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2005年6月30日

水無月三十日に詠める歌

雑草の背丈ほどにも伸びる傍に薄紅葵は飄然と立つ

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今日で 6月が終わり、明日からは今年の後半が始まる。

朝は本格的な梅雨らしい雨が降っていたが、午後になってから日射しが出始めて、2時過ぎには明るい青空になってしまった。

明後日からはまた降ったり止んだりの梅雨空に戻るらしい。

午前中にようやく月末締めの仕事を終えて、午後に裏の小川の土手を散歩した。

適当に雨が降った後はすぐに日射しに恵まれるので、雑草が伸び放題だ。木も葉が生い茂って、濃い影を落としている。

日射しが強いときほど、木陰はひんやりとして気持ちがいい。薄紅葵が周りの雑草に負けずに飄然と伸びている。

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2005年6月29日

水無月二十九日に詠める歌

水滴を弾く緑のボンネットに映る木槿 (ムクゲ) の異なる緑

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ようやく梅雨らしい空模様が戻った。朝からだいぶ涼しいような気がして寒暖計を見たら、それでも 25度あった。

ここ数日で、体が南国の人になってしまったらしい。

先日めずらしく車のワックス掛けをしたので、ボンネットの上で雨が弾かれて水滴になっている。

植えもしないのに自然に生えてきたムクゲの木が、そこに映っている。

車体もムクゲの葉も緑には違いないのだが、 それを際立たせているのは、背景として映っている梅雨空の色だ。

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2005年6月28日

水無月二十八日に詠める歌

五月晴れビルの真中に降る滝も既に日常となり果てにけり

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有明の TFT ビルというところでは、毎時 00分になると、時報代わりに、高い吹き抜けの天井から、音楽とともに滝が落ちてくる。

9階建てのビルのてっぺんから水が落ちてくるのだから、かなりの勢いである。写真ではややわかりにくいが、真ん中よりやや右側の霞んだ部分が、その滝の柱だ。

初めのうちは皆珍しげに見上げていたものだが、今では飽きられてしまったのか、滝の落ちる最初のザーッという音に振り向きはしても、誰も見上げ続けたりはしなくなってしまった。

とはいえ、大きなビルの真ん中の空間に水柱が立つのだから、マイナスイオンが大量に供給されるようで、しばらくは空気が新鮮になったような気がする。

それでも、天然の滝の爽快さには比べられないが。

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2005年6月27日

水無月二十七日に詠める歌

夏てふは常に過剰を湛へゐて五月雨のうちに溢れ来るなり

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夏になりきっていないのに、暑さだけは夏以上のものがある。

このところ、裏の土手の草刈りを一週間おきぐらいにしているのだが、先週の金曜日に刈った草は、もう伸びてしまっている。

土手の道の土の色は赤茶けているが、乾ききっているわけでもない。今日もほんの少しだが、雨は降った。

今日の風景は、すべて、何とか、but、何とか。中途半端なのに、過剰に満ちている。

背丈ほどに伸びた葦は、むっとするほどの草いきれを発していたが、さすがに、日が暮れると少しは涼しい風が吹き、熱帯夜にはならずに済んでいる。

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2005年6月26日

水無月二十六日に詠める歌

数知れぬ虫飛び来たり幾羽かはフロントガラスの染みと化したり

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いくら日が長いとは言え、7時半を過ぎればどんどん暗くなる。

水戸方面の仕事から、国道 6号線の混雑を避けて、裏道を通って帰ってきた。

ネオンも街頭もないので、辺りの景色は真っ黒のシルエットと化す。

上向きのヘッドライトに、無数の虫が飛び込んでくる。多くはスレスレのところで視界の外に去るが、何羽かはフロントガラスにぶつかり、白いしみと化す。

気の毒なことだが、詮ないことと諦めてもらうしかない。

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2005年6月25日

水無月二十五日に詠める歌

自動車のエアコンを止め木陰にて微かな風を我が身悦ぶ

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気付いてみれば、6月も 25日。普通の勤め人なら、休日前の昨日、銀行に給料が自動振り込みされていたわけだ。

