カテゴリー「自然・環境」の359件の記事

2020/07/10

自然破壊進行で、動物から人間への感染症増加

新型コロナウイルス感染症(corvid-19)のような動物と人間との間で感染する病気は、「動物由来感染症(ズーノーシス/zoonoses)」と呼ばれる。そして HUFFPOST は、このズーノーシスが自然破壊の進行に伴って増加するという国連の警告を伝えている(参照)。

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実を言えば、昨日の当ブログの「肉を食うのは環境によくない」という記事も、本日のこの問題との関連で論じるために、10ヶ月も前の昨年 9月の HAFFPOST の記事(参照)をほじくり出して書いたものだった。つまり肉食と環境破壊、そしてズーノーシスは、一つながりで語られていい問題ということだ。

ちょっとペダンティックに迫ると、ズーノーシスはラテン語では xenosis(ゼノーシス)となり、日本獣医学会のサイトに「xeno はラテン語で異種、nosis は病気の意味」とある(参照)。なるほど、英語で考えると「動物園の鼻?」となってしまうが、"noses" の元はラテン語の "nosis" だったのか。

HUFFPOST によれば、「これまでに確認されている感染症の 60%、最近新しく認知された感染症の 75%がズーノーシス」だという。つまり、時代が下るにしたがってズーノーシス感染に加速度がついているわけだ。これは人間による自然破壊拡大の「因果応報」的結果といえるだろう。

ズーノーシスは古くはペスト、結核、赤痢、狂犬病、インフルエンザなどがあり、比較的新しいものでは、エイズや corvid-19 のほか SARS、MERS などが挙げられる。いやはや、結核やインフルエンザもズーノーシスとは、知らなかった。決して非日常的なものではないのだね。

このまま自然破壊が進めば、今回の corvid-19 以上に感染力が強くて危険な感染症が、いつ人間社会に入ってこないとも限らない。その意味でも、環境保護は決して閑人や金持ちの道楽ではなく、緊急の課題なのだと認識しなければならない。

 

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2020/07/09

肉を食うのは環境によくない

豚や牛などの肉を食うのを控えるようになって 6〜7年、そして完全に止めてから 3年ほどになる。動物性の食べ物を一切食べないのは「ヴィーガン」だが、私の場合は魚や虫(イナゴとかね)は食うので「ペスカテリアン」である。

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HUFFPOST は昨年 9月に「肉を食べることは環境に悪影響? デンマーク、スウェーデン、ドイツが食肉税を検討するワケ」という記事で、次のように伝えている。

多くの先進国では肉離れの動きが広がっています。国連が委託した最近の報告書では、食肉消費量を減らすよう勧める政策のほか、気候変動緩和対策の一環として菜食中心の食事が推奨されています。

肉食が盛んなのは先進国というのは、既に時代遅れの考えとなりつつある。このニュースでは「ドイツ、デンマーク、スウェーデンなどの国では食肉税が検討され、肉を食べる人は非難の矢面に立たされています」という。

食肉用の家畜を育てるには膨大な土地、飼料、水が必要とされる。さらに国連食糧農業機関(FAO)によると、畜産業は人為的に排出される温室効果ガスの約 15%に相当する年 7.1ギガトン(CO2換算)を排出している。つまり、肉食は環境破壊に加担することになるのだ。

このため、検討されている食肉税のようなものは、たばこ税などとともに「罪の税」と呼ばれ、公衆衛生と健康を促進するものと考えられている。しかし一方では、「低所得者層に不公平な負担がかかる」として反対する主張もある。

これ、注目である。先進国における「食肉税」の「低所得者層に不公平な負担がかかる」という認識は、極端に言えば「肉は貧乏人の食い物」になりつつあるということだ。もはや日本の金持ち連中も、高級牛肉をありがたがって血の滴るようなステーキなんて食ってる場合じゃない。

肉食と畜産業が温暖化ガスを増加させる要因となっているのは確かなことだが、「強力な既得権者と権力中枢の存在が、食生活の変化に関わる政治経済を極めて困難にしている」とも言われている。つまり「お肉大好き」な保守層が、畜産業を保護したがっているわけだ。

私は「健康のためなら命も惜しくない」というパラドックスをよく引き合いに出すのだが、「肉を食うためなら命も惜しくない」では、洒落にもならない。

「食と環境」の問題を自覚的に考えるならば、肉食を減らすことが望ましいというのは当然の結論だ。個人的にはペスカテリアン仲間が増えることを強く望んでいる。

 

