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2006年8月31日

葉月三十一日の歌

駅を出でて正面の空群青の最も深き色にてありけり


天気予報で 「今日からは秋の気配」 などと言っていた割には、日中はちゃんと暑かったが、確かに昨日ほどのジメジメ感がない。

取手駅に帰りついたのが午後七時で、この時間なら、今月中ごろまでなら辛うじて日が残っていたのだが、今日はすっかり暮れてしまっている。

東口のぺデストリアンデッキから見上げる空は、濃い群青色だ。そういえば、今日で八月も終わり。確かに、秋の気配が感じられる。

ちなみに、昨日は旧暦では二度目の七月七日だった。七月七日の和歌日記に、この間の事情は書いたが、要するに今年の旧暦は閏七月があるのだ。

七夕は秋の季語だから、二度目の七夕まで過ぎてしまったとあっては、秋めくのも当然かもしれない。今年は、夏が短く、残暑の長い年と思っていればいいのかもしれない。

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2006年8月30日

葉月三十日の歌

日暮れてのホームを渡る風もなく定めし暑き一日 (ひとひ) なりけむ


今日も、一日某展示会の運営に関わった。一日屋内にいたので、暑かったのか涼しかったのかわからない。

ところが、電車のプラットフォームを包む湿った暑い空気で、今日も暑かったのだろうとわかった。

ところで、展示会の会場となったのは完成したばかりのビル。テナントはオフィスもショップを、このビルに入って今日が二~三日目というほやほやである。

それだけに、展示会場もショップも、まだまだ日常的な業務のノウハウが確立されておらず、些細なところでもたもた、あたふたしている。

こうして、小さな失敗に少しずつ対処していって、半年も経たないうちに、もう十年もやっているような顔ができるようになる。

少しぐらいもたもたするのは、我慢しよう。昼食を食べようとしてレストランに入っても、オーダーが通るまで少しぐらい手間がかかっても、まあ、腹の鳴る音を聞きながら笑っていよう。

初めは誰でも初心者だった。

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2006年8月29日

葉月二十九日の歌

一面がガラス張りなるビルの内に東京湾の輝き届く


今日は一日某展示会の運営に参加して、今ようやくつくばの里に戻ってきたところだ。

展示会の会場は、有明に新しくできたビルである。さすが新しいビルだけあって、ピカピカだ。全面ガラス張りの壁の内側から見渡すと、向こうの建物の隙間に、東京湾が見える。

外はかなり暑かったようだが、一日ビルの中にいたので、あまり汗はかかなかった。しかし、日が暮れてから山手線のホームに立つと、久し振りのどんよりと湿った暑い風が吹いていた。夏が戻ってきたようだ。

明日もまた同じ展示会。展示会というのは、なかなか体力を使うものである。

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2006年8月28日

葉月二十八日の歌

一輪の命は夕べ尽きるとも木槿はひたに咲き通すなり


昨日、和歌ログ一千首目の歌を詠んで、それはそれでもう、過去のこと。今日は粛々と、一千一首目の歌詠みをすればいい。

ムクゲの花が盛大に咲いている。ムクゲというと夏の花というイメージが強いが、歳時記では秋の季語になっている。確かに、旧暦の七月を過ぎてからの方が、花に元気が出るし、十月頃まで平気で咲いている。

だから、どちらかというと、これからの方がムクゲの本番なのだろう。

ムクゲの花は一日しかもたないという。だから、毎日毎日、新しい芽が開いてどんどん咲き変わっているのだ。

一千首目を詠んだら、すぐに一千一首目というような花なのだな。

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2006年8月27日

葉月二十七日の歌

歌詠みを続け千日目の朝は何事もなく明けにけるかも 


この三日ほど、曇りがちの涼しい朝である。

平成十五年の十二月二日にネット上で和歌ログを始めて、今日がちょうど千日目。「一日一首」 は今のところ掛け値なしだから、これが千首目の大台の歌だ。

小学校時代の夏休みの絵日記なんて、三日ともたなかった私が、どうしてこんなに続けていられるのか、我ながら不思議である。

きっと、誰にも強制されていないからいいのだろう。

記念の歌は早めに詠んでしまって、早く楽になってしまおうと、朝のうちにサクサクとすませることにした。

生まれて初めて 「けるかも」 という助動詞プラス助詞を使ってしまった。こんなにヘビーな言い回しをするのが、何事もない朝なのだというところに、どうでもいい気負いがありすぎて、ちょっと恥ずかしい気もするが。

