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2006年10月14日

神無月十四日の歌

えふ分の壱の揺らぎは天地の始めよりきて滝となりしか


京都から今戻ってきた。今日はメインの仕事を済ませて、大原を散策してきた。

本当にもう、京都って、いつ行ってもヘビーで疲れる。さくさくっと見物して、早めにおいとまして帰ってこようと思っても、ついつい、ひと所に長居してしまう。

じっくり座って、雰囲気に浸っていたくなる。ちょっと眺めて、「はい、さようなら」 というわけにはいかなくなる。

ガイドブックには四時間余りのコースと書いてあったので、三時間もあれば楽勝かと思っていたが、やっぱり、見どころを一通り廻ると、五時間はかかってしまう。これでも、意識して長居しないようにしたのだが。

それに、京都って貴人の政争の歴史も長いから、随所に妙に業の深い雰囲気も漂っていて、そんなことでもちょっと疲れたりする。

とはいえ、やっぱり京都はいい。奈良と京都と沖縄は、何度でも訪れたい。

最初の写真は、宝泉院の中からお庭を眺めたところ。抹茶をいただきながら、できれば小半時は座っていたかったけれど、実際は三十分もいたかなあ。

それと、三千院よりもっと奥まで行ったところにある 「音無しの滝」 はよかったなあ。良忍上人がこの滝のほとりで声明の練習をされたところ、声明と滝の音が和して、あたかも滝の音が消えてしまったように感じられたために、この名がついたとも言われる。

轟々とした音ではなく、f分の一のゆらぎを感じさせる心地よい音だ。試しに小さく般若心経を唱えると (声明なんて知らないから)、本当に滝の音と和して、得も言われぬいい気持になった。確かに、特別に神聖なところである。

宝泉院でいただいたお抹茶

勝林院本尊阿弥陀如来像

三千院のお庭のお地蔵さん

音無しの滝

大原野の棚田は、石垣で区切られてる

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