霜月二十一日に詠める歌
松茂る高みに立ちて見ゆるもの見えざるもののすべてふるさと
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酒田には 「光丘」 と名の付く地名や施設が多い。私の出た小学校は 「光ケ丘小学校」 と言ったが、今は統廃合でなくなってしまった。「光ケ丘」 という地名は、今でもあるはずだ。
これは、古の大地主、本間家の三代目、本間光丘 (みつおか) にちなんでいる。なんでも、庄内砂丘の防砂林を整備した大功労者ということだ。その彼を祭った神社が 「光丘神社 (こうきゅうじんじゃ)」 で、本間家寄贈の古文書を集めたのが 「光丘文庫 (こうきゅうぶんこ)」 である。幼い頃は、高級な神社のそばにある高級な文庫だと思っていた。
光丘神社のある日和山公園に生える松の多くは、北西の季節風に耐えて、斜めに立っている。松の大木の陰から見下ろす酒田の街は、依然とはかなり変わってしまっている。
今では見えなくなったものも含めて、そこが私のふるさとである。見えなくなってしまったものの方がずっと大きな意味を持っているかもしれない。
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