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2004年2月29日

平成十六年如月 二十九日に詠める歌

一晩をペットボトルのお茶のみで過ごすホテルの方丈の部屋

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今月 3度目の出張でホテル泊まりになった。今回は遠くではなく、都内の幡ヶ谷である。

2日がかりの会議なので、都内に泊まらせていただいた。

安いビジネスホテルなので、部屋は狭い。しかし、一晩寝るだけならば、これで十分である。PHSカード付きのモバイル PC さえあれば、「どこでもオフィス」 だし。

後で気付いたのだが、このホテルはこの時期、受験生の宿泊が多いらしい。受験生の事情も変わったものである。私が30年以上前に受験で上京したときは、旅館の大部屋で 5~6人が相部屋だった。結構楽しかった覚えがある。

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2004年2月28日

平成十六年如月 二十八日に詠める歌

湾岸に立てる麒麟か駝鳥とも見ゆれど鶴には見へぬクレーン

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新橋と有明を結ぶ 「新交通ゆりかもめ」 から巨大なクレーンが見える。

クレーンとは、元々英語で 「鶴」 という意味である。なるほど、首が長く、背の高い鳥というイメージからそう名付けたものだろう。

しかし、湾岸に立つこれらのクレーンは、あまりにもがっちりしすぎていて、「鶴」 というイメージからはほど遠い。

足が 4本ついているところからは、麒麟のようにも見えるが、その堂々たる偉容からは駝鳥のイメージもある。

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2004年2月27日

平成十六年如月 二十七日に詠める歌

閉鎖せる銀行はあの白黒の映画のごとくもの言はずあり

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取手駅近くの水戸街道沿いに立つ元某銀行取手支店だった建物である。いつの間にか閉鎖されて、看板も塗りつぶされてしまった。

窓も内側からブラインドで覆われ、ひっそりとしている。

銀行の建物だっただけに、かなりどっしりとした造りで、それだけにかえって物寂しさを感じさせる。

米国の不況時代を描いた白黒映画に、よくこんな感じのシーンが出てきた。道ばたに佇む物言わぬ建物。一種の風情はあるが、やはり悲しい。

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2004年2月26日

平成十六年如月 二十六日に詠める歌

ふきのとういつしか育ちすぎてあり惣菜にとは思へぬほどに

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今年の春は早い。ラジオでいうには、12月は暖冬、1月は平年並みの冬、2月は暖冬ということで、総じて暖冬予想は当たったという。

しかし、2月は暖冬というが、実感としては既に春である。いつもの 2月は、「春が待ち遠しいねぇ」 などと話している時期だが、今年の 2月は、とくに半ば過ぎは春以外の何物でもない。もう雪なんか降りそうにないし。

隣の空き地にいつのまにかふきのとうが生えていた。しかも、かなり大きくなっている。もう少し小さなうちならば、取って食べようかという気にもなるが、育ちすぎてしまうとあまりそんな気にもならない。

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2004年2月25日

平成十六年如月 二十五日に詠める歌

ゆつたりとスケッチをする人のそば せはしさ悔ひてシャッターを押す

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通学する娘を駅まで車で送ると、自分自身のアポイントにはやや余裕がありすぎて、神田駅北口のスターバックスでモーニングコーヒーを飲んだ。

今朝は 2階の窓に面した特等席が空いていて、ゆったりと腰を下ろすことができた。神田駅のガードが目の前に見える。ガードの上には、サラ金の大きな看板ばかりが目立つ。新橋とならんで、いかにもサラリーマンの街の風情である。

せっかくなので、デジカメを持ち出して撮影しようとして、ふと隣の席をみると、中年の男性が同じ景色を小さなスケッチブックにシャープペンシルで写生している。しっかりとした遠近法で細かく描かれている。上手下手でいえば、かなり上手な絵である。

ちょっと負けたかなと思った。

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2004年2月24日

平成十六年如月 二十四日に詠める歌

大阪を朝方に発ち京都にも寄りたきを抑へはや富士を見る

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大阪発 9時 30分の 「のぞみ」 で東京に向かっている。ホテルで見た朝のテレビ番組で、京都の二条城の紹介をしていた。

それを見ているうちに、京都に寄りたくて堪らなくなったが、京は昼から東京でアポイントがある。仕方なく京都での途中下車を我慢するうちに、のぞみ号は早くも名古屋を超え、静岡を過ぎた。

