カテゴリー「世間話」の431件の記事

2022年12月14日

質屋の高級ブランド品ビジネス

質屋のチラシが投函されていた。紹介されているのは数々の「質流れ品」で、いわゆる「高級ブランド物」のオンパレードだ。

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ローレックスの腕時計 5,980,000円を始め、シャネルのバッグ 358,000円、カルティエのピアス 178,000円、ウィスキー(山崎 18年)128,000円、ルイ・ヴィトンの財布 64,800円等々・・・。今は昔の、バブル時代を彷彿させるものばかりである。言うまでもなく、すべて私の興味の範疇外。

こうしたチラシや広告を目にする度に、こんなもの、誰が質屋に持ち込んで、また誰が買うのだろうと不思議でしょうがなかったが、先日のラジオを聞いていて少し合点がいった。

登場したのは「ギャンブル依存症」対策を行う団体の代表を勤める女性で、この人は自分自身がギャンブル依存症経験者である。そしてそれを克服してからも、その代償として「浪費依存症」にとりつかれた時期があったらしい。

とにかく必要でもないブランド品を買い漁り、2〜3度使ったらすぐに質に入れて、また別の物を買うという繰り返しだったという。当然ながら借金の山となり、返済するのが大変だったと語っていた。

高級品を質屋に持ち込むというのは、こんなようなケースが少なくないのだろう。そしてその質流れ品を買いたがる第二段階の「浪費依存症」といった人たちもいるわけだ。このような構図で、質屋の高級ブランド品ビジネスは成立すると考えられる。要するに「ビョーキ」の産物だ。

私の感覚では、時間を知るだけなら数千円の腕時計があればこと足りるし、それ以上の機能を求めたとしてもスマート・ウォッチがあれば十分だ。自分のもっている Apple Watch (3〜4万円だったかな)でも贅沢品だと思っているほどなのに、百万円超の腕時計なんて考えも及ばない。

私とはほとんど無関係の世界では、「幻想」と「あぶく銭」が激しく行き交っているみたいなのである。世の中、すごいものだなあ。

 

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2022年12月12日

今年の漢字は「戦」なんだそうだ

恒例の「今年の漢字」というのが京都の清水寺で発表された(参照)。「」という文字だったというのは、多くの人が納得するだろう。ウクライナ戦争もまだ続いていることだし。

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このイベントは「漢字能力検定協会」(本部:京都市)が 1995年から開始したもので、毎年 12月 12日に発表されるという。最初の年は「阪神・淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」で震え上がったせいで、「震」という漢字が選ばれた。これはさすがに納得だろう。

今年選ばれた「戦」という漢字は、2001年に続いて 2度目であるらしい。21年前は「アメリカ同時多発テロ事件」や、米国による「アフガニスタン侵攻」といった事件があったことを反映しており、その時に書かれた「戦」の文字はこんな具合だった。

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同じ森清範貫主が書かれたものだが、今年とは書体が違う。21年前の「戦」とは中身が違うから、書体だって当然変わるということなのだろうか。

ちなみに過去 5年を遡ってみると、漢字とトピックはこんな具合だったようだ。

こうしてみると、今年の「戦」というのは、最近では最も「取って付けた感」のない、まともな選考と言えそうだ。昨年の「金」は 4度目(4度ともオリンピックのあった年)だし、「北」という漢字になった 2017年なんて、「もう少し何か気の利いた字があるだろうよ」と思った記憶があるもので。

そして最後に恐る恐る書かせていただくのだが、ずっと「今年の漢字」を墨書されている森清範貫主という方の書って、私如きには達筆だか何だか理解できないのだよね。(・・・ 大変失礼致しました!)