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2006年8月26日

葉月二十六日の歌

曇り空ただ眺めゐし帰り道ヘッドライトに稲穂は光る


季節が変わりつつあると、本気で思える一日だった。

空はずっと曇りがち。日が射さない分、気温も上がらない。風が涼しい。そして、何より稲の穂が垂れ下がってきている。

夕方、帰宅するのに田んぼの中の近道を通った。遠くに早くも灯った明かりが見える。そして、早めに点けたヘッドライトに、稲穂が光る。

九月に入れば、稲刈りが始まるだろう。田んぼが刈り穂の跡だらけになれば、いよいよ本当の秋だ。

今日で、和歌ログ九百九十九首目。明日が、いよいよ、一千首目になる。

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2006年8月25日

葉月二十五日の歌

熟さざるうちに落ちたる柿の実の虫養ひて赤み帯びたり


昨夜はとても蒸し暑かったが、夜が明けると雲が広がり、風も吹いてきてしのぎやすくなった。実際はまだまだ残暑が続くのだろうが、妻は 「季節が変わったね」 と、気の早いことを言う。

裏の小川の土手を散歩すると、自然に生えた柿の木に緑の実がたくさん成っている。赤く熟すにはまだ早いが、なるほど、確かに季節は変わりつつある。

柿の木の下には、熟す前に落ちた実が転がっている。鳥がついばんで落としてしまうのだろうか。落ちた実は、古いものから順に、中身がすかすかになって、皮だけと化していく。地を這う虫たちが集まって、中身を食べているのだ。

そうするうちに、青かった実がちゃんと柿色になっていくから不思議だ。木に成っている実に先駆けて、自然界の役目を果たし終えたということか。

今日で、和歌ログ九百九十八首目。明後日で一千首目となる。

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2006年8月24日

葉月二十四日の歌

朝まだき猫ならぬ身も輝ける狗尾草 (エノコログサ) の穂に戯れゐたし


今朝は常磐線の信号機故障で、普段は一時間半で都心に着けるのだが、二時間半かかった。

普段よりやや早めに家を出て、途中で朝日を受けて逆光に輝くネコジャラシなんぞを撮影して、いい気持ちになっていたのだが、その後が難行苦行になってしまった。

並みの信号故障ではなかったようで、信号機を交換している間、電車をいちいち手信号で通しているという。だから、その付近を通り過ぎるときは最徐行になるので、他の電車もみなあおりを受けて、動いたり止まったりとなった。帰りは復旧していてもらいたいものだ。

