カテゴリー「世間話」の515件の記事

2026年1月 7日

箱根駅伝で「大根踊り」がテレビに映らないのは

正月 2日と 3日の「箱根駅伝」には東京農業大学が 2年振りに出場していたのだが、名物の「大根踊り」の応援がテレビにはまったく映らなかった。その昔は、沿道の応援団が賑やかに「大根踊り」をする様子がテレビに映っていたので、ちょっと淋しい気がしていたのである。

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「最近の農大は『大根踊り』を捨ててしまったのかな」なんて思っていたのだが、どうやらそういうわけではなさそうだ。実際には「大根踊り」は続けられてはいるが、それがテレビに映らないというだけの話のようなのだ。

本日付の "箱根駅伝「大根踊り」の SNS 投稿削除して──東京農業大学が要請、学生保護が目的" という記事によれば、東京農大はその踊りの模様を SNS などに投稿することを禁じているという。テレビ局はその要請の趣旨に沿い、敢えて中継で映らないように配慮していると考えられるのだ。

記事には「学生保護の観点から、応援団の活動内容について無断撮影および SNS への無断投稿を原則として禁止している」とある。よくわからない話だが、もしかしたら過去に悪意のある投稿がされたことがあるのかもしれない。

私なんかは名物の大根踊りをもっとオープンにする方がむしろ大学の宣伝になるんじゃないかと思うのだが、大学としてはそう考えてはいないようなのだね。

というわけで、「大根踊り」を見たかったら箱根駅伝などのイベント現場か YouTube のサイト にいくしかないようなのである。ちなみに「大根踊り」って、正式には「青山ほとり」というのだね。

【同日 追記】

「もしかしたら過去に悪意のある投稿がされたことがあるのかもしれない」と書いたが、実際に「ローアングルからの撮影」などの悪質な行為があったようだ(参照)。困ったヤツがいるものである。

 

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2026年1月 2日

そう言えば、今年は「丙午(ひのえうま)」なのだね

All About のサイトの 1月 1日付記事【60年に 1度の丙午(ひのえうま)到来…… 出生数 25%減をもたらした迷信の正体と "丙午女子" の本音】という記事で、今年が「丙午」なんだと初めて気付いた。60年前は日本中でかなりの話題だったと記憶しているのだが。

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この国には「丙午年生まれの女は気性が激しくて、夫の命を縮める」とか「七人の夫を食い殺す」とかいう迷信がある。60年前、私は中学校 2年生だったが、その前年から多くのメディアで「来年は丙午なので、女の子が生まれたら大変」なんて面白おかしく取り沙汰されていたのを憶えている。

これ、今なら「性差別」の視点から大変なことになるだろう。当時はいろいろな面でユルかったのだね。

そう言えば大学時代に塾講師のアルバイトをしていた 1975〜6年頃、丙午生まれに当たる当時の小学校 3〜4年生は、その前後の学年より確かに人数が少なかった。それは統計を見ても明らかで、1966年の出生数は約 136万人(出生率 1.58)と、前年比で約 25%も減少している。

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(クリックで別画面に拡大表示される)

もっとも、いくらなんでも当時の出産適齢期に当たる 20〜30歳代が、こんな迷信を信じていたわけじゃない。ただ、女の子が生まれてしまったらジイさんバアさんの世代に歓迎されないという風潮だったから、「産むなら来年以後に」と考えがちだったのだろう。実際に翌年は出生数が急に回復している。

一方、今年が丙午であることに関しては私が昨日初めて気付いたほどだから、ほとんど話題になっていない。マスコミがあまり取り上げていないのは、下手に話題にしたら「少子化が問題になっている昨今、余計なことを言うな」と攻撃されかねないからでもあるだろう。

さらに言えば、今時そんな迷信を気にする人はジイさんバアさんと言われる世代でもほとんどいないしね。

 

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2025年12月31日

今年発売された、最も馬鹿馬鹿しい商品かも

CNET Japan の「外見はロレックス、裏返すとApple Watch -- 異色の時計バンドが登場 富裕層に訴求」という記事を見て、即座に「今年発売された、最も馬鹿馬鹿しい商品かも」と思ってしまった。自分が「富裕層」なんかじゃなくてよかったよ。

