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2005年9月30日

長月三十日に詠める歌

夕刻を待たず蕎麦屋の一人酒飲む若者を我は憎まず

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30

久しぶりに神田の 「まつや」 に行った。

のれんをくぐったのは、先ごろなくなった杉浦日向子さんのいう 「にじよじ」 にぎりぎりの午後 4時。もっとも、それでは本当は間に合わない。4時に店を出るぐらいでないと。

今日はまともな昼飯を食いっぱぐれたので、妙なときに小腹が空いて、もりを一枚たぐったのである。お銚子 1本も欲しいところだったが、まだ仕事が終わったわけではなかったので、ぐっと我慢した。

この店のそばはうまい。もっとうまいそば屋はいくらでもあるが、やっぱりまつやと並木の藪は、別格だ。単なるうまさとかいうよりも、ほかのにじみ出るものがある。

それにしても、この店、相変わらず夕刻前から一人でお酒をちびちびやりながら、小難しそうな文庫本を読んでいるペダンチックにいさんが一人二人・・・。うらやましい。

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2005年9月29日

長月二十九日に詠める歌

呼吸する河原の風にすすきの穂なびきて立ちてなほ光りけり

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今日はとても爽やかな一日だった。天気が良くて湿度が低いというのは、風が強いということを差し引いても、とても気持ちがいい。

所用で外出した帰り道、小貝川の土手を通ると、すすきの穂が風になびいていて、まさに関東の秋の風情だった。

デジカメで写そうとすると、すすきが風になびきすぎて、なかなかいい角度にならない。しかし、しばらくすると、風にも呼吸の周期みたいなものがあるとわかってきた。

ひとしきり強く吹くと、やや弱まる頃合いがある。そこを狙うと少しはましな構図になる。

写真は風の弱まった時を狙ったのだが、それでも、すすきの穂はかなりなびいていて、秋の日を乱反射している。ちょっと不思議なイメージになった。

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2005年9月28日

長月二十八日に詠める歌

熟しては鳥ついばみて残れるはぼたりと落ちて土となる柿

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あちこちで柿の実が色付き始めている。

柿というのは、昔は干し柿にして冬の間のビタミン補給源にした。だから、東北では枝からもぎ取ってすぐに食べられるものより、干し柿にしてますます味の出る渋柿の方が珍重されたもののようだ。

このあたりでは、まったく収穫しない家が多い。熟して落ちる前に、鳥についばまれてしまうことも多いようだ。

自分の家の庭に柿がなっていても、スーパーから買ってきて食べるという風潮になってしまった。鳥たちにはありがたがられるかもしれないが。

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2005年9月27日

長月二十七日に詠める歌

秋来れば冬てふ節も来るなりと先のみ思ふ五十路過ぎては

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先日、「暑さ寒さも彼岸まで」 が、今は昔の話になったと書いたが、皮肉なことに、今年は彼岸が過ぎたらすっかり秋めいてしまった。

景色が荒涼として見えるほど、曇り空の一日。朝から肌寒いほどだ。日本は冬になったらそれなりに寒くなる国だということを、忘れかけていた。

しかし、こんな空を見ると、急に冬を思い出す。50歳を過ぎると、思いだけが早まって行く。

電車で業界紙の世界の大先輩、T氏にばったりと会い、お天気談義になる。繊維・アパレル業界に長くいると、つい天気の話には敏感になる。

都内の公共団体系のビルを訪問すると、省エネ・キャンペーンが効いているので、エアコンを最低限にしていて、外よりずっと暖かい。

とくに最近のオフィスではパソコンが何台も稼動しているので、弱い暖房を効かせているのと同じほどの熱を発生している。ジャケットを着ていては、汗ばむほどだ。本当はこの程度が、健康にはいいのだろう。

