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2008年1月31日

睦月三十一日の歌

幾たびも歌にて詠まん幾たびも愛てふものの解くる時まで


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我が家の階段の踊り場にあるCDラックに、妻がヘンリー・ミラーの 「描くことは再び愛すること」 (原題: To Paint is To Love Again) という本を飾っている。

ヘンリー・ミラーのエッセイ、書簡に、彼自身の描いた水彩画を加えたものだ。水彩画はそれほど多く収録されているわけじゃないので、エッセイ・画集というほどではない。

しかし、なかなか面白い絵である。「ヘタウマ」 というにはちょっと上手すぎる気がするが、じゃあ、「上手」 か? といえば、決して上手なわけじゃないというような絵である。上手じゃないが、さすがに味がある。

ヘンリー・ミラーは、描いた対象を、描く前に一度愛していて、描くことで再び愛している。「再び愛すること」 が描くことなのだ。

ならば、私も歌を幾たびも詠もうと思う。

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2008年1月30日

睦月三十日の歌

睦月とはかくも短き月なりき春思はする風にそを知る


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一月ももう三十日になってしまった。ちょっと前までは、一月というのは長く感じる月だったのだが、それもだんだん短く感じるようになってきた。ふぅむ。

で、今日は妙に暖かかった。昨日までは冷たい風に震えていたのだが、今日は風が心地よい。まるで春の風だ。そしてまた明日からは寒中の気温に戻るという。なかなか忙しいことである。

日が暮れてから近所のショッピングセンターに寄った。なんとなく空気が朧のような気がする。いかんいかん、これで春のようなつもりになったら、明日からまた震えることになる。

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2008年1月29日

睦月二十九日の歌

梅の枝の寒の蕾はたつぷりと膨らむ余地を残しゐるなり


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昨日までとは一転して、小雨模様の一日になった。天気予報では雪の心配もされていたが、それはなかったのだが。

日が射さないので、昼になっても、とにかく寒い。手がかじかむほどだ。昨年は一月までが暖冬で、二月に入ってからいつまでも寒の戻りが続いたが、今年はこれまでのところは、逆のパターンだ。

ということは、春の訪れは早いかもしれないと、ほんの少しだけ期待しておこう。

我が家の庭の梅の木をよくみると、既に小さな蕾が点々とついている。まだまだ小さくて、これから徐々に膨らんでいくのだが、それでも、春を予感させる現象はうれしい。

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2008年1月28日

睦月二十八日の歌

合わせたる掌のその隙間より茜指す日は昇り来るなり


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早朝から起き出し、暖房がなかなか効かない中でごそごそ仕事をして、七時前に寝室の雨戸を開けたら、ちょうど朝日が昇りきったところだった。

昨日のエントリーで、午後四時の太陽の位置がわかるが、地平線より結構高いところにある。それに比べて、今の時期の朝の太陽はかなり低いところにあるのが、意外なほどである。

このくらい低い位置にあると、さすがに赤い色としてみえる。

冬至を過ぎると (実際は冬至のかなり前から) 日の入り時刻はどんどん遅くなるが、日の出はなかなか早くならない。冬至を過ぎても、しばらくは日の出がさらに遅くなる。(詳細は こちら

日の出が遅くなっても、日の入りはそれよりさらに遅くなるので、全体としては日が伸びたという印象になるのだが、その印象のほとんどは、日の入りが遅くなったことによる。

何年ぶりだかで、昇り来る朝日に礼拝し、拝んでみた。空気は冷たいが、いい気持ちがした。

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2008年1月27日

睦月二十七日の歌

寒中の午後四時の日は黄昏の色にはあらでただ白きなり


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今日も相変わらず寒い。

年が変わったばかりの頃の天気予報番組では、この冬の平均気温は平年よりわずかに高いということを紹介していた。シーズンに入る前の季節予報では、「平年並みか暖冬」 との予測だったので、その時点での予測の正しさを証明したのだと思う。

しかし、あれからずっと冷え込んで平年以下の気温が続いているので、少なくとも 「平年並み」 か 「平年よりやや寒い」 程度には変わっているのではなかろうか。印象としては、「暖冬」 というよりむしろ 「寒い冬」 である。

三ヶ月の季節予報が外れるのはいつものことなので、今さら驚かない。というより、予報の反対になることの方が、わずかながら多いというデータ通りになりそうなので、今後の心の準備がさらにしやすくなった。

