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2005年7月31日

文月三十一日に詠める歌

きらきらと光る刺繍のカーディガン誰ぞ忘れしか風に吹かるる

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休憩に入った郊外のショッピングセンター。広い駐車場の出入り口の木に、誰が忘れたか、派手な刺繍入りのカーディガンがぶら下がっている。

日中はこの暑さだから、もしかしたら真夜中に置き忘れられたまま、ここにぶら下げられているのかもしれない。

落とし主が現れるのは、きっと真夜中だろう。真夏の日差しを浴びてカラカラに乾ききったカーディガンは、持ち主の元に戻るだろうか。

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2005年7月30日

文月三十日に詠める歌

夏空の下の淋しき国道にコインランドリーのドアのみ開けり

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国道沿いにコインランドリーがある。入り口のドアは開いているが、中は薄暗く、客は誰もいない。

真夏のウィークエンドの真昼、こんなところで洗濯に時間をつぶすものはいないだろう。いるとしたら、少し哀しいかもしれない。

多分、夕刻以降にちらほらと洗濯物を抱えた客が来るのだろう。それは夏の真夜中まで続くのだと思う。

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2005年7月29日

文月二十九日に詠める歌

夏の日の高速道路の渋滞は街の全ての止まる心地す

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東京都内に車で向かう。今日から 3日間缶詰なので、もしかしたら、和歌ログの更新ができないかもしれない。

いずれにしても、毎日歌は詠むつもりなので、リアルタイムでなくても、後からまとめて更新することはできるはずだ。

外環道は、美女木の手前から渋滞になった。高速道路で渋滞になると、どこかに幽閉されたような気持ちになる。

高速道路の下も、全てが止まっているかのような錯覚に陥る。

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2005年7月28日

文月二十八日に詠める歌

手のひらに馴染む愛しき酵母たちいのち吹き込め我が家のパンに

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今日は朝から締め切り間際の原稿に追われ、一度も外出することもなく、パソコンの前に座ったまま日が暮れた。

ようやく原稿が上がり、夜になってパン生地をこねた。

我が家では、天然酵母による自家製パンを作っている。

天然酵母の管理と、パン焼きは妻の担当。私はパン生地をこねる担当だ。

こね上がったパン生地は、全粒粉入りなのでややブラウンがかっている。蕎麦でいえば、ひきぐるみの粒々が目立つ田舎蕎麦だ。ややワイルドだが、香りがいい。

大型のボウルに入れ、ビニールシートで覆っておくと、天然酵母の働きで、明日の朝にはボウル一杯に膨らむ。それを切り分けてオーブンで焼けば、パンのできあがりだ。

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2005年7月27日

文月二十七日に詠める歌

葉の裏の白きを揺らし葦の葉は野分過ぎたる風を受けゐる

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台風は昨日の昼頃の予報よりは東側の進路を辿り、房総半島をかすめて太平洋に抜けていった。

昨日は交通マヒを心配して、上野駅から 4時前の電車に乗って帰ったのだが、常磐線はそれほど乱れずに済んだようだ。

用心しているときというのは得てしてこんなものである。高をくくると痛い目にあったりするが。

今朝は台風一過の青空。昨年は台風はたくさん上陸したが、台風一過の青空というのは案外少なかったように思う。こんな典型的なのは久しぶりだ。

ただ、風はまだ強く、川岸の葦があおられて、普段は下に向けて隠している葉の裏側の白っぽい色を、盛大に見せている。

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2005年7月26日

文月二十六日に詠める歌

真夜中の進路予想の真中に我が家はあるなり野分近づく

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台風が近づいている。東京は先週の土曜日に地震でやられ、二日おいて台風の直撃というわけだ。

