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2006年6月30日

水無月三十日の歌

ガード下に昭和の痕跡打ち捨つる中央線は音立てて行く


週末にして月末。今日で六月が終わり。ということは、平成十八年の前半も終わりだ。

辛うじて天気はもっていて、雨は一滴も降っていないが、いかにも蒸し暑い。今日も一日神田で仕事をして、常磐線で岐路についた。

神田駅周辺は、昭和の時代からの猥雑な雰囲気を漂わせるガード下の店や小路がまだ残っていて、そのガードの上を、中央線が音を立てて走っていく。

山手線や京浜東北も走っているのだが、なぜか、中央線ばかりが目立つ。

さて、明日から七月。忙しい夏になりそうだ。

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2006年6月29日

水無月二十九日の歌

夏の日に溶け込む午後のビル街に動く人影ただ一つ見ゆ


夏空である。先週末頃までは、週間天気予報をみると、今週半ばはずっと曇りと傘マークばかりだった気がするが、全然外れてしまっている。

外に出ると、暑いことは暑いが、あまり湿気はない。本当に梅雨ではないみたいな陽気である。

梅雨入り前の方がずっと梅雨らしかったような気がするが、こんな具合に日照時間が増えてくれる方が、野菜が値上がりせずにすむ。ありがたいことである。

来月に熊本県の人吉に出張することが決まった。一昨年の七月にも行っていて、また来たいものだと思った記憶がある。その時に、青井阿蘇神社の蓮の花を詠んだ歌を、和歌ログにもアップしてある (参照)。

暑いときに南国に行くのも、なかなかいいものである。

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2006年6月28日

水無月二十八日の歌

枯れかけて蘇りたる赤き薔薇小さくもなほひたすらに咲く 


梅雨入りしてからの方が、五月頃に比べてずっと雨が少ないような気がする。

今日も何とはなしに、晴れたり曇ったりしている。そして、裏の空き地の薔薇がようやく元気を取り戻した。

普段は自然の雨で十分に生き延びていたのだが、今年の冬の乾燥した時期に、一番大きく伸びていた枝が枯れてしまったのだ。

一応剪定をして、その枝をメインに伸ばしていたものだから、枯れた部分を切り取ったら、がっかりするほど小さな木になってしまい、いつもの年なら次々に花が咲く五月になっても、小さな花が一輪咲いただけになっていたのだ (参照)。

ところが、近頃になって、ようやく少しずつ花が咲くようになったのである。いつもの年に比べると、かなり小振りの花だが、来年はもっと勢いを取り戻してくれるだろう。これで、ようやく安心だ。

植物というのは、ある程度大きくなると、それなりの手をかけてやらなければならないもののようだ。

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2006年6月27日

水無月二十七日の歌

香り立つ花に誘はれ飛び来たり蜂と蝶とは和して蜜吸う


我が家の庭には、タイムというハーブがびっしりと生えている。妻が丹精して、ほんのちょっとの種から増やしたものだ。

タイムの和名はタチジャコウソウというのだが、我が家のは芝生代わりになるクリーピングタイムという種類なので、「クリーピング (這う)」 と 「タチ」 というのは矛盾する。何かふさわしい名前はないのだろうか。

このクリーピングタイムというのは踏みつけに強く、踏むといい匂いがするし、殺菌力もあるらしい。それに、繁殖力が強いので、ハーブの生えているところには他の雑草が生えにくい。なんだかいいことずくめである。

今、そのタイムの花時で、小さな白い花が咲いている。そして、その花に誘われて、多くの蝶や蜂などの虫が我が家に飛んできている。

ベランダの戸を開けてちょっと耳を澄ませば、「ブーン」 という蜂の羽音が聞こえる。一見すると蜂だらけだが、お互いに共存しているので、危ないという気は全然しない。この虫たちのおかげで、またタイムが増えていくことになる。

