カテゴリー「比較文化・フォークロア」の284件の記事

2020年11月14日

"Under the Spreading Chestnut Tree" の手振り

3日連続の『大きな栗の木の下で』ネタである。初日に呈した謎が、2日目にしてだんだん解けてきたというのが面白く、しつこいと言われるかもしれないが、簡単にはやめられなくなってしまった。

201114

今日はキャンプファイアー・ソングとして広まったらしいという点に注目し、身振り、手振りに焦点を当ててみる。

 "Boy Scout Song, Girl Guide Song, with Lyrics" というページに動画があるらしいので、喜び勇んでアクセスしてみたが、「この動画を再生できません」というメッセージが空しく表示されるばかり。他の似たようなページもことごとく動画は再生できなかった。残念!

さらに、ボーイスカウトの歌というのを手がかりにしつこく検索したところ、"Scouts 4th Sevenoak" というページが見つかり、そこには身振りの説明があるではないか。だが、それってこんな具合である。

Spreading – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Chest – strike chest
  (胸を叩く: これはまんまの当て振りだね)
Nut – tap head
  (頭をチョン)
Tree – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Held – arms as though embracing.
  (腕を抱きしめるように)
Knee – strike knee.
  (膝を叩く: これもまんま当て振り)
Happy – Scowl and emit a growl.
  (しかめっ面をしてどなる)

歌詞が端折ってあるし、そもそも最後はどうして「しかめっ面をしてどなる」ことになるんだか、わけがわからない。あまり奇妙なので他を探したら、”Retired Scouter" というページも見つかった。このページの説明はよほどまともで、こんな具合だ。

Under (make hands over head like an umbrella)
  (両手を頭上で傘のような形にする)
the spreading (move hands out like tree branches)
  (両手を木の枝のような形にする)
chest (point to chest) nut (point to head) tree (move hands out like tree branches again).
  (手を胸から頭、頭上に上げ、再び最初の形に)
There we sat (hug yourself)
  (自分自身を抱きしめる)
just you (point to somebody else)
  (他の誰かを指す)
and me (point to yourself).
  (自分自身を指す)
Oh how happy (smile and point to smile)
  (笑顔を指さす)
we would be(hug yourself).
  (自分自身を抱きしめる)
(以下、最初と同じ動作)

こっちのバージョンは、我々の馴染んでいる振りによく似ている。多分日本式の元になったんだろう。

今回の『大きな栗の木の下で』ネタで判明したのは、日本語のサイトにはこの歌を大人が振り付きで歌う動画がくさるほどあるが、欧米のサイトでそんなものを探しても見当たらないということだ。これって、ある意味「文化の違い」なのだろう。

日本の場合は大人が「子ども文化」で盛り上がることにほとんど抵抗がないが、欧米の場合は「いい年して、何やってんだ?」みたいな感覚があるようなのだ。そういえば米国人の友人は、初めて日本に来た時、大人が電車の中で平気で漫画雑誌を読んでいるのを見て、最初は信じられなかったと言っていた。

というわけで、3日連続の『大きな栗の木の下で』の考察は、この辺で一段落としておきたい。検索に次ぐ検索で、かなり疲れたし。

 

| | コメント (2)

2020年11月13日

『大きな栗の木の下で』の謎が、かなり解けてきた

昨日のエントリー "童謡『大きな栗の木の下で』の謎" の続きである。謎が少しだけ解けてきたので、そのレポートだ。

201113

昨日の時点で、私が長い間思い込んでいた「欧米には栗なんてないから、原詩は "Under the Spreding Walnut Tree" なのではないか」という疑問は氷解し、実は欧米にも「ヨーロッパグリ」というクリは存在するので、"Under the Spreding Chestnut Tree" で何の不思議もないことがわかった。

ちなみにフランス語の "marron" というのは、この「ヨーロッパグリ」、あるいは「マロニエの実」のことであるらしい。ただしマロニエの実の方は毒があって、食用にはならないらしいのだが(参照)。

で、Wikipedia の「大きな栗の木の下で」の項にある「作詞者・作曲者ともに不詳。ヤロミール・ヴァインベルゲルの編曲(1939年)が知られている」という記述に関しては「一体、何のこっちゃ?」と思っていたのだが、しつこく検索した結果、クラシック曲としてレコーディングまでされていることが判明した。

上の画像をクリックすると、Royal Swedish Opera Orchestra の演奏の最初の部分が聞ける。かなりクラシック調にアレンジされてはいるが、聞いてみれば紛れもなく『大きな栗の木の下で』のメロディである。

