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2005年8月31日

葉月三十一日に詠める歌

洪水の度に頼もしく動きたるポンプも今は廃墟と化しぬ

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我が家のあたりは、昨年までは洪水地帯だった。ちょっと大雨が降ると、道路が冠水して車が通れなくなる。

我が家のあたりはまだいい方で、用水路を隔てた隣の一画は、しょっちゅう床下浸水していた。

ところが、昨年に大規模な遊水池ができると、洪水の心配は一挙になくなった。最近では少々の台風でも枕を高くして眠れる。暮らしやすくなったものだ。

ところで、我が家の裏の小川の土手際には、今でも大型のポンプが据え付けられている。

洪水の際には水門を閉じないと小川から住宅地に水が逆流する。そして、住宅地にたまった雨水を小川に排水するために、ポンプが必要だったのだ。大雨の時には、夜通しこのポンプの稼働を管理していたものだ。

ところが、遊水池が完成して洪水の心配がなくなったために、このポンプは一年以上動いていない。このままでは、多分さび付いて動かなくなってしまうだろう。

身近にある 「廃墟」 である。

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2005年8月30日

葉月三十日に詠める歌

初めての電車となればうたた寝もせぬうちに早終点となる

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初めて筑波エクスプレスに乗った。

自宅からバスで守谷駅に行き、そこから快速電車にのって、終点の秋葉原に着いた。

乗ってしまうと、明らかに速い。守谷から秋葉原まで 31分で着いてしまった。常磐線で取手駅から乗ったら、上野まで 42分、秋葉原まで乗ったら、乗り換え時間を含めて、50分以上はかかる。約 20分の短縮だ。

それに、電車の幅が広くて、揺れも少なく、とても快適だ。しかし、これからずっと筑波エクスプレスを利用するかとなると、やや考え込んでしまう。

私は常磐線取手駅の近くに駐車場を借りていて、自動車プラス徒歩で取手駅まで行くのに、25分で着く。ところが、守谷駅までは、今のところバスで行くしかない。これが 30分で、480円もかかる。ラッシュ時はもっと時間がかかるだろう。

それに、今回はたまたま快速電車に乗れたからいいが、各駅だったら、これまでとの時間差はそれほどないだろう。バス停での待ち時間を考慮したら、ドアトゥードアでは、大した時間差はない。

それでバス代がこんなにかかるのでは、考えてしまう。もう少し様子をみてみようと思う。

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2005年8月29日

葉月二十九日に詠める歌

秋空に達せんとしてスーパーマン電線の隙に身をよじるらむ

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改めて見上げると、日本の空は電線だらけだ。

それは市街地だけではない。我が住まいする郊外の田園地帯でも同じである。

子どもの頃、自分がスーパーマンになって空を飛ぶのを夢想した。しかし、見上げると空は電線がびっしりと張り巡らされている。

これにひっかからないように飛び上がるのは、なかなか大変だと思ったものだ。

今日も汗がしたたり落ちる暑さだが、電線の彼方の空は、もはや秋の空の色に近い。

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2005年8月28日

葉月二十八日に詠める歌

満ち満ちる潮のごとき蝉の声波間に立てる三重の塔

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夜明けがだいぶ遅くなった。5時を過ぎないと明るくならない。

それに、今日はだいぶしのぎやすい。天気予報では、このあたりの最高気温は 26度だそうだ。ただし、明日は日射しが戻って 30度になるらしいが。

近所に重要文化財の三重の塔をもつ板橋不動尊がある。ちょっと離れたところからみると、なんだか奈良あたりの景色に似ている。

木立は蝉時雨だ。もうすぐ 8月は終わる。9月早々、また田舎に帰る予定だ。

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2005年8月27日

葉月二十七日に詠める歌

夏は行く高く伸びたる松の枝に潜む秋色一瞥もせず

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台風が遠ざかって、暑さがぶり返してきた。しかし、朝晩はそれほど蒸し暑いというわけではない。今年の夏は、昨年よりはずっと楽だ。

高い松の木を、下から仰いで撮ってみた。松の枝葉がシルエットになり、その上の空は秋の色に映っている。

私は 7月末頃から、「今年の夏は終わったような気がする」 みたいなことを書いている。梅雨が明けたあたりで、夏は既に秋を連れてきているような気がしていた。不思議な感覚だ。