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2006年6月26日

水無月二十六日の歌

自らと向かひ合ひたきものの下に水は溜りて世界を映す


昨日までは、梅雨とはいいながら、あまり雨が降りそうな気がしない天気だったが、夜のうちから降り始めたらしく、朝には雨が降っていた。

道には久し振りで景色が映るほどの水溜りができている。

ところが、取手駅に向かう頃には傘はささなくてもいいほどの小降りになった。神田駅を降りたときにも、傘をさす人とささない人が、半々ぐらいの割合になっていて、昼ごろには止んでしまった。

私はこの程度の降りでは傘はささない。多少濡れても、体というのは体温があるから、すぐに乾く。かえって、濡れてしまった傘の方が乾きにくいなどと、屁理屈を言っている。

空を見ればいつまた降り出してもおかしくない気がするのだが、降りそうで降らない。多少降ったとしても、傘はささない。折り畳み傘を持ってはいるのだが、ささずに済みそうである。

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2006年6月25日

水無月二十五日の歌

新しき風に吹かれて歩きたし栗の花咲く木漏れ日の道


ワールドカップを見ていて、サッカーだけの話ではなく、我々のこの四年間は、一体何だったのかと、妙な感慨にとらわれた。

それが別に四年である必要もなく、三年でも五年でもいいのだが、何となく、閉塞的な道を歩いてきたような気がしてしまった。

郊外の道の両側に、栗畑が広がっていて、白い花が咲き始めた。独特の青臭いにおいがする。

それでも、風が吹くと爽やかなもので、栗の葉や下草の緑が美しい。

そろそろ、新しい風に吹かれて新しい景色を見て歩き出したいものである。

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2006年6月24日

水無月二十四日の歌

週末の郊外の夜の空晴れて広き駐車場の端より歩きぬ


関東は珍しいことに、週末にお天気になった。その代わり、週明けからはずっと梅雨空が続くらしい。

所用で水戸方面まで出かけ、日が暮れてから常磐道を南下して戻ってきた。途中、学園都市でコーヒーとサンドイッチの休憩。

久し振りの天気に恵まれたウィークエンドになったので、ショッピングセンターのさしもの広い駐車場も、満車直前の込み具合である。ずいぶん離れたところに車を停めて、とぼとぼ歩いて店に入った。

コーヒーショップには、豆を挽いたいい香りが漂っている。ワールドカップのグループリーグで惨敗したショックも一日で癒えてきたようで、店内は楽しげな会話が弾んでいる。

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2006年6月23日

水無月二十三日の歌

奇跡とは時ならざれば起きぬもの夜明けて梅雨の曇り空見ゆ


ジーコ・ジャパン、決勝トーナメント進出ならず。奇跡というのは、一方的な都合で起きるものではないということが確認された。

六月十三日の 「今日の一撃」 に書いたように、私は今回のワールドカップは 「初めから、ほとんど勝てそうな気がしていなかった」 ので、それほどのショックはない。

四年前のトルシエ・ジャパンは、開催国としてのアドバンテージがあったとしても、あれから一歩も進化していない。むしろ、後戻りしている。

一からやり直しと思えばいい。今日も、梅雨空は明けた。

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2006年6月22日

水無月二十二日の歌

奇蹟とは明日にも起きることの如くワールドカップを語る人々


朝の出掛けには降っていたのだが、上野駅で常磐線を降りた時には、止んでいて、そのままずっと曇り空だ。天気予報は、夕方からまた降りだすと言っている。

気温はそれほど高くないのだが、なんとなく蒸し暑い気がする。さすがに夏至を過ぎた天気である。

昼休みの街を歩くと、ワールドカップの話題でもちきりだ。客観的にみれば、ジーコ・ジャパンがブラジルに勝てる見込みはほとんどないのだが、それでも、奇蹟がおきて二点差以上で勝つという夢を追う人ばかりだ。

かく言う私も、虫のよすぎる話だと重々承知の上で、ジーコ宛のご祝儀でいいから、二点ぐらいくれてもいいじゃないかと思っているクチである。それでも、ブラジルの一位通過は変わらないのだし。

