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2006年10月31日

神無月三十一日の歌

故郷の銀杏は既に黄に染まり落ち葉となりて地を覆ふらむ


十月も今日で終わり。明日からは十一月だが、毎年今頃の季節になると、私の体内季節感は、実際の陽気とのズレにちょっと戸惑い気味になってしまう。

故郷の庄内を出て東京で学生生活を始めてから、もう三十五年近くも関東に住んでいるのに、私の体内季節感は、地球温暖化が顕著になる前の東北にセットされたまま、まともにアジャストされていないようなのだ。

だから、十月末ともなれば相当に肌寒いはずだと、潜在意識の中で思い込んでいる。実際は、昨日などはもう少しで夏日になりそうなほど暖かかったのだが。

神田の街を歩いていると、イチョウ並木がまだ緑色を葉をつけていることが、まず違和感の源だ。十月末ともなれば、銀杏の木の下は、黄色の落ち葉で一杯になっていなければならないのにと、どうしても思ってしまう。

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2006年10月30日

神無月三十日の歌

アメリカの光の色のつくばなる街に溢れて夜は更けにけり


十月も、もう三十日で、あしたは月末だ。あさってからはついに霜月、その次は師走か。早いものである。

昨日から今日にかけて、月末締めの原稿を仕上げた後、午後から所用で水戸方面に出かけ、夜になって帰ってきた。

おかげで、日のあるうちはまともな写真が撮れず、帰り道につくばのショッピングセンターでようやくそれらしい写真を撮った。つくば市というところは、夜になるとなんだかアメリカっぽい光のあふれるところである。

つくばエクスプレスが開通するまでは、交通機関といえばだだっ広い道路しかなかったから、クルマ社会である。どこに行くにもクルマなので、どこかアメリカっぽいライフスタイルになるところがある。

それで、ショッピングセンターは、どこも広大な駐車場をもち、隅から隅までまぶしい光で照らし出しているわけだ。秋になると空気が澄んできて、その光が妙に鮮明に見えてしまう。

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2006年10月29日

神無月二十九日の歌

紫の松虫草の葉に乗れる夜来の雨の粒は小さし


天気予報では今日は一日雨のはずだったのだが、実際は昨日の夜から降り始め、今日は昼前に雨が上がり、青空さえのぞいた。

今日になって、天気予報士も 「今日にこれほど持ち直すとは思いませんでした」 と、言い訳をしていた。

土手の道を散歩すると、マツムシソウの葉に夜来の雨の粒が乗って光っている。

マツムシソウとは、いかにも前から知っていたようにさらりと書いたが、必死に図鑑を眺めて突き止めた名前である。マツムシが鳴く頃に咲くので、この名前があるという。

花の形にもいろいろあるようで、これは山野草タイプ。観賞用の花はもっとそれらしい趣があるようだ。

【追記】

萌野さんに教えていただいたのだが、これはどうやらマツムシソウではなく、アカツメ草のようだ。なるほど、シロツメ草 (クローバー) を赤くしたような花である。

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2006年10月28日

神無月二十八日の歌

行く水の奏づる楽は耳にては聞こえざれども土手にこだます


土曜日だが、いろいろと雑用の多い日だった。右往左往しているうちに、あっというまに夜になった。

小貝川の水面は冬の高さに近づいてきた。近所の岡堰では、春から夏にかけては水面下だったところも地表に現れて、短い草が生い茂っている。

これから冬に向かうので、この草はこれ以上は大きくならない。春になれば、また水面下に没してしまう。

今は河川敷となってしまった部分に降りてみる。川というのは、土手や堤防の内側に降りると、外側とはちょっとだけ別世界になる。景色もそうだが、まず音が違う。外界の音が遠くに去って、川の流れる音にならない音が聞こえるような気がする。

