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2004年9月30日

長月三十日に詠める歌

一日をデスクワークで過ごしけり雲に夕日の赤味差す見ゆ

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Cloud

一昨日の晩に中秋の名月が綺麗に見えたのは、本当にギリギリの運のよさみたいなものだったようだ。

昨日は朝から荒れ模様で、大雨にはならなかったが、一日どんよりして風が強かった。外出する用がなくて助かった。

今日も一日デスクワーク。一転して台風一過の晴天で、久しぶりでかなり気温が上がったようだが、ゆっくりと空を見たのは、夕刻である。雲に夕日の赤味がさしている。雲の毛羽立ち具合で、風がまだまだ強いことが知られた。

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2004年9月29日

長月二十九日に詠める歌

風渡る秋の夜長を行く雲の久しく切れて冴ゆる名月

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Moon0409

昨日の和歌ログで、上野の山で桜川ぴん助師匠のかっぽれを見ているうちに、曇り空が晴れてきたと書いた。

これなら中秋の名月も見られるかもしれないと期待していたが、午後からまたどんよりとした曇り空になったので、半ば諦めていたのである。

しかし、夜の 10時を過ぎたあたりから、雲が切れ始め、まん丸の月が冴え渡って見え始めた。

あまりにも見事に雲が切れたので、本当に言霊の力を信じたくなった。

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2004年9月28日

長月二十八日に詠める歌

かっぽれが上野の山の雲晴らす浮かれ出で来よ今宵の月も

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Kappore_20210629183501

仕事の話で上野で人と待ち合わせたら、彼は江戸文化が大好きだと言う。

そんな話をしながら上野公園を少し歩いたら、桜川ぴん助社中が「かっぽれ」 のデモンストレーションをしているのに遭遇、大喜びしてしまった。

実は、私は今の桜川ぴん助師匠のサイン入り本を持っているが、ご当人の踊るのを生で見たことがなかった。こんなところで踊るのを見られるとは思いも寄らなかったので、本当にうれしかった。

桜川ぴん助師匠は、先代の娘さん。男名前なのは、先代までが男性だったから。背筋がぴんと伸びて、腰の入った踊りは、さすがだった。 

今日は中秋の名月。ずっと曇っていたが、かっぽれを見たら晴れてきた。もしかしたら、満月が見られるかもしれない。

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2004年9月27日

長月二十七日に詠める歌

この年も秋は来にけり雨垂れの水道よりも冷たくなりぬ

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River0409

早朝から今にも降りそうな空模様だったが、本格的な雨になった。川面に雨粒の描く輪がいくつも広がる。

サンダルで外に出ると、足にあたる雨粒が冷たい。草の中を歩くと、雨の滴で足が冷えるほどだ。いつの間にか、雨がこんなに冷たくなったかと驚く。

我が町の水道は地下水を利用しているので、この季節になると、とても暖かく感じる。冬になればそれなりに冷たくなるが、秋になりかかった頃というのは、地面の中は夏の暑さをまだ蓄えているらしく、それほど冷えてはいないのだろう。

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2004年9月26日

長月二十六日に詠める歌

夜通しの雨の滴を残しつつ名月の夜を待つか尾花も

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Susuki2

夕べは夜通し雨が降っていたようだが、朝には上がっていた。

家の塀の外のススキは、茎にしずくを留めて、風に揺れている。

中秋の名月は明後日。その前に雨が降れば、当日は晴れるかと思っていたが、週間天気予報では、関東は曇りという。十五夜のために雨に耐えていたような姿だったが、どうなることか。

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2004年9月25日

長月二十五日に詠める歌

たちこめる雲は動かず風のみの吹き過ぐる午後秋は来にけり

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Road

一日外出もせず、仕事。

パソコンの液晶画面とのにらめっこに疲れて窓の外をみれば、雲はたちこめて動かない。風のみが少し吹いている。

この風が秋を連れてきている。来週は中秋の名月。その前に、湿り気を使い果たしておいてくれるようだ。冴え渡る月を期待しよう。

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2004年9月24日

長月二十四日に詠める歌

紫のローズマリーの花咲けり無骨な枝に似ぬ可憐さで

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Rosemary

我が家の玄関先にはローズマリーというハーブが植えてある。

ローズマリーという名前から、可憐な草を想像していたのだが、育ってみると、かなり質実剛健なハーブで、マツバボタンをもっとごつごつにしたような葉がびっしりと生え、しかも草本ではなく、木本なのだそうだ。

