カテゴリー「比較文化・フォークロア」の315件の記事

2022年8月22日

米国人の「妙な裏表」(本音と建前)

山口慶明さんという方の「アメリカ人の報告を直訳すると酷い目に合います… 正確な訳を教えましょう」という tweet が話題だ。ざっと下の画像のようなもので、なるほど、よく言えてる。

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米国人が "Perfect!" と言ってきても「完璧です!」という意味じゃなくて、実はせいぜい「大きな問題はない」程度のことであり、同様に "No problem!" も「問題ない」じゃなく「多分イケそう」ぐらいに受け取っておけばいいというのは、彼らとのビジネスをしている人間にとってはちょっとした実感だろう。

私は幸運なことに、”Should be OK!”(実は "OK" じゃなく、「まずいです」というニュアンス)というような言葉を額面通り受け取って痛い目にあったことはないが、それに類した経験は何度かある。

その昔、会社勤めをしていた頃、米国の関係先から ”We have a little issue." みたいなことを言ってきたことがある。初めは「ちょっと手間がかかるのね」ぐらいに思っていたら、しばらくして実は「ちょっとヤバいっす」ってなことだわかり、「おいおい!」となった。

その後、米国の別のエージェントからのビジネス・レターで、"I found some problems." (直訳だと「ちょっと問題あり」)的な表現をされたこともある。それを上司に伝えると、彼は「それなら、解決するよう十分に努力してくれ」という返事を書けと指示してきたのだった。

私は前のことで痛い目に合ったおかげで、先方のココロは「この件については諦めてくれ」ということなのだろうと読めるぐらいに成長していたので、「そんなこと言っても、いずれダメと思いますよ」と釘を刺しておいた。で、この案件は読み通り、ウヤムヤのうちに流れてしまった。

日本人は褒められると「いえいえ、それほどでも・・・」と控えめに謙遜するが、米国人は臆面もなく楽観的な方向に謙遜(これ、妙な言い方だが)する傾向があるので、本当に油断がならない。

それと同じように、米国人に自分の仕事結果を、"Perfect!" (直訳なら「完璧だよ!」)の一言で褒められても、決して舞い上がらず、「まあ、悪くないね」程度のことと受け取っておく方がいい。彼らが本当に「完璧」と思うなら、もっと具体的な点を挙げてまで「感に堪えない」というほど褒めてくれる。

よく言われるのは、日本人には「裏と表」があるから信じられないということだが、米国人にも「裏と表」は十分にある。ただ、彼ら自身がそう認識していないだけだ。

米国人の「裏と表」って、"compliment" (社交辞令)とか "negotiation" (交渉術)とかいう感覚の延長なのかもしれない。そう言えばこれについて、16年ほど前(もう大昔だね)に「本音と建前の使い方」というタイトルで書いたことがあるのを思い出した。

 

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2022年7月24日

今どきは「怨霊」なんて、誰もピンと来ないようだが

安倍元首相が銃撃されて命を落としてからというもの、このブログへの乙痴庵さんのコメントにもあるように、彼を祀る神社建立なんて話が持ち上がってしまうんじゃないかと、うんざり感と警戒感の入り交じった気分でいるのだが、今のところ、少なくとも大っぴらにはそんな話は語られていないようだ。

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この国には「日本三大怨霊」という伝説があって、それは「菅原道真、平将門、崇徳天皇」の 3人である。いずれもこの世に大きな恨みを残して死んだ人たちだが、ここでは詳しく語る余裕がないので、興味のある方は「日本三大怨霊とは?」というページに飛んでみていただきたい。

で、こうした怨霊の厄災から逃れるため、その昔の人々は菅原道真のために「北野天満宮」を建立、平将門のためには「首塚」(東京都千代田区)を祀り、「神田明神」の祭神に加え、崇徳院のために「安井金刀比羅宮」を建立して、彼らの霊を祀り、慰めた。

昔は「御霊信仰」というのがあって、「怨霊の祟り」というのをかなり現実的に懼れていたのである。とくに平将門の「首塚」なんて、現代になっても、取り壊そうとすると必ず不慮の事故が起きたりして、大変な力をもっていると信じられているほどだ(参照)。