画像は、取手駅西側の窪地から、国道 6号を望んだところ。

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2005年9月26日

長月二十六日に詠める歌

コスモスの花咲きたればその中に妙なる宇宙宿れると見ゆ

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気付いてみれば、あちこちにコスモスが咲いている。

こんな可憐な花に、何で 「宇宙」 なんていう名前が付いたのか、調べてみたらすぐにわかった。語源となったギリシャ語の "Kosmos" は、元々は 「美しい、調和、装飾」 といった意味らしい。

「装飾」 という意味からは、化粧品の 「コスメティック」 が派生した。なるほどね。

とりあえず、宇宙とは、調和のとれた美しいものであるらしいということがわかった。仏教でも 「蓮華蔵世界」 なんていうし、花の美しさは宇宙に譬えられやすいのかもしれない。

花の中にも宇宙の全てが凝縮されているというのは、仏教的な観方かと思っていたが、ギリシャ的な感覚でもあったのか。お釈迦様とプラトンは、そう違わないのかもしれない。

ところで、この写真、奥の色の濃い花の方にピントを合わせた方がよかったのかもしれない。うぅむ、多分、いや、きっとそうだ。

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2005年9月25日

長月二十五日に詠める歌

魚の跳ぶ音せし川に流星の残像のごと波紋を眺む

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台風は房総半島の東側に抜けてくれそうで、雨は降らずに済みそうだが、風だけは強い。

土手のすすきなどは大きく煽られているが、小川の水面は、土手から遙か下になって守られているので、驚くほど静かだ。

散歩していると、時々魚の跳ねる音がする。水面低く飛ぶ虫を捕らえるのだろう。ポチャリという音に振り向くと、いつも既に魚の姿はなく、波紋が静かに広がっているばかりだ。

たまに、視界の中で魚の跳ねるのが捉えられることがある。しかし、そんな時でもカメラのシャッターを押すのは不可能だ。

魚の跳ねるのを写すなんて、まるで流れ星が消えないうちに願い事をとなえるようなものである。

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2005年9月24日

長月二十四日に詠める歌

白鷺の舞ひ来て遊ぶ刈田にも巷と同じき雨のそぼ降る

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今日は降ったり止んだりの涼しい一日だった。台風も房総半島の東に逸れそうだが、予報では明日は一日雨になると言っている。

なんだか風邪気味のようで、少し体がだるい。まあ、一日ゆっくり休めば直りそうなので、心配はしていないが。

ところで、昨日の和歌日記で十把一からげに 「野菊」 と呼んでしまった黄色い花は、萌野さんから 「キクイモ」 というものだと教えてもらった (感謝)。

インターネットで検索してみたら、帰化植物だそうで、根っこにできるイモの部分は、なにやら健康にもよくて注目されているらしい (参照)。

近所の田んぼはすっかり刈田になってしまって、一日中白鷺が飛んできて餌をあさっている。

そして鷺の世界にも変わり者はいるようで、何羽もの鷺が群れているのを横目に見て、一羽だけ離れたところでゆったりと散歩している 「はぐれ鷺」 がいる。

自分にもあんなところがかなりあるかもしれないと思ってしまった。

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2005年9月23日

長月二十三日に詠める歌

それらしき花見ればみな野菊とふ我に知らるるあはれもありき

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暑さ寒さも彼岸までというのは、今は昔の話になってしまった。

午前中は少しぐずついて、蒸し暑く、昼過ぎからだんだんと日が出て、普通の暑さになってきた。昼の 2時半頃に寒暖計をみると、28度もある。

気温は多少上がったが、風が少し吹いてきて湿度が下がっただけ、気分はいい。

裏の小川の土手を散歩すると、鮮やかな黄色の花があちこちに咲いている。何という花だろうと、家に帰ってから少し図鑑で調べたが、どんぴしゃりの図に行き当たらない。まあ、「野菊」 ということにしておけば、間違いあるまいと納得することにする。

