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2004年5月31日

平成十六年皐月 三十一日に詠める歌

県道を走る車を追ひ越して雲の影飛ぶ明日は梅雨てふ

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昨日に引き続き、朝から暑い。暑い上に、風がとても強い。

娘を駅まで送って帰ってくる途中、時速 50km で走る車を、雲の影がどんどん追い越していく。

道路の表面が突然暗くなり、その影があっというまに彼方に消えていく。上空の雲が、大変なスピードで移動しているとわかる。

思わず、適当にカメラのシャッターを押してみたが、家並みの向こうの筋のように
暗くなっているのが雲の影である。この影は、一瞬後には、彼方に去ってしまった。

カーラジオでは、明日は梅雨入り宣言になるかもしれないと言っている。

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2004年5月30日

平成十六年皐月 三十日に詠める歌

濃く重く萌え上がるごと木も草も緑重ぬる季節となりぬ

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緑の濃い季節となった。

東北生まれの私は、上京して最初の年の夏休み、房総に海水浴に行って、その緑の濃密さに圧倒された覚えがある。

関東や東海、九州の緑の濃さはボリューム感が違う。入道雲のように萌え上がる緑は、しばしば私を圧倒する。

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2004年5月29日

平成十六年皐月 二十九日に詠める歌

しつかりと棘ある野薔薇その棘の鋭さもちて常 (とは) の薔薇たれ

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我が家の金網のフェンス越しの裏の空き地に、この季節になると野バラが咲く。

誰が植えたわけでもないが、自然に生えてきた、生粋の野バラである。だから、茎には鋭いトゲがいっぱいある。

最近、花屋で売っているバラにはトゲのないのが多いらしいが、やっぱりバラにはトゲがよく似合う。

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2004年5月28日

平成十六年皐月 二十八日に詠める歌

近づきてレンズ向ければ飛び立てる鳥は彼方でことさらに鳴く

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川岸から川面の上にせり出すように生えている木の枝に、鳥が止まっている。

そっと近づいたつもりなのだが、レンズを向けるとやはり怯えて飛び立ってしまった。飛び去った鳥はことさらに鳴いて、仲間に警戒を呼びかけている。

後には鳥のいなくなった枝だけが、川面のさざ波の上に残った。

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2004年5月27日

平成十六年皐月 二十七日に詠める歌

畦道にかそかに常に聞こえくるそれぞれの田に引く水の音

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この時期に田の中の道を歩くと、耳を澄ませば常に水の流れる音が聞こえる。

用水路から田に水を引いているのは、ちょっとしたはじっこの穴とかパイプのようなものである。それぞれの農家の人の好みというか、センスというか、いろいろの形態があって面白い。

この写真は、単に水を引くのではなく、いったん石に当てて水の方向を拡散させる工夫をしている。ちょっとした水しぶきも美しい。

今の季節は、まさに瑞穂の国である。

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2004年5月26日

平成十六年皐月 二十六日に詠める歌

白鷺の田に遊びゐる足先に土塊 (つちくれ) 光り乾く間もなし

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いつの間にか、田の面が青々としてきた。その中に白鷺が一羽えさを探している。

鷺は本当に少なくなった。20年前に筑波に越してきた頃は、田んぼの中を通りかかると、あちこちに白い鷺の姿が見えた。

鷺山のようなところがあり、夕方になると、帰ってきた鷺で一杯になっていたが、最近はそんな光景は見られない。鷺がそのうち、今の朱鷺のような存在にならないとも限らない。

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2004年5月25日

平成十六年皐月 二十五日に詠める歌

青々とした田の中の一区切り色付きて今麦秋となる

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昨日は夜から大雨になったが、今日は高原の風と言いたくなるような爽やかな一日だ。

米国に行っている間に、田んぼの中を区切った麦畑はすっかり色づいて、そこだけ季節が変わったような光景だ。「麦秋」 という言葉がぴったりする。

さわやかさと 「麦秋」 という言葉があいまって、アメリカの気候を引きずってきたような感じがする。

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2004年5月24日

平成十六年皐月 二十四日に詠める歌

白鷺のふわと青田に舞ひ降りぬ "Welcome back" と言ふかのごとく

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帰国して最初の朝。雨が降りそうで降らない。いかにも日本の景色が広がる。

