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2006年9月30日

長月三十日の歌

空蝉の川の流れは忘れゐるうちに変はりて久しかるらむ 


301

涼しい秋の朝である。

我が家の裏を流れている川の拡幅工事が、本格的に始まった。昨年の冬に着手されたのだが、今年の田植えが始まる前に中断していた工事である。

時々地震のようにぐらぐらとした揺れまで伝わってくる。何やら掘削をする塔のようなものも建って、そこから地下の排水をして工事をしやすくしている様子である。

この工事も、来年春の田植えが始まるまでの期間となるのだろうが、どこまで進むのか、見守りたい。

この辺りの人は、ほとんど、今年の春までには工事が終わるものと思っていたのだが、全然そんな様子でもなかったので、来年の春までに終わるとも思わなくなっている。もしかしたら、再来年までかかるかも知れない。

元々は、この川も江戸期の新田開拓に伴い、人の手で掘削して作った流れである。その流れの幅が、平成の御代になって倍になろうとしている。

世の流れとは、ゆったりと変わるものである。じっと見ていると、その変化は遅々としているが、忘れた頃にふと眺めると、変わっていることに気付く。

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2006年9月29日

長月二十九日の歌

電柱も刈田の畦も筑波嶺に吸ひ込まれ行くパースペクティブ


穏やかな一日が暮れ、秋の夜長だ。虫が静かに鳴いている。

今日は一日のほとんどを家で原稿書きに費やしたが、途中で妻に買い物を仰せつかって、近所のスーパーまで出かけた。

外は気持ちのいい日和で、空気が澄んでいるので、筑波山も間近に見える。田の畦や道ばたに等間隔に立つ電柱など、すべてが遠近法で筑波山の方向に吸い込まれていくように見える。

刈り田のあちこちに、白鷺とカラスがいて、餌をあさっている。こうしてみると、カラスというのは結構大きな鳥なのだなと気付く。白鷺が華奢に見える。

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2006年9月28日

長月二十八日の歌

たちまちに暮れし秋の日コーヒーの湯気もさもなく薄れ行くなり


朝から東京都内の某オフィスでしこしこ仕事をし、日が暮れてつくばの里に帰ってきたところだ。スタバでコーヒーを飲みながら一息ついている。

ここしばらく涼しい日が続いていたが、今日は急に暑さが戻った。三十度にはならず、二十八~九度止まりのようだが、街は半袖姿が目立った。

それでも、日が暮れてしまえば秋の夜である。

今朝は東京駅のボヤのせいで京葉線がストップし、大変だったらしいが、常磐線沿線の私にとっては、淡々と暮れたどうということのない一日だった。

家に帰ったら、月末締め切りの原稿を急いで書かなければならない。明日は多分、週日家に閉じこもってパソコンとにらめっこだ。

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2006年9月27日

長月二十七日の歌

雨降れば根元を水に没しつつ堤の木々色は褪せ行く


昨日の午後から降り始めた雨は、夜中にはかなり強くなって、我が家の外壁に強風でたたきつけられる音が響いていたが、朝には止んでいた。

昼頃にまた降り出したが、二時過ぎには上がり、だんだん晴れ間が見えてきた。それと同時に気温も上がり始め、土手を散歩する頃には、かなりじりじりとした日が照りつけ始めた。

天気予報によると、明日の気温は二十九度ぐらいになるらしい。彼岸を過ぎたばかりだから、まだまだいつ夏がぶり返すかしれたものではない。

土手の斜面に生えた木は、川の水かさが増えたので、根元が流れに洗われているものもある。こんなにも不利な条件でも、木々は葉を茂らせているが、さすがにだんだんと秋の色合いを感じさせ始めた。

こうして風景の一部分だけを切り取ると、自然の中の沢のように見えるが、一歩引けば、向こう岸は住宅地である。

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2006年9月26日

長月二十六日の歌

じつとして動かぬ朝の蛾の羽の保護色なればその意汲み置く


今朝、家を出がけに撮った写真。玄関先の花などをおく大の上に、小さな蛾が羽根を広げていた。

生きているのだか死んでいるのだか、急いでいたので確認することもなかったが、ポケットからデジカメを出してごそごそしている間もまったく動かなかったので、多分死んでいるのだろう。