というわけで、「念願の憲法改正を成し遂げる前に銃弾に倒れた安倍元首相は、この世に大きな禍根を残している」なんて言う人がいても何の不思議もないし、彼の「怨霊化」を防ぐために神として祀ろうなんて話になるまでに、それほどの距離はない。

ところが現在のところ、「安倍/怨霊」のキーワードでググってみても、トップに表示されるのは「怨霊・妖怪退治に活躍を見せた安倍晴明とは何者だったのか?」なんていうページで、あとは『安倍晴明 怨霊都市・平安京を駆け抜けた天才陰陽師』という漫画で歴史を語った本のページばかりである。

う〜む、同じ「安倍」でも、元首相は古代の安倍清明にはネームバリュー的に及びも付かないようなのだ。当然ながら、菅原道真、平将門、崇徳天皇の 3人とは比較にもならない。

話はちょっとズレるが、安倍清明といえば母親が白狐と伝えられ、別に漫画なんかを通じなくても、学生時代に日本の古典芸能を専攻していた私なんかには「葛の葉伝説」を通してかなり身近な存在である。「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森の恨み葛の葉」なんて、歌舞伎でもなかなか泣かせるよ。

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ただ、今どきは「陰陽師」とか「怨霊」なんて言っても誰もピンと来ないのかなあと思っているわけだ。とはいえ、そのうち大きな災害やコロナの今以上の拡大なんてことがあったら、「元首相の祟りかも」なんて言い出すやつがきっと出てくるね。

そんなことになっても超然としていられるよう、こうした話は今のうちからしっかりと錆び付かせておくことが肝心だ。

 

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2022年7月23日

「武蔵国」と「相模国」の語源に関する冒険

18日に「湘南」について書いたばかり(参照)だが、今度は Japaaan の "和歌を楽しむ豆知識:相模国にかかる枕詞「さねさし」ってどういう意味なの?" という記事が気になった。「武蔵国」(概ね東京都と埼玉県)と、「相模国」(概ね神奈川県)の語源まで紹介されている。

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「さねさし」というのはご存知の通り、「相模国」にかかる枕詞とされる。ただ、この枕詞の使われた歌は、弟橘媛の「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」という歌ぐらいしか知られておらず、あまり一般的な枕詞ってわけじゃないようなのだ。

これ、古事記の神話に出てくる歌だから、それはもう、いつのこととは特定できないほど遙か昔の話である。その「遙か昔」の時代には、今の埼玉県から神奈川県にかけての地域が「佐斯国(さしのくに)」と呼ばれていたとされる。

で、Japaaan の記事によれば、「さねさし」の「さね」は「実」で、「実に素晴らしい」という意味となり、「さし」は「佐斯国」に由来するので、「実に素晴らしい佐斯国」ということになる。これが転じて、「相模」にかかる枕詞になったというのだ。

そして時代は下り、「佐斯国」のうち、京の都に近い方が「佐斯上(さしがみ)」と言われるようになり、やがて「さがみ(相模)」となった。一方、都から遠い方が「下佐斯(しもさし)」と言われ、「むさし(武蔵)」に転じたという。「へえ!」ってなものである。

ただ、この Japaaan の記事でも「さねさし」の語源は諸説あると、まるで言い訳のように記されている。そもそも「佐斯国」という名称にしてからが、文献資料として残っているわけじゃない。Wikipedia によれば、江戸時代になって、本居宣長が推定として唱えたものということになっている(参照)。

さらに本居宣長自身は、「武蔵」は「身佐斯」(「身」は「主となるところ」)から転じたとしていて、「下佐斯」から転じたとは言っていないようだ。

いずれにしても根拠となるのは本居宣長による推定であって、そしてそれは、上述の古事記に出てくる弟橘媛の歌を元として推定したというのだから、ここで「堂々巡り」に陥ってしまう。いやはや、参ったなあ。

ちなみに、賀茂真淵はまず「身狭(むさ)国」があり、のち「身狭上」と「身狭下」に分かれ、それぞれ相模、武蔵となったとしているようだ(参照)。ここまでくると、ますますややこしくなってしまう。

結局のところいくら本居宣長や賀茂真淵などの大先生の説であったとしても、「ものすごくよくできたファンタジー」と受け取る方が無難のような気がするので、そのあたり

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2022年6月23日

「バーコード頭」という文化遺産

下の写真は中日新聞の「鉄板の薄毛ネタ、アドリブで誕生 海原はるか・かなた 50周年」という記事から拝借したものだ。この超ベテラン漫才コンビの「売り」は、海原はるか の「(いわゆる)バーコード頭」を かなた が一吹きすると、見事に「めくれ」てしまうという定番ネタである。