それにしても、ネコジャラシを逆光でみると、思いのほかきれいなものだった。ちなみに、ネコジャラシは通称で、正式の和名は 「エノコログサ」 というそうだ。

漢字では 「狗尾草」 と書くようで、イヌコロの尾ということだろうか。それはそれでイメージどおりである。

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2006年8月23日

葉月二十三日の歌

黒雲の晴れて木槿の花越しにいや高く浮く鱗雲見ゆ


朝のうちはどんよりとしていて、湿度も高く、じめじめしていたが、昼を過ぎて、ようやく少しずつ日が射してきた。

日が射せば射したで、また気温が上がってしまうのだが、じめじめしているよりはずっとマシだ。

先週あたりも、日中のかんかん照りの時よりも、日が暮れて気温が下がり、相対的に湿度が上がってしまってからの方が、過ごしにくかった。

低いところにあった黒い雲が晴れて、ムクゲの花の向こうに浮かぶうろこ雲が見えてきた。うろこ雲が見えると、秋が近づいた気がする。

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2006年8月22日

葉月二十二日の歌

盆過ぎの銀杏の根元哀れにも鰐の木乃伊の如き根の見ゆ


お盆が明けてから、初めて東京都内に出てきている。昨日までは大変な暑さだったが、今日は雲が多いので、少しは気温が下がっているような気がする。

舗道の銀杏並木の根元は、からからに乾いている。地面に露出した根の一部が、まるで小さなワニのミイラのように見える。

地表に露出しているのは、ほんの一部で、地面の中に地上の木と同じぐらいの根が張っている。都会の並木道の地下は、規則正しい根の行列になっているはずだ。

昼過ぎになると、雲が大分減って陽射しが強くなってきた。まだまだ残暑は厳しい。

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2006年8月21日

葉月二十一日の歌

蝉時雨聞き飽きてこそ夕立も雷もなく日は暮るるなれ


平成十五年十二月に一日一首の和歌ログを開始し、我ながら驚くべきことに、一日も休まず歌を詠み続けて、三十三ヶ月目に入っている。

このままのペースでいけば、二十七日の日曜日に一千首目となる。というわけで、今日の歌は九百九十四首目だ。

今日も朝から暑い日射しが照り注いで、午後は夕立や雷が心配されたが、そんなこともなく、日が暮れかかっている。

さすがに、夕方の六時を過ぎると、だんだん暗くなる。七時を過ぎても明るかった七月とはかなりの違いで、ようやく秋が来るのだと実感される。

とはいえ、今週末までは厳しい残暑が続くと予想されていて、明日は旧盆過ぎで初めて都内に出かける予定だが、たっぷりと汗をかくことになるだろう。

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2006年8月20日

葉月二十日の歌

カーナビの中の愛車はわずかにも実際よりも後方にあり


一日中、車で出かけていて、夜になってから帰ってきた。日曜日とはいえ、仕事がらみなのだが。

帰りは、まったく知らない道というわけではなかったが、カーナビにすっかり頼り切りである。カーナビというのは、かなり便利なものだ。何も考えずに、言うとおりに行けば間違いなく着くのだから。

ただ、私のカーナビでは、いつも実際より五十メートルほど後方に位置しているように表示される。いくら調整しても直らない。

例えば、左折すべき交差点にさしかかる時は、画面の中ではあと少しなのだが、実際には既に左折しなければならないということになる。このあたりの、実際とバーチャルとの駆け引きが、おもしろいところだ。

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2006年8月19日

葉月十九日の歌

湧く雲の白きよりなほ白銀の如く照る葉の影深くして


朝から日がじりじりと照りつけて、何もしなくても汗が噴き出る。お盆を過ぎてから、急に夏が本格化したようだ。

昨日は茨城県の古河市が三十五度以上になって、日本で一番暑かったようなのだが、今日はその古河市に仕事で出かける。

往復は車だから、エアコンを効かせておけばいいのだが、車から出たら暑いだろうなあ。せいぜい、水分補給をしっかりして、熱中症にならないようにしよう。

窓から外の景色を見ると、緑は濃いのだが、全体として白っぽい夏の光だ。光沢のある葉が日を照り返して輝いているからだろう。

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2006年8月18日

葉月十八日の歌

我がものと言ふ人もなくミニトマト山菜の如く愛でられてあり


台風の影響から抜けたのだろうか。朝から上天気になって、暑い。まるで沖縄のような空の色になってしまった。

我が家の裏の空き地に、ミニトマトが植えられていて、次から次に実がなっている。誰のものということなく、フリーウェアのようなもので、近所の人が適当に収穫して食べている。

まるで南の島のようなお話である。

大きなトマトと比較するとクセがなく、トマトの嫌いな人でもおいしく食べられるので、人気だ。どんどん採っても、またどんどん実がなるので、ありがたい。

写真は、まだ青い実の中で、一つだけ色づき始めている。あまり真っ赤になることはない。黄色が濃くなったら食べ頃だ。

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2006年8月17日

葉月十七日の歌

通り雨過ぎて早くも蝉時雨さらに湧き立つ夕立の雲


昼の十一時にもならない頃、北東側の空が真っ黒になって、歩いても二十分ほどで行ける小高い丘の連なりが、ほとんど見えなくなった。

こっちは晴れているのに、向こうは大雨なのである。この辺りではよくあることだ。

車で走っていると、晴れと雨の境目に追いかけられることもある。自転車だと、あっという間に雨雲に追いつかれて、ずぶ濡れになる。

踊り場の窓から呑気に写真を撮っていて、ふと気付いた。洗濯物が出しっぱなしだ。妻は外出している。大急ぎで入れなければ。

洗濯物は生乾きだった。せっかくここまで乾いたのに、出しっぱなしにしていたら、また脱水機に入れるほどになるところだった。

ようやく取り込んだと同時に、雨雲がこのあたりまで広がって、大雨になった。間一髪である。雷まで鳴り出した。先日の落雷被害を思い出して、パソコンの電源を引き抜こうかと思ったが、それほどではないようだ。