ただ、その時は生きているかもしれないと思っていたので、いつ飛び立っても驚かないように心の準備をしながら、手早く構図を決めてシャッターを押した。

不思議なもので、肉眼でみると、木の台の色に溶け込んでよくできた保護色に見えるのだが、写真でみると、思いのほか目立っている。

肉眼は、生き物の保護色の機能を増幅させながら見ている。気の利いたことである。

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2006年9月25日

長月二十五日の歌

見上ぐれば毬藻の如き栗のいが毬藻はいがの如き藻にして


道ばたに栗林がある。栗の栽培の果樹園だ。夏頃には栗の花がさいて、独特の青臭い臭いを発していたが、今は栗の実がなり始めている。

栗のイガは、青いうちは注意してみないと案外目立たない。しかしよく見れば驚くほどたくさんのイガが枝についている。

見上げると、栗のイガは青空をバックにしてマリモのように見える。思えば、マリモは、「毬藻 (イガ藻)」 と書く。なるほどと感心する。

地面を見ると、これもまた驚くほどたくさんのイガが落ちている。しかし、中身の実はほとんど取られているので、拾っても仕方がない。

ちなみに、栽培されているわけではない野生の栗は、鳥についばまれてしまって、人間の口には入らないことが多いらしい。

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2006年9月24日

長月二十四日の歌

人の世もかくも軽やかならまほし暮れ行く空に筋雲は浮く


さすがに彼岸の中日が過ぎてしまった空である。台風は日本の東海上を遠ざかっているとのことで、日本中がほぼ晴れ渡っているらしい。風は少し強いが、気持ちのいい秋日和だ。

夕暮れ、水戸方面から常磐道を通って帰ってくる時、谷和原から先が十一キロの渋滞という表示があった。ラジオの交通情報でもそれについて触れていて、故障車が路肩に止まっているためらしい。

しかし、実際に高速道に乗ってみると、水戸あたりから微妙な渋滞で、時速八十キロ出せるかどうかという状態だ。こんなときは、「今日の一撃」 の "「渋滞学」 ってのは、面白そうだ" というエントリーに書いたように、一番左の走行車線を通ってくるのが一番早い。

皆、自然に右側の追越車線に行きたがるので、結果として、一番左が最も空いてしまうのだ。ちょっと注意すれば、一番左側の車線がすいすい流れているのに、どうして皆、込んでいる追越車線に行きたがるのだろう。

人間社会のゴタゴタとは全然関わりなく、秋の空高く筋雲が軽やかに浮かんでいる。

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2006年9月23日

長月二十三日の歌

自らの咲くべき頃を知りゐたる如くに赤き彼岸花咲く


今日はお彼岸の中日である。湿度が低く、気持ちのいい晴天だ。ただ、東の海上にある台風の影響だろうか、風がかなり強い。

土手の道を散歩していたら、水辺に彼岸花が見事に咲いていた。今年は昨日あたりまで彼岸花が全然見られなかったのに、彼岸の中日に合わせてきっちりと間に合わせてくれた。

まるで、自分の咲くべき日を知っていたように、さりげなく咲いてしまうのは、大したものである。

試しに、このほど和歌ログに設置した 「キーワード検索」 機能を利用して探してみたら (参照)、一昨年のお彼岸は、もっとたくさんの彼岸花が咲いていたようで、去年は十月二日の時点で、かなりたくさん花が咲いている。

今年は少し遅いような気がする。これから、土手はあちこち燃えるような赤に染まるだろう。

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2006年9月22日

長月二十二日の歌

白鷺の群れて佇む夕暮れの瀬に籾を焼く煙たなびく


かなり秋の色が深まってきた。近所を流れる小貝側の瀬に、白鷺の群れが降りてじっと休んでいる。秋から冬にかけては、こうした光景が珍しくなくなる。

川岸の向こうで、籾殻を焼く煙が上がっている。これも秋の風物詩だ。

ところで、ココログの "Wakalog" はこれまでカテゴリー分けをしないで、すべて 「文化・芸術」 というワン・カテゴリーにしていたが、せっかくなので、四季をベースにしたカテゴリー分けをすることにした。

