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2007年5月31日

皐月三十一日の歌

東京の水掻き集め黒雲はにはかに昇る明日は六月


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今日の夕方、東京都内から帰宅しようとして空を見上げると、にわかに黒雲がわき上がっていた。

昼頃には上天気になっていたので安心していたが、ケータイに配信された天気予報を見ると、夕方から雨と出ている。

常磐線で取手駅に着くと、ぽつりぽつりと雨が降り出していた。近くに借りている駐車場まで小走りでたどり着き、カーラジオのスイッチを入れると、都内は本格的な雨になっているという。

それどころか、二十三区には大雨洪水警報が発令されたらしい。横浜球場の横浜対日本ハムの試合は、早々と雨天中止だそうだ。北関東は小雨程度だが、南では相当ひどい雨が降っているのだろう。

雨の降り方も、だんだんと 「夏の雨」 になってきた。

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2007年5月30日

皐月三十日の歌

さりげなく花芥子はただ咲きにけり皐月の風に少しく揺れて


何気なしに撮った写真だが、何しろ、花の名前にすら疎いぐらいだから、実際のところはよくわからないけど、多分、ケシの花である。

で、ふと気になって調べてみたのだが、これって、もしかして、栽培の禁止されている種類のケシなんじゃなかろうか。

それでも、このタイプのケシなんて、そこら中に自生していて、来月になれば、花の季節が終わって芥子坊主が目立つようになる。それは昨年の六月の和歌ログにも収めてある (参照)。

何だか、誰も気にしていないみたいなのだ。ちょっときれいな花の咲く野草という扱いである。私としては、きれいな花の見られるのがうれしいので、そっとしておこうと思う。それに、この程度の量では、例えアヘンの取れる種類だったとしても、とても採算に乗らないだろうから。

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2007年5月29日

皐月二十九日の歌

涼風に薄紅葵の蜜を吸う蜂の羽音のしめやかに満つ


昼過ぎから曇りがちになってしまったが、朝のうちはとてもいい天気だった。土手の道に、マーロウの花が咲いている。和名は 「ウスベニアオイ」 というらしい。

多分、我が家の庭で育てていたのが、飛んでいったのだろうと思う。マーロウにはいろいろ変種があるらしいのだが、花の形が我が家のものとまったく同じだからだ。

このマーロウの前に立つと、蜂の羽音がブンブンと聞こえる。よくみると、何匹もの蜂が蜜を吸いに飛んできている。

空に満ちている鳥の声は賑やかだが、花の周りには蜂の羽音は、目立たずしめやかに聞こえる。それでも、命の気配の満ち満ちているのが感じられるのは、夏が近づきつつあるからだろう。

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2007年5月28日

皐月二十八日の歌

二十年天然酵母でパンを焼く我が家の空気知る酵母にて


夜、パン生地をこねた。同じような写真を前にも使ったような気がしたので、自分のサイトを検索してみたら、一昨年の七月二十八日にアップしてあった (参照)。

朝になるとこのパン生地が、酵母の力でボウル一杯にふくらむ。

我が家のパンは天然酵母パンである。酵母は 「飯豊の空の下から・・・」 の食工房さんから、よく覚えてないが、多分 二十年以上前にのれん分けしてもらったものだ。

あれからずっと我が家で育ち続け、代替わりし続けているのである。大したものである。多分、我が家の酵母には食工房の雰囲気にプラスして、我が家の雰囲気も、すっかり刷り込まれているだろう。