左側に富士山が見える。富士の回りは煙突だらけだ。興醒めである。東京に近づきつつあるという実感が強くなる。

車内アナウンスで、小田原を定時に通過し、新横浜まであと17分ほどと告げられた。速い速い。

あわただしい限りである。

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2004年2月23日

平成十六年如月 二十三日に詠める歌

綿雲の毛羽立てるより北風の激しきを知る特急の窓

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昼前に東京を発つ新幹線で、大阪に向かっている。「知の海に跳び込め」 のサイトで書いたが、お恥ずかしいことにぎっくり腰を患ってしまったので、おっかなびっくりで座席に座っている。

日差しは暖かいが、風は昨日に引き続いて強い。しかし風向きは北風に変わりつつある。 天気予報では今夜は冷え込むといっていたので、ジャケットの下に一応ベストを着込んできた。

車窓から見える綿雲は、ふんわりとした形ではなく、輪郭が毛羽立ったように乱れている。上空の風は相当に激しいのだろう。

今日は夜まで大阪で某誌のための取材をし、そのままホテル泊まり。明日は朝イチで東京に戻り、午後から某団体に滑り込む。

ぎっくり腰が悪化しないことを祈ろう。

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2004年2月22日

平成十六年如月 二十二日に詠める歌

見上ぐれば冬の青きにあらずして白きものなり春の空とは

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ラジオの天気予報で、気象予報士が 「冬は空が青いんですが、今日は白っぽい春の色になっています」 と言っていた。

改めて外の景色を見ると、なるほど、その通りだ。いくら乾燥注意報の出るカラカラ陽気でも、やはり春は水蒸気が立ち上り、空が霞んで白っぽくなる。

晴れた日の空は青空と思っていたが、そうではないことに気付いた。空だけでなく、遠くの景色もみな、白く霞む。きちんと見ることは大切だ。

(追記)

そうこうしているうちに、昼前から風が強くなり、あっというまに空が青くなったのだった。

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2004年2月21日

平成十六年如月 二十一日に詠める歌

高速道駆け抜け家路辿る間におぼろの春の日は沈みたり

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日中は春の陽気だった。用があって水戸の先まで出かけ、日が傾きかけてから常磐道を飛ばして帰ってきた。

黄昏時に南に向かって車を運転すると、晴れた日は夕日がまぶしいが、今日は夕刻から曇り気味になって、おぼろな日の沈むのを眺めながら戻ってきた。春の日の沈むのは早い。その早い夕日に急がされるように、一気に筑波の里に戻ってきたが、家に着いたときはすっかり暗くなっていた。

それでも、なんとなく暖かい。冬は終わったようだ。

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2004年2月20日

平成十六年如月 二十日に詠める歌

人影のなき地下鉄の通路には十七歳の我の気配す

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久し振りに都心に出た。普段、都内といっても湾岸の有明や上野、秋葉原、岩本町近辺ばかりうろうろしているので、赤坂や青山などといった方面には足が遠のいていた。

地下鉄の駅も、港区、渋谷区方面では雰囲気が違う。通路の人影が途絶えると、とても無機的な都会という感覚が強い。山手線の東側では味わえない雰囲気である。

あまり久し振りなので、17歳の時に初めて田舎から一人で上京して東京の街を歩き回った時の感覚を思い出した。あの時も、東京の街がやけに無機質に思えたものだ。

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2004年2月19日

平成十六年如月 十九日に詠める歌

ウィンドウ全開にして走りけりラジオの歌に風音のせて

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今日は北風が止んで暖かくなった。娘を駅まで送るときも、車の窓を全開にして走っても寒くない。むしろ爽やかである。

窓を開けて走ると、風の音がカーラジオの音楽にかぶさる。春めいた気がする。

明日はもっと暖かくなるらしい。今年は桜の咲くのも早いかもしれない。

今日は、腰が筋肉痛なので、ジョギングはお休み。年には勝てない。

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2004年2月18日

平成十六年如月 十八日に詠める歌

北風はいかに吹けども菜の花にいささか黄味のさしにけるかも

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今日は朝から北風が吹き付けて、日差しの割に寒い。

気象予報士の森田さんによると、暖かくなったかと思うと急に寒さがぶり返したりと、天気の変動が激しくなったということは、とりもなおさず、既に 「春」 なのだということらしい。変動が激しいのは、春の特徴だからだ。

