カテゴリー「自然・環境」の382件の記事

2021年2月20日

ヴィーガンでも、たんぱく質不足にはならないようだ

鈴木形成外科院長で第 1回ベジタリアンアワード企業賞を受賞したCHOICEのオーナー&プロデューサーである鈴木春恵さんという方が一昨年 5月に書かれた「ヴィーガンとたんぱく質」という記事を、今頃知った。ヴィーガンでもたんぱく質不足にはならないことが説かれている。

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まず「らくなちゅらる通信」というタイトルが気に入った。「楽で自然なのが一番」と思っていることもあって、納得の記事である。私自身は魚介類は食べていて完全にヴィーガンというわけではないが、たんぱく質不足の心配なんて一度もしたことがないし。

そしてヴィーガンでバリバリのスポーツマンはいくらでもいるから、「肉を食べないとたんぱく質不足になる」というのは、多くの人が信じている根拠のない思い込みに過ぎないと、元々確信はしていた。ただ、そのあたりの専門家による情報というものに今イチ接していなかったのである。

以下に上記のページから引用させていただく。

必須アミノ酸(人体で合成できないアミノ酸)が一つでも足りないと人体に必要なたんぱく質は作れませんが、植物でも何種類か組み合わせれば必須アミノ酸は不足なく摂取できるのです。

さらに、植物性たんぱく質は消化吸収が良く、体内で利用されやすいのに対し、一般に「動物性たんぱく質」と称されている、牛や豚の筋肉や乳製品などのたんぱく質は消化されにくく、腸内で腐敗し、さまざまな病気のもとになります。

(中略)今では動物性食品の摂取割合が多いほど、がん、高血圧、心臓病、脳梗塞、糖尿病、骨粗鬆症、アルツハイマー病、アレルギー、自己免疫疾患、黄斑変性などの病気の発症が多くなることが、数多くの研究で明らかにされています。

というわけで、今後も安心して肉は遠ざけて暮らしていこうと思っている。数年前に高校時代の同級会に出席したとき、医者になっている友人が食事で肉を避けている私を見て、「肉を食わないと長生きできないよ」と忠告してくれたことがあるが、それも「諸説ある」ってなことに過ぎないわけだ。

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上の写真は 2019年 5月 25日付の「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」と言う記事に使ったものだ。要するにこんな具合に「諸説あり」で、個別の寿命の話は「ケースに依存する」というほかなかろう。

だったら、どっちの説を信じるかは好きにさせてもらう方が、いい気分で生きられるというものだ。死に際になって、「しまった、肉を食っとくんだった!」なんて思うことはないから。

 

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2021年2月19日

満月の前は睡眠時間が短くなるらしい

NewSphere の「満月の前は睡眠時間50分短く 満ち欠けにあわせ変動 米研究」という記事に目が止まった。人の睡眠は、満月が近付くにつれて短くなり、月が再び欠け始めると、長くなるという周期を繰り返しているのだそうだ。

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本日 2月 19日の晩は上弦の月で、それがだんだん満ちていき、27日に満月になる。ということは、今は睡眠が短くなるプロセスにあるわけで、26日の土曜日で最短になり、その後はまた長くなっていく。この働きによる睡眠時間の差は 50分にもなるらしい。

98名の被験者から収集されたデータを分析したところ、満月が近づくにつれて睡眠時間は短くなり、入眠のタイミングも遅れてゆく傾向が確認された。満月の前にピークを迎え、人々は平均して30分遅く眠りにつき、睡眠時間は50分短くなる。その後は再び睡眠時間が増え、月齢周期である29.5日とほぼ一致するサイクルで変化を繰り返す。

(中略)

精神医療と睡眠の専門家であるアレックス・ディミトリ博士の見解を伝えている。博士によると、睡眠調整ホルモンであるメラトニンの働きは、何らかの光を見ることで抑制される。そのため、月光が多く降り注ぐ満月が近づくと眠気が抑制されることは十分に考えられるという。

夜は月明かりしかなかった大昔からの体の「クセ」みたいなものが、現代人においても引き継がれているらしいというのはなかなか興味深い。考えてみれば、それほど太古の昔というわけではない江戸時代頃までは照明といえば行燈ぐらいしかなく、それもなるべく長く灯さないようにしていたという。

