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2005年4月30日

卯月三十日に詠める歌

人の世のよしなしごとは人のみの事と放ちて咲き満つる花

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今日で 4月は終わり、明日から 5月になる。1年の 3分の 1が終わることになる。

なんとまあ早いものである。

それに、今月の初め頃までは、菜の花の咲くのが遅いと心配していたのだが、今や、土手をびっしりと埋めるほどの花盛りだ。

何も案じることはない。月日は何事もなく進んでいく。気懸かりごとを案じるのは人間だけだ。

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2005年4月29日

卯月二十九日に詠める歌

平らかに空を映して満ち来たる水悦ぶか田に蛙 (かはづ) 鳴く

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このところ、春を通り越して初夏のような陽気だ。朝から半袖の Tシャツ1枚でいるが、それでも暑い。

我が家の裏を流れる小川の向こう岸は田んぼになっているが、いよいよ水が張られて、平らかに空を映し、季節が着実に進んでいることを示している。

もうじき田植えが始まりそうだ。

田に水が張られたことを喜んでいるのか、時々蛙の鳴く声がする。今日も明日も、降水確率は 0パーセントなのに。

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2005年4月28日

卯月二十八日に詠める歌

流るとも見えぬ川面は日を浴びて岸辺の緑ただ映しをり

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今日は春というより初夏に近い陽気で、外を歩くと暑いぐらいだ。

家の裏を流れる小川の両岸に生える木も、つい先日までは丸裸だったが、今は新緑に覆われている。流れる水も、もはや冷たそうではない。

ところで、世の中は明日から連休だが、私はどこにも行かずに自宅で仕事に専念する。

その代わり、5月の後半に帰郷することになっている。

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2005年4月27日

卯月二十七日に詠める歌

近寄ればさっと飛び立つ椋鳥の鳴き声のみのすぐ傍にあり

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土手を散歩すると、かなり多くのムクドリが土中のエサをあさっている。

そういえば、去年もムクドリの大群が押し寄せた取手駅西口広場周辺で、今年も夕方近くになるとキュルキュルというけたたましい鳴き声が聞こえるようになっていた。

あの辺りをねぐらにする鳥たちが、こんなところまでエサを採りにやってくるのだろうか。

ムクドリは、一羽とか数羽の単位で見ると可愛らしく、鳴き声も鋭くて多少耳障りとはいえ、あれほどには気にならないが、数千から数万の大群になると、大変なことになる。

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2005年4月26日

卯月二十六日に詠める歌

一両目に席を取りたり昨日の事故を少しく思ひ出せども

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今日は仕事で都内数か所を回る。

朝のラッシュを過ぎて都心に向かう常磐線に乗ったら、中ほどの車両はほとんど満席で立っている人も大勢いるのに、前の三両は空いていて、あっさりと座れた。多分、昨日の尼崎の事故のせいで、意識的にか無意識的にか前方の車両を避ける心理が働いているのだろう。

あれだけの大事故の翌日だから、逆に安全面での対策はしっかりやっているだろうと信頼して、敢えて一両目の空いた席に座った。

昨日の事故は、関西の人にはとくにショックだったろう。あの地下鉄サリン事件の時は、私の毎日乗る路線だったので、ニュースを聞いた妻はパニックになりかかけた。後から考えると、私は数分違いで命拾いをしていたようだ。

今回、実際に犠牲になった方の遺族の悲しみはさぞ深いだろう。

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2005年4月25日

卯月二十五日に詠める歌

不器用に昇る雲雀は燕 (つばくろ)の如何に飛ぶともただ空を見る

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朝方は今にも降り出しそうな天気だったが、昼過ぎから少しは晴れてきた。そんな中で、尼崎の電車事故のニュースを見るのがつらい。

日の暮れる前に、土手を散歩する。

向こう岸の田んぼからは、ひっきりなしに雲雀が舞い上がり、ひとしきり羽ばたいて昇りきると、すぅっと糸を引くように降りてくる。

あれだけ必死にさえずりながら羽を動かしても、なかなかスムーズに上昇できないのに、降りてくるときはあっという間だ。大変な重労働にみえる。

その中を、燕がスイスイと飛び始めた。不器用に縦に昇り降りする雲雀と、滑るように飛ぶ燕はとても対照的に見える。

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2005年4月24日

卯月二十四日に詠める歌

新緑もただ繰り返す幻か果て見定めぬデジャヴゥのごと

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日曜なのでゆっくりしようかと思っていたが、急用ができてつくば学園都市まで車を走らせた。

