カテゴリー「世間話」の484件の記事

2024年12月 2日

「ふてほど」には、「ふてくされるにもほどがある」かも

今、大阪にいる。丹波篠山の仕事先から滞在先のホテルに戻ったばかりだが、ネットを覗いてみると現代用語の基礎知識選「2024ユーキャン新語・流行語大賞」は「ふてほど」に決まったというニュースで一杯だ。見出しだけでは「何それ?」で、正真正銘初めて聞く言葉だ。

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記事本文には "金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」の「ふてほど」が選ばれました" とあるが、ここまで読んでも一瞬ではわからず、数秒考え、「もしかして『不適切にもほどがある』の省略形で『ふてほど』ってこと?」と初めて分かった。どうやらドラマのタイトルのようだが、それすら知らなかったよ。

なにしろテレビなんてほとんど見ないから、ドラマ・ネタとなるとさっぱりわからない。それにしても、今の世の中になって「新語・流行語大賞」がテレビ・ドラマのネタに落ちつくなんて、ほとんど信じられないよ。テレビって、まだそんなに影響力があるのかなあ。

こうなってしまうと、こちらとしては「ふてくされるにもほどがある」という気分になってしまいそうだ。ふてくされついでに、今日はこれにておしまい。

【翌日朝 追記】

この件で、とても呑気なやり取りが「Yahoo 知恵袋」で見つかった(参照)。ふてくされない人も多いのだね。日本が平和なわけだ。

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2024年11月26日

「透析しないと死ぬ」は「透析しないと死ぬ」という意味

X (旧 Twitter)に Earl さんという方が次のような tweet をしておられる(参照)。最初に読んだ時は「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった。何でちゃんと説明してくれなかったのか」というのが理解できず、頭の中が「?!?!?!」になってしまった。

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二度繰り返して読み、これはこの通りの意味なのだと、やっとわかった。トアロさんという方のこのような tweet (参照)を踏まえたもののようなのである。

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これって実際にあったケースのようなのだ。医師はある女性患者に「透析しないと死にます」と説明したのだが、その患者は「手術はしたくない。透析も、もうしたくない」と言い、透析中止の同意書にサインした。

夫も妻の意思を尊重して「本人がいいならそれでいい」と了承。ところが実際に透析を止めた後に妻が死に至ると、夫は病院を訴えたというのである。

まさに「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった」というケースのようなのだ。こうしたことが少なくないため、病院はかなり苦労してしまうらしいのである。

ただ、医者の言葉をきちんと理解した上で「透析しない」と宣言し、その上で「医師の力」ならぬ「意思の力」で生き延びたら、「透析止めても死ななかったじゃないか。デタラメ言われたせいで余計なストレス味わったから、『医者料』ならぬ『慰謝料』よこせ」なんて病院を訴えるのも面白いだろう。

とはいえ「いずれ必ず死ぬんだから、決してデタラメじゃない」なんて言われたら、まさにその通りだから和解するしかないだろうけどね。

ちなみに私個人としては、生きるだの死ぬだのいうことにあくせくし過ぎるのは鬱陶しいと思うようになっている。ほとんど病気知らずで、20年以上元気に 2本のブログを毎日更新し続けていられる(来月 25日で 21年になる)のは、この「ほんの小さな達観」のおかげかもしれない。

最後に蛇足っぽいが、佐々木⋈和守さんという方のコメントにはちょっと笑わせていただいた。

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なるほど、「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っていると・・・」というような「小泉進次郎構文」にもそれなりの意味はあるようなので、そこにそれなりの意味を認めることにはそれなりの意味があるようなのである(チョー進次郎構文)。

 

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2024年11月21日

「スマホでカフェの場所取り」よりスゴい光景

ぶっち🇺🇸アメリカ留学 さんという人が、「隣の席に、場所取りとしてスマホを置いて行った人がいた。どんだけ平和なんよ!とビックリした。これができるのは多分世界中で日本だけですわ」と、カフェでの出来事を tweet しておいでだ(参照)。なるほど、他の国ではまず見られないことだろう。

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ところが実はこの国では、こんなもんじゃない光景も日常茶飯事なのである。日本というのは、不思議なほど平和な国だ。

つくば市内のイオン・モールには無料で座れる電源完備のカウンター席がある。多分他のイオン・モールにもあると思うのだが、出先で PC を使って作業をしたい人には、かなりありがたい空間だ。私なんかも、妻がいろいろ買い物している間にここでブログ書いてしまいたかったりする。

しかしそれは、なかなかままならない。何しろ満席のことが多いのだ。いや、文字通りの「満席」というわけではなく、たいてい 3分の 1ぐらいの席は空いているのだが、その前のカウンターには PC  がしっかりと置きっぱなしで「場所取り」されているのである。スマホじゃなく PC だよ、PC!