最近では木本らしくさらにはっきりと木質化してきており、まだ腰までの高さには届いていないが、それでも玄関先で一定の風格を身に付け始めている。

そして、花だけは紫色をして可憐に咲く。

低木とはいえ、生長すれば 2メートルぐらいになることもあるそうだが、この可憐な花が咲くのなら、それでもいいだろう。

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2004年9月23日

長月二十三日に詠める歌

ぽつぽつと咲き始めたる彼岸花 彼岸過ぎには土手埋もるらむ

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Higanbana

今日は秋の彼岸。ふと踊り場の窓から裏の土手をみると、赤い彼岸花が咲いている。

彼岸の頃になると必ず咲き始め、もう少し経つと土手を埋め尽くすほど増える。

昔はやったという歌に 「赤い花なら 曼珠沙華、オランダ屋敷に雨がふる」 というのがある。これほど派手なまでに赤い色をした花なのに、なぜかそのイメージは陽性ではない。「死人花」 なんていう別名まである。

同じ花でも、真夏に咲いたら 「死人花」 なんて名前は付けられなかっただろうに。

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2004年9月22日

長月二十二日に詠める歌

雨を呼ぶ風は尾花を揺らしをり六日後には秋の十五夜

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Susuki

ラジオを聞きながら仕事をしていると、聴取者からの電話で、つくば市は雷がなり、雨が降っているという。

そのすぐ南隣のわが街は、まだ時折薄日がさすが、風はだいぶ湿り気を帯びてきている。もう秋の風だ。

来週の火曜日は、もう中秋の名月だ。我が家のフェンスの外に植えられているススキが穂を出して、風になびいている。

ところで、十五夜といえども、暦のズレの関係で必ずしも月齢がきちんと満月になるわけではないらしいが、今年の中秋の名月は、ぴったりの満月になるらしい。天気がよければいいが。

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2004年9月21日

長月二十一日に詠める歌

 虫のりり鳥のちちてふ声のして入り交じれるを聞き分くる朝

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Morn

関東地方だけが好天に恵まれる一日らしい。南風がやや強いが、洗濯日和の朝である。

窓の外から鳥の声が聞こえてくる。鳥の声だけかと思っていると、どうやらまだ、虫の声も止んではいない。

似た声だが、鳥はチュンチュン、チチチと聞こえ、その間を縫って、虫がリリリリ・・・と鳴き続けている。

入り交じって聞こえる音を聞き分けていると、だんだんと目が覚めてくる。

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2004年9月20日

長月二十日に詠める歌

彼岸前ヘッドライトは灯せどもまだ残りをり空の明るさ

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Twilight0409

三連休の初日を除き、二日連続で、水戸方面に仕事があり、車で往復した。

家路に着く午後 6時頃、さすがに日の入りは早くなって、国道を行く車はみなヘッドライトを灯し始める。しかし、ふと空を見ると、意外なほど明るさが残っているのに驚く。彼岸前の微妙な季節感である。

国道を走りながら、無事に仕事が終わったことにほっとする。

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2004年9月19日

長月十九日に詠める歌

ふと見ればをちこちに咲く蕎麦の花その寡黙なる真白さもちて

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Soba

つくばの里にも案外あちこちに蕎麦畑があり、今、白い花が満開になっている。

蕎麦は雑穀の名にふさわしく、畑で花が満開になっていてもあまり目立たない。ふと気が付くと、真っ白な花がびっしりと咲いているのだが、高さもバラバラに不揃いで、下手すると雑草のように見えないこともない。花にもう少し色味があれば目立つのだろうが、小さな白い花は、とても質素で寡黙だ。

もう少しすれば蕎麦の実がみのり、乾燥されて新蕎麦として出荷される。楽しみなことである。

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2004年9月18日

長月十八日に詠める歌

三角形二辺の和は他の一辺より長し点字ブロックにても

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Tenjiblock

今、ラジオの (テレビはよく知らない) 公共広告機構の広告で、点字ブロックの上や周囲に物を放置しないようにキャンペーンしている。

改めて見ると、駅のプラットホームなどにも点字ブロックはびっしりと設置してあるのだった。なるほどと思った。

しかし、点字ブロックの敷かれた道筋をみると、直線と直角ばかり多い。

知り合いに目の不自由な方がいないので、直接聞いてみたことはないのだが、あのような直角の多い道筋は歩きにくくないのだろうかと疑問を感じた。

私なら斜めに行くようなところでも、まっすぐ行って直角を二度通過させるという設計になっている。「三角形二辺の和は他の一辺より長い」 という定理を思い出してしまった。