途中は休日だけあってかなり混雑していたが、学園都市の横道に入るとのんびりとしている。並木道の木々は新緑の葉を茂らせ始めた。

いつの間にか、春になってしまった。このまま初夏になり、真夏になり、そして秋が来て冬になる。

この繰り返しを、まだ五十回ほどしか経験していないとは、自分でも信じられない。もう何百回も経験したような気がする。壮大な時間の幅のデジャヴかもしれない。

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2005年4月23日

卯月二十三日に詠める歌

八重と咲き実のなきよりも山吹の名を知らずして見しぞ悲しき

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桜は散ったが、いろいろな花が一斉に咲き始めた。花の名前に詳しければ、楽しみはひとしおだろう。

ひときわきれいな黄色の八重咲きの花があるので、「これは何という花ですか」 と聞くと、近所の人が 「山吹よ」 と教えてくれた。

一重の山吹は知っていたが、八重咲きのものも山吹の一種とは知らなかった。お恥ずかしい限りだ。

「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」 という歌を思い出した。『後拾遺和歌集』 に収められた兼明親王の歌である。

後に太田道灌がこの歌を知らなかったことを恥じて、武芸のみならず、和歌の道にも励むようになったというのは有名な話だが、作り話という説もあるらしい。

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2005年4月22日

卯月二十二日に詠める歌

満水の堰の水面 (みなも) に波高く最後の花も散り果てにけり

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昼近くから風が強くなった。強風注意報が出ている。

近所の岡堰は小貝川を掘り広げて農業用水を貯めておくところ。田植えの時期を前に、満水状態だ。

その岡堰の水面に波が立ち、春の陽を反射してきらめいている。遠くの方では白波も立っている。

辛うじて残っていた桜もきれいに散って、完全に葉桜になってしまった。

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2005年4月21日

卯月二十一日に詠める歌

田園と都市とを分くる関門は郊外の駅のエスカレーター

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いつも利用している常磐線取手駅の西口デッキで、エスカレーターを設置する工事が行われている。

これまでは離れたところにぽつんとエレベーターがあるだけで、老人には高い階段が気の毒だった。その意味で、今までなかったのが不思議なくらいである。

このエレベーターもようやく完成間近となって、覆っていたフェンスも取り除かれ、あとは運用開始を待つだけとなった。

高いデッキに向かって、昇り降りの二本があり、その上を屋根が覆っているのだが、なにやら田園地帯から都市に向かう入り口の関門のような様相である。

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2005年4月20日

卯月二十日に詠める歌

ローマではコンクラーベの終わりしとカーラジオ告ぐ春雨の中

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雨降りである。昨日は日没後ににわかに冷たい風が吹き始めていたが、そのままに肌寒い一日である。

近所のショッピングセンターで買い物をした以外は、一日閉じこもって仕事をしている。

ショッピングセンターの駐車場で、雨に濡れたフロントガラス越しに写真を撮ったので、景色が微妙にゆがんでいる。

カーラジオでは、コンクラーベが終わり、ローマ法王が決定したと伝えている。

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2005年4月19日

卯月十九日に詠める歌

一瞬の輝きはただ一筋の頬に絡める蜘蛛の糸なりき

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我が家は田園地帯を開発した住宅地のはずれにあるので、周囲の自然はかなり豊かである。

近頃、周囲の空気に有機質の気配が濃厚になってきた。田んぼのあぜ道を散歩すると、きちんと田舎のにおいがするし、川岸の土手を歩けば、顔の周りにウンカが群がる。

庭仕事をすれば、周囲を蜂がブンブンと飛び回る。

こういうのは決して嫌いではない。かえって自然豊かなことを感謝したくなるほどだ。

今朝も玄関を出たら顔に蜘蛛の糸がまつわりついた。その一瞬前に、一筋のきらめきが幻のように視界をよぎったが、それが蜘蛛の糸だったのである。

秋にかけて、有機質との濃厚な付き合いが続く。

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2005年4月18日

卯月十八日に詠める歌

葉桜となりて見おろす地上には十文字なるロケットの咲く

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花曇りの空。風は思いの外冷たい。筑波の地でも、桜はあらかた散ってしまった。