通学する娘を駅まで車で送る。久しぶりの娘との時間である。アメリカでの話をしているうちに駅に着く。

田んぼの中を近道して帰ると、鷺が一羽、田んぼに舞い降りた。いかにも日本の景色が、ますます日本らしくなった。

白鷺に 「お帰りなさい」 と言われたような気がしたが、最初に思い浮かんだのは "Welcome back" という英語だった。まだアメリカぼけしているようだ。

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2004年5月23日

平成十六年皐月 二十三日に詠める歌

飛行機の日付変更線を越す時には大和心となりぬ

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ほぼ 1週間の米国滞在だったが、今、成田に向かう飛行機の中で、PC を開いてこれを書いている。

いつもそうだが、外国への旅は日常と比べると多かれ少なかれヘビーな経験をする。

ラスベガスを 22日の朝に発ち、サンフランシスコ空港で成田行きに乗り換えた。何度も利用して慣れた空港だが、ここで今回の米国旅行を終えると思えば、単なる乗換えでなく、少しでも街を歩きたい思いがした。

しかし、機内の人となって、日付変更線を越える頃には、心はすっかり日本人に戻っている。家に着いたら、あれをしてこれをしてと、日常に近づいてしまっている。

さあ、また明日から普通の暮らしだ。

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2004年5月22日

平成十六年皐月 二十二日に詠める歌

巨大なるカジノとホテルその中に幾百万の言の葉はある

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昨日の日記の通り、カジノに足を踏み入れる気にはならなかったが、この街に様々の人生があることに気付いた。

突き詰めれば面白いことの発見できる街なのかもしれない。それだけの時間をこの街でとる気には、到底なれないが。

今回の米国の旅で最後の夜を過ごしている。一眠りして、目が覚めたら、成田への帰路に着く。

成田に着いたらすぐに、23日の歌を詠むつもりだ。私にとって、5月 15日は 1日半の長さがあったが、その分、5月 23日は半日しかない。24日からは通常の月曜日に戻る。

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2004年5月21日

平成十六年皐月 二十一日に詠める歌

あめりかのあめりからしさ極まればラスベガスてふ空蝉の街

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21日の夜、ラスベガスに入った。

着いてからずっと、「つまんねぇ」 とつぶやき続けている。

つまらない街である。視察ツアーのスケジュールに入っていなければ、一生訪れなくてもいいはずだった街である。

これ以上とくに書くこともない。

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2004年5月20日

平成十六年皐月 二十日に詠める歌

ミシガンの湖の面なるレンズには人の心の様が映れリ

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ここシカゴでは、ミシガン湖の湖面というのは大きなテーマになっているようだ。

シカゴ美術館のあちこちに、ただ水面の模様を写した写真が飾られている。統一したテーマの写真らしいと感じていたが、あれは多分ミシガン湖の湖面だったのかと気付いた。

シカゴの中心部を走るミシガン・アベニューを歩いていたら、市のギャラリーがあり、入ってみるとミシガン湖の湖面を写した写真ばかりが並べられていた。

小さな写真ばかりだが、すべて違う彩りの表情をみせている。米国人は大雑把な感性しか持っていないというのは、実は誤りで、こんなデリケートは感性もあるのかと驚いた。

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2004年5月19日

平成十六年皐月 十九日に詠める歌

小男鹿 (さをしか) の入野至りし影 (かご) させばあめりかの夜ははや更けにけり

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今、シカゴ時間で日付が変わり、19日になったばかり。夜が明けたらハードスケジュールで、歌を詠んでいる暇がないと思うので、夜中のうちに更新しておく。

今日の歌は、もろに言葉遊びである。「小男鹿 (さをしか) の」 は、「入野」 にかかる枕詞。「入野至りし影」 は、影を雅に 「かご」 と読んで、「イリノイ州シカゴに至った」 ということにさせていただく。