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ふと気付いたのだが、最近この「バーコード頭」というのを見かけなくなった。一時はラッシュ時の電車に乗れば周囲に必ず 1人や 2人はいたものだが、すっかり廃れてしまった。思うに「バーコード頭世代」はとっくに定年を過ぎて、ラッシュ時の電車に乗らなくなったのだろう。

あのヘアスタイルって、私なんかの眼から見ると正直言って奇異そのものだが、当人としてはごくフツーのこととしてやっているように見える。これ、「成人男子の標準は、きっちり七三に分けたヘアスタイル」という、いにしえの常識の延長だからなんだと思う。

この常識を当然のこととして疑いなく受け入れていた世代だけが、あのヘアスタイルを採用している。要するに、団塊の世代の一つ前のジェネレーションの固有文化だ。

「きっちりと七三に分けた髪型」をずっと続けて来た人たちは、頭頂部に近い所からだんだん髪が薄くなり、ごく自然のこととしてまだ毛の残っている側頭部からもってくることになった。床屋でも黙ってそうしてくれるみたいだし、当人はそれで当たり前と思ってしまう。

こうして「七三」だったものが「7.5:2.5」ぐらいになるが、案外ゆっくりとした進行だから、当人は習慣として当然のように続ける。さらに進んで「八二」になり、しかも頭頂部がすっかり禿げてしまっているのが見え見えになっても、今さら引っ込みがつかない。

なにしろこの世代というのは、あの「坊ちゃん刈り」を卒業してからずっと「きっちり分けた七三」でやってきて、自分のヘアスタイルとしてはそれ以外の発想がない。だからすっかり毛がなくなるまで続けるしかない。

というわけで、あの「バーコード頭」は一時代を象徴する固有の「文化遺産」と見ることができる。その時代に終止符を打ったのが、あのビートルズのロングヘアだったのだ。

 

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2022年5月26日

「小股」に関して、再び、三度(みたび)

Japaan に 【いい女の代名詞 「小股の切れ上がった女」の "小股" って何? 江戸時代の庶民文化から探る】という興味深いページがある。ただ悪いけどこの問題、ウチのサイトでは 19年近くも前に取り上げ済みなんだよね。

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それは私が「本宅サイト」としている「知のヴァーリトゥード」内「知の関節技」コーナーの 21番目の記事、"「小股ってどこか」よりも大切なこと 「よくわからない」まま置いておく美意識" という記事だ。日付は「H15.07.29」(西暦だと 2003年)だから、この日に生まれた子は、既に成人してることになる。

しばらくの間は、2006年 9月 8日の記事で触れているように、「小股」という漢字 2文字でググると、私のこの記事が圧倒的トップに表示され続けていた。最近は後になって書かれた便乗ページみたいなのが上位に入っているが、あくまでもこの話題の元祖は私なので、そのあたりよろしく。

ただ、上述の「元祖ページ」はちょっと長いので、こちらのブログでそのダイジェスト版みたいなものを、2005年 10月 30日付で書いている。”「小股」は「足指の股」だけじゃない” という記事だ。フツーはこっちの方が手っ取り早く読めると思う。

この記事を書いたきっかけは、この頃に放映された「世界一受けたい授業」という番組で、「小股とは、足の親指と人差し指の間」と言っていたらしいとわかったからである。しかし実際にはそうした意味もあるにはあるが、私はそれは「和装・足袋業界の専門用語に過ぎない」としている。

そりゃ当然で、「足の親指と人差し指云々」なんてことは、この言葉を「いい女」を表す文脈で使うケースとはまともにつながらない。それに第一、そんなところが妙に切れ上がったりなんかしたら、まともに歩けないよね。

冒頭に紹介した Japaaan の記事は「足の親指と人差し指の付け根」説を含め、いろいろな説を並記しているだけだが、私としては次のようなことだろうと結論づけている。

私は自分のページで、「小股の切れ上がったいい女」という場合の「小股」に関しては、「小耳にはさむ」とかいう場合と同様に、「体言挟みの係り」説を原則的に支持している。要するに、「股がちょっと切れ上がった」という意味だと解釈しているのである。