とくに、この写真の場合は、まっすぐに行っても何の問題もないように思えるところも、なぜか「コ」 の字型に遠回りして行くようになっている。四角形の三辺の和は、他の一辺よりずっと長い。

もしかして、何らかの意味があるのかもしれないが、よくわからない。

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2004年9月17日

長月十七日に詠める歌

通勤に出張観光里帰り朝の上野に世界は詰まる

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Ueno0409

朝、ちょうど通勤ラッシュの時間帯に取手駅を出て、上野から仙台行きの新幹線に乗る。

金曜日とあって、この時間帯でも上野駅は通勤電車に乗る人の波にまぎれて、観光や帰郷の旅と思われる人も多い。背広姿で新幹線ホームを目指す出張の人もいる。

私も出張ではあるが、背広姿ではない。フリーランス的な仕事をしていると、ネクタイに首を絞められずに済むのがありがたい。

仲間同士で観光に出かける年配の女性グループは、旅慣れない人も混じっていて、すぐにはぐれそうになる。リーダー格の人はさぞかし大変だろうと思うが、生来の世話好きなのだろうか、細々と気を使うのに慣れていて、見ていても安心だ。大したものだ。

朝の駅の中には、世界が詰まっている。

最近は月に 2〜3度の出張だが、今日は珍しく、とんぼ返りの日帰り。時間に余裕があれば、妻の実家に顔を出して墓参りでもしたかったが、それも叶わない。

新幹線も二階建車両の下の座席しか取れなかった。下の座席はガードにさえぎられて、景色はほとんど空しか見えない。帰りは二階席が取れているが、夜だから景色というほどのものは見えないだろう。