さて、いくら日中に暑くなっても、私の心は既に秋である。今年の秋は、内容豊富な秋になりそうな予感がする。

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2005年8月26日

葉月二十六日に詠める歌

野分過ぎ掛け直したるよしずよりつくつく法師の声漏れ来たり

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台風の中心は、我が家からは車で約 1時間の近さの霞ヶ浦の向こう側を通り、太平洋に抜けたようだ。

この辺りも、明け方までは風雨が激しかったが、徐々に収まり、午後には日が射してきた。

この台風が南の湿った暑さを連れてきたようで、完全に夏に逆戻りの蒸し暑さだ。

我が家でたった一つの和室の濡れ縁には、よしずの簾が吊してある。台風の間はバタバタしないように、外してあったが、またすぐに出番がやってきた。

簾の隙間から見える外の景色は、まぶしいまでの光に溢れている。とはいいながら、どこかでツクツクホウシの鳴くのが聞こえる。やはり晩夏である。

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2005年8月25日

葉月二十五日に詠める歌

自転車の速度の野分黒雲を電車の速度で放ちつつ来る

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台風が近づいている。一昨日からずっと近づいているというばかりだったが、ようやくスレスレまで近づいたようだ。

時速 15キロメートルというゆっくりとしたスピードという。自転車程度である。しかし、流れる黒雲は電車のスピードほどに見える。

朝から雨が断続的に降っているが、あまり切迫した感じはない。

台風情報では、今度の台風は暴風圏が小さいと言っている。よほど近づいてから急に風雨が強くなるので、注意が必要らしい。

なるほど、暴風圏が小さければ小さいなりに、注意の仕方が違うわけだ。

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2005年8月24日

葉月二十四日に詠める歌

台風の近づき来るを待つ如く黒光りしてバイク佇む

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今日は昨日までとは打って変わった涼しさだ。

運営に参加している展示会の会場も、昨日までと同じエアコン設定では寒すぎるというので、設定のやり直しが大変だ。

台風が近づいているというが、南の暑い風という気はしない。上陸せずに、関東の東をかすめてくれるとありがたいのだが。

いずれにしても、今日一杯は曇り空で済みそうなので、客足の心配はしないでいいようだ。

展示会場の裏手のバイク置き場には、さまざまなバイクが黒光りして台風の来るのを待っていた。

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2005年8月23日

葉月二十三日に詠める歌

高層ビル銀杏並木を逆光に黒く落として雨は近づく

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出掛けに天気予報で、夕方から雨になると伝えていたが、昼過ぎにはだいぶそれらしい雰囲気になってきた。

今、某展示会の運営に関わっているので、雨はできるだけ降らないでもらいたい。振り出すのは今日の夕方で、明日の予報は曇りのようなので、晴れ男としては安心しているのだが。

展示会場の中に閉じこもっていると、外の様子はさっぱりわからない。写真は、昼食時にちょっと外に出たときのものである。

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2005年8月22日

葉月二十二日に詠める歌

イベントの設営準備進み行く舞台裏こそ楽しかりけれ

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明日から都内某所で開かれるビジネス関連の展示会の運営を手伝う仕事があり、今日はその準備・設営に来ている。

私は楽屋裏というのが好きである。実際の本番前の準備とか、本番中の運営とか、そうしたことに関係するのは楽しい。

逆に、いろいろなイベントで単なるゲストという立場でしかないと、物足りなさを感じたり、つい舞台裏を想像して余計な気の回し方をしてしまったりしてしまう。

この性分は、損なのか得なのか、よくわからない。

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2005年8月21日

葉月二十一日に詠める歌

青きはずの空白くして底知れず目眩なりけり蝉の声とは

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今日も残暑の一日だった。

ただでさえ暑さで頭がぼうっとするのに、風邪を引いているものだから、景色が幻覚じみる。それは頭の中で作り上げているものなのだが。

この何日か、本当に蝉の声が日常である。蝉の声が夏を覆い尽くしている。

人類は地球に誕生して以来、蝉の声、虫の声、蛙の声を聞き続けてきたのだろう。昔のこれらの声は、今よりずっと大きく鳴り響いていただろう。それを聞きつつ聞き流す遺伝子が、我々の中に形成されているようだ。