本当は水面まで降りて、ボートか何かに乗ってみると、もっと世界が変わるのだが、今日はそこまではできない。

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2006年10月27日

神無月二十七日の歌

小糠雨止めば夜来の風も止み猫も遊びに飽き走り止む


どんよりとした曇り空だ。先ほど少しだけ雨がぱらついて、妻があわてて洗濯物を取り入れていたが、それからすぐに止んでしまった。

雨が止んでしまうと、ついでに風まで止んでしまい、外は拍子抜けしたようにひっそりとしている。昼時なので、鳥の声も時折聞こえるだけだ。虫の声は聞こえない。

家の中で、猫だけが何やら転がしながら、それを追いかける遊びに興じていたが、それにももう飽きてしまったようだ。

秋はどんどん深まっていく。

これから、水戸方面に所用ででかける。同じ茨城県でも、中川を渡った先は気温が少し低い。少し暖かめの格好をしていく方がよさそうだ。

なお、もう一つのサイト 「知のヴァーリトゥード」 で、この和歌日記について触れた (参照)。

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2006年10月26日

神無月二十六日の歌

取手駅東口より発つバスの客待つうちに日は暮れにけり


日が大分短くなった。都内での仕事から戻り、取手駅に着いたのは夕方六時前だが、その頃には日はとっぷりと暮れていた。

東口のロータリーは、勤め帰りの人を迎える車とバスで混雑している。典型的な郊外の駅前の風景だ。

昨日と一昨日は、日が暮れると冬のような寒さだったが、今日はそんなことはない。どうということのない秋の夕暮れである。

十月も残り少なくなった。大晦日まで、あと二か月と五日しかない。一年の経つのはなんと早いことか。

街はハロウィーンのジャック・オ・ランタン (かぼちゃのちょうちん) が溢れるようになった。日本もずいぶんバタ臭いことが好きになったものだ。このかぼちゃが姿を消したら、今度はクリスマスになだれ込む。

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2006年10月25日

神無月二十五日の歌

三日降りし秋雨もただ一夜にて乾けば白き道の影濃し


昨日とは一転して空が晴れ渡った。とはいえ、東海上の低気圧が強いらしく、茨城県の朝のうちはかなりの強風だった。

強風のせいで、常磐線の通勤電車が 「飛来物と接触」 したとやらで、20分以上も安全確認のため停車していた。「飛来物」 とは、雨傘だったらしい。人騒がせなことである。

朝の足は、これで二日連続のダメージである。ちょっと風が吹くだけで運休になったり遅れが出たりするのは、不便だが、我慢しよう。大きな事故につながるよりはずっとマシだ。

今日の写真は、昨日と同じ坂道。昨日は雨水が沢の如くに下り落ちていたのだが、今日は日に照らされて、濃い影を作っている。

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2006年10月24日

神無月二十四日の歌

雨水の沢の如くに流れ下る急坂なれど貼り付く枯葉


一昨日の夜からかなりの雨が降り、今朝も強い風雨で通勤の足が乱れていた。外房線は八時すぎにようやく動き始めたようだ。

駅の近くに借りてある駐車場から取手駅に行くには、急坂を上って下りなければならない。その坂道の端を、まるで沢のように雨水が流れ落ちていた。

デジカメを出して撮っておいたのだが、残念なことに、写真としてみるとその臨場感は全然伝わってこない。ヘボ写真である。

山の頂から眺める風景や、土手の斜面、坂道など、角度のある地形というのは、コンパクト・デジカメでその臨場感を再現するのは、かなり難しいようだ。

いや、あるいは、写真に映ったものこそが客観的にみた現実の風景で、印象に残った風景というのは、かなり頭の中で脚色して解釈してしまったものなのかもしれない。録音したものを聞いても 「こんなに雑音だらけだっただろうか?」 と思ったりするし。

