2004年5月31日
2004年5月30日
2004年5月29日
2004年5月28日
2004年5月27日
2004年5月26日
2004年5月25日
2004年5月24日
2004年5月23日
平成十六年皐月 二十三日に詠める歌
飛行機の日付変更線を越す時には大和心となりぬ
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ほぼ 1週間の米国滞在だったが、今、成田に向かう飛行機の中で、PC を開いてこれを書いている。
いつもそうだが、外国への旅は日常と比べると多かれ少なかれヘビーな経験をする。
ラスベガスを 22日の朝に発ち、サンフランシスコ空港で成田行きに乗り換えた。何度も利用して慣れた空港だが、ここで今回の米国旅行を終えると思えば、単なる乗換えでなく、少しでも街を歩きたい思いがした。
しかし、機内の人となって、日付変更線を越える頃には、心はすっかり日本人に戻っている。家に着いたら、あれをしてこれをしてと、日常に近づいてしまっている。
さあ、また明日から普通の暮らしだ。
2004年5月22日
2004年5月21日
2004年5月20日
平成十六年皐月 二十日に詠める歌
ミシガンの湖の面なるレンズには人の心の様が映れリ
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ここシカゴでは、ミシガン湖の湖面というのは大きなテーマになっているようだ。
シカゴ美術館のあちこちに、ただ水面の模様を写した写真が飾られている。統一したテーマの写真らしいと感じていたが、あれは多分ミシガン湖の湖面だったのかと気付いた。
シカゴの中心部を走るミシガン・アベニューを歩いていたら、市のギャラリーがあり、入ってみるとミシガン湖の湖面を写した写真ばかりが並べられていた。
小さな写真ばかりだが、すべて違う彩りの表情をみせている。米国人は大雑把な感性しか持っていないというのは、実は誤りで、こんなデリケートは感性もあるのかと驚いた。
2004年5月19日
平成十六年皐月 十九日に詠める歌
小男鹿 (さをしか) の入野至りし影 (かご) させばあめりかの夜ははや更けにけり
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今、シカゴ時間で日付が変わり、19日になったばかり。夜が明けたらハードスケジュールで、歌を詠んでいる暇がないと思うので、夜中のうちに更新しておく。
今日の歌は、もろに言葉遊びである。「小男鹿 (さをしか) の」 は、「入野」 にかかる枕詞。「入野至りし影」 は、影を雅に 「かご」 と読んで、「イリノイ州シカゴに至った」 ということにさせていただく。
大平原の街、シカゴなので、「入野」 も 「小男鹿」 も縁語ということで。
写真は、ホテルの部屋から見下ろす、いかにもシカゴの裏通りらしい風景。
2004年5月18日
2004年5月17日
2004年5月16日
2004年5月15日
平成十六年皐月 十五日に詠める歌
あめりかに旅立つスーツケースには場違いなれど古語辞書のあり
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今日の夕方、成田を発つ。
米国に行くのに英語の辞書ではなく古語辞書をスーツケースに入れていく人間は珍しいかもしれない。
しかし、和歌ログを継続するには、これは必需品である。これなしには、仮名遣いに自信の持てないところがあるので。
英語関係の辞書は PC に入っているので、逆に書籍の形の辞書を持ち運ぶ必要はない。それに、PC を使った作業だと、薄い紙のページをめくるより、キーボードを叩いて辞書を調べられる方が、作業の連続性があって、やりやすい。
しかし、古語辞書の場合は、やはり 「縦書き」 という雰囲気のせいもあるのだろうが、書籍の形の方がしっくりくるところがある。自分で書く場合には横書きで何の違和感もないのに、不思議なものである。
平成十六年皐月 十四日に詠める歌
あめりかにありても結ぶ糸あればいつものごとく和歌ログをせむ
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明日はいよいよ米国に出発だ。
向こうからもいろいろと原稿を送ったり、自分のサイトの更新をしなければならないので、モバイル PC とモジュラーケーブルは必需品だ。
これさえあれば、私のサイトにアクセスしてくれる人たちと、ちゃんとつながっていられる。
米国の市内電話は、基本的に定額料金で、繋ぎっぱなしにしても請求される料金は変わらない。逆に、まめに切って繋ぎなおしたりする方が高く付く。