つまり人間というのは 19世紀までは、日が暮れたら素直に眠りについていたのだ。ライフスタイルは昔とは比べものにならないほど変わり、夜になっても皓々とした明かりのもとで暮らせるようになった今でも、人間の体の中の深いところはそれほど変わっていないようなのだね。

ということは、満月の前に「近頃、ベッドに入ってもすぐに眠れない」なんて言って、不眠症なんじゃないかと思い煩う必要はないということだ。元々目が冴えてしまうものなのだと思っていればいい。

「狂気」を表す「ルナティック(lunatic)」という言葉が「月」を意味するラテン語の "luna" から来ているというのも、これと関係があるような気がしてきた。 昔は眠れない夜には闇の中で悶々としているほかなかったので、「狂気の一歩手前」みたいな気がしていたのかもしれない。

 

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2021年2月15日

ユニクロのサステナビリティ戦略

HUFFPOST が、ユニクロの柳井社長の 2月 2日の記者会見の模様を伝えている(参照)。サステナビリティに関連して「地球環境に対してかなり負荷を与えているので、それをできるだけ少なくしていく」と、かなり踏み込んだ発言をしたと話題だ。

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私は結構長い間、繊維、アパレル関連の情報を扱う仕事に就いていたので、かなり興味を持ってこのニュースを読んだ。「踏み込んだ発言」というので、どの程度踏み込んでいるのかと思ったが、まあ、そこそこ程度の踏み込み方ではある。

この日の記者会見で発表された「サステナビリティレポート 2021」も、誰でも読めるようにインターネット上に公開してある。これはいいことだ。

ファッション企業のものだけに、一見すると多少はムード先行のイメージはあるものの、読み込んでみればそこそこの努力を認めざるを得ない。業界で他に先駆けてこうしたものを世に出す姿勢は評価されていいだろう。

これまでのファッション業界はシーズン在庫が売れ残ると、次シーズンに回すことなく二束三文で処分したり廃棄したりするため、環境負荷の高い産業と思われてきた。ところがユニクロは、多シーズンにわたって売り場に出せる商品を展開するという。これまでのファッションの常識をくつがえす姿勢だ。

「廉価品の大量生産、大量販売」というイメージの強かった企業が、温室効果ガス排出の実質ゼロを目指し、再生ポリエステルを大幅に使用しつつ、仕上げ加工のプロセスで水の使用量を最大 99%削減する目標を示すなど、具体的な目標を明らかにしている点はかなり思い切った施策といえる。

もちろん、今回示された方針が最良のものというわけではない。ということは多分、今後もさらにアップデートしつつ進むのだろう。

HUFFPOST は今年 1月 25日にも「ファッションは悪なのか? アパレル各社のサステナ戦略、3つのポイント」という記事で、この分野の問題提起につなげている。今後は多くの業界で環境配慮が当然という世の中になることを期待する。

 

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2021年2月11日

「アンチ・エコ」のメンタリティが見えてきた

世の中でエコ意識が徐々に高まるのと平行して、「アンチ・エコ」とも言える言説も結構もてはやされてきた。『偽善エコロジー ー 「環境生活が地球を破壊する』なんていう本もあるし。

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私の 3日前の "「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ" という記事にも、案の定、反論コメントが付いた。「takさんがヴィーガンをするのは別にいいんですが、私はみんながヴィーガンになれば皆んなが不幸になると思います」というのである。

彼が何をもって「不幸」とするのかよくわからないが、コメントの末尾のあたりには「ヴィーガンの考えることは正しくても、そこには合成の誤謬が発生することに成る」ともあるので、私は次のようにレスした。

まあ、「みんながヴィーガンになる」なんてことは少なくとも急には無理でしょうから、仮定の条件設定を極端にすることで妙に悲観的になる必要はないと思いますよ。

明日から世界中の人が急にヴィーガンになるというなら、いきなり社会のバランスが喪失して大変なことになるでしょうが、それはできの悪い SF の世界です。

実際問題としては、ゆっくり時間をかけて考えましょう。「合成の誤謬」の発生を抑えるためにもね。ヴィーガン人口が増えれば、その時はその時でその状況に適応するための新しい社会システムが構築されるでしょうし。

(参考までに:「合成の誤謬」<Wikipedia)