画像にあるジャケットによれば、Ingrid Tobiasson というメゾ・ソプラノ歌手の歌もフィーチャーされているようなのだが、そこまではアップロードされていないのが残念だ。

通しで聞けないものかと検索したところ、時代物の SP 版から録音したらしいバージョンが見つかった(参照)。プチプチ・ノイズにめげずに最後まで聞いてみたが、歌のないフーガ形式である。

ちなみに Wikipedia の "Under the Spreading Chestnut Tree" の項には。ざっと次のようなことが書いてある。

Anne Gilchrist は、それは「イングランドの古い曲で、多分元々はダンス曲として伝えられ、近年になってモダンにアレンジされたもの」と結論づけている。

というわけで、結論的にはそういうこととしておこう。ちなみに Anne Gilchrist というのは英国の女流作家で、ホィットマンとの交流で知られているらしい(参照)。

明日はさらに、「ダンス曲」という点にこだわって、ボーイスカウトのキャンプファイアー・ソングとして広まった身振り、手振りに焦点を当ててみる。我ながらしつこいことである。

 

| | コメント (0)

2020年11月12日

童謡『大きな栗の木の下で』の謎

このところ「米国大統領選挙」なんていう大ネタで何本か書いたので、今日は久しぶりのトリビア・ネタである。トリビアもトリビア、童謡『大きな栗の木の下で』に関してのお話だ。

201112

高校の頃に、「うたごえ運動」なんてものに関わっていた先輩に「なんちゃら愛唱歌集」みたいなタイトルのハンドブックを押しつけられたことがある。声を揃えて楽しく歌えるような、いかにも健康的な歌が楽譜付きでどっさり収録されていたが、結局は捨ててしまって、今は手元にない。

その中の『大きな栗の木の下で』という曲には、英語の元歌と思われる原詩も収録されていて、それは "Under the Spreading Walnut Tree" ということになっていた。"Walnut" というのは「クルミ」で、「」の英語は "chestnut" である。

「へえ、元々は『栗の木』じゃなくて『クルミの木』だったのか!」と思ったのを、今でもよく覚えている。「大きなクルミの木の下で」では字余りになるので、訳詞者が勝手に『大きな栗の木の下で』に変えてしまったんだろうと納得していた。

ところがある日、ふとした気紛れで "Under the Spreading Walnut Tree" で動画検索してみたところ、どういうわけか上位に検索されるのはすべて "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だった。日本人制作の「英語で歌おう」みたいなものばかりである(参照)。

ちなみに上の画像クリックでリンクされる動画は、西洋人らしき男性が英語で歌ってはいるものの、全体的には思いっきりジャパニーズそのものの演出と雰囲気に溢れていて、気持ち悪くなるほどのギャップだ。

のみならず、それまで元歌とばかり思っていた "Under the Spreading Walnut Tree" に関しては、童画どころかそれらしいテキスト情報すら見つからない。これって一体どうしたことなのだ?

思いあまって Wikipedea にあたってみると、ざっくり言えば次のようなことだった(参照)。

  •  『大きな栗の木の下で』という歌は、イギリス民謡をもとにしており、作詞者・作曲者ともに不詳。
  •  日本語詞の 1番の訳詞者は不詳で、2番・3番の訳詞者は阪田寛夫とされるが、一部では訳詞者が寺島尚彦とされていることもある。

いずれにしても、明確な根拠は示されておらず、情報としてはかなり心許ない。アメリカのボーイスカウト・ソングとして広まったという説もあるが、これもしかとは確認できない。

そもそもの話として、原曲のタイトルが "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だなんて、私は信じていない。「クリ」という植物は東アジア固有のもの(参照)だから、ヨーロッパやアメリカで童謡になるほど親しまれているとは、まったく考えられないのだ。

【追記】この点に関しては、下の【追記 その 2】を参照のこと。個人的には不明を恥じるばかり。

原曲が英国発祥だとしたら、やはり "walnaut tree" (クルミの木)なのだろうと思うほかないではないか。あるいはもしかしたら本当は日本語が先で、英語は後からこじつけられたんじゃないかという気さえするほどだ。

この歌に関する目の覚めるような情報をお持ちの方がいらしたら、どうかご教示いただきたい。

【追記】

ことのついでにさらなるトリビアだが、この英語の歌を紹介する動画では、栗の実がまるで柿の実のように、そのまま木の枝になっているのが 2本もあるのに(参照 1参照 2)、イガに包まれているのは、上で紹介した動画以外にはほとんど見つからない。

