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2007年1月31日

睦月三十一日の歌

立春も来ぬ間にビルの谷間には三寒四温の 「温」 の風渡る


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今日は四月中旬の暖かさだそうだ。ビルの谷間から見上げる空の色も、冬の凛とした青ではなく、なんとなく霞がかった春の空である。

ところが、明日からはまた寒さが戻ってくるというのだ。暖かくなったり寒くなったりの繰り返しは、見に堪えるが、ふと気付けば、それって、春先の気候の特徴ではないか。

まだ立春にもならないうちから、三寒四温の繰り返しで春が来るのだろうか。どうやら、季節が厳寒期をすっ飛ばして、半月ほど前倒しで進行しているようである。

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2007年1月30日

睦月三十日の歌

シベリアの凍土にはなき豊かさを白鳥は見るか冬の刈田に


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酒田を昼頃に発って、つくばの地に帰ってきた。

途中、田んぼの中に白い固まりが点々と見える。それらは白鳥である。

酒田の最上川河口は、日本最大の白鳥飛来地で、それはそれは数え切れないほどの白鳥が羽を休めている。

そして、朝に飛び立って田んぼに餌をあさりに来る。そして、夕方には河口に帰るのだ。群れをなしてこうこうと鳴きながら空を飛ぶ白鳥の姿は美しい。

何もなさそうに見える刈田も、白鳥たちにとっては豊かな実りの大地なのだろう。

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2007年1月29日

睦月二十九日の歌

山茶花の咲き始めゐて次の冬またその次の冬ぞ待たるる


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引っ越して一年が過ぎた実家の庭にサザンカの生垣ができている。

父の友人 (釣りの弟子ということになっている) が、赤と白の花の咲く木を交互に植えてくれたものだ。ありがたいことである。

昨年の春に植えたばかりの木なので、まだ木の隙間ばかり大きく、花も揃って咲き誇るというような段階には達していない。それでも、日当たりのいい木には、きれいな花が咲いている。

まだ咲いていない蕾も多いので、これから先、まだまだ父と母の目を楽しませてくれるだろう。

そして、何年かするうちには、紅白幕に見立てられるような立派な生垣になるだろう。そうなるのを、両親には元気でちゃんと見てもらいたいと思っている。

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2007年1月28日

睦月二十八日の歌

昨冬の雪の記憶の新しき目には冬とも見えぬ山越え


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朝、つくばを発って、酒田に来ている。

心配していた雪の影響はまったくなし。途中、最も難所となるはずの国道百十二号線、通称 「六十里越え街道」 も、道端に除雪された雪があるものの、拍子抜けするほどスムーズに超えられた。

「この程度の雪だったら、子供の頃の酒田市内よりまだ少ないね」 と、妻と話しているうちに、山越えは終わり、平地に降りると、まったく雪がない。

とてつもない豪雪だった前の冬シーズンと、足して二で割ればちょうどいいのだが、自然というのはえてして、こうして偏った現れ方をしてみせる。

写真は、六十里越え街道の途中から、月山山頂方向を撮ったもの。彼方に城っぽく移っているのが、雪を戴いた月山山頂付近の稜線である。

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2007年1月27日

睦月二十七日の歌

国道の彼方に一番星は出でて宵のパレード率ゐて光る


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出先から車で帰路を辿るうちに、日が延びたとはいえ、やはり家に着く前に暮れてしまった。

つくば学園都市の国道は、夕暮れのラッシュ時だった。国道の延びるその先に、一番星が光り始めるのが見えた。

我々は、幸運の一番星に向かって遙かに伸びるパレードである。

さて、明日は朝早くから妻と酒田に帰らなければならない。この冬は雪が少ないので、本当にありがたい。

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2007年1月26日

睦月二十六日の歌

如何にして登りたるらむ小屋根にて老猫は受く冬の日射しを


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雲が多く、昨日ほどではないが日の射す天気。暖冬には違いない。

妻と話したのだが、二十五年前にこのつくばの地に越してきたときは、今よりずっと寒かった。引っ越した翌年は、ものすごく雪が多くて、取手駅に行くのに、毎日タイヤチェーンを巻いていた。