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2020/07/05

熊本豪雨のニュースで思う

今回の豪雨で、熊本が大変なことになっている。私は熊本には何度も訪れていて、知り合いも結構多いので心配で仕方がないのだが、下手に電話しても混乱を生じさせるばかりなので控えている。まあ、知り合いのほとんどは熊本市内なので、なんとかなっているだろうとは思うが。

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上の写真をクリックすると西日本新聞の「熊本豪雨、17人心肺停止 球磨川は8カ所氾濫」という記事に飛び、上から 2番目の画像をクリックすると、動画がスタートする。とにかく濁流が橋の上を流れるという惨憺たるありさまである。

今回の豪雨も予報では「数十年に一度の豪雨」なんて表現されていたが、近頃は同じ「数十年に一度」という触れ込みの大雨が毎年あるような気がしている。3年前の今頃、 ”「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代“ なんていう記事を書いているのを思い出した。

さらにその 4年前の 8月には、"「20年に 1度の大雨」から「経験したことのない大雨」に" なんてタイトルの記事まで書いていて、今回の豪雨も気象庁は 4日午前の記者会見で「これまでに経験したことのない大雨になる」と表現していた(参照)。ちなみにこの表現も、近頃は毎年聞く気がする。

つまり日本の気象は、既にこれまでの常識にかからなくなっているということで、経験知が頼りにならないことを意味する。「これまでだって大丈夫だったんだから」とか、「いくら大水でも我が家まで水は来ないと、ジイさんの代から言われてる」といった言い草が、もはや通用しないのだ。

今回の豪雨でも、逃げ遅れた人が屋根の上に避難している動画が嫌と言うほどニュースで流れた(参照)。「どうしてこんなことになるまで避難しないでいたのだろう」と思われるだろうが、私は 2年前の今頃、"そもそも、水害が差し迫っても「人は逃げないもの」らしい" という記事を書いている。

実は私自身、1986年 8月の豪雨(参照)で、近所の高台の中学校に一家で避難した経験がある。この時は、幼い娘 2人に、3人目を妊娠中の妻と犬 1匹を連れての避難だった。我が家の被害は床下浸水止まりだったが、今でも「あの夜は安心して寝られただけ、避難してよかった」と思っている。

この経験からも、「大雨で避難勧告が出たら、迷わず逃げる方がいい」とオススメする。死なないまでも、水に浸かったせいで低体温症なんかで病院に担ぎ込まれたりするよりずっといい。

 

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2020/06/25

庭の梅の木を剪定した

我が家の庭の梅の木の剪定をした。写真は剪定後の模様で、まだまだ理想的なスッキリさ加減には至ってないが、葉の散らないうちにあまり刈り込みすぎて元気がなくなるのが心配で、テキトーに中途半端なところでとどめておいた。

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庭の梅に関しては、毎年 3月頃になると「和歌ログ」で歌に詠んでいる。今年の歌は「例年の遅咲きなるを裏切りて咲きそろひつつある庭の梅」というものだった。

急に剪定しようと思ったきっかけは、隣家(写真の向こう側に見える家)の庭の大整理だった。隣家は離婚して戻ってきたらしい姉妹 2人と、妹の方の息子(小学生)の 3人暮らしだが、庭の手入れまでは全然手が回らなかったようで、ここ 3年ほどは庭木が茂り放題のジャングル的様相を呈していた。

先日業者を入れて一日がかりで徹底的剪定を行い、ようやく風が通るようになった。仕事に来た業者は「なんでまた、こんなになるまで放っといたの?」なんて驚いていたが、まあ、無理もない。

で、その庭師の兄ちゃんに、「ウチの梅も茂り放題だけど、剪定は秋になってからの方がいいんだろうね」と聞いてみた。すると彼は、「いやいや、今でもいいんですよ」と言うのである。「一般的に落葉樹は葉が落ちてから剪定するものと言われてるけど、梅は丈夫な木だから、いつでも大丈夫です」

というわけで、梅雨の晴れ間となった今日、思い切って枝を刈り込んだ。剪定前の写真も撮っておいて、「使用前/使用後」みたいに比べられるようにすればよかったのだが、とりあえず久しぶりですっきりした。隣家の庭のプロの仕事ぶりには到底及ばないが。