単に行って仕事をして帰るだけの旅である。まあ、その仕事をがんばろう。

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2004年9月16日

長月十六日に詠める歌

目に見えぬ全ての流れ瀬の水の輝きて行く如く流れよ

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Seki

稲刈りの頃になると、田に廻す水を確保しなくてもいいので、近所の堰は水門を開けて放水した。

これまで満々と湛えられていた水が減り、春から夏にかけては湖の底にあった部分が現れる。露出した部分には既に短い草が生えているところもある。

小貝川は本来の水路に沿い、流れがさざ波となって朝日に輝く。こうしてみると、水の 「流れる」 ということは素晴らしいことだとわかる。

水ばかりではない。滞ることなく循環するということは、自然の摂理の基本なのだろう。世の中の目に見えない流れも、全てこのように穏やかに流れよと祈る。

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2004年9月15日

長月十五日に詠める歌

籾殻はまず黒く焦げしかる後香り残して白灰となる

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Smoke

ほんの1週間ほどのうちに、ほとんどの田の稲刈りは済んでしまった。

店頭にはもう新米が出始めている。天日でゆっくり乾燥させたら、もう少し後になるのではなかろうかという気もするが、そのあたりのことはよくわからない。

あちこちの田で、籾殻を積み上げて燃やす煙がたなびいている。今日は朝から風が強いので、煙はほぼ真横に流れ、煙の中を通るととても香ばしい。

籾殻は徐々に黒く焦げて煙を出すが、燃え尽きた後をみると、思いがけないほどの白さの灰になっている。

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2004年9月14日

長月十四日に詠める歌

真横より見る観覧車平らにて花火もかくと思ひし頃あり

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  F_wheel

新橋から 「ゆりかもめ」 に乗って有明方面に向かうと、テレコムセンターの駅からみる大観覧車は、ちょうど真横の位置関係になって、まっすぐの直線に見える。

不思議な感じのする光景である。

子どもの頃、真夏の夜空に打ち上げられる花火も、真横から見れば平らに見えるものだと思っていた。

どこから見ても丸く見えると教えられ、理屈でそれを理解しても、他の位置から見ても、同じように見事に見えるとは、体感的には信じられなかった。

幼い日の花火はそれほどまでに素敵だった。それを真正面から体一杯に受け止め、一瞬後に腹の底まで響く 「ドン!」を楽しんでいた。

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2004年9月13日

長月十三日に詠める歌

草の色映す川面に舞ひ降りて鷺は見るらむおのが白さを

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Sagi3

稲刈りの季節になると、川の水は急に少なくなる。

鷺が舞い降りても、足先だけが水に沈むほどの水量だ。夏の間は田んぼで餌を漁っていたが、刈田はどんどん乾いていくので、川に集まるようになる。

今日は風も弱く、川面は鏡のように穏やかだ。草木の色は濃い緑となって、川面の色に溶け込んでいる。

その中に白鷺が立つ。水面に映る自分の白い影を保つように、じっと動かずにいるときがある。

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2004年9月12日

長月十二日に詠める歌

早朝の浄き日浴びるジョギングもウィンドブレーカー着る頃となりぬ

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Jogging

所用で早朝に家を出て、車で国道を北に向かった。

朝日を浴びる家々の壁は美しい。その前を早朝ジョギングの人たちが通り過ぎる。

少し前までは皆、ランニングシャツ 1枚で走っていたが、今日はウィンドブレーカーを着ている人が目立つ。夏は過ぎ行き、秋の色はどんどん濃くなってくる。

和歌を見て、私自身が早朝ジョギングをしていると思われた方もいるかもしれないが、今日は他人の尻馬に乗ってしまった。悪しからず。

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2004年9月11日

長月十一日に詠める歌

人の世よ命日の人あまたあるこの日誕生日という友も

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Ground0

ネットで知り合った人の BBS に誕生日のお祝いの書き込みをして、今日が 「あの日」 だと思い出した。

今日が誕生日の人は、お祝いの日にあの忌まわしい同時多発テロが起きてしまったのだから、本当に複雑な気持ちがしただろう。人の世は本当にいろいろなことが錯綜している。

写真は、今年 5月の米国出張で、グラウンド・ゼロを訪れた時に撮影したものだ。(参照)  私は空港からマンハッタンに向かっているとき、左側にあの大きなツインタワーがないという光景に、まだ慣れていない。心が痛む。

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2004年9月10日

長月十日に詠める歌

自動車は単なる 「モノ」 と見ゆるらむ人を認めて鷺は飛び立つ

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Sagi2

通学の娘を駅まで送った帰り道、田んぼの中の近道を通ると沿道のすぐ近くのところまで鷺がいた。

車が頻繁に行きすぎるのに動じる気配もなく、何かをついばんでいる。すぐそばに車を止めてデジカメのシャッターを押しても、逃げることもなく安心している。

もう少し近づけるだろうかと、車から降りたところ、私の姿を認めると同時に、一斉に飛び立って遠くに去ってしまった。車は無害だが、人間は有害だと思っているらしい。

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2004年9月 9日

長月九日に詠める歌

露残る刈田に群れる白鷺に朱鷺の運命 (さだめ) を避けよと願ふ

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Sagi

朝の刈田に20羽ほどの白鷺が舞い降りて、なにやらついばんでいた。

鷺の餌といえば、ドジョウなどの小さな魚と思っていたが、田んぼの中に刈り落とした籾粒でも食べるのだろうか。

それにしても、近頃は鷺が少なくなった。こんなに多くの群れを見るのは久しぶりである。朱鷺も昔はそこら中にいたという。鷺が将来、朱鷺のように絶滅寸前にならないとも限らない。そんな運命を避けてもらいたいと思う。

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2004年9月 8日

長月八日に詠める歌

乾きたる土潤へば今こそと草は伸びゆく台風一過

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Grass

このところ、台風などの影響で少しは雨が降ったせいか、裏の土手の雑草が急に伸びてきた。

7月と 8月は極端に雨が少なかったので、いくら日差しが強くても地面がからからに乾いて、雑草も伸びることができず、今年の夏の草刈りは案外楽だった。もっとも、熱射病に気を付けなければならなかったが。

最近になって連続して台風が通り過ぎたため、ようやく地面に湿り気が戻り、雑草も生気を取り戻したようだ。また草刈りが大変になる。

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2004年9月 7日

長月七日に詠める歌

越後なる香り我が身の奥深き DNA に馴染める心地す

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Echigo

昨夜は新潟出張で駅前のホテルに一泊し、朝に発って今、都内の訪問先に向かっている。

学生時代は、山形県の庄内から羽越線、上越線を経由し、清水トンネルを越えて関東平野に入り、上野駅に着くまで、急行で 9時間以上かかった。新潟からでも 6時間ほどを要した。真っ平らな新潟平野を延々と辿ると、その風景の変化のなさにうんざりしたものだ。