夜も寒くて、冬用の羽毛掛け布団の上に、夏掛け布団までかけないと、明け方は震えるぐらいだった。

いつの頃からか、羽毛布団一枚でも、明け方の寒さをちょっと我慢すれば快適に眠れるようになり、今ではもう一枚布団なんかかけたら、暑くて眠れないほどだ。

この二十年ほどで、確実に平均気温が上がっている。

二階のベランダから見下ろすと、一階の雨戸の戸袋についた小さな屋根の上で、我が家の年長の白猫が日向ぼっこをしている。

昨年の夏はやせ衰えて動けなくなり、死を覚悟したほどなのに、懸命の看護で生き延びて、今ではこんなところまで上れるまでに回復した。命というのは、なかなかしぶといものである。

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2007年1月25日

睦月二十五日の歌

あかねさす日に染まりたる霜野原やがて消え行く元の白さで


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今日の明け方は、多分、この冬一番の冷え込みだっただろう。久しぶりに、ベッドから這い出すのにかなりの決意が必要だった。

雨戸を開けてみると、一面の霜だ。前の冬は毎朝こんな風景だったような気がするが、今シーズンでは珍しい。

白い霜が、朝日の光で赤く染まっている。冬の日の出は遅いので、私のような朝寝坊でも、このような景色に接することができる。

週末から関東の天気は崩れるようだが、ちょうどその頃、車で里帰りだ。関東がぐずつくぐらいの方が、あまり強力な冬型にならずにすむので、私としてはありがたい。

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2007年1月24日

睦月二十四日の歌

ビル街の裏通りにはその赤もはにかみ気味に椿咲きをり


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今日は神田のオフィスで仕事。

明け方の冷え込みはそうでもなかったが、なかなか日が射さないので、日中の気温が上がらない一日だった。外に出てオフィスに戻ると、眼鏡が曇る。

寒空のした、ビル街の裏通りにもツバキが咲いている。いや、ツバキじゃなくて、サザンカかも知れない。まあ、今回は便宜上、ツバキと言うことにさせていただく。

どうも、この二つは、サツキとツツジ同様、区別がつかない。これらは、区別のつかない花のホームラン王と打点王ぐらいの地位にある。

おっとそれからもう一組、フヨウとムクゲの区別もわからない。これは首位打者かな。

くだらない話になってしまった。明日は今日よりは暖かくなるというのだが、その代わり、明け方は冷え込みそうだ。

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2007年1月23日

睦月二十三日の歌

拡幅の工事の音の響き来て小川の 「小」 の字消ゆる日ぞ来る


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朝から穏やかな晴天が続いているが、我が家の裏の小川の対岸からは、ひっきりなしに工事の音が響いてくる。

川の拡幅工事が、ようやくこの辺りまで進んできたようで、現在の土手の向こう側に、新しい土手を築いている。

写真では、元の土手の上に土を盛っているように錯覚しそうだが、そうではない。川幅がおよそ二倍になるあたりに、黄色いパワーショベルがどんどん新しい土手を盛っている。

新しい土手ができたら、今の土手は壊されて、我が家から見える景色も変わってしまうだろう。春になると 「春の小川はさらさら流る」 の歌が似合うような光景だったのだが、「小川」 の 「小」 の字が取れてしまうのは時間の問題だ。

この川は、常に水害に見舞われていたこの辺りの土地の排水のために、江戸時代に作られた人工の川だというのだが、二百年かそこらの後に、こんな風に機械の力にものを言わせて幅を倍にするとは、思いも寄らなかっただろう。

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2007年1月22日

睦月二十二日の歌

駐車場に居並ぶ車それぞれに異なる生を乗せ来ては去る


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夜が更けてから、水戸方面から戻ってきた。途中、あまりお腹が空いたので、ショッピングセンターのラーメン屋で、「魚だし醤油ラーメン」 を食べた。

