平成十八年大晦日の歌
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青空に半月見えて故郷は風雪注意報のもとにあるなり
天気が良すぎて、昼にはもう空の高いところに半月の出ているのがみえた。
今日の写真 (右) の左上にぽつんと見える白いシミのようなのが、その半月である。念のため、下にそれを拡大しておこう。拡大してもわかりにくいかも知れないが、紛れもなく半月である。
それにしても、きれいな青空である。風が強いからこそ、こんなにもきれいに晴れ渡り、そして昼から月が見えたりもするのだが、その分、田舎は吹雪になる。
今日のラジオ・ニュースで、まさに我が故郷、酒田でかなりの強風になっていると告げていた。風速何メートルだかは聞き漏らしたが、昨年の今頃、特急いなほが風に煽られて脱線転覆しているのが記憶に新しいので、引き合いに出されたのだろう。
明日は大晦日。NHK FM の 「みんなのうた」 の特集を聞きながら大掃除の仕上げをし、夜に K-1 を見終えて一息ついているうちに、年は明けてしまうだろう。
やれやれ、最近、本当に時の経つのが早く感じられる。
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年の瀬の川面の波は駆け抜ける瞬きの間の風の速さで
冬らしくなった。真上の空は晴れ渡っていても、北西側の景色は分厚い雲に覆われている。
酒田市内はまだ雪は積もっていないようだが、朝日 Cam の画像を見ると、月山越えにかかる道の両側の屋根は、うっすらと雪を乗せている。
特急いなほが脱線転覆した去年の今頃に比べれば、まだまだ生やさしいが、さすがに、冬の風は冷たい。裏の川面には風による波の影が刻まれていて、時々突風が吹くと、水面に沿って一段と深い影がさっと走る。
さて、大掃除も佳境に入ってきた。大晦日から先は、何もしないでのんびりとしていたいのだが、間に合うだろうか。
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大君は晴れ男にておはします出羽路にまでも光射しゐて
快晴。今年に限らず、天皇誕生日は天気がいい。
関東の冬だから、珍しいことではないとはいえ、昨日までがどんよりしていたのだから、やはり目立って天気がいいという印象だ。
この和歌ログで写真を必ず添えるようになってからのログがその証拠写真になっていて、昨年の天皇誕生日、一昨年の天皇誕生日 に引き続き、少なくとも、これで三年連続の上天気というわけだ。
ただ、関東で快晴ということは、私の故郷では雪ということだ。事実、天気予報をみると、「雪、ときどき止む」 と表示されている。日本の中央の山並みの向こう側で、しっかりと雪を引き受けてくれているから、こうして晴れるのだな。
「縁の下の力持ち」 ならぬ 「山の向こうの力持ち」 ということか。
ただ、庄内Cam のリアルタイム映像を見ても、雪は積もっておらず、何となく明るいイメージだ。山の向こうの力持ちにとっても、いい日になっているようだ。
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いにしへの人の言ひたる殖ゆるものこの冬の日に我も観ぜむ
日が射すでもないが、一昨日ほどの寒さもない。何と言うこともない冬の日である。周囲の景色も、少しは冬らしく荒涼とした感じになってきた。
折口信夫によると、語源的にいえば、冬は 「殖ゆ、増ゆ」 であり、春は 「張る、脹る、晴る」 なのだそうだ。冬は何ものかが目に見えぬところで増殖しつつある季節であり、春になると、それが一斉に顕在化して、目に見えてくる。
では、今の季節に増えつつあるものとは、いったい何なのか? 目に見えないところのことというのだから、それは、折口信夫の常に言うところの 「タマ」 - 「魂」 なのだろう。
「恩頼」 という言葉があり、「みたまのふゆ」 と読む。なるほど、春になって一斉に目に見える存在になる以前の、「みたまのふゆ」 のレベルでの増殖が、今、着々と進行しつつあるのだろう。
そう思えば、冬もそれほど寒くない。
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聖夜近し華やぐ街をさりげなくやり過ごしてぞ家路を辿る
関係先のオフィスの大掃除を手伝って、たそがれの街の帰り道、スタバに寄ってコーヒーブレイクがてら、本日の更新をしている。
神田のオフィス街はとりたててクリスマスのイルミネーションをしているわけではないが、それでも、だんだん華やいだ様子になってきている。それとも、街の明かりが灯り始めた頃の錯覚だろうか。
もうクリスマスが近いからといって浮かれるような年でもない。だから、浮き立つ街の雰囲気をあっさりとやり過ごす (こういうのを、近頃では 「スルーする」 というようなのだが) 術を身につけてしまっている。
それよりも、年末進行の原稿と、年賀状が気になっている。