過去に詠んだ歌も、少しずつカテゴライズして行こうと思っている。その方が、だいぶ時が経ってからの推敲をする場合でも、編集画面を辿りやすいというメリットがある。

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2006年9月21日

長月二十一日の歌

無花果の実は青くしてこりこりと割るる気配もみせず日を受く


今朝、取手駅に向かう近道の路地で、イチジクの木に青い実がついているのを見つけた。へぇ、急に暑くなったりはしても、やっぱり少しずつ秋に近づいていたのだ。

今日は関連の某団体事務局にきて業務をしているのだが、このオフィスの電話とファックスは、NTT東日本の 「ひかり電話」 に切り替えたばかりで、三日前からの例の回線不具合の被害をもろに蒙っている。

何しろ、電話をしても二度に一度しかつながらないのだ。三日前はもっとひどく、全然つながらなかったが。受信の場合も、こちらが出ると 「あぁ、ようやくつながった!」 なんて言われて、なんだか恐縮してしまう。

我が家でも IP 電話 (まだADSLだが) に切り替えようかと思っていたが、どうやら、これはまだ発展途上の技術のようなので、急いでやることはないと思い始めた。

ところで、あと数時間で、本宅サイトの 「地のヴァーリトゥード」 が二十万ヒットを記録しそうだ。自分でキリ番を踏まないように気をつけなければ。

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2006年9月20日

長月二十日の歌

新しき眼鏡をかけて世の中を覗けば早し秋の夕暮れ


朝からすっかり晴れ渡り、首筋がひりひりするほどの日射しが照りつけていたが、日が暮れてしまえば、すっかり秋の涼しさだ。

今日は新しく誂えた眼鏡の受け取りに行っていた。

若い頃は、自分がサングラス以外の眼鏡をかけるなんて、思いも寄らなかったのだが、今は眼鏡なしでは細かい字が読めない。

いや、無理をすれば読めないこともないのだが、目にものすごい負担がかかるようで、十分もしないうちに、しょぼしょぼになってしまう。

七~八年前に、近距離用の眼鏡を初めて誂え、その一年後ぐらいには、遠距離用が加わった。そして、二年前ぐらいに、遠近両用の眼鏡を誂えた。じじいである。

普段は遠近両用の眼鏡をしているが、仕事や読書の時などは、近距離用の眼鏡にしている。その近距離用が、度が進んだせいか、合わなくなって、眼精疲労がたまるようになってしまった。

今日受け取った新しい眼鏡をかけると、近くの字が嘘のように鮮明に見える。というわけで、夕方からは仕事が驚くほどはかどった。どんなに細かい字を相手にしても、目が疲れないのである。

気分を良くしたついでに、遠近両用の方も変えることにした。近頃、どうも遠くの景色が二重に見えるような気がしていたのである。やれやれだ。

そんなこんなで、一日があっという間に暮れた。

ところで、明日か明後日には、本宅サイトの 「知のヴァーリトゥード」 が 二十万ヒットを達成しそうだ。キリ番を踏んだ方には、恒例の 「和歌のキリプレ」 があるので、よかったら、狙って頂きたい。

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2006年9月19日

長月十九日の歌

風止みて秋てふ障子開けしかばそこに真夏の空は残れり


昨日の午後、台風が日本海を北上している頃から、急に空が晴れて、暖かく湿った空気が入ってきた。夜は、このところかけていた肌掛け布団をとって、タオルケットだけで十分だった。