川縁に咲いた野菊が風になびく様子は、どう見ても秋なのだが。

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2005年9月22日

長月二十二日に詠める歌

如何様の大きさにても丸まりて秋を宿せる白玉の露

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やっぱり、写真はむずかしいなぁ。土手の草の上で光る露を撮ろうとしたのだけれど、ボケボケになってしまった。

しかし、見ようによっては、このボケ具合がいいかもしれないので、今日の写真はこれを使ってみよう。

朝方にインターネットで確認した茨城県南部の天気予報では、朝方は降水確率 30%で、時間を追うに従って 20%、10%と下がっていくようだった。

朝方に降っていないのだから、もう降らないだろうと思っていたが、10時過ぎ頃から降り出して、けっこうまともな雨になった。秋の天気はむずかしい。写真と同じだ。

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2005年9月21日

長月二十一日に詠める歌

ひたすらに浮世の沙汰を書きゐたりさ夜更くるまで歌詠みもせず

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今日はいろいろと原稿やら雑事やらをこなしているうちに、いつの間にか夜が更けてしまった。もう少しで和歌ログの更新をしそびれるところだった。

この和歌ログというのは、一昨年の 12月 2日に始めて以来、実に昨日まで 659日間も、毎日毎日更新し続けてきたのである。

ここでこの更新記録を途絶えさせてはならないので、夜になってからとりあえず写真を撮りに外に出た。裏事情をばらすと、この和歌ログは、自分で映した写真にインスピレーションを得て、和歌を詠むことが多いのである。

田舎とはいえ、夜が更けても結構空の明るいところがある。地形がシルエットで浮かんでいる。何はともあれ、シャッターを押して、画像ソフトでちょっと明度を上げてみたら、案外不思議な写真になった。

よし、これを使おうということになった。一日を支配していた散文調を和らげるには、いい写真である。

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2005年9月20日

長月二十日に詠める歌

「次降ります」 ピンポン 小さき灯り点きバスのドア開き娑婆の日を受く

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残暑の数日は過ぎ、今朝は秋らしい朝だったが、都内に出かけるのに、ジャケットを着ていくべきかどうか迷った。

5月頃からずっと、ポロシャツ 1枚で通していて、この夏、妻に誕生祝にもらった麻のジャケットに、一度も袖を通していない。今日こそがチャンスだ。

麻のジャケットといっても、アンコンストラクティッドな仕立てで、肩パッドもなく、シャツとの中間アイテムみたいなものだから、それほど暑くはなかろう。

この判断は当たっていた。昼過ぎに乗った都バスの車内が、冷房の効きすぎで、ジャケットなしには凍えてしまいそうだった。

石原さん、都庁内は省エネしても、都バスの中は別世界ですよ。

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2005年9月19日

長月十九日に詠める歌

朽ちて行くブランコ板の真下のみ草むすこともなく子らを待つ

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今日も暑い一日だった。明日からは涼しくなるというのだが、その分、天気も悪くなるらしい。

つくばエクスプレス開通で湧くつくば市の中心に近いところは、一軒家というのが極端に少なく、集合住宅ばかりである。

そうした集合住宅の草むした敷地の中に、古いブランコがあった。かなり年代物で、鉄柱はさびだらけである。近頃は、少子化に伴い、子どもの数も減ったので、昔ほどには使われていないようだ。

とはいいながら、ブランコの真下だけは、雑草が生えずに土がむき出しになっている。まだ少しはこのブランコに乗る子どもがいるらしい。

あるいは、以前に踏み固められたまま、草が生えなくなってしまったのだろうか。

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2005年9月18日

長月十八日に詠める歌

中秋の暦に違 (たが) ふことのなき真ん丸の月ありがたく見ゆ

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天気のぐずついた去年とは違い、月が出るかどうかは、まったく心配のいらない上天気。真夏日の暮れた中秋の名月である。