そんな浮世話が飛び交う中で、理髪店のあめんぼうが、回るでもなく立っている。浮世床の時代ではなくなったようだ。

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2006年6月21日

水無月二十一日の歌

流されて惹き寄せられて舞ふ蝶のとまる花こそ浄土なりけれ


夏至である。

今さらいうほどのことでもないが、夏至というのは夏らしくない。せっかくの日の長さも、梅雨のせいで曇りがちなので、あまり実感されることがない。

そういえば、冬の場合も、冬至を過ぎてから本当に寒くなる。「暑さ寒さも彼岸」 までというのも、「毎年よ彼岸の入りが寒いのは」 という子規の句があるほどで、あまり当てにはならない。

というわけで、外は涼しい。小川の土手の道を、多くのモンシロチョウが舞い飛んでいる。むやみやたらにデジカメのシャッターを押しまくったら、偶然に二匹の蝶の羽ばたくのが写った。説明しないと何の写真かわからないかも知れないが。

蝶を撮ろうとすると、一苦労である。ゆっくりと飛んでいるようでいて、一瞬先にどっちに行くのか予測がつかない。

ただただ、何物かに流されるが如く、はたまた惹き寄せられるが如くで、自分の意志で飛んでいるようには思われない。それだけに、とまった花というのは、蝶にとって特別な物のようにも見える。

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2006年6月20日

水無月二十日の歌

花時を過ぎし躑躅の植ゑ込みの自然の不揃ひ今は好まし


梅雨の中休みだそうだ。晴れてはいても、昨日ほど暑すぎもせず、いい陽気である。神田周辺の道路は、アスファルトが日に照らされてまぶしいほどだ。

歩道にはツツジの植え込みがあるが、花時を終えて葉ばかりになっている。そして、今、我が家の回りで咲いているのは、ツツジではなく、サツキなのだそうだ。私には、見ただけでは区別が付かないけど。

ツツジは花時を終わってしまい、葉がどんどん伸びて、こんもりとした感じになっている。まるで、三月ほど散髪していないいがくり頭のようになっている。その自然さが、いっそ好ましい気がする。

沖縄、奄美地方では梅雨が明けたと言っている。関東は、明日あたりまでは天気がもつが、木曜日にはまた雨が降りだすらしい。そうなると、本格的に蒸し暑くなるだろう。

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2006年6月19日

水無月十九日の歌

湿り気を含みて風は凪ぎにけり夏空背負ふ葵は揺れず


博多から帰って、今日は一日家で仕事である。

天気は、曇りのち雨などと言っていたが、なかなかどうして、昼頃には晴れ渡って、気温が三十度を超した。

だんだんと夏を感じさせる空気が濃くなってきた。昼過ぎからは、エアコンのスイッチを入れた。

近所の空き地に、タチアオイが咲いている。我が家の庭のマーロウ (別名:ウスベニアオイ) と違い、しっかりと直立して高く、花も大振りだ。夏空を背景にすると映える花である。

アオイといえば、水戸黄門の印籠についている 「葵の御紋」 である。

昔は、キュウリの切り口が葵の御紋に似ているので、武士は畏れ多いとして、キュウリを食べなかったという。しかし、昔のキュウリは非常に苦くて、食えたものではなかったというのが本当のところらしい。

葵の御紋の水戸黄門ですら、キュウリに関しては、「毒多くして能 (のう) 少し、 いずれにしても植べからず、食べるべからず」 と説いていたほどだ。

河童がそれを好んで食べたというのは、異界のものだけに、味覚も人間離れしていたということだろう。最近のキュウリは美味しくなったので、逆に河童の口に合わなくなり、河童が激減したというまことしやかな説まであるぐらいだ。

私は、今の美味しくなったキュウリも好きだが、苦いキュウリも好きだったと思う。ゴーヤーが好きなくらいだから。

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2006年6月18日

水無月十八日の歌

山笠を控へ陽気におはしますお櫛田様の新郎新婦


今日の博多は、朝のうちに少し雨が残ったが、じきに止んで、昼ごろには晴天になった。晴れ男が効きすぎて、「暑か!」 とにわか博多弁をつぶやきながら、櫛田神社と住吉神社のハシゴをした。