要するに、季節予報は信じなければいいのである。気象庁には申し訳ないが。

写真は午後四時の景色。太陽がまだ地平線の大分上にある。年末は午後四時と言えば地平線スレスレまで低くなっていたのだから、寒いことは寒いけれど、日は確実に長くなっている。

九州辺りでは、午後四時の太陽はもっと高いのだろうけれど。

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2008年1月26日

睦月二十六日の歌

学習塾の窓より漏るる蛍光灯の白きを超えてオリオンは光る


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今日は日のあるうちは写真を撮っているような暇がなくて、日が暮れてから車を運転して帰ってきた。

つくば学園都市を通りかかると、妙にモダンな色合いの小さなビルが見える。何かと思うと、学習塾の建物だった。

二階の窓からは蛍光灯の白い光が皓々と見える。中では子どもたちが勉強に励んでいるのだろう。土曜の夜だというのに。

写真ではわからないが、空は澄み切って満天の星である。見上げただけで、すぐにそれとわかるオリオン座が、頭の上にある。

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2008年1月25日

睦月二十五日の歌

遥かなる影際立たす木枯らしに庄内の地の吹雪を思ふ


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昨日から外界は強風が吹き荒れて、常磐線も用心のためにのろのろ運転になり、帰宅に手間取ってしまった。冬型気圧配置は強まる一方で、夜になっても風の音は止まず、飛行機でも飛び続けているのかと思った。

天気図を見ると、密度の濃い縦じまである。なるほど、これなら仕方がないと納得した。

庄内 Cam グループ さんのリアルタイム写真画像をみると、こがね Cam さんの写真で見る限り、国道七号線バイパスは、路面の積雪はない。酒田の街は、それほど雪の積もるところではない。

しかしl山居 Cam さんは、ガラス面に雪がこびりついてしまって、ホワイトアウトしている。積雪はたいしたことがなくても、酒田の雪は上からじゃなく横から下から吹き付けるので、風上に向かった窓はこんなふうになる。

酒田をはずれ、月山街道に向かう国道一一二号線は、朝日 Cam さんの写真をみると、路面も白くなっている。日本海側の冬は大変である。

一方、関東は強風のために空気中の余計なチリや湿り気が飛ばされてしまい、遠くまでくっきりと見通せる。庄内だと冬の強風は地吹雪を伴い、何も見えなくなるので、正反対だ。

冬になると、庄内と関東は別の国になる。

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2008年1月24日

睦月二十四日の歌

大寒を過ぎて銀杏の太き幹にしがみつきゐる葉をいかに見む


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今週の月曜から、一日おきに晴れたり崩れたりしていて、今日は見事に晴れ渡っている。とはいえ、北風が冷たく、空を流れる雲も輪郭が毛羽立っていて、上空の風を思わせる。

今月初めまでは、イチョウ並木の葉の散りきっていないのがあって驚いていたのだが、今日はさすがにすべてきっちりと真冬の姿になっている。

・・・・・・と思ったのも束の間、よく見ると、あちこちの木にまだ黄色の葉がしっかりとしがみついている。

「ええい、見苦しい、とっとと散れ!」 と言いたくなってしまったが、イチョウに罪はない。温暖化が既存の季節感を裏切るまでに進行してしまったということなのだろう。

 

 

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2008年1月23日

睦月二十三日の歌

東京の雪は儚しわづかなる土を真白に染むる能はず


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朝から雪になると聞いていたので、覚悟して雨戸を開けたら、何のことはない、単なる小雨だった。

しかし、ラジオを聞くと東京では雪になっているという。「次第に大粒の雪になってきました」 と、街灯からのレポートも興奮した声だ。

東京も筑波も両方とも雪で、ただ南に位置する東京の方が積雪が多いというのは、それほど珍しくない。関東の雪は南岸の低気圧のせいで降るからだ。しかし、つくばが雨なのに、東京が雪というのは珍しい。

電車で都心方面に向かうと、北千住を過ぎた辺りから雨が雪に変わってきた。しかし、ラジオのレポーターがあんなに興奮して伝えるほどの雪じゃない。東北生まれの目で見ると、寿司で言えば、かっぱ巻き程度の雪である。

神田では街路樹の根元がほんの少し白くなっていたが、昼が近づくにつれてみぞれになり、解けてしまった。

それにしても、関東は本当に雪が少なくなった。ちょっと前までは、雪かきで積み上げた雪の塊が、一週間ぐらい解けずに、土に汚れて真っ黒になっているという光景が見られたのに。