我が家の雰囲気がパンになって焼き上がるのである。我々は、我が家の雰囲気を食するわけだ。

そう思って見比べると、今日のパン生地は一昨年のものよりしっとりとしてみえる。我が家の雰囲気も少ししっとりしたのだろうか。

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2007年5月27日

皐月二十七日の歌

何事が世に起きるとも日は暮れて朝 (あした) はすぐに巡りくるなり


昨夜は同窓会に出席し、二次会まで付き合って、ふと気付いたら常磐線の終電が過ぎていたので、都内でアパート暮らしをしている長女の部屋に泊めてもらった。

で、自宅に戻ってきたのが昼前。それからシコシコと仕事をして、ちょっと昼寝をして、またふと気付いたら、もう夕暮れだった。

なんだか、今月になってからいろいろなことが折り重なって起きて、我に返る暇もないうちにどんどん時間ばかりが過ぎて行くような気がする。

どんなにいろいろがことが起きようとも、夕暮れはきちんとやってきて、夜が更けて、また朝が来る。

こんな単調な繰り返しのうちに、どうしてこんなにも多様なことが織り込まれるのか、ちょっと不思議に思えるほどだ。

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2007年5月26日

皐月二十六日の歌

ありたけの種類の鳥の鳴き声の折り重なりて響く夏空


雨が降ったのは本当に昨日だけのようで、今日はまた夏日に戻った。青空は鳥の声に満ちている。

夏空である。昨日まで雨が降っていたせいか、それほどからりとした空気でもないので、少し汗ばむ感じがする。

昼過ぎ、山形放送の 「ドンキーのいいのおー庄内」 に電話出演させてもらい、久しぶりにドンキーさんとお話しできた。楽しい方である。(参照

これから、高校時代の同窓会に出席する。母の四十九日も明けていないので、おとなしくしていようと思うが、せっかく校歌のカラオケを作ったので、CD にして持っていき、久しぶりで、しみじみと皆で歌おうと思っている。

前回も歌おうという声があったのだが、誰も歌詞を正確に覚えておらず、伴奏もないのでしらけてしまったのだった。ああ、高校を出て三十数年経つと、こんなものかなあ。

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2007年5月25日

皐月二十五日の歌

安芸の地は浄めの雨の降り止みて旅路の我に薄日差し来る


広島は、いつから降りだしたものか、目が覚めたときには本格的な雨だった。午前中は、時々は土砂降りと言っていいほどの降り方になった。

私は自他共に知る晴れ男で、出張先で本格的な雨に降られたことは、少なくともこの二十年ぐらいは一度もなかったのである。

去年の沖縄出張で、「南国のスコールが見てみたい」 と念願していたら、よくよく帰り際に猛烈なスコールを目撃できた (目撃しただけで、濡れずに済んだ) のは、ご愛嬌として。

旅先では晴れるものと、悪くても小糠雨が一時的に降る程度のものと、私は漠然とという以上に信じ込んでいたのである。だから、これほどの土砂降りを旅先で見るというのが、何だか現実感がなく、不思議な感じだった。

それでも、仕事はぎりぎりで乗り切った。野外の撮影もなんとかごまかしながらクリアできてしまった。いくら土砂降りでも、ちょっとした晴れ間はあるものである。それを狙えば、なんとかなる。これまた、不思議なものである。

で、二時ごろには、なんと雨が上がってしまった。もう大丈夫。

思えば、このところ、ずっと晴れの天気が続いていたのに、この日に限って狙い撃ちのように雨が降ったのは、やっぱり 「お清め」 なのだろう。次からはまた、元の晴れ男でいけそうな気がする。

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2007年5月24日

皐月二十四日の歌

日は暮れて寄せる雨雲見えねども川面に映る街の灯ぞ潤む


夕方に新幹線で東京を発って、九時過ぎに広島入りした。当然、日はとっぷりと暮れている。

天気予報をみると、明日は完璧に雨のようだ。空はすでに曇っているようだが、雨雲は目には見えない。それでも、空気は湿り気を帯びつつあるのがわかる。

さしもの晴れ男の私も、母の四十九日が明けないうちは、雨に降られるようだ。まあ、お清めの雨と思って、甘んじて受けようと思う。

夜に広島入りして、明朝から仕事に入り、夕方には帰るので、今回は広島の街を眺める余裕は全然なさそうだ。それでも、初めて原爆ドームを訪れたときの感慨は、昨日のように憶えている。(参照