1年の半分が終わろうとしている。早いもので、暑いのも当たり前だ。ちょっと空梅雨っぽいが。

私は手の甲に異常なほど汗をかく。車を運転している間はエアコンが効いているからいいのだが、降りたとたんに、汗が噴き出して、水しぶきを浴びたようになる。

通りがかりの県道に沿った果樹園。何の木だろう? 栗のような気がするが、どうなんだろうか。

規則正しいジグザグ状に木が植えられていて、その間が涼しい木陰になっている。

夏はエアコンより木陰がいい。僅かな風でも、体が悦ぶ。

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2005年6月24日

水無月二十四日に詠める歌

粒々の固さ残れる舌に乗り僅かに甘しブラックベリー

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我が家の金網フェンスに沿って生えているブラックベリーに実がなり始めた。

ほとんどはまだ薄紅色か赤だが、熟すと黒っぽくなる。

子どもたちの小さかった頃は、庭に出てつまんで食べていたが、今では見向きもされなくなった。枝が棘だらけなので、小鳥もあまり寄りつかない。

久しぶりで一房折って、食べてみた。黒くなった実はやや甘みがあるが、赤い実はあまり味がない。しいていえば、やや酸っぱいだけだ。

二、三度噛んでも、しばらくは表面の粒々の固さが舌の上に残る。さすが、野生の果実である。

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2005年6月23日

水無月二十三日に詠める歌

大通りの銀杏並木の根元より新しき葉も枝も緑に

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昼前に雨が上がり、午後から都内で商売上の打ち合わせをいくつか。半日で 2か月分の給料相当額の話まとまる。

基本的に、モノを仕入れて売る商売ではないので、額は少なくても利益率は高い。ありがたいことである。

歩道のイチョウ並木の根元に、緑の葉が茂っている。雑草かと思ったが、イチョウ自身の新しい枝である。近頃、日差しと水分が豊富なので、どんどん伸びているのだろう。枝の色までまだ若々しい緑である。

しかし、この新しい枝も、今年中に剪定で刈られてしまうのだろう。それでも、枝はただ無心に伸びている。

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2005年6月22日

水無月二十二日に詠める歌

五月晴れ続けば今日の五月雨もただ束の間の雨となるらし

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今日と明日に雨が降って、また梅雨の中休みになるらしい。とはいえ、今朝は梅雨らしく明けた。

「五月晴れ」 という言葉は、本来、「五月雨 (梅雨の雨)」 の合間のつかの間の晴れをいうのだが、今年は、五月雨の方がつかの間の雨のようだ。

ところで、我が家の庭に面したベランダは、手作りである。10年ほど前に、義父が滞在していたときに共同で作りつけた。(私は力仕事を手伝っただけだが)

そのベランダの板も、我が家の二匹の猫の爪研ぎ場と化して、ボロボロである。雨に濡れるとそれがいっそう目立つ。そのうち、板を張り替えなければならないだろう。やれやれ。

庇を伝って落ちる雨垂れで、ベランダの先は長い間に地面が掘られて、水溜まりができるようになった。ここも少しは埋めなければならないだろう。小石でも敷き詰めたらいいかもしれない。

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2005年6月21日

水無月二十一日に詠める歌

土地々々の蕎麦を打つ人見入る人茹で上がれるを手繰る人々

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ベイエリアの有明で仕事。終わったのが午後 3時半。

そういえば、昨日のラジオで言っていた。有明のビッグサイトで、「大江戸めん祭り」 というイベントをやっているらしい。日本全国のそば、うどんが集結しているという話である。

さっそく行ってみると、今日が 3日間の会期の最終日。5時で閉まってしまうらしい。こりゃ、急がねば。

500円の入場料を払って入ってみると、さすがに、もう終わりにさしかかり、客の数も減り始めている。ということは、並ばずにそばが食えるということで、かえってありがたい。

江戸前、信州、越前、会津などなど・・・、それぞれが、来場者の目の前で蕎麦を打っている。素人でも蕎麦打ちを趣味にしている人が多く、その技を盗もうとしてか、そこだけ人だかりになっている。

