カテゴリー「比較文化・フォークロア」の281件の記事

2020年9月26日

「現金なやつ」と、キャッシュレス後進国

Japaaan Magazine のサイトに "よく「現金なヤツ」というけど…その語源を調べてみたら、文字通りの通貨だった" という記事がある。「現金なヤツ」の「現金」というのは、とりもなおさず、お金の「現金」ということだったというお話だ。

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江戸の昔は「掛け売り」が盛んで、月末にまとめて払うというのが一般的だった。ところがこれだと、払いを踏み倒されるリスクもあり、店側としては「いつもニコニコ現金払い」してもらうに越したことはない。

で、現金払いしてくれるなら客の言う多少の無理は聞かないこともないということだった。そんなわけで、この記事では次のように説明されている。

例えば客が無理な条件を提示した時、ツケ払いなら「あきまへん」など一刀両断にされるところ、「現金一括で支払うからさ」とカネを出したら「勉強させてもらいますわ」と手のひらクルリ。

そんな変わり身の早さを「現金なヤツ」と呆れるやら、商売上手を感心するやら……というのが語源だそうです。

で、この記事の 2ページ目に使われているのが、奥村正信の浮世絵『駿河町越後屋図』(上図: クリックで拡大表示される)で、よくみると左側の鴨居に「現金かけねなし」の貼り紙がある。

この駿河町越後屋という呉服屋は、実は現在の百貨店、三越の前身で、Wikipedia の「三越」のページに、次のように紹介されている。

江戸時代の1673年(延宝元年)に江戸本町一丁目14(後の駿河町、現・東京都中央区日本橋室町の一部)において、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。1928年には「株式会社三越」となった。

今は、下手すると時代から取り残されかねない百貨店だが、江戸時代は世界の最先端を行くビジネスモデルとしてスタートしていたわけだ。

そしてその最先端のビジネスモデルを描いた浮世絵に、さらにまたアバンギャルドな絵画手法が使われている。左側の間はオーソドックスな遠近法で描かれているのに、右側の間は一見すると、奥に行くほど広がっているように感じられることにお気付きだろうか。

このように、近代西洋画的な遠近法にとらわれないというのが浮世絵の特色だが、さればといって、遠近法の発想とテクニックがなかったわけでもない。それは左側の間がおおむねちゃんとした(天井の描写がちょっと辻褄合わないが)遠近法で描かれていることからもうかがわれる。

そして右側の間は壁で隠されている部分が多いので、遠近法なんて適用してもしょうがないと言わんばかりだ。「その辺のことはわかってるけど、あえて理窟にはとらわれないもんね」ということのようなのである。

要するに、当時の日本人の発想というのはかなり自由奔放、自在の境地に遊ぶというところがあり、そんなところからも「現金正札販売」を打ち出すビジネスモデルにつながったのではないかと思ってしまうわけだ。

ただ、この「現金正札販売」重視のポリシーが、時代の変わってしまった今では「日本はキャッシュレス後進国」ということになって現れているのかもしれない(参照:時代遅れの「現金主義国家」日本)。世の中の移り変わりというのは、なかなか難しいものである。

 

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2020年9月 6日

「納豆」を「ナロゥ」なんて言うから食えないんだよ

NewSphere の 9月 3日付に "「日本のスーパーフード」納豆に海外が注目 米番組の試食では……" という記事がある。副タイトルの 「米番組の試食では......」の最後に付いた 「......」が、かなり意味シンだ。

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この記事は、「イギリスの医学誌に掲載された論文で、納豆を多く食べる人ほど長生きするという研究結果が発表され・・・」と紹介している。そして記事の 2ページ目の動画は、テキサス州サンアントニオのテレビ局 KENS5 の納豆レポート だ。

動画の前半では、マーシャルアート(格闘技)のインストラクターが納豆のおかげで高血圧症を克服したという体験のインタビューが流れる。そして最後が、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図だ。

これの元記事のタイトルは、"Studies suggest Japanese superfood Natto could extend your life, if you can stomach it" (研究によれば日本のスーパーフード、納豆は寿命を延ばすという。もしそれを胃袋まで飲み下せば)なんていうものだ。納豆も、ここまで特別扱いされるのだね。

動画のナレーターは、この ”sticky, slimy and smelly(ネバネバでベトベトで臭い)fermented soybeans(発酵大豆)" を、"It's called 'natto'" (それは「納豆」といいます)と紹介している。ただ米語発音の常として、日本人の耳には "natto" が「ナロゥ」と聞こえてしまうのだ。