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2008年1月22日

睦月二十二日の歌

大寒の朝日を浴びて金色 (こんじき) にただ立ち尽くす冬枯れの草


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大寒の今日、明け方はさすがに冷えた。なまじ雲が取れて、放射冷却現象が生じたからだろう。

夜明け前の五時半頃に寒さで目が覚めて、いっそこのまま起きようと思っているうちに、いつの間にかまた眠りに落ちてしまい、次に目が覚めたら六時半だった。

明け方の一時間は、一瞬だ。考えれば恐ろしいことである。

朝の道はさわやかだ。道端に冬枯れのまま突っ立っている草に、朝日が当たって輝いている。

天気予報では、明日は雪になるかもしれないと言っている。昨日もそう言っていて降らなかったから、油断しそうだ。そんなときに限って、本当に降ったりするから困る。

【睦月 二十三日 追記】

忘れていたが、この日は和歌ログの 「独立記念日」 だった。「知のヴァーリトゥード」 の中のサブサイトだったのが、別のサイトとして独立したのが、平成十六年のこの日である。

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2008年1月21日

睦月二十一日の歌

降るはずの雪降らずして公園に満つる都会の見えぬ溜め息


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もう、すっかり雪の積もるのを覚悟していたのに、朝、雨戸を開けたらまったく白いところがない。

南岸沿いに東進してきた低気圧が、思ったほどに発達しなかったのだそうで、雲があまり北の方まで広がらなかったらしい。そのため、雪は神奈川とか千葉の一部に限られてしまったようだ。

交通機関が混乱しなかったことはありがたいが、それはそれで、なんだか拍子抜けである。

ただ、交通機関のスタッフたちにとっては、雪対策のいい予行演習になったんじゃないかと思う。次に本当に雪が降った時に、混乱は最小限に抑えられるだろう。

写真は新宿の中央公園。この公園も、もう少し広いといいのに。ニューヨークのセントラルパークの半分ぐらいでもいいから。

 

 

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2008年1月20日

睦月二十日の歌

日曜の昼は工事の音も止み夜明けに降るてふ雪をただ待つ


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日曜日は裏の川の拡幅工事もお休みで、静かなものである。それにしても、このあたりの公共工事はとてものんびりしていて、二ヶ月でできることを三~四ヶ月かけてやっているように思える。

民間の工事だったら、とてもこんな調子ではいかないと思うのだが、気のせいだろうか?

今夜は遅くなってから雪になるという予報だ。天気図をみると、日本の南岸沿いに低気圧が進んでいく。太平洋側に雪を降らす典型的なパターンだ。

明日は本格的な雪景色が写せるかも知れない。

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2008年1月19日

睦月十九日の歌

蟷螂の卵のありて冬枯れの枝も大地の水吸ふと知る


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我が家のフェンス際にあるアジサイは今、丸裸である。枯れ枝のように見えるが、これでも季節になれば葉が出て、花もつける。

その丸裸のアジサイをふと見ると、カマキリの卵がついている。隣り合わせて二個ある。

カマキリの卵は、その冬に雪の積もる高さに生み付けられるというが、この卵は私の胸ぐらいの位置に付いている。まさかこの高さまで雪は積もるまい。

先日ラジオで、カマキリが雪の積もる高さを知っているわけじゃないらしいという話を聞いた。カマキリは、草や木の内部の水の上昇する音を聞いているのだそうだ。その水の音によって、雪の積もる高さを知るらしい。

ということは、こんなに枯れ枝のように見えるアジサイも、実は生きていて、きちんと水を吸い上げているもののようなのだ。

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2008年1月18日

睦月十八日の歌

田子山は低きにあらず敷島の大和の富士を秘めて坐 (いま) せば


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今日も関東のドサ廻り。いやはや、寒かった。多分、今日がこの冬の関東で一番寒い日ということになるんじゃあるまいか。

埼玉県志木の敷島神社というところに、田子山富士というものがある。富士塚というものだそうだ。

富士塚は Wikipedia では、「富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚」 と説明されている (参照)。道理で、関東に来るとあちこちに 「何とか富士」 と称するこんもりしたものがあると思ったが、そういうことだったのか。