大平原の街、シカゴなので、「入野」 も 「小男鹿」 も縁語ということで。

写真は、ホテルの部屋から見下ろす、いかにもシカゴの裏通りらしい風景。

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2004年5月18日

平成十六年皐月 十八日に詠める歌

西洋の静寂てふは漂へる時間を止めるごとくにありぬ

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シカゴについて最初の朝である。

夜中に着いてホテルに入り、とりあえず 「知の海」 のコラムの更新をしてすぐにベッドに入ったので、シカゴはまだどこも見ていないのと同じである。

時間が止まっているような感覚だ。メトロポリタン美術館の広大な館内を観て歩いているときにも、時間が止まったような感覚に捉われる。

西洋の静寂は、時間を止めようとしている。日本の静寂においては、時間は常に漂っているのに。

写真はメトロポリタン美術館の展示室である。

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2004年5月17日

平成十六年皐月 十七日に詠める歌

幻のごとき歴史に刻まれしグラウンド・ゼロに時間は止まる

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昨日、あのグランド・ゼロを訪れた。あの 9.11 同時多発テロの現場となったワールド・トレード・センターのあったところである。

金網で囲まれ、その金網にはメモリアルとなる写真が掲示されている。

この時のテロ事件が、今のイラクに直接つながっている。だから、米国人にとって、現在の状況はとても複雑な思いで見つめるしかない。

ただ、そうした思いを別として、単純にショッキングで悲しい記憶は昨日のようによみがえる。

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2004年5月16日

平成十六年皐月 十六日に詠める歌

アメリカに着きて最初の朝なれば大聖堂の礼拝に行く

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ニューヨークについて最初の朝。

夕べは大きな雷が鳴って、どこかで爆発事故でもあったかと驚いたほどだ。今朝は曇り空。一日こんな天気らしい。

朝食を済ませて、セントパトリック教会のサンデイサービスに行ってみた。私はクリスチャンではないが、教会の雰囲気は好きである。日本にいても神社仏閣好きなのだが。

神父さんが説教を垂れておいでだったが、宗教的な英語はよくわからない。それに大聖堂で反響して聞き取りづらいし。それでも、雰囲気はとてもよかった。さあ、一日の始まりだ。

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2004年5月15日

平成十六年皐月 十五日に詠める歌

あめりかに旅立つスーツケースには場違いなれど古語辞書のあり

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今日の夕方、成田を発つ。

米国に行くのに英語の辞書ではなく古語辞書をスーツケースに入れていく人間は珍しいかもしれない。

しかし、和歌ログを継続するには、これは必需品である。これなしには、仮名遣いに自信の持てないところがあるので。

英語関係の辞書は PC に入っているので、逆に書籍の形の辞書を持ち運ぶ必要はない。それに、PC を使った作業だと、薄い紙のページをめくるより、キーボードを叩いて辞書を調べられる方が、作業の連続性があって、やりやすい。

しかし、古語辞書の場合は、やはり 「縦書き」 という雰囲気のせいもあるのだろうが、書籍の形の方がしっくりくるところがある。自分で書く場合には横書きで何の違和感もないのに、不思議なものである。

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平成十六年皐月 十四日に詠める歌

あめりかにありても結ぶ糸あればいつものごとく和歌ログをせむ

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明日はいよいよ米国に出発だ。

向こうからもいろいろと原稿を送ったり、自分のサイトの更新をしなければならないので、モバイル PC とモジュラーケーブルは必需品だ。

これさえあれば、私のサイトにアクセスしてくれる人たちと、ちゃんとつながっていられる。

米国の市内電話は、基本的に定額料金で、繋ぎっぱなしにしても請求される料金は変わらない。逆に、まめに切って繋ぎなおしたりする方が高く付く。


ホテルによっては、館内が LAN で結ばれていて、高速ネットワーキングが可能だが、往々にして受信はできても、発信のできないことが多い。

そんな場合は、メールを送ったりサイトの更新で FTP するときだけ、ダイヤルアップに切り替えたりする。なんだか馬鹿馬鹿しい気もするが、仕方がない。

いずれにしても、ダイヤルアップのためのモジュラーケーブルは必要だ。この写真の左側にあるのが、薄型ケースの中にコンパクトに巻き取れるケーブルである。

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2004年5月13日

平成十六年皐月 十三日に詠める歌

いと厚き漫画雑誌は道端で扇型して風に吹かるる

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今日も朝から風が強い。予報では日中にはますます強まるそうだ。