広島は、長崎とともに、世界でも特別な都市である。何しろ、原爆を落とされたたった二つの都市なのだから。

ところで、広島に発つ前に山形放送から土曜日の 「ドンキーのいいのおー庄内」 に電話出演の依頼が入った。今回はドンキーさんの庄内弁ヒアリングがどの程度進歩したのか、放送でチェックするらしい。面白そうだ。楽しみ楽しみ。

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2007年5月23日

皐月二十三日の歌

青葉とは気付けば既に生ひ茂り日に照り映えてゐるものなりき


つい最近まで 「若葉寒」 などと言っていたが、もう、本当に初夏どころか、夏である。

神田近辺の歩道の銀杏並木は、冬の間に小枝が剪定されて、幹の周りに太い枝がごつごつとくっついたようになっていて、「これで本当に葉がつくのだろうか?」 なんて思っていたが、まったく要らぬ心配だった。

今や、しっかりと若葉が茂っている。生命力とは、大したものだ。

明日の夕方、広島に発つ。十四日に予定していた奈良への出張が、母の弔いでできなくなったため、今回の広島行きと交代してもらったのである。

二十五日は、何やら天の予報である。晴れ男の私だが、今回ばかりは雨になるかなあ。

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2007年5月22日

皐月二十二日の歌

写真には狩猟に似たるところありレンズより逃ぐる鴨もそを知る


踊り場の窓から、裏の川をカモが泳いでいるのが見える。さっそくデジカメを持ち出す。

望遠を最大にしても、カモは小さくしか写りそうにない距離だが、まあ、後でトリミングすればいいだろう。ところが、そっと網戸を開けてカメラを構えた途端、カモはあっという間に飛び去ってしまった。

しばらくすると、今度は二羽で泳いでいる。今度はより慎重に、そっとカメラを構える。

窓枠からあまりはみ出ないように構えるが、それでは、土手の草に隠れてしまう。それでちょっとだけカメラの位置を上に上げると、またしても、カモは驚いて飛び立った。鳥というのはものすごく目がいいようなのだ。

銃ででも狙われていると思うのだろうか。まあ、確かに、写真を撮るのも鉄砲を撃つのも "shoot" という動詞で表現する。

というわけで、カモの写真は撮れず仕舞い。仕方なく今日もバラを撮る。

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2007年5月21日

皐月二十一日の歌

久方の奄美の島の紬地の光の風に車輪梅咲く


昨日から二日続けて気持ちのいい晴天が続いている。昨日は我が家の裏のバラの花の写真を紹介したが、その隣に生えているのが、シャリンバイである。

シャリンバイは、車輪梅と書く。枝の分岐する様子が車輪のスポークのようで、花が梅に似ているのでこの名が付いたという説が有力だ。

以前にも書いたが、この木は、我が家の長女が幼い頃に道に落ちていた棒っ切れを拾ってきて、地面に挿していたら根が付いて育ってしまったのである。

かなり大きくなるまで何の木かわからなかったのだが、庭師さんに教えてもらって、シャリンバイだと知った。

私はその前年に仕事で奄美大島に行き、そこで大島紬はシャリンバイの木のチップで染めるのだと学んできたので、そのシャリンバイが我が家の裏に生えていると知ったときには、ちょっと驚いた。

近頃では、毎年今頃の季節になると、こんなにもきれいな花を咲かせてくれている。今日の歌は、天 (あま) にかかる枕詞の 「久方の」 を、むりやり 「奄美」 にかけてみた。「紬地の」 までが序詞。

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2007年5月20日

皐月二十日の歌

知らぬ間に薔薇は咲きゐて風光り汗は流れずただ乾くのみ


今日は町内会の一斉草刈り日。暑くもなく、寒くもなく、空気が乾燥しているので、汗びっしょりになることもなく、絶好の草刈り日和である。

ところがびっくり、我が班は今日に限って男手がない。どの家からも奥さん (それも、かなりお年を召した) ばかり出てきていて、旦那がいない。今日は一体、何があるのだ。

