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2006年11月30日

霜月三十日の歌

百年の木の黒壁に映りたる欅並木の影ぞゆかしき


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今日の山形県庄内地方の天気予報は、曇りのち雨だったのに、何かの間違いみたいに、天気がいい。

朝から、周囲の山には分厚い雲がかかっているが、頭の上は青空だ。いくらなんでも、昼過ぎには曇るか降るかするかと思っていたが、夕暮れが近くなってもまだ青空がのぞく。

写真は、午後二時半頃の山居倉庫。いい角度で日が射しているので、ケヤキ並木の影がくっきりと刻まれている。

いくら私が晴れ男だからといっても、ちょっとできすぎだ。明日は曇り時々雨か雪という予報だから、帰り道の峠越えは、少しは雪になるだろうと思っている。

せっかくスタッドレスタイヤに替えて来たのだから、少しぐらい降ってもらわないと、面白くないと言ったら、父が、「何を馬鹿なことを、雪は降らないに越したことがない」 と言っていた。

雪国に暮らす人間の実感である。なにしろ、去年から今年にかけての冬シーズンが何十年ぶりかの豪雪だったから、確かに、今年はできるだけ雪が降らないでもらいたいだろう。

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2006年11月29日

霜月二十九日の歌

岩肌に吹き付くる風みちのくを行く我が身にも吹くぞ嬉しき


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朝につくばを発ち、仙台の妻の実家に立ち寄ってから、酒田に帰ってきた。

天気は今日のところはもってくれて、東北の背骨の奥羽山脈を越えるまでは、青空ものぞいていた。さすがに、山形側に入ってからは空がどんよりとなり、小雨もぱらついたが、大きく崩れずにすんだ。

ただ、日が傾きかけてからは、車を下りるとぞくぞくするほど寒い。さすがに東北である。

明日からは寒気が入ってきて、天気図もいかにも冬型という様相を呈してくるようだ。平地は雨でも、山は確実に雪になるだろう。

写真は、仙台から作並温泉を経由して山形に向う作並街道からみた岩山。ロッククライミングの好きな人なら、攀じ登りたくなるだろう。

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2006年11月28日

霜月二十八日の歌

この雨は出羽路の風に晒されて白雪となり峠を染むらむ


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今朝の首都圏は、京王線、JR 京浜東北線、常磐線のトラブルで、かなり交通機関が混乱した。私も、普段は一時間半で着ける神田の出先まで、二時間半かかって、ようやく到着した。

着いてみれば、都心も小糠雨が降ったり止んだりという、はっきりしない天気である。明日は天気が持ち直すようだが、私は、明日の朝から車で帰郷する。

東北の日本海側は、雨になるようで、昨日も書いたことだが、峠越えは雪を覚悟しなければならないだろう。

うまく行けば、いや、うまく行けばというのは、おかしいが、もしかしたら、一足早い雪景色の写真をお届けできるかもしれない。

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2006年11月27日

霜月二十七日の歌

坂東の空に出羽路の冬の影垣間見るごと雨はそぼ降る


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郊外を車で走ると、いつの間にか冬らしい荒涼とした風景が増えているのに気付いた。とくに今日のような小雨模様だと、故郷の庄内の冬の空を思わせる。

冷たい雨は一日降り続いて、季節はまた一段進んだような気がする。

明後日から車で酒田に行くのだが、天気予報をみると、曇り時々雨か雪ということになっている。峠越えは、まず雪になるだろう。いくら私が晴れ男でも、今の季節の東北日本海側は、毎日そんなような天気になるお約束だから、仕方がない。

スタッドレスタイヤに付け替えておいてよかった。

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2006年11月26日

霜月二十六日の歌

もみぢ葉を暗きまで染む紅のうちにぞ冬の影はさし来る


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今月の二十一日から旧暦の十月に入ったので、カテゴリーを便宜上「冬の歌」 としているが、晩秋と初冬というのは、なかなか実感的な区別がしにくい。

実際には晩秋の中に初冬があり、初冬の中に晩秋が引きずられている。

俳句の歳時記では、季語によって 「えいやっ」 とばかりに季節が分けられているが、あれはなかなか名案かもしれない。あのぐらいの割り切り方をしないと、季節なんて捉えきれない。

今日はつくば学園都市のど真ん中、つくば美術館に行ってきた。周辺は、二十年以上も前のつくば万博の時に造られたエキスポセンターなどの施設があり、公園も綺麗に整備されている。