というわけで、エコ派とアンチ・エコ派のすれ違いの構図が、私にもようやく単純に図式化された形で見え始めた。

要するにアンチ・エコ派は、「急にエコ派の言うような世の中になったら、社会システムがガタガタに崩れてしまうのがわからんのか!」と言ってるわけだ。基本スタンスは、エコ派が「現状では危ない」と思っているのに対し、アンチ・エコ派は「現状の方がマシ」という認識なんんだろう。

つまり「現実的な環境悪化への警鐘」に対して、「エコ・プロセスへの不信」で反論するという構図だ。こうなると完全に逆説的な言い方になって我ながら気持ち悪かったりするが、「心配しなくていいですよ。極端な変化なんて急には生じませんから」と言ってあげたくなる。

エコ派の主張がいきなり主流になってそれまでの慣習や社会システムが一挙に様変わりしてしまい、人々の生活が破壊されるなんてことはあり得ないから、余計な心配は要らない。それでなくても世の中の改革プロセスというのは、行きつ戻りつしていろいろな適応策を模索しながら進むものだから。

ただこの分野の変化がやたらトロいのは、アンチ・エコ派のみなさんの強烈な抵抗のおかげというよりは、一般社会に環境悪化への危機感が足りないためという要因の方が大きいと思う。その意味でも、エコ派の不断の働きかけは必要だろう。アンチ・エコ派にはずいぶん耳障りだろうけど。

それからもう一つ。アンチ・エコ派は「エコ警察」と言われるような、余計なお節介好きで、些細なことにばかり口うるさいオジサン、オバサンの存在にかなりの嫌悪感を抱いているようだ。そして実を言えば私としても、こうした人たちにはうんざりである。

ただ「〇〇警察」はエコに限らずいろいろな分野で発生しがちで、「エコ警察狩り警察」みたいなのも発生しかねないから、お互い気をつけようね。

 

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2021年2月10日

フランスでヴィーガン・レストランが初ミシュラン

NewSpere の「ヴィーガンが地球を救う?」(2月 1日付)という記事を、一昨日に ”「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ” というタイトルで紹介したが、NewSphere はその日のうちに「ヴィーガンレストランがフランスで初ミシュラン、その意味とは」" という新しい記事を載せていた。

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NewSpere は近頃ヴィーガンづいてる。そのレストランとは、「フランス南西部ボルドー近郊の小さな街アレスにある ONA」という店だそうだ。へえ、パリじゃないのだね。

私は元よりミシュランに載るような高級レストランなんて興味がないのだが、ヴィーガン・レストランとなると話はちょっと別で、「へぇ、やったじゃん!」と拍手を送りたくなった。パリの街は好きじゃないので、フランスの田舎町にあるというのも気に入ったし。

ONA という店名の由来は、"Origine Non Animale” で、英語だと "Non-Animal Origin"、「動物起源ではない」という意味だそうだ。ひねりも何もなく、「まんまじゃん!」というネーミングだが、それだけにヴィーガニズムへの思いが強いのかもしれない。

ちなみにフランスでのヴィーガニズムや動物生存権の運動は最近ちょっとした抵抗にあって、案外低水準で推移しているらしい。依然として「旨い肉を食わせてこそナンボ」という意識が主流のようなのだ。

そんな中だけに、ミシュランガイドの国際責任者、グウェンダル・ポウレネック(Gwendal Poullenec)氏のコメントが次のように紹介されている(記事の翻訳がちょっと悪文だけど)。

「一般的に、シンプルなヴィーガニズムと美食体験が連想されることは少ない。今回のミシュラン星獲得は、プラントベースの料理を探求することに消極的なシェフを解放するかもしれない」と語った。

この記事の元記事、ニューヨーク・タイムズの "Vegan Restaurant Gets Michelin Star in France, a First" に飛んでみると、冒頭にシェフ、MS. Claire Vallée の写真もあるし、なかなか充実した情報だ。

そもそも NewSphere の記事からだとリンクが生意気にも ONA のフランス語版に飛んでしまうので、私には魔法の呪文でしかなかったが、ニューヨーク・タイムズからのリンクでは、英語版ページが表示されるのでほっとしたよ。なかなかハイブロウな内容で、例えば次のような記述がある。

Pythagoras said: “The Earth gives abundant riches and peaceful food. It offers us meals that are not stained with blood or murder.”