 

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2022年11月15日

七五三を巡る冒険 その 2

今日は七五三の日。朝から降っていた雨が昼前には止んだので、七五三参りの家族たちも何とか濡れずに済んでいるだろう。

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5年前のこの日の「七五三を巡る冒険」という記事でも書いたように、我が家は娘が 3人なので 6回も七五三参りをした。ごく質素に済ませたのだが、茨城県のこの辺りというのは、七五三を盛大に祝う家が多かったのである。

何しろ連れられている子供たちの姿を見ると、まるで「バカ殿」か「あんみつ姫」をさらにド派手にしたような衣装が多い。よくまあ気恥ずかしくならないものだと感心しながら見ていたものだ。

さらにお宮参りばかりではない。この辺に昔から済んでいる家族というのは、七五三に合わせて親族一同に料亭に集まってもらい、「披露宴」みたいなことまでするらしい。そこで飲めや歌えの宴会になり、子供たちは何だかわからないうちに晒し者にされるわけだ。

我が家は 1980年代にこの土地に移ってきた、いわゆる「新住民」なので、そんな世界には幸いにも縁がない。ただ、この土地で生まれ育ったいわゆる「旧住民」の知り合いに聞くと、七五三祝いの「ご祝儀」を包むのが大変で、奥さんのパートの収入があっという間に飛んでしまうらしい。

そう言えば、この辺りでは「ひな祭り」や「鯉のぼり」も大変なことで、親戚に男の子が生まれると、その親族の序列に従ってそれぞれの家が鯉のぼりの鯉を贈らなければならないのだそうだ。そのため、もらった鯉を上げるにも柱だけでは足りず、柱に逆V字型にロープを付けて、2列にして上げる。

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上の写真のようなのはさすがにこの辺りでも珍しいが、たまに見かけないわけでもない。ロープが 3本で「逆W字」みたいになっていて、さながら「鯉のぼりの大家族」である。よほど親戚が多いのだろう。

ところがこうした「鯉のぼりの大家族」も、その家の子どもが育ってしまうと行き場を失い、年に一度、川原などに集められて「虫干しイベント」となる(参照)。そんなわけで、この辺りの川原は 4月末頃から「鯉のぼりの団地」のような様相を呈する。

最近はコロナ禍の影響で「七五三の披露宴」も行われなくなっているようだ。これを機に「出費がかさむだけの無意味な行事は止めとこう」ということになればいいのだがと、多くの旧住民も心の内では思っているらしい。

 

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2022年11月 1日

「トー横」で、マット敷いて寝袋で寝る若者

"えのげ" というブログに【「一年中ハロウィンか?」・・・新宿の "トー横"、ついに布団を敷いて寝る若者が現れるwww】という記事がある。新宿歌舞伎町の旧コマ劇場跡にできた「新宿東宝ビル」周辺を、近頃は「東宝ビルの横」というココロで「トー横」なんて言うらしい。

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若い頃はホーボー気取りで日本中を放浪し、駅裏だろうが公園だろうが、どこででも寝袋で寝ていた私としては、写真を見て「別に、フツーじゃん。いや、ふかふかのマットを敷いてるだけ、ちょっと贅沢か?」なんて思ってしまったが、実はその背景にはちょっと複雑な事情があるようなのだ。

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婦人公論.jp が 10月 28日付で ”トー横、売春、脱法ハウス ・・・ コロナ禍の「ステイホーム」で居場所をなくした少女が向かう先” という記事を伝えている。

この記事を書いたフリーランス・ライターの樋田敦子さんによれば、SNS で住まいがないと訴える女性に「住むところを提供するよ」と返信し、トー横で待ち合わせをするというケースが増えているらしい。ただ、こんなのは風俗のスカウトに決まっているから、信じちゃいけない。

彼女がトー横の現場取材で出会ったのは、「ジーンズにTシャツ姿」で、”トー横キッズ” らしくないメガネをかけた少女だった。彼女は、在宅勤務でいつも家にいる強圧的な父に耐えきれず、「友達の家で勉強してくる」と言って家を抜け出したのだという。