ラーメンを食べるのは、多分、十日ぶりぐらいだろう。

学生時代はラーメン一杯では足りなくて、ラーメン・ライスなどというものをよく注文していた。要するに、ラーメンに丼一杯のメシが付いたものである。

近頃では、ラーメン一杯で十分に腹一杯になる。体の燃費がよくなったのか、あるいは、新陳代謝が減速した分、カロリーの消費が減ったのか。

ショッピングセンターの駐車場には、夜が更けてもいろいろな車が隙間なく並んでいる。それぞれの車に、それぞれの人生が刻まれている。

明日は一日原稿書きで潰される予定。

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2007年1月21日

睦月二十一日の歌

大寒を過ぎし土には僅かにも溢るるまでに殖ゆるものあり


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大寒の昨日ほどではないが、今日も風が冷たい。それでも、土手を歩いてみると、菜の花の葉が瑞々しく育ち始めている。

今日の写真は、土手にはいつくばるような (さすがに実際にははいつくばってないが) 低い視線で撮った。だから、かなり大きく育っているように見える葉も、膝の位置よりずっと低い。

この小さな葉が、春になると見事な菜の花を咲かせる。冬のうちにも、花の命は着々と準備を進めている。それで、この季節を 「殖ゆ、増ゆ」 と言ったのだろう。いにしえ人の言葉センスには、超絶的なものがある。

土手の向こう側には、工事用のブルドーザーやパワーショベルが見える。

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2007年1月20日

睦月二十日の歌

年寄りの声大きなるは脚弱く早足なるは物静かにて


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仕事で栃木県足利市に向っている。写真は渡良瀬川の土手から川上方向を写したもの。今日もデジカメを忘れてしまったので、ケータイのピンぼけ写真だ。

カーラジオを聞いていると、東京の世田谷辺りで雪がちらついたそうだ。ところが、気象庁の公式発表では、大手町で降らないと、「東京の初雪」 にはならないらしい。

こちらの旅路も曇り空で相当に寒く、車の暖房をがんがんに効かせながら走らないと、腰から下が冷えた。関東を北に向うほど雲が高くなり、日も射してきて、昼頃にはようやく、暖房の風量を抑えても平気になった。

途中、館林のファミレスで昼食。土曜日の昼なのに、周囲は子供連れは少なく、年寄り同士のグループが圧倒的に多い。地方に行くほど、年寄りが多くなるが、老人会の活動の話などで盛り上がっていて、かなり元気である。

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2007年1月19日

睦月十九日の歌

冬至より一月足らずビル街の黄昏時は空のみ青し


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今日は新宿で業界関連の会議に出席して、次の目的地の御徒町まで地下鉄で移動。四時過ぎに地下鉄の出口の階段を上ると、外界の日は相当に傾いてはいたが、空はまだ青く明るかった。

一昨日まで行っていた熊本は、夕方の六時頃までほんのりと明るく、「さすがに関東よりずっと西にある」 なんて、妙なところで感動していたが、関東は関東で、きちんと日が長くなっている。

冬至から、まだ一ヶ月も経っていないのに、季節は確実に動いている。

明日は車で栃木県に出張。天気は晴れのち曇りと出ているので、悪くない旅になりそうだ。

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2007年1月18日

睦月十八日の歌

変はり行く街に変はらぬ佇まひありて訪ぬることぞ嬉しき


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仕事で東京の神田、岩本町周辺を頻繁に訪れるようになってから、三十年近く経つ。このうち、十五年ぐらいは毎日通ってもいた。

三十年近くも経てば、あたりの様子もどんどん変わる。しかし、中には二十世紀からまったく変わらない佇まいもある。

水天宮通りに面したこの店も、ほとんど変わらずに残っている。看板によれば画廊のようなのだが、中にはごくごく平凡で、どこにでもありそうな風景画が何点か、額に入れて飾られているだけだ。