そして朝、窓を開けるとじっとりと熱い空気が入ってくる。「なんだ、夏に戻っちゃったじゃないか」 と、声をあげてしまった。今日は最高気温が三十度になるらしい。

朝、駅に向かう道から国道六号線を振り返ると、まるで真夏のような色合いの景色だった。東京都内に着くと、空はかなり曇りがちだが、蒸し暑さはかなりのものである。

せっかく、一歩ずつ秋になってきたかと思っていたが、またやり直しだ。

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2006年9月18日

長月十八日の歌

九州を荒らし北海道を目指す如何なるメタファーなるや野分よ


台風十三号は、大変な被害をもたらしている。九州、中国地方の方々にお見舞い申し上げる。

今年の夏は、関東では短かったが、西日本では猛暑に加え、梅雨前線、台風の被害が大きかった。東と西で、別の国のような様相だ。

関東は昼過ぎに雨が止んで、日が射してきた。それと同時に、久しぶりのむっとするほどの蒸し暑さが押し寄せてきている。

台風が日本海側を進んでいるので、南からどっと湿った空気が流れ入ってきているのだろう。

先週の天気予報で言っていた 「台風が暖かさと湿り気を連れてきます」 という状況が、やっと目の前に現れた。仕事部屋のエアコンのスイッチを、何日ぶりかで入れた。

ニュースによると、台風は九州を過ぎて日本海に抜け、北海道に向かっているという。一体どんなメタファーなのか。

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2006年9月17日

長月十七日の歌

彼方なる野分よりくる雨を吸ふ刈田の先に灯はともりたり


近所の田の稲刈りはかなり進んだ。今日あたりは、刈田になってしまった面積の方がずっと広い。規則正しく並んだ稲の切り株がずっと遠くまで続いていて、その先に明かりが灯り始める頃、車を走らせて帰宅した。

今週半ばまでの予報では、週末は台風の影響で暖かい湿った風が吹いて、気温が上がるなどと言っていたが、それほどには気温は上がらなかった。しかし、明日はもっと暑くなるらしい。

帰宅してみると、家の中は、なるほど、昨日の夜よりも暖かい。昨夜は長袖でないと肌寒いぐらいだったが、今夜は半袖で十分だ。

庭で虫がひっきりなしに鳴いている。秋というのは気付かぬうちに深まる。そして、突然晩秋になっていたりする。

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2006年9月16日

長月十六日の歌

風に乗る運動会の歓声は近頃とみに慎ましきなり


明るい日射しが差してはいるが、空を見上げると、案外雲が多い。風はさわやかだが、明日からは台風が湿った暖かい風を連れてくると、天気予報が告げている。

川の向こうの田んぼの中に立っている小学校で、運動会をやっているらしい。時折、風に乗って歓声が聞こえてくる。

最近は子どもの数が減って、各学年一クラスしかないらしい。ということは、全校生徒をすべて足しても、二百人ちょっとぐらいのものなのだろう。

小学校の運動会といえば、以前はひっきりなしに歓声や音楽が聞こえてきたものだが、道理で近頃は、「時折、風に乗って」 聞こえてくる程度になっているわけだ。

いずれにしても、天気のいい日に運動会ができて、よかったね。

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2006年9月15日

長月十五日の歌

黒雲は流れたれども筋雲は消えず茜に染まる頃まで


久しぶりに雨の降らない一日だった。秋晴れである。

一日自宅の仕事部屋でパソコンに向かっていたが、窓から涼しい風が入り、エアコンのスイッチを入れる必要がない。春と秋は、体にいい季節である。

夕方になってから、裏の土手を散歩する。青空が広がってはいるが、地面に近いところを、黒雲がどんどん流れていく。

その遙か上に、刷毛でこすったような筋雲が浮かんでいる。黒雲は流れていくが、筋雲は、まるで止まっているかのように見える。

上空には、幾層にも分かれて風の通り道があるようだ。低いところをは、台風から発した風が渡っているのだろうか。

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2006年9月14日

長月十四日の歌

雨水の流れ落ちたる坂道の端で落ち葉は流れ残れり


昨日、東北方面から夜遅くになって帰ってきたが、関東はかなり本降りだったようで、妻に聞いても、一日中降っていたようだ。

ということは、古川で降ったり止んだりだったのは、まだ恵まれた方だったと、納得しておこう。

今朝も朝から雨。都内に出てきているのだが、午後になってようやく止んだ。

取手駅近くに借りてある駐車場から取手駅に行くには、急な坂道を登らなければならない。この坂道のおかげで、私の足腰が辛うじて衰えずにもっているようなものだ。その坂道が、雨でしっとりと濡れ、ところどころに落ち葉がへばりついている。