これは日本人の耳がおかしいとか、英語に慣れてないからとかいうわけじゃなく、彼らが実際にそう発音してるんだから仕方がない。私は冒頭のナレーションを聞いた瞬間、「『ナロゥ』って何だ? 『納豆』の話じゃなかったのか?」なんて思ってしまったよ。

私自身、フツーに "better" を「ベラ」、"bottom" を「バルム」みたいに発音する人なのに、「納豆」に限っては「ナロゥ」と発音されて戸惑ってしまったのだ。それほど「ナットー」というのは、音としても日本人の脳の底まで深く染みこんでいるわけなのだね。

しかし、大したもんである。納豆で高血圧症を乗り越えた格闘技インストラクターの男性は、きちんと「ナットー」と聞こえる正しい発音で「納豆」の良さを説明し、おいしそうに食べてみせる。納豆の本場、茨城県に生息する私としては「それでこそ!」と思ってしまったね。

彼は多分、納豆を食することに関して耳情報から入ったのだろう。"Natto" をちゃんと 「ナットー」と発音する日本人に、口伝えにその効能を伝えられたに違いない。

続いて、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図となる。ちなみに彼らの発音は、揃って見事に「ナロゥ」である。文字としての "natto" から入ると、米国人はどうしてもこうなる。

そしてこれがもう、4人ともまともには食えない。目の前にある納豆をかき混ぜてみるだけで複雑極まりない表情となり、恐る恐る口に入れては妙に切羽詰まったような顔になる。

女性キャスターは "acquired taste" (後天的に後にならなきゃわからない嗜好品の味)なんて表現している。しかしこれはおかしい。私は記憶に残っていないほどの幼い頃から、フツーに納豆を食べていたはずだから、「後にならなきゃわからない」なんてことはない。

実際にはむしろ、納豆を見て気持ち悪いと感じる反応こそが、後天的なものだろうと思う。物心ついて以後に「糸を引くようになったら、そりゃ『腐ってる』ってことよ」と学んだことが、決定的に邪魔しているのだ。これが「後天的」な要素でなくて何なのだ。要するに、余計なことを考えずに食えばいいのだ。

ここまで来ると私としては、「お前ら、畏れ多くも『納豆』のことを『ナロゥ』なんて言うから良さがわからくて、食えないんだよ!」と言うほかないと確信してしまったよ。

ということで、今日はこんなところでお粗末様。

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2020年8月19日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 2

昨日は「左上右下」(左が上位で、右が下位)という伝統文化における「左右」という問題のややこしさにチラリと触れて、「この問題に関する宿命でもある」なんて書いた(参照)。それで今日は、このややこしい問題について書くことにする。

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例えば「左が上って言うけど、舞台の『上手』って、右側じゃん」なんていう誤解がある。これについては実は、一昨年の 10月 3日に、"「左上右下」と 舞台の「上手/下手」" として既に書いてしまったことでもあるが、視点を変えて再び触れよう。

こうした誤解は結局、「上下は重力に規定されるからある意味普遍的だが、左右は相対的」ということから発する。「左右」は「視線の方向」によって裏返るから、話がややこしくなるのである。

舞台の「上手」は観客の視点からは「右側」だが、舞台上の役者からすれば「左側」で、実はこれが本来の発想なのだ。一昨年の記事でも「日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである」と、種明かしをしている。役者は「神の代理」として舞台に立っているのだ。

障子戸やふすまの場合も、人間の側からは右側の戸が手前に見える。ところが昨日触れた日経のサイトの「右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」という記事では、「ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則」なのだという。

つまり舞台と同じ発想で、人間より障子戸やふすまの方が優先なのだ。ある意味シュールな話で、障子戸やふすまにまで神が宿っているかのようである。

そして「着物は『左前』で着ない」という話に至ると、さらにややこしい。上述の記事の解説もこんな具合に、わかってる人にしかわからないような煩雑さだ。

自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。

つまり自分の視点からだと「左前」が正しいのだが、着物に限ってはどういうわけか向かい合う相手の視点を採用しているので、「右前」が正しいなんていう変則的でわかりにくい表現になる。こうしたややこしさは、基本的には「(相対的な)視点による問題」に尽きると言えるだろう。