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2005年8月20日

葉月二十日に詠める歌

日昇りて汗のしたたり落つる頃つくつく法師鳴き止みゐたり

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三日続けての蝉ネタになる。

今朝方、この夏初めてツクツクホウシの鳴く声を聞いた。我が家のすぐ近くのどこやらの木で、 「オウシツクツク」 としきりに繰り返している。

この特徴のある鳴き声が聞こえれば、夏はそろそろ終わりに近づくものと思っていたが、それから気温が急上昇し始めて、10時を過ぎる頃には、何もしなくても額から汗がぽたぽたと落ちるほどになった。

そして気付いてみると、その頃には、ツクツクホウシはぴたりと鳴き止んでいた。きっと鳴くにはまだ早過ぎると思ったのだろう。「なんだ、まだ真夏じゃないか」 と。

羽化が少しだけ早過ぎたツクツクホウシが、また気合いを入れて鳴き始めるのはいつになるだろうか。

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2005年8月19日

葉月十九日に詠める歌

動きなき白き晩夏の一日をとこしへとして鳴き暮らす蝉

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昨日に続いて蝉ネタ。

何しろ、一日 PC に向かって仕事をしていると、冷却ファンの回る音と、蝉の声しか聞こえない。

実際には、あれは声帯から発せられる 「声」 ではなく、摩擦によって生じる 「音」 なんだそうだ。

あの小さい体で、こんな音を鳴り響かせるのだから、大したものである。わずか一週間ほどの地上の暮らしに、命を懸けてこそ出せる音だ。

蝉一匹の一生になんの意義があろうかと疑うのは、道理を知らないものである。宇宙に蝉一匹分の隙間が生じたら、それを埋め合わせるために、その周辺でどれほどの動乱が生じているか、想像してみればいい。

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2005年8月18日

葉月十八日に詠める歌

鬱蒼とした木の中で鳴き尽くしぽとり落ち来て死ぬる蝉かな

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朝のうちは曇っていたが、いつの間にかまた夏空になった。セミが一日鳴いている。

どこか見えない木の陰で、声だけを響かせて鳴き、死ぬときになると、突然空中からぽとりと落ちてくる。

そして地面の上で 「ジジジ・・・」 と少しだけ鳴いてみせ、あとは、朽ちていくだけだ。

セミは地上に出て幼虫から成虫になると、ほぼ 一週間の命だという。その間、ずっと鳴き暮らし、子孫を残す。

一日鳴いたら、セミとしては永遠に鳴いたような気がするかも知れない。夏の時空を埋め尽くすような響きである。

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2005年8月17日

葉月十七日に詠める歌

日暮れての空群青に深まれば十三夜なる月は昇れり

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昼がだいぶ短くなった。6時半にはすっかり日が暮れて、街のネオンが浮き上がる。

朝から案外湿気の少ないさわやかな日和だったので、日が暮れてからも、十三夜の月がすっきりと見える。

今月中に仕上げなければならない原稿がいろいろとたまってしまった。どうしても日中は暑くて能率が上がらず、夜遅くまでパソコンに向かってしまう。

明日あたりは、裏の土手の雑草刈りでもしないと、運動不足になってしまいそうだ。

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2005年8月16日

葉月十六日に詠める歌

列島の東 (ひむがし) 側は恐ろしく揺れたりといふ我は知らねど

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昼前の地震は、電車に乗っていたので全然気づかなかった。

東京でもだいぶ揺れたらしく、訪問先の人は、「あんなに揺れたのは久しぶりで、かなり気持ち悪かった」 と言っていた。ふぅむ、気持ち悪くならなくてよかった。

それにしても、近頃宮城県沖を震源とした地震が多い。一昨年は、春と夏に震度 6 弱と強の地震が立て続けにあったと記憶する。

新幹線は止まってしまったようなので、お盆で帰省して今日戻ろうと思っていた人たちは、大変だっただろう。東京駅の長距離バス切符売り場には、長蛇の列ができていた。

妻の実家が仙台なので、心配だったが、下手に電話したら回線の混雑に拍車をかけてしまう。ほぼ 6時間待って、夕方 5時半頃にケータイで電話したら通じた。被害はないという。ひとまず安心。