というわけで、エンジン式の草刈り機を使って草を刈るのは、私一人の体力勝負になった。我が班の受け持ちは、当町内会で最もワイルドな土手沿いである。雑草がぼうぼうに生い茂っているというのに。

こんな時、雪国出身者は、「まあ、仕方がない。端からやっていけば、そのうち終わるさ」 と考える。文句を言わない。やるだけである。どっと積もった朝の雪かきと同じだ。

草刈りを終え、午後から少し用足しをして、四時過ぎに自宅に戻ると、ばったりと倒れ込むように眠ってしまった。とはいえ、目が覚めてみるとまだ外は夕暮れ前の明るさである。いっそ、そのまま翌朝まで眠っていたいとも思うが、目は覚めてしまう。まるで時差呆けみたいな眠りである。

母が亡くなってから、どうやら私は神経的に疲れていたようだ。今日、体力的に疲れて、短時間ながらばったりと眠ったことで、逆に神経的には少し回復したような気がする。

我が家の裏のバラが、今年はきれいに咲いた。

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2007年5月19日

皐月十九日の歌

現世 (うつしよ) は流れ流れて最奥の茜に染まる雲に溶け込む


母が亡くなった頃から、雷が多い。今日も日中、ゴロゴロ鳴り通しだった。天神様じゃあるまいし。

夕暮れのあたりから雨は止んできて、西の空が茜色に染まり始めた。

一昨日がちょっと肌寒く、昨日が夏日で、今日もちょっとひんやりしていた。若葉寒というやつだ。そんなこんなで、だんだん本格的な夏が近づいてくる。

近頃、いい景色があると、運転中でも片手でデジカメを操作するのに慣れてしまった。手前の道路はゆったりと流れているが、その奥の夕焼けは、静止画像なのだった。

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2007年5月18日

皐月十八日の歌

二分経てば全てのものの入れ替はる白き光のプラットフォーム


気が付けば、母が亡くなって一週間どころではなく、八日が過ぎようとしている。葬式が日曜日で、もう金曜日が過ぎる。

あっという間に週末である。この一週間は、訳もわからないうちにすぎたような気がする。時間の経つのが、これほど早く思われたこともない。

仕事を終えて、上野駅に着いた頃は、まだ明るい日が射していた。山手線と京浜東北線の電車が、止まっては動きだし、どんどん入れ替わる。それに伴い、プラットフォームの上を歩く人も、どんどん入れ替わる。

電車が来てはどっと人が吐き出され、それらの人は階段に吸い込まれて、あっという間にいなくなる。二分経たないうちに、プラットフォームの上は、すべてが入れ替わる。それでいて、何も変わったように見えない。

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2007年5月17日

皐月十七日の歌

切り通し暗き坂道昇り切れば不意に広がる田は緑なり


俳句の世界には 「若葉寒」 (わかばざむ) という季語があるそうだ。若葉が出揃う頃、つまり今頃の季節に肌寒い陽気の続くことをいう。

若葉冷 (わかばびえ)、青葉冷 (あおばびえ)、田植冷 (たうえびえ) などともいうらしい。四月末からの連休の過ぎまでは夏日になることもあって、汗ばむ陽気だったが、それからこっち、涼しい日が続いている。

母が亡くなって通夜と葬儀を執り行った十二、十三日あたりも、涼しい風が吹いた。明日はまた夏日になるらしい。

近所に、切り通しの坂道の先に一面田んぼの見渡せるところがある。私はこの道からの景色が好きで、なんとか写真に表現したいと思うのだが、どうしても雰囲気を出せない。本当は、この写真よりずっと晴れやかな景色なのだが。