ちなみに障子戸、ふすまの場合は、人間から見て左側を先にセットするのだから、便宜的に「左先」と言う方が解りやすいと思う。この記事の発端となったラジオ体操の順番とも整合するし。

この記事では結局これが言いたかったみたいなものだが、着物の着方に関しては「右先」になってしまうのが痛恨だ。これも突き詰めれば「視点の問題」ではあるのだけどね。

 

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2020年8月18日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 1

65歳を過ぎた頃からどういうわけか、NHK ラジオに合わせて「ラジオ体操」というのをするようになった。若い頃は「こんなもん、軽すぎてちっとも運動にならんわ」なんて思っていたが、近頃では朝一番の運動としてちょうど手頃と感じるのだから、年は争えないものである。

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ところでラジオ体操では、前後の動きでは当然ながら前が先だが、左右に関してはいつも左が先と決まっている。子どもの頃は「どうして左が先?」と不思議だったが、これ、日本では飛鳥時代からの伝統であるらしい。日経の「くらし&ハウス 暮らしの知惠」というサイトに詳しく解説してある。

右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」というページで、初出は「日経プラスワン」2013年 2月 2日付だそうだ。インターネットの世界広しと言えども、私の見るところ、この問題についてはこのページが最も適切にしかも解りやすく説明してある。

「左の方がエラい」というのは「左上右下(さじょううげ)」と言われる原則で、体の動きにしてもこれに沿って左が先と決まっている。この思想は大昔に唐の国から遣唐使が持ち帰ったもので、その根拠はこんなようなことであるらしい。

皇帝は不動の北極星を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、日は左の東から昇って右の西に沈む。日の昇る東は沈む西よりも尊く、ゆえに左が右よりも上位とされた。

いわゆる「天子南面」に発するもので、なるほど、理窟である。というわけで律令制のもとでは、「左大臣」の方が「右大臣」より偉かった。今でも「格上の人が左に座る」というのがビジネス・マナーとされているし、ラジオ体操の体の動きでも「左が先」となっているのだから、なかなか馬鹿にならない(参照)。

とはいえ、本家本元の中国では「王朝や時代の変遷によって『左上位』と『右上位』がしばしば入れ替わった」というのだから、「何だよ、それ!」と言いたくなってしまう。一度伝えられたことを律儀に守り通している日本は、かなり(あるいは無駄に?)生真面目な国なのかもしれない。

もっとも西洋では、英語でも「右」を「正しい」という意味ももつ "right" という言葉で表すほどで、「右が上位」と決まっており、それがそのまま国際儀礼になってしまっている。それで日本の皇室もそのプロトコルに沿い、今は天皇陛下が右に立たれるという。(ひな人形も「関東式」はそう飾る)

「左右」というのは突き詰めていくと結構ややこしい話になるが、それはこの問題に関する宿命でもある。これについては長くなるので、稿を改める。

 

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2020年8月 7日

仙台の七夕祭りも中止だそうで

今日は月遅れの七夕。例年は東北三大祭りの一つとして、仙台の街は大賑わいになるのだが、今年は例のコロナ騒動で中止となっているのだそうだ。仙台は私の妻の生まれた街だが、こういうことなら、まあ、仕方がない。

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とはいえ、「気は心」ということか、町の中心部には吹き流しだけが登場しているという。やっぱり何もないと寂しすぎるということなのだろうね。

この「七夕の季節感」ということについては既に何度も書いていて、今年も先月 6日に ”「明日は七夕」というのだが” という記事を書いている。ざっと言ってしまえば、本来の七夕は俳句でも秋の季語とされていることからも分かるように、新暦の 7月 7日なんていう梅雨も開けないうちからやるものではないのだ。

さらに言えば月遅れでも大抵は早すぎるぐらいのもので、本来の旧暦 7月 7日は、今年の場合は 8月 25日になるのだよね。この頃になれば日没も少しは早くなって、涼しい夕暮れときれいな天の川が見られるというわけだ。

というわけで、今年の七夕は、8月 25日の夜にひっそりと個人的に夜空を見上げて楽しみたいと思っている。

 

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2020年7月 8日

正座と胡座(あぐら)

「知識連鎖」に「正座の由来は格下の座り方 歴史的にはあぐらが古く千利休もあぐらだった」(7月 7日付)という記事がある。下の画像を見ればわかるように、千利休は確かにあぐらで座っている。