などと、あたふたしているうちに、雨はあっという間に通り過ぎて、また日が射してきた。今度は、むっとする蒸し暑さだ。どっと蝉が鳴き出す。

二枚目の写真は、三十分後の同じ方向の風景。緑の丘がちゃんと見える。電柱も電線も、きちんと写っている。たっぷりの水蒸気で、ちょっと霞んではいるが、まるで、「使用前・使用後」 みたいな写真になった。

また新たに、夕立の雲が湧き始めている。忙しい日である。

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2006年8月16日

葉月十六日の歌

部屋の奥によしずの影の届き来ていつより鳴くかつくつくほふし


台風が近づいている影響とやらで、朝からすっきりしない天気だ。時々雨がぱらついて、少し涼しくなった。

午後から日が射し始め、近くでツクツクホウシが鳴き始めた。この蝉の独特の鳴き声が聞こえてくると、晩夏という気がする。

子どもの頃は、ツクツクホウシの鳴き声が、夏休みの宿題の自由研究や読書感想文の仕上げを急く声に聞こえたものだ。

もっとも、酒田の市街地ではツクツクホウシの声は滅多に聞かれない。親戚の家に遊びに行ったときなど、夏の幻想に浸りきっているところに、ふと気付くと、子どもの心をやんわりと現実に引き戻すように鳴いているのである。

庄内の夏休みは短い。関東の学校が八月三十一日まで休むのに、庄内ではその一週間ほど前に夏休みが終わり、二学期が始まる。だから、ツクツクホウシの鳴き始めは、なかなか切実だった。

ところで、沖縄に行った時に撮った写真をアルバムにまとめてみたので、よろしければどうぞ。→ こちら

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2006年8月15日

葉月十五日の歌

稲の穂の既に頭を垂れをればふと思ひ立ち蕎麦をたぐりぬ


沖縄に出発する前、八日に 「立秋の稲穂の先の微かにも黄味帯び始め野分近づく」 と詠んだが、今日、田んぼ道を通りかかると、稲穂は既に頭を垂れていた。

このあたりの田は、稲刈りが早い。九月の声を聞いたら、機械でどんどん刈り進む。本格的な台風シーズンの前に収穫してしまおうということなのだろうか。

ただ、去年の同じ日、終戦記念日のログをみると、もう少し色づいた写真が載っている。今年は七月の日照不足が響いているのかもしれない。

そういえば、沖縄では田んぼを見なかった。以前は稲作も広く行われていたようだが、今では耕地はほとんどサトウキビ畑という感じである。

今日の昼、沖縄から帰ってきて初めて蕎麦を食った。蕎麦食いの私だが、沖縄では 「沖縄そば」 ばかり食べていた。「沖縄そば」 は、名前は 「そば」 とつくが、原料は小麦粉である。うどんとラーメンの中間のような食感だ。

去年の六月、「大江戸めん祭り」 というイベントで、まだ見ぬ沖縄と縁を結ぶべく、初めて 「沖縄そば」 なるものを食べた時は、「う、こりゃ何じゃ、蕎麦じゃないぞ」 と思ったものだが (参照)、実際に沖縄に行って食べてみると、とてもうまい。