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こんなの、もしもらったら Apple Watch の部分だけ取り外して残りは処分すればいいなんて思ったが、よく読むと「価格は 418ドル(6万5000円)から。ステンレススチール製のストラップ単体で、時計本体は含まれない」とあるじゃないか。私の Apple Watch (Series 8: 56,800円)より高い。

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2つの時計抜きで 65,000円

こんな馬鹿馬鹿しいものを考え出すって、どんなメンタリティなのかと思ったが、記事には次のようにある。

このアイデアを考案したのは創業者の David Ohayon 氏。アナログ時計と Apple Watch のどちらを着けるか、毎朝迷うことに嫌気がさしたのがきっかけだという。Smartletがあれば、手首を返すだけで、フィットネス重視の装いからビジネス向けの落ち着いた印象へと切り替えられる・・・

写真を見る限りでは、手首の外側にラグジュアリー・ウォッチを付けて見せびらかし、内側に Apple Watch を付けてフィットネス・データを取るということのようだ。どうしても「見栄」が優先するのだね。

こんな「見栄文化」は避けつつ、蕎麦をすすりながら淡々と年を越そうと思っているところである。三女の夫の実家が手打ち蕎麦屋なので、打ち立ての蕎麦を持ってきてもらえるのがありがたい。

というわけで、年明けもどうぞよろしく。

 

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2025年12月30日

コロナ禍以来、結婚披露宴や葬式が激減して・・・

フリーランスの生活が 30年ほどとなって、上下揃いのスーツを着ることなんてほとんどなくなってしまったが、黒の揃いの「ブラック・フォーマル」ってやつは、いつ葬式があってもいいようにワードローブの奥に眠らせてある。ただ、ここ 4〜5年ほどは袖を通したことがない。

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そんな折も折、槌田さんという方の「今年祖父が亡くなり 10年前に買った喪服引っ張り出したらピッチピチだったから急遽しまむらで ・・・」という tweet (参照)に遭遇した。「ムム、自分もヤバいんじゃないか」と思い、念のため試着してみたところ、フツーに着ることができたので一安心している。

ただ、着用した回数が少ないのでヨレヨレにはなっていないものの、改めて着てみるとさすが 20年前のデザインである。いくらフォーマル用とはいえ何となくご大層すぎるので、もっとさりげないものを着たいと思ってしまった

ただ冒頭で書いたように、最近はブラック・フォーマルを着る機会なんてほとんどない。コロナ禍以来、それなりの規模の結婚披露宴とか葬式とかいうものには出席していないし、着用機会のない服なんて、買ってもしょうがない。

ちなみに我が家の 3人の娘のうち、下の 2人が最近結婚したのだが、どちらも結婚披露宴なんて開いていない。互いの家族の「顔合わせ食事会」をした後に、知り合いに「私たち結婚しました」という通知を出しただけのようだ。世の中、そんな例が増えているらしい。

また知人が亡くなった時も、「葬儀は家族のみで執り行います」といったような通知が来るだけというのがほとんどだ。中にはそこに無理矢理参列する人もいるようだが、私はそこまでしようとは思わないので、喪服の出番は途絶えたままである。

世の中には「こんなことでは淋しい」なんて嘆く人もいるようなのだが、私は個人的には「この方が気楽でいいんじゃないの?」と思っている。盛大な披露宴を開いたカップルがほどなく離婚するなんてことも少なくないし。

葬儀に出なければならない事態になったりしたら、ありあわせの黒の上下に黒のネクタイさえすれば OK だよね。上に紹介した tweet を読んで、そう確信した。

 

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2025年12月21日

横断舗道手前でせっかく停車してるのに・・・

TBS NEWS DIG に "「これって違反?」横断しようとした歩行者が「お先にどうぞ」と合図…車は進んだらどうなる?進んでいいの?" という記事がある。クルマを運転していてせっかく横断歩道手前で停車してるのに、歩行者がウジウジして渡り始めてくれないことって実際によくあるよね。

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横断歩道で渡りたそうにしているくせに実際に渡らないというのは、私の経験で言えば女性、とくに年配の女性に多い。両側から来たクルマがせっかく停車して待っているのに、なかなか渡ろうとしないので余計な手間がかかってしまうのだ。