大抵は頂上に浅間神社が祀られているというので、もしかしたら、今年の元日に写真を載せた私の地元の浅間神社も、富士塚なのかもしれない (参照)。

志木の田子山富士は、高さ約八メートル、円周百二十五・三メートルだそうである。詳しい解説は、こちら にある。

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2008年1月17日

睦月十七日の歌

生垣に少しく積もる初雪のさほど冷たきものにもあらず


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朝起きて窓を開けると、世界が白くなっていた。夜のうちに雪が降ったようだ。

雪になるという天気予報は聞いていなかった (もしかしたら、少しは触れたのかもしれないが) ので、さすがに驚いた。

今月十二日に、雨の中にほんの少しだけ雪が混じったような気がするという人もいるが、はっきりと誰もが認める降り方としては、これがこの冬の初雪だろう。

ただ、この雪もあっという間に解けてしまうのだろう。東京都心では、どこにも積もっていないし。

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2008年1月16日

睦月十六日の歌

開かざるシャッターの奥に物の怪の潜みて街を操るならむ


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シャッター通りというのがある。大型店の進出で商店街にお客が来なくなり、次々に店じまいをしてしまう。

都心というのは、案外大型店が進出しにくいので、昔からの商店街が元気だったりするのだが、それでも、すべての店が繁盛しているわけではない。チラホラとシャッターの開かない店が目立つ。

写真は、商店街というわけではないのだが、たまにしかシャッターが開かないという事業所がある。

シャッターが開かないので、軒先でタバコを吸う人が多いらしく、吸殻のちらかることが多いようだ。昔ながらのガッシリした自転車の置いてある店先のシャッターに、「禁煙」 の貼り紙がしてあるのがおもしろい。

 

 

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2008年1月15日

睦月十五日の歌

冬晴れの大根畑の土に這へば青き葉越しに迫る都市見ゆ


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小正月の今日、仕事で千葉の郊外に行った。昔は畑の他は何にもないところだったのだが、最近はベッドタウン化していて、小洒落た住宅と畑が混在している。

畑は、大根と葱と白菜の季節である。写真は見事に育った大根。なぜか、少し引っ張り出されている。

その大根の向こうに、大きなマンションの建物の見えるのが、この辺りの景色らしいところである。

空は見事に晴れ渡っているが、風の冷たい一日だった。今週はずっとこんな感じの寒い一週間になるという。

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2008年1月14日

睦月十四日の歌

冬空に長き尾を引き流れ行く雲居の縁を染むる夕日よ


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寒い一日だった。明日はもっと冷えるらしい。

空気が乾いてある程度風も強いためだろう、木々の陰影までわかりそうなほどに、筑波山がくっきりと見えた。

三連休の最終日、いろいろ小さな用事を済ませているうちに、あっというまに日が暮れた。あちこち車で走ったのだが、成人式の振り袖姿は全然見えない。この辺の自治体は、昨日のうちに成人式を済ませるところが多かったようだ。

夕暮れの空に、上空の強い風に流されて尾を長く伸ばした雲が光っていた。いつもながらに思うことだが、関東平野の空は広い。この広い空を、都心に住む人は実感しづらいというのが、気の毒だ。

 

 

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2008年1月13日

睦月十三日の歌

明け方の車の窓の隙間より水流のごと冷気入り来る


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「夜明け前が一番暗い」 という言葉があるが、私は、なんだか雰囲気だけの具体性に欠けるお話だと思っている。まず第一に、「夜明け」 の定義が曖昧だ。

気象庁のサイト(参照) に行くと、「夜明け」 は 「日の出の前の空が薄明るくなる頃」 としてあって、「備考」 として、

「『薄明』 も同じ意味だが、予報用語としては用いない」 となっている。あまりにも曖昧な言葉だからだろう。

さらに、「夜明け前」 は 「日の出の前 2時間くらい」 となっているが、「使用を控える用語」 と指定されていて、代わりに 「明け方」 という言葉を用いるということになっている。

「夜明け」 を  「日の出の前の空が薄明るくなる頃」 とすれば、「薄明るくなる頃」 の前が暗いのは当たり前だが、すると、「夜明け前」 の定義が 「日の出の前 2時間くらい」 とするのはおかしい。

だって、 「日の出の前 2時間くらい」 の中間点である 1時間前は、写真の通り、薄明るくなっている。さらに、「夜明け前 = 明け方」 としてしまうと、「夜明け前が一番暗い」 というフレーズは、「明け方が一番暗い」 というナンセンスになる。