彼女は歌舞伎町が怖いところというのを十分認識していて、「大丈夫、そんな男性にはついていかないから。今日はもう少し町をぶらぶらして帰るつもり」と言い、実際にしばらく話すと駅の方に歩いて行ったという。

これはずいぶん「健気な例」なのだろうが、中には「パパ活」(要するにほとんど「売春」ね)で稼いだ金でビジネスホテルに泊まる少女も少なくないらしい。悪いパパがいるものだ。彼女はこう続ける。

両親がいても、貧困でなくても、家に居場所がない 10代の少女たちはいる。家庭、学校のほかに第三の居場所が必要だと、これまでもずっと言われてきたが、第三の居場所がないとしたら、彼女たちはどこに行くのか。

さらに「家に居場所がない」どころではなく、家族からの虐待を受けてトー横に避難してくる来る若い女性も少なくないという。

私の若かった頃は学園紛争で大学が長期間にわたってロックアウトされていたこともあり、バイトと放浪のし放題だった。寝袋担いで放浪しながら金とは無縁のカウンター・カルチャーを謳歌できていたわけで、ある意味「いい時代」だったかもしれない。

ところが最近は、寝袋が「逃避」の道具になってしまっているのだね。いつの時代にも「ヤバい状況」というのはあるものだが、近頃はそうした状況が広まっているのかもしれない。

 

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2022年10月29日

それって、「郵政の劣化」なんだろうか?

最近、ネット界隈で蓉堂居士さんという方の「郵政が劣化していて怖すぎた」という tweet がちょっとした話題になっていた。郵便局で普通サイズの封筒を出そうとしたら、神戸から京都まで 2日、東京までは 5日かかると言われたというのである。

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ただ個人的な実感では、茨城県内宛ての普通郵便でも午後の投函だと翌日配達は無理なので、神戸から京都なら大阪府をまたぐし 2日でも別に驚かない。「明日中には無理だけど、明後日なら届くのね」ぐらいに考えれば、それほどイラつかなくて済む。

さらに神戸から東京まで 5日というのも、郵便局に行ったのは 10月 26日(水)の午後のようだから、「週末にかかっちゃうから、それも仕方ないよね」と思う。月曜か火曜に出したら 3〜4日で届くと思うが。

この tweet 自体にも、Bugei さんという方の「郵便局が劣化したのではなく、適正なサービス対価に対して適正な人員配置と従業員の働き方を合わせたら配達日数が長くなった、という良い傾向では?」というコメントが付いている。サービスに対してそれなりの対価を払うのは当然というのである。

私もこの見方におおむね同感だ。土曜も日曜もなく、さらに夜間労働の世話になってまで「普通郵便」を素早く届けろというのは、ちょっと申し訳ない気がする。

今どきは、内容だけ伝わればいいというならインターネット・メールというものがあるし、「日本人のデジタル化への頑迷な抵抗のエビデンスとして悪名高い FAX」(参照) もある。定まった書式の印鑑や署名入り文書などを急いで郵送しなければならないなら、速達書留で送ればいい。

送付の仕方が多様化しているのだから、最適な方法を選ぶことができる。昔は郵送が圧倒的に多かったが、最近はインターネットのおかげでほとんど無料で済むケースが多いから、たまに速達や書留の料金を払ったところで、トータルではずっと安上がりだ。

何だかんだと言う人は言うが、頭がクラクラするほどの炎天下や冷たい雨の中でも、赤い原付でシコシコ配達してくれている配達員の姿を見ると、私としては贅沢は言えなくなってしまうのだよね。

日本ではたまに間違いは生じることはあっても、ほとんどの場合ちゃんと届くのだから、むしろありがたいと思う方が精神衛生のためにもいいと思っている。

 

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2022年10月26日

日本人の「電報好き」を巡る冒険

ちょっとだけ旧聞だが、New York Times が 9月 9日付で "How Do Japanese Show They Care? By Sending a Telegram"(日本人はどのように気持ちを表すか? 電報を送ることで)というおもしろい記事を載せている。

