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2004年8月31日

葉月三十一日に詠める歌

見渡せば倒るるほどになびきても野分の中に撥ね起きる葦

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Windy2

台風 16号は日本海を通っているらしいが、さすがに超大型らしく、関東にも大風をもたらしている。

昨夜はごうごうとなる風音に、いろいろな物が飛んだり倒れたりする音が一晩中響いていた。

朝になって、妻を外出先まで車で送ったのだが、近道の田んぼの中の道は、ハンドルを取られるような強風だった。休耕田には葦が生えているが、その葦が今にも倒れそうなほどになっている。なるほど、「野分」 である。

しかし、いくら地面と平行になるほどになびいても、少し風が収まると、撥ね上がるように立ち上がる。しぶといものである。

台風は私の田舎に向かって進んでいるようだが、さっき電話してみたら、まだそれほど風は強くないということだ。これからかも知れない。

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2004年8月30日

葉月三十日に詠める歌

初心者の長女の握るハンドルに息を詰めをり助手席の我

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Auto

長女が取手駅まで行くのに、運転の練習のために車に乗りたいという。帰りは私が運転して帰ってくれということである。

彼女は運転免許を取得したのはかなり前なのだが、原付バイクばかりで、四輪の運転はほとんどしていない。だから、たまには運転をしておきたいというのである。

取手駅までの約 20分間の道のりを運転させてみたが、まず、車庫から出るのに手間がかかる。細い道の運転は、まだちょっと不安だ。

県道に出てからは原付バイクでの走行感覚があるため、思いの外、安心していられる。とはいえ、細かいところはまだ危なっかしい。下手に小言を言って緊張させてはまずい。最低必要源のアドバイスでリラックスさせる。

取手駅に着いて自分が運転席についたら、かえって肩の力が抜けるのを感じた。

一緒に遠出をして、こちらが安心して酒でも飲んで運転を任せられるようになって欲しいものだ。

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2004年8月29日

葉月二十九日に詠める歌

秋雨に土手の黒味は増しゐるにエトランゼなり庭の赤土

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Dote

朝から雨で肌寒さを感じるほどだ。夏と秋は、こんなに見事に入れ替わるものか。

その差は人間には大きく感じられるが、ほんの 10度ぐらいの気温差は、地球規模で考えれば、取るに足らない紙一重なのかも知れない。

土手の土は関東ローム層の土だから、元の赤みが消えるほどではないが、雨に濡れて黒みを増している。

ところが、金網のフェンス一つ隔てた我が家の庭の土は、もっと赤い。他から持ってきた土で盛った宅地だから、色の違うのは当然だが、こんな時、よそ者であると意識される。

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2004年8月28日

葉月二十八日に詠める歌

枝揺らす風に消さるる蝉の声 草むらに鳴く虫はあれども

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Windy

本当に涼しくなったが、朝から風が強い。

窓から見える木の枝が一斉に揺れると、ゴォという風の音が低く響く。やはり台風の影響だろうか。今日は昼前から外出の予定なので、雨は降らないでもらいたいのだが。

草むらで鳴く虫の音がまだ聞こえるが、蝉の声はまったく聞こえない。昨日まではツクツクホウシが鳴いていたが、今日はぱったりと途絶えてしまった。

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2004年8月27日

葉月二十七日に詠める歌

風渡る土手のセイタカアワダチソウ頭は未だ黄味帯びずあり

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Shoshu2

今日は正午になってもエアコンのスイッチを入れていない。かぜがさわやかに吹いている。

田んぼはかなり色づいてきたが、手前の緑のままの部分は休耕田で、葦がぼうぼうに繁っている。

先日大がかりな除草作業の行われた川の土手には、刈り残したセイタカアワダチソウが固まって伸びている。まだてっぺんの部分は黄味を帯びてはいない。あれが黄色くなると、なんだか周りの景色に合わないものになる。

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2004年8月26日

葉月二十六日に詠める歌

どぶ川の流るる先に向日葵は夏の行方を見送りをりぬ

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River

Cocolog のシステムメンテナンスで、朝の 10時から夕方 6時までログイン画面が閉鎖された。

そのため、和歌ログの更新もできなかったが、その分、行く先々でいろいろな光景を写真に撮ることができた。これは夕方に新松戸駅近くの某社を訪問した時の途中の光景だ。

真夏の猛暑はもう過ぎ去ってしまったようで、外を歩いていても汗が滴り落ちるようなことはなくなった。その代わり、コンクリートで護岸を固められたどぶ川には、既に秋色をした空が映っている。それを覗き込むように、ヒマワリが咲いていて、まるで夏を惜しんでいるようだった。