昼前になって、都内の雨は止んだ。しかし、予報では 「時々止む」 となっているので、まだまだ油断はできない。

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2006年10月23日

神無月二十三日の歌

半月を晴れ続けたる秋空に雲広がりてコスモスは揺る


昨日の夜から、天気のベースが大きく変わった。雨が降り出し、夜の間はかなり強く振ったようだが、朝には小降りになっていた。

しかし、冷たい風が強く、気温がほとんど上がらない。町内の一斉草刈りは、昨日で正解だった。秋はいよいよ深まったようである。

近所の休耕田に飢えられたコスモスが、風に大きく揺れている。

先日、京都の大原に行ったとき、「大原のコスモスは大きいなあ」 と感じたのだが、地元に帰ってみると、地元の花も十分に大きい。花の大きく咲く品種なのだろうか。

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2006年10月22日

神無月二十二日の歌

鬱蒼と茂りをりたる夏草を刈り終へてこそ秋は深まれ


町内会の一斉草刈りが終わった。裏の土手は夏中草が鬱そうと茂り、刈っても刈ってもまたすぐに伸びていたが、すっきりとした風情になった。

もうここまで季節が進めば、来年の春までは草はほとんど伸びない。その意味では、晩秋から早春は、手のかからない季節である。

草刈り行事が終わってからは、懇親会になって、しばらくの間、酒や焼きそばなどが振る舞われたが、それも一段落ついた。

それで収まらない向きは、まだどこかで宴会を延々と続けているらしい。時々賑やかな声が風に乗って聞こえてくる。

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2006年10月21日

神無月二十一日の歌

秋の日は不意に暮れをりマジョラムの庭居の宵の中に溶けゐて


秋の日はつるべ落としと言うけれど、まったくその通りで、外出して今日の写真を撮る暇もないうちに、帰宅したときには日がとっぷりと暮れていた。

妻が玄関先のマジョラムを剪定したらしく、宵の中に溶け込みながらも、少しすっきりとしたように見える。

一応、原則として和歌ログの写真はその日に撮影した写真を使うことに自分で決めているので、それをフラッシュを使って撮った。

暗いところでの撮影というのは、構図を決めにくいので、適当に撮って、後でフレーミングしてみた。デジカメは、こういうことが楽にできるからありがたい。

マジョラムは昔から薬草として使われてきたハーブだそうで、ちょっとスパイシーな香りがあるので、我が家では薬味的にシチューなどにパラパラッと散らしたりしている。

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2006年10月20日

神無月二十日の歌

秋の日を半月浴びし赤のまま渡る風にも色映しをり


先々週からずっと天気がいい。時々雲がかかっても、じきに秋晴れになる。

和歌ログをさかのぼってみたら、八日からずっとお天気で、今日で十三日目だ。今度雨が降るのは月曜日になるとのことなので、半月も秋晴れが続くことになる。

土手の道を歩いていると、イヌタデの赤い花が目立つ。日本中の土手や畦道でも目立っているだろう。どこでも見かける可憐で慎ましい花である。

ままごとで赤飯に見立てるので、「赤まんま」 とも言われるが、役に立たないタデなので、イヌタデの名が付いたとの謂われは、去年の秋も書いた (参照)。

今年の春には、スズランのことをアイヌ語で 「セタプクサ」 というとの話を書いた (参照)。「犬のギョウジャニンニク」 という意味で、毒がって食えないので、役立たずとの意味でこの名が付いた。

役に立たない植物には 「犬」 のなんとかという名前が付くのだろうか。植物でなくても 「犬死に」 なんてこともいうし。犬には気の毒な話である。

俳句の世界では、「赤のまま」 とか 「赤まんま」 として詠まれることが多いというのも、もっともな気がする。

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2006年10月19日

神無月十九日の歌

身の丈を合わせ居場所を得たりとは哀しやセイタカアワダチソウ


近頃、一時よりセイタカアワダチソウが目立たなくなったような気がするが、それでも、やはり土手や空き地には我が物顔で群生している。

一昨年、「かの草に罪はなけれど少しばかり憎らしセイタカアワダチソウ」 と詠んだこともあって、本当に、草自身には何の罪もないのに、イメージの悪いのが気の毒なほどだ。