「小腹が空いた」という場合、決して体のどこかに「小腹」という部位があるわけではなく、「ちょっと腹が空いた」という意味であるのと同様だ。

「体言挟みの係り」については、こちらを参照されたい。さらにその上で、私はブログ記事の最後を次のように締めくくっているので、よろしく。

しかし、それでも、「小股」 ってどこかというのを曖昧にして、ああでもないこうでもないと詮索するのも、なかなか広がりがあってオツなものだと、私は主張している。「足指の股」という業界用語のみにもっともらしく固執するのは、無粋の極みである。

それにしても、上の浮世絵の坊さん、一体何してるんだろう?

 

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2022年4月 4日

自分の「部族」名を特定するとしたら

おもしろい tweet が見つかった。fumi_aoki さんという方のナイジェリアでの体験である(参照)。警察署で「無犯罪証明書」を取得するための申請書に "TRIBE"という項目があったんだそうだ。

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そもそも「無犯罪証明書」というのがどういうものだかよくわからないが、きっと何か公式なことをする際に、「決して悪いヤツじゃございません」というために必要なんだろうね。そして写真には確かに ”TRIBE”(部族)と、”PLACE OF BIRTH”(出生地)という項目がある。

Tribe の項目に何を書こうかと考えていたら、担当者に「ヨルバ族とかイボ族とかあるやろ」とせかされたらしい。決してナイジェリアの警察官が大阪弁だったわけじゃないんだろうが、それにしても東洋人を相手に「ヨルバ族とかイボ族とか」はないよね。

で、彼は仕方なく ”GUMMA”(群馬)と書いたもののようだが、まあ、それで通ったんだろう。異文化の真っ只中で戸惑ったら、とにかく何でもいいから書いてみるものである。

これを読んで我ながら酔狂なことに、「さて、自分ならこの項目に何と書くだろう」と考えてしまった。山形県は庄内の生まれだから "Shonai" と書いてもいいが、それだとブログ・ネームと同じだから、下手するとややこしいことになりかねない。

大阪ミナミの生まれの人だったら、”Naniwa” なんて書くと、自分でもかなりしっくりくるんじゃなかろうか。「浪速族」なんて、いかにもありそうじゃないか。同じ感覚で、"Hakata" (博多族)なんてのもいいし、"Satsuma"(薩摩族)、"Izumo"(出雲族)もグッとくるものがある。

そこへ行くと、東北方面はさすがに地の果てだったということもあって、なかなかしっくりくるものがない。"Dewa"(出羽族)とか "Mutsu"(陸奥族)では、ちょっとインパクトに欠ける気がしてしまう。

いろいろ思案した挙げ句、"Danderro" というのがいいと思いついた。"R" を 2つ重ねるのがミソで、イタリア語的に「ダンデッロ族」と称していただきたい。うん、これで行こう。公式に使うことなんて、一生ないだろうけど。

なお「だんでろ」という言葉については、3年半近く前に書いた "酒田衆の「だんでろ言葉」" という記事を参照いただきたい。

 

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2022年4月 2日

トリックスターに(ほんのちょっとでいいから)幸あれ

note というサイトに「ウィル・スミスはなぜ許されないのか?」という記事がある。筆者は文脈くんという人だが、これ、「我が意を得たり」と言いたくなるものだった。

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記事の内容は、例のアカデミー賞授賞式の、ウィル・スミスが司会役のクリス・ロックの「ちょっとキツいジョーク」に怒って平手打ちを食らわせた件についてなのだが、その平手打ちは「断じて許されないことなのだ」と非難している。よくぞ言って下さった。

紹介した記事でも触れられているが、クリス・ロックは「スダンドアップ・コメディアン」である。それについては Wikipedia の「スタンダップコメディ」の項で、次のように紹介されている。

題材はユーモラスな物語やジョーク、人間観察、下ネタ、政治、宗教、人種差別など幅広く、演者が皮肉交じりにしゃべるのが特徴である。伝統的なジョークの形態と異なり、時として観客を不快にさせることがあるという点で「オルタナティヴコメディ(英語版)」の一つとも言われる。

「時として観客を不快にさせることがある」というのが真骨頂で、当たり障りのないネタばかりでは、彼らの存在意義がない。そしてクリス・ロックはとくに「キツいジョーク」をかますことでで知られるらしい。