土手をジョギングすると、向かい風では歩くより遅くなる。かなりの北風だ。しかし、こんな北風の中でも菜の花の芽がほころび始めている。4月になったら、土手が黄色に染まるほどに咲き誇る。

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2004年2月17日

平成十六年如月 十七日に詠める歌

有明の海は霞みて人の世のせはしきさまを覆ひ動かず

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仕事で朝から湾岸の有明に来ている。ビルの窓からは、有明の海が見える。昨日に続き、「光の春」 らしい輝きだ。

近くの国際展示場では、「ギフト・ショー」 が開かれている。これは日本でも有数の大型展示会で、「ゆりかもめ」 の駅からはひっきりなしに人の波が現れ、展示場に消えて行く。

昼時になると、昼食をとる人たちがどっと出てきて、レストランやスナック・チェーンは大繁盛だ。そうしたせわしなさを知らぬげに、有明の海はゆったりと霞を立ち上らせている。江戸の昔から、こうだったのだろう。

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2004年2月16日

平成十六年如月 十六日に詠める歌

風いまだ冷たく吹けど川面 (かはつら) に 「光の春」 の輝くを見る

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一昨日春一番は吹いたが、昨日の夕暮れあたりから風向きが北に変わり、いっぺんに寒くなった。今朝も日射しはうららかなようだが、風は冷たい。

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春には 3段階あって、2月は 「光の春」、3月は 「風の春」、そして、4月は本格的な春なのだという。今年は春一番が早く吹いたが、本来ならば、今頃は 「光の春」 というところだ。窓際の日射しのいいところにいると暖かいが、外に出ると風が冷たいという時期である。

まず光がある。そして、風が吹く。その後に初めて実が入る。人生もそんなようなところがある。まず自分が光を発することが先決だ。

明日はまた南風になり、気温が上がるが、夕方から北風に変わり、また冷え込むらしい。春の陽気は忙しい。

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2004年2月15日

平成十六年如月 十五日に詠める歌

買ひ立てのデジカメ画面 いつの間にか妻が動画で微笑みをれり

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新しいデジカメを買った。今までのはちょっと大きすぎて、仕事で持ち運ぶのが不便だったのだ。

今度のは、かなり小さい。タバコの箱より小さいのではなかろうか。(禁煙してから30年近く経つので、タバコの箱の大きさの感覚が薄れてしまった)

買って帰り、バッテリーをセットして充電している内に、次女が勝手にいじって、いろいろなものを撮影してしまっている。その中に、妻が台所で炊事をしている光景がある。それも、30秒の動画だ。なんだか知らないが、炊事しながらもきちんとカメラ目線で微笑んでいる。

娘いわく 「おかあさんって、カメラ向けると自然にカメラ目線でにこっとするんだよね」

どうも、条件反射らしい。芸能人でもないのに。義父がカメラ好きなので、幼い頃から写真慣れしてしまったのかもしれない。

「お父さん、消しちゃだめだよ」 というので、パソコンに取り込まなければならなくなってしまった。やれやれ。

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2004年2月14日

平成十六年如月 十四日に詠める歌

去年 (こぞ) はついぞ吹かざりし春一番のもとにいつしか咲ける小花よ

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今日は朝から暖かい。南よりの風が吹いて、気温もかなり上がったようだ。

北九州と山口に春一番が吹いたというニュースがあった。去年は確か春一番というものが吹かなかったはずである。だから、2年振りの春一番というわけだ。

昨日は気付かなかったが、土手の日当たりの良い場所では紫色の小さな花が、地面にしがみつくように咲いていた。デジカメをもっていれば撮影できたのに、そんなときに限ってもっていない。残念。

明日からはまた冬型が戻って冷え込むという。こんなふうにして、一進一退で春は来る。

(追記)


出先から帰宅してニュースを聞くと、関東の風も春一番だったらしい。そこで、歌をちょっとだけ変えた。

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2004年2月13日

平成十六年如月 十三日に詠める歌

キーボード打つ膝に猫飛び乗りてわがまま放題に吾を癒すなり

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この 3日ほど私がほとんど外出していたので、我が家の黒猫は淋しい思いをしていたようだ。

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我が家には年長の白猫と年少の黒猫がいて、この黒猫の方はやたらと人なつこい。久しぶりに朝から私がいるので、パソコンに向かう脚に体をすり寄せてくる。猫は甘えたい気分の時には脚に体をすり寄せてくるのである。