しかし、我が家の庭に、今年もロケットが咲き乱れている。

ロケットというのは、ハーブの一種で、糸巻き車 (ロケット) に似た形の花が咲くので、この名になったそうだ。

写真は接写したので大きく見えるが、実際には 1センチにも満たない小さな花である。

この花が咲くと、本格的に春が来たような気がしてくる。そして、サラダにロケットの葉が添えられる。

 

 

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2005年4月17日

卯月十七日に詠める歌

背丈ほどといふ老婆あり菜の花は我が腰ほどの高さなれども

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今日は久しぶりで休日らしい日を過ごした。裏の小川の土手を散歩すると、汗ばむほどの暖かな日だった。

近所のおばあさんが、「向こうに行くと、私の背丈ほどの菜の花がきれいですよ」 と言っていたが、なるほど、菜の花の並木道みたいな風情のところがある。

私にとっては腰の辺りまでの高さだが、彼女にとっては 「背丈ほど」 というのもあながち大げさではない。

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2005年4月16日

卯月十六日に詠める歌

咲きかけの枝垂れ桜は風に揺れファインダーより消えては戻る

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東京の桜はとうに散り、つくばの里は花吹雪である。

一昨日の仙台はようやく開花宣言されたばかり、そして、今日行った水戸辺りは、満開の見頃である。

そんな中で、しだれ桜がまだ開花したばかりで、蕾を赤く膨らませていた。

「三日見ぬ間の桜かな」 などと言うが、空間と品種を拡大すれば、結構長い間、桜は楽しめる。ヨメイヨシノばかりでなく、種類を拡大すればいいのにと、思い始めた。

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2005年4月15日

卯月十五日に詠める歌

電線の鳥も地上の酔漢も得難き自由求め彷徨う

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今朝方、妙に鳥のあわてふためいて鳴く声が聞こえるので、どうしたのかと思ったら、近所で電線の工事が始まったのだった。

いつもとまっている電線がゆらゆらと動かされるので、とんでもない外敵が来たと思ったらしい。

春になって、冬眠から覚めた蛇が巣をおそってでもいるのかと思ったが、外敵は人間だったようだ。

レナード・コーエンの歌に "Bird on a Wire" (電線にとまった鳥) というのがある。

電線にとまった鳥のように
深夜の聖歌隊の中の酔っぱらいのように
私なりのやり方で自由になろうとしてきた

という歌い出しだ。

鳥の自由は、とてもデリケートなもののようだ。そして、地上の酔漢の自由も。

今日の歌は、一首の本歌取りといえるかもしれない。

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2005年4月14日

卯月十四日に詠める歌

みちのくの桜の蕾弾けたる此の日此の地に来合わせしなり

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朝霧の中を出発して、東北新幹線で仙台に来た。

霧が出るのは久しぶりである。ある程度の湿度があって、夜のうちに雲が晴れなければならない。ちょっと前まではカラカラに湿度が低く、ここ 2〜3日は天気が悪かったから、霧の出ようがなかった。

だから、今朝の霧はようやく春に戻った証拠である。

仙台は今日ちょうど桜の開花宣言が出されたところだった。榴ヶ岡公園の桜がちらほら咲き始めていた。満開にはまだ日がありそうだが、咲き始めの桜もなかなかいいものだ。

仕事を夕刻前に仕上げ、妻の実家に寄って義母の墓参ができた。墓参して初めて、義母の命日だったと気付いた。義母は旧盆の最中、八月十四日に亡くなったのである。たまたまとはいえ、ありがたいことである。

それから、忘れていたが、今日で和歌ログ開始後、五百首目である。

 

 