坂道を急いで上っても、あまり汗もかかない。すっかり秋模様になった。

しかし、週末の連休頃に、台風十三号が湿った暖かい空気を連れてくるような気配である。まだまだ、半袖シャツはしまえない。

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2006年9月13日

長月十三日の歌

秋雨の新幹線の下くぐる陸羽東線はひつそりと暮る


宮城県に出張してきている。今年春の市町村合併で、大崎市という名前になったところだが、以前の古川市と言った方が、まだ通りはいいかもしれない。

大崎市という名前の由来を聞いたら、この辺り一帯は、古くから大崎地方と言われていたのだそうだ。ササニシキの本家本元である。

関東を覆っていた雨雲は、東北まで広がっていて、私の晴れ男伝説にブレーキがかかった。昼前に東北新幹線古川駅の涼しいホームに降り立ち、下をみると、道路にかなりの水溜りができている。

しかしながら、雨は小糠雨程度の降りで、それも降ったり止んだりしている。傘をさすほどのこともない。どうやら、朝までにはかなり降っていたらしいが、私の着くお昼前になって、ずいぶん小降りになってしまったようだ。

晴れはしなかったが、雨の止み間を縫って屋外撮影も辛うじてこなせたし、実際の仕事にはほとんど影響がなかったということで、今回もお天気の神様に感謝である。

明日は朝から都内で仕事なので、今日はいそいそと日帰りだ。

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2006年9月12日

長月十二日の歌

梅雨明けて以後に伸びたる雑草の根元より刈り夏は過ぎたり


朝からやたらと涼しい一日になった。妻は寒い寒いと言って、セーターを着込んでいる。

涼しいのを幸いに、裏の土手際の雑草刈りをした。七月下旬の町内一斉草刈り以後、八月は一度も刈っていなかったので、雑草が伸び放題になっている。

町内会保有の、エンジン付き草刈り機を借りるという手もあるのだが、敢えて草刈り鎌を手に、手動で一時間半かけて刈り取った。かなりの運動量だが、あまり汗はかかなかった。

腰の高さまであった雑草をすべて刈ってしまうと、がらんとした秋の風景になった。夏はまさに過ぎてしまった。

草刈りの最中は、アドレナリン出まくりで、あまり気にならないのだが、刈り終わって一息つくと、とたんにどっと疲れが意識される。さすがに歳には勝てない。筋肉痛が、多分、明日か明後日に出るだろう。明日に出るようだと、まだ筋肉が若いということだが。

午後から雨が降り出したが、川の水量はどんどん減っていて、最近まで水面下に没していた土手の斜面が、黒っぽく露出している。

ちなみに、明日は宮城県に日帰り出張である。天気予報を見ると、一日雨ということだ。しかし詳細をみると、昼過ぎの降水量は一ミリ以下となっているので、屋外撮影もいけるかもしれない。

自分の晴れ男ぶりにかけてみようと思う。

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2006年9月11日

長月十一日の歌

日本の九・一一川岸を乾きたる風ただ渡るのみ


五回目の 「9・11」 の日になった。私はワールド・トレード・センターがあった頃に四度、崩れ落ちてから二度、ニューヨークを訪れている。

J・F・ケネディ空港からマンハッタンに向かう途中、華やかな夜景の左側の方にあのツィンビルの姿が見えないということに、一昨年訪れた時も、なんだか奇妙な感覚を覚えてしまった。

で、秋に向かう日本のお話である。

今日は雨が降るという予報だったのだが、ほとんど降らなかった。田んぼは稲刈りの真っ最中である。小貝川は水量がすっかり減って、岡堰では、夏の間水面下に隠れていた部分が、すっかり露出している。

熱帯の雨季と乾季を、日本の稲作は人工的にシミュレーションしているわけだ。川岸を車で走って帰ってきたが、日暮れがどんどん早くなっているのがわかる。

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2006年9月10日

長月十日の歌

朝霧は見る間に晴れて行く夏のあがきの如き汗滴りぬ


今朝、六時頃に車で出かけた時には、周り中、霧の海だった。その霧は、田んぼの中の近道を行くうちにどんどん晴れ始め、青空が覗いてきた。

昼頃には、完全な晴れ。しかも湿った南の風が吹き込んで、大変な蒸し暑さになってしまった。ちょっと動くだけで汗が噴き出す。夏の狂い咲きだ。

天気予報では、明日は雨が降って、その雨が秋の空気を連れて来るという。たった一日で秋の空気と入れ替わるというのである。本当だろうか?

冬が厳冬だったから、帳尻合わせのために夏は猛暑になるかも知れないなどと思っていたが、西日本はいざ知らず、関東では今年の夏は短かったような気がする。気温も体温以上になるような日はあまりなく、高くても三十五度程度だった。

さて、今度の冬はどんな冬だろうか。

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2006年9月 9日

長月九日の歌

一回り大きく咲きぬ夏過ぎて秋に踏み入る木槿の花は


このところ、曇りがちのはっきりしない天気が続いているが、今朝は、昨日よりだいぶ蒸し暑い気がする。

天気予報では、関東には暖かく湿った空気が流れ込みやすくなっていると言っていて、来週に入ると、今度は曇りだけではなく、傘マークもいくつか付いている。

裏に生えているムクゲは、秋の気配がしてきて、ますます花が大きく元気になった。夏の花のイメージがあるが、やはり、歳時記で秋の季語になっているように、秋の花なのかも知れない。

昨年の和歌日記をみると、ススキの穂が色づいた十月二十五日にも、まだ咲いている。体力あるなあ。

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2006年9月 8日

長月八日の歌

一つづつまた一つづつ柿の実は風吹くごとに赤くなりゆく


涼しいような、しかし、少し動くと蒸し暑いような、晩秋と初夏との移り目の、微妙な陽気である。

今年の春先に中断していた裏の川の拡幅工事が、少しずつ再開されている。春と夏の間は、農業用水の関係で川の水量が増えるし、農作業のじゃまになるので、続けられなかったんだろう。

長らく田んぼだったところを、工事機械でがしがし掘りまくっているので、風向きの加減で、えもいわれぬ田舎の臭いが漂ってくる。しばらく我慢しなければならないみたいだ。

土手の側に生えている柿の木は、実がだんだんと色づいてきている。

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2006年9月 7日

長月七日の歌

駅てふは振り返り見るものならむ馴染みし路地の素顔残れば


地方都市の駅というのは、いかにも正面玄関らしい表の顔と、ちょっと斜めから見た裏の顔というのがあるような気がする。

表の顔がきちんと化粧をした顔なら、裏の顔は、寝起きのすっぴんみたいなものだ。

正面の大通りから近づいていくのでは見えない素顔が、裏通りから振り返った時に垣間見える。

そうえいば、私がつくばの里に越してきたのは、もう二十四年も前になるのだ。その頃の取手駅は、ひなびた田舎駅で、土浦方面からくる中距離電車は、通称 「赤電 (あかでん)」 と呼ばれていた。

この電車のドアは、車両の前後に一対ずつしかなく、開閉は手動だった。超満員の時などは、ドアが閉まりきらないうちに発車してしまい、デッキから振り落とされないように、必死につかまっていたものだ。

取手駅を出て間もないところにある利根川の鉄橋を渡るときなどは、半分はみ出した体の真下に、とうとうと流れる坂東太郎が見下ろせて、なかなかスリリングなものだった。

今では信じられないだろうが、JR というのは、つい二十数年前までは、こんなワイルドな運行をしていたのである。終戦直後というわけでもない。バブル前夜の頃のお話である。