食べ物というのは、気候風土にマッチしているのだと、しみじみ感じた。その意味で、米はまさに日本の食べ物なのだと思う。

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2006年8月14日

葉月十四日の歌

敷島のヤマトの空は行く雲の白きを宿し和らぎてあり


月遅れのお盆だが、今日は神田のオフィスに来て仕事である。とはいえ、他がお盆休みに入っているので、いつもよりは暇だ。

天気予報では東京近郊は三十度に達しないなどと言っていたが、それにしては朝から晴れていて、暑い。ただ、いくら晴れていても昨日まで見ていた沖縄の空の色とは全然違う。

朝、カーテンを開けて開口一番言った言葉。
「あぁ、空の色が薄い! これは青じゃなくて、水色だ! それに、雲の輪郭がぼやけてる」

「そりゃあ、沖縄に比べたらそうでしょうよ」 と妻が言う。

きのうの夜帰ってから、沖縄の話ばかりしているので、相当に沖縄かぶれになったと思われている。

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2006年8月13日

葉月十三日の歌

思ひ出もなき土地なれど今まさに帰り着きたる心地こそすれ


今日は朝早くから、沖縄中部をドライブした。まず、最初に行ったのは海洋博公園。

昨日まで一緒に仕事をしていたカメラマンが、「騙されたと思って、ジンベイザメの泳ぐのを見てください。感動しまっせ」 というのを信じたのだ。

うぅむ、確かに感動したけど、それよりももっと感動したのは、今帰仁城跡だ。「今帰仁」 と書いて 「なきじん」 と読む。沖縄の地名は難読漢字だらけだ。

これは十三~十四世紀に沖縄北部一帯を支配した豪族、北山王の拠点だったグスク跡。首里城跡などとともに、世界遺産に登録されている。今は住居跡はなく、石垣の跡が残るのみだが、なぜか、胸に迫るものがある。

途中の沖縄そば屋で、三線 (さんしん) に初めて触らせてもらった。「三味線とは、音が全然違うでしょう」 と言われたが、確かにそうだ。

三味線がツントンシャンと、弾いて即鳴るという感覚なら、三線は、ブーンと奥から湧いてくるような音といったらいいだろうか。

多分、半日あれば曲りなりに二~三曲弾けるようになれそう。欲しくなったが、落雷被害で物入りの折、我慢するしかない。

国道五十八号線をどんどん南下して、万座毛 (まんざもう) の象の鼻のような絶壁などに寄り道しながら、三時過ぎに那覇空港のトヨタレンタに車を返した。

万座毛から望む東シナ海は、青というよりは、コバルト色だった。

沖縄に来てずっと感じていた特異な感覚の正体が、少しわかってきた。時間感覚と空間感覚の広がりが、身体性に近くなるのだ。歴史にも、海の向こうにも、手を伸ばせば届くような気がする。

思いっきりドメスティックで、さらにもやは 「戦後」 ですらない本土感覚とは、この辺りが一番の違いなのだろう。

沖縄滞在中はずっと天気に恵まれたが、心の片隅で、かの有名などしゃ降りスコールを見てみたいと思っていたところ、レンタ屋のバスで空港に向かう途中、そのスコールに遭遇した。

なるほど、それはそれはすごいどしゃ降り。しかし、ドア・ツー・ドアの送迎で、こちらは全然濡れずに済んだ。きっちりとお天気にしてくれて、最後には、ちゃんとスコールまで拝ませてくれたお天気の神様に、いつもながら感謝。

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2006年8月12日

葉月十二日の歌

ハブも休む暑き一日ガジュマルの緑と海の青に染まりき


昨日から仕事で沖縄に来ている。

今日は朝イチから現地の人に密着取材。この人がなんと、沖縄の歴史、民俗のことなら何でも知っている沖縄博士のような人で、いろいろなことを教えてもらった。

うちなあ (沖縄) について、まともな予備知識なしにぶっつけ本番で来てしまったようなものだが、今日一日でずいぶん見聞が深まった。沖縄は知れば知るほど面白いというが、本当に奥が深い。

今日の最初の写真は、首里に近い末吉というところにある 「末吉宮」 という神社。小高い丘の上にあって、原生林の中を汗水たらして登ったところにある。清水の舞台がそのまま拝殿になったような様式で、重要文化財だそうだ。