ピタゴラスは言った: 大地は豊富な富と平和な食物を与えてくれる。我々に血と殺戮で汚されない食事を提供してくれるのだ。

「なぬ、ピタゴラスがそんなこと言ったのか?」と驚いたが、調べてみると彼は西欧菜食主義の父と言われているのだね(参照)。おまけにジャン・ジャック・ルソーも菜食志向だったらしい(参照)。いやはや、私としたことがちっとも知らなかった。高校の「倫理社会」の教科書にもそんなの載ってなかったし。

わざわざフランスまで行って実際に ONA の料理を食べてみる機会は、個人的には多分これからもないだろうが、ONA の挑戦は西洋料理の保守的な肉偏重意識に風穴を開ける契機になるかもしれないと期待する。

例えば私が出張先で夕飯を食おうとしても、レストランは肉系のメニューばかりで私にとって選択肢の少ないのが現状だ。しかしヴィーガン料理を提供してくれる店がミシュランの星を獲得したとなれば、私のような者の選択の幅が少しだけ広がるきっかけぐらいにはなるかもしれない。

いずれにしても時間はかかるだろうけど。

 

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2021年2月 8日

「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ

NewSphere に「ヴィーガンが地球を救う?」というタイトルの記事がある。読み進んでみるとタイトルの最後の「?」は要らないほどのもので、「ヴィーガンが地球を救う」と言い切ってよさそうな内容なのだ。

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ヴィーガンとは言うまでもなく、一切の動物性食品を食べない人たちのことである。私は肉は絶っているが、魚介類は食べるし、卵と乳製品もほんのたまに付き合ったりするので、分類上はペスカテリアンということになっている。

ただ、ここまで来ると卵と乳製品は既にあまり食べる気がしなくなって実際にはほとんど口にしていないし、魚介類を止めるのもそんなに高いハードルとも思えない。ということは私もそのうちヴィーガンになっていたりするかもしれない。

環境保全の観点で言うと、動物性食品のほとんど(「イナゴの佃煮」とかを別として)はかなりの環境負荷があり、記事には「家畜産業は人間が消費するカロリーの18%しか作り出さないが、それらは全農地の83%を使用している」「米国で育てられた穀物の 70%は家畜に与えられている」とある。

つまり、人間は家畜を育てるためにかなり多くの穀物飼料を与えているということだ。言い方を変えれば、飢餓に苦しむ人が少なからず存在する世界で、豊かな国では人が食えるものを家畜に食わせ、その家畜を屠殺して人が食っているということである。

こうした情報を得てしまうと、飢餓の増大と CO2 増加による環境悪化が懸念されるこの地球上で肉をワシワシ食うことには「罪の意識」を感じざるを得ない。これが私が肉を絶った最大の理由である。

一昨年の 5月に書いた「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」という記事では、こうした情報に関する誤解、曲解についても触れているので、参照されたい。さらに同じ年の 9月に書いた「私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた」という記事も自薦しておく。

というわけで、「ヴィーガンが地球を救う」と言い切ることに大きな間違いはないと思うのである。肉食を絶つこととエコロジー志向というのは、心のベクトルが共通しているようなのだ。「食に関してはヴィーガンだけど、他の部分では平気で CO2 排出しまくり」という人を私は知らないし。

NewSphere の記事の最後には次のように書かれている。

完全にヴィーガンになることは難しくても、「フレキシタリアン」(ヴィーガンやベジタリアンのように菜食主義ではないが、意識的に肉の消費を減らす生活)をするだけでも環境に与える影響は減らすことができる。(中略)これからは、当たり前にチキンに手を伸ばすのではなく、少し考えてから食材やメニューを選んだりしてみるのもよいかもしれない。

私もそのようにオススメしておく。

 

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2021年2月 5日

肉の入ってないラーメンを食べさせてくれる店

実は私はラーメンが大好きで、前は週イチ以上の頻度で食べていたのだが、最近は年に数回しか食べていない。それは3年以上前に肉食を止めたからだ。フツーのラーメンはチャーシューが付きものなので、「ヴィーガン・ラーメン」を提供してくれる店以外では食べられないのである。

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JR の東京駅、上野駅にある「T's たんたん」(本店は自由が丘らしい)ではスープにも肉や骨を使っていないピュアなヴィーガン・ラーメンを提供してくれるので、出張帰りなどには立ち寄って食べることにしている。そうでもしないと、「ラーメンの禁断症状」が出そうなのでね。