今どきの動画スタッフは、自然の状態の栗の実の姿を知らないようなのだ。児童教育用童画なんだろうに、逆に教育に悪いよね。

【追記 その 2】

ありがたいことに automo さんという方が、さっそく「目の覚めるような情報」をコメントしてくださった。

なんと「クリ」は確かに東アジア固有のものだが、欧米にはよく似た種類で「ヨーロッパグリ」というのがあるというのである (参照 1参照 2

なるほど、そういうことなら原曲の詩が "Under the Spreading Chestnut Tree" でも不思議はない。

とはいえ、この歌の Children song に関する記述が、日本以外のインターネットの世界に見当たらないということに関する疑問は、まだ晴れない。

 

| | コメント (2)

2020年9月26日

「現金なやつ」と、キャッシュレス後進国

Japaaan Magazine のサイトに "よく「現金なヤツ」というけど…その語源を調べてみたら、文字通りの通貨だった" という記事がある。「現金なヤツ」の「現金」というのは、とりもなおさず、お金の「現金」ということだったというお話だ。

200926

江戸の昔は「掛け売り」が盛んで、月末にまとめて払うというのが一般的だった。ところがこれだと、払いを踏み倒されるリスクもあり、店側としては「いつもニコニコ現金払い」してもらうに越したことはない。

で、現金払いしてくれるなら客の言う多少の無理は聞かないこともないということだった。そんなわけで、この記事では次のように説明されている。

例えば客が無理な条件を提示した時、ツケ払いなら「あきまへん」など一刀両断にされるところ、「現金一括で支払うからさ」とカネを出したら「勉強させてもらいますわ」と手のひらクルリ。

そんな変わり身の早さを「現金なヤツ」と呆れるやら、商売上手を感心するやら……というのが語源だそうです。

で、この記事の 2ページ目に使われているのが、奥村正信の浮世絵『駿河町越後屋図』(上図: クリックで拡大表示される)で、よくみると左側の鴨居に「現金かけねなし」の貼り紙がある。

この駿河町越後屋という呉服屋は、実は現在の百貨店、三越の前身で、Wikipedia の「三越」のページに、次のように紹介されている。

江戸時代の1673年(延宝元年)に江戸本町一丁目14(後の駿河町、現・東京都中央区日本橋室町の一部)において、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。1928年には「株式会社三越」となった。

今は、下手すると時代から取り残されかねない百貨店だが、江戸時代は世界の最先端を行くビジネスモデルとしてスタートしていたわけだ。

そしてその最先端のビジネスモデルを描いた浮世絵に、さらにまたアバンギャルドな絵画手法が使われている。左側の間はオーソドックスな遠近法で描かれているのに、右側の間は一見すると、奥に行くほど広がっているように感じられることにお気付きだろうか。

このように、近代西洋画的な遠近法にとらわれないというのが浮世絵の特色だが、さればといって、遠近法の発想とテクニックがなかったわけでもない。それは左側の間がおおむねちゃんとした(天井の描写がちょっと辻褄合わないが)遠近法で描かれていることからもうかがわれる。

そして右側の間は壁で隠されている部分が多いので、遠近法なんて適用してもしょうがないと言わんばかりだ。「その辺のことはわかってるけど、あえて理窟にはとらわれないもんね」ということのようなのである。

要するに、当時の日本人の発想というのはかなり自由奔放、自在の境地に遊ぶというところがあり、そんなところからも「現金正札販売」を打ち出すビジネスモデルにつながったのではないかと思ってしまうわけだ。

ただ、この「現金正札販売」重視のポリシーが、時代の変わってしまった今では「日本はキャッシュレス後進国」ということになって現れているのかもしれない(参照:時代遅れの「現金主義国家」日本)。世の中の移り変わりというのは、なかなか難しいものである。

 

| | コメント (4)

2020年9月 6日

「納豆」を「ナロゥ」なんて言うから食えないんだよ

NewSphere の 9月 3日付に "「日本のスーパーフード」納豆に海外が注目 米番組の試食では……" という記事がある。副タイトルの 「米番組の試食では......」の最後に付いた 「......」が、かなり意味シンだ。

2009062

この記事は、「イギリスの医学誌に掲載された論文で、納豆を多く食べる人ほど長生きするという研究結果が発表され・・・」と紹介している。そして記事の 2ページ目の動画は、テキサス州サンアントニオのテレビ局 KENS5 の納豆レポート だ。