風の冷たさは充分に関東の冬なのだが、公園の紅葉は今が盛りである。まさに晩秋と初冬がオーバーラップしている。

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2006年11月25日

霜月二十五日の歌

地にありて冷たき風を受けてこそ見る三日月はかく清かなれ


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土曜日だが、仕事。朝から出かけて、日がとっぷりと暮れてから帰ってきた。

今日は旧暦では十月の五日だが、月齢は四・二。見た目はほとんど三日月である。冷たく乾いた風が吹き渡っていたので、皓々と見える。

だが、この風に晒されているのは、我ら人間の方であって、月ではないと、ふと気付いた。お月様の世界は大気がないから、風は吹かない。

皓々としているのは、こっちの側だ。冷たい風に吹かれればこそである。

クリスマスまで、あと一ヶ月。それを過ぎれば、あっという間に大晦日、正月である。

同じ暦を五十回以上も繰り返すと、もうほとんどルーティンワークと化してしまって、特別の感慨が湧いてくるのに手間がかかる。だが、年賀状と大掃除の準備をする気になっていかないと、また年末ギリギリになってあわてることになる。

いやいや、まずその前に、来月は年末進行の原稿をいくつか仕上げねばならぬ。実感が湧かないなんて、呑気なことを言っているわけにはいかないのだった。

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2006年11月24日

霜月二十四日の歌

雪用のタイヤを付けて冬晴れの筑波の風の中を走りぬ


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今日は天気はよかったが気温はほとんど上がらず、寒い一日だった。裏の土手を散歩すると、風が頬に冷たい。

今月末に酒田に車で行くので、用心のためにスタッドレスタイヤに交換した。

筑波に住んでいる限りは、雪が降るのは一冬に二度か三度ぐらいのものだが、定期的に東北に行くとなると、やはりその度にチェーンを巻くよりも、スタッドレスタイヤにしている方が楽だ。

昨年の十一月中旬に帰郷したときは、往復の峠越えでシャーベット状の雪に、かなり緊張した。昨年の冬は特別に雪が多かったので、今年はそれほど心配する必要もないかもしれないが、それでもやはり、用心に越したことはない。

何しろ、帰ってくるのは十二月に足を踏み入れてからになるのだ。もしこの冬が気象庁の予想通りに暖冬だったら、一月の帰郷も車で行こうと思う。

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2006年11月23日

霜月二十三日の歌

日光の山の頂白くしてその彼方なる出羽をこそ思へ


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祝日だが、仕事。宇都宮に来ている。

来る途中のカーラジオで、盛んに 「今日は昔で言えば新嘗祭」 というようなことを言っていた。ちょっと前なら、そのようなことをことさらに放送で言うと、「保守反動」 なんてことで非難されかねなかったが、最近は、自由になったものだ。

宇都宮には、我が家から国道二九四号線を辿って、思いのほか早く着いたので、ゆっくりと昼食を取っている。

以前、よくこの国道を使っていた頃は、くねくねした細い道だったが、最近はバイパスが整備されて、快適に走れた。金曜に有給休暇を取れば四連休というタイミングの初日なので、渋滞するかと思っていたが、そんなこともなかった。

もしかしたら、天気が下り坂というアナウンス効果があったのだろうか。晴れ男の私が出張するのだから、少なくとも今日のところは、天気が悪いわけがないのに。

東京など、南関東ではどんよりと曇っているらしいが、北関東は薄曇程度で、青空もずいぶんのぞいている。雪を頂いた日光連山が、間近に大きく見える。

その彼方では、季節はもう冬だ。

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2006年11月22日

霜月二十二日の歌

二十五年見慣れし川の有様の変はり行くなりただ半年で


 

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今日、久しぶりで裏の川の土手を散歩して驚いた。

川幅の拡張工事は、遅々として進んでいないと思っていたのだが、百メートルほど下流では、既に向こう側に新しい土手ができていて、古い土手は崩されつつある。

古い土手が、写真の左四分の一あたりを境に、削られて低くなっているのがわかるだろうか。

今はまるで河川敷のようになっているが、もっと掘り進められて、向こう側に新しくできた土手まで、川が広がるのだろう。

少しずつ区切って工事を進めているものらしい。来年の春、田植えが始まる頃までには、我が家の裏手まで、この工事が進んでくるのだろう。そうなると、我が家の階段の踊り場から見える景色が、一変してしまう。

