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2003年12月31日

平成十五年師走 三十一日に詠める歌

ふるびたる古語辞典の裏表紙には義弟の名あり几帳面の字

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近頃、やたらと古語辞典を使っている。ここ数年間、辞書といえば電子辞書ばかりで、紙の辞書なんか、ほとんど開いたことがなかったが、近頃は "Wakalog" なんか初めてしまったせいで、ずいぶん紙の古語辞典のお世話になっている。

ちょっとしたこだわりで、和歌には旧かなを使いたいため、記憶のあいまいな部分は辞書に頼らざるを得ない。
自分の国語の本来の表記を、辞書で調べなければならないというのは、かなり情けない。

それから、文法的な係り結びなんかもちょっと怪しいので、ちゃんと辞書で引かないと危なくてしょうがない。

あぁ、本当に情けない。

仕事といえば、ほとんど PC のキーボードを打っているため、実は、紙の辞書を開くのは本当に億劫だ。キーボードを打つ指の動きから、急に辞書の薄紙でできたページをめくる動作に移ると、指がものすごく戸惑う。

あまりにも指動作感覚が違いすぎるのだ。

だから、電子辞書は本当に助かる。原稿などを書いている指の動きそのままで、手軽に辞書がひけるという感覚が気に入っている。

ところが、私の使っている電子辞書のMicrosoft Bookshelf Basic というやつには、国語辞典、英和・和英辞典は入っているが、古語辞典がない。

そこで、最近は紙の古語辞典がいつも手元に置いてあるというわけだ。

この古語辞典、中身だけでなく、外観も古色蒼然としている。昭和41年の版とあるから、37年前の代物だ。

裏表紙には、何故か妻の弟の署名がある。全然達筆ではないが、性格そのものの几帳面な字だ。

問題は、何で義弟の古語辞典が我が家にあるのかということだ。

私だって、以前は自前の古語辞典を持っていた。結婚してから、重複した持ち物を整理してしまったような記憶はある。古語辞典は私の持ち物よりも、こっちの方がいいと判断してのことと思われる。

ところが、妻はなんで、弟の古語辞典なんか持っていたのか。妻が大学に入って上京したときに持ってきたのだろうが、その頃、義弟は中学から高校に進学する頃ではないか。

自分の古語辞典を姉に持ち去られた弟は、困りはしなかっただろうか。

その辺の事情を妻に聞いても、全然詳しい経緯は憶えていないようで、「いいじゃない、どうせあんまり使わないんだし」などと言っている。

この辺の女の感性というのは、いつもながら、かなり大雑把だと思うのである。

とはいえ、確かに、返せともなんとも言われてないのだから、あんまり使われなかったのだろう。

その辞書を、37年経ってから、義兄の私が毎日使っている。運命とはわからないものである。

今日は大晦日。

床のワックスがけをするように頼まれている。あれは腰にくるんだよなぁ。

それはそうと、皆様、良いお年を!

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