2004年4月30日
2004年4月29日
平成十六年卯月 二十九日に詠める歌
朝霧の八重桜けふ散り行けば花むしろ踏むよのよろずひと
==============================
本宅サイトの 「庄内拓明の知の海に跳び込め」 が 22日で 4万ヒットを達成した。その記念の和歌として、詠んだもの。
本来はキリ番ゲットの方にプレゼントするものなのだが、一週間経っても名乗り出てこないので、待つのは諦めた。
「朝霧の」 は 「八重」 にかかる枕詞。生まれて二番目に枕詞を使った。結句は、「世のよろず人」 と 「四の万(よろず) ヒット」 との掛詞というか、駄洒落である。
小手先の歌なので、「短歌」 としては評価されないかもしれないが、何しろ、こちらは 「和歌」 なもので……。
近頃は多い日は 100ヒットを超えることも珍しくないので、次の 5万ヒットもそう遠くない時期に達成できそうだ。一転して、こちらの 「和歌ログ」 は、そんなにアクセスを稼ぐようなサイトでもないので、地道にやっていこうと思っている。
2004年4月28日
2004年4月27日
2004年4月26日
2004年4月25日
2004年4月24日
2004年4月23日
平成十六年卯月 二十三日に詠める歌
少子化の筑波の里を泳ぎゐる鯉のぼり家は大家族なり
============================
本宅サイトの 「今日の一撃」 にも書いたが、近頃鯉のぼりがめっきり減った。
20年前にこの土地に越してきた頃は、この季節になるとあちらにもこちらにも、鯉のぼりが盛大に上がっていたものだが、少子化傾向で最近はあまり見られなくなってしまった。
この辺りの鯉のぼりは、一本の柱に縦に上げるのでは、とんでもない高い柱が必要になるので、大抵は、写真のように柱を中心に左右に振り分ける形になっている。ものすごい大家族の鯉のぼりだ。その大家族のコンセプトが、今や消えようとしているわけで、ちょっとしたパラドックスを感じてしまう。
2004年4月22日
2004年4月21日
2004年4月20日
平成十六年卯月 二十日に詠める歌
この春もしやりんばいてふ木の花の何うつしてか現し世に咲く
==============================
今年も 「しゃりんばい」 の花が咲いた。
この木は、我が家の次女が子供の頃、どこからか拾ってきた汚い棒っ切れの端を地面に埋めておいたところ、何と根付いてしまったものである。
一昨年、奄美大島に行き、大島紬は、「しゃりんばい」 というバラ科の低木のチップで染色するのだと知った。
最初は 「しゃりんばい」 なんていうから、火葬場の灰かと思った。
そして、我が家の裏に思いがけなく根付いてしまった低木が、その 「しゃりんばい」 だったのである。近所にきた植木屋さんに教えてもらうまでは、10年以上何の木だかわからなかった。
バラ科にしては不思議な色合いの地味な花である。南の海の彼方の常世の 「うつし」 が、現し世の我が家の庭先に咲くような思いがする。
2004年4月19日
2004年4月18日
2004年4月17日
2004年4月16日
平成十六年卯月 十六日に詠める歌
雀とは死なぬものとぞ思ひをりし何処に消えしかあの枯れ草も
==============================
裏の空き地は、雑草が勢いよく茂って、一面緑色になってしまった。
今のうちは、まだきれいだが、近々町内で一斉に草刈りをしないと、ヤブ蚊の巣窟になって、手に負えなくなってしまう。
つい先日までは、この空き地は枯れ草色でしかなかった。枯れ草は一体どこに行ったのだろう。
あの枯れ草の中に春の日差しと養分が取り入れられて、色が緑に変わったのだろうか? いや、草刈りをしてそのままにしておいたのもあるから、それだけではあるまい。
それでは、刈られた草はいつの間にか土に還ったのだろうか? 冬の間はずっと堆積されていたのに、春になると、その変化が速くなるのか?
周囲にあれだけたくさんいるスズメの死骸というのが、いっこうに目に入らないのと似ている気がする。 幼い頃は、スズメは死なないものと思っていたものだ。
平成十六年卯月 十五日に詠める歌
新駅名 「みらい平」 といふらしく遠き未来の来年の秋
==========================
「昭和 75年」 に開業予定だったということは、西暦 2000年には開通していなければならなかった 「つくば新線」 も、ようやく平成 17年秋開業予定とアナウンスされた。
5年遅れである。その間に、名称は 「つくばエクスプレス」 になった。さらに、我が居住地の最寄り駅は 「みらい平」 という駅名に決定したようだ。
駅の工事現場を通りかかると、遙か彼方に駅舎になるらしいでかい建物がぽつんと見える。
周りには、見事に何にもない。徒歩でのアクセスは、あまり想定しない方がいいような気がする。ほぼ全員が自転車かバイクか自動車でやってくる駅。
この何もない平原は、何かの店や住宅なんかを作るよりも、とりあえずは駐輪場と駐車場にしないと、機能しない駅になるだろうな。
来年の秋は、まだまだ遠い未来のような気がする。
2004年4月14日
2004年4月13日
2004年4月12日
2004年4月11日
平成十六年卯月 十一日に詠める歌
あかねさすテールランプは国道に集まり来たりそして散り行く
===========================
今日は所用で朝から水戸方面に出かけ、夜になってからようやく帰ってきた。
国道 6号線は、渋滞というほどではないが、スムーズな流れとも言えない。常にそこそこ混んでいて、それでいながら、詰まってしまうというところのギリギリ手前で動いている。
車はどこから湧いてくるのだろうというほど続々と国道に流れ込んできて、そして要所要所で次々とわき道に消えていく。
世の中には、知らないところで多くの人たちが暮らしていると実感する。
ところで、生まれて初めて 「枕詞」 なるものを使ってしまった。「あかねさす」 は 「照る」 にかかるということで、「テールランプ」 にかけてみた。ちょっと乱暴だったかな?
