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2006年1月19日

睦月十九日の歌

けやけくも高く育ちて筑波嶺の姿を枝の下に置く槻

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060119

去年の三月十四日のログでも触れたのだが、我が家の階段の踊り場から、筑波山が見える。

ただ、見えるといっても、ケヤキの葉の落ちた冬から春にかけての、晴れた日に限る。

ここに越してきた 二十三年前には、一年中天気さえ良ければ見えた。しかしいつの間にか、我が家と筑波山を結ぶ直線上にある家の庭のケヤキが成長して、筑波山を隠してしまっていたのである。

そして、そのケヤキはさらに成長を続け、枝の生い茂った部分がかなり高くなってしまったので、この季節になると、筑波山が辛うじて見えるようになった。

ここまで成長するまでは、冬場でも、生い茂った枝に邪魔されて筑波山が見えなかったのである。その間、「おかしいなぁ、確か筑波山が見えたはずなのになぁ」 と、不思議に思っていたのだった。

「けやけし」 という古語があり、「秀でている」 というような意味にも使われるようだが、その本来の意味は、「目障りなほど際立っている」 ということのようだ。なるほど、せっかくの景色を隠してしまうほどの大きさの木ということで、この名前が付いたのだろうか。

今、こうして写真を撮って、昨年三月のものと見比べると、あのケヤキがまた少しだけ高くなっているような気がする。

二十三年という時の流れも十分に長いが、一年足らずという時間も、決して馬鹿にならないものだとわかる。

なお、「槻 (つき)」 は、ケヤキの古語。

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コメント

大阪府高槻市って京都のすぐお隣なのですが
高い欅の木がおおかったのかしら・・・
けやきをワード変換すると欅・槁・槻ってでますね~。知りませんでした。
けやけきも辞書で調べてみました。
言葉の韻から さやけきを連想そしてしまって
あのような意味には思えない言葉でした。
古語ってとても面白いです。
知らない言葉ばかりで へ~って 思うことしばしば。もっと いい辞書買わなきゃ^^;

前にも一度書きましたが、学校でならった古典の知識だけしかなく、感覚だけで歌を詠んできました。
なので知らないことや 間違いも多く 恥ずかしいことしてきました。
でも 倭歌・短歌がすき。
だから、もっと勉強したいと 今とっても思っています。
庄内さんのお歌と私の歌とは随分違いますが、私には大変勉強になります。
毎日お歌だけは拝見して、なんども気付きいただきました。

美しくおおらかに心を歌い上げたい そう思う昨今です。

投稿: 七彩乃風 | 2006年1月21日 08時09分

「けやけし」 が、あまりいい意味じゃないなんて、ちょっと意外でしたよね。

私の田舎の方言、庄内弁は、今の標準語 (江戸の山の手言葉を基準としたらしい) が訛っているのではなく、古語が訛っていたりするので、ある意味、子どもの頃から現代語と古語の二重構造の中で呼吸していたような気がします。

そんなわけで、意識が重層的 (現代そのものの意識と、浮世離れした意識) になってしまっているのを、自分でも感じます。

投稿: tak | 2006年1月21日 17時25分

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