ここに引っ越してきて、二十五年。時代は変わる。人も変われば、川の流れも、こんなに簡単に変わってしまう。

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2006年11月21日

霜月二十一日の歌

愛犬に近き視線で散歩して小春日和を待つ霧の朝


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朝の天気予報では、今日も晴れのいい天気だそうだ。「昨日と違って、小春日和になるでしょう」 と言っていた。

日本での 「小春日和」 は、天気予報での正式な言い方ではないようだが、英語の "Indian summer" は、アメリカの天気予報では普通に出てきたりするのがおもしろい。

朝のテレビのニュースショーなどでは、キャスターが広大なアメリカの地図を示しながら、とても大雑把な天気予報をしている。一番大雑把なのでは、"Midwest, Indian summer" と言うのを聞いたことがある。「中西部、小春日和」 という感じだ。

あの広大なアメリカの中西部が、すべて小春日和というのは、ある意味では壮観だろう。

「小春日和」  も "Indian summer"も、ほとんど同じような意味で、晩秋から初冬にかけての穏やかな日差しの日をいう。もっとも、英語の方は、晩年の穏やかな暮らしのことも、そう表現するらしい。

「小春日和」 を早春の穏やかな日差しのことと思い違いしている人も、根強くいるのだが、もともと 「小春」 というのは、十月 (神無月) の異名である。昔の言い方だから、それは当然にも、旧暦十月のことで、冬の季語だ。

ということは、旧暦の十月は、今日始まったばかりだから (旧暦では今日が十月一日) 、今日は文字通りの小春日和である。で、今日をもって、カテゴリーを 「冬の歌」 とさせていただこうと思う。(昨日よりもずっと冬らしくないけど)

今朝は、我が家の回りでは濃い霧が発生していた。裏の土手で犬の散歩をさせている人も、遠くの景色ではなく、もっぱら足元だけを見つめて歩いている。愛犬の視線に近づいているともいえる。

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2006年11月20日

霜月二十日の歌

晩秋となれど自ら黄衣を纏ふ能はず都心の銀杏


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昨日と一昨日は、かなり寒く、季節が一気に深まったような気がした。こんなに寒くなったのだから、神田のイチョウ並木も、黄葉が進んだかと思っていたが、来てみると、まだちらほらと黄味がさしている程度だ。

都心というのは、よほど暖かいのか、あるいは昼夜の寒暖の差が小さいのか、まあ、その両方なのだろうけれど、どうも調子が狂う。

それに、よくみると、黄葉しているというより、なんだかクシャクシャッと縮れたように、腐ってしまったような染まり方だ。こんなのでは、もっと季節が進んでも、きれいな色にはならないような気がする。

本来ならば、さっさと黄色に染まって落葉してしまいたいところを、無理やり暖められて延命治療され、死ぬに死ねない重病患者みたいなものではないか。

何だか、イチョウが気の毒に思えてきた。

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2006年11月19日

霜月十九日の歌

ウィンドウを氷雨の滴流れ落つ過ぎ去る街の灯にも染まらず


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今日の写真は、まったく無精をきめこんだもの。日が暮れたスーパーの駐車場で、車のウィンドウの内側から撮っただけだ。

無数の白いスポットは、ウィンドウについた雨粒。それがなんだか、不思議なもののように見える。左上の部分だけをトリミングして拡大したら、雪の降っている景色に見えるかも知れない。

今日は寒い一日だった。昨日から水戸の近くに泊まり込んで缶詰状態だったが、同じ茨城県内でも、那珂川を渡ると、気温が違う。

この雨は明日になっても続くらしい。二十三日は祝日なのに、宇都宮に出張になる。その頃は再び下り坂になるが、雨が降るまでには至らないようだ。ありがたい。

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2006年11月18日

霜月十八日の歌

椋鳥の手に余りたる柿の実の赤きままにて秋深まりぬ


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今朝はかなり冷え込んで、もう冬が近いことをうかがわせる。それでも、土手の道に沿って、あちこちの柿の木はまだ赤い実で賑やかだ。