さらに言えば、こちらが歩行者の立場で横断歩道を渡ろうとしている時に、女性、そしてこれもとくに年配の女性が運転するクルマというのは停まってくれないことが多い。反対車線で男性の運転するクルマがしっかり停まってくれているのに、減速すらせずに平気で通り過ぎてしまうのである。

決して「女性差別」のつもりで書いているわけじゃない。こればかりは命に関わることだから、「差別」なんて次元の話を持ち出されても困る。「男女平等」の建て前のために事故に遭うなんてご免だし。

ここでようやく女性の問題から離れて、横断歩道で歩行者がお先にどうぞみたいな態度を示したとき、ドライバーとしてはどうすればいいかということに戻る。最初に触れた記事は、この結論に至るまで結構長々と前置きが続くのだが、ようやく 4ページ目に至って次のような記述がある。

警察によると、違反になる可能性が高いのはこんな時!

「車両が横断歩道の直前で一時停止せずに進んだことで、横断中の歩行者を立ち止まらせてしまった場合」だということです。

この場合は歩行者が「お先にどうぞ」をしてくれたとしても、違反になる可能性があるのです。

どうやら「お先にどうぞ」の合図をしたくせに、行きがかり上みたいな感じで渡り始める歩行者もいるようなのである。アブナい、アブナい。

というわけで、とにかく横断歩道では歩行者を渡してしまわないと違反になってしまうことが多いらしいのだ。しかし「違反にはならないケース」として、5ページ目にこう書いてある。

警察は「横断歩道の付近にいる歩行者に横断する意思がない」場合は違反にはならないとしています。

警察は「横断歩道のそばの歩行者に『繰り返し先に通過するよう譲られた』場合、「歩行者に横断する意思がないと認められる場合」に該当すれば・・・ と言いますが、やはり難しい!

確かに判断が難しい。前述の如く「お先にどうぞ」の合図をしたくせに渡り始めるなんて訳のわからない歩行者がいるというのだから、よほど慎重に見極めなければならない。

警察は(立場上、やらら慎重に)「一概には言えない」としながらも、「少なくとも『横断歩道直前で車両が一時停止をして何度も手振りなどで歩行者に横断するよう促しているにもかかわらず歩行者が横断しない』といった状況は必要」と言っているらしい。いやはや、面倒にもほどがある。

こうなったら、「渡るつもりがないなら、横断歩道の手前に立たないでくれ」とか「立つなら、後ろを向いててくれ」ぐらいのことを言いたくなってしまうよね。

頼むぜ、オバさん。

 

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2025年12月 8日

都会のホームレスが激減しているんだそうだ

ルポライターの國友公司さんが PRESIDENT Online に寄せた「だから若者は "路上生活" に落ちずに済んでいる…都会のホームレスが 10分の 1に激減した 3つの理由」という記事を興味深く読んだ。都会のホームレスが減っているのは薄々感じてはいたが、この記事で初めて確認できた。

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いわゆるホームレス=路上生活者は減りつつあるのだが、それでも上野駅周辺で暮らすホームレスは、今でも 50人はいると國友さんは見ている。そして昨年 2月の上野公園内の炊き出しには、150人以上のホームレスが列をなしていたというのである。

私は「ホームレス」にはなったことがないが、学生時代にはリュック一つで日本中を放浪し、もっぱら駅や公園で寝泊まりしていた。そのため警察にはいわゆる浮浪者と一緒にされてしまったこともあって、印象的にはまんざら「別世界」というわけじゃない。

ただ、最近は山谷なども「ドヤ街」というイメージではなくなり、外国からの若い旅行者が寝泊まりしたりしているという。確かに昔とは違ってきているのだ。

筆者は路上生活者が減少している要因として、「高齢化により亡くなった人が増加」「ここ最近の夏の異常な暑さ」というシンプルな理由のほかに、次のような 3つの理由があるとしている、

  1. 路上生活者が生活保護を受けやすくなった
    2009年頃からのリーマンショックによる不況で貧困が「可視化」され、役所は生活保護を求める人たちを門前払いしにくくなった。

  2. 路上生活者の寝る場所がなくなってきた
    繰り返される再開発で、路上生活者が寝泊まりするための「都市の空白」がなくなりつつある。

  3. 路上からネットカフェやシェアハウスへ
    路上生活を回避して寝泊まりする術が増えた。

なるほど、3番目の「ネットカフェの増加」というのはかなり大きな要因だろう。何しろコーヒー一杯で夜通しいられるのだから、路上で寝る必要がない。ただ 50年前にネットカフェみたいなものがあったとしても、私はやっぱり駅や公園で寝ていただろうなあと思ってしまう。