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2005年4月13日

卯月十三日に詠める歌

草の葉に宿れる露の大きくも小さくもあり消ゆる時まで

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一昨日からの雨がようやく止んだと思ったら、夕方近くになってまた微かに降り始めた。

裏の土手に生えた草は、玉の露を宿して乾く間がない。それにしても、草の葉というのは、見事な表面張力である。

この雨が上がると、明日はまた春の陽気になるらしい。あしたは仙台に出張だから、ありがたい。

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2005年4月12日

卯月十二日に詠める歌

車庫入れをする間も花は散り続け一枚 (ひとひら) のみの舞ひ来たりけり

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桜が散り始めている。急に寒くなってしまったので、思ったより長くもっているが、それでも、道路を花びらがびっしりと埋めているところもある。

車で駅近くに借りている駐車場に着き、バックで自分の区画に入れ終えて、気づいたら、フロントガラスに桜の花びらが一枚くっついていた。

写真を撮って車から降りたときには、もっと多くの花びらが付いていたが、それでも、今日の画像は最初の一枚にしておこう。

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2005年4月11日

卯月十一日に詠める歌

花散らす冷たき雨となりにけり早き帰宅で家人揃ひぬ

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昨日までとはうって変わって肌寒い一日だった。今に始まったことではないが、近頃天気が極端に変化する。

今日の最高気温は、真夜中に記録されたそうだ。それからはどんどん下がりっぱなしで、日中の最高気温は 10度そこそこだったらしい。冬の寒さだ。体が暖かさに慣れていただけに、余計に寒く感じた。

近所の団地の入り口にある桜の木は、昨日まで満開だったが、今日は冷たい雨と強風のせいで花びらを散らせ始めた。木の下はだんだんと 「花むしろ」 になりつつある。

日が暮れると、外出していた家族は早々に帰宅し、揃ってストーブを囲んでいる。

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2005年4月10日

卯月十日に詠める歌

日の暮れしパーキングロットを照らしゐるアメリカ生まれの白き光

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夜遅くなってから、国道 6号線を南下して帰宅した。

途中、ファミリーレストランで夕食を取る。

広い駐車場は、かなり明るい光で照らされている。見上げれば、日本ばなれした看板がいくつも並び、その看板を照明が煌々と照らしている。

その向こうに見えるのは、消費者金融の看板だ。なかなかすごいものである。

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2005年4月 9日

卯月九日に詠める歌

振り向けば水面に波紋残りをり魚の跳ねるを見しや菜の花

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連日春の陽気で気持ちがいい。

家の裏手を流れる小川の土手は格好の散歩コースなのだが、ようやく菜の花がちらほらと咲き始めた。

今年は桜の開花がいつになく遅れたが、菜の花はもっと遅れていたのだ。昨年の和歌ログをみると、3月下旬で、既にこのぐらいの咲き方をしているのがわかる。

土手を歩くと、時々小川の水面で 「ポチャン」 という音が聞こえる。魚が水面低く飛ぶ虫を食べるために飛び上がったのだろう。振り向くと丸い波紋だけがゆらゆらと広がる。

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2005年4月 8日

卯月八日に詠める歌

見る人と見らるる花を結べるは糸より細き月明かりなり

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急に暖かくなって、二分咲きか三分咲きだった桜があっというまに満開になってしまった。

昨夜遅く車で帰宅する途中、いつも道の両側の見事な桜で花のトンネルのようになる道を通りかかると、真っ暗な中で今年も桜が満開になっていた。

思わず車を止めて、カメラを取り出したが、コンパクトカメラなので、暗すぎて全体を映すわけに行かなかった。晴れていても、月は新月に近く糸より細かったし。

いつものことながら、ゆっくりと桜を眺める時間もないうちに、あっという間に花は散ってしまう。

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2005年4月 7日

卯月七日に詠める歌

ガラス張りのプラットフォームの屋根越しに覗き込みゐる別世界のビル

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春らしい日和が続いて、地面も建物の外壁もかなり暖まったらしく、日が出ればとたんに汗ばむほどの気温になる。

 