しかし、この黒猫は、それだけでは済まない。椅子に座っている私の膝にジャンプして乗っかってきた。縁側で猫を膝に乗せてまどろむという光景はよくあるが、パソコンに向かってキーボードを打つ人間の膝に乗って和むというのは、結構曲芸的な技である。

猫は膝の間からずり落ちないように、勝手にゲームを楽しむような感覚でぐるぐる廻り、喉をゴロゴロ鳴らしながら体をすり寄せてくる。こちらがディスプレイに注目してキーボードを打ち続けると、もっとかまってくれというように 「にゃあにゃあ」 と鳴く。かわいいが、かなりわがままでもある。「癒し」 と 「うっとうしさ」 の入り交じった感覚で、この日記を書いている。

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2004年2月12日

平成十六年如月 十二日に詠める歌

相模路を西に向かひてまどろめば富士もおぼろにはや過ぎ行きぬ

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今日は大阪に出張で、朝の 9時33分東京発の 「のぞみ」 で西に向かっている。今、豊橋を過ぎたところだ。

先日、尾州に行った時は、完璧な冬晴れで、富士山が見事に見えたが、今日はさすがに立春後の陽気で、車内の右手窓から見える山はおぼろに霞んでいる。こんな日に冬型の気圧配置にでもなったら、大阪に着くのが遅れるところだが、この陽気なら心配ない。

窓から見える景色も春めいている。富士も見えたのか見えなかったのか、ちょっとうとうとしている間に、尾州に突入してしまった。周囲の乗客も、ほとんど眠っている。私は、大阪に着く前に仕上げなければならない原稿が 1本ある。

そして、帰りの車内では今日の取材分の原稿を仕上げようと思っている。缶ビールはお預けだ。

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2004年2月11日

平成十六年如月 十一日に詠める歌

街角にぽつりぽつりと日の丸の立ちて時折風になびけり

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今日は建国記念の日。街を車で走ると、ところどころの角ごとに日の丸の旗が立って、時折吹く風になびいている。

カーラジオは、小泉首相の発言に中国がクレームを付けていると報じ、ニュース解説者は完全に中国の代弁者のようなことを声高に述べている。

アーケード街を行き交う人たちにとっては、単なる休日である。時々行き交う街宣車は場違いな様相だ。

古事記を読み返してみたくなった。

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2004年2月10日

平成十六年如月 十日に詠める歌

モーニングコーヒーを飲む人の顔 あと三十分の自己の内面

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今日は久し振りで午前中からのアポイントがあり、娘を駅に送ると、ほぼ1時間近くの余裕があるので、駅のスターバックスでモーニングコーヒーを楽しんでいる。

外は通勤ラッシュで、人がせわしなく行き来しているが、中はゆったりと落ち着いている。通勤前の軽い朝食とモーニングコーヒーをとる人が何人かいる。ほとんどが連れはなく、一人だけ。昼頃からのスタバは、(今の私のように) ノートパソコンを開いてメールチェックをしたりする人が目立つようになるが、朝は通勤前のひと時の、ちょっとだけの余裕という感じである。

サンドイッチをかじり、コーヒーをすすりながら、皆まわりのことを気にせず、ひと時のくつろぎを楽しんでいるようだ。ゆっくりはしていられない。せいぜい 30分のくつろぎである。皆、自分の内側を見つめるような目である。

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2004年2月 9日

平成十六年如月 九日に詠める歌

境目を際立たせをり日陰には枯草の上霜の残りて

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今日は給湯器が凍るほどではなかったが、明け方は結構冷え込んだ。早朝は辺り一面霜の原である。

朝のウォーキングをしていると、日の当たり始めたところから見る間に霜が解けていく様は、昨日の歌で詠んでしまったので、今日は日の当たらないところに目が行った。

建物の影が長く引いて、いつまでも朝日の当たらない所は、まるで塗り分けたように霜が残っている。温度が上がれがすぐに霜は融け
、上がらなければ融け残る。自然というのは正直なものである。日向と日陰の境界線は見事に際だっている。

近所の空き地で、なにやら大きな工事が始まった。そこは以前は建設会社の建っていたところで、他ならぬ我が家もその会社から買ったのだが、バブル崩壊とともにあっさりと倒産してしまった。資材置き場なども兼ねていたので、かなり広大な敷地である。噂ではスーパーマーケットができるらしい。