おもしろいことに、セイタカアワダチソウは北米から日本に入ってきて数十年経つうちに、だんだんと背が低くなりつつあるらしい。

確かに、バブルの頃はあちこちの地上げされた空き地に二メートルを優に超えるほどの群落があって、まさに憎々しげに見えたが、最近ではそんな派手な生い茂り方は滅多に見ない。

植物も、その土地の環境に身の丈を合わせることで順応を図るのだろうか。

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2006年10月18日

神無月十八日の歌

をちこちのたわわなる実で柿の木のかくまで多きことを知りたり


今年のつくば近辺は、柿が豊作だ。周囲にこんなに柿の木があったのかと驚くほど、あちこちで赤い実が鈴なりになっている。

昨年は故郷の庄内柿が豊作で、地元のコンビニには庄内柿が山と積み上げられ、「ご自由にお持ち帰りください」 と書いてあったというほどだ。採れすぎて、値が付かなくなったらしい。

おかげで昨年は一日に五個も六個も庄内柿を押しつけられるという 「柿責め」 にあった。今年はつくばの柿責めにあうのだろうか。

実は、近所の柿の木が大変な鈴なりになって、既にかなりの量をもらってしまっているらしい。渋柿だから、ビニール袋の中で焼酎の霧吹きをして、甘くなるのを待っている段階である。

これからも、後から後から柿が押し寄せるような気がする。柿というのは不思議な果物で、買いもしないのに、季節になると向こうからやってくるのである。

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2006年10月17日

神無月十七日の歌

我が肌に触るる気温の三度下の空気の中に父母おはすらむ


朝方は曇っていたが、昼に近づくに連れてどんどん雲が取れ、またしても汗ばむほどの日和。これで日が沈むと急に冷えるから、風邪引きには油断がならない。

今日も都内に出てきている。昼食を取りに外に出ると、かなり日差しが強くなっている。

日傘を差している女性も多い。日焼けを避けたい女性は、徹底的な防備をしている。UVカット素材の長袖を着て、黒い日傘をさしている。日傘は日陰を歩くときでも広げたままだ。ご苦労なことである。

週末まではこんな天気が続き、土曜日あたりから秋らしくなるらしい。

ただ、北の方に低気圧があるようなのでインターネットで故郷の天気を調べると、晴れのち雨と出ている。最高気温は二十一度で、明日の朝は十一度になるらしい。出羽路の秋は一足早い。

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2006年10月16日

神無月十六日の歌

それぞれの目的あれど自動車は首都高速に捕らはれてゐる


朝から東京都内に出てきている。今日のように陽気がいいと、ありがたい。外を歩くと暑いぐらいだが、湿度が低いので爽やかだ。

神田近辺は、路上禁煙区域なので、舗道の植え込みの根元などに決まって見られる吸殻のゴミがない。それもまた気持ちがいい。

昭和通りの上を首都高速が走っている。午前中は月曜日とあって混雑していたが、午後からは少しは流れがスムーズになってきたようだ。ガードレール越しに、大型車の屋根がゆっくりと動くのが見え、それと知られる。

昨日、ちょっと風邪気味のような気がしていたが、朝には大分回復したような感じがしていた。しかし、午後三時過ぎから、またちょっと微熱っぽい感覚で、日陰に入るとぞくっとしたりする。早めに帰って風呂に入って寝るとしよう。