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2007年5月16日

皐月十六日の歌

幼き日思ひ描きしに似て非なる二十一世紀の光景よ


母の葬儀から戻って、再び本格的な仕事が指導した。

最初の仕事は、関東経済産業局に書類を提出することである。この書類は関係先の事業関連のもので、先月から準備に取りかかって、今日が提出締め切り日だったものだ。

締め切り直前になって母が亡くなったため、書類を書き上げるのと添付書類の準備が、かなりバタバタになってしまったが、何とか間に合ってほっとした。

関東経済産業局は、さいたま新都心にある。駅を降りると周辺には、さいたまスーパーアリーナを始め、モダンな建築がひしめいている。幼い頃に思い描いていた 「二十一世紀の光景」 というものに近いような気もするし、違うような気もする。

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2007年5月15日

皐月十五日の歌

歌ふべき言の葉一つ浮かばざる昼に雷鳴りて行き過ぐ


母の葬儀から戻ってきて、どっと疲れが出るかとも思ったが、それほどでもない。なんとか乗り切れそうだ。

とは言いながら、なんとなくぽかんとしてしまって、歌の言葉が出てこない。昨日まではすらすらと出てきていたのだが、もしかしたら、これが疲れというものなのだろうか。

朝はとてもいい天気だったのだが、昼頃から急に空が暗くなって、雷の音が聞こえてきた。初めは遠くで鳴っていて、飛行機の音かと思っていたが、どんどん近づいてきた。

去年の夏、落雷でパソコンが壊れたことを思い出して、電源を切ろうかと思っているうちに、遠ざかってくれたから、こうしてログを書いていられる。

母の葬儀の朝も、雷がなって土砂降りになった。しかし、十時からの葬儀の始まる前には上天気になり、そのまま晴れ続けた。火葬の間は、風がとても強くなって、煙突から昇る煙が見る間に吹き払われた。

「朝の雨はお浄めの雨だったんだね」 と、皆で話していたものである。それにしても、雷が鳴り、大風まで吹いて、雪以外は何でもありの日になったのは、賑やか好きの母らしいことであった。

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2007年5月14日

皐月十四日の歌

人てふは死なぬものなり縁ありし人の心に生き続くれば


母の葬儀を終え、先ほどつくばの我が家に戻ってきた。なんだか、どっと疲れが出た。

不思議な感慨である。ため息ばかりもれて、悲しいことは悲しいけれど、少しもネガティブな感情ではない。むしろ、ありがたいという感慨、感謝とでもいえばいいような心情である。

その感謝は、亡き母への感謝、そして、生前に楽しい時を一緒に過ごしてくれた多くの人への感謝、そして、葬儀に身を惜しまず協力してくれた近所の人たちへの感謝でもある。

「亡き母」 と書いたが、葬儀に参列してくれた多くの人が、「死んでしまったような気がしない」 「あの笑顔で、今にも語りかけてくれそうな気がする」 と言ってくれた。そう言ってもらえる間は、まだ 「亡くなって」 いるのではない。生きているのだと思える。

思えば、人は、最後には自分以外の人たちの心の中で生きるのである。それだけに、生きているうちに周囲の人を大切にしなければならないなどと、殊勝なことを思ったりする。

そして、母は巧まずして自然にそれをしていたのだなと、感心する。

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2007年5月13日

皐月十三日の歌

残りしは骨と写真と人々の記憶の中の笑顔なりけり


母の葬儀が終わった。今、実家の中はごった返している。整理には少し手間がかかるだろう。我々は明日帰路に着いてしまうのが心苦しい。

母の女学校時代の友人も、大勢参列してくれた。その中の、とくに仲のよかった一人が、顔をくしゃくしゃにしながらも、素敵なはなむけの言葉を言ってくれた。

「決して自分を強く主張するわけではないけれど、いつもにこにこしてくれていて、私たちとしては、その場にいてくれないと困る人、いてくれないと、なんだか足りない気がする人、そんな人でした」

そうか、母は確かにそんな存在だったのだ。どこでもそんな風な。認知症になってからまで、そうだったし。ただ、これからはいつも 「足りない」 気持ちでもいられない。

火葬場で骨を拾いながら、もう母はこの世にいないのだ、残ったのは骨と写真しかないのだと思った。しかし、人々の心の中に残るあの笑顔は、まだ生き続けているという気がした。