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2005年8月15日

葉月十五日に詠める歌

終戦の日のガラス戸は熱くして早くも垂るる稲の穂の見ゆ

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朝方は晴れていたが、昼を過ぎるとだんだんと曇ってきた。それでも暑さは変わらない。

家の中の壁や階段の手すりを触ると、妙に熱い。日陰のものでも、体温に近い温度にまで暖まっている。

階段の踊り場からみえる田んぼでは、もう既に稲穂が垂れてお辞儀をしている。以前なら、ようやく稲の花の咲く時期だ。

多分、今月末には稲刈りが始まってしまうだろう。台風シーズン到来の前に、刈りとってしまえるように、スケジュールが設定されているのだろうか。

これでは、「秋の実り」 というより 「晩夏の実り」 と言った方がいいかもしれない。

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2005年8月14日

葉月十四日に詠める歌

明後日は真赤とならむ庭のトマトほおずき色は盆過ぐるまで

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昨日はどこか秋を思わせるような一日だったが、今日は夏空が広がった。「お盆!」 という一日である。

以前ならば家族で帰郷して、墓参りなどをしていたが、最近は母の介護応援スケジュールの方が優先で、お盆に合わせられない。

先月の下旬に行ったので、次は 9月下旬のはずだったが、その頃は、母がショートステイで療養施設に入るので、帰郷の必要がなくなっていた。

ところが、今月中旬に行くはずだった妹が、足の指を骨折して動けなくなってしまったので、急遽、9月の始めに我々が行くことになった。ついでに、半月遅れの墓参りもしてこよう。

庭の片隅で妻が育てていたトマトが、ようやく色づいてきた。何となくホオズキ色に見えるのも、お盆だからか。

「もう少しで熟すから、待っててね」 ということで、楽しみなことである。

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2005年8月13日

葉月十三日に詠める歌

遠くより花火の響き伝はれば暫し止みたり庭の虫の音

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昨夜遅く京都から帰ると、関東は大雨なのだった。天気図をみると低気圧だらけだ。

この雨が今日も残るのかと思っていたら、昼前から晴れだして、夕方には青空が広がった。カンカン照りに照らされずに済み、その後に晴れてきたので、かなりさわやかな夕べである。

小貝川の土手から下流を望むと、うろこ雲が広がって、まるで秋の空である。今月 8日にも書いたが、今年の旧暦の進み方は、昨年にくらべて10日以上早い。秋の訪れが早いのかも知れない。

隣町の取手で花火大会があるというので、県道は夕方から車の渋滞が始まった。我が家の次女も、浴衣を着て出かけていった。雨が上がってなによりである。

今、取手の方向から花火の音が聞こえてきた。

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2005年8月12日

葉月十二日に詠める歌

昼時を控え川床誂ふる人の姿も涼しかりけり

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京の奥座敷といわれる貴船から、鞍馬に抜ける道を歩いた。涼しかったけれど、大汗をかいた。

普通は叡山電車の終点、鞍馬まで行って、そこから鞍馬寺を通り、貴船に降りてくるのが一般的らしいのだが、私は鞍馬に降りて鞍馬温泉に入りたいと思ったので、逆コースを選んだ。

これが誤算で、かなりきつい登りの道が長々と続くことになった。よく考えれば、通常のコースを辿って貴船に降り、また電車で一駅のって鞍馬に戻ればよかったのだ。

それでも、よかったのは、貴船の川床料理屋さんが、お昼時前に川床のむしろを敷いたり蜘蛛の巣をはらったりという、仕込みをしている姿を見られたこと。これなぞ、昼過ぎに降りてきたら、見られない。

とてもてきぱきと、気持ちのいい仕事振りだった。たすきがけの仲居さんは、なかなか格好がいい。さすがに京の奥座敷である。私は、開店前のお店の雰囲気というのが案外好きなのだ。

ちなみに、私自身は川床料理は食べなかった。時間が早すぎたこともあるが、一人で昼飯を食うのに 5000円なにがしを払っても仕方がない。

で、今日も、サービス画像を少し。







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2005年8月11日

葉月十一日に詠める歌

背をかがめ宇治の老舗の低き軒くぐりて京の旅人となる

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昼一番、京都の宇治に着いたばかりだ。京都とはいえ、宇治川を渡る風があるので、ここはまだそれほど暑くはない。