六月の日曜日とあって、どちらの神社も結婚式がぎっしりと詰まっているらしく、黒服と晴れ着の人だらけだ。

そういえば、昨夜のホテルも、地方から結婚式のために博多に出てきたという感じの一族郎党ばっかりじで、廊下のおしゃべりがうるさかったなあ。

櫛田神社は、祇園山笠の準備に追われていた。それにしても、櫛田神社は、とても庶民的で陽気な雰囲気が漂っている。さすが、博多の町人文化の総元締めだ。

上川端商店街でも、山笠作りが始まっていて、「ほほう、こんな風にしてつくるのか」 と、興味津々で眺めてしまった。

やはり、町人文化の町は、私の肌に合う。

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2006年6月17日

水無月十七日の歌

玄海の雲の彼方に日は落ちて街行く人の長き脚見ゆ


久留米に出張して、夜は博多に泊まっている。

今日の写真は、まったくどうってことない。博多に来たというアリバイ写真のようなもの。遠くに博多タワーが映っている。

昨日の段階では、福岡は雨降りの傘マークが消えて、降水確率十パーセントだったのだが、今日になってまた梅雨前線が活発になったようで、久留米で少し雨に降られた。

しかし、傘をさすまでもなく、降っている間は屋内の仕事で、屋外での撮影が必要になった時には止んでいたので、まったく影響なし。私の晴れ男ぶりは、しぶとい。

夕方に博多に戻り、同行のカメラマンと中州の居酒屋で一杯やり、ホテルに戻ったところである。四階の部屋の窓から見下ろすと、土曜の夜を恋人たちがそぞろ歩いていて、なぜか皆、脚が長く見える。酒のせいだろうか。

明日は日曜だし、少し時間に余裕があるので、ちょっとだけ博多の観光をして帰ろうと思う。

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2006年6月16日

水無月十六日の歌

梅雨空の白き皐月に限りなく幽かなるかな紅のけはひは


昨日の午後からずっと雨が降り続いて、ようやく梅雨らしい空模様になった。

我が家の裏の空き地には、向かいのご主人が植えてくれたサツキの花が咲いている。私はサツキとツツジの区別がつかないのだが、どちらも同じ仲間であることに変わりはないらしい。

なんでも、ツツジはもう花の時期が終わってしまっていて、今頃咲くのはサツキだと思っていればいいということだ。なるほど、今日は旧暦で言えば五月二十一日だから、サツキが咲くのは道理である。

サツキの花びらに、雨粒がついて、いかにも梅雨らしい風情なので、思いっきり接近して写真に収めてみた。

白い花にうっすらと紅色がさしている。こういうのを、「けはひ」 というのだろう。化粧のことも、古くは 「けはひ」 と言った。「気配」 というのは当て字なのだそうだ。

ところで、明日は久留米に出張である。昨日までの天気予報では、久留米地方には傘のマークがついていたが、今日になると、曇りマークになっている。晴れ男の私が行くので、雨が遠慮してくれているのだろうか。