ちなみにここのラーメンは本当においしいので、肉食を絶っているわけではない人にもオススメしておきたい。

「肉の入ってないラーメンを食べられる店がもっとあればいいのに」とは、いつも思っていた。そしてふと思いついてググってみたところ、Vegewel というサイトに「【保存版】全部野菜だけど美味しい! ヘルシーなビーガンラーメン 33選【東京・横浜・千葉】」というページを見つけたのである。

このページを見ると「あるところにはあるものだ」と思うが、残念なことに私がよく行くエリアでは上述の「T's たんたん」ぐらいのものだ。世の中、なかなか思い通りにはならない。

ページの冒頭に紹介されている「濃い口醤油のビーガンらあめん」(1,000円税込)」というのは、「九州じゃんがら」というチェーン店で食えるらしい。秋葉原にもあるというので、ちょっとそそられた。

ところがよく読むと、この店は本来はとんこつラーメンで人気というので、ちょっとした危惧を感じてしまう。約 2年半前に「博多の繁華街に漂う生臭さの正体」という記事で書いているように、とんこつ臭というのは肉を絶った者には案外気になってしまうのだ。

Veggie house(ベジハウス)の「担々麺」(ランチ700円税込、ディナー900円税込)というのは、見たところなかなかそそられるが、店舗が錦糸町というのがネックだ。錦糸町にはここ 30年ぐらい用がないし、わざわざ行くにしても、結構手間だなあ。

そうそう、今回紹介したページは「東京、横浜、千葉」しかカバーしていないので触れられていないが、つくば市に「麺屋 KENJU」という店もあるんだった。たまには行ってみよう。

 

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2021年1月29日

地球の自転のスピードって、実はスゴい!

私のもう一つの毎日更新ブログ「和歌ログ」の 1月 26日付に、「足許の地球の廻るスピードで陽はぐいぐいと昇りくるなり」という歌を写真入りでアップした。

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この日の本文には、次のように記している。

東の空が明るくなり始め、太陽の上の部分が僅かに顔を見せ始めた時から注目していたが、見る間に昇りきってしまった。

「日の昇るスピードとは大したものだなあ!」と思ったが、よく考えれば、これは地球の自転のスピードだ。地球の自転というのは何しろ 24時間で 1周してしまうのだから、凄いスピードである。

飛行機で東京羽田空港から太平洋を渡ってアメリカ西海岸のサンフランシスコに行く距離は 約 8.290km で、要する時間は約 9時間 15〜50分ということになっている(参照)。

地球の赤道は約 40,000km とされているから、それをジェット機で 1周するとなると、細かい話を端折って計算すればおよそ 2日かかることになる。もろに単純に言ってしまうと、地球の赤道はジェット機の倍の速さで廻っていると考えてもいいわけだ。

我々はすごいスピードでで動く天体の上で生きているわけで、振り落とされないのは慣性の法則と引力のおかげである。

我々は自然の原理というものを、もっと信頼していいのかもしれないと思う。

 

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2020年12月21日

「コーヒー、紙コップ、マイクロプラスチック」の三題噺

紙コップでコーヒーを 1杯飲むと 2万5000個のマイクロプラスチックを摂取することになる」という Gigazine の記事を読んで、ひるんでしまった。あれってやっぱり、プラスチック・コーティングを施していたのか。

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スタバでコーヒーを注文すると、「マグカップにしますか? 紙コップにしますか?」なんて聞かれることがあるが、私はいつも当然の如く「マグカップで」と答える。マグカップの方がずっとおいしいく飲めるのに、よりによって紙コップなんて選択肢を提供するのは、一体何の酔狂なんだ?

私が最近家で使っているのはガラス製だが、スタバのマグカップは陶器製である。この 2つの材質は、飲み比べてもおいしさはそれほど変わらない。しかし紙コップで熱い飲み物を飲むと、立ちのぼる紙臭さが気になってしまう。これは、自称「コーヒーブロガー」のヒロさんも同意見のようだ(参照)。

それに使い捨ての紙コップなんて使ったら、資源の無駄遣いになるから夢見が悪い。同じコーヒーを飲むなら、おいしく、そして気分よく飲みたいと思うのが当然というものだろう。