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2006年10月15日

神無月十五日の歌

秋風の渡る日暮れは過ぎし日も明日も忘れむああ茜雲


昨日と一昨日が夏を思わせるほどの暖かい日だったのに、日曜の午後は、一転して、びっくりするほど冷たい風が吹いてきた。

ちょっと所用で外出したが、夕方になる前に、車の暖房を入れた。昨日は京都の大原を半袖のポロシャツ一枚でうろうろしていたのが嘘のようである。

夕暮れの頃、空はうろこ雲が茜色に染まり、うっとりするほどの美しさだった。空があんな風になるということは、上空の空気はかなり冷えているのだろう。

それにしても寒く感じるので、帰宅してから熱を測ったら、三十六度七分と出た。私の平熱は三十六度そこそこだから、もしかしたら微熱ということなのかもしれない。早めに寝ることにする。

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2006年10月14日

神無月十四日の歌

えふ分の壱の揺らぎは天地の始めよりきて滝となりしか


京都から今戻ってきた。今日はメインの仕事を済ませて、大原を散策してきた。

本当にもう、京都って、いつ行ってもヘビーで疲れる。さくさくっと見物して、早めにおいとまして帰ってこようと思っても、ついつい、ひと所に長居してしまう。

じっくり座って、雰囲気に浸っていたくなる。ちょっと眺めて、「はい、さようなら」 というわけにはいかなくなる。

ガイドブックには四時間余りのコースと書いてあったので、三時間もあれば楽勝かと思っていたが、やっぱり、見どころを一通り廻ると、五時間はかかってしまう。これでも、意識して長居しないようにしたのだが。

それに、京都って貴人の政争の歴史も長いから、随所に妙に業の深い雰囲気も漂っていて、そんなことでもちょっと疲れたりする。

とはいえ、やっぱり京都はいい。奈良と京都と沖縄は、何度でも訪れたい。

最初の写真は、宝泉院の中からお庭を眺めたところ。抹茶をいただきながら、できれば小半時は座っていたかったけれど、実際は三十分もいたかなあ。

それと、三千院よりもっと奥まで行ったところにある 「音無しの滝」 はよかったなあ。良忍上人がこの滝のほとりで声明の練習をされたところ、声明と滝の音が和して、あたかも滝の音が消えてしまったように感じられたために、この名がついたとも言われる。

轟々とした音ではなく、f分の一のゆらぎを感じさせる心地よい音だ。試しに小さく般若心経を唱えると (声明なんて知らないから)、本当に滝の音と和して、得も言われぬいい気持になった。確かに、特別に神聖なところである。

宝泉院でいただいたお抹茶

勝林院本尊阿弥陀如来像

三千院のお庭のお地蔵さん

音無しの滝

大原野の棚田は、石垣で区切られてる

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2006年10月13日

神無月十三日の歌

若狭より鯖運びたる道を辿り京の都に秋の日は暮れぬ


仕事で京都に来ている。天気はいつものように上々。暑いぐらいの一日だった。

最初のロケーションは、京都と言っても綾部という、どちらかというと山の中の町だ。そこから舞鶴まで足を伸ばすことになり、夜遅くなってから、ようやく京都の祇園にあるホテルに入った。

最初の写真は、綾部の田園風景。次が京都タワー、そして祇園の街だ。

明日は大原あたりを散策して帰るつもりである。

そういえば、京都から綾部、舞鶴を通り、小浜まで至る道は、「鯖街道」 である。若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、ちょうど良い味になっていたため、鯖街道と呼ばれたという。

今回は、京都、大原、綾部、舞鶴と、奇しくも鯖街道に沿った地域を訪れる旅になるようだ。

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2006年10月12日

神無月十二日の歌

朝霧の彼方に首長竜の如くパワーショベルは頭垂れゐる


今朝目を覚まして窓の外を見ると、深い霧が立ち込めていた。七時を過ぎて、日がかなり高く上ったのがわかる頃になっても、なかなか晴れなかったので、朝っぱらから写真を撮ってみた。

