« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005年5月31日

皐月三十一日に詠める歌

梅雨入りまで十日ほどてふ乾きたるベンチに座るありがたき午後

================================

31_2

梅雨のはしりのような天気だと思っていたら、昼過ぎにだんだん日が射してきた。

私は傘をさすのが好きではない。弱い雨ならば、濡れて歩くほうがましだと思っている。今日も、駅近くに借りている駐車場から駅までの約 3分の道のりを、小雨に濡れて歩き、せっかく持って出た傘は使っていない。

道もだんだん乾いてきて、昼休みには外のベンチに座ってくつろぐ人も多かった。

今日で 5月も終わりだが、今年の 5月はあまり暑いと思う日がなかった。天気予報では、あと 10日ぐらいで梅雨入りすると言っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月30日

皐月三十日に詠める歌

山頂を雲覆ひたる月山の雪渓見据へ行くつづらおり

========================

050530

10時過ぎに酒田を出て、茨城への帰路を辿っている。

国道 112号線 (通称 六十里越街道) をたどると、月山の山肌は、まだ雪が残っている。ゴールデンウィークぐらいだと、道のそばまで雪が残っているのだが。

途中で山形そば街道に寄り道し、あの 「あらきそば」 で、太いそばをたぐった。妻は一枚のそばを食いきれないので、私が一枚半いただいた。極楽。

往きに原口そばや、帰りにあらきそばというのは、山形の田舎そばのゴールデンコースである。

さあ、明日からまたいつもの日常だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月29日

皐月二十九日に詠める歌

人と米押し寄せしオンリー・イエスタデイ籠もれる熱を冷ます木立よ

===============================

050529

今日は父と山居 (さんきょ) 倉庫に行った。

山居倉庫というのは、庄内米を貯蔵しておく倉庫である。明治年間に米の積み出しに便利な最上川と新井田川に挟まれた中州に建てられた。現在も米倉庫として使われており、一画に庄内米歴史資料館が建てられて、観光にも一役買っている。

昔は米俵を船に積み込むのに、女性が人足として働いた。昔の庄内の女の人はものすごい力持ちだった。

米俵一俵を担いで積み込むだけではなく、「五俵かつぎ」 と言って、背中に五俵 (合計 300kg) を担ぐというものすごい女の人もいた。その人はつい最近まで生きていて、ラジオのインタビューに応え、「担いだもんですのぅ。お金になったから」 なんて言っていたそうだ。

資料館には、米俵一俵分の重さを再現したサンドバッグを肩に担いで体験するコーナーもある。試してみたら、60kg は難なく持ち上げられたが、これを二俵担いだらかなりきついだろうという気がした。三俵で多分限界だろう。一日中五俵かついで往復していたなんて、ものすごいオバサンである。

それから、この資料館には、あの 「おしん」 もいる。以前は酒田駅前に立っていた像だが、今はこの資料館を終の棲家と定めたもののようだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月28日

皐月二十八日に詠める歌

千年の時も未だに流れたることなし羽黒の五重塔に

===========================

050528

今日は午後から羽黒山に行った。実家から車で 30分も運転すれば着く。

羽黒山は山岳信仰の山で、修験道の本拠地のようなところ。月山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれる。

羽黒山の山門を一歩くぐると、そこはまったく別世界になる。ひんやりとした冷気に身が引き締まる。このエリアの冷気は、霊気なのだと思う。

高校生の頃までは、2千何百段の石段を駆け上ったものだが、今日は妻と二人なので、山門の近くの五重塔 (重要文化財) を見てから、車で山頂に行き、参拝した。

平将門建立と伝えられる五重塔を眺めていると、時間の流れというものは、実は流れているのではないということが、わかるような気がする。

本当のことは、時間に関わりなく、常にありてあり通すものである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月27日

皐月二十七日に詠める歌

つるつるとすすりて後に噛み締むる太き蕎麦なり旅の一服

============================

050527

酒田に帰郷中。東北道を福島で降り、国道 13号線を北上。上山の原口そばやにより、盛りそばをたぐる。

大正時代から営んでいる老舗だが、農家の座敷でそばを振舞われるという風情。色紙がたくさん飾ってあり、森敦さんの 「天下一品」 というのもあった。

床の間には 「鶴々亀々」 の掛け軸がある。なるほど、つるつるとすすって、じっくりと噛み締めるそばである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月26日