動画の前半では、マーシャルアート(格闘技)のインストラクターが納豆のおかげで高血圧症を克服したという体験のインタビューが流れる。そして最後が、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図だ。

これの元記事のタイトルは、"Studies suggest Japanese superfood Natto could extend your life, if you can stomach it" (研究によれば日本のスーパーフード、納豆は寿命を延ばすという。もしそれを胃袋まで飲み下せば)なんていうものだ。納豆も、ここまで特別扱いされるのだね。

動画のナレーターは、この ”sticky, slimy and smelly(ネバネバでベトベトで臭い)fermented soybeans(発酵大豆)" を、"It's called 'natto'" (それは「納豆」といいます)と紹介している。ただ米語発音の常として、日本人の耳には "natto" が「ナロゥ」と聞こえてしまうのだ。

これは日本人の耳がおかしいとか、英語に慣れてないからとかいうわけじゃなく、彼らが実際にそう発音してるんだから仕方がない。私は冒頭のナレーションを聞いた瞬間、「『ナロゥ』って何だ? 『納豆』の話じゃなかったのか?」なんて思ってしまったよ。

私自身、フツーに "better" を「ベラ」、"bottom" を「バルム」みたいに発音する人なのに、「納豆」に限っては「ナロゥ」と発音されて戸惑ってしまったのだ。それほど「ナットー」というのは、音としても日本人の脳の底まで深く染みこんでいるわけなのだね。

しかし、大したもんである。納豆で高血圧症を乗り越えた格闘技インストラクターの男性は、きちんと「ナットー」と聞こえる正しい発音で「納豆」の良さを説明し、おいしそうに食べてみせる。納豆の本場、茨城県に生息する私としては「それでこそ!」と思ってしまったね。

彼は多分、納豆を食することに関して耳情報から入ったのだろう。"Natto" をちゃんと 「ナットー」と発音する日本人に、口伝えにその効能を伝えられたに違いない。

続いて、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図となる。ちなみに彼らの発音は、揃って見事に「ナロゥ」である。文字としての "natto" から入ると、米国人はどうしてもこうなる。

そしてこれがもう、4人ともまともには食えない。目の前にある納豆をかき混ぜてみるだけで複雑極まりない表情となり、恐る恐る口に入れては妙に切羽詰まったような顔になる。

女性キャスターは "acquired taste" (後天的に後にならなきゃわからない嗜好品の味)なんて表現している。しかしこれはおかしい。私は記憶に残っていないほどの幼い頃から、フツーに納豆を食べていたはずだから、「後にならなきゃわからない」なんてことはない。

実際にはむしろ、納豆を見て気持ち悪いと感じる反応こそが、後天的なものだろうと思う。物心ついて以後に「糸を引くようになったら、そりゃ『腐ってる』ってことよ」と学んだことが、決定的に邪魔しているのだ。これが「後天的」な要素でなくて何なのだ。要するに、余計なことを考えずに食えばいいのだ。

ここまで来ると私としては、「お前ら、畏れ多くも『納豆』のことを『ナロゥ』なんて言うから良さがわからくて、食えないんだよ!」と言うほかないと確信してしまったよ。

ということで、今日はこんなところでお粗末様。

| | コメント (4)

2020年8月19日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 2

昨日は「左上右下」(左が上位で、右が下位)という伝統文化における「左右」という問題のややこしさにチラリと触れて、「この問題に関する宿命でもある」なんて書いた(参照)。それで今日は、このややこしい問題について書くことにする。

200819

例えば「左が上って言うけど、舞台の『上手』って、右側じゃん」なんていう誤解がある。これについては実は、一昨年の 10月 3日に、"「左上右下」と 舞台の「上手/下手」" として既に書いてしまったことでもあるが、視点を変えて再び触れよう。

こうした誤解は結局、「上下は重力に規定されるからある意味普遍的だが、左右は相対的」ということから発する。「左右」は「視線の方向」によって裏返るから、話がややこしくなるのである。

舞台の「上手」は観客の視点からは「右側」だが、舞台上の役者からすれば「左側」で、実はこれが本来の発想なのだ。一昨年の記事でも「日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである」と、種明かしをしている。役者は「神の代理」として舞台に立っているのだ。

障子戸やふすまの場合も、人間の側からは右側の戸が手前に見える。ところが昨日触れた日経のサイトの「右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」という記事では、「ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則」なのだという。