霧の風景というのは、ファイルサイズがとても小さいので、インターネット上でもあっというまに表示されると思う。

土手の向こうにぼんやりと見える川幅拡張工事のパワーショベルが、まるで恐竜のシルエットのように見える。

朝霧の日は、大抵天気がよくなるのだが、午後になると天気予報どおり、夏の暑さになった。この陽気は何日か続くらしい。

明日から京都府の綾部に出張なのだが、相変わらずの晴れ男で、雨の心配はほとんどないようだ。仕事の終わる土曜日には、大原を散策しようと計画していて、あの辺りなら小糠雨ぐらいなら、風情だから降ってもらってもいいかななどと思っていたが、やっぱり晴れてしまうようだ。

まあ、雨降りよりはずっといいので、ありがたい。

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2006年10月11日

神無月十一日の歌

秋浅し並木の銀杏それぞれの色合いをして立ち並びをり


昨日は東京神田の銀杏の写真だったが、今日は茨城県守谷の銀杏である。さすがに、東京の銀杏よりも少しだけ黄色味が勝っているような気がする。

銀杏並木を眺めていると、同じ銀杏でも少しずつ黄葉の色合いが違う。立っている位置の日当たりの良し悪し、風の通り道にあたっているかどうかなど、ちょっとした違いが、これほどの違いを呼ぶのだろう。

昨年の和歌日記の写真を見ると、十一月二十八日辺りが、このあたりの銀杏が真っ黄色になる頃のようなので、それまでにはまだ一か月以上ある。

秋はまだまだ序の口だ。そういえば、今日はなんだか妙に暖かい。明日はもっと気温が上がって二十五度の夏日になるらしい。

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2006年10月10日

神無月十日の歌

僅かにも銀杏の黄味を帯びぬれば風に乗せたし我が言の葉も 


いい天気が続いている。朝晩はめっきり涼しくなった。

今日は朝から東京都内に出てきている。日は照っているが、あまり湿気がないのでさわやかだ。

舗道の銀杏並木が、部分的にうっすらとだが黄色味を帯び始めている。本格的な黄葉は来月になってからだろうが、だんだんと秋らしさが増している。

コーヒーショップに入って、和歌ログの更新をしているのだが、となりのおばさん二人組みが、さっきから職場の同僚の悪口で盛り上がっている。人の悪口というのは、本当に盛り上がる話題のようだ。

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2006年10月 9日

神無月九日の歌

行く水の秋には秋の高さあり釣り糸の時に白く光れば


降り続いた大雨で、水面がかなりの高さまでふくらんでいた裏の川だが、今朝はずいぶん引いている。これでいつもの景色に戻った。

川の水量というのは、季節によってちゃんとスタンダードがあるようだ。春から夏にかけては水面が高くなり、秋から冬にはどんどん低くなる。真冬になると、時々底が露出してしまうこともある。

というわけで、三連休最後の今日は、土手の内側まで降りて魚釣りをしている人がいる。こんなところで魚が釣れるのかという人もいるが、時々、大物のフナやコイが釣れたりするらしい。

うちの裏の小川も、なかなか捨てたものじゃない。それに、拡幅工事で、そのうち 「小川」 とも言えなくなるし。

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2006年10月 8日

神無月八日の歌

名月の天の低きに大きくも見ゆれば酒の燗をつけたり


十五夜は台風と秋雨前線のおかげで見られなかったが、昨夜から綺麗な月になっている。

"Today's Crack" の方の 「中秋の名月の建前と本音」 というエントリーに書いたのだが、今年の場合は、十五夜のお月様よりも、昨夜と今夜 (旧暦でいえば、八月の十六、十七日の月の方が、より満月に近いのだ。

実際の月齢と旧暦とは多少の誤差があって、旧暦の十五日の夜がきっちりと満月になるとは限らない。今年の 「中秋の名月」 (旧暦の八月十五日) の月齢は、十三・六だったが、昨夜は十四・六、今夜は十五・六となっている。

だから、昨夜と今夜の月がきれいに眺められるのだから、結果オーライといえば言えるわけなのだ。もちろん、十五・〇 というのが完全な満月だが、それは二月三日まで待たなければならない。