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Wikipadia の「正座」の項にはm次のようにある (参照)。

正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。
平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。

江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。

なるほど。正座というのは、将軍に相対する時の姿勢が広まったもので、さらに畳の普及と切り離せないようだ。上の図のように、エラい人が半畳分ぐらいの座に胡座をかいているのに、いくら下座の者と言っても、堅い木の床の上に正座しろというのは気の毒過ぎるだろう。

ただ、椅子に腰かける姿勢に慣れてしまった今となっては、畳の上の正座も足がしびれてキツいが、胡座も案外しんどい。長く座っていると腰が痛くなってしまうのである。

胡座というのは、どうしても背中が丸まってしまう。背筋を伸ばして胡座をかこうとすると、正座よりも辛くなってしまう。そんなことも、江戸時代以後は正座の方が文字通り「正しい座り方」となってしまった由縁だろう。

さらに今となっては、長時間の仕事をしようとしたら椅子でないともたない。座卓で仕事をするなんて御免こうむりたいが、明治の頃はあの夏目漱石も胡座で座卓に向かい、『我が輩は猫である』を執筆していたもののようだ(参照)。

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それにしても、明治の文豪の机の上(のみならず床の上も)って、とんでもない乱雑さである。あるいはこれ、一種の演出なのかなあ。

【7月 9日 追記】

小説家の書斎の乱雑さは明治の文豪に限らないようだ。その中でもトップは昭和の坂口安吾かもしれない。これは終戦直後の 1946年の写真だが、こちら を読めば演出でもなんでもないことがわかる。ちなみに、しっかりと胡座である。

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2020年7月 6日

「明日は七夕」というのだが

明日は 7月 7日で「七夕」ということになっていて、THE GATE というサイトの「日本の七夕文化について詳しく学ぼう」という記事に、「日本三大七夕まつり」というのが紹介されている。

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この記事のおかげで、最も有名な「仙台七夕まつり」以外の 2つは「湘南ひらつか七夕まつり」と、「安城七夕まつり」(愛知県)なのだと初めて知った。おもしろいのは、この「日本三大七夕まつり」の紹介が、次のような始まり方をしていることである。

七夕の時期になると、日本各地で開催される七夕まつり。地域によっては旧暦の7月7日、現在の8月に開催する場所もあります。

「七夕」という日本でもメジャーな行事の開催時期が、地域によって一定していない。今となっては新暦の 7月 7日が一般的になったが、「月遅れ」の 8月 7日というのも多く、旧暦の 7月 7日(新暦 8月上旬〜下旬が多い)というのも案外根強い。

紹介されている「日本三大七夕まつり」では、仙台のものが代表的な「月遅れ七夕」で 、安城が 8月の第一金・土・日の 3日間、そして平塚では「毎年 7月上旬」と含みを持たせてある。見方によってはかなりいい加減なものだ。

仙台の場合はさすがに最も有名というだけあって 6日から 8日と明確に定められているが、残る 2つは、要するに「観光の都合優先」というのがみえみえだ。元々のいわれとか伝統とかいうのは、いくら夏休み期間中とはいえ、地元経済の前には霞んでしまうようなのである。

これについては前にも書いている(参照)が、王道は「旧暦の 7月 7日」で、今年の場合は 8月 25日がそれに当たる。「そんなに遅いの?」と言われるかも知れないが、俳句でも「七夕」は「秋の季語」なのだから、実は立秋以後になるのが本来であり、意外でも何でもない。

フツーに考えれば、「そろそろ夜が長くなってきたね」と実感される頃こそが七夕に相応しい時期で、梅雨も明けないうちの新暦 7月 7日では「彦星、織姫が可哀想すぎ」というほかない。個人的には、この設定は無茶苦茶だと思う。

 

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2020年6月 7日

「タンクトップ」のことを米国では "wife beater" (妻を殴る奴)と言うらしい

ことの発端は、例の米国の事件だった。その関連での注目ニュースに "黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる" というのがある。

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米国ヒューストンのキャメロン・ウェルチさんが、若い黒人が自らの身を守るために従うべき 16のルールを母親から教えられたと、TikTok に投稿した動画が話題になっている。上の写真をクリックするとその動画に飛んで見ることができる。