朝方は強い雨が降っていたが、10時過ぎからは小康状態だ。台風の外側の雨雲から外れたのだろう。夕方には本番の暴風圏が来るらしい。

今、仕事で有明に来ている。常磐線は風雨に弱いから、用件が終わったら、さっさと帰ることにしよう。

酒田から 10時間も車を運転して帰ってきた翌日なので、足止めを食らったら少々きつい。

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2005年7月25日

文月二十五日に詠める歌

五百キロの道のりを来てこの夏のはや終はりたる如き心地す

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酒田を昼前に発って、筑波の自宅に向かっている。

酒田は朝から日差しが強く、蒸し暑い日となった。9時過ぎに近所を散歩すると、首筋がじりじりと照りつけられて痛いほどだ。

近くの踏み切りから酒田駅方向を望むと、青空の下ですべてが止まって見える、真夏独特の景色だ。

しかし、車で奥羽山脈を越えて福島に出ると、どんよりとした曇り空。初秋を思わせるような景色になった。

夏はこれから本番だというなのに、なんだか夏の終わりの物悲しさを先取りしたような気分になってしまった。

明日は台風が来るという。気を取り直してがんばろう。

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2005年7月24日

文月二十四日に詠める歌

物置に積まるる物の外側を捨てて内なる思ひ留めむ

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私の実家は築 40年になる古い家だ。家柄が古いというわけではなく、単に、家の建物が 物理的にガタがきているという意味である。

このほど、実家の向かいにあるアパートが閉じることになり、その土地を買って、そちらに家を新築して引っ越すことにしたという。

向かいに越すのだから、実に楽な話である。

この引越しを機に、いろいろなものを捨ててしまいたいというので、物置の中を見てみた。お宝はないが、昔の服やガラクタがどっさり取ってある。どうやら、ほとんどは何も考えずに捨ててしまっても構わないようだ。

捨てるときは何か感傷があるかもしれないが、捨ててしまえばなんということもなかろうと思う。その内にある思い出は残るだろうから。

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2005年7月23日

文月二十三日に詠める歌

頂の雲は晴れたり鳥海の白き雪渓変わらぬ位置に

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朝に筑波を発って、妻と二人で酒田に来ている。例によって、母の介護、父の応援だ。

関東はどんよりとして涼しいほどの天気だったが、日本海側に抜けると、青空がのぞき、汗ばむほどの陽気だ。

国道 7号線に出て北に向かうと、鳥海山はずっと雲に隠れていたが、だんだんとその雲が晴れて、ちらりと頂上が顔をのぞかせた。

頂上の下には、いつもの年と同じ位置に同じ形をした雪渓も見える。

見えても見えなくても、鳥海山はそこにあるのだが、着いたその日にその姿を見せてもらえると、やはりうれしい。

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2005年7月22日

文月二十二日に詠める歌

つつましき鮮やかさとはありとせば汝がそれならむマリーゴールド

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あまりにも花の名前を知らな過ぎるので、最近は目に止まった花の名前を訊ねて教えてもらうことにしている。

近頃、鮮やかな黄色やオレンジ色の花を咲かせているのは、マリーゴールドというものだと教えてもらった。

そうか、これがマリーゴールドか。その名前は知っていたし、花も知っていた。ただ、その二つが結びついていなかっただけである。

しかし、もうこれで大丈夫。これからは、マリーゴールドを前にして途方に暮れることはない。喜んでくれ、マリーゴールド。

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2005年7月21日

文月二十一日に詠める歌

経糸と緯糸のみの世界にも人の手により美は軋みゐる

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今日は愛知県の一宮に出張。JR の駅名は、尾張一宮という。

繊維の業界で尾州といえば、毛織物の本場である。私も以前、羊毛関連の仕事をしていた頃は、3か月に 2度はこの町を訪れていた。

10年以上の時間が流れ、尾張一宮の駅舎は近代的なビルになっていた。ちょっと驚きである。

地場産業ファッションデザインセンターには、今もコンテスト受賞作の織物が展示されていた。量産を目的とせず、手間隙かけた手作りの織物だから、それはそれは凝ったものである。

右側の織物は、「スパイダー」 という作品。蜘蛛の巣のような織模様である。経糸 (たていと) と緯糸 (よこいと) のみの世界に、ねじらせ、ゆがませ、溶かし、圧縮した美が軋んでいる。