とにかく「梅は丈夫」とはいうものの、そこは素人の浅ましさ、やはり途中で怖じ気づいてしまって、理想的な刈り込みまでには至っていない。念のためとりあえずこの状態で夏を越させ、秋になって葉が落ちてから、もう少し刈り込んでスッキリ度を高めようと思っている。

まあ、また 2〜3年すればやり直さなければならないのだろうから、庭木というのは手のかかるものである。

 

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2020/06/21

日食は全然拝めなかった

今日は夏至で、その上、日本各地で部分日食が観測されたようだが、関東の空は厚い雲に覆われて、チラとも見ることができなかった。下の写真は ウエザーニュースのサイトに紹介されていた見事な写真だ。熊本市東区の大吾さんという方が撮影したものである。

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台湾では見事な金環食が拝めた(参照)ということで、これはもう、羨ましい限りである。

思い起こせば月食なら何度も見たことがあって、和歌ログでも 2度ほど写真入りで歌を詠んだ(参照 1参照 2)。そしていつのことだか忘れてしまったが、見事な皆既月食の瞬間も見たこともある。

ただ、日食だけはあまり縁がない。まあ、月食に比べれば絶対的に回数が少ないのだから仕方がないのだが、小学生の頃にちょっとだけ欠けた日食を、プラスチックの下敷きを通して見た覚えがあるのみだ。この時は肉眼では眩しすぎてさっぱりわからず、全然感動しなかった。

今回の日食は、関東地方から見るのは無理とわかっていた。とはいえ、もしかしたら雲の隙間からチラッとだけでも垣間見ることができるかもしれないと期待していたが、全然無理だった。残炎。

ネットで調べたところ、次の日食で見ものになりそうなのは、2035年 9月 2日で、茨城県からも金環食が見られるという。ただ、その頃私は 83歳になってるじゃないか。

それまで生きている可能性は「充分あり」で、もしボケもせずに生き延びて金環食を拝めたら、大喜びでこのブログに書くことを今から約束しておこう。ただ大雨で見られなかったりしたら、世をはかなんでその日のうちにポックリ逝ってしまうかもしれないぞ。

【6月 22日 追記】

らむね さんのコメントのおかげで、2012年 5月 21日の朝に、出張先の甲府のホテルの窓から金環食を見たことを思い出した。ただ、この日の甲府は空のコンディション的にあまりドラマティックな見え方ではなく、鮮明な記憶として残らなかったようだ。

参照
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2012/05/post-e3e6.html
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/wakalog/2012/05/en-31a2-1.html

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2020/06/17

アジサイの色は土壌の酸性度だけで決まるとは限らない

我が家の隣には空き地があり、塀際のシャリンバイ(参照)の両隣にアジサイが咲いている。下の写真にあるように、片方は赤紫色で、反対側は薄い青紫色だ。

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世間ではアジサイの花の色は土壌の酸性度によって決まると言われていて、酸性度が弱いと赤に、強いと青になると信じられている。リトマス試験紙とは反対に現れるというのがおもしろい。

しかし私は、昔からそれを疑問に思っていた。同じ空き地で 1本の木をはさみ、片方の土の酸性度は強く、反対側は弱いなどとは信じられない。

このことについてインターネットを調べてみると、Wikipedia の「アジサイ」のページに「花の色」という項目があり、そこに詳しく書かれていた。アジサイの花の色は、根から吸収される水分のアルミニウム・イオン量に影響されるということが次のように書かれている。

土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる。

なるほど、基本的には広く信じられているように、土壌の酸性度がアジサイの色に強く影響するようなのである。しかし同じ株でも部分によって花の色の違うことがあり、これについては次のように説明されている。

同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである。(中略)品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい。

つまり、単純に土壌の違いだけでアジサイの花の色が決まるというわけではないようなのだ。品種によって色の現れ方に差が出るし、同じ株の内部でさえ、根から送られてくるアルミニウム量によって色の違いが生じるというのだから、なかなか複雑である。

我が家の裏の空き地のアジサイは、これだけ明確に色が違うのだから、多分品種が違うのだろう。片方は花が青くなるための補助色素が少ないか、青になる効果を阻害する成分を持ち合わせているかのどちらかのようなのである。まことにもって、自然というのは単純に割り切るわけにはいかない。

 

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2020/06/15

鳥の鳴き声のオノマトペ

この季節、我が家の裏手を流れる川の両岸は緑濃き草木に覆われる。そして昨日の和歌ログに書いたように、家の窓から川を泳ぐ鴨たちの姿が見えたりして(参照)、都会に住む人間からは別世界に思われるような様相を呈している。