皐月二十六日に詠める歌

あと少し蕾開かば一二輪手折りて生けむこの年の薔薇

===========================

050526

我が家の外壁の外に生えているバラが 3輪になった。

近頃、ここの木や草がきれいになったのは、向かいの家のご主人が世話をしてくれているからである。ありがたいことだ。

我が家の長女が遊びで地面に突き刺した枝が、はからずも根付いてしまった車輪梅を除き、紫陽花やバラは裏の土手際に自然に生えてきたものである。

何年か前に、その土手の補修工事をするというので、工事の影響のないところに移植したまま、放っておいたのだった。

元々自然に生えてきたものだから、我が家の庭に移植するのは申し訳ない気がして外壁の外に移したのだが、それは正解だったようだ。

この季節になると、近所の人の目を和ませてくれる。もっと花が開き始めたら、少し手折って花瓶に生けよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月25日

皐月二十五日に詠める歌

新橋のSL前に人待てり威容に埋もれ点と化しつつ

==========================

050525

新橋駅前には蒸気機関車があって、待ち合わせの目印となっている。

しかし、「SL前で待ち合わせましょう」 と漠然とした約束をすると大変だ。SL というのは、想像以上に大きなものである。

車体の前と後ろでは、結構な距離がある。なんだか取り留めのない場所で待ち合わせをしてしまったような気がしてくる。

自分自身が黒い威容の中の小さな点になってしまったような気がして、ようやく目当ての人と会えると、本当にほっとする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月24日

皐月二十四日に詠める歌

さまざまの雲重なりて地上より一つの空をそれぞれに見る

===========================

050524

陽は射しているのだが、空には様々な形をした雲が見える

地上付近には、入道雲になりそうでならない積雲がびっしりと立ちこめ、頭の上には筋雲、飛行機雲、綿雲が、それぞれの高さで浮かんでいる。

空を見上げる場所によって、今日の天気は晴れとも曇りともなりそうだ。

同じ空を見上げても、それぞれの空がある。空を 「くう」 と読んでみると、人間の迷いを言い表すような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月23日

皐月二十三日に詠める歌

あまたある薔薇の蕾の一つのみ何思ひてかはや咲きにけり

============================

050523

今日はちょっと疲れが出てしまい、一日家にいたが、しごとはあまりはかどらなかった。

明日は一日出歩かなければならないし、週末は田舎に帰らなければならない。急いでこなさなければならない。

昨日、町内の一斉草刈りがあり、家の裏の空き地のバラが咲いているのに気付いた。最初の一輪は既に開きすぎの状態。

まだつぼみの状態のものがいくつかあるので、もうすぐ一度に咲き出すだろう。

昨日の画像の車輪梅を真ん中に、右に紫陽花、左にバラが生えているのだが、今年は紫陽花も元気がよさそうだ。楽しみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月22日

皐月二十二日に詠める歌

大島の紬の黒のなれそめの花真白きに咲く車輪梅

========================

050522

車輪梅 (シャリンバイ) の花が、これまでで一番見事に咲いた。

これは、去年の和歌ログでも書いたのだが、我が家の長女が幼い頃、どこからか拾ってきた木の枝というか、棒っきれの端を、土に埋めておいたら根付いたのである。

初めは何の木か全然わからなかったのだが、最近になって車輪梅だと教えてもらった。

車輪梅というのは、奄美大島であの大島紬を染める染料として使う木である。木をチップ状に切り刻んでグツグツと煮るのだが、それで染めても茶色っぽい色にしかならない。

あの見事な黒に染め上げるのは、泥田に埋めた時の、泥の中の成分が触媒となるからである。

しかも、その染色は、車輪梅での染色と泥田に埋める作業を三度ほど繰り返すという。気の遠くなる作業だ。実は、その染めた糸を織り上げるのも気の遠くなる作業なのだが、詳細は省く。

いずれにしても、あの大島紬の深い色を出す木が、我が家の外壁に沿って生えているというのは、ちょっとうれしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月21日

皐月二十一日に詠める歌

網を干す涸沼 (ひぬま) の岸に届かざる電波を忘れ深き息つく

===============================

050521

一日、インターネットのつながらないところにいたので、アップロードが遅れてしまった。

茨城の涸沼というところがある。淡水と塩水の混じり合う湖で、おいしい蜆が取れる。

薄く雲がかかって真っ青にはならない空を映し、グレーがかった水色の湖面を、PHS の電波は渡って来れないようだ。

インターネットへの接続を諦めて、一日のんびりした時を過ごした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月20日