こうしてみると、上野公園の炊き出しに集まるような人たちは「古典的なホームレス」(私はさながら「古典的な放浪者」だった?)ということになるのかもしれない。若い層は別のスタイルを選択するようなのだ。

今後は一体どんな風になるのか、想像がつかない。家のない貧困者がまったくいなくなるというのは困難だから、いろいろ姿を変えてサバイバルすることになるのだろう。

 

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2025年12月 5日

町内会のゴミ集積所って、結構恐ろしいかも

X(Twitter)に恐ろしい tweet があったので紹介する。近所のお婆さんがごみを出そうとして「ごみかご」(筆者の町内会ではそう称するらしい)に入ったところ強風で扉が閉まり、出られなくなってしまっていたというのである。危うく助けられ、「凍死するところだったわ〜」と大泣きしてたらしい(参照)。

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私の町内のゴミ集積所は上の写真右側のような立派なものじゃなく、出されたゴミ袋をネットで覆うだけの簡単なものなので、閉じ込められるなんて心配はない。しかし鳥に突っつかれてゴミが散乱してしまうようなところでは、確かに「ゴミ小屋」と呼びたくなるような立派なのがあったりする。

私はこれまでこうした「ゴミ小屋」を見かけると、「へぇ、ずいぶん金かけてるんだな」と思うばかりだった。ただ、こんな話を知ってしまうと「こんな危険なところのあるもの、金かけてまで作るのか」と疑問を感じてしまう。

あるいはどうせ金をかけるなら、中からも容易に開けられるような作りにすべきだろう。そうでないと、冬の夜などに閉じ込められて凍え死んだバアサンが、化けて出てきかねない。

ただもう少し深く考えてみると、中からはあまり簡単に開かないような仕掛けの作りの方がいいのかも知れない。というのは秋田辺りだったら、生ゴミをあさろうとして入ったクマを生け捕りにできるからだ。

いや、もっと深く考えると、この程度の「ゴミ小屋」では簡単に破壊されてしまうだろうから、やっぱり鉄の檻みたいなものでなければダメか。そうなると、「ゴミ小屋」もやたら金のかかるものになりそうだ。一台 17万円ぐらいするらしいからね(参照)。

 

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2025年12月 1日

「柿の種」を「おつまみ」にするオジサンの 3つの特徴

私も大好きな「柿の種」というスナック菓子はいろいろなメーカーから出ているらしいのだが、定番はやっぱり新潟の亀田製菓製だろう(参照)。子どもの頃は家にあるだけ食ってしまって親に怒られたものだが、最近は 6袋詰めの 180g というのがあるので、食べ過ぎるということはない。

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で、この「柿の種」、多くのオジサンと言われる種族にとっては「酒のつまみ」という位置付けらしいのである。家でビールを飲みながらポリポリ齧るものということのようなのだ。近所のスーパーでも、「柿の種」は「おつまみ」として酒の売り場に隣接して並べられている。

ところが私は酒を飲みながらつまみを食うという習慣がないので、この発想には馴染めない。ちなみに多くの西洋人も、酒は酒、食い物は食い物と別物なので、オジサンたちの多くは「西洋人と酒を飲むと、つまみがなくて淋しい」なんてこぼす。まあ、淋しさの最大要因は「言葉が通じない」ってことなんだろうが。

ところで最近知った「柿の種のことなら柿ピー研究家 中倉リュードー」というサイトは「つまみ」という発想には距離を置いて作られていて、酒の匂いがしてこない。これは「本物の柿の種好き」の矜持として素晴らしいことなので、是非オススメしておきたい。

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で、ここからがようやく本日の本題なのだが、「柿の種」を「酒のつまみ」としか思えないオジサンには、3つの共通した特徴がある。私の 70年以上の人生を通じて確信していることだ。

まず、特徴その 1。それは「いつ会っても背広にネクタイ姿」ということだ。その昔、「日本のオジサンは背広とパジャマしか持ってない」なんて言われたものだが、令和の御代になってもそうしたライフスタイルを維持しているみたいなのである。