客の入っているのを見たこがない。多分、目に見えないところで営業努力しているのだろうが、下手に繁盛するよりもこのくらいの方が長続きするのだろうか。

もしかしたら、この通りは確かに表通りではあるものの、東京全体から見たら立派な裏通りなのかもしれない。

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2007年1月17日

睦月十七日の歌

旅慣れし身ぞすさまじきそそくさと見逃せしものなきが如くに


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熊本での仕事を終え、無事に帰ってきた。心配していた天気も、初日の夜から二日目夜明けにかけて雨になっただけで、日中はずっと曇り。仕事には全然影響がなかった。

私の晴れ男伝説は依然として揺らがず。

熊本中心部の熊本阪神デパート前で、おもしろいものを発見した。おてもやん像である。代表的な熊本民謡に出てくる人物だが、こんなにスラリとした美女とは知らなかった。着物が妙にボディコン気味なのも気になる。

今回は、初日の夕方にほんの駆け足で水前寺公園を見物しただけで、後は観光らしい観光は何もせず、そそくさと帰ってきてしまった。わずか一時間半にも満たない、呆気ないフライトだ。

せっかく肥後の国を訪ねたのに、もったいないことである。そのうち、レンタカーでも借りて、ゆっくりと阿蘇の草千里を回ってみたいと思っているのだが、いつ叶うことやら。

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睦月十六日の歌

出水 (いづみ) なる恵みの池に映り込む冬の雲居に青き梢よ


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出張で熊本に来ている。天気予報は曇り時々雨というものだったが、ずっと曇りで、雨には降られずに済んだ。夜になって、ホテルに入ってから本降りになったが、明日の夜明けには上がるらしい。

晴れ男伝説は、今回も辛うじて破られずに済みそうだ。ありがたいことである。

夕方になってから、初めて水前寺公園を見物できた。公園に入ったのが五時少し前だったが、開園時間は五時半まで。四十分足らずで追い出されてしまったが、この公園はコンパクトなので、それほど物足りなく感じなくて済んだ。

清冽な湧き水による池の印象的な庭園である。公園内にあるその名も出水 (いずみ) 神社は、細川家の代々を祭神として祀った神社である。西南の役で焼け野原になった熊本再興のために、明治になってから建立されたものだという。

明日はまた朝から仕事だが、屋外の撮影などもある。本当に雨があがっているように、お天気の神様、よろしくお願い申します。

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2007年1月15日

睦月十五日の歌

見上ぐれば細長き空青々と違法駐車を照らしゐるなり


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今日は朝から東京都内に出てきて仕事。神田周辺でうろうろしている。

神田の街は、幹線道路沿いはそれなりのビル街だが、一歩外れると昔ながら街並みが残っていたり、狭い道に沿って低い建物が密集していたりする。

この道も、両側の建物は最近になって五~六階建てのビルが増えたが、道は細いまま。その細い一方通行の道の両側に、駐車違反の車が並んでいる。

幹線道路沿いはさすがに違法駐車は激減したが、一歩入ればこんなものだ。とはいえ、このあたりが下町の活気につながっているといえなくもない。

明日の午後三時から二十四時間にわたって、ココログのサーバ・メンテナンスが行なわれるので、明日の更新はできないかもしれない。その場合は、リザーブの楽天ブログの方にアップすることになると思う。

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2007年1月14日

睦月十四日の歌

ひむかしをまず赤く染めしかる後白く射照らし冬の日は出でぬ


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所用で夜明け前に車で家を出て、日が暮れてから戻ってきた。日中は晴れていたようだが、全然外に出ていないので、今日撮った写真は、夜明け前の東の空を写したこれだけである。

今日の日の出は、六時四十分過ぎ頃。その二十分前頃から、東の空が赤く染まり始め、その上に三日月が輝いていた。

写真を撮ろうと車のウィンドウを開けると、夜明け前の空気が冷たく、頬に心地よい。しかし、いつまでも開け放していると、ゾクゾクするほど寒い。それでも、しばらく窓を開けたまま見とれていた。

さて、十六、十七日の両日は熊本に出張。週間天気予報をみると、あれあれ、この二日間だけ曇り時々雨ということになっている。ふぅむ、晴れ男としては、本当に本当に滅多にないことだが、出張先で傘をさすことになるのかかあ。