途中に 「ハブに注意」 という立て札がいくつもあって恐ろしいが、こんな暑い日は、ハブも休んでいるというので、安心して登る。

夕方に一仕事終え、予約してあったレンタカーを借りて、沖縄本島の南端部を廻る。ひめゆりの塔、平和祈念公園のあるあたりだ。

途中、さとうきび畑の中を横切り、断崖の上から海を眺め、いかにも沖縄に来たような気になる。

公式の仕事は今日でとりあえず終わりだが、せっかくの沖縄なので、自費でもう一泊し、明日は朝イチから午後三時ごろまで、借りた車で島を巡ろうと思っている。

沖縄ビギナーの私が、行き当たりばったり、あちこち廻ってしまおうと思っている。どんなドライブになるか、楽しみだ。

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2006年8月11日

葉月十一日の歌

遅刻せし子のごとく我は歩きたり琉球の空青々き下


仕事で沖縄に来ている。本格的な仕事は明日の朝一番からなのだが、せっかくだから早めに那覇入りして、昼飯にソーキそばを食べ、何はともあれ、首里城公園に行ってみた。

首里は、琉球王国時代の首都で、高台に首里城があった。しかし、先の大戦で跡形もないほどに破壊されつくし、六十年経った今も、原型を復元する作業が延々と続いている。

そして、その完成はいつになるかわからないという。大変な作業だ。

写真は、かの有名な守礼門。これは、かなりあっさりとしたものである。向こう側で遺跡発掘作業が行なわれているので、グリーンのネットが見えて、ちょっと興醒め。

ただでさえ、「日本三大がっかり名所」 のひとつといわれているのに。ちなみに、「日本三大がっかり名所」 は、札幌時計台、高知はりまや橋の二つがゆるぎない定説で、残る一つは、諸説ある。その中でも有力なのが、京都タワーと守礼門。

本日をもって、私はこれら四つを全て踏破したことになる。

守礼門はあっさりとしたものだが、首里城そのものは、たいした文化遺産である。それは、いわゆる 「城」 といよりは、神社の造りに似ている、というか、これは神社なんだという気がする。本殿に琉球国王がましました神社だ。

現在の首里城正殿は、かつての正殿の土台を残すため、七十センチ嵩上げして作られている。それで、正殿の床の一部がくりぬかれてガラス張りにしてあり、本当の礎石の跡が見下ろせるようになっている。ふぅむ、すごい。

ここはかつて、ちゃんとした独立国だったのだなと実感する。てことは、日本の中の植民地ってことか。ふぅむ、とまた溜息をつく。

そして、もう一つの写真は、琉球舞踊。今日は特別サービスで、写真二枚。

首里城の御庭で披露されていた。実は、琉球舞踊をまともに見るのは初めて。結構気品のある踊りだ。片足をちょっと高く上げる振りが特徴なのだな。

沖縄には、もっとずっと早く来るべきだったような気がする。今頃になったなんて、自分の怠惰だと思う。那覇を歩いていて、心の片隅に遅刻した劣等生のような気持ちがある。

ところで、沖縄というところは、確かに暑いけれど、クソ暑くはないということを発見した。東京の街を歩く方が、ずっと暑い。

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2006年8月10日

葉月十日の歌

まつすぐの線は定規で引けるごと真つ直ぐ映る夏の日の影


台風が過ぎ去って、暑さが戻ってきた。

今日は一日、神田のオフィスで仕事。朝にオフィスに入ったとたんに、むっとする熱気に圧倒された。昼を過ぎると、エアコンの効かない廊下はサウナのようだ。

階段の手すりをさわると、熱い。日が当たらなくても、気温が体温以上になっているのだろう。

昼に食事のために外に出ると、アスファルトに映る影の輪郭が、驚くほどくっきりとしている。電柱の影などは、定規で引いたような線だ。

さて、首尾良く台風も抜けて、明日からは沖縄出張だ。なんだか、修学旅行の前日のようにわくわくしている。

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2006年8月 9日

葉月九日の歌

夕刻を待たず野分の雨止めばここぞとばかり蝉は鳴くなり


朝から台風の雨。とはいえ、それほどの大雨ではない。

昼過ぎから空がだいぶ明るくなったが、我が家の裏の小川を見ると、川面に雨の紋が広がっているので、なかなか止まずにいると知られた。それが、四時過ぎにようやく止んだ。

先日の落雷で、居間のエアコンも壊れてしまったことがわかった。

私が仕事部屋に使っている寝室の一画は、さすがにパソコンの熱がこもるので、仕事中はいつもエアコンを二十八度に設定してあるのだが、居間は風通しがいいので、エアコンのスイッチは滅多に入れない。