ホテルによっては、館内が LAN で結ばれていて、高速ネットワーキングが可能だが、往々にして受信はできても、発信のできないことが多い。
そんな場合は、メールを送ったりサイトの更新で FTP するときだけ、ダイヤルアップに切り替えたりする。なんだか馬鹿馬鹿しい気もするが、仕方がない。
いずれにしても、ダイヤルアップのためのモジュラーケーブルは必要だ。この写真の左側にあるのが、薄型ケースの中にコンパクトに巻き取れるケーブルである。
2004年5月13日
2004年5月12日
平成十六年皐月 十二日に詠める歌
草刈りの鎌の刃先の欠けたるを研ぎに研ぎたりまたの日のため
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今度の日曜日は、町内の自治会の一斉草刈りが行われるのだが、私は土曜日に日本を発つので、参加できない。
サボるのでは不義理になるので、自宅の裏の土手の草だけでも自主的に刈っておこうと、午前の涼しい時間帯に作業した。
多少刈り残しはあるが、このくらい刈ってしまえば、当日の 3人分くらいの仕事はしたことになるだろう。
草刈り作業というのは、鎌の手入れで大変にもなれば、案外楽にもなる。さび付いたり刃先が鈍ったりした鎌では、作業効率がまったく違うし、後の筋肉痛も違ってくる。
草刈りが終わってから、使った鎌にみっちりと砥石をかけて、油を塗っておいた。後で楽をするためならば、多少の手間はかけた方がいい。 世の中というのは、三の手間をかければ、大抵の場合、十の楽ができる。
2004年5月11日
平成十六年皐月 十一日に詠める歌
信長と茨木童子舞ひてあり口開けて見る飾り山笠
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昨日は博多に宿泊。夕方に同行したカメラマンと中州あたりを歩いていたら、「飾り山」 が展示してあった。
噂には聞いていたが、目の前にすると呆れるほど大きい。前面と後面に、桶狭間の戦いの様子と、茨木童子の芝居をテーマにした装飾が施されている。二人で口を開いて見上げてしまった。
始めは、こんなものを担いで走るのかとびっくりしたが、これは 「飾り山」 というもので、担いで走るのは 「追い山」 というもう少し低いものらしい。
そりゃあそうだろう。いくらなんでも、あんな大きなものを担いで走ったら、ひっくり返ってしまう。
それにしても、博多というところはかなりすごい文化のあるところである。
2004年5月10日
2004年5月 9日
2004年5月 8日
2004年5月 7日
2004年5月 6日
2004年5月 5日
平成十六年皐月 五日に詠める歌
平成十六年皐月 五日に詠める歌
やうやうの雨もあがりて渋滞も消へつつあるとラジオは告げり
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連休最終日は、季節が逆戻りしたような肌寒さだ。ようやくの雨も上がりつつあり、行楽帰りの渋滞もピークを越えたようだ。
それにしても、行楽地や高速道路のの混雑ぶりをニュースで聞くにつけ、「連休なんかにでかけるもんじゃない」 と思った。忙しくてどこにも行けなかった者のひがみかもしれないが。
行楽地の混雑は終えたかもしれないが、近所の道はまだまだ渋滞気味だ。ちょっとした買い物に、近所のショッピングモールに行っても、駐車場が満杯である。
今年は、秋頃にちょっとのんびりしたいなぁ。
2004年5月 4日
2004年5月 3日
平成十六年皐月三日に詠める歌
朝ぼらけ水張られたる田の面 (おも) に映る景色に昔思はる
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昨日に続いて肌寒いくらいの朝だ。
それでも、小川の向こうの田はきれいに水が張られ、一枚ずつ順番に田植えが終わっていく。
水の張られた田は、青空の下では青く、曇り空の元ではグレーである。そして、畦に続くいろいろなものを映し込む。
そして、稲が育つにつれて水面が見えなくなり、青々とした初夏の田に変わっていく。夏が過ぎて稲刈りの季節になると、水は落とされ、田の表面は乾燥していく。
稲の原産地である熱帯モンスーン気候の雨季と乾季を巧みに人工的にシミュレーションしているわけだ。2000年以上もそれを続けているのだから、大変なものである。
それを思うと、多少の昔を思い出すぐらいは、当たり前だ。
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