というわけで、「夜明け前が一番暗い」 というのはかなり怪しいが、「一番寒い」 というのは、冬の間の実感として、多分本当だ。

長々と、何が言いたかったかというと、要するに、三連休の中日に、かなり寒い中を、仕事に出発したということを言いたかっただけなのである。

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2008年1月12日

睦月十二日の歌

常陸野の冷たき雨の日暮れまで白き雪には変はらざりけり


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夜中から降りだした雨が、夜になってもしとしとと止まない。この雨きっと雪に変わると思っていたが、実際はそこまでは行かなかった。

今日は水戸方面まで出かけ、茨城県もこの辺りまで行くと、さすがに気温が低い。この気温では、雨がいつ雪に変わっても不思議ではないと思っていたが、なかなか雪にならない。

日が暮れてからつくば方面に南下してくると、気温が徐々に上がってきて、日中の水戸方面の寒さが嘘のようだ。雨の量は南に来るほど多いが、この暖かさでは、雪には変わりそうにない。

先月のうちに替えておいたスタッドレスタイヤを生かすチャンスが、なかなか訪れない。

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2008年1月11日

睦月十一日の歌

まず犬がすぐに続きて人間が霜踏みて行く早朝の土手


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今日は少しは暖かい朝だったような気がしていたのだが、窓を開けてみると、やはり一面霜野原である。明日は雪が降るとか言っているのだが、どうなることやら。

冬至を過ぎて、日の入りはどんどん遅くなり、夕方にはずいぶん日が伸びたと感じられるのだが、日の出がそんなに早くなっているわけじゃない。

冬至を過ぎても、しばらくは日の出の時刻は遅くなる。その分以上に日の入りも遅くなるから、全体として日は伸びるのだが、そんなわけで、やはり朝は冷える。

それでも、毎日 7時前に寝室の雨戸を開けると、太陽の位置が少しずつ南にずれているのがわかる。つい最近までは、右側の家の屋根より左側の低い位置にあったのだが、最近は屋根にかかるようになってきた。

目には見えないが、寒に入ったらその次は春ということだ。

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2008年1月10日

睦月十日の歌

昼時の街の人波見下ろして阿呆阿呆と烏鳴くなり


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今日は夜明け方がとても寒かったが、その分、真っ赤な朝日と一面に霜の降りた光景がとても美しかった。ところが、朝から時間に追われてばたばたしてしまったので、せっかくの美しい光景の写真を撮りそびれてしまった。残念。

都会の景色は、とくにこの季節の場合は代わり映えしないので、あまり面白くないのだが、今日はちょっと変わった写真が取れた。

昼時に神田の道路を歩いていると、頭のすぐ上から、「アホウ、アホウ」 という声が聞こえる。本当に 「アホウ、アホウ」 と言っている。

見上げると、信号機の上にカラスが止まっていて、昼食に出た人の波を偉そうに見下ろしながら、阿呆呼ばわりしている。道理で、カラスというのはあまり可愛がられないわけだ。

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2008年1月 9日

睦月九日の歌

晩秋の姿のままで寒中の銀杏は受くる早春の風


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三が日の過ぎたあたりから、晴れたり曇ったり、周期的に天気が変わっている。とくに週明けからは日替わりで晴れたり曇ったり、ちょっと降ったり、忙しい天気だ。

で、今日は曇の番なのだが、昼から晴れるという予報である。ところが、雲の取れ方がのんびりしていて、なかなかすっきりとした晴天にならず、肌寒い。

しかし、こういう周期的に変わる天気というのは、春先あたりの特徴じゃなかったか? 温暖化が進んで、寒に入ったばかりだというのに、春先の様相を示しているのだろうか。

さすがに都心のイチョウも落葉を完了したと思っていたのだが、今日歩いたところで、秋のようなイチョウを見つけた。黄葉した葉をまだまだたくさんまとっている。周りの木にもも寂しげにチラホラと葉を残した木があるが、この木は特別だ。

よほど日当たりと風の具合に恵まれたポイントなのだろうか。早く葉を落とさないと、春になってから新しい葉を付けられないんじゃないかと、余計な心配をしてしまったほどだ。