晴れ渡った空を、ムクドリの群れが飛び回っている。あれだけの数のムクドリが寄ってたかってつついても、まだ食いきれないほどの豊作のようだ。

柿の木の下に行ってみると、実のいくつかは鳥に食われているのがわかる。まだつつかれていない実も、冬の間に少しずつ食われていくのだろう。

ムクドリのための保存食みたいなものか。

夜から天気が崩れて、明日は雨が降るという。

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2006年11月17日

霜月十七日の歌

サイレンと煙のみにて知る火事を思ひやる術なく思ひをり


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文学作品で、必読の名作といわれるものを全て読んでいる人なんて、珍しいのと同じで、必見の名画といわれる映画をすべて見ている人も、そうはいない。

昨日、神田駅で古い名画の DVD をずらりと揃えて、500円で安売りしている屋台があったので、ちょっとのぞいてみると、なぜかこの年まで見逃していた 「レベッカ」 と 「ローマの休日」 が見つかった。

両方とも白黒映画時代の名作である。2本で 1,000円ならレンタルよりもお得感があるので、思わず衝動買いしてしまった。今朝、早起きして、まず 「レベッカ」 を見た。さすがにヒッチコックである。引きこまれるように見終えてしまった。

この映画、一応サスペンスなので、これから見る人のために筋は書かないが、最後に火事の場面で終わる。

この映画の感激冷めやらぬうちに、何台もの消防車のサイレンの音が響き渡った。我が家の階段の踊り場から音のする方向をみると、煙の上がっているのが見える。

写真でいうと、左端の辺りから上った煙が、風で右方向に流れされているのがわかるだろうか。かなり風もあるようだ。建物の火事なのか、あるいは山林火災なのかわからないが、このところのカラカラ天気なので、燃え広がってしまったのだろう。

情報がないので、思いやる術もないが、同じ市内のこととて、まったく無関係と思うのもはばかれる。

平凡な結論だが、くれぐれも、火の元にはご用心を。

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2006年11月16日

霜月十六日の歌

クリスマス待つ飾り付けなき街はただ日暮れのみ日ごと早まる


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3日連続で神田に出てきている。

昨日は、一日晴れになるはずが、昼過ぎに曇ったことでもちょっと意外だったが、帰りに取手駅に着くと、大粒の雨が降っていたので、驚いた。

その雨が夜中にはかなり激しくなった。天気予報がこんなにも大ハズレするのも久し振りだ。

今日は何事もなかったように、すっきりとした晴天。木枯らしも吹かず、穏やかな陽気のうちに日が暮れた。

繁華街に行けば、そろそろクリスマスの飾り付けが始まったが、純粋ビジネス街、しかも、中小企業の街である神田は、そんな気配もない。

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2006年11月15日

霜月十五日の歌

大空に偽りはなし見る者の網膜にさす黒雲の影


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今日は、まるで三流の道歌みたいになってしまった。

朝出かけるときは、雲ひとつない快晴で、都内に着いてからもしばらくは、真っ青な空だった。天気予報でも、今日は一日晴れと言っていた。

ところが、昼前に空を見ると、いつの間にか雲が広がってしまっている。一瞬何かの錯覚かと思ってしまったほどだ。

まるで禅問答みたいになるが、黒雲は、見る者の方にあるのかもしれない。大空はあくまで澄み切っているのに。

卑近な例だが、心に迷いがあると、仕事もうまく行かなかったりするし。

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2006年11月14日

霜月十四日の歌

二日前木枯らし一号受けたるも色移ろわぬ神田の銀杏


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都心に出てくるのは五日振りである。木枯らし一号はとっくに吹いたはずだが、神田のイチョウ並木は、少しだけ黄緑に近づいたとはいえ、まだ黄葉には程遠い。

昨日につくば周辺のイチョウ並木が、ほとんど黄色になっていた (参照) のと比べると、都心というのはよくよく温暖化しているのだとわかる。

季節の変わり目に、休日もなくあちこち動きすぎたためか、ちょっと風邪気味なのではないかと思っているのだが、たいしたこともなく、今日も相変わらず、あちこちバタバタしている。

今夜を境に、北風が吹き始めて、明日は寒い一日になるという。

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2006年11月13日

霜月十三日の歌

色付きし銀杏並木は静かなる疾走を見す散り果てるまで


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昨日と同じような上天気の空だったが、木枯らしは止んで、小春日和。