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2007年1月13日

睦月十三日の歌

遙かなる千島の先のプレートの少しく弾け揺れは来たれり


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今日もデジカメを持つのを忘れて出たため、ケータイ写真。どうもケータイで写真を写すのは苦手だ。これも斜めになってしまっている。

撮影したのは朝の九時頃だから、決して昼過ぎの地震のせいではない。

地震には気付かなかった人も多いようだが、私は昼食を食べ終えたばかりで、椅子に座って周囲と話をしていたので、揺れ初めから気付いていた。ずいぶん長い間揺れていた。多分、一分以上は揺れ続けていただろう。

こうした地震があると、いつも田舎で大地震でもあったのではないかと心配になって、すぐにニュースを聞きたくなる。今回の地震は千島沖の海の中が震源地だったから、被害はほとんどなく、津波もたいしたことがないようなので、安心。

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2007年1月12日

睦月十二日の歌

締め切りを辛くも守りコーヒーの香り漂ふ時ぞ嬉しき


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今日は朝からずっと無風流な一日。朝からずっとパソコンに向かって、締め切りギリギリの版下作りに没頭していたので、まともな写真など撮っている暇がなかった。

歯医者の予約があったので、午後三時頃に一度外出したきりで、あとはずっとパソコンに向かいっぱなし。ようやく締め切りギリギリで完成したときには、日はとっぷりと沈んでいた。

八時を過ぎて、ようやく落ち着いてコーヒーブレイク。人間らしい気持ちになった。

以前はネルドリップ式の道具しかなかったので、面倒くさくて、仕事の途中で飲むのはついインスタント・コーヒーばかりだったが、昨年にコーヒーメーカーを買ったので、最近はいつも本物を飲める。

本当においしく淹れようと思ったら、ネルドリップがいいのだろうが、これは本当に面倒。まあ、私ごときにはコーヒーメーカーで十分ということにしておこう。

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2007年1月11日

睦月十一日の歌

寒風に散り果てぬ葉の二枚分辛くも見する銀杏の余裕


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さしもの東京のイチョウ並木も、葉を落とし終えたと思っていたら、よく見ると、枝の下で日陰になっている部分に、まだしがみついている葉がある。

日陰だから気温の差が小さく、しかも風も当たりにくいので、まだ散らずに済んでいるのだろう。我慢強いというか、執念深いというか、とりあえずは、単純に驚いた。

イチョウの木にしてみれば、まだ少しは落葉させずにおいておけるだけ余裕があるのか、あるいは、寒空でしがみつかれているだけ、負担が増しているのか。どちらにしろ、微妙にバランスして、散らないでいるのだろうが。

今日も青空。田舎は雪のようだが、どうやら積もらずに済んでいるようだ。

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2007年1月10日

睦月十日の歌

青空の北と西なる低きには雪落とすらむ厚き雲見ゆ


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今日も快晴。頭の上は真っ青だが、遠くの空は霞んでいる。

ただ、霞み方が違っていて、我が家から南の方向、つまり東京方面はスモッグで霞んでいるのだが、北から西にかけての方向は、分厚い冬の雲に覆われている。

天気予報では、山形県庄内地方は曇りのち雪ということだ。庄内 Cam の映像を覗くと、時々雪がこびりついて景色が見えなくなったりしている。

それでも、酒田市内の道路には、雪は全然積もっていない。去年の今頃に比べたら、天国みたいなものだ。

今月末に車で帰郷したいので、このままの天気が続いてくれればありがたい。

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2007年1月 9日

睦月九日の歌

門松は小正月まで飾るらしビジネス街の年も明けたり


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新年になって初めて都内に出てきている。今年は四日と五日に休みを取って、前年から引き続いて連続十一日間の年末年始休暇という人も多かったので、今日が実質的な仕事始めという会社も多い。

それで、七日までが門松を飾る松の内という説もあるが、それではビジネス街では、今年はとくに意味を成さないので、十五日の小正月までは飾り続ける店が多いようだ。

「一月一日の歌」 に、「松竹立てて門ごとに祝ふ今日こそ楽しけれ」 と歌われているが、子供の頃は、「都会では曲がり角ごとに松茸を立てて正月を祝うらしい」 と思っていた。とんだ勘違いである。