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2004年8月25日

葉月二十五日に詠める歌

温度計は夏の数字を示しをり秋色見せる空のもとにも

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Shoshu

空は秋の気配を見せているが、外出にジャケットを羽織ると、結局は暑さを感じて途中で脱いでしまい、夜まで単に持ち歩くだけということになってしまう。

29度で涼しくなったなどと言っているが、子どもの頃はそれが真夏の最高気温だったりした。今年は連日 35度を越えたため、32度ぐらいで凌ぎやすい気がしたが、考えてみると空恐ろしい。

台風が近づいて、週末は要注意だという。

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2004年8月24日

葉月二十四日に詠める歌

通勤の山手線は巨大なる升で量りて人を吐き出す

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Station

五反田西口の朝、9時。道を隔てたバス停から見ていると、電車が着くたびに人がどっと湧き出るようにあふれ出す。

そして、その一群が信号を渡り、散ってしまうと、しばらくは驚くほど閑散とする。しかし、それもつかの間、また次の電車が駅に着くと、しばらくしてまたどっと人の群れがあふれ出す。そして、また閑散とする。その繰り返しだ。

まるで、巨大なる升で量ったように、大体決まった量の人混みが吐き出されるのである。

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2004年8月23日

葉月二十三日に詠める歌

唐突に秋は来にけり吹き抜けのカフェの真昼にシャンソンは流る

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Cafe

昨日から涼しいとは思っていたが、今朝目を覚ますと、唐突な秋だった。

今日から三日間、都心に居ずっぱりの仕事になる。早めの昼食をとり、駅前のコーヒーショップでカフェオレを飲んでいる。総ガラス張りで吹き抜けの洒落た店内から外を眺めると、真夏の日差しではない。

店内にはイージーリスニングのシャンソンが流れる。明日はどうなるかわからないが、今日は完全に秋の気配である。

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2004年8月22日

葉月二十二日に詠める歌

ベランダの白木に馴染む雨蛙 草に戻るも白さ留めり

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Frog

まず、蛙の嫌いな人がいらしたら、ごめんなさい。

ベランダの白木の上にいたアマガエルを写真に撮ろうとしたら、不意にジャンプして、庭の草に飛び移った。今まで白木の上にいて、体が保護色で白っぽくなっていたため、草の中にいてもまだ緑に戻れないでいる。

いくら保護色とはいえ、体の色はそんなに急には変われないもののようだ。

見ていると、だんだんと緑色が増してくるような気がしたが、やがて草の中に隠れてしまったので、色が変わりきるまで見届けることはできなかった。

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2004年8月21日

葉月二十一日に詠める歌

筋雲の下の稲穂は僅かにも黄金に色付き始めたるかな

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Sujigumo

夜明け頃から気持ちのいい涼しさになった。昼近くになっても、じっとしていても汗のにじみ出るような暑さはない。

空を見れば、初秋を思わせる筋雲が出ている。季節は変わり始めている。

下の田んぼは、かなり色づき始めている。来月になればそろそろ稲刈りだろう。今年はきっと豊作だ。

来週から忙しさが最高潮になる。今日と明日はその準備でバタバタすることになる。

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2004年8月20日

葉月二十日に詠める歌

打ち水の上をタイヤでなぞりつつ朝一番の宅配届く

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Pack

台風の吹き戻しの風の強かった一夜が明けると、またしても残暑の朝。風はまだ少し残っている。

台風は再上陸したようで、私の田舎のあたりでもけが人が出ているようだ。実家に電話を入れると、昨夜は風雨がかなり強かったが、今日は少しは涼しくなっているという。やはり、関東とは違って、秋の訪れが早いのか。

打ち水をしたばかりの道を、宅配便の小型トラックがやってきた。

妻の注文していたらしい基礎化粧品のパッケージである。妻は出かけたばかりだったので、私の財布から着払い代金を払う。結構な金額ではある。

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2004年8月19日

葉月十九日に詠める歌

帰りなむ垂直尾翼の彼方なる黒雲疾 (はや) き空を横切り

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Fukuoka_ap

博多の一夜が明けてホテルの部屋のテレビを点けると、台風 15号が玄界灘を通過中だと言っていた。ちっとも知らずに熟睡していたが、結構な雨風があったようだ。交通機関にもかなりの影響が出ているらしい。