今回の件がニュースになった時、私は「そんなことでツカツカ歩み寄って平手打ちをくらわせるなんて、無粋じゃないか」と思っていた。「いやいや、やられちまったね」みたいな感じで苦笑して首を振ってみせていればよかったのである。

文脈くんは記事の中で、アメリカでは「言論の自由」を守るために、伝統的常識を意図的に解体する必要があり、「その役割を一手に担うのがスタンドアップコメディアン」なのだとして、次のように言っている。

スタンドアップコメディアンには、常識の攪拌が求められている。その代償として、彼らには「何を言ってもいい(たとえ差別的な言辞であっても)」という特権が与えられている。

これ、実はアメリカばかりではなく、世界中にあることで、日本でもそんな役割の芸人がいた。昔の「幇間」などがそれで、曽呂利新左衛門(実在は疑わしいとの説もあるが)なんかはその発祥と言われるトリックスターである。

幇間は「太鼓持ち」なんて呼ばれて、どうでもいいおべんちゃらばっかり言うものと思っている人も多いが、実はそんなものではない。かなり機知に富んだことを言えなければ商売にならず、その機知というのはアブナい話まで含むのである。

日本では近年、表面的な放送コードなんかに縛られて「アブナい芸」を売り物にするタレントがいなくなってしまったが、放送に乗らない場でのタモリとかたけしはそんなような存在なのかもしれないね。

というわけで、トリックスターに幸あれ。ほんのちょっとでいいから。

 

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2022年3月12日

留学と海外出張

Q&A サイトの Quoraに、「留学をして英語が話せるようになる人とならない人には、どのような違いがありますか?」という質問が寄せられている。

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確かに「米国への留学経験がある」なんて言ってるくせに英語が下手っぴいな人って、少なくない。ここで某元首相の名を持ち出す必要もないだろうけど。

私なんかそんなに裕福な家庭で育ったわけじゃないので、自分が留学するなんてことは一度も考えたことがない。夢のまた夢みたいに思っていたものだ。

ところが、「米国に 2年間留学してた」なんていう「留学経験者」の英語を聞くと、「あんた、その程度の英語力で『留学経験がある』なんて、よくまあ恥ずかしげもなく言えるよね」なんて言いたくなることが結構多い(実際には言わないけどね)。はっきり言って、投資効率悪すぎじゃなかろうか。

これに関して、冒頭の Quora のサイトで英語講師の Nicky Sekino さんは、「私の経験からいうと、留学をしてもあまり英語が話せる様にはなりません」と明確に答えておられる。私は経験がないから「へえ、そうなんだ!」と思うばかりだ。

彼によればフツーの留学生活というのは、授業に出てアパートに帰り、予習復習をするだけなんだそうだ。たまにコンビニで買い物をして、店員に "Hi" と声を掛けられ、精算し終えて ”Thank you." と言うだけでは、せっかく外国で暮らしながら、会話の機会が圧倒的に少なすぎる。

英語が上達する人というのは、学校以外に生活のある人だという。キャンパスの食堂でアルバイトをすると、ボーッとしているわけにいかないので英語がメキメキ上達すると彼は指摘する。

なんだ、私は留学というのは、そんなように積極的に現地社会に入り込み、交流をもちまくるためにするのだとばかり思っていたが、そうじゃなかったのか。単に「留学のための留学」というのでは、語学的ハンディの中でよくわからない授業を受けて帰るだけで終わってしまうだろう。

元日本語教師の Hide Noguchi さんという方は、「性格的には『話し好き』で、好奇心があって、いろいろと話したいことをたくさんもってることが大切」と答えておられる。日本人には自分の意見をはっきりと言う人が少ないので、「日本人をやめる必要がある」とまでおっしゃっている。なるほどね。

私は留学の経験はないが、海外出張の経験だけは結構ある。海外での国際的トレードショー(展示会)の取材をする時などは、そうした展示会視察の団体ツァーに潜り込んで経費を浮かすことがあるのだが、そんな場合は一緒に行った日本人とはできるだけ距離を置くことにしていた。

そうしないと、「彼は英語がしゃべれるから頼りになる」なんて思われて付きまとわれてしまい、仕事にならなくなるからである。現場で外国人の話を聞くために出張しているのに、日本人とメシ食ってばかりいなければならなくなってしまったら、お笑い草としか言いようがない。