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2007年1月 8日

睦月八日の歌

コーヒー店のオレンジ色の灯火とジャズピアノの音漏るるを後にす


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成人の日は今日だが、当地では市主催の成人式を昨日のうちに済ましてしまったようだ。

我が家の末娘が出席して、仲間たちと二次会、三次会まで繰り出したらしく、夜遅くなってから帰ってきた。酔いすぎた仲間の介抱が大変だったらしい。やれやれ。

貸してやったデジカメでずいぶんたくさん写真を撮ったようで、今日はお祝いの意味も込めて、記念アルバムを作ってやった。スーパーファイン用紙にファインモードで印刷してやったので、三時間近くかかった。

午後からは年末の大掃除でやり残していた、庭の物置小屋の整理をした。二十年前からのゴミが大量に出て、ゴミ袋を何枚も使った。明日は新年初めての燃えないゴミ収集、明後日が粗大ゴミ収集。いいタイミングである。

で、あっという間に日が暮れてしまった。ちょっと用足しに出たショッピングセンターのコーヒーショップの中から、モダンジャズのピアノの音が聞こえる。

明日は新年初めて都内の仕事である。さて、連休ボケから覚めなければ。

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2007年1月 7日

睦月七日の歌

冬枯れの街のものみな揺れ震ふシベリアよりの風吹き抜けて


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大荒れという天気予報通り、昼過ぎから、関東でも猛烈な風になった。この分だと、酒田は猛吹雪なのではあるまいかと思ったが、どうやら、雪にはならず風雨だったようだ。

日がとっぷりと暮れてから、水戸方面から車を運転して帰ってきた。今日はデジカメを末娘に貸しているので (成人式なのだ)、慣れないケータイのカメラで写したら、案の定、ボケボケになっている。

水戸の街の夜景なのだが、さっぱりわけがわからない。でもまあ、大風の夜ということで、臨場感があると誤解してもらおう。(もらえないか)

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2007年1月 6日

睦月六日の歌

正月の第一週も過ぎんとす雨の川面の走る速さで


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朝から冷たい雨が降っている。今日からの三連休は、どうやら大荒れになるらしい。

今日のところは、まだ低気圧が真ん中にあるので、故郷の酒田も雨で済んでいるようだが、明日の予想天気図を見ると、ぎょっとするほどの密度の濃い縦縞だ。きっと吹雪になるだろう。

裏の川は、年末の大雨で増えた水かさがようやく引いてきて、土手の下の方に草の生えていない剥き出しの土が見えて、冬の川らしくなったのだが、今回の雨で、その土の乾く暇がない。

水面にびっしりと刻まれた雨の紋が、どんどん下流に押し流されている。

年末は大忙しだったが、新年になってから、今日で六連休だ。明日は日曜でも仕事になる。来週の火曜日からはまた忙しくなるので、明日は少しでも体と頭を仕事モードに戻しておこう。

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2007年1月 5日

睦月五日の歌

この竈の立てたる煙樺太の海見し人を育てたるなり


 

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我が家から車で十分ほど行ったところに、間宮林蔵記念館というのがあり、敷地内に、林蔵の生家が移築されている。

林蔵が江戸に出る前、十五~六歳まで過ごした家だそうだ。

間宮林蔵をご存じない方は、上記のリンク先に飛んで頂きたいが、間宮海峡を幕末に間宮海峡を発見した人物である。

移築された生家は、畳敷きの間が一つしかなく、ずいぶん粗末な家のような印象だが、説明の看板によれば、完全な移築ではないようだ。移築前の間取りをみれば、ちゃんと畳の部屋がたくさんある。このあたり、ちょっとテキトーだ。

土間にはかまどががある。これも当時のそのままかどうかはわからないが、少なくとも雰囲気は残していると思う。

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2007年1月 4日

睦月四日の歌

あらたまの年明けてなほ仏道を護る剣こそ不動なりけれ


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ようやく初詣に行ってきた。行った先は、板橋不動尊というところ。