京都の家並みは、軒先が低い。長身の私なぞは、ちょっと背をかがめて入らなければならないような気がする。

駅前の老舗らしいお茶の店で一服。なかなかの風情だ。別次元が広がっている。周りはゆったりとした京言葉。この軒をくぐって、初めて京都の旅人になった気がする。

今日は宇治の某企業を訪問し、夜は京都市内に泊まる予定。明日は一日京の街を散策して帰るつもりだ。

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祇園のホテルに泊まり、夕飯を食いに出かけた際のスナップをサービス。







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2005年8月10日

葉月十日に詠める歌

急行という名の列車今はなく在来線のホームは涼し

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企業も夏休みに入りつつある。多くのオフィスでは、人が普段の半分ぐらいになっている。

その代わり、ターミナル駅は行楽や帰郷の人が多い。しかし、多くは新幹線に吸い込まれて、在来線のホームはむしろひっそりとしている。

私が学生の頃は、お盆休みの上野駅のホームは、急行列車の自由席に並ぶ人の列で溢れんばかりだった。今では、急行列車などというものもほとんど姿を消した。

明日は京都に出発だ。新幹線の切符は、2週間前にあっさりと取れた。

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2005年8月 9日

葉月九日に詠める歌

新型の冷房の効く電車より見ゆる窓にはよしず揺れをり

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今日始めて気づいたのだが、山手線某駅 (下町側) のホームから見上げたところに、なかなか趣のあるアパートが見える。

規模としてはかなり大きい。外壁はトタン板で、かなり赤サビが目立つ。窓にはよしずがかかっていたりする。

私が大学に入るために上京してきた昭和 46年頃でも、アパートの外壁はモルタルというのが多く、トタン板というのはかなり珍しかった。

山手線の駅に接するという交通至便な立地条件だが、家賃はどのくらいのものだろう。興味があるなあ。

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2005年8月 8日

葉月八日に詠める歌

咲き誇る木槿を透かし遙かにも八月の日は暮れて行くなり

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立秋を過ぎると、暑さだけは相変わらずだが、さすがに日はだんだんと短くなる。

ふと気付くと日が暮れかかっている。

今年は 7月の終わり頃から、夏の終わりが見えているような、不思議な気がしている。

7月 25日の酒田からの帰り道、

五百キロの道のりを来てこの夏のはや終はりたる如き心地す

と読み、

8月 2日に、

夏てふはある時不意に終はるなりその不意なるは既に見ゆれど

などと詠んでいる。

そう言えば、去年の旧暦の七夕は、新暦の 8月 22日だった。今年はそれが 8月 11日になる。11日も早まっている。

旧暦の進行は日本の季節感にかなりよく沿っている。とすると、今年の夏は去年より 10日以上早く終わるのだろうか。何となく体がそれを知っているような気がする。

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2005年8月 7日

葉月七日に詠める歌

約束の夕立もなく暮れにけり知らぬ間に夜は長くなりゆく

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今朝方の天気予報では、関東は夕刻から雨、しかもかなりな大雨になるという話だった。

NHK ラジオの天気予報は、「雷はところによりますが、雨はところによりません」 と自信たっぷりだった。

ところが、雨は降らないうちに日が暮れてしまった。7時を過ぎると、とっぷりと暗くなる。日中は大変な暑さだが、さすがに立秋を過ぎている。

ところで、今日は月遅れの七夕。仙台は曇り時々雨という天気だったようだ。仙台の七夕祭りは、案外雨にたたられる。

だが、本当の七夕、旧暦の 7月 7日は今月の 11日。この日は、仙台でも晴れそうな予報だ。

星の逢瀬の夜、私は一人で京都の夜を過ごしているはずだ。

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2005年8月 6日

葉月六日に詠める歌

夏の朝ものみな止まる白き時とどまり切れぬ心ありけり

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夢見る短歌」 のあくあさんが、

鶏頭の紅燃ゆる昼下がり総てが静止する凪の刻

と詠んでおられる。

私も夏の景色がすべて止まって見えてしまうという歌をいくつか詠んでいるので、同じ感慨をもつ人がいるのだなあと、少しうれしくなった。

葉月三日の歌文月二十九日の歌文月十八日の歌文月十日の歌

だが、この辺りでは鶏頭はまだ目にすることができない。あくあさんは京都にお住まいということだが、彼の地は季節が早めに進行しているのかな。

私も 今月の 11日に京都に行く。日帰り可能な出張なのだが、ちょっとわがままをして、一泊し、翌 12日は、京都を歩いて帰ろうかと思っている。その分、お盆は暇なしになるが。