9時頃にチェックアウトして地下鉄に乗ると、なるほど、ダイヤが乱れている。おいおい、帰りの飛行機は大丈夫だろうなと、少々心配になる。

自慢ではないが、私は高いところにはあまり上りたくないし、ローラーコースター的な絶叫マシンに乗って喜ぶようなところもない。要するに、そうした要素はちょっと恐いのである。

結果的には、フライトは時間通りの運行でちゃんと羽田に着くことができたが、途中は大分ゆれた。前日の飛行機もかなりの揺れだったが、それどころではない。内臓が体内で上下する感覚を何度も味わった。

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2004年8月18日

葉月十八日に詠める歌

すっぽりとどてらの如き雲羽織る富士を成層圏より眺む

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Fuji2

今日はまた九州だ。福岡空港まで来て、新幹線で小倉に入り、今昼食を摂り終えたところだ。

先週は駿河湾上空から望む富士山を写真に収めたが、今日は富士の真上近くを飛ぶ。その全貌を撮影できるかと期待していたのだが、期待に反して、富士は厚い雲を頭からすっぽりとどてらのように羽織った姿で現れた。なんだかあまり立派には見えないが、ちょっと滑稽な味がある。

九州の西海上を台風15号が北上している影響か、気流も不安定で、ところどころ、ローラーコースター状態だった。今日は一仕事して、博多泊まりになる。

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2004年8月17日

葉月十七日に詠める歌

水かさの引きし小川の岸の葉は秋の雨待つ心地こそすれ

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Riverbank

今日はまた、午後から雨になるそうだ。天気が周期的に変わるようになったら、もうそろそろ秋がそこまで来ているということだ。

一昨日のまとまった雨で、裏の小川の水かさが増えていたのだが、今朝はだいぶ減っている。昨日は、川岸の草が水流でへたってがらんどうのように見えるところまで、水位があったわけだ。

水位の下がった分だけ、草に覆われた部分が異次元の流れのように見える。

今日の午後から雨が降ったら、また少し水位が上がる。そして、秋が深まるに連れて、また水位は下がり始める。川は季節を正直に映し出す。

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2004年8月16日

葉月十六日に詠める歌

誰となくいつよろづ坂越へし夜の明けて聞こゆる蝉時雨かな

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Morning

本宅サイトの 「庄内拓明の知の海に跳び込め」 が、今月の 10日に 50,000ヒットを越えた。

キリ番を踏んだ人には記念の和歌をプレゼントすることになっていたのだが、今回も常連さんではなかったためか、連絡がなく、誰だかわからない。

従って、捧げる先もなく記念の和歌を詠んだ。次回は 60,000のキリプレになるが、今度こそ、捧げる先をはっきり意識して詠みたいものだ。

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2004年8月15日

葉月十五日に詠める歌

物干しにぶら下がれるは干し物にあらで雨粒のみの盆なり

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Raindrop

夜明け頃から雨の音が聞こえ、タオルケット 1枚では肌寒いくらいに感じた。

久しぶりの雨である。これで真夏日の連続記録もストップだろう。

昨日までは軒下には洗濯物がずらりと並んでいたが、今日は室内に引っ込んでいる。低い音を響かせているのは、久しぶりで出番が回ってきた乾燥機である。

明日からはまた残暑が戻るというが、これで地面が冷えたので無茶苦茶な暑さにはならずに済むだろう。

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2004年8月14日

葉月十四日に詠める歌

狂い咲くただ一房の紫陽花は乾ける盆に雨を呼ぶらむ

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Ajisai

我が家の裏の空き地に、紫陽花が狂い咲きしているのが見つかった。

この紫陽花は、枯れかかっていたのを向かいのご主人が丹精して蘇生させてくれたものである。生き返ったばかりなので、体力がなく、この梅雨時には、ほんの 2〜3房しか咲かなかった。しかし、体力が回復するにつれて、夏のうちにもう一度花を咲かせてみたくなったのだろう。 

明日は雨が降るという。待ち遠しかった雨を紫陽花が呼ぶようだ。

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2004年8月13日

葉月十三日に詠める歌

蒼海を滑りし後は青空で青紫の富士見下ろせり

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Fuji

大分駅前をちょうどお昼頃に出て帰ってきた。

話のタネにと、日本で唯一というホーバークラフトで、別府湾を一気に滑走し、大分空港に着いて振り返ると、南の海は蒼く輝いていた。いつもながら、旅先では天気に恵まれる。ありがたいことである。