真ん丸の月が見事に昇った。

ところで、中秋の名月 (旧暦 8月 15日) に正真正銘の満月が出るのは、ひとまず今年が区切りになる。

来年の旧暦 8月 15日は、新暦の 10月 6日だが、実際の満月はその翌日の 7日になってしまう。さらに、再来年の中秋の名月は新暦の 9月 25日だが、実際の満月は、2日遅れの 27日になってしまう。

旧暦の 15日が必ずしも満月になるとは限らないらしい。太陽との位置関係によって、多少のズレが生じるのである。

ちなみに平成 20年、21年、22年は、ともに 1日遅れで満月となる。次に中秋の名月と満月が重なるのは、6年後の平成 23年まで待たなければならない。

今年の中秋の名月は、その意味で、貴重な月である。きちんと眺めておこう。

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2005年9月17日

長月十七日に詠める歌

籾を焼く煙流れて鈴虫は日の高きよりつとに鳴くなり

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台風直後のような猛烈な暑さは、さすがにどこかに行ってしまったようなので、エアコンをつけずに、窓を開け放したままで仕事ができる。

昼過ぎに、何やら香ばしい匂いがしてきたと思ったら、すぐに香ばしいどころではなくなり、煙がどんどん流れてきた。

何かと思ったら、近所の田んぼで籾殻を焼いているのだった。あわてて家中の窓を閉めた。

もっとも、煙のピークは5分ほどで過ぎたので、すぐにまた窓を開け放すことができた。

見渡すと、あちこちから煙が昇っている。耳を澄ませば、日も暮れないうちから、草むらで鳴く虫の声が聞こえる。

着実に秋は来ている。

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2005年9月16日

長月十六日に詠める歌

去年 (こぞ) よりも十日先んじ中秋の名月となる暦に暮らす

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昨日に続いて爽やかな秋の一日だった。忘れていたのだが、明後日 18日は中秋の名月になる。

ということは、今日は十三夜月である。夜空を見上げると、満月にもう少しという月が、皓々と照っている。

今日は雑事に紛れて、和歌の更新を忘れていたおかげで、十三夜月をカメラに収めることができたわけだ。

今年の旧暦 8月 15日は、9月 18日、1か月と 3日遅れで、旧暦が新暦を追いかけていることになる。

昨年の中秋の名月は、新暦で 9月 28日だった。ほぼ 1月半近くの差がある。昨年のこの日は、曇りの予報だったが、上野の山のかっぽれにつられて、浮かれ出てきたのだった。(参照

今年は、旧暦が昨年に比べて 10日ほど早くなっている。その分、夏が短かく、秋の訪れが早くなっているわけだ。

旧暦ならば毎年同じ 8月 15日なのに、「今年は 10日早い」 という不条理に、現代の我々は生きている。

「すさまじきもの、新暦の月見」 とでも言おうか。

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2005年9月15日

長月十五日に詠める歌

風の日の小川の土手の内側にさざ波もなき世界ありけり

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訂正された天気予報通り、雨は降らないが、昨日までとはうって変わった涼しさだ。

昨日より 8度も低いとあって、我が家の娘たちは 「肌寒い」 と言っている。私も昼過ぎまでは 「涼しくて快適」 と思っていたが、4時過ぎになると、確かに 「肌寒い」 という気がしてきた。

たった一日で、空気の質ががらりと変わってしまった。これからは、いくら何でも、33度とか 34度などという日はないだろう。

我が家の裏を流れる小川も、秋らしくめっきり水量が減ってしまった。風がかなり強いのだが、川面が低くなって土手の風避けに守られているので、波も立っていない。

土手の内側に降りてみると、確かに風がない。土手の上はかなりの風で、草が大きくなびいているのだが、まるで別世界だ。

季節は一日でがらりと変わるし、小さな土手の上と下でも、こんなに世界ががらりと変わる。

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2005年9月14日

長月十四日に詠める歌

蜘蛛の巣の無数の羽虫食らわれもせず干からびて行くを待つなり

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昨日までの天気予報は、明日は雨模様になって季節が秋に入れ替わるということだったが、今日になると、雨の文字が消えて、晴れのち曇りということになっている。

