたものという印象だ。時として「おどろおどろしさ」さえ感じさせることのある他の民俗行事とは、イメージが全然異なっているのだよね。

 

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2020年11月14日

"Under the Spreading Chestnut Tree" の手振り

3日連続の『大きな栗の木の下で』ネタである。初日に呈した謎が、2日目にしてだんだん解けてきたというのが面白く、しつこいと言われるかもしれないが、簡単にはやめられなくなってしまった。

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今日はキャンプファイアー・ソングとして広まったらしいという点に注目し、身振り、手振りに焦点を当ててみる。

 "Boy Scout Song, Girl Guide Song, with Lyrics" というページに動画があるらしいので、喜び勇んでアクセスしてみたが、「この動画を再生できません」というメッセージが空しく表示されるばかり。他の似たようなページもことごとく動画は再生できなかった。残念!

さらに、ボーイスカウトの歌というのを手がかりにしつこく検索したところ、"Scouts 4th Sevenoak" というページが見つかり、そこには身振りの説明があるではないか。だが、それってこんな具合である。

Spreading – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Chest – strike chest
  (胸を叩く: これはまんまの当て振りだね)
Nut – tap head
  (頭をチョン)
Tree – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Held – arms as though embracing.
  (腕を抱きしめるように)
Knee – strike knee.
  (膝を叩く: これもまんま当て振り)
Happy – Scowl and emit a growl.
  (しかめっ面をしてどなる)

歌詞が端折ってあるし、そもそも最後はどうして「しかめっ面をしてどなる」ことになるんだか、わけがわからない。あまり奇妙なので他を探したら、”Retired Scouter" というページも見つかった。このページの説明はよほどまともで、こんな具合だ。

Under (make hands over head like an umbrella)
  (両手を頭上で傘のような形にする)
the spreading (move hands out like tree branches)
  (両手を木の枝のような形にする)
chest (point to chest) nut (point to head) tree (move hands out like tree branches again).
  (手を胸から頭、頭上に上げ、再び最初の形に)
There we sat (hug yourself)
  (自分自身を抱きしめる)
just you (point to somebody else)
  (他の誰かを指す)
and me (point to yourself).
  (自分自身を指す)
Oh how happy (smile and point to smile)
  (笑顔を指さす)
we would be(hug yourself).
  (自分自身を抱きしめる)
(以下、最初と同じ動作)

こっちのバージョンは、我々の馴染んでいる振りによく似ている。多分日本式の元になったんだろう。

今回の『大きな栗の木の下で』ネタで判明したのは、日本語のサイトにはこの歌を大人が振り付きで歌う動画がくさるほどあるが、欧米のサイトでそんなものを探しても見当たらないということだ。これって、ある意味「文化の違い」なのだろう。

日本の場合は大人が「子ども文化」で盛り上がることにほとんど抵抗がないが、欧米の場合は「いい年して、何やってんだ?」みたいな感覚があるようなのだ。そういえば米国人の友人は、初めて日本に来た時、大人が電車の中で平気で漫画雑誌を読んでいるのを見て、最初は信じられなかったと言っていた。

というわけで、3日連続の『大きな栗の木の下で』の考察は、この辺で一段落としておきたい。検索に次ぐ検索で、かなり疲れたし。

 

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2020年11月13日

『大きな栗の木の下で』の謎が、かなり解けてきた

昨日のエントリー "童謡『大きな栗の木の下で』の謎" の続きである。謎が少しだけ解けてきたので、そのレポートだ。

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昨日の時点で、私が長い間思い込んでいた「欧米には栗なんてないから、原詩は "Under the Spreding Walnut Tree" なのではないか」という疑問は氷解し、実は欧米にも「ヨーロッパグリ」というクリは存在するので、"Under the Spreding Chestnut Tree" で何の不思議もないことがわかった。

ちなみにフランス語の "marron" というのは、この「ヨーロッパグリ」、あるいは「マロニエの実」のことであるらしい。ただしマロニエの実の方は毒があって、食用にはならないらしいのだが(参照)。

で、Wikipedia の「大きな栗の木の下で」の項にある「作詞者・作曲者ともに不詳。ヤロミール・ヴァインベルゲルの編曲(1939年)が知られている」という記述に関しては「一体、何のこっちゃ?」と思っていたのだが、しつこく検索した結果、クラシック曲としてレコーディングまでされていることが判明した。

上の画像をクリックすると、Royal Swedish Opera Orchestra の演奏の最初の部分が聞ける。かなりクラシック調にアレンジされてはいるが、聞いてみれば紛れもなく『大きな栗の木の下で』のメロディである。

画像にあるジャケットによれば、Ingrid Tobiasson というメゾ・ソプラノ歌手の歌もフィーチャーされているようなのだが、そこまではアップロードされていないのが残念だ。