皐月二十日に詠める歌

このラジオの奥に故郷の祭あり常に思はぬ不思議覚えり

=============================

050520

昼の NHK ラジオで、我が故郷、酒田の祭が実況されていた。

酒田祭というもので、私が田舎にいた頃は 「山王祭」 と読んでいた。もう 30年近く前になる酒田大火からの復興を記念して 「酒田祭」 と名称が変えられ、今に至る。

私にとっては 「山王祭」 という方がずっと馴染みがある。「山王祭」 といえば、「酒田囃子」 が耳に聞こえてくる。にぎやかで威勢のいい江戸の祭の囃子と比較すると、どちらかといえば上方的だ。「コンチキチン」 の祇園囃子に、ちょっとだけ共通の感覚がある。

来週の金曜日には、母の見舞いのため酒田に帰る。「しまった、今日にすればよかった」 と、少々思った。

それにしても、故郷の祭の様子が中継されるのは、別に何の不思議でもないのだが、このラジカセの奥に祭があるような、少しだけ不思議な気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月19日

皐月十九日に詠める歌

久方の天 (あめ) の柱と立ち上がり高々きかな夕暮れの虹

============================

050519

昨日の夕刻、帰宅しようとしたら小雨が降った。

常磐線に乗っている間も、窓ガラスに小さな雨粒が当たっていたが、それでも、西の空は雲間が空いて、太陽が沈みかけるのが見えた。

そして反対側を見ると、見事な虹が出ていた。太陽の位置が低いので、地上に近い部分はほとんど垂直近く立っていて、天空高く大きな架け橋になっている。

電車内から写そうとすると、もう夕刻なので車内灯がガラスに映り込んでしまう。仕方がないので、我孫子駅で停車したときにホームに降り、慌ただしく撮影した。

地上付近の垂直に立った部分は、ビルが邪魔して撮れなかったのが残念だ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年5月18日

皐月十八日に詠める歌

両岸に建ち並ぶビル輪郭もおぼろに映し行く神田川

==========================

050518

JR を秋葉原で下車。岩本町方面に向かう。昨日ほどのさわやかさはなく、少し蒸し加減の陽気だが、神田川を渡る橋の上は涼しい。

この辺りになると、川の量岸はびっしりとビルが建ち並ぶ。とはいえ、最近の汐留あたりの光景とは違い、ビルの階数はせいぜい一桁止まりだ。中小企業の街である。

神田川の水は相変わらず濁り、水面に映るビルの影も輪郭がない。薄ぼんやりとしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月17日

皐月十七日に詠める歌

喫水線を見せて浮かべる大型船水てふものの重み思わせ

============================

050517

大きな船が、喫水線まで水面の上に見せて浮いているのは、とても不思議な気がする。

鉄でできた船のこれほどまでに軽々と浮かぶのは、水の作り出した浮力であり、その浮力は、船の水に沈んでいる部分の体積と同じ水の重さである。

そう考えると、水というものはとても重いものだと思い当たる。

その重い水を丸く身にまとう地球という天体の不思議さまで、思いは馳せる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月16日

皐月十六日に詠める歌

月曜の日暮れは早し田の畦にかはづ鳴き出づる頃とはなりぬ

============================

050516

朝からうららかに晴れたのは、関東では 2週間ぶりだそうだ。初夏らしい陽気とはいえ、気温はそれほど上がらない。それだけにさわやかである。

田植えはほとんど終わったが、まだ苗が小さいので、遠くから見ると、田はすきまだらけで、青空がきれいに映っていた。

それにしても月曜日というのは、なぜかあっという間に日が暮れる。もう蛙が鳴き始めた。

明日も今日のようなさわやかな陽気になるそうなので、安心だが、もし天気が下り坂ならもったいないぐらいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月15日

皐月十五日に詠める歌

ボサノバのクールなるかな珈琲店で熱く就職を語る学生

========================

050515

今日はいい天気になったかと思うと突然雷雨があったりという、めまぐるしい空模様だった。おまけに地震まであった。

日が暮れると、路面はすっかり乾き、郊外のショッピングセンターはようやく落ち着きを取り戻している。

コーヒーショップので、大学生らしいグループが、就職活動の話をしている。近頃は、大学 3年の終わりごろから就職活動が始まっているらしい。なかなか大変だ。

ボサノバのクールに響く店内で、不釣合いに熱く盛り上がっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月14日