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サブタイトルは、「日本では今でも毎年何百万もの電報メッセージのやり取りで、よりモダンな通信では不可能な祝意や弔意を示している」という、ちょっと意表を突いたものだ。何だか「東洋の神秘の国」みたいな感覚になってしまいそうである。

記事の最初に紹介されているエピソードは、東京の警備会社で働く菅野浩史さんが今夏結婚式を挙げた際、義理の両親を感動させるために、社長に「祝電」を送ってくれるように頼んだというもの。まあ、日本ではよくある話である。

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その社長からの祝電がキティちゃんの縫いぐるみ付きだったというのには、現役日本人の私も正直驚いた。何とまあ、昨今はそんなことになってるのだね。新婦アスカさん(日本語表記不明) は「セレブになった気分でした」なんて妙に盛り気味にコメントしているわけだが。

同紙は「電報は "Roaring ’20s" (狂騒の 20年代)を思わせる通信形式だ」としている。要するに「100年も前の通信手段」ってことだ。

とは言いつつも日本の現状に関しては、「日本人のデジタル化への頑迷な抵抗のエビデンスとして悪名高い FAX とは違い、電報は礼儀を尊ぶ国民性のシンボルである」と持ち上げている。ただ「当然、電報の申込みは FAX で可能」と付け加えるのを忘れず、きちんと笑わせてくれるわけだが。

その上で、次のような評価には「なるほどね」と納得だ。

ある年代の多くの日本人にとっては、まさにこの過剰で儀礼的でノスタルジックな(電報という)メディアそのものがメッセージなのだ。

さらに、少なからぬ政治家が統一教会系の行事に祝電を送ったりしていたことに、さりげなくもしっかりと触れて、その複雑怪奇な意味合いにまで言及している。この辺りは、さすが New York Times だよね。

ちなみに私自身はここ 10年以上、祝電も弔電も打ったことがない。結婚祝いはメールや Facebook への書き込みで十分なので、今後も打つことはないだろうが、遠方の知人が亡くなったりしたら、遺族のメルアドなんて知らない場合が多いから、弔電を送ることはあるかもしれない。

調べてみると今どきの電報は D-MAIL なんて言って、(別に FAX でなくても)web 上で申し込めるようだ。裏側ではインターネットで動いていて、印刷されて届くときだけ「電報の形」になる。なにしろ「メディアそのものがメッセージ」だから、この「形」こそが重要なのだ。

試しに弔電の申込みページを見ると、キティちゃんならぬ、お線香やプリザーブドフラワーなどとのセットで 1万円以上なんて「定番商品」もザラのようなのである。何とまあ、知らないところでいろいろスゴいことになっていたのだね。

同紙が日本人の電報に関して「過剰で儀礼的でノスタルジックな」と言っているのは、決して「過剰な表現」じゃないのだと、さらなる実感で納得してしまったよ。 

 

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2022年10月19日

参勤交代の裏事情

Japaaan のサイトに ”江戸時代の制度「参勤交代」の宿事情と排泄事情。大人数で長旅となると…” という記事がある。確かに大人数で「下に〜、下に〜」と練り歩くだけに、下(しも)の方の事情もなかなかビミョーなものがあったようなのだ。

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まず、大名行列の規模はどのくらいだったのかというと、次のように書かれている。

1615年の武家諸法度では、20~100万石の大名は20騎以下、10万石以下の大名は分相応、となっています。さらに、1万石以下の場合は騎馬3、足軽20、人足30という少なさでした。

なるほど、石数によっていろいろだったのだね。加賀百万石の大名行列なんて、人数にして 4,000人に達したというのだから、経費負担も相当のものだったはずで、謀反を起こすための蓄財なんてできるわけがない。江戸幕府の政策というのは、基本的に「歴史を動かさない」ことにポイントがあったようだ。