その「16のルール」とは、以下の通りである。

  • 手をポケットに入れてはいけない
  • パーカーのフードをかぶってはいけない
  • シャツを着ないまま、外に出てはいけない
  • 一緒にいる相手がどんな人か確認する。たとえ路上で会った人でも
  • 遅い時間まで外で出歩かない
  • 買わないものを触らない
  • たとえガム一つだったとしても、何かを買ったらレシートかレジ袋なしで店を出てはいけない
  • 誰かと言い争いをしているように見せてはいけない
  • 身分証明書なしに外に出てはいけない
  • タンクトップを着て運転してはいけない
  • ドゥーラグ(頭に巻く、スカーフのような布)をつけたまま運転してはいけない
  • タンクトップを着て、もしくはドゥーラグを巻いて出かけてはいけない
  • 大きな音楽をかけて車に乗ってはいけない
  • 白人の女性をじっと見てはいけない
  • 警察に職務質問されたら、反論してはいけない。協力的でありなさい
  • 警察に車を停止させられたら、ダッシュボードに両手を乗せて、運転免許証と登録証を出してもいいか尋ねなさい

ひどいものだ。これだけでも、米国の黒人の日常がどんなにリスキーなものかを知ることができる。

で、このことについてはこれ以上くどくは書かない。私如きが書かなくても、このニュースを読めばちゃんと伝わってくる。

私がこのニュースでちょっとした興味をもってしまったのは、末尾に付けられた次のような但し書きだ。

「wifebeater」を当初「妻や女性に暴力を振るう人」と訳しておりましたが「タンクトップ」の間違いでした。

日本語訳のニュースがアップロードされたのが、6月 6日の 17時 17分で、この但し書きは同日 23時 30分付だから、結構迅速な対応である。

それにしても、米国では「タンクトップ」のことをスラングで "wifebeater" ("wife beater" とか "wife-beater" とも表記される)と言うなんて、初めて知った。念のために "Wifebeater" で画像検索すると、ズラリとマッチョな(あるいはおデブな)タンクトップ姿が表示されるから、こりゃウソじゃない。

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それにしても、なんでまた「妻を殴る奴」なんて名称になっちゃってるんだ? これに関しては "Dictionary.com" というサイトの 'Why Do We Call It A “Wife Beater” Shirt?' (どうして「ワイフビーター」シャツなんて言うの?)というページにしっかりと書いてあるのを見つけた。

詳しいことはリンク先に解説されているので、「これでおしまい」でもいいのだが、なにしろ英文なので、要点だけかいつまんで紹介させていただく。

20世紀半ばまでタンクトップ・シャツと「妻を殴る奴」は無関係だったが、1947年にデトロイトでジェームス・ハートフォード・ジュニアという男が妻を殴り殺すという事件を起こした。このニュースで "the wife-beater" のキャプションで報じられた犯人の写真が、煮豆色に汚れた下着シャツ姿だった。

その頃のヒット映画『欲望という名の電車』で、マーロン・ブランド演じるスタンリー・コワルスキーが白い下着姿でジェシカ・タンディ演じるブランチ・デュポアを突き倒すという場面が話題になった(参照)。これで "wife beater" と白い下着のリンクが、米国民にステロタイプに焼き付けられた。

この頃はまだ "wife beater" は貧しい移民の象徴みたいなものだったが、ドルチェ&ガバーナが 1992年のコレクションでマッチョなタンクトップ・スタイルを発表してからというもの、俄然ファッション・アイテムになってしまった。

とは言いながら、"wife beater" という野蛮な名称はそのまま残っているというのが米国社会の複雑なところである。上述の画像検索の結果をみても、カラーバリエーションがないわけではないが、ほとんどは白いタンクトップで、「元々は貧しい移民の下着」という出自はありありと残っている。

ファッション・アイテムにさえこうした名称とイメージが投影されているというのは、米国社会のある種の「歪み」を表していると、私は思ってしまう。

 

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2020年2月17日

「葬頭河の婆」と「正塚婆」で盛り上がる

先日、友人たちとメシを食っている時に、昔のフォークソングの話題になり、「そうえいば『雨が空から降れば』なんて歌もあったなあ」なんて話につながった。

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そこから、あの歌を歌ってたのは「六文銭」ってグループだったけど、「六文銭」って、そもそもどういうお金なんだ? ということになる。そして、そういう話になるとモロに私の出番である。