つまり舞台と同じ発想で、人間より障子戸やふすまの方が優先なのだ。ある意味シュールな話で、障子戸やふすまにまで神が宿っているかのようである。

そして「着物は『左前』で着ない」という話に至ると、さらにややこしい。上述の記事の解説もこんな具合に、わかってる人にしかわからないような煩雑さだ。

自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。

つまり自分の視点からだと「左前」が正しいのだが、着物に限ってはどういうわけか向かい合う相手の視点を採用しているので、「右前」が正しいなんていう変則的でわかりにくい表現になる。こうしたややこしさは、基本的には「(相対的な)視点による問題」に尽きると言えるだろう。

ちなみに障子戸、ふすまの場合は、人間から見て左側を先にセットするのだから、便宜的に「左先」と言う方が解りやすいと思う。この記事の発端となったラジオ体操の順番とも整合するし。

この記事では結局これが言いたかったみたいなものだが、着物の着方に関しては「右先」になってしまうのが痛恨だ。これも突き詰めれば「視点の問題」ではあるのだけどね。

 

| | コメント (4)

2020年8月18日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 1

65歳を過ぎた頃からどういうわけか、NHK ラジオに合わせて「ラジオ体操」というのをするようになった。若い頃は「こんなもん、軽すぎてちっとも運動にならんわ」なんて思っていたが、近頃では朝一番の運動としてちょうど手頃と感じるのだから、年は争えないものである。

200818

ところでラジオ体操では、前後の動きでは当然ながら前が先だが、左右に関してはいつも左が先と決まっている。子どもの頃は「どうして左が先?」と不思議だったが、これ、日本では飛鳥時代からの伝統であるらしい。日経の「くらし&ハウス 暮らしの知惠」というサイトに詳しく解説してある。

右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」というページで、初出は「日経プラスワン」2013年 2月 2日付だそうだ。インターネットの世界広しと言えども、私の見るところ、この問題についてはこのページが最も適切にしかも解りやすく説明してある。

「左の方がエラい」というのは「左上右下(さじょううげ)」と言われる原則で、体の動きにしてもこれに沿って左が先と決まっている。この思想は大昔に唐の国から遣唐使が持ち帰ったもので、その根拠はこんなようなことであるらしい。

皇帝は不動の北極星を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、日は左の東から昇って右の西に沈む。日の昇る東は沈む西よりも尊く、ゆえに左が右よりも上位とされた。

いわゆる「天子南面」に発するもので、なるほど、理窟である。というわけで律令制のもとでは、「左大臣」の方が「右大臣」より偉かった。今でも「格上の人が左に座る」というのがビジネス・マナーとされているし、ラジオ体操の体の動きでも「左が先」となっているのだから、なかなか馬鹿にならない(参照)。

とはいえ、本家本元の中国では「王朝や時代の変遷によって『左上位』と『右上位』がしばしば入れ替わった」というのだから、「何だよ、それ!」と言いたくなってしまう。一度伝えられたことを律儀に守り通している日本は、かなり(あるいは無駄に?)生真面目な国なのかもしれない。

もっとも西洋では、英語でも「右」を「正しい」という意味ももつ "right" という言葉で表すほどで、「右が上位」と決まっており、それがそのまま国際儀礼になってしまっている。それで日本の皇室もそのプロトコルに沿い、今は天皇陛下が右に立たれるという。(ひな人形も「関東式」はそう飾る)

「左右」というのは突き詰めていくと結構ややこしい話になるが、それはこの問題に関する宿命でもある。これについては長くなるので、稿を改める。

 

| | コメント (2)

2020年8月 7日

仙台の七夕祭りも中止だそうで

今日は月遅れの七夕。例年は東北三大祭りの一つとして、仙台の街は大賑わいになるのだが、今年は例のコロナ騒動で中止となっているのだそうだ。仙台は私の妻の生まれた街だが、こういうことなら、まあ、仕方がない。

200807

とはいえ、「気は心」ということか、町の中心部には吹き流しだけが登場しているという。やっぱり何もないと寂しすぎるということなのだろうね。

この「七夕の季節感」ということについては既に何度も書いていて、今年も先月 6日に ”「明日は七夕」というのだが” という記事を書いている。ざっと言ってしまえば、本来の七夕は俳句でも秋の季語とされていることからも分かるように、新暦の 7月 7日なんていう梅雨も開けないうちからやるものではないのだ。