あれあれだ。昨日の和歌は空振りになりそうだ。

とはえいえ、最高気温は 28度と予測されていて、少しは涼しくなりそうだ。

庭の隅に、大きな蜘蛛の巣ができている。昨日はなかったから、半日ほどでできたものだろう。

すでに無数の小さな羽虫がかかり、食われもせずに干からびつつある。場所が良すぎて、ちょっとかかりすぎだ。まるで、我が家の防虫ネットである。

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2005年9月13日

長月十三日に詠める歌

二日後の雨を境に秋来ると予報の告げしその雨を恋ふ

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昨日も大変な残暑だったが、今日はもっと暑い。天気予報では、明日までこの暑さが続き、あさっては雨が降るそうだ。

そして、その雨を境に、季節が本格的に変わるという。ああ、晴れ男の私としても、その雨が楽しみだ。

今年は、西日本はかなりの暑さだったが、東日本の方は、38度超の連発などということもなく、気の遠くなりそうな猛暑というわけではなかった。

それでも、私が上京した35年前と比べたら、かなりの暑さである。当時は、33度を越えるなんていうことは、それほどなかった。ところが、今日は 9月だというのに、平気で 33度である。取手駅のホームから眺める景色も、夏休みの終わりのような雰囲気だ。

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2005年9月12日

長月十二日に詠める歌

日本をあきらめざれば暑き日の何事もなき家族連れかな

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総選挙は与党の地滑り的大勝利。「郵政民営化」 という薬がちょっと効きすぎたようだ。

隣町のショッピングセンターに買い物に出かけた。まるで真夏のような日射しである。

カーラジオでは、ラジオ局に寄せられた聴取者の声が紹介される。

「小泉さんのやり方は、独裁的だ」 「自民党が力を持ちすぎると、憲法九条が心配」 「近隣諸国との軋轢が心配」 「庶民の声が政治に届かなくなる」 などなど・・・

選挙結果に批判的なものが多い。選挙に行った人と、ラジオ局にコメントを寄せる人は、別の人種みたいだ。面白い現象である。

ショッピングセンターは、いつも通りの混雑。この人たちの三分の二以上が、昨日は選挙に行ったわけだ。今日になったら、ラジオ局にコメントを寄せることもなく、のどかに買い物である。

今回の民主党のキャッチフレーズ 「日本をあきらめない」 というのは、思惑とは別の方向に作用してしまったようだ。

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2005年9月11日

長月十一日に詠める歌

深き霧ただよふ水墨画の朝に日の昇り来て水彩画なり

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今日は朝早くから所用で出かけ、家に戻ったのは夜の 9時を過ぎていた。途中では一度も外出しなかったので、雷が鳴っていたようだが、どれほど雨が降ったのかも知らない。

出発が朝の 6時頃だったので、目を覚ましたのは 5時を少々廻った頃。窓の外を見ると、朝霧がたなびいてモノトーンの世界だった。

しばらくして太陽が顔をのぞかせると、霧がだんだんと晴れていく。世界がうっすらと色付き始める。

朝霧の出る日は、たいてい天気が良くなる。今日は天気が良すぎて上昇気流が発生し、雷が鳴ってしまったのだろうか。

夜になって帰るときも、地面は乾いていなかったから、相当の雨が降ったのだろう。この時間帯に投票に行った人は、お気の毒に。

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2005年9月10日

長月十日に詠める歌

稲刈りを 「いなかり」 と読む故郷の黄金色なる穂は垂れるらむ

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近所の田んぼでは、稲刈りが進んでいる。朝からコンバインの音が風に乗って、低くとぎれとぎれに響く。