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2007年5月12日

皐月十二日の歌

生き変はり死に変はりしていつの日かこの恩をこそ返したきなれ


母の通夜が終わった。

朝につくばの地を発って、昼過ぎに酒田に着き、そのまま斎場に棺おけを運び、通夜になった。

親戚や近所の人が集まってくれて、母の思い出話に花が咲いた。

遺影もいつの間に撮影したものやら、ずいぶんいい写真があったものである。

さて、明日は葬儀だ。

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2007年5月11日

皐月十一日の歌

着慣れたる喪服なれども母がため明日着るとは思はざりしを


今日中に帰郷しようかと思ったが、どうしても仕上げなければならない緊急の仕事が残っていたので、明朝に発つことにする。

母の通夜は明日の夕刻からだから、十分間に合うだろう。早く帰りたいのはやまやまだが、一刻を争う危篤という段階はあっという間に過ぎ去ってしまったので、仕方がない。

こんな時に限って、パソコンのフリーズが連発して、イチから作業のやり直しという事態が二度も繰り返された。体の力が抜けているので、ひどく疲れる。

ワードローブの外に喪服を掛けて風を通している。近頃、結婚式というのは全然縁遠くなってしまって、葬式にばかり着ている。しかし、母の葬式で着るのが、いつか来るものとはいえ、こんなに早くなろうとは思っていなかった。

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2007年5月10日

五月十日の歌

降るはずの雨降らぬ間に垂乳根の母は静かに死に給ふなり


昼前、出先に妻から電話が入った。母が緊急入院したという。実家の近所の人から知らせが入ったらしい。

とはいえ、父からの電話はない。妹が急遽実家に飛んだが、様子がわからず、どうにも動きが取れない。

夕方、ようやく父から電話が入った。今日の昼頃に亡くなったという。寝たきりだったとはいえ、あまりにも突然の死だったので、検死に手間がかかり、警察の調べまであって、連絡が取れなかったそうだ。

それにしても、こういう場合って、一応とはいえ、警察が入るのだな。

左手の肘から先しか動かせず、自分では寝返りも打てない体で、しかも認知症で言葉も発することができない状態で、しかし、七年間、ベッドの上でただニコニコと笑っていた。全然動けないのに、とても始末のいい病人だった。寝たきりになっても、ずっと友人や近所の人気者だった。

今朝も、市の介護サービスのヘルパーさんから朝食を食べさせてもらい、満足してうとうとし始めて、その数分後に呼吸が止まっていたという。大往生だ。五月十日とは、命日も憶えやすいし、幸せな人だったと思う。

昼頃には降り始めるはずだった雨がなかなか降らない間に、夕方になり、暗くなり始めるころから、遠くで稲妻が光り始めた。

もう緊急を要するわけではないので、自分と家族の仕事の予定を都合して、明日か、明後日の朝には家族全員で帰郷することになる。

土曜に通夜、日曜に告別式。よって、来週の月曜からの奈良出張は中止。

唯々感謝、合掌。

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2007年5月 9日

皐月九日の歌

注連縄は張られ神楽も聞こえ来て明日の夕べに祭り始まる


神田祭が明日の夕刻から始まる。神田の街を歩いていると、あちこちで祭りの準備が進んでいて、景気のいい神楽の囃子の音も聞こえる。

まあ、笛や太鼓の音はカセットテープでエンドレスに流されているもののようだが、既に祭りのムードは十分に高まっている。十五日までの祭りの間、東京は、明日だけが一時雨という予報だが、あとは降らずに済むようだ。

本番は十二、十三日の土日で、日曜日は盛大な御輿が出るようだが、私は別の用事があって、神田には来られない。だが、明日と明後日は神田にくる用事があるので、祭りのムードは感じられるだろう。