あげくの果てに、仕事上でつながりのあるオッサンの「出張報告書」まで代筆してやらなければならなくなる。オッサン、出張先では日本料理店でメシ食って酒飲んで、あとは奥さんへの土産用のブランド品と会社の同僚へのどうでもいい買い物してるだけだから、まともな出張報告が書けるわけない。

まあ、こうやって「貸し」を作っておけば、後になって別の形で返ってくるからいいけど。

ただ、せっかく外国に行って一緒に行った日本人としか付き合わずに帰ってくるなんて、もったいないと思わないんだろうか? もしかしたら、留学ってこうした海外出張と似た構造をもってるのかもしれない。

せっかく行ったのに、現地の空気をまともに吸わずに帰って来るという意味で。

 

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2022年2月24日

「膳」と「ちゃぶ台」と「ステテコ」を巡る冒険

2月 18日に「江戸の昔の蕎麦屋に、椅子とテーブルなんてなかった」という記事を書いている時から気にかかっていたのが、日本式の食事スタイルについてである。下の写真は Pinterest から拝借した懐かしき昭和の食事風景(参照)だが、お父さんのステテコ姿とお母さんのパーマ髪が妙に印象的だ。

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18日の記事では蕎麦をたぐる時には蕎麦猪口を手に持つと書いているが、よく考えれば日本の食事で食器を手に持つのは、蕎麦を食う時だけに限らない。飯を食うときには茶碗を持ち上げて箸を使うし、汁も汁椀を持ち上げ、直接口を付けてすする。いわゆる「洋食」では決して見られない作法だ。

今は日本でも「椅子とテーブル」を使った食事がフツーになっているが、それ以前は上の写真のような「ちゃぶ台」が主流だった。ただしこの「ちゃぶ台」が登場したのは明治以後のことで、それ以前はもっぱら「膳」を使っていた。Wikipadia には次のように記されている(参照)。

貴族社会では同じ階級のものが同一食卓を囲む場合があったが、武士が強い支配力を持つようになると上下の人間関係がより重要視されるようになり、ほぼ全ての社会において膳を使用した食事が行われはじめた。

「膳」にもいろいろあり、「親子の住まい方教室」というサイトの「お膳の始まり」というページを見ると、結構なバラエティである。

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このサイトでは「お膳を使った食事」というページに、「膳」というものが日本独特の食事スタイルの形成に大きな役割を果たしたことが詳しく書かれている。食事作法以前の問題として、食事の場所、順番、並ぶ順などで家の中の人間の上下関係が明確になる。「膳」は封建社会の価値感そのものだ。

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というわけで「膳」というのは、形の上だけでなく、コンセプトからして円卓とはまったく違う発想なのだ。さらに言えば、「膳」を使うと茶碗を持ち上げるのはごく自然の成り行きだ。そうしないともろに這いつくばって、文字通りの「犬食い」になってしまうので。

この「膳」に替わって「ちゃぶ台」が普及するには、明治という「文明開化」の時代を待たなければならなかったのだろう。さらに一番上の写真のような六畳間での「家族団らん」の象徴となるまでには、昭和、しかも戦後の時代を待たなければならなかったのかもしれない。

ちなみに Wikipedia の「ちゃぶ台」のページは、その語源についての解説から始まっていて、「卓袱台のほか、茶袱台、茶部台、食机」などの当て字があるという。さらに「岩手県、富山県、岐阜県、滋賀県、鳥取県、島根県、愛媛県などの一部では飯台と呼称される場合がある」と書かれている(参照)。

ちなみに「飯台」の読みは、「めしだい」ではなく「はんだい」。私の生まれた山形県庄内では訛って「はんでん」なんて言っていたが、今どきはいくら庄内でも、若い人には通じないだろう。昭和は既に遠い昔の物語で、ほとんどフォークロアの世界に入っている。

さらに写真をよく見ると、「昭和のちゃぶ台」はかなり低い。ソフトウェアとしての家族の座る位置は見かけ上で民主化されても、ハードウェアとしての「高さ」は相変わらず「膳」のスタンダードを引きずっていたようなのだ。Wikipedia にも次のように書かれている(参照)。