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2005年7月20日

文月二十日に詠める歌

夏の日の濃き影辿るまなざしの彼方に潜む真白き眩暈

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夜明け前にかけて思いがけなく涼しくなったが、昼過ぎからちゃんとした夏の陽気になった。

取手駅近くに借りている駐車場に車を止め、駅に向かう坂道を登る。急坂である。一歩足を踏み出すごとに汗がにじむ。

強い日差しので、視界に映る陰影が濃い。日に当たる部分が白いので、日陰はとても暗く見える。その輪郭が際立つ。

風が凪いでいるので、世界の動きが止まったように見える。太陽のまぶしさに凍り付いてしまったかのようだ。視界の彼方に、真っ白な眩暈が待つ。

幼い頃から、夏は幻視の季節である。

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2005年7月19日

文月十九日に詠める歌

かぎろへるレールを歩く遠き日の己が姿を幻視する夏

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昨日ほどの暑さではないが、それでも歩いていると汗が流れる。今日は電車で都内に向かう。

ホームの端に立って南の方向を望むと、たっぷりと湿り気を含んだ空気のせいで遠くは見えない。昼を過ぎれば、この空気が熱せられて、陽炎となるのだろう。

「かぎろひ」 は名詞で、陽炎の意。「かぎろふ」 という動詞は、私の古語辞典では見当たらなかったが、無理矢理使ってしまった。

レールの彼方に陽炎の立つ日は、時間の感覚が混乱して、自分の昔の姿が偲ばれるような気がする。

夏は幻視の季節である。

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2005年7月18日

文月十八日に詠める歌

水郷の梅雨は明けたり空のみを映す水面に動くものなく

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潮来に来ている。といっても観光ではない。仕事である。フリーランスには、連休はほとんど関係ない。その代わり、ウィークデイでも休めることがあるが。

来る途中、車を運転しながらカーラジオで梅雨が明けたらしいとのニュースを聞いた。道理で大変な日射しである。コンビニで買い物しようとして、エアコンの効いた車から出たとたんに汗が噴き出た。

潮来は、アヤメの咲く季節以外は、観光地とはいえ静かなものである。こんな時こそ、船に乗ってのんびり橋めぐりでもしたいところだが、今日もそんな時間は取れなかった。

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2005年7月17日

文月十七日に詠める歌

ガリガリとノイズを拾うカーラジオ視界の端に光る稲妻

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蒸し暑い一日だった。夕方に水戸方面から国道 6号の裏道を抜けて帰ってきた。

夕方になる前から、遠くからゴロゴロと雷鳴が聞こえていたが、車を走らせていると、ようやく雷雲が本格的に近づいてきたようだ。

カーラジオは常にガリガリとノイズを発し、時々視界の端に稲妻が光る。何度も土砂降りを通り抜ける。

梅雨明けが近いらしい。関東の梅雨は雷とともに明ける。

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2005年7月16日

文月十六日に詠める歌

夕べには萎み再び開くことなき木槿なる故の妖しさ

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昼過ぎから日射しが出てきて、相変わらずの蒸し暑さだ。

裏の土手を散歩すると、いろいろの花が咲いているのだが、風流心がないので、名前がわからない。近頃はなるべく調べるように心がけてはいるが、調べきれないものも多い。

とくに芙蓉 (フヨウ) と木槿 (ムクゲ) は区別しにくい。同じアオイ科に属するというのだが、アオイとは区別できても、フヨウとムクゲは、同じに見えてしまう。

どちらも朝に咲いて夕には萎んでしまうのだが、次々に新しい花が咲いて、長い間目を楽しませてくれる。しかし、一つ一つの花は一日の命ゆえの妖しさを秘めている。

この写真はムクゲだと思うのだが、自信はない。我が家の裏手には白いムクゲが咲いていて、それもフヨウではないという確証はない。

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2005年7月15日

文月十五日に詠める歌

故郷の修験の山と同じ名の蜻蛉は羽を閉じて休めり

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昨日までとはうって変わって、完全な夏空。もし涼しければ、裏の草刈りをしようかと思っていたが、この日射しでは諦めた。