さらに今回の Gigazine の記事でこんなことを知ってしまったのが、ダメ押しになった。要するにマグカップの方が、おいしく、そして気分よく、さらにからだにも優しくコーヒーが飲めるということだ。

コーヒーの中にマイクロプラスチックが溶け込むというのは、とくに熱い飲み物で顕著なことらしい。今回の実験を行ったインド工科大学カラブクル校の Sudha Goel 准教授によると、次のようなメカニズムだという。

「コーヒーやお茶を飲むのにかかる 15分間でカップのプラスチック層が劣化し、2万5000個のミクロンサイズの粒子となって飲料中に放出されます。つまり、紙コップ入りの温かい飲み物を毎日 3杯飲む人は、肉眼では見えないマイクロプラスチックの粒子を 1日に 7万5000個摂取することになります」

私は紙コップなんてほとんど使わないし、たまに使うにしても「冷たい飲み物専用」という認識だった。内心では「これって、時代遅れ扱いされちゃうかなあ」なんて思っていたが、この事実を知ったからには、今後は自信をもって「熱い飲み物に紙コップは合わない」と主張しようと思う。

 

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2020年11月 5日

木枯らし 1号が吹いたそうだが

今日は久しぶりの「リアルの出張」で、富山市で一泊である。「リアルの出張」なんて妙な言葉を使ったのは、最近は COVID-19 の影響で直接のコンタクトを避けるために、ネットの対話で済ませるケースが多くなっていたからだ。

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そんなわけでいろいろ立て込んだので、「昨日木枯らし 1号が吹いた」という 1日遅れのニュース(参照)をネタにする。、ちなみに「東京地方の木枯らし 1号」というのは 10月半ばから 11月末までの間に冬型気圧配置となり、風速 8メートル以上の冷たい風が吹いた時にのみ使われる用語なのだそうだ。

そして昨年と一昨年はこの条件に当てはまる風が吹かなかったため、木枯らし 1号は 2年続けて「発生せず」と記録されている(参照)。2年続けて発生しなかったのは、少なくとも 1951年以後ではこれが初めてのようだ。

ところで私が故郷の山形県酒田市から上京したのは、18歳の春を迎えた 1971年だった。最初の年の春は「さすが関東、山形県と比べたらずいぶん暖かい」と思ったものである。

その前年、山形県酒田市の月間平均気温はこんな具合だった。

1970年 1月 0.2℃、4月  8.5℃、8月 24.6℃、11月 8.1℃

翌年に東京で迎えた月間平均気温は以下の通り。酒田より 2~5℃ も高く、とくに冬が別世界である。12月になってもあまり暖かいので、マジで冬とは気付かなかったほどだ。

1971年 1月 5.1℃、4月 13.5℃、8月 26.7℃、11月 11.9℃

そして 1975年頃から東京の三多摩地区に住むようになると、さすがに少しは冬の寒さが感じられるようになった。気象庁のサイトではこの頃の多摩地区の詳しいデータは表示されないが、都心より 2〜3℃ 低いという実感で、冬の夜は身を切るような木枯らしに震えた。分厚い羽毛布団を買ったのはこの頃である。

そしてつくばの地に引っ越した 38年前の当地の月間平均気温データはこんな感じ。

1982年 1月 3.0℃、4月 11.8℃、8月 24.7℃、11月 11.3℃

冬は筑波降ろしが冷たく、「さすがに茨城県は北関東だわ!」と思ったのを覚えている。そしてそれから 10年単位でこんな具合に変わる。

1990年 1月 1.4℃、4月 12.7℃、8月 26.7℃、11月 12.1℃

2000年 1月 4.8℃、4月 12.6℃、8月 26.3℃、11月 10.6℃
(真冬がそれほど寒くはなくなった)

2010年 1月 3.6℃、4月 10.7℃、8月 28.2℃、11月 10.5℃
(夏は酷暑の様相になっている)

そして去年のつくばは、以下の通り。

2019年 1月 3.0℃、4月 12.3℃、8月 27.4℃、11月 11.2℃

38年前の1982年と比較すると、夏の気温がずいぶん上がった。過ごしやすいのは春と秋だけである。

約半世紀前に高い金を出して買った分厚い羽毛布団は、30年ぐらい前までは年間 3か月は使っていたが、今は本当に寒さを感じる 1ヶ月足らずである。これはもう、様変わりと言っていいだろう。地球温暖化はまさに実感である。

 

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