私は蕎麦打ちはとうにあきらめているので、ただ食うのみ。江戸前、越前おろしそばを続けて食す。ふむ。なかなかイケる。

これでかなりおなかが一杯になったが、最後に、行ったことのない沖縄と縁を結びたくなって、「沖縄そば」 なるものを食べた。これは、蕎麦粉は使っていないという。うどんとラーメンの中間みたいな食感。

若い頃ならいざ知らず、これ以上は食べられない。あとは展示を駆け足で眺め、最後に無料のくじ引きをしたら、1000円分の 「蕎麦券」 が当たった。都内の組合加盟のそば屋で使えるという。入場料と江戸前蕎麦の分、元が取れた。

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2005年6月20日

水無月二十日に詠める歌

宵待月昇るにつれて白きより色増し行けど長きかはたれ

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昨日の天気予報では雨だったし、今朝になっても、ところによりにわか雨と言っていたのだが、結局のところ、上天気の一日だった。

明日が夏至だけに、7時過ぎになっても明るかったが、暮れてみればあっというまの一日である。

7時頃にちょっとした買い物に出た。家を出たときには、まだ青い空に十三夜の月が白っぽく見えたが、買い物を終えて駐車場に出たら、さすがに月らしい色になっていた。

それでも、フラッシュなしで景色が映った。この日の長さは、明日がピーク。

ちなみに、満月のことは望月というが、十三夜の月は、宵待月とか小望月とかいうと、最近知った。

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2005年6月19日

水無月十九日に詠める歌

次々に散る花びらを哀しまず薔薇は新たな花を開きぬ

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梅雨がどこかに飛んでいったような、さわやかな一日だった。明日からはまた雨が戻るらしい。

裏の空き地の薔薇は、今年はとても元気がいい。蕾が後から後から開いている。

咲いた花はどんどん花びらを落としているが、散るのを上回る勢いで新たな蕾が開くので、見ていても気持ちがいいほどだ。

根元は散った花びらでびっしりと埋まっている。桜なら 「花むしろ」 というところだが、薔薇の場合は、「花の絨毯」 といった風情だ。

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2005年6月18日

水無月十八日に詠める歌

老松も新しき芽の一節の生まるる時は常に今にて

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久しぶりに日舞の発表会というものに行った。

以前勤務していた職場の年若い同僚が、長唄の 「老松」 を踊るというので、国立小劇場に出向いたのである。国立小劇場で文楽以外のものを見るのは、実はこれが初めてだ。

老松という曲は謡曲から取ったもので、どちらかというと (いわなくても)、「男だぜぃ!」 という感じの踊り。嫁入り前の女性でも、思いっきり外股で踊る演目を平気で選択できる世の中になったのは、まあ、いいことなのだろうなあ。

お昼過ぎまで踊りばかり見ていたら、急に芝居を見たくなったので、一幕見でも見ようかと思い立ち、歌舞伎座に向かった。私のご贔屓の仁左衛門が封印切りと新口村をやっているはずだ。

ところが着いてみると、一幕見は満席で立ち見になってしまうというので、仕方なくそのまま帰ってきた。老松は見たけれど、松嶋屋は見られなかったので、松尽くしにはならなかったというお粗末。

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2005年6月17日

水無月十七日に詠める歌

辛うじて小川の土手の内側の水面の際に樹は自然たり

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いかにも梅雨らしい曇り空だが、雨は一滴も降らない。もっとも、夕方にはところにより雷雨という予報が出ている。

急ぎの仕事を仕上げなければならず、朝からパソコンに向かいっぱなし。ようやく一段落ついた。

気分転換に、裏の土手を散歩する。土手の内側、川面ぎりぎりのところに、かなり多くの木が生えていることに気付く。

冬から春にかけては、葉が落ちているので、あまり目立たないが、今の季節になると、鬱蒼とした葉が繁り、存在感が増している。

住宅の多いこちら側の岸辺は、まめに草刈りをしているので、木の芽も一緒に刈ってしまうらしく、木はほとんどない。向こう岸は案外手つかずの温帯ジャングルである。

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2005年6月16日

水無月十六日に詠める歌

日本の梅雨に咲く薔薇ニューヨークで求めし透明の花器に挿したり

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裏の空き地の薔薇が次々と咲き出したので、いくつかを花瓶に挿している。