ところが、先日あまりの暑さにエアコンをつけたところ、全然冷えてこない。それで、ようやくエアコンまでいかれてしまったと発覚したのである。

電気屋に修理を依頼しても、エアコン取り付けのハイシーズンなので、今日まで待たされてしまった。

お昼に三谷幸喜そっくりさんの修理屋さんが来てくれて、見てもらったところ、部品交換で二万六千円かかるという。

これが五万とか六万とかいうのなら、最新の消費電力の少ない機種に買い換えるところだが、こうした微妙な見積もりを提示され、しばし考えたあげく、ほかにも風呂釜やパソコンが壊れて物いりなので、修理を頼むことにする。やれやれだ。

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2006年8月 8日

葉月八日の歌

立秋の稲穂の先の微かにも黄味帯び始め野分近づく


日本近海に台風が三個も来ているとやらで、関東も朝からどんよりとしている。

予報では夕方に雨が降り出して、明日の夕方まで降り続くと言っていたのだが、午後七時を過ぎても、時々ぱらりと降るぐらいの天気だ。

問題は、十一日から仕事でいく沖縄の天気なのだが、週間予報を見る限りでは、影響が出るのは九日から十日までで、どうやら、台風一過の那覇に降り立つことになりそうだ。

この予報通りになるように願いたい。まあ、いつものように晴れ男ぶりを発揮することになると、安心しているのだが。

ところで、きょうは立秋。昨日と比べるとかなり涼しくなってしまった。

「このまま、涼しくなっちゃうのかしら?」 と妻がいう。
「まさか、まだまだ残暑が続くさ」
「でも、旧盆を過ぎたら海は泳げなくなっちゃうでしょ。子どもたちにとっては、短い夏かもね」

そういえば、田んぼの稲は、先の方が黄色くなりかかっているものもある。立秋になったら、確かに、秋に向かう道しるべが立ったということだ。

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2006年8月 7日

葉月七日の歌

見上ぐれば眼の奥白く息吸へば胸の奥熱し明日は立秋


いやはや、今日も暑い。

今日は朝から都内に出てきているので、都会の暑さというのはひとしおだ。アスファルトとコンクリートの照り返しで、普通に歩いているだけで、頭がくらくらする。

そして、冷房の効いたオフィスに入っても、しばらくは体から汗が引かない。

しかし、文句は言うまい。これが夏である。夏が暑くなければ、うまい米が食えない。

こんなに暑くても、明日は立秋。テレビなどで連発されるだろう 「暦の上ではもう秋ですが」 いうセリフは、聞くだけで、ややうんざりする。実際は、「暦の上の秋」 というよりは、「一番暑い時期なので、これからはだんだんと秋に向かうのみ」 という意味合いが正しいようだ。

天気予報によると、明日は曇りのち雨で、気温は三十度を下回る。それでも、雨が降る分、蒸し暑さを感じるだろう。

そして、台風が一度に三個も発生している。十日ごろに四国、九州、沖縄に近づきそうだ。十一日から仕事で沖縄入りするのだが、その頃には台風一過ということになってくれるとありがたい。

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2006年8月 6日

葉月六日の歌

 白猫の病を癒す夏の日に寝そべりて顔撫でる黒猫


今日も朝から暑い。昨日までの二日間のようなからりとした暑さではなく、湿度が上がっている。空も青空ではなく、いかにも水蒸気を多く含んだ白っぽい色だ。

八月一日の 「今日の一撃」 に書いたのだが、実は我が家の二匹の猫のうち、年上の白猫の方が寄る年波で死にかかっていた。

自分では水も飲めず、立ち上がって歩くこともできなくなり、見る間にやせ衰えて、死を待つだけの状態になったように見えた。

しかし、妻と娘の必死の看病で復活したのである。今では足取りはややおぼつかないものの、自分で歩いて、日陰の涼しいところを探し、移動しながら休めるようになった。

昔だったら、猫というのは自分で立てなくなる前に、涼しい死に場所を求めていなくなったものだが、今の猫は幸せである。

で、年下の黒猫の方はというと、我関せずとのんびり寝そべって、顔を撫でている。

猫というのは、本当に極端なマイペースである。同じ屋根の下の同類を、全然心配していない。犬だったら、こうはいかないが、これが猫の特性なのだから責められない。

ところで、今頃になって気づいたのだが、この猫はどうやら左利きらしい。

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2006年8月 5日

葉月五日の歌

真白なる夏の日射しに花魁の名をおふ花は色差しゐたり


今日も暑くなった。

昨日は、昼にの二時を過ぎた頃から、家の中の日陰にあるものでも、さわるとほの熱いほどだったが、今日はまだ、そこまでは至っていない。しかし、時間の問題だと思う。

土手の道を、いつもと違う方角に散歩してみると、夏色の花がかなり咲いていることに気づいた。私の夏のイメージは、妙に白っぽいのだが、こうした花を見ると、それだけではないと気づく。