さて肝心の「排泄事情」だが、大名の排泄物に限っては、「途中で捨てるのではなく、江戸か国に着くまで持ち運んだ」とされている。「大名のような高貴な人の排泄物を人々にさらさないため」だったというのだから、「歴史を動かさない」ために無駄なことまでする配慮は、隅々にまで及んでいた。

それでは、大名行列はどのくらいの日数を要したのかということだが、nippon.com というサイトの「江戸から近い藩、遠い藩の日程・ルートを比べると…」というページには、次のような表がある。

距離 日程
 加賀藩(前田)/ 金沢城  119里(464.1km)  12〜15日
 仙台藩(伊達)/ 仙台城  92里(358.8km)  8〜9日
 鳥取藩(池田)/ 鳥取城  180里(702km)  約22日
 萩藩(毛利)/ 萩城→山口城  267里(1041km)  21〜29日
 宇和島藩(伊達)/ 宇和島城  255里(994.5km)  約30日
 薩摩藩(島津)/ 鶴丸城  440里(1716km)  40〜60日

常陸・下妻藩(ウチからさほど遠くない)の場合は二泊三日程度で済んだようだが、仙台藩は 8〜9日を要した。さらに江戸から最も遠い薩摩藩となると 40〜60日もかかり、そっち方面の担当の人足は下手すると 2ヶ月もお殿様のウンコを担ぐことになる。さぞかし香しかっただろう。

さらに言えば、駕籠に乗って延々と運ばれる大名も楽ではなかったはずだ。どこかの博物館で、参勤交代で実際に使われた駕籠というのを見たことがあるが、いくら昔の人は小柄だったとは言え、驚くほど小さかったという印象がある。図体の大きな私なんかは、到底収まりきれない。

飛行機で欧米に行くときなど、狭いエコノミー・クラスの席で 5〜6時間じっとしてるのも辛く感じる私としては、江戸の世の大名なんかに生まれつかなくて本当によかったよ。

飛行機にはトイレもあるしね。

 

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2022年9月17日

おばちゃん行動学(自転車に乗らず押して歩くとか)

基本的に自由業で、とくにコロナ禍以後は在宅ワークばかり多いので、日常の買い物を引き受けることが多く、真っ昼間から近所のスーパーなどに出かけたりしている。そこでいろいろ気付くことが多いのだが、とくに「おばちゃん(あるいは、おばあちゃん)」の行動って、なかなか興味深いところがある。

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画像は Dayly Potal Z
自転車のおばちゃん乗り東西比較調査」より拝借

まず最初に気付くのは、日中のスーパーの客って、じいさんばあさんばっかりということだ。ほぼ全員が白髪頭で、半分は腰が曲がり、商品の陳列棚の前にずっと立ち止まったまま迷ったりしている。甚だしくは 1点ずつ手に取って賞味期限を確認する作業を続ける間、ほかの客が延々と待たされる。

そして最後に、自分で精算できる「セルフレジ」が空いていても、有人レジの列に並び、体をキャスター付きカートにもたれさせて順番を待つ。日本が高齢化社会にあるというのが、しみじみと実感されてしまう光景だ。

ところが午後 6時半過ぎになると、様子がガラリと変わる。平均年齢が下がり、勤め帰りの若い人たちが多くなるのだ。何が違うって髪の毛の色が一変し、ほぼ全員が黒髪だ。腰もすっきりと伸び、行動もテキパキしていて、後ろで待たされるということがない。

ちなみに、おばちゃん(あるいは、おばあちゃん)の行動のおもしろさは、買い物の行き帰りにも現れる。自転車での買い物だと、あの有名な「おばちゃん乗り」が見られるのである。自転車の左側からペダルに左足をかけ、右足でケンケンして助走をつけてからひょいとサドルに腰を降ろすってやつだ。

スーパーの敷地内から車道に出るときにも、わざわざきちんと自転車から降り、安全を確かめてから再びおもむろにおばちゃん乗りをする。信号で停まる時も同様で、とにかく驚くほどマメに自転車から降りる。