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2005年8月 5日

葉月五日に詠める歌

解体のパワーショベルの一振りに畳二枚がずんと落ちたり

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朝からゴウゴウという音がしたかと思うと、立て続けに地震のような揺れ。

何かと思って外を見たら、近所の家の解体が始まったのだった。パワーショベルで見る間に取り壊していくのが見える。

聞けば、昨日までに屋根の瓦とガラス戸はすべて取り外してしまっていたらしい。あとは力業でぐいぐいと壊すだけだ。

子どもが独立し、ご主人が亡くなって、未亡人一人で住んでいた家だ。一人で住むには広すぎるというので、土地だけにして売ってしまうのだろう。家屋はもう築後 30年ぐらい経っているし。

それにしても、堅固だと思っていた家が、パワーショベルの一振りで、どんどん崩れていくのを見るのは、何かもの悲しい。それまでそこに住んでいた人は、あまり見ない方がいいかもしれない。

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2005年8月 4日

葉月四日に詠める歌

週末は立秋となる暑き日の緑の稲に穂の付き始む

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今度の日曜日は立秋だというのに、東北南部は昨日、北部は今日、梅雨明けだったのだそうだ。

梅雨なんてとっくに忘れていたのだが、私の田舎では昨日まで梅雨をやっていたのだな。先月末に帰郷した時は、上天気だったのに。

まあ、晴れ男の私の旅先は、たいてい晴れるから、梅雨を意識しなかったのも仕方なかったかもしれないが。

ところで、関東ではもう稲の穂が見られるようになってきた。最近の田んぼは本当にサイクルが早い。今月末には、稲刈りをするところも出てくるだろう。

立春も一番寒さの厳しい頃だが、立秋も暑い盛りである。「これ以上暑くはならない」 という意味合いらしい。

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2005年8月 3日

葉月三日に詠める歌

目に見えて動くものなき空間に満ちて波打つ如く蝉鳴く

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我が家の裏手を流れる小川の向こうに、小さな小学校がある。まさに、田んぼの中の小学校である。

見た目にはそんなに遠くには見えないが、歩くとかなりの距離で、我が家の子どもたちはこの小学校ではなく、川のこちら側にある、もう少し大きな小学校を卒業した。

少子化の昨今、聞くところでは、各学年で 1クラスしかないらしい。本当にひなびた小学校が、あんがい身近にあるわけだ。

真夏の空の下、小さな小学校はセミの声に包まれている。

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2005年8月 2日

葉月二日に詠める歌

夏てふはある時不意に終はるなりその不意なるは既に見ゆれど

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今日も朝から真夏の日差しが照りつけた。出掛けに少し小雨がぱらついたような気がしたが、結局はそれきりで止んでしまったようだ。

いっそ、通り雨程度でもいいから降ってくれれば、少しは地面が冷やされるところだが、そうはならなかった。

夕方 6時過ぎに取手駅に到着。空はまだまだ明るい。ペデストリアンデッキから南を望むと、利根川を越える鉄橋の彼方に、都心が煙っている。

子供の頃、夏という季節は、延々と続くと思っているうちに、不意に終わるものだった。いつのまにか、夏の終わりを見据えながら暮らしている自分に気づいている。

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2005年8月 1日

葉月一日に詠める歌

トラックか飛行機かまた遠雷か識別拒む夏の聴覚

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朝から暑いというより 「熱い」。焼けるような日射しだ。

昼過ぎからもくもくと入道雲が湧き出し、雷注意報が出た。いつの間にか青空は頭の上だけで、地平線はどこも雲に覆われて暗くなってしまった。

この分では、間違いなく雷雨が来るだろう。その方が涼しくなってくれてありがたい。

裏の土手を散歩すると、時々遠くから腹に響くような音が聞こえる。県道を行くトラックなのか、吹き過ぎる風の音か、どこか雲の中を飛ぶ飛行機か、はたまた遠雷なのか。

夏の陽の下の聴覚は、その識別を拒む。

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