実は、この写真は、昨夜の月である。今夜は天気が良すぎて、写真にすると、真っ黒な中にぽつんと白い丸があるだけになってしまうので、この方が趣がある。

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2006年10月 7日

神無月七日の歌

大雨の二日続きて過ぎぬれば曙の如く鳥たちは鳴く


一昨日から降り続いた大雨も、朝になってようやく止んだ。鳥たちがようやく早朝を迎えたように、一斉に鳴き始めた。

川の水は膨れあがり、かなりの勢いで流れている。下流で小貝川に注ぐところの機場が、ポンプをフル稼働させているのだろう。このポンプが止まってしまうと、大変なことになる。

川幅の拡張工事で、反対側の土手の向こうを掘り下げる工事をしているのだが、この雨で、土手の向こうにもう一つ川ができたようになっている。 いや、水は流れていないので、川というより、長細い池か。

その中で、パワーショベルのキャタピラが半分水没している。ポンプで排水するのが大変だろう。

ただ、工事が完成したら、この川の幅は、あの水のあるところまで広がるのかと、実感を持って認識できた。ああなったら、もはや 「小川」 ではない。

我が家のすぐ裏手に、結構広い川が出現してしまうわけだ。

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2006年10月 6日

神無月六日の歌

大雨に川面は膨れ渦巻けど勤めの如く虫は鳴きゐる


夕べからかなりの土砂降りが続いていて、大雨洪水警報が発令されている。秋になってめっきり水量の少なくなった裏の川も、今日は渦を巻いて流れている。

以前、この辺りは洪水地帯で、このぐらいの雨が降ると、県道に出る途中の道路が必ず冠水していた。それだけならまだしも、自宅の前の道路まで冠水することも珍しくなかった。

だから、大雨の前には、車を県道近くまで避難させておかないと、どこにも出られなくなるのだった。

最近は遊水池ができたおかげで、めったに道路冠水はしなくなった。せっかく発令された大雨洪水警報が、なんとなく他人事のような気がするのは、ありがたいと言えば、ありがたいことである。

それでも、階段の踊り場から、どんどんふくれあがる川の流れを眺めていると、身に付いた緊張感が少しばかり戻ってきたりする。

ただ、こんなに土砂降りでも、どこかで虫の鳴く声が聞こえる。きっと縁側の下あたりの雨の当たらないところに潜んでいるのだろう。暗がりだから、ずっと夜みたいなもので、一日中鳴いている。

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2006年10月 5日

神無月五日の歌

駅舎より雨の巷に音もなくエスカレーターは沈み行くなり


朝からずっと雨降りの一日。この雨模様はしばらく続きそうだ。来週の十三日 (十三日の金曜日という、素晴らしい日なのだが)、京都の綾部に出張する。

せっかくの京都なので、一泊したら、翌日は大原辺りを歩いて帰ってこようと思っている。その頃までには、お天気が回復してくれるといいのだが。

まあ、私は有名な晴れ男なので、仕事で屋外での撮影にも付き合わなければならない十三日には、多分晴れてくれるだろうと、全然心配していない。

ただ、翌日の十四日、大原散策の日には、小糠雨程度なら趣だろうから、降ってもらってもいいような気がしている。どしゃ降りはちょっと困るけど。

雨の秋の日は、日の暮れるのが早い。とっぷり暮れた取手駅西口のぺデストリアンデッキから、エスカレーターが音もなく下る。そこだけ切り取ると、ちょっと不思議な光景だ。

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2006年10月 4日

神無月四日の歌

真直なる夏色消えし野の宵に狂ほしきまで曼珠沙華咲く


いつもの年より花が遅れ気味だった彼岸花が、秋の彼岸を過ぎて、ようやく増えてきた。

写真は、夕方の帰宅途中に、土手の斜面に密生しているのを撮ったもの。フラッシュを使わずに撮った方は、光の加減は自然でいいのだが、手ブレしていて使い物にならなかった。残念。

