神無月十九日の歌
身の丈を合わせ居場所を得たりとは哀しやセイタカアワダチソウ
近頃、一時よりセイタカアワダチソウが目立たなくなったような気がするが、それでも、やはり土手や空き地には我が物顔で群生している。
一昨年、「かの草に罪はなけれど少しばかり憎らしセイタカアワダチソウ」 と詠んだこともあって、本当に、草自身には何の罪もないのに、イメージの悪いのが気の毒なほどだ。
おもしろいことに、セイタカアワダチソウは北米から日本に入ってきて数十年経つうちに、だんだんと背が低くなりつつあるらしい。
確かに、バブルの頃はあちこちの地上げされた空き地に二メートルを優に超えるほどの群落があって、まさに憎々しげに見えたが、最近ではそんな派手な生い茂り方は滅多に見ない。
植物も、その土地の環境に身の丈を合わせることで順応を図るのだろうか。
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