そして特徴その 2 は、所有するクルマは間違いなく「セダン」ということ。圧倒的に多いのはトヨタのクラウンとカムリだ。私は 2ボックス・タイプとワゴン以外は所有したことがないのだが、彼らはセダン以外の選択肢を想定していないようなのだね。

最後、特徴その 3 は、「艶歌が好き」ということだ。オジサンたちとの会合に出席してつい二次会のカラオケまで付き合ってしまったりすると、艶歌のオンパレードになる。このタイプのオッサンって、節回し豊かにとても気持ちよさそうに艶歌を歌うのだ。上手下手は置いとくとして。

というわけで、「柿の種」をつまみに酒を飲み、いつも背広にネクタイというスタイルでクラウンやカムリに乗っているオッサンには、二次会まで付き合ってはならないと思っているわけである。

以上。

 

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2025年11月18日

コメは慌てて買わずに、年明けまで待てばいい

今月 7日に「年明けに米価が暴落するなんて言われ始めて・・・」という記事を書いたが、引用したのがあの日刊ゲンダイの記事なので、「うぅむ、実際はどうかな?」なんて気も少しはしていた。しかしどうやら実際に、コメ価格の不安定さはコメ農家さえ危惧しているほどのようだ。

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テレ朝 NEWS が昨日付で "コメ農家も困惑「高すぎ」 在庫山積み、それでも価格高騰 集荷競争の現実" というニュースを伝えている。在庫山積みなのに価格高騰というのは、どう考えても尋常なことじゃないから、そのうち値崩れするだろう。コメを買うのは本当に年明けまで待つ方がよさそうである。

7日付の記事にも書いた通り、我が家のコメは年明けまでギリギリもちそうだ。ということは高い米を買わなくても済むという巡り合わせになるようで、ありがたい。

それにしても少なからぬ人たちが無責任な風評に踊らされて、高い米をどっさり買ってしまっているようなのだね。

今となっては半世紀以上前になる 1973年、「オイルショックの影響でトイレットペーパーが店頭から消えてしまう」との噂が爆発的に広まり、世に言う「トイレットペーパー騒動」となった。あの時私は大学 3年生で、東京の国分寺で暮らしていた。

周り中の人たちが必死にトイレットペーパーを買い漁っていたが、私は「トイレット・ペーパーがなくなったら、チリ紙を使えばいいじゃん」と呑気に構えているうちに、いつの間にか店頭はトイレットペーパーであふれかえっていた。世の中って、えてしてそんなものである。

こうした騒ぎには敢えて乗っからない方が賢明というものだ。

 

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2025年11月10日

「お金が嫌い」って、「お金好き」の理解を超えている

先日知人と世間話をしていたところどういうわけかお金の話になり、彼が「お金が嫌いな人なんて、いるわけないんだからさ」と言い出したので、思わず「俺、どちらかと言えば嫌いなんだけど」と反応してしまったところ、どえらく驚かれてしまった。251110a

私としては「お金というのは鬱陶しいし、金勘定するのも面倒くさい」と言うのだが、彼にしてみればそうした反応が信じられないらしい。私はとしてみれば逆に、「お金が好きじゃない」と聞いてそれほどまでに驚く人間がいるということの方に驚いたのだが。

帰宅してからインターネットで「お金が嫌い」というキーワードで調べてみると、結果は「お金嫌い」に関して肯定的なページと否定的なページに、見事なほどに二分されている。そして否定的なページには「お金が好きになるために」という変な意味での啓蒙的なページが多いことに、私はさらに驚いてしまった。

上の画像からリンクされる "「お金が嫌い」「稼ぐの苦手」な人のための 15のタイプ別克服法" というのは、その典型的なものである。こういうのって、私に言わせれば「余計なお世話」もいいところだ。「お金嫌い」って、別に「克服」しなきゃ困るような悪癖ってわけじゃないだろうよ。

その知人は「お金というのは、『お金が好き』という人のところに集まってくるものなんだよ」と力説するのだが、じゃあ、彼の所にはもっと集まってもよさそうなものだよね。逆に言えば「お金が嫌い」な私のところにだって、死なない程度には集まってきてるし。

いずれにしても、「お金が嫌い」というのは「お金が好き」という人間の理解を超えたことのようなのだね。

 

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