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川岸は葦の葉が盛大に生い茂っているだけに、早朝からヨシキリの鳴き声が響く。いや、ヨシキリというのは下手すると夜中にも鳴くことがある。その鳴き声は、3年前に「ヨシキリの鳴き声 2」という記事でも紹介したが、下の動画で聞かれるように、とにかく賑やかな鳥だ。

ヨシキリは「行々子」と書くぐらいだから、その鳴き声は「ギョーギョーシー」と聞こえる。もっとも、私も以前は即物的に「とんでもない、ヨシキリは『ギャーギャー、キリキリキリ・・・』としか鳴いてないよ」と思っていたが、ある時突然「ギョーギョーシー」と聞こえて以来、そうとしか聞こえなくなった。

これについては 9年前の「ホトトギスの鳴き声」という記事で触れている。もっともこの記事はタイトルがタイトルだけに、ホトトギスの鳴き声が「テッペンカケタカ」と聞こえることについてもかなり力を入れて書いている。

で、話はようやく上の「鳴き声ノート」という画像に関連した話に辿り着く。ショビ書房というブログに "野鳥の会「鳴き声ノート」でオノマトペ感覚を養う" という記事があり、それはそれはユニークなオノマトペが紹介されている。

例えば、ウグイスはフツーは「ホーホケキョ」と鳴くということになっているが、このショビ書房さんには「トーーペキョッ チトトチトトト キッテョッキッチテョッキッ」と聞こえるという。なるほど、そう言われてみればそう聞こえないこともない。

惜しむらくは、この記事にはヨシキリの鳴き声がどう聞こえるかは書かれていない。というわけで私が改めて聞いてみると、「ジョシカイ ジャンジャン、キリキリキリ・・・」なんて聞こえて、笑ってしまった。

これ、最近仕事上で関わっている LINE グループが気にかかっていることの反映かもしれない。とにかくこのグループ、女子会度が異常に高まってトークに加わりづらくなっちゃってるのである。

 

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2020/06/14

梅雨の大雨に思うこと

下の画像は、昨日夕方の関東地方における雨雲の予想図である。私の住む茨城県南部は辛うじて大雨を免れたが、神奈川北部から東京にかけては、かなりの雨量になったようだ。

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とにかく梅雨に入ってからというもの、降り出せば大雨というパターンが多い。私が子どもの頃は「梅雨の雨はシトシト、真夏から台風シーズンにかけての雨は土砂降り」と言われていたものだが、近頃は梅雨でも土砂降りが当たり前になった。

考えてみれば、最近は 5月の声を聞けば昔の真夏以上の暑さになるのが珍しくないのだから、梅雨でも台風まがいの降り方になって当然である。そしてさらに台風シーズンの本番になってしまうと、「数十年に一度の」とか「経験したことのないほどの」なんて豪雨被害がしょっちゅう起きる。

思い起こせば、1960年代に山形県庄内の酒田市で小学生時代を過ごした私は、夏休みの絵日記の「お天気欄」に 30度以上の気温を記すことは滅多になかった。当時の庄内の地では、よほどのことでないと 30度には手が届かなかったのだ。

気象庁のデータによると、私が高校 2年(17歳)だった 1969年、酒田の 8月の月間平均気温は 23.9度、最高気温の平均は、27.5度だった(参照 1)。この年はちょっとした冷夏で比較に問題ありかもしれないので、翌 1970年 8月の統計をみても、それぞれ 24.6度、29.2度となっている(参照 2)。

そして昨年(2019年)の 8月はそれぞれ 27.0度、31.2度だ(参照 3)。ほぼ半世紀の間に、酒田の夏の気温が確実に 2度ぐらいは高くなっているわけだ。酒田だけが特別というわけじゃないから、他の地域にしても推して知るべしである。

ちょっと前までは、あまりの極端な気候変化に「近頃の天気は、一体何を言いたいんだよ?」なんて思っていたが、最近は自然からのメッセージが理解できるようになってきた。「このままでは地球は人の住めない惑星になってしまうぞ!」と警告してくれているに違いないのである。

車椅子の物理学者として知られたスティーブン・ホーキング博士は生前に、「人類は30年後には地球からの移住を開始することになる」と述べた(参照 4)。「地球は私たちにとってあまりに小さくなっている。我々の物理資源は驚くべき速さで枯渇している」というのである。