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しかも PC ばかりではなく、リュックや本、教科書らしきもの(浪人生か?)のほか、ペットボトルの飲み物、上着、資料の束など、一切合切が結構広いカウンターの上を占領していて、さながら「こちら、私の専用スペースです」といった風情なのだ。エアコンもよく効いて快適だしね。

荷物の持ち主の不在はどうやら「ちょっとトイレ」という程度のことじゃないようで、そのまま 30分以上も戻らないというのがザラだ。おそらく店内のカフェで「お茶休憩」か食事でもしているのだろう。こうなると「平和で増幅された図々しさ」の光景である。ある意味「腹の立つ平和」だ。

さすがにこれには苦情の寄せられたことがあったようで、目の前には「荷物で場所取りなどの行為は、他の利用者さまのご迷惑となりますので、ご遠慮ください」という掲示もあるのに、そんなのどこ吹く風だ。先日はあまりムッときたので、こんなふうに写真に撮ってしまった次第である。

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こんなの、盗もうと思ったらたやすいことだ。ひょいと PC だけ取って逃げたりしたら怪しまれるだろうが、堂々と座席に座って荷物を全部リュックに入れ、まるごと持ってフツーに立ち去ったら、誰も窃盗とは気付くまい。

その間に持ち主が帰って来ても、「ずっと放置してあって邪魔だから、まとめて店の事務所に届けようとしてたんだ」と開き直ればいい。少なくとも大義は相手にない。

さっさと近頃流行りの窃盗団のターゲットになればいいのになどと、不埒なことまで考えてしまう私であった。

 

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2024年11月20日

寒空の下でひまわり満開という奇妙な光景

昨日付の『和歌ログ』でも触れた(参照)ことだが、「どさくさ紛れに冬が来た」と言いたくなる寒さである。高村光太郎の時代の「きっぱりと冬が来た」という感覚とは、ずいぶん違ってしまっている。

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そうした中、近所の花畑ではどういうわけかひまわりの花がズラリと満開だ。上の写真は昨日撮ったもので、決して夏に撮ったものの使い回しではないので、そのあたりなにぶんよろしく。

試しに「冬 ひまわり」の 2語でググってみると、銀座東京フラワーという花屋さんらしき店のブログに「冬でもひまわりはあるんです」と高らかに謳われているのが見つかった。「最近の生花市場では、冬場にも "ひまわり" の流通があり、一年中楽しめる状況になってきています」というのである。

さらに調べてみると「冬のひまわりの名所」というのが何カ所かあるようで、中でも神奈川県の寒川町と座間市のひまわり畑が有名らしい。それぞれ NHK (今月 8日)神奈川新聞(同 17日)が伝えている。

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どうやら「冬のひまわり」のメイン需要は、観光客を呼び込むという点にあるようなのだね。個人的には寒空の下でヒマワリを愛でようという気にはなれないが、世の中というのは本当にわからないもので「何でもあり」が当たり前になってしまったみたいなのだ。

ただ「冬」と「ひまわり」は季語として大げんかしてしまいそうで、俳句にはしにくい光景だろう。

「ひまわりでダウンパーカに衣替え」(川柳)

 

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2024年11月13日

「同人誌」を本気でやると、大変なことになるようだ

私は半世紀以上前の高校時代に、今は懐かしい「ガリ版刷り」の同人誌を出したことがあるが、本格的な印刷製本のものはやったことがない。そして今、ワダツミさんの「怖いか?」という tweet を見て、「やらないでよかった!」と胸をなで下ろしている。本気でやったら下のようなことになるらしい。

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上の写真は 2つの tweet の写真を縮小してまとめたものだが、実際の tweet の写真の大きさを見たら、圧倒されるだろう。怖いもの見たさにかられてしまったら、クリックしてご覧頂きたい。

同人誌の発行部数に関しては、印刷所の受け付ける「最低ロット」という制約もあるので、ある程度の部数を発注する必要があるのだろうと思って調べてみたところ、何と、「1冊から OK!」とか「最少 4冊から 1冊単位で注文ができます」なんてところがある。世の中って、スゴいものだなあ。

とはいえ、極端な少部数の印刷でも一定の経費はかかるから、部数が少なければ少ないほど単価は相対的に高くなる。しかしそのまま高い値段を付けてもまともに売れるわけがないから、結局は自前の負担になってしまう。