彼岸花が彼岸を過ぎて咲くのは、他の植物との競合を避けているのだと聞いたことがある。春から夏にかけては、植物にとって最もエネルギーを吸収しやすい季節だが、それだけに、多くの花がどっと咲こうとして、大変な競合状態になる。

彼岸花など、秋から冬にかけて咲く花というのは、こうした激しい競合の時期を避けているらしい。夏に比べたらちょっと条件は悪いけれど、他と争わなくても済むタイミングを選んでいるわけだ。

夏に咲く花の色は、黄、ピンク、白、橙など、素直な明るい色が多い。そうした色が消えてから現れる彼岸花は、それまで堪えていた鬱積を発散させるように、物狂おしいほどの赤さだ。

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2006年10月 2日

神無月三日の歌

二十ものよろづの坂を越え来たり尾花は秋の夜の雨に濡れ


本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 の二十万ヒットが先月の二十一日に達成されて、早くも十二日が経つ。

キリ番をゲットした人には、和歌を捧げることになっているのだが、今回は十二日待っても知らせがないので、もう諦めることにしたいと思う。

で、かなり遅くなってしまったが、二十万ヒット達成の記念の和歌を、今日詠むことにする。

この和歌ログというサイトは、クリエイティブ・コモンズ方式で、著作権の一部を放棄して、誰でも歌や写真を誰でも自由に使えるという宣言をしている。だから、和歌を特定の人に捧げてしまうと、その歌はこのサイトに収めることができなくなってしまう。

今回は、誰にも捧げないので、ある意味安心してこちらにアップすることができる。

(今日はココログのメンテが 2時~15時 で予定されているので、和歌ログとしては異例の早めの更新)

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神無月二日の歌

半年を堰の底にて過ごしたる地に背の低き草は生ひつつ


朝から冷たい小雨模様。天気予報では、夕方頃になって一日の最高気温になると言っていたが、なるほど、日暮れ近くになって、少し蒸してきた気がする。

小貝川の岡堰は、春から夏の間は満々と水を蓄えていたが、稲刈りがほぼ終わると、放流して急に川幅が狭まり、水面も低くなった。

夏の間は水面下だった部分が現れると、あっという間に背丈の低い草が生え、緑色に覆われてしまった。

しかし、秋は深まる一方なので、草もこれ以上に生い茂ることはない。来年の田植えの頃になれば、また水面下に没する。これを何十年と繰り返している。

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2006年10月 1日

神無月一日の歌

言挙げをせぬ白さなり道端の蕎麦の畑に花は咲き満つ


今日から 十月。中学、高校の頃は、この日を境に冬の制服に着替える衣替えの日だった。

とはいえ、十月一日を境に急に秋が深まるというわけでもなく、長引く残暑の年などは、暑くてたまらなくなるのだった。

今時はあまり見られないが、当時は詰め襟の学生服などという、体に悪いデザインの服を押しつけられていたので、なかなか難儀したものである。

茨城は蕎麦の産地である。郊外に出ると、あちこちに蕎麦畑が広がっていて、今まさに、蕎麦の白い花の花盛りだ。

蕎麦の花というのは、不思議な趣である。ふと気付くと、白く可憐な花が広がっていて、息をのむほどの美しさだが、漫然と通り過ぎると、そこに蕎麦畑があることすら気付かない。強い自己主張をしない、奥ゆかしい花である。

私も、もう少しで蕎麦畑の広がることに気付かずに通り過ぎるところだったが、道ばたに車を止めて、デジカメを構えると、目の前の花に蜂がとまっている。この蜂たちのおかげで、我々は新蕎麦が食える。ありがたいことである。

一面の蕎麦畑の写真と、もうちょっとのウンチクは、こちら

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