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2008年1月 8日

睦月八日の歌

冬空のどれほど深きところまでこの硬き蒼に染まりゐるらむ


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昨日とは打って変わって、ほのぼのとした陽気になった。

ラジオの天気予報では 「卒業式の頃の陽気」 と言っていた。なるほど、なかなか実感の湧く表現である。決して全ての卒業式が必ずうららかな日差しのもとで行われるわけではないのだが。

それに、いくら卒業式の頃の陽気でも、日陰に入れば結構寒い。やはり冬は冬である。

今週は金曜日まではいい天気が続くようだが、日曜日に雨か雪になるらしい。私の車は昨年十二月のうちにスタッドレスタイヤに換えてあるので、個人的にはいつ雪になってもいいのだが、それでも、周りの車がスリップしまくるので、やはり雪は大変である。

早々にスタッドレスにしたのは、それまで付けていたラジアルタイヤがかなり磨り減って、交換の時期を過ぎようとしていたので、仕方なく、とりあえずスタッドレスにしたのである。普通のラジアルタイヤには、三月になったら換えようと思っている。

ちなみに、周囲のビルの門松や松飾は、既に取り去られている。さすが江戸っ子は気は短い。

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2008年1月 7日

睦月七日の歌

門松の消ゆるより先辛うじて葉を落とし切る都心の銀杏


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一月四日は金曜日だったので、今日から仕事始めというオフィスが多い。私も十一日ぶりで都心に出てきている。

十一日ぶりの都心は、久しぶりの曇り空ということもあって、松の内だというのに、ちょっと寒々しい。イチョウ並木のイチョウの葉がすっかり散ってしまって、丸裸になってしまっているため、寒々しさがひとしおだ。

それにしても、都心では松の内の空けるのと銀杏の葉が全て落ちるのとが、同じ時期になるというのだから、季節感がおかしくなってしまう。

まだ門松などを飾っているビルが多いが、関東の松の内は今日までなので、明日からはそそくさと片付けてしまうのだろうか。六日まではひっそりとしていたので、人の目に触れたのは、ほとんど一日だけということになる。

ここは、関西流に十五日までは松の内ということにしないと、せっかく飾ったのがもったいない気がする。それでも、江戸っ子は気が早いから、十五日を待たずに、さっさと片付けるのだろうなあ。

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2008年1月 6日

睦月六日の歌

冬空の夕焼けの奥辛うじて富士の影見ゆ誰にか告げん


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今日は三月下旬の陽気だったそうである。確かに、風がないわけじゃないが、吹かれても寒くない日だった。

つくば市からの帰り道、西の空は冬の夕焼けになっている。真夏の夕焼けほど赤くはないが、それでもなんとなくほっとする色合いの黄昏である。

この夕焼けの奥に、ぼんやりと富士山の影が見える。この写真でいうと、トリミングしてしまったので、粒子がかなり粗くなっているが、真ん中のかなり下の方、空がやや暗くなったあたりにぼんやりと写っている。

一人で車を運転していたので、この影を誰とも共有できなかったので、せめて車を停めて写真に撮っておいた。

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2008年1月 5日

睦月五日の歌

雲間より青空見えて日の射せば輝き立ちぬ車輪梅の葉


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今日は朝からどんよりとした天気で、気温もなかなか上がらなかった。それどころか、小粒の雨の中になんだか雪が混じっているように見えたりもしたのだが、昼頃から少しずつ日が射してきた。

予報によると、明日は三月下旬頃の暖かさになるという。冬型の気圧配置が崩れて、移動性の高気圧に覆われるというのだから、そうなるのも不思議はないだろう。

我が家の裏手のシャリンバイが、かなり大きく育った。大きく育ったとはいっても、低木だからそんなに高くなるわけではないのだが、長女が子供の頃にどこかから拾ってきた棒っ切れを地面に挿しておいたのが根付いたものなので、不思議な気にさえなる。

桜や梅と同じバラ科の植物なのだが、冬でも落葉せず、常緑である。植物というのはなかなか奥が深い。

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2008年1月 4日

睦月四日の歌

そろそろと心の底にむず痒きもの湧き来たり正月四日


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三が日が終わり、世の中がようやく動き始めた。私も久しぶりに仕事のリハビリ開始である。

喪中の葉書を出しているので、今年は年賀状が少ない。来るのは営業年賀状ぐらいかと思っていたが、それでも、親戚や知人からのも何枚か届いた。

喪中葉書を出しても、やはりつい書いて寄こす人はいるものである。もっとも、喪中で年賀状を控えるのは当人だけなのだそうである。だから、自分からは年賀状は出しませんよという通知を送るのであって、そちらからも寄こすなとは、一言も書いていないわけなのである。