このところ休日も祝日もなく、ずっと忙しい日が続いていたので、ちょっと疲れ気味で、なんとなく風邪を引きかけているような気もする。

それで、ぽっかりと何の予定もなくあいた今日は、外出はちょっと買い物にでかける程度にして、あとはずっと自宅で過ごしていた。

近所のイチョウ並木は、ようやく黄色に色づいてきた。ふと気になって、和歌ログの過去の画像を探したら、一昨年の十一月十四日に、同じ道を撮ったものが見つかった。

それをみると、木によって黄色だったり緑だったりしている (参照)。とすると、今年は一昨年よりは秋になるのが早いのか。それとも、同じ道でもちょっと別のポイントで撮影したのだろうか。確かに、今年もそれほど黄葉の進んでいないポイントもまだある。

よくわからないが、今、季節がどんどん移り変わっている真っ最中だということは確実のようだ。落葉が終わり、冬としての季節が安定するまで、秋は静かに疾走する。

季節の変わり目ということもあって、これ以上動いたら、過労になってしまいそうだと、体がサインを発している。なにしろ、眠い。昼過ぎから夕方五時過ぎまで昼寝をしたら、少しは人間らしい気持ちがしてきた。

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2006年11月12日

霜月十二日の歌

熱き頬に心地よきかな坂東の木枯らし一号今日吹きにけり


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昨日の天気予報通り、東京で木枯らし一号が吹いたようだ。昨年と同じ日だそうである。

東京で吹いたということは、もちろん筑波周辺でも吹いたのだろう。それほど凍えるほどの冷たさではないが、確かにひんやりする強風が吹いた。

関東の秋の木枯らし一号とは、毎年この程度のことになる。いくら薄の穂が風になびいても、東北の骨身に応えるような風とはえらい違いだ。

昨年の今頃、盛岡に出張した。盛岡駅で新幹線から降りると、まず感じたのが、「うわ、顔が冷たい!」 ということだった。風の体感温度がまるで違う。

明日はまた小春日和だそうだ。十一月も下旬にならないと、関東では冬に近づいているような実感がない。

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2006年11月11日

霜月十一日の歌

秋の夜の高速道を流れゐる霧は冷たき緑色なり


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水戸方面の仕事から、夜になって帰ってきた。

今日は朝から雨。八時頃から雷が鳴り始めて、家を出るときは、パソコンの電源と電話、ADSL回線を全て抜いて出た。

今年の七月に落雷でパソコン関連が全滅したので、あの悪夢だけは避けたいと思ったのだが、さすがに夏とは違い、大したことにはならなかったようだ。

帰りの高速道路。友部パーキングは、薄い霧に包まれていた。高速道路の照明に照らされると、霧は緑色に見えるものらしい。

明日は晴れるが、木枯らし一号が吹くという。

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2006年11月10日

霜月十日の歌

古の人の尾花と呼びゐしは如何なる鳥の尾と見たるらむ


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今日も上天気。土手の道を散歩すると、薄の穂が秋の日に光っている。

薄の花のことを尾花という。なるほど、何かの動物の尾のように見えないこともない。あるいは、鳥の尾かもしれない。

十一月というのは、時の経つのが早く感じられる月である。日に日に秋が深まり、あっというまに師走に突入する。

あれよあれよという間に年の瀬になり、クリスマスになり、大晦日になり、新年になる。その前にやっておかなければならないことが多すぎる。

やらねばならぬことが多すぎると、時間は本当に短い。

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2006年11月 9日

霜月九日の歌

南天の赤き実見れば故郷の冬の面影蘇るなり


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今日も上天気だ。取手駅に向う道に南天の赤い実がなっている。

鳥は南天の実が大好きなようだ。この鮮やかな赤い色が鳥を呼ぶのだろう。鳥が全部食べてしまわない限り、冬になっても赤い実はいつまでも目を楽しませてくれる。

私の実家にも南天の木があって、毎年赤い実を結んでいたが、昨年の冬に引っ越してしまったので、木は残してきてしまった。

その代わり、枝を持ってきて挿し木にして育てている。まだ背は低いが、すくすくと育っているはずだ。

南天というのは古来不浄を浄めると信じられていて、そのため、トイレに面したところに植えられたりしてきたという。そういえば、実家の南天もトイレの窓の外にあった。

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2006年11月 8日

霜月八日の歌

様々の色の光の幻の境何処や港ヨコハマ


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仕事で半日横浜にいて、夜になって帰ってきた。仕事で遠出すると、大抵は上天気なのだが、今日はとびきりの快晴。外を歩くと汗をかくぐらいだった。