この頃、この辺りで真っ黒な羽のトンボの飛ぶのがよく見られる。ハグロトンボというらしい。

赤とんぼのように群れをなして飛ぶというわけではなく、一匹だけで毅然として飛び、止まるときは、左右の羽を合わせて閉じていることが多い。

なかなかおもむきのある姿である。

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2005年7月14日

文月十四日に詠める歌

不吉なる座席番号を 「良く いいさ よい」 とぞ読めば笑ひて乗りける

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岩手県の一関に日帰り出張である。余談だが、来週は愛知県の一宮に日帰り出張。

新幹線切符は今月初めに手配しておいたのだが、今日乗車時に座席番号を確認して思わず苦笑した。

「Max やまびこ 49号の 13号車 1階 4番の E」 という席である。これって、ゲンかつぎにこだわる人なら相当ショックな席ではあるまいか。

まあ、プラス思考をモットーとする私としては、これを 「良く、いいさ、いいよ、いい」 と読むことにして、朝に飲みそびれたコーヒーを車内販売で買って啜ったのであった。

朝の出がけには小雨が降っていたが、一関の天気は午後から曇り。一時的に通り雨があったが、それは例によって車で移動中のみ。暑すぎず、ちょうどいい。屋外での写真撮影もあったので、ありがたいことである。

出張先で傘をさしたことのない記録は、まだまだ続いている。

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2005年7月13日

文月十三日に詠める歌

牛蛙この世ならぬ声響かせて潜みゐるらし我が足許に

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裏の小川の土手を散歩すると、ウシガエルの鳴くのが聞こえる。

モー、モーと牛に似た鳴き声なのでウシガエルというのだが、本物の牛ほどには鳴き声を長く伸ばさない。その代わり、異様なほどの同じ調子で延々と鳴く。

鳴き声はいつも聞こえるが、その姿を見たことは一度しかない。何年か前に、どうしたはずみか、土手の草むらから散歩道に現れてうずくまっているのを見たのだが、それはそれは大きなカエルだった。

具体的にどのくらいと言われても記憶は定かではない。もしかして、いつも響いているこの世ならぬ鳴き声が、記憶の中の姿をより大きなものにしているのかもしれない。

鳴き声は複数聞こえる。草むらの中に、少なくとも 3匹はいるようだ。

その姿を確認したくなって、鳴き声のする方に歩いていくと、足音を恐れてか、ぴたりと鳴き止む。しばらく立ち止まるとまた鳴き始めるが、前とは別のところから聞こえる。

その鳴き声の方に近づくと、また鳴き止む。そしてまた別のところから聞こえる。思いの外、活発に移動しているようで、その姿を見ることはついにできなかった。

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2005年7月12日

文月十二日に詠める歌

菱形の口のみとなりつばくろの雛は信じて親鳥を待つ

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先週の火曜日に紹介したスタバの看板文字の上に居ついたツバメの子たちが、こんなに大きくなった。

菱形に大きく開いた口のみが目立つ。親鳥が餌を運んできてくれるのを信じ切っている。ここまで信じ切られたら、親鳥の行動はもうオートマチックだ。

"COFFEE" の文字の右端の "E" の字は、既にヒナたちの糞で汚れてしまっているが、それでも下手に掃除したりしたら余計なプレッシャーを与えてしまうので、そのままにしてあるのだろう。

しかるべし。ピカピカに磨き上げられているよりも、ずっと美しいじゃないか。

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2005年7月11日

文月十一日に詠める歌

草の葉もペットボトルも空き袋も川面を流る同じき速さで

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今日も大変な暑さだった。北九州は大変な雨のようで、一筋縄ではいかない梅雨模様である。