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年の瀬の街に車は溢れゐてなほ黄緑の銀杏は残る
朝に家を出るときは、つくば方面は晴れ間が出かかっていたが、都内に着くと、どんより曇っていた。
その雲も、昼頃から晴れてきた。天気予報の 「関東南部は昼過ぎから晴れ」 というのが、見事に当たった。
街は車であふれている。さすがに年末の 「ゴトー日」 (どんな表記が正しいのかしらないので、仮にこう書いておこう) である。車で外回りしている人は大変だ。
神田周辺のイチョウ並木は、かなり黄葉が進んできてはいるものの、まだまだ葉は落ちきっていない。よくみると、日のあたるところの木は相当に葉が落ちているが、日陰の木はまだ黄緑色程度の葉も多い。
日の当たる木の方が、寒暖の差が激しいので、落葉も早いのだろうか。このままでは、葉が落ちないままに年越ししてしまう木があるかもしれない。
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遙かなる雲間に光満ちをれば悟りとは彼の如きかと望む
今日は都心部でも最高気温が十度を下回ったようだ。朝からどんよりとして、まともに日が射さないから、気温の上がりようがない。
午前中に都内で用を済ませ、二時過ぎには自宅に戻ってきた。年末はこなさなければならない仕事が一杯だ。
取手駅のコンコースから遙か都心方向を望むと、ところどころ、うっすらと雲の切れ間があって、そこからまるで中世の西洋画に描かれる天啓のような日が射している。
真理とは、雲間から天を覗くように悟るものだという言い方があるが、あの日の射す真下にいたとしても、それを感じられるかどうかはわからない。
もしかしたら、凡人にとっては遠くから憧憬するのが悟りというものなのかもしれない。
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聖夜まであと八日なりいつになく店の飾りは慎ましくして
朝から水戸方面に仕事ででかけ、日が暮れてから帰ってきた。
途中、夕飯とコーヒー・ブレイクのため、つくば学園都市のショッピング・センターに寄っている。辺りはもう真っ暗だが、それほど寒くはない。明日から寒気が入ってくるらしいが、今日のところはコートなしで外を歩ける。
今年はクリスマス・イルミネーションがあまり派手ではないような気がしているのだが、単に、私がそれほど繁華街に出かけていないというだけのことだろうか。
よくわからないが、このショッピング・センターにしても、ことさらな飾りつけはされていない。私には、このくらいが好ましく思われる。
反対に、私の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 では、初めてクリスマス期間専用サイトロゴを作ってみた。ほんの慎ましいデザインなので、もしかしたら、あまり気づかれてないかもしれないが。
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徒歩にては思いがけなき道のりに薄紅色の山茶花は咲く
今日は自宅で原稿書きの仕事。雨も止んで、昼頃から青空が出てきた。
ずっとパソコンの画面に向かっていると目が疲れるので、目薬をさそうとしたが、切れてしまっている。運動不足解消にちょうどいいから、近所のドラッグストアまで歩いて買い物に行ってきた。
その店まで、おそらく 八百メートルほどしかないのだが、やけに遠く感じる。都会で歩く分には、一キロでもそれほど苦にならないのに、我が家のような田園地帯を開発した住宅地では、五百メートル先に行くにも、車を使う習慣が身に付いてしまっているからだろうか。
ただ不思議なもので、近所の散歩コースになっている我が家の裏手の土手は、いくら歩いても苦にならない。
これはきっと、周囲の雰囲気によるものかもしれない。都会や散歩コースは、多かれ少なかれ、周囲に歩いている人がいる。しかし、単なる田舎道は、車と自転車しか通らない。
車と自転車しか通らない道を自分だけが徒歩で行くと、なぜかものすごく遠くまで歩いているような気がするのだ。人間は雰囲気の生き物である。
帰り道は、遠回りして土手を歩いてみた。遠回りしたのに、やはりそんなに遠くは感じない。土手際には山茶花の花が咲いていた。椿と区別がつかないが、山茶花ということにしておこう。夜来の雨に濡れて、まだ乾かずにいた。
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携帯のカメラに映る東京の顔はいつもと異なりてをり
今日は家を出る時に、スイカとパスネットの入った定期入れとデジカメを持つのを忘れてしまった。
それで、出張先を除けば何年ぶりかで乗車券を買って電車に乗り、都内の何ヶ所かを廻った。
今年の春、二百三十万画素のカメラ付き携帯電話に買い換えたので、一時的に外出先での撮影はすべてケータイでまかなおうと思ったことがあったのだが、カメラ専用機としてのデジカメの使いやすさには及ぶべくもなく、すぐに止めてしまった。