さらに言えば月遅れでも大抵は早すぎるぐらいのもので、本来の旧暦 7月 7日は、今年の場合は 8月 25日になるのだよね。この頃になれば日没も少しは早くなって、涼しい夕暮れときれいな天の川が見られるというわけだ。

というわけで、今年の七夕は、8月 25日の夜にひっそりと個人的に夜空を見上げて楽しみたいと思っている。

 

| | コメント (0)

2020年7月 8日

正座と胡座(あぐら)

「知識連鎖」に「正座の由来は格下の座り方 歴史的にはあぐらが古く千利休もあぐらだった」(7月 7日付)という記事がある。下の画像を見ればわかるように、千利休は確かにあぐらで座っている。

200708

Wikipadia の「正座」の項にはm次のようにある (参照)。

正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。
平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。

江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。

なるほど。正座というのは、将軍に相対する時の姿勢が広まったもので、さらに畳の普及と切り離せないようだ。上の図のように、エラい人が半畳分ぐらいの座に胡座をかいているのに、いくら下座の者と言っても、堅い木の床の上に正座しろというのは気の毒過ぎるだろう。

ただ、椅子に腰かける姿勢に慣れてしまった今となっては、畳の上の正座も足がしびれてキツいが、胡座も案外しんどい。長く座っていると腰が痛くなってしまうのである。

胡座というのは、どうしても背中が丸まってしまう。背筋を伸ばして胡座をかこうとすると、正座よりも辛くなってしまう。そんなことも、江戸時代以後は正座の方が文字通り「正しい座り方」となってしまった由縁だろう。

さらに今となっては、長時間の仕事をしようとしたら椅子でないともたない。座卓で仕事をするなんて御免こうむりたいが、明治の頃はあの夏目漱石も胡座で座卓に向かい、『我が輩は猫である』を執筆していたもののようだ(参照)。

2007092

それにしても、明治の文豪の机の上(のみならず床の上も)って、とんでもない乱雑さである。あるいはこれ、一種の演出なのかなあ。

【7月 9日 追記】

小説家の書斎の乱雑さは明治の文豪に限らないようだ。その中でもトップは昭和の坂口安吾かもしれない。これは終戦直後の 1946年の写真だが、こちら を読めば演出でもなんでもないことがわかる。ちなみに、しっかりと胡座である。

2007083

 

| | コメント (4)

2020年7月 6日

「明日は七夕」というのだが

明日は 7月 7日で「七夕」ということになっていて、THE GATE というサイトの「日本の七夕文化について詳しく学ぼう」という記事に、「日本三大七夕まつり」というのが紹介されている。

200706

この記事のおかげで、最も有名な「仙台七夕まつり」以外の 2つは「湘南ひらつか七夕まつり」と、「安城七夕まつり」(愛知県)なのだと初めて知った。おもしろいのは、この「日本三大七夕まつり」の紹介が、次のような始まり方をしていることである。

七夕の時期になると、日本各地で開催される七夕まつり。地域によっては旧暦の7月7日、現在の8月に開催する場所もあります。

「七夕」という日本でもメジャーな行事の開催時期が、地域によって一定していない。今となっては新暦の 7月 7日が一般的になったが、「月遅れ」の 8月 7日というのも多く、旧暦の 7月 7日(新暦 8月上旬〜下旬が多い)というのも案外根強い。

紹介されている「日本三大七夕まつり」では、仙台のものが代表的な「月遅れ七夕」で 、安城が 8月の第一金・土・日の 3日間、そして平塚では「毎年 7月上旬」と含みを持たせてある。見方によってはかなりいい加減なものだ。

仙台の場合はさすがに最も有名というだけあって 6日から 8日と明確に定められているが、残る 2つは、要するに「観光の都合優先」というのがみえみえだ。元々のいわれとか伝統とかいうのは、いくら夏休み期間中とはいえ、地元経済の前には霞んでしまうようなのである。

これについては前にも書いている(参照)が、王道は「旧暦の 7月 7日」で、今年の場合は 8月 25日がそれに当たる。「そんなに遅いの?」と言われるかも知れないが、俳句でも「七夕」は「秋の季語」なのだから、実は立秋以後になるのが本来であり、意外でも何でもない。

フツーに考えれば、「そろそろ夜が長くなってきたね」と実感される頃こそが七夕に相応しい時期で、梅雨も明けないうちの新暦 7月 7日では「彦星、織姫が可哀想すぎ」というほかない。個人的には、この設定は無茶苦茶だと思う。

 

| | コメント (2)

より以前の記事一覧