通しで聞けないものかと検索したところ、時代物の SP 版から録音したらしいバージョンが見つかった(参照)。プチプチ・ノイズにめげずに最後まで聞いてみたが、歌のないフーガ形式である。

ちなみに Wikipedia の "Under the Spreading Chestnut Tree" の項には。ざっと次のようなことが書いてある。

Anne Gilchrist は、それは「イングランドの古い曲で、多分元々はダンス曲として伝えられ、近年になってモダンにアレンジされたもの」と結論づけている。

というわけで、結論的にはそういうこととしておこう。ちなみに Anne Gilchrist というのは英国の女流作家で、ホィットマンとの交流で知られているらしい(参照)。

明日はさらに、「ダンス曲」という点にこだわって、ボーイスカウトのキャンプファイアー・ソングとして広まった身振り、手振りに焦点を当ててみる。我ながらしつこいことである。

 

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2020年11月12日

童謡『大きな栗の木の下で』の謎

このところ「米国大統領選挙」なんていう大ネタで何本か書いたので、今日は久しぶりのトリビア・ネタである。トリビアもトリビア、童謡『大きな栗の木の下で』に関してのお話だ。

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高校の頃に、「うたごえ運動」なんてものに関わっていた先輩に「なんちゃら愛唱歌集」みたいなタイトルのハンドブックを押しつけられたことがある。声を揃えて楽しく歌えるような、いかにも健康的な歌が楽譜付きでどっさり収録されていたが、結局は捨ててしまって、今は手元にない。

その中の『大きな栗の木の下で』という曲には、英語の元歌と思われる原詩も収録されていて、それは "Under the Spreading Walnut Tree" ということになっていた。"Walnut" というのは「クルミ」で、「」の英語は "chestnut" である。

「へえ、元々は『栗の木』じゃなくて『クルミの木』だったのか!」と思ったのを、今でもよく覚えている。「大きなクルミの木の下で」では字余りになるので、訳詞者が勝手に『大きな栗の木の下で』に変えてしまったんだろうと納得していた。

ところがある日、ふとした気紛れで "Under the Spreading Walnut Tree" で動画検索してみたところ、どういうわけか上位に検索されるのはすべて "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だった。日本人制作の「英語で歌おう」みたいなものばかりである(参照)。

ちなみに上の画像クリックでリンクされる動画は、西洋人らしき男性が英語で歌ってはいるものの、全体的には思いっきりジャパニーズそのものの演出と雰囲気に溢れていて、気持ち悪くなるほどのギャップだ。

のみならず、それまで元歌とばかり思っていた "Under the Spreading Walnut Tree" に関しては、童画どころかそれらしいテキスト情報すら見つからない。これって一体どうしたことなのだ?

思いあまって Wikipedea にあたってみると、ざっくり言えば次のようなことだった(参照)。

  •  『大きな栗の木の下で』という歌は、イギリス民謡をもとにしており、作詞者・作曲者ともに不詳。
  •  日本語詞の 1番の訳詞者は不詳で、2番・3番の訳詞者は阪田寛夫とされるが、一部では訳詞者が寺島尚彦とされていることもある。

いずれにしても、明確な根拠は示されておらず、情報としてはかなり心許ない。アメリカのボーイスカウト・ソングとして広まったという説もあるが、これもしかとは確認できない。

そもそもの話として、原曲のタイトルが "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だなんて、私は信じていない。「クリ」という植物は東アジア固有のもの(参照)だから、ヨーロッパやアメリカで童謡になるほど親しまれているとは、まったく考えられないのだ。

【追記】この点に関しては、下の【追記 その 2】を参照のこと。個人的には不明を恥じるばかり。

原曲が英国発祥だとしたら、やはり "walnaut tree" (クルミの木)なのだろうと思うほかないではないか。あるいはもしかしたら本当は日本語が先で、英語は後からこじつけられたんじゃないかという気さえするほどだ。

この歌に関する目の覚めるような情報をお持ちの方がいらしたら、どうかご教示いただきたい。

【追記】

ことのついでにさらなるトリビアだが、この英語の歌を紹介する動画では、栗の実がまるで柿の実のように、そのまま木の枝になっているのが 2本もあるのに(参照 1参照 2)、イガに包まれているのは、上で紹介した動画以外にはほとんど見つからない。

今どきの動画スタッフは、自然の状態の栗の実の姿を知らないようなのだ。児童教育用童画なんだろうに、逆に教育に悪いよね。

【追記 その 2】

ありがたいことに automo さんという方が、さっそく「目の覚めるような情報」をコメントしてくださった。

なんと「クリ」は確かに東アジア固有のものだが、欧米にはよく似た種類で「ヨーロッパグリ」というのがあるというのである (参照 1参照 2

なるほど、そういうことなら原曲の詩が "Under the Spreading Chestnut Tree" でも不思議はない。

とはいえ、この歌の Children song に関する記述が、日本以外のインターネットの世界に見当たらないということに関する疑問は、まだ晴れない。

 

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