玄関においてあるのは、花瓶というにはちょっとデザインが変わりすぎているかもしれない。確か、一昨年に米国に出張したときに、MOMA のミュージアム・ショップで買ってきたものだ。

MOMA は工事中だったが、ミュージアム・ショップだけが開いていたように記憶している。この記憶が間違いならば、シカゴ美術館のミュージアム・ショップということになる。

透明なアクリルガラス板 2枚の間に、アルミニウムで丸く仕切りを入れ、水が入るようにできている。

窓際におくと、透明感が強調されてきれいに見える。何も活けなくても、それ自体が美しいオブジェというおもむきだが、薔薇はことさらによく似合う。

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2005年6月15日

水無月十五日に詠める歌

五月雨を葉に宿しては自らの紫色を映す紫陽花

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050615

梅雨空が戻った。今日は一日自宅で仕事である。

仕事場でラジオを付けっぱなしにしていると、今日はとても涼しいと言っている。梅雨寒である。

利根川を越えた我が家はひときわ涼しい。しまいかけた薄いフリースジャケットを羽織っている。

裏の空き地の紫陽花が咲き誇っている。雨の日に紫陽花の色はよく映る。

紫陽花の葉の一部に雨水がたまり、そこに紫陽花の色が微妙に映り込んでいる。

こういう光景をして、「鏡を覗く」 みたいな詠み方をすると、「平凡」 呼ばわりされるのだろうなということが、最近わかってきた。

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2005年6月14日

水無月十四日に詠める歌

夏至近き夕刻の日は白くして家路の長さ引き受けてあり

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050614

品川の某ホテルで業界関連の説明会があり、午後は丸々日の当たらない部屋にいた。

午後 5時を過ぎてホテルを出ると、まだまだ明るい。さすが、夏至が近い。

品川の駅は、新幹線が止まるようになって、ずいぶん様変わりした。光の射しこむコンコースは広々として、勤め帰りの人で混み始めた。

家路の長さを苦にしない活気が溢れている。

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2005年6月13日

水無月十三日に詠める歌

五月晴れに色際立てる薔薇揺らし乾き切ることなく風渡る

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昨日に引き続き、いい天気である。 「五月晴れ」 とは、本来はこうした梅雨の合間の晴れ間を言うのだが、こうして二日も見事に続くと、本来の五月晴れらしくない。

梅雨入り宣言があってから、まともに雨の降るのは 1日か 2日だけで、あとは天気がよくなってしまうというのは、このところ毎年のことのような気がする。

気象庁は大変だが、おかげで薔薇がきれいだ。

ただ、空梅雨気味になると、昨年のように、梅雨の終わり頃に帳尻合わせのような大雨が降ったりする。ごく普通の梅雨が一番ありがたい。

雨が好きという人も、案外多い。梅雨時に生まれたので、雨が降ると心が落ち着くという人もいる。

予報では、あさって頃からまた雨が降りそうだ。風も乾ききるまでにいたらない。

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2005年6月12日

水無月十二日に詠める歌

梅雨空のもとに広がる座禅草悟りし僧は里にあるらむ

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昨日の群馬県赤城山麓への出張の際、珍しい 「ザゼンソウの群生地」 というところに行った。

山麓の道をどんどん車で上っていくと、小さな駐車場があり、そこで車を降りて山道を少し登ると、谷に降りる小道がある。

そこを降りると、渓流に沿って大きなザゼンソウの葉がびっしりと生えている。珍しい景色だ。

雪解けの頃は、こんな大きな葉はなく、ちょうと法衣をまとった僧が座禅を組んでいるように見える花が咲くという。(参照

葉が大きくなってしまうと、座禅を組んでいた僧はすっかり消えてしまうものらしい。きっと悟りを得て、衆生救済のために里に下ったのだと思うことにしよう。

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2005年6月11日

水無月十一日に詠める歌

岩走る上州の利根その中に長竿もちて釣り人の立つ

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050611

出張で群馬県に来ている。関越道を渋川伊香保で降りて、少し道に迷ったら、利根川の河畔に出た。

茨城の取手付近のゆったりとした流れとはまったく違う急流が目の前に広がった。その流れの中に入り、釣りをしている人たちがいる。

雨がポツリポツリと降っている。出張先で傘をささないという私の晴れ男伝説は、今日で破れそうだが、この雨は、なかなかの趣である。

天気はどうあってもありがたい。

[追記]