車で行く途中、近くの産土神社にまずお参り。本来は、産土神社にお参りするのが初詣なのだともいうし。

板橋不動尊は、正式には、清安山願成寺不動院という。大本堂、三重の塔、楼門は県指定の重要文化財で、本尊の不動明王 (写真) は、昔は国宝に指定されていたこともあったらしい。

三が日の混雑を避けて、敢えて今日にしたのだが、それでも結構な人出で、駐車場に入るのに順番待ちだった。

一昨年の正月五日は、同じ板橋不動尊に詣でて、次のように詠んでいる (参照)。

両刃なる剣持てばこそ不動にて明王は切らざれ我をも彼をも

今年の歌の本歌みたいな歌である。

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2007年1月 3日

睦月三日の歌

それぞれの顔偲ばるる文字と画の賀状を眺め三が日過ぐ


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箱根駅伝を見終えてた。えんじに W の母校は、一桁順位の六位。久しぶりに来年のシード権を確保した。やれやれ。

三が日は年賀状でもながめながらのんびりしようと思っていたのだが、なかなかそうもいかないものである。

近頃、我が家のテレビの映りが極端に悪くなっていて、私は別にあまりテレビを見ないので、放っておいたのだが、家族から何とかしてくれとの声が日に日に強まっていた。

多分、アンテナ・ケーブルが劣化しているのだろうと思い、新品のケーブルを買ってきて繋いだら、期待通りに綺麗に映るようになった。ただ、我が家のアンテナの口は、テレビの近くにないので、十メートルのケーブルを、家具の後ろの壁際を這わせて繋ぐのが、かなり難儀な仕事ではあった。

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2007年1月 2日

睦月二日の歌

正月の箱根の山を駆け上るランナーの息弾み乱れず


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朝のうちは少し日が出ていたが、昼頃からはどんよりと曇ってしまった。ただ、風がないので、外に出てもそれほど寒くは感じない。

裏の川の拡幅工事は、三が日はお休みのようで、正月らしく静かである。

正月二日恒例の、箱根駅伝初日を、テレビで見ていた。近頃は十位以内のシード権確保すらままならなくなっていたえんじ色に W の字の母校は、なんと大健闘して往路四位に入った。

悪くても往路優勝なんていう黄金時代を知っている身からすると、往路四位ぐらいで喜ぶのも寂しいが、それでも、最近の低迷から脱出しつつあるようで、嬉しい。

ラグビーほどではなくていいけど、せめて、毎年優勝争いに加わるぐらいの力をもっていてもらいたいものだ。

それにしても、順天堂大学の今井君、すごい。歩いて上るのもしんどい坂道を、どうやったら、あんなにぐいぐい駆け上れるのだ?

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2007年1月 1日

平成十九年元日の歌

真直ぐなる道を駆けると人の言ふゐのししに見む阿吽の姿


 

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謹賀新年。

亥年である。年明けの画像は、下手な字で恐縮だが、「亥」 と書いたつもり。

京都の護王神社は 「猪神社」 として有名で、境内には狛犬ならぬ 「狛猪」 がいる。この猪は、祭神である和気清麻呂が道鏡事件で宇佐へ配流の際に、難事から救ったという故事から来ている。

狛犬のように、猪が 「阿吽」 の姿を現している。

猪突猛進は勘弁してもらいたいが、「真っ直ぐの道」 は、考えようによっては深いものがある。形の上での 「真っ直ぐ」 にこだわりさえしなければ、それは自由自在の道なのかもしれない。

と、ここまで格調高く記しておいて、急に身も蓋もない話になってしまうが、「猪」 というのは、本場の中国ではブタのことらしい。

そういえば、本格的な中華料理店のメニューで 「猪肉」 と書いてあれば、それは 「豚肉」 のことだ。西遊記の 「猪八戒」 も、イノシシではなくブタの姿である。

イノシシのことは、どうやら、「野猪」 というらしい。

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