それだったら「どうせ負担する総額はそれほど変わらないのだから、ある程度の部数を印刷して売りまくる方がいいだろう」ということで、何百部も(あるいは何千部も)印刷することになってしまうのだろう。気持ちはわかるが、その結果が上の写真のようになることもあるわけだ。

いくら出費はそれほど変わらなくても、こんなにどっと返本されてしまったら保管場所が大変なことになる。同人誌というのは、広い家に住む人間でないと手を出せないかもしれない。

というわけで、「怖いか?」という問いかけには「怖すぎる!」と答えるしかない。我が家はそれほど広くないからね。

ただ、ワダツミさんの出している自家出版本を紹介するページを見ると「売切本」というのもあるようなので、努力次第ではそれほど大邸宅でなくても済みそうだ。ぜひ頑張ってもらいたいものである。

 

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2024年10月26日

横断歩道でのおばさんとおばあちゃんの異質な行動

中京テレビに【「いかつい兄ちゃんは止まってくれる。止まってくれないのは…」 小学6年生が横断歩道の "車の停止率" を調査 "止まる車" と "止まらない車" の意外な傾向とは…?】というタイトルのニュースがある。読んでみるとなかなかおもしろく、かつ自分自身の印象とも一致して興味深い。

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小学校 6年生の堀煌太くんという男の子が夏休みの自由研究として、「横断歩道に立って、車が止まってくれるまでに何台通りすぎていったかを数える」という試みをしてみたのだという。

さらに台数を数えるだけでなく、"止まる車" と"止まらない車" の傾向も分析した結果、止まってくれる車と止まらない車の運転手の特徴までわかった。それはこういうことになる。

「やさしい顔のおじいちゃんは止まってくれて、トラックは止まってくれて、いかつい兄ちゃんは見た目のわりに止まってくれて」

「(スポーツカーのような)背が低い車が止まってくれなくて、おばあちゃんが止まってくれません。(おばあちゃんは優しそうに見えるけど)優しくないです」

これ、私の印象とも一致していて、とくに「おばあちゃん」の運転する車は「絶対に」と言っていいほど止まってくれない。さらに「おばあちゃん予備軍」の「おばさん」も、止まってくれない場合が多い。

車がゆっくり来るので大丈夫だろうと判断して横断歩道を渡ろうとすると、止まらずにこちらの目の前をすり抜けて行ったりするのも、「おばあちゃん」と「おばさん」の運転する車に多い。かなりアブナい人たちである。

私は自分自身が運転する時には、横断歩道の近くに歩行者がいれば急ブレーキになってしまう時以外は必ず止まるようにしている。しかし中には、こちらがせっかく止まっているのに何を怖れてか渡るのを躊躇する人がいて、そのほとんどはおばあちゃんである。

さっさと渡ってくれれば話は早いのだが、なかなか渡ろうとしないのでこちらも動くに動けない。そしてさんざん待たせた挙げく、横断歩道の端に立ったまま「どうぞ行ってください」なんて手で合図する人までいる。はっきり言って、かなりイライラしてしまう。

自分の車が横断歩道で止まらない代わりに、他人の車が止まっても渡ることができないのだね。あの手のおあばあちゃんたち、どうも頭の中にある交通ルールがフツーとは違うようなのである。

 

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2024年10月17日

カップルができるきっかけの大変化

"How couples met (1930-2024)" という米国の調査は、カップルというのは何をきっかけにし、何を通じて出会ったかを調べたものだが、その調査結果の年ごとの変化を動画で表現したものが reddit というサイトにアップされている(参照)。こんな感じで、なかなか興味深い。

100年近い昔の 1930年には、"Family"(家族を通じて出会った)という回答が 1位で、"School" (学校) が僅差の 2位。以下、"Friends" (友人)"Neighbours" (隣人)"Church" (教会) と続く。古き良き時代を感じさせる。

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一挙に 70年飛んで 2000年になるとさすがに時代はかなり変わり、"Friends" (友人を通じて) がトップで、2番目が "Coworkers" (同僚)。そして 3番目が "Bar/Restaurants" (バー/レストラン) と続く。いかにも「最近の話」という印象になる。

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それが、わずか 24年後にはこうなる。2000年の時点では 4.80% に過ぎなかった "Online" (ネットを通じて) という回答が何と 60.76% まで急増して圧倒的トップなのだ。この 20年あまりの間に、ネットが世界を変えたのだと実感させる。

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これは米国での調査だから、そのまま日本に当てはまるわけではもちろんない。日本で「オンラインでカップルになった」なんて言ったら、何やらアヤシげな「紹介サイト」を使ったのかと思われてしまいそうだが、この調査の場合は「ネットでの交流を通じて」ということなのだろう。