破れると思われた 「晴れ男伝説」 だが、健在だった。

雨の降るのは、車での移動中と屋内での取材中だけで、屋外での撮影を行っている間は、ぴたりと雨が止んでくれた。

天気の神様に感謝。

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2005年6月10日

水無月十日に詠める歌

包丁の音もしつとりと聞こゆなり紫陽花の色濃くなりゆけば

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050610

今日、関東甲信越地方が梅雨入りしたようだ。

雨は朝から降ったり止んだりで、それほど激しく降るわけではない。予報では午後から風雨が強まると言っていたが、台風 4号が遠くを通ってくれたのだろうか。

湿り気が増したせいか、台所から聞こえてくる包丁の音も、歯切れがいいというより、しっとりとしている。

裏の空き地の紫陽花がだんだん咲き始めた。まだきれいに咲きそろってはいないが、昨年よりずっと元気がいい。

明日は群馬県に出張。車で行くことになる。予報では、日中はそれほど降らずに済むと言っている。出張で傘をさしたことがないという晴れ男伝説は、まだ続くか。

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2005年6月 9日

水無月九日に詠める歌

明日よりは梅雨となるらし湿りたる重き空気を潤ひとせむ

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050609

明日から雨になり、梅雨入り宣言も出そうと、カーラジオが告げている。

時折日が射すが、からりとした感覚はない。額と鼻の頭が、常にじっとりと汗ばんでいる。

このじっとりとした湿り気を、嫌がらずに潤いとして、梅雨と、そしてそれに続く夏を乗り切ろう。

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2005年6月 8日

水無月八日に詠める歌

長き日の帰り道こそ楽しけれ利根川越しに日はまだ高し

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050608

鹿島の近くで半日の仕事を終え、利根川沿いの道を筑波方面に戻る。

堤防に沿った道は信号がほとんどないので、快調に飛ばせる。1時間余りで取手にほど近くなった。

夏至が近いので、日が長い。夕方 6時になっても、利根川の対岸に日は高い。ようやく車のフロントガラス越しにまぶしく感じ始めて、サングラスをかける。

川面に反射して、細波が輝いている。

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2005年6月 7日

水無月七日に詠める歌

風通ふ廊下の隅に猫の毛の房となりては音立てず舞ふ

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050607

猫の毛の抜ける季節だ。我が家の二匹の猫の冬毛も猛烈な勢いで抜けている。

窓を開けて風を通していると、廊下で毛の房がゆっくりと転がっている。

年上の白猫はとても気位が高く、 「ウチに構わんといてんか」 体質なので、放っておけばいいが、年下の黒猫は甘えん坊の 「遊んでぇな、構ってぇな」 症候群なので、ブラシをかけてやると、喉をゴロゴロならして喜ぶ。

その喜び方は、まさに 「狂喜乱舞」 といっていいいほどで、とにかくじっとしていない。この写真を撮るにもずいぶん手間取った。

冬毛の抜けたばかりの猫は、いくぶん毛艶が落ちて、とくに黒猫は手入れの悪い髪の毛みたいになる。毛が少なくなった分、ちょっと痩せたようにも見える。

もっとも、それぐらいでないと、暑い夏を乗り切れないのだろうが。

ちなみに、我が家では 「動物のお医者さん」 という漫画の影響で、猫は関西弁ということになっている。

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2005年6月 6日

水無月六日に詠める歌

五月雨を待つ田の細き畦越しに風色移り麦の秋なり

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050606

麦秋である。近頃は減反で米を作らなくなった田んぼで、麦を作ることが多くなったようだ。

ようやく緑が濃くなった田んぼの隣で、麦が実り、刈り入れを待つばかりとなっている。

細い畦を一本隔てて、風の色まで変わっているような気がする。

よくはわからないが、麦というのは米と比べるとあまりめりはりがない。

春先頃に、まるで道端の草のように生えてきて、だんだんと背が高くなり、6月になると、小麦色に実る。米のように田植えをしているわけでもないから、何となく雑然と実っている。

