長月十一日の歌
変化てふ名の牢獄に囚われてなどて倦まずや街の心は
今日は久しぶりに、原宿、青山方面に半日いた。雨は断続的に降っていたが、移動の間はすべて雨が止んでくれたのは、ありがたい。
だいぶ日が短くなったものである。最後の訪問先を出たのは、午後六時を少し過ぎた頃だったが、青山の町はすっかり日が暮れていた。
地下鉄外苑前の駅まで歩く間も、雨は降らずに済んで、今日は結局一度も傘をささずに済んだ。
この辺りに来るのは、月に一度か二度のペースだが、来るたびに新しい建物ができたり、新しい店がオープンしていたりしている。ただ、あまりにも一本調子に変化し続けていると、とくに新鮮でも何でもない。
「変化という名の退屈」 である。逆に、常に変わらないでいることの方が、ずっと貴重なのではないかなどと考えたりもする。
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コメント
変化てふ名の退屈を持て余す都会の病みて透ける魂
クリスタルに洗練された魂、しかし・・・
安堵の場所をいつも捜し求める流浪にも似た魂!!
そんな想像をしてしまった寂寥感のあるお歌です!
度々の書き込み、すいません!
投稿: 歩遅子 | 2007年9月12日 00時00分
歩遅子 さん:
いや、私も若い頃は、ダイナミックに変化する街が楽しくて仕方ない時代があったと思います。
ただ、変化にどこまでも付いていくのが楽しい人もいますが、いくら見かけ上の変化が激しくても、そのベースが透けて見えてしまって、かえってしらけてしまう人もいます。
私は後者のタイプなのかなと思ってしまいます。
見かけ上の変化に関わらず、ずっと変わらない本質の方に惹かれてしまいます。
投稿: tak | 2007年9月13日 16時48分