2004年4月10日
2004年4月 9日
平成十六年卯月 九日に詠める歌
行く水よ汝 (な) にも禍事 (まがごと) 絶間なき乾ける国の風は届くや
==================================
イラクで日本人 3人が拘束されたというニュースが入ってきた。
ものすごく単純に考えると、行くたくて行っているわけでもない自衛隊に帰れと言うために、行きたくて行った 3人を拘束する人がいるわけである。
行きたくて行った 3人の志は買えるが、その志がこんなことになってしまったわけだ。やりきれない思いがするのは、そこである。
そうしたニュースを知らぬげに、裏の小川は春らしい水かさになり、水面に青空と菜の花を映して、ゆったりと流れている。
中国の蝶の羽ばたきが、回り回って米国の天気に影響を与えるという理論がある。砂漠の国の状況は、この瑞々しい光景にどんな影響を与えているのだろうか。
2004年4月 8日
平成十六年卯月 八日に詠める歌
繋げたき相手に限り繋がらぬインターネットよ世の徒然よ
===========================
昨夜は焦ってしまった。
本宅サイトの 「今日の一撃」 本日付にも書いたのだが、某業界メルマガの原稿を配信元に送ろうとしたら、我がモバイル PC のPHS カードでアクセスしても、先方のメールサーバにつながらなくなってしまったのである。
外を出歩いている時でもインターネットに接続する機会の多い私にとって、PHS カードは強力な味方である。しかし肝心な時に、肝心な相手先に対してだけ、働かなくなったりしては困るのである。
結論から言えば、裏技を使って何とかなったのだが、PC やインターネットというのは、急いでいる時や焦っている時に限って、調子が悪くなるものだ。これを、「デジタル・マーフィーの法則」 と名付けたくなるぐらいのものである。
2004年4月 7日
平成十六年卯月 七日に詠める歌
捨つらるるは仮のさだめと瀬戸際で拾ふ人待つ粗大ゴミたち
==============================
今日は粗大ゴミの収集日。我が家は壊れてしまったインクジェット・プリンターを出した。
(確か、パソコンと違って、プリンターは出せるんだったよな)
やはり年度変わり直後である。近所のゴミ集積所には大物がどっさり出されている。
布団、マットレス、熱帯魚飼育用の水槽、たんす、ソファなどなど。いつものことながら、まだまだ十分に使えそうなものも多い。そして、これもいつものことながら、ゴミ収集車が来る前に、車で町内を一回りして、使えそうなものをいただいていく人が必ず現れる。
1時間も経つと、集積所のゴミは必ず何割か減っているのだ。こうして、非公式のリサイクルが行なわれるのだが、無駄に捨てられるよりはずっといいと思う。
2004年4月 6日
2004年4月 5日
平成十六年卯月 五日に詠める歌
葉桜となりかけたるを撮る人よ上野の山は花むしろなり
===========================
今日は新潟に出張。上野駅で上越新幹線に乗り換えだが、朝早めに出て、途中下車し、上野の山を散歩した。
ことしは花が開いてから急に寒くなったので、花見の時期が長かったというが、さすがに葉桜になりかけている。
昨夜は雨が降ったので、花見の後のゴミもそれほど散乱していない。雨もありがたい。
観光客が大勢いて、デジカメを構えている人も多いが、10人が10人とも、レンズを上に向けて葉桜を撮っている。
この時期は、足元がいいのになぁと、下ばかり写している私は変わり者なのかもしれない。
地面に散って敷き詰められたような花びらが 「花むしろ」 なら、川面に散ったのは 「花いかだ」 というそうだ。昨年の今頃の 「今日の一撃」 に書いているので、ご覧あれ。(こちら)
2004年4月 4日
平成十六年卯月四日に詠める歌
二昔前の雑誌よ我もまたかくのごとくに弾んでありしか
=============================
階段の踊り場に、妻が20年前ぐらいに購読していた "illustration" という商業美術雑誌がどさっと積まれている。
80年代の中頃は、日本の文化がとても元気の良かった頃だ。経済的にも活発だったが、まだバブル経済と言われる頃でもない。
最近の日本では一番良かった頃かもしれない。
ページを開いてみると、当時の ポップカルチャーが満載で今から見ても古くさくない。この雑誌は捨てられないな。
結句は、古文の文法では 「弾みてありしか」 だろうが、雰囲気の問題として、敢えて 「弾んでありしか」 にしてしまった。
最近のコメント