ところがそれ以上に驚いてしまうのが、そもそも自転車に乗らず、「ずっと押したまま歩く」というパターンだ。スーパーから自宅までの帰り道、とにかく自転車を押したまま、ひたすら歩くのである。念のために書いておくが、行きつけのスーパーの周辺には坂道がほとんどなく、真っ平らな道路だ。

「一体、何のために自転車で来てるんだ?」と不思議に思ってしまうが、妻に言わせると、「あれは自転車が、台車と杖の役割をしてくれてる」ということらしい。「あの人たちにとっては、自転車は決して乗り物ってわけじゃないのよ」

買い物袋を手にぶら下げたら重くて、体の重心も不安定になる。しかし自転車のカゴに入れてしまえば重くないし、自転車を「車輪付き杖」として頼れるから安心だというのだ。私としては、「はあ!」と感動するばかりである。

世の中、聞いてみないとわからないことというのが、案外多いのだ。

 

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2022年9月14日

辛坊治郎という人の「自己矛盾」に関する考察

東スポ web の 9月 13日付に ”辛坊治郎氏 国葬招待状届かず激怒「安倍さんが生きていたら絶対来てる」” という記事がある。国葬招待状が政治評論家の田崎史郎氏には届いているのに、自分に届いていないことに「非常に悔しい思いをしている」というのである。

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私はテレビをほとんど見ないので、辛坊治郎という人がどんな人なんだか全然知らず、よほどのジイさんの言い草かと思ったのだが、記事に添付された写真を見るとそうでもない。「へえ!」である。

記事の中で辛坊氏は「安倍さんが生きていらしたら、安倍さんが差配する立場なら私のところに招待状は絶対来てると思うんだけど」なんて言っている。安倍さんと仲良しだったのをよほど自慢したいみたいだが、そもそも生きてたら葬儀は発生しないのだから、譬え話にしても唐突過ぎるよね。

記事の末尾には、”招待状が来ない理由については「こないだ関西の番組で、国葬についてあまりポジティブな発言をしなかったから、その辺が伝わっちゃったかな?」と自己分析していた” とある。

この件については、すぐ下に「関連記事」として ”辛坊治郎氏 安倍元首相国葬の是非に「国葬そのものが大っ嫌い」「嫌いはしょうがねえだろ!」” というのがあるので、つい読んでみた。同じ東スポ web の 7月 31日付の記事なのだが、それによると彼は、読売テレビの番組でこんなことを口走っている。

「国葬そのものに賛成か?反対か?聞かれりゃ、大っ嫌いだ、俺は! 俺世の中で一番嫌いなものは、北朝鮮の金日成の銅像っていうのがあるんだけど、ああいう国家権力の発露の仕方が大っ嫌いで。国葬も同じ匂いがするから俺は基本的に嫌いなんだよ」

「だから安倍さんの国葬をどうするかどうかっていう議論は俺はしたくない。国葬自体が嫌いなんだから、嫌いはしょうがねえだろ!」

「あまりポジティブな発言をしなかった」なんてレベルではなく、極端なほどネガティブな言い草である。よほど国葬が嫌いのようなのだ。

ところが 1か月半経ってみると、その大嫌いな国葬への招待状が来ていないことでムカついている。近頃珍しいほど単純な自己矛盾である。

話の筋をシンプルに整理すると、こんなような馬鹿馬鹿しい流れでしかない。

  1. 国葬が「大っ嫌い」
  2. 生前の安倍さんとの仲良し関係が自慢の種。
  3. その安倍さんの国葬招待状が届かない。
  4. それでムカついている。

明らかに見えてくるのは、「生前の安倍さんと仲良しだったことを自慢したい」という欲求があまりにも強すぎて、自らの「国葬、大っ嫌い」意識を完全に上回ってしまったということだね。この人って、そういう人のようなのだ。