皐月十四日に詠める歌

見上ぐれば黒雲晴れて青き空赤信号に停まりて知りぬ

==========================

050514

出掛けは昨日のような曇り空だった。高速道路を走っている間も、それは同じ。

岩間インターを降りて、国道 6号線を北上し、水戸市内の交差点で赤信号にかかり、停車してふと空を見ると、いつの間にか青空になっていた。初夏らしい綿雲が浮いている。

いつのまにこんなに晴れてしまったのだろう。見えていても見ていないということは多いものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月13日

皐月十三日に詠める歌

機上より見おろせし雲一夜明け見上ぐれば空覆ふ雲なり

===========================

050513

昨日までいた南国高知でも、秋物のジャケットを着ていってよかったと思っていたが、一夜明けても、やはりまだ肌寒い。

昨日、日の暮れる直前に飛行機で羽田に戻ったのだが、機上から見ると関東平野の上はびっしりと雲に覆われていた。

その同じ雲が、まだ空を覆っている。飛行機から見ると地を覆う雲だが、地上から見ると空を覆う雲である。

空から見た雲は、まるで羊の毛のように見えた。ウールの断熱材のように、太陽の光を遮っているようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月12日

皐月十二日に詠める歌

人の血の赤きの赤を塗り重ね浮き立つ闇は屏風絵の赤

==========================

050512

高知での仕事を一段落、今回は高知近郊の赤岡町というところに行ったので、仕事が終わってから 「絵金蔵」 という美術館に行った。

これは、金蔵という絵師の作品を集めたもの。幕末の絵屏風が主体である。

元は土佐藩家老の御用絵師だったが、贋作事件に巻き込まれて城下追放となり、野に下ってからは極彩色の芝居絵を描いた。

浮世絵よりも大きな屏風絵という形式、そして、元は狩野派の絵師であったという本格的な描写力に支えられ、不思議な魅力がある。

とくに 「血赤」 といわれる赤は、闇に通じる暗さと同時に、その闇を浮き立たせる対照的なパワーをも感じさせる。

参照 > 絵金についてのウェブサイト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月11日

皐月十一日に詠める歌

石段と木の階段を登り詰め天守閣より歴史を望む

========================

050511

出張で高知に来ている。高知は 3度目。近頃は 1年に 1度以上の割で来ていることになる。

今回は前日のうちに高知入りできたので、ほんの短い間だが、坂本龍馬の生まれた上町方面と、高知城を訪れることができた。

高知城は 2度目だが、前回は時間に追われてまともに見ることができなかったので、ほとんど初めてのようなものだ。天守閣の内部は古いままに保存されているようで、とても趣があった。

明日は朝から取材の仕事となる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月10日

皐月十日に詠める歌

ヨーロッパの夏思はする一日になると予報士軽やかに告ぐ

============================

050510

昨日はちょっと暑すぎたが、今日は心地よい。

車で駅まで向かう途中、カーラジオの天気予報は、「暑くもなく、寒くもなく、まるでヨーロッパの夏のような、気持ちのいい一日になります」 と言っていた。最近の天気予報は、気象予報士の個性的な表現が聞けるので楽しい。

この人は女性天気予報士で、「ヨーロッパの夏」 を話の枕に、「ヨーロッパの天気図では、"T" の字がよく出てきて、日本人は台風かと思ってしまいますが、これは低気圧のことです」 と豆知識を語ってくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 9日

皐月九日に詠める歌

懐かしのガード下にて変はりたるは新看板の飯屋の名のみ

=============================

050509

神田駅のガード付近は、昔からあまり景色が変わらない。

確かに飯屋の名前は見慣れないものになっているが、店構えは大して変わっていない。

ここから10分ほど歩いたところにある堀留の繊維街は、今ではすっかり様変わりし、織物問屋のビルがマンションになってしまった。

このあたりは、ちょっと開発しにくいところなのだろう。JR線の線路と道筋が斜めに交わるところが多く、地権者も細かく入り組んでいるのだろう。しかも、ガード下では手がつけにくい。

おかげで、少しはホッとできる景色として残っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 8日

皐月八日に詠める歌

国道のレストランには連休を見送る顔の家族あふれて

==========================

050508

今日は一日水戸方面で仕事をしていて、日が暮れてから筑波に向かって国道 6号線を走っている。

連休最後の夜なので、渋滞するかと思ったが、意外にもスムーズに走れる。

石岡でファミリーレストランに入って休憩。モバイル PC を PHS カードでつなぎ、このログを書いている。周りには、連休を終えようとする家族連れが多い。

天気予報では晴れということだったのに、なかなか雲が切れなかった。昼からどうなったのか、車の運転以外あまり外に出ていないので、わからない。

ただ、朝のうちから比べると、少しだけ暖かくなったような気がする。

写真はファミリーレストランの手洗い。ちょっときれいな雰囲気だったので撮影した。外は真っ暗になってしまって、ほかに撮るところもないので、今日のところは、これにて失礼。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 7日