機内では左側主翼後ろの窓際という好位置に恵まれた。瀬戸内海、大阪、浜名湖、富士山が次々に現れる。天気と座席と時間帯の三拍子揃うというのは、そうそうあることではない。

空の青、海の青、地上の緑と、青のバリエーションを堪能する素晴らしいフライトだった。

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2004年8月12日

葉月十二日に詠める歌

空の色映せる海は国東 (くにさき) を浮かべ静まる別府湾てふ

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Beppu_bay

仕事で大分に来ている。昼前に大分空港に着き、空の色を青く映した別府湾を左に見て、バスで大分に向かう。

大分空港から大分駅前までは、途中別府温泉を経由して 1時間以上かかる。つまり、大分空港というのは 「大分市の空港」 ではなく、別府や由布院にくる観光客のために造られた、「大分県の空港」 という意味なのだと知る。

それにしても、九州の空は透明度が違う。海も透明だ。空気もそんな感じがする。たった一泊で帰るのは惜しい気がする。

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2004年8月11日

葉月十一日に詠める歌

大雨を告ぐる積雲山際にありてテレビのアンテナ高し

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Asahi

asahi.jpg昨日、車を飛ばして田舎から帰ってきた。

途中、山形から宮城に抜ける山形道で、猛烈な豪雨に襲われた。車のワイパーを最高速で動かしても前がよく見えないほどで、高速道路とはいえ、50km/h ぐらいのスピードでノロノロと山道を下ってきた。

南東からの湿った空気が奥羽山脈を越えるときに、湿り気だけを雑巾でも絞るように濾し撮られるという感じである。

途中、山形側の朝日村から移した写真に、その大雨を予告するような雲が映っていた。なるほど、この雲がますます成長して、あの大雨を降らせたわけだ。

大雨のおかげで、車が洗車したようにきれいになったのは、ありがたいことであった。

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2004年8月10日

葉月十日に詠める歌

鐘見れば諸行無常と聞こゆるもこの身即ち仏ならんか

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Kane

昨日法事をしたお寺には、小さいが立派な鐘がある。

写真に修めてファイルネームをつけて保存するととき、"kane.jpg" とした。私は MS-DOS 時代からの癖で、ファイルネームはできるだけ手短な英語でつけるのが常なのだが、今回は "bell.jpg"ではなく、"kane.jpg" とした。

あのディンドン、ディンドンとなる西洋の 「ベル」 ではなく、「ゴォーン」 となる 「鐘」 は、やっぱりファイルネームも "kane" でないと気分が出ない。

「諸行無常」 ではあっても、「この身即ち仏」 との 「常なる悟り」 を保持すべきなのだろうが、白隠禅師でも 「大悟七回小悟数知れず」 というのだから、なかなか大変なことではある。

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2004年8月 9日

葉月九日に詠める歌

金色の荘厳のもとこの我も本来 「仏」 であると知らさる

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Temple

義母(妻の母) の十三回忌で仙台に来ている。本当の命日は旧盆の真っ最中なのだが、それではお寺が忙しすぎるので、法事は今日になった。

仙台も、今日は熱い。炎天下、金色の荘厳(しょうごん)の下、お経が流れる。多分、法華経普賢菩薩勸發品というお経だと思う。お経はさっぱりわからなかったが、白隠禅師座禅和讃というのはお馴染みだった。

衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 例えば水の中に居て 渇を叫ぶがごときなり 長者の家の子となりて 貧理に迷うに異ならず