ところが今、新潟からはほぼ 2時間で戻ってこれる。感覚的にはとても近くなった。

新潟は、私の故郷の庄内と続いているので、光景がよく似ている。延々と続く水田、海岸の砂丘。いかにも日本海側という植生。故郷の空気を吸っているような気がする。

昔から、新潟出身の人とは馬が合う。DNA に共通したものでもあるのかもしれない。

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2004年9月 6日

長月六日に詠める歌

雷の明くる日はまたなゐ野分その明くる日に越後に向かふ

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Woods0409

今日は新潟に出張。朝から新幹線に乗る。

一昨日の夜は遅くまで雷が鳴り、昨夜は近畿東海に地震があった。今日は朝から沖縄が台風に見舞われているというニュースが流れている。

その隙間を縫うように新潟に向かう。図らずも、最も影響の少なそうな行き先だ。明日に帰ってくることになるが、その頃までは天気もなんとか持つだろう。

季節の変わり目、いろいろなことが起きる。それでも、世界は今までどおり廻っているだけだ。いろいろなことは人間がそれを受け取るから起きるのだと思う。受け取ることは差し出されることだ。

ちなみに、「なゐ」 は地震の古語。

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2004年9月 5日

長月五日に詠める歌

水溜まり空を映して静まれば地に穿ちたる世界は深し

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Reflection0409

昨日からの雨。地面にようやく湿り気が戻った。

蕎麦屋の駐車場のところどころに水溜まりができている。雨が止み、風も収まったので、水面は静かだ。砂利の石ころも沈みきれない浅い水溜まりのくせに、駐車した車の色を忠実に移し、空の雲の色合いも鏡のように再現している。

ちっぽけな水溜まりにこれほどの世界が映るのは、考えてみれば不思議なことである。それは水面の静まればこそなのだと感じた。

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2004年9月 4日

長月四日に詠める歌

焼香もそこそこに去る信薄き我をも救ふや阿弥陀如来は

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Temple0409

昨日の葬儀は大変盛大なもので、焼香に訪れた長蛇の列を捌くため、焼香は1回、遺族への挨拶も立ち止まらずにということだった。

平日ということもあり、焼香を終えた人の多くは、足早に街に消えて行く。本堂まで詣でる人影はまばらだ。

故人の冥福をゆったりと祈るには、少々慌ただしい気がしたので、焼香を終えてから、改めて本堂に参拝した。立派な阿弥陀仏が正面に座していた。衆生をすべて救う慈悲のまなざしだ。

そのまなざしとゆっくり差し向きたかったが、再び焼香して合掌しただけで、足早に仕事に戻った。

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2004年9月 3日

長月三日に詠める歌

人の死は今生の実の刈り入れかその残り香の漂へる午後

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Harvest

さる人の葬儀に出かけた。駅までの近道、田んぼの中の道を行く。

もう稲刈りが始まっている。早いものだ。

葬儀は芝の増上寺で盛大に執り行われた。死とは今生の刈り入れのように思われた。

その実の残り香を漂わすことのできる人生であれば、そしてその香りを受け継ぐものがあれば、幸せであったということだろう。

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2004年9月 2日

長月二日に詠める歌

ペダル踏む少年のシャツは風孕み鎧と化せり細き背離れ

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Bike0409

昨日から学校の 2学期が始まった。末娘を車で駅まで送る。裏道は集団登校の小学生や自転車の中学生、高校生が行きすぎる。

今日も思いの外、風が強く、田んぼの中の吹きさらしの道を行く自転車は、前傾姿勢でペダルを漕いでいる。

向かい風の中を行く自転車の少年の真っ白い開襟シャツは、風をはらんで一杯に膨らみ、はためいている。

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2004年9月 1日

長月一日に詠める歌

郊外のショッピングセンターの屋根低く夕暮れ時の影のみ長し

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Sunset

9月になった。気温は高いが、蒸し暑くはない。日が傾くと涼しさを感じさせる。

郊外のショッピングセンターの本屋により、雑誌を買う。都心のショッピングビルとは違い、土地に余裕があるからすべて平屋の構造だ。その方が、エレベーターやエスカレーターに余分なコストをかけなくて済む。

低い屋根の向こうに日が沈もうとしている。建物は低くても、影は長く長く伸びている。これから、夕暮れはどんどん早くなる。

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