誠にありがたいことである。

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2006年6月15日

水無月十五日の歌

建ち並ぶビルの隙間の細きより表通りを透かす異次元


神田岩本町の辺りは、昭和通りや中央通り、江戸通りなど、大きな道が走っているが、一歩入ると、小路のような小さな道もたくさんある。

その中でも細い小路は、多分私道なのだろうけれど、車一台がようやく通り抜けられるくらいものだ。この道にはいったら、多分、ドアはまともに開けられないだろう。

小路の向こう側は昭和通りで、上を首都高が走っている。こちら側から見ると、狭い隙間を車が一瞬の間に通り過ぎる。

けっこう渋滞していても、一瞬で消え去るので、かなりのスピードのように見えるのがミソである。

その向こうに、ビルの非常階段が見える。以前のゴルゴ13に、ビルの隙間から向こうのビルにいる標的を撃つというのがあった。実際には、困難きわまることだろう。

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2006年6月14日

水無月十四日の歌

赤紫に色味を増せる紫陽花の雨を呼びゐて雨は来たらず


昨日の写真の 「名も知らぬ道端の花」 は、どうやら 「十薬」 (じゅうやく) らしい。といってもピンとこないかもしれないが、またの名を 「ドクダミ」 という。

白い花と思っていたのは、実は花ではなくて、もう少し立つと、その上に黄色の小さな花が一かたまりになってつくもののようだ。

これで、「ドクダミ」 にも私の名が届いたかな。

ところで、裏の空き地の紫陽花が、ようやく紫陽花らしくなってきた。この紫陽花も、花と見えるのは、本当は 「ガク」 なのだということになっている。

このアジサイはどちらかというとピンクに近い色だが、それは土壌がアルカリに傾いているかららしい。酸性のピートモスをまくと、青っぽくなるという。リトマス紙みたいだな。いや、リトマス紙は、酸性で赤くなるんだったっけか。

紫陽花が咲くと、しとしと雨が似合うのだが、なかなか降りそうで降らない。

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2006年6月13日

水無月十三日の歌

名も知らぬ道端の花その名前知れば我が名も花に届くか


梅雨には入っているのだが、雨はそれほどには降らない。今日も、晴れるような曇るような、微妙な雲行きだ。

朝から都内の某オフィスに籠もっている。窓の外は、薄日が射していて、傘が必要な感じはまったくない。このまま曇りで終わりそうだ。

朝、取手駅に向かう小路の道端に、名前のわからない小さな花が咲いていた。

名前を知らない花の名を調べてみて、ようやくわかったときには、自分の名前も花に届いて、花とつながったような気がする

ところで、常磐線の電車の中は、心なしか、みな元気がない。昨夜のワールドカップ惨敗が緒を引いているのだろうか。

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2006年6月12日

水無月十二日の歌

緑濃き並木の道の行く果ての雲居隠るる筑波嶺の影


昨日の雨模様とは変わり、つくば学園都市の道路は乾いていた。

筑波大学の横を抜けて筑波山麓まで続く道は、道の両側の並木と中央分離帯の植え込みが、密度の濃い緑色になっている。

空は雲に覆われているが、雨雲ではない。ところどころ青空ものぞいている。

道の奥に、筑波山の稜線が見える。山頂付近は雲に隠れているが、自宅付近から眺めるよりもずいぶん間近に感じられる。

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2006年6月11日

水無月十一日の歌

街の灯の雨の路面に映るとも絶えて届かぬ深き水底


今日はきちんとした雨降りの一日だった。梅雨入り宣言が妥当だったと示せるほどの雨だった。

つくば学園都市の大通りは、夜になるとネオンが路面に映り込んで、不思議な感覚になる。まるで日本じゃないみたいだ。

車が道路の左側を走っていることを除けば、まるで、アメリカ西海岸の郊外のショッピングセンターみたいなイメージである。

多分、店舗がほとんど一階だけの平べったい作りで、道路が三車線もあるからだと思う。土地に余裕があると、どこもこんな作りになるようだ。

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2006年6月10日

水無月十日の歌

自らは流れ行きつつ動かざる木々の緑と空映す水


梅雨入りするとすぐに 「梅雨の中休み」 になってしまうのは、最近のお約束だ。それにしても、今年のように梅雨入り翌日というのは、いくらなんでも気象庁が気の毒のような気がする。

ただ、今日は 「梅雨の中休み」 というほどの晴天でもないので、なんとか格好はつく。今年は五月の連休後半以降、ずっとこんな感じである。

裏の小川は、梅雨らしく水かさを増して、その中に岸の木や草が映り込んでいる。流れもかなり速くなっている。

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2006年6月 9日

水無月九日の歌

整然と居並ぶ稲の細長き隙間に映る梅雨入りの空


朝から本格的な雨が降っていた。この時を逃したら梅雨入り宣言の好機が遠離るとでもいうように、関東地方の梅雨入り宣言が出された。

このところ、梅雨入り宣言があると、二、三日後には梅雨の中休みになってしまって、晴天が続くというのがお約束のようになってしまったが、今年は、明日にはもう晴れてしまうらしい。