皐月七日に詠める歌

久方の光に映ゆる菜の花の傍にしやがみて青空を見る

===========================

050507

昨日は時ならぬ冷え込みで、日が暮れて帰るときににはどうして冬用のジャケットを着て出なかったかと悔やんだほどだった。

この時期、冬物をしまうのは慎重でなければならない。毎年連休過ぎに、妙に寒くなることがある。

昼過ぎに青空が広がったので、当サイトからリンクさせていただいている風花萌野さんの写真をまねてみた。後で写真を眺めると、ピントもアングルも甘くて、真似になっていない。はいつくばり方が足りなかったようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年5月 6日

皐月六日に詠める歌

地下道を足早に行く人溢れ地上の雨は降り続くらし

==========================

050506

今日は朝から打ち合わせなどが入って、都内数箇所を廻っている。

昼前から雨が降り出したので、移動はなるべく地下鉄と地下道を使うと、傘をささなくてもほとんど濡れずに済む。

その代わり、地下道はいつもより混雑している。

今日はデジカメを持って出るのを忘れたので、携帯写真で代用。古いタイプの携帯なので、画質はかなり劣る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 5日

皐月五日に詠める歌

吹き渡る風に道あり田の水の波の影にてその道を見る

===========================

050505

子どもが少なくなったとはいえ、今日は子どもの日である。

この土地に越してきた頃は、あちこちの家で鯉のぼりが盛大に泳いでいたものだが、最近はめっきり少なくなった。

鯉のぼりには絶好の風がもったいない。

ところで、風にも通り道というものがあ。単に田んぼが広がっているだけに見える単調な土地でも、風は道に沿って渡っている。

それは、田の水面に刻まれる波の影でわかる。陰影の濃いところが、風の道だ。ちょっとした木や畦道の陰でも、風は避けて通るらしい。

見えないものが見えてくるのは、陰影の妙のおかげである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 4日

皐月四日に詠める歌

朝ぼらけヘッドライトは近づきてテールランプの遠ざかり行く

=============================

050504

日の出前に目が覚めた。世の中が一番平和な時間帯である。

遠くの県道の街灯がまだ消えずに、ぽつんぽつんと光っている。時折、車のヘッドライトが近づいてきて、テールランプが遠ざかる。

近頃、日中は案外風が強いが、彼誰時は凪いでいて、水の張られた田は、まさに鏡となり、周囲の景色を映し込んでいる。

水面が波立つ前の、上下対称の景色を目に留めておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 3日

皐月三日に詠める歌

天地 (あめつち) に同じ青きを映し合ひ尊からずや田に満つる水

===============================

050503

連休と言っても、どこにも出かけず、仕事をしている。たまに用足しに車で出かけると、県道レベルは空いているが、国道と名の付く道に出た途端に渋滞だ。

こんな時は、家の周りを散歩しているのが一番の過ごし方かもしれない。

土手の向こう岸の田に水が引かれて、空を映している。今日は久しぶりに快晴になったので、空も田も青い。

水の貼られた田んぼは平らになる。だから、この時期の景色はとても水平の線が多い。水に平らと書いて水平と読ませるのは、とても納得だ。

高低よりもゆったりとした広がりを感じさせる季節である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 2日

皐月二日に詠める歌

良きことの続きてありし夕暮れは越後の地酒抱きて戻らむ

=============================

050502

朝まで降った雨は、家を出る頃には上がり、だんだんと空が晴れてきた。

よい話を聞くことができたし、よい人と知り合いになれた。

最後は夕焼の中、越後の地酒、雪中梅の一升瓶をいただいて帰ってきた。

良きことばかりの一日だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月 1日

皐月一日に詠める歌

田の面 (おも) に水を湛へて敷島の地は大いなる鏡ともなり

=============================

050501

この時期の田の風景が好きだ。水を湛えて周囲の光景を映し出す鏡になっている。

日本中の大地のかなりの部分が、鏡と化しているのだ。

大地が鏡と化して、その上の生きとし生けるものを映し出しているというのは、なかなか壮大なものである。

田植えが終わると、緑の苗が等間隔に立ち、水面に映った景色に、薄緑のフィルターがかかったように見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »