長月七日の歌
駅てふは振り返り見るものならむ馴染みし路地の素顔残れば
地方都市の駅というのは、いかにも正面玄関らしい表の顔と、ちょっと斜めから見た裏の顔というのがあるような気がする。
表の顔がきちんと化粧をした顔なら、裏の顔は、寝起きのすっぴんみたいなものだ。
正面の大通りから近づいていくのでは見えない素顔が、裏通りから振り返った時に垣間見える。
そうえいば、私がつくばの里に越してきたのは、もう二十四年も前になるのだ。その頃の取手駅は、ひなびた田舎駅で、土浦方面からくる中距離電車は、通称 「赤電 (あかでん)」 と呼ばれていた。
この電車のドアは、車両の前後に一対ずつしかなく、開閉は手動だった。超満員の時などは、ドアが閉まりきらないうちに発車してしまい、デッキから振り落とされないように、必死につかまっていたものだ。
取手駅を出て間もないところにある利根川の鉄橋を渡るときなどは、半分はみ出した体の真下に、とうとうと流れる坂東太郎が見下ろせて、なかなかスリリングなものだった。
今では信じられないだろうが、JR というのは、つい二十数年前までは、こんなワイルドな運行をしていたのである。終戦直後というわけでもない。バブル前夜の頃のお話である。
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