分厚い少年漫画雑誌が道端に捨てられて、強風にあおられ、扇形に開いている。

近所の農協にたてられた宣伝用の旗も、ちぎれんばかりにはためく。

今年は春から何かを象徴しているように、風の強い日が多い。

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2004年5月12日

平成十六年皐月 十二日に詠める歌

草刈りの鎌の刃先の欠けたるを研ぎに研ぎたりまたの日のため

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今度の日曜日は、町内の自治会の一斉草刈りが行われるのだが、私は土曜日に日本を発つので、参加できない。

サボるのでは不義理になるので、自宅の裏の土手の草だけでも自主的に刈っておこうと、午前の涼しい時間帯に作業した。

多少刈り残しはあるが、このくらい刈ってしまえば、当日の 3人分くらいの仕事はしたことになるだろう。

草刈り作業というのは、鎌の手入れで大変にもなれば、案外楽にもなる。さび付いたり刃先が鈍ったりした鎌では、作業効率がまったく違うし、後の筋肉痛も違ってくる。

草刈りが終わってから、使った鎌にみっちりと砥石をかけて、油を塗っておいた。後で楽をするためならば、多少の手間はかけた方がいい。 世の中というのは、三の手間をかければ、大抵の場合、十の楽ができる。

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2004年5月11日

平成十六年皐月 十一日に詠める歌

信長と茨木童子舞ひてあり口開けて見る飾り山笠

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昨日は博多に宿泊。夕方に同行したカメラマンと中州あたりを歩いていたら、「飾り山」 が展示してあった。

噂には聞いていたが、目の前にすると呆れるほど大きい。前面と後面に、桶狭間の戦いの様子と、茨木童子の芝居をテーマにした装飾が施されている。二人で口を開いて見上げてしまった。

始めは、こんなものを担いで走るのかとびっくりしたが、これは 「飾り山」 というもので、担いで走るのは 「追い山」 というもう少し低いものらしい。

そりゃあそうだろう。いくらなんでも、あんな大きなものを担いで走ったら、ひっくり返ってしまう。

それにしても、博多というところはかなりすごい文化のあるところである。

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2004年5月10日

平成十六年皐月 十日に詠める歌

真白なる雲の通ひ路ひたすらに西に向かへば青き海見ゆ

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朝の 9時過ぎに羽田をたって、北九州に向かっている。

東京はあいにくの雨だが、九州は午後から晴れるようだ。現地では野外での写真撮影もしなければならないので、好都合である。

大分以前から、私は自分が 「晴れ男」 であるという自覚がある。ここぞというときには、大抵天気が都合よく推移する。

日頃の行いがいいかどうかはわからないが。

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2004年5月 9日

平成十六年皐月 九日に詠める歌

郊外の国道沿いの日は暮れてオレンジ色の灯は並びゐる

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最近は昔からの商店街駅前よりも、国道沿いの大きな駐車場のある店の方が活気がある。

週末の土曜日、日が暮れても、駐車場に入る車の列は長く続く。

店の中の光と車のヘッドランプが、国道沿いに長く続いている。

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2004年5月 8日

平成十六年皐月 八日に詠める歌

皐月とはなほさやかなるものなりき記憶の中の初夏の光よ

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このところ、毎年のように、「今年の天気は変だね」 と言っているような気がする。

今日も風が強い。この 1ヶ月くらい、風の穏やかな日は数えるほどしかなかった。いつも風のうなる音を聞きながら仕事をしている。

子どもの頃の初夏というのは、もっと穏やかなものだったという印象がある。あるいは、典型的な初夏らしい穏やかな光景のみが、記憶に残っているだけなのかもしれないが。

近頃は、洗濯物の乾くのはありがたいが、湿度としては砂漠に近づいているような気がする。

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2004年5月 7日

平成十六年皐月 七日に詠める歌

ひさかたの光を浴びる県道のフロントガラスの内の影法師

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天気はようやくうららかになった。風さえなければ、もう少し降ってもよかったのだが。