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2007年5月 8日

五月八日の歌

空映す田を渡り来し風の音の麦畑にてふと乾きたり


朝、駅に向かう時、県道はラッシュになって時間がかかるので、田んぼの中の近道を辿る。

田植えが進行中の田んぼは、まだ苗がすかすかの状態なので、空を映して輝いているが、ところどころにある麦畑は、だんだんと穂が出てきた。来月中ごろには、収穫の時期になるのだろう。

同じイネ科の植物でも、稲と麦とでは、様子がかなり異なる。麦はやはり乾いて涼しい気候の土地に合う植物なのだろうという気がする。湿り気たっぷりで、夏はうだるほど暑くなるこの辺りには、やはり米が似合う。

近頃は、麦の穂は食用にしないでインテリア・デコレーションに使われたりするケースがあるそうだ。なるほど、穂先から毛がシュンシュン出ている麦は、ちょっとバタ臭い感覚で、南欧っぽいインテリアには合うのだろう。

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2007年5月 7日

皐月七日の歌

八月と同じきほどの長さなる五月の昼は軽やかなりき


連休も終わり、都市に仕事の日常が戻った。私も今日は都内で仕事。

今週はずっと都内に出ずっぱりになる。土日も今度は水戸方面に出ずっぱり。来週の月曜日は奈良に出張だ。またしても、休みなしの強行軍が始まるが、火曜日は多分、一日空きができて、奈良見物ができそうだ。

今日、常磐線で取手駅に戻ったのは午後六時を回っていたが、それでも十分に明るい。来月は夏至だもの、日の長さは八月頃と変わらないわけだ。八月と比べると、うだるほどの暑さでないのがありがたい。

取手駅のペデストリアン・デッキでは、植え込みの皐月が花盛りである。写真に撮って景色をフレームで区切ってみると、その皐月越しに、下の方にバスの屋根が見えるから、ちょっと不思議感覚がある。

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2007年5月 6日

皐月六日の歌

連休の最後の夜は雨に濡れ学園都市の光冷たし


今日は立夏。カテゴリーも今日から 「夏の歌」 にしておこう。

皮肉なもので、昨日までは夏のような陽気だったが、今日は少し涼しい。とはいえ、明日からはまた暖かくなるようだ。

連休後半は天気が崩れるとの予報は、あまり当たらず、五月一日と、連休最終日の今日以外はまずまずのお天気だった。今日は後半に降るはずだった雨が、まとめて降ったようなものだろう。

私といえば、連休にはあまり関係のない暮らしで、仕事以外では、さしてどこにも出かけるということもなく、この九日間はあっというまに過ぎてしまった。

今日も一日仕事で外出。雨の中を日が暮れてから帰ってきた。連休帰りの渋滞が予想されたが、大方はお天気の昨日のうちに帰宅したもののようで、全然混まなかった。行楽でもないのに渋滞に巻き込まれたら、さぞかしストレスだろうと思っていたが、取り越し苦労だったようだ。

写真は、つくば学園都市の雨模様の路上である。この街は、田園地帯のまっただ中で、人工的な光を放っている。不思議な雰囲気である。

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2007年5月 5日

皐月五日の歌

すがるもの一つとてなき青空でひたにもがきて鳴く揚雲雀


こどもの日。週間予報が少し狂って、青空だ。もう初夏を通り越して、夏と言ってもいいような陽気である。とはいえ、明日が立夏なので、今日までは 「春の歌」 というカテゴリーで詠んでおこう。

連休三日目ということもあって、行楽地から離れた我が家の周囲は、いともうららかで、のんびりとしている。こののんびりとした空気の中で、ヒバリの声だけがひっきりなしに忙しい。

必死に鳴き、羽ばたきながら上昇するヒバリを揚雲雀 (あげひばり) と言って、俳句の世界では春の季語になっている。

私は、なんであんなに必死に鳴きながら上昇するのだろうと、ずっと不思議に思っていた。鳴き声でエネルギーを余分に使うから、上昇の効率がさぞ悪いだろうにと。

ところが、あれは単なる上昇ではなく、縄張りを主張するディスプレイ行動なのだそうだ。なるほど、それなら、ただ上昇するだけでなく、鳴き声もプラスしてアピールすることに意味があるのだろう。