それで、ケータイはデジカメを忘れたときの補助と思っていたのだが、今日、その役割を果たすことになったわけだ。
それにしても、ケータイのカメラは、デジカメと全然使い勝手が違う。この面倒くささは、電車に乗るのにいちいち券売機で乗車券を買わなければならないおっくうさと、共通する気がした。
それにしても肌寒い一日だったが、電車に乗ると暖房が効いていて、途端に汗ばんでしまう。都会のアイロニーである。
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娘らの幼き頃に座りたる椅子の小さきことに我は笑む
今日、茨城県は県会議員選挙の投票日だった。
朝から所用で水戸方面に出かけていて、思ったよりも帰りが遅くなって、帰ってきたのが夜の七時過ぎ。近頃では八時まで投票できるので、ぎりぎり間に合った。
最近は何回か連続して期日前投票をしていたので、所定の投票所である小学校に出かけて投票したのは、二年ぶりぐらいである。
投票は時間ぎりぎりになってからの方が混み合うようで、かなり賑わっていた。どのくらいの投票率になるのだろう。
というわけで、今日もばたばたしているうちに、風景の写真を撮りそびれてしまった。かといって、二日連続で当日以前に撮った写真を載せるのも気が引けるので、帰宅して最初に目に入ったものを撮った。
これは、我が家の娘たちが小さかった頃に、妻の父が手作りで製作してくれた椅子である。娘たちは皆、この小さな椅子にちょこんと座っていたものだ。
今となっては、玄関のオブジェと化していて、時々、大きな花瓶の置き場所になったりしている。
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松が枝は縄で張りたるピラミッドパワーの中に護られ眠る
金沢二日目。仕事はほとんど昨日で終わったので、今日はのんびり帰ればいい日である。
というわけで、今日は昼前に駆け足で兼六園と、犀川の川向こう、西茶屋街を見物し、駅弁を買って鈍行列車に飛び乗り、富山駅で降りて、富山城跡を見物した。
兼六園は二度目だが、富山は昨日通り過ぎただけなので、一応、街を歩いてみたかったのである。
歩いてみての感想。富山には悪いけど、やっぱり、金沢はすごい。加賀百万石というのは、大変なものだったのだと、しみじみ思う。
一枚目の写真は、兼六園の 「雪つり」 された松の枝の真下から、上を見上げて撮ったもの。縄で作られたピラミッドパワーで、松の枝が護られている。「雪つり」 は、離れて見ると、三枚目の写真のようになる。
多くの都市でそうなのだけれど、金沢も犀川を渡って川向こうに行くと、ちょっと 「異界」 っぽいスパイスがまぶされて、ムードががらりと変わってしまうのが面白い。
私は、異界も大好きである。今度、時間の余裕があるときに、金沢の寺町をゆっくりと歩いてみたい。
あ、そうそう、今日も雨は朝のうちに降っていたが、私が外を歩いている間は、ほんの数滴感じただけで済んだ。金沢を見るには、ちょうどいい湿り気だった。
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越後より越中を抜け加賀までの左の山は青と白のみ
仕事で金沢に来ている。飛行機にしようか、鉄道にしようかと迷ったのだが、調べてみると、一時間足らずの差しかないので、鉄道にした。
私は日本全国に行っているようで、実は行ったことのない県が七つあった。富山、鳥取、島根、香川、徳島、愛媛、宮崎の七県である。
今日は富山県を通過したので、とりあえず、未踏県は六県になった。このために、鉄道にしたのである。飛行機では、直接金沢に来てしまうので、つまらない。
越後湯沢で乗り換えた金沢行き特急はくたか号は、出発時は満席だったが、一駅ごとに乗客が減って、親不知海岸を通過する頃には、かなり空席もできた。
写真は、魚津駅を通過したあたりから撮った山。多分、北アルプスの北のはずれである。
山の写真というのは、とても難しい。肉眼では大きく見えているように感じても、写真に撮ると、ガックリするほど小さくなる。三倍程度の望遠機能では、全然足しにならない。この写真も、かなりトリミングして、大きく見えるようにしてある。
もう一つの問題は、よほど天気がよくて見通しがすっきりしていないと、遠くの山は霞んで写るということだ。この写真も例に漏れないが、雰囲気だけは感じていただけるかもしれない。
金沢は、仕事中は曇りで、写真撮影なども順調にこなせたが、夜になって弱い雨が降ってきた。
明日はゆっくり帰ればいいので、兼六園を見物しようと思う。時間があれば、富山にも途中下車してみたいのだが、どうなるかわからない。元々、小雨に煙る兼六園をイメージしていたので、期待通りの天気になるかもしれない。
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落葉を待つにあらねど黄葉も見せぬ都心の銀杏に驚く
八日ぶりで都心に出てきている。今朝はかなり冷え込んだが、都心は温暖化現象の賜物か、それほどの寒さではない。