4月の声を聞くと、世の中が何とはなしに順調に動き始めているような気がするから不思議だ。

新橋から出ている新交通 「ゆりかもめ」 のホームは、屋根がガラス張りになっている。見上げると、少し前にはなかった高層ビルが、いくつも建っている。

なんだか上から覗き込まれているような気がする。私は階数が二桁のオフィスでは、あまり働きたくないと思っている。

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2005年4月 6日

卯月六日に詠める歌

土手沿いの木の細き枝に生え来たる葉は緑なる霞とも見ゆ

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川辺今日は汗ばむほどの陽気だった。昨日まで一分咲きだったこの辺りの桜も、今日はだいぶにぎやかに咲き始めている。

室内履きのスリッパも、爪先まで覆う冬用から、爪先が出て風通しのいい夏用に変えた。

小貝川の水量も増えてきた。田植えの準備が始まる。岸辺の木にも、新緑というにはまだ淡すぎるが、霞のような薄い緑色が目につき始めた。

本格的な春がようやくやってきた。

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2005年4月 5日

卯月五日に詠める歌

スクーターは春風を切り進み行くざらつく指に土の香のして

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寒くなったり、暖かくなったりで、忙しい季節である。

今日は本当に春らしい陽気だ。郵便局まででかける用があったので、妻の原付バイク (スクーター) を借りた。

今日のような日は、車で走るより二輪の方がずっと気持ちがいい。車だと直線道路の方がいいが、二輪の場合は適当に曲がりくねった道を走る方が気分が出る。

本格的なバイクではないのでスピードは出ないが、右に左に重心を傾けながら、風を切って走るのは気持ちがいい。帰ってくると、手の指先に春の匂いがした。

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2005年4月 4日

卯月四日に詠める歌

春嵐の残せし雨の冷たきに桜に先立ち梅の花散る

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昨夜来の雨。しかしうって変わったような肌寒さ。桜が咲くとかならずこうした肌寒い日がある。

我が家の庭の梅も散り始め、枝が淋しくなってきてしまった。

今日は一日都内を廻ることになる。いつもなら雨降りを残念がるところだが、この季節は花粉の飛散量が減るので歓迎だ。

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2005年4月 3日

卯月三日に詠める歌

のどけきの裏に潜みし春嵐の日の暮れてより来つつあるらし

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一日中外出、日が暮れてから戻ってきた。

日中はぽかぽか陽気だったが、日が暮れてから風が強まり、時々雨が降ってきた。なるほど、天気予報の言うとおり、いかにも 「大気の状態が不安定」 という気がしてきた。明日は冬の寒さに逆戻りだという。

今、風で雨戸がガタガタ言っている。毎年のことだが、桜が咲くと 「春の嵐」 が必ずやってくる。気圧の変化のせいでもあるまいが、日が暮れてから、ずっと耳がつーんとなっている。

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2005年4月 2日

卯月二日に詠める歌

春先の花壇はかはたれ時を過ぎ花咲くまでのイルミネーション

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電気花壇花曇り。毎年、どうして桜が咲くと曇ったり、雨が降ったり、風が吹いたりするのだろうかと思っていたが、考えてみれば当たり前のことだった。

直前まである程度肌寒い天気が続いて、急に春めいてきたときに、桜は咲く。ところが、春の天気は周期的に変わるから、蕾の開花を促した晴天のサイクルは去ってしまって、次のすっきりしない天気がやってくるというのが、毎年の気のもめる原因だろう。

今日は昼過ぎまで会議、その後、パーティ。

帰る頃にはすっかり日が暮れて、昼間には全然花の咲いていなかった花壇に、電気の花が咲いていた。

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2005年4月 1日

卯月一日に詠める歌

東京を過ぎたる桜前線に促されしか遅咲きの梅

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050401

今日から 4月、卯月である。だが、旧暦ではまだ 2月 23日、如月の下旬である。

弥生三月にもなっていない。このところ冷え込む日が多かったのも、当然と納得する。ひな祭りは、月遅れでやるのがちょどいい頃だ。

とはいえ、今日は春らしい陽気である。昨日、東京の桜の開花宣言が出された。見頃は来週半ばになるらしい。

ところで、我が家の庭の梅はようやく満開になった。桜に追い越されずにすんで、何よりである。

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