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2007年5月 4日

皐月四日の歌

川風の吹く道に沿ひ鯉のぼり滝昇るごと身を揺らしをり


この辺りは鯉のぼりを飾るのが盛んな土地柄で、以前はこの季節になると、あちらこちらに盛大な鯉のぼりが見られたが、最近は少子化のために、あまり見られなくなってしまった。

それでは、せっかくの鯉のぼりが死蔵されてしまってつまらないということになったのだろう。今年は、近くの小貝川の岡堰というところで、鯉のぼりを飾って川を渡してしまうと言う試みが出てきた。

ニュースなどでは見たことがあるが、実際に生で見たのはこれが初めてである。なかなか壮観なものだ。

週間天気予報ではこどもの日には天気が崩れると言っていたのだが、崩れるのは明後日に持ち越したようで、明日は見物が大勢押し寄せるだろうか。

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2007年5月 3日

皐月三日の歌

杜てふは盛り盛りてその内に棲むさやけきものを護りて動かず


今日もあっという間に日が暮れた。昼は都心に出て、北の丸公園に足を踏み入れたが、ご覧の通りの素晴らしいお天気だった。このお天気は、明日までは続くらしい。

東京の都心には、案外緑が多かったりする。大阪と比べたら、その差は一目瞭然だ。

皇居の周りを走るジョギングが流行ったことがあって、私も二十代の頃に一度だけ挑戦してみたことがある。しかし、あまりの空気の悪さに気分が悪くなった。当時は西荻窪に住んでいたので、石神井公園を走る方がずっとよかった。

当時は体力があったから、走ればいくらでも走れた。十キロや二十キロを走る分には、全然平気で、「これなら、永遠に走り続けられるぞ」 と思ったものだ。

ただ、人間の脚というのは、大体三十キロを境にして、急に筋肉疲労が高じて、動かなくなるものらしい。私は三十キロ以上走ったことがないので、その経験はないのだが。

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2007年5月 2日

皐月二日の歌

十六夜の月よりBSアンテナは近づく夏のしるし受けをり


今日もあっという間に日が暮れた。まだ今日の写真を撮っていないことに気付き、外に出たが、暗くて写真に撮れそうなものが何もない。

唯一、明るく輝いているのが月だった。今日は旧暦では三月十六日なので、十六夜の月のはずだが、月齢を調べると、15.04 で、昨夜の月よりも満月に近い。道理でまん丸に見えるはずである。

旧暦は月の満ち欠けを基準にしているとはいえ、こうした誤差はしょっちゅうある。秋の十五夜の月が、厳密には満月にはならないことがあるのと同様だ。

例えば今年の中秋の名月 (旧暦の八月十五日) は、九月二十五日だが、実際の満月は二日後の二十七日になる。

で、十六夜の月という名前の満月に向かってシャッターを切ると、フラッシュが光って、我が家の BS アンテナが一緒に映ってしまった。なんだか不思議な構図である。

満月は、感覚的にはとても大きく見えるのだが、客観的に BS アンテナと比較すると、こんなにも小さいことがわかる。

夜になってもかなり暖かい。四日後の六日は、もう立夏である。

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2007年5月 1日

皐月一日の歌

黒雲の分厚く流れ垣間見る深き青空光る白雲


雨が降るだの雷が鳴るだのと予報で言われていた割には、穏やかな一日だった。雨はそれほど長続きしないうちに、雨雲が東に抜けたようだ。

その代わり、雲の移ろいはなかなか見ものの一日だった。黒雲がどんどん移動して、その切れ間から上空を流れる筋雲が垣間見られたかと思うと、またあっという間に黒雲に覆われる。

夕方になって、ようやく黒雲の切れ間が大きくなって、青空も覗いてきた。明日は、週間予報の段階では雨が降るはずだったが、晴れるようだ。ありがたい。

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