卯月三十日に詠める歌
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一両目に席を取りたり昨日の事故を少しく思ひ出せども
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今日は仕事で都内数か所を回る。
朝のラッシュを過ぎて都心に向かう常磐線に乗ったら、中ほどの車両はほとんど満席で立っている人も大勢いるのに、前の三両は空いていて、あっさりと座れた。多分、昨日の尼崎の事故のせいで、意識的にか無意識的にか前方の車両を避ける心理が働いているのだろう。
あれだけの大事故の翌日だから、逆に安全面での対策はしっかりやっているだろうと信頼して、敢えて一両目の空いた席に座った。
昨日の事故は、関西の人にはとくにショックだったろう。あの地下鉄サリン事件の時は、私の毎日乗る路線だったので、ニュースを聞いた妻はパニックになりかかけた。後から考えると、私は数分違いで命拾いをしていたようだ。
今回、実際に犠牲になった方の遺族の悲しみはさぞ深いだろう。
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不器用に昇る雲雀は燕 (つばくろ)の如何に飛ぶともただ空を見る
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朝方は今にも降り出しそうな天気だったが、昼過ぎから少しは晴れてきた。そんな中で、尼崎の電車事故のニュースを見るのがつらい。
日の暮れる前に、土手を散歩する。
向こう岸の田んぼからは、ひっきりなしに雲雀が舞い上がり、ひとしきり羽ばたいて昇りきると、すぅっと糸を引くように降りてくる。
あれだけ必死にさえずりながら羽を動かしても、なかなかスムーズに上昇できないのに、降りてくるときはあっという間だ。大変な重労働にみえる。
その中を、燕がスイスイと飛び始めた。不器用に縦に昇り降りする雲雀と、滑るように飛ぶ燕はとても対照的に見える。
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八重と咲き実のなきよりも山吹の名を知らずして見しぞ悲しき
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桜は散ったが、いろいろな花が一斉に咲き始めた。花の名前に詳しければ、楽しみはひとしおだろう。
ひときわきれいな黄色の八重咲きの花があるので、「これは何という花ですか」 と聞くと、近所の人が 「山吹よ」 と教えてくれた。
一重の山吹は知っていたが、八重咲きのものも山吹の一種とは知らなかった。お恥ずかしい限りだ。
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」 という歌を思い出した。『後拾遺和歌集』 に収められた兼明親王の歌である。
後に太田道灌がこの歌を知らなかったことを恥じて、武芸のみならず、和歌の道にも励むようになったというのは有名な話だが、作り話という説もあるらしい。
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一瞬の輝きはただ一筋の頬に絡める蜘蛛の糸なりき
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我が家は田園地帯を開発した住宅地のはずれにあるので、周囲の自然はかなり豊かである。
近頃、周囲の空気に有機質の気配が濃厚になってきた。田んぼのあぜ道を散歩すると、きちんと田舎のにおいがするし、川岸の土手を歩けば、顔の周りにウンカが群がる。
庭仕事をすれば、周囲を蜂がブンブンと飛び回る。
こういうのは決して嫌いではない。かえって自然豊かなことを感謝したくなるほどだ。
今朝も玄関を出たら顔に蜘蛛の糸がまつわりついた。その一瞬前に、一筋のきらめきが幻のように視界をよぎったが、それが蜘蛛の糸だったのである。
秋にかけて、有機質との濃厚な付き合いが続く。
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電線の鳥も地上の酔漢も得難き自由求め彷徨う
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今朝方、妙に鳥のあわてふためいて鳴く声が聞こえるので、どうしたのかと思ったら、近所で電線の工事が始まったのだった。
いつもとまっている電線がゆらゆらと動かされるので、とんでもない外敵が来たと思ったらしい。
春になって、冬眠から覚めた蛇が巣をおそってでもいるのかと思ったが、外敵は人間だったようだ。
レナード・コーエンの歌に "Bird on a Wire" (電線にとまった鳥) というのがある。
電線にとまった鳥のように
深夜の聖歌隊の中の酔っぱらいのように
私なりのやり方で自由になろうとしてきた
という歌い出しだ。
鳥の自由は、とてもデリケートなもののようだ。そして、地上の酔漢の自由も。
今日の歌は、一首の本歌取りといえるかもしれない。
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みちのくの桜の蕾弾けたる此の日此の地に来合わせしなり
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朝霧の中を出発して、東北新幹線で仙台に来た。
霧が出るのは久しぶりである。ある程度の湿度があって、夜のうちに雲が晴れなければならない。ちょっと前まではカラカラに湿度が低く、ここ 2〜3日は天気が悪かったから、霧の出ようがなかった。
だから、今朝の霧はようやく春に戻った証拠である。
仙台は今日ちょうど桜の開花宣言が出されたところだった。榴ヶ岡公園の桜がちらほら咲き始めていた。満開にはまだ日がありそうだが、咲き始めの桜もなかなかいいものだ。
仕事を夕刻前に仕上げ、妻の実家に寄って義母の墓参ができた。墓参して初めて、義母の命日だったと気付いた。義母は旧盆の最中、八月十四日に亡くなったのである。たまたまとはいえ、ありがたいことである。
それから、忘れていたが、今日で和歌ログ開始後、五百首目である。
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花散らす冷たき雨となりにけり早き帰宅で家人揃ひぬ
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昨日までとはうって変わって肌寒い一日だった。今に始まったことではないが、近頃天気が極端に変化する。
今日の最高気温は、真夜中に記録されたそうだ。それからはどんどん下がりっぱなしで、日中の最高気温は 10度そこそこだったらしい。冬の寒さだ。体が暖かさに慣れていただけに、余計に寒く感じた。
近所の団地の入り口にある桜の木は、昨日まで満開だったが、今日は冷たい雨と強風のせいで花びらを散らせ始めた。木の下はだんだんと 「花むしろ」 になりつつある。
日が暮れると、外出していた家族は早々に帰宅し、揃ってストーブを囲んでいる。
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春先の花壇はかはたれ時を過ぎ花咲くまでのイルミネーション
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花曇り。毎年、どうして桜が咲くと曇ったり、雨が降ったり、風が吹いたりするのだろうかと思っていたが、考えてみれば当たり前のことだった。
直前まである程度肌寒い天気が続いて、急に春めいてきたときに、桜は咲く。ところが、春の天気は周期的に変わるから、蕾の開花を促した晴天のサイクルは去ってしまって、次のすっきりしない天気がやってくるというのが、毎年の気のもめる原因だろう。
今日は昼過ぎまで会議、その後、パーティ。
帰る頃にはすっかり日が暮れて、昼間には全然花の咲いていなかった花壇に、電気の花が咲いていた。
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