その場所は交差点の一画なのだが、道はあまり広くないので、交通量が増えて大変なことになるような気がする。

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2004年2月 8日

平成十六年如月 八日に詠める歌

遅霜は朝日に舐めらるるごと消へてトラクターの音低く響けり

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今朝、軒下に設置してある給湯器が凍っていた。この冬二度目である。夜明け前にかなり冷え込んだようだ。最近、日射しが春らしくなってきたので、対策をすっかり忘れていた。

それにしても、20年前にここに引っ越してきた頃は、しょっちゅう凍り付いていたのに、最近はあまりそんな心配はない。やはり温暖化しているのだろう。

久しぶりで一面に霜が降りていたが、朝日が昇ると日射しに舐められるように、さっと消えてしまった。さすがに立春過ぎである。

昨日はトラクターの痕跡しか見えなかったが、今日は作業しているのに行き会った。春はもうすぐだ。

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2004年2月 7日

平成十六年如月 七日に詠める歌

田仕事の始まりたるらし枯野色が黒土となり春雨を待つ

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田仕事が始まったらしい。小道にトラクターの通った跡があり、タイヤの溝から落ちた田んぼの土がこびりついている。

これまで枯野色だった田んぼが、一枚ずつ掘り返されて、黒土の色になり始めている。そういえば、気温はあまり上がらないけれど、日射しだけはだんだんと春の光になっている。あとは一雨ごとに春らしくなる。もちろん、「寒の戻り」 というのもあるけれど。

会社を辞めて独立してから、1年近くになる。こうして自宅にいる日が増えると、自然の移り変わりがよくわかる。

末娘を医者に連れて行ったら、もうインフルエンザは治りかけているので、月曜日からは学校に行ってもいいとのことだった。その代わり、私の方が、なんだか咳が出るので、ついでに診てもらい、薬を処方してもらった。

軽い風邪で、インフルエンザではないらしい。この程度なら、寝込まなくても大丈夫。

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2004年2月 6日

平成十六年如月 六日に詠める歌

鼻先と指先を刺す木枯らしに背で戸惑へる一筋の汗

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朝のウォーキング。どこか春めいていた昨日までとはうって変わって、風が冷たい。今朝はまた冬に逆戻りしたようだ。

筑波降ろしの風がまともに吹き付けて、鼻先と指先が冷たい。手はウィンドブレーカーの袖を長く伸ばして、指先まで覆ってしまう。

ウォーキングとはいえ、長くやるほどの暇がないから、内容で勝負しなければならない。だから、半分は駆け足である。ウォーキングとジョギングの中間みたいな歩き方 (走り方?) をしているので、体はすぐに暖まり、汗も出てくる。

鼻先と指先はしびれるように冷たいのに、首筋や背中を汗が伝うというのは、なかなか不思議な感覚だ。人間の体というのも、なかなか一筋縄ではいかない。風呂のようにかき回せば温度が一様になるというものでもないようだ。

帰宅して、今日も一日原稿を書かなければならない。やれやれ。

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2004年2月 5日

平成十六年如月 五日に詠める歌

いつになくインフルエンザといふものの重く思はれ娘 (こ) は休みをり

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末娘がインフルエンザということで、学校を休んでいる。一昨日は学校まで車で送ったのだが、頭痛と節々の痛みが辛いと言って、早退してきてしまった。

医者嫌いの私は、いつもなら、風邪程度は二~三日安静に寝ていればいいという感覚なのだが、今回は大事を取って、早めに医者にかからせた。結果的にはこれが正解で、単なる風邪ではなく、インフルエンザとの診断だった。学校には診断書を提出すると欠席扱いにならないのだという。それで安心して寝ている。

連日、鳥インフルエンザで死人まで出ていると報道されているせいか、家人はなんとなくいつもより病人に気を遣っているような気がする。「鳥インフルエンザ」 とは関係ないのだが、これは気分の問題というものだろう。

妻は節々の痛みを訴える娘を毎日マッサージしてやっている。「自分がうつらないようにしろよ」 と言っているのだが、母の愛というのは強いものだ。全然うつらない。

これだけ大事にされているのだから、今週中には治って元気になるだろう。

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2004年2月 4日

平成十六年如月 四日に詠める歌

薄暗き田舎蕎麦屋の炉の上の額縁じみた窓の青空

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昼前にちょっと買い物に出て、帰りにそばでも食いたくなり、最近見つけた蕎麦屋に寄った。