高さは 15 cmから 24 cmくらいが一般的であったが、これは時代を経る毎に高くなり、現在は 30 cm前後のものが一般化している。

というわけで、明治期に登場した「ちゃぶ台」は、平成以後の御代ではお父さんのステテコ姿やお母さんのパーマ髪と歩調を揃えるかのように、急ピッチで姿を消しつつあるようなのである(参照)。

 

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2022年2月20日

「銚子」と「徳利」の長い旅路

いきなりなまめかしい画像で恐縮だが、今日は一昨日に取り上げた ”時代劇は間違いだらけ?~其の一~…蕎麦屋にテーブルはないし、裁きのお白洲は外ではなかった!?” の続編、"時代劇は間違いだらけ?~其の二~「お銚子もう一本!」は間違い、湯屋では髪を洗わない…" を考察させてもらう。

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この記事は、時代劇に出てくる「お銚子もう一本!」というセリフは間違いと言っているわけなのだが、こう言っちゃ何だが、記述が冗漫でわかりにくい。そこでこのブログ記事で簡潔にまとめ直させていただく。(画像は元記事より援用)

まず前提として、現代では「徳利」のことを「銚子」とも言うが、江戸時代においてはこの 2つは別物だった。江戸時代なら本来は「徳利もう一本!」と言わなければならず、「お銚子もう一本」と言ったら、別のものが出てきてしまっただろう。

というわけで、酒器の歴史の話になる。太古から平安時代に至るまでは、酒を飲む時は土器(かわらけ)を使っていたが、平安時代初期から「銚子」と「堤子(ひさげ)」が登場する。

【2月21日 追記】

下の写真は月桂冠のサイトより拝借した、古い形の「銚子」(手前)と「堤子」(奥)。

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平安時代は、酒を樽から「堤子」に移し、次いで「銚子」に移していた。つまり「堤子」と「銚子」はワンセットと考えていい。

ところが江戸時代前記(16世紀)から、蓋付きの「堤子」が登場し、こちらの方を「銚子」と呼ぶようになった。「蓋付き堤子」が「本来の銚子」の役割と名前を奪った結果、面倒なプロセスが省略されたわけだ。

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「堤子」は音読みで「ていし」なので「銚子」(旧仮名で「てうし」)と一緒にしてしまいやすかったのだろう。上の金色の「銚子」は、この「蓋付き堤子」の最も新しい発展形(結婚式の三三九度用?)とみてよさそうだ。

一方「徳利」の話に移るが、本来のサイズは現代の「一合徳利」のようなものではなく、醤油や酒を貯蔵するための、1升から 3升のサイズの大きな瓶のようなものだったらしい。

そしてこれとは別の系統で、神棚に酒を供えるための「瓶子(へいし)」というものがある。下の写真の奥にある 2本がそれで(手前は水器)、現代でも神事に使われている。

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で、ややこしいことに、室町時代にはこの「瓶子」を「とくり」とも呼ぶようになった。既にある大きな瓶と同じ呼び方なので、ややこしいが仕方がない。で、この「瓶子」が「とくり」と呼び慣わされるうちに、江戸時代には下の写真のような、いわゆる「一合徳利」に変化していたようなのである。

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で、この「一合徳利」と「銚子」が、「酒を注ぐ」という用途が同じということで、明治以後になって初めて混同され、「徳利」を「銚子」とも呼ぶようになったというのだから、思えば長い旅路である。というわけで、酒場での「お銚子もう一本!」という言い方は、明治以後でなければあり得ないってわけだ。

元記事は「ちろり」というものにも言及しているが、煩雑になるのでここでは省く。それにしても、「元記事はなんでこんなにわかりにくいんだろう?」と思い、改めて読み返してみたところ、1ページ目の次の記述がガンなのだとわかった。

ではなぜ銚子を徳利と呼ぶようになってしまったのでしょうか。
酒器の変遷をたどりましょう。

これ、話が逆だよね。そもそもこの記事は、「江戸時代に『徳利」と称していたものを、明治以後に『銚子』とも呼ぶようになってしまった」という流れの解説が主眼なのに、途中にこんな記述があるせいで一度に混乱してしまう。まったく、話の筋道をひっくり返さないでもらいたいものだ。

そして元記事は、髪は風呂屋ではなく庭先のたらいで洗っていたという話に続くのだが、もう疲れたので、これでおしまい。

 

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