日本での調査結果を報じたものというのはあるのだろうかと検索してみたところ、マッチングアプリ大学というサイトに"出会いのきっかけは? カップルに聞いた「出会い~交際までのエピソード30」" という記事があった。この記事中の「恋人とはどこで出会った?」という項目に次のようなグラフがある。

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「職場や学校」というのが 54%で、あとは「友人の紹介」「共通の趣味」「SNS などのネット」がいずれも 13%。 米国だと 1970年代なんじゃなかろうかという印象だ。もっとも、1970年代は電話だってアナログの時代だから、「ネット」なんてなかったろうけど。

私としても、まさに大学に入ったばかりの 1971年に同級生だったのが今の妻で、そのまま「同棲〜結婚」というプロセスを辿ったのだから、モロに「70年代的」だよね。

そして日本のカップルは 21世紀になって 20年以上経った今でも、依然としてものすごくアナログなプロセスで誕生しているようなのだ。まあ、いいとか悪いとかいうわけじゃないけど、出会いの可能性としてはかなり限定的な舞台という気がしてしまう。

実は今日は出張米子に向かっていて、さっき新幹線で名古屋を通り過ぎて今は京都に向かっているところだ。帰りは途中の関西で一泊だから、ついでに久しぶりで京都の町を歩きたいなあ。

天気予報では雨になっているが、どうにかなるだろう。(いずれにしても京都で誰かとカップルになろうなんてつもりはないので、よろしく)

 

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2024年10月16日

タワマンは宅配ドライバー泣かせというだけじゃなく・・・

近頃は都市部に出ると「タワマン」なるものの光景が目に飛び込んできて、「あんなのに住みたくないよなあ」と思うばかりだ。とくに上の方の階なんて、(あり得ない話だが)たとえ「部屋代無料」なんて言われても御免蒙りたい。

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東洋経済 ONLINE に【"タワマン配達" の困惑ルール「まるでダンジョン」 台車や置き配の禁止にドライバーは悪戦苦闘】という記事がある。タワマンというのは、宅配ドライバー泣かせのようなのだ。

何しろ面倒な「独自ルール」を設けているところが多いらしい。台車は壁にぶつかると傷が付くから禁止なんてのはザラで、エレベーターのオートロック解除申請などの面倒な手続きを複数回求められることが多く、たった一つの荷物を届けてマンションの外に出るまでに 30分かかることもあるという。

とくに次の記述には驚いた。

客が不在の場合は宅配ボックスに入れるが、ドライバーは配達を終えてエントランスに戻ってからも、確認のために不在だった部屋のインターホンを再度鳴らす。時間差で帰宅する住民もいるからだ。「在宅していたのになぜボックスに入れたんだ」。そんな苦情はどの会社も日常茶飯事だ。

(中略)

中央区などタワマンが多い地域を担当するドライバーは「タワマンでは、なぜか上から目線で配達員が怒られるケースが多い」とこぼす。

うっとうしいほど面倒なシステムをかいくぐって届けてくれたんだから、ありがたいと思えばいいじゃないか。おお、やだやだ。そんな空気のところには本当に住みたくない(どうせ住めないからいいけど)。

宅配業者はタワマンへの配送に関して、「採算悪化で特別料金を模索」しているという。そんなに面倒な手続きが多くて余計な時間がかかるというなら、倍ぐらいの料金を取ってもいいんじゃないかと思うし、住民もそれに納得すべきだろう。ただ設定の仕方が難しいだろうが。

あまりにヒドい場合は、「配達お断り」のタワマンを公表してしまえばいいだろう。住民にとっては致命的に不便だろうが、そんな面倒なところに住まいしてしまった身の不運と諦めてもらうほかない。

ちなみに私が「タワマンなんかに住みたくない」と思うのは、単に感情的な理由からではない。合理的理由は、次の記事を読んでもらうだけでよく理解できる。

(前篇)多くの日本人が知らない…!海外だとタワマンが「低所得者向けの賃貸物件」という「信じがたい現実」
(後篇)ご存じですか? 欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!