田んぼが見る間に黄土色の刈田に変わっていく。

ところで、「稲刈り」 は、私の田舎では 「いなかり」 (より正確には 「いながり」 と訛るのだが) と読む。しかし、パソコンで 「稲刈り」 と入力するには、「いなかり」 では変換が効かない。

パソコンを使うようになって、初めて共通語の読みが 「いねかり」 であることを知った。

ちなみに、共通語では、「いねかり」 の 「ね」 にアクセントを置くようだが、「いながり」 のアクセントは 「が」 にある。

なんだか、「いながり」 で収穫した米の方が美味しそうに思える。庄内の田も、黄金色の穂が重く垂れて、そろそろ 「いながり」 が始まるだろう。

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2005年9月 9日

長月九日に詠める歌

次々に新しき花開かせて咲き通したる木槿の夏よ

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今日は重陽の節句。昔から奇数は陰陽の陽と考えられていて、その陽の数字の中でも最も大きな 「九」 の字の重なる日なので、「重陽」 ということになっている。

とはいえ、旧暦の 9月 9日はずっと先で、新暦でいえば今年は 10月 11日になる。その頃ならば、「菊の節句」 の別称にふさわしい。

新暦の 9月 9日は、まだ夏の花のムクゲが咲いている。五節句は、重陽の節句に限らず、桃の節句も端午の節句も、旧暦で祝ってこそ本来の季節感にふさわしい。

さて、ムクゲの花は一日で萎んでしまい、毎日毎日、別の花が開いて夏中を咲き通す。今年も 7月始めに最初の花を開いてから、ずっと毎日咲き続けている。さすがに花の数は少なくなりつつあるが、合計すればこれまでにいくつの花が咲いたのだろうか。

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2005年9月 8日

長月八日に詠める歌

堰の水細りてなほも熱き日は夏知らざりき土を干すなり

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台風 14号が北海道からも抜け、残ったのは台風が連れてきた南からの暑い空気だ。

今日はまだ乾燥した空気だからからりとした暑さだったが、明日はじめじめした空気になるという。気温が多少下がっても、湿度が上がると、同じくらい汗をかく。

早くも稲刈りの季節になって、近所の岡堰の水はどんどん放流されている。田んぼに廻す水が必要なくなったからだ。

堰の幅はあっという間に狭くなり、夏の間は水面下にあった部分が現れている。

今はむき出しの土だが、秋が深まる頃には短い草が生え、その周囲にはすすきが穂を揺らすことになる。

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2005年9月 7日

長月七日に詠める歌

遙かなる海行く野分様々な雲は筑波の空に寄せ来る

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台風が日本海に抜け、私の郷里のすぐ近くを通り過ぎようとしている。

勢力は案外衰えていないようで、温帯低気圧になる前に、暴風圏を伴ったまま、北海道に再上陸しそうだ。

我が家のあたりは大した影響を蒙らなかったので、あまり切迫感がなかったが、ニュースの画像を見るにつけ、改めてその凄まじさがわかった。

強くて大きくて、足ののろい台風ほどやっかいたものはない。

昨夜の天気予報では、今日は曇りのち雨ということだったが、明けてみれば、ジリジリとした日射しが照りつけている。

とはいいながら、風もかなり強く、雲が勢いよく流されている。その風はどんどん強くなっているような気がする。昼過ぎには、一時的に大雨になることもあるらしい。

しかし、この日射しと風で、洗濯物は昼前に乾いてしまいそうだ。

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2005年9月 6日

長月六日に詠める歌

台風は日本海へと抜けにけり板東太郎は川幅変へず

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今日は一日都内各所を廻ったが、雨は大したことがなかった。