そうか、自分も本来 「仏」 であるはずだったか。

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2004年8月 8日

葉月八日に詠める歌

旧盆を前に稲穂は頭垂れ 「温暖化」 てふ三文字浮かぶ

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Inaho_20210629160101

ちょっと前から気付いていたのだが、稲に実がなって、既に垂れ下がってきている。

早いところでは、7月下旬からこんな状態が見えていた。近頃では、ほとんどの田で稲穂が頭を垂れている。

毎年、こんなに早かったか? 私が東北生まれだから、稲の実るのは 9月過ぎと思いこんでいただけなのか。しかし、いくら何でも、ちょっと早すぎるような気がする。

確かに地球は温暖化しているのだろうという実感が湧いてくる。

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2004年8月 7日

葉月七日に詠める歌

夕焼けを隠して雲の広がればその背後なる夕日偲ばる

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Twilight

天気はいいのだが、湿度が高い。夕方もきれいな夕焼けにはならない。

その代わり、雲の陰影が見事なコントラストを描く。写真にしてしまうと、そのコントラストはさらに増幅される気がする。

来週と再来週は、旅が多くなる。天気がよければありがたい。

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2004年8月 6日

葉月六日に詠める歌

エアコンの水溜め置きてまん丸に映れる空を地に放つなり

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Backet

2階のオフィスで使っているエアコンの室外機からは、ベランダの隅の溝を通って、庭に水がぽたぽたと落ちるようになっていて、それを昔ながらのブリキバケツで受けている。

この水を打ち水に使うのだが、午前と夕方の 2回分の水が溜まる。

まあ、エアコンで排出した熱を、自分で出した水で冷やしていると思えば、大したことをやっているわけでもない。

この写真は、まさに水滴が落ちて、しずくが飛び散っている瞬間である。

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2004年8月 5日

葉月五日に詠める歌

鳥はちゅん蝉はじじじの時雨にて猫も鳴きをり姿見えねど

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Alley

夏の真昼が近づくと、陽は真上から照り降ろす。影は濃く、すべてのものの足下に凝縮する。

そんな中で、スズメとアブラゼミの鳴く声がひっきりなしに聞こえている。姿は見えない。空を見上げると、まぶしさに目がくらんで、真っ白な空間が見えるだけだ。

すると、足下から猫の鳴く声が聞こえる。こちらも、声はすれども姿は見えない。

追記 (葉月六日)

翌日に推敲せり。元の歌は以下なりき。

鳥はちち蝉はじじじと猫にゃあと鳴く声聞こゆ姿見えねど

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2004年8月 4日

葉月四日に詠める歌

エンジンは低く鳴れども草刈り機進み行く後に道はできつつ

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Kusakari

裏の土手からエンジンの音が響いてくると思ったら、草刈り機が通っているのだった。

歩くよりも遅いスピードなので、低音ながらあたりを揺るがすようなエンジンの響きが、なかなか通り過ぎてくれない。

草が生え放題で、しばらく土手の向こう岸は散歩もできなかったが、これで道ができて、散歩ができるようになった。

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2004年8月 3日

葉月三日に詠める歌

湧き上がる雲の輪郭輝けば見えぬ夏の陽強く差すらむ

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Cloud

朝から雲が多く、太陽は出たり隠れたりしている。

天気予報では、夕方からはかなりの雨が降ると言っている。そのような雲行きである。

太陽が雲に隠れても、湧き上がる雲の上の方の輪郭だけが、妙に明るく照らされている。日差し自体は相当に強いのだろう。この熱で、ますます水蒸気が上に上がっていき、雨を降らす雲になる。

夏の天気は、案外単細胞だ。

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2004年8月 2日

葉月二日に詠める歌

この駅は市場なりとぞ知られたる夏の陽満つる雑踏の中

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Ueno_st

いくら気取った改装を施しても上野駅が上野駅以外の何物でもないのは、この駅が半ば露天に近いからだとわかった。

東北方面からくる在来線の電車を降り、改札を通り抜けて上野広小路方面口に向かうコンコースは、半透明の屋根に覆われて、真夏の日差しが強烈に感じられる。

「ここは、露天市場なのだ」 とわかった。本来ここにあるべき商品が、たまたま通りを隔てたアメ横に並べられているというだけのことだ。

田舎から出てきて、最初に降りた駅が、東京駅でなくて上野駅だったことが、私には幸いのことに思われた。

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2004年8月 1日

葉月一日に詠める歌

片隅の棚のそのまた隅なれど近きに眠るあの黒電話

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Phone

二階の廊下の片隅に置いてある棚には、種々雑多な物が放り込まれてある。

ちゃんと整理すれば、半分以上は不要品として捨てることになりそうな気がする。

その棚の右上の隅に、だいぶ以前から用済みになった黒電話が鎮座ましましている。確か、壊れてしまって使い物になりもしないのに、誰も捨てようとしない。幾たびかの大掃除の荒波をもくぐり抜け、まだここに眠っている。

世の中では 「サザエさんの電話」 と呼ばれるほどで、あの長寿アニメ以外ではついぞ見ることもなくなったものだが、なぜか捨てるには惜しい気がしているのである。

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