ただ、週間予報を見ると、今年の場合は、それほどからりとした晴天が続くことはなさそうだ。基調は先月から変わらないのだろう。

グレーの空の下でも、近所の田んぼは、既に緑のじゅうたんのようになっている。

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2006年6月 8日

水無月八日の歌

梅雨入りを待つ空よりも濃き青のシートは揺れるドリルの音に


東京都内にある某オフィスに来て、仕事をしている。道路を隔てた向かい側のビルが外装工事をしていて、発電機とドリルのすさまじい音が鳴り響いている。

それほどの暑さでもないので、窓を開ければ冷房は要らないぐらいなのだが、あまりの音にそうもいかない。省エネに反することで心苦しいのだが、窓をぴったりと閉じて、冷房を入れている。それでも頭に響くほどの音だ。

こればかりは、文句をいっても始まらないので、終わるのを待つばかりである。

空は辛うじて持ちこたえている。九州北部・四国・中国地方は梅雨入りしたと発表されたが、関東は、まだこの様子では梅雨入り宣言しにくいだろう。

ブルーシートを周囲に張り巡らしたビルは工事を急いでいるようだが、梅雨に入れば進捗は遅れるだろう。この騒音は長期戦になりそうだ。

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2006年6月 7日

水無月七日の歌

川岸に夕日を望み梅雨入りの明日より先に伸びたるを知る


朝は曇りがちだったが、そのうち突風が吹き始め、大雨となり、それが止むと今度は一転して晴天。日暮れはとても穏やかだった。

一日自宅で、たまった仕事を片づけていているうちに夕刻に近づいた。ちょっとした買い物に出たついでに、小貝川沿いの土手の道を通ると、夕焼けとまではいかないが、きれいな日暮れだった。

川岸の木は、以前の台風で大きな枝が折れてしまったままの姿のものがある。折れた部分は、今でも生々しいままだ。

木曜日あたりから梅雨入りするとの見方もあったが、どうやら明日は曇り空で済みそう。梅雨入りはもう少し先になるようだ。

明日はココログのメンテナンスで、夕方近くまで更新ができないようだ。夜までには新しい歌をアップしておきたいが、何しろ、ココログのメンテナンスは、終了後に不具合が続出するという実績があるので、心配である。

