霜月三十日に詠める歌
クリスマスは伝統行事となりにけりツリーに下がる短冊みれば
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街にクリスマスツリーが目立っている。有明の TFT ビルのロビーにも、3本のクリスマスツリーが立った。
ここのクリスマスツリーは、毎年願い事をかいたカードをぶら下げるという趣向である。なんだか七夕じみているが、まぁ、いいだろう。
今日で霜月も終わり、明日からは師走になる。
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クリスマスは伝統行事となりにけりツリーに下がる短冊みれば
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街にクリスマスツリーが目立っている。有明の TFT ビルのロビーにも、3本のクリスマスツリーが立った。
ここのクリスマスツリーは、毎年願い事をかいたカードをぶら下げるという趣向である。なんだか七夕じみているが、まぁ、いいだろう。
今日で霜月も終わり、明日からは師走になる。
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秋の夜のホームページのカウンターただ廻りたり何事もなく
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今月の十日に、私の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 が、6万ヒットを越えた。
キリ番プレゼントとして、和歌を捧げることにしていたので、連絡待ちをしていたのだが、二週間経過して、ついに時間切れということにさせていただいた。今回も、一見さんが無意識に踏んでしまったようだ。
以前はキリ番を踏むのは常連さんがほとんどだったのだが、最近はアクセスが増えてしまったので、何回か連続でうやむやになってしまった。狙っていた常連さんには済まないことである。
というわけで、だいぶ遅くなってしまったのだが、今回も記念の和歌を 「捧げ先知らず」 で詠ませていただいた。
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松茂る高みに立ちて見ゆるもの見えざるもののすべてふるさと
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酒田には 「光丘」 と名の付く地名や施設が多い。私の出た小学校は 「光ケ丘小学校」 と言ったが、今は統廃合でなくなってしまった。「光ケ丘」 という地名は、今でもあるはずだ。
これは、古の大地主、本間家の三代目、本間光丘 (みつおか) にちなんでいる。なんでも、庄内砂丘の防砂林を整備した大功労者ということだ。その彼を祭った神社が 「光丘神社 (こうきゅうじんじゃ)」 で、本間家寄贈の古文書を集めたのが 「光丘文庫 (こうきゅうぶんこ)」 である。幼い頃は、高級な神社のそばにある高級な文庫だと思っていた。
光丘神社のある日和山公園に生える松の多くは、北西の季節風に耐えて、斜めに立っている。松の大木の陰から見下ろす酒田の街は、依然とはかなり変わってしまっている。
今では見えなくなったものも含めて、そこが私のふるさとである。見えなくなってしまったものの方がずっと大きな意味を持っているかもしれない。
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車では十数秒の道のりに世界詰まりし幼き日々よ
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今回の帰郷は少し時間に余裕があるので、子供の頃に過ごした街のあたりに行ってみた。
現在の実家は私にとって 3番目の家で、生まれた家は酒田港から坂を登ったところにあった。確かにここだと思ったところには既に家はなく、駐車場になっていた。奥に生えている木に見覚えがあるような錯覚に陥ったが、考えてみれば 40年以上も前のことだから、同じ木であるはずがない。
以前に徒歩や自転車で行き来していたところを車で通ると、あっというまに行き過ぎてしまうのが少し悲しい。一回りして戻ってきて、幼い頃によく上り下りした石段の上の神社から見下ろすと、港に停泊中の船が見えた。
酒田には観光案内に載せるような名所もあるが、幼い頃の記憶が漂う場所は、決してそんなところではない。なんの変哲もない古びた景色である。
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人々はエスカレーターの右側に当然に立つここは大阪
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今、大阪にいる。昨日の昼に神戸に入り、夕方までには仕事を終えて日帰りするつもりだったが、思いのほか長引いて、大阪のビジネスホテルに宿を取った。
これから新幹線で東京に戻ろうとしているのだが、途中でエスカレーターに何度か乗るたびに、「ここは大阪だった」 と再確認することになる。
関東の習慣で、エスカレーターの左側に乗ってしまいがちになるが、ここは大阪なので、立ち止まるときは右側に乗らなければならない。いつもなら、エスカレーターでも歩いて昇るのだが、荷物が重いので、右側で立ち止まる。
それにしても、大阪人はエスカレーターに乗るときだけはとても整然としている。左側に立ち止まって、急ぐ人の道をふさぐようなひとはほとんどいない。いい習慣だ。
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日溜りに共感と言ふほどもなく野良猫はただ目を細め合ふ
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常磐線取手駅の西口に、私がひそかkに 「キャット・アレイ」 と呼ぶ道がある。日本語で言えば 「猫横丁」 といったところか。
細い坂道に沿って、野良猫がたくさん住んでいるのだ。近所の人は糞尿被害に悩まされているらしく、猫に餌をやるのを控えるように呼びかける札が張ってあったりする。しかし、そんなものはどこ吹く風で、ビニール袋一杯の餌を持参して野良猫たちに与えている人が何人かいるようだ。
そんなに猫が好きなら、自分で飼えばいいのにとも思うのだが、そこまでの責任は負いたくないらしい。動物愛護の精神と、勝手な無責任さが渾然一体となっている。
今朝も日溜りで野良猫が集まって日向ぼっこをしていた。
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機内より富士を望めば世の色は白より出でて蒼 (あお) に極まる
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昨日、高知から帰ってきた。高知空港では、飛行機の計器不具合とやらで、離陸が約 30分遅れたが、天候に恵まれ、快適なフライトだった。
途中、左手に富士山が見えた。高知からの空路は富士山の間近というわけではないので、かなり遠くに小さく見えただけだが、山頂付近は既に雪に覆われて、いかにも富士山らしいたたずまいだった。やはり富士山は雪があった方がいい。
それにしても、晴れた日のフライトでは、白い雲と雪以外はすべてが青く見える。青のバリエーションである。日本語では緑色も 「青」 と表現することが多いが、確かに、大きな視界では大抵のものは青いのである。
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朝霧の次第に晴るる中洲には野分に耐へし木の影の見ゆ
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今朝は関東のあちこちで濃い霧が発生したらしい。朝に車で出かけたときも、視界はある程度確保されていたが、遠くはかなりかすんで見えた。
小貝川の橋を渡るとき、堰の中洲に生えた木がようやく見えてくるころだった。夏の頃は葉をいっぱいに茂らせていたが、霧を通してみてもずいぶんすかすかになっているのがわかる。
落葉はまだなので、これはきっと台風で葉が薙ぎ飛ばされたのだろうと思う。川岸の草の多くは薙ぎ倒されて斜めになったままだ。
霧が晴れても、なかなかすっきりした青空は見えてこない。明後日は四国に行くが、その頃には晴れるだろう。
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