 

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2024年10月 4日

「新 1万円札は祝儀に不適切」という驚きの新マナー

誰が言い出したのか知らないが、「新 1万円札は結婚式の祝儀に適さない」ということになっているらしい(参照)。肖像に使われている渋沢栄一は愛人を妻と同居させるなどしていたため、「不貞を連想させる」として、結婚式の祝儀には福沢諭吉の旧札を使うのが「マナー」だというのである。

あまりの馬鹿馬鹿しさに「そんなこと気にするのは、よっぽどのヒマ人だけだろうよ」と思ったのだが、記事はさらに続いてこんな驚くべき展開となる。

式場探しサービスを行う会社による調査では、渋沢栄一の新紙幣をご祝儀に使うことに対して、およそ 3割もの人がマナー違反だと感じているという驚きの結果になりました。

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「はあ !?」である。世の中のおよそ 3割は「よっぽどのヒマ人」のようなのだ。

こんなような話から思い出してしまったのが、いわゆる「謎ルール」というヤツである。中でも学校というところはこの「謎ルール」の宝庫で、昨年 2月に "雪が降っても「ジャンパー着るな」の指導に呆れた" という記事を書いたことがある。

広島市内で雪が降って気温が氷点下 4.3℃ まで下がった日に、ジャンパーを着て登校した小学生が校門で見張っていた教師にそのジャンパーを脱がされ、風邪を引いてしまったという話である。校門で見張っていた教師は「よっぽどのヒマ人」というだけでなく、「頭までおかしいヤツ」である。

幼稚園、保育園というところも謎ルールに溢れているようで、"驚愕の実例 幼稚園・保育園の「謎ルール」 約半数の先輩ママたちが「ある」と回答" というページにはこんなようなのが載っている(これだけではなく、もっといろいろある)。

  • 手作り信仰がある。ランチョンマットとか巾着は市販品がダメなど。手作りにすることで子どもが大事に使うだろうというのが理由。
  • 支払い関係が銀行支払いとかでなく、現金を子どもに預けて渡すスタイル。
  • お弁当のごはんは白米で平盛り(おにぎり不可)。お箸のみOK(補助箸やスプーン、フォーク不可)。
  • 先生によって「海苔はパラパラしてはダメ、巻いて食べろ」「パンはちぎって食べない」「納豆はごはんにかけない」など給食に厳しいルールがあるらしい。

さらに職場にだって少なくないというのだから厄介である。こちらのページに職場のくだらない謎ルールの数々が漫画形式で山ほど紹介してあるのだが、一人でランチに行くのはダメという会社もあるらしい(参照)から、天を仰いでしまう。

要するにこうした「謎ルール」は日本中にあるということで、これはとりもなおさず日本中に「よっぽどのヒマ人」が存在する証左である。放っておくと今回の記事の「渋沢栄一は祝儀に向かない」みたいなのがどんどん増えていってしまいそうで、考えるだに恐ろしい。

ただ、将来的に流通するのが新紙幣ばかりになって福沢諭吉の 1万円札が手に入らなくなったら、樋口一葉の 5千円札を包むことにすれば結構な節約になるよね。

 

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2024年8月18日

逆走車が増えていることに関するあれこれ

近頃は高速道路での「逆走車」というのが増えているらしく、東北道では 2日連続で逆走による事故が発生した(記事末尾参照)。私は幸いにも逆走に出くわしたことがないのだが、今回取り上げる tweet は、高速道路の電光掲示板に「この先 逆走車有 注意」という情報が出ていたというものだ(参照)。

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このケースでは不幸中の幸いと言っていいのかどうかわからないが、結局 tweet 主の前に逆走車は現れずに済んだらしい。とはいえこんな情報を目にしたら、ちょっとワナワナしてしまうだろう。

ただ、世の中というのは恐ろしいもので、ワナワナしてしまうドライバーだけではないようで、この tweet にはこんなレスが付いている。

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逆走車というのは自分が進むべき走行車線と錯覚して、実際には追い越し車線を逆走してくる場合が多い。ということは、「追い越し車線をガンガンかっ飛ばしていく」というのは、ある意味自殺行為に近いのだ。

最近になって逆走車に関するニュースが増えたというのは、高齢者と高速道路が増えたという 2つの要因によるものなのだろう。逆走してもおかしくない人と逆走してしまいやすい場の両方が増えているているのだから、当然と言えば当然だ。今後ますます増えると考えなければならないだろう。

この表示を見た際のとりあえずの対応としては、「左側の走行車線をゆっくりと進む」というのが正解のようだ。あとは自分が逆走なんかしてしまわないように、高速道路のパーキングから本線上に戻る時にはしっかりと矢印を確認することだね。

【東北道 2日連続逆走事故】

15日朝、栃木県那須塩原市付近の事故

16日夜栃木市付近の事故

【同日 追記】

世の中ではこんな恐ろしい事態も現実に発生しているから、本当にコワい(参照)。

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周り中、何十台(何百台?)ものクルマが全て反対方向に走っているのが一目瞭然なのに、逆走車(赤いクルマ)はなお強引にも本線に入ってしまっている。よくまあ死なずに済んだものだ。

 

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