例によって花の名前がわからないので、家に帰ってから図鑑で調べると、オイランソウというものらしい。北米原産で、明治以後に日本に伝わったという。

なかなか風情のある艶やかな名前だ。明治の御代は、まだこうしたネーミングのセンスが脈々としてあったわけだな。

十一日から沖縄に行くので、これを気に、活気ある夏というイメージを増殖させておくのもいいかもしれない。

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2006年8月 4日

葉月四日の歌

せせらぎと木陰のありて余のものをなどて求めん夏の日高し


これぞ夏という天気に、ようやくなった。日射しが照りつけているが、湿度があまり高くないようで、気持ちのいい暑さだ。

昼前に土手の道を散歩したが、途中で帽子をかぶってくるのを忘れたことを後悔した。何しろ強烈な日射しで、首筋がじりじりする。そして、そのじりじりした肌を汗がつたう。

こんな時、ところどころにある低木の木陰は、オアシスのようだ。夏の日の午後は、木陰とせせらぎがあれば、ほかは何もいらない。

ところで、来週の沖縄行きは、帽子とサングラスを忘れないようにしよう。

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2006年8月 3日

葉月三日の歌

蝉時雨降りしきるともその奥で鳴く鶯の声ぞ際立つ


私が常磐線取手駅の近くに借りている月極駐車場は、すり鉢の底のようなところにある。(ところで、本当にどうして 「月極」 などと表示するのだろう?)

週に何度か、朝、自宅からこの駐車場まで車で来て、取手駅から常磐線快速電車に乗り、東京都内に出る。

駐車場で車を降りると、廻り中を見上げるような地形だ。今日は雲ひとつない快晴。かなり前から、このあたりで鶯の鳴き声が聞こえていて、近頃だいぶ上手になったようだ。

今日あたりから盛大になった蝉時雨をものともせず、奥の方から、きちんと際立って聞こえる。

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2006年8月 2日

葉月二日の歌

梅雨過ぎて縺れ絡まる色糸の如く紫陽花枯れ残りをり


昨日と比べれば、少しは夏らしい日射しが戻った。それでも、真夏日にはなっていないらしい。

旧暦では、もう七月九日で、ということは、いつもの年なら日暮れには秋風が吹き始めてもいい頃なのだが、今年はかなり様相が違う。

というのは、今年は閏七月があり、今月二十四日からもう一度七月が始まる。そんなわけで、これからようやく暑くなるというのも、道理である。

旧暦というのは、たいしたものだ。今年の天候不順まできちんと織り込んでいるように見える。

昼過ぎから、あちこちの木で、今孵化したばかりのように蝉が鳴き始めた。それでも、まだ一匹ずつの鳴き声が鮮明に聞き分けられるから、蝉時雨というほどではない。

我が家の裏の空き地に、紫陽花が一かたまりだけ、枯れ残ったように咲いている。梅雨がいつまでも続くので、引き際を見失ったかのように、きまり悪そうな様子だ。

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2006年8月 1日

葉月一日の歌

この午後も日射しの戻らざりければまだ見ぬ琉球の空をし思ふ


昨日同様に、朝は涼しい。我が家の娘たちは 「寒い」 などと口走る。いくら何でも、寒くはないだろうと思うが、今どきの娘は体脂肪が少ないようで、暑さに慣れた体には、少々寒く感じるのかもしれない。

大阪の知人と電話で話す機会があったのだが、西日本は既に 「すっかり夏でっせ」 ということだ。

どうやら、東海から北陸に縦断するラインがあって、その西と東で、極端に天気が違っているらしい。最近、毎年夏になると西日本は猛暑になってしまうようで、気の毒なことである。

翻って東京は、曇り空だ。昼になれば、暑くないというわけではないが、外を歩いても大して汗はかかずに済む。

ところで、お盆前に沖縄に出張することが決まった。沖縄は初めてである。ある意味、アメリカにいくよりわくわくする。

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