この蕎麦屋は表通りから大分入ったところにあり、もっと奥に行けば平将門の城跡に通じる道のそばにある。全くの田舎屋の造り。そば粉10割の田舎蕎麦を食わせてくれる。

中はほの暗く、木の質感をそのまま生かした無骨な椅子とテーブルがあり、入り口のすぐそばには炉が切ってある。その上の窓から見える青空は、なにやら額縁の絵のように見える。

盛り一枚 600円。素朴な蕎麦で、ちょっと平べったく切ってある。つゆは対照的に江戸前みたいな辛口で、ちょっとつけてすすれば大丈夫。うまい。まじめに作ってあるそばだ。

急がしい日々の中で、ちょっと異次元の時間を味わった。

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2004年2月 3日

平成十六年如月 三日に詠める歌

節分の朝は雨上がりとなりて猫も人恋しさ露はにす

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今日は節分。昨日は半日雨になって、冷え込んだが、今朝は案外暖かい。天気予報では、日中の最高気温も 10度を越えると言っている。

末の娘が風邪を引いてしまったようで、いつもは最寄りの駅まで来るまで送るのだが、今日は高校の正門まで送った。空気が乾燥していないので、早く治るだろう。

帰宅して、車を車庫に入れると、裏の土手の枯草の下から、春の匂いがしている。生き物らしさを感じさせる匂いだ。

隣では、一晩中線香をたいていたのだろう。そんな香りも混じっている。

パソコンの前に戻ると、二匹の猫のうち、年少の方の黒猫が椅子の上で丸くなっていた。抱き上げて膝の上に乗せると、喉をゴロゴロとならしながら、体をすり寄せてくる。こちらがキーボードを打っていると、それが不満らしく、にゃあにゃあ鳴いて、撫でてくれとせがむ。この猫は年上の白猫とは比較にならないほど 「人間好き」 なのだが、節分になって、ますます人恋しくなっているようだ。

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2004年2月 2日

平成十六年如月 二日に詠める歌

久々の雨降りの中 隣家ではなにやら人死にありたるらしも

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1月はほとんど雨が降らなかったが、今日は久しぶりの雨になった。久しぶりといえば、私もなんだか風邪を引いてしまったような気がして、大事をとって昼の間ずっとベッドにいた。おかげでこじらせずにすみそうだ。

この雨の中、隣家にはワゴン車が頻繁に行ったり来たりしている。車の横には葬儀社の名前が書かれている。

娘に聞くと、昨日の昼、救急車が来たらしい。ご主人の具合が悪かったようなので、ついに亡くなったかなと思うのだが、何の連絡もなく、町内会の役員に電話で聞いても何も知らないという。これまでは町内会で誰かが亡くなったら、すぐにお通夜と告別式の知らせが来たのだが、今回は何の連絡もないらしい。

どこかの斎場で、お通夜の準備が進んでいるのかもしれないが、こちらから切り出すわけにもいかず、近所付き合いとしては、なんとも中途半端な感じがする。

(追記)

夕方の5時を過ぎて、ようやく町内会から連絡が入った。通夜も葬式も自宅で身内だけで済ませるので、明日の昼の出棺の際に、見送りだけすればいいとのことだ。明日の午後は、こちらは外出してしまうので、何もできないが、冥福を祈ろう。

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2004年2月 1日

平成十六年如月一日に詠める歌

初めての書き込みありてありがたく ただ一文字の言霊おもふ

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このサイトの掲示板に、初めて自分自身以外の方の書き込みをいただいた。ありがたくうれしいことである。

先月 18日の歌について、「歩かん」 の 「ん」 は 「む」 ではないかというご指摘である。確かに 「む」 が正しいのである。

この歌を詠んだときは 「歩かむ」 にすると、ちょっと息苦しい感じがして 「歩かん」 にしてしまった。しかし、それはそれで、ちょっとくだけすぎかもしれない。

どちらがいいかといっても、自分では判断がつかない。それにしても、我ながら、いい加減といえばいい加減な作り方をしているなぁと、反省してしまった。

たった一文字の違いで、印象がずいぶん違ってしまう。言霊の為せる技は、なかなか玄妙至妙である。難しいものだ。

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