西日本の水不足は解消されたのだろうか。我が家の裏を流れる小川は、相変わらず静かに流れている。

遠目にはのんびりとした流れだが、近くで見ると、水面をいろいろなものが思いがけない速さで流れていく。

木の葉、草刈りで刈られた草の固まり、葭の茎、ペットボトル、スナック菓子の空き袋などが、どれも皆同じ速さで流れていく。

川というのはすごい。何でもあっさりと流してしまう。流しきれない業が溜まると、大水になるのかも知れない。

 

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2005年7月10日

文月十日に詠める歌

夕凪のもの皆止まるその中で糸引く如く雲雀降り来る

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一昨日ぐらいまでの予報では雨の日曜日になるはずだったのだが、実際には久しぶりに暑い一日だった。

夕暮れになって、ようやく涼しい風が吹いたと思ったら、その風もすぐに凪いでしまった。すべてが止まって見える時間帯である。

土手の道を散歩すると、その全ての止まった中で、向こう岸の田から飛び上がった雲雀のみが忙しく鳴いている。目を凝らして見ると、すぅっと糸を引くように地面に降りていくのが見えた。

次に飛び上がるのは、明日になるだろう。

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2005年7月 9日

文月九日に詠める歌

鮮やかに咲く花はその鮮やかなる命預けり丹精の人に

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昨日は上天気だったが、今日は朝からポツポツと雨が降っている。天気予報では、夜には大雨になるかもしれないという。

梅雨空の下で、近所のプランターにきれいな花が咲いている。

鮮やかな赤と白の花。人工の自然の色。人間の丹精がなければ維持できない色である。

花は人に命を預けているわけだから、人もそれに応えて丹精するわけだ。なるほどね。

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2005年7月 8日

文月八日に詠める歌

散歩道呼吸の度に我が胸に押し寄せ来るは草いきれなり

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050708

蒸し暑い季節になった。天気は晴れたり曇ったりだが、蒸し暑さだけはすっかり夏だ。

周りの草木はうっそうと茂ってきている。草いきれがむっとするほどだ。

この草いきれは、豊かな季節の証拠みたいなもので、喜ばしいことなのだ。

汗をかきながら、うれしがるだけうれしがっておこう。

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2005年7月 7日

文月七日に詠める歌

次々と花開きては真白きに夏咲き通す芙蓉の命

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ラジオやテレビを点けると、口を揃えて今日は七夕だと言っているが、梅雨も明けないうちの七夕などあるものかと思っている。

今年の本当の七夕は、来月の 11日。この日が旧暦の 7月 7日である。今年は月遅れの七夕と 4日違いで、案外早めになっている。

例年 8月後半になる年が多いことからすると、今年の夏は短めになるのかもしれない。

小川の土手を散歩すると、昨日は一輪しか咲いていなかった芙蓉の花が、今日は一挙に増えていた。よく見ると、蕾もいくつか大きくなっている。

芙蓉の花は一日で萎み、次々に新しい花が咲くのだという。花の数は日ごとに変わるが、奥に流れるいのちは一つで、自分の命とも一つなのだという気がする。

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2005年7月 6日

文月六日に詠める歌

散歩道脚下の罅 (ひび) の奥底に別世界あり虫はそを知る

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我が家の裏を流れる小川の土手の道を散歩すると、途中に簡易舗装してあるところがある。

簡易舗装だけに、ひびのはいったところから草が生えたりしている。割れ目の広がったところは、よくみると案外深い穴になっている。

この穴から、多くの虫が出入りしている。奥には我々のあずかり知らない世界が広がっているようなのだ。

中でごそごそうごめくものがあるので、覗いていると、ムカデが顔を出した。ちょうどその時、ダンゴムシが穴に入ろうとして鉢合わせしそうになった。

虫たちの世界もいろいろあって大変そうだ。

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2005年7月 5日

文月五日に詠める歌

つばくろは鳥の形の遠来の神の如くに傍らにあり

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スターバックス・コーヒーの店先、大きなロゴマークの右端の "E" の字の上に、ツバメが巣を作っている。