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2006年9月 6日

長月六日の歌

野分去る墨絵の如き黒雲に稔る稲穂の染まることなく


今日はおめでたい日になった。祝・秋篠宮紀子妃殿下男児ご出産。

台風の影響で、朝から曇りで強い風が吹いていた。昼過ぎから風は多少弱まったが、今度は空が真っ暗になって、雨がぽつりぽつりと降り出した。

昨夕は、茨城県でもひたちなか市の海岸の一部に、高潮による避難勧告が、一時的にせよ出されたほどだから、かなり強い台風だったのだろう。

我が家の階段の踊り場から見渡す景色は、田んぼが一面だけ刈られて、そこだけ、晩秋じみた色になっている。

昼では涼しいぐらいだったが、風が止んでからは湿度が上がり始めたようで、蒸し暑くなってきた。雨は明日の昼まで降り続くらしい。

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2006年9月 5日

長月五日の歌

竹の生す斜面に沿ひて朝の日の秋の角度で射す頃となりぬ


天気予報では、暑さと湿度が戻って、ムシムシの陽気になるということだったが、昼に外を歩いてみたところでは、暑さしか戻っていない。

もしかしたら、夕方に気温が下がってから、相対的に湿度が上がってムシムシしてくるのかもしれない。

朝、取手駅近くに借りた駐車場から駅に向かう道、斜面が竹林になっているところがある。夏以外の季節は、斜面に沿って朝日が差し込んでくるのがきれいなのだが、ようやくそんな季節になったようだ。

日が斜めに射すようになったことが、うれしい。

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2006年9月 4日

長月四日の歌

稲刈りのエンジンの音響き来て川面の低くなりたるを知る


ついに稲刈りが始まった。昼過ぎからなにやらエンジンの音が響いてくると思っていたが、踊り場の窓からみると、稲刈り機の音だった。

裏の小川の水量も少なくなっている。水面が下がっているので、土手のこれまで水面下だった部分が、露出している。

朝から日が照っているが、湿度が低いので、なかなか快適なからりとした暑さである。

土手の水門の上げ下げをするねじのバーの先に、トンボが止まっている。稲刈りのエンジンの音は、通低音のように常に響いているので、トンボは驚かない。

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2006年9月 3日

長月三日の歌

山並みを覆ひて長き雲の峰彼方に秋の日は落つるらむ


水戸方面で一日仕事をして、夕刻になって、常磐道を辿って戻ってきた。

空気はからりとして、日が沈むとともに、どんどんひんやりとしてくるのがわかる。どうやら、本当に秋になりつつあるらしい。

常磐道のインターを入る前、つくば方面の山並みのシルエットの上を、雲の峰が覆っている。その下を、家路を辿る車の列のヘッドライトが照らしている。

雲の峰の彼方に、秋の日は暮れていく。

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2006年9月 2日

長月二日の歌

野を渡る風の甘きを我が宿にハーブは運ぶ籠に盛られて


我が家の庭に生えているクリーピングタイムの刈り込みをした。もっともそれは妻がしたので、私は全然手伝っていないのだが。

クリーピングタイムはその名の通り、横に這うように伸びるので、あまり背丈は高くならないのだが、それでも、放っておくとこんもりとした感じになってしまう。あまりこんもりさせてしまうと、根元がくさってしまうのだそうだ。

刈り取った先端の方は、大きなかごに入れて、玄関においてある。いい香りがして、しかも虫除けになるらしい。

夏の前に刈り取った分は、このかごに入れて、買い換えたばかりの車の後部座席に、しばらく置き放しにしてあった。車の独特の臭いが取れてすっきりした感じになった。

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2006年9月 1日

長月一日の歌

踊り場の軒端に羽根を休めゐし秋津は去りて雨ぞ来たれる


今日から九月。もっとも、旧暦でいえばまだ七月九日。もっとも、閏七月だが。

今年の旧暦は初秋の七月が二回あり、二回目はまだ始まったばかりだから、めっきり涼しくなったとはいえ、あと何度か残暑がぶり返すのは、「想定内」 として覚悟しておこう。

何度も書いていることだが、旧暦というのは、日本の季節感にとてもよく沿っており、閏月というのも、勝手な都合で入れたようでありながら、その年の季節の移ろいにマッチしていたりするので、あなどれない。

朝、階段を降りようとしたら、踊り場の窓の外にトンボが止まっていた。あわててカメラを取りに戻ってあたふたと撮ったので、少しピントがぼやけてしまったが、せっかくだから、今日の写真に使おうと思う。

十時頃から雨が降ってきた。トンボはどこで雨宿りをしているのだろうか。

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