驚いたことに、神田のイチョウ並木は、落葉していないどころか、まだ葉の色が黄色になりきっていない。下の方の枝についた葉が、うっすらと黄味を帯びているだけだ。
都心というところは、よほど暖かく、しかも昼夜の温度差も小さいものと見える。
つくばのイチョウはほとんどまっ黄色になり、木の下は落ち葉で埋まっているというのに、同じ関東でも違えば違うものだ。
この分だと、都心のイチョウはクリスマス頃にならないと葉が散らないのではなかろうか。
ところで、明日は金沢に出張だが、今しがた天気予報をみたら、明日の金沢は晴れのち曇りとなっていた。先週の週間予報でみたときは曇り時々雨ということだったのだが、いい方に変わってきている。
我ながら、晴れ男というのはありがたい。
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我を見ず我よりも見えず足下を土竜は今も掘り進みゐる
今日は少しは寒さが和らぐかと思っていたが、そんなこともなく、相変わらず気温は上がらない。といっても、これが普通の冬の天気ということなのだろう。
最近は、暖冬に馴れすぎかもしれない。
土手の所々に、茶色の土が少しだけ盛り上がっているのが見える。モグラの穴である。
平地だと土がもう少し盛り上がって 「モグラ塚」 という言葉にふさわしい形になるが、土手の斜面だと、この程度の 「モグラ穴」 になる。
あちこちに 「モグラ穴」 がある割には、モグラそのものは、以前にちらりと見たことがある程度で、はっきりした印象というのは、全然ない。
そこら中にいるのは確かなのだが、私にとっては幻の生き物である。
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含みをりし全てを放ち終へてこそ軽く舞ふなれ冬の薄は
先月からずっと休日返上で、出張あり、泊まりがけのミーティングあり、一日中こもっての原稿書きあり、超ロングドライブありのバラエティ溢れるスケジュールだったので、さすがに疲れた。風邪を引かないでもっているのが幸いだ。
今日は久しぶりで、どこにも行かずに休めると思っていたが、急に葬式に行かなければならなくなった。またしても、ロングドライブ。
葬儀場では、久しく会えなかった人にも会え、旧交を温めることができた。
ただ、故人は父と同じ年である。そして喪主である長男は、私と同い年。複雑な気持ちになった。自分の父が元気でいてくれるのは、本当にありがたい。
往復の道は明るい冬晴れだが、風が冷たい。立体交差の国道のコンクリートで固められた高架に沿って、薄が風になびいていた。今頃になると薄の穂はとても軽くなって、日に輝きながら微妙に波を打つような動きを見せる。
帰宅してからは、ひたすら眠い。
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静かなる筑波の冬の朝焼けに雪舞ふ出羽の影を偲びぬ
今日は所用で夜明け前に家を発って、日が暮れてから帰ってきた。
写真は出がけに写した朝焼けの光景である。この写真を撮った十分後ぐらいに、朝日が昇ってきた。
上空に寒気が入ってきているらしく、今日はとても寒い一日だった。関東は冬晴れだが、故郷の庄内地方は雪である。
私がいた一日までは天気がもったが、帰った翌日から雪模様になっているらしい。なんともはや、我ながら大した晴れ男ぶりである。
来週は、七日に金沢に出張だ。週間天気予報では、曇り時々雨ということになっている。この季節の日本海側のことだから、晴れるのは初めから期待していない。ちょうどいい風情に旅になりそうだ。
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未だ雪を知らざる枯れ葉光りゐる師走二日は和歌ログ記念日
今年も十二月二日になった。三年前のこの日、当時気紛れで開設していた楽天日記のネタがなくなったので、戯れに和歌を書いたのが発端になり、以後、興に乗って毎日和歌を詠むようになった。
だから、毎年のこの日は 「和歌ログ記念日」 である。
楽天日記はすぐに閉じて、本宅の 「知のヴァーリトゥード」 のサブサイトとして継続したが、年が明けた一月二十二日に、別サイトとして独立した。それで、これは 「独立記念日」 としてある。
その後、楽天ブログの方は再開して、和歌ログのリザーブサイトにしてある。これでも、いろいろの紆余曲折を経ているのだ。それにしても、三年間毎日歌を詠み続けたなんて、三日坊主の私にしては奇跡みたいなものである。
最初に詠んだ歌 (この頃は、まだ写真をつけるなんてことは考えてなかった) が、落ち葉を詠んだものだったので、行きがかり上、毎年それを踏襲し、下の句は 「師走二日は和歌ログ記念日」 とするお約束にしている。
今日は小春日和。酒田から雪の峠を越えて帰ってきたばかりなので、ことさらに暖かく感じる。
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