この話が伝えられたのは 2017年 6月のことだ。ということはこれを信じるとすれば、今となっては人類が地球からの脱出を開始するまでに 27年しか残っていないということになる。

私自身はありがたいことに、その頃まで生きていないだろうが、いずれにしても晩年は相当に生きにくい環境に耐えることを覚悟しなければならない。そして「団塊ジュニア」と言われる、現在 45歳前後の人たちの晩年は、下手すると「生き地獄」の様相を呈するかもしれないのである。

「子孫のために住みやすい地球環境を残そう」なんて呑気なことを言っていた昔は、漠然と数世代後の子孫のことを想定していたような気がする。ところが現実には、もはや自分の子どもたち、いや、それどころか自分自身の晩年の地球環境を心配しなければならない状況になっているわけだ。

政治家のじいさんたちは、内心「俺たちはもうすぐ死ぬからいい」なんて思っているのかもしれないが、そうだとしたらノー天気にもほどがあるよね。

 

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2020/05/28

白い洗濯物を好むアリの根性

今の季節、屋外に出して乾燥させていた白い洗濯物を取り入れる際には注意が必要だ。かなりの高確率でアリがしがみついているのである。どうやらアリというのは白いものが好きなようなのだ。

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とくに白いタオルと Tシャツはアブナい。気付かずにしまい込んだりすると、結構いつまでも生き延びていて、Tシャツを再び着た途端に蘇ったアリが首筋を這ったりする。これはかなり不愉快だ。

試しにネットで調べてみると、虫というのは白いものに惹かれる傾向があるらしい。「生活救急車」の「洗濯物に虫がつくのを防ぐ方法~部屋干しするときのコツも紹介~」というページには、「虫は明るい場所が好きなため、白い壁が近くにあったり、白の洗濯物に寄って来やすくなります」とある。

ああ、やはりそうだったのか。虫は白いものが好きなのである。このページには「甘い香りの柔軟剤」も虫を引き寄せる原因になるとあるが、ウチはそんなもの使わないから、(虫だけに)無視していいようだ。

恐ろしいのはアリに限らず、虫は一般的に「白いモノが好き」ということで、幸いにも我が家では未経験だが、あのクサ〜い臭いを発生するカメムシなども寄ってくるらしいのである。気を付けるに越したことはない。

吊した状態で乾かしている洗濯物に、一体どうやってアリが移動してくるのか、その様子を一度目撃してみたいものだ。いくら軽量のアリでも風に乗って洗濯物に飛んでくるとは思われない。

フツーに考えれば、地面から物干し場の柱を伝って這い上り、横に渡された棹などを渡って白い洗濯物に辿り着くのだろう。とすると、アリは地面を這いながら上を見上げ、「ああ、あそこに居心地良さそうな白いモノが吊してある。何とかして辿り着きたいものだ」と一念発起して移動するというわけだ。

「一寸の虫にも五分の魂」などという言葉があるが、エサがあるわけでもないのにあんなにも長い距離をひたすら移動するのだから、虫の一念というのは馬鹿にならない。私にもこの半分ぐらいの根性があれば、もう少しマシな人生だったかもしれないなんて思ったりする。

今日、運転しながらカーラジオを聞いていたところ、清涼飲料水を飲み干して、その瓶を洗わずに 3階のベランダに置いておいたところ、地面から延々とクロアリの列が続いて這い上って来ていたという投稿が紹介された。これなどは甘い香りが引き寄せたのだろう。

これと比べれば、庭に面した物干し場のタオルに這い上るぐらいは、アリにとってはどうってことないのだろう。

 

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2020/05/07

冷たい空の「フラワームーン」

今夜は満月。朝から雲が少なく、夜になっても輪郭のはっきりした綺麗な月を望むことができる。

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tenki.jp のサイトによると、5月の月は「フラワームーン」と呼ばれるのだそうだ(参照)。5月以外でもそれぞれの呼び方があり、ウルフムーン(1月)、スノームーン(2月)、ワームムーン(3月)、ピンクムーン(4月)、ストロベリームーン(6月)、バクムーン(7月)、スタージャンムーン(8月)、ハーベストムーン(9月)、ハンターズムーン(10月)、ビーバームーン(11月)、コールドムーン(12月)となるらしい。

ちなみに、今夜は平年より冷えるとの予報。この季節の晴れた夜は、地表近くの暖かい空気がどんどん上空に逃げるため寒くなることが多い。

つくば周辺もかなり冷えてきていて、暖かい上着を重ねている。

 

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