だから、喪中の人に年賀状を出しても、決して礼儀にはずれているわけではないということらしい。

今日も快晴のうちに暮れた。明日は冬型が崩れて、南風が入り、暖かくなるという予報である。

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2008年1月 3日

睦月三日の歌

正月の賑わひの奥に不動にて明王はただ立ちていませり


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往路優勝したワセダは、復路もよくがんばって二位に入った。総合準優勝である。

ワセダが箱根駅伝で強かったのは前世紀末までで、近頃はシード権争いをするのが関の山と思っていたのが、夢のようである。

午前中に、元日にお預けになっていた (参照) 板橋不動に、改めてお参りに行ってきた。元日ほどではなかったが、正月三日目もかなりの人出で、駐車場に車を入れるまでずいぶん待たされた。

境内は焼きそば、たこ焼き、射的など、いろいろな出店が一杯で、いかにも正月気分である。それでも、それらを買っている家族連れが案外少ない。お参りを済ませるとさっさと帰る人が多いのは、景気のせいなのだろうか。

今日もいい天気で、明日からもずっと晴れたり曇ったりの天気が続くようだ。ということは、私の田舎は雪ということになる。庄内 Cam をみると、酒田の街では積もってはいないようだが、月山街道は雪景色だ。

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2008年1月 2日

睦月二日の歌

若者は明日また走る哲人の目で芦ノ湖のゴール忘れて


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箱根駅伝、ワセダが往路優勝。この十年以上低迷していただけに、ようやく胸のつかえが取れたような気がする。願わくは、明日の復路もあまり落っこちないで、持ちこたえてくれ。

これ以外はとくに何事もなく、正月二日目は淡々と夕暮れ時になった。明日も関東は今日と同様に、晴れの予報である。

昨日は十キロ以上歩いたから、今日は大人しくしている。裏の川の拡幅工事も、正月休みで機械が止まり、ひっそりとしている。正月は初もうでの名所以外は静かなものである。

ただ、このまま無為のうちに松の内が過ぎてしまうのももったいないので、明日あたりからまたいろいろ動き始めようと思っている。

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2008年1月 1日

平成二十年元日の歌

神々の息吹なるらむ風の音をいにしえ人もかく聞きたるか


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昨年の暮れにふと思い立ったことがあって、今日の午後、それを実行に移した。自宅から約四キロ先にある板橋不動まで、徒歩で往復して初詣をし、途中にある小さな神社にもお参りしようという計画である。

板橋不動というのは、正式な名を清安山願成寺不動院といい、この辺りでは名高い真言宗の寺で、初もうでの名所となっている。

午後十二時四十分に自宅を出発。まず、反対の方角に少しだけ行って、産土神社 (と思われる) 日枝神社に参拝。とても小さな神社である。次に、その近くにあるもう一つの日枝神社。

その次に、谷井田神社。私の住んでいる辺りは昔は谷井田村といったので、その鎮守なのではないかと思う。といっても、これもごく小さな神社である。

それからいよいよ、田んぼの中の道を延々と歩く。丘陵との境目の辺りに見つけたのが、浅間神社。ここも急な石段を登って参拝。ようやく板橋に着き、不動尊の隣にある八坂神社を参拝。

いよいよ、最終目的の板橋不動尊の初詣と思ったが、一番上の写真にあるように、山門の外にはみ出して道路にまで延々と行列が続いていて、参拝できるまでには 一時間近くかかりそうだ。それまでのひなびた神社とは、別世界だ。こちらは徒歩なので、この列に並んでいたら、家に戻るまでに日が暮れてしまう。

というわけで、お不動様へのお参りは、次の機会にすることにして、山門の前から遙拝するにとどめ、帰路についた。往復二時間二十五分。行程は、近道したつもりが逆に遠回りになったところもあって、十キロ以上になってしまったと思う。かなりいい運動だった。

田んぼの中の道を歩いていると、様々に変化する風の音、幾種類もの鳥の声、水の音など、普段は気にとめない音が聞こえて、とてもハイな気分になった。いにしえ人は、我々よりもずっと豊かに、自然と対話していたと思う。

以下は、今日初もうでした神社の写真である。ひなびた光景をお楽しみいただければ幸いだ。

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