「六文銭って、三途の川の渡し賃だよ。その持ち合わせがないと、奪衣婆に着物を剥ぎ取られてしまうんだ。諸説あるけど」
「奪衣婆って、一体何だよ?」
「三途の川の岸にいて、亡者の着物を剥ぎ取って、木の枝に掛けるんだよ。亡者の業の重さによって、木の枝のしなだれ具合が違ってくるんだ」
「いやはや、tak ってそういう話に妙に詳しいなあ!」

フォークロアの宝庫、庄内の地で、祖父母のいる家で育ったこともあり、私は自分で言うのもナンだが、そういう話にはかなり詳しい。一昨年の春に "「葬頭河の婆」というのは?" という記事(上の画像)を書いほどである。

「葬頭河」というのは「しょうずか」あるいは「しょうずが」と読んで、いわゆる「三途の川」のこと。で、「葬頭河の婆」は、「奪衣婆」のまたの名である。

「ウチの田舎の庄内では、『葬頭河の婆』のことを年寄りたちが『しょずがのンバ』なんて言ってた」

そう言うと、大分県出身の友人が「あ、それ、聞いたことあるわ!」と言い出した。「ウチの田舎では『しょうづかばあ』って言ってた」

それを聞いて私は嬉しくなってしまった。

「おお、『しょうづかばあ』という地域も、結構あるんだよね。『正しい塚』で『正塚婆』と書くんだ。こういうことって、漢字表記はモロにテキトーだからさ。それにしても、『正塚婆』って言い方をナマで知ってる人間に、初めて出会ったわ!」

というわけで、「葬頭河の婆」と「正塚婆」で大いに盛り上がってしまったのだった。

 

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2019年11月 6日

「屋敷墓」「家墓」というもの

茨城県に住んでいると、庭や玄関先など、家の敷地内、あるいは畑の片隅など、墓地ではない自分のもつ土地に墓を建てているのがよく見られる。私の生まれた東北ではこんなことはほとんどないので、初めのうちは「へえ〜! なんでまた自宅に墓なんかもってるんだろう」と驚いて見ていた。

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こうした自分の土地に建てる墓を「屋敷墓」「家墓」などというらしい。池渕石材工業株式会社という奈良の石材会社のサイトに「屋敷墓~関東地方のお墓の一類型」というタイトルのページがある。奈良の会社らしく、埼玉に旅行したさいに、自宅の敷地内に墓があるケースを多々見て、驚いたということが書いてある。

お墓に使われる石材を販売する会社のスタッフがいうことだけに、やはり自宅に墓を持つというのは、奈良などの関西では珍しいことなのだろう。

私の住んでいるのは新興の住宅地で、ほかから移り住んでいる人がほとんどなので、屋敷墓というのは全然見られない。しかし一歩外れて前々からこの土地に住んでいる人の家をみると、敷地内に墓が建っていることは全然珍しくない。関東では一般的な話のようなのである。

「終活ネット」というサイトの "家にお墓を置く!?「自宅墓」について解説します!" というページによると、次のようにある。

みなさんは「自宅墓」について、ご存知でしょうか。
これは、遺骨を骨壺に納めて、骨壺より少し大きな石棺に入れて、自宅で供養する「お墓」のことです。
これなら自宅の仏間や床の間、家具の上などでも置くことができます。

(中略)

予算はあるので、自宅の敷地内でお墓を建てて遺骨を納めたいという人もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これは「墓地埋葬法」に違反することになります。
遺骨は、墓地以外の場所に「埋葬」することを禁じられているのです。
たまに農家の敷地等にお墓を見かけることがありますが、これは法律ができる前に建てられたものです。
より、古いものが多いです。
管理している人が明確である内は、特別に許可されています。

つまり、遺骨を骨壺などに入れて自宅で供養することは禁止されていないが、自宅敷地内に遺骨を「埋葬」することは、今では禁止されているらしい。埋葬はお寺などの「墓地」に限られるようなのだ。ただ、この法律ができる前に自宅内にお墓が作られている場合は黙認されているということのようだ。

これを「家墓」「屋敷墓」と呼び、仏壇などに骨壺を置いて供養するなどの「自宅墓」と区別しているようなのである。

私はこの記事を書くに当たって調べてみて、骨壺に入れた遺骨を自宅に置けると知って「へえ!」と驚いた。それなら何百万円も出してお墓を購入する必要なんてないじゃないか。ただ、やっぱり自宅に骨壺を置くというのも抵抗があるだろうし、墓地を買うのもイヤだというなら、「散骨」しかないのかもしれない。

 

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