こうしてみると、米作りというのは、日本の 「文化」 を規定するところまで高まっているのだなあと思う。

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2005年6月 5日

水無月五日に詠め

夏至近き黄昏時の遠き灯よ誰が心にぞ灯る明かりか

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050605

日が暮れかかってから、国道 6号線を辿って帰ってきた。

夏至が近い。7時を過ぎてもまだ明るさが残っている。遠く町はずれに明かりが灯るのが見える。

明るすぎる街の灯よりも、遠くにぽつんと見える明かりは、そこに人が確実にいることをうかがわせる。

その明かりは、時が経ち、暗さが増すほどに頼もしいものに見える。

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2005年6月 4日

水無月四日に詠める歌

打ち震ふめしべに蜂は遊びをり花といのちを預けあひつつ

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050604

梅雨のような雲に覆われた空の下、すみれ色の花が似合う。悲しいことに、相変わらず花の名前はわからない。

花の写真を撮ろうとしたら、どこからか小さな蜂が飛んできて、黄色のめしべの先に戯れている。

羽を震わせて飛び上がっては、隣の花に移り、またじっとしている。なかなか飛び去ろうとしない。

花と蜂は一つの命なのだと思う。花と蜂だけではない。生きとし生けるものは、すべて一つの命なのだと思うのである。

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2005年6月 3日

水無月三日に詠める歌

人は皆花のみを見て顧みず無骨なるかな薔薇の幹とは

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050603

裏の空き地の薔薇が、きれいに咲き出した。

先月末にも 3輪咲いたのだが、我々が帰郷している間に摘み取られてしまっていたのである。しばらく淋しい状態だったが、また蕾が開き始めた。

それにしても、バラ科というのは、花はきれいなのに、幹や枝の部分はとてもゴツゴツしている。桜や梅はバラ科サクラ属で、バラ属の薔薇とは一線を画しているのだそうだが、それでもこのゴツゴツ感は共通だ。

もう少し蕾が開き始めたら、今度こそ何輪かもらって花瓶に挿そう。無骨な幹に感謝しつつ。

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2005年6月 2日

水無月二日に詠める歌

人の手を離れてもなほをちこちに咲き香りゐる薄紅葵

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050602

昨日に続いて、梅雨のような天気だ。

気象庁も早く梅雨入り宣言しないと、また時期を失ってうやむやになってしまうのではないかと、余計な心配までしてしまう。

我が家の玄関先にマロウの花が咲いている。妻が以前に庭に植えたのが、あちこちに種が飛んだらしい。

「もう、放っておいてるんだけど、毎年あちこちに咲いてくれるの」

ずいぶん生命力が強い。放っておけばますます増えそうだ。

マロウは、ハーブティーにすると喘息などに効き目があると言われているが、我が家は幸いなことに喘息持ちがいないので、ただ花を眺めるだけである。日本名は薄紅葵というらしい。

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2005年6月 1日

水無月一日に詠める歌

弁当を持ちて遊びしあの土手もクローバーにて柔らかかりき

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050601

今日から 6月。気温がぐんぐん上がって夏日になったが、空はからりとした感じではない。梅雨入りが近いのだろう。

我が家の裏の土手にクローバーが咲いている。昔は白詰草 (しろつめくさ) と言った。

荷物を送るときに、パッケージの中でがたつかないように、この草を詰めたことから、そう呼ばれたという。昔はそれほどそこら中に生えていたのだ。

クローバーを見ると、子どもの頃に弁当を持って郊外に行き、土手に座って食べたことを思い出す。土手の斜面を横になってゴロゴロと転がり落ちても、クローバーのクッションで少しも痛くなかった。

さすがに 「詰め草」 である。

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