連休が明けたばかりの金曜日ということで、明日からまた休みだから、道路は朝から混雑している。

世の中は忙しい。うららかな光を楽しんでもいられない。

私も、今日は金の支払いやら、受け取りやら、なんやかやで飛び回ることになる。

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2004年5月 6日

平成十六年皐月 六日に詠める歌

田の面に映れる空の挿し色の緑の画素は日ごと増え行く

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連休も終わり、末娘も高校に行った。

近所の田植えも進み、だんだんと緑が濃くなっていく。

田植えの済んでいないところと、植えたばかりのところは、空の色がそのまま移り込んでいるが、苗のある程度育ち始めたところは、だんだんと差し色の緑が増していく。

まるで、デジタル画像の緑のドットが増えていくように、田に映る空の色が日ごとに緑がかっていく。

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2004年5月 5日

平成十六年皐月 五日に詠める歌

平成十六年皐月 五日に詠める歌

やうやうの雨もあがりて渋滞も消へつつあるとラジオは告げり

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連休最終日は、季節が逆戻りしたような肌寒さだ。ようやくの雨も上がりつつあり、行楽帰りの渋滞もピークを越えたようだ。

それにしても、行楽地や高速道路のの混雑ぶりをニュースで聞くにつけ、「連休なんかにでかけるもんじゃない」 と思った。忙しくてどこにも行けなかった者のひがみかもしれないが。

行楽地の混雑は終えたかもしれないが、近所の道はまだまだ渋滞気味だ。ちょっとした買い物に、近所のショッピングモールに行っても、駐車場が満杯である。

今年は、秋頃にちょっとのんびりしたいなぁ。

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2004年5月 4日

平成十六年皐月四日に詠める歌

警報にあらねば注意報となる日ごとに空の乾きは進む

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昨日から風が強かったが、今日は輪をかけたような大風だ。

近頃、天気が極端で、毎日毎日何かの注意報や警報が出されっぱなしだ。今日は暴風警報である。

西日本は大荒れで、その雨が刻々と東海、関東に近づいているという。

昨日、町の有線放送で、農業用水が不足しているとの知らせがあった。いつもの年よりもだいぶ川の水位が低いらしい。

車で通りかかったときに見ると、確かに川底がむき出しだ。大雨は大変だが、少しは降ってくれないと、地面がカラカラに干からびてしまう。

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2004年5月 3日

平成十六年皐月三日に詠める歌

朝ぼらけ水張られたる田の面 (おも) に映る景色に昔思はる

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昨日に続いて肌寒いくらいの朝だ。

それでも、小川の向こうの田はきれいに水が張られ、一枚ずつ順番に田植えが終わっていく。

水の張られた田は、青空の下では青く、曇り空の元ではグレーである。そして、畦に続くいろいろなものを映し込む。

そして、稲が育つにつれて水面が見えなくなり、青々とした初夏の田に変わっていく。夏が過ぎて稲刈りの季節になると、水は落とされ、田の表面は乾燥していく。

稲の原産地である熱帯モンスーン気候の雨季と乾季を巧みに人工的にシミュレーションしているわけだ。2000年以上もそれを続けているのだから、大変なものである。

それを思うと、多少の昔を思い出すぐらいは、当たり前だ。

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2004年5月 2日

平成十六年皐月二日に詠める歌

兄二人靖国に在る義父なれば今年も歩む石の参道

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この時期、いつも仙台から来て我が家に滞在する義父 (妻の父) は、70代半ばにして、まだまだ足腰は達者である。

しかし、以前に比べれば、長い距離を歩かせるのは、やや気の毒な感じがするようになった。

それでも、東京に出れば電車で立ちっぱなしでも不平を言わず、靖国神社の長い参道を苦にせずに歩き、参拝する。兄 2人を先の戦争で失っているのだ。

義父に同行すると、靖国神社参拝をイデオロギーで論じることの不純さを感じる。

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2004年5月 1日

平成十皐月一日に詠める歌

をちこちに鼻突きつける犬待てば遠き景色も動かざるなり

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大型連休のまっただ中。今朝は風が強い。家族はほとんど出かけてしまい、一人で仕事に精を出す。

一歩大通りに出ると、行楽の車で混雑しているが、我が家の裏の川の土手はいたって呑気だ。

田に水を引くポンプの音が常に低く鳴る中を、犬の散歩をさせる人たちが行き交う。

犬は縄張りを確認するために、あちこちに立ち止まり、鼻を突きつけて熱心に臭いをかぐ。それをのんびりと待っていられるのは、休日なればである。

我が家の犬も生きていた頃はあんなだった。

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