時々親鳥が飛んできては、中にいる雛たちに餌を与えているようだ。

(文月十二日追記: 一週間後に育ったヒナの姿が見られた)

ちょうど親鳥が餌を与える光景に出くわしたのだが、カメラを取り出しているうちに、飛び去ってしまった。またやってくるまで待っている時間はないので、残念ながら、右の写真になった。

ツバメはなぜか大事にされる。毎年決まった時期にやって来ては、決まった家の軒先などに巣を作るので、「マレビト」 扱いなのかも知れない。鳥の形をした遠来の神である。

常に居続けて、夜になるとゴソゴソしだすゴキブリやネズミとは、ずいぶん扱いが違う。

なお、どこのスタバかは、明らかにしない。決して読者を信用しないというわけではないのだが、万一この巣にイタズラをする者がいたら、不本意な気がすると思うので。

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2005年7月 4日

文月四日に詠める歌

梅雨空にオレンジ色の灯をともし夏を待ちゐるガスステーション

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夏至を過ぎても、しばらくは日が長い。どんよりした梅雨空ではあるが、夕方の 7時を過ぎてもまだ明るさは残っている。

水戸方面で、半日仕事をして、戻ってくる途中、岩間インターチェンジの近くの蕎麦屋 「やしろ」 に寄った。ここの蕎麦は、ちょっと田舎風で、香りが高く、おいしい。

あわただしく蕎麦をたぐって、表に出ると、まだ明るさが残っているが、向かいのガソリンスタンドには灯がついて、オレンジ色の光を放っている。

夕暮れが少しずつ早まりながら、夏の本番はこれからである。

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2005年7月 3日

文月三日に詠める歌

「スカボロー・フェア」 の歌にうたわるるローズマリーとタイムの香り

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玄関の窓際に、ハーブの香りが漂う。ローズマリーと、タイムの香りである。

ローズマリーは、どちらかといえば灌木といった風情のハーブ。我が家の玄関脇の駐車スペースに面して生えている。

あまり大きくなりすぎて、車の出入りの邪魔になってしまうので、枝ごと切り取り、一部を逆さに吊してドライフラワー風にし、一部は例のアメリカ土産の花瓶にさしてある。

タイムは、芝生のように横に広がるハーブ。庭のタイムがずいぶん繁ったので、剪定して、バスケットに入れてある。

30年以上前のアメリカ映画 「卒業」 に使われたサイモン&ガーファンクルの 「スカボロー・フェア」 という歌には、「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」 という印象的なリフレインがある。このリフレインの後半二つの香りが、今、我が家には漂っているわけだ。

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2005年7月 2日

文月二日に詠める歌

梅雨空の下の緑の牧場は牛の声のみ遠くに聞こゆ

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いつも通る県道の傍に、農場が広がっている。天気のうららかな日は、ホルスタインらしい牛が放牧されている。

今日は牛の姿は一頭も見えない。遠くの牛舎の中に、それらしい影は認められる。時々鳴き声も聞こえる。

梅雨空ではあるが、雨は降りそうで降らない。

牛たちも、何か中途半端な気持ちでいるに違いない。

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2005年7月 1日

文月一日に詠める歌

しもた屋の如く見ゆれど玄関に有限会社の文字ある家並み

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仕事の打ち合わせで、朝から都内に出る。

空はおおむね曇り空だが、時々ちゃんと雨が降る。ようやくいつもの梅雨が戻ってきた。

神田駅から岩本町に向かう。6年前まではこの駅の近くのオフィスに勤めていたので、道はよく知っている。喧騒の大通りを避けて、小路伝いに行く。

このあたりの小路は、下町の面影をよく残している。両側の家並みは、しもた屋のようにみえるが、実はガラス戸に 「○○有限会社」 などと書いてあって、まだ商売を閉めてしまったわけではないようだ。

しもた屋の語源は、商売を閉めてしまった家ということ、「しもうた屋」 である。とすれば、ここの家並みは 「しもてない屋」 か。

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