横浜に行ったのは、何年ぶりだろう。新子安とか、横浜の街はずれ (?) には何度か行ったが、横浜駅の周辺からランドマークタワーのある桜木町駅辺りは、この十二~三年、歩いたことがなかったと思う。

昭和六十年ぐらいまでは、仕事の関係で年に数回横浜に行っていた。当時はちょっと大きな地方都市の中に、昔の栄光のこ洒落た建物がちょこちょこある程度のものだったが、今は都会と呼ぶに充分なイメージになっている。

それでも、昔の方が横浜らしい雰囲気があったような気がするが、どうだろう。大都会というのは、どこに行ってもドメスティックで似たようなものになってしまう。

もしかしたら、ベイブリッジと大観覧車の風景が、つい最近まで通っていたお台場の景色と似ているからかもしれないが。

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2006年11月 7日

霜月七日の歌

秋雨も野分も時期を過ぎてなほ銀杏の色は変はらざるなり


 

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朝、家を出るときはどんよりと曇っていた。写真は、取手駅近くの道から、雲に霞んだ太陽を見上げたものである。

東京都内に出てきているが、昼過ぎから快晴になっている。気温も上がっていて、ジャケットを着ていては暑いぐらいだ。これでは、紅葉もなかなか見ごろになるまい。

明日は仕事で横浜に行くことになっているが、天気予報を見ると、やはり晴れマークがついている。同じ晴れるのなら、もっと遠くまで行きたいところだったが、まあ、贅沢は言うまい。

二十三日の勤労感謝の日は、宇都宮まで行くことになった。これもまあ、近場である。車で行くことになるだろう。

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2006年11月 6日

霜月六日の歌

あめりかの田舎の歌の流れゐて手づかみで食ふフライド・チキン


 

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この三日間妙に忙しくて、連続してまったく風情のない写真で申し訳ない。今日はよりによって、ケンタッキー・フライド・チキンである。

私は半年に一度ぐらい (正確には、七~八ヶ月に一度かな)、猛烈にケンタッキー・フライド・チキンが食べたくなることがあり、今日がたまたまその日のようなのである。

所用でつくば市に出かけた帰り、昼時を過ぎたあたりで、国道沿いにケンタッキー・フライド・チキンの看板が目に入った。すると、矢も楯もたまらず、食べたくなってしまったのである。

食べたのは、最もベーシックなフライド・チキンを三ピースに、フレンチフライをつけ、ホットコーヒーをセットにしたもの。八百十円だったかな。

私はマックでは五百円使うことすら抵抗がある (ということは、決して使わない) が、ケンタッキー・フライド・チキンの八百十円なら、安いものだと思ってしまう。それほどのファンなのである。

その証拠に、私のパソコンには、「kfc」 と入力すればちゃんと 「ケンタッキー・フライド・チキン」 と変換される単語登録がされている。

で、そんなにファンなのに、なぜか一度食べれば、半年以上は食べる気がしないのだ。そして、ある日突然、禁断症状が現れたかのように食べたくなる。不思議なファーストフードである。

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2006年11月 5日

霜月五日の歌

「N」 のキーの塗装薄れしパソコンは旅をともにし四年を経たり


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三連休は、ずっと仕事だった。連休最後の今日は最も手間がかかって、ようやく仕事を終えて、水戸方面から車で帰る途中、国道沿いのレストランに寄って遅い夕食を食べている。

そんなわけで、今日は風情のある写真は一枚も撮れなかった。ノートPCを開いて、さてどうしたものかと思っていると、キーボードの 「N」 のキーだけが表面のシルバーの塗装がはげかけているのに気付いた。

このノートPCも、使い始めて四年近くになる。自宅ではデルのデスクトップを使っているが、外出するときは、ほとんどこれを使っている。たった二五六メガバイトのメモリーで、なかなかよくやってくれている。これからもよろしくと、声をかけてやりたくなる。

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2006年11月 4日

霜月四日の歌

国道を行き交う車眺めつつ客の八割ハンバーグ食ふ


 

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今、所用で水戸方面に向っていて、国道六号線沿いのファミレスで食事がてら、今日の更新をしている。

ファミレスでの昼食というと、私の場合、大抵日替わりランチということになってしまう。

他のメニューを見ても、オイルたっぷりのステーキとか、カツとか、ハンバーグとか、そうでなければ、いかにもどうでもよさそうなスパゲティやカレーばかりなので、つい、考えなくてもいい日替わりランチになってしまう。