昔は東スポを愛読紙としていた私だが、最近はプロレスへの関心が薄れて(スーパー・ササダンゴ・マシンは別)、ほとんど読まなくなった。しかし、この問題に関する取り上げ方では東スポ web が最も端的にわかりやすい(前発言との明確な関連付けなど)ので、なかなか油断できないと思ってしまったよ。

 

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2022年8月21日

国税庁的には「サケビバ」(sakebiba)なんだそうだ

当ブログでは今月 12日に "酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト" という記事を書いたばかりだが、一方で国税庁は "日本産酒類の振興・発展を考えるビジネスコンテスト 〜サケビバ!〜」" というのを実施中なんだそうだ。要するに、若者の飲酒促進キャンペーンである。

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これ、一般から募集した国産酒類消費促進策をコンテストにかけ、入選作をさらにブラッシュアップして、実際のプロモーションにもっていこうということらしい。上の画像がそのキャンペーン・サイトのトップページの画像だが、どうするとこんなおいしくなさそうなデザインにできるのか、不思議だよね。

さらに "sakebiba.jp" という URL が笑っちゃうほどダサい。「叫び場」じゃあるまいし、「フツー、"sakeviva" でしょ」と言いたくなってしまうじゃないか。

Facebook にお酒プロモーション、”Sakeviva” (正体不明)というのがあるので、カブらないための配慮なのかもしれないが、もしそうだとしたら「サケビバ!」という元々のネーミングからして避けるべきだよね。あるいは国税庁のエラいさんが「サケビバ!」を気に入って、頑として譲らなかったのかなあ。

いずれにしても若者向け飲酒キャンペーンを国が主導するなんていうのは、国際常識的にはあり得ないことである。政府機関が "Sake Viva!"(酒、万歳!)なんて名前のプロモーションをすると聞いたら、フツーの反応では「えっ、ウソでしょ!」ってことになるはずだ。

下の画像 2枚は、BBC と New York Times のこの件に触れたニュースへのリンクだが、いずれも「日本は経済成長のため、若者がもっと酒を飲むように煽っている」という書き方になっている。ストレートではないが、「日本、ついに焼きが回っちゃったか ⁉」という感覚が伝わってくる記事だ。

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(8月 22日 追記)
この記事は日本語になっていると、後で知った。こちらをどうぞ。

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こんなような取り上げ方をされるのも仕方のないお話で、要するに元々からして、かなり聞こえの悪い話なのである。お役人たちはそれを理解できなかったようで、日本はどこまで行っても「東洋の神秘の国」なのだね。

【2022年 8月 22日 追記】

記事中で「Facebook にお酒プロモーション、”Sakeviva” (正体不明)というのがあるので・・・」と紹介しているが、この "Sakeviva" という Fadebook ページには「連絡先」として "http://jo-jima.com/ec/sake/blog/" というのが記されている。

ただ「正体不明」と但し書きを付けた通り、これをクリックしても「くるりんぱ」というサイトに飛んで「お探しの記事が見つかりませんでした」と表示されるばかりだ。で、この「くるりんぱ」というのもまた「正体不明」で、アヤシ過ぎる。

私としては、この記事のコメントにも出てきた「株式会社パソナ農援隊」というのが関係していて、この会社が今回、この名前のプロモーションを国税庁にもちかけ、自ら事業運営事務局として収まって利益を得てるんじゃないかとまで疑がい始めている。(そうじゃなかったら、ごめんなさい)

とにかく、この「サケビバ」周辺、なんだかきな臭い。Facebook の "Sakeviva" は 2016年 7月 5日にスタートしているが、2018年 4月 24日以来更新が途絶えていて、そのうち削除される可能性もあるので、一応 こちら に魚拓を取っておいた。

それから、どうでもいい話だけど、BBC の記事に使われてる写真、いかにも日本人らしい「吊り目」のモデルをしっかりと選んでるよね。

 

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