葉月九日に詠める歌
金色の荘厳のもとこの我も本来 「仏」 であると知らさる
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義母(妻の母) の十三回忌で仙台に来ている。本当の命日は旧盆の真っ最中なのだが、それではお寺が忙しすぎるので、法事は今日になった。
仙台も、今日は熱い。炎天下、金色の荘厳(しょうごん)の下、お経が流れる。多分、法華経普賢菩薩勸發品というお経だと思う。お経はさっぱりわからなかったが、白隠禅師座禅和讃というのはお馴染みだった。
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 例えば水の中に居て 渇を叫ぶがごときなり 長者の家の子となりて 貧理に迷うに異ならず
そうか、自分も本来 「仏」 であるはずだったか。
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コメント
takさん、こんばんは。
お義母さまの十三回忌だったのですね。
takさんの想い、きっと空まで届いたことでしょう。
私たちも仏・・・真理はいつでも、気付かないところに
ひっそりと息づいているのですね。
またtakさんに教えていただきました。
ありがとうございます。
投稿: 小野伊都子 | 2004年8月 9日 23時38分
本来 「仏」 であるはずなんですが、
その「本来相」がなかなか現れません ^^;)
投稿: tak | 2004年8月10日 06時09分