ファミレスの日替わりランチというのは、基本的にハンバーグ、チキンカツ、白身魚のフライの組み合わせである。今日のランチは、そのうちの、ハンバーグと白身魚フライだった。

私はハンバーグというものを年に二~三度度食べることがあるが、それはすべてファミレスの日替わりランチとしてである。自分で選んで食べようという気には、全然ならないし、我が家の料理にも絶対に出てこない。

私も妻も、ハンバーグという料理にとくに恨みがあるわけではないが、ある種 「忌まわしいメニュー」 と思っている節がある。

あ、それから、時間がなくて他の選択肢は困難な場合のマックというのがあった。だが、それにしても、年に一度か二度ぐらいのものだ。私は、日本人としてハンバーグというものを食べない上位十パーセントの層に入ると思う。

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2006年11月 3日

霜月三日の歌

この年もをちこちの旅重ぬれば貴船菊咲く頃とはなりぬ


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文化の日、昔の明治節。晴れの特異日としてよく知られていて、今年も上天気だ。

土手を散歩すると、白い花が咲いている。この花は、昨年も和歌にした。その時、図鑑で調べて名前もわかっている。貴船菊 (キブネギク) というのだ。

昨年は十二月一日に詠んでいる (参照) ので、この可憐な花は長い間咲き続けてくれるようだ。なかなか嬉しいことである。

京都の貴船地方に多く見られることから、この名が付いたという。貴船は去年の夏に行った。貴船から鞍馬山を抜けて大汗をかき、鞍馬温泉でその汗を流して帰ったのを思い出す。(参照

仕事の関係で、あちこちを旅する機会が多いが、先日の大原といい、近頃、京都に行ったついでに、ちょっと半日ぐらい都合して周囲を散策できるのがうれしい。

ただ、今月は来週、近場の横浜に行く予定があるのみだ。そして月末には、スタッドレスタイヤを付けて、酒田に行くことになる。

さて、いよいよ今年の大詰めの来月は、どこに行くことになるだろうか。冬の北海道などというのもいいと思うのだが。

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2006年11月 2日

霜月二日の歌

路地裏に都市は長らく眠りゐて密かなる息途切れざるなり


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昨日の天気予報が、なかなか興味深かった。

週間天気予報では、十一月に入ったら連休にかけてずっと晴天が続くと言っていたが、十一月一日になって、二日の関東は、雨模様になると、変更になった。

しかし、より新しい情報によると、雨になるのは、神奈川、千葉の南部などに限られるようで、東京はぎりぎりで、雨雲がかからないかもしれないというのである。

なかなか微妙な予報だったので、実際はどうなるか楽しみにしていたのだが、どうやら、「東京はぎりぎりで、雨雲がかからない」 という微妙な情報が当たっているようだ。

明日は文化の日。昔で言う明治節だ。明治天皇の御威徳なのか、晴れの特異日として有名である。ここ三十年間では、七割以上晴れになっているという。今年も晴れるという予報だ。

今日はギリギリの曇り空の下、昼下がりの神田をうろついたら、二十一世紀の千代田区内とも思われない光景を発見したので、デジカメに収めて置いた。

こりゃ、どう見ても昭和四十~五十年代の印象だなあ。

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2006年11月 1日

霜月一日の歌

朝 (あした) にはこりりとかたく噛みし柿を昼には易くさくりとぞ食む


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今日から十一月だ。今年が終わるまで、あとたったの二ヶ月。何となく、心が急かされてしまう。

先月の十八日にも書いたが、今年のつくば周辺は柿が豊作だ。あちこちの柿の木に赤い柿のみがたわわに実っている。

自分の庭の柿の木に成った大量の実が食べきれるわけもなく、あちこちにお裾分けの大攻勢だ。我が家も、ご近所からいただいて、連日二個も三個も食べさせられる。

今日も朝食のデザートのように柿が一つ添えられていたのを食べ、昼食にもまた一つ出てきた。面白いことに、朝に食べた柿はまだ堅くてこりこりとした歯触りだったのに、昼に出たのは、もう少し柔らかくしっとりとしていた。

同じ家から同じ日にもらった柿だから、たった四時間ほどで、熟し加減が進んだもののようだ。

柿というのは、こんな風にどんどん熟してしまうから、食べ頃が本当に短い。放っておいたら、あっという間にゼリー状になってしまう。そんなわけで、連日柿責めが続く。

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