台風 14号は九州に上陸して、日本海に抜けたようだ。明後日に北海道に再上陸しそうな勢いだが、勢力は少しは弱まるだろう。

夕方に戻ってきて、取手駅近くの歩道橋から利根川を望むと、水量は、まだまだ小さい。これなら大丈夫だ。

本当に大雨で大変なことになると、河川敷一杯に川幅が広がって、見るからに恐ろしい状況になる。

台風は北海道に着くまでに、温帯低気圧になってくれればいいのだが。

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2005年9月 5日

長月五日に詠める歌

雨の日の猫はふとしたはずみにて家内の未知の場所に踏み入る

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秋雨前線が台風 14号で刺激され、あちこちで集中豪雨が降ったらしい。

幸いなことに、我が家のあたりは大した雨にはなっていない。被害に遭った方には、お見舞い申し上げる次第である。

大した雨ではないとはいえ、止む間もなく降り続けているので、我が家の猫たちは外出もままならず、退屈そうだ。なんとなく、うんざりしたような目をして、部屋の中をうろうろしている。

年下の黒猫は、洋ダンスの上にある籐のバスケットに興味津々で、中に入って寝そべりたがっている。

ところが、このバスケットは、いつもは年上の白猫の専有物なので、中に入る決心がなかなかつかないようだ。結構気を遣うタイプなのである。

この写真を撮った後に、ようやく意を決して中に入り、しばらく寝そべっていたが、やはり落ち着かないらしく、すぐに出て行ってしまった。

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2005年9月 4日

長月四日に詠める歌

朝毎に同じき竿に停まりをる秋津の羽根の筋え見分けず

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今朝の出がけに、蜻蛉を見た。車庫の出入りの見切りのために立てたポールの先に停まっていた

三日前の朝、家を発つときも今朝と同じところに停まっていた。そういえば、その前の朝も同じところでみた。

不在だった昨日と一昨日も、同じところに停まっていたのかも知れない。

何という種類か知らないが、羽根の先が茶色の蜻蛉だ。

これらは、皆同じ蜻蛉なのだろうか。外見はまったく同じに見えるが、透明な羽根に走る筋模様までは見分けがつかない。

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2005年9月 3日

長月三日に詠める歌

"We want help!" 世界の叫び聞こえ来るニューオリンズの人を通して

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テレビニュースを見る。台風カトリーナの被害現場から、貧困層の黒人たちの声が聞こえる。

小さな子供がカメラに向かい、"We want help!" と叫ぶ。後ろにいる大人たちも、それに唱和する。

"We want help!  We want help! We want help...."

それは、世界中の助けを求める人たちの叫びがニューオリンズの人たちを通じて湧き出しているのではないかと思われる。

世界には、助けを必要とする人たちがいる。幸いにも、それを必要としていない者は、それに応える必要がある。

誰でもが、災難に遭う可能性がある。たまたまそれを引き受けてくれた人たちの叫びに、応えるのは当然のことと思われる。

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2005年9月 2日

長月二日に詠める歌

あの雲の中に鳥海山は立つそは見えぬとも在るありがたさ

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天気予報が言うには、天気は下り坂で、今日は曇り空ということなのだが、そんなこともなく、上天気である。

しかし、鳥海山は厚い雲に覆われている。

新井田川の橋から望むと、真正面に鳥海山が見えるはずなのだが、稜線も見えない。

あの雲の中に、鳥海山は厳としてあるはずなのである。見えなくても、ちゃんとある。生まれて育った土地だけに、それを当たり前のように確信できるのはありがたい。

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2005年9月 1日

長月一日に詠める歌

白雲は山肌に沿ひくつきりと濃き緑なる影落とし行く

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朝に筑波を発って北に向かってひた走り、夕方、酒田に着いた。

途中は福島も山形の内陸地方も、33度を超えている。車を停めて外に出ると、カッとした暑さだが、湿度が低いので、汗が滴り落ちるというほどではない。

米沢を越えて村山盆地を進む。どちらを見ても山ばかりだ。

山肌に雲の影がくっきりと映って、ゆっくりと移動している。空気が乾いているときでないと、なかなかこれほどくっきりとした影はみられない。

明日からは天気は下り坂だそうだ。それでも、曇りになる程度らしい。

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