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2006年6月 6日

水無月六日の歌

この場所にマンション建つと素つ気なく看板告ぐるモルタルの壁


神田に近いだけあって、岩本町付近では、大通りに面していても、ちょっと昔っぽいモルタル塗りのせいぜい二階建ての商店が少しだけ残っていたりする。

この写真に映っているのも、刷毛屋さんの小さな店舗である。刷毛屋さんと言っても、多分卸売をやっている店なのだろうが。

ただし、このお店の前には看板が出ていて、それにはしばらくするとこの場所に新しくマンションが建つ旨が書いてある。

ということは、このモルタルの店舗もほどなく取り壊されるということだ。なんだかもったいないような気もするが、仕方のないことである。

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2006年6月 5日

水無月五日の歌

雑草の伸びぬこの夏花芥子は盛りを過ぎて芥子坊主増ゆ


決して肌寒いというほどではないが、十分に 「涼しい」 とは言える。どんよりとして日が射さないので、昼になっても気温が上がらない。

昨日の午後から、Tシャツ、スウェットシャツ、薄手のフリースの三枚を重ね着している。まるで、四月初め頃の格好だ。

いつもの年なら、土手の雑草がどんどん伸びる季節だが、今年はおとなしい。草刈りが楽といえば言えるが、野菜の生育も、同様にはかばかしくないらしい。

近くの空き地にケシの花が咲いていて、花の終わった茎には芥子坊主がどんどん増えている。いつもの年なら、このケシの花は、雑草に紛れてあまり目立たないのだが。

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2006年6月 4日

水無月四日の歌

蝶は舞ひ雀遊びて燕飛び雲雀の昇る葦原の上


朝のうちはどんよりと曇って肌寒かったが、昼前から青空が見え始め、少しは初夏らしくなってきた。

久しぶりの休日なので、裏の土手際の雑草刈りをしたが、あまり汗もかかずに仕事を終えた。

始める前は、汗だくになってシャワーを浴びなければならないと思っていたので、なんだが拍子抜けだ。

草刈りを終えて、土手を散歩した。

私の歩く速さと同じぐらいのペースで、二匹のモンシロチョウが舞い飛びながら付いてくる。その後ろから、ふいにツバメが宙を滑るように飛んで追い越していく。その向こうではスズメが遊び、彼方からひっきりなしに聞こえてくるのは、昇るヒバリのさえずりだ。

涼しいとはいえ、さすがに初夏である。生き物の気配に溢れている。

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2006年6月 3日

水無月三日の歌

鉄骨の空しく残る店舗跡冷たき風は止まりもせず


例の 「北東の風」 というのが吹いたため、どんよりとした一日だった。

朝に外に出たら、風の強さもあって、まるで冬のような寒さだった。多分、気温が十二~三度で、風速が十メートルぐらいだったから、体感温度は二~三度ぐらいだったのではなかろうか。これでは、真冬である。

梅雨に入る前に、何日かでいいから、晴れの日が続いてくれないと、農家は大変だろう。

店舗だった建物を解体している現場を通りかかった。そのあたりがちょうど渋滞でなかなか動かなかったので、まじまじと眺めて、写真まで撮ってしまった。

寂寥とした今日の空色を、ますます淋しくさせるような光景である。

建物というのは、壁が取り払われても、まだ建物という気がするが、上を覆うものがなくなってしまうと、本当にもう終わりである。

雨露を凌ぐ屋根あるのは、ありがたいものだとわかった。

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2006年6月 2日

水無月二日の歌

田の水は沢より来たり世を流れ世ならぬ果ても潤し行くか


昨日までとはうって変わった曇り空の一日が明けた。今にも梅雨に入りそうな感じがする。

久しぶりで、裏を流れる川の向こう岸まで散歩した。田の中に黄金色が見えるのは、麦畑である。

近頃、米の減反が進んだせいか、あちこちで麦を栽培しているようだ。「麦秋」 の頃で、もうすぐ刈り入れになる。

一方、稲の方は今が伸び盛りだ。田の表面を覆っていた緑のドットがどんどん大きくなり、今では一面緑色に染まって見える。

用水路を水が思いがけない速さで流れている。いくら流れても尽きることがないのは不思議な気がする。

この世は一繋がりの水で成り立っていて、さらに、沖縄ではニライカナイと呼ぶあの世までつながっているようにも思える。

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2006年6月 1日

水無月一日の歌

久方の日は夏空の奥深き彼方より来て萌ゆる青草


今日から六月。とはいえ、旧暦ではまだ皐月の六日になったばかりである。

おいおい梅雨入りするだろうが、だから、旧暦では梅雨は皐月 (五月) の天気なのだ。

そして、「五月晴れ」 という言葉の元々の意味は、五月雨 (梅雨の雨) の合間のつかの間の晴れ間ということなのだが、現在では、新暦五月のさわやかな晴天という意味に転化してしまっている。

しかしながら、今年の五月は、気持ちのいい晴天が滅多に見られなくて、まるで、本来の意味の五月晴れのように、つかの間の晴れ間がちょこちょこ現れているうちに、六月になってしまった。

そして、梅雨入りしたら、本当の意味の五月晴れが現れることになる。日本の季節感というのは新暦には合わないので、どうにもややこしい。

今日はすっきりとした晴天。予報では真夏日になるといっていた。明日も晴れるようだ。ようやく天気が安